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私たち家族が横浜市北部のD園都市線沿線から南部のK急沿線に引っ越してきたのは息子3歳8ヶ月の12月のことでした。本来なら年明けの4月に幼稚園年少組入園というところでしたが、言葉も遅い、おむつもとれたての息子。その上集団にも馴染めないし、それでなくても引っ越してきたばかりで親子共々友達もいない状態だし、そんなこんなで結局、幼稚園は1年見送ることにしました。とはいえ、4月生まれの息子。体は妙にでかいし、昼間連れて歩いていると「お兄ちゃん今日は学校休みなの?」なんて見知らぬ叔母さんに声を掛けられるし、何より、私もこの息子をもてあまし気味。そこで私の頭に思い浮かんだのはそうだ!何かを習わせようというまたまた懲りない計画なのでありました。毎日は自信がないけど、習い事なら週1ぐらいだし、そうやって徐々に集団に慣れさせるのは幼稚園へのステップとしてももってこい!と思ったのです。そこで前回の体操教室の失敗を踏まえ…。まず、大勢集まるマンモスなところは避けようと思いました。やんちゃだけど案外小心者の息子です。また気後れして泣かれても堪らないから、今度はアットホームな少人数な場所にしようと思いました。それから肝心の「何」を習わせるかということですが、まず体操教室はまだ息子の心の傷が癒えないのでNG。息子が好きなことと言えば字を読んだり、知育おもちゃで遊んだりだし…体も動かし知育遊びも出来て集団性も身につく…!!といえば行き着く答えは「幼児教室」しかありませんでした。当時、ネットもやっていなかった私はタウンページで片っ端からあたって、2駅先にうってつけ(その時はそう思った)の教室を見つけました。さっそく体験に行くと息子も若い女の先生をとても気に入り、すぐに雰囲気に馴染んで、こりゃぁ~いい!とばかりに即決して帰ってきました。そこは、大手の系列だけど個人的にやっているのが売りの教室でした。個人的っていうのがマンツーマンの親身の指導に思えたんですね。でも…結果、とんでもない間違いでした。そこに限っては、「個人」=「大手ほどのノウハウも信用も実績もない」…だったのです。その実情といえば、ハリーポッターに登場する魔女みたいな室長を名乗る叔母はんの無責任なワンマン経営。大手の系列っていうのも今思えば、はったりの誇大広告だったのでしょう。先生は20代の保母経験者(らしい…)で、みんな子どもには優しいけど常に室長の顔色を見ていて、1ヶ月ぐらいで入れ替わりました。担当の曜日が変わったかなぁと初めは思いましたが、実際は、辞めていったということでした。この狭いワンルームマンションの一室は、子どもがいなければまるで何かの如何わしいセミナーみたいな雰囲気。先生たちはどこか暗くて洗脳患者のようでした。(よくあんな所に行ってたなって、それも今思えば不思議です。もしかして私も洗脳されてた!?)それでも毎回息子は楽しみにしているようだし、私は「ここに通って何になるの?」という言いようの無い不信感を募らせながらも半年も付き添いました。(我ながら呆れる!)一方、息子は母の気持ちをよそに、通いだしてまもなくからすっかり慣れてしまい、教室でもじっとしておらず、勝手気ままに踊ったり、ワンワン言いながらハイハイしたり(犬のまねをしてお友達の気を引きたかったのかもしれません)。狭い空間で他の5~6人の「お利口な子どもたち」に迷惑を掛け始めました。この教室がメインにしている知能開発みたいなレッスンだけはダントツに成績が良かったのですが、なにしろどんなに注意しても大人しく出来ないため、私もストレスが溜まり、いろんな意味で我慢の限界がきていました。そんな私の気持ちに追い討ちをかけたのは、1ヶ月に1度の室長との個人面談でした。そこでは室長の自慢話(たとえば自分の子どもはいかに出来がよいか、それは私の教育がよいから…みたいな)と、全く信憑性の無い国私立小学校合格実績を聞かされ、あげくに「まぁお宅の息子さんははまったく無理ですが」なんていうイヤミを連発されました。いったい、なんなんだ!こっちはお金払ってるお客さんでしょうが!何様のつもり!