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ロンドンで娘の台湾人の友人に会う。そう言っても、彼女たちのことは夫も私もよく知っている。何度も我が家にホームステイしているから。 彼女たち、双子は一人がイギリスで一人が上海で働いている。 で今日は、二人へのお土産を買いに横浜に出掛けた。小さな鏡の付いたかわいらしいホルダーを買って、それぞれにイニシャルを入れて貰っている間に自分の鞄を購入。 さっさと家に帰って来た。 キーホルダー受け取るのはどうした?!
September 25, 2012
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日本のように皇室が必要と考える人の割合が以外と多くないイギリス。王室の行事や生活費を税金から払うなんてとんでもないと、ずっと前に議会で議論された。確かに昔の領地であるロンドンの一等地や お狩り場であった市内の広大な公園は今でも王室の財産らしい。それでも、ダイヤモンドジュビリーや諸々の行事はお金がかかる。そこで女王様は、考えた。夏休みでいない間バッキンガム宮殿を一般解放して入場料を取ろう。ウィンザー城も一部解放してお金を取ろう。そういう事で、またまた10月のロンドン旅行計画の中にバッキンガム宮殿の内部見学とウィンザー城見学を組み込んだ。インターネットで朝9時のに入場申し込んだら、4日後にロイヤルメールが届いた。王室から。 だけどね、英語での申し込み、最初のtitleってなんだ?チケットって入れてみた。そうしたら、自分の名前の前に「チケット灰色ウサギ」と出た。あちゃ〓そこはMr.とかMs.とか入れるのね。
September 22, 2012
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ゴールデンウィーックにロンドンに、行った時、地方にあるライの街に行ってみたいという夫のリクエストで、ライの街のシンボルのようになっている、600年の歴史を持つというマーメイド・インという建物に宿を取った。その時も、宿代が高いイギリスの事も有って、地方だからB&Bでもいい?と夫に訪ねた。返事は「B&Bは民宿みたいなんでしょ、他が良い」だって。何年か前、私がインターネットで何回かやり取りして予約したイーストボーンにある、階段を上るのがやっとの可愛い老犬がいたB&Bは素敵だったのになあ。娘たちと3人で泊まるのに4つのベットが有ったファミリールームで、花柄の壁紙がかわいかった。10月予定のイギリス旅行も興味が有ったオックスフォード大学の学生寮はだめでも、カントリーサイドのかわいいB&BならOKかと恐る恐る聞いてみた。即、却下された。日本のふすまで仕切られた民宿のイメージから抜け出せないでいるらしい。「かなり高いけれど、マナーハウスはどう?」私が言う。「マナーハウスって何?ホテルの方が良いなあ」日本みたいに郊外でもどこでも適当な値段のホテルを見つけられると思っているらしい。ホテルの便利さより歴史的な建物を好むイギリスでは郊外ではホテルの方が安い。「マナーハウスって昔は領主の館だったところなのよね」私が言う。「領主の館?じゃあそれにしよう。そこに泊まりたい」おっとっと・・・。次回は映画「傲慢と偏見」に出てきたような、広大な敷地を持ったお城に泊まりたいというんじゃないか?財布が痛い。マナーハウス内でのレストランのドレスコードも考えなきゃとチェックしたら、そこはさすがコッツウォルズ、ハイキングやドライブの人もいるので、ドレスコードはスマートカジュアルだった。後は、そのマナーハウスを起点に一日コッツウォルズハイキングルートを決めなくては。コッツウォルズウェイの公式フットパスマップを取り寄せてGoogleマップと照らし合わせて下調べる。チッピングカムデンの村から歩き始めて9キロ。うまく牧場の中の道なき道から、フットパスの木戸を見つけ出せればブロードウェイの街に入るこの写真の路地に出るはず。ここは、私が去年コツウォルズバスツアーの時、ブロードウェイの村のフリー時間に見つけて置いた街はずれの秘密の抜け道。ああ、デジャブかなと思ったらきっと正解。
September 20, 2012
