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オペラは楽曲が生命。オーケストラと名歌手の美声が音楽の心を伝える。――というのはクラシック音楽の伝統的な発想だったのかも知れない。 朗読から朗読にリズムや抑揚がつき歌曲として音楽になっていくのと似て、カンタータ、オラトリオなど、室内楽/オーケストラ演奏と声楽から成る音楽に、少し歌曲内容を表象的抽象的な動き所作表情などが加わり、演劇に近づいていく。日本の文化で言えば、朗読から謡と能に、また経に。そして所作が更に大きくなると、能に、更に進んで狂言や歌舞伎に進化していく。 オペラは、ヨーロッパにおけるこのような進化の流れを包括しているのであろう。古典的なギリシャ劇に想起されるのは、「抽象化された白基調の単純な舞台に白い衣装の演技者数名がソロや掛け合いで歌う。所作は小さい。象徴的な所作で様々な心の動きや場面展開を示唆する。神殿における奉納舞台」というような「能」に通じるようなイメージである。その対極はダイナミックな激しい動きを伴うオペレッタやミュージカルの方向、あるいは通常の写実的な現代劇の方向である。 この日の2本立て、演出の粟國淳、舞台監督の斉藤美穂、美術の横田あつみ、指揮の沼尻竜典、演奏の東京フィルハーモニーは、共通である。 始めの作品は、アレクアンダー・ツェルムスキーの「フィレンツェの悲劇」である。出演者が3名。バルディ:ヴィゼヴォロド・クリヴノフ、シモーネ:ゼルゲイ・レイフェルクス、ビアンカ:齋藤純子。ドイツを中心に活躍する3人、聴くオペラとしては完璧。しかし、視覚を含める、つまり舞台を観てしまうと、いろいろ違和感が出てくる。 舞台は中央奥から右手奥に広い階段が降りてきていて、そのあたりが繊維豪商シモーネの豪邸の入り口。一方、左手は居室、兼広間、兼客間。舞台の掛割や調度は具象的に見え、出演者達のビロードと絹の様に見える衣装と共に、17-8世紀の上流の雰囲気。 居室でシモーネの妻ビアンカとフィレンツェ公爵の息子バルディと密会中に、シモーネが商いの旅から帰ってくる。シモーネは様子を見極めたうえで、密通を責めるのでは無く、バルディが何かを買いに来たものと見なして、おだて上げて一儲けを画策する。バルヂィは欲しいのはビアンカだといって、シモーネに挑戦する。ビアンカもバルヂィ側についている。二人は決闘になる。このオペラの中では最もリアルで、動きの派手な決闘シーンをへて、サーベルに倒れたのはバルヂィの方。首を締めて止めをさし、貫通した妻も血祭りにと向かうシモーネに、ビアンカは「あなた強いのね、見直したわ。」二人は目出度く抱擁してハッピイエンド。 ストーリーからすれば、結構笑える舞台のはず。しかし、実際の舞台では、密会中にシモーネが帰ってくるところ、決闘、そしてビアンカに向かっていくシモーネの姿と、ビアンカに丸められてシモーネがビアンカを抱擁するシーンが印象に残る。決闘シーンでは倒れたバルヂィに赤い照明が昂状に当でられて、首を絞めての止めでは無く、刺し殺されたものと誤解されてしまいそうである。粗筋からだけでも想像される三者の思惑や感情の様々な動きが、視覚的には全く出てきていない。カンタータからオペラへの進化の途中の様な、好意的に言って、演劇性が今一の舞台であった。 次の作品、ジャンニ・スキッキ。 最初の作品と同じく近世風の舞台。しかし、雰囲気はだいぶ明るく開放的南方的な雰囲気。舞台中央に大きなダブルベッド、その中央に死んだばかりの大富豪が横たわっている。舞台に最初から大勢が登場している。悲しんでいるというより遺産がどうなるかに皆の興味が向かっている。大富豪の甥、リヌッチは、街の知恵もの乗っているジャニス・スキッキの娘ラウレッタと、遺産を使って結婚しようと考えている。 遺産分割には、先立つ遺言書の確認が第一。