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卓球・張本美和&木原美悠ペア、大金星で銅メダル以上確定! 世界最強中国ペアを撃破「最後まで攻めの気持ちで」2023.09.30 杭州アジア大会・卓球は30日、女子ダブルス準々決勝に張本美和、木原美悠ペアが出場。世界大会2連覇の中国・孫頴莎、王曼昱ペアを3-1で撃破。15歳の張本、18歳の木原がシングルス世界ランク1位の孫、同3位の王のペアを撃破するという大金星を挙げ、銅メダル以上が確定した。 地元・中国のファンが詰めかけ、「加油!」大声援が降り注がれるアウェーの雰囲気の中、日本の若き2人が大金星を掴んだ。第1ゲーム、いきなり互角以上に打ちあって11-9と先取。第2ゲームは女王の貫禄を見せつけられて5-11で落としたものの、第3ゲームは11-7で奪い、メダル確定に王手をかけた。 迎えた第4ゲームでは、いきなり張本のスマッシュが決まって日本が先制。中国も実力を見せるが、ミスもあって日本が6-3とリードした状況で中国がタイムアウト。中国はここから地力を見せ、5連続ポイントを奪うが、張本が見事なレシーブで勢いを止めた。9-9と同点で迎えた場面で、会場は中国ファンの大声援。これをものともせず、またも張本が得点を奪ってマッチポイントを迎えると、最後もポイントを奪って11-9。3-1で勝利した2人はガッツポーズを作り、ハグで喜び合った。 張本は試合後のインタビューで「団体戦では負けてしまったんですけど、リベンジの気持ちをもって挑めて勝つことができてうれしい」と喜びを口にし、「一日一日重ねることに、コンビネーションがよくなってきた。ラリーに対応することができて良かった」と手ごたえを語った。 木原は「中国選手と対戦するときは攻める気持ちが一番大事。最初から最後まで攻める気持ちでやっていた」と笑顔を見せた。張本は「しっかり調整して、ここまで来たからには目指すは優勝」と語り、木原も「ここまで来たからには優勝を目指して頑張る」と決勝へ向けて意気込んだ。 日本勢の女子ダブルスのメダル獲得は、福原愛・石川佳純ペア、藤井寛子・若宮三紗子ペアが銅メダルを獲得した2010年の広州大会以来、13年ぶりとなった。準決勝では、韓国ペアと台湾ペアの勝者と対戦する。💛五輪2連覇のレジェンド・鄧亜萍氏の「われわれの強敵となる」、世界大会18度優勝の登亜萍「彼女は将来、必ず中国チームに衝撃を与える」を即座に実現 👏【卓球】張本美和を中国大レジェンドが絶賛「強敵になる。注意せよ」杭州アジア大会卓球女子団体決勝で、日本は中国に0―3で敗れ銀メダルだった。第3試合に登場した張本美和(15=木下アカデミー)を中国の大レジェンドが絶賛。中国勢に警戒令を発した。張本は東京五輪団体金メダルメンバーの王曼昱に敗れはしたものの、1ゲームを奪う大健闘を見せた。この好プレーに反応したのが五輪2連覇で世界選手権など主要タイトルを手にしたレジェンドの鄧亜萍氏。試合後、自身のウェイボーを通じ、決勝を解説する中で張本に言及した。「張本美和はまだ15歳。今大会を見ても、フォアハンドとバックハンド、サーブは非常に革新的です。中国チームはもっと彼女を注意する必要があります。そして彼女の成長もです。将来、われわれの強敵となるでしょう」と称賛しつつ、注意するよう語った。中国メディア「捜狐」は、鄧の発言について「張本選手を称賛する一方で、将来の中国女子卓球界の後継者を称賛することはなかった。これは張本選手がいかに強力であるかを示している」と仰天報道した。また世界大会18度の優勝を誇る登亜萍。「彼女は非常に天賦の才能がある選手で、聞くところによると、どうやらお兄さんの張本智和より強いらしいのです」「彼女はお兄さんよりどうやら更に才能があるという話なんです」「ですから、彼女は将来、必ず中国チームに衝撃を与えると私は思っています」「ただ、それが今なのかどうか、それは、楽しみに見てみる必要があると思います」としながらも「期待できると思います」と述べた。 さらに「彼女はまだとても若いですから。でも、彼女の基礎的な技術、彼女の持っている感覚、つまり球に対する感覚、ひらめきといった感覚には大変素晴らしいものがあります。私はそれも、彼女の両親が与えた遺伝子ゆえだと思います」
2023.09.30
冷戦以来の「水中スパイ網」復活か!? 米海軍が対中国の監視姿勢明らかに 日本はどうする?9/30(土) アメリカ海軍は2022年10月に、シアトル沖のウィッビー島にある海軍基地にある、監視システムの名称を戦域海中監視司令部と改めています。 同システムは、SOSUS(ソーサス)と呼ばれる水中固定聴音機や、艦艇に取り付けられた曳航ソナーなどを用いた、IUSSと呼ばれる海洋監視システムで、冷戦期には主にソ連海軍潜水艦の動きを監視していました。 冷戦終了後、海中からの大きな脅威がなくなったということで、1991年に機密情報から解除されると、クジラなど海洋生物の追跡や海水温の上昇を観測するなど、民間の研究目的で使用される機会が多くなっていました。しかし、ここ数年中国が台湾周辺での軍事演習を強化するなど、同国に関しての脅威が増大化しており、アメリカ海軍はこのシステムを近代化し敵船舶を探知するために、敵艦の音を傍受する無人海上ドローンを配備することに加え、潜水艦監視のために海底に携帯型の「水中衛星」センサーを設置する計画のようです。 また、船舶の無線周波数を追跡して位置を特定する人工衛星や、人間の分析者が通常数カ月を要する海洋スパイデータをわずかな時間で分析する人工知能の開発も計画には含まれており、曳航式ソナーを曳航する海洋監視艦も特に中国近海を航行し監視を強化するようです。 アメリカは日本、インド、オーストラリアとクアッドを形成し、インド太平洋における安全保障のため、4か国で連携していく姿勢を示しています。オーストラリア海軍は既に、その一環として、アメリカ海軍が利用する海中の監視システムを使用し、潜水艦監視能力を高めており、日本にも今回のアメリカ海軍の方針転換が大きく、影響する可能性もあります。 なお、中国に関しても、水中万里の長城と呼ばれる独自の水中スパイシステムを建設中です。
2023.09.30
安居院義道の風景 その2 大山信仰と御師の経済生活神奈川県立公文書館紀要第6号に「古記録から見た大山信仰の諸相」が載っていて、大山信仰の概要と大山信仰を見るのによい。・大山(標高1252m)は霊山として古くから信仰を集めた。特に江戸時代中期以降、大山御師による大山講が組織化され、相模・武蔵、駿遠豆・甲信越・房総の庶民は、盛んに大山参りした。大山道が整備され、山麓一帯に宿坊や土産物店が軒を連ねた。・大山は「石尊大権現」と呼ばれ、山頂に巨大な石を御神体とする阿夫利神社がある。中腹には不動明王像を本尊とする大山寺が建立され、「石尊大権現」と一体化した大山信仰が形成される。田中宣一氏の「明治初期における大山講の分布」より・御師は講中の人々の大山登拝を勧誘するとともに、寺社への案内や宿泊の世話をした。農閑期に村々を廻り、講の人たちと繋がりを持ち、寺社のお札を届け、その見返りにお初穂(米)やお賽銭の寄進を受けた。講をいかに多く組織し、繋ぐかは御師の生活にとって重要だった。未組織の町村に入り込んで大山講に加入させると共に、以後それらの人々と密接な関係を持ち続けるための努力が重ねられた。大山講の講数、戸数は『開導記』が詳しい。鈴木道郎氏の「明治初期における相模大山御師の経済生活」より・大山御師の宗教活動と経済生活御師の宗教上果たした役割と収入とは、御師自身の活動によるものと、神社と協同して行うものがある。御師自身の活動によるものは、①宿坊経営②祈祷③大山登山の先導④御札配付⑤竈祓⑥初穂受けがある。神社と協同して行う場合には①御神楽講②金幣拝戴③正式参拝④寄付勧誘がある。御神楽講は神社に御神楽を奉納するため組織する講で、この奉納料が神社最大の収入になる。御師は、信者にこの講を組織するように勧誘し、それが成立すると、神社より奉納勧誘の手数料として奉納料の3割を受ける。金幣拝戴は神社で祝詞をあげて祓う。正式参拝は本殿に昇殿し正式に参拝する。いずれも手数料が2割入る。寄付勧誘は神殿の新築や燈籠設置等のために信者の所を回るのも御師の役目だった。・大山御師の持場と檀家 江戸時代、大山に御師の家が110軒程あった。現在64軒、蓑毛口に7軒ある。大山御師は関東一帯に1万軒からの檀家を持ち、蓑毛口の御師は山梨・静岡・浜松地方に檀家を持っていた。各御師の檀家の地域的持場は、各講が最初御師の元に宿泊し、先祖代々御師の檀家として結ばれた。他の御師の檀家を荒らすことは固く禁じられていた。
2023.09.30
鷲山恭平著「報徳伝道者 安居院義道」には、実は鷲山氏には校正したい箇所が数多くあった(以下「校正版」)という。現代語訳の校正にあたって、その「校正版」により、校正をすることとする。鷲山恭平著報徳開拓者 安居院義道 大日本報徳社序 文 私の友人の話では、農業経営上の進んだ事例を研究する時には、必ず静岡県の農業が問題になるということである。つまりそういう学者の目から見れば静岡県の農業は全国農業の最先端を進んで来たというわけである。「どうして静岡県の農業がこんな具合に発展して来たか」を考察することは、日本農業の発展の源動力は何かという、より大きな課題の解決のためのカギを与える重要な問題である。これについて従来は静岡県特有の報徳社運動との関連が考えられ、静岡県農業発展のかげに報徳運動ありと考えられていたと思う。しかしこれには二つの疑問が残されている。一つには静岡県の報徳運動がいかにして起こったか、また起こっただけでなく百年後の今日までなぜ存続されているのかという問題である。他の一つは静岡県農業の最重要部門である茶業の発展の問題である。茶業発展の基礎は何といっても牧之原の大茶園の開墾である。この着手は遠州報徳運動と無関係に見えるのである。 本書の著者鷲山氏がこの問題を眼中に置かれたか否か私は知らない。しかし氏の五十余年の研究と、雄大な人格から流れ出るおのずからなる科学的筆力は、この大問題に痛快な解答を与えられたと私は深く信じる。 それだけでなく、平々凡々と前半生を終えた一人の人間が、二宮尊徳という偉大な人格にふれ、この「大死(だいし)一番(いちばん)の発(ほっ)心(しん)(一度死んで生まれ変わった発起心)」が、いかに偉大な業績を行い得るものであるか。またそれがいかに永続的な影響を後世に与えるものであるかを、読むものをして悟らしめなければやまないであろう。 しかし以上のような学問上の意味や、農業発展への功績等の世俗・半世俗的な人間の仕事についての論述であるだけならば、八十を超えられた鷲山氏が文字通りの心血をそそいでこの著述に没頭されるはずがない。このことは本書を手にされるほどの読者ならば私以上にそれを感得されるに違いない。そして、安居院先生と共に、一個の人間であることの「このましさ」、また偶然と必然の錯行する人生の深み、そして真の日本社会史の妙味を、つくづくと味われるであろう。昭和二十八(一九五三)年十二月二十八日 神 谷 慶 治*神谷慶治氏は農業経済学者。東京大学名誉教授。一九七四-一九九八年大日本報徳社社長を務めた。
2023.09.30

卓球王国・中国紙が落胆「沈黙、そして沈黙」 日本&インドに敗れ女子ダブルス衝撃のメダルなし【アジア大会】10/2(月) 女子ダブルス準々決勝。中国のシングルス世界ランク1位と3位の孫穎莎、王曼昱組が15歳・張本美和、19歳・木原美悠組と対戦。最強ペアは日本の2人に屈し、1-3で敗れる波乱となった。さらに同2位の陳夢&同4位の王芸迪ペアもインドに敗れ、女子ダブルスで中国はメダルなしというまさかの展開になった。中国メディア「澎湃新聞」「沈黙、そして沈黙。中国卓球女子ダブルスのメダルなしが決まった後……」「9月30日は中国代表団にとって番狂わせ続きの日だったが、最大の番狂わせはなんといっても中国卓球の『勝利が約束された2チーム』の立て続けの敗戦だった」「この夜、中国卓球の沈黙はことのほか重く、深かった」と記された記事では、アジア大会はあくまで五輪前の「中間試験」のようなものに過ぎないと指摘。さらに「もう一つ、安心できる点がある。オリンピック大会には女子ダブルスの種目はない」「大多数の記者にとって、世界チャンピオンを組み合わせた、2組もある女子ダブルスペアが勝ち進むことはほぼ間違いないことであったため、当日、メディア席も取材エリアも、数日前の男女団体の試合のときとは異なり、落ち着いたものだった。ところが、事はそうした中で勃発した」試合後、中国の選手たちは取材に応じず通過したり、取材エリアに姿を現さなかったりとショックが大きかった様子。4人の中で唯一取材に応じた王曼昱は「私と孫の意思の疎通に行き違いがあったと思います。技術的にも、私たちの戦い方などを含めて明らかに問題がやはりあったと思います」「この夜、中国卓球の沈黙はことのほか重く、深かった」と記された記事では、アジア大会はあくまで五輪前の「中間試験」のようなものに過ぎないと指摘。さらに「もう一つ、安心できる点がある。オリンピック大会には女子ダブルスの種目はない」💛「もう一つ、安心できる点がある。オリンピック大会には女子ダブルスの種目はない」に思わず(^^)早田ひな 世界女王に11度目の挑戦も初勝利ならず。29年ぶり中国勢を破っての銀メダルが確定【卓球 アジア競技大会】第19回アジア競技大会 <卓球競技 9月22日~10月2日/中国・杭州> 10月1日、女子シングルス準決勝が行われ、早田ひな(23=日本生命/世界ランク9位)が孫穎莎(22=中国/同1位)にゲームカウント1-4で敗れ、銀メダルとなった。<アジア競技大会 女子シングルス決勝>早田ひな 1-4 孫穎莎(中国)5-11/9-11/12-10/8-11/7-11💛早田ひな選手ご苦労様でした👏早田ひな、世界4位の中国選手撃破で29年ぶり決勝!動画中国で開催中の杭州アジア大会は1日、卓球女子シングルス準決勝が行われ、世界ランク9位の早田ひなが地元中国の同4位・王芸迪とフルセットの激闘。4-3で勝利し、銀メダル以上を確定させた。大接戦を制した早田は、日本勢29年ぶりの決勝進出。世界ランク1位の孫穎莎(中国)と金メダルを懸けて激突する。早田が大接戦を制した。1ゲーム目を幸先よく11-4と先取。その後は3-11、11-8、7-11と一進一退の展開になったが、第5ゲームは王が10-12で制して王手。しかし早田もデュースにもつれた第6ゲームで15-13と勝ち切り、勝負の第7ゲームへ。最後まで両者譲らぬ展開となったが、最後は早田のバックハンドが決まり、ガッツポーズを見せた。早田は、今年5月の世界選手権でも当時世界ランク3位の王芸迪相手に9度のマッチポイントをしのいで逆転勝ちし、銅メダルを獲得。日本国内のパリ五輪代表争いでトップを独走している左腕エースが、卓球王国に対しても着実な成長を示した。*早田ひな、卓球大国・中国女子トップ3の王芸迪を撃破! 歴史動かした“伏線”、中陣からの“ユルい”ボール6/5(月) 緩急をつけた。わざとロビング気味のボールを入れた。ラリーの中でもこれらを挟める「余裕」があった。それは、2ゲーム目以降でより明確になっていく。ここで見せたラリーが、この試合のすべてを象徴していくことになる。レシーブは、チキータの構えに入りながら、ふわっと「緩いバックフリック」。一見するとこれは、ただの甘いボールにすら見える。しかし、王は、まさかチキータの構えから緩いフリックがくるとは、まるで想定していなかったことだろう。それもそのはず。この試合は世界最高峰の高速ラリーになるだろうと注目を集めた、早田ひな対王芸迪の試合なのだ。王は驚いたように、体勢を崩しながら返球。すると今度は、早田はフォアドライブの構えに入る。今度は明らかに、早田得意の男子顔負けの高速ドライブがくるパターンだ。もし、高速ドライブではないとすれば、フォアのスマッシュだろう。いずれにしてもスピードボールだ。しかし、早田は、ここでなんとフォアの「軽打」に近い打ち方を見せる。あまりにも、そう、これはあまりにも驚くような一手だった。ここでの2球は、中国のトップ選手に対して、あえて甘い球を送っているようにすら感じる。しかし、結果はどうか。王は、バックミートで対応しようとしたが、前のめりになり、“腕が伸びた状態”になってネットミス。凡ミスに近いミスだ。中国のトップ選手が、こういった緩くて遅いボールを打ちミスするシーンは、なかなか見ることがない。なぜ、こんなことが起きたのか。それは、普段から早田がラリーで見せるドライブを中心とした速いボールは、すでに中国選手と双璧の威力とスピードがあり、それを想定して待たなければいけなかったからだろう。早田は、またしても、フォアから緩いボールをクロスに放った。放ったというよりは、緩く「入れた」という表現のほうがしっくりくるような遅い球だ。王は、またしてもこれにタイミングが合わずにミスをした。ループドライブのようにも見えない。軽打のようなボールだ。こういったボールで、まさか中国のトップ選手を倒せるとは、なかなか想像がつかない。それでも早田はこのままこのセットを取り切った。第6ゲーム。ここでは早田が再び遅いボールを挟むが、王がこれにしっかり対応。打ち抜いてきた。さらに、王はチキータからバックミートを連発。その精度と速さは、やはり世界最高峰。早田もかなり左右に振られる展開に。最後は王のフォアドライブが決まった。7ゲーム目。序盤から中盤まで、バックミートの打ち合いが、さらに激しさを増していく。こうなると、王は有利の展開に。先にマッチポイントを握ったのは王。10-8とリードを取った。ここで2本を取らなければ、後がない早田は、前後に激しく揺さぶられるラリーを執念のような球際の強さで凌ぎ切って、10-9に。手に汗握る次なる一本は、バックミートの打ち合いにしっかりと「体ごと入り込んだ」早田が制して、10-10。ジュースに。何度も何度も、先にマッチポイントを握られながらも、追いつく早田。それを振り切ろうとする王。10-11から、11-11に追いついた場面では早田に笑顔が見られた。それは、中国のトップを相手に、この舞台で「ここまで対等にできるんだ」という自信のようにも感じられた。12-13へと王が突き放した一本はミドル気味のコースへフォアドライブ。王も、まだままだ、創意工夫をやめない。今度は早田が、ネットインのボールを、バックフリックで打ち抜く。13-13。終わらない2人だけの世界はさらに続き、早田のバックミートがクロスに決まり、21-19で決着。そこにいたるまでには、しっかりとした伏線があった。そこまで持ち込めた要因。それは、前半に早田が何度も使った「中国のトップ選手ともラリーが互角だからこそ、驚きを生む“ユルいボール”を挟むこと」だったのは間違いない。互角であればこそ、緩急というラリーのバリーエションが増えたのだ。中国メディアも愕然! 世界ランク4位を撃破した早田ひなの快挙を絶賛「日本が番狂わせを起こした」【アジア大会】10/1(日) スポーツメディア『捜狐』「まさしく大番狂わせだ!」「日中対決で日本の早田は堂々たる姿を見せた。むしろ追い込まれ、緊張していたのは王の方だった」中国の経済紙『National Business Daily』「日本代表がまたも番狂わせを起こした」「日本の早田は80分間にわたった激闘の末に王を見事に粉砕。歴史的な決勝進出を決めた」💛2-3の劣勢から2連続フルセットを制して中国選手に勝利!!最終セットのエッジに当り、ポイントにすまないのポーズ(^^)勝利の女神も味方につけて「決勝では3セットは取りたい」と謙虚なお言葉。孫選手には日本の若手が女子ダブルスで勝利している。本大会で勝てない相手ではない。「驚きを生む“ユルいボール”を挟む」など、創意工夫で勝ちきれ!エールを送る。早田ひな、女子シングルスのメダルが確定!福原愛以来13年ぶり、台湾エースに苦戦も最後は8連続ポイントで大逆転【アジア大会・卓球】9/30(土)女子シングルス準々決勝で、早田ひな(23、日本生命)が台湾のエース・鄭怡靜(31)をゲームカウント4-2で下し、銅メダル以上が確定した。今大会、早田は団体と合わせて2つ目のメダルを獲得。女子シングルスの表彰台は2010年広州大会の福原愛(銅メダル)以来、日本勢13年ぶりとなった。第1ゲーム、立ち上がりは相手の強打に7連続ポイント奪われ、自分のペースを掴めず7-11と最初のゲームを落とす。第2ゲームは 相手の強打を警戒する早田は台上の短いボールで自分から攻める展開に持ち込みたいが、相手のサーブで崩され8-11と連取された。第3ゲームはレシーブから積極的に攻め、徐々に自分のペースを掴み11-6と奪い返す。第4ゲームは7-9と相手にリードされるが、早田がコースをつき1点差に迫った所で相手がタイムアウトを取る。そこから相手の打ちにくいところを攻め、レシーブから迷わず攻めていき逆転で11-9と連取し追いつく。勝負の第5ゲームは相手のディフェンスに苦しむが、早田は相手の打ちにくい所を攻め、甘くなったところでコースを鋭角的に打つ展開で、接戦の末12-10とメダル確定まであと1ゲームとする。第6ゲームは3ー9とリードされるが、サーブの出す位置を変えてタイミングをずらし、カウンターや得意のフォアハンドがさく裂するなど、8連続ポイントを奪って大逆転。勝利が決まった瞬間、早田はガッツポーズで喜びを爆発させた。「伊藤美誠を上回った!」銅メダル以上が確定した早田ひなを中国メディアも称賛!「我々と対等に試合ができる」【アジア大会】中国メディア『捜狐』「早田ひなが反撃&前進! 杭州アジア大会の女子シングルス4強に素晴らしい日本人選手が加わった」「現在、日本女子チームのエースを務める早田ひなは、総合力ですでに伊藤美誠を上回っている。成績も非常に安定しており、いまや中国人選手と対等に試合ができるほどだ」💛日本人最後の砦となり、苦しかっただろうなあ!まだ優勝まで最後までね、エールを送る(^^)
2023.09.30

