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精神保健福祉士という資格があります。通信教育もありますが、彼らのほとんどは福祉大学を出ています。通信教育、福祉大学共にその間に病院や施設で実習を受けます。この病院のデイケアにも度々実習生が研修に来ます。どんな仕事もそうなのですが、好きであることとセンスが問われます。精神の仕事は特にです。本人の為は当然として、それよりもメンバー(患者)の側から見た時、好きでないこととセンスの悪い人はやってはならない仕事です。スタッフによって、そのデイケアの質と方向性が決まります。メンバーはスタッフのしっかりとした人間観に支えられた援助が必要とされます。それにはやっぱり、好きであることとセンスが大切です。勉強したり努力したりでは解決のつかない「何か」です。今日と明日二日間の実習に入ったのは、まだ福祉大学の学生さんです。まだ資格は取っていません。終了後の会議の席で、Kさん、野口体操はどうだったですか、とスタッフから聴かれました。「不思議な体操でした。」いいセンスだと感じました。いつまでもその感じを大切にして欲しい。決めてしまえばラクだからです。こんなに形のない体操でも、慣れてくると形を決めたがります。不思議のままにずーっと行くことができるのも力です。精神の病気のことだって同じです。研究はされていても、解決のついていないことがほとんどです。それなのに決めてしまいたくなります。メンバーの一人ひとりと新鮮に向き合ってゆくには、不思議なところは不思議のままにしておくことです。「もともと、味というものは、例外はあるにしても、噛めば噛むほどそのもの特有の味わいが出てくるものであり、栄養というものは、それがゆっくり消化され吸収されて、やがてその結果が静かにあらわれるものであろう。しかもその結果は食べる前から、そのすべてを予測することはできないし、食べた後でも必ずしもはっきり自覚されるとは限らず、そのすべてを測定することもできないものであろう」(野口三千三)
Jun 30, 2008
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Tさんの介護記録「二度目の脳梗塞に見まわれた舅は、今も救急車で運び込まれた脳外科病院にいます。食事を口から摂れないために、やっと入居できた施設に戻れないのです。医師の説明を求めました。「脳梗塞による飲み込みの麻痺もありますが、お父さんはなんら問題がありません。飲み込みは本能です。練習したとか、教えられたからではなく、胎児のときから羊水を飲んでいます。」だから意欲の問題だとおっしゃるのです。脳外科ということもあって、同室の患者さんは皆さん重篤です。管で覆われたからだに胸から下に薄い浴衣が掛けられているだけ、直視できません。この部屋で舅が奮起するとも思えず、我がままですが、できればもう少し回復されている方達とご一緒できないかと望んでいました。そして、隣の部屋に移れました。けれども舅は飲み込みの回復ができません。ついに鼻摂取から胃に直接管を差し込んで食べ物を流し込むことになりました。手配さえ調えば、姑を施設から入院する舅に合わせるために連れて行きます。子どもたち孫たち全員で夫々に実行します。介護5の姑を車で連れ出すのは男の力が必要で、しかも一人ではできる仕事ではありません。長女の両親を思う気持ちから出た案ですが、家族全員をそんな気持ちにさせるのは、それを望んでいる両親を見て来たからです。子供の頃から、嫉妬にまつわる収拾のつかない親のケンカを見続けながら、親のケンカを男女の愛として認識してきた子どもたち、させてきた両親です。耳も聞こえない、からだも動かせない両親の手を重ね合わせてやりながら、気の済む時間を見計らって目を閉じている夫を見ていました。今ここに至って初めて、やっと、この家族のことが分った気がしています。」父の死は兄が、その七年後の母の死は兄嫁が中心になって介護した日々でした。プロジェクトを組んで、弟を親族で介護したこと、野口先生を弟子たちで看取ったこと、あの毎日を鮮やかの思いい出しました。「好意的・肯定的に対象に向かうとき、中身は暖かく潤いをもって、ふわっとふくらんで開かれ、液体敵から気体的に、さらに放射線的にもなって、新しい反応が時には静かに、時にははげしく次々に起こってくる」(野口三千三)
Jun 29, 2008