ベッドを舞台の中央から奥にずらし、ベッド下を確認したり、遺体を転がして敷布の下を調べたり、壁に隠し場所があるのではと,壁をなで回したり、みんな大騒ぎ。舞台の中央奥に斜めに設えられた部屋の壁沿いに置いてあるタンスを探っていたリヌッチョが遺書を発見。 みんなで見ましょうと、遺書を広げる。遺書はダブルベッドより大きな5.5 mx4 mみたいな大きさ紙に書かれていて、それが舞台に広げられると、客席の最後方からでも字が読めそうな感じ。それを皆が囲んで読んでいる。極めてコミカルなシーン。そして、ヲーッと驚きと落胆の声。そうなのだ、「全ての遺産は修道院に寄付する」と。 これは拙い、何とかしなければ!リヌッチョは遺書を見た親類縁者を集め、大富豪の死にについて箝口令を敷き、善後策を思案。そうだ、ラウレッタのオヤジ、知恵もののスキッキに頼もう。ラウレッタは渋る父親スキッキを説得し、遺書を改ざんさせた。改めて大富豪の死が報告され、遺書の発表となった。スキッキが読み上げた遺書には、全ての財産をスキッキに任せるとあった。呆然とする皆を尻目にスキッキ高笑い。客席もつられて大笑い。 スキッキ:カルロス・アルバレス、ラウレッタ:砂川涼子、ツィータ:寺谷千枝子、リヌッチョ:村上敏明。この幕は、場内大乗の大爆笑の内に終演。 楽曲と出演者以外、二本立てを構成したメンバーは同じである。何で第1幕と第2幕にこんなに出来映えに差が出たのか。優等生をそろえて完璧を期したものがつまらない駄作になり、今イチ組が頑張ったら大成功。そんなことを思い浮かべてしまう二本立てであった。 後で調べたら、2005年に同じ新国立劇場で二期会オペラの今回と同じ2本立て公演が行われていた。http://bakeratta.cocolog-nifty.com/note/2005/07/post_79d0.html. バケラッタのブログによると、その公演では2本とも、意外性一杯の抱腹絶倒の演出だったらしい。その時の演出はドイツの当時気鋭の女性演出家・カロリーネ・グルーバー氏だったという。 取りあえず音盤のリンクを下記に。【新品】【本】まんがで読む世界の名作オペラ 9 メフィストフェレ・ボエーム・ジャンニ・スキッキ・道化師 つづき 佳子 著
2019.04.26
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Potsdam市は、州レベルの独立した行政区になっているBerlin特別市を、黒目を取り囲む白目のようにグルッと取り囲んだBrandenburg州の州都であり、BerlinからS Bahn、に乗り約30分で到着する。人口30万程度のこぢんまりした歴史の街である。そして、この町は第2次大戦でナチスが降伏した後の戦後処理が話し合われた、いわゆるポツダム会議が行われ、日本への降伏勧告、ポツダム宣言、が出されたところである。ノタノタとUrania 近くのホテルから動物園駅まで歩いて行きS-BahnでPotsdamまでたどり着いて、Informationに行ってみると、ガイド付き市内観光バスがもうすぐ出るという。 それに乗ってしまえ、ということで乗車。後はバス任せガイド任せ、そしてMr. Cats’ Gardenも後は宿主が撮った写真をアレンジしてお役ご免でしょうか。 (1)Schloss Cecilianhof 日本がポツダム宣言を受諾したのは8月15日で、それを連合国が確認し、正式調印したのは9月2日であった。ドイツ人ガイドさんはしかし、8月15日に天皇がポツダム宣言受諾を発表し、第二次大戦が終わった、と説明していた。8月15日、天皇、これが世界に認知されている図式なのだろうな、そうニャンスケは感じたのである。(2) Schloss Sanssouci (3) 新宮殿 ガイドさんの話によると、この新宮殿は、Sanssouciよりも遙かに贅を尽くして造られているのだそうである。しかるに、ここに居を定めた人は余りなく、居を定めても様々な事情で長く住めずに死んだり国を離れたりすることになったそうである。
