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ゴジラ映画は初代からヘドラ、ガイガン辺りまでが好きです。小さい頃、親にお願いして映画館に連れて行ってもらったり、TVでの放送を見たりしました。サザエさんの四コマ漫画で、カツオやワカメがサザエさんに「ゴジラ、ゴジラ」と映画館に行くことをお願いした所、サザエさんが「あじらに行って!」と言う話がありましたが、当時は私もそのような感じでした。いまだに覚えているのが、親に連れられてゴジラを見に行ったとき、映画館は超満員で、横も後ろも立ち見の人たちが重なり、スクリーンが全然見えない状態でした。父親が私を肩車して映画を見せてくれましたが、すぐに肩が痛くなり、降ろしてはまた肩車をすることを何度も繰り返しました。結局、ゴジラの姿を少し見ただけで、途中で帰りました。それでも、映画館に連れて行って、肩車をして映画を見せてくれたという事が嬉しく、ものすごく記憶に残っています。↑ 1954年の初代ゴジラ。↑ 古生物学者の山根博士、娘の恵美子さんと恋人の尾形さん。↑ 芹沢博士。開発した化学物質「オキシジェン・デストロイヤー」を持って水中に潜り、ゴジラと共に亡くなる。芹沢博士は恵美子さんの事が好きだった。↑ アンギラス。大阪城でゴジラと戦う。↑ キングコング。勝敗は引き分けとなる。↑ ゴジラ対メガロまで続く、ポスターに記された有名な五線譜。↑ 五線譜。↑ 迫力あるモスラ。↑ インファント島の双子。ザ・ピーナッツが演じている。「モスラーや、モスラー」という歌が流行った。↑ キングギドラ。造形として、美しい形。↑ ゴジラ、キングギドラ、ラドン、モスラ。↑ 糸を吐くモスラの幼虫。↑ X星人の役だった水野久美さん。 X星人の弱点は、防犯ブザーの音だった。ゴジラが「シェー」をした。↑ エビラ。 ザリガニ釣りをして家で育てていた。エビラを飼っているような気がした。↑ ゴジラの息子「ミニラ」。ゴジラに似ていないと思った。↑ バラン、ラドン、キングギドラ、ゴジラ、マンダ、ゴロサウルス、ミニラ、アンギラス、バラゴン、クモンガ、モスラの幼虫。↑ ヘドラ。 オタマジャクシを家で飼っていた。もしかしたらオタマジャクシが集まってヘドラになるかもと心配していた。↑ ゴジラ、キングギドラ、ガイガン。↑ ビオランテ。 芦ノ湖で花を咲かせるシーンを思い出す。
2018.06.27
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東京駅と日本橋の間にある常盤橋界隈が再開発中です。今年の2月から工事現場を囲むパネルに、「常盤橋ゴジラギャラリー」として歴代ゴジラ29作品のポスターが貼られています。東京駅近くの本屋に行くときは、必ず寄ってポスターを眺める事にしています。↑ 常盤橋ゴジラギャラリー。↑ 江戸時代、参勤交代で常盤橋から大手町門へ行くのが正式なルートだった。↑ 昔の常盤橋。↑ 古地図と常盤橋御門の場所。↑ 右「ゴジラ(1954年11月)」、左「ゴジラの逆襲(1955年4月)」↑ 右「キングコング対ゴジラ(1962年8月)」、左「モスラ対ゴジラ(1964年4月)」↑ 右「三大怪獣 地球最大の決戦(1964年12月)」、左「怪獣大戦争(1965年12月)」↑ 右「南海の大決闘(1966年12月)」、左「ゴジラの息子(1967年12月)」↑ 右「怪獣総進撃(1968年8月)」、左「オール怪獣大進撃(1969年12月)」↑ 右「ゴジラ対ヘドラ(1971年7月)」、左「ゴジラ対ガイガン(1972年3月)」↑ 右「ゴジラ対メガロ(1973年3月)」、左「ゴジラ対メカゴジラ(1974年3月)」↑ 右「ゴジラ対メカゴジラ(1974年3月)」、左「メカゴジラの逆襲(1975年3月)」↑ 右「ゴジラ(1984年12月)」、左「ゴジラ VS ビオランテ(1989年12月)」↑ 右「ゴジラ VS キングギドラ(1991年12月)」、左「ゴジラ VS モスラ(1992年12月)」↑ 右「ゴジラ VS メカゴジラ(1993年12月)」、左「ゴジラ VS スペースゴジラ(1994年12月)」↑ 右「ゴジラ VS デストロイア(1995年12月)」、左「ゴジラ2000(1999年12月)」↑ 右「ゴジラ X メガギラス(2000年12月)」、左「ゴジラ モスラ キングギドラ 怪獣総攻撃(2001年12月)」↑ 右「ゴジラ X メカゴジラ(2002年12月)」、左「ゴジラ X モスラ X メカゴジラ 東京SOS(2003年12月)」↑ 右「GODZILLA FINAL WARS(2004年12月)」↑ 右「シン・ゴジラ(2016年7月)」↑ 右「GODZILLA 怪獣惑星(2017年11月) 3部作の第一章」