…そんなことの繰り返しで半年過ぎましたが、その頃には室長のわが子に対する態度も冷たく、他の「お利口な子」とは明らさまに差別している状況で、息子もそれを察知するのか「行かなくてもいい」と口にするようになったので、すっぱり辞める決心をしました。辞める日、玄関で靴を履いていると、背後にやってきた室長が息子に考えられない事を言ったのです。それは「いつまでも犬(以前犬の真似をしたことを言っているのでしょう)になってがんばってね~」とかなり大人気ない捨て台詞でした。息子は何のことかわかっていなかったけど、私はその瞬間、「やっぱり辞めてよかったぁ!」と思いました。確か月謝が¥15000。半年分無駄遣いしてしまったけど、学んだこともありました。教育の基本は家庭だっていうこと。(気づくのが遅い??)息子の最大の見方で、理解者で、教育者は私自身であること。息子の欠点を熟知してそれを良い個性に導けるのは母親しかいないのだということも確信しました。そして転んでもただでは起きない私は、その日からある計画(野望!?)を胸に抱いたのでした。フッフッフッ…そのお話しはまた後日。そうそう数ヵ月後、その幼児教室は潰れていました。なんであんなに子どもに愛情もてない人が幼児教室なんて開いていたのか疑問ですが、ああいう人ってきっとどこかで同じこと繰り返してるんだろうなぁと思う今日この頃です。
February 25, 2005
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わが息子3歳の初夏。オムツが外れたのを期に体操教室に入れることにしました。今日はそこでの失敗談です。うちの息子はとにかくやんちゃで(そのやんちゃっぷりは「リトミック」の中にも書きましたが)まったく落ち着きがありません。家の近所には同じぐらいの年齢の子どもがたくさん集まる公園があり、買い物に行くつもりでも、お店までの道すがらにあるその公園の前まで来ると、急に私の手を振り払い、公園の中に行方不明。広い公園を私と息子は追いかけっこ状態で、とっ捕まえるに一日かかったなんていうこと年中でした。とにかく公園内では神出鬼没で、ある時は遊具のてっぺんに上って得意になり、下から来る子どもたちをガンガン蹴飛ばしていたかと思うと、またあるときは公園内の土手を登ったり滑ったり体中どろどろ。逃げ足も速く、行った先々でよその子のおもちゃは取り上げるし、挙句に叩く、つねるのやりたい放題。私は謝るのと追いかけるのでもうへとへと。やっと捕まえた時にはこちらの怒りは頂点で、結局買い物もしないで、泣き喚き、暴れる息子を抱え上げそのまま帰ってくるという悲惨な毎日でした。もうこんな生活うんざり!!と辟易していた日々。ふっと閃いたのです。「そうだ体操教室に入れよう!」この息子のエネルギーを消耗させ、集団性を身につけさせるにはもうそれしかないと思いました。なぜいきなり体操教室かと言うと「彼の才能!?」をひそかに感じていたからなのです。そもそも私の勘違いは彼1歳の時に始まりました。今では私自身信じられない話ですが…。息子はその頃、私の鏡台の小引き出しを階段に見立ててよじ登るとそこから敷いてある布団めがけて飛び込み前転をしていました。(あまりやりすぎてまもなく鏡台の引き出しは破壊されました。)そのほかにもダンナの両手の平の上に手放しで立ち上がるという芸(?)をもっていたり、部屋用のジャングルジムの最上部では曲芸まがいのスタイルを披露。ダンナに両足首を握られ、逆さ吊りにされ、8Fのベランダの欄干の向こう側にぶらぶらされては(けして虐待ではありません)うきゃうきゃ喜ぶなど数々のエピソードに、私は「ひょっとしてこの子には体を動かす抜きん出た才能があるんじゃないかしら」とだんだんその気になっていくバカ親でありました。広告で知ったP体操教室に入れたのはそれからまもなくのこと。健康診断に行き、お揃いの体操服を買い、「どれほど楽しくやってくれるか、ここで才能爆発!!お手並み拝見だ!」とばかり私も結構わくわくしながら1日目のレッスンに参りました。身支度をさせると親と子は入り口で別れ、子どもはコーチに連れられ体育館、親は体育館上のガラス張り歩廊から体育館内の子どもを見られるというシステムでした。さぁどんなものかと下を見下ろすと…子どもたちの集団のどこにも息子がおりません。