2019.04.06
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Urania Berlinという催し物会場でJapan Festival Berlinが2019年1月26,27日に開催された。宿主の相方が何か出展するということではるばる来たのが今回の伯林旅行。そのFestivalを画像とともに紹介しよう。 Urania Berlin、地階(日本でいう1階)はロビー、そして地階と1階を抜いた形で劇場が造られている。そして2階3階が展示や講習会などが出来る催し物会場。今回のfestivalの入場料は15ユーロ程度と結構高い。にもかかわらず、コートを預ける間口10m程度のクロークカウンター前は二重三重の人、チケットカウンターは自動販売機を含めて6台ぐらい並んでいたが、どのブースにも人がいる感じであった。 来ている人、平均して若い。そして、殆ど皆、若干コスプレ風。中には本格的なのもいる。大きな黒い羽を頭に付けて, 目の周りにも黒いつばの男性。ライトブルー系のセーラー服に超ミニスタイルの女子高校生風。日本のアニメのヒーローヒロインのスタイルが、ドイツの若者の平均的スタイルに結構近いので、似合う。アニメから抜け出したような、という表現が無理なくはまる。 宿主の相方が展示品を出したブースの責任者と連絡し、関係者として受け取った会場パスカードが上写真である。このパスポートで、ニャンスケ一行、いろいろなところを見て歩いたのであった。 先ず初め、ヅカッと扉を開けたら、暗闇に太鼓がガンガン、左斜め前方に広がる暗いホールに、座席にいる人々の黒いシルエットがウヨウヨ。1500人ぐらい入りそうなホールの舞台横前方入り口から入ってしまったのだ。 数列目の左端に空席を見つけて取りあえず何が起きているのか観察。白塗り和楽器ロックバンドみたいな和洋折衷型の演奏が展開されている。客席は多分5割ぐらいの入りであろう。入ってくるもの出ていくもの、それなりにありながら、しっかりと観賞状態に入っている人がその他大勢。見たときのMCは英語であった。 二階も人が一杯。ここは目玉のアニメの階。 広く日本文化をドイツに伝えたい、そんな感じで色々集まっていたのは3階であった。2日間、立ち寄っても多ところでは、人気のあるところとそれほどでもないところ、可成り明暗が出てしまっていた。着物、琴の演奏と手ほどき、扇子、提灯その他日本のグッズはそれなりに人気。日本のコンビニで何処でも売っているスタイルの海苔でくるむ三角お握りはめちゃめちゃ好評。買ってみたら字がドイツ語英語ハングルで書いてあった。現地の韓国系業者が請け負ったようです。米の味は粘りのないロングライス系でした。
2019.04.04
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楽器を練習し始めるとき、如何にすれば綺麗な澄んだ音が出るかを最初に教えられることが今でも少なくないであろう。私ニャンスケは寄生猫という変な存在なので、自ら楽器に触れることは出来ない。だが、宿主やその周りの人々が,そして時には宿主の育った家庭に同居していた多数の家猫どもが肉声や鍵盤、そして猫には出来ないが人間どもは時に弓を使って弦を奏でたり、いろんな口の形で大小のリコーダー、フルート、尺八、ハーモニカなどを奏でたりするのを見聞してきた。 30年前頃まで、子供たちに教えるピアノの先生は、先ず真ん中のドだとかミだとかの鍵盤を人差し指か中指で押させてみる。