2018.06.25
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近代映画1982年2月号に、1981年度日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞の記事がありました。1981年11月25日、東京プリンスホテルで第23回日本レコード大賞・部門賞発表会が行われ、ゴールデン・アイドル賞には「スマイル・フォー・ミー」の河合奈保子さん、「風立ちぬ」の松田聖子さん、「グッドラックLOVE」の田原俊彦さん、「ハロー・グッバイ」の柏原よしえさんの4人が選ばれました。そして大晦日には帝国劇場で日本レコード大賞が行われ、河合奈保子さんは青い服に金色の髪飾りを付けて「スマイル・フォー・ミー」を歌い、途中から松田聖子さん、柏原よしえさん、田原俊彦さんも奈保子さんを囲み、一緒に歌っていました。奈保子さんは1981年10月5日、渋谷のNHKホール「レッツゴーヤング」のリハーサル中にセリから4メートル下に転落し、腰椎圧迫骨折をしました。退院後も南アルプスの桃の木温泉で療養し、その後コルセットを付けたまま活動を再開しました。日本レコード大賞でもコルセットを付けながら歌っています。司会進行役の竹下景子さんが柏原よしえさんに、奈保子さんと親友だが、奈保子さんが怪我をしたときどうだったかと聞きました。よしえさんは奈保子さんを見舞いに行くと、辛いはずなのに「きゃー、よしよし」と言ってくれたので嬉しかったと話していました。奈保子さんとよしえさんは、「なおなお、よしよし」とお互いを呼び合う仲です。当時は日本レコード大賞が終わった後にNHKの紅白歌合戦が始まりましたが、紅白歌合戦で奈保子さんは白い服を着て「スマイル・フォー・ミー」を歌っていました。紅白初出場です。紅組の歌手やスクールメイツの皆さんが赤い服を着て奈保子さんを囲んでいました。黒柳徹子さんが奈保子さんを紹介する時、コルセットがまだとれませんが、こんなに元気になりましたと言っていました。西城秀樹さんの記事ですが、日本テレビの「ニューイヤーサラダ」という番組で、司会の西城秀樹さんと伊藤つかささんが、「セーラー服と機関銃」の封切で大人気の「薬師丸ひろこ」さんを迎えてトークをした事が書いてありました。薬師丸ひろ子さんは「野生の証明」、「戦国自衛隊」、「翔んだカップル」、「ねらわれた学園」に続いて5作品目の出演だったそうです。↑ 近代映画1982年2月号/株式会社近代映画社/昭和57年2月1日発行。1981年度日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞受賞者の4人。↑ 河合奈保子さん。↑ 柏原よしえさん。↑ 松田聖子さん。↑ 田原俊彦さん。↑ 西城秀樹さん、薬師丸ひろこさん、伊藤つかささん。
2018.06.23
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週刊ポスト/小学館/2018年6月29日号が発行されたので、すぐに購入しました。「袋とじ特別版 誰にも見せなかった河合奈保子」として、1987年秋にオーストリアのウィーン、チェコのプラハで撮影されてできた河合奈保子さんの写真集「トレフェン」の未公開カットが掲載されています。1987年12月に発行された、河合奈保子さんの写真集「Treffen/トレフェン」を持っています。奈保子さんのウィーン、プラハでの姿が撮影されています。