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出演:本純米下、総源太郎、千葉哲也、松田慎也、真那胡敬二、龍昇6人の男優による会話劇である。全体の進行の90%辺りで、主人公が首をくくる。その所作がハイライト。Edward Bondは英国の詩人・作家、佐藤信も堀切克洋も、早稲田の文学部、演劇博物館に縁がある人、この公演に気づきチケットを買ったのはいうまでも無く外早稲田万歳派の総帥みたいな言動を憚らぬ、自称英米詩の権威である宿主の相方。「佐藤信は寺山修司、唐十郎と並ぶアングラのカリスマ的存在だった。基礎がしっかりしている。 Edward Bondは 、、、」などなど、、、、「是非観に行かねば」来てみると、座・高円寺は、杉並区立の、アングラの風情を取り込んだ豪華な現代建築。要するに、1960年代のアングラ、世相と戦い取った独創性の名声は、約2世代半世紀を経て、チョット進取なグループが、その体制を標榜するために利用する看板、道具となったのだ。――てな事をボヤクのは、芝居が・・・・・だったからなのだ! 客席は初老男が多い。嘗て連帯と永続的改革を誓ったスクラムの仲間達、そんな気もしなくはないような、、、、知性と行動力を秘めたまま年を取ってしまった未必の活動家達、そんな気もしなくはないような、、、、かなり広い客席に詰まりは7割強か。 開演して直ぐ、製造会社(武器製造会社だったらしい)の社長とその御曹司の後継を巡る争い、そこに利権目当てのいろいろな者が集まってきて、彼方此方で綱引き。いろいろあったあと、老社長を追い出しに成功して社長の座を占めた御曹司は、「私はやり手だ」と誇示するように事業の手を広げ、、、、、、とどのつまりは不渡、御曹司は首括り。 残年ながら、観客の年齢構成もあったのではあろうが、宿主は前半2/3辺りから休憩まで、意識が遠くなっていた感じ。また後半も始まって1/5辺りから1/2辺りまでやはりチョット意識がなかった様子。相方は休憩時間には待ちかねたようにトイレに、しかし、多分結構寝ていた。そして、「周りみんな寝ていたよ」というご感想。 終演時、確かに、拍手は、舞台台詞が終わって、舞台から俳優がはけ、一呼吸して出演者が並んで再登場したときに、漸くパラパラと起こり、一応パチパチパチとなったが、それと同時に半分ぐらいの観客は荷物をもって立ち上がり出口に向かい始めていた。・ お笑いでは、“すべる”というのがあるが、この芝居、すべっていた。カーテンコールの出演者達がソソクサした雰囲気一杯で、痛い。個々は好演熱演。情熱もいっぱい感じられ、頑張っているのが良くわかる。だが客は、自らの思いに反して寝てしまった。 浅草芝居、喜劇があり悲劇がある。それなら笑劇があり怒劇があっても良いのでは、という新展開の試みが昔あったと聞いている。今回の舞台は差し詰め寝劇だったのか。 劇場でぐっすり寝た分、ニャンスケもヤケに目が冴えてしまった舞台初日10月18日の夜であった。 (2020/2/23補足) 約4ヶ月たった時点で、チョット舌足らずを補足。In the company of menのCompanyを表現しきれなかったこと、もっと言えば租借しきれなかったこと、あるいは舞台表現に載せきれなかったこと、が問題だったように思えている。邦題にcompanyのニュアンスが全く抜けていることが、そもそも根っこのような?戦争戯曲集三部作 / 原タイトル:The War Plays[本/雑誌] / エドワード・ボンド/著 近藤弘幸/訳 戦争戯曲集 三部作 [ エドワード・ボンド ]【中古】 WALKABOUT 美しき冒険旅行 /ニコラス・ローグ(監督),エドワード・ボンド(脚本),サイ・リトヴィノフ(製作),ジェームズ・ヴァンス・マーシャル( 【中古】afb
2019.10.28