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息を呑むようなメールを頂きます。年を重ねるごとに、よく聴かせて下さったと驚き、有り難くももったいないという気持ちが強くなります。具体的でリアリティ-のある問い、生きることに根ざした疑問、解決のつかない悩みです。計り知れない経験を潜り抜けて出てきたその上での悩みのことばです。その疑問、その問い、その悩み、それだけで価値があります。解決された結果や答えにだけ価値があるのではありません。もっと大切なことは放棄しないこと、対峙し続けることです。誰しもが小説家や芸術家や哲学者ではないけれど、その疑問、その問い、その悩みの中で小説や芸術や哲学は生まれます。困難と共に生きること、それ自体の中に小説や芸術や哲学があります。軽々には答えられません。その問いに、長い時間をかけて生きて来た自身の経験を重ねます。出てきた結論を何度も否定し直し、最後には勘だけを頼りにキーを打ちます。からだの動きで確かめ、からだに滲み込んだ堪です。そんな時、野口三千三のことばが保障を与えてくれます。からだから貞(き)いたことばは、必ずどんな問いにも呼応します。それはどんなことばでもいいのです。からだはそれほどに、さまざまなことに対応できることばを持っています。「原初生命体としての人間」(野口三千三著)から目を瞑って、あてずっぽうに拾ったことばが以下のことばです。「人間の動きは、もともとこのようなイメージによってしかうごくことのできないもので、常識的な合理の世界における意識の指令によってうごかされるものではない。意識の指令によって動くものだと言う知識は、人間の働きの中のきわめて狭い一部の出来事にしか通用しないようである」(野口三千三)
Jun 28, 2008
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同じ動きでイメージを変えるには、潔くからだが変わらなければなりません。瞬時にからだが切り変わることです。それには、変化させたい一つ一つの動きに、鮮明なイメージを持っていなければなりません。その動きだけにしかないリズムがあります。動きにピッタリの呼吸でなければなりません。イメージが変わる、リズムが変わる、呼吸が変わる、その結果動きが変わる。さらにイメージとリズムと呼吸と動きがピッタリと一致していなくてはなりません。今日の教室で、この人にこんな潔さがあったのか、こんな激しさがあったのか、としばらく声の出ないほどの動きに立ち会いました。I さんです。長い間泣いてばかりいたI さんさんです。泣きながら、その涙に応援されながら変化してきました。自分でも整理することの出来ていない感情の涙から、だんだん涙の中身が伝わってくるようになりました。野口体操と営みを共にするのは、ほとんどの人にとってそう楽しいことばかりではありません。見ないようにして固めて奥の奥の方に仕舞い込んで、そのうち忘れ去ってしまっていた「何か」と対峙することになるからです。解決を急ぎ過ぎても、ちゃらんぽらんでも、からだの動きに敏感に表れます。動きが成立しないのです。I さんはゆっくりでした。けれども大変な集中力で、投げ出しはしませんでした。最近はめったに泣きません。魔法の涙をそそぎながら乗り越えてきたのでした。からだの中がこんなに豊かだったのだもの、それが確かに自分のものになって、さらにもう一つ転化させて外に動きとして表現できるのだもの。「人間の一生における可能性のすべての種・芽は、『現在の自分の中に存在する』」(野口三千三
Jun 26, 2008
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舞台芸術学院の学生たちの目つきが変わってきました。発表会という具体があって、それに伴って、稽古もまた具体的になってきたからでしょう。からだの概念も少しずつ変わってきました。従って、表現するからだの概念も変更を迫られています。認識も興味の内容も変わってきました。こうしろ、ああしろ、と言っているのではありません。自分で考えろ、自分で見つけ出せ、自分の実感を持て、自分自身のことばで語れ、自分自身のからだになれ、自分自身の表現をしろ…、と言っているのです。その手助けをしているにすぎません。「日常的な考え方の枠を破らなければ出来るものではない」(野口三千三)役者と呼ぼうが、俳優と言いたかろうが、表現者と呼ばれたかろうが、いずれにしても日常的な考え方の枠の中にいたのでは何も出来ません。からだの基本が自然の摂理にかなってさえいれば、そしてそこに創造的想像力がはたらけば、あとはそれに後押しされて切り取り、増幅、縮小、なんでもござれです。一つの動きをイメージを変えて動きました。やっと少しからだが楽になってきました。振り付けされた動きしか動けないんではどうしようもない。「どうやるの?」なんか無いんだぞ。話の通りも良くなってきました。何を言われているのか、分ってきたようです。
Jun 25, 2008