奈保子さんが秋のウィーン・ベルヴェデーレ宮殿を散策したり、カフェ・ラントマン(CAFE LANDTMANN)でお茶をしたり、ホテルの部屋でくつろぐ奈保子さんの写真があります。プラハのヴルタヴァ川(モルダウ川)とカレル橋の写真もあります。この「トレフェン」には、本当に美しい奈保子さんのショットが何枚もあります。一番のお気に入りは、暖色のライトの中に、黒い服を着た奈保子さんがとても素敵に写っている写真です。奈保子さんは1987年10月26日、プラハの「第9回プラハ国際音楽祭」に参加し、着物姿で「十六夜物語」など持ち歌を歌いました。音楽祭は2年に1回開催され、世界20か国から24人が出場し、奈保子さんは3位に入賞するとともに、書記長賞、最優秀歌唱賞と3つもの賞を史上初で取りました。この辺りは、別の機会にまた書きたいと思います。↑ 週刊ポスト/小学館/2018年6月29日号。↑ 袋とじ特別版 誰にも見せなかった河合奈保子。↑ 2018年6月18日 週刊ポストの広告。河合奈保子さんの写真あり。 朝日新聞。↑ 河合奈保子写真集「Treffen」トレフェン/株式会社ワニブックス/撮影 武藤義/1987年12月25日発行。↑ 美しい奈保子さん。 (写真家の武藤義さん撮影)
2018.06.20
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家にある昔の雑誌ですが、「明星1981年4月号/集英社/昭和56年4月1日発行」に、河合奈保子さんが初めてアメリカ西海岸を旅行した記事が載っていました。まずは、ロサンゼルスからサンディエゴを目指し南下し、途中のアナハイムのディズニーランドで遊んだり、北に上がりサンフランシスコまで行っています。1980年6月にデビューした後に休みが無かったので、西海岸で8日間、休日を取ることになりました。海岸のキャンプ地でバーベキューパーティーをし、近所の人たちを招待することになりました。奈保子さんが「日本の歌手です」と自己紹介をすると、「日本では小学生が歌手になれるのか」と言われたそうです。サンフランシスコでは、ゴールデンゲートブリッジ、坂道のケーブルカーなど、観光を楽しみました。西城秀樹さんは1972年3月25日にデビューしてから10周年ということで、思い出の小物をプレゼントする企画がありました。色々なプレゼントの小物36点が紹介されており、葉書で応募したファンの中から各1名に抽選でプレゼントすることになっています。小物の中で笑ったのが、「目薬」です。「まだちょっと残っているけど、だいぶ古いんだよね。だから、使うのはやめましょうね」とコメントが書かれています。「スニーカー」も、「ボクってすぐ、かかとをつぶしちゃうクセがあるんだ。セッカチなんだろうね」と書いてありました。↑ アメリカ西海岸、ドエニービーチ(Doheny beach)での河合奈保子さん。↑ 明星1981年4月号/集英社/昭和56年4月1日発行。↑ ドエニービーチ(Doheny beach)での水着の奈保子さん。↑ 夕日のビーチを走る奈保子さん。↑ キャンパーでサンディエゴを目指す。↑ サンフランシスコの河合奈保子さん。↑ ゴールデンゲートブリッジ。↑ ケーブルカーの方向転換は、人力で行う。↑ 西城秀樹デビュー10周年記念 思い出小物いっぱいプレゼント。秀樹さんが乗っているおもちゃのベスパもプレゼント。↑ 小物を選んで、応募する。
2018.06.18
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家にある昔の雑誌ですが、「平凡1981年2月号/平凡出版社株式会社/昭和56年2月1日発行」に正月らしい記事が沢山掲載されています。華やかな着物姿の写真、冬の富士山を登る写真など、とても楽しい記事が続きます。西城秀樹さんと近藤真彦さんの対談では、冬山の富士山に登った事が書いてあります。近藤真彦さんは「たのきんトリオ」のメンバーでした。たのきんトリオは田原俊彦さん(トシちゃん)、近藤真彦さん(マッチ)、野村義男さん(ヨッちゃん)の3人で、3年B組金八先生に出演しました。