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2020年1月19日、東京国立博物館で髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)を見た後、即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀における服装を見ました。また、即位の礼に当たって、儀式の威厳を整えるために持つ、太刀、弓、やなぐい、ほこ、楯など、威儀物(いぎもの)の展示もありました。↑ 束帯(文官)/即位礼正殿の儀における服装。↑ 五衣・唐衣・裳(女官)。↑ 束帯(武官) 威儀の者。↑ 束帯(武官) 威儀の者。↑ 束帯(文官) 威儀物捧持者。↑ 鼓(こ)。↑ 弓(ゆみ)。↑ やなぐい。↑ 楯(たて)。↑ 楯(たて)。↑ 太刀(たち)。↑ 東京・上野にある東京国立博物館。
2020.02.06
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2020年1月19日、東京国立博物館に行き、「特別公開 髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)」を見ました。天皇陛下の即位礼正殿の儀が、皇居の宮殿において、10月22日午後1時から行われました。その儀で使用された髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)が展示されていました。↑ 東京国立博物館。↑ セキュリティゲートを通る。↑ 髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)の説明。↑ 髙御座(たかみくら)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 御帳台(みちょうだい)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 御帳台(みちょうだい)の後ろ側。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 髙御座(たかみくら)の後ろ側。
2020.02.05
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2020年1月19日、東京メトロ浅草線で浅草駅まで行きました。東京メトロ上野駅のコンコースでは宮田亮平さんのステンドグラス「上野今昔物語」を見ることができます。宮田亮平さんは金工作家で、東京藝術大学名誉教授です。「上野今昔物語」原画・監修 宮田亮平/ステンドグラス制作 クレアーレ熱海ゆがわら工房。「江戸時代、上野周辺は将軍家の菩提寺「寛永寺」の寺町として賑わい栄えました。文明開化と共に近代化の波の中、豊かな杜の中で、内国勧業博覧会や不忍池の周りでは弁天競馬場等が行われたり、人々が楽しみ集う場所となっていきました。街には鉄道馬車や市電が走り、上野・浅草間に東洋で初めての地下鉄、東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)が開業したのは、1927(昭和2)年。車両は1両、わずか5分の乗車時間にもかかわらず、長い行列ができプラットホームには人があふれました。その後に多くの文化施設が建設され、日本の文化の中心となりました。しばし、このステンドグラスの中で上野の今昔をお楽しみください」。
2020.01.29
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2020年1月13日、東京の国立新美術館に行き、「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展を見ました。ブダペスト国立西洋美術館とハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵の絵画、彫刻が展示されています。1994年3月に休暇を取り、車で中欧を旅しました。住んでいたオランダを出発し、ドイツ、チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、オランダと巡りました。事前に中欧国のビザを取得するのが大変で、仕事を抜けては各国の領事館に行き、申請をしていました。旅行中も国境を越えるごとに厳しい検問があり、厳しい検査や尋問を受けたことを覚えています。ホテルは予約していたものの、車で街に入ると自分がどこにいるのかが分からず、ホテルを探して途方にくれる状態でした。車の中で寝袋に入るのを覚悟していた頃に、偶然入った路地でホテルの看板を見つけて大喜びをした思い出もあります。車で移動中、ガソリンが切れてしまったらどうしようという恐怖がありました。当時、中欧諸国のどの辺りにガソリンスタンドがあるかを簡単に記した紙を入手し、地図とその紙を見ながら運転していました。ガソリンスタンドを見つけると、すぐに満タンにしながら走りました。夜に山道や田舎道を走ると、自分が今どのあたりにいるのかがわからなくなり、何度も車を停めては、地図と見慣れない地名を照合したりしました。ハンガリーの首都・ブダペストは「ドナウの真珠」と呼ばれ、ドナウ川の両側にあるブダ地区とペスト地区を結ぶくさり橋がライトアップされると、とても美しいです。当時、ナショナルギャラリーに行き、すぐに気に入った絵画がシニェイ・メルシェ・パールの「紫のドレスの婦人」や「ヒバリ」でした。シニェイ・メルシェ・パールはハンガリーの画家で、パリで絵画の勉強をしました。「紫のドレスの婦人」のモデルは、美人の奥さんだそうです。美術館の絵はがきを色々と買い、田舎の国別の絵はがきファイルに入れています。ブダペスト展で、他に気に入った絵は、ジュール・ジョゼフ・ルフェーヴルの「オンディーヌ」です。フランスの画家で、美しい女性の絵が多いです。「オンディーヌ」は水の妖精の事ですが、この絵の構図を見ていると、パリのオルセー美術館に飾られてあるドミニク・アングルの「泉」を思い出します。数年前、私の母親がブダペストへ遊びに行きました。とても美しかったと満足していました。↑ シニェイ・メルシェ・パール「紫のドレスの婦人」で、自分の奥さんを描いている。↑ 「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展/ 国立新美術館。↑ シニェイ・メルシェ・パールの「紫のドレスの婦人」。ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。↑ シニェイ・メルシェ・パールの「ヒバリ」。 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。青空にヒバリが飛んでいる。↑ ジュール・ジョゼフ・ルフェーヴルの「オンディーヌ」。ブダペスト国立美術館。下のドミニク・アングルの「泉」に構図がよく似ている。↑ ドミニク・アングルの「泉」。パリ・オルセー美術館。↑ アデルスティーン・ノーマンの「ノルウェーのフィヨルド」。ブダペスト国立美術館。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【ハンガリー・ブダペストを訪れた時の写真】↑ 1994年3月17日付けの記念写真。ドナウ川と旧王宮。↑ ドナウ川とくさり橋。↑ ハンガリーの美しい刺繍。↑ ハンガリーの踊りを見た。↑ レストランで仲良くなったアメリカ人観光者。文通をすることになり、パリで再会した。↑ 当時オランダで読んでいた雑誌。母親に頼んで、毎回日本からオランダまで送付をしてもらっていた。「La muse」No.39 ブダペスト国立美術館/1993年12月28日/講談社。↑ ブダペストの美術スポットの紹介。
2020.01.18
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2019年5月4日、東京丸の内で、「丸ノ内15丁目PROJECT」の「ラグビーベンチアート : RUGBY BENCH ART」を見ました。2019年ラグビーワールドカップ日本開催にちなんだ像は、下記3種類ありました。①「リーチ マイケル」、②中川家(剛、礼二)、③忍者。↑ 「リーチ マイケル」。生年月日/1988年10月7日、身長/189㎝、血液型/A型、体重/105kg輝かしい成績を残す日本ラグビー界を代表する選手。このベンチアートでは、彼の力強さとラグビーのもつ躍動感を表現。↑ ラグビーは、迫力だけじゃない。緻密な頭脳戦、国籍を超えた多様性、紳士たるフェアプレー、鍛え抜かれた人間性。「好き」になれる入口は、いくつもある。ここは、そんなラグビーの新たな魅力に出会える場所。ラグビーを通じて、みんながリアルに、バーチャルに、ひとつになれる街。ラグビーが好きな人も。今はまだそうでない人も。すべてのあなたといっしょに。この街から。↑ 中川家(左:剛(つよし)、右:礼二(れいじ))出身地/大阪。剛と礼二による漫才コンビ。1992年4月結成。現在に至るまで数々の漫才賞を受賞。現在もバラエティを中心に幅広く活躍中。中学、高校とラグビー部に所属しており、ラグビー好き芸人としても知られる。↑ 忍者。突如としてラグビーボールを頭に乗せて現れた謎多き忍者。ラグビーを陰ながら応援する任務を遂行中。任務/ラグビーの応援、出身/謎、得意技/忍び足、性別/おそらく男性。↑ 令和はじまるまるのうち。丸ノ内GWフェスティバル2019。 4月25日~5月6日。↑ 令和。↑ 東京駅大丸 「にほんのよきもの」。↑ 東京駅大丸 「にほんのよきもの」。↑ 東京駅。
2019.12.24
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2019年11月17日、千葉県松戸市の戸定邸(とじょうてい)で若宮正子さんの講演があり、妻と一緒に聞きに行きました。若宮さんは81歳でアプリを開発された方としてテレビやニュースなどで紹介されており、とても有名な方です。定年退職後にパソコンを始められ、エクセルアートで自分の小物や服などをデザインされました。スマートフォンのゲームは若者向けであり、シニア用ではないという事で、色々な方に教えていただきながら、ひな壇のひな人形を正しい位置に置く「ヒナダン:hinadan」というゲームを81歳で開発し、アップルのCEOであるティム・クック氏から世界最高齢のアプリ開発者として称賛されました。講演では、銀行勤務時代の話から始まり、エクセルでデザインを作り始めた事、ひな人形のゲームアプリ「ヒナダン」を作るのがとても大変だった事、北欧のエストニアは政府、行政、企業ともデジタル社会を推進しており、エストニアに行き、色々な勉強と交流をした事、若い人たちとの交流を続けていることなどの話を聞くことが出来ました。好奇心を持ち、創造的な生活をし、年齢は関係なく、思い立ったらすぐに始める事、フラットな人間関係を作る事など、刺激になる話が沢山ありました。↑ 若宮正子さんの基調講演。↑ 若宮正子さん。自分でデザインされた服を着用されている。↑ 人生100年を生きるということ。私は創造的でありたい。年齢は単なる数字に過ぎない。↑ 最初はエクセルアートを始められた。↑ 日本古来の文様からスタート。↑ 自分のデザインデータを業者に送付し、袋を作った。↑ 服のデザインもデータを業者に送り、服を作った。↑ iPhoneアプリhinadan(ヒナダン)を制作公開した。↑ プログラムを教えて頂いた先生とのやりとりが紹介された。↑ hinadan。↑ エストニアの紹介。↑ エストニアを訪問したときの写真。現地の方とエクセルアートのワークショップを行った。↑ 人生100年時代、フラットな人間関係を作る事。↑ 老いてこそデジタルを/若宮正子著。↑ 徹子の部屋(2019年11月20日放送)。
2019.12.22
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2019年8月11日、山口県・周南市美術博物館のまど・みちおコーナーで、まど・みちおさんの作品紹介を見ました。まど・みちおさんというと、すぐに「ぞうさん」、「やぎさんゆうびん」、「ふしぎなポケット」、「一年生になったら」の有名な歌を思い出します。まど・みちおさんは童謡や詩を書き続けた作家で、徳山(現周南市)の出身です。1901年(明治42年)に生まれ、2015年(平成27年)に101歳で亡くなられました。10歳の頃に徳山から台湾に渡り、25歳の時に絵雑誌「コドモノクニ」に作品を投稿すると、北原白秋さんが特選として選びます。1943年(昭和18年)34歳に台湾で入隊し、1945年(昭和45年)36歳の時、シンガポールで終戦を迎えます。帰還した後は婦人画報社に入社して「チャイルドブック」創刊の編集をします。「チャイルドブック」の発行が「国民図書刊行会」に移りましたが、約10年間携わりました。童謡「ぞうさん」がNHKラジオで流れたのは、1952年(昭和27年)43歳の時だったそうです。その後も、童謡、詩集、絵画を発表し続けました。↑ 周南美術博物館の「まど・みきおコーナー」。↑ 童謡「ぞうさん」の詩。
2019.12.08
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2019年8月11日、山口県周南市美術博物館にある「林忠彦記念室」を見ました。林忠彦氏は徳山出身の有名な写真家で、私も林さんの写真集を買ったりしていました。林忠彦記念室には、林忠彦氏が通っては文豪を撮影した、銀座の酒場「ルパン」が復元されており、記念撮影をすることができます。「夫婦善哉」で有名な織田作之助氏、「人間失格」の太宰治氏、「堕落論」の坂口安吾氏の写真が飾ってあり、娘と記念写真を撮りました。小説のふるさとシリーズで、「伊豆の踊子」の川端康成氏、「暗夜行路」の志賀直哉氏、「潮騒」の「三島由紀夫氏、「二十四の瞳」の壺井栄氏などの写真も見る事が出来ました。2018年、東京のフジフィルムスクウェアの写真博物館に行き、「時代を語る林忠彦の仕事」展を見ました。林忠彦氏の四男で写真家の林義勝氏が講演されたのを拝聴し、銀座の酒場ルパンで撮影された有名な太宰治氏の写真は、実はトリミングされており、本当はその右側に坂口安吾氏も写っているという話をされ、トリミング前の写真も見る事が出来ました。↑ 山口県・周南市美術博物館にある「林忠彦記念室」。↑ 林忠彦氏がよく通い文豪の写真を撮った、銀座の酒場「ルパン」を再現。↑「夫婦善哉」で有名な織田作之助氏、「人間失格」の太宰治氏、「堕落論」の坂口安吾氏。↑ 織田作之助氏。↑ 太宰治氏。↑ 坂口安吾氏。↑ 早速、記念撮影をする。↑ 林忠彦氏の撮影機材。「伊豆の踊子」の川端康成氏。「暗夜行路」の志賀直哉氏、「潮騒」の「三島由紀夫氏、「二十四の瞳」の壺井栄氏↑ 坂口安吾氏。↑ 井上靖氏。↑ 李香蘭から山口淑子へ。【林忠彦氏の写真紹介】 1918年(大正7年)、山口県徳山市(現周南市)の写真館の長男として生まれた。↑ 林忠彦氏。昭和9年 16歳。↑ 昭和12年 19歳。↑ 昭和17年~20年 24~27歳。戦時下は北京大使館の外郭団体として「華北弘報写真協会」を結成した。昭和20年(1945年)の終戦は北京で迎えた。↑ 昭和23年頃 30歳頃。↑ 昭和28年 35歳 二科会写真部創設のころ。向かって左から、東郷青児氏、乗松巌氏、林忠彦氏。↑ 昭和30年 37歳。ミス・ユニバース・コンテスト 日本代表高橋敬緯子氏と渡米。↑ 昭和46年 53歳。「日本の作家109人」出版記念パーティー 川端康成氏と。↑ 昭和55年 62歳 「長崎ー海と十字架」撮影中。↑ 昭和63年 70歳 ニ科会写真部創設会員。向かって左から秋山庄太郎氏、林忠彦氏、大竹省ニ氏、早田雄二氏。↑ 昭和63年 70歳。「東海道」取材 四男義勝氏と。箱根大涌谷。↑ 平成元年 71歳 「東海道」撮影取材。↑ 平成2年 72歳 写真店「林忠彦の時代」。会場 新宿コニカプラザ。