「あっちゃ~!逃げやがったなぁ!」と慌てる私…と…しばらくして私の目に映ったのは??わが目を疑う光景。なんと体育館の端っこで膝を抱えて号泣している息子の姿なのでした。それは今まで見たことの無い悲しい顔で明らかに「ママ~ママ~」と私を呼んでいるではありませんか。あんなしおらしく哀れな息子を見たのは初めてでした。普段私に叱られた時意外はめったに大泣きしない息子がしゃくりあげ震えながら泣いているのです。結局、どんなにコーチがなだめすかしてもその場からは動かず体操どころではありませんでした。授業が終わって戻ってきても彼の涙は止まらず、私は思わず抱きしめて体中を擦ってやりました。それでも懲りない私は、「初めてだからなのかな」と考え、(何しろ言葉を達者に話さない息子ゆえ本心もわかりません。)月謝や入会金を払ってしまった以上、元も取らねばという気持ちもあり、その後2ヶ月も通いました。そのうちいつかは慣れるだろうとかすかに期待もしていたのです。結果はNOでした。息子は何回通っても泣き続け何もせず体育館の端っこのオブジェのように固まり続けました。最終的にはダンナが見学に行った日、見たことの無い息子の哀れな姿に「あいつのこんな姿見たことないぜ。やめさせよう」との一言で辞める事を決心しました。才能開花…以前の問題でした。それより何より親の勝手な判断で子どもに悲しい思いを強いてしまった事を私は深く反省しました。子どもが泣いている時って自分の心の中にも涙がいっぱい溢れてしまうんです。「ごめんね。」って何度も心の中で叫びました。まもなく家も引越し、その悪夢の体操教室の記憶は彼の中からきれいさっぱり消え去りましたが、彼にというより、むしろ私にとって痛い思い出となってしまいました。次回は懲りていたはずが再びぃ!?…なお話し。
February 21, 2005
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私は息子が生まれ歩けるようになって、音楽に親しませたいなぁと思うようになりました。そして息子が2歳の時リトミック教室に通いました。今、I子様も習っているらしいですね。生まれて初めてのお稽古事にリトミックを選んだ理由は歩いて1分の場所にお教室があった事もありますが、何しろまだピアノは早いだろと思ったのとピアノの前にじっとしていられないであろう落ち着きの無さを発揮しまくる息子には、音楽に触れながら体も動かせてもってこい!と思ったからです。先生は定成淡紅子先生。日本のリトミック教育に力を入れていらっしゃる先生のお一人です。(ラッキーなことにたまたまそこの講師でした)リトミックはかなり楽しかった。お遊戯って言うのとも違って、リズムに合わせていろんな動きをしたり、打楽器を触ったり、ある時はイメージのお絵かきもしましたっけ。親子で一緒にやるのでとっても安心で、誰が優位っていうこともないので思いっきり楽しめましたね。でもただひとつ汚点が…発表会があったのですが、(息子にとってはいわゆる初舞台だった)ビデオを回し始めたとたん、画面からその姿が消えたのです。あろうことか息子はあまり高くない壇の上からひとりだけ降りてきてしまい、(後の5人の生徒さんはちゃんと演技中)観客席の周りをひたすら走り始めたのです。(彼にとっては演技中??)結局最後まで私は彼を追い掛け回し、捕まえることができませんでした。さすがに穏やかな先生にも「前代未聞です」といわれ、とんだ笑い種でした。その後、引越しと共にリトミックはやめましたが2年後幼稚園選びをしていた時、偶然にも定成先生が教えられていらっしゃる幼稚園が歩いていける距離にある事を知り、息子も大喜びでその幼稚園を選び、再び卒園までリトミックを学ぶことができました。うちの息子は年長でガラッと人格が変わったので(そんなに早く!?…でも本当なんです)定成先生にもお褒めの言葉をいただくようになり、楽しいリトミック生活を終えることができました。中学生の今も音楽は大好き。結局ピアノは習わせませんでしたが音感もリズム感もよく、本人は記憶に無いこととはいえ親としては良い経験をさせたんじゃないかなと満足している今日この頃です。こちらが定成先生の著書です。ご参考に!ピアノでポン!かきかたノート 3 〔全音〕