報徳記巻之六【4】(2)先生下館の分度を定む凡(およ)そ國家(こくか)の衰弊(すゐへい)極まるもの君(きみ)は君(きみ)の道を失ひ臣は臣の道を失ふが故なり。之を再復せんと欲する時は、君(きみ)は群臣に先立ち艱難を盡(つく)し、臣下は恩禄を辭(じ)し、自己の勤勞(きんらう)を以て活計の道となし、一致の力を以て國(くに)の憂ひを除く時は、僻令(たとひ)何十萬(まん)の借債(しやくざい)と雖も償却せんこと十年を待つ可(べか)らず。此(こ)の如くにして上下(じやうげ)の永安を得るに至らば、君臣共に艱難に素(そ)して艱難を行ひたりと云(い)ふべし。而(しか)して之を爭戰(さうせん)粉骨の勞(らう)に比(ひ)せば、猶(なほ)易々(いい)たること同日の論に非(あら)ず。何(なん)ぞ成し難き事か之有らん。僻令(たとひ)叔世(しゆくせい)の人情(にんじやう)君の扶助(ふじよ)を殘(のこ)らず辭(じ)して、此(こ)の事を成すこと能はずと雖(いへど)も、國(くに)の米粟(べいぞく)減少して扶助の米金(べいきん)なく、他の財を借りて之を渡し、之が爲(ため)に年を經(ふ)るに隨ひ危亡に瀕(ひん)せんとす。而(しか)して之を受けて自ら安しとするに至りては亦(また)甚しからずや。君(きみ)も國家(こくか)の憂ひを増長して一藩を扶助せんとし玉ふは君の過ちなり。僻令(たとひ)君(きみ)過ちて此(こ)の如くし玉ふと雖も、臣下何を以(もつ)て之を受くべきの道有らん。之を君臣共に至當(したう)の道を失ひたりと云ふは非邪(ひか)。今國患(こくくわん)を消除(せいぢょ)する他(た)なし。君(きみ)此の道理を明かにし一藩に示し、國(くに)になきものを取らんとするの心を改め、艱難の天命に隨(したが)ひ大借(たいしやく)を皆濟(かいさい)せば、必ず艱難を免れんこと疑ひあるべからず。是の故に借債一年の利息を出(いだ)せるものを上下(じやうげ)の用度(ようど)に配し、其の減少を算(さん)するに平均分度(ぶんど)の内二割八分の減(げん)じに當(あた)れり。是(これ)自然の天命にして人作(じんさ)に出るにあらず。此の減數(げんすう)を以て君の用度(ようど)一藩の扶助を制し、其の餘(よ)は決して得(う)べきの道なき事を辨明(べんめい)し、艱難を盡(つく)し年々利息(りそく)を送らば、三萬金(まんきん)の借債(しやくざい)は減ずることを得(え)ずと雖も、毎年(まいねん)に増借の殃(わざはひ)を免(まぬが)るべし。若(も)し此の自然の度(ど)に安んずることあたはずんば、國家(こくか)一粒(りふ)の出所なきに至らずんば止むべからず と教誨(けうくわい)す「江戸時代の小田原」より寛政8年(1796)1月18日大久保忠真(ただざね)は父忠顕(ただあき)に代わって小田原藩主となった。忠顕はこの時36歳、病による隠居とされている。忠真は15歳である。寛政12年(1800)には奏者番(そうじゃばん)に任ぜられた。文化元年(1804)1月には寺社奉行へと進む。若くして俊秀の評判の高かった若き領主を老中就任の足がかりにするため、大坂城代へ昇格させようと家老以下の努力はなみなみならぬものがあった。大坂城代→京都所司代→老中という出世の階段があったからである。根府川村の名主長十郎は、江戸城石御用の人脈を利用し裏工作を行うよう命ぜられた。その工作資金5百両を立て替えたが返済されず一家が破綻に追い詰められた経緯が文書にあるという、。大坂城代(文化7年6月)、京都所司代(文化12年4月)を経て幕府老中に上り詰めたのが文政元年8月であった。大久保忠真の藩政として挙げられるものは、1藩士の家格引き上げと2財政改革10ヵ年計画、3文武の奨励及び4国産方の設置がある。1文政11年藩政の第一線で耐乏生活の続いている者を家格を引き上げることで士気の振起を図ったもの。2藩財政の建て直しを行い、収入の振り分けを、藩主4、家臣6とし、10ヵ年財政再建計画を実行した。3文政5年1月に学問所「集成館」を城内三の丸に創設した。4領内の産業の振興のため。資金の貸付を行った。文政元年(1818)京都所司代を終えて江戸へ帰任する途中、小田原城に立ち寄った忠真は、11月15日酒匂川の河原に領民の代表者を呼び集め、領内の孝子、節婦、奇特者の表彰を行った。同時に郡奉行を通じて領内一同に「勤倹に関する御趣意御条触書(ごしゅいごかじょうふれがき)」を下付した。困窮の根源は身分不相応なおごりにあるとし、秩序の維持と節約を中心に、封建的倫理を説いたものである。この年の12月には領民が出入りする御用所の門前に訴状箱が設けられ、住所・氏名を記した直訴状を受け付けた。(訴状箱は忠真の死とともに廃止した)二宮金次郎と藩主忠真との公式な出会いは、文政元年11月の酒匂川の河原での表彰が最初だった。金次郎は「耕作出精(しゅっせい)、外見競(がいけんくら)べにも相成るべき者」つまり農民の模範として表彰された。文政3年、金次郎は年貢枡の改正を献言した。当時年貢納入に際して使用した枡の種類が多く、不揃いで農民の難儀となっていたため、三枡で一俵となる枡を領内等しく使用するというもので、藩も翌年からこれを使用した。このころの一俵は、名目的には三斗7升で、実際には4斗5合から1升という不合理なものであった。文政5年(1822)3月、藩主忠真は分家宇津(うづ)家の領地桜町領の復興を金次郎に命じた。120年間に戸数・人口ともに6割以上が減じた荒廃地の復興は難事業であったが、金次郎の一家をあげての移住と努力の中で、次第に成果をあげていった。金次郎の仕法は、収入に見合った倹約の生活(分度)と、余剰を生じた部分の社会への還元(推譲)であった。「100石の身上(しんしょう)は50石の暮らし」に下って、残りを譲るのだと説く。天保2年(1831)藩主忠真の言葉から「報徳」と呼ぶようになった。徳とはあらゆるところに内包した自然の力であり、金次郎はこれを人間が役に立てることを報徳だとしている。この徳に報いるに徳を以ってする実践を「報徳趣法」と呼び、仕法ともあらわして一家・一村の復興の方法としたのである。天保10年12月、中里村名主の治郎左衛門は「報徳御主意相守るべき志願のこと」という決意書を金次郎に送った。「報徳のお諭しに感服しました。今日ただいまより志を改めて勤めます。証拠として田畑家財を差し上げます。報徳金60両の貸付を得て借金もなくなったので、わが家の田畑を残らず貧しい人に分けてください。返済金と家計費は酒造の方で賄うことを父や妻子に承知させました。生涯報徳のご趣意を守って勤めたいので、決意書を差し上げます。」治郎左衛門は、中里村を開発した世襲の名主の家に生まれ、天保10年には45歳だった。隣の高田村、別堀村の名主役も兼ねていた。田畑5町7反歩と家財道具まで差し出すというのは並大抵のことではない。中里村の組頭宇左衛門は、30年間も組頭を勤め、病人や争いを世話してきた。ところが嫁が産後の病で乳児を残して死んだため、借金を作り、数年にして持高40石余の富農から8石程度の貧農へと転落した。5反歩を所持し小作もしていた佐吉は、荒れた田を良田にするすぐれた百姓だったが、家を新築すた際に借金し、その後不運が続いて借金がふくれあがり、37歳の働き者の夫婦が働いても働いても借金が減らせないでいた。市右衛門は、馬を持って魚の運搬をしていたが、勝負事に熱中して、村役人、親類が意見をしても聞き入れず没落した。没落した農民達は、農業をおろそかにして日雇いや物売りになって、日銭が入ると勝負事にふけったりした。働き者が減り、荒地が広がると、中里村名主治郎左衛門も、村の年貢を完納できなくなり、天保7年には寛文期の57%の年貢割付にもかかわらず、完納にいたらなかった。そのため年貢の不足分を自分の責任で借金しても収めざるを得ない。治郎左衛門はとなりの村の名主まで兼任させられ、危機感を深めていった。天保3年、金次郎は報徳金の名で小田原藩士に対する負債整理資金の貸付を開始した。借金を自力で返済できない藩士に、無利息年賦返済という有利な資金の貸付けを開始した。無利息年賦返済は尊徳先生の独創である。貸付希望者は借用書に返済計画を記し、連帯保証人を付けて提出した。これは、弘化3年(1846)の小田原領の報徳仕法廃止まで続けられたが、その実績は、貸付金高1743両に及んだ。大勘定奉行鵜沢は天保7年3月藩主忠真の意見書では、「私は17年以前の代官のころから、金次郎の意見を用いて誤りがなく、その予言が当たっている。このごろでは近国近在はもちろん、御領分の者までが遠く桜町まで出かけて報徳仕法を懇請しております。このまま20か年も過ぎれば、領内に天災が続出して取り返しがつかなくなる。ともかく、村々を復興させる道を開いていただきたい。」と10年前の金次郎の領内の者の行く末がの予言がことごとく的中している旨の手紙を証拠として差し出している。天保7年10月28日、天保の大飢饉に当面し、抵抗していた藩当局もついに10月28日小田原領に報徳仕法を開始する方針を決定した。天保の大飢饉について、中里村の治郎左衛門は次のように述べている。「村では年貢の95%引きをお願いしたが、40%引きを命ぜられたので、皆が納得せず、再び願書を出した。仙石原村では5分の2が家屋や家族を捨てて離散した。乞食が毎日5,60人も来て、餓死者も日に3,4人出ている。」また、箱根の宮城野村の宝珠院の月譚和尚はこう記している。「箱根山中では、格別の困窮で、7年11月以来の死人は大体餓死である。しかし葬式や法事もせず、死者を埋める者も飢えているから浅く埋めるので、犬や狐が掘り出して食べている。村人は藁を細かく切って煎って食べたり、トコロを掘っておろし、灰汁でさらして団子にしたり、雑炊のかてにイタドリ、タバコ、クワの葉等を入れて食べた。」天保7年の秋、金次郎は江戸藩邸からの出府を促す使者を受けても、桜町領を離れなかった。桜町領民に対しては、一人当たり5俵の食糧の用意を完了していた。9月からは、烏山藩3万石の領民を救うため、2千両ほどの食糧を桜町から送り出していた。金次郎は物には順序があり、また仕法を実施するには「分度」を定めることが本であると考えていた。金次郎は12月末にようやく江戸へ出て、9項目の条件を示した。1 御領分の報徳仕法では、まず施すことを先にすること。2 桜町仕法の成果である報徳金を小田原領の仕法の種にすること3 宇津家の分度はなお継続し、残りの米千俵を小田原領の仕法に使うこと4 報徳方で開発から人心の教化まで行うこと5 桜町仕法の方法で内容を充実させること6 上から指導せず、まず報徳金を支出し、村から要請を受けて指導にあたること7 報徳金の取り扱いは適任者を報徳方に任じ、規定を設け、誓約させて扱わせること天保8年2月7日、藩主大久保忠真候の命令書にはこうあった。「金千両を下付する。 桜町仕法の報徳金を加えて領内への報徳貸付の道を存分に行え」結局約4千両での救済事業を命ずるものであった。金次郎は2月11日に小田原に着いた。村々には藩による救済が実施されるから農業にはげめ、という触書を出し、救済を希望する村には金や米を貸し付けた。「報徳記」には、藩の米蔵を開くことをめぐって「国家老の小田原評議」で苦労した話がのっている。金次郎の記録にはこうある。「江戸出立に当たって、一万俵の米がなくては救済できないと要求したところ、財政担当の家老辻七郎左衛門から、承知しているから心配するなといわれた。小田原へ行って、前年から用意しておいた報徳米や自分の給米その他を集めて足柄地方の分は大体準備できたが、御殿場方面の村々も救済の願書を出したので、米蔵の米を要求した。ところが重役たちの意見がまとまらず、鵜沢を通じて意見を求められたので、『民の餓死を救うことである、重役方が弁当を食べずに昼夜つめきって話せば直ちに決まるだろう』と述べておいたところ、翌日、蔵米千俵が支給された。3月2日に小田原を立って、箱根から御殿場方面への救済の回村を始めた。」短期間に大量の米や穀物を7万石の領内へ公平に配給する難事業だったが、金次郎は用意しておいた方針にしたがって敏速に処理した。村々の代表を集めて、最も困窮している村を投票で決め、順次に回村した。村民を極難・中難・無難の3階層に分け、麦ができるまでの食糧として、一日んつき極難一人米二合に銭一文、中難一人米一合に銭二文を基準として貸し付けた。貯穀のある者は「心がけよし」とほめ、余分の米を時価で買い入れて救済米に加えた。御殿場方面では、無難6文、中難4文、極難3文とし、村の責任で管理に当たった。これらの貸付は報徳金と呼ばれ、5か年賦で返済した後、あと1年分を「元恕金」として納めることが決められていた。これが基金に加えられて、さらに他の救済にふりむけられる仕組みであった。村中に一括して貸付け、村中の責任で返済することとこの元恕金の制度が報徳金の特色であった。金次郎は小田原周辺の救済の回村を約1か月で終了し、4月25日には桜町へ帰任した。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.30

二宮翁夜話【14】 翁曰(いわ)く、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし。小積りて大となればなり。凡(およ)そ小人(せうじん)の常、大なる事を欲して、小(ちい)さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず。夫(そ)れ故(ゆゑ)、 終(つひ)に大なる事をなす事あたはず。夫(そ)れ 大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。譬(たと)へば 100万石の米と雖(いへど)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、其(そ)の業(わざ)は一鍬(くわ)づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一ト簣(もっこ)の土よりなる事を明かに弁(わきま)へて、励精(れいせい)小(ちい)さなる事を勤めば、 大なる事必(かなら)ずなるべし。小さなる事を忽(ゆるが)せにする者、大なる事は必ず出来ぬものなり小田原栢山の善栄寺の天理に気づいた金次郎像(「積小為大」の文字が台座に刻まれている)【14】 尊徳先生はこうおっしゃった。大事をなそうと欲するならば、小さい事を怠らいで勤めなければならない。小が積って大となるからである。およそ小人の常として、大きな事を欲して、小さい事を怠り、できがたい事を憂えて、できやすい事を勤めないものだ。その結果、ついに大きな事をなす事ができない。大は小を積んで大となる事を知らないためである。たとえば 100万石の米といっても、粒が大きいわけではない、1万町の田を耕すのも、その事業はは一鍬(くわ)ずつの積み重ねである、1000里の道も1歩ずつ足を運んで至るのだ、山を作るのも一もっこの土よりなる事を明らかにわきまえて、励み勤めて小さい事を勤めれば、大きい事も必ず成就するであろう。小さい事をゆるがせにする者は、大きい事も決してできないものである。
2023.09.30
フィリピン大統領「断固として領域守る」南シナ海で“障害物設置”の中国をけん制9/30(土) マルコス大統領9月29日「我々はトラブルを望んでいるわけではない」「断固として自国の領域と漁業者の権利を守る」フィリピン沿岸警備隊の報道官が9月29日、撤去の際に海中から引き揚げたという錨を報道陣に公開。「我々が障害物の錨を持っているという事実をみれば、中国側の主張(事実を捏造している)について答えるまでもない」「明らかな国際法違反だ」
2023.09.30
クロセチンは、クチナシの果実やサフランに含まれる黄色の天然色素で、強い抗酸化力を持つ。眼精疲労を改善し、疲れ目からくる肩こりや血流の改善に効果的な成分。また、睡眠障害を改善する効果・効能もあるとされる。💛眠れない日が数日続いた。医者からの睡眠導入剤も効かず、いろいろ試しこころみる。クロセチンもその一つで、クロセチン入りのサプリを買ってきて、この数日試す。サフランの黄色い成分ときくと安心して用いてよさそうな(^^)・クロセチンは、クチナシの果実(種子)や、香辛料・高級ハーブとして知られているサフランに含まれる黄色の天然色素で、カロテノイドの一種。クロセチンはカロテノイドの一種でありながら、油だけでなく水にも溶けやすい成分。また分子量が通常のカロテノイドの3分の2と小さいため、体内に吸収されやすいという特徴もあります。強い抗酸化力を持っており、体内に入ると活性酸素を除去する働きがある。分子が小さいため、目に届きやすいという性質があり、極少量でもその抗酸化力を発揮できる。 クロセチンは、分子量が小さいため、毛様体筋に直接働きかけることで、コリをほぐし眼精疲労を軽減する効果がある。<豆知識>アスタキサンチンと一緒に摂るとさらに効果的アスタキサンチンは、鮭やイクラ、カニなどに含まれる赤色の天然色素で、強い抗酸化力を持つ。クロセチンは、アスタキサンチンと一緒に摂ることで互いに働き合い、眼精疲労を改善する効果がより強まる。また、アスタキサンチンには、筋肉の疲労や動脈硬化の改善、血糖値の低減などの効果もあり、生活習慣病を予防する効果も期待されている。💛目に効果があるというのもいいな(^^)続けて夕方飲んでみようかなという気持ちになる。・クロセチンが睡眠の質の向上に寄与する可能性を示唆クロセチンは、伝統的な漢方薬や天然着色料として使用されているクチナシジャスミノイデスEllisの薬理学的に活性なカロテノイド化合物である。今回の試験的研究では、クロセチンの睡眠に対する効果を検討した。臨床試験は、軽度の睡眠障害を有する健康な成人男性21名を対象とした二重盲検プラセボ対照クロスオーバー試験である。この試験には、2週間のウォッシュアウト期間と2週間ずつの介入期間が含まれていた。アクチグラフを用いて客観的な睡眠の質を測定し、St Mary's Hospital Sleep Questionnaireを用いて自覚症状を評価した。アクチグラフのデータから、クロセチン投与後、覚醒エピソードの数がプラセボ投与後に比べて減少したことが示された(p=0.025)。St Mary's Hospital Sleep Questionnaireの主観的データから、クロセチンは摂取前の睡眠と比較して睡眠の質を改善する傾向があることが示された。さらに、クロセチン摂取による副作用は観察されなかった。この結果は、クロセチンが睡眠の質の向上に寄与する可能性を示唆している。
2023.09.30

第18回世界水泳選手権、競泳女子100メートルバタフライ決勝。表彰式で手のひらに書かれた池江璃花子へのメッセージを示す(左から)エマ・マキーオン、マーガレット・マクニール、サラ・ショーストレム(2019年7月22日撮影)第18回世界水泳選手権(18th FINA World Championships)は22日、競泳女子100メートルバタフライの決勝が行われ、スウェーデンのサラ・ショーストレム(Sarah Sjostrom)はレース後の表彰式で、白血病と闘っている池江璃花子(Rikako Ikee)を「真のファイター」とたたえ、エールを送った。 同種目で銀メダルを獲得したショーストレムは、金メダルのマーガレット・マクニール(Margaret MacNeil、カナダ)と銅メダルのエマ・マキーオン(Emma McKeon、オーストラリア)と共に、ハートの文字と「ネバーギブアップ、リカコ・イケエ」と書かれた手のひらをカメラに向かって広げ、日本の競泳女王を激励した。*杭州アジア大会競泳日本代表の池江璃花子(横浜ゴム)が26日の女子100メートル自由形を棄権した。横山貴ヘッドコーチによると、直前の北海道合宿でインフルエンザにかかり、体調がまだ万全ではないため、大事を取った。敗れた池江璃花子に優勝した中国ライバルが向けた敬意「彼女の存在は私たち全員の励みなんです」【アジア大会】「彼女がプールにいるだけで奇跡なんです。それは私たちの誰にとっても励ましなのです」中国メディア「羊城晩報」「オリンピックセンターのプールで感動を呼ぶシーンが見られた。日本の池江は5位だったが、レース後、池江に会場全体から拍手が送られた」「多くの者は張が破った大会記録が池江が打ち立てた記録だったことを知っていた。池江はジャカルタのアジア大会で6つの金メダル、2つの銀メダルを獲得し、『男性版フェルプス』と呼ばれた。しかし、絶頂期を迎えようとしていた彼女に運命がいたずらをした。池江は白血病に罹患したのだ」「今回の杭州アジア大会で、張雨霏は池江が持っていた大会記録を次々破ったが、プールを上がれば2人の間にあるのは最もシンプルな友情だった」「今日の表彰式で、張は笑みを浮かべうれしそうに観客の声援に応えていたのだが、池江の姿を目にするや、たちまち涙が抑えられなくなった。振り返って見つけた池江と2人で抱き合い、ついには一体どちらがどちらを慰めているのか分からなくなっていた」「私たちはともすると、試合の場は激しい闘いの場だ、競技スポーツは勝つことこそが重要だと考えがちだが、この2人の抱擁は私たちに、試合の場にはほかにも金メダルを超えた美しいものがたくさんあることを教えてくれる」「池江がプールにいることに感謝したいし、アジア大会の会場に互いに称え合う2人がいることに感謝したい」張雨霏「池江は前回(ジャカルタ)のアジア大会では誰もが認める『天才少女』でした。今では、彼女がプールに姿を見せること、それが奇跡だと思います。私たちの誰にとっても、それは励ましなんです。自分の心の中に、自分の目標をもっと成し遂げようという力が生まれてくるんです」池江璃花子「いつかまた大きい花を咲かせられるように。今は我慢して、つらいことも耐え抜いて、次に生かせるようにする」
2023.09.29