2019.12.07
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2019年8月11日昼頃、昼食のパスタを食べた後、家族で山口県周南市にある「周南市美術博物館」へ行き、「竹下夢二展~憧れの欧米への旅~」を見ました。私は竹下夢二さんが欧米で生活していた頃の絵画が好きです。今回、ドイツにて描かれた「着物の女」を初めとし、沢山の欧米で描かれた絵を見ることができました。多分、欧米での生活は大変だったのだろうと推測します。どの絵を見ても、女性は哀愁を帯びた表情をしています。↑ 山口県周南市にある「周南市美術博物館」の「竹下夢二展~憧れの欧米への旅~」。↑ 周南市美術博物館へ向かう。↑ 周南市文化会館と国道2号線。 合併前の名前は、徳山市文化会館だった。周南市文化会館のそばには徳山動物園、裏にはKRY山口放送本社がある。↑ ジョリーパスタに入ることにした。↑ 家族4人が、別々のパスタを注文した。↑ 食事をした後、周南市美術博物館の竹下夢二展を見に行く。↑ 周南市美術博物館。↑ 美術館の中。↑ 竹下夢二がドイツで描いた「着物の女」。↑ 休憩する親子。↑ 外遊スケッチ特集 夢二浪漫/中右瑛/神戸っ子出版。欧米での絵画が多く紹介されていたので、周南市美術博物館で購入した。
2019.12.06
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2019年の夏ですが、カルピスのブランドが100周年を迎えるので、「ピースはここにある・100周年スペシャルパッケージ」のカルピスが発売されました。かとうれいさん、Pomodorosaさん、米山舞さんがパッケージの絵を担当されています。夏や青春を感じるパッケージを見ると、無性に欲しくなってしまいます。かとうれいさんの「カルピスウォーター」パッケージですが、学生時代の夏の青春の一瞬を切り取ったような絵です。絵を見ていると、その後のストーリーを想像して、とても楽しいです。Pomodorosaさんの「濃いめのカルピス」パッケージですが、夏祭り、夏休み、里帰りの場面が描いてあり、懐かしい楽しさがあります。米山舞さんの「カルピス原液ボトル」パッケージは、家族が夜空を見ながらカルピスを飲む情景が描かれています。店で数本残っていたのですが、原液ボトルなので次にしようと思って買いませんでした。しかし、次の週に店に行くと、すでに売り切れでした。やはり迷ったときは買うべきだと後悔しました。かとうれいさんの「カルピスウォーター」パッケージ。Pomodorosaさんの「濃いめのカルピス」パッケージ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーWebを見ると、米山舞さんのメッセージとイラストが紹介されていました。買いそびれたカルピス原液ボトルのパッケージはこれでした。この家族はどんな会話をしているのだろうと、色々想像します。
2019.09.24
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私はマネの絵が好きですが、妻はモネの絵が好きです。昔、妻がパリで買った2枚の絵は、ひなげしやバラの絵でした。モネのような感じです。また、以前見に行った印象派展でも、モネの描いた「ベトゥイユの画家の庭」のパネルを買っていました。私がコートールド美術館展の「フォリーベルジェールのバー」がとても良かったと話すと、妻が見に行きたいと言うので、2019年10月5日に美術館へ一緒に行きました。上野の東京都美術館内では、お互い勝手に絵を見ることにしており、売店で落ち合う事にしました。後で妻に「フォリーベルジェールのバー」について聞くと、妻はルノワールが描いた「桟敷席」の方がはるかに良かったと言っていました。モデルのニニ・ロペスの方が良いとの事です。美術館を出た後、上野公園の「全国大陶器市」を見て、上野駅近くの「おぼん de ごはん」に行きました。「コンポ定食」(鶏肉のバルサミコ照り焼き&タラの味噌タルタル)を食べましたが、美味しかったです。↑ 昔、妻がパリの画廊で買った絵。 家の壁に掛けてある。↑ ひなげしの絵。↑ バラの絵。↑ 妻が買ってきた、モネの描いた「ベトゥイユの画家の庭」のパネル。↑ 2019年10月5日、上野公園の東京都美術館。オリンピックなどのテロ対策の訓練とのことで、入場者が手荷物検査を受けた。↑ 2回目の「コートールド美術館展」。↑ コートールド氏の自宅を再現してある。↑ 中央には、ルノワールの「桟敷席」がある。↑ 彫刻家である井上武吉(いのうえぶきち)さんの作品「my sky hole 85-2 光と影」を見る妻。↑ 上野公園の全国大陶器市を見ることにした。↑ 長崎の波佐見焼。↑ 大分県日田の小鹿田(おんた)焼き /やちむん(沖縄の焼き物)/琉球ガラス。↑ 岡山・備前市の備前焼。↑ 愛媛県の砥部(とべ)焼。↑ 上野駅の坂を下り、昼食場所を探す。↑ 上野駅が見える。↑ 上野駅近くの「おぼん de ごはん」。↑ 「コンポ定食」を選ぶ。「コンポ定食」(鶏肉のバルサミコ照り焼き&タラの味噌タルタル)↑ 上野駅で妻と別れる。
2019.09.21
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作家・池波正太郎さんといえば、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」など歴史小説が有名ですが、私は池波正太郎さんが書かれたフランス映画、ヨーロッパ旅行記を読むのが好きで、特に新潮文庫の「フランス映画旅行」は何度も繰り返して読みました。昔のパリはとても真っ黒な街だったが、今は白くなったという出だしから始まり、池波正太郎さんが50年もフランス映画を見続けてきた事、大好きな芸人(俳優)のジャン・ギャバンの人生を軸として、フォリーベルジェールやムーランルージュの事も書いてあります。フォリーベルジェールで有名な芸人である「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」、「ミスタンゲット」についても紹介されていました。池波正太郎さんはフランス映画を沢山見てきたので、初めてパリを旅行したときも、全然初めて来たような気がしなかったそうです。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したことが書いてあります。「フランス映画旅行」のP37に下記の記載があります。「だから去年、宝塚出身の上月昇(こうづきのぼる)がフォリーベルジェールに招かれて出演したら、パリジャンたちがびっくりして大喝采だったというんだね。そりゃそうだろう。上月ほどの芸人は一人もいなかったよ」↑ 持っている池波正太郎さんの本。↑ フランス映画旅行/池波正太郎/新潮文庫この本は本当にお気に入り。池波正太郎さんがフランスを旅行している間、まるで自分も一緒に旅行しているような気分になる本。フォリーベルジェール、ムーランルージュ、そしてジャン・ギャバン、ジョセフィンベーカー、ミスタンゲットなどのことが書いてある。↑ P35。池波正太郎さんが描いた「フォリーベルジェール」。↑ P35。池波正太郎さんが描いた「ムーランルージュ」。↑ P37。「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」↑ P46。 「ミスタンゲット」。↑ 私が買った絵はがきより。フォリーベルジェールの下の部分に、「NOBORU KOZUKI」とある。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したときのもの。↑ ドンレミイの雨/池波正太郎/新潮文庫池波正太郎さんがパリで行きつけだった居酒屋「B.O.F」がなくなってしまった事や、フランスを旅行したことが書いてある。藤田嗣治さんの礼拝堂も行かれていた(P83)。シンガポール、バリの旅行も追加されている。P129からP144は、フォリーベルジェールについての事が書いてある。↑ 旅は青空/池波正太郎/新潮文庫池波正太郎さんが、フランスとスペインを旅行したときのもの。旅行先の風景を描かれた絵も、カラーで紹介されている。↑ 私の歳月/池波正太郎/講談社文庫P147から「映画を楽しんだ40年」として、いかに時間を惜しんでは映画を見に行ったかが書いてある。そしてP151からは、大好きな映画俳優「ジャン・ギャバン」との架空対談をしている。↑ 池波正太郎のフィルム人生/池波正太郎/新潮文庫ジャン・ギャバンについて触れられている所がある。P171の「ゴルゴダの丘」、P200から「すぐれた映画というものは、人間の生活の原点のところを簡明に示しているね」↑ あるシネマディクトの旅/池波正太郎/文春文庫フランス紀行をまとめた本。↑ 映画を見ると得をする/池波正太郎/新潮文庫映画を観るということは「いくつもの人生を見る」ということだ。↑ よい匂いのする一夜/池波正太郎/講談社文庫池波正太郎さんが、日本と海外の良い宿を再訪して紹介している。↑ コートールド美術館展で購入した図録。「コートールド美術館展 魅惑の印象派/MASTERPIECES OF IMPRESSIONISM THE COURTAULD COLLECTION」/朝日新聞・NHK/NHKプロモーション。↑ マネの絵画/ミシェル・フーコー/阿部崇訳/ちくま学芸文庫。P181。「フォリーベルジェールのアルコール売りーその背中は鏡に映っている。だが、画家がうっかりしていたせいだろう。彼女とお喋りしているムッシュー、鏡に姿が写っているその男性は絵の中にいない。-われわれはその描き落としをここで修正しておかねばと考えた次第である」。↑ MANET PIERRE COURTHION. オランダにいる時に購入したマネの本。↑ EDOUARD MANET PIERRE COURTHION.HARRY N.ABRAMS, INC., Publishers, NEW YORK.↑ A BAR AT THE FOLIES-BERGERE. P124~125。↑ フォリーベルジェールのバーの説明文。↑ ジャニオはマネがこの絵(フォリーベルジェールのバー)を制作しているのを見ており、1907年4月10日発行の「グランドレビュー」に、この時の思い出を書いている。「私はマネの後ろにある椅子に座り、彼の仕事を見ていた。彼はモデルを描いているにも関わらず、モデルをそのまま模写している訳ではなかった。単純化していくという彼の偉大な才能を私は認識した。彼は女性の頭部を描き始めたが、決して見たままを描いてはいなかった。全てが凝縮されており、トーンが明るくなればなるほど、色がより輝いてきて、色値が均一になってきた。全てが軽く優しい調和を持った。私はチャップリンの事を話題にした。するとマネは、シャンペンボトルの口に巻き付けてある金の紙を細い線で描きながら、「彼はとても才能があるよね。そうだろ」と言った。他の人たちも私たちに加わると、マネは絵を描くのを止め、左側の壁を背にして長椅子に座った。そして私は、病魔がどんなに彼を蝕んでいるかを理解した。彼は杖をついて歩き、体には震えがあった。この絵は1882年のサロンに出品され、マネの最後の重要な作品となり、アーネスト・チェスノー氏(フランス美術評論家)の「鋭い批評賞」を受賞した。P34~P35。向かって左から、「ビールを飲む女性たち」、「ウェートレス」、「フォリーベルジェールのバー」、「フォリーベルジェールのバーメイドのモデル」、「イザベル ルモニエ」。↑ サンラザール駅/鉄道。 P92~93。↑ この絵も大好きな作品。女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。ものすごく魅力的に思える。ムーランはモデルをしながら、自分でも絵を描くようになった。↑ 草上の昼食。 P60~61。↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。↑ オランビア。 P62~63。↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。↑ オランビア(水彩画)。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P16。↑ 闘牛士の服を着たビクトリーヌ。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P15。↑ ビクトリーヌ・ムーランの肖像。 P58~59。
2019.09.20
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オランダに住んでいたときの部屋の中を撮った写真がありました。日付は1994年12月10日です。部屋には「フォリーベルジェールのバー」のポスターを貼り、いつも眺めていました。購入した絵画なども飾っています。色々な地域で買った土産は、オランダのイケアで購入した組み立て棚に並べました。土産類は今、田舎の家の中にある飾り棚に入れています。ムーランルージュ、クレイジーホース、リドなどのピンバッチもあります。いまだに、山登りをしたり、観光列車に乗った時も、ピンバッチが売っていれば、買ってしまいます。↑ オランダに住んでいたときの部屋の中。左上に、マネの「フォリーベルジェールのバー」のポスターが貼ってある。下には買った絵を並べている。↑ 買った絵。↑ 日本から持ってきた分解型自転車。休みになると、オランダやドイツなど、観光地を自転車で走った。黄色い布は、バルセロナのミロ美術館で買った。↑ オランダ・イケアで買った組み立て棚に、土産を置いた。↑ 左の扉には、スイス・ジュネーブのプチパレ美術館で買った、キスリングの「モンパルナスのキキ」のポスターがある。↑ 下には、絵はがきを入れたファイルが並ぶ。↑ 棚の上にある絵は、マネの「鉄道」。この絵も大好きで、ワシントンのナショナルギャラリーへ見に行った。舞台となったパリのサンラザール駅にも行き、この絵の場所はどこか、探してみた事がある。エジンバラのバグパイプ、ニューヨークのキングコング、南仏プロバンスの家の置物がある。↑ ムーランルージュとクレイジーホースのパンフレット、人形、バッジなど。↑ リド、パラダイスラティンのパンフレットと、リドのピンバッジがある。スウェーデンの人形、デンマークの人魚姫の人形、スロバキアのグッズが見える。↑ スイス・チェルマットのゴルナーグラートのパノラマ、ハンガリーの刺繍がある。↑ ドイツのビールジョッキ、各地の木彫りなど。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本の田舎の飾り棚に、ガラス板に区切って、国、地域別に土産を置いている。【パリ】↑ 山口の田舎に持って帰った土産。飾り棚の「パリ」の部分。↑ ムーランルージュの人形など。↑ フランス高速鉄道 TGV。(ベルギーの棚に入れている)↑ ムーランルージュとクレイジーホースのピンバッジ。↑ ムーランルージュのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのグッズ。↑ リドで買った、バッジセット。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。
