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『公安庁職員が仲介』って、毎日新聞の1面に出ている。ようするに元公安調査庁長官の朝鮮総連の不動産売却問題で、現職の公安調査庁の職員が仲介役をしていたというのだ。こういう人をエージェントと呼ぶのではないだろうか。『24』にハマっている私ですら、日本国の公安の中枢に北朝鮮のスパイが潜入していると聞くとビックリである。朝鮮総連は監視されながら、どうやって彼らを取り込んでいったのか、興味がある。というわけで(どういうわけだ?)最近の新聞はニュースが多くて紙面に収まりきらない。『茨城・切断死体事件』なぞは小さく扱われる。『仙台・女性殺害事件』は三面記事の下段だ。普通の殺人事件にスペースをさくことができない新聞の現状だ。談合事件もずいぶんビッグな事件が明るみなり、水門談合事件ではついに国交省の課長が関与していることがわかってしまったのである。課長といえば事実上のその部門の決裁者なのである。おまけに国交省のあるレポートにおいて「談合は必要である」ということを堂々と主張される始末である。いや、まて、やっぱり談合は必要か?私は、彼の主張にも耳を傾けるのである。行政のエキスパートがそういうのだから。価格競争の果てに行き着く世界はなんだろうかと。価格競争のはっきりしない世界に福祉業界があって、民間企業の参入を積極的に活用した介護保険制度は、事業者の不正ということで、ほころぶどころかボロボロになっているらしいことが国民にもなんとなくわかってきた。コムスンの介護は売り上げ500億円、経常利益1億5千万円。ということはあれだけのインチキをやっておきながら利益率は0.3パーセントである。コムスンですらこうなのだから、小さなヘルパーステーションの経営がどうなっているのか、ちょっと想像すれば皆さんでもおわかりであろう。介護は儲からない。儲からないだけでなく不正をしないと食っていけない業界だと。制度を作ったのは厚労省の偉い人で、取り締まるのも厚労省だ。コムスンはつぶされたがニチイは救済された。この両者の勝敗の原因は、ニチイは天下りを受け入れたからというネットの書き込みもあった。ニチイがコムスンよりも優良な企業であるとは、私にはとうてい思えないのである。保険といえば社会保険庁の年金問題で、ついに自民党は政権から降りることになるかもしれない。降りなさい、この際。ニュースというものは自分とは距離のおいた世界だと昔は思っていたが、今では私自身がニュースの中の一端であるのを感じる。福祉業界はどうなってしまうのか。行き先不明な私は、いまもって独身である。
2007年06月17日
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キンバリーはかわいいよなあ。男が若い女に求めるすべてを持っている。丸顔で唇が厚めでそれでいて下品ではない。はちきれんばかりの若さとピチピチ感。シーズン2では1年分大人になっている。それにしてもキムは肝心なときにケータイを持ってなくて公衆電話ばかり使うハメになる。キムと公衆電話の組み合わせは、絶妙なイライラ感(いや、ワクワク感かも)を観る人に与える。A君は、トニータイプなんだなあ。シーズン1ではめまぐるしくドラマが展開する中でトニーだけは観る人に近い視点というか、ゆっくりした速度間でドラマに関わっている。ちょっと離れたところから全体を把握している。最初はジャックを疑って、大きな挙に出たこともあったが、副官としてのトニーの視点はA君と似ている。私は、ジェイミーのファンであった。ヒスパニック系というところがキモだが、他のメンバーより少ないサラリーで、黙々と端末と向き合って機密情報を扱っていた。会社に1人ジェイミーがいるとホント助かるんだよな、上司としては。そのジェイミーがO古さんと重なるんだよな。ルックスはO古さんの方が綺麗ですよ。それは本人に伝えてくださいよ。要するに私がいいたいのは、誰を信頼したらわからない状況において、ジェイミーこそは信頼に足る人物であった。ジェイミーは子持ちだし、けっして若くはなく美人でもないが、脇役として好きだったなあ。