マッチとヨッちゃんは平凡の撮影のため、生まれて初めて冬の富士山を登りました。すると偶然にも西城秀樹さんのグループも撮影のために富士山に登っており、途中で出会ったそうです。秀樹さんが写真撮影のため、寒い中、裸で写真を撮った事が書いてあります。富士山で偶然に出会った翌日に、平凡の対談が設定されており、富士山での出来事が話題になっていました。マッチが「きのうの富士山の時だって、あんな寒いのに突然裸になって仕事をするなんてビックリですよ」と書いてあり、記事を読む私もびっくりでした。河合奈保子さんは、晴れ着姿の写真や、富士急ハイランドのスケートリンクで、富士山を見ながら初滑りをする写真が掲載されていました。雨の中富士急を目指すと、目的地では快晴になったとの事です。奈保子さんは晴れ女で、中学時代も友人が旅行計画を立てる時、天気の心配をしなくても良いからという理由で、奈保子さんを必ず誘ったそうです。↑ 向かって左から、石野真子さん、河合奈保子さん、松田聖子さん。↑ 平凡1981年2月号/平凡出版社株式会社/昭和56年2月1日発行。↑ 河合奈保子さんと松田聖子さん。↑ 石野真子さん、河合奈保子さん、松田聖子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 上記雑誌より。「西城秀樹 VS 近藤真彦」。↑ 前日に偶然にも二人が富士山で会って驚いた事が書いてある。↑ 近藤真彦さん(マッチ)、野村義男さん(ヨッちゃん)が富士山に登る写真撮影をした。ーーーーーーーーーーーーーーー↑ 河合奈保子さんが富士急ハイランドのスケートリンクで、初滑りをする記事。
2018.06.16
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手元にある昔の雑誌ですが、「近代映画 ’82年新春特大号 1982年2月」に、西城秀樹さんがハッセルブラッドのカメラで三原順子さんを撮影している記事がありました。二人で会話をしながら楽しく写真を撮っています。河合奈保子さんは、着物姿やお正月風景を撮影した記事がありました。↑ エンジョイ 西城秀樹のカメラ・トーク Vol.2. 今月のゲスト 三原順子さん。西城秀樹さんがスウェーデンのハッセルブラッドカメラで撮影した。↑ 「近代映画2月号/近代映画社/昭和57年2月1日発行」。↑ 西城秀樹さんが撮影した三原順子さん。↑ 河合奈保子さんの着物姿。
2018.06.14
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昔の雑誌が少し手元にあるので見ています。「平凡/平凡出版株式会社/昭和56年3月1日発行」には、西城秀樹さんと河合奈保子さんの記事が掲載されていました。西城秀樹さんが新宿で、ハーレー会のハーレー・ダビッドソンに乗っていました。河合奈保子さんは、鎌倉の銭洗い弁天、長谷寺などを散策する小旅行をしています。↑ 新宿の高層ビルと西城秀樹さん。↑ 平凡/平凡出版株式会社/昭和56年3月1日発行↑ ハーレー会のハーレー・ダビッドソンと西城秀樹さん。↑ 鎌倉の河合奈保子さん。↑ 銭洗い弁天。
2018.06.12
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さくらももこさんの漫画「ちびまる子ちゃん」を全巻持っています。西城秀樹さんに関する部分があるので紹介します。なお、TVシリーズの「ちびまる子ちゃん」については、1991年4月から西城秀樹さんがエンディングソング「走れ正直者」(さくらももこ作詞/織田哲郎作曲・編曲)を歌っていました。↑ さくらももこさんの「ちびまる子ちゃん」1~16巻+2巻/集英社。↑ ちびまる子ちゃん(6)リボンマスコットコミックス/集英社/1990年1月17日↑上記本 その34「プールびらき」の巻。P22。まる子ちゃんが「ウォウッ かんげきィー」と言っている。ハウスバーモントカレーCMで、西城秀樹さんが「ヒデキ かんげきィー」という名セリフを言っていたので、それをもじったのではないかと思う。