2019.09.19
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オランダに住んでいた頃、色々な都市や美術館に行っては、絵はがきを買っていました。絵はがきの4隅を三角形のポケットシールで挟み、穴あき紙の両面に貼りました。絵はがきの下には説明文を書いています。フランスのファイルの中には、フォリーベルジェールやムーランルージュなどが写っている絵はがきも含まれています。フォリーベルジェールの絵はがきの中に、「NOBORU KOZUKI」とネオンライトがアップされている写真があり、これは宝塚歌劇団のスターだった「上月昇:こうづきのぼる」さんが、フォーリーベルジェールに出演された時のものです。1940年生まれの上月昇さんは、20歳で宝塚歌劇団に入り活躍をされます。30歳の頃に退団されますが、35歳の1975年から3年間、フォリーベルジェールの舞台で歌を歌われました。どのように歌われていたのか興味があり、この頃の映像が残っておれば、ぜひ見たいと思っています。ムーランルージュは赤い風車の絵はがきが定番ですが、ムーランルージュなどのポスター、出演者、踊子を多く描いたトゥールーズ・ロートレックの絵はがきもあります。街角で売っていた絵はがきの一部を紹介します。これ以外にも、パリの美術館にあるロートレックの絵や、南仏アルビにある「ドゥールーズ・ロートレック美術館」で買った絵画はがきも、別途ファイルしています。全部で何枚絵はがきがあるか、数えたことが無いのですが、結構沢山あると思います。国名ファイルの中は、各都市毎、美術館毎に絵はがきを分けています。日本に帰ってからも、旅行先の絵はがきを集めていたのですが、どんどんたまる絵はがきを整理するのが嫌になり、日本国内分は捨ててしまいました。しかし今思えば、残しておけば良かったと後悔しています。↑ 絵はがきファイル。「スイス①ふもと」、「スイス②山、アルプス」、「ドイツ①北」、「ドイツ②南」、「オランダ①南」、「オランダ②北」、「東ヨーロッパ」↑ 絵はがきファイル。「フランス①パリ、ルーブル、バーンズ(コレクション)」、「フランス②オルセー」、「フランス③オランジェリー、マルモッタン、ピカソ」、「フランス④地中海」、「イギリス」、「オーストリア」↑ 絵はがきファイル。「イタリア」、「ベルギー」、「スペイン」、「ポルトガル」、「アメリカ①N.Y.」、アメリカ②D.C.」↑ 絵はがきファイル。「スカンジナビア」残り2つのファイルは背表紙が無いが、ギリシャや小さい美術館の絵はがきや、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイなど、アジアの絵はがきを入れている。↑ フランスのファイルにある絵はがき。↑ ムーランルージュ。↑ クレイジーホース。↑ レビューの風景。↑ フォリーベルジェール、ムーランルージュ、リドの写真がある絵はがき。↑ フォリーベルジェールの写真だが、下に赤いネオンサインで「NOBORU KOZUKI」とある。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで1975年から3年間、舞台に出られた。この頃の上月さんの映像が残っていたら、ぜひ見てみたい。↑ 絵はがきのファイル。 左上はフォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ フォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ ファイルの絵はがき。↑ 「CASINO DE PARIS:カジノ・ド・パリ」のミスタンゲットのポスター。↑ フォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ ムーランルージュの絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ムーランルージュ・ ラ・グーリュ」のポスター絵はがき。女性はダンサーのラ・グーリュ(大食い)、男性は骨なしヴァランタン。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ジャンヌ・アヴリル」のポスター絵はがき。ムーランルージュの別館であるシャンゼリゼ通りの「ジャルダン・ドゥ・パリ」で、ダンサーのジャンヌ・アヴリルが足を上げてカンカンを踊る構図。右下は、コントラバス奏者の姿。↑ ファイルの絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ディバン・ジャポネ」のポスター絵はがき。演芸喫茶カフェ・コンセール「ディバン・ジャポネ(日本の長椅子)」の中で、ダンサーの「ジャンヌ・アヴリル」が、ショーを見ている。左上にある舞台には、歌手のイヴェット・ギルベールのひょろりとした体と黒い手袋が見える。↑ ムーランルージュのポスター絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「トゥループ・デ・ミル・エグランティン」のポスター絵はがき。ジャンヌアヴリルとダンサーのメンバーが、ロンドンで公演をするために作成されたポスター。↑ エグランティン、ジャンヌアヴリル、クレオパトラ、ガゼルの4人。↑ トゥールーズ・ロートレックのポスター絵はがき。演芸喫茶カフェ・コンセール「アンバサドゥール」のポスター。モンマルトルのシャンソン歌手である、アリスティッド ブリュアン。↑ 「ラ・ルヴュ・ブランシュ」の雑誌の表紙に、ロートレックの絵が掲載された。↑ サラ・ベルナール。フランスの舞台女優。
2019.09.18
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コートールド美術館に展示されている、マネの「フォリーベルジェールのバー」は大のお気に入りです。オランダに住んでいたとき、パリによく遊びに行きました。午前中は美術館巡りをし、午後はモンマルトルやモンパルナスの画廊を回ったり観光をしたり、夜はナイトショーを見るのが楽しみでした。「フォリーベルジェール」、「ムーランルージュ」、「クレイジーホース」、「リド」、「パラダイスラティン」を繰り返し見ました。きらびやかなレビューに見とれていました。ナイトショーの予約が取れなかったときは、モンマルトルにある「ラパンアジル」に行っては、歌手の歌うシャンソンを聞いていました。初めてパリに行った時に見たのは「ムーランルージュ」でした。事前に電話で予約をしたのですが、22時からのショーは予約が取れず、24時から2時までのを予約しました。初めてムーランルージュのショー「フォーミダブル」を見て、音楽とショーの楽しさに大興奮でした。夜の2時にショーが終り、すぐにホテルに帰れば良かったのですが、通りを歩いていると、「ビール一杯、安いから」と客引きの誘いに乗り、店に入りました。ビールを飲んで女性と話をしていると、いきなりテーブルに請求書が置かれ、円に換算すると、60万円相当のフラン額が書いてあり、びっくりしました。支払いを拒否して大声をだすと、別の部屋に連れていかれてドアを閉められ、大変な思いをしました。パスポートやクレジットカードはホテルの金庫に入れていたので、小銭しか財布に入れておらず、体中をチェックされましたが、金もカードも無いと言いつづけました。朝の4時くらいになり、もう店を閉めるからということで、結局何も取られずに店を出ることができました。5時頃に北駅そばのホテルに着いて、受付の人を起こして鍵を貰いました。出来事を話すと、馬鹿だなあと言われました。初めてのパリの思い出は、ムーランルージュとぼったくりの店でした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)フォリーベルジェール。↑ フォリーベルジェールのポスター。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。↑ フォリーベルジェールのエントランス。↑ フォリーベジュエールの劇場。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。↑ おそらく一番古い、フォリーベルジェールのポスター。↑ ”Le bar des Folies Bergere" / フォリーベルジェールのバー。 マネの絵。↑ 昔のフォリーベルジェールの写真。↑ フォリーベルジェールのパンフレットに、「ジョセフィンベーカー:JOSEPHINE BAKER」の紹介が書いてあり、訳してみた。「ジョセフィンベーカーの体だが、官能的で動物のような動き、肌を持ち、そして揺れる腰は非常に激しく、大衆は目の前で襲いかかられたように感じたに違いない。彼女は最も偉大なダンサーだった。彼女の持つ素晴らしいスタイル自体が、計り知れない力だった」↑ 上記中央のポスターについて。1936年にミッシェル ジャルマシーが作成したフォリーベジュエールのポスター。ジョセフィンベーカーが踊っている姿が描かれている。彼はその後50年に渡り、フォリーベルジェールのポスターを作り続けた。↑ ジョセフィンベーカー。「彼女はいわば、時限装置付きの爆弾だ!」↑ ジョセフィンベーカーのCD。↑ ジョセフィンベーカー。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。左下の漫画は、フォリーベルジェールに出演していた「シュバリエ:CHEVALIER」、「ミスタンゲット:MISTINGUETT」。↑ シュバリエとミスタンゲット。↑ シュバリエとミスタンゲット。↑ ミスタンゲットのCD。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2) ムーランルージュ。 「FORMIDABLE ! /フォーミダブル」というショー。一番多く通ったのが、ムーランルージュだった。ショーの内容は同じだったが、何度行っても、再び行きたくなる魅力があった。「フォーミダブル」の音楽は、耳にタコができるくらい繰り返し聴いた。今でもメロディーが口から出てくる大好きな曲。↑ ムーランルージュ。「フォーミダブル」のパンフレット。↑ ムーランルージュで購入した本。↑ ムーランルージュ 「フォーミダブル」のCD。 素晴らしい音楽。CDの女性は、ラトーヤ・ジャクソン。ムーランルージュで「ラトーヤ・ジャクソン」が歌っており、それが録音されている。ラトーヤ・ジャクソンだが、ジャクソンファミリーの一員で、弟はマイケル・ジャクソン、姉はジャネット・ジャクソン。ムーランルージュに行くと、いつも彼女がフランス語で歌っていたが、ある時から別の女性が歌うようになり、その後、「フォーミダブル」のショーが終り、別のショーがスタートした。とても淋しい気持ちになった。↑ ムーランルージュのレビュー。↑ ムーランルージュのフレンチカンカン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)クレイジー・ホース。↑ クレイジー・ホースで購入した本。クレイジーホースもよく見に行った。ダンサーの女性だが、背の高さを統一するように選考されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)リド。母と弟がオランダに遊びに来たとき、リドに連れて行った。開園前に、観客が舞台で踊っても良いという事で、舞台そばの観光客が舞台に上がっていた。母親が私もぜひ踊りたいと言ったことがいまだに思いだされる。↑ リドのパンフレット。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)パラダイスラティン。パラダイスラティンにも何度も行った。↑ パラダイスラティンのパンフレット。
2019.09.17
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2019年9月15日、上野の東京都美術館で「コートルド美術館展 魅惑の印象派」を見ました。イギリス・ロンドンのサミュエル・コートールド氏は、レーヨンの製造、販売で得た利益で、多くの印象派の絵画を購入してコレクションにしました。この展覧会で一番楽しみにしていたのは、マネの「フォリーベルジェールのバー」です。この絵は、私の好きな絵ベスト5に入っています。オランダに住んでいたときに、この絵を見る機会があり、大型ポスターを美術館で買って部屋に貼りました。当時は毎月パリに遊びに行きました。事前にフォリーベルジェールに電話をして予約をし、何回もショーを見て食事をした思い出があります。食事は2種類の中から選ぶようになっており、いつもは食べない物を選ぼうと思い、フォアグラのパテを注文していました。他の客は料理を残すのに、私はいつも完食するので、顔見知りになったウェイターの方がいつも素晴らしいと褒めてくれました。マネが描いたフォリーベルジェールは、このような雰囲気だったのだろうかと思いながら、ジョセフィン・ベーカーやジャン・ギャバンが出たと言う舞台のショーを見ていました。マネはこの絵を描くため、病気なのに何度もフォリーベジュエールに行っています。そして自宅にもバーカウンターを再現し、フォリーベルジェールからシュゾンさんという女性を呼んで描いています。シュゾンさんは画面の中央に立っているのに、鏡に映る姿が大きく右に描かれており、この絵は構図がおかしいという意見がありますが、私はシュゾンさんが正面に立っているからこそ、この絵がとても魅力的に見えると思うので、構図については気になりません。美術館では気が済むまでずっとこの絵を眺めていました。本当に幸せな気持ちでした。ずっと見ていると、シュゾンさんが河合奈保子さんに見えてくるから不思議です。脳の中では好きな絵画と奈保子さんの映像が重なっているのかもしれません。この絵の向かって左端の赤いボトルのラベルには、「manet 1882」とマネのサイン、西暦が描いてあります。左上の隅には、ブランコに乗っているダンサーの足が見えます。作家の池波正太郎さんの本には、フォリーベルジェールの事が書いてあります。特に「フランス映画旅行/池波正太郎/新潮文庫」は、読むと勉強になります。フランス映画に対する愛情がすごいです。↑ 東京都美術館「コートールド美術館展・フォリーベルジェールのバー」で記念撮影。↑ 東京都美術館。↑ 東京都美術館。コートールド美術館展入口。↑ フォリーベルジェールのバーに描かれた、モデルのシュゾンさん。↑ 鏡像の後ろ姿は、異常に右側にずれている。↑ 男性のモデルは、画家のガストン・ラトゥーシュ。↑ 秘められた物語 マネ最晩年の傑作。↑ ボトルのラベルに「manet 1882」と描いてある。↑ 白い服に黄色い手袋の女性は、マネの友人のメリー・ローラン。↑ オペラグラスで他の客の姿、衣装を見る。↑ コートールド氏の自宅を再現している。↑ マネの「桟敷席」。↑ マネの「フォリーベルジェールのバー」をずっと見ていると、なんだかシュゾンさんと河合奈保子さんが似ているように思えてくる。↑ 河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さん。↑ 2019年8月21日 朝日新聞。↑「フォリーベルジェールのバー」のX線画像。右側の女性の姿を、何度もずらして描き直しているのが分かる。 ↑ 「フォリーベルジェールのバーのための習作」。個人的には、真正面を向いた絵が好き。↑ 2019年9月5日 朝日新聞。
