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2026.03.30
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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「伊藤七郎平翁伝」鷲山恭平撰 その40



 九 伊藤七郎平の終焉と建碑

 伊藤七郎平の一生は、道のために身命を惜しまない活動史であり、体躯頑健、元気旺盛、意思堅実、実に現代まれに見るところの模範的な人物であった。しかしどんあ英傑も、寄る年波と病魔に襲われても、これに敵することはできない。
 明治28、9年の頃から胃病に苦しんで、後には胃ガンと診断された。伊藤氏は再び起つことができないと自覚するや、同31年7月になって、自宅静養のため、副社長辞任を請われたが、社員一同は深くこれを惜んで、とくかくなお第二館にあって療養を懇望して止まない。よって以来引き続き同館にあって療養していたが、その間また口に報徳を絶たなかった。常に訪問の客に対して、「報徳の道は、以来ますます盛んにならんとしている。私の生死のごときは何らの関係もない。諸君それ努力せよ」と激励し、また没する日の数日前、氏は水野信之助君を病床に招いて、遺族に与える遺言状を書かせた。その子孫を誡める趣旨は懇切丁寧であって、言句は赤誠をこめ、更に親戚連名宛てにその督励を依頼した。このように氏は自分の生を終わる際まで、報徳の道に最善の努力を尽し、また子孫のため、後事をも残るくまなく処置して、いわゆる人事を尽して天命を待つ、大悟徹底のもとに、明治32年12月9日午後3時30分、享年72歳をもって第二館において歿した。

葬儀は越えて11日深見村の自宅において、仮りに執行され、翌年2月9日本社第二館において社葬で本葬儀を執行した。本社葬儀委員は永井五郎作、名倉太郎馬、八木良平、平野忠次郎、前嶋晴一、山本寸作の六氏で、当日の導師は西有穆山大導師、海蔵寺尊陽師、金剛寺奠茶師その他十二ヶ寺の住職等僧侶30余名の参列があった。会葬者は静岡県知事代理書記官池永端氏を始めとし、本県四課長伊藤悌蔵君、磐田郡長池田忠一氏及び町村報徳社長その他親戚知己の人々であり、およそ二千余名、遠近から来会し、皆涙を流して、氏の多年、この道のために尽された功績を賞揚し、かつ氏と永い泉下の別れを惜んだのは、誠に生前徳行の厚いことを知るに足る。そして当日柩の前に臨んで親しく吊辞を捧げた人々は、池永書記官初め十数氏であって、吊辞及び詩歌俳句は積んで柩前にうずたかく、実に当地における稀有の盛葬であったという。遺骸は同町金剛寺の先人の墓地に葬むる。おくりなを、恭照院大報義徳居士という。

今その吊辞中二三を録す。(略)  おわり

 九 翁の終焉と建碑

翁の一生は道の為めに不惜身命の活動史にして、体躯頑健、元気旺盛、意思堅実、実に現代稀に見る所の模範人物なりしが、如何なる英物も寄る年波と病魔に襲われても、之に敵する能はず。明治二十八、九年の頃より胃病に苦しみ、後には今の刀圭界に持余ましものの胃癌と確診され、翁は再び起つべからざるを自覚するや、同三十一年七月に至り、自宅静養の為、副社長辞任を請はれしも、社員一同は深く之を惜みて、兎にあれ尚第二館に在つての摂養を懇望して止まず。依て爾来引続き同館に在りて療養しつつありしが、其間又口に報徳を絶たず。常に訪問の客に対して、「報徳の道、爾来益々盛ならんとす。余の生死の如き何等の関係なし。諸君夫れ努力せよ」と激励し、又没するの前数日、翁は水野信之助君を病床に招きて遺族に与ふる遺言状を筆せしむ。其子孫を誡むる趣旨懇切丁寧にして、言々句々赤誠を籠め、更に親戚連名宛にて其督励を依頼せり。斯く翁は我が生を終る際まで報徳の道に最善の努力を尽し、又子孫の為後事をも残る くま なく処置し、 所謂 いはゆ る人事を尽して天命を待つ大悟徹底の下に、明治三十二年十二月九日午後三時三十分、享年七十二歳を以て第二館に逝けり。

葬儀は越えて十一日深見村自宅に於て、仮りに執行せられ、翌年二月九日本社第二館に於て社葬を以て本葬儀を執行せり。本社葬儀委員は永井五郎作、名倉太郎馬、八木良平、平野忠次郎、前嶋晴一、山本寸作の六氏にして、当日の導師は西有穆山大導師、海蔵寺尊陽師、金剛寺奠茶師其他十二ヶ寺の住職等僧侶三十余名の参列あり。会葬者は静岡県知事代理書記官池永端氏を始めとし、本県四課長伊藤悌蔵君、磐田郡長池田忠一氏及び町村報徳社長其他親戚知己の人々にして 無慮 むりょ 二千余名、遠近より来り会し皆流涕長哭して、翁が多年斯道の為めに尽されし功を賞揚し、且つ翁と永き 泉下 せんか の別れを惜みしは、誠に生前徳行の厚きを知るに足るべし。而して当日 ひつぎ 前に臨みて親しく 吊辞 ちょうじ を捧げし人々は、池永書記官初め十数氏にして、 吊辞 ちょうじ 及び詩歌俳句は積んで柩前に うずたか く、実に当地に於ける稀有の盛葬なりしと云ふ。遺骸は同町金剛寺なる先人の 塋域 えいいき 〔墓地〕に葬る。 おくりな して、恭照院大報義徳居士と云う。

今其 吊辞 ちょうじ 中二三を録す。〔 吊辞 ちょうじ 、略  おわり〕






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最終更新日  2026.03.30 03:00:04


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