全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
Mr. Cats’ Garden: ニャンスケさん、あなた、だいぶ前から天皇生前退位や改元のことでブツブツゴニャゴニャ言ってたよね?もうじき新元号発表だよ。言いたいことは事前に言わないと、決まったあとで何か言っても後出しジャンケンになるんじゃ無いかい。ニャンスケ:ウーム、結構いろいろあって、いつの間にか、またあとからの戯言になりそうな感じ!忘れていました、兎に角、新元号発表前にこういうことを考えていた猫がいたというマーキングをしておきましょう。M: で、どういう話?N: 昔は殆どの国が世襲制の国王・天皇などを国の旗印、いわゆる元首、として抱いていたんだよね。この言い方は民主的な、つまり現代先進社会的な言い方だけれど、要するに近代までは殆どの国で世襲君主とその取り巻きが民を支配していた。 次世代を担う世子とか皇太子とかよばれる世継ぎは当代君主の就任と共に決められ、終身制であったり君主が急逝したりした場合、世子がスンナリと座を次ぐ仕組み。そのような場合、つまり終身制の君主制を取る場合、次世代への継承は当代君主の死という悲しみの喪の中で行われることになるでしょう。終身制君主の場合、新しい君主の即位は悲しみと共にあることになってしまいます。 君主が引退して譲位による新君主が誕生する制度は、上皇の誕生と新君主の誕生が同時の行われることになり、国は喜びに包まれる、目出度し目出度しで大変結構なこと、ですよね、Mr. Cats’ Garden! 今回の天皇譲位はこの目出度し目出度し路線で、最近の日本には無かった、世界に誇れる制度的な改善と褒めて良いんじゃないですか?M: 一寸歴史を読んでみたら良いんだよね。譲位制度は取り巻きの奸臣の好餌になることが少なくないんだ。つまりリスクが大きい制度でもあるんだ。どういうことかというと、 君主とそれを取り巻いて実務をやる政治家、つまり君主と首相、の関係がうまくいかなくなったとき、何が起こるか?君主が制度的に政治的行動を許されている場合、当然首相の交代を仕組むことが出来る。首相が君主を除こうと考えたとき、君主が終身制だったら暗殺しか手が無い。ところが、退位する習慣や制度があれば、取り巻き連で語らって、実務側が君主を言いくるめて退位に追い込むことが可能になる。要するに、側近によるイジメで皇位を心理的に圧迫し、退位に追い込む、あるいは執務不能の精神状態に追い込んでしまうことが出来てしまうのだ。 日本の歴史の中には、世襲皇室と実務首班(将軍・首相など)の確執で生まれた南北朝時代であるとか、君主が将軍に実務委譲する征夷大将軍の制度など、沢山の確執の事例と智恵や失敗例が詰まっているんだよ。要するに、譲位の制度は奸臣を横行させやすくする制度かも知れないのだ。N: 奸臣が居るか否か、どうやれば知ることが出来るんでしょうか?M: そんな方法があれば直ぐに奸臣側が対策するので、難しいですよね。―――若しかすると、新元号の中に奸策や奸臣ののぼせ上がりが見えてしまって、歴史的笑いものになるなんてことは起き得なくも無いんじゃ亡かろうか。 自分の名前を織り込んだ元号を制定させて、我が世の春を演出したつもりが、数十年後には世紀の奸臣として世界中からさげすまれる状況になる、なんてことが無いように祈るばかりでありますよね。N: 元号は退位する天皇の退位後の名前になりますよね。これからの時代を表象する名称にもなるでしょう?誰かの好みが強く反映した名称であることが明らかになると、その誰かは永く顕彰されるという思惑が外れて皇位を汚した奸臣として歴史に残ることになりますよね。歴史の中にこういうマーキングをするシステム、大陸から来た習慣だと聞いていますが、これは日本独特のものになってしまっているんじゃ無いんですか?M: それは一寸調べてみなくては判らないが、独自元号を年表記の基本においている国は先進国には無いんじゃないですか? それはともかく、この時代が後世大きなマイナスの時代と評価されるときが来ても、それと元号の対応で現為政者が蔑みの対照にならないような賢明な元号が決まることを、猫族としては祈るばかりであります。