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Sさんが店長を勤めるお店の前を通りました。通ったというより、後一分足を伸ばせば彼女の働くお店の前なので、その駅を利用する時はいつだって寄ってみたくなるのです。わざわざ「Sさんいますか」と訪ねることもありますが、顔が見えないときはそのまま帰ります。しかし彼女はほとんど店頭で働いています。今日も、細い手首でフライパンを二つなんとか扱いながら、まるで決められた手順を間違えると罰則のつくゲームのように、パスタを作っていました。その間、店長として人も動かす気くばりも欠かせません。彼女は重いフライパンの作業で腱鞘炎を患い、ここ何年間も、「逆立ち」はもちろんのこと「腕立て弾み」どころか「四つん這い」もできません。調理はお客さんの見えるところでやられています。一分ほど立って見ていると、大声で話しかけられて、こちらも大声で、「大声で話していいのお」と聞けば、大声で「どうぞお」と返ってきました。都合三分ほどの間に、赤と白の二つのパスタが出来上がり、「上がりましたあ」。動く人さえ見れば「いらっしやいませえ」「「ありがとうございましたあ」の掛け声の中、店を出ました。ついでに背中に一斉に「ありがとうございましたあ」の声を浴びながら。え?と振り返ればその顔を見て明るく弾け散るSさんたちの笑い声。夜の教室の人たちは、仕事を終えてから野口体操にやってきます。6時45分の始まりに間に合うべく、仲間を横目で見ながら職場を出てその脚でやって来ます。ギリギリにスタジオに到着。片道2時間をかけてくるひともいます。ほとんど仕事のからだのまま、切り替えがつきません。疲れきったからだで眠ってしまってそのまま立ち上がってこないこともあるSさん。それでも彼女たちは休むことなくやってきます。何を求めて、何を得たくて、何を捨てたくて、何の変革を目ざして…、野口体操は一人ひとりの一番深いところと繋がっています。「それに気がついて、そういった目で生きているからだを見始めると、今まで学んできた理論がいかに間違っていたかということが、実にはっきりと見えてきて、からだ以外の全てについての価値観の転換までも、私に迫ってきたのです」(野口三千三)
Jun 24, 2008
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「男子更衣室に手帳・ボールペン・体操靴・眼鏡を忘れてきたけれど、朝、出勤時に無いと発見。今日はどうしても仕事。とりあえずは、スタジオに連絡をしておいていただけないか。」と電話あり。出入りの多い貸しスタジオのことなので、忘れ物の見つかる確率は大変低い。スタジオが開く前に行ってその忘れ物を押さえておかなくては、と自転車を走らせました。途中、燕の巣が目に飛び込んできました。思わす自転車を止めてしまいました。やっぱりいました、巣の周りを飛び回るつがいの燕が。今はまだ巣作りの時期だったかもう子どもたちの巣立つ時期だったか、記憶もおぼろげで、田舎から遠く離れしまっている暮しが、寂しく感じられます。いつ頃だったか…、気が付いた時には、玄関の中に燕の巣がありました。夜は戸が閉められ、燕が帰っているか心配で、眠りにつく前、こっそり見に行ったことは度々です。親に訊ねてもあっけらかんとしていて、ますます心配になりました。ピーピー思いっきり口をあけて、親から餌を差し込んでもらっている様子も飽きずに見ていました。順番にちゃんと行きわたっているのかも心配でした。それでも子どもたちは揃って巣立ちました。一羽、一羽、前後して力をつけ、やがて全員で家の前の物干し竿に整列します。「ほれ、燕な、あいさつしとる。」みんな仕事の手を休めて見惚れました。「来年もやっておいで…。」毎年決まってやって来て、前年の巣に手を加えては子どもを育てました。きっと故郷を離れた後も、燕の子孫は来ていたに違いありません。あんなに沢山子どもがいたのに、誰がこの巣を継承するのだろう…、不思議でなりませんでした。きっととっくに解明されているに違いないその疑問も了解しないままになっています。忘れ物はありました、ああよかった。迷子になりながら大回りをしてゆったりしていられる時間、子どもの頃を思い出しました。「いずれにしても、私の子供の頃には土と離れた生活など考えられなかった。農家の仕事はあまり好きではなかった私ですが、土との関係、地球との関係を基礎とする今の私の感覚は、この頃の生活感覚がからだの奥底までしみ込んでしまっているからこそだ、としみじみ思う今日であります」(野口三千三)
Jun 23, 2008
