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2026.03.30
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カテゴリ: 報徳記を読む
その大意を「富国捷径」へ書いておいたが、今またその詳細を記録してここに示しておく。



「人の家は、一時隆盛になっても、富栄していても、とにかく長久には続かないものです。
この富栄を永遠に続かせ、後世に至っても衰微することがないようにする方法がありますか。」

先生は言われた。
「陰徳積善にある」と。

また質問した。
「積善の家には、必ず余慶あり、不積善の家には、必ず余殃あり。
これは百木百草を肥沃の地に植えれば茂り、薄土に植えれば衰える。
また漬物のようなものでも、塩が多ければ夏の最も暑い時期を過ぎても味が変じない。
塩が少なければ、春の寒さがまだ退かないのに香りと味と共に損じてしまう。
一般の道理は明々了々に既にこの教えを聞いています。
然しながら親に善行があって、子が災いに罹り、また子が善人でも孫が栄えない。
この類いは世間を見るに、往々多いようです。
ここにおいて、まだ疑いがないとまでいききませんが、いかがでしょうか。」

先生は言われた。
「この理は非常に微かです。
およそ眼をもって見ることができない。
あなたは農者である。
だから今、農事でこれを譬えてみよう。
ここに一反歩の田があるとする。
土地は草深く収穫も薄く、平年の実りは一石に過ぎない。
しばしば収入が不足してしまう。
ここに良い農夫があって、この田を作るに、耕うんを精細にして、適切な時機に植え、懇切に培養を究めたので、秋に至ると、実りは必ずや二石を収穫する。
これは力を尽して耕し培養した功積であって、秋になって収穫の報いがあったものだ。
積善の家に、余慶あるというのも同じだ。
しかしながら来年また秋になって収穫があろうか。
一年の力を尽して耕しても、それは一年だけ秋の収穫の報いがあるのみである。
どうして一年の培養で、永年にわたって豊熟する道理があろうか。
一旦の善行は一旦の報いがあるのみだ。
一夕の隠徳は一夕の報いがあるのみだ。
どうして一回の善行で、余慶が子孫にまで及んだり、
一度の陰徳で、陽報が永久に及ぶという道理があろうか。
強いてこれを願うならば、家法を立ててこれを勤めるようにした方がよい。
当年の実りは、平年に倍する。
そのうち平年の実りの一石を常産と定めて、残った一石を、来年の耕うん、培養の資本に充てる。
また前年のように、耕うんと培養を尽すならば、また前年のような実りが必ずある。
年々このようにすれば、年々歳々、秋の収穫が豊熟することができることは疑いが無い。
これが良農の耕作の方法であって、解りやすく知りやすいであろう。
すなわち知りやすい道理であなたが理解しがたいという疑いを説いた。
ただ浅近の理としてゆるがせにしてはならない。
この道理で、家道を立てて、家法を制定し、私の教える推譲法を行うならば、千秋の栄えもまた期すことができよう。