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2019年8月半ば、お盆の終わった直後の一週間、宿主と相方はザルツブルクを弥次喜多道中。寄生しているMr.. Cat’s Gardenと私ニャンスケは、相変わらずハラハラヤキモキの連続。今回の旅行は、またまた全て相方のアレンジ。しかし、ザルツブルクでの話の詳細は機会があれば別稿で、と言うことで、今日の話はその帰りのフライトでのオペラ観賞の思い出に限るとしよう。 LufthansaはまだBoeing747を使っている。使っているのはしかし2010年から運用が始まった最新機747-8、俗に言う748という機種、である。古い機種では必ず付いている禁煙サインや灰皿もない。座席は最新の形式で、個人モニターやシート電源も完備している。 席は、相方のいい加減な予約が祟って、真ん中の烈の更に中央2席。ど中央。日付の変わる便では、窓際にいても客室乗務員から「今は夜の設定だからシェードを下ろして暗くしろ」と指令される。太陽が水平線に近づき一寸タッチしてまた上昇する。そんな北回り便特有の醍醐味を味合わせてくれないレギュレーションに不満を抱くより、鼻から景色と断絶された中央位置の方がもしかしたら無難かも知れない。座席の機内モニターの提供するエンタテイメントに集中しよう。 機内映像サービスは航空会社によって当然と言えば当然だが全く違う。格安航空会社では座席にモニターが付いていない。機内モニターもない。映像による機内サービス自体がない。今回はルフトハンザなので充実しているはず。ドイツの面目躍如の何かがきっとあるはず。宿主、国際便での習いで先ず映画メニューへ。 しかし、Lufthansaの提供する映画はドイツ映画を中心にseriosなものばかり。何も引っかかってこないのは何故?映画が今一なので、テレビ番組リストの方に。ドイツ語で話しているコロンボでもあるんじゃないか? ここで、出会ったのだ。何と!テレビメニューの中に、2018 Saltsburg Music FestivalでのMozart, Magic Flute全編2時間30分弱というのがあった。説明が付いている。「New Yorkで、そしてEuropa特にドイツで、現在話題の新進operal director であるリディア・スタイアーLydia Steierが。斬新な演出と大胆な会話劇部分の台詞の圧縮と洗練を行った、2018年のザルツブルク音楽祭最大の歴史的成果」 ドイツの映像は一般的に正確な記録に強く留意する。芝居で言えば、全景がどうなっているのかが先ず大事。そしてクローズアップは限定的に。の中で何処をクローズアップしたか自ずと判るような配慮がさりげなくしくまれている。絶対見るべし。 ドイツ語の音声と英語の字幕。ニャンスケにとって初めて観る魔笛。いきなり機中で‘魔笛’に会うとは思ってもいなかったので、予備知識は、たった今CRT画面で見た英語説明だけ。 画面の中の舞台が始まって、先ず愕いた。モーツァルトの歌劇なら本家本物の歌劇、だから教科書通り歌詞だけでストーリーが展開する!と思いきやいきなり子供相手のお爺ちゃんの台詞で始まるのだ。しかも長い。そして、話に出てきた妖精の歌?こりゃミュージカルだ。要するにミュージカルとオペラ、オペレッタの違いは、その舞台をつくったカンパニーがどう考えるかで決まるのだ。伝統的なベルカント発声でいわゆるヨーロッパ大陸の言葉、つまりテン系言語、ドイツ語、ロシア語で構成されるのは大抵オペラオペレッタ、一方、タップダンスやジャズのリズム、ベルカント以外の発声法が主体、米国系あるいは英語圏の言語で語り歌われるのがミュージカル。 モーツァルトは凄い。何が凄いのか。バッハが現代に繋がる近代西欧音楽の楽曲構成の基本を確立し、ベートーベンはオーケストラ構成・交響曲のスタイルを確立した。モーツァルトは交響曲に人の声、歌唱というパートと演劇を加え、オペラというスタイルを確立してしまった。