February 17, 2005
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今日は私の誕生日。 この世に生を受けてからもう何十年も経ってしまいましたが、私は誕生日の朝になるといつも母の事を思い出します。 とっても寒い今にも雪が降り出しそうな明け方、破水をしてしまった母を父が励ましながら病院まで歩いたとか… 私の事を母がどんな思いで産んでくれたのかな。 30歳の初産でどんなに嬉しかったのかな。 それから毎日どんなにかわいがってくれたのかな。 ありがとう。私を産んでくれてありがとう。 今はもう二度と会えない母だけど天国からずっと見守っていてね。 あなたが私にそうしてくれたように、私も一生懸命息子を育てていきます。 命には限りがあるけれど、せっかくあなたが与えてくれたのだから、大事に悔いなくこれからも一生懸命生きていきますね。
February 15, 2005
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今朝の出来事です。掃除をしようと玄関の方に行くと外でなにやら子どもの大泣きする声!「痛いよ~ママ開けてよ~」急いでドアを開けるとマンションのお隣の部屋の小1の女の子がランドセルを背負ったまま頭から血を流し、ほとんど片半身血だらけではありませんか!?慌てて私も一緒にインターフォンを鳴らし、「お母さん開けて~血だらけよ~」と叫んじゃいました。おそらく上の子を学校に送り出し、下の3歳の坊やの面倒に取り掛かっていたお母さんはようやく中から出てきて、もう何が起こったのか呆然!「いったいどうしたん?」とおかあさんが聞くと女の子は「階段からオッコッタァ!痛いよう!」と泣きながら説明しました。学校へ行こうとして家を出た直後、どうやらマンションの敷地内の階段を踏み外し、頭からまっさかさまに落ちたらしく、気丈にも自分で歩いておうちまで戻ってきたらしいのです。お母さんは「こういうときどうしたらよいのでしょう・・・?」とおろおろ。おでこのあたり5cmほどパックリ口が開いちゃっていてお互い運転もできないし、家は急坂のてっぺんだし。とても歩いて病院につれていけそうも無いので「こういう時は救急車呼んだ方がいいわ」といいました。でももうおかあさんはそれすらできない状態です。仕方なく私は一度うちに戻って(あまりよそのお宅にズカズカ上がりこむのも気が引けて)119に電話し、救急車を手配。それからまたお隣に行き、「何を持っていけばいいんですか?」と心配顔のお母さんに「保険証とお金よ」と話し、お母さんが慌てて支度をしている間中、「ママ、ママ」と震えて泣きじゃくる子どもを抱っこし、励まし続けました。まもなく、救急車の人が到着。状況を説明して一安心。と思っていたら「ところであなたはどなたですか?」と隊員に不審な目で見られ・・「あのぉ隣の住民です・・」と答えつつ、私はいったい何をやっているんだろうと我に返ったのでした。結局女の子は脳外科に運ばれ5針縫いCTを撮り、今後も打ち所が打ち所だけに経過観察という状態で、小さな頭には包帯ぐるぐる巻きにされて痛々しい状態で戻されてきました。お隣は、最近関西から引越ししてこられたばかりで、しかも我が家とは子どもの年代も違うので日ごろ挨拶程度であまり行き来もしていなかったのですが、まったく朝からわたしったら柄にもないおせっかいを焼いてしまいました。おかげで自分の予定をドタキャンする羽目に・・・。でもやっぱりあの時、ああするしかなかったと思っています。子どもはどんな子でもかわいい。子どもが泣いていたらほおってはおけませんものね。
February 14, 2005