2019.09.16
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2019年7月15日、東京上野の恐竜博2019で「恐ろしい手」というデイノケイルスを見ました。1965年にモンゴル・ゴビ砂漠のメネクト盆地で、ポーランドとモンゴルの共同調査隊で活躍していた女性の研究者達が、地表に露出している腕の部分だけの化石を見つけました。腕は2メートル50センチも長く、ティラノザウルスよりもはるかに大きい生物ではないかということで「恐ろしい手」という意味の「デイノケイルス」という名前が付きました。「ぼくは恐竜探検家!/小林快次/講談社」の第四章「ハヤブサの目とよばれて」を読むと、1965年では腕の骨だけが発見されたが、その近くには他の骨があるのではないかということで、2008年に再調査したことが書かれています。小林快次博士も参加され、メネグト盆地のアルタンウルという地区で、まずは1965年に骨が発見された場所を探すところから始まり、やっとのことでデイノケイルスの脊椎骨を発見したことが記載されており、面白かったです。デイノケイルスの骨には傷跡があり、傷の歯型や、同時代にモンゴルで生息していた肉食動物を考えると、デイノケイルスはタルボサウルスに食べられたという事になりました。会場にはデイノケイルスとタルボサウルスの骨格が展示されています。↑「恐ろしい手」というデイノケイルスの前あし。↑ 「ベールを脱いだ謎の恐竜」。1965年、ポーランドとモンゴルの共同調査隊が、モンゴルのゴビ砂漠で発見した2.4mにも達する巨大な前あしは、1970年に「恐ろしい手」を意味するデイノケイルスと名付けられた。デイノケイルスの追加標本はそれから40年近く見つからなかった。↑ 恐竜研究のレジェンドたち。テレーザ・マリアンスカ、ソフィア・キエラン・マリアンスカ、ハルシュカ・オルモンスカ。↑ 1965年の夏、ポーランドとモンゴルの共同調査隊で活動していたテレーザ・マリアンスカ、ソフィア・キエラン・マリアンスカ、ハルシュカ・オルモンスカたちは、ゴビ砂漠メネグト盆地で、地上に露出している何本もの大きな骨を発見した。彼女たちは、肩から前あしが左右2本あることを確認したが、他の部分は残っていなかった。第2次世界大戦後のゴビ砂漠での脊椎動物化石研究は、3人のポーランドの女性たちによって飛躍的は発展を遂げ、マリアンスカとオスモルスカは、恐竜の新種記載を行なった最初の女性研究者たちとなった。「ぼくは恐竜探検家!/小林快次/講談社」。第四章「ハヤブサの目とよばれて」で、小林博士がゴビ砂漠でデイノケイルスの化石を探す事が書かれている。↑ 謎の恐竜デイノケイルス。↑ デイノケイルスの骨格。↑ デイノケイルスは、様々な恐竜の特徴をあわせ持っている。体の基本構造は、ダチョウ型恐竜であるオルニトミモサウルス類だが、ハドロサウルス類のようなくちばし、竜脚類のような空洞化した骨、スピノサウルスのような大きな帆を持つ。これまで「謎の恐竜」として知られていたデイノケイルスだが、全貌が明らかになった今、「へんてこな恐竜」の代表として知られることとなった。↑ 2006年、2009年に2体のデイノケイルスの骨格化石が発見され、ついに謎のベールを脱いだ。その姿は大きな腕から誰もが想像していた恐ろしい風貌とはかけ離れた、複数の恐竜の特徴をあわせもった「奇妙な」姿だった。↑ ベールを脱いだ謎の恐竜デイノケイルス。↑ デイノケイルスの頭骨は、ハドロサウルス類のようなクチバシをもち、スピノサウルスのように前後に長く大きな下あごを持つのが特徴的。↑ デイノテイルスの頭骨。↑ ハドロサウルス類であるサウロロフスの頭骨。クチバシが特徴。↑ スピノサウルスの頭骨。前後に長く大きな下あごを持つのが特徴的。↑ デイノケイルスの脊椎骨。スピノサウルスのように大きな帆を持つ。求愛のためか。↑ デイノケイルスの脊椎骨。多数の空洞があり、竜脚類に匹敵するくらい空洞化されていた。↑ デイノケイルスの足。↑ デイノケイルスの脊椎骨。↑デイノケイルスの尾端骨。複数の尾椎骨が癒合した骨で、尾の先に飾り羽があった可能性を示す。↑ デイノケイルスの胃の内容物の化石。↑ デイノケイルスの胃石。↑ デイノケイルスの化石には、大型獣脚類タルボザウルスのものと思われる咬み跡が残る腹肋骨が含まれている。この咬み跡には、怪我が治った痕跡がみられないことから、デイノケイルスの死後、または死ぬ間際につけられたと考えられる。白亜紀末、デイノケイルスとタルボサウルスの死闘が繰り広げられていたのかもしれない。↑ デイノケイルスをねらうタルボサウルス。↑ タルボサウルス。ゴビ砂漠を代表する大型獣脚類。その体の大きさなどから、他の大型恐竜をエサにしていたと考えられている。↑ タルボサウルスの骨格。
2019.07.19
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2019年7月15日、東京上野の国立科学博物館に行き、恐竜博2019を見ました。北海道むかわ町で発見された「むかわ竜」の骨格を見ましたが、思っていたよりも大きかったです。むかわ竜の発見、発掘、恐竜としての同定は、いくつもの偶然が重なっていたことが分かり、驚きでした。博物館のショップで小林快次博士の「ぼくは恐竜探検家!」、「漫画むかわ竜発掘記」を購入して読みました。小林博士の「アメリカですごした暗黒の日々」の部分が、一番印象に残りました。↑ 東京上野の国立科学博物館、恐竜博2019。↑ むかわ竜の紹介。↑ むかわ竜の復元された骨格。↑ 頭部。↑ むかわ竜の胴椎。 6番目から12番目の胴椎神経棘(どうついしんけいぎょく:上に伸びる突起)が前傾しており、これはむかわ竜にしか見られない特徴であり、「むかわ竜」が新種の恐竜であると考えられる特徴のひとつとして注目されている。↑ むかわ竜の胴椎。↑ むかわ竜の骨の断片(薄片)から分かること。 骨には年輪のように成長停止線が残りやすく、むかわ竜の脛骨の断面を分析した結果、少なくとも9本の線が残っていた。成長停止線は内側から3、4本が消えているため、むかわ竜は12歳か13歳の成熟した大人の恐竜と考えられる。↑ むかわ竜の骨の断片(薄片)。↑ 日本の恐竜化石産地。↑ 北海道むかわ町。↑ 「むかわ竜」の発見パネル。↑ 漫画 むかわ竜発掘記 恐竜研究の最前線と未来がわかる/企画・原案 土屋健/監修 小林快次/漫画 山本佳輝・サンドランチ/誠文堂新光社↑ ぼくは恐竜探検家!/小林快次/講談社。↑ 上記本p41 第二章 アメリカで過ごした暗黒の日々。 この章が一番印象に残った。↑ 「ハヤブサの目」で恐竜化石を探す北大教授 小林快次(こばやしよしつぐ)さん。朝日新聞 2019年6月26日 ひと欄の記事。
2019.07.17
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2019年7月6日、渋谷パルコの再開発現場に行き、仮囲いの「AKIRA」の絵を見ました。「AKIRA」の作者である大友克洋さんと、コラージュアーティストの河村康輔さんのコラボで、建て替え期間中、仮囲いにアート作品を見ることができます。第3弾の絵で、工事の進捗に合わせ、仮囲いアートは撤去されるそうです。1991年、オランダに住んでいたとき、バーで飲んでいると、隣の若いオランダ人から「日本人か」と聞かれました。そうだと答えると、「日本人ならAKIRAを知っているだろう。あの作品は素晴らしい。感動したよ」と言われ、長話をしました。作品の面白さ、絵の緻密な美しさに驚き、ぜひ日本に行きたくなったとの事でした。東京は本当にあのような場所かと聞かれ、返答に困りました。「AKIRA」は2019年の設定で、「ネオ東京」と「2020年東京オリンピック会場」が舞台でしたが、オランダ人と話した当時に、東京でオリンピックが本当に開催されるとは予想もしておらず、2020年に東京で開かれるのだと思うと、感慨深いものがあります。↑ 東京・渋谷パルコの建て替え現場。↑「AKIRA」の作者である大友克洋さんと、コラージュアーティストの河村康輔さんのコラボ。↑ 「AKIRA」の舞台である、ネオ東京の2020年東京オリンピック会場。
2019.07.06
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2019年6月22日、東京上野の国立西洋美術館に行き、松方コレクション展を見ました。国立西洋美術館60周年記念として、松方コレクションの約160点が展示されています。フランス政府が日本に絶対返還しないと決めた、ゴッホの有名な「アルルの寝室」を見ることができたり、2016年にパリで発見され、上半分が失われていたモネの「睡蓮、柳の反映」につき、1年かけて現存部分を修復した絵を見る事ができました。松方幸次郎氏(1866-1950)ですが、総理大臣・松方正義氏の3男で明治維新の直前に鹿児島で生まれました。父親が明治政府に呼ばれたので東京生活をし始め、共立学校(現開成高校)から東大予備門に進みますが、寮生のストライキに参加して放校処分を受けます。その後アメリカのラトガーズ大学に行き、エール大学に転学します。民法の博士号を取った後、ヨーロッパを巡り、帰国後は父親が松方内閣を組閣したので秘書官を務め、父の退陣後は保険会社の副社長や銀行の発起人になり実業家となります。川崎正蔵氏は鹿児島生まれて川崎造船を興し、松方正義氏の依頼で幸次郎氏の留学のスポンサーになっていました。その縁で松方氏は川崎造船所の社長になります。その後は第一次世界大戦の造船需要を先読みして船を大量に建造し、大きな利益を得ます。それを絵画購入資金にします。本物を見た事がない日本人のために東京に美術館を作る目的で、絵画、彫刻、タペストリー、日本の浮世絵など3,000点以上を購入します。しかし、1927年に昭和金融恐慌で造船所は経営破綻に陥り、日本に送っていたコレクションは「欧州美術展覧会」でオークションによる売立てが行われます。ヨーロッパに残っていた絵も、イギリスのパンテクニカン倉庫の絵画は火災で焼失し、パリで保管していた絵はドイツ軍の侵攻のため、日置釭三郎氏がパリの西80キロのアポンタンという村の家に隠しました。第二次大戦後、絵画は敵国資産としてフランス政府に差し押さえられました。1951年9月にサンフランシスコ平和条約が調印され、吉田茂首相はフランスのシューマン外相に松方コレクションの返還について申し入れをしました。フランスからの返還条件の中に、美術館での絵画保管があり、国立西洋美術館を建設して、松方コレクションを展示することになりました。ただし、松方コレクションの中でも重要とされた17点は、フランス政府は返還を認めず、パリのオルセー、ルーブル美術館に飾られています。返還されなかった絵の1枚が、ゴッホの「アルルの寝室」です。オランダに住んでいた頃、よくパリのオルセー美術館に行っては「アルルの寝室」を見ました。松方氏が当時留学中の美術史家の矢代幸雄氏と画廊でこの絵を見つけた時、矢代氏は松方氏に絶対買ってくださいとお願いしたのに、松方氏が買うそぶりをしなかったので怒って別れたが、その後に松方氏がこの絵を購入しており驚いたという逸話があります。この絵を東京で見ることができるのは、なんだか不思議な気がします。作家の野上弥生子さん(のがみやえこ:1885-1985)が「真知子」という長編小説を書いていますが、欧州美術展覧会の松方コレクションについて記載している所があります。「真知子」を読みましたが、昭和初期(1928年~1930年頃)の世相、プロレタリア思想、女性の結婚について色々書いてあります。とても重いテーマでした。私が初めて買った野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」です。ヨーロッパについて書いてある本は少しずつ買って集めていたのですが、野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、その道中について詳しく記されています。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行されました。本の目次は次の通りです。「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。当時は日中戦争中であり、ヨーロッパ旅行中はスペイン市民戦争でフランコ軍がマドリッドを占領し、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始して第二次世界大戦が勃発しており、読むとその雰囲気や空気を感じることができます。この旅行記で一番印象に残る部分は、ニューヨークの摩天楼を見ながら想像している部分です。摩天楼が次々に火を吐き、鉈で切られる樹木のようにすっ飛んでいく怪奇と壮絶の光景についての想像が書いてあります。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの、ニューヨーク貿易センター爆破事件の映像をテレビで見た時、この記載部分をすぐに思い出しました、野上弥生子さんの「想像力」に驚きました。(欧米の旅(下)野上弥生子著 岩波文庫 ニューヨーク P341~P342より) ↑ 松方コレクション展 (国立西洋美術館開館60周年記念)↑ フィンセント・ファン・ゴッホの「アルルの寝室」。(パリ・オルセー美術館蔵)↑ 東京上野・国立西洋美術館。 クロード・モネの「睡蓮」国立西洋美術館は、建築家であるル・コルジュビエ氏の設計で、2016年にユネスコ・世界文化遺産に登録された。