しかも、オペレッタ、ミュージカルなどと言われるようになった幅広い展開の可能性を作品の中で網羅してしまったのだ。 そのモーツァルトの仕込んだ‘魔笛‘に含まれた可能性をドカーと引き出してきたのが、多分、演出〔監督〕のリディア・スタイアー。機内のエンジン音の中で小さい画面とイヤホンを通して見ているので大部ハンディキャップはあるが、展開は面白い。ニャンスケの記憶の中では、話を展開する語り部のお爺さんが、この約1ヶ月後に観た「おじいさんの口笛」(2019/9/30の本欄記事)とオーバーラップしてしまっている。 リディア・スタイアーの魔笛は子供向けという設定の大人が観て楽しめるクラシック音楽風ベルカント発生の壮大で構想も細部も精緻な音域の極めて広いミュージカル。声楽家達がパーフォーマーとしても最高の演技を示す。そして、少年少女のような衣装を纏ったオペラ歌手の皆さん、肌も輝き実にsexyでlovelyある。 宿主は機内で2回目を観始めたが、これは途中でチョット睡魔に負けたよう。いつの間にか終わってたため、3回目をスキップしながら観る。しかし途中で、食事、着陸準備、等々となり中断となった。都合1.7回ぐらい観た感じでしょうか。 このザルツブルク音楽祭の舞台、DVDとして売り出されているようです。これは観る価値ある歴史的舞台。機内で観たときに確信した。然るに、そのあと、この稿を書くためにネット情報を見ていると、多方面の方々が同様な認識で居られるようなのである。ニャンスケの素人感覚は、今のところ「結構、先見の明あり」とニャンスケは密かに自負するのである。こういうおまけがあったので、ルフトハンザは結果的に極めて格安であった。Mozart モーツァルト / 『魔笛』全曲 スタイアー演出、コンスタンティノス・カリディス&ウィーン・フィル、マティアス・ゲルネ、他(2018 ステレオ)(2DVD)(日本語字幕付) 【DVD】【輸入盤】『魔笛』全曲 スタイアー演出、コンスタンティノス・カリディス&ウィーン・フィル、マティアス・ゲルネ、他(2018 ステレオ)(2DVD) [ モーツァルト(1756-1791) ]【送料無料】 Mozart モーツァルト / 『魔笛』全曲 スタイアー演出、コンスタンティノス・カリディス&ウィーン・フィル、マティアス・ゲルネ、マウロ・ペーター、他(2018 ステレオ)(日本語字幕・解説付) 【BLU-RAY DISC】Mozart モーツァルト / 『魔笛』全曲 スタイアー演出、コンスタンティノス・カリディス&ウィーン・フィル、マティアス・ゲルネ、マウロ・ペーター、他(2018 ステレオ)(日本語字幕付) 【BLU-RAY DISC】【輸入盤】『魔笛』全曲 スタイアー演出、コンスタンティノス・カリディス&ウィーン・フィル、マティアス・ゲルネ、マウロ・ペーター、他(2018 [ モーツァルト(1756-1791) ]
2019.10.18
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ザ・スズナリ、この芝居に限って全席自由席、つまり怪しい芝居に違いない!こういう類いの芝居では前の席に行くとろくな事は無い。しかも青いペンライトが手渡される。10列チョットぐらいある客席の後から2列目あたりに数席、関係者席という紙が貼ってある。多分その前後が特等席だ。空いていたそこらの通路側の席を占める。開演前にはほぼ満席で200人ぐらい入っていそう。 アナウンスがあって、「もうじき開演します。開演後約2時間、非常灯や非常口ランプも消した真っ暗状態になります。燈の点く手荷物、スマホなどのスイッチは切って下さい。途中で気分が悪くなった方は床に向けて青いライトを付けて席で立って下さい。暗視眼鏡(赤外線スコープ)を付けた係のものが補助にうかがいます。それまで絶対に動かないで下さい。青いライトは緊急の場合以外は点灯しないで下さい。