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2024.05.26
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カテゴリ: 報徳
大日本帝国報徳第3号 明治25年5月20日発行
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◎遠江駿河両州結社由来の概誌(第1号の続) 駿河 中上喜三郎稿

安居院(あんきょゐん)浅田両翁の遠江国長上郡下石田村神谷氏に来り報徳の道を伝えられしは弘化三丙午年某月にして同村の有志者その教えに従いて一社を結び、大いに斯道を勤行せらる。又同国周智郡一の宮村字片瀬の依頼に応じて両翁の出張したるは同年の秋某月にして片瀬にもまた一社を設け、斯道を勤行することとなる時に、弘化四丁未年某月なり。是より近郷他村の斯道を與(あづか)り聞かんことを希望し、両翁の出張を請求するもの日に多く、斯道の普及は実にこの時に在りてその取締り方法の必要を感ずるに至りしなり。是に於て浅田翁は結社規則を編製せられたり(浅田翁自筆の社則今尚保存しありと云う)その後全部平田村の結社ありて漸次各郡に普及せり。是れ皆な嘉永元年以前なりとす(第一号参照)嘉永五年二月同郡森町の依頼により安居院翁これに赴き山中豊作(新村利助)氏方に滞在中激性の間歇熱に罹り七十余日の間病褥に臥したり。この病中に同家の分度を定め、子孫永安の仕方を定め、又森町結社のことを軮掌せらる実に両翁の丹誠なる事推して知るべきなり。その後安居院翁は浅田翁に丹誠なる事推して知るべきなり。その後安居院翁は浅田翁に別れ、独り駿州に来り、富士郡大宮町なる富士浅間神社に参詣し同神社大宮司富士又八郎氏を訪い斯道を説かれしに感ずる所ありてその仕法を翁に乞わる。翁為に数日滞在してその仕法を定め実施せられたりと云う。而して翁は全国庵原郡峯の陣屋に来り又連日滞在に及び斯道を訓諭すること懇且つ切なししかば聴くもの皆な感動し遠近相伝えて報徳先生と云う。ここに同郡大内村の農家荒木由蔵と云う人あり。常に農業を励み家株相応の身元あり。性質篤実忠信にして世に得難き人柄なり。然るに家族のもの病罹り年来不仕合打ち続き心労すること久しかりし同村に真言宗の寺あり。当時の住職を忠山和尚と云うて道徳高き知識なり。その初め相州に小田原某寺の住職なりしが、故ありてこの寺に転住せり。さきに小田原に在りし節、二宮先生報徳の事業を聞知(ぶんち)せり。而してこの寺は大内村の旦那寺にて幕府の朱印地を所有し村民を役するの格式を有せしに因り荒木氏も屡々同寺に出入したりしに忠山和尚も氏の人となりを賞し、寺侍同様に取り扱い、時として教えるに仏理を以てせり。かつて氏に語るに二宮先生の事を以てして曰く、この人報徳の教えを創め莫大の功業を起し因果応報の原理を正し、興国安民の方法を行う。既に小田原公の抜擢を受けたりと具さにその事を語りしかば、氏大いに感動しその教えを聴かんとするも得ず、空しく歳月を送る際、峯の陣屋に報徳の先生来れりと聞くや、即時に行きて翁に謁見を請えども許されず数日の間再三再四懇ろに請うて止まざりしかば、翁もその至誠に感じて面会し斯道の至教を講ぜらる。氏謹んでその教えを聴くこと連日連夜に及び、遂に翁を請うてその家に滞在せしめ同志と共にその教えを聴くこと数十日にして一社を設けたり。報徳の道駿河に行わるる是のことを嚆矢(はじめ)と為す。実に安政元甲寅年某月なりき(未完)





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最終更新日  2024.05.26 20:17:29
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