ボンと音が出ると、次は指の形、上から垂直に指を立てる形で指の頭で鍵盤を打ったときと、一寸手を広げて指のひらで打ったとき、手を完全に開いた状態にして指全体で鍵盤を打ったとき、それぞれの音色を聞き分けさせる。卵をそっと握るような指の形で垂直に鍵盤を打つと綺麗な柔らかい音が出ることを実感させる。指の形で音色が決まる。次いで。強く打たせたり弱く打たせたりして、音の強弱が鍵盤のたたき方で変わることを実感させる。このとき、いつの間にか、ピーーーーと一定音階でブレ無く雑音無く澄んだ音が良い音という価値観が植え付けられてしまう。音叉が出すような音が良い音と植え付けられてしまう。 管楽器でも弦楽器でも、最初の吹き方弾き方の手ほどき段階で良い音の観念が仕込まれてしまう。綺麗な濁りの無い単音が、つまり純粋のような味も素っ気も無い音が良い音だと! 勿論これ全て人間の手足口で出来ることで、5本の指をばらばらに動かすことも唇の形を工夫して笛口で音を発することも猫にはむりで、出来ることは評論だけである。 何でこんな書き初めをしたのか?熊澤洋子さんのヴァイオリン(ビオリン:ジプシーバイオリン)ときしもとタローさんの南米の笛(ケーナ、チョケーラ他)の迫力満点な演奏に触れたからである。ヴァイオリンも笛も野太い。そして、たゆたう民族リズムの中に、ヴァイオリンとアルト以上の音域の笛の合奏のはずなのにズンズンズーーンブンブンブーーンというような通奏低音の響きをも感じてしまうのだ。 素人(素猫?)の耳から感じた感想である。熊川洋子さんの発する音色は、これがヴァイオリンの音なのか、深く多重的な味わいのあるダイナミックな音色。2015年の横浜でのコンサートのMCで、熊川さんが語った経歴の逸話、記憶の一部を以下に紹介する。 「ヴァイオリンは幼いときからやっていた。ヴァイオリンと共にある。 高校に入る頃、専門家になる方向で練習を続けるか、一般大学受験に移行するか、周りの音楽邸才能を惜しむ声や進路変更反対の意見を押し切っていったんは一般校受験の路線に乗る。しかし、部活動で音楽をやっている内に音楽が恋しくなり、音楽方向の受験に切り替え、再び猛練習。間に合わず音大受験失敗で、一般校に進路を三度変更、浪人後、法学部へ。大学のサークル活動でまた音楽に惹かれ、スペインや東欧の音楽に傾倒。そしてジプシーバイオリンという世界に、。。。 ジプシーバイオリンは音域も音色も普通のヴァイオリンとは少し違う。その音楽を再現するために、弦や弓を自分代え、チューニングも独自の音域に合わせる。」 要するにクラシック正調路線から出発しながら、ヴァイオリンを自分の好きな音楽を表現する自分の楽器に作り替えているのだ。 きしもとタローさんのケーナ、2019年3月の四谷3丁目での演奏の途中でのMC、これも記憶の中から呼び戻してみる。彼は笛を吹く天才少年だったらしい。 「小学校の高学年になりかけた頃、デパートに母親の買い物でついて行き、買い物をしている向かいの楽器屋を見ていた。飾ってある尺八が気になりじっと見ていたら、店員のお姉さんが「一寸吹いて見たら」とその尺八を手渡してくれた。そっと口に当て、吹いたら、ボエーーと大きな音が出て吃驚。もっと驚いたのがかの店員嬢。始めて尺八にさわり、いきなり音が出るなど前代未聞。これはプラスチック製だから本物の竹尺八も持ってきてあげる、遠くから採りだしたものからも、綺麗な音がほとばしり出る。戻ってきた母親も驚いて、これ幾らですか?40万円!ウワアとんでも無い!慌てて引き離す母親。あなたは凄いから絶対将来は笛を吹いてよ、と件の店員嬢。」 ニャンスケの脚色がどっかに少し入ったかも知れないが、そんなMCだった。そして氏は自ら笛をつくる笛吹きになった。 笛吹きは通常、音叉のような純音を出すことを期待され、そのように練習させられる。