報徳記 巻之六 【4】先生下館の分度を定む下館(しもたて)既往(きわう)十年の租税を調べ、其の中を執(と)り過不及(くわふきふ)なき所の分度既に定まる。然して年々三萬(まん)有餘(ゆういうよ)金の負債其の利息を償(つぐな)ふ二千有餘金(ゆういうよ)を以てす。之(これ)が爲(ため)に租税の過半を失ふに至る。先生大夫以下に謂(い)ひて曰く、年々負債利子の爲(ため)に多數(たすう)の米金(べいきん)を消(せう)し、何十年を經(へ)て幾萬(まん)金を出すと雖も其の息(そく)を補ふ而已(のみ)にして元金三萬(まん)は少しも減ずべからず。加之(しかにみならず)用度節(せつ)なく雑費増倍、尚(なほ)借債を以て之を補(おぎな)はんとす。此の如くにして歳月を送らば遂(つひ)に國(くに)の租税を以て負債の利に充(あ)つるに足らざるに至らん。然らば、則(すなはち)二萬(まん)石の名ありと雖も其の實(じつ)は既に亡國(ぼうこく)に異ならず。豈(あに)歎ず可きの至(いた)りに非ずや。一日も早く此の大禍(だいくわ)を除(のぞ)かずんば、後(のち)悔(く)ゆと雖も及ぶべからず。而(しか)して今此の大患(たいくわん)を除かんとするに、何ぞ他の術あらんや。唯(たゞ)上下(じやうげ)艱難に素(そ)して艱難に安んじ、内(うち)を約して以て此の憂ひを消(せう)ぜん而已(のみ)。然るに坐(ゐ)ながら艱苦を免れんことを我に請求(せいきう)すと雖も、我他邦(たほう)の貢(みつぎ)を取つて下館の不足を補ふこと能(あた)はず。又(また)借債を倒(たふ)して以て下館の憂ひを除くことあたはず。又(また)我區々(くく)たる微力を以て、諸侯の不足を年々補ふことあたはざるは素(もと)より論を待たず。然らば則ち大小各(かく)節儉(せつけん)を行ひ艱難を凌(しの)ぎ、上下一致の丹誠を以て如何(いか)なる憂ひをも除くの外に他道(ただう)あること無し。若し敵國(てきこく)兵を擧(あ)げ下館領を攻撃することあらば、一藩之を傍觀(ぼうくわん)して國家(こくか)の滅亡を待たんか。將(はた)一身をナゲウち粉骨(ふんこつ)の苦戰を盡(つく)し國家(こくか)を全(まつた)くせんか、國(くに)の危き時に當(あた)り國家(こくか)の爲(ため)に命を棄(す)つること、元より人臣の常道(じやうだう)にして誰(たれ)か憤激戰闘(ふんげきせんとう)の勞(らう)を盡(つく)さゞらんや。然るに今借債の爲(ため)に領中多分の租税を失ひ、君之が爲(ため)に心を安んじ玉ふことあたはず、臣下も亦(また)之が爲(ため)に困窮に迫れり。事異なりと雖も紛亂(ふんらん)の世に當(あた)り、敵の爲(ため)に領中を伐(う)ち取られたるに異ならず。然るに手を束(つか)ねて以て年を送らば、一國(こく)を失ひたるに等しき大害(たいがい)と爲(な)らん。此(こ)の如く危(あやふ)き時に當(あた)り、一藩身命を顧(かへり)みず國家(こくか)再復に心力(しんりよく)を盡(つく)すもの人臣の常にあらずや。然るに此を之(こ)れ憂へずして惟(たゞ)目前(もくぜん)扶助(ふじょ)の不足を憂ひ、國家(こくか)に生ぜざるの米粟(べいぞく)を優(ゆた)かに受けんことを望まば、豈(あに)之を忠とせんか之を義とせんか。惑ひの甚だしきものと謂(い)はざる可(べ)からず。茨城県立歴史館学芸第二室長仲田氏が、明治21年74歳の加藤木賞三が、二宮尊徳先生との巡り合わせを追憶した文書について紹介された話がでていた。嘉永6年(1853)の春、水戸藩士加藤木賞三は懇意にしていた剣客の斎藤彌九郎から、「二宮尊徳先生が、幕府から日光東照宮の神領(89ヶ村、4064町歩)の荒蕪地(神領の約4分の1)開墾、その他領内の荒廃した農村復興対策実施を命ぜられている。今年8月には現地に住み着き、事業着手の予定である。ついては自分と共に働く適当な人物を見つけてほしいと、尊徳先生から頼まれて、色々と考えた末、貴殿を推薦したい。3、4年も尊徳先生に従って働けば、開墾その他農村復興事業について会得するところがあろうし、その後故郷に帰れば水戸藩領のため、大いに役立つことになろう」という話があった。加藤木賞三は、このような仕事はかねて自分の希望するところであると、直ぐにも応諾したかった。しかし、藩のため江戸で働いている身分である。国元に居る目上の人々(戸田忠敝・藤田東湖・桑原治兵衛等)にも相談の上、答えることとした。水戸に問合せたところ、何れからも賛成の返事があった。その結果、二宮先生から、ともかく面談をということで、斎藤氏の紹介状を持って、嘉永6年4月17日先生のお宅を訪問した。尊徳先生の色々な話を聞くうちに感動し、ぜひ自分を随行させていただきたいと頼んだ。折りから当日は、東照宮の大祭日にあたり、お神酒を一献やろうと引き留められ、質素な肴(鰹節を削ったのに醤油をかけ、豆腐と蕗の煮付けの三品)で、尊徳先生と酒を酌み交した。その後、再三先生を訪ね、その都度有益な話を伺い、先生に随行しようという決意を、いよいよ固くした。ところが、この年6月3日ペリーの率いるアメリカ艦隊の浦賀入港によって、天下が騒然となった。加藤木賞三は、国元の水戸から要求される情報の蒐集とその報告のため、極めて多忙となった(藤田と戸田が、幕府の防海参与となった斉昭に召されて、江戸に入ったのは7月19日であった)。しかも水戸からは、情勢の急変を理由に、二宮尊徳先生に随行する件を断るよう指示してきたのだ。己むを得ず、賞三は水戸よりの書面を見せ、二宮先生も最後は余儀ないことと了承された。この時二宮尊徳先生は、賞三に対して大要次の通りに説いた。「国家の一大事に際し、余儀ないことではあるが、既に懇意となった貴殿に、この際私の考えを率直に申したい。貴殿が水戸藩にて、どのような身分かは詳しく知らないが、その職務が貴藩の進退を左右するほどのものではあるまい。世の成り行きは、誰がどう思っても、勢の赴くところに落ち着くもので、藩の家老職とても思うようにはならない。私は幕府の小吏に過ぎないが、現在の任務に専念して他事を顧みず、事業を成功させたいの一念である。もっとも国防のため馳せ参じよとの命があれば、開墾の仕事を放棄して、それに従うが、そのようなことはありえない。あの天下分け目の関ケ原の戦いに際しても、検地に従事していた武士は、そのまま仕事を続けていたという。現在のように、誰も彼もが、戦いにかかわったのではない。」賞三はその折の尊徳の心添えを想起して、大要次の通り述べている。「当時自分は、未だ40歳前で思慮も浅く、先生の懇切なお話も肝に銘じることがなかった。『事あらば今にも出陣して外国人をみな殺ししよう等の空言』を唱えていた。しかし年を経るに従って尊徳先生の見識・才能・力量の偉大さを深く感じた。あの時、先生の意見に従って事業に勉励するに年月を経たならば、いかに不肖の自分であっても、その器量に応じただけには得るところもあり、いささか国家へ利益を施す事もあったものをと、昔年を顧みて慙愧後悔することが毎度であった」と言ったという。そして、「なにひとつ 世になすことも ななそじに あまるよはひと 老い朽ちにけり」との一首を書き添えた。加藤木賞三は、明治維新後、静岡藩(後に県)の士族授産(開墾)事業に従事した後、大蔵省勧農寮、茨城県に奉職したが、「職を辞したるも尚ほ宿志を廃せず、栽桑養蚕を精励して以て大にこれを奨励」したという。死の前年の明治25年5月、賞三は藍授褒章を授与された。その善行表彰の理由は、天保飢饉の際の、貯穀の放出による窮民救済のほか「桑苗を頒(わか)ち、飼育法(蚕)を授けて産業を増進する等公衆の利益を起し成績著明なる者」というのであった。おそらくは、後年になるにしたがって、二宮先生の教えが身にしみて、わずかでも民・百姓のために働きたいと願いを実現しようとしたものであろうか。ああ、夜話でも尊徳先生はこう言われている。「10 (略)人は、生れ出た以上は必ず死ぬものである。長生きしたといっても、百年を越えるのは稀である。限りのしれた事である。若死にというのも長生きといっても、 実は僅かな差に過ぎない。たとえばロウソクに大・中・小があるようなものだ。大きなロウソクといっても、火の付いた以上は4時間か5時間であろう、そうであれば人と生れ出た以上は、必ず死ぬものと覚悟する時は、一日生きれば一日の儲けである。一年生きれば一年の利益である。本来わが身もない物、我が家もない物と覚悟するとき、あとは百事百般皆儲けである。私の歌に「かりの身を 元のあるじに 貸渡し 民安かれと 願ふ此身ぞ」と詠んだ。この世は、 我も人もともに僅かな間の仮の世であるから、この身は、仮の身である事は明らかである、元のあるじとは天をいう。このかりの身を我が身と思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、 国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人だけでも一家だけでも一村だけでも、困窮を免れて富裕になり、土地が開け、道や橋を整え、安穏に渡世ができるようにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕願い祈って、怠らないわが身である、という心にて詠んだものである。これは我が畢生の覚悟である、我が道を行おうと思う者は知らなくてはならない。」「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.29

【ラグビーW杯】日本・堀江 サモアのフィジカルは「ヤバかった」イエローには「これがレッドだったら…」2023年9月29日世界ランキング13位の日本は、同12位のサモアに28―22で勝利。2勝1敗、総勝ち点9として、D組2位に浮上した。副将のSH流大が試合直前に急きょ欠場となる緊急事態も乗り越え、1次リーグ最終戦となる10月8日のアルゼンチン戦(ナント)に2大会連続の決勝トーナメント進出を懸ける。堀江「うれしいです。勝てて良かった。準備してきたことがゲームに出たので、次のゲームに向けて頑張りたい」「ヤバかったですね。ベンチからヒヤヒヤして見ていた。最後までリザーブを含めて体を張り続けたので良かった。サモアは強かった。フィジカルからバンバン来ていたので、そこは修正しないといけない」姫野主将「チームを本当に誇りに思う。彼らの努力があってこその勝利だと思う。ファンの声援は僕たちの背中を押してくれるし、ファンの声援があるから、あのきつい時間帯を頑張れたと思う」「もうホッとしているのが一番の心境だが、タフなゲームになった。その中でもチームのみんな、最高の努力をして勝ち取った勝利なので、チームを誇りに思う。勝つプランがあったので、それをあとは100%遂行するのが求められたことだった。100%理解して遂行した結果だと思う」「後半はやられた部分もあったので、次のアルゼンチン戦はムラをなくしていきたい。次の試合で突破するかできないかが懸かってくる。ですけど、自分たちのやることにいつも通りフォーカスして、同じ絵を見て準備するだけだと思う」松田「本当に次にむかえるというのはうれしいですし、勝って安心しています。(キック)常に100%目指している中で、きょうは1本外してしまって、それが決まっていれば、最後あんな展開にならなかったと思うので、もっともっと精進したいと思います」「1本1本集中して切り替えている。ここからまた、自分のキックを信じてやり続けたい」リーチ・マイケル「最高!結果的に勝てて良かった。チームにとってこの勝利は大きい」「勝って自信がついたので、次の試合も負けられないのでしっかり準備したい」松島幸太朗「勝てたことはベスト8につながる勝利なので、そこはチームで喜んで。なすべきところはたくさんある。また気を引き締めないといけない」「自分たちのぬるい部分が時々出てしまった。それをなくさないと」💛勝ってもノーサイドになったらチームのみんなと相手チームをリスペクトする
2023.09.29

二宮翁夜話巻の1【13】翁曰(いわ)く、世の中に事なしといへども、変なき事あたはず、是(こ)れ恐るべきの第一なり。変ありといへども、是を補ふの道あれば、変なきが如し。変ありて是を補ふ事あたはざれば、大変に至る。古語に、三年の貯蓄(たくはへ)なければ、国にあらずと云へり、兵隊ありといへども、武具軍用備らざればすべきやうなし。只国のみにあらず、家も又然り、夫(そ)れ万(よろず)の事有余(ゆうよ)無ければ、必ず差支へ出来て家を保つ事能はず。然るをいはんや、国天下をや、人は云ふ、我が教へ、倹約を専らにすと。倹約を専らとするにあらず、変に備へんが爲なり。人は云ふ、我が道、積財を勤むと。積財を勤(つと)むるにあらず、世を救ひ世を開かんが爲めなり、 古語に、 飲食を薄うして、孝を鬼神(きしん)に致し、服を悪(わろ)うして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑(いやし)うして、力を溝洫(こうきょく)に尽すと。能々(よくよく)此の理を玩味(ぐわんみ)せば、吝(りん)か倹か弁を待(ま)たずして明かなるべし。 小田原 飯泉観音境内【13】尊徳先生はこうおっしゃった。世の中に事がないといっても、変が全くない事というわけにはいかない。これが恐るべきの第一である。変があるといっても、これを補う道があれば、変がないのと同じである。変があって、これを補う事ができなければ、大変となってしまう。古語(礼記)に、「3年の貯蓄(たくはへ)がなければ、国にあらず」といっている。兵隊があるといっても、武具や軍用が備わなければしようがない。ただ国だけがそうなのではなく、家もまたそうである。すべての事は、有余が無ければ、必ず差し支えができて、家を保つ事はできない。ましてや、国や天下はなおさらである。人は言う。私の教えは、倹約を専らにすると。倹約を専らとするのではない、変に備えるためである。人は言う。私の道は、積財を勤めると。積財を勤めるのではない、世を救い、世を開かんがためである。 古語(論語)に、「飲食を薄うして、孝を鬼神(きしん)に致し、服を悪(わろ)うして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑(いやし)うして、力を溝洫(こうきょく)に尽す」と。(論語に古代の聖王禹(う)の働きをたたえたもの。飲食を粗末にして、神や先祖を敬い、普段の衣服を粗末にしてお祭りのときの冠や服は立派にし、宮殿は粗末にして民の農業を助ける水路工事などに力を尽くした)よくよくこの理を味われば、吝嗇か倹約か弁を待たないで明かであろう。☆倹約を専らとするのではない、変に備えるためである。 実に尊徳先生は天明の大飢饉に当たって、関東の多くの人々の命を救い、天変に備えた。積財を勤めるのではない、世を救い、世を開かんがためである。尊徳先生の事業は単なる村や藩の再建屋ではない、その願いは、世を救い、世を開かれることにあった。人々の心の田を開き、一人ひとりが自覚をもって自分の人生を切り開き、そして一人ひとりがそれぞれに世を救うことを願われた。それは飯泉観音で国訳観音経を聞いて、「金次郎よ、観音になれ、世を救い世を開け」と受け取られて、急ぐことなく、休むことなく一生を通してその願に生きられたのであった。「二宮大先生御説徳聞書略」(岡田佐平治)より衆人救助なくして諸道成就すること難きなり。人と生まれては衆生を助ける道を勤めなければ、人にして人にあらず。譲り助けるを押し広げて誠心厚ければ天下も治まるなり。
2023.09.29

長田育恵が語る「らんまん」を書き終えての思い「最後は『継承』がキーワードに」“朝ドラ”「らんまん」脚本・長田育恵インタビュー――脚本を書き終えられての率直なお気持ちをお聞かせください。本当にホッとしています。無事にやり遂げられて良かったというのが、いちばんの思いです。“朝ドラ”を執筆する重圧はありました。私は、電車などの自分の意思で出ることができない場所にいると、パニック症の症状が出るのですが、“朝ドラ”の話をいただいて家に帰るとこのパニック症の症状が出てしまって。“朝ドラ”の脚本執筆が始まったら、終わるまで出ることができない「密室空間」に閉じ込められてしまうように感じたんです。ただ執筆を進めていくと、自分には向いている仕事だと考えるようになりました。もちろん年間を通して締め切りがあること、放送が始まると視聴者の方の反応が聞こえてくるなど、物理的なプレッシャーはありました。けれどそれ以上に、「らんまん」の物語、登場人物の動きを考えるのが楽しくて。丁寧に物語を紡ぐ時間をいただけることは、とても幸せなこと。本当に貴重な機会をいただきました。――視聴者からのたくさんの応援の声を、長田さんはどのように受け止めていましたか。8月中旬まで執筆を続けていたので、視聴者の方の反応をうれしく思うと同時に、ますます頑張らないといけないという思いも新たにしていました(笑)。ネットの意見に対する恐怖心は正直ありましたが、脚本に込めた思いをくみ取ってくださったり、小道具など細かいところにまで注目してくださったりなど、熱量を持って「らんまん」を視聴してくださる方が多く、とても感動しています。私は、「明日、また続きを読めることができる」というワクワクした思いから、物語を好きになりました。ですので、「明日も『らんまん』を見るのが楽しみです」という声をいただいたことが、本当にうれしくて。「らんまん」の物語を受け取ってくださってありがとうございます。――「らんまん」という作品を通して描きたかったことをお教えください。牧野富太郎の偉人伝を描くのではなく、草花を一生涯愛した主人公を「広場」に見立て、彼のもとに集まる人々やその関係性を深く掘り下げ、皆の人生が咲き誇るさまを描きたかったので、牧野富太郎とはまったく違う人物として、万太郎をつくりあげています。万太郎は、らんまんさと孤独をあわせもつキャラクターです。日本の植物図鑑を完成させるといういばらの道を進むことを決断した以上、弱音を吐くことが許されない孤高な人物。だからこそ、人とつながることのいとおしさを誰よりも痛感しています。そんな難役を、神木さんはしっかり体現されていて、本当にすてきな俳優さんだと改めて実感しています。セリフがないシーンの演技もすばらしいんです。田邊教授と決裂した後の万太郎の表情を見たときには、彼は唯一無二の俳優さんだと感じ入りました。寿恵子は、大変な道を歩む万太郎を、太陽のように導くりりしい“ヒーロー”です。母は元柳橋の有名芸者で、武家の生まれと、もともとスケールの大きい女性ではありますが、常に明るく生きています。「らんまん」は、すべての植物がそれぞれありのまま咲き誇るように、自分が選んだ人生に胸を張って生きていく人たちの物語。ですので、寿恵子に少しでも「自分は誰かに損なわれているのではないか」という空気感があると、物語としてまったくみられなくなってしまいますが、浜辺さんが勇敢な寿恵子を見事に演じられているので、悲壮感はまったく感じません。寿恵子を演じるうえでこれ以上ない俳優さんです。――特に、印象深いシーンや愛着のあるキャラクターはいますか。どの人物、どのシーンにも愛着があって、本当に全部好きなので、難しいですね…。台本から映像へと作り上げる過程のなかで、演者・スタッフの皆さんから、たくさんの愛情をいただいている作品だと感じています。そのなかでも、台本で「(ズギャン)!」としていたところを、神木さんがそのままセリフとして発したことには驚きましたね。神木さんのおかげで、とてもチャーミングな場面になりましたし、その後の放送回で、竹雄も「ズギャン!」と言っていて(笑)。演者・スタッフの皆さんが、工夫を凝らして、アウトプットしてくださっているのがうれしいです。アドリブで感動したシーンがもう一つあります。それは、寿恵子が、舞踏練習会の発足式でダンスを披露するための練習の一環で、筋トレに挑戦しようとする場面。浜辺さんがアドリブで「寿恵子、トライ!」とおっしゃって。寿恵子は、最後の最後までトライの連続なんです。「らんまん」での寿恵子のテーマを、浜辺さんがみずから発してくださったことに感激しました。物語においては、名前を呼び合うことも大事にしています。万太郎と竹雄が主従の関係を解消するというので2人で名前を呼び合うところだとか、田邊(要潤)の遺言にあった「Mr.Makino」の響きだったり、俳優のみなさんはその辺を一緒に大事にしてくれていてありがたいなと思っています。――完成映像や視聴者の反応で、当初の構想から変化した展開はありますか。視聴者の反応を受けて再登場するのが、早川逸馬です。どこかで再登場させられたら、とはもともと考えていたのですが、「逸馬さんの安否を知りたい」という声を視聴者の方から多くいただいて、しっかり登場させたいと思いました。また、完成映像を見てから、キャラクターの肉付けを深めることが多くあります。例えば、藤丸の初登場シーンは、私が想像していた以上に、藤丸とウサギの距離感が近くて驚きましたが(笑)、密にウサギとコミュケーションをとる藤丸の様子から、彼の繊細さと優しさが浮かびあがってきまして。その後、つわりのひどい寿恵子に、藤丸が揚げ芋を作るシーンがありましたが、これは初登場シーンの映像を見てから書いたものです。藤丸だったらこういう行動をとるだろうなというのが、映像を見ることでより鮮明になってきたんです。そういった肉付けが、全てのキャラクターにおいて発生しています。――神木隆之介さん、浜辺美波さんの演技をどのようにご覧になっていますか?神木さんは唯一無二の方だなと思います。朝ドラの主人公として最高に難しい役を素晴らしいコントロールで演じきっていただいている。裏表がない神木さんでなければ成立しない主人公を演じていただいていると痛感しています。神木さんはセリフのないシーンの演技力も素晴らしくて、万太郎が大学を追放されて、田邊邸で話が決裂した後の回は、台本を書くのも難しかった場所なんですけれども、神木さんは表情や眼差しといった言葉ではない部分で彼の心情を表現してくれました。実はこの万太郎という人物は“らんまん”でありつつも、壮絶に孤高な主人公でもあって。孤高だからこそ繋がり合う愛おしさだったり、切なさを誰よりも痛感しているキャラクターなんです。自分の選択に対して弱音を吐くことを許されてはいないけれど、その分、この世界の美しさや優しさも知っている。神木さんは、万太郎の弱さや気高さも体現してくださっています。寿恵子さんは逆に、平たい言い方で言ってしまうとヒーローだと思うんですね。孤高の道を歩む万太郎に対して、太陽のような、導き手のような、凛々しくて、それこそ八犬士のような(笑)。「寿恵子、トライ!」を続けていくスケール感。バイタリティ。無限の可能性。寿恵子さんの明るい勇敢さに全く悲壮感が漂っていないところは、まさに浜辺さんが演じてくださるからこそ。この物語は全ての植物がそれぞれありのままに咲き誇るように、自分で選んだ生き方、自らの生を咲き誇っていこうとしている人たちの物語なので、寿恵子は寿恵子の自己実現のために万太郎というパートナーを選んでいるんです。万太郎と共に生きるからこそ、あの時代において大輪の花を咲かせることができた。浜辺さんの笑顔があるからこそ、寿恵子の人生もまた、喜びに満ちた、輝けるものだったと信じることができるんです。――週タイトルはすべて植物の名前となっていますが、それぞれどのような思いを込められていますか。放送が終わって作品を振り返ったとき、「植物図鑑」のようになっていたらと考えていたので、週タイトルを植物の名前にすることは、最初から決めていました。植物の取り上げ方は、パターンがいくつかあります。ひとつは、登場人物と強く結びつきのある植物です。例えば、第1週の「バイカオウレン」は万太郎の母・ヒサがいちばん好きな植物で、第5週の「キツネノカミソリ」は、万太郎が「逸馬さんのようじゃ」とつぶやいたように、逸馬を思い起こさせる鮮やかな植物と、万太郎とキーパーソンをつなぐ植物をタイトルに採用しています。また、第17週の「ムジナモ」や第20週の「キレンゲショウマ」など、日本植物学の業績の中で外せない植物をタイトルにしているものもあります。ただここでは業績が物語のメインにならないように、人間関係をしっかり描き切ることを大切にしています。そのほか、「この文脈で登場させるのにふさわしい植物は何か」を植物考証チームに相談して、生まれたものもあります。例えば、第18週「ヒメスミレ」では、「万太郎が暮らす長屋にも生息していて、小さな子どもの目線で咲く植物」を出したいと思い、植物考証チームに相談して最終的にヒメスミレを選択しました。――最終週についての見どころ、そして視聴者へのメッセージをお願いします。最終週は私の中で割と最初から決めていた仕掛けがありまして、その仕掛けがある以上、万太郎は何歳であっても構わないというのがあるんですよね(笑)。最終週は「継承」が大きなキーワードになっています。牧野富太郎さんが生涯をかけて集めた標本の点数は40万点以上あるんですけれども、その40万点が資料として活用されなければ標本は生きることにはならないんですね。この40万点を活用させたところから初めて、牧野富太郎コレクションを元に、世界各国と貴重な標本の交換ができるようになりましたし、日本の植物分類学の基盤として今現在でも、絶滅した植物を辿ることもできる大きなソースになっている。そのソースを後の世の人たちにどう見せていくのかが大きなテーマになっていて、万太郎が図鑑を作ろうと頑張り続けるのも、後世の人たちに手渡すために今この人生を使って頑張り抜いているということがあります。植物が種を残して次にまた花を咲かせていくように、次の世代に残すということをコンセプトに考えていました。万太郎の“開花”の時期はやがて終わり、今度は後にどういう実を残すかというターンになっていきますが、開花が終わった後の万太郎の生き様を楽しみにしていただきたいと思います。この『らんまん』という物語は、槙野万太郎が生きとし生けるもの全てのありのままの特性を見つめ、その特性を愛し抜くということが全編にわたって貫かれています。万太郎と寿恵子、周りの登場人物たち、それぞれの冒険はもう少し続くことになるので、皆の人生が咲き誇る物語、その行方を楽しみに見守っていてもらえたらと思います。――ネットワークといった部分は現代的な要素とも言えますよね。長田:モデルとした牧野富太郎さんの根幹の部分です。植物学の分野では富太郎さんが初めてネットワークの力を意識した人だったと思うんです。本能的に繋がり合う力を分かっていて、新聞広告などのメディアも使って門戸を開きました。相手の身分や年齢、性別を問わず、手紙を送ってくれた一人ひとりと双方に対等の関係を結び、丁寧に植物学の種を植えていった。日本全国規模のネットワークを手に入れて、植物学の力と成していく。素晴らしいアイディアだと思います。富太郎さんという存在がいたからこそ、今私たちが普通に身近な植物を愛する、その考え方自体が浸透したんです。
2023.09.29
「反重力」存在せず 国際チームが証明9/28(木) 重力と反対方向に働く「反重力」は存在しないことをカナダや欧米などの国際研究チームが実験で突き止め、英科学誌ネイチャーに論文が28日掲載された。反重力は50年以上前から物理学やSFで存在の可能性が議論されてきたが、精密な実験によって存在しないことを初めて証明した。身の回りにある普通の物質を空中に置くと、地球の重力によって落下する。だが普通の物質と電気的な性質が反対の「反物質」は、普通の物質と反発する反重力によって地球から離れ、上昇する可能性が一部で指摘されていた。これを確かめるため研究チームは、欧州合同原子核研究所(CERN)で縦型の筒状装置を開発。磁気を利用して、水素の反物質である「反水素」の原子を内部に約100個閉じ込めた後、筒の上下を開放し、反水素が上昇するのか、落下するのかを調べた。その結果、反水素は普通の物質と同じように、重力によって落下することが確認され、反重力の存在を否定するアインシュタインの一般相対性理論の正しさを裏付けた。研究チームのカナダ国立TRIUMF研究所の藤原真琴上席研究員は「反物質が落下する際の重力加速度は普通の物質と厳密に同じかどうか、今後の実験で検証したい」と話す。
2023.09.29
どうか どうか どうか どうか図鑑を作るのに一人では手が足りない植物画を描くのを手伝ってほしい万太郎「この膨大な項目、一人では植物画を描き切れません。どうかあなたのお力を貸してくださいませんか?」野宮「まさか君に植物画を頼まれるなんて……。この上ない誉れだ」藤丸 菌の事なら僕に任せて*波多野を演じる俳優前原滉「これ(藤丸の帽子)はちょっと心もとなくなった毛を藤丸が一生懸命にかくすためのボウシです」「それをにおわすっていうのを無理やり色んな場面でやったのですが全部カットされてます」「スエコザサ」(第129回)に、ムロツヨシが出演*ムロが演じるのは、過去に万太郎と岩手の植物採集の会で知り合った理科教師・小畠の役。ワカメや藻に詳しく、万太郎の図鑑作りを手伝うため参上。一緒に並ぶのは熊本から駆け付けた理科教師の鳥羽(杉本凌士)**。*朝の情報番組「あさイチ」恒例の“朝ドラ受け”で、ムロの出演について博多華丸「ぜったい(隣のスタジオで撮影している)大河のついでですって。『家康がちょっと早めに終わったから』みたいな…」ムロ「華丸さーん、ついでじゃないんですよー笑」ムロ「普段は『らんまん』の隣のスタジオで撮ってる役者でございまして、昔から友達である神木くんと、さりげなく出られたら、大河のほうも朝ドラのほうも盛り上がるかなと、作品に迷惑にならないような出方があるといいねと、話していたのが今日叶いました」「大河ドラマ『どうする家康』の緊張感とはまた違うバランスの作品で、撮影中は万太郎役の神木くんがすごく優しい顔で包み込んでくれて、僕も仲間に加われたような、うらやましい気持ちになりました。さりげなく出させていただければと思っていましたが、真正面から撮っていただくカットもあり本当にうれしかったです。最後に、きょうも良き朝ごはんを! ありがとうございました」**杉本凌士 俳優、脚本家、演出家。熊本県人吉市出身。劇団男魂(メンソウル)代表大河ドラマ(NHK)毛利元就(1997年) - 侍者 役花燃ゆ(2015年) - 役人 役おんな城主 直虎(2017年)麒麟がくる(2020年)連続テレビ小説(NHK)とと姉ちゃん 第79話(2016年)なつぞら(2019年)エール 第78・79・89話(2020年) ‐ 特高 役らんまん 第129回(2023年) ‐ 鳥羽 役佑一郎 「教授会じゃ、相当煙たがれたが」「この先は、生涯ただのエンジニアや」万太郎「それでこそ、我ら名教館門下じゃ」佑一郎 「ほんなら、わしら、やっと、おんなじ道を行けるの」「そうか急いじょるか」「索引はわしが手伝おう」名教館以来の仲じゃき佑一郎 「教え子らがしっかり育ってきたから、墨田川や永代橋に続いて現在工事している清洲橋も強くて美しい橋になる、」*広瀬佑一郎を演じた中村蒼「様々な土地で経験を積んだ佑一郎は理想と現実の違いに打ちひしがられながらも初心を忘れる事なく道なき道を進んでいく逞しい人間でした。万太郎と進む道は違えど同じ山の頂上を目指す2人の関係はとても素敵でそんな佑一郎を演じられて幸せでした。」💛望むらくは パナマ運河建設に日本人としてたった一人従事した青山士や台湾で烏頭山ダムを作り広大な沃地を開いた八田與一など世界に羽ばたくエンジニアも出てきていると廣井勇の弟子達の名前も出して欲しかったな^_^
2023.09.28
昨日(2023年9月27日)の午後秦野の出雲大社相模分祠に行って、宮司さんのお話をお聞きした隣接する広大な鎮守の杜は宮脇昭横浜国大名誉教授の指導で植樹したものという「ドングリは千年の森をつくる」に宮脇語録が載っている宮脇昭語録・何百年何千年土地の人々と生きてきた土地本来の森が一番大事なのではないか・人間が本当の英知を持っているなら、その欲望の極限より少し手前でおしとどめるべきである・都市の周りの森林を破壊したとき、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく・本だけに頼るな、まずは現場に行け。
2023.09.28