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先ず昨日のクイズの答えからジャカルタでは朝晩の通勤時間帯に、「3in 1」という交通規則が有る。市内のある区間は交通集中を避けるため出来るだけ車を乗り合わせて出勤するように、3人以上載っている車しか通れないのである。たとえば運転手さん1人と私が乗る。1人足りない。このままでは市内に入れない。どうするか。途中で誰か、誰でもいいから拾うのである。それがジョッキー。お金をもらえるヒッチハイクの人の事をそう呼ぶ。道路の中央分離帯や脇に立って、指を1本立てれば「1人乗ります」。子供を抱いたお母さんなら「2人」だから指を2本立てる。運転手しか乗っていない車は、規則が適用される道路に入る前に2人車に乗せる。子供だっていいアルバイトだ。しかし、乗った車の行先はわからないが、規則の適用される範囲だから市内より遠くは行かない。帰りは安いバスで帰るか、歩いて帰るんだそうだ。わたしは運転手さんに聞いた。「運転手さんだったら誰を拾う?男の人?美人の女の人?子供?」運転手さんは答えた。「法外な値段を要求しない子供が一番いいね」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日曜日写真とカメラの大好きなフィリピン人のエミルさんを誘って、ブロ友でアマチュア写真家のChloeさん、の写真展「Heaven」に新宿まで行って来た。お仕事の傍ら、ボリビア、バリ、モロッコ、マダガスカル等へ旅しては青い空に溶け込むような鶴や、オリーブの木に登るひょうきんヤギ、天空の大地をゆっくり歩くリャマなど動物の表情を写真に撮る動物写真家だ。今回のテーマは「鹿」大画面の写真パネルの中にこちらをじっと見る鹿の目に吸い込まれそうだった。写真を見た後、タリーズでエミルさんに写真の撮り方を教えてもらう。こんなにもたくさん写真が上手な人が私の周りにいるのに、ちっとも上手にならないわたし。
September 18, 2012
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初めてのインドネシア旅行の記事も今日でおしまい。先ず最初にクイズ。下の写真、走っている車から撮ったのでうまく写らなかったけど、この人たちいったい何をしているのか。ヒント1.朝、有る時間帯に市内の一定の場所を走るとたくさんいる。ヒント2 子供も大人も赤ちゃん抱いた人もヒント3 ヒッチハイクの時は指一本のサイン? でも、この人たち1本の時も、2本出す人 人もいる。インドネシアの街に信号のある交差点は意外と少ない。信号を作っても皆無視して危ないので、ロータリーや一方通行をたくさん作って車同士ぶつからないようにしているのだとか。それでも信号の交差点も有る。赤になって止まった瞬間、車のフロントガラスに新聞と値段を書いた紙を貼りつける。運転手がお金を払えば成功。青になる瞬間に撤収。小さな子供が信号待ちの車の窓をたたいて回る。なんか言っている。物乞いなんだとか。良く見るとあっちにもこっちにも。危ないなあ。お母さんは何している?目を凝らすとお母さんらしき人が指示していた。びっくりする事の多い街中の出来事だが、状況が変わればどこの国でも有り得ることかもしれない。おそらく戦後の日本でも有ったであろう風景。さて、今回もバティックがテーマだとは言っても、そこは折角ジャカルタまで来たんだから、インドネシア料理も食べてみたい。それでもワルン(屋台)では絶対食べないインドネシア料理。フィリピン旅行の後からお腹の調子が悪いと言っていた友人が病院に行っている間、アリさんとご主人と入ったサテのお店はこぎれいなチェーン店。私はソトアヤムとサテとジャスミン茶を頼んだ。氷は極力避けなければ・・・と、熱いお茶を頼んだ。ポットにお茶が運ばれて来た横にはガラスのコップ、そして中に氷が入っていた。そうか、これで熱いお茶を冷やすんだ。しかし氷は駄目だ、食べてはいけない。その氷を「お願い食べて」とアリさんのご主人のグラスに移して、改めてウェイターさんに氷が無くても割れない陶器のカップを持って来てもらった。そして、話をしながら、アリさんのご主人の熱いお茶を注いだグラスを見ていた。おかしい、氷が解けない。なぜ?ふと気が付いた。あれは砂糖だ!氷砂糖だ!ここの人たちは甘い甘いジャスミン茶を飲むんだ、きっと。大失敗。そして、そうやって食事には気を付けていたのに、帰国前日になって、なんかおかしい。お腹の調子が・・・・。トイレが近くに無いと不安。ジャカルタ空港でも、チェックインしたらまっすぐラウンジに行ってトイレの近くに陣取った。もちろん、成田に着いたら入国審査に向かう列を反れて、トイレに走る怪しい行動を・・・。あんなに気を付けていたのに、惨敗!しかし、しかし、バティックもいっぱい買った。いろいろな人と触れ合った。行きたいところはみんな行った。親切な人に出会った。新しい友達も作った。インドネシア語も使った。たった4泊5日の旅だったけれど、密度が濃い旅だった。大満足。心に、また絶対行こうと誓った。「私がいるうちにお出で」と言ってくれたジャカルタの若い友人のヒサコさん、ありがとう。あなたのおかげです。