2019.03.31
コメント(0)

ポツダム広場は伯林の中心でありヨーロッパの中心の一つである。第2次大戦でナチスドイツが降伏したとき、首都ベルリンはポツダム広場を円の中心の様にして、方代官に壁が出来たとき、ポツダム広場はその4分の一が壁から東に入り、残りが英米仏3カ国の占める西伯林となった。壁崩壊後、ポツダム広場は伯林の中心に戻り、壁の残滓は記念遺跡として広場の造形に巧みに取り込まれた。ポツダム広場からブランデンブルグ門までは1 km弱のほぼ直線露である。そこはナチスに勝利した人々によるナチス犠牲者への弔いの路であった。
2019.03.23
コメント(0)

U8のBernauer Strasse駅で降りると、そこはU8が市街から北に向かって下を通っているBrunnen strasseとそれをほぼ東西方向によぎるBernauer strasseの交差点である。壁はBernauer strasseの南側を、道路沿いに住居と道を隔てるような形で東西に建てられたようである。この場所では壁の南側が東独、北側が西独であった。 交差点の南西のコーナがチョットした広場のようなスペースになっていて、そこに東西分割時代の歴史やこの通りにあった壁にまつわる歴史を偲ぶ場所が用意されようとしていた。上の写真の中で、疾走してくる兵士は正に“自由への逃走”か、あるいは"死への爆走“だったのか? Bernauer Strasseを東に行くと、道際の壁が残されている場所があるはずなのだが、相方の体力限界で、取りあえず駅近くの喫茶店休憩。休憩後、東方向は断念し西に向かう。 Bernauer Strasse沿いの壁は市井の生活を断ち切る形で建てられた。そのため、家族親類が偶々訪問先で壁に仕切られ、別れ別れになってしまう例が多発した。東側に入ってしまった建物に偶々いた人が慌てて壁の上を越えられる2階(日本風でいえば3階)の高さから西側の道に飛び降りた。壁の両川では東西の兵士や住民がその人を受けとめようと待ち受けていたが、残念ながらうまくいかず、墜死。その死を悼む銘板が道路に埋め込まれている。そんな場所にBerauer Strasseを少し西に向かったところで出会った。 更に西に向かうと、広大なMauerer Parkがある。地図上は広大で入り口もそれなりな大きさを感じさせる。しなし、中は工事現場と草ッパラ。冬場は土曜日曜のみ開園らしい。週日は大型重機を入れて整備中。広い公園は、西側の小高い丘の上を壁が走っており、壁が現役でなくなって30年経た今、家族連れの憩いの場ともなっているようである。ディ・マウア- ベルリンの壁1981-1991 /情報センタ-出版局/橋口譲二 / 【中古】afb
2019.03.19
コメント(0)

(2019/2/23上演 黛敏郎 金閣寺 オペラ全3幕 日本語字幕付原語「ドイツ語」上演、東京二期会オペラ劇場(フランス国立ラン歌劇場との共同制作公演)、東京文化会館大ホール、原作:三島由紀夫、台本:クラウス・H・ヘンネベルク、指揮:マキシム・パスカル、演出:宮本亜門、主催:東京二期会)<<開演前の薀蓄>> 宿主は日本人がやるオペラが嫌いであった。オペラ好き日本人たちは西洋音楽を一生懸命お勉強して受容したつもりになっていた。だけれど、問題が山積だったのだ。 発声:ベルカントなる発声法を一生懸命やるも、小柄な日本人、しかも日本語の発音に馴染んだ喉口には、欧州の人々のような喉笛太く頭の天辺から踵まで響く声は出にくい。精一杯目一杯の様が歌唱と舞台に出てしまい、芸術にならない。“真面目"にお勉強する”正調クラシック指向”の古典的エリート層が特に目一杯になりやすく苦しい。 歌詞:原語でやれば本来の発音とはだいぶ違う日本語なまりが出てしまい、意味不明に。一方、翻訳を試みれば不自然なイントネーションの日本語、そして、音符一つに一音ずつ割り振るような変な習慣が翻訳西洋音楽の世界で習慣化していたためか、情報量が原詩に比べて大幅減。