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からだの中は体液で充たされている、とあるキッカケに出会った野口は、次のようにその驚きを表現しています。「死体解剖学の知識が、生きている自分のからだと、突如として一つになり、新しいからだ観が生まれたのです。私にとってまさに革命的な一瞬だったのです」(野口三千三)そして、「私自身、このことにはっきり気がついたとき、ニュートンが万有引力を発見した時には、こんなふうにびっくりしたのかなあ、と思うくらいびっくりしました」(野口三千三)今度初めて、先生のその思いに涙しました。今までどれほど多くの人が人間のからだに触れ、遊びであれ何であれ、揺すってみたか知れません。当の先生もまたそれ以前に何度も同じ体験をされているに違いありません。それまで先生は死体解剖学の知識を諳んじるほどに学び尽くされていました。どれほど夢中になって徹底して学習されていたか、その極みがあったからこその発見でした。ああ、その時満ちて全てがひとつに繋がったのでした。先生の驚きと共にありたい。それほどに新鮮に「からだは生きた水袋」(野口三千三)を味わいたい。それが「原初生命体感覚」の原点であり、「原初生命体感覚」を取り戻すことに繋がります。「にょろ転」を駆使して、「原初生命体ごっこ」に興じました。自分のちょうどいいところ、自分の都合のいいところへつながり・つたわり、その人ならではの動き、その人の内容がそのまま表れた動きになって、三十八億年の彼方まで遡ることができたでしょうか…。Iさん。このからだを持ってイギリスに行ってきてください。
Jun 22, 2008
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様々な「にょろ転」があります。ある一つの姿勢から出発して、一回転して再びその姿勢にかえってくる、その通り道の動きです。そのあいだ、固まったり、無理したり、頑張ったりしないでいれば、最初の姿勢に帰ってくるのはそんなに苦労ではありません最初の姿勢はいわば条件です。条件を設定するのは、どんな姿勢から出発するかによって、通り道が違ってくるからです。「後ろにょろ転」も「前にょろ転」も、広く見れば「おへその瞬き」も「にょろ転」です。立ち上がってしまわなければ、全て「にょろ転」と言えます。やがて条件を取り払てしまえば実に無数に、通ったところが道になります。あの道、この道の中にからだの重さを流しながら、にょろにょろと転がってゆきます。転がるけれどもからだを固め、反動を使って性急に転がるのではありません。それではただの「もの」になってしまいます。からだの重さ、体液がつぎつぎじゅんじゅんに伝わってゆくのです。重さという生き物は、わたしそのものです。ふ、っと関心がわたしから離れます。からだの重さを感じられないからです。「からだの中身以外の自分は存在しない」「体操とはからだの中身の変化としての創造である」(野口三千三)手がかりは、自分自身のからだの重さを確かに感じることから始まります。それには、「にょろ転」が最適の動きです。外側の骨格の形の変化にばかり気を取られていたのでは、いつまで経っても体の中身は感じられません。
Jun 20, 2008
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久し振りに、あの、自分を取り戻してゆく感覚を味わいました。子供の頃は何かにつけて高熱を出していました。運動会の前日にも、遠足の前の日も。まして風邪となると同じコースをたどり、十日も寝なければ学校に行けませんでした。天井にいつもおなじみの顔があって、普段は気にもしていないのですが、熱っぽいからだで、水枕と時々誰かが取替えにくるタオルに束縛されて天井を見ていると、木の年輪が人の顔に見えてくるのでした。図柄を違う角度からも見ることはでき、ときどき嗜好を変えることもできましたが大概は同じ顔が先ず見えてくるのを不思議に思っていました。久しぶりに学校に行く朝、母に着替えを手伝ってもらいながら、からだが昨日までとまるで違って感じられました。高熱に身を任せていた時に感じていた自分も確かに自分で、それも好きだけれど、今朝の覚めている自分は世界と繋がろうといている自分で、頼りなくも高揚していました。大人になっても風邪のパターンはすこしもかわりません。あんなに休めなくなった。だらだら長引かせながらエネルギーを集めて仕事に向かいます。だから子供の頃のあの日の朝のように、鮮やかには行きません。でも、高熱が引いたあとの覚めていくからだの感覚は、久しぶりです。周り中が風邪を引いています。貰ったのやらあげたのやら。「からだの中身の細胞の間を空けて、一つ一つの細胞が伸び伸びと自由に、ゆとりをもって、楽に息ができるようにすること」(野口三千三)
Jun 19, 2008