September 17, 2012
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カフェバタビヤを出て、駐車場で待っていた運転手さんと合流。運転手さんの横に1人のインドネシア人が立っていた。運転手さんが私に言った。「この人はワヤン(伝統的な操り人形芝居)博物館の人でワヤンを見せてくれるって言っている」私は答えた。「今日はコタ地区にあるワヤン博物館は休みのはず。」「そうそう、知っている。だけどこの人が特別に横のガレージで見せてくれるって」私の心が「ちょっと大丈夫かな」と言っていた。でもわたしに当てがわれた運転手さんはやたら押し売りの手引きをする観光タクシーとは違うし、身元がしっかりしている。誠実そうな人だし、運転手さんがせっかく言ってくれているからと、横のガレージに行ってみた。入った瞬間、やっぱりね。大きな倉庫のほんの片隅にガラスケースが有って、ワヤンが並んでいた。彼は一生懸命ワヤンについて、ワヤンの作り方について英語で説明を始めた。うんうん、そうなの?説明を聞く。そのうち、説明がワヤンの作り方や材質の説明ばかりになってきた。ほら来た。そして、ついに「これ本物で良いものだから買わない?普段は博物館で売っているものだよ」ワヤンはお土産で買ってもいいかなと思っていたリストに中に入っていたから。買ってもいいかな。「いくらなの?」「日本円で2, 000円」しまった。今まで英語での説明にうなずいてしまった。ここで英語が分からない風はいまさら装えない。「高いからいらない」「本物の水牛の皮なのになあ、じゃあいくらなら買う?」「1,000円」「いやあ、それは無いよ。じゃあこうしよう。僕に1,000円。このガレージを掃除している人に300円。」「掃除?それは私に関係ないよ。床だってきれいになってないし」このやり取りを見ていた人のいい運転手さん、わたしをここに連れてきてしまったことをすまなさそうにうろうろしている。彼も今頃しまったと思っているに違いない。さて私はそのワヤンのミニチュアをいくらで買ったでしょうか?写真街を車で走るとびっくりすることがいっぱい。オートバイは2人乗りは当たり前、真ん中に子供を乗せたり、赤ちゃんを抱いて乗ったり、荷物をたくさん足の間に挟んで乗ったり。駐車中、車から覗いたら横に止まったオートバイはなんと5人乗り。
September 15, 2012
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別荘地の入り口を入り、管理棟の角を曲がるとき、大きな立て看板を見た。「熊に注意!散歩は2人以上でしてください。」え、今年も熊の目撃情報が有ったのかしら。山の家から帰ってすっかり虚脱感、ブログUPもさぼってしまった。旅行記なんて新鮮なうちでなきゃガングロギャルみたいなもの(面白くない)。さっさとインドネシア旅行記を終わらせよう。次の旅も控えていることだし・・。ジャカルタの朝、4時には目が覚めた。いやいやだけど・・。毎朝4時になると町中のモスクの拡声器から大音量のコーランのお祈りの音が聞こえるのだ。そしてまた一眠り。7時ちょっと過ぎに友人が出社する。ボロブドゥールで買った絵葉書(物売りからではなく土産物屋で)を書いたり、その日の計画を立てたりしていると、英語を話さないメイドさんがやってくる。飛んで火にいる夏の虫。待ってました。運転手さんが迎えに来るまでにはちょっと時間が有るので、メイドさんの仕事の邪魔をする。「あなたはどこに住んでいますか?」「ここまでどのくらい時間がかかりましたか?」「ここに来るのに何に乗ってきましたか?」そう、メイドさんを実験台にインドネシア語の練習。「今日は私はコタ地区に行きます」とインドネシア語で告げてアパートのフロントに行くと、運転手さんがちょうど来る。「今日は博物館が休みだから、コタ地区に行きたいです。その前にポストオフィスにお願いします」ここでもインドネシア語の練習。すっかり私のへんてこなインドネシア語に慣れた運転手さん、語彙の順序が逆だとちゃんと言い直してくれる。「ああ、そうなの?」私は言い直す。「郵便局の次はカフェ・バタビアに行くから、1時間後にそこで待っていてね」なんてスラスラは出ない。「郵便局行きます。そしてカフェ・バタビヤに行きたい。11時にそこで会います」なんてね。オランダ統治時代の建物が残るコタ地区のだだ広い郵便局で切手を買って、さてどうやって貼ろうかと思案していたら、どこかで見ていたらしいおじさんが、水スポンジを持ってきてくれた。カフェ・バタビヤに行くと言ったら、友人に「トイレにも入って来てね」と言われた。言われた通り2階の窓際に席を取り、バリコーヒーを飲んで、トイレに入って来た。上の写真はトイレの中の洗面台回り。もちろん便器のある個室の中でも、額の中のたくさんの人物にお尻を見られた。