↑クロード・モネの「睡蓮」(部分) 国立西洋美術館の松方コレクション。↑ 松方コレクション展のパンフレット。↑ 流転の大コレクション 激動のドラマ。↑ 松方幸次郎氏。 川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)社長。↑ ゴッホの「アルルの寝室」。ゴッホは同じ構図の絵を何枚も書いているが、自分の耳を切り落としてゴーギャンと別れた後、最後に描かれた寝室の絵。↑ ピエール=オーギュスト ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」。当初フランス政府はこの絵を日本に返さない予定であったが、日本の粘り強い交渉により、日本に返還された。↑ クロード・モネ。「睡蓮、柳の反映」。2016年にパリで発見され、国立西洋美術館に寄贈された。縦2メートル、横4.25mで、発見時に画布の上半分は失われていた。↑ 1年かけて修復して絵が甦った。↑ 美術館で購入したカタログ。「The MATSUKATA COLLECTION A One-Hundred-year Odyssey」。表紙には、修復して甦った「睡蓮、柳の反映」が印刷されている。↑ 世界 名画の旅2 フランス編Ⅱ 朝日文庫 /朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班 / 朝日新聞社。P44~P57は、ゴッホの「アルルの寝室」の記事がある。松方コレクションの事が書いてある。P56には、ゴッホの「アルルの寝室」が日本に返還されなかった事について、オルセー美術館学芸員の次のコメントが紹介されていた。「この絵を熱望した日本の方々のことを思うと複雑な気持ちになります。何といえばいいのか。どうか理解してください。フランスの美術館関係者がどうしても手放す気になれなかった作品なのです」。↑ 本には、ブラングイン作の「松方幸次郎氏の肖像」や、パリ・ロダン美術館の庭にある「考える人」の写真がある。 ブラングインは船の絵を多く描き、松方氏が初めて購入した絵はブラングインの絵だったと言われている。二人は懇意であり、イギリスのパンテクニカン倉庫で保管していた絵の多くは、ブラングインの絵であった事が判明している。(2016年2月に、「パンテクニカン倉庫保管絵画等リスト:松方幸次郎氏資産」と題するリストが発見され、焼失した作品の全容が分かった。松方コレクション展に、そのリストが展示されている)ブラングインは松方氏の美術館建設構想のために「共楽美術館」のデザイン図を描いた。東京麻布の仙台坂の松方家所有の土地が美術館の候補地となっていた。松方コレクション展で、ブラングインの「共楽美術館構想俯瞰図、東京」が展示されている。↑ 幻の美術館 甦る松方コレクション / 石田修大 / 丸善ライブラリー。この本を読んで、松方幸次郎氏の事、コレクションの歴史、コレクションの内容がよく理解できた。とても勉強になった本。いまだに何度も読み返している。↑ 「幻の美術館 甦る松方コレクション」より。P62~P63。↑ 野上弥生子全小説7 真知子 / 野上弥生子 / 岩波書店。↑ 野上弥生子さんの長編小説 「真知子」。↑「真知子」P63~64で、松方氏蒐集欧州美術展覧会の絵を見た事が書いてある。小説内で松方氏は「M」となっている。1)「セガンチニの「羊毛刈」の画に向かう時、彼らは板小屋の前で一匹の羊の毛を刈っている女の背中、腰、羊を押さえつけた左の腕と鋏を動かしている右の腕の素晴らしさにまず驚かされる」。↑ 松方コレクション展で、ジョヴァンニ・セガンティーニの「羊の毛刈り」が展示されていた。2)「ロゼチの三つの作品の前では、二人ともその心を言葉に出し合った。(途中省略)婦人の半裸像が、顔面と首の特異性によって、疑いもなく詩人なる画家の妻で、若くして逝ったジダルであったことは、画の価値以外になつかしい興味であった。↑ 松方コレクション展で、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「夜明けの目覚め」が展示されていた。ロセッティの事を小説では「ロゼチ」と書いてある。↑ ラ ミューズ 第34号 テイト・ギャラリー/講談社/1993年10月12日発行。上記雑誌の表紙には、ロンドンのテイト・ギャラリーにあるロセッティの「プロセルピナ」の絵がある。モデルは妻のシッダルではなく、友人ウィリアム・モリスの夫人ジェーン。シッダルが麻薬に溺れて死んだのは、ロセッティがジェーンを愛していたためと言われている。↑ 左はロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」。モデルはアヘンの大量服用で亡くなった妻のジッダル。右はロセッティの「プロセルピナ」でシェーンがモデル。↑ 私が初めて買った作家・野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」だった。野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、道中について詳しく記されている。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行した。本の目次は次の通り。「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。↑ 野上弥生子さんの作品で、読んだ本。【国立西洋美術館の庭に設置されている、松方コレクションのオーギュスト・ロダンの作品】↑ オーギュスト・ロダン(1840年ー1917年)の「考える人(拡大作)」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「カレーの市民」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「地獄の門」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「アダム」。 松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「エヴァ」。 松方コレクション。
2019.06.28
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2019年6月16日、川崎市多摩区にある「川崎市立 日本民家園」に行き、古民家を見ました。23の建物を見ることができます。家の中をじっくり見ていると、懐かしい感じがしました。↑ 生田緑地にある日本民家園。↑ 日本民家園入口。↑ 日本民家園 案内図。23の建物が並ぶ。↑ 0)原家住宅。 神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町。 1911年。【高度な木造建築技術を駆使した大地主の家】↑ 1) 鈴木家住宅。 福島県福島市松川町本町。 19世紀初期。【奥州街道の馬宿】↑ 2) 井岡家住宅。 奈良県奈良市高畑町。 17世紀末期から18世紀初期。【線香屋を営んだ奈良の商家】↑ 3)佐地家の門・共待(ともまち)・塀。愛知県名古屋市東区白壁。19世紀初期。【お供が控えた武家屋敷の門】↑ 4)三澤家住宅。 長野県伊那市西町。19世紀中期。【宿場で薬屋を営んだ板葺き屋根の家】↑ 5)水車小屋。 長野県長野市上ケ屋。19世紀中期。【三つの機能をもった山里の水車】↑ 6)佐々木家住宅。長野県南佐久間郡佐久穂町畑。 1731年。【信州の「かぶと造り」民家】↑ 7)江向(えむかい)家住宅。富山県南砺(なんと)市上平細島。18世紀初期。【田の字型の間取りを持つ合掌造りの家】↑) 8)山田家住宅。 富山県南砺市桂。18世紀初期。【白川村合掌造の特徴を備える五箇山の合掌造り】↑ 9)野原家住宅。富山県南砺市利賀(とが)村利賀。18世紀後期。【曲がりの鋭いチョウナ梁が見事な家】↑ 10)山下家住宅。岐阜県大野郡白川村長瀬。19世紀前期。↑ 11)作田(さくた)家住宅。千葉県山武軍九十九里町作田 主家17世紀後期。土間18世紀後期。【イワシの地引網漁で栄えた網元の家】↑ 12)沖永良部(おきのえらぶ)の高倉。鹿児島県和泊(わどまり)の内城(うちしろ)。19世紀後期。【ねずみ返しのある食糧倉庫】↑ 13) 広瀬家住宅。山梨県甲州市塩山上萩原。17世紀末期。【芝棟と土座のある甲州民家】↑ 14) 太田家住宅。茨城県笠間市片庭(かたにわ)。主家17世紀後期、土間18世紀後期。【家の中に雨どいのある二つ屋根の家】↑ 15)北村家住宅。神奈川県秦野市堀山下。1687年。【貞享4年の墨書が残る古民家】↑ 16)清宮家住宅。神奈川県川崎市多摩区登戸。 17世紀後半。【棟に花が咲く民家園最古の家】↑ 17)伊藤家住宅。神奈川県川崎市麻生区金程(かなほど)。17世紀末期から18世紀初期。【民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家】↑ 18)蚕影山祠堂(こかげさんしどう)。神奈川県川崎市麻生区岡上。1863年。【養蚕信仰を今に伝えるお堂】↑ 19) 岩澤家住宅。神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷(すすがや) 17世紀末。【茶畑に囲まれた山間の農家】↑ 20)船越の舞台。三重県志摩市大王町船越。1857年。【本格的な装置を備える漁村の歌舞伎舞台】↑ 21) 菅(すげ)の船頭小屋。神奈川県川崎市多摩区菅。 1926年。【担いで運べる機能的な小屋】↑ 22) 工藤家住宅。岩手県紫波(しわ)郡紫波町船久保 1751年~1763年。【馬と共に暮らした南部の曲屋】↑)23)菅原家住宅。山形県鶴岡市松沢。18世紀末期。【出羽三山に抱かれた豪雪地帯の家】
2019.06.27
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藤子・F・不二雄ミュージアム内では、「先生の部屋」や膨大な蔵書を見ることができます。先生が初めて購入したという、藤田嗣治さんが描かれた女性の美しい絵も飾られていました。野比家のミニチュアもあり、部屋も再現されていました。部屋にある本棚を見るのが楽しかったです。↑ バーチャルの画面で部屋を見る。↑ Fシアター入口。映画を見ることができる。
2019.06.26
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藤子・F・不二雄ミュージアムにある庭の様子です。
2019.06.25
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2019年6月16日、神奈川県川崎市多摩区長尾にある「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」に行きました。藤子・F・不二雄さんが1961年から川崎市生田で生活をされたのが縁で、その近くにミュージアムができ、ドラえもんの誕生日である9月3日に合わせ、2011年9月3日に開館しました。ローソンの事前チケット予約販売制になっており、休日に急に予約を入れようとするといつも予約一杯だったので、長い間諦めていたのですが、去年富山県高岡市の「高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」を見に行き、やはり川崎市のミュージアムも行こうと考え、今回行くことにしました。ミュージアム入口にも色々と面白い仕掛けがあり、入館の待ち時間も楽しめました。↑ 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム。↑ 壁にドラえもんの色々な目がはめてある。↑ 傘のカギのかけ方。↑ ドラえもん。↑ ジャイアン。↑ チンプイ。↑ コロ助。 (キテレツ大百科)↑ 春日エリ。 (チンプイ。マール星の王子の妃に選ばれてしまうエリ)↑ ゴンスケ。(21エモンの芋ほりロボット)↑ 入館の扉が開く間、壁に埋め込まれた沢山のディスプレイを楽しむ。
2019.06.24
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2019年6月16日、神奈川県川崎市登戸駅前から、藤子・F・不二雄ミュージアム行き直行バスに乗りました。直行バスは「ドラえもん号」、「パーマン号」、「エスパー魔美号」、「キテレツ大百科号」の4両あり、それぞれに藤子・F不二雄作品のキャラクターが描かれています。「エスパー魔美号」を撮影したく、ずっと待っていたのですが、それ以外の3台が順番に走っていたようで、撮ることができませんでした。また次の機会に行きたいと思います。直行バスのナンバープレートは、ドラえもんの誕生日である「2112年9月3日」にちなみ、「2112」に統一されています。↑ 登戸駅。↑ 「パーマン号」。↑ 「キテレツ大百科号」。↑ 「ドラえもん号」。
2019.06.23
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2019年6月16日、小田急電鉄で登戸駅(神奈川県川崎市)に行きました。「藤子・F・不二雄ミュージアム」が近くにあり、駅構内にはドラえもんなどのキャラクターが描かれています。↑ 小田急・登戸駅。
2019.06.22
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2019年5月1日に、東京・松屋銀座の「誕生80周年 トムとジェリー展」を見ました。1940年にウィリアム・ハンナとジョセフ・バーべラが「トムとジェリー」の短編映画を作りました。当時は猫とネズミの話はありきたりで当たらないとされ、中々企画が通りませんでしたが、映画が公開されると大人気になりました。アカデミー賞も7回受賞しています。会場では昔の貴重な原画、セルが展示されていました。小さい頃、休みの朝にトムとジェリーをテレビで放送しており、見るのが楽しみでした。個人的にお気に入りの話は「天国と地獄」です。昔、子供たちと一緒に見ようと思い、「トムとジェリーのDVD BOX/宝島社」を買いました。↑ 東京・松屋銀座の「誕生80周年 トムとジェリー展」。↑「トムとジェリーのDVD BOX/宝島社」↓ 一番お気に入りの「天国と地獄」1949年 カラー アメリカ。
2019.05.04
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2019年4月30日、東京・神田明神の「鈴木敏夫とジブリ展」を見ました。4月28日、29日にも神田明神に行ったのですが、18時からの整理券しかないので諦め、30日に朝早くから行き、展示を見ました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの言葉に注目した展覧会でした。展覧会でいただいた冊子「鈴木敏夫とジブリ展 ご挨拶 「銀行からジブリに転職して早15年・・・」スタジオジブリ代表取締役社長 中島清文」を読むと、ジブリの経営について書かれてあり、面白かったです。↑ 湯婆婆。 鈴木敏夫とジブリ展。↑ 東京・神田明神。↑ 随神門。 昭和50年(1975年)に、昭和天皇ご即位50年を記念して建立された。↑ 御神殿。↑ 神田明神 文化交流館「EDOCCO」内 神田明神ホール。「鈴木敏夫とジブリ展」会場。↑ 湯婆婆。↑ 記念撮影。↑ 日清製粉グループのオリジナルキャラクター「コニャラ」。↑ 鈴木敏夫とジブリ展 ご挨拶 「銀行からジブリに転職して早15年・・・」スタジオジブリ代表取締役社長 中島清文