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野口体操の経験から―Sさんの場合「【感じることと考えること】 日曜日は野口体操に行っています。イギリスに行くまでに参加できるのもあと3回となってしまいました。野口体操は自分の身体を大きな水袋のようにイメージします。原初生命体だった時の自分は、外界と自己を薄い膜で隔てただけの水袋だった。そして今、たくさんのそれぞれ役割の違う細胞によって形作られた最高に分化し進化した自分がいて、その間を自由に行ったり来たりできる。野口体操はそんなイメージを体操をしながら具体化していくような気がしています。ところで今日は波の動きを色々にバリエーションした体操でした。立ってする波の動き。寝てする波の動き。身体の一部(腰?)に波の動きを起こすと、それが身体を伝わって流れていきます。体操は動きができるようになるものと思いがちなのですが実は自分の体の中に、体液の流れを感じ、重さが移動していくのを感じないとできません。外側に動きを作ろうとすると、ぎこちない、自分が何をしているのかよくわからない動きになるのです。そして、自分の内側の流れを感じ、重さを感じたとき、それは外側には波の動きになり自分も『気持ちがいい』と感じる動きになるのです。今日は初めてそれを感じました。仰向けに寝て手足をあげて、その重さを感じながら背中の動きで少しずつ足の方に進む動きの時です。最初足の方に進むことに気持ちが行ってしまい、身体を動かして進もうとしました。その時は足も腕もどう扱って良いかわからない、自分と離れたバラバラの存在でした。指導者の方の『進もうと思わなくていいのですよ。』という声かけがあり今度は腕や足の重さを感じながら身体を動かしました。腕の重さが身体に伝わってきて(流れてきて)それを受けとめた身体が波打っていく。初めてそんな感覚を体験しました。重さを感じるとき、一体となった腕や足は、とても気持ちがよいのです。さっきのバラバラに感じたぎこちない手足が、今は自分と一体となって、自由な体液の流れ、重さの流れを感じるようになりました。この流れを感じることが、心地よいのです。自分の身体を自分のものと感じる瞬間なのかも知れないと思いました。考えてしようとすると、自分の身体から離れてしまいます。身体の内側の流れを感じると、自分の身体は自分と一体となって、そして自由を感じる。瞑想体験とも似た、体験でした。内側に全てがある。宇宙とつながっている自分を感じる。瞑想の時にそう教えられましたが、野口体操は、それを身体を通して感じるものなのかも知れません。」Sさんの体操による経験が変わってきました。「気持ちのいい動き」と「ながれの滞った動き」の違いも、実感のことばで表現されます。「感じて動くのと、考えて動く違いね。」そしてこのタイトルになりました。スゴイ。「もし、からだにおいて脳が主人(主体)で、その他のものがその指令によって働くべきもの、という考え方をするとどういうことになるだろうか。体液によって後から創られたものほど高級で上位を占め主体となるのだということになる。これを推し進めてゆくと……」(野口三千三)
Jun 10, 2008
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舞台芸術学院の卒業公演の最終日、「先生、僕、野口体操を学びます。」と告げて本当に教室にやって来た永田歩が、劇団 エビビモpro に出演。川中島Cats ~猫の瞳に恋してる~作・演出 矢ケ部 哲教室に参加されているMさんをお誘いしました。Mさんは、東京に単身赴任で来ておいでです。「東京ならではの経験をしたいと思って」と、野口体操教室に参加されました。御自身も演劇がお好きで、本拠地では演劇鑑賞団体を組織されています。「妻ともそこで知り合いました。現在は妻一人で活動しています。」いつも立派な劇団を呼んでキチンとした劇を鑑賞されているMさんに、このハチャメチャなミュージカルはどう映ったのでしょうか。「僕は面白かった。若い人たちがこんな集団を組んで、よく関係も取れて、結束してこんな舞台がやれるなんて、感心しました。このまま行けばお客さんも付いてくるし、「東京キッドブラザース」のようになると思う。実にあったかい空気が伝わってきて気持ちが良かった。2,800円払って観た甲斐がありましたよ。いつも、自分たちに合わせた演劇を観ていました。観る自分たちもだんだん年を取って、知っている俳優さんたちも年を取って、どんどん年寄りの演劇を観るようになっていたんですね。こんな若い劇団が育って欲しい。」ありがとうございます。劇団 エビビモproは、今回が第三回公演の、劇団も若ければ、劇団員も二十五歳以下の若い集団です。その出演者のほとんどは舞台芸術学院の卒業生です。つい最近まで彼らを相手に悪戦苦闘していました。彼らからみると、わけのわからない説教をたれていている、わけのわからない体操だったかもしれません。ハチャメチャだけれど、よく稽古されている。三十人を越える出演者の一人ひとりが誰も手抜きをしていない。全員で自分たちの向かうところをまっすぐ見ている。実のところ、もっともっとハチャメチャになればいいと期待しています。既存のダンス、既存の歌から離れて、自分たちのミュージカルを創って欲しい。「感覚にとって大切なことの一つは、如何に豊かな錯覚能力を持つかということである」(野口三千三)