September 13, 2012
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ジョクジャカルタからジャカルタに戻った日曜日、アリーさんに会った。友人の上司である。彼女とご主人と3歳の娘さんは、私がバティックバティックと騒ぐものだから、事前にバティック関連の場所を探しておいてくれたのだった。今日私のページに訪問してくださった方を、ジャカルタのど真ん中、たぶんガイドブックには載っていない不思議な不思議な街に、誘おう。さあ、出発!迷わないで付いてきてね。その街の車がやっと通れる道路上にはバティック模様がアリーさんと友人が先を歩く家の壁は水色大きな赤い花が雲の中にゆらゆら揺れながら生えている流れて行くのは赤い花? それともつがいの蝶?赤い羽根を持った鳥に誘われるように友人が街かどを曲がる大きな緑の窓は魔女の家?突如前を行く友人が消えた。ここはさっき通った道?違う道?おおい!どこにいるの?どこに行ったの?どの家もだんだん同じに見えて来てそれでいて1つずつ違う。突然現れたバティックの幌を持ったステージ。床にもアートなバティック模様が描かれている。ふと視線を感じて振り返ると、向かいの家の壁にはオンデロ・オンデロがこちらを見ていた。この街はカンプンバティック。ジャカルタの中のバティックの村。そしてオンデロ・オンデロは日本のダイダラボッチやなまはげみたいな子供たちの友達。この街の夢先案内人は街に着いた時最初に出会った見ず知らずの女性だった。バティック模様の自転車を曳きながら、彼女は街の奥深く我らを誘い、子供たちのバティック教室を見せてくれ、レバダンで閉まっているお店に声をかけて開けさせてくれた。バティック自転車の後を付いて小走りで歩いた小1時間。不思議の国の迷路に迷い込んだ時間。あれは夢か現か?今度ジャカルタに行った時、迷路は消えているだろうか。
September 7, 2012
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ブランバナンやボロブドゥールが有るジョグジャカルタはインドネシアの特別州でありその知事を代々務めるのはジュグジャカルタの王家の王様。ジョグジャカルタの王宮には被っていた帽子さえ取って礼を尽くせば、観光客でも自由にその敷地に入れる。ロイヤルファミリーとして日本の王室と交流が有る王家の王宮の庭には、ガムランの演奏場、練習場、美智子妃も食事をしながら民族舞踊を楽しんだというレセプションルーム、盗みに入ると天罰が下るから泥棒が入らないという宝物館、王様の居住する建物など点在していた。中でもウサギが興味を持ったのは、そこに日がな1日座っているだけだけど、それが自慢になるのだという、リタイアしたおじいさんたちが民族衣装の正装で王宮の一角に並んで座っている風景だった。ジョグジャのバティックは言ってみれば箱根細工の文様と色合いが良く似ている。その独特のバティックのサルーン(腰巻)と帽子を被って、じいっと置物のように座っているのだ。観光客が通っても、覗いても平気で座っている。たぶん彼らの着ているのは最高級のバティックに違いない。素晴らしい文様に目が吸い付けられた。ちょっと触らせてもらいたかったけれど、さすがにそれはね。写真も撮りたかったけれど、何と言っていいかその雰囲気に気圧されて撮れなかった。1日そこに座り、家に帰って「王宮に行っていた」と自慢し。明日またそこに座りに来る。長閑な風景。写真は王宮の庭の東屋
September 6, 2012