報徳記巻之六【3】先生上牧某を教諭す(原文は漢文)高慶曰く、國家の憂を以て憂と爲て一己の私憂とせず。夙夜身を致し以國事に任ずる者人臣の常道に非ずや。苟も恩禄榮利を以て心と爲し阿諛面從豈與に君に事ふ可んや。先生甞て曰く君に事て利禄に離れざる者譬へば商賈の物を鬻ぎ價を争ふ也。君子の君に事る豈其れ斯の如くならん哉。先生一たび臣爲るの道を教へて下館の衆臣多くを貪り不足を憂ふるの意弭み而して忠義の心油然として生ぜり。徳の物に及ぶ何ぞ其れ速か也るや。(「訳注 報徳記」佐々井典比古)著者(富田高慶)が思うに、国家の憂いを憂いとして一己の私事を憂いとせず、日夜身をささげて国事に任ずるのが人臣の常道ではないか。いやしくも俸禄や栄誉利益を心として、おもねりへつらい、うわべだけ人に従うような者とは、到底共に君に仕えることはできない。先生はあるとき言われた。「君に仕えて心が利録から離れない者は、たとえば商人が物を売り、価を争うようなものである。君子は決してこのようにして君に仕えるものではない」と。先生がひとたび臣たるの道を教えられて、下館の衆臣は多くをむさぼり不足を憂える心がやみ、忠義の心が油然として生じた。徳の推し及ぶことは、何とすみやかなものであろう。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.28
二宮翁夜話巻の1【12】翁曰(いわく)、道の行はるるや難(かた)し、道の行れざるや久し。その才ありといへども、その力なき時は行はれず。其の才その力ありといへども、其の徳なければ又行れず、其の徳ありといへども、その位なき時は又行れず。然れども是は是れ大道を国天下に行ふの事なり。その難き勿論なり。然れば何ぞ此の人なきを憂へんや、何ぞ其の位なきを憂へんや。茄子(なす)をならするは茄子作り能(よ)くすべし、馬を肥(こ)やすは馬士(まご)能(よ)くすべし、一家を斉(ととの)ふるは亭主能(よ)くすべし、或(あるい)は兄弟親戚相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし。人々此の道を尽し、家々此の道を行ひ、村々此の道を行はヾ、豈(あに)国家興復せざる事あらんや。今市 二宮尊徳像【12】 尊徳先生はこう言われた。「道の行わるるや難(かた)し、道の行れざるや久し。 その才ありといえども、その力なき時は行われず。その才その力ありといえども、その徳なければまた行れず、その徳ありといへども、その位なき時はまた行れず。」と論語にある。しかしながらこれは大道を国天下に行う場合の事である。その困難なことはもちろんである。そうであればどうしてこの人がいないのを憂えようか、どうしてその位がないことを憂えようか。ナスをならせるには、ナス作りがよくできよう、馬を肥やすのは、馬士(まご)がよくできよう、一家をととのえるのは、一家の主がよくできよう、あるいは兄弟親戚で互いに行い、あるいは友人同志で結託して行うがよい。人々がこの道を尽し、家々がこの道を行い、村々がこの道を行うならば、どうして国家が興復しない事があろうか。※この道とは「私の道は分限を守るをもって本となし、分内を譲るをもって仁となす」(夜話1-11)のこと。
2023.09.28

辛坊治郎氏「これでチップ取るか?」 物価高&円安の中…米国に「納得いかない」理由ニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」(月~木曜後3・30)アメリカに訪れた際、“納得がいかないこと”について語った。この日は航空・旅行アナリストの鳥海高太朗氏がゲスト「アメリカ行って最近納得いかないことがある」「アイスクリームスタンドでアイスクリーム買うじゃないですか。支払いしようと思うとパソコンみたいなの出してきて、チップ20パーセントとかのボタンを押さないといけない。これでチップ取るか?どんなサービス受けたんだよって言いたい」辛坊氏「15パーセント、20パーセント、25パーセントって表示があって0がないんです」鳥海氏「絶対小さくあるんです。さすがに(チップは)強要できないので小さく“No thanks”って書いてるボタンがあると思います」*日本にとっては馴染みのないチップ文化。チップ力が強いのがアメリカ。タクシー、ホテルのポーターやルームクリーニング、レストランなど、チップを払うシーンも多い。レストランでは飲食代の20%程度が一般的で、これはホールスタッフ(オーダを取って配膳する人、そのサポートをする人など)に対して支払われるもの。ホールスタッフはチップありきなので、時給が最低賃金よりも低く設定されていることもある。 一方、今アメリカ人すら困惑しているのがセルフレジでのチップ攻勢。え、誰にチップ払うの?と困惑しつつも、払わない罪悪感を煽ることから「ギルトチッピング(Guil Tipping)」と呼ばれている。一般的には、スターバックスやサブウェイのようなお客さんが自分でレジにてオーダーし、自分で受け取りに行くカウンター式のお店ではチップは払わなくてもマナー違反とはなりません。ただ、レジ横にチップ用の瓶が置いてあるお店も多く、スタッフに対して気持ちばかり(たとえばお釣りの小銭とか、常連のお店でたまにちょっと多めに入れちゃうとか)のチップを入れる人も少なくありません。人を介さないセルフレジの画面。The Wall Street Journalによれば、カウンター式の店ですらない、人との関わりがないセルフレジで、善意のチップを要求されることが増えている。たとえば、空港、スタジアム、クッキーショップやカフェなどで、セルフレジ自らがチップくれない?と言ってくるパターン。つまり、カウンター店舗のように、支払い画面にて「チップしませんか?」という問いかけが、セルフレジ端末でも挿入されることが増えているといいます。中には、最初から「20%チップする?」と、割合まで提案してくるケースも。これには、チップ文化に慣れ親しんだアメリカ人ですら、困惑し、不満を感じているのだとか。チップはあくまで推奨であり義務ではないこと、集まったチップはスタッフ全員で分けている
2023.09.28
NHK朝ドラ「らんまん」波多野役・前原滉「大好きなシーンです。」 万太郎を説得する場面前原は「本編ではきっと時間の都合もありカットになってるのですが、『理学博士になるんだ、槙野万太郎!植物学に尽くしたいんだろう?だったら骨の髄まで尽くしなよ』という台詞があり、長田さんの書く言葉に痺れました。大好きなシーンです。(秘密の話ですよこれ)」と、脚本を務める長田育恵氏の台本に感銘を受けたことを明かし、波多野が万太郎を説得するシーンの公式Xを引用した。この日の放送では、波多野から理学博士の話を聞いた万太郎はいったん躊躇する。「理学博士ゆうたち、そのわしにとったら、田邊さんと伊藤圭介翁じゃ。そのような方と…」波多野「傲慢だよ。槙野万太郎は自分の意志でここまで来たと思っているんでしょ?槙野万太郎がここにいるのは、時代なのか摂理なのか…そういうものに呼ばれてここにいるんだ」「理学博士になるんだ、槙野万太郎!」寿恵子「万太郎さん、勘違いしてます。図鑑を成し遂げてから? そんなの遅いですよ! 先に理学博士になったら売れるじゃないですか! 理学博士が満を持して植物図鑑を出すとなったら、売れに売れて売り切れご免の大増刷ですよ!」「万太郎さん、理学博士になってください。そしたらこの国の植物学に、あなたの名前が刻まれるでしょ? あなたの名前が永遠に」万太郎「波多野…改めて理学博士の推薦、謹んでお願いいたします」寿恵子とともに頭を下げるというシーンが描かれた。博士号授与式のシーンは、小石川植物園で撮影が行われた授与式に臨んだ万太郎。自宅を出る時は何も着けていなかった胸に、授与式では黄色く可憐な花があしらわれていた。「万太郎が着けていた花はおそらく女郎花(おみなえし)。秋の七草として古来から親しまれており、万葉集にも山上憶良が詠んだ秋の七草の歌が二首収められています。それゆえ、この女郎花は理学博士に推挙してくれた徳永名誉教授への感謝を示しているのではないでしょうか」(テレビ誌ライター)万太郎「あらゆる命には限りがある。植物にも人にも。ほんじゃき、出会えたことが奇跡で、今、生きることは、愛おしうて仕方ない」「改めまして、どんな時も、わたくしをそばで支えてくれた妻と、皆様方に感謝申し上げます」女郎花の花言葉は「優しさ」や「親切」、そして「美人」万太郎は授与式に臨む前に寿恵子に声をかけている。「今日もきれいじゃの。寿恵ちゃん」
2023.09.27
三笘薫の得点シーンでペットボトルを叩きつけ...ブライトン指揮官の“感情爆発”リアクションが話題!We *think* Roberto enjoyed Kaoru's goals on Sunday! 👀 More of the same tonight? 😆ロベルトは日曜日の三苫薫のゴールを楽しんでいたと思う!今晩もですか?
2023.09.27
中国政府関与指摘のハッカー集団、日本にサイバー攻撃 警察庁9/27(水) 警察庁などは27日、中国政府の関与が指摘されているハッカー集団「ブラックテック」による複数の日本企業・団体へのサイバー攻撃が判明したと発表した。警視庁や警察庁サイバー特別捜査隊の捜査・分析で明らかになったという。サイバー攻撃の相手方を特定して非難声明を出す「パブリック・アトリビューション」として公表した。パブリック・アトリビューションを日本政府が実施するのは6例目。警察庁直轄の捜査機関であるサイバー特捜隊が2022年4月に設置されて以降、中国関連では初めて。 警察庁などは、ブラックテックが10年ごろから、日本や台湾、米国を拠点とする電気通信企業などを標的にして、情報窃取を目的としたサイバー攻撃を続けていると認定した。米国政府とも情報交換を進め、こうした攻撃の侵入手口や使われた不正プログラムに同一の特徴があると判断した。米国家安全保障局(NSA)や米連邦捜査局(FBI)なども同時に発表した。 関係者によると、日本では防衛装備品に関する情報が流出した恐れがある三菱電機への19年のサイバー攻撃などに関与したとされる。 警察庁などの捜査・分析では、海外子会社の拠点で本社との接続のために使用される小型ルーターを乗っ取り、ネットワークに侵入する手口が多いことが判明。ルーターを乗っ取ることで正規の通信に見せかけるため、発覚するまでに時間がかかるという。 警察庁などは「組織内部のネットワークから攻撃が行われることを念頭に置き、関連するグループ組織、システムの開発・保守業者などと連携して対策を講ずることが必要」と注意を呼び掛けている。 日本政府によるパブリック・アトリビューションを巡っては、16~17年の宇宙航空研究開発機構(JAXA)などへのサイバー攻撃で、中国人民解放軍の指揮下にあるとされるハッカー集団「ティック」の関与を21年4月に指摘。22年10月には、北朝鮮の対外工作機関傘下にあるとされるハッカー集団「ラザルス」による日本の仮想通貨(暗号資産)交換業者に対するサイバー攻撃が判明したと発表した。
2023.09.27

報徳記 巻之六【3】先生上牧某を教諭す上牧曰く、一藩の人情誠に先生の明察の如し。我多年之を憂ふるといへども如何(いかに)ともすること能はず。今我が行ひを以て一藩の卑心(ひしん)を解(かい)することを得(え)ば上下の幸(さいはひ)何事か之に如(し)かん。其の道なるもの如何(いかん)。先生曰く、其の道他にあらず。惟(たゞ)子(し)の恩禄を辭(じ)せん而已(のみ)。其の言に曰く、今國家(こくか)の窮困(きゆうこん)既に極れり。君艱難を盡(つく)し玉ふといへども臣下の扶助(ふじよ)全からず、一藩の艱難も亦(また)甚しといふべし。某(それがし)大夫(たいふ)の任にありて上(かみ)君の心を安(やす)んずることあたはず、下(しも)一藩を扶助すること能はざるは是(これ)皆不肖(ふせう)の罪なり。今二宮の力を借り以て衰國(すいこく)を再興せんとす。先づ恩禄を辭(じ)し聊(いささ)かたりとも用度(ようど)の一端を補ひ、無禄にして心力(しんりよく)を盡(つく)さんこと某(それがし)の本懐(ほんくわい)なりと主君に言上(ごんじやう)し、一藩に告げて以て禄位(ろくい)を辭(じ)し、國家(こくか)の爲(ため)に萬苦(ばんく)を盡(つく)す時は衆臣(しゆうしん)必ず曰(い)はん。執政(しつせい)國(くに)の爲(ため)に肺肝を碎(くだ)き再復の道を行ひ、恩禄を辭(じ)して忠義を勵(はげ)む。然るに我輩(わがともがら)國家(こくか)に力を盡(つく)さずして空しく君禄(くんろく)を受く。豈(あに)之を人臣(じんしん)の本意(ほんい)とせん。僻令(たとひ)禄の十ヶ(が)一を受(う)くるも大夫(たいふ)に比すれば過(す)ぎたるにあらずやと。積年の怨望(ゑんぼう)氷解(ひようかい)し、始めて素餐(そさん)の罪を耻(は)づるの心を生じ、日々活計(くわつけい)の道に力を盡(つく)し、他を怨みず人を咎めず、如何(いか)なる艱苦をも安んじ、之を常とし之を天命とし、婦女子に至るまで其(そ)の不足の念慮を去らん。然らば則ち一藩を諭(さと)さずして當時(たうじ)の艱難に安んじ、忠義の一端をも勵(はげ)まんとするの心を生ぜん。是の艱難の時に當(あた)り大夫(たいふ)たるもの上下の爲(ため)に一身を責めて人を責めず大業(たいげふ)を行ふの道なり。然して惟(たゞ)之を行ふ事のあたはざるを憂ひとせり。此の道を行はずして人の上に立ち高禄を受け、辨論(べんろん)を以て人を服せしめんとせば、益々(ますます)怨望(ゑんぼう)盛んにして國家(こくか)の殃(わざわひ)彌々(いよいよ)深きに至らん。何を以て衰國(すいこく)を擧(あ)げ上下を安んずることを得んや と。上牧某(なにがし)大いに此の言(げん)に感激して曰く、謹(つゝしみ)て教へを受け直ちに之を行はんと云ふ。下館(しもたて)に歸(かへ)り此の事を聞(ぶん)し速(すみや)かに恩禄三百石を辭(じ)したり。微臣(びしん)大島某(それ)小島某(それ)なるもの此の事を聞き感動し、二人共に自俸を辭(じ)し無禄にして奉仕せり。先生之を聞きて曰く、上(かみ)これを好むときは下(しも)之より甚(はなはだ)しきものあり。上牧(かみまき)一度非常の行ひを立つれば兩人(りやうにん)亦(また)此の事を行ふ。古人の金言(きんげん)宜(うべ)ならずや。是(これ)に於て上牧大島小島三人一家(いっか)扶助の米粟(べいぞく)を櫻町より贈り、其の艱苦を補ひたりと云ふ。報徳記 巻之六【3】先生上牧某を教諭す その2上牧は言った。一藩の人情は誠に先生が明察されるとおりです。私は多年にわたってこれを憂えておりますがいかんともすることができません。今私の行いによって一藩の卑しい心を解消することができるならば上下の幸いはこれにまさるものはありません。その道とはどのようなものでしょうか。先生は言われた。「その道は他でもありません。ただあなたが恩禄を辞退するだけです。そのときこのように言うのです。『今、国家の困窮は既に極っています。君は艱難を尽くされておられます、臣下の扶助を完全に行うことができない状態です。一藩の艱難もまた甚しいというべきです。私は家老の任にあって上は君の心を安らかにすることができず、下は一藩を扶助することができません。これすべて私の不肖の罪です。今、二宮の力を借りて衰国を再興しようとしております。先ず私が恩禄を辞退していささかなりとも必要な資財の一端を補い、無禄で心力を尽すことが私の本懐です。』このように主君に言上し、一藩に告げて禄位を辞退し、国家のために万苦を尽くす時は衆臣必ず言うでしょう。『ご家老は国のために肺肝を砕いて再復の道を行い、恩禄を辞退して忠義を励もうとされている。しかるに我等は国家に力を尽くさないで空しく君禄を受けている。どうしてこれが人臣の本意としようか。たとえ禄の十分の一を受けてもご家老に比べれば過ぎたものではないか。』積年の怨望は氷解し、始めて無駄に食事をしている罪を恥じるの心が生まれ、日々活計の道に力を尽くし、他を怨まず人を咎めず、どのような艱苦をも安んじて、これを常としこれを天命として、婦女子に至るまでその不足の念慮を去ることでしょう。しからば則ち一藩を諭さなくても現在の艱難に安んじ、忠義の一端をも励もうとする心を生ずるでしょう。この艱難の時に当たって家老たるものが上下のために一身を責めて人を責めず大業を行うの道です。しかしてただこれを行う事ができないことを憂いとします。この道を行わないで人の上に立って高禄を受け、弁論で人を服さしめようとすれば、ますます怨望が盛んになって国家の災いはいよいよ深くなることでしょう。どうして衰国を挙げて上下を安らかにすることができましょうか。」上牧は大いにこの言葉に感激して言った。「謹んで教えを受け直ちにこれを行いましょう。」下館に帰ってこの事を主君に告げて、すぐに恩禄300石を辞退した。微臣の大島という者と小島という者がこの事を聞いて感動し、二人ともに自俸を辞退して無禄で奉仕した。先生はこれを聞かれて言われた。「上がこれを好むときは、下はこれより甚しきものありという。上牧が一度非常の行いを立てたら両人がまたこの事を行う。古人の金言はなんともっともなことであうことか。」そこで尊徳先生は上牧、大島、小島の三人に一家を扶助する米粟を桜町から贈って、その艱苦を補われたという。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.27