話の展開自体が粗筋だけの子供芝居のレベルに落ちてしまう。 演技:嘗ての日本のオペラは、動きの少ない、一見、能のような、しかし、能では動くときは動くのである、だから能のようなというのは正確ではないが、兎に角極めて動きが緩慢で表情がなかったのである。演技を付ける前の台本を読みながらの立ち稽古のようなレベル。こんな日本のオペラは見たくない、センスが汚染される。――これが嘗ての宿主の日本のオペラに関する見解であった。 ニャンスケ一行にとって、久しぶりの東京文化会館大ホールである。宿主の相方は、別口で近年にも色々来たことがあるようなことを言っていたが、宿主とニャンスケは相方が登場する前、今から45年以上前までは、東京文化会館が出来て以来、年に1回程度は来ていた。それ以来である。つまり、45年ぶりかも知れない。あの頃、ランパルやニコレのフルート、ヴィンシャーマン(ネット情報によれば、1920年生まれのヴィンシャーマン氏、健在とのこと。オーボエを吹くとき、ヴィンシャーマン氏の眉間から額にかけて紅潮した逆三角形が表れていた。脳溢血で倒れちゃいうんじゃないかと心配だった。それが100歳近くの今まで健在であるとは、良かったです、本当に!)のオーボエ、バッハゾリステン、みんな文化会館大ホールだった。みんな宿主がいたのは4階か5階だった。室内楽が大ホールで?文化会館大ホールは管楽器の独奏が4,5階からものすごい音色音量でピアニッシモからフォルテまで細かいニュアンスが完璧に入るのだった。 約半世紀ぶりの大ホール、しかもお馴染みの4階、入ってみると、相変わらずの急勾配の擂り鉢状、しかし、席が前より広くなったような気もしないでもない。座り心地も良い。半世紀前には可成りあったような気がする座席モケットのすり切れもない。そして、大きく湾曲した何段かになっているように見えるつり天井風の天井と、雲形定規を色々取り混ぜて壁から一寸浮かせて貼り付けたような独特な作りの一階席横の高い壁。この天井と壁は全く変わっていない。昔来たとき、音響効果はこの天井と壁の構造から来るんだよねと思っていた。50年後も変わっていないのは、やはり多分これは音響効果と密接なんだろう,などと勝手に思いを巡らせる。開演前、舞台前のオケボックス内オーケストラの音合わせの様子がその鮮明な音と共に伝わってきて、改めて東京文化会館大ホール4-5階席の醍醐味が嬉しいのだ。 開演ギリギリになって、ほぼ満席になった。「黛」の名で人が来たのか「二期会」で来たのか「金閣」で来たのか?黛敏郎は宿主が最も嫌うタイプの考え方をする人種である。体が弱くて徴兵検査で丙種になり、自宅に帰ることを命じられた宿主の父親が、国威のための戦争はありと考える様になっていった、そして、似たタイプの青年であった三島由紀夫が似たタイプの思想にとりつかれていった、それと同質の思想が流れているのである。しかし、黛の生み出す音楽は素晴らしかった。三島は、仮面の告白、潮騒、金閣あたりはまでは良かった。 <<開演してから>> どこかで聴いたことがある黛敏郎「金閣寺」の出だし、どこか一部を聴いたことがあるのは確かだが、(たぶんテレビ番組「題名のない音楽会」だろう、)それ故か、曲想自体・楽曲全体が馴染み深さを感じさせてしまう。そして、何と、聞こえてくるのは美しいドイツ語のテノール、しかも歌いながら大きく動いている。あたかも普通のストレート・プレイの一場面のような感じに。「あれ、出演者は日本人じゃなかったの?」思わず宿主はチケットに書かれた情報を見直す。「間違えない、やはり二期会だ。二期会も半世紀の間に化けていたのだ。」 日本人が演じるオペラがオペラとして違和感なく世界に受け入れられる。。。それは日本のクラシック音楽における長年の課題だった。芸大の学生サークル?から生まれた「こんにゃく座」がアッサリとこの問題に答えを出してから半世紀、日本のクラッシック声楽のご本家とでもいうべき二期会が、いつの間にか世界基準準拠レベルに塗り替えられていた。 この認識と同時に不思議なことが起きていることにも気がついた。