↑ ちびまる子ちゃん(11)リボンマスコットコミックス/集英社/1993年12月13日↑ 上記本 その74「ビートルズとずうとるび」の巻 P17。レコードショップ「すみや」に行き、はまじ、関口君、ブー太郎、永沢君、まる子が「ずうとるび」のレコードを買う場面。ブー太郎が「ヒデキもかっこいいブー」と言っている。↑ 上記本 その83「まる子”フェスタしずおか”へ行く」の巻 P153。まる子のお姉さんは、前日フェスタに行ったが、人が多く西城秀樹さんが良く見えなかったと言っている。また秀樹さんは連続10回もフェスタしずおかに来たとの事。↑ ちびまる子ちゃん(12)リボンマスコットコミックス/集英社/1994年12月12日↑上記本 その91「エイプリルフール」の巻。P135~136。まる子がお姉さんをエイプリルフールでだまそうと、TVにヒデキがでていると嘘をついた。
2018.06.10
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子供たちが飼育を放棄したアカハライモリとカメを、私が10年以上育てています。アカハライモリは水槽のふたを取ると、餌の時間だと分かるようで、すぐに水面まで泳いできます。カメは驚くほど水を汚します。毎日バケツ2杯分の水を入れ替えますが、翌朝になると、糞尿で水が汚れ、匂いが部屋に漂います。カメは綺麗好きなので、汚れた水は飲まず、衰弱してしまうと本に書いてあったので、必ず水は新しくしています。昔買った本で「別冊宝島 透明いきもの図鑑/編集協力 岩見哲夫(東京家政学院大学教授)/標本制作 有川佑介、岩見哲夫、平林民雄/執筆 伊藤弥寿彦、岩見哲夫、須田有輔(水産大学校教授)、田中元/株式会社宝島社/2010年6月21日発行」があります。美しい標本写真があり、眺めるだけでも楽しい本です。この本に、私が飼っているアカハライモリ、カメの透明標本が掲載されており、骨格が良く理解できます。以前、福井県立恐竜博物館に行ったとき、カメの祖先にあたると思われる中生代の巨大な亀形恐竜の骨を見ました。展示解説書を買い、時々見直しています。体が大きいと大変なので、今のように小型になったのだろうかと考えたりします。↑ 別冊宝島 透明いきもの図鑑 /株式会社宝島社/2010年6月21日発行。↑ 上記本P16。アカハライモリ。↑ 水がある場所で生活するような形になっている。(両生類)↑ イモリの腹を触るとブヨブヨで、確かに骨に覆われていない事が分かる。↑ 家のアカハライモリ。今朝見ると、首のまわりに脱皮の皮が巻き付いている。↑ かわいい目をしている。お腹には赤いまだら模様がある。↑ 後ろ足の指が、前に折れ曲がっている。↑ 後ろ足の指は5本。↑ 前足の指は4本。↑ 上記本 P17。 カメ。(爬虫類)↑ 固い甲羅と、しっかりした肋骨が見える。↑ 飼っているカメ。 時々ベランダで散歩させる。↑ 腹側の甲羅。↑ 腹側の甲羅。↑ 後ろ足の裏側。↑ 腹一杯になると、上機嫌で甲羅干しをする。↑ 福井県立恐竜博物館展示解説書/福井県立恐竜博物館発行/改訂第5版平成28年4月26日。↑ 上記本P177。プロトステガ ギガス。(中生代)↑ 上記本P177。アーケロン イスキロス。(中生代)
2018.06.09
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東京・上野動物園のオオワシです。身長は80㎝くらいあります。睨むような目つきが印象的ですが、足の太さも目を引きます。魚や小動物を足で捕まえます。
2018.06.08
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2018年6月3日夕方、神保町の「TOKYO MELONPAN」に行き、抹茶メロンパンを買いました。自分用に一つ買ったのですが、家で妻と娘が食べたいと言うので渡しました。中にクリームが入っており、美味しかったそうです。次はシナモン味が食べたいとの依頼がありました。夜まで神保町の古本屋巡りをし、三省堂と書泉グランデで本を買って帰りました。↑ TOKYO MELONPAN 神保町店。↑ 抹茶メロンパン。↑ 神保町の古本屋街。