二宮翁夜話巻の1【11】 儒学者あり、曰く、孟子は易(やす)し中庸は難(かた)しと。翁(をう)曰く、予(われ)文字(もんじ)上の事はしらずといへども、 是(これ)を実地正業に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し。いかんとなれば、夫(そ)れ 孟子の時道行れず、異端(いたん)の説盛(さか)んなり、 故に其(そ)の弁明を勤(つと)めて道を開きしのみ。故に仁義を説いて仁義に遠し。卿等(きみら)孟子を易しとし孟子を好むは、己(おの)が心に合ふが故なり。卿等(きみら)が学問するの心、仁義を行はんが為めに学ぶにあらず、 道を踏まんが為めに修行せしにあらず、只(ただ)書物上の議論に勝(かち)さへすれば、夫(それ)にて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言ひ伏すれば、夫(そ)れにて儒者の勤めは立つと思へり。夫(そ)れ聖人の道、豈(あに)然る物ならんや、聖人の道は仁を勤むるにあり、五倫五常を行ふにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや、人を言ひ伏するを以て勤めとせんや。孟子は則ち是(これ)なり。此(こ)の如きを聖人の道とする時は甚だ難道(なんだう)なり。容易になし難し。故に孟子は難しといふなり。夫(そ)れ中庸は通常平易の道にして、 一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ひく)きより高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め、五十石にて暮し、五十石を譲りて、国益を勤むるは、誠に行ひ易し。愚夫愚婦にも出来ざる事なし。此の道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。至て行ひ易き道なり。故に中庸といひしなり。予(われ)人に教ふるに、吾が道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ。豈(あに)中庸にして行ひ易き道にあらずや。 小田原市立三の丸小学校【11】 儒学者があって尊徳先生に言った。「孟子はやさしいが、中庸は難かしい」と。尊徳先生はこうおっしゃった。「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、孟子は難しく、中庸は易しい。なぜかといえば、孟子の時代には、道は行れず、異端の説が盛んであった。だからその弁明をするため、道を開いたのだ。したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。君らが孟子を易しいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。君らが学問をするの心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、道を実践するために修行しているのではない。ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。聖人の道というものが、どうしてそのようなものであろうか。聖人の道は仁を勤めることにある。五倫五常を行うにある。どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。人を言いまかすことをもって勤めとしようか。孟子はすなわちこれである。このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。容易に実行しがたい。だから孟子は難しいというのだ。中庸は通常平易の道であって、一歩より二歩、三歩と行くように、近きより遠きに及んで、低いとことから高いところに登り、小より大に至る道であって、誠に行いやすい。たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。愚夫愚婦にもできない事はない。この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。いたって行いやすい道である。だから中庸というのだ。私が人に教えるに、私の道は分限を守るをもって本となし、分内を譲るをもって仁となす と教えている。なんと中庸であって行いやすい道ではないか。
2023.09.27
<らんまん>波多野&藤丸が“可愛い”おじいちゃんに! 変わらない“イチャコラ”シーンも登場9/26(火)昭和2(1927)年の夏。波多野は「帝国学士院会員」となった。藤丸「悪いねえ、車を出していただいて」藤丸がモーツアルトみたいな髪型にベレー帽 藤丸は、竹雄(志尊淳さん)と綾(佐久間綾さん)も元気だと告げる。「沼津も大震災からやっと立て直せて。今年はちゃんと仕込めてる。醸造協会から清酒酵母も分けてもらったしね」藤丸「俺は遅ればせながら、波多野の祝いに上京しまして」波多野「わざわざいいのに」藤丸「どうせならみんなで宴会したいでしょ?」沼津名物 ひものと黒はんぺん万太郎「ほんなら改めて。波多野、帝国学士院の会員選任。おめでとうございます」波多野「僕は万さんに用があって来たんだよ」「理学博士にならない?」💛藤丸さん、白髪がすっかり増えて天然パーマの髪型が、モーツアルトみたい藤丸のモデルは、市川延次郎(後に田中と改姓)だと考えられている。「私の下宿によく遊びにきた友人に、市川延次郎と染谷徳五郎という二人の男がいた。共に東京大学の植物学教室の選科の学生だった。(中略)市川延次郎の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに出かけて、一緒に好物のスキヤキをつついたものだ。ある時、市川、染谷、私の三人で相談の結果、植物の雑誌を刊行しようということになった」田中 延次郎 (たなか のぶじろう、旧姓 市川、1864年4月21日(元治元年3月16日) - 1905年(明治38年)6月21日)は、日本の菌類学者である。日本における最初の近代菌類学書、『日本菌類図説』を執筆した。植物病理学の分野でも桑樹萎縮病の対策に貢献した1892年から名古屋の愛知県桑樹萎縮病試験委員などを務め植物病理学の分野で働いた。1897年から一年間、ドイツのミュンヘン大学に私費留学し、酵母の研究などもした。1898年から1899年まで東京帝国大学理科大学の講師を務める。1903年、桑樹萎縮病調査会が廃止された後は適当な就職口もなく、晩年には妻も亡くす。その後精神病を患い、1905年に精神病院で没した。史実の延次郎は、1905年(明治38年)に亡くなっている。波多野のモデルとされる池野成一郎が帝国学士院会員となったのは、昭和2年(1927年)。実に20年以上も前に田中 延次郎は亡くなっている。愛されキャラの藤丸は視聴者の期待に応え、生きながらえ、今や「おじいちゃん天使」のごとくに降臨して飛び回る
2023.09.27
「中国の浮遊障壁撤去」フィリピンの「毅然とした対応」に集まる評価「要求するだけ」日本の弱腰に集まる批判9/27(水) 9月26日、フィリピン沿岸警備隊は、中国と領有権を争う南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)に中国海警局が設置した「浮遊障壁」を、特別作戦を実施し25日に撤去したと発表沖縄県石垣市の中山義隆市長は9月26日《フィリピン政府の対応、これを『毅然とした対応』と言うのでしょう。》「尖閣を乗っ取る気だ」 漁の妨害はせず 遠巻き 漁船の関係者証言9/27(水) 「中国は、何年かかってもいいから尖閣を乗っ取ろうという気だ。末恐ろしい」「県は『基地問題は沖縄の問題、尖閣問題は国の問題』と言っているが、その認識を変えないと尖閣は守れない」ベトナム、中国の主権侵害と抗議-西沙諸島に船舶識別基地局ベトナムは、南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島に中国が2つの船舶自動識別基地局を設置したことはベトナムに対する主権侵害に当たるとして抗議した。 ベトナム外務省はウェブサイトに掲載した声明で、「ベトナムの許可なく西沙諸島で行われる全ての活動は、ベトナムの主権を侵害するものであり、完全に無効」とする報道官談話を発表。西沙諸島の北礁とボンバイ礁に置かれた中国製の船舶識別基地局についての報道が先になされていた。フィリピン、南シナ海で中国設置の障害物撤去-「国際法違反」と非難フィリピン当局は25日、中国と領有権を争う南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)に設置された浮遊式の障害物を撤去したと発表した。中国側が取り付けたものと主張するフィリピンは撤去前に今回の動きを非難し、緊張が高まる両国関係の新たな火種となっていた。 フィリピン沿岸警備隊のタリエラ報道官は短文投稿サイトのX(旧ツイッター)への投稿で、マルコス大統領とアニョ国家安全保障補佐官の「指示に従って」スカボロー礁南東部の入り口を遮っていた障害物の除去に「成功」したと発表。投稿された映像には、男性が刃物で浮遊式障害物の一部を切断する場面が収められていた。 タリエラ報道官は「この障害物は航行にとって危険であり、明確な国際法違反だ」と説明。フィリピン側が自国の排他的経済水域(EEZ)内とするスカボロー礁での漁業活動を障害物が妨げていたと述べた。フィリピン沿岸警備隊による今回の措置は「国際法ならびにフィリピンの主権に合致」したものだとも語った。 一方、中国側もスカボロー礁を自国領土の一部だと主張している。外務省の汪文斌報道官は25日の定例記者会見で、「中国は黄岩島とその付近の海域を巡り主権を有しており、管轄権がある」と述べていた。 中国はいわゆる「九段線」を独自に設け、南シナ海のほぼ全体で自国の領有権を主張。国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所が2016年に南シナ海の主権を巡る中国の主張を退けたが、その後も南シナ海で埋め立て活動などを進めている。
2023.09.27
競泳400m個人メドレーで本多灯が金メダル「やっと1番!」競泳男子400メートル個人メドレーで本多灯(イトマン東京)が金、瀬戸大也(CHARIS&Co.)が銀。・杭州アジア大会第4日の26日、自転車男子チームスプリントの日本(長迫、太田、小原)が決勝で中国を破って頂点に立った。選ではコンマ2秒、1回戦ではコンマ1秒と日本を上回っている中国との決勝。2023アジア選手権でも決勝で顔を合わせている両者のトップ争いとなった(アジア選手権では日本が大差の勝利)。第1走の長迫のタイムは17秒668、中国は17秒477。中国がリードして第2走の太田海也が中国を追っていく展開。僅かに差が詰まったかどうかといった互角のレースは第3走の勝負となる。小原が単独で走り始めると、その差が埋まっていっているように見え、最後は僅差のフィニッシュ。・柔道 金メダル 田中龍馬 角田夏実
2023.09.26

報徳記 巻之六 【3】先生上牧某を教諭す一時(あるとき)先生上牧某(なにがし)に諭(さと)して曰く、夫(そ)れ國家(こくか)の衰貧に當(あた)りて君の禄其(そ)の名は二萬石(まんごく)なりといへども、其の租税の減ずること三分の二に當(あた)らんか。然らば一藩の恩禄も其の減少之に隨(したが)ふべし。是れ衰時の天命にして君禄の限りあることを如何(いか)にせん。天命衰貧の時に當(あた)り艱難に素(そ)して艱難に行ふこと臣下の道にあらずや。然るに君禄の減少を知らずして自俸(じほう)の不足を憂ひ、其のある無き所の米粟(べいぞく)を受んことを欲し怨望(ゑんぼう)の心を免れず。國體(こくたい)の衰弱を知らざるが故也(ゆゑなり)といへども、誠に淺(あさ)ましきことにあらずや。國(くに)の政(せい)を執(と)るもの天分を明かにし衰時の自然を明辨(めいべん)し、一藩の惑ひを去り、其の貧に安(やす)んじ、專(もっぱ)ら國家(こくか)に忠義を盡(つく)さしむるは職分の最も先務なり。然るに大夫(たいふ)以下猶(なほ)此の天命を辨(わきま)へず、何を以て一藩を諭(さと)さんや。而して大夫(たいふ)其の天分を明かに知り一藩を諭すと雖も、猶(なほ)怨望の心止み難きものあり。如何(なん)となれば衰時の天命に隨ひ、國家(こくか)にある無き所の物を渡すべき術(じゆつ)なきを明示すれども小禄の臣下必ず云(い)はん。大夫(たいふ)以下在職の輩(はい)は俸禄我が輩に十倍せり。減少すといへども豈(あに)困窮我が輩の如くならんや。人の上に居(を)り高禄を受け他の艱難を察せずして、天命衰時に當(あた)り其の無きものは渡すべきの道なし。艱苦に安んじ專(もつぱ)ら忠義を勵(はげ)むべしとは何ぞや。執政(しつせい)の任たるもの仁政を行ひ國の憂患を除き、艱難を救ひ衰國(すゐこく)をして再び盛んならしむるもの其の任にあらずや。若し其の任に在て此事を爲(な)すこと能はずんば其の職を貪る也(なり)。何ぞ速かに退職せざるやと云ふ。是(これ)怨望(ゑんぼう)止まざる所以(ゆゑん)なり。是の如く怨望する者、素(もと)より臣の道に非ずして、大いに本意(ほんい)を失ひたりといへども、此(こ)の怨望の心なからしむるものは執政(しつせい)の道也(なり)。一藩の怨望辨明(べんめい)理解を待たずして忽(たちま)ち消除し、其の艱難を安んじ忠義の心興起(こうき)するの道斯(こゝ)に一あり。子(し)之を行はずんば國弊(こくへい)を矯(た)め上下の艱難を救ふことあたはず。夫(そ)れ之を行ふべきか否や。【3】先生上牧某を教諭すあるときに尊徳先生は下館藩家老の上牧にこう諭(さと)された。「国家の衰貧に当たって下館候の禄は名目は二万石といっても、その租税は三分の二ほど減少してしていようか。しからば一藩の恩禄もその減少これに従うべきである。衰時の天命にあたって君禄の限りあることをいかにしようか。天命が衰貧の時に当たっては「艱難に素(そ)しては艱難に行う」(中庸)ことは臣下の道ではないか。しかるに君禄の減少を知らないで自分の俸給の不足を憂慮し、そのあるはずもない給与を受けることを欲して怨む心を免れない。国体の衰弱を知らないためであるとはいっても、誠に浅ましいことではないか。国の政治を執る者(家老)は、天分を明かにし、衰時の自然を明らかにわきまえ、一藩の惑いを去って、その貧しきに安んじ、専ら国家に忠義を尽くさせるのが職分であり、最も先務とする。しかるに家老以下なおこの天命をわきまえなければ、どうして一藩を諭すことができようか。しかして家老がその天分を明かに知って一藩を諭したとしても、なお怨望の心は止み難いものがあるであろう。なぜかといえば衰時の天命に従って、国家にあるはずのない所の物を渡す方法がないことを明示しても小禄の臣下は必ずこのように言うであろう。家老以下在職の方々は俸禄が私達の十倍ほどです。減少したからといってどうしてその困窮が私達のようでありましょうか。人の上にいて高禄を受け、他の艱難を察することができず、天命衰時に当たるから無いものは渡す方法がない。艱苦に安んじて専ら忠義を励めとは何なる言い草か。執政の任務について仁政を行い、国の憂患を除いて、艱難を救い衰国を再び盛んにするのがその任務ではないのか。もしその任に在ってこの事を行うことができないのならばその職を貪っているというべきです。どうしてすぐに退職しないのですか」と言うであろう。これは怨望が止まないためである。このように怨望する者は、もとより臣の道ではなく、大いに本意を失っているけれども、この怨望の心をなくならせるのが執政の道である。一藩の怨望は明らかに理解を待たないでたちまちに消除し、その艱難を安んじ忠義の心を起させる道がここに一つある。あなたがこれを行わなければ国弊を矯正し上下の艱難を救うことはできないでしょう。あなたはこの道を行うことができますか。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.26

二宮翁夜話巻の1【10】翁曰く、親の子における、農の田畑に於る、我が道に同じ。親の子を育つる無頼(ぶらい)となるといへども、養育料をいかんせん。農の田を作る、凶歳なれば、肥代(こやしだい)も仕付料も皆損なり。それ、この道を行はんと欲する者はこの理を弁ふべし。吾始めて、小田原より下野(しもつけ)の物井の陣屋に至る。己(おの)が家を潰して、四千石の興復一途に身を委ねたり。是れ則ちこの道理に基けるなり。それ、釈氏は、生者必滅の理を悟り、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のごとき道を弘めたり。ただこの一理を悟るのみ。それ人、生れ出でたる以上は死する事のあるは必定なり。長生きといへども、百年を越ゆるは稀なり、限りのしれたる事なり、 わかじにというもながいきというも、 実は毛弗(もうふつ)の論なり。たとへばロウソクに大中小あるに同じ、大ロウといへども、火の付きたる以上は、4時間か5時間なるべし。されば人と生れ出でたるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益なり。故に本来我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲けなり。予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」それこの世は、われ人ともにわづかの間の仮の世なれば、この身は、かりの身なる事明らかなり、元のあるじとは天をいう。このかりの身を我身と思はず、生涯一途に世のため人のためのみを思ひ、国のため天下の為に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免れ富有になり、土地開け道橋整ひ安穏に渡世のできるやうにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざるわがこの身である、といふ心にてよめるなり。これわれ畢生(ひっせい)の覚悟なり。わが道を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず。箱根町立湯元小学校の金次郎像は、わらじを配る像で「推譲」をあらわす像だ。【10】尊徳先生はこうおっしゃった。親が子を育てる、農民が田畑をつくる、我が道と同じである。親が子を育てる、たとえどうしようもない子どもであっても、養育料を請求したりしようか。農民が田を作る、凶歳であれば、肥料代も仕付料も皆損である。それ、この道を行おうと欲する者はこの理をわきまえるべきである。私が始めて、小田原より下野(しもつけ:栃木県)の物井の陣屋に至ったとき、自分の生まれ育った家を潰して、宇津家4000石(ごく)の復興一途に身をゆだねた。これは則ちこの道理に基いたのである。それ、お釈迦様は、生者必滅の理を悟って、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のような仏道を弘めたのだ。ただこの一理を悟っただけである。それ人は、生れ出た以上は死ぬことのあることは必定(ひつじょう)である。長生きといっても、100歳を越えるものは稀である、限りのしれた事である。若死にといっても長生きといっても、実はごく僅かの違いである。たとえばロウソクに大・中・小があるのと同じだ。大のロウソクといへども、火が付いた以上は、4時間か5時間ぐらいであろう。そうであれば人と生れ出た以上は、必ず死ぬものと覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲けである、一年活きれば一年の益である。それゆえに本来の自分は身体もないもの、家もないものと覚悟するときは、あとは百事百般皆儲けである。わたしの歌に かりの身を 元のあるじに 貸し渡し 民安かれと 願ふこの身ぞそれこの世は、私も人もともにわずかの間の仮の世であるから、この身は、かりの身であることは明らかである。元のあるじとは天のことをいう。このかりの身を自分の身であると思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人でも一家でも一村でも、困窮を免れ、富裕にし、土地を開拓し、道や橋を整備し、すべての人々が安穏にこの世を渡ることのできるようにと、それのみを日々の勤めとして、朝夕願い祈って、怠らないわがこの身である、という心で詠んだものである。これがわたしの畢生(ひっせい)の覚悟である。わたしの道を行おうと思う者は、知っていなくてはならない。
2023.09.26
らんまん最終週の驚くべき仕掛けその一 松坂慶子さんが亡き牧野博士の娘・千鶴として再登場した「父の生前には、ここにももう大勢お客様がいらして。誰か来たらあっという間に植物の研究会になってしまうんです。父は危篤になったときでさえ、うわごとで『バイカオウレンは咲いたか?』って。そこの縁側から出て、いつまでも庭にいましたよ」「あなたにお願いしたいのは父の遺品整理の手伝いなんです。」都立大学に万太郎の収集した約40万点もの標本を寄贈するための資料整理のバイトに応募した娘さんは「こんな重大な仕事、とても……」断り、帰ろうとする。千鶴はがっかりする。スエコザサをみて引き返すまるで寿恵子から頼まれたように妄想 寿恵子も最終降臨かもらんまん 最終週の驚くべき仕掛けその2らんまんの語りを務める宮崎あおいさんが、藤平紀子役でサプライズ出演『篤姫』を熱演した篤姫と滝川の二人が時空を越えて再会^_^語り「昭和33年(1958年)の夏、私は初めてそのお屋敷を訪ねました」の語りから本編登場💛ということは、実はここからが物語の始まりで、ある意味、循環の構造を持っている。次世代に万太郎夫妻の偉業を伝えるという使命をもって次の方に渡すお手伝い、私もしなくちゃ紀子「この標本、守ってきたってことですよね? 関東大震災、それから……空襲も」「それを考えたら、私、帰れません。私も戦争を生き抜きました。次の方に渡すお手伝い、私もしなくちゃ」💛これはドラマ視聴者への呼びかけでもある。「次の世代に先人の果たした偉業(植物分類学における万太郎の偉業だけでなく)を伝えてくださいね」長田氏はシナリオハンティング中に受けた驚きを明かした。「関東大震災の大火災、さらには第2次世界大戦の東京大空襲の間も、40万点という途方もない数の標本を、富太郎さん、ご家族、周りの方々が守り抜いたのだという事実を知って、本当に衝撃的でした。戦後、40万点の標本を初めて目にした人たちも、きっと私と同じように驚いたと思うんです。そして、大空襲から命懸けで守った人たちがいるなら、戦争で生き残った自分たちも次の世代に残さなきゃいけない。自然と使命感に駆られたんじゃないかと思ったんです」「まず、牧野家から都立大学に移すまでにも大きな苦労がありました。そして、大学に収蔵されてからも20年以上の長きにわたる地道な整理作業によって、標本が活用されたからこそ、牧野富太郎は世界の牧野博士となり得たのです。この牧野コレクションを基に、各国の貴重な標本と交換したり、絶滅した植物も調査できたりと、植物分類学の基盤となってきました。この、標本を整理して、活用できる形で後世にバトンを渡そうと尽力した人たち(劇中は宮崎演じる紀子)のことは、絶対に盛り込みたいと思っていました」💛細かい仕掛けも目立った。屋敷に入る紀子を出迎える 二匹の夫婦ガエル「とても無理です」と帰ろうとする紀子の目に入るスエコザサらんまん最終回(130話)「おまん、誰じゃ。アズマザザに似ちゅうけど、どこか違う。」「ササ・スエコアーナ・マキノ」「新婚の頃、寿恵ちゃんの寝顔を見つめていたことがあった。すべてが愛らしく、いとおしかった。じゃから、新種のササに寿恵ちゃんの名を永久に残そうと決めたんじゃ」第1話(4月3日放送)での宮崎の最初の語り植物採集中に初めて見る花を発見して「おまん、誰じゃ」と感激する万太郎「彼の名は槙野万太郎。幕末から昭和へと移り変わる時代の中を、ただ植物を愛し、天真らんまんに駆け抜けました」💛こうして物語は永遠にらせん状に循環しながら、次の世代に受け継がれる(^^)
2023.09.25