オペラ金閣寺観劇のところでも書いたが(2019年3月4日)、嘗てのフルート名手、オーレル・ニコレの音は澄んだいわゆる細い笛の音だった。ライバルのランパルは華やかに低調波と高調波が膨らんで、太い、そして、息を無駄にせず音を綺麗にするため、笛に入らぬスースー場合によってはザーザーいう無駄息は極力出すな、といわれている息の音が可成りはっきりと漏れ出して、それが雑音に感じられず、音の迫力を倍加する力を持っていた。 きしもとタローさんの笛の音はあのランパルのフルート音を思い出す。楽器は手作りで、音も手作りで、そして作曲もしてしまう。だから全てが掌で全てがオリジナルである。 この二人の合奏は凄まじい。音楽の楽しみ。二人あるいはこの二人+αの演奏をまだ聴いておられない方は、是非どこかで生演奏を聴いてみて下さい。きしもとタローさん+熊澤洋子さんの最新CD「空のささやき、鳥のうた」はきしもとタローさんのホームページから問い合わせれば入手できるようです。それ以前のものは市販ルートで入手可。わたしをよぶ こえ[CD] / 熊澤洋子わたしをよぶ こえ [ 熊澤洋子 ]
2019.04.02
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風邪で寝込んだ宿主に寄生して、ほかほかと暖かく、うたた寝をしていたら、新元号が「レイワ」と聞こえてきた。思わずゾッとした。冷水を掛けられた感じ。漢字にしてみたらまず最初に零和と出た。「レイ」から出てくるイメージを挙げてみよう。0、零、冷、霊、礼、例、令、麗、齡、鈴、、、。要するにZero(虚無)と冷たさ、冷ややかさである。否定的である。和を否定する、と聞こえる。決定された実際の字を見ると「令」とある。「令」は文字通り命令の令である。地位の上位者(長官、知事など)を指す漢字でもある。上下関係の言葉である。「平」が横並びなのと対照的である。和を許さぬという意味、あるいは令の元での和、つまり自由の無い和。 直ぐに思い出されるのが昭和初期から昭和20年に至る道のりである。大まかにいえば、1700年代後半から、絶対主制、専制政治を廃して市民みんなが参加し、民衆が合議で方向を決める民主主義時代になって来た。この流れの世界の中で、時折起こるのが、強権発動で事態を覆したいという不満分子集団を背景に権力を得る専制主義者である。ナチや戦前日本が代表例である。また、共産主義が一党独裁あるいは、一党独裁は拙いということで、形だけ存在を残すという、形式議会制に陥り、結果として専制政治になり、酷いことが起きてきたことも周知である。 安倍総理大臣が会見でいみじくも口にしてしまった「抵抗勢力という言葉もありましたが。。。」そうなのである。今回の元号は世界史の大きな流れへの抵抗勢力の部分勝利宣言のように思える。ニャンスケは平和を希求する。それは令和と180度方向違いである。2019/4/1up アハハ今日はApril Fool’s day新版 日本の軍国主義 1 天皇制軍隊の形成 / 井上 清/著 【中古】新版 日本の軍国主義 3 軍国主義の展開と没落 / 井上 清/著 【中古】井上清史論集(3) 日本の軍国主義 (岩波現代文庫) [ 井上清(歴史学) ]【中古】【岩波新書「軍国主義と教科書」著者:中内敏夫】中古:非常に良い子どもたちを戦場に送らない勇気 安倍政権の独裁政治を止めて、希望の国に! /WAVE出版/武田文彦 / 武田文彦【中古】afb子どもたちを戦場に送らない勇気 安倍政権の独裁政治を止めて、希望の国に!子どもたちを戦場に送らない勇気 安倍政権の独裁政治を止めて、希望の国に!【新品】【本】子どもたちを戦場に送らない勇気 安倍政権の独裁政治を止めて、希望の国に! 武田文彦/著
2019.04.01
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