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2026.06.29
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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この農場の面積は、約百町歩にわたる大農場であって、その中に16町歩を茶園を主として、果樹園14町歩(桃、柿、りんご、ぶどう、おうとう、みんな、びわ、くりなど)、野菜園12町歩、山林約50町歩があった。また、牧畜部には、乳牛60頭、馬11頭、鶏500羽などが飼育されていた。11戸の農大家族が農場内に住んでいて、農繁期には男女約100人の農夫や茶師が働いていた。
 藤三郎は、すでに商業に、工業に、植民地農業に応用して、非常な効果をあげた報徳の仕法を、ここで内地農業に応用して、わが国の全産業に対する報徳流の経営の規範を完成して、尊徳の遺徳に報いたいという念願を起したのであった。


藤三郎プロジェクトでは、第一集、第三集とも同学院と鈴木農場があった裾野市にある裾野鈴木図書館に寄贈した。図書館には現在、第三集と写真集が蔵書となっている。

 このたび、同学院のご好意で、不二農園など見学させていただくことになった。
 同学院事務長によると、鈴木藤三郎氏を記念するものはほとんど何も残っていないということだが、鈴木藤三郎が開設した鈴木農場の地に立ち、はるか富士山の眺めを見るだけでも意味のあることに思われる。楽しみである。

 今回森町から6人衆も参加されるが、ぜひご案内したいのが、鈴木藤三郎が鈴木農場開設の時に発見した桃園親王の石碑である。藤三郎はその石碑の隣に、発見の経緯を記した石碑を建てた。このことは「駿河土産」に詳しい。

 そしてその後、その石碑は二つながら桃園神社に移築された。それを昨年わたくしが発見した。将来、鈴木藤三郎の遺跡を記したマップが、森町で作成されることがあれば、この桃園親王石碑もまた載せてほしいという願いもある。後の世の人に鈴木藤三郎氏の未来遺産として伝えるために。


佐野農場碑鈴木藤三郎 007.jpg





※不二農園の歴史
裾野市の桃園地区に広がる不二農園は不二聖心女子学院のキャンパスと一体をなし、その歴史は、明治の初期、禄を離れた江戸幕府旗本7名が官有地払い下げを受け、農場を開墾し茶を捲いたことから始まる。その後、明治の頃、遠州森町生まれの実業家で、後に大日本精糖会社を設立した製糖業の第一人者、鈴木藤三郎氏に引き取られ、「鈴木農場」として茶のほか、果樹、酪農、造林にも手を広げた。さらに、大正初期、当時北浜銀行の頭取で関西財界の有力者であった岩下清周氏がこの農場を受け継ぎ、「不二農園」と改め、氏は近代農業に取り組む一方、私財を投じて地域の子供たちのために温情舎小学校(不二聖心の前身)を同地に設立した。その志は、長男でカトリックの司祭でもあった岩下壮一氏(当時、神山復生病院院長、温情舎小学校校長)に受け継がれ、戦後昭和20年、岩下家より、約21万坪におよぶ同農園が聖心女子学院に寄付され、今日にいたっている。(同年、温情舎小学校の経営も移譲された)不二農園は、その景観の見事さとともに茶摘の体験学習や植生研究の場としても活用されており、また、ここで作られたお茶は聖心各校の卒業生を中心に幅広く愛飲されている。





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最終更新日  2026.06.29 01:00:05


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