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前回の日記にも書きましたが、我が家の息子は左利きです。今でこそ、イチロウや中村俊輔の活躍があったり、右脳開発などで注目され、市民権を得た左利きですが、まだまだお年寄り世代などでは偏見をもたれている状態です。息子が左利きと判ったときも矯正しなくてよいのかとダンナの母上に心配されたものでした。そもそも生まれたては、利き手が定まらないので決め付けない方が良いと申されるお医者様も多々居られますが、内の息子に限っては、赤ちゃんの頃から手も足も左専門。紛れも無い左利きでした。でも、私はそんな息子を見て、なんだか嬉しくって!なぜかというと、右利きの私は、左利きの私の母のこと(昔は必ず矯正されたので実際は両利きでした)すごく羨ましかったし、それにみんなと同じ!っていうより個性的ですてきじゃないって思ったからです。だから私は彼を1人前の左利きに育てようと思いました。もちろん無理して右手なんか使わせません。試しに右利きの私が左手でいろんな事にチャレンジしてみたのです。そうしたら、ものすご~いストレス!! 大体、脳の構造がそうなっているんだから無理やり変えたりなんかしたらいけません。自然体が一番よね。それでも初めての事を教えるときは大変。お箸から始まり、はさみや鉛筆の正しい持ち方。少し大きくなると裁縫や包丁使いなど自分とは全く逆の事を教えるって案外大変でした。彼の正面に座って、鏡を見るようなスタイルで教えることもありました。中でも大変だったのはお習字。やっぱりこればかりは右手向きにできているのです。その上、学校では先生から「お習字は左利きの子も右手で書きます」って通達があるし。これは、いかん!と思った私は、息子に筆を持たせ、右と左の両方で試しに文字を書かせてみました。確かに日本語の文字は数字の一からして、全て右手用みたいなものです。それでもやっぱり息子は左手の方が断然書き易そう!それからというもの私は彼に左手お習字の特訓をしました。親ばかと思われてもどうしても彼の個性を大切にしたかったのです。先生にもそういった気持ちを伝え、先生も熱い気持ちに応えて下さり、(呆れて根負けした!?)ついに学校の授業でも左手お習字が可能となりました。今、変な鉛筆の持ち方をして、妙な文字を書く子が多い世の中ですが、少なくとも息子は、日本人として恥ずかしくない文字を書けるようになりました。こうして彼は何事も無かったかのように左利き人生を送っていますが、(騒いでいるのは私だけ??)それでも、たま~に不便なことに出くわすようです。自動改札や各種販売機、それから人と握手する時(左手と右手じゃ握手できない…!?)など左利きさんには不便な世の中でありますが、かのアインシュタインだって左利き。世の左利きさん、個性豊かに生きていきましょう!**以前の日記を読みやすく編集しました。**
February 8, 2005
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私には中1のひとり息子がいます。 私夫婦はお互いひとりっ子同士の結婚なので、息子には兄弟はおろか、いとこや叔父さん、叔母さんさんていうのもいません。ちょっとかわいそうな状態なのであります。 この息子、祖父母から見てもたった一人の孫というわけですが、喜ぶべきか悲しむべきか私たち両親+祖父母4人の遺伝子を見事に受け継いで生まれてきたのです。 まず、全体の容姿はダンナと瓜二つ。身長が167cmになった今では、歩いてくる気配まで似ています。 それから前歯が出ているのはダンナの母方系。目と鼻が大きいのは私。生まれつき毛深いのは私と私の母で、おでこのせまいのも私の母。ほほの面積の長いのと手足が極端に大きいのはだんなの母で、最近髪に癖が出てきたのはダンナとその父と私の父がテンパーのせい。左利きと血液型Aは私の母と同じで、真面目で努力家な所は私の両親。目が悪いのはダンナとその両親で、外で遊びまわるより静かに家で本を読んだり、パソコンで小説書いたりするのが好きなのは私と私の父似なのです。 また、生まれ持っての体質では、扁桃腺肥大だったり、無症候性血尿だったり、アレルギー体質だったり…とこれもみんな私たちの遺伝なのです。 こんな風にいい所も悪い所もとにかくみんなの顕著な特徴がぎっしり詰まった息子ですが、その中でも私が最も注目するのは彼の声質です。 これはどういうわけか男女の差があるのに私似らしいのです。中学になり変声期を迎えるまでは本当に二人の声がそっくりで(声ばかりは本人はよく判らないのですが…)電話をかけてくる人はみんな間違えてしまいます。ダンナまで間違えたのですから相当似ていたのでしょう。 