2019.05.03
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2019年4月29日、上野公園の東京国立博物館・平成館で、「東寺 国宝特別展 空海と仏像曼荼羅」を見ました。東寺は京都市南区九条町にある真言宗の寺で、新幹線の車窓からも東寺の五重塔がよく見えます。平安京遷都に伴い、京の南に羅生門を挟んで、東寺、西寺が建てられました。(西寺は跡が残るだけ)唐で密教を学んで帰国した空海に対し、嵯峨天皇が東寺を与え、東寺は真言密教の根本道場となりました。東寺の講堂には21体の立体曼荼羅がありますが、その内15体が平成館に来ています。15体の内訳ですが、国宝11体、重要文化財4体です。立体曼荼羅以外にも、国宝の両界曼荼羅図の金剛界や、空海が最澄宛てに書いた書状である国宝の「風信帖」、空海が唐から持ち帰った密教法具などが紹介されていました。「空海の風景 改版 上、下/司馬遼太郎/中央文庫」を読むと、最澄と空海が大宰府から同時期に遣唐使船で唐へ向かった事、空海は詞や作文が上手で、中国人を驚かせたこと、長安で案内の僧から、留学生は20年が年期となっていると言われた事、密教の体系を学んだ恵果和尚は、初対面の空海を見るなり歓喜し、「大好大好」と言い、何の試問も行わず、全てを伝えると言った事。空海に自分の全てを与えてしまった恵果和尚は、4か月後に死んだこと、恵果和尚が「法を受けた以上はこんな長安でぼやぼやするな、早く国に帰れ」と言い、空海は長安に2年に満たない滞留だったが、帰国することになった事などが書いてあり、大変面白かったです。↑ 東寺 国宝特別展 空海と仏像曼荼羅。 東京国立博物館・平成館。↑ 国宝 帝釈天騎象像。↑ 国宝 持国天立像。↑ 国宝 降三世明王立像。↑ 国宝 軍茶利明王立像。↑ 国宝 増長天立像。↑ 国宝 金剛夜叉明王立像。(中央)↑ 国宝 大威徳明王騎牛像。 (中央)↑ 国宝 金剛業菩薩坐像。↑ 国宝 金剛法菩薩坐像。↑ 国宝 金剛宝菩薩坐像。↑ 国宝 金剛薩埵菩薩坐像。 (中央)↑ 重要文化財 不空成就如来坐像。(中央)↑ 重要文化財 阿弥陀如来坐像。(中央)↑ 重要文化財 宝生如来坐像。(中央)↑ 重要文化財 阿しゅく如来坐像。(中央)【国宝 帝釈天騎象像】↑ 国宝 帝釈天騎象像。 【撮影可】 甲を付け、雷を象徴する武器である金剛杵(こんごうしょ)を手にする仏法の守護神。インドの神であるインドラ神が仏教に取り入れられ、帝釈天となった。像に乗る姿はインド風で、空海がもたらした新しい表現。↑ パンフレット。↑ 国宝 両界曼荼羅図のうち、金剛界。↑ 空海直筆の書状 「風信帖」。空海が最澄宛てに書いた。↑ 最澄が唐から持ち帰った密教法具。↑ 空海の風景 改版 上、下/司馬遼太郎/中央文庫。↑ 古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ/土門拳/小学館。P130~151。 東寺について写真と文章がある。
2019.05.02
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2019年4月29日、東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本1900」を見ました。クリムトの没後100年を記念する展覧会で、ウィーン・ベルベデーレ宮殿のオーストリア美術館の「ユディトⅠ」や、分離派館に飾られているクリムトの「ベートーベン・フリーズ」の複製が展示されており、見ててとても楽しかったです。クリムトの「ユディトⅠ」ですが、旧約聖書外典の「ユディト記」にある話を絵にしたものです。アッシリア王はユダヤの国を攻撃するため、司令官のホロフェルネスを派遣しました。信仰厚い女性ユディトは夫を病気で亡くしていましたが、思うところあって着飾ってホロフェルネスの元に行きました。酒宴の後、ホロフェルネスと一夜を共にする機会があり、ユディトは眠っていたホロフェルネスの首を切り落としました。これをきっかけに、ユダヤはアッシリアに勝つことができました。金箔を貼った絵には、裸体のユディットがホロフェルネスの首を持ち、喜びのような、恍惚のような、独特な表情が描かれています。「ベートーベン・フリーズ」は、クリムトがベートーベンを称えるために、ウィーンの分離派館の一室に描いた絵です。第二面は「敵対する力」として、ゴルゴン3姉妹、テュフォン、骸骨などが描かれており、印象的でした。ゴルゴン3姉妹は蛇の髪の毛で、特に三女は顔を見ると恐怖のあまり石になってしまうというメデューサです。テュフォンは巨大な怪物で、ゼウスと闘いエトナ火山の下敷きにされました。デュフォンが地下から逃げようとするたびに、地震が起きてエトナ火山が爆発すると言われています。第三面は、ベートーベン第九の第四章「歓喜の歌」をイメージしたもので、全裸の男女の接吻シーンが描かれています。昔、ウィーン・ベルベデーレ宮殿にあるオーストリア美術館に行き、クリムトやエゴン・シーレの絵を見たことがあります。「ユディットⅠ」を初めて見た時、なんとなく絵の主人公が歌手の「ジュリー(沢田研二さん)」に似ているなと思いました。↑ クリムト展の記念写真。↑ 東京・上野公園の東京都美術館。「クリムト展 ウィーンと日本」。↑ クリムト展 パンフレット。 「ユディットⅠ」。↑ 「女の三世代」。 赤ちゃん、母親、老婆。↑ ヌーダ・ベリタス (裸の真実)。↑ ゴルゴン3姉妹、テュフォンなど。↑ ベートーベン第九の第四章「歓喜の歌」をイメージしたもので、全裸の男女の接吻シーン↑ ラミューズ 第5号 オーストリア美術館。 1992年7月28日発行。講談社。↑世界名画の旅4 ヨーロッパ中・南部編。朝日文庫。 1989年7月20日。朝日新聞社。 ↑ 朝日新聞 記念号外
2019.04.30
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2019年2月23日、東京国立博物館の平成館で、「顔真卿(がんしんけい)-王義之(おうぎし)を超えた名筆ー」を見ました。台湾國立故宮博物院から初来日となった顔真卿筆の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」が目玉です。すでに見に行った娘に聞くと、とにかく待ち時間が長くて祭姪文稿はちょっとしか見られなかったと言ったので、行くのをためらったのですが、それだけ盛況ならば見た方が良いと考え、行くことにしました。中国の歴史上東晋時代(317~420年)は書聖の王義之が活躍し、唐時代(618~907年)は、唐の三人の大家が楷書の典型を完成させました。顔真卿(709~785年)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と呼ばれる特異な筆法を完成させました。例えば、それまでは漢字を右上に上げて書くのが良しとされていましたが、顔真卿は漢字を右上ではなく平行に書くようにしました。これが「明朝体」の元になったそうです。唐の時代、顔真卿は官吏として出世していたのですが、実直すぎる性格が災いし、左遷を繰り返すことになりました。45歳の時も左遷され、平原(山東省)の大守になりました。地方に設置された節度使である安禄山(あんろくざん)、史思明(ししめい)が中央政府に反逆する動きをし始めたので、顔真卿は城の防御を固めました。755年に上記節度使の2名を中心に「安史の乱」が起こり、賊軍が各地を占領し始めましたが、顔真卿の率いる連合軍は山東省で賊軍に勝利しました。この乱は9年後に平定されたのですが、顔の一族から30人以上の犠牲者を出しました。顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は、非業の死を遂げた姪の顔季明を追悼するための弔文の原稿で、悲痛と義憤が書かれた名文でした。その書は後世に大きな影響を与え、中国の皇帝がこの書を手元に置いていたそうです。博物館に入るまで50分、中に入り「祭姪文稿」を見るまでに70分掛かりました。「祭姪文稿」は顔真卿の手紙だと思って本物を見ると、その書の前後に、手紙の所有者になった人たちの感想を書いた書がつなげてありました。特に、「祭姪文稿」の前に付いていたのは、清の乾隆帝(けんりゅうてい)の書でした。乾隆帝が「祭姪文稿」を手元に置いていた事が分かります。高校の時、世界史で暗記した皇帝の名前なので、びっくりしました。会場は中国語を話す人達が大変多く、書を見ながら皆さんが一生懸命会話するのを聞いていると、大変重要な書を見ることができたという事が分かり、図録を買う事にしました。↑ 「顔真卿(がんしんけい)-王義之(おうぎし)を超えた名筆ー」東京国立博物館 平成館。↑ 平成館入口まで50分。↑ 平成館の2階に行き、「祭姪文稿」を見る列に並ぶ。70分待ち。↑ 顔真卿の「祭姪文稿」。↑ 図録を買った。↑ 会場で撮影可だった、唐の六代皇帝・玄宗筆の「紀泰山銘」の墨拓。
2019.02.24
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娘からチョコをもらいました。バルセロナ・アマリエのリーフチョコで、ミュシャの「桜草」の絵が缶に描かれています。↑ ミュシャの「桜草」とリーフチョコレート。 (CHOCOLATE AMATLLER BARCELONA)
2019.02.15
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2019年1月23日、漫画家の高橋留美子さんが、フランス・アングレーム国際漫画祭で「功労賞/a lifetime achievement award」を受賞されました。2019年2月8日発行の the japantimes alpha によると、高橋さんは「うる星やつら」(英語版では”lum")、「めぞん一刻」(英語版では"Maison Ikkoku")を含むコメディー漫画で有名で、40年のキャリアの中で、約200巻を越える作品を生み出し、世界中で2億冊以上も売り上げています。「違う事を受け入れない(日本)社会の中で、高橋留美子さんはいつもはみ出し者や変わり者に焦点を当ててきており、作品群はとても革新的です」との主催者のコメントです。アングレーム国際漫画祭は2019年2月27日まで4日間行われました。この漫画祭は、ヨーロッパでは2番目に大きく、世界では3番目の規模だそうです。2019年2月10日、秋葉原のラジオ会館1階にある「GIFT SHOP The Akiba」で、ラムちゃんの広告が目に入り、うる星やつら金箔入り清酒(新潟県新発田市 製造者ふじの井酒造株式会社)を購入しました。今度飲んでみようと思います。うる星やつらのアニメソングの中で、個人的に好きなのは、最初のエンディングソングだった「宇宙は大ヘンだ!/作詞:伊藤アキラ、作曲・編曲小林泉美、歌:松谷祐子)で、時々無性に聴きたくなります。↑ 2019年2月8日発行 the japantimes alpha ↑ 秋葉原のラジオ会館1階にある「GIFT SHOP The Akiba」 ラムちゃんの広告。↑ 秋葉原のラジオ会館。↑「GIFT SHOP The Akiba」↑ うる星やつら、犬夜叉、めぞん一刻などのラベルがある酒が置いてある。↑ うる星やつら金箔入り清酒(新潟県新発田市 製造者ふじの井酒造株式会社)↑ ラムちゃん。
2019.02.14
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2019年2月10日、ベルサール秋葉原で「TOKYOアニメツーリズム2019」の開催イベントがあり、「コードギアス 反逆のルルーシュ」の紹介をしていました。会場では、NON STYLEの井上裕介さん(ルルーシュ役)、石田明さん(魔女役)、HKT48(その前はAKB48)を卒業した多田(おおた)愛佳さん、司会の天津・向清太朗さんが話を盛り上げていました。多田さんは都内のスポットを巡って、スマホに現れたキャラクターを写したりしていました。私が多田さんですぐに思い出すのは、渡り廊下走り隊7の「バレンタイン・キッス」公式映像です。「バレンタイン・キッス」といえば、国生さゆりさんとおニャン子クラブが以前歌っていましたが、渡り廊下走り隊7の歌と映像がこれまた良く出来ており、YouTubeで何度も見てしまいます。↑ コードギアス 反逆のルルーシュ↑ NON STYLEの石田明さん(魔女役)、井上裕介さん(ルルーシュ役)。↑ NON STYLE 石田明さん、井上裕介さん、多田愛佳さん、天津・向清太朗さん。↑ ベルサール秋葉原の1階会場。↑ 都庁と多田愛佳さん。↑ 多田愛佳さん。↑ JR秋葉原駅。↑ AKIBA SHOWROOM。↑ 東京タワー。 足元が見える。↑ 早稲田大学 大隈講堂。
2019.02.12
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2019年2月3日、池袋・東京芸術劇場で、漫画家の藤田和日郎さん、島本和彦さんのバトルトークを見に行きました。「東アジア文化都市2019豊島」のイベントの一環として開催されたものです。藤田和日郎(ふじたかずひろ)さんは、「うしおととら」、「月光条例」などを描かれ、島本和彦(しまもとかずひこ)さんは、「炎の転校生」、「アオイホノオ」などの作品があります。トークショーの整理券は朝すぐに配付終了になったそうで、立ち見の方が会場からあふれており、お二人の姿は見えずとも、壁の向こうの会話を聞いて楽しんでいる方が大勢いました。トキワ荘の話になり、北海道から東京で漫画を描いているうちにトキワ荘が取り壊され、結局見に行けなかったとか、石ノ森章太郎さんと会ったとき、褒め言葉で「先生の雑な絵が好きです」と言ったり、あだち充さんから、「トキワ荘の皆さんがグランドを整備してくれたので、自分はホームランが打てた」という言葉を聞いたなど、楽しい話がいっぱいでした。↑ 藤田和日郎さん(左)、島本和彦さん(右)のトーク。
2019.02.08
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2019年2月3日、池袋の東京藝術劇場に行き、絹谷幸二さんの天井画《天・地・人》を見ました。色も鮮やかで美しく、長い時間ずっと眺めていました。劇場のエントランスにふさわしく、この絵を見ながら楽しい気持ちでコンサート会場に行けると思いました。↑ 池袋の東京藝術劇場。↑ 1階フロア。↑ エスカレーターで上がっていく。↑ 絹谷幸二さんの天井画《天・地・人》。
2019.02.07
