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前回の日記で「おっさん、発想が古すぎますよ。」というコメントをいただいたが、その通りがかりの彼女の発想が新しいような気もしないのだよな。国際結婚とか国際恋愛に対する巷の反応って、ここ数年で大きく変化したような気はしない。大げさにいえばシーボルトの時代から底辺では変わりはないのではないか。この問題は難しく考えると、人種問題にまでいきついてしまう、深さがある。私自身、肌の色の異なる女性に対する魅力を隠し通すことができないところがある。黒人の褐色の肌も、白人の透き通った肌も、それぞれに性的魅力を感じずにはいられない。また、外国人女性と年中一緒にいれば、逆に、これまでまったく気にもしていなかった日本人女性の肌のきめの細かさに気がついて、肌の美しさは日本人と朝鮮人が一番ではないかと思ったりもする。私がいいたいのは「外国人だからといて、別に。好きな人がたまたまガイジンだっただけ」みたいなコメントの中に少々の白々しさを感じるのだ。「黒人の男じゃないと感じないの。」と訴える女性の声を聞けば、そうですか、そうですか。うーん、それは仕方がないことだなあ、と受容できる、私は。なんとなく気持ちがわかるから。前回の日記では男と女の経済格差による恋愛について言及してみたが、所有欲というものがあるかぎり、お金が男と女の関係を結びつけて、なんの不思議もないだろう。結婚制度そのものがそういうものだからだ。男と女を結びつける要素は趣味が同じでした、とか、生き方が同じです、といったこと以外に、体臭レベルでの好みというものが大きく介在しているのではないかと思うのだ。わきの下のすっぱい汗の臭いに好感を抱くことが出来れば、その人に惚れているといえるのではなかろうか。日本人は体臭の少ない民族なので、あまり自分と異なる性質の身体を好まない傾向があるのかな。(胸毛の男はきもい、とか。)
2007年07月30日
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2組の男と女がバーのカウンターで酒を飲んでいる。一方は、私とフィリピン人女のマリエルで、もう一方が、29歳マッチョな白人ボーイとスレンダーな日本人女性だ。地方の町にしてはめずらしいオサレな店で、イビサだのワールドミュージックだののポカーンッ!とした空気の中で、マリエルは生ビールをぐびりと飲み、カウンター内のシンジは、ドレッドな頭で愛想を振りまいている。90度の角度で2組のカップルが組み合っている。なぜか日本人の女は私と視線を合わせようとはしない。関心がないだけか。マリエルの視点からみれば、白人男も日本人の女も等距離に見えるようで、こちらもどうということもない。僕ら(私とマリエル)は彼らがダーツを始めたので、それをぼんやりと眺めていた。マリエルがダーツに関心を示す。そこで私が「ダーツのルールがわからない。」という。ルールがわからないダーツの光景をじっと見るふたり。日本人の女は、ダーツをやる自分に特に酔っているわけでもなく、はしゃぎすぎていることもない。もうそれほど若くはないからだろう。カウンターの4人を鳥瞰図で見て、白人ガイ(日本語ウマいよ、英会話講師っぽいぞ)と日本人女の図式が私とマリエルの図式に似ていると考えるのは、私だけか。いや、もしかするとあの日本人の女も同じことを考えているのかもしれない。己のポジションが日本人のおっさんとフィリピーナの関係と同様だと、そして、それを見透かされたくないと。ちょっと目には確かに違う。だが、私とフィリピーナは経済格差の上に成り立っているところがあるが、白人ガイと日本人女の組み合わせの場合も、もしかすると金を払っているのは日本人女のほうであるかもしれない。するとやっぱり、私と日本人女は似たもの同士なのか。ひとつ、告白すれば、私がバリラティックに連れてきたのは、その店の無国籍風の雰囲気とマリエルのルックスが似つかわしいと思ったからだ。シンジは、マリエルの名前を尋ねて、源氏名ではなくて、本名で覚えた。この店は、ジャマイカやアフリカ、地中海がミックスした世界で、じつは英語とスペイン語を両方話すフィリピーナにとって、まことに居心地のいい空間だってことだ。アフリカの民族音楽とテクノやアシッドジャズがミックスした音楽は、世界の果てのようだが、地方のフィリピン人にもしっくりくる音楽だ。この店で、私とマリエルは深刻な話をいっさいしなかった。あの空間においては平和が支配していた。
2007年07月23日
