Mr. Cats' Gardenのブログ あるいはニャンスケの生活と意見
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2019/5/19 ニャンスケ一行、ドン・ジョバンニ観劇:モーツアルトのオペラはシンフォニーの拡張だったのか?管弦楽に声楽のパートが加わり、各パートのメロディとその重なりが織りなす交響曲に歌詞が加える情感とその音表現が多重化する。宿主の相方は一寸心配である。老人優待席とはいえども1万数千円、なのに、ネットや電話で散々苦労して自らチケットを確保し、それが来てから、「あら私この日居ないは!モンゴルに行ってる日だ。」普通だったら予てから老人に起きてくることで問題な症状がいよいよ出現したかと騒ぐところだが、いや、騒ぐべきかも知れないが、元来が、金銭感覚無し、数値的感覚無し、人の話を聞かない、そういう何時もの状況がまた出たという感じなのである。で、また本日も一人でお出かけの宿主、勿論、いつも通り、Mr. Cats’ Gardenとニャンスケは宿主に気づかれないまま相変わらずのお供である。本日の公演は、原作の違いフィレンツェに舞台を移したイタリア版で、グリシャ・アサガロフ演出の版の再演である。再演演出は三浦安浩。面白かった。良かった。肉声と器楽演奏が音として独立の旋律を持って構成されると同時に詞の意味が旋律と多重な音と相互作用を起こし素晴らしい多層構造で広がる音楽に、可成りダイナミックな舞台演技と舞台装置が重畳した総合芸術。永くドンファン・女たらしと呼ばれ、今の風潮にあわせれば、性犯罪者・結婚詐欺師とされる可能性の高い様な男どもに対する、時代を超えて通じる性的被害を受けた女性が苛まれる自虐的懊悩と周囲からの被害女性に落ち度ありという非難の壁、その壁を打ち破り女の敵の彼奴を地獄に落とせと被害女性達が結託する痛快な復讐劇。ドン・ジョバンニを地獄に落とせ。見事にモーツアルトの構想した世界が目の当たりになった、といえるのでは無かろうか。オペラに関するニャンスケ薀蓄、昨年から書き始めたにしては、だいぶ出してきた。神奈川芸術劇場の「三文オペラ」(2018.2.14記)、こんにゃく座の「天国と地獄」(2018.4.5と2018.4.7記),「好色一代男」(2018.4.18記)、「イヌの仇討ち」(2018.12.21記)、黛敏郎のオペラ「金閣寺」(2019.3.4記).そして先月の二本立て「フィレンツェの悲劇」「ジャンニ・スキッキ」(2019.4.26記)などである。日本語を西洋歌曲に当てはめるとき、長らく最大の障害だったのは一音に一音符を対応させる変な訳詩の慣習、それにより翻訳詩の内容が原詩より大幅に減ってしまい、翻訳オペラの歌詞は原詩とかけ離れた稚拙なものになってしまった。原詩で歌えばその問題は解消。不十分な翻訳は不十分な演技・演出に繋がる。原詩では意味があった演出上の様々な動きが、不十分や訳詩のため、ぎこちない意味不明な動きとなり、嘗ての日本で上演される翻訳オペラの無様な舞台が彷彿する。こんにゃく座は歌い手側からのオペラ改革運動で、言葉ありき唄ありき、その伴奏として器楽がある。勿論、その中でも器楽演奏が着実に舞台全体を支える、木魚、見台と拍子木、薄どろ、器楽やコーラス(読経のような)が付与する舞台への通奏低音的な役割、、、それは金閣寺で鮮明であった。そして世界のオペラ市場で日本に由来のある人々が大活躍する時代、歌い手に国籍や人種の話は無縁となった。勿論配役による適材適所はあるが、それは個性に帰属する問題。 しかるに、ニャンスケは、そして宿主も、オペラの神様のようなモーツァルトのオペラ舞台を未だ観ていなかったのである。モーツァルトのオペラ、本格オペラ、を避けていた大きな理由、一つは値段が高い、もう一つはソプラノのころころ転がすような超高音の連続、コロラトゥーラ、あッあッあッアッあッあッあッアッあッアッあッアッあーアーあー、みたいなのが頭に響くのである。何でヤケになってあんな高音でわめくのだ、ニャンスケは京劇とオペラが苦手である。背中の毛が自然に起ってきて尻尾がブラシみたいになってしまうのだ。この日、相方が買ってしまった入場券の損失を部分回収すべく、演奏時間3時間休憩を含めて3時間半の長丁場、嫌いだった古典オペラを頭から浴びるように鑑賞して、理解した。バッハの対位法で右手と左手がそれぞれソプラノ・アルトおよびテナー・バスの計4声を足が通奏低音を受けもち、オルガニストが一人で5旋律からなる音楽を生み出す対位法、そして各パートが別々の旋律を奏でながら楽曲を形成する弦楽器と木管やハープシコードも含む室内楽の世界を確立してきた。ベートーベンは、それを打楽器や金管楽器も含めてシンフォニーに展開した。そして第九では4声からなる声楽が要素に加わった。歌は詞を介して意味も伝えるが、一義的には旋律を奏でる楽器なのである。モーツァルトはシンフォニーの要素に徹底的に声による旋律を加え探求したというべきなのでは無いだろうか。モーツァルトのオペラは、歌の伴奏としてのオーケストラでは無く、歌い手の声をオーケストラの一要素に取り込んだ古典派集大成音楽だったのだ。そして、言葉は生きている。あのニャンスケが嫌いだったソプラノ最高音部の音符の羅列、コロラトゥーラ、は、例えば日本語で当てはめれば、「やめて、嫌アッアッアッあッ、アッアッアッあッ、アッアッアッあッ、あーあーアアあー」、だとか、「嫌な奴、死んじまえエー、エッエッエッえッ、エッエッエッえッ、エッエえーーーっ」あるいはヒロイン勝利の高笑い 「ワッハッハッはッ、ハッハッハッはッ、ハアーハアーハッ」みたいな自然な言葉の中での極めて強い感情発露だったのである。2019年5月19日の新国立オペラハウスは、本物の本物に触れられた感動がオペラハウス全体で共有された感があった。面白かった・良かった。成功好演、有り難うございます。宿主の使ったらしき入場券半券を貼った本公演のビラ参考品は音盤にしよう。DVDも有りか
2019.05.30
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