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2026.03.30
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カテゴリ: 坐禅
「永平家訓抄話」澤木興道 1-10

 こう冒頭にこの問題をあげておいて「石頭曩祖(のうそ)の当に明中に暗有るべしというを知らんと要すや」とあるのを参究しよう。さあ高祖は石頭和尚が、「当に明中に暗有るべし」というのを知らんと要すやと。「卓拄杖一下(たくしゅじょういちげ)」拄杖で「どすん」とやられた。その時大衆はどう受け取ったか知らないが、わたしは今これを説明してもはてしがない。結局ただ「明中に暗有るべし」というだけのことだ。回互中の不回互、不回互中の回互と何回いいなおしてみたって、どこまでもぐるぐるまいしてはてしがないだけで、どうしても、われわれの、その分別妄想をやめてしまわんことにはかたがつかない。それが卓拄杖一下、「どすん」の実物である。

もっと高尚な道がありますかとさらに問うと、石頭大師はところがあるというわけで「長空白雲の飛ぶを碍(さ)えず」と答えられておられる。これからみても、石頭大師の「当に明中に暗有るべしというを知らんと要すや」つまり同中に異ありで、そこの卓拄杖一下にー明と暗との間にみじんもすきまのない明即暗、暗即明、明と暗と、暗と明と、ここに明は明ながら明中に暗、暗は暗ながら暗中に明―そこの現ナマが具体的に躍動している。
 だから次に、「曩祖甚(なん)としてか道う、暗相を以て遇うこと勿れと。這箇(しゃこ)の道理を明らめんと要すや」さあ、明中に暗有りというたって、その暗相を以て遇うこと勿れ。明中に暗有りというたって、暗は暗ぎりでない、明は明ぎりでない。仏法無辺の道理というものは、見た通りでない。聞いた通りでない。そこに大乗仏教を表現するためにぼうだいな大乗経典が生まれたけれども、そんなことが現実にあるものじゃないから、これは嘘じゃと言う人がある。
 なるほど、眉間の白毫相の光が東方万八千の世界を照して、過去現在未来十方世界が一目に見えるようなものがあろうわけがない。そこで現実とあわんから嘘じゃというのである。それでは文芸ということがわからんことになる。こんな物わかりの悪い人間には、大乗仏教なんていうものがわかるはずがない。そういう手合いがなかなか多いから気の毒な話である。「曩祖甚(なん)としてか道う、明相を以てと。這箇の道理を明らめんと要すや、卓拄杖一下」これも妄想分別のはからいをみじんもまぜずに、まっすぐにこの躍動を見ねばならん。(「永平家訓抄話」p.235-237)





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最終更新日  2026.03.30 02:00:05


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