実は私、小学校4年の時、女の子なのに変声期があり、それを超えたら途端にファルセット(裏声)が自由自在に出せるようになりました。それが、今、声変わりした息子も立派な裏声の持ち主。最近では安田大サーカスのクロちゃんの真似が大うけですが、とにかくもののけ姫ばりの曇った高い声には驚き!これもまた遺伝のひとつなのかぁと感心する今日この頃です。そういう私の父も実は裏声の持ち主で恐るべしDNA。 そうやって考えると結構いますよね。おかあさんと息子の声がそっくりな人。テレビで見た話では声帯の形は遺伝するのだそうですから、息子が母親似でも、娘が父親似でもおかしくはないわけですよね。 人間には欠点がいろいろありますし、できれば生まれてくる子どもには自分たちのいい所だけを受け継いでほしいと願うものですが、私は息子を見ていると、ひとりしか授からなかった子どもがこんなにも私たちの遺伝子を受け継いでくれて、なんだか微笑ましく、自分たちの嫌いだったところも息子を通して愛おしく思えて、心から「生まれてきてくれてありがとう!」って言いたくなってしまうのです。
February 5, 2005
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昨日ダンナのことに触れ、B型の方をバッシングするような不穏当な発言!?をしてしまいB型の皆様、衷心よりお詫び申し上げます。そこで・・・というわけではないのですが、血液型について書いた初期の日記を編集してアップしなおしてみます。占い好きの私は血液型占いも大好き。今は人間を4つのパターンに分類して良いものか・・・とか、学校で子どもがいじめられる原因になるのでマスコミで取り上げないでほしい・・などと、何かと物議を醸し出しブームも冷めつつある血液型占いですが… 私が血液型占いにはまったのはもう35年ぐらい昔のこと。興味を持ったのは「血液型によって顔立ちも違う」なんていう何の根拠は無いけど、なんか当たっていて面白い記事を雑誌で読んでからです。何でもその記事によると・・・A型の人はハンサムや美人で几帳面生真面目な人が多いらしい。私の母はA,父はOで、実は私も母からはAだと聞かされていたので、その記事を読んで、まだ中1の乙女だった私はすごく嬉しくなってしまったのでした。 さらに調子に乗って、血液型の占い本まで手に入れた私。ところがいろいろ読んでいくとなんだか占いは当たっているようないないような??解せないことしばしば…でもとにかくA型の私はA型の欄を読んで、まあ所詮占い。イイことだけ信じればいいわ!と納得しておりました。 それから数年後のある日。大学卒業で就職活動をする際、私は、とある病院で血液検査を受けたのです。おそらくこれが生まれて初めて。すると…え~!(@_@;)私の血液型はA型ではなく、なっなんとAB型ではありませんか!!しっしかも…Rh-だったのです。21歳にして初めて知った真実。今まで信じていたのは、いったいなんだったのか!?ガタガタガタ~血液型信仰が崩れる~私はあまりのショックで頭はクラクラ~、思わず病院の長いすにへたり込んでしまいました。 そこで脳裏によぎったのは・・・『私は病気になったら助からないの!?』(その時は本気で悩んだ)その昔大映テレビでやって最近リメイクして話題になった百恵ちゃんの赤いシリーズがオーバーラップ…) 『だから、血液型占いも当たっていなかったんだわ!!』(その後、AB型欄を見るようになり、やっぱりこっちだったのか・・・と。) 『大体、父親のO型っていうのは何だったんだ!』(つい最近、老人健康手帳を見たら、父はいつのまにかAB型になっていました)などなど まぁ、それ以来20数年、AB型らしさを発揮しまくっている私です。AB型らしさって・・・浮き沈みは激しく、熱くなっていたかと思うと急に気持ちが覚めたり、冷静かと思うとパニックになったり、友達は意外に多くて社交的なのにひとりでもぜんぜん困らない・・・あっこれはAB型のせいじゃない・・わたしだけですか??でも最近出会った人がAB型だとわかるとお互い「なんか同じに匂いすると思ったわ!!」って笑っちゃうんですよ。小泉首相にも同じ匂い感じるわ~私の場合は、Rh-って事で、もっと変わっているかもしれませんね。日本には少数派です。Rhっていうのは、サルの因子だと聞いた事があります。