2018.06.07
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2018年6月3日午後、東京国立新美術館で「ルーブル美術館展 肖像芸術 人は人をどう表現してきたか」を見に行きました。ヴェロネーゼの「美しきナーニ」の女性の絵は、どこから見ても視線が合わないという事で有名なので、実際に絵の前を右左に動きながら目に注目しました。ナポレオンのデスマスクを見ると、絵に描かれた顔から想像できないくらい別人に思えたり、アレクサンドロス大王の肖像を見ると、「アレクサンドロス大王東征記 上、下/アッリアノス著 大牟田章訳/岩波文庫」の内容を思い出します。このマケドニア王がギリシャ、シリア、エジプト、ペルシャ、インドまで進撃した話が書かれています。↑ 国立新美術館 ルーブル美術館展。手前から。①「赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像/サンドロ・ボッティチェリと工房」、②「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像/エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン」、③「女性の頭部/シリア・パルミラ出土」。↑ 手前から。①「棺に由来するマスク/エジプト出土、アメンヘテプ3世の治世」、②「アルコレ橋のボナパルト/アントワーヌ=ジャン・グロ」、③「女性の肖像、通称 美しきナーニ/ヴェロネーゼ」 ↑ 国立新美術館。↑ 真ん中の穴に顔を入れて記念写真が撮れる。↑ 棺に由来するマスク/エジプト出土、アメンヘテプ3世の治世。↑ 第2代メングラーナ男爵、ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネスの肖像/フランシスコ・デ・ゴヤ・ルシエンテス。↑ アルコレ橋のボナパルト/アントワーヌ=ジャン・グロ。↑ フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像/ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル。↑ 性格表現の頭像/フランツ・クサファー・メッサーシュミット。↑ 女性の肖像、通称 美しきナーニ/ヴェロネーゼ。↑ エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像/エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン。↑ 春/ジュゼッペ・アルチンボルド。
2018.06.06
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2018年6月2日(土)16時に、東京外郭環状道路(外環道)の三郷南インターチェンジから市川市の高谷ジャンクションまでの15.5キロが開通しました。今までのように環状8号線を通らず、あっという間に東京湾まで南下する事ができます。6月3日朝、妻と一緒に車で走ってみました。行きは地下の外環道を通り、帰りは地上の国道298号を通りました。写真は妻が撮影したものです。↑ 平成30年6月2日(土)16時開通。↑ 三郷南インターチェンジ~高谷ジャンクション。↑ 2018年6月3日 朝日新聞。都心部を経由せずに常磐・東北・関越道へ。↑国道298号へ進む。 ↑ 松戸インターチェンジ。↑ 地下に進む。↑ C3 東京外環道。↑ 市川南インターチェンジを出る。↑ 国道298号で帰る。
2018.06.04