報徳記巻之六【2】先生下館困難の本根を論ず先生曰く、夫(そ)れ諸侯の任たる專(もつぱ)ら領民を安撫(あんぶ)するにあらずや。然るに民を治むるの仁政を失ひたるが故に今此の衰貧に至れり。君臣共に前過を悔い厚く國民(こくみん)を撫育せんとせば、僻令(たとひ)其の事を行ふあたはずといへども、猶(なほ)其の本を知り仁政の志ありとせん。然るに下民(かみん)の安危(あんき)を度外(どぐわい)に置きて之を憂ふるの心なく、專(もつぱ)ら君臣目前の艱苦を免れんとして其の道を我に求む。是我が聞く所にあらざる也。兩士(りやうし)曰く、國民(こくみん)を撫育し之を安ぜんとすること素(もと)より君臣の願ひ也。然といへども當時(たうじ)の租税過半は借債利濟(りさい)の爲(ため)に費(つい)え、一藩を扶助(ふじよ)することあたはず。何を以てか下民(かみん)を惠(めぐ)むことを得んや。借債減少の道を得ることあらば、必ず國民(こくみん)惠恤(けいじゆつ)の事も亦(また)之に由(よつ)て生ぜんとす。先生願くは先づ此の急難を除くの道を教へよ。先生曰く、嗟乎(あゝ)惑ひたりと謂(い)ふべし。君臣共に其の本體(ほんたい)を失ひ此の衰貧に至り、猶(なほ)其の本に歸(かへ)ることあたはずして、國本(こくほん)たる民の艱苦を後にし、其の末の憂ひを除かんことを先とす。是(こ)の如く本末先後の道を失ひ、國家(こくか)をして再興せしめんと欲す又(また)難(かた)からずや。然りと雖も君臣の憂ふる所借債にありて困窮胸中に迫れり。何ぞ國家(こくか)の本源を論ずるに暇(いとま)あらんや。此の借債衰貧何に由(より)て起れるや。國家(こくか)の分度明かならず、入(いる)を計りて出(い)づるを制するの道なく、國用(こくよう)足らざれば他の財を借りて一時の不足を補ひ曾(かつ)て後難(こうなん)を慮(おもんぱか)らず、遂に貧困こゝに至るにあらずや。先づ此の憂ひを除んことを欲せば、國家(こくか)自然の分限を明らかにせざる可(べ)からず。分限一度明瞭なる時は貧富盛衰の由(よつ)て生ずる所衰廢(すゐはい)再興の道理自ら了然たり。仍(よ)りて以前十年の租税を調べ、豊凶十年を平均し其の度に當(あた)るもの是(これ)則ち天分動かすべからざるの分度なり。然して出財を制する時は國家(こくか)の基本始めて明らかなるべし。次には數年(すうねん)の借債古借新借を分ち元利明白に調べ其の員數(ゐんすう)を明かにし、然後(しかるのち)其の償ふべきの道を參考(さんかう)せざれば何を以て卒爾(そつじ)に當然(たうぜん)の道を見ることを得んや。速かに筆算の臣を此の地に招くべし と教ふ。兩士(りやうし)大いに感じ諸士數(すう)十人を櫻町に呼びて之を調(しら)べんとす。然るに一藩の扶助に充つべき米粟(べいぞく)なく將(まさ)に飢渇に及ばんとするを憂ふと云ふ。先生大息(たいそく)して之を憐み、米粟若干を下館に贈り其の急を補ひ、然して後數月(すうげつ)畫夜(ちうや)の丹誠を盡(つく)し兩條(りやうでう)の調べを成就せり。巻之六【2】先生下館困難の本根を論ず先生は言われた。「諸侯の任は専ら領民を安心して暮らせるようにすることではありませんか。しかるに民を治める仁政を失ったために今この衰貧に至ったのです。君臣がともに前に犯した過ちを後悔し厚く民を撫育しようとすれば、たとえその事を行うことができないとしても、なおその本を知っており仁政の志があるといえましょう。しかるに下民が安心して暮らせるかを度外視してこれを憂慮する心がなく、専ら君臣が目前の艱苦を免れようとしてその道を私に求めようとする。これは私が聞く所ではありません。」両人は言った。「国民を撫育しこれを安じようとすることはもとより君臣の願いとするところです。しかしながら現在の租税の過半は借金の利子を払うために費え、一藩を経営することができません。どのようにして下民を恵むことができましょうか。借金が減少する道が得られれば、必ず国民を恵む事もまたこれによって生ずるでしょう。先生願わくはまずこの急難を除く道を教えてください。」先生は言われた。「ああ惑っているというべきである。君臣ともにその本体を失い、この衰貧に至って、なおその本に帰ることができず、国の本であるの艱苦を後にして、その末の憂いを除くことを先としている。このように本末・先後の道を失い、国家を再興させようと欲する。困難ではないか。しかしながら君臣の憂える所は借金にあって困窮が胸中に迫っている。どうして国家の本源を論ずる暇があろうか。この借金衰貧は何によって起ったのか。国家の分度が明らかでなく、「入るを計って出ずるを制する」(礼記)の道がなく、国用が足らなければ他の財を借りて一時の不足を補い、少しも後難を思慮しない。ついに貧困がここに至ったのではないか。まずこの憂いを除かんことを欲するならば、国家自然の分限を明らかにしなければならない。分限が一度明瞭になる時は貧富盛衰のよって生ずる所、衰廃再興の道理が自ら了然となる。よって以前十年の租税を調べて、豊凶十年を平均しその度に当たるものが則ち天分の動かすべからざる分度である。しかして出財を制する時、国家の基本が始めて明らかになる。次に数年の借債のうち古借・新借を分って元利を明白に調査し、その金額を明かにして、その後その償還すべき道を参考にしなければ何によって当然の道を見ることができようか。すぐに筆算ができる臣をこの地に派遣しなさい。」両名は大変感じいって諸士数十人を桜町に派遣してこれを調査させた。しかるに一藩の扶助に充てるべき穀物がなく、まさに飢渇に及ぼうとすることを憂慮しているという。尊徳先生は大きくため息をつかれてこれを憐んで、穀物若干を下館に贈ってその急を補い、その後に数月の間、昼夜丹誠を尽くして両条の調査を成就した。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.25

二宮翁夜話巻の1【9】越後国の産(うまれ)にて、笠井亀蔵と云(い)ふ者あり。故(ゆゑ)ありて翁(をう)の僕(ぼく)たり。翁諭(さと)して曰く、汝は越後(ゑちご)の産(うまれ)なり。越後は上国(じやうこく)と聞けり。如何(いか)なれば上国(じやうこく)を去(さ)りて、他国に来(きた)れるや。亀蔵曰く、上国(じやうこく)にあらず、田畑高価にして、田徳少し。江戸は大都会なれば、金を得(う)る容易(ようい)ならんと思ふて江戸に出(い)づと、 翁(をう)曰く、 汝(なんじ)過(あやま)てり、 夫 (そ)れ越後は土地沃饒(よくぜう)なるが故に、食物多し、食物多きが故に、人員多し、人員多きが故に、田畑高価なり、田畑高価なるが故に、薄利なり、然るを田徳少しと云ふ、少きにあらず、田徳の多きなり、田徳多く土徳(どとく)尊きが故に、田畑高価なるを下国と見て生国を捨(す)て、他邦に流浪するは、大なる過ちなり、過ちとしらば、速(すみや)かにその過ちを改めて、帰国すべし。越後にひとしき上国は他に少し、然るを下国と見しは過ちなり。是を今日(こんにち)、暑気の時節に譬へば、蚯蚓(みみず)土中の炎熱に堪(た)へ兼(か)ねて、土中甚(はなはだ)熱し、土中の外に出(いで)なば涼しき処あるべし、土中に居るは愚(ぐ)なりと考へ、地上に出(いで)て照り付られ死するに同じ、夫(そ)れ蚯蚓(みみず)は土中に居るべき性質にして、土中に居るが天の分なり、 然れば何程熱(あつ)しとも、外を願はず、我本性に随ひ、土中に潜みさへすれば無事安穏なるに、 心得違ひして、地上に出(いで)たるが運のつき、迷(まよい)より禍を招きしなり、 夫(そ)れ 汝もその如く、越後の上国に生れ、 田徳少し、 江戸に出(いで)なば、 金を得る事いと易からんと、思ひ違ひ、自国を捨(すて)たるが迷の元にして、みづから災を招きしなり、 然れば、今日過ちを改めて速かに国に帰り、小を積んで大をなすの道を、勤るの外あるべからず、心誠にここ至らば、おのづから、安堵の地を得る必定なり、 猶(なほ)迷いて江戸に流浪せば、詰(つま)りは蚯蚓の、土中をはなれて地上に出でたると同じかるべし、 よく此の理を悟り過を悔ひよく改めて、安堵の地を求めよ、然らざれば今千金を与ふるとも、無益なるべし、我が言ふ所必ず違(たが)はじ。小田原市立桜井小学校【9】越後国の生まれで、笠井亀蔵という者があった。理由があって尊徳先生の下僕であった。尊徳先生は亀蔵にこうさとされた。「なんじは、越後の生まれである。越後は上国と聞いている。どうして上国を去って、他国に来たのか。」亀蔵が言った。「上国ではありません。田畑は高価で、田徳も少いのです。江戸は大都会なので、金を得るのが容易であろうと思って江戸に出てまいりました。」尊徳先生は言われた。「なんじは過っている。それ越後は土地が肥沃であるために、食物が多い、食物が多いため、人が多い、人が多いため、田畑が高価である、田畑が高価であるために、薄利である、然るを田徳が少いという。少いのではない、田徳が多いのだ、田徳が多く土徳が尊いために、田畑が高価であるのを下国と見て生国を捨て、他邦に流浪するは、大きな過ちである。過ちであると知れば、すぐにその過ちを改めて、帰国しなさい。越後に等しい上国は他に少ない。それなのに下国と見たのは過ちである。これをこんにち、暑気の時節にたとえれば、ミミズが土中の炎熱にたえかねて、土中はとても熱い、土中の外に出れば涼しいところがあるだろう。土中にいるのは愚かであると考えて、地上に出て日に照りつられて、死ぬのと同じだ。それミミズは土中にいるべき性質で、土中にいるのが天の分である。そうであればなにほど熱くても、外を願わず、自らの本性に随って、土中に潜んでいさえすれば無事安穏であるのに、心得違いをして、地上に出たのが運のつき、迷いから禍を招いたのだ。それ、なんじもそのように、越後の上国に生れて、田徳が少い、江戸に出れば、金を得る事が大変容易であろう、思い違いして、自国を捨てたのが迷いの元であって、みずから災いを招いたのだ。そうであれば、こんにち過ちを改めてすぐに国に帰って、小を積んで大をなすの道を、勤めるほかあるまい。心誠にここに至るならば、おのづから、安堵の地を得ることは必定である。なお迷って江戸に流浪するならば、つまりはミミズの、土中を離れて地上に出たのと同じようなものである。よくこの理を悟って過ちを悔いて、よく改めて、安堵の地を求めなさい。そうしなければ今、千金を与えたとしても、無益である。私の言うところに、決して間違いはない。
2023.09.25

ザポリージャ戦線、ウクライナが「第3防衛線」突破…車両の通過も可能に9/24(日)ウクライナ軍将官のオレクサンドル・タルナフスキー氏は23日、米CNNのインタビューで「ザポリージャ戦線」で露軍が築いた「第3防衛線」を突破し、前進を続けていると述べた。米政策研究機関「戦争研究所」などは21日、ウクライナ軍が露軍の第3防衛線の一部を突破した可能性を指摘していた。現場の指揮官は米紙ワシントン・ポストに対し、歩兵はすでに2~3週間前に第3防衛線を越えており、最近になって車両の通過も可能になったと語った。激しい露軍の抵抗で、ウクライナ軍の前進は「ゆっくりしたもの」という。
2023.09.24
中国政府「フィリピンに忠告する」 南シナ海で「障害物」撤去に9/26(火) 中国外務省汪文斌報道官「フィリピン側には挑発行為によるトラブルを引き起こさないよう忠告する」「中国側は海洋権益を堅持している」手にはナイフ ロープをバッサリ 中国側の“障害物”フィリピン側が除去9/26(火)フィリピン側が公開した動画には海に浮かぶブイ。そこに現れたのはフィリピン沿岸警備隊で、手にはナイフを持っています。と、その時、ブイをつなぎとめるロープを切りました。 フィリピン側によりますと、中国海警局が22日、南シナ海のスカボロー礁周辺に約300メートルにわたって浮遊式のブイとみられる障害物を設置。フィリピン漁船が漁ができないように進入を妨げたといいます。 中国、フィリピンなどの間にある南シナ海。国連の海洋法条約によって規定されている中国の排他的経済水域はこの線です。しかし、中国は南シナ海のほぼすべての領有権を主張。人工島を作り、軍事拠点化しています。今回、フィリピン側は大統領の指示で障害物を撤去する特殊作戦を行ったといいます。 フィリピン沿岸警備隊:「漁業者の生活を妨げるいかなる妨害も国際法に違反し、フィリピンの主権を侵害するものだ」9/24(日)「漁業者の操業を妨害」フィリピン沿岸警備隊が中国非難 南シナ海で中国海警局が「浮遊式の障害物」を海面に設置フィリピン側の発表によりますと、南シナ海のスカボロー礁付近で中国海警局などの船舶4隻が300メートルに渡ってブイとみられる「浮遊式の障害物」を海面に設置したことが確認されました。また、中国海警局は無線を使って「フィリピンの漁業者は国際法と中国の国内法に違反している」と主張し、何度も追い払おうとしてきたということです。フィリピン沿岸警備隊などは24日、中国側が「フィリピンの漁業者の操業を妨害した」として非難する声明を出し、「漁業者の安全を確保するため、自国の領有権を守り続ける」と強調しました。中国、南シナ海のスカボロー礁でバリアー設置-フィリピン当局9/24(日) フィリピン当局によると、中国は南シナ海のスカボロー礁の南東部にフローティングバリアーを設置し、フィリピン漁船のアクセスを妨げている。フィリピンの沿岸警備隊と漁業水産物資源局は、22日に両機関の職員が定期的な海上パトロールを行った際に発見した中国の動きを「強く非難する」と、沿岸警備隊のタリエラ報道官は24日のX(旧ツイッター)への投稿で指摘した。米越、史上最大の武器取引交渉か F16戦闘機など、中ロ反発も9/23(土)ロイター通信は23日、バイデン米政権がベトナムとF16戦闘機を含む史上最大規模の武器取引に関する交渉に入ったと報じた。交渉は初期段階で来年にもまとまる可能性があるが、成立しないこともあり得るとしている。南シナ海問題で中国と対立する中、米国とベトナムには連携を深める思惑があるという。 バイデン大統領は今月10日にベトナムの首都ハノイを訪れ、最高指導者グエン・フー・チョン共産党書記長と会談。両国関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすると発表していた。 米国は1995年の国交正常化後、武器関連の禁輸措置を段階的に緩和。2016年に武器輸出規制を全面解禁していたが、限定的な協力にとどまっていた。ブイ設置の中国海洋調査船、航路・船速明らかに 「尖閣支配の既成事実化」企図か9/24(日)中国が東シナ海の日本の排他的経済水域(EEZ)内に大型のブイを設置した問題で、中国の海洋調査船が中国浙江省寧波市を出航後、時速約7ノット(約12キロ)という遅い速度で航行し、ブイ設置後に2倍以上の速度で引き返していたことが24日、船舶自動識別装置(AIS)のデータから明らかになった。海上保安庁はこの海洋調査船がブイを運搬し、設置したことを示す有力な証拠とみている。
2023.09.24
ウイルス“エリス”猛威ふるう 尾身茂さん「コロナ第9波、まだピークでない」【Nスタ解説】東京歯科大学市川総合病院の寺嶋毅医師に話を伺いました。今、新型コロナに感染していても、受診しない方が多いそうです。実際の感染者数は2倍~3倍ではないか、ということでした。東京歯科大学市川総合病院 寺嶋毅医師「新型コロナの病床数は5類移行後、確実に減っている。今後さらに入院患者は増加することが考えられる」尾身茂さん「まだ全国的に今のいわゆる“第9波”はピークには達していません。医療現場、特に救急医療を中心にかなり負荷がかかっている」「手足が何も動かない」心ない言葉投げかけられ…コロナ後遺症、患者達の悲痛な声【報道特集】9/24(日)「手足が動かんから、何もできん…しゃべるのも苦しいし…」横浜市に住むAさん(40代)。コロナに感染した2022年7月以降、全身に力が入らず、一人で立ち上がることができなくなった。教員として勤めていたが休職。2023年に入ってようやく車いすに乗れるようになり、夫の付き添いで病院に通えるようになった。聖マリアンナ医大病院 土田知也医師「だいたい1か月ぐらいですかね、その後、いかがですか?」川崎市の聖マリアンナ医大病院で、コロナ後遺症の診断を受けたのは、感染から9か月後の2023年4月。それまで、複数の病院を転々としたが、不調の原因が分からず、心ない言葉を投げかけられたという。Aさん「コロナの後にこんな風な症状になる人はいないよ、聞いたことがないよと言われて、気持ち(の問題)じゃない?と言われて」夫「これはコロナ後遺症だよって認めてもらったことで、私はもう、その時から、だいぶ気持ちが楽になったんですよね。どういう病気なのか分からなかったというのと、あと治療方法とかも、自分で手探りで探しているような状態だったので…」土田医師「残念ながら、まだ後遺症に理解がないところもあって、今後どんどん制度を整えていかないといけないと思います。本当に社会全体でサポートが必要な状況です」このクリニックには、後遺症を訴える患者が他県からも訪れるという。茂木立医師「去年の第7波のときがピークで、月に50人ぐらい(の患者が来た)。すごく多かった。コロナ(後遺症)の人たちは、全身のけん怠感があり、疲れやすい。確かにみんな今、アフターコロナといったコロナ禍じゃないものを求めているけれど、(後遺症の)患者さんだけが取り残されてしまうので」「日常生活で当たり前だったことを、当たり前にできるようになりたいという思いがあります」複数の病院を受診したが、けん怠感や記憶力低下がコロナと関係しているかどうか分からず、専門外来のある岡山大病院でようやく「コロナ後遺症」と診断された。岡山大病院 大塚文男教授「デルタ株のときは嗅覚・味覚障害といったにおいとか味が分からない、料理が美味しくない、作れないといった悩みが多かったのですが、オミクロン株になってからは減ってきて、反対に、けん怠感、疲れやすいとか、それに基づいた頭痛とか、睡眠障害、不眠症、こういった症状がぐっと増えてきた」大塚教授によると、後遺症は人それぞれ症状が異なり、症状の重さも違うため、診断には時間がかかり、適切な治療になかなかたどり着けないという。
2023.09.24

報徳記 巻之六 【2】先生下館困難の本根を論ず衣笠某(なにがし)下館に歸(かへ)り復命す。君公大いに感じ時の大夫(たいふ)上牧某(なにがし)に命じ、艱難再復の仕法を先生に依頼せしむ。衣笠同行せり。櫻町に來(きた)りて君命を演舌(えんぜつ)し良法を請(こ)ふ。先生我が及ぶ所にあらざるを以て固辭(こじ)す。兩士(りやうし)切(しき)りに請(こ)ふて止まず。先生曰く、我は小田原の微臣(びしん)なり。何を以て諸侯の政事(せいじ)に關係(くわんけい)することを得ん。又(また)奚(いづくん)ぞ私(ひそか)に諸侯の委託を受くるの道あらんや。元來(ぐわんらい)小田原先君の命に依りて此地再復の事を成(な)せり。故に此の方法は我が方法にあらずして小田原の方法なり。先君既に世を捐(す)つといへども猶(なほ)當君(たうくん)あり。下館君(しもたてくん)國家(こくか)を再興し給はんとならば、其の旨趣(ししゅ)を小田原に談ぜらるべし と。是(こゝ)に於て下館に歸(かへ)り此の事を聞(ぶん)し、使(つかひ)をして小田原君へ請(こ)ひ玉ふに前條(ぜんでう)を以てす。小田原君人をして答へしめて曰く、分知(ぶんち)宇津家(うつけ)の采邑(さいいふ)興復(こうふく)を二宮に任じ、再び小田原領中の事を命じぬ。加之(しかのみならず)外(ほか)諸侯の委託を受けよとは命じ難し。彼(かれ)若し餘力(よりょく)ありて其の委託に應(おう)ずることあらば共に喜悦(きえつ)する所也と。使者復命す。是に於て再び上牧衣笠をして、櫻町に至り依頼せしむ。衣笠は下館に帰って復命した。君公は尊徳先生の教えに大いに感じて、時の家老の上牧に命じて、艱難再復の仕法を先生に依頼させた。衣笠も同行した。桜町に来たって君命を述べ伝えて良法を施行することをお願いした。先生は私が及ぶ所ではないと固辞された。両名は、切実にお願いて止まなかった。先生は言われた。「私は小田原藩の微臣である。どうして諸侯の政治に関係することができましょうか。また、どうして、ひそかに諸侯の委託を受ける道があろうか。元来、小田原の仕法は先君の遺命によってこの地の再復の事を行いました。ゆえにこの方法は私の方法ではなく小田原の方法です。先君は既にこの世にはありませんが、なほ当君がいらっしゃいます。下館候は、国家を再興しようとされるならば、その趣旨を小田原に相談されるべきです。」ここにおいて下館に帰ってこの事を下館候に報告し、使い小田原候へお願いするに前条をもってした。小田原候は使いをもって次のように答えさせた。「分知の宇津家の領地の復興を二宮に命じて、再び小田原領中の事を命じている。これに加えてほかに諸侯の委託を受けよとは命じがたい。二宮にもし余力があってその委託に応じることがあれば、ともに喜悦する所である。」使者は復命した。ここにおいて再び上牧と衣笠を、桜町に至らしめて依頼させた。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.24

中国船2隻が尖閣周辺の領海出る9/24(日)沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に侵入していた中国海警局の船2隻が、24日午後0時半ごろから相次いで領海の外側に出た。2隻は23日午前、領海に侵入。近くで日本の漁船が操業しており、海上保安庁の巡視船が退去を求めていた。中国船2隻の領海侵入続く 尖閣周辺、今年29日目2023/9/24第11管区海上保安本部(那覇)は24日、沖縄県・尖閣諸島周辺で23日に領海侵入した中国海警局の船2隻が、領海内に引き続きとどまっていると発表した。中国当局の船が尖閣周辺で領海侵入したのは2日連続で、今年29日目。習主席 日中韓首脳会談について「適切な時期の開催歓迎」習近平国家主席は日中韓3カ国の首脳会談について「適切な時期の開催を歓迎する」と述べた。💛習主席の融和的な発言のために中国海警局は一旦ひいたのかな(^^)中国関連記事の検閲削除が海外でも大掛かりに実施されているようだ。不都合なことは「1秒で削除」される中国メディアの「恐ろしすぎる闇」…「重要講話で癇癪を起こした」「中国最後の指導者…」9/10(日) インターネットやSNS上に、習近平総書記や中国共産党政権にとって不都合と思えるニュースや映像がアップされると、「秒删」を喰らう。そのため、こちらは記事が残っている間に、保存するかスマホで写真を撮っておかねばならない。本当に1秒の差で、成功したり失敗したりする。〈中国最後の指導者である習近平は、今年の「両会」で、「中国の発展は一時一事、波はあるけれども、長期的に見れば順風満帆だ」と表明した〉 この記事を見た私は、すぐに保存したが、瞬く間に「秒删」された。そして1時間10分後に再びアップされたが、冒頭の表記が「中国最高の指導者」に書き換えられていた。後に新華社通信の知人に聞いたら、党と国家の最高尊厳(習近平氏)に対して、「最高」を「最後」と誤記したことで、上から下まで厳重な処分を受けたという。習近平関連などの最重要記事においては、現場の記者が書いた草稿を、6人の上長がチェックした後、初めてアップされる3ヵ月半後、7月1日の中国共産党創建95周年の記念式典を報じた「テンセント・ネット」(騰訊網/タンシュンワン)も、「傑作」をアップした。 〈習近平は重要講話で癇癪を起こした〉(習近平発飙重要講話) こちらも直ちに「秒删」され、しばらくして〈習近平は重要講話を発表した〉(習近平発表重要講話)と直されてアップされた。 こうした事件から6年余りを経て、「秒删」はますます猛威を振るっている。いまや「抖音(ドウイン)」(TikTok)などの動画サービスも「秒删」の対象だ。 一方、中国で最も権威ある新聞とされる『人民日報』は、連日、習近平総書記を称える記事や写真が満載。さながら『習近平日報』と化している。 ちなみに中国の憲法第35条には、こう明記してある。 〈中華人民共和国の公民は、言論・出版・集会・結社・デモ・示威の自由を有する〉中国発の投稿、大量削除=日米など標的に世論工作―米メタ米メタ(旧フェイスブック=FB)は29日、世論誘導目的の情報工作に関与している中国系グループのFBアカウントを7704件削除したと明らかにした。中国と新疆ウイグル自治区について中国政府に都合の良い内容や、米国への批判的な主張が数多く投稿されていた。日本やオーストラリア、英国など米国の友好国を標的とした書き込みも削除対象となった。 3カ月ごとに公表している世論誘導や誤情報などを調査・分析した報告書で判明した。このグループは、X(旧ツイッター)やTikTok(ティックトック)など50以上のSNSサービスを駆使。メタは、世論工作活動が「過去最大規模と推定している」2023年08月30日
2023.09.24
中国人研究者、廃水から有機染料を回収する新手法を開発9/24(日) 中国科学院理化技術研究所バイオ技術素材と界面科学実験室の研究者はこのほど、完全分散性で親水性と疎水性の二つの性質を持つ微小粒子を作ることで、廃水から有機染料を回収することを実現する新たな手法を開発しました。 現状における染料廃水の一般的な処理方法は、生物分解法などで廃水に含まれた有機染料の大部分を除去するやり方です。しかし染料除去が不徹底で、発生した汚泥が二次汚染をもたらしやすいなどの問題があります。 中国科学院理化技術研究所の王樹涛研究員が率いるチームはここ数年、乳液界面での重合を利用した表面に異なる構造を持つ微粒子を作り出す新しい手法により、高効率の分離という応用分野で一連の革新的な成果を獲得しました。より具体的には、まず表面に親水性の部分と疎水性の成分を交互に持つ微粒子を作ります。親水性の部分は荷電基と容易に結びつき、その荷電基は粒子間に静電気による反発作用をもたらします。そのことで、微粒子は溶媒中でよく分散します。この独特な高度分散性を利用して、同チームは有機染料を含む廃水から染料を分離・回収する方法を考案しました。水中で染料は微粒子に吸着され、さらにろ過によって取り出した微粒子を有機溶媒に入れることで、染料を分離させます。有機溶媒からは蒸留により染料を回収することができ、染料を分離した微粒子は再利用できます。 イメージ図は、水中で染料を微粒子に吸着させ、ろ過分離した微粒子を有機溶媒中に分散させることで、染料を有機溶媒に溶かし、低温蒸留により染料を回収し、微粒子を再利用することを示しています。「親水性・疎水性異質微小球」と名づけられたこの微粒子による有機染料の回収方法は将来を有望視されています。有機染料を回収するには有機溶媒を加えるだけでよく、有機溶媒は簡単な蒸留で染料から容易に除去されます。この微粒子のような素材は環境汚染物処理や資源の回収利用など複雑なサンプルの分離分析分野で広く応用できるとみられています。中国初の大型宇宙望遠鏡「巡天」が開発中 「ハッブル」以上の性能2023年8月21日北京市内で行われた中国有人宇宙飛行プロジェクトの宇宙応用・発展状況説明会で、中国有人宇宙飛行プロジェクトの林西強報道官が中国初の大型宇宙望遠鏡の「巡天」が開発中であることを明らかにしました。「巡天」宇宙望遠鏡は中国宇宙ステーションの重要な構成部分で、宇宙全景の高精細画像を取得できます。アメリカのハッブル宇宙望遠鏡と同等の空間識別能力を持つ上に、視野角はハッブル宇宙望遠鏡の300倍以上です。
2023.09.24