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アクセス記録をみてみるか。会社からのアクセス、アリガトウゴザイマス。大学や専門学校のサーバー経由もアリガトウゴザイマス。して、また、うれしいことにケータイからお読みになられる方もいらして、これがうれしい。どうぞ、更新が途絶えて「つまんないな」とお嘆きの貴兄には過去ログをさかのぼってくださいませ。なにしろ文字数だけはかなりのものですから。初回から最新まで全部読んでくれた人がもしもいらしたら、何かをさしあげたい。はあ。現在の私を薬で表現してみましょうか。アモキサン、リボトリール、アナフラニール、ウプレチド。寝る前にトリプタノール、アモバン、レンドルミンです。これだけの精神に関する薬を飲んでいると、どうなるかといえば、オシッコがでなくなります。したいのに、朝顔の前に立ってもいっこうに出ない。悲しいです。ウプレチドの投薬は排尿困難の対策です。私の仕事へのやる気はどうやらアモキサンによるもののようだし、情緒が安定しているのはリボトリールのせいかもしれません。薬は私自身でもあるのですね。最近、SSRIの功罪を訴える書物がアメリカより出てきました。プロザックは夢の薬ではなかったんですね。パキシル飲んでいわゆるシャンビリになったり、自殺衝動に駆られた人も多いです。じっさい自殺したケースもいくつもある。薬が効くってことは反作用がなにがしかあってアタリマエなんですね。私はオシッコがでづらいばかりでなく、オナニーも出来ません。射精できないんです。なにかジンセイの大切なものを失った気がします。時間と金に困らない身分であったら、いっきにバリ島に飛んで、半年くらい過ごしてみたいですね。薬を断って。女をはべらして。ゴーギャンのような生活です。これをやりたい。ああ、ゴーギャンになりたい。
2007年07月18日
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じつは睡眠障害がひどくて、連続して2時間くらいしか眠ることが出来ない状況が続いて先週、プッツンと切れた。火曜日に昼飯を食ったところでギブアップ。主任にメモをつきつけ、びっくりする主任の優しい処遇にありがたがりながら早退。そのまま先週は立ち直れなかった。私は、ガーガーとひどいいびきをかいては、むっくり起きて間食をむしゃむしゃ。の繰り返し。そうとうな変人の状態であったらしい。主任には睡眠障害のことのみ打ち明けていたが、とうとう鬱に付いても告白した。面食らったようだ。職場では仕事バリバリなのにうつ病というのは、かなり意外であろう。今週、出勤して、同僚に病状について(風邪ということになっている)尋ねる者もいたが、「そっとしておいてくださいませ。」と笑っていえば、それ以上の追究はなかった。しかし睡眠障害はつらいよ。早期覚醒でろくに眠れずにそのまま5時半を迎えて朝の支度をして6時半に家を出る。お昼になれば、もう夕方の気分だ。午後6時にはそうそうに「お先に失礼!」するが、TSUTAYAによって『24』を借りて帰る。食後にじゅうたんに寝転んでオヤジとそれを観る。この繰り返しだ。(本当はビデオを観るのもよくないのかもしれんが)私のジンセイの楽しみは『24』だけなので、まあいいかと思っている。ジムにいったり、いろいろ勉強したりとやることはあるのだが、ごろ寝『24』が精一杯の活動なのである。うつ病はホントに地獄の沙汰のごとくにつらい病気だ。Pyorinさんの日記で、うつ病の程度を他人と比較して、我こそはと自慢するのはよくないとあったが、まことにその通りだ。私の病気もつらいが、私が仕事で訪問する先には、うつ病よりももっとつらい病気をお持ちの方がいらっしゃったりする。それは末期ガンだ。末期のガンよりつらい病気はなさそうだ。魚屋のご主人が骨川筋衣文になって布団に横たわっている。『ガンっていうのは、みんな、こんなに、つらい思いをして死んでいくのかねえ。』などという。私はそうですね、と受容するしかない。麻薬のミックスの具合でまあまあ気分がよかったり、副作用が強く、吐き気やらでひどい気分だったり。なにより自分は明日にでも、昇天するかもしれない。家族も笑って、受け答えしているが、じつは内心はそうとうなプレッシャーを感じていながら笑っていたりするので、『もう死にたいよ~。死なせてよ~。』とまさに死に際で安楽死を求めるオヤジの言葉をそのまま受け止めるケアマネージャーを見て、そちらに気分を害したりということもあった。(でも、生きて!なんて励ましはできないのよ~。こうなると)ジンセイとジンセイが向き合って、浮ついたお世辞などいえるような状況ではない場合、もうオレサマ自身を相手に見せるしかないよなあ。歩行器や杖、ポータブルトイレといった用具をオーダーしていくが、病気の進行が納品より早いのだ。もしも、死に際の魚屋のオヤジにうつ病の話をしたらなんと応えるか。『別に命とられるわけじゃないから、いいべ。』くらいかそれとも己の末期がんと同等に計りにかけてくれて、なぐさめの言葉でもあるものか。こればかりはわかんない。麻薬どっぷりの人に聞いてもしょうがないかしら。
2007年07月17日