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2019年1月4日夕方、東京都文京区水道のトッパン小石川ビルにあるTOPPAN印刷博物館に行き、「天文学と印刷」展を見ました。プトレマイオスの天動説が長年ヨーロッパを支配してきましたが、ポーランドのフロンボルクに住んでいたコペルニクスが地動説を唱え、「天球の回転について」という本を書きました。その原稿はドイツのニュルンベルグでヨハン・ぺトレイウスにより1543年に出版されました。出来上がった本はコペルニクスへ送付されたのですが、届いたのは、コペルニクスが亡くなった日だったそうです。その後、ティコ・プラーエ、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイなどが自分の研究、自説を本にしています。日本でも、江戸時代の天文学者である渋川春海、江戸の暦などが紹介されていました。今回の展示を見ると、本を印刷する技術を持った「出版都市」が、ヨーロッパ中にどんどん増えていくのが分かりました。また、特にニュルンベルグが有名であったことは知らず、勉強になりました。昔、ドイツのマインツによく行きました。ライン川のそばにある町で、活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルグの博物館があります。↑ 「天文学と印刷 新たな世界像を求めて / 印刷博物館」↑ トッパン小石川ビル。↑ 印刷博物館。↑ ビルの入り口。↑ エスカレーターで下に降りていく。↑ 出品目録。↑ 左:「時祷書(じとうしょ)」1502年 所蔵:印刷博物館 右: レギオモンタヌス「アルマゲスト摘要」1496年 所蔵:金沢工業大学ライブラリーセンター↑ 左:アルブレヒト・デューラー(天球図(北半球))1515年 所蔵:ゲルマン国立博物館 右:ニコラウス・コペルニクス「天球の回転について」1543年 所蔵:金沢工業大学ライブラリーセンター、広島経済大学図書館↑ 左:レオンハルト・フックス「植物誌」1542年 右:アンドレアス・ヴェサリウス「人体の構造について」1543年 所蔵:広島経済大学図書館↑ 左:ティコ・プラーエ「新天文学の器具」1602年 所蔵:金沢工業大学ライブラリーセンター 右:ヨハネス・ケプラー「宇宙の神秘」(第2版)1621年 所蔵:印刷博物館↑ 左:司馬江漢(天球図)寛政8(1796)年 右:渋川春海(天文分野之図)延宝5(1677)年 所蔵:印刷博物館【天文雑誌による「天文学と印刷」の紹介】↑ 月刊星ナビ 2018年12月号/アストロアーツ。↑ P61 「三鷹の森 217 文 渡部潤一先生」 「天文学と印刷展」↑ 月刊星ナビ 2019年1月号/アストロアーツ。↑ P70~71。「印刷がもたらした革新 ー新しい視点で感じる天文学 取材:三浦翔未来さん。↑ 月刊天文ガイド 2019年2月号/誠文堂新光社。↑ P74 勝野源太郎さんのBOOK GUIDE 「天文学と印刷」図鑑の紹介。↑P76~77 マサが行く! 活版印刷の歴史と貴重な印刷物に大興奮! 印刷博物館「天文学と印刷」の巻。↑ 会場を出た所。↑ ビルの出口。↑ トッパン小石川ビル。↑ 首都高速5号池袋線と神田川。↑ 飯田橋交差点。↑ 飯田橋交差点。↑ JR飯田橋駅。
2019.01.16
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2019年1月4日、長女と一緒に新宿小田急百貨店の「アルフォンス・ミュシャ展」を見に行きました。ミュシャのポスター、装飾パネル、本の挿絵、ポストカード、紙幣など約400点が並べてあり、どの絵も美しく、眺めるだけで幸せな気分になりました。↑ モグラのクルテク(チェコの人気アニメ)
2019.01.08
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2018年11月11日、東京都美術館の「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」を見に行きました。ノルウェー・オスロで新しいムンク美術館が建設中のため、ムンクの初期から晩年までの作品がまとめて東京に来ています。ムンクの代表作は「叫び」ですが、美術館内に「あなたの『叫び』を描こう」というコーナーがあり、しりあがり寿さんの「オトーサンの叫び」、バイきんぐ小峠さんの「ピンクの叫び」を見ることができました。個人的に好きな絵は、ムンクの「真夏」です。夏のフィヨルドの海岸で遊ぶ人たちを描いた作品で、色遣いがとても綺麗です。ムンク自身は生涯独身でしたが、ムンクと関わった女性たちを描いた絵を見ながら、色々と当時を想像しました。トゥラ・ラーセンと付き合っていたときは、結婚を迫られ、拳銃の暴発でムンクは左中指を損傷しています。昔、オスロ―でムンクの絵を見ました。オスロ国立美術館の中にムンクコーナーがあり、ムンクの絵をまとめて見ることができました。その後フイヨルドの遊覧船に乗ってデッキの景色を楽しんだものの、風が冷たくて、10分程度で船内に戻りました。美術館でムンクの「マドンナ」の絵が入った鏡を購入しました。オランダに戻りスキポール空港で入管通過後、職員に呼び止めれられてカバンの中身の検査があり、鏡について美術品購入の申告をしていなかったという話になり、大変な思いをしたことがありました。結局お金を払う事になりました。ムンクの絵というと、この出来事をすぐに思い浮かべます。↑ ムンク展ー共鳴する魂の叫び(東京都美術館)。↑「あなたの『叫び』を描こう」のコーナー。↑ しりあがり寿さんの「オトーサンの叫び」。↑ バイきんぐ小峠さんの「ピンクの叫び」。↑ ムンクの「真夏」。色遣いが美しく、とても気に入っている絵。↑ ラ ミューズ 第18号 ムンク美術館/講談社/1993年2月9日発行。オランダにいた時、読んでいた。↑ ムンクへの招待/朝日新聞出版/2018年10月30日。 ムンク展の売店で買った。
2018.11.14
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東京・高田馬場駅・早稲田口側の鉄橋高架下に、二つの壁画があります。JR側は「ガラスの地球を救え」で、西武側は「歴史と文化 過去から現在そして未来へ」です。↑ 高田馬場早稲田口壁画設置について。↑ JR側壁画「ガラスの地球を救え」。↑ 西武側壁画 「歴史と文化 過去から現在そして未来へ」。
2018.11.12
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2018年11月3日、4日に、早稲田大学の早稲田祭を見に行きました。本部キャンパス、戸山キャンパス、理工キャンパスを巡りました。お目当ては、早稲田大学男子チアリーディングチームのショッカーズ(SHOCKERS)です。11月4日14時から、西早稲田の理工キャンパスの演技を見ようと舞台近くで待っていた所、昼に降った雨のため、舞台を拭いても滑る可能性があるということで、舞台の下の地面で演技を行う事になりました。待っていた人たちは6メートルほど後ろに下がり、スペースを作り、しゃがんだり座ったりして見ることになりました。演技は迫力あり、まるで空を飛ぶようなジャンプは爽快でした。魔女の宅急便のキキが空を飛ぶという設定もあり印象的でした。
2018.11.10
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手元にあるフェルメールに関する本です。↑ フェルメール全点踏破の旅 集英社新書ビジュアル版003V/朽木ゆり子/集英社/2006年9月20日ジャーナリストの朽木ゆり子さんが、欧米各都市の美術館に散在するフェルメールの作品を訪ねていく。↑ 謎解きフェルメール/小林頼子、朽木ゆり子/新潮社/2003年6月25日p85~90の「世紀の贋作事件はなぜ起きたのですか?」がとても面白い。オランダ人画家ハン・ファン・メーレヘンがフェルメールの贋作を描き、ロッテルダムのボイマンス美術館が54万ギルダーで購入した。結局1947年に、贋作者としてオランダの裁判所は1年の実刑判決を下した。↑ 世界名画の旅 5 ヨーロッパ北部編 朝日文庫/朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班/朝日新聞社/1989年8月20日p91~101にフェルメールとデルフトの街が紹介されている。オランダに住んでいたとき、何度も繰り返して読んだ本。↑ 盗まれたフェルメール(新潮選書)/朽木ゆり子/新潮社/2000年3月30日1971年9月20日、ベルギーに貸し出されていたアムステルダム国立美術館のフェルメールの「恋文」が盗み出された。犯人は逮捕されたが、絵は大きな損傷を受けた。1974年2月22日にロンドンのケンウッド・ハウス美術館からフェルメールの「ギターを弾く女」が盗まれ、同年4月26日にダブリンのアイルランド・ナショナル・ギャラリーで「手紙を書く女と召使」が盗まれた。1990年3月18日、ボストンのガードナー美術館で、「合奏」を含む12点が盗まれた。未だに行方不明。↑ 名画泥棒/ミルトン・エステロウ 訳者木村忠雄/北宋社/1996年3月5日p126~143。第二次世界大戦が勃発し、ナチスがヨーロッパの美術品を略奪してどこかに隠した。連合軍はヨーロッパ侵攻を準備し、幕僚としてポージー大尉とカースタイン上等兵が美術担当となった。どこに隠しているかまったく情報が無く、最初に駐屯したドイツの町トリールで2人は途方に暮れていた。ある朝ポージーの歯が痛み出し、町の歯医者に診てもらった。歯科医に美術品を保護する仕事をしていると話すと、歯医者も婿がドイツ軍の少佐で同じ仕事をしているので紹介すると言われた。その後、町から離れた山の麓で、婿のヘルマン・ブニェスと妻、子供に会った。ブニェスは盗まれた全ての美術品と隠し場所である塩鉱の記録を持っていた。そしてナチスは塩鉱を爆破する計画があると言った。結局その情報により、オーストリアの山脈にあるアルトアウスゼーの塩鉱の中で、ナチスが隠した大量の美術品が発見された。その中には、フェルメールの有名な「画室における画家の肖像」があった。その後、ドイツ親衛隊(SS)であったヘルマン・ブニェスは、妻と子供を道連れにピストル自殺をした。↑ フェルメール 作品と画家のとっておき知識/千足伸行/河出書房新社/2018年9月15日↑ 消えたフェルメール インターナショナル新書029/朽木ゆり子/集英社インターナショナル/2018年10月10日↑ フェルメール最後の信実/秦新ニ、成田睦子/文藝春秋/2018年10月10日↑ ART TRIP 世界美術の旅⑦ ベルギー・オランダ物語/世界文化社/1988年11月1日↑ アムステルダム国立美術館/エミール・メイエル 訳者田辺徹/Scala Books、みすず書房/1988↑ 誰も知らない「名画の見方」/髙階秀爾/小学館/2010年10月6日↑ 名画修復 保存・復元が明かす絵画の本質 ブルーバックス B-1068/瀬木慎一/講談社/1995年5月20日↑ 近代絵画の暗号/若林直樹/文藝春秋/平成11年3月20日↑ 名画は嘘をつく ビジュアルだいわ文庫/木村泰司/大和書房/2014年11月15日↑ 赤瀬川原平の名画読本 鑑賞のポイントはどこか/赤瀬川原平/光文社/2005年4月15日↑ 乙女の絵画案内 「かわいい」を見つけると名画がもっとわかる PHP新書916/和田彩花/PHP研究所/2014年4月1日↑ 失われた時を求めて 1(全14冊)スワン家のほうへⅠ/プルースト作/訳者吉川一義/岩波書店/2010年11月16日。フランスの文豪プルーストの作品「失われた時を求めて」。「長い事私は早めに寝むことにしていた」で始まる長編で、主人公が次々と浮かび上がる記憶や思い出を書いていく。美術作品についての記載も多くある。↑ 失われた時を求めて 2(全14冊)スワン家のほうへⅡ/プルースト作/訳者吉川一義/岩波書店/2011年5月17日。p43 :オデット(社交界の名士をパトロンにして暮らす女性)が、スワン(ユダヤ系株式仲買人の息子)に対し、「一度、うちにお茶にいらっしゃいません?」と誘ったが、スワンは誘いを断る口実に、やりかけの仕事があると、フェルメール・ファン・デルフト(注)に関する研究ーといっても実際には何年も前から打ち捨てられたままになっていたーを持ち出した。(注)オランダのデルフトで活躍したヨハネス・フェルメール(1632-75)。19世紀後半に美術批評家トレ=ビュルガーによって再評価された。ブルーストは1902年10月にデン・ハーグの美術館で画家の「『デルフトの眺望』を見てからというもの、この世でもっとも美しい画を見たのだということがわかり、『スワン家のほうへ』でスワンにフェルメール研究をさせずにはいられませんでした」と書く(1921年5月のヴォートワイエ宛て書簡)。p364~366 :スワンは、オデットの気持ちが自分から離れていくことに気づき、いたたまれなくなり、自分がパリから出て行こうと何度も考えた。フェルメールに関する研究を再開して、できることなら少なくとも数日、デン・ハーグやドレスデンやブルンスウィックを再訪する必要があった。スワンはデン・ハーグのマウリッツハイス美術館がニコラス・マースの作品として購入した『ディアナの身づくろい』は、実のところフェルメールの作だと確信していた(注)。そのため、できれば現地で画を調査したいと考えていた。(注)スワンの知識は正確というべきで、1876年5月4日にパリで開催された画商ゴルドシュミット・コレクションの競売で『ディアナの身づくろい』はニコラス・マース(1634-93)の作品としてマウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)が購入していた。同作がフェルメールの真筆として認定されるのは1907年頃。↑ 失われた時を求めて 7(全14冊)ゲルマントのほうⅢ/プルースト作/訳者吉川一義/岩波書店/2014年6月17日。p398 :パリのゲルマント公爵と私が会話をしている。ゲルマント氏が「いやあ、デン・ハーグ、なんてすばらしい美術館だ!」と大声をだしたので、私は氏に「そこではきっとフェルメールの「デルフトの眺望」をご覧になったでしょう」と言ったところ、見ていないようで、ゲルマント侯爵は「見るべきものなら見ております!」と答えるにとどめた。↑ 失われた時を求めて 10(全14冊)囚われの女1/プルースト作/訳者吉川一義/岩波書店/2016年9月16日。p414~P417 : ベルゴッドは主人公である少年の「私」が憧れた文豪で、フェルメールの「デルフトの眺望」という絵を見るために展覧会場に入った。絵の右側に見える小さな黄色い壁面を見た時、「こんなふうに書くべきだった」と呟いた。そして「おれの最近の本は、あまりにも無味乾燥だった。この小さな黄色い壁面のように、絵の具を何度も塗りかさねて、文それ自体を貴重なものにすべきだった」と言った。心の中で「小さな黄色い壁面」と繰り返していると、発作が起こり、ソファーから床へ転げ落ちて死んだ。↑ デルフトの眺望/フェルメール/マウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)↑ 「デルフトの眺望」の右側の中央に、ブルーストの「失われた時を求めて」で、ベルゴットが「小さな黄色い壁面」と言いながら死んでしまったという黄色い壁面(屋根)が見える。