Jun 9, 2008
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「開放された部分が新しい可能性をうることよって変化発展するだけにとどまらず、その部分の変化によって全体がまた変化発展するという原理をしめしている」(野口三千三)この原理は人間の進化の中に組み込まれれ、人間として生きている間中生きつづける原理だと言うのです。誰の中にも在り、あらゆる場面で適応することができるこの原理は、人間に与えられた力です。宝物のようなものです。「その部分の変化によって全体がまた変化発展するという原理」これも、使い、磨かなければその人の力にはなりません。宝の持ち腐れになってしまいます。「つながり・つたはり、ながれ・とほり、まはり・めぐり……」(野口三千三)これもまた、「その部分の変化によって全体がまた変化発展するという原理」の一つの現われなのです。この原理を観念的には充分理解できる人も、からだの動きとなると一気に適応できなくなります。からだの動きで適用し適応しなくて、あらゆる場面で適用し適応できるわけがない、だから、失われてしまう前に使い磨くのです。本来のからだが持っている原理をからだの動きで確かめるのです。この原理の先に「体操による人間変革」(野口三千三)が待っているのですから。
Jun 8, 2008
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Tさんの介護記録です。「二度目の脳梗塞を起こした舅は、少しずつが悪くなりながらも一進一退の状態です。舅は、嚥下機能(飲み込む力)が全く機能しなくなりました。舌の味は分るらしく口にものは入れるのですが、飲み込むということを忘れてしまったようです。当たり前と思っていた「飲み込む」ことに、初めて関心を持ちました。普段は、息が気管支の方に入る時は胃への通路は塞がっていて、食事の時は胃への通路が開きます。若いうちはそれはが瞬時に自動的に判断されているのだそうです。幼児は、口に入ったものは何でも、例え、毒でも飲み込もうとします。しかし舅は、家族がどんなに働きかけても、口の中のものを飲み込むことができません。「ゴックン」と言ったり、飲んで見せたり、「さあ、飲んで」と促しても、水であれ口の中に溜め込んで、やがて吐き出してしまうのです。結局、鼻から管を通して生命に必要な栄養が胃に送りこまれています。医師は「ご高齢ですから」を繰り返し、年寄りは嚥下機能を失いがちだと言います。看護師は「食べようとする意欲がないと、どうすることもできない」と言います。リハビリの基本は、本人の意欲に支えられています。「生きたい、治りたい」です。この感覚が失われ、それを表現できないような重篤の時、それでは家族は何によって意欲を判断するのか。それは本人がそれまでどう生きてきたか、それを周囲にどう表現してきたかで決まるのだと思いました。舅が自分の今の状態を無念だとか、悔しいとか、残念だとか思っていない、充分幸せで、辛い感情も持たず病院のベットにいると子供たちは言うのです。それでも、食べ物を飲み込もうという気になってもらわなくては…と、家族は深刻です。やっと両親揃って入居させることができた施設で姑が一人、舅の帰りを待っているからです。けれども、鼻から管を通して取り込む栄養は医療行為で、施設では医療行為は禁止されているのです。四人ベットのうち三人は、喉に管を差し込み一日中眠り続けているようにしか見えなません。同じ病室で途方にくれています。」親を施設に預けることになるまでの道のりは、決断するまでに長い年月と、乗り越えてなければならない葛藤があります。家族は苦痛をともなう困難の数々を経験します。安心も長くは続きません。すぐにTさんと同じ状況がやってくるからです。当たり前のようにやられていたからだの働きが失われてゆくのが「老いる」ことだとすれば、その先にある「死」も当たり前のこととして受け入れてゆくことが自然なのでしょうか…。「今まで生きた全人類は『死から逃れることが出来なかった』と『誰でも死ぬことができた』と……」(野口三千三)
Jun 7, 2008