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私の選んだ河合奈保子さんの甘い歌3曲は、次の通りです。①「街角」、②「ダブル・デイト」、③「I My Me Mine」。3曲とも私の人生とは縁のないシチュエーションで、曲を聴くと赤面するような感じがします。しかし、10代の頃はこれらの甘い曲に慰められており、私にとっては大切な歌でした。曲を聴くと、その頃の出来事や思い出が甦ってきます。上記の曲は、八神純子さん、竹内まりやさん、林哲司さん、竜真知子さん、馬飼野康二さんなどで作られています。(1)「街角」。 河合奈保子さんのアルバム「Summer Delicacy」の2曲目。/日本コロムビア/1984年6月。「街角」(八神純子作詞・作曲/鷺巣詩郎編曲)は、八神純子さんが作られました。私は八神純子さんの曲が大好きで、その純子さんがA面5曲を提供ということもあって、楽しく聴いています。「街角」は、20歳の女性の恋心を歌ったもので、「夏色のパンプスが~」と続くサビのところがお気に入りです。夏色のパンプスとはどんな色だろうと想像しながら聴いています。私が大学に入った年に発売されたアルバムで、学園生活やクラブの夏合宿などを思い出します。↑ 河合奈保子さんのアルバム「Summer Delicacy」/日本コロムビア/1984年6月。↑ 奈保子さんのアルバム「Summer Delicacy」は、A面5曲が八神純子さん作曲で、B面5曲は来生えつこさん、来生たかおさんが作っている。(2)「ダブル・デイト」 河合奈保子さんのアルバム「あるばむ」の2曲目。/日本コロムビア/1983年1月。「ダブル・デイト」(竹内まりや作詞・林哲司作曲)は、竹内まりやさんが作詞をしました。このアルバムA面5曲は竹内まりやさんが作詞(3曲は作曲)をしています。シングルカットされている「けんかをやめて」、「INVITATION」も収録されています。「ダブル・デイト」は、ダブルデートの準備と楽しいデートの1日を歌ったもので、「ひとときすごせばクラス仲間の~」と続くところが耳に残ります。曲の途中で奈保子さんの「ドキドキする」、「がんばろうね」と言葉が入り、楽しさを盛り上げます。デート先の名画座で見るのは「スターウォーズ」だし、デートはまるで「American Gfaffiti」みたいと歌っており、竹内まりやさんらしい歌詞だと思いました。(ちなみに、American Graffitiはアメリカの青春映画で、スターウォーズのジョージ・ルーカス監督が作りました)この「あるばむ」は、河合奈保子さんが初めてアルバムのオリコンチャートで1位を取りました。↑ 河合奈保子さんのアルバム「あるばむ」/日本コロムビア/1983年1月。↑ 奈保子さんの「あるばむ」は、A面5曲が竹内まりやさん作詞で、B面5曲は来生えつこさん、来生たかおさんが作っている。(3)「I My Me Mine」。 河合奈保子さんのアルバム「SUMMER HEROINE」の1曲目。/日本コロムビア/1982年7月。「I My Me Mine」(竜真知子作詞/馬飼野康二作曲)は、高校時代の思い出の曲です。河合奈保子さんはデビュー当時から好きでしたが、80年代は沢山の歌手が出てきたので、他にフラフラ流されていました。ところがこのアルバム「SUMMER HEROINE」の「I My Me Mine」を聴いたとき、自分が一番好きな歌手は奈保子さんだと改めて気付きました。高校の修学旅行では、信州の上高地、美ヶ原、富士山5合目まで行きました。ずっとこのアルバムをウォークマンで聴いていたので、「I My Me Mine」を聴くと、穂高など山の景色を思い出します。この年になり、時々山歩きをしますが、休憩時は「I My Me Mine」を繰り返し聴きます。曲のテンポが良く、疲れが吹き飛ぶ感じがします。この歌で一番好きなところは、「ひと雨ごと近づいてる そよ風のような恋」というサビの部分です。↑ 河合奈保子さんのアルバム「SUMMER HEROINE」/日本コロムビア/1982年7月。↓ A面。1曲目が「I My Me Mine」。↓ B面。↑ 奈保子さんの「SUMMER HEROINE」は、「I My Me Mine」、「ラブレター」、「夏のヒロイン」など6曲が竜真知子作詞/馬飼野康二作曲、「夏はSEXY」など2曲が伊藤アキラ作詞/尾関裕司作曲、1曲「アプローチ」は、竹内まりあ作詞・作曲。
2018.06.02
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