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ここはアマンジオアマンとは世界に展開する高級リゾートホテルグループ。それぞれの国のアマンに共通しているのは、特異な美しさを誇る自然環境や、シンプルでスタイリッシュな造り、また伝統に彩られ品格を備えた施設、プライバシーの保たれた小規模の客室数など、なんだそうだ。ブータン旅行の時は、基本1日の費用がどこに泊まってもほとんど一緒なのだが、アマン・コラ(ブータンではコラ)とウマだけは別格で1日10万円かかると言われた。どんなものかとその時の皆で、人里離れた田んぼの中に伝統家屋を模したのに中は超豪華なそのホテルに興味本位でお茶だけ飲みに行ったことが有る。食べたケーキとコーヒーは東京のウェスティンホテルと変わらぬおいしさ。そこだけはブータンに有ってブータンではない世界だった。ジョグジャカルタのアマンはアマンジオ。ブロ友のもあさんが、宿泊記事を上げていたのを見て、いつか行ってみたいと思っていたが、なんと友人が頼んでくれたボロブドゥールツアーに、泊まりではないが、アマンでの昼食というのが付いていた。なんとラッキーな。憧れのボロブドゥールに憧れのアマンジオがもれなく付いて来た。そういうわけで、ブランバナンの後、ボロブドゥール観光の前にアマンに寄ったのである。上の写真は、アマンのレストランの入り口。ボロブドゥールの石積みを模した建物の階段を昇り、ガラス窓のない吹き通しの大理石のレストランを抜ける。白く光っているその先に有るものは?わかるだろうか。大理石の柱と白い傘の間、空と遠くの山と緑の森の間に見えるのがボロブドゥール。「すごい!なんという景色、なんと素晴らしい居心地」2人の演奏者が奏でるゆっくりしたガムランの音楽が流れるレストランで、ボロブドゥールを見ながら食事をした。レストランにいるのは2、3組の欧米人家族のみ。ここはお金持ちの世界なのだろうなあ。「もうここに居たい。ボロブドゥール行かなくてもいい。泊まれば良かった」友人がこれまたホテルオークラと変わらぬおいしさのケーキを食べながら夢心地でつぶやいた。「私もここでツアー終わってもいいかな」と思わず言ってしまってから、はたと夢から覚めた。だめ、だめ。友人はボロブドゥール2度目だけど、私はまだ行ったことが無い。何の為に500円玉缶開けたのだ。インドネシアとインドネシアの狭間に有ったヨーロッパ。異次元世界。
September 5, 2012
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ブランバナンがヒンズー教の寺院なら、そこから車で1時間ほどのところにあるボロブドゥールは仏教の寺院である。しかし、同じ石で出来ていても、ブランバナンがその中に祈りの部屋や日常的な儀式のための部屋を持つのに対して、ボロブドゥールは外から祈るシンボルとしての場所なのである。だから、その巨大な石の中はただの土、空間は無い。掘っても掘っても土(もっとも掘ったら石が崩れるだろうけど)。奈良の中宮寺や日本のあちこちのお寺にある曼荼羅の、立体曼荼羅なのがボロブドゥールである。3層になった曼荼羅をハアハア言って歩幅の大きい階段を登り、第1層を時計回りに回る。また階段を昇って第2層をストゥーバ(仏塔)の間を時計回りに回る。回りながらブータンでマニを回したように、石の壁に掘られた、釈迦の生涯の物語をたどって行く。ルンビニの木の根元のマヤ婦人、釈迦の誕生、城の四方の出口の物語、出家、涅槃。日本語ガイドさんの説明を聞きながら回る。それでもきっと彼はイスラム教徒。回りにいる観光客も女性はかなりジルバブを被っているのでイスラム教徒とわかる。石に掘られた物語ももちろん興味の湧くものだったが、どうやってこれを作ったの?という疑問は少し分かったような気がした。やっぱり奈良の大仏と同じ、作っては土で埋め、作っては土で埋め、最後に土を取り除く。それなら可能かな。ブランバナンでは解けなかった謎が此処では解けたような気がした。それにしても途方もない作業だ。ボロブドゥールの巨大な石段を降りて、出口に向かう時、絵葉書が買いたいと思う私の心を見透かしたように、たくさんの物売りがガイドブックや絵葉書を持ってわたし達を追いかけて来た。「絵葉書1枚100円、5枚で500円になるよ」ちっとも安くなってないじゃない。こんな所で誰も買わないよ。友人がつぶやいた。「ガイドブック1,000円にするよ」いや、全然安くないし、日本より高い。「良い写真、良い写真」要らないと言っているのに金魚の糞のように、何百メートルも追いかけて来る。ものすごくたくさんの観光客がいるのに、日本人のわたし達ばかり追いかけて来る。半分速足で逃げて歩く途中、子供だましの落下さんのようなものを50円で売っていた。子供を日本に置いて赴任している友人。「50円なら安い。買ってもいいかな」え?イギリス人のラッフルズに発見されるまで1,000年もの間火山灰に埋もれていたという神秘の遺跡も、今じゃ白日の下に曝され、物売りと観光客と異教徒の喧噪の中。