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参院選がいよいよ迫ってきた。どの党に入れるべきか、前回の衆院選でも私は迷いに迷い、あの時は郵政民営化の賛否を1日で変更したりした。バカなりに考えるのである。あのときの選択は間違っていなかったと思う。だが、私がしぶしぶ支持したのは小泉さんであって安倍さんではなかった。谷垣さんを応援していたがそうはならなかった。社会保険うんぬんかんぬん、の件を鑑みれば、今回の選挙では自民党に大いに負けて欲しいと思っている。自民党が今、必死に信頼回復に努めているのはわかる。名寄せの件についても社会保険庁解体についても、このまま自民がやるのが効率のよいところだ。しかしながら、今回だけは自民は負けねばならぬのである。安倍政権よ吹き飛びたまえ。ようこそ民主党、とこういきたい。だが、民主も自民もいずれも信頼に欠けるところがあり、それは『増税』を誰もがいわないことなのだ。選挙前に増税をさけぶ政党がいれば、まよわずその党に投票する私である。ニッポンの財政はまだまだ足りなすぎる。税の使い道が問題であるが、福祉目的税という名目で、1パーセントでよいので消費税を上げてほしいのである。いや、3パーセントくらい必要かしら。かつて、あれは93年、細川政権時に福祉目的税15パーセントなんてぶちあげたときがあって、結局、あれがもとであの政権は飛んでしまった。だが、細川さんの読みは正しくて、あのときに消費税を15パーセントにしておけば、介護保険は税でまかなえたし、年金制度も破綻しなかったろう。あの大胆な政策をぶち巻くことが出来たのは、自民党ではないからであり、非自民こそが今こそ必要なのだ。だから、かつて消費税10パーセントと唱えていた小沢一郎には、選挙といえども増税を訴えてほしい。それができてこと小沢ではないか。「無駄な税金の使い道をまず、削減してから…」と思う読者もいらっしゃるであろう。結論を言えば、太古の昔から税金は正しくは使われてこなかったのである。どこかでデタラメが生じる。今は、そのあたりをつっつく時期ではなくて、ど~んと増税いってみよう!の時期である。
2007年07月14日
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友人から聞いた話である。その友人は業界の研修会を出席するためにクルマをコイン式のモータープールに入れて、午前、午後と計6時間ものどーでもいい講義を聴講した。この友人、長い間うつ病に悩まされて、5ヶ月ほど前に社会復帰したのだが、まだ、6時間、じっと椅子に座っておとなしくしているのは酷な様子であった。まあ、どうにかやり終えて、「さあ、やっと家に帰って、横になれるぞ。」と駐車場にいけば、なんだか様子がおかしい。出口のあたりでスーツ姿の男が2人、突っ立っているのである。最初は、パーキングの管理会社の人かと思い、友人は、700円を入れて(1日700円というプライスなのである)出ようとした。しかし、コインはそのまま戻り、ゲートも開かない。2回目も同じだった。2人目の男が言った。「私は千円札を入れて、そのままなんですよ。」入れた金が吸い込まれたまま、うんともすんともないとは、なんともやりきれないだろう。1人目の男は、ケータイで管理会社に電話をしていた。「え?30分?このままじゃ、とんでもないことになりますよ!」電話の向こうの対応は、よくないようである。電話の男の表情は煮え切らない相手に辟易している様子であった。そして3人目が友人なのであった。友人はクルマから降りて、ためしにゲートの棒に触ってみた。かみ合わせの部分を力によってはずすことができないものかと思ったのである。しかしながら、そう簡単には外れない。友人は、とにかく早く家に帰りたい一心でバーを持ち上げた。『パキッ!』と音がして、先っぽの木製の棒が折れた。しかし、バーは依然として横になった状態である。電話で管理会社とやりとりしているサラリーマンが実況してくれる。「いま、棒を折りましたよ!」「力ずくで持ち上げようとしていますよ」そう、彼は力ずくでバーを持ち上げだしたのである。『メリメリ!』と音がして丈夫な棒はようやくしなってきた。そこで最後はクルマを動かし、バーを押し出す。バキバキいいながら、彼のクルマはゲートのバーを越えていった。そして友人は振り返ることもなく、走り去っていったのであった。彼の後ろには、赤いゴルフに乗った女性が並んでいたし、ほかにも出ようとするクルマはあっただろう。友人は、犯人が犯行現場も戻ってくる心理に襲われたが、どうでもいいことだと思い、そのまま帰宅した。そして翌日、このエピソードが私の耳に入ったのである。私は勝手に空想するのだが、1人目も2人目も、結局は、彼が壊したゲートを潜り抜けて出て行ったのではないかと。機械が勝手に壊れて、迷惑をしているのは利用者である。それをいつ来るとも知れぬ管理会社の職員がやってくるまで待つ義務があるのだろうか。友人はゲートを抜けながらも700円はぜひとも払いたかったそうだ。しかし、彼が返却口においたコインが管理会社にそのまま受け取られる可能性は高いだろうか。結局、後からやってきた誰かの懐に入るだけではなかろうか。しかし、いくら機械が故障したからといって、ゲートを破壊するのは器物損壊に問われるのではないか。管理会社が来るのを待って、もしも、その時間のロスで損害がこうむるのであれば、その額を請求すればよいのではないか。とはいうものの時間をお金に換算するという作業の難しさといったら…。さあ、皆さんはいかがお思いか。うつ病に悩む友人が起こした器物損壊事件。彼の迷いのない行動に、未だ病理は癒えてないことをつくづく知った次第である。
2007年07月03日
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