また、舞台には決して向けては行けません。」という可なりやばい話。要するに、真っ暗闇で芝居をするという寸法らしい。 さて開演、燈が落ちると漆黒。普通、こんな時は目を暗闇に慣らすためしばらく目をつぶる。それから目を開けると、大抵は、ボンヤリと存在物と空の区別が見えてくる。然るに、この「劇」では。目をつぶって開けてみても漆黒状態に変化無し。要するに完璧な暗室状態。良くここまで光を遮断できたものだ。 。 暗闇という設定は、必然的に会話を浮き立たす。真っ暗な舞台をドタドタと複数の跫音、大きな声が出る、また出る、また出る、別々の男達の声声。それぞれに名乗って、佐藤さん、田中さん、あと何だったっけ、兎に角数名、みんな男、。。。 こんな真っ暗闇は思い出を呼び起こす。キャンプ場の夜のテントの中の雰囲気、修学旅行でも昔は消灯後は真っ暗にする習わしだったような?そして、東日本大震災の夜、その次の夜も、またその次の夜も途中まで、杜の都は漆黒に包まれていた。杜の都を囲む北西側丘陵地帯の宅地化された尾根筋辺りの団地から実は仙台湾が見えることを、住み始めて20年近く、あの震災の時初めて知った。 そんな懐かしさのある真っ暗闇を提供してくれるこの舞台は、その意図と実行する勇気・自信だけでも充分オリジナリテイがある。 暗闇の中で進行する所作があってもなくっても観客席では声の移動やドタバタという動き回っているような音はあっても、これは効果音付会話劇。ラジオドラマの世界。 暗闇の中、様々な会話劇の展開に、「うん、その設定は暗闇にピッタリだ。アア、暗闇話はやはりそうなるよね。ふん、これも有り有りの暗闇設定。ウエー、そう来たかよ!」などいろいろ共鳴・感銘したものの、さてどんな話が出ていたか、終演のカーテンコールと共に詳細な記憶はサラッとノベッと糊塗されてしまった。 しかし、この暗闇芝居の印象をなにも記さずに消してしまうのは惜しい。「んじゃましょうなない!」という訳で、ここではニャンスケの記憶にある断片をかき集めて再構成してみることにする。と言っても、2時間のドラマは3万字を越える。再現するにはチと長すぎる。記憶の粗筋だけを記すことにしよう。。。。。どのくらい再現できているかは、この芝居に携わった人や劇場で良く耳を澄ましていた人に聞いてみないと判らない。 暗闇にドタドタと放り込まれ、気配から、どうも放り込まれたのは自分だけではない、と気づいたとき、「おまえは誰だ」みたいな疑心暗鬼が流れ、「出口を探せ」という声と錯綜し、チョットした混乱状態。そこで必ず出て来るまとめ役。いろんな事をいろんな人がしゃべると訳解らない、リーダーを決めよう。リーダーが決まり、次は自己紹介。全部で4名以上だったような気がするが。。。。みんな男そして次はどうして出るかの算段だ。壁を伝って行けば出口が見つかるはず。みんなで手分けして探している様子が窺え、壁はだめ。「上から落とされたような。。」と誰かが言い、どうやら人間ピラミッドをつくっているらしい。重い、痛い、チョット待った、などお馴染みの肥が飛び交い、がたがたと人が転ぶ音がして、「だめだ、チョット休み、フワーーーー」 と、ここで、まだ開幕から40分も経ってないと思われるのに、何と前面の幕をスクリーンに仕手、そこにボンヤリ何かが映り出され始めた。約束と違うぞ!2時間ちゃんと続けて真っ暗にしろ!とは言え、跼蹐の人影が識別できるほどの照度ではない。チラチラと木の葉が舞うような雪が舞うような、山間の秋のような、何だろうと考えている内にまた漆黒に。映写は一分ほどのインターミッションだったのか。 暗くなると、今度は恒例の暗闇話が始まる。視覚が失われると、思念と空想の世界が拡がり、その一人一人の想念が男達の言葉を介して相互作用し共鳴し、合った波長の振幅が増幅する。故郷の話、人生、男と女、男だけだからできるようなヤバメな話も出てきて、終いには、男色話みたいなのも出てきて、「オイ、障るな、気持ち悪い。。。。」