二宮翁夜話巻の1【8】翁曰く、世の中に誠の大道は只(ただ)一筋(すぢ)なり。神(しん)といひ、儒(じゆ)といひ、仏(ぶつ)といふ。皆同じく大道(だいだう)に入るべき入口の名なり。或(あるひ)は天台といひ、真言といひ、法華(ほつけ)といひ、禅(ぜん)と云(い)ふも、同じく入口の小路(こみち)の名なり。夫(そ)れ何の教へ何の宗旨(しゆうし)といふが如(ごと)きは、譬(たと)へば爰(ここ)に清水(せいすい)あり、此(こ)の水にて藍(あゐ)を解(と)きて染(そ)むるを、紺(こん)やと云ひ、 此(こ)の水にて紫(むらさき)をときて染(そ)むるを、 紫(むらさき)やといふが如(ごと)し。其(そ)の元(もと)は一つの清水(せいすい)なり。紫屋にては我(わ)が紫の妙(めう)なる事、天下の反物(たんもの)染(そ)むる物(もの)として、紫ならざるはなしとほこり、紺屋(こんや)にては我(わ)が藍(あゐ)の徳(とく)たる、洪大無辺(こうだいむへん)なり、故(ゆゑ)に一度(ど)此の瓶(かめ)に入(い)れば、物(もの)として紺(こん)とならざるはなしと云ふが如(ごと)し、夫(それ)が為(ため)に染(そ)められたる紺(こん)や宗(しゆう)の人は、我が宗(しゆう)の藍(あゐ)より外(ほか)に、有難(ありがた)き物はなしと思ひ、紫宗(むらさきしゆう)の者は、我が宗(しゆう)の紫ほど尊き物はなしと云ふに同じ、是(これ)皆所謂(いはゆる)三界城内を、躊躇(ちうちよ)して出(い)づる事あたはざる者なり。夫(そ)れ紫も藍も、大地に打(うち)こぼす時は、又(また)元の如く、紫も藍も皆脱して、本然の清水に帰るなり。そのごとく神儒仏を初(はじ)め、心学(しんがく)性学(せいがく)等枚挙(まいきよ)に暇(いとま)あらざるも、皆大道の入口の名なり、此(こ)の入口幾箇(いくこ)あるも至る処は必(かなら)ず一の誠の道なり、是(これ)を別々に道ありと思ふは迷ひなり。別々なりと教(おしふ)るは邪説(じやせつ)なり。譬(たと)へば不士山(ふじさん)に登るが如し。先達(せんだち)に依(よ)りて吉田(よしだ)より登るあり、須走(すばしり)より登るあり、須山(すやま)より登るありといへども、其(そ)の登る処(ところ)の絶頂(ぜつちやう)に至れば一つなり、 斯(かく)の如(ごと)くならざれば真(しん)の大道と云(い)ふべからず。されども誠の道に導くと云ひて、誠の道に至らず、無益(むえき)の枝道に引き入るを、是(これ)を邪教(じやけう)と云ふ、誠の道に入らんとして、邪説(じやせつ)に欺(あざむか)れて枝道に入り、又(また)自ら迷ひて邪路(じやろ)に陥(おちい)るもの世の中少(すくな)からず。慎(つつし)まずばあるべからず。二宮尊徳先生は100年以上も前に、染物のたとえや富士山登山のたとえを使ってこう説かれていた。「世の中に誠の大道はただ一筋である。神といい、儒といい、仏という。皆同じく大道に入るべき入口の名前である。あるいは天台宗といい、真言宗といい、法華宗といひ、禅宗というのも、同じように入口の小道の名前である。何の教えとか、何の宗旨というようなことは、たとえば、ここに清水あって、この水で藍(あい)をといて染めるのを、紺屋といい、この水で紫をといて染めるを、 紫屋というようなものだ。そのもとは一つの清水である。紫屋にては、わが紫の妙(みょう)なる事は、天下の反物(たんもの)を染めるものとして、紫より尊いものはないとほこり、紺屋では、わが藍の徳たるや、広大無辺である、だから一度このカメに入れば、物として紺とならざるはなしというようなものだ、そのため、染められた紺屋宗の人は、我が宗の藍よりほかに、ありがたき物はないと思い、紫宗の者は、我が宗の紫ほど尊いものはないというのと同じである。これは皆いわゆる三界城内を、ためらって出ることができない者である。紫も藍も、大地にうちこぼす時は、また元のように、紫も藍も皆脱して、本来の清水に帰るのだ。そのように神儒仏をはじめ、心学、性学(せいがく)など数えるにいとまがないのも、みな大道の入口の名である、この入口がいくつあっても至るところは必ず一の誠の道である、これを別々に道があると思うのは、迷いである。別々であると教えるのは邪説である。たとえば富士山に登るようなものだ。先達(せんだち)によって吉田口から登るものがある、須走(すばしり)口から登るものがある、須山(すやま)口より登るものがあるといっても、その登るところの絶頂に至でば一つである。このようでなければ真の大道とはいえない。しかしながら誠の道に導くといって、誠の道(富士山の絶頂)に至らないで、無益の枝道に引き入ることを邪教という。誠の道に入ろうとして、邪説に欺れて枝道に入って、または自ら迷って邪路に陥いるものが世の中に少なくない。慎(つつし)まなくてはならない。」森信三先生が。「修身講義録」第17講の中で、生徒に「私の知っているある宗派の方が、常に外の宗派のことを悪く言っていますが・・・」と聞かれてこう答えられている。「たとえばここに一つの宮殿があるとします。そこに至る門はいくつもありましょう。しかしいざ入るとなるとやはり一つの門からでなければ、入るわけにはいかないのと同じでしょう。人間は、心も一つ、身も一つで、一人の人間が、同時に二つの門をくぐるわけにはいかないのです。それでどの門がよいかということになりますと、結局その人の性格にあったのが一番よいということになるのです。一宗の開祖とか。一つの学派の創始者といわれるような人は、いわば人間の挙通的な型の代表者であって、その型に属する一群の人々は、その教えによって、それぞれ自分の悩みを脱却することができるのです。つまり宗祖自身が悩みを免れた仕方によって、自分も救われるのです。そこで第三者の立場からは、どれが一番よいとは言えないわけです。王城の南に住むものは南門が一番近いというでしょうし、東に住むものは東門だといい、西、北それぞれの門が近いというでしょう。ではなぜ他宗をくさすかというに、どの宗派もそれぞれがよいと言ったのでは、まだフラついている初心者には、どの門から入ったらよいか、見当がつかないでしょう。そこで一つをとって他を捨てさせるために、時には他宗を譲る場合もあるでしょう。そしてそれが一宗の開祖といわれるほどの人でも、時に他宗の悪口を言うように聞こえる場合のあるゆえんでしょう。実は私も、この「教えと教えとの衝突」という問題では、ずいぶん長い間苦しみましたが、結局は唯一の真実を、色々の角度から捉えたものだということが分かったんです。そこでですね、自分の肌に合う、合わないということはいえますが、優劣となると簡単にはいえないというのが本当でしょう。ですから「他の宗旨は、どうも自分のような者にはしっくりこない。」といえばなんら差し支えないわけです。それを他宗はみな間違いだというから問題になるのです。いやしくも宗教と言われるほどのものは、みなそれぞれ真理をやどしているわけですから、どの宗教でもそれに徹しさえすればよいのです。」
2023.09.24

突然、全校生徒の1/3がインフルに なぜ9月に流行?「驚くほどの感染力」で体育祭も中止 9/22(金)愛知県の県立高校で異変が起きたのは、9月14日朝だった。発熱などの体調不良による生徒の欠席の連絡が、次々と入ってきた。校長「こんなに大勢の生徒から欠席連絡が入ることはありませんでした」最終的に、941人の生徒のうち301人がインフルに感染していた。この高校では9月11日から2日間、文化祭が開催され、13日からは体育祭が行われていた。多くの生徒が欠席したため、高校は県教委などとも相談して、休校の措置を取った。その日に行う予定だった体育祭も、中止になった。新型コロナの感染予防のため、昨年の文化祭では生徒全員にマスクを着用させたが、今年はコロナが5類に移行したことにより、そこまでの対策はとられなかった。文化祭の前も、学級閉鎖など集団感染の「兆候」はなかったという。「子どもたちはダンスをしたり歌ったりして、文化祭を楽しみました。それと、応援や声援ですね。そのなかにたぶん、インフルに感染した生徒がいたのだと思います。文化祭、体育祭を行うなかで感染が一気に広まった」 さらに校長は続けた。「このような学校行事を行う際、当日の朝に健康観察を自宅でやっていただいて、体調が悪い場合は無理をして登校しないように生徒や保護者にお願いしていました。ただ、生徒は学園祭を楽しみにしていますから、多少の無理をしてでも学校に行きたいという気持ちがあったと考えられます」「それは学校でインフルの集団感染が発生した際に、いつも聞く話です」 世界保健機関(WHO)重症インフルエンザ治療ガイドライン委員を務めた慶應義塾大学医学部の菅谷憲夫(のりお)教授は言う。「校長先生や教員は『こんなに感染者が増えるとは全く信じられない』と言う。ところが実際は、あっという間に感染が広まって、休校までいってしまう。特に今のようにみんなの免疫が落ちているときにインフルのウイルスが入ってくると、驚くほどの感染力を持ちます」 通常ならインフルは毎年流行し、ウイルスと接することで人間は免疫を保つ。ところが、日本では2021年と22年にインフルの流行がなく、国民全体で集団免疫が低下したと考えられるという。 さらに現在、流行しているのは主にA香港型のインフルだが、前回、日本でこの型のインフルが流行したのは19年4~5月が最後だ。「日本国民の多くは3年以上、A香港型インフルの流行に接していません。特に19年春以降に生まれたほとんどの乳幼児は、A香港型の抗体を持っていないことになります」 ところが、政府や国民に危機感はあまり感じられないと、菅谷さんは指摘する。「インフルに対する油断が広まっているようで、心配しています。新型コロナは大変な病気だっただけに、インフルはかぜと同じで、解熱剤を飲んで寝ていれば治る、大した病気じゃないよという意識を持つ人が増えているのではないでしょうか。高齢者や妊婦、幼児、心臓や呼吸器系の持病を持つ人は、必ずインフルのワクチンを打つべきです。それもできるだけ早く」
2023.09.24
習主席、日中韓サミット「適切な時期の開催歓迎」 韓国首相と会談9/23(土) 韓国が現議長国として年内開催を目指す「日中韓サミット」について、習氏は「適切な時期の開催を歓迎する」と表明した。沖縄 尖閣沖 中国海警局の船2隻 日本の領海に侵入2023年9月23日9月23日午前、沖縄県の尖閣諸島の沖合で中国海警局の船2隻が日本の領海に侵入し、海上保安本部が領海から出るよう警告を続けています。中国“全面輸入停止”で日本の漁業者に独自支援 在日アメリカ大使館が台湾、タイ、ベトナムのホタテ加工施設を紹介日本産のホタテは、アメリカに輸出される際、いったん中国に輸出し、殻むきなどの加工をすることが多い。中国の全面輸入停止措置により、アメリカへのホタテ輸出ルートが途切れてしまうことが懸念されていた。そこで、在日アメリカ大使館が、中国と同様のホタテ加工ができる3カ国、台湾、タイ、ベトナムにあるFDA=米国食品医薬品局に登録の加工施設を、東北や北海道などの漁業関係者らに紹介し、斡旋したことが分かった。こうした独自支援で、アメリカは、日米の結束を示すとともに、中国経由で輸入する日本産の海産物への影響を最小限に抑える狙いがある。エマニュエル駐日米大使「日本産海産物の全面禁輸という中国の行き過ぎた政治決断とは対照的に、米国は日本とともに立ち向かう」💛エマニュエル駐日米大使の実践力が素晴らしい!米・エマニュエル駐日大使 処理水放出で中国の対応に疑問「なぜ漁を続けるのか」2023/09/23 アメリカのエマニュエル駐日大使「中国は日本産の水産物を輸入禁止としたが、その発表後の9月15日には、日本沿岸で操業を行う中国漁船が同じ海域で再び漁を行っている」💛アメリカ本国から中国論評にクレームがついても、正しい事言い続ける勇気!エマニュエル駐日大使言行録を保存すべき(^^)「習近平主席の内閣はもはやアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなかった』のようになっていく。秦剛外相が姿を消し、ロケット司令官もいなくなった。李尚福国防相もこの2週間姿を現していない」「この失業率競争で勝つのは誰だろうか。中国の青年たちか、それとも習主席の内閣なのか」「李国防相が参加すべき行事に参加しなかったのは自宅軟禁のためか?? 軟禁の場所が混みあっていることだろう」「もし青年失業率30%を望んでいるなら、それは習主席最大の経済業績だ。しかし私なら、それを履歴書に書くのは控えるだろう」
2023.09.24
アジア大会でインド人選手の出場拒否 インド政府「差別的扱い断固拒否」抗議声明9/23(土) 中国で23日開幕したアジア大会にインドの選手3人が出場できず、インド政府は「差別的な扱いを断固拒否する」との抗議声明を出しました。中国の杭州市を中心に開催されているアジア大会には、45の国と地域から1万人以上の選手が参加しますが、インドメディアによりますと、武術競技で出場予定だったインドの選手3人が登録に必要な書類を受け取れなかった選手3人は、中国とインドが領有権を争う国境地帯にあるインド側の実効支配地域・アルナチャルプラデシュ州の出身でインド外務省は22日、「中国の計画的な妨害」によって選手が出場を拒否されたとする声明を発表。「居住地や民族に基づく差別的な扱いを断固拒否する」として中国側の対応に抗議しました。そのうえで、「アルナチャルプラデシュ州は昔も今も、インドにとって不可欠で譲ることはできない」と強調しています。中国外務省の毛寧報道官「開催国として、すべての国の選手が合法的な書類をもってアジア大会に参加することを歓迎する」「中国政府はいわゆるアルナチャルプラデシュ州を認めていない。中国の領土の一部だ」
2023.09.24

報徳記巻之六【1】下館候興復安民の良法を先生に依頼す衣笠大いに歡(よろこ)び言ひて曰く、主家(しゆか)連年艱難に迫り借財數萬兩(すうまんりやう)に及び元利之を償ふの道なし。年を經(ふ)るに隨(したが)ひ増借に至り、既に一藩を扶助することを得ざるに及べり。此の艱難を除かずんば、遂に災害並び至り亡國(ぼうこく)に比(ひ)せん而已(のみ)。君臣共に百計焦思(せうし)すと雖も凡慮の及ぶ所にあらず。我が君(きみ)之が爲(ため)に寝食を安んぜず、先生の高徳仁術の良法を聞き頻(しき)りに欣慕(きんぼ)し、尊諭を受け此の艱難を除き、一度(ひとたび)上下を安んじ忠孝の道を盡(つく)さんことを願ひ、某(それがし)に命じて國家(こくか)再興の事を先生に依頼せしむ。願くは先生下館(しもたて)上下の困苦を憐み、再復安堵(あんど)の良法を授け、我が君の心を安んじたまはん事を請ふと云ふ。先生曰く、某(それがし)此の三邑(いふ)に宰(さい)として此の民を撫育する事、猶(なほ)力足らずして君命を辱しめんことを恐る。何ぞ外(ほか)諸侯の託を受けて、其の艱苦を除くの餘力(よりょく)あらんや。曾(かつ)て小田原先君某(それがし)に此地の再興を委任せり。之を辭(じ)すること三年、而(しか)して命を下すこと彌々(いよいよ)切なり。予已(や)む事を得ず此の地に來(きた)り此の事を成せり。先君小田原領を再興せんとして屡(しばしば)余に問ふ。余曰く、小田原上下の勢ひ四時(じ)中の秋に當(あた)れり。夫(そ)れ秋なるものは百穀皆熟し周年中此の時を優(ゆた)かなりとす。小田原舊來(きうらい)の艱難少しく免れ下民の艱苦を知らず。賦税(ふぜい)を重くして目前の逸楽を好み國本(こくほん)を薄くして其(そ)の末葉(ばつえふ)を厚くすることを主とせり。之を病者に譬(たとへ)んに逆上(ぎやくじやう)の疾(やまひ)の如し。一身の氣(き)頭上に登り兩足(りやうそく)冷寒、氣(き)血下(しも)に回らずして遂に重病に至らん。之を治(ぢ)せんとせば上氣(じやうき)を下(くだ)し兩足(りやうそく)をして温暖ならしめ血氣(き)惣身(そうしん)に循環せざれば其の疾(やま)ひ治(ぢ)すべからず。然るに下部の厥冷(けつれい)を憂ひとせず逆上を以って幸(さいはひ)となさば、遂に一身を失ふの害を生ぜんか。今下民(かみん)艱難の米粟を度外に納めさせ、之を以て一藩の悦びとなす者何を以て之に異ならんや。危道に身を置き安泰なりとせり。此の憂ひを除かずんば不朽の平安は得難かるべし。夫れ治平(ちへい)の道如何(いかん)。上を損(そん)して下を益し、大仁(だいじん)を下し下民(かみん)を撫育し國民(こくみん)をして優(ゆた)かならしめば、逆上の憂ひ去り、國本(こくほん)固くして上下安かるべし。然れども一藩何ぞ民を憂ひ自ら艱難に安んずるの心あらんや。故に道は善美なりと雖も、當時(たうじ)の人情にては行はれ難し。自然艱苦の時至らば又行はるゝの時あらんか。強(し)いて秋節に臨み春陽の道を施さんとせば、事成らずして憂(うれひ)を生ぜんか。良法ありと雖も其の時にあらざることを如何(いかん)せんと言上せり。巻之六【1】下館候興復安民の良法を先生に依頼す衣笠は大いに喜んでこのように言った。「主家は連年艱難に迫られ借財が数万両に及んでいます。元利を償還する道がありません。年を経るに従って借金が増え、既に一藩を経営することができなくなっております。この艱難を除かなければ、ついに災害が並びいたって亡国となるに違いありません。君臣ともに百計・焦思すると雖も凡慮の及ぶ所ではありません。我が君がこのために寝食を安んずることなく、先生の高徳仁術の良法を聞いてしきりに欣慕し、御尊諭を受けてこの艱難を除いて、一度上下を安らかにし忠孝の道をつくすことを願って、私に命じ国家再興の事を先生に依頼させました。願わくは先生どうか下館の上下の困苦を憐んで、再復・安堵の良法を授けていただき、我が君の心を安らかにしてくださるようお願いします。先生は言われた。「私はこの三村に村役人としてこの民を撫育する事でさえ、まだ力が足らないため君命を辱しめてしまうことを恐れています。どうしてほかの諸侯の要請を受け、その艱苦を除く余力がありましょうか。かつて小田原先君(大久保忠真候)は私にこの地の再興を委任されました。これを辞退すること三年、そして命を下すことはいよいよ切実です。私はやむを得ずこの地に来たってこの事を成じたのです。先君は小田原領を再興しようとしてしばしば私に問われた。私は申しあげた。小田原上下の勢いは四時の中の秋に当たります。秋は百穀が皆熟し一年中で最も豊かであります。小田原藩は旧来の艱難を少し免れ、下民の艱苦を知りません。租税を重くして目前の逸楽を好んで国の本を薄くしてその末葉を厚くすることを主としております。これを病者にたとえれば逆上の病いと同様です。一身の気が頭上に登って両足が冷たく、気血は下に回らないで遂に重病に至りましょう。これを治そうとするならば上気を下に降ろして両足を温暖にし血気が体中に循環するようにしなければその病気は治らないでしょう。しかるに下部が冷え切ったことを憂慮しないで逆上を幸いとするならば、ついには一身を失うという害を生じましょう。今、下民は艱難して穀物を分度以上に納めさせて、これを一藩の喜びとなすことと何が異なりましょうか。危ないところに身を置きながら安泰であると思っています。この憂いを除かなければ不朽の平安は得ることはできないでしょう。それ治平の道はどのようかといえば、上を損して下を益し、大仁を下して下民を撫育し、国民をして豊かにするならば、逆上の憂いは去り、国の本は固くなって上下安泰となることでしょう。しかれども一藩どうして民を憂い、自ら艱難に安んじようとずる心がありましょうか。だから道は善美であるといっても、現在の人情では行うことが難かしいのです。自然と艱苦の時が至るならばまた行われる時もありましょうか。しいて秋に臨んで春陽の道を施すならば、事は成就しないで憂いを生じましょう。良法があってもその時でなければいかんともできません と言上した。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.23
黒海のロシア軍艦船、司令官死亡の情報後も攻撃継続 ウクライナ海軍ロシアはソロコフ司令官は生存と主張ウクライナ海軍の報道官が9月25日、ロシア海軍の艦船は、黒海艦隊を率いる司令官が死亡したとの見方が浮上した後も依然としてウクライナ側へ攻撃を仕掛けている。ただ攻撃自体は「惰性的」であり、指揮系統に問題を抱えた状態にあることが示唆される。現在ロシア海軍は軍のあらゆる行動を実際に統括する人物とその部下を失ったと主張。艦隊組織の中核部分が機能しない状態にあると説明した。続けて「確かに昨晩、黒海艦隊のロシア海軍艦は依然として惰性による攻撃を仕掛けていた」と認めたものの、その攻撃はさながら「鶏が首のない状態で走り回る」ようなものだとの見解を示した。「従って、現時点でロシア海軍は指揮系統に相当の問題を抱えている」ウクライナ当局はこれに先駆け、22日に実施した攻撃によりロシア軍黒海艦隊のビクトル・ソコロフ司令官を含む34人が死亡、100人以上が負傷したと発表ロシア黒海艦隊司令部にウクライナが攻撃、ロマンチュク大将ら複数の将官が重傷9/23(土)Romanchuk, Aleksandr Vladimirovich ウクライナ国防省情報総局のキリロ・ブダノフ局長は23日、クリミア半島南西部セバストポリの露軍黒海艦隊司令部を標的にした22日の攻撃で、少なくとも9人が死亡し、16人が負傷したと明らかにした。重傷者には、アレクサンドル・ロマンチュク大将など複数の露軍将官も含まれているという。・Senior Russian commanders have been left ‘seriously injured’ after Ukrainian missiles struck Vladimir Putin’s Black Sea Fleet headquarters.Colonel-General Alexander Romanchuk and Lieutenant General Oleg Tsekov were ‘seriously wounded’ when Storm Shadow missiles hit the Navy HQ in Sevastopol, according to Ukraine’s military intelligence chief Kyrylo Budanov.At least nine military personnel were killed and 16 wounded in the attack.‘Among the wounded is the commander of the group, Colonel-General Alexander Romanchuk, in a very serious condition,’ the spymaster told Voice of America.ウクライナのミサイルがウラジーミル・プーチンの黒海艦隊司令部を攻撃し、ロシアの上級司令官が「重傷を負った」。ウクライナの軍事情報長官キリロ・ブダノフによれば、アレクサンダー・ロマンチュク大佐とオレグ・ツェコフ中将は、ストームシャドウ・ミサイルがセヴァストポリの海軍本部を攻撃した際に「重傷を負った」という。この攻撃で少なくとも9人の軍人が死亡、16人が負傷した。負傷者の中には、グループの司令官であるアレクサンダー・ロマンチュク大佐も含まれており、非常に深刻な状態である」とスパイマスターはボイス・オブ・アメリカに語った。9/23(土)ロシア黒海艦隊司令部への攻撃、上層部含む数十人が死傷 ウクライナ特殊作戦軍が発表ウクライナ特殊作戦軍は9月23日、SNS「テレグラム」への投稿で、「Crab Trap(蟹の罠)」と名付けられた特別作戦がロシア海軍上層部の会合に合わせて行われたと説明。同軍の「大胆で念入りな仕事」により「時間を合わせた精密な攻撃」が可能になったと述べた。さらに「攻撃のためにデータが空軍に送信された。攻撃の詳細は開示可能になったら示す」とも記した。ロシア国防省は22日の攻撃で兵士1人が行方不明と発表している。The contribution of the Special Operations Forces on September 22 allowed for a successful strike on the headquarters of the Russian Black Sea Fleet where a meeting of the Russian navy bosses was being held at the moment in temporarily occupied Sevastopol. The operation was entitled Crab Trap.9月22日、特殊作戦部隊の貢献により、一時占領下のセヴァストポリでロシア海軍首脳会議が開かれていたロシア黒海艦隊司令部を攻撃することに成功した。作戦名は「蟹の罠」。
2023.09.23