September 4, 2012
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500円玉貯金の事は以前何回も書いた。旅の行先を書いた缶は5缶も有るだろうか。最初に作ったのはボロブドゥール。今回は友人がジャカルタ赴任している間にとりあえずインドネシア下見のつもりで行くことにしたので、同じジャワ島にありながら、ジャカルタから飛行機で行かなければならないボロブドゥール行きは諦めていた。友人はそんな私の気持ちを知っていたように、土曜日の日帰りジョグジャカルタ仏教、ヒンズー教遺跡のツアーを予約して、飛行機を取ってくれていたのだった。万歳!憧れのボロブドゥールに行かれる。学生の頃からボロブドゥールがどうやって出来たか、その謎が知りたくて知りたくて仕方なかった憧れの場所なのだ。そういうわけで、夫と2人で使うはずだった「ボロブドゥール」の缶をあっさり缶切りで開けて、中身の10万円を持って機上の人になったウサギ。1時間のフライト後、空港で待っていたガイドさんに迎えられて、1日ジョグジャカルタ観光をした。まずはヒンズー教、石の寺院、ブランバナンから。1549年、2006年の地震でかなり崩れてしまったという、石の各塔の中は空洞になってそれぞれに党のシンボルの像が安置されていた。両端の塔のみ修復が終わってもまだ中央の巨大なシバ神殿はどうやって修復するかすら決まっていないということだ。この前に立ってもどうやってこの巨大な石を積み上げたのか謎はそのままだった。ブランバナンは修行の聖堂。巨大な石の建造物を首が痛くなるまで見上げていたら青い青い空に、塔もろとも吸い込まれそうになった。古代の人も、この青い空を眺めながら、空へ空へ届けと棟を作ったのだろうか。
September 3, 2012
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バティック博物館を出て、博物館の庭で運転手仲間と話して時間つぶししていた運転手さんを呼んで、次は街中へ出てバティックの品定めと買い出し。フェリさんが連れて行ってくれたタナマンシティはバティックの宝庫だった。もちろんバティックのワンピースや男性のシャツもいっぱい売っていた。だけど私が見たいのはカイン(生地)なのである。日本のダイエーなどが入った大型ショッピングモールのような5階建てぐらいのビルにテナントがいっぱい入っていた。1階にソロ地方のバティック、2階にジュグジャカルタ地方のバティック、3階はチルボン地方のバティックと、めちゃめちゃたくさんの生地屋さんが地方ごとに並んでいる。あいにくレバランのホリデーで半分以上のテナントが閉まっていたが、それでもまだまだあるたくさんのテナント。実は着物好きの美容院の友人に帯にするバティックを頼まれたのも有って、目移りするほどの生地の中を、手に取ったり、広げたり。落穂をついばんであっちこち飛び回るスズメさながら、テナントとテナントの間を泳ぎ回った。沢山の記事の中から、私が気に入った生地を選び出すと、フェリさんが値段交渉をする。丸がやたら付いたお札の数が数えられない私の財布から、フェリさんによって、値引きされたルピアをララさんが抜き出してくれた。最高に素敵な柄を買ったと思ったのに次のテナントで新しい地方のバティック柄を見つけてしまう。そっちもきれいね。浮気癖のある男性の気持ちが分かるような・・・。いちばん安いバティックは機械プリント、2.5mぐらいで日本円にして1,000 円以下。その次は型抜きろうけつ、ハンドメイド。1,000円から3,000円ぐらい。いちばん高いのは手書きのろうけつで細かいのは1か月以上かかるもの。これは日本円でも2万円以上する。高いのは10万ぐらい。そんな最高級はタナマンシティのテナントではそう簡単に売っていない。デパートか専門店で。そんなわけで、バティックの生地の山から抜け出せたのは、そろそろ会社が終わった頃、一緒に夕食しようと約束した時間に友人の元に帰らなければならない時間だった。上はタナマンシティの通路にまで出店している生地屋さん。バティック美術館では古布を展示の対象の美術品として見つけ出し、収集している。インターネットでの情報によれば「集めたアンティークでも交渉次第で売っている」とな。布の端1cmまで蝋で模様を付けた手書きろうけつ染め。 ↓
September 2, 2012
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