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「伊藤七郎平翁伝」鷲山恭平撰 その40
九 翁の終焉と建碑
翁の一生は道の為めに不惜身命の活動史にして、体躯頑健、元気旺盛、意思堅実、実に現代稀に見る所の模範人物なりしが、如何なる英物も寄る年波と病魔に襲われても、之に敵する能はず。明治二十八、九年の頃より胃病に苦しみ、後には今の刀圭界に持余ましものの胃癌と確診され、翁は再び起つべからざるを自覚するや、同三十一年七月に至り、自宅静養の為、副社長辞任を請はれしも、社員一同は深く之を惜みて、兎にあれ尚第二館に在つての摂養を懇望して止まず。依て爾来引続き同館に在りて療養しつつありしが、其間又口に報徳を絶たず。常に訪問の客に対して、「報徳の道、爾来益々盛ならんとす。余の生死の如き何等の関係なし。諸君夫れ努力せよ」と激励し、又没するの前数日、翁は水野信之助君を病床に招きて遺族に与ふる遺言状を筆せしむ。其子孫を誡むる趣旨懇切丁寧にして、言々句々赤誠を籠め、更に親戚連名宛にて其督励を依頼せり。斯く翁は我が生を終る際まで報徳の道に最善の努力を尽し、又子孫の為後事をも残る 隈 なく処置し、 所謂 る人事を尽して天命を待つ大悟徹底の下に、明治三十二年十二月九日午後三時三十分、享年七十二歳を以て第二館に逝けり。
葬儀は越えて十一日深見村自宅に於て、仮りに執行せられ、翌年二月九日本社第二館に於て社葬を以て本葬儀を執行せり。本社葬儀委員は永井五郎作、名倉太郎馬、八木良平、平野忠次郎、前嶋晴一、山本寸作の六氏にして、当日の導師は西有穆山大導師、海蔵寺尊陽師、金剛寺奠茶師其他十二ヶ寺の住職等僧侶三十余名の参列あり。会葬者は静岡県知事代理書記官池永端氏を始めとし、本県四課長伊藤悌蔵君、磐田郡長池田忠一氏及び町村報徳社長其他親戚知己の人々にして 無慮 二千余名、遠近より来り会し皆流涕長哭して、翁が多年斯道の為めに尽されし功を賞揚し、且つ翁と永き 泉下 の別れを惜みしは、誠に生前徳行の厚きを知るに足るべし。而して当日 柩 前に臨みて親しく 吊辞 を捧げし人々は、池永書記官初め十数氏にして、 吊辞 及び詩歌俳句は積んで柩前に 堆 く、実に当地に於ける稀有の盛葬なりしと云ふ。遺骸は同町金剛寺なる先人の 塋域 〔墓地〕に葬る。 謚 して、恭照院大報義徳居士と云う。
今其 吊辞 中二三を録す。〔 吊辞 、略 おわり〕
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