そのジェイミーがあんなことになってしまって…。私はO古さんが不正請求をしていたようなショックを覚えたな。この日記でさいさん登場したT田さんは、ニーナに似ている。眉毛の強さが重なる。(T田はドイツ語をしゃべるしなあ)ジャックという年が上の上司と微妙な関係になってしまいそうなところも似ている。(オレサマがジャックってことではないですよ)逆境に陥った際の開き直りが、T田とニーナはかぶる。意志の強さとか。今の職場でもたまにT田からの電話をとることがあって、「おぎーのさん、お元気ですか?」と声をかけられる時のT田は優しくて魅力的だ。シーズン1におけるニーナの髪型までも連想してしまう。だが、T田にはシーズン2におけるニーナの面があるような気がするのである。目的を遂行するためには手段を選ばない類まれな意思の強さをT田は携えている。もしもT田が『24』を観ていたら職場の話題として盛り上がりそうですね。
2007年06月11日
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じつは、『24』にハマっている。シーズン1の最初で、もうびっくり。こんなに面白いドラマはない。会社の帰りにTSUTAYAに寄って半額セールの旧作を1本借りてくる。それを食後にオヤジといっしょに観るのだ。いい親子関係だと思う。ネタバレはマナーとしてよくないので、詳しいことはいえない。まだ、観たことがなくて、最近、ビデオを借りることもないなという方がいらしたら、だまされたと思って御覧なさい。テーマは結局、「家族」なんだろう。だが、この複雑で4つのストーリーが同時に進行し交錯するドラマは、権力、組織、男女の関係、暴力の是非、猜疑心、正義、愛、とエンターテーメントで使われるすべてが凝縮されている。脚本が凄いよなあ。話は飛ぶが、『24』に出てくるニーナ・マイヤーズとT田のイメージがかぶるんだよな。そう思わない?Aクン。
2007年06月11日
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昼間からビールを飲んだら気が大きくなって、介護業界の裏話を書きたくなってしまった。いかんな。このオレサマも公的な役割の仕事に携わっているのに。でも、コムスン問題が表ざたになった以上、言ってもいいか。ズルをしているのはコムスン1社ではないということだ。まず、ヘルパーの登録や管理責任者の登録について、これをインチキしているヘルパーステーションは全国で1000あってもおかしくないだろう。今回のコムスンでは8つのヘルパーステーションに責任者がいなかったようだが、責任者なぞ、ケアマネージャーあるいは、介護福祉士の免状をコピーすればいくらでも捏造できるのである。みんなやってるよ。だって離職率の高い業界だもの。あるステーションを立ち上げて半年でセンター長がうつ病になって辞めてしまったら、その後、どうするか。お店をたたむわけがない。とりあえず、書類上は、いることにしておけばよい。アイデムにでも折り込み求人広告でヘルパー2級でもいいから職員を探すだけだ。2級じゃあ、ちょっとまずいから入社させてからすぐに1級をとらせる。後付けでかまわん。2年に1度の監査が来る前にやってしまえばよい。こんな例、コムスンに限らず、全国の津々浦々のステーションで日常的に行われているぞ。だから、もしも厚労省が本気になれば全国にあるヘルパーステーションの大半をつぶすことが出来る。大企業の処遇について連座制を適用できるようになって、厚労省は会社をいくらでもつぶせるようになった。老人保健局の局長の判断でつぶせる。これが現実だ。だから、コムスン以外の民間企業も慌てふためいている。たとえば、セントケアという大きな会社がある。今年の4月に地方ごとに分社化した。なぜ分社化したかといえば、連座制の魔の手から逃れるためだ。東京が死んでも千葉と神奈川は残す。そんな目的で分社化した。そのための書類整備は大変なことだ。とにかく必要な書類が分社した分必要になる。