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2026.06.29
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 沢木興道



【坐中有感(三)】
衲被蒙頭休萬機 (衲被蒙頭万機休す)
心如墻壁眼如眉 (心は墻壁の如く眼は眉の如し)
一條古路長荒草 (一条の古路荒草を長す)
家破人亡何處歸 (家破れ人亡じて何れの処にか帰せん)


被(ひ)というものがある。例えば坐具のもう少し大きいのがある。つまり被というのは、長さ九尺、幅六尺。それをひっかけて、その間に紙を入れる。綿を入れるんではない。ちょうど紙の餡を入っておる。一つの長方形の着物ができる訳である。それを冬の寒いときに頭からかぶる。坊主の防寒着だ。これを「衲被蒙頭(のうひもうとう)」という。
冬になると、坐っておると風の滝のように首筋にスーッと入って来て、臍の奥までピンとする。わたしは横腹がキリキリ痛うなる。仕方がない。カイロを痛いところへあっちへ廻し、こっちへ廻しして、辛抱せんならん。それはシュッと来ると、のぼせ下がる。これを衲被蒙頭という。達磨さんがようかぶっておるあれである。観音さんがやっておるのはちょっと違うが、あれに類したものである。で、被をかぶって坐すということを、衲被蒙頭という。
坐禅というものは衲被蒙頭でなければならん。坐禅はなんにもしない。公案を考えるという。それは飴玉をしゃぶるのと同じことじゃ。趙州の無字とか、隻手の声とか、庭前の柏樹子とか、そんなことばっかり、そうして時間を費やす。そんなことはばっかり、そうして時間を費やす。そんなことは、ある訳がない。なんにもせん。坐禅の中は坐禅ばかり。なんにも内職を持ち込まん。たとえ仏書の暗記物でも、たとえ公案でも、何物も内職を持ち込ませない。ただ坐禅する。(大智禅師偈頌講話p.79-81)





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最終更新日  2026.06.29 01:00:05


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