◎左の逸話は先師の教訓中最も大切の遺法なれば予先年其大意をば富国捷径へ書せしめかど今又其詳細を記して茲に示す事となしぬれば老の繰言と見過さず深意を玩味せられよかし。福住正兄記す〔「報徳」第6号p3〕
或人先師に問て曰く人の家一時隆盛にして富栄なるも兎角長久には続かざるものなり。此の富栄を永遠に続かせて後世に至りても衰微すること勿らしむるの方法ありや。
先生曰く、陰徳積善に在り、と。
又問て曰く、積善の家には、必ず余慶あり、不積善の家には、必ず余殃あり。是則ち百木百草沃土に種(う)うれば茂り薄土に植うれば衰ふ、又漬物の如き、塩大きは三伏の暑を過れども味変ぜず、塩少なき、春寒未だ退かざるに香味共に損ずると、一般の道理明々了々既に教を聞けり。然と雖も親、善行ありて、子災に罹り又子善人にして孫栄へず此の類世間を見るに、往々多し。此に於て未だ疑ひなき事能はず、如何。
先師曰く、此の理甚だ微なり。凡そ眼を以て見るべからず。夫れ汝は農なり。今農事を以て之を譬へん。爰(ここ)に一反歩の田あり。ロ莽麁作平年の実法(みのり)、一石に過ぎず、屡々収入の不足を見る。爰(ここ)に良農夫あり。此の田を作りて、耕耘(こううん)を精細にし、時を以て是に植ゑ培養懇到を究めば、秋に至り、実法(みのり)二石を得る必せり。是即ち力耕(りょくこう)培養の功にして秋実の報(むくひ)なり。積善の家、余慶あるも同じ。然りと雖も来年又秋実あらんや。一年の力耕(りょくこう)は一年秋実の報(むくひ)あるのみ。何ぞ一年の培養を以て、永年豊熟すべき理あらんや。一旦(たん)の善行は一旦(たん)の報のみ。一夕の隠徳は一夕の報あるのみ。何ぞ一回の善行を以て、余慶子孫に及び一度の陰徳を以て、陽報永久に及ぶの理あらんや。強(しい)て是を願はゞ、法を立て是を勤めるより如かず。当年の実法(みのり)平年に倍す。其の内平年の実法り一石を以て常産と定め、残れる一石を以て、来年耕耘(こううん)培養の資に充(あて)、又前年の如く、耕耘(こううん)培養を尽さば、又前年の如き、実法(みのり)あらん事必せり。年々此の如くなれば、歳々、秋実を培して、豊熟を得ん事疑無し。これ良農耕作の術にして解し易く知り易し。乃(すなはち)知り易き理を以て汝が解し難き疑を弁ず。只浅近の理として忽(ゆるがせ)にすべからず。此の理を以て、家道を立て、法を制し我が推譲法を行はば、千秋の栄、又期せざらんや。
又問ふ、推譲の法、聞く事を得べきや。
先師曰く、汝の身代の分限を確乎と定むるに在り。故に我常に分限を定むるは、衆善の先、万善の源なりと云なり。譬へば千円の身代の者は五百円に分限を定め、生活を立て、五百円を推譲りて、国益を勤め、善をなすべし。八百円の者は、四百円の分限を定め、生活を立て、四百円を推譲るべし。五百円の者は、二百五十円の分限を定めて、生活を立て、二百五十円を推譲るべし。是を報徳推譲法と云ふ。書経に堯帝の徳を称して、欽明(きんめい)文思(ぶんし)安々(やすやす)、允(まことに)恭(うやうやしく)克(よく)譲(ゆづる)とあれと、眼目は只譲の一字にあり。如何となれば、若し人欽明(きんめい)文思(ぶんし)安々(やすやす)、允(まことに)恭くとも克(よく)奪(うばう)ならば、刑罰を免れざるの人なるべし。然れば譲の一字眼目なる明なり。何事も其の如く猟師の鳥獣を打たんと狙ふ様は実に鞠躬如(きくきうじよ)たりしも、気を屏めて息せざる者に似たりとも云べきなれど、是は称するに足らざる同じ。されば仁と云ひ、義と云ひ礼と云も皆推譲して、他の為にする名にして我が田にのみ水を引ては、何程恭くすとも、仁にあらず、義にあらず、礼にあらざるなり。古語に一家譲あれば、一国譲より興ると云へり。爰に今十室の邑あらん。一人能(よく)一衣をぬぎて、寒者(かんじや)の為に推譲(おしゆづ)る者ある時は、一衣の余りあり。若し十人譲に興りて皆一衣づつ推譲する時は、十衣の余りありて、隣村の寒者を救ふに足り、其の美事言ふべからず。然るに若し、心得違ひの者ありて、私欲心を発し、一衣を取らんと欲せば、忽(すなはち)一衣の不足を生ず。若し十人此の念を発せば、忽ち十衣の不足を生ず。奪わざれば飽ずと云に至れば則乱なり。治乱興廃の別るゝ所も又是なり。推譲の道豈大ならずや。知らずんば有るべからず。家産を多く持て、富貴安楽の人は其の富栄を永遠に続かせ、後世に至りても、衰微すること無からん事を願はゞ、分度を定めて、推譲法を行ふべし。此の法を立る時は只奢侈を止め、放埓(ほうらつ)を慎み、今年を来年に送るのみにて大善行はれ、譬ば右足を踏しめて、左足を進め歩行するが如く、縦令(たとひ)千里の遠きに到るも、顛躓(てんひつ)の憂ひなく、年数を経(へ)る及んでは、算勘数量も、及ばざる大業に至るは、鏡に掛けて見るが如し。されば上帝の愛護厚く、富栄永遠に続き後世衰廃なき事疑ひなきものなり。没後昇天して、神爵を受ん事も、極楽世界に往て成仏せん事も又疑ひ無きものなりと、諭されたり、勗(つと)めざるべけんや、勗(つと)めて行はざるべけんや。





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最終更新日  2026.03.30 06:27:33


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