そのほか、介護サービスはケアマネージャーが立てるケアプランをもって実行できるのであるが、セントケアの分社化で私のような部外者でもセントケアのステーションにプランを立てているものだから、(ケアプランというものは、そもそも特定のサービスや特定の法人に偏るようなことがあってはならないことに、建前はなっている)4月1日の日付のケアプランを改めてよこせ、と所長がいってくるのであった。まったく書類上のことで利用者にとっては、どうでもいいこと。しかし監査が突然入ったとしたら、行政は、書類不備を理由に廃業に追い込むことができるのだ。私は、FAXしてやりましたよ、日付を4月1日に変えたものを。本当は利用者の署名が必要なのだが、そんな時間はない。そもそもお年寄りはなぜその書類に署名をしなければならぬのか、おそらく説明しても理解できないだろう。セントケアさんは、先のコムスン、ニチイ、ジャパンケアのような不正が見つかった企業ではない。そういう会社であっても先を見越して行政に対抗しているのである。これが現実だ。セントケアさんはコムスンほどにイケイケ、ゴーゴー!の社風ではない。それでも叩けばでてくるホコリはある。厚労省の局長が、「セントケアをつぶせ」と号令すれば、市町村もタッグを組んで、やってくる。社会福祉法人は民間だが、完全な民営ではなくて公的な要素がある。だから、行政はある程度仲間意識を抱いているところがあるが、民間の会社なぞどうでもいいのである。コムスンの利用者が7万人?それがどうした、社会保険庁の不備は5000万件以上だじょ!叩けばホコリは出てくる。崇高な理念をもって介護の世界にいるこの私ですら、しょうしょうのホコリは落ちるのである。ただ、そのくらいのことをいちいち扱っていたら業務が進行しない。それだけのことだ。コムスン問題についての日記について、反響があれば、続きを書いてもいいかと思う。私自身というちっぽけな人間のリスク上はよくないことはあるが。
2007年06月10日
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もう一昨年になるのか、耐震偽装事件が盛り上がった時に、私は建設業界にいるI君に、つい、いろいろと質問してしまったが、I君は「仕事の話はしないでくれ!」と怒ってしまったことがあった。あの時は悪かった。誰だって、プライベートで仕事の話しなぞしたくないものなのである。しかしながら、巷ではコムスンさんの不正の話題で盛り上がっている。『介護保険ビジネスとは何ぞや?』というところまで来ている。結果として、介護保険により重いうつ病に苦しんだ私は、この事件とも向き合わねばならぬのである。そもそも、コムスンとはどんな会社だったのか?もともとは福岡において、日本で最初に24時間在宅介護を始めたヘルパーステーションだったのである。それまで日本には深夜にお宅を訪問するというスタイルはなかった。コムスンはNHKに取材される誇り高き集団であった。認知症の高齢者の行動を科学する研究会にときどき出向いていた私は、95年頃のコムスンの皆さんのインテリジェンスに感心したものだ。それが、例の折口氏がコムスンを買収して様子がおかしくなってきた。才色兼備のあの女性は(といっても誰もわからんだろうが)そうそうにコムスンから去っていった様子であった。2000年の介護保険制度を見越して、コムスンは事業を急ピッチに拡大していった。200億といわれた資金を集めた折口氏は、その点についてはえらいと思う。彼の考えは、シェアをとるところにあった。とにかく日本全国をコムスンカラーに染めてしまえば、介護保険制度はコムスンなしでは立ち行かなくなる。経済用語でいうと売上高極大化仮説に従った。ニチイ学館もコムスンに追随し、両者は同様な戦法を採った。介護保険のスタートはいわば革命であったから、どこの会社も荒っぽいことをやった。私の介護支援専門員の証書のコピーは、ある市において2つの会社で使われてしまったほどである。厚生省も当時は見てみぬふりをしていた。革命には血が流れるものなのである。2000年当時、コムスンには、これまでの措置制度という閉鎖的空間でコテコテの社会福祉法人のオヤジに搾取されているのにうんざりした輩が、夢と志を携えてやってきた。いい人材が集まっていたと思う。守旧派は、この革命を恐れていた。介護の世界が実力主義になることを。しかし。