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2026.06.25
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 沢木興道




心空境寂體如如 (心空し境寂にして体如如)
日下孤燈獨照時 (日下の孤燈独り照す時)
一色那邊機轉位 (一色那辺機位を転ず)
玉樓飛出鳳凰兒 (玉楼飛び出だす鳳凰児)


 わたしは接心のたびに、作務も一緒にやる。一緒に飯を食べ、一緒にならんで寝て、なにもかも一緒にー。だから、仏道の教えることは、その寝方、起きざま、顔の洗い方、着物の着替え方。だから、「事というは、儀なり、位なり、態なり」という。態度、形、相、この形の動きというものをまず大切にする。
 それだから、一生懸命に坐禅をするので、ただボウーっと坐っておるのではない。一生懸命に狙いを定めてやる。針のメドを通す。ザッとやったら通らん。一生懸命に狙いを定めてやれば一遍に通る。道というものもそれと同じじゃ。
「おれは寺へ行く」毎月来ってしようがない。「おれはいつでも行く」行ってもしようがない。「おれは五日おった」おってもしようがない。「おれは三十年この方沢木さんについて坐禅しておる」三十年しても、五十年しても同じことじゃ。一分間でもいいから、針のメドを通すように間違いなく入れる要領、坐禅もその通りである。
 ただする。道であることはただする。利害得失はない。妄想分別、利害得失のないのが非思量である。ただ道をもってする。それはつまり、坐禅というものは功利的であってはならん。わたしにおいては、坐禅することは三世諸仏、歴代の祖師と一枚になることである。それだから、坐禅はただ坐る。坐りさえすれば仏と続きである。真理と続きである。こういう意味である。
 ところで、この詩を読んでみると、「心空し境寂にして体如如」なんのためでもない。なんぞもしあるならばー。よう坐禅しておって、仏さんを拝んだとか、悟りを開いたとか。これはちょっと怪しいぞ。それは変態心理じゃ。よう臨終に、極楽浄土から阿弥陀さんが迎えにみえたという。それはちょっと臭い。当り前でいい。
大愚良寛の死ぬときがおもしろい。「世捨て人もこの苦しみがあるか」というたら、
 裏を見せ表を見せて散る紅葉
というた。どんな死にようでもある。「あんな死にようはしまい」そんなことは決めておけん。腹痛で死ぬこともある。そうすると、裏を見せ表を見せて散る紅葉。これは非思量であろう。どんな死にようはしまいとか。それは元からある通りでいい。なんぞ奇特というものがあるならば、それは暫時の光景じゃ。チカチカとしてしようがないとかー。夢みたいなものじゃ。夢で仏具屋の門を通ったようなものじゃ。なんでもない。そんな概念的なものは、あってもしようがない。
そうすると、なんにもいらん。心空し境寂にして体如如。われもない、かれもない。なんにもない。全宇宙ガラス張り。如如ということは、まあ今の言葉でいえば、主観が客観で、客観が主観、いわゆる主観も非思量、客観も非思量、宇宙も非思量、山川草木も非思量、そうすると、自分と坐禅が非思量、この非思量と非思量のぶっ続き、いわゆる波長が合う。天地と同根、万物と一体、そうすると眼前になんにもない。一知半解、位が高いとか、大きいとか、これを宇宙の大きいところから見たら、人間なんて地球に湧いたカビみたいなものじゃ。虫けらまで行かん。虫けらの睾丸にわいた黴菌の八つ切りみたいなものじゃ。
だから、「日下の孤燈独り照す時」なんにもならんことをする。縁の下の力持ちである。偉い人というものはー。偉い人というとおかしいが、とにかく本当のことをいえば、縁の下の力持ちより本当のことはない。功利的なことは本当のことでない。みな嘘ばかり、贋物ばかりである。
日下の孤燈、日中にお灯明をつける。このいらんことをするのが本当のことがある。それはお経を読めばお布施をくれるが、坐禅をしてもだれもお布施をくれん。日下の孤燈独り照す時、なんのためもない。なんにもならん。なんにもならんが広大無辺である。
「一色那辺機位を転ず」止まらず、滞らず。なんにもならんことが千変万化、縦横無尽。「玉楼飛び出だす鳳凰児」この玉楼の楼は、籠でなければならん。これは面山さんの聞解にある。そのなんにもならんものが活躍する。なんにもしておらん。ちょっともどうもしておらん。そのなんにもせんという世界から、鳳凰児が飛び出す。
鳳凰児というのは一体なにか。縁に対せずして照らす。それがそれなんである。なんにもならんことをしただけが、それが本当の道なんだ。なんぞにしたら、なんでもない話である。なんにもせんから、そこのところが貴い。(大智禅師偈頌講話p.71-73)





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最終更新日  2026.06.25 03:00:05


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