9/23(土) 2024年ブレイクスルー賞、基礎物理学、生命科学、数学部門受賞者の業績生命科学部門で受賞した3チーム・米国のバイオ医薬品会社Vertex Pharmaceuticals(バーテックス・ファーマシューティカルズ)のフレデリック・ヴァン=ゴアとサビーネ・ハディダ、ポール・ネグレスクは、遺伝性疾患の治療に関する革命的業績バーテックスの科学者たちは1989年、小児に進行性の肺疾患を引き起こす嚢胞性線維症の原因となる遺伝的要因の1つを初めて特定した。現在、米国では約4万人がこの疾患に罹患している。遺伝的要因が発見された当時、この疾患の患者の平均余命は30年未満だった。米食品医薬品局(FDA)は2019年、バーテックスの研究者が開発した「トリカフタ(Trikafta)」を承認した。これは、同社が開発した3つの薬剤を組み合わせるトリプル併用治療法であり、原因となるタンパク質を修復する。注目すべき点は、90%以上の患者に効果があると考えられていることだ。・生命科学部門で受賞した研究者は、バーテックスチームの他にも2組いる。ペンシルベニア大学のカール・ジューンと、メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのミシェル・サドレインは、CAR-T細胞による免疫療法を白血病に対して初めて使用し、この療法を前進させた。この種の治療法では、患者自身の免疫細胞を採取し、遺伝子操作して、がん細胞を標的として攻撃させるようにする。この技術はがん治療に革命をもたらし、CAR-T細胞は現在、さまざまながんに応用され、感染症への応用も検討されている。・もう1組の生命科学ブレイクスルー賞は、独テュービンゲン大学のトーマス・ガッサーと、NIH傘下の研究所に所属するエレン・シドランスキー、アンドリュー・シングルトンに授与された。彼らは、パーキンソン病の発症につながるヒトゲノムの危険因子の解明に貢献した。さらに彼らの研究は、パーキンソン病は単一の原因ではなく、がんと同様に、さまざまな原因で発症する疾患群であると考えた方がよいという、パーキンソン病に関する現在の理解を深めるのに役立った。■数学部門のブレイクスルー賞コロンビア大学の数学者サイモン・ブレンドルは、微分幾何学の発見に対して受賞した。ブレンドルは特に、リッチフロー(Ricci flow)と呼ばれる概念に関わる数学的問題に関して重要な研究を行ってきた。■基礎物理学部門のブレイクスルー賞オックスフォード大学のジョン・カーディと、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校のアレクサンダー・ザモロドチコフは、基礎物理学における発見で受賞した。この2人の科学者は、場の量子論に重点を置いており、その研究は材料科学に実用的に応用されている。例えばカーディは、ある物質が絶対零度に近づくにつれて超伝導になる時期を予測するのに役立つ数式を考案した。
2023.09.23

札幌三人組の偕楽園の誓いとそのambitious内村第二九信に「三人組」という表記が登場する。本来の英文の手紙では「triumvirate」と表記されている。Triumvirateを辞書で引くと、「三人の連合政治、[集合的に] 三つ組,三人組、(古代ローマの)三頭政治」とある。 宮部、内村、新渡戸の三人は札幌農学校在学中から特に親交があり、「三人組」と呼ばれていた。卒業に際しては、札幌の偕楽園で三人で将来について誓い会ったという。新渡戸はこの誓いについて語る。「明治十四年の七月卒業式を挙げる頃、当時札幌の公園であった偕楽園の端に、宮部、内村と我輩と三人集って、社会に出るならば、いかなる事をなすべきやを、しんみりと話し合い、最も敬虔に祈って国と同胞との為に一身を捧ぐる旨を述べ合い、それぞれ進む道は異ならんも最大の目的はキリスト信徒として一生を全うすることであると述べ合った。それは四十九年前の事ではあったが、我輩の記憶には今なお昨日のごとく思わるる」(「クラーク先生詳伝」逢坂信忢p271)とある。内村はこの誓いを「生涯を二つのJ-日本とイエス-に捧げよう」と育てていくが、新渡戸にとっては「日本と日本国民のために一身を捧げよう」「キリスト信徒として一生を全うしよう」ということであり、それは「我、太平洋の橋とならん」という決意へと繋がる。宮部はこの誓いをさほど自覚的には受け止めなかったようである。新渡戸に言われて思い出す程度のものであった。宮部は札幌農学校に残り、札幌を「北のアゼンス」(Athens of The North)としようと常に言っていた。札幌を北の学術文化の中心地にしようというのである。内村は違った、北のエルサレム、つまり「キリスト教を日本化し、これをもって日本を救い、かつ日本国の世界における使命を果たさん」とし、札幌を北のキリスト教の聖地としたいと思った。それぞれの思いの違いが異なる道を行かせ、豊かに花開かせたともいえようか。 広井勇はこの偕楽園の誓いには加わっていないが、広井の一生もまた「日本と日本国民のために一身を捧げよう」「キリスト信徒として一生を全うしよう」という誓いの実現にほかならない。内村はその告別の辞で述べた。「人は事業でありません。性格であります。人が何を為したかは神より賜りし才能によるのでありまして、彼自身でこれを定めるのでありません。・・・広井君が工学に成功したのは君が天与の才能を利用したに過ぎません。然しながら、いかなる精神をもって才能を利用せしか、人の価値はこれによって定まるのであります。世の人は事業によって人を評しますが、神と神による人とは人によって事業を評します。広井君の事業より広井君自身が偉かったのであります。広井君は君の人となりを君の天与の才能なる工学をもって現したのであります。工学は君に取り付帯性のものでありまして、君自身は君の工学以上でありました。そして我ら君の友人にとりては君の性格、君の人となり、すなわち君自身が君の工学または工業よりも遙かに貴かったのであります。・・・事業のための事業にあらず。もちろん名を挙げ利をあさるための事業にあらず『この貧乏国の民に教えを伝うる前にまず食べ物を与えん』との精神のもとに始められた事業でありました。それが故に異彩を放ち、一種独特の永久性のある事業であったのであります。広井君は今その意義ある生涯を終わりて世を去られました。・・・残るは宮部金吾君と新渡戸稲造君と私との三人であります。これを思うて淋しさにたえません。私ども五十年前に高貴(ノーブル)なる生涯を誓うて共に学窓を出でました。そして神のお導きのもとにそれぞれその誓約に叛かざりし事を感謝します。為した事業の多少上下には差はありましたが、その賤しからざりし点においてはなおどの日本人中、何人にも譲らない積もりであります」(資料15p150-4) 広井の弟子たちには、「人類のための工学」を目指した青山士や台湾で今なお敬愛される八田與一らが育っていった。〇彼らは札幌農学校卒業後50年後、洗礼を授けたハリス牧師の墓を弔い、死後の再会を約束した。ボーイズ・ビー・アンビシャスを作成する過程で、内村鑑三、新渡戸稲造、広井勇らの書簡を読み込んだ。彼らは札幌農学校卒業後50年後、洗礼を授けたハリス牧師の墓を弔い、死後の再会を約束した。ボーイズ・ビー・アンビシャスは未完成で、宮部金吾、札幌農学校教授新渡戸夫妻、台湾における新渡戸稲造など構想はあるのだが、決定的なこれは世に出そうというほどの資料が出現しない。今、収集している資料でいったん刊行するか、『砂糖王鈴木藤三郎の報徳』刊行後考えようと🎵Dec. 1. — Joined the Methodist Episcopal Church through Mr. H.12月1日 ハリス氏を通じ「メソジスト」監督教会に入会した。The Rev. Mr. H. our beloved Missionary was again in the town, and we joined his church without scrutinizing pro and con of his or any other denomination. We only knew he was a good man, and thought that his church must be good too. われわれの愛する宣教師、牧師ハリス氏が再び町にあったそしてわれわれは彼の教派や他のいかなる教派についての賛否を吟味することなしに彼の教会に入会した。われわれは彼が善い人であることを知っていたに過ぎず、彼の教会もまた善くあるに相違ないと考えたのである。Dec. 8, Sunday. — In evening, had serious talks with the " seven brothers." We confessed our inmost thoughts to each other, and promised to bring about great reformations in our hearts.12月8日 日曜日 夜、『7兄弟』とまじめな話をした。われわれはわれわれの心底の思いを相互に告白し、われわれの心に大改革をもたらさんことを約束した。The best day we had had since we accepted Christianity. I believe we talked and prayed till long after midnight, for it was not many hours before the day dawned after we went to our beds. Everybody appeared like an angel on that night. The "spiny" Jonathan, the "knobby" Hugh, and the " Scroogy " Frederick were as round as the " globular " Francis on that evening. The skeptic Paul found no objections against such a Christianity. O for more of such a night like this ! Was that night more beautiful than this, when the angelic choir was heard in the heaven, and the Star of Bethlehem led the wise men of the East to the Infant Jesus !キリスト教を受けて以来、われわれがもった最善の日。はるかに夜半を過ぎるまでわれわれは語りかつ祈ったと思う、われわれが床についてから夜が明けるまでに幾時間もなかったからである。誰も彼もその夜は天使のように見えた。『とげとげの』ヨナタン、『こぶこぶの』ヒュー、『スクルージのような』フレデリックは、その夜は『球形の』フランシスのようにまるくあった。懐疑的なパウロはこのようなキリスト教に対しては何らの異議をも見出さなかった。ああ、この夜のような夜がさらに多くあらんことを!み使いの合唱が天にきこえベツレヘムの星が東方の賢者を幼な子イエスのもとに導いたあの夜は、この夜にまさって美しくあったか!内村鑑三日記 (日・4・p183)昭和三年(1928)六月二日(土)雨 ○ まず手初めに、わが同窓同級同室同信の友なる、在札幌、理学博士ドクトル宮部金吾氏に向けて左の電報を発した。 平和あれ。五十年間、君と共に信仰の道を歩みしことを神に感謝す 内村 午前十一時、東京在住の同時の受洗者、新渡戸稲造、広井勇とあわせて三人、これに加うるにわれらの兄分なる伊藤一隆、大島正健の両君を加え、すべて五人、大雨を冒して青山墓地に会し、故M・C・ハリス氏の墓前に詣(いた)り、花環を供し、自分は詩篇第九十、九十一篇を英語にて朗読し、続いて伊藤君が熱心あふるるの祈祷をささげた。「願わくは、われら、今ここに会するがごとくに、墓のかなたにおいて、一人も漏れなく会することを得しめたまえ」と君が祈りし時に、われら一同、強調せるアアメンをもって応ぜざるを得なかった。実に永久忘るるあたわざる聖(きよ)き会合であった。
2023.09.23

二宮翁夜話巻の1【7】 翁常に曰く、人界(じんかい)に居(ゐ)て家根(やね)のもるを坐視(ざし)し、道路(どうろ)の破損(はそん)を傍観(ぼうくわん)し、橋の朽(く)ちたるをも憂(うれ)へざる者は、則(すなわ)ち人道(じんだう)の罪人なり 今市の報徳二宮神社*「富田高慶日記」覚え一 大井村の姿、譬ば屋根屋来るを知て何の用意もせず坐して待つ。屋根屋何んぞ至らん。邑を起すそふだと見物して居る村方へ何ぞ求めて是より法を下さんや。(現代語訳)大井村の姿は、たとえば屋根屋が来るを知って何の用意もしないで坐して待っているようなものだ。屋根屋がどうしてこようか。村を起すそうだと見物している村へどうして求めてこちらから仕法を下そうか。〇2006年5月15日 今から17年前に K.S.さんに誘われて読書会の発足に参加した。趣旨がKさんが若い人を中心に育てようということだったので、せっかく誘ってくれたのが、嬉しくて、最初の一回だけ参加する心積もりだった。意見の中で、森信三さんの予言を紹介した。「日本民族中、ある意味では最大の偉人ともいうべき二宮尊徳の思想と精神が、21世紀を迎えるにあたり、われら日本民族の指導原理として、再び脚光を浴びるのもそう遠くはないか、と思われるのである。」「そういえば最近二宮尊徳についての本や番組が目につきますね。」とSさん。「うん、『その時、歴史が動いた』でも『二宮金次郎 天保の大飢饉を救う』として尊徳先生の救済活動を讃えていたしね。最近は少年金次郎ではなくて、村の復興や藩の再興にあたった二宮尊徳の建て直しに注目が集まっているんだね。尊徳先生は、四つの道を説かれた。天地の道、親子の道、夫婦の道、農業の道、この4つの道はいずれもお互いに喜び悦ぶ道だ。天は地を照らし、地は万物を育てはぐぐむ。親は子を慈しみ、子は親を慕う。夫婦相和して子孫が相続する。農夫が心をこめて植物を育て、植物も繁茂する。互いに苦情がなく喜ぶばかりだ。商売もこのように行わなくてはならない。売るものが喜び、買うものが喜ぶ。賃借も同じだ。貸すものが喜び、借りるものが喜ぶ。万事このようにすれば間違いがない。」 〇湯原ダム湖に沈んだ小学校が出現 工事で水位低下、金次郎像台座も 二宮金次郎像の台座や鉄棒の支柱が、ここが学びやだったことをしのばせる。70年近く前、真庭市の湯原ダム湖に沈んだ旧二川村立維新小学校(同市黒杭)。ダムゲートの更新工事などで湖面の水位が下がり、ダム湖北西端の校舎跡が姿を現している。 基礎部や階段は風化が進み、古代遺跡のよう。金次郎像の台座は傾きながらも踏ん張っている。創立50年記念の門柱も湖面からのぞいていた。 地元住民によると、数年に一度、秋から春の渇水期に露出するというが「ここまで水位が下がり、はっきり見えるのは珍しい」。 維新小は1877(明治10)年に開校。1954(昭和29)年、湯原ダム建設に伴う精錬小(同市粟谷)との統合で二川小(同市種)となり、廃校になった。その二川小も2019年3月に閉校した。 精錬小OBの男性(81)は「近隣小中学校の合同体育祭は維新小で開いていた。当時は集落もにぎやかだった」と懐かしむ。 湯原ダム管理事務所によると、工事完了は2年半後で、渇水期ごとに水位を下げるという。天候などにもよるが、しばらくは往時をしのぶことができそうだ。二宮金次郎像の台座。
2023.09.23
ショベルカーを改造、地雷除去に活用 ウクライナウクライナ中部クリビーリフ(Kryvyi Rih)の軍事演習場で、エンジニアのビタリーさんは日立(Hitachi)のショベルカーを改造して造った地雷除去車の性能試験に臨んだ。 戦闘に見舞われた地域の住民は、不発弾や地雷などを効率的に探知・爆破処理する方法を模索している。 ビタリーさんの地雷除去車について知ったクリビーリフ当局は、市内での地雷除去支援を依頼。ビタリーさんは軍の地雷工兵部隊の司令官と相談し、地雷除去車に装甲を取り付けた。 ショベルカーのアームの先には、大きな防護板と重り付きの鎖が付いたローターがある。重りが地面にたたきつけられると、地雷は地中に埋設されている物も含め、爆発するか、破壊される。 発想自体が目新しいわけではないが、ビタリーさんは地雷除去車の国内生産を後押しし、高価な輸入車を使わなくて済むよう、政府の援助が受けられればと考えている。 軍の関係機関が先週行った性能試験で、ビタリーさんの地雷除去車は対人地雷10個と対戦車地雷5個の破壊に成功。部品の一部や防護板などが損傷したが、ビタリーさんはこの程度なら簡単に修理できると話した。 対人地雷の試験をする際は運転席に人が座ったが、対戦車地雷の除去ではリモート機能を用い、安全な距離を保って操作した。「ここでの地雷除去のスピードは、1時間に最大で2キロを想定している。(ローターの)幅は4.5メートルあり、毎時9000平方メートルをカバーできる。どんな地雷工兵でもこのペースでは作業できない」とビタリーさん。ただし、森林地帯など特定の地形には対応していないという。 当局の地雷除去専門家は、「作業員に代わるものはない。機械はどこにでも行けるわけではなく、あらゆる場所を見ることもできない」として、「目と手、それが何より最初に使うものだ」と指摘した。 その一方で、「畑などの広い場所なら、機械の方が速く進むことができ、大体うまくいく。われわれにも必要な物だ」と語り、当局でも入手予定だとしている。
2023.09.23

報徳記 巻之六 【1】下館候興復安民の良法を先生に依頼す常州(じやうしう)下館候(しもたてこう)は下館城附(しもたてじやうふ)壹萬(いちまん)三千石河内國(かはちのくに)に七千石合(がつ)して貮萬石(にまんごく)を領す。天明卯辰(うたつ)の凶荒以來戸数大いに減じ、収納の減少も亦之に准(じゆん)ず。上下の艱難甚くして一藩扶助の道も全からず。負債三萬餘金(まんよきん)に及び、一年の租税其の利を償ふに足らず。百計を盡(つく)すと雖も此の艱難を除き永安の道を立ることを得ず。上下大いに之を憂ふ。天保九戌(いぬ)年に至ては既に一藩扶助の道なきに至れり。領民の艱苦も亦推して知るべし。然るに先生櫻町三邑(いふ)再復の功蹟下民(かみん)撫恤(ぶじゆつ)の仁術を聞き、郡(こほり)奉行衣笠某(なにがし)をして櫻町に至り、上下の憂ひを除き永安の道を依頼せしむ。衣笠某(それ)其の性(せい)慈仁實直(じじんじつちょく)にして頗(すこぶ)る人望を得たり。國家(こくか)を憂ふること深きを以て君(きみ)此の大事を命ず。衣笠某(なにがし)君命を奉じ櫻町に來(きた)り先生に見えんことを請ふ。先生事務暇(いとま)あらざるを以て之を辭(じ)す。再三請ふと雖も見(まみ)ゆることを得ず、下館に歸(かへ)り言上して曰く、夫れ賢人に逢(あ)はんことを求ると雖も見(まみ)るを得ざるもの古今の常なり。貴(たつと)きを以て賤(いや)しきに下るものは其の賢を貴ぶなり。今君命を奉じ彼の地に至ると雖も二宮固辭(こじ)して逢わず。其の賢益々(ますます)明白なりといふべし。再三往(ゆ)きて君(きみ)の敬禮(けいれい)信義を通ずるにあらざれば見(まみ)ゆることを得べからず。況(いはん)や國事(こくじ)の依頼を受けんや。某(それがし)二度(ふたたび)彼の地に至り君意(くんい)の切(せつ)なることを述べん而已(のみ)と。君(きみ)曰く、然り是(これ)予が誠不誠にあり。汝再三往(ゆ)いて信義を通ぜよ。是(こゝ)に於て衣笠再び櫻町に至り頻(しき)りに請(こ)ふて止まず。先生止む事を得ずして面會(めんくわい)す。 報徳記 巻之六 【1】下館候興復安民の良法を先生に依頼す常州(茨城県)下館候(石川近江守)は、下館城の1万3千石、河内国(大阪)に7千石あわせて2万石を領有していた。天明の凶荒以来、戸数大いに減じ、収納の減少もまたこれに準じた。上下の艱難ははなはだしく、一藩をまかなう費用も十分でなかった。負債は3万両に及んで、一年の租税でその利を償うに足りなかった。百計を尽くしたがこの艱難を除いて永安の道を立てることができなかった。上下ともに大いにこれを憂えた。天保9年に至って既に一藩を経営できなくなるに至った。領民の艱苦もまた推して知るべきである。しかるに尊徳先生が桜町三村を再復した功蹟や下民を恵む仁術を聞いて、郡奉行の衣笠兵太夫に桜町に赴かせ、上下の憂いを除いて永安の道を立てることを依頼させた。衣笠はその性、慈仁実直であり、大変人望があった。国家(下館藩)を憂えること深かったため君主自らこの大事を命じた。天保8年10月、衣笠は君命を奉じて桜町にき来て先生に面会することを求めた。先生は事務に暇がないとこれを断られた。再三求めたが面会することができなかった。衣笠は、下館に帰って次のように言上した。「それ賢人に逢うことを求めても面会できないのが古今の常です。貴い身分で賤しい者にへりくだるのがその賢を貴ぶゆえんです。今、君命を奉じてかの地におもむきましたが、二宮は固辞して逢いません。その賢はますます明白だというべきです。再三おもむいて君の敬礼信義を通ずるのでなければ面会することはできないでしょう。ましてや国事の依頼を受けることがありましょうか。それがしは、ふたたびかの地におもむいて君意の切実であることを述べましょう。」君は言われた。「しかり。これは予の誠不誠にある。汝は再三往って信義を通ぜよ。」ここにおいて天保9年9月、衣笠は再び桜町に至ってしきりに面会を求めて止まなかった。先生はやむを得ず面会された。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)
2023.09.22
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