声楽レベルに遜色が無くなった瞬間、二期会オペラから実質的に国籍が消えたのである。何処の国の人が、という認識はもはや音楽・歌劇の世界では重要なアイデンティティでは無くなってきているのである。残っているのは誰かという個性である。オペラ歌手も演技者であるから、個性には身体的特徴も入ってくる。何カ国語が使えるか、いうような語学力も勿論個性である。 上演する側からも観衆側からも問題になるのは、何語で行われるかである。作曲者と作詞者(台本作家)の創作が行われた最初の組み合わせが最も良いのは言うまでもない。言語を代えた上演の場合、巧みな翻訳が望まれる、というのは皆が思うこと。言葉と譜面が合わない。言葉を工夫する。時にはニュアンスが大きく変わってしまう。 こんな時、場合によっては曲をいじることもあって良いのではないだろうか。作曲者自身あるいは作曲意図が完全に掴めていると自他共に認める人間にしか出来ない作業かも知れない。手直しされた楽曲は言葉を換えた(翻訳した)場合も曲をいじった場合も含めて、原曲とは別の芸術評価を受けるべきなのであろう。 そんな雑念の中、舞台は進行していっている。字幕スーパーが舞台の縁、上辺と左右袖に出ている。上辺には英語、左右は日本語。ドイツ語歌詞の訳は英語の方が解りやすい。言葉のリズムが近いのだ。そしてニュアンスの広がり方も比較的近い。 舞台には基本的に何もない。そこに時々オブジェが引き出されてくる。光と映写される抽象化された造形が、舞台のストーリー展開に沿って、それぞれに合った様々な状況、建築物、風景をイメージさせる。これは宮本亜門の世界といえるのであろうか? 大勢の僧侶が登場して読経のような雰囲気を醸し出す合唱、そしてそのまま舞台奥と左右の三方の壁際にならび低い声でリルレインする合唱を通奏低音のように続ける。これはオペラ「金閣寺」の音楽的背景なのだ。 3幕構成で第1幕と第2幕が続けて上演され1時間、25分の休憩を挟んで30分の第3幕が演じられる。第1幕と第2幕は主人公が何故金閣に放火することになったのか、その時代背景、社会的背景、そして家庭と職場の環境を辿る部分である。ニャンスケの感覚からズバリと言えば冗長なご託を並べて主人公金閣放火の格好付けをしているだけ。だがしかし、戦後75年、三島没後半世紀が経とうとしている現在、そして、金閣の国際的な認知度などを考えると、1幕と2幕の回想場面や敗戦、広島原爆のイメージ、疎外されていく落ちこぼれ組などを描いていくことは、貴重な歴史教育と人間教育の部分であるような気もする。 歴史を貫いて様々な戦国の戦をかいくぐり、明治維新の荒波と太平洋戦争の戦火を免れて、金閣は慄然と美しく荘厳に生きてきた。体制が立憲君主制から立憲民主制に大きく舵を取って尚、厳然と美の集大成として聳えている。それは日本の心と文化を縛る規範であった。金閣は破壊されねばならないのではないか。日本文化と日本の心を大きく飛翔させるためには金閣が邪魔なのである。疎外からの開放、呪縛からの解放、自由に!そのために金閣を燃そう。 金閣は美しく権威がある。それ故に、燃さねばならない。それは若きたくましき王子が20歳で死なねばならないこと、死に損ねた戦士は体を美しく鍛え45歳で自死することと相通じる三島美学であり、オペラ金閣寺に凝集された共感者(あるいは共感は無くとも真摯に理解した者)の音楽、舞台芸術に相通じる。この第3幕が全てである。 世紀の放火犯罪は憑かれた男の狂った美的感覚から生まれた?! 金閣は山側から木立を介して見るとまた異なる風情あり オペラ金閣寺のCDは余り出ていないようである。演奏: 東京フィルハーモニー交響楽団、指揮: 岩城宏之、作曲: 黛敏郎、CD (1994/10/25)レーベル: フォンテック、ASIN: B00005EZXB、JAN: 4988065032821 このオペラの原形は市川崑監督の映画 炎上 かも知れない。勿論原作が三島由紀夫、作曲は黛敏郎である。
2019.03.04
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