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筋肉の問題は、偏見と誤解に満ち満ちています。からだの動きの仕組みを、頭ごなしに信じてしまったからなのです。動きは筋肉の収縮によって成立する。筋肉が強いほど、力強い動きが出来る。部分的に見れば間違いではないこの認識も、まさに、からだの動きの一部の事実に他なりません。そのうえ、筋肉は意識の奴隷になりたがります。奴隷となった筋肉は、意識の支配の下にその支配によって動こうとします。迷えば迷う、戸惑えば戸惑う、つっかえればつっかえる…、そして、頑張れば力が入る、緊張すれば力が入る、しかも余計な力ばかり入ります。野口三千三は筋肉の誤った認識に、多くの時間を使い、あらゆる角度から語り掛けました。そのことばは、どれ一つ取り上げても既成の概念を打ち砕きます。「今使っている筋肉は、同時に使えない」「次に使える筋肉は、今使っていない筋肉だけである」(野口三千三)ではからだの動きは何によって成り立つのか。さまざまの要素が関係し合い、一つの動きを生み出してゆく野口体操の全体像は、からだが「小宇宙」と呼ばれるに相応しい、一つの宇宙です。毎日の日常の中でやられているわたし達のからだの動きの一つに、「立つ・歩く」があります。次の実験はよくやられます。「両足に重さを乗せたまま歩けますか?」(野口三千三)右半身に重さを乗せ、左半身の筋肉が開放されていなければ左の足は振り出せません。この原理はそのまま「今使っている筋肉は、同時に使えない」「次に使える筋肉は、今使っていない筋肉だけである」(野口三千三)を意味指します。「お尻たたき」「胸たたき」使っていない筋肉がたたく仕事をするのです。
Jun 5, 2008
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彼らの一番不得意なところです。「不安定こそ安定の基礎」と感覚することは…。不安定でいることは、頑張らないということです。不安定でいることは、キメないでいるということです。不安定でいることは、崩れ易いということです。不安定でいることは、いつでも変更可能だということです。頑張らないで、キメないで、崩れ易くしておく、空けておく。その感覚の中に身を置いて、しかも安心していられる。その繊細な揺らめきを楽しんでいられる。だから自由でいられるのです。そうすれば力を入れることことも、形をキメルことも自由に出来るのです。「次への変化の可能性の豊かさを柔らかいという」(野口三千三)この豊かさが不安定の中に在るのです。それをからだの動きにすると「脳点一点逆立ち」になります。脳点一点で地球と繋がり、吹き抜けるように「まっさかさまにぶら上がっている真空の柱」それが「脳点一点逆立ち」です。頑張れば、からだが反ってしまいます。力を入れればからだの中身が硬くなって固まってしまいます。頑張る、力で解決する、形をキメル、それだけを頼りにやってきたのです。でも、もうほぼ十ヶ月、からだの動きと共に言われ続けて来ました。最近やっとそんな気がしてきました。どうも頑張ってもできない、力尽くでは解決しない、そんな体操ではなさそうだ…。今まで頑固に抵抗していたM君が、脳点の上に腰が乗った瞬間をつかみました。「無だ、無、無なんだよ」忘れないで、今日があなたの新しい出発。
Jun 4, 2008
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彼女は野口体操が大好きです。「だから、ずーっとずーっと続けていたい。もしもこの教室が無くなってしまったらどうしよう。いや、そんなことを心配しているよりもスタッフになってしまおう。」これが彼女のスタッフになりたいと申し出た理由です。一人の人間が生きている背景には様々な歴史があります。一人では背負いきれない問題を相続のように親から背負わされて、その親もまた、その親から背負わされた荷物です。それは理不尽で理由の無い、ただなんとなくの不安や、自信のなさとなって表れます。いたたまれない生き辛さです。野口体操に出会いました。からだの動きは、自分の中に起こっていることと付き合い、明らかにしてゆくことでした。漠然とした不安や自信のなさが自分の中身であるならば、からだの動きはそれを表沙汰にし、晒してしまいます。そんな営みがどんなに力になっているか、彼女の動きを見れば分ります。動きと自分自身の関係がはっきりしているのです。立ち入ることの出来ない世界、集中力を感じます。「切実すぎて…」と彼女の動きを直視できない人もいるぐらいです。それこそが彼女の真骨頂なのです。やがて少しずつ本来の自分自身を取り戻してきました。子の親になり、この荷物、子に背負わせてはならない。この生き辛さは、私でお終いにしたい。しかし伝え手としてもう一つ何かが足りません。慣れればいい、やがてだんだんと、と言ったものではない本質的な問題です。他者がいないのです。伝え手として一番大事な「伝えたいこと」と「伝えたい相手」が存在しません。先輩たちがやってきたパターンにとらわれないで、それこそ自分から出発し直してみてはどうか。私は野口体操のここが大好き、私にとって野口体操のここが大切、そんなあたりから、他者を自分の中の巻き込んで。「ただ一つ、徹底的に大事にすることは、ほんとうに自分がそのことに興味を持っているのか、魅力を感じているのか、そのことだけは何回でもからだの神に貞(き)くことを繰り返すことである」(野口三千三)