。「田中さん、肥がいつもと違うよ」「どうしたの、田中さん、大丈夫」「皆さん、もう寝ましょう、休んでから考えましょう」。。。でどうなるの? という感じになったとき、またインターミッションだ。前より少し明るめな映像.。今度はチョット明るめ。空と雲、生臭さのない明るさが城内をサラッと満たす。そしてまた漆黒の闇に。 「エッ、どうしたの!」「誰?佐藤さん?田中さん?」「えっ、何々、何なの?」「いたい,ギャッ」「何、どうしたの?」「ウーン」「エッ、チョット、何,ベタベタしてない、え、血、血かい?」「やばい、死んでる」「刃物だ、刃物を振り回している奴がいる」「イテッ、切られた!」「畜生、刃だ、手だ、手を押さえた!誰か後ろから押さえて、」「足押さえろ、何かで縛れ」「ベルトだ」{シャツだ}「ズボンだ」..。。。。。「がんじがらめだ、助かった」 「オイ、みんな無事か?」「手から血が出てるみたい。でも大丈夫」「押さえ込んだとき、腹蹴られた、でも何とか」「田中さん、田中阿讃は?」そこでいきなり、細く凛とした「美少女の」涼やかな声が響く。「私も大丈夫でした」 。。。。「エー、田中さん女の子だったの?」「ごめんね、怖かったんじゃない」「怪我なかった、大丈夫」「嫌なことあったんじゃない、ゴメンね、ごめんなさい」 どうやら暗闇芝居でできそうな主要素が揃ったみたいな!暗闇のスプラッタ敦人、そして、暗闇と血みどろに糊塗されて潜んでいた美少女の露呈。ストーリーは、「起」、「承」、ときてこの膜は「転」「結」なのか「展その1」,「展その2」なのか。 漆黒の中で部隊は進行している。「天井の入り口が探せなかったのは、大きな男を上にのせて人間ピラミッドをつくったため、重さに耐えられなかったからだ」「女の子だったら高いピラミッドをつくって上の人の肩に乗せて更に持ち上げれば天井に届く」「やってみてくれるか?」「やってみます」「大丈夫か」「肩に乗って立ってみて」「そうら皆立ち上がるぞ」「天井に触れたか」「大丈夫、天井を探っています。アッ、ありました、開きます」 その声と共に、以上の光が天昇から差し込む。そして、数名の男達が形成した高い足場の上に凜の立った乙女が自由の女神のように天を仰ぎ天に手をさしのべる姿が浮かび上がる。静止画面。これは明瞭に「結」だ。 一呼吸置いて拍手、結構沢山の拍手。拍手を終えても皆なかなか起たない。「ゆっくり動いて下さい」というアナウンスがあったためなのか、余韻を味わっている面もあったのか? ニャンスケは、想像上の後足を踏ん張って起ち、想像上の前足で大きく拍手、そして.皆には聞こえない声で大きく何度も叫んだ。「ブラニャー、ニャンボー、ブニャロー」日本のリーダーには、武器を持つ覚悟はあるのか!? (ワニブックス〈plus〉新書) [ 大川豊 ]日本インディーズ候補列伝【電子特別版】【電子書籍】[ 大川豊 ]『中古』中国の日本語教師: 団塊世代は中国を目指す!『中古』お笑いテロリスト大川総裁がゆく! (新潮OH!文庫)『中古』金なら返せん! (大川総裁の借金返済日記)『中古』中国で日本語を教える—蘇州・南京編
2019.10.14
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チャイコフスキーと言えば煌びやかな音の洪水を思い浮かべる。そして白鳥の湖に代表されるバレーの世界。だがニャンスケが直接的に寄生しているMr. Cat’s Gardenやその宿主も、チャイコフスキーの人となりとオペラ創作についての知識情報は殆ど持っていなかった樣なのだ。チャイコフスキーはウクライナのコサック系の血を引いたロシア人で概ねモスクワ近郊に住んでいたらしい。そして、最初は官吏になり20代前半から本格的に音楽に取り組んだのだそうだ。活躍のピーク時、50代半ばにしてコレラにより急逝したという。「エウゲニ・オネーギン」はオペラの約束通り、全編平台詞なし。