2018.10.30
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2018年10月27日(土)17時から、上野の森美術館でフェルメール展を見ました。フェルメールの絵は、今回は東京展が9点、その後に開かれる大阪展は6点が展示されます。(大阪限定は「恋文」)ドレスデン国立絵画館の「取り持ち女」は1月から東京に来るため、それ以外の8点を鑑賞しました。美術館は時間予約制で、ネットではいつも週末は17時以降しか空いておらず、当分先にしようか迷いましたが、次のスケジュールが立たなくなるので、急遽17時で予約を入れました。16時半に美術館に着くと、すでに17時待ちの長い行列ができており、もっと早く来るべきだったと思いました。私は1991年から約4年、オランダのロッテルダムに住んでいました。当時は時々、アムステルダム国立美術館、デンハーグのマウリッツハイス美術館に行き、フェルメールの作品を見ていました。混むことも無く、じっくり眺めることができました。オランダ以外でも、フランスのルーブル美術館、オーストリア・ウィーン美術史美術館、ドイツ・ベルリン国立美術館、ドレスデン国立古典絵画館、イギリス・ロンドンナショナルギャラリー、アメリカのメトロポリタン美術館、ワシントン・ナショナルギャラリーでフェルメールの絵を見ました。今回、エジンバラのスコットランド・ナショナルギャラリーにある絵が展示されていました。エジンバラに行った事がありますが、フェルメールの絵があることに気が付きませんでした。エジンバラ城を見たり、幽霊ツアーに参加した記憶が残っています。フェルメールの絵といえば、人物に窓ガラスから入る光が当たる絵が多いです。眩しい光ではなく、薄暗くぼんやりとした光です。オランダにいる時、快晴の日は少なく、いつも曇った日が続く印象がありました。フェルメールの絵に描かれた光の弱さを見ると、オランダらしいなと思います。↑ 上野の森美術館「フェルメール展」。↑ 今回東京展で紹介される9点。(右上の「取り持ち女」は2019年1月9日から展示されるため、現在は8点を見ることができる)↑ 牛乳を注ぐ女/フェルメール/アムステルダム国立美術館(オランダ)。若い女性がパン粥を作るため、牛乳を鉢に注いでいる。絵で描かれる青色は、ラピスラズリの原料を使ったウルトラまリン・ブルーで、フェルメールの絵に多く使われている。↑ 真珠の首飾りの女/フェルメール/ベルリン国立美術館(ドイツ)。女性が真珠の首飾りを結ぼうと、飾りにあるリボンを手にして鏡を見つめている。机にはたらいや白粉のパフが置かれている。毛皮付きの黄色い衣装は、フェルメールの絵の中で良く見かける。↑ 手紙を書く女/フェルメール/ワシントン・ナショナル・ギャラリー(アメリカ)。手紙を書く途中で、顔を向けて微笑む女性。この絵にも毛皮付きの黄色い衣装が使われている。↑ 手紙を書く婦人と召使い/フェルメール/アイルランド・ナショナル・ギャラリー、ダブリン。背景の絵画は旧約聖書の「モーセの発見」の場面。エジプト王ファラオは国内のイスラエル人の男の赤子を殺す命令をした。女性のヨケベドは産んだモーセを葦船に乗せてナイル川に流す。ファラオの王女が偶然モーゼを見つけ、王子として育てることを決意した。なぜこの絵が背景に描かれているかは、美術の本を読むと色々な解釈が書かれており面白い。↑ ワイングラス/フェルメール/ベルリン国立美術館(ドイツ)。女性がワインを飲み干そうとしており、男性がワインを継ぎ足そうと待っている。楽器のリュードや楽譜が見える。この男性に騙されそうな女性。添付したポスター写真は絵の一部だけで、本物の絵は左側にステンドグラスの窓が描かれている。ステンドグラスには手綱を持つ女性が描かれていると紹介されていたが、本物の絵を何回も見直しても、良くわからなかった。後から売店で図録を見てじっくり眺めた時、やっと手綱を持つ女性の姿が浮き上がって見えた。↑ リュードを調弦する女/フェルメール/メトロポリタン美術館・ニューヨーク(アメリカ)。この女性も、毛皮付き黄色い衣装を着ている。恋愛を暗示する絵にはリュードがでてくる。壁の絵はヨーロッパの地図で、小さい帆船が沢山描かれている。↑ 赤い帽子の娘/フェルメール/ワシントン・ナショナル・ギャラリー(アメリカ)。写真の原型であるカメラ・オブスクラで女性の姿を投影して書いたとされる。実物の絵は、びっくりするくらい小さい。私の印象だが、若い女性ではなく男性の顔に見えてしまう。未だにフェルメールが描いたのか、他者が描いたのか決着がついていない絵。↑ マルタとマリアの家のキリスト/フェルメール/スコットランド・ナショナル・ギャラリー、エジンバラ。「ルカによる福音書」に登場する場面。エルサレムのベタニア村に、マルタとマリアという姉妹がいた。マルタはキリストと従者達を迎え入れ、毎日給仕をしていたが、妹のマリアはキリストの話に聞き入り、給仕をしないので、それを咎めた。するとキリストはマルタに対し、「あなたは多くのことに思い煩っているが、大事な事はただ一つだけである。マリアは良い方を選んでおり、それを取り上げてはならない」と答えた。なんだかかわいそうなマルタ。↑ 取り持ち女/フェルメール/ドレスデン国立古典絵画館(ドイツ)。この絵は、2019年1月9日から東京で展示予定。売春宿で男性が女性の胸を触りながら、金貨を渡そうとしている。↑ 入場時にもらった小さいガイドブック。↑ 美術館を出たら、最終時間を予約した人が長蛇で並んでいた。↑ 上野駅とスカイツリー。↑ スカイツリー。↑ アメ横方面。↑ JR上野駅 公園口。
2018.10.28
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国立科学博物館に、カメの祖先にあたる「アーケロン・イスチイロス」の骨格が展示されています。家で飼っているカメの祖先にあたると思うと、思わず見入ってしまいます。恐竜の骨の展示室は、見るだけでも楽しいです。駆け足になりましたが、今度はゆっくり見に行こうと思いました。
2018.10.27
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国立科学博物館に、日本のノーベル賞受賞者を紹介するコーナーがあります。受賞に関する論文、手記などが掲示されており、一人ひとり見ていくのは楽しいです。2012年に山中伸弥教授は「成熟細胞が初期化され多様性を持つことの発見」により、ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。iPS細胞の培養シャーレも展示してあります。山中教授が所長をされている京都大学iPS細胞研究所(SiRA : サイラ)の実験ノート(未使用)があります。新任の研究者には実験ノートの付け方が指導され、ノートは知財担当者によって定期的にチェックされ、研究者が退職するときは、ノートは研究所に保管されます。いかに不正を防ぐか重要な問題だと思いました。↑ 山中伸弥教授の紹介。↑ iPS細胞の紹介。↑ 京都大学iPS細胞研究所(SiRA : サイラ)の実験ノート(未使用)↑ アルフレット・ノーベルの紹介。
2018.10.26
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国立科学博物館の中で、「恐竜学入門・発見から復元まで」というコーナーがあり、「パンビラプトル」という恐竜を例に、発見、クリーニング、研究、骨格の復元、展示までの一連の流れが紹介されていました。↑恐竜学入門・発見から復元まで (パンビラプトル)↑ パンビラプトルは、手首、肩、骨盤などに鳥類的構造を持ち、鳥類に近い獣脚類に分類されている。↑ 発掘。 1993年9月、アメリカ、モンタナ州で、ウェブ・リンスターさんが何気なく岩石をひっくり返し、小型恐竜の歯骨を発見した。↑ バンビラブトル。↑ プラモデルみたい。↑ クリーニング。1995年9月から1998年12月まで、のべ5000時間にわたる辛抱強い顕微鏡下のクリーニング作業の結果、全身の約90%の骨を得ることができた。これらの骨の形、関節の形を観察し、比較検討することによって、この動物の分類、系統的な位置づけ、骨格の動きなどが明らかになっていく。↑ クリーニングの作業用具。↑ クリーニング前。 歯骨と遊離した歯が母岩に埋まった状態。↑ クリーニング後。左右の歯骨を内側から見たところ。↑ レプリカをつくるため、シリコンで型どり。↑ 記載。 この標本は足の第2趾の末節骨が大きなカギヅメ状に発達したり、尾椎の突起が前方に伸びたりしており、ドロマエオサウルスに分類される。これまでに報告されているどのドロマエオサウルス類とも異なる事から、バンビラプトル・フェインベルギイという新種として記載された。"bambi"とはイタリア語で「幼い」、"raptor"とは「略奪者」を意味する。↑ バンビラプトルの脳は、鳥類と同程度に大きく、大脳と視葉が発達し、嗅葉が減少しているなど鳥類的だった。↑ バンビラプトルの肩。鳥が羽ばたくように、前肢を上下に動かせた。↑ バンビラプトルの手首。手首が左右に動くように変化したと推定される。翼を広げたりたたんだりするため。↑ 骨盤。獣脚類はティラノザウルスのように恥骨が前方を向いているのが基本形だが、バンビラプトルなど鳥類に近い種では、後方を向くようになる。↑ 足。ドロマエオサウルス類の第2趾の指先は180度動かせたと考えられる。↑ 尾椎。バンビラプトルの尾椎は、前後の脊椎骨をかみあわせる突起が前方に著しく伸びている。硬いしっぽは走る時にバランスを取るのに役立ったと考えられる。↑ バンビラプトル。↑ 復元。パンビラプトルの化石には、羽毛やその痕跡は見つかっていないが、羽毛はもともと化石として保存されにくく、控えめに羽毛が復元されている。
2018.10.24
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東京・上野にある国立科学博物館のフタバスズキリュウの全身骨格です。1968年に福島県いわき市大久町入間沢で、当時高校生だった鈴木直(すずきただし)さんが化石を発見しました。小学生の頃、フタバスズキリュウの事を雑誌や本、マンガで読み、とても興味がありました。2006年に「Futabasaurus suzukii (フタバザウルス スズキイ)」として学名記載がされました。会場のTV画面に、東京学芸大の鈴木たまき准教授が骨を同定したり研究する姿が紹介されており、鈴木さんが学術的にフタバスズキリュウの名付け親になりました。↑ 国立科学博物館のフタバスズキリュウの全身骨格。↑ フタバスズキリュウの産状模型。↑ 想像図。↑ 頭骨。↑ 鎖骨・間鎖骨。↑ 右上腕骨。↑ 左後肢。↑ フタバスズキリュウと一緒にあったサメの歯。↑ フタバスズキリュウ発見者の鈴木直さんと、名付け親の佐藤たまき博士。
2018.10.16
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2018年10月13日、東京上野にある国立科学博物館に行き、「標本つくりの技 職人たちが支える科博展」を見ました。科学の各分野でどのようにして標本を作っているか、その手法の一端を知ることができ、とても面白かったです。沢山展示がありましたが、興味があったところを少し紹介します。博物館の裏側をマンガにした早良朋さんの絵が会場に飾られており、売店で「へんなものみっけ! 1~2巻/早良朋/株式会社小学館」を買い、早速読みました。知らなかった事が沢山描いてありました。↑ 東京上野の国立科学博物館 企画展会場入り口。 早良朋さんの絵。↑ 「標本つくりの技 職人たちが支える科博展」。↑ 各分野毎に、マンガ「へんなものみっけ!」により紹介されている。↑ 理工学研究部。↑ 植物研究部。↑ 動物研究部。↑ 人類研究部。↑ 地学研究部。↑ 子供のミイラ。↑ ホモ・エレクトスの頭蓋模型。↑ 植物研究部 煮戻しについて。↑ ペチャンコの花が、煮戻しで立体的に形が戻る。↑ 地学研究部 ピール法により石の表面を顕微鏡で観察できる。↑ 石の表面を見る。↑ 1889年7月28日の熊本大地震の様子が写真に残っている。熊本城の石垣が崩れている。↑ マンガ「へんなものみっけ!」の一部紹介。↑ 「へんあものみっけ!」の主人公である、清棲あかりと薄井透。↑ ジャコウネズミのキャラバン行動。↑ ボールニシキヘビの標本。↑ エラブウミヘビの標本。 カツオブシ虫に食べさせて標本にする。↑ 人骨修復。↑ 岩手県陸前高田市に落ちた気仙隕石。↑ レプリカ。↑ 気仙隕石。↑ シカマイアという大きな貝の化石がある岩。↑ 岩から化石をクリーニングして取り出す。↑ シカマイアの不思議な形。↑ マンガ家 早良朋さんの絵。↑展翅の部屋。↑ 展翅標本作成道具。↑ 展翅台。↑ 展翅標本作成のデモンストレーションが行われた。↑ 国立科学博物館1階。↑ツチクジラ。↑ 売店で「へんなものみっけ! 1~2巻/早良朋/株式会社小学館」を買って読んだ。博物館の裏側が詳しく書かれてあり、面白かった。
2018.10.14
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2018年9月24日、東京・弥生美術館で「文豪・泉鏡花x球体関節人形展」、竹下夢二美術館で「明治の夢二」を見ました。「高野聖」、「天守物語」など泉鏡花の妖しい世界を、人形作家の吉田良さん、水澄美恵子さん、陽月さん、三浦悦子さん、愛実さん、ホシノリコさん、橘明さんが人形で表現していました。その後弥生町から歩いて秋葉原に行き、天体望遠鏡の店を覗きました。↑ 「高野聖」の妖艶な女。↑ 「天守物語」の富姫と生首。↑ シュミット。↑ スターベース東京。
2018.09.27
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2018年9月22日、東京ドームシティ Gallery AaMoで、「イグ。ノーベル賞の世界展」を見ました。1991年にマーク・エイブラハムズさんにより、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して賞を与えるイグ・ノーベル賞が創設されました。毎年ハーバード大学で授賞式が行われています。「ガスマスクに変形できるブラジャー」など、過去の受賞が数多く展示されていました。↑ 東京ドームシティ↑ イグ・ノーベル賞とは?↑ 主催者のマーク・エイブラハムズさん。↑ エマージェンシー・ブラの発明。↑ ドクター・エレナ ボドナーさん。 ブラジャーは二つに分離でき、自分以外に、助けたい男性にも渡すことができる。↑イグノーベル賞 日本人受賞者の紹介。
2018.09.26
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