Jun 3, 2008
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Yさんが前回に続いてデイケアに顔を見せました。足取りも前回よりしっかりしています。あんなに熱心だったYさんが突然姿を見せなくなったのは半年前でした。一人暮らしです。およそのことは聴いていましたが、心配でした。もっと心配だったのは、帰ってきてからのYさんの状態が悪い、関係が取れないというのです。Yさん! 調子が悪かったのですって? 大変だったのね…。駆け寄って肩に手を掛けると、ゆっくり話してくれました。「風邪を引いて、それを弟に話していたのが良かったんです。次の日突然、からだに力が入らなくなってしまって、意識はハッキリしているのに。弟にやっと電話して、受話器を持ったまま力が抜けてしまってそのままいたら弟が駆けつけてくれて、救急車で運ばれました。落ち着いたので、この病院に転院してきたのです。今、入院しています」当時の様子を正確に、日時も、自分の感覚もよく記憶されていました。からだの動きはさらにゆっくりになったけれど、こちらからの働き掛けも理解されていて、理解したことをやろうとされています。Yさんの動きがゆっくりで、それに合わて進んでいることはメンバー全体にも伝わります。誰もさっさと自分だけで動くわけでもなく、全員がYさんの動きに合わせてのろのろと、しかし真剣そのものに進められている場の流れは精神の病院ならのものでしょう。辛抱が必要です。場を一つに括って、全員で行くのだという確信も必要になります。みんな全身で感じているのです。Yさんは大切にされているのか…。それは、自分が大切にされるのか、にも繋がります。伝え手であるこの人は信頼できるのか、でもあります。二時間休むことなくやり切って、後半、やっと場は一つになります。終わって振り返り会議の席上、Yさんの状態が話題になりました。「Yさん、体操ではよかった。前回も今回も…。それって、わたし達のアプローチが悪いのかしら…。」精神の仕事は、その人個別であれ、人間全体にであれ、どうイメージを持つかが大切です。「イメージとは内的で流動的な現象であって、ある対象について、意識に上ったものとして捉とらえたものだけでなく、半意識・無意識として感じられている多くのもの、漠然とした感じにさえならないもっともっと多くの何か、そのすべてをふくみ、それらの全体から生まれてくる象徴的・模型的(模式的)そして未来像的な全体像を言う」(野口三千三)
Jun 2, 2008
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今日は長い間時間をかけてやってきた呼吸のまとめに差し掛かりました。「横隔膜式呼吸の仕組み」をもう一度復習し、整理をしました。Tさんの「腕立てはずみ」が飛躍的によくなりました。動きと呼吸が一致したからです。動きと呼吸が一致した時、からだにゆとりができます。ゆとりのあるからだから出てくる動きは、気体になったり液体になったりします。例えば、「腕立てはずみ」では、地球に働きかける「重さ」は液体に、弾み上がったからだは気体となって宙を舞います。一つの動きは、「呼息→吸息→保息→呼息」を繰り返しながら、呼吸と共に始まりから終わりへと伝わってゆきます。この動きの時、どう呼吸するかは決定的です。「すべての動きにとって、こうでなければならないというギリギリの呼吸のあり方がある」(野口三千三)「腕立てはずみ」の動きにおいて、Tさんのからだと呼吸が一致した瞬間、今まで見たことのない動きが生まれました。細いからだが膨らみ、弾け散りました。ほとんどの人は、困難な動きほど、呼吸のことを忘れてしまいます。息を詰めて、頑張る方にだけ走ります。「同時に二つは出来ないっすよ」と言われてしまいました。ここで引き下がるわけには行きません。「動き」と「呼吸」は切っても切り離せないのですから。「呼吸」と「動き」の問題は、この章が終われば終わってしまう問題ではありません。息を引き取るその日まで、それは付いて回ります。病院には、人工呼吸器をつけた患者さんが増えています。自由に呼吸ができる、楽に呼吸をしている、ほんとうにそうなのか?当たり前のようにやられている今だからこそ、ほんとう今のままでいいのか?呼吸について自覚してみなければなりません。病んだ時、切ない時、困難に立ち向かわなければならない時、それは大きな助けとなりましょう。「息することは生きること」(野口三千三)なのだから。
Jun 1, 2008
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