歌詞のみでストーリーが展開していく。プーシキンの原作をコンスタンチン・シロフスキーがし、更にチャイコフスキー自身が台本に手を入れ作曲している。つまり詞と楽曲の細かいすり合わせは、チャイコフスキー自身がやっているのである。このオペラ、特徴的なのは、殆どがアリアで構成されているということである。歌で会話が進み掛け合いの中で舞台が進行する、という形態がオペラだと思っていたが、この舞台は違った。正確に数えてはいないが、3幕7場、何れの場でもアリアが大きな場面展開と重要な独白になっている。主要内容はアリアが占めている。 公平なあらすじや配役は当日配布の資料に委ねるとして、ニャンスケ視点から見ると芝居のタイトルは「オネーギン」ではあるが、実質主役は姉妹の姉、タチアーナ。ニャンスケの視点であらすじをまとめると、資料と一寸ニュアンスが変わるかも。 第1幕1場、一寸キラキラした妹オリガの、一寸真面目な夫レンスキーが、地味なタチアーナにどうかと連れてきた一寸派手なオネーギンにタチアーナは一目惚れ。オネーギンは「フムフム…」。 第1幕2場はオネーギンを想うタチアーナのアリアである。 第1幕3羽はタチアーナの思いをしたためた手紙を一寸間をおいてあしらうオネーギンのアリア。 第2幕1場 タチアーナをさておいてますますオリガに接近していくオネーギン。それが許容限度を超えてきたときレンスキーはオネーギンに決闘を申し入れる。 第2幕2場。本気になれないままレンスキーやその取り巻きの勢いにおされて応じてしまう。冗談だろうと想っていたオネーギン、立会人から示された2丁の銃の一つをレンスキーが先に取り残りがオネーギン。向かい合った二人、レンスキーが先ず撃った。空包。「ほら冗談だったんだ。」とオネーギンは気を抜いて撃つ。レンスキーが倒れる。愕然とするオネーギン、親友を殺してしまった。このあたりの展開はオペラの舞台だったことを忘れさせる歌と音楽と演技の迫力。 第3幕 諸国流浪の旅を経て帰国したオネーギンに、グレーミン公爵からパーティー案内が来ている。久しぶりの社交界。そこで見たのはグレーミン伯爵の夫人に収まったタチアーナ。もはや手の届かぬ高嶺の花。ここでのタチアーナのアリアが再び圧巻。 チャイコフスキーの曲の煌びやかさは、サンクトペテルスブルクの煌めきなのだ。整然とした軽やかさと重厚さが両立した煌びやかさ。色合いで言うとバッハとモーツアルトの間!? この観劇でニャンスケの音楽視野は明らかに広がった。いいものがいっぱい獲られた。満足満足! 舞台を構成した人々と公式あらすじは以下の通り。 図1:場内で配布されたパンフレットの表図2:場内で配布されたパンフレットの裏図3:ニャンスケ一行のチケット半券なのだ 以下は、このオペラの関連資料として参考になるのではないかと想われなくも無さそうなものへのリンクです。魅惑のオペラ(第19巻) チャイコフスキー エフゲニー・オネーギン (小学館DVD book)【輸入盤ブルーレイ】【ネコポス送料無料】Tchaikovsky / Eugene Onegin(Metropolitan Opera)【2008/11/18】(チャイコフスキー(エフゲニー・オネーギン))BD NHKクラシカル 小澤征爾指揮 チャイコフスキー 歌劇「エフゲーニ・オネーギン」【中古】 チャイコフスキー 歌劇《エフギニー・オネーギン》全曲 /グラインドボーン・フェスティヴァル・オペラ 【中古】afbNHKクラシカル 小澤征爾指揮 チャイコフスキー歌劇「エフゲーニ・オネーギン」 全2枚セット500円クーポン発行中!BD NHKクラシカル 小澤征爾指揮 チャイコフスキー 歌劇「エフゲーニ・オネーギン」NHKクラシカル 小澤征爾指揮 チャイコフスキー歌劇「エフゲーニ・オネーギン」 全2枚セット
2019.10.07
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