今ふりかえればわかるのだが、介護においての実力主義とはなんだろうか。売り上げを伸ばすことなのだろうか。最初に集まった優秀なケアマネージャーは2年ほどでだいたいがつぶれてしまったと思う。当初、彼らが(この私も)描いていた理想はもろくも崩れ、「お客様第一」という旗印のもとに、デタラメなケアプランは作られていった。(専門的にいうとサービス優先の御用聞きプランということになる)ここでケアプランという専門用語がでたが、簡単に言うと、ケアマネージャーはお医者さんで、ヘルパーなどのサービスを薬局としよう。コムスンやその他あこぎな現場においては、薬をたくさん出すケアマネージャーが尊ばれたのである。それは介護保険制度の根幹を否定することにもつながり、またケアマネ自身の良心を苦しめるものであった。医学の現場において薬局が医師に「たくさん薬を処方しろ!」とプレッシャーをかけてくることはほとんどなかろう。確かに薬を山盛り処方する医師もいる。だが、そんな医師はそんな医師として世間様も彼らをある程度正しく認識できるだけの能力がある。コムスンは診察も受けていない患者に薬のてんこ盛りをやった。厚労省が激怒しているのは、この1点である。これでは介護保険制度は崩壊してしまうからだ。私も先日、あるケースのサービスが必要なくなってストップしたら、職場の担当者がキレて「おまえなー」なんていう構えで圧力をかけてきた輩がいた。私は怒鳴りかえしてやったが、こんな野郎をおとなしくさせるのにも、今回の厚労省の一件は、じつに効果があるのである。ケアマネジメントは利用者の自立支援をその第一の儀としている。理想をいえば薬を飲まなくてもよい状態にすることだ。だが、コムスンの経営スタイルは利用者(彼らはお客様と呼んでいる)を薬漬けにすることであった。いやあ、オレサマって難しい話を優しく説明するのがうまいよなあ。オレサマも実はコムスンにある夫婦のケースでヘルパーを頼んでいる。もともと私が立てたプランではなくて、コムスンのケアマネージャーがあまりにも仕事をしないものだから、利用者が困って、ケアマネージャーを私に変更したのだ。やりたい放題のサービス提供状態だったが、(それを関西弁の利用者も望んでいた)これまで、法の番人としてある程度すっきりさせてきた。結局、少しずつコムスンのサービスを切っていくことになるのだが、これは、この事件が起きる前からの計画だ。コムスンがなくなっても、ほかの事業者にとって変わるだけで、世間がいうように、困る高齢者はほとんどいなかろうと私は思っている。
2007年06月09日
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『そろそろ反撃してもいいですか?』のドコモのCMが賛否両論だ。オレサマはよい広告だと思っている。大物タレントを多数動員。浅野、ツマブキといった他社に出ていた者を使う戦術もよい。物量作戦だ。何をどうやってもニッポンはアメリカには勝てなかった、第二次大戦を想起させるなあ。私は、土屋アンナのカットが大好きなのだが、あれだけの人数だと、若い人なら一人くらい好感を持つ人がいるだろう。正直、イオンの広告に出ている団子鼻の女が嫌いだが、土屋アンナの存在力で、あの女のことがさほど気にならない。『予想外』のソフトバンクはそろそろ資金力もピンチか。ナンバーポータビリティで一人がちしたauは今頃、何を考えているのか。大前研一が『そろそろ…』はやってはいけないことだ、と批判した。消費者はきっと値下げをするだろうと期待するからだそうだ。(え?値下げしないの?)値下げの構想もなしに、あの大広告かい!そもそもドコモ2・0って何だよ!よくわかんないよ。まだ、このシリーズは導入部でいわゆるティーザー広告の範疇にあるから、今後、販売戦略が次々に出てくるのかもしれないが。どうせ、電子マネーの啓蒙活動の系統と、音楽ダウンロード系統、そして、ゲームのアプリといったところだろう。ということで、書き出しで誉めておきながら、もう批判になってしまった。CMの出来はいいんだよなあ。
2007年06月03日
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