ホントだかなんだか・・・だから私はそのサル因子がないってこと?豚とか牛の因子ならありそうですが。で、このRh-のせいで出産は大きな総合病院で産まなければならないといわれ、その後、子宮筋腫で手術を受けた時も、リスクが一番大きいので朝1番の指定を受けるなど、非日常的な心配事もちょろちょろありました。ほんとは私のような人ほど献血に協力したいけど、貧血がひどくて、血に濃度も薄くお役にはたてないんです。トホホ・・ ところで、うちのダンナ。実は彼も生まれてからずーっと自分がA型のつもりでいました。それが今から15年前、お尻方面の手術をする時、B型だということが判明してしまいました。ダンナの家でも母親がOで父親がAだと言っていたので(昔の検査はいい加減だったのでしょうか)、「あなたはA型よ」と言われて信じていたそうです。そこでダンナがB型だと判った時、父親に問いただしたところ「何を言っている、俺ははじめっからB型だ!」と開き直られたとか。今は亡きお父さん、60歳ぐらいまでは確かにA型だって言っていたのに!なんだか笑っちゃいます。夫婦して同じような親を持って。合掌・・・さてさてうちのダンナ。超が付くほど楽天家で、後をひかないタイプ。究極のポジティブと私は呼んでいます。これぞ、私の思い描くB型の真髄。3歩歩くと忘れるのは、酉年も関係してる??世の中でマイペースだとかっていわれるB型だけど、私はまんまとこのペースに乗せられて楽しく22年間やってきました。苦しい時も悲しい時も山あり谷ありだったけど、彼と話していると「何とかなる何とかなる」って呪文のように言われて、「まっいいか」っていう軽い気持ちになります。ちびまる子ちゃんのお父さん「ひろし」みたいなダンナです。ひろしもB型??なんか憎めないのよね。 うちの息子はA型でした。私がRh-なので生まれてくる子がRh+の場合、拒絶反応がおきて血液全交換も考えられるからと、出産時即血液検査されていました。(結局+でしたが第1子は免れることが多いので・・2子目からは危ない・・・血液交換しませんでした)うちの病院では他の子達は血液型の検査を受けていませんでしたが、最近の子どもたちはどうしてみんな自分の血液型を知っているのか不思議です。私もダンナもなが~い間知らなかったわけですし、皆さんはいつごろ知りましたか??とにかく知らなくても平気なようでいて、大事な血液型。世の中には私たちみたいに勘違いしている人は、案外いっぱいいるんでしょうかねぇ。
February 3, 2005
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若い頃、視力2,0が自慢の私は、なんと39歳で老眼になってしまいました。あれから数年、ますます「見えない度」は進み、新聞も雑誌も短い腕を目いっぱい伸ばして遠ざけないと読めないし、それもサッとはピントが合わない。もう私にとって老眼鏡はかなり大切なもののはずなのに、なぜかちょっとしたお出かけには老眼鏡忘れちゃうんですね。これが…。きっと、近眼の人ほどメガネに馴染みがないし、生活していく上で悉く不自由という訳ではないからかもしれません。 先日、銀行で振込み用紙が書けず、そばにあった銀行備え付け老眼鏡を誰にも見つからないようにそーっとお借りしましたら、あ~らいいじゃない!!…でもあとあと複雑な心境。 つい10年前までは「あんなもの借りるような人いるのかしら」って思ってたのに悲しい。 最近の老眼がらみの出来事で一番ショックだったのは、久々楽譜を見て歌う機会があった時、その楽譜が見えなかった事。しばらくするとぼんやりピントが合ってくるのだけど、単音が2重のコーラスに見えたりして最悪でした。 ビーズや編み物、パソコン、携帯など私の周りには老眼を進ませる要因がたくさん、でも、やめられないし、やめたくない。子どもには目が悪くなるから、パソコンばかりやらないでなんて言ってるのに勝手です。 そういえばテレビで木村T哉さんが視力がめちゃめちゃ良い事を自慢していたけど…彼も数年後には老眼鏡かけてるのかな。
February 2, 2005
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