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今日で夏休みも終わりです。今年は一度旅行に行っただけで、プールにも行かず、バーベキューもせず、外食ですらほんの数回。息子にとっては部活も2日間行っただけですし、とにかく来る日も来る日も塾と自宅での勉強漬けの毎日でしたが。でも私には最高の夏休みでした息子とずっとそばにいられて、一緒にお昼を食べて、夜はお笑い番組などを見て、塾の先生の面白い話を聞いて、合間にどうぶつの森の話題で盛り上がってずっと昔、中学生になったら、きっと息子は大人になって、離れていくのだろうと思っていたのですが(ダンナの母上にさんざんそう言われていたので)我が家の息子君は全然変らない。私にもダンナにもいつも思いっきり優しくて。(相変わらず呆れるほどの親ばかっぷりですが・・)毎朝のゴミ出し、掃除機などのお手伝いも、例年通り欠かさずやってくれたし、塾のない日は必ず一緒に買い物に行って、スーパーで荷物を袋に器用に詰めてくれて、もちろん全部持ってくれたし、いろんなものを直してくれたり、とにかく便利屋さん並みで、使えるものは息子でも使え~なんて、母はとっても助けられましたよ。こんなに頼りにしてはいけないと思いつつ、でもでもやっぱり息子に甘えてしまう私。ダンナなんて二言目には『パパもママももう年なんだから、お前がいないと駄目なんだよ』とあからさまに頼っているし。この夏は15~6歳の子供の殺人のニュースが本当に多かったし、子供達の現状を考えさせられることが多かったですよね。そんな中で私やダンナは本当に幸せな親かもしれません。よく子供は3つまでに一生分の親孝行をするといいますが、息子は15歳のいままでずっと私達を幸せに包んでくれて、親孝行のまま。。。おつりが来るくらいです。それに比べて相変わらず何もしてあげられな不甲斐ない親だけど・・・息子にはひたすら感謝です。この夏もありがとう最高に楽しかったよ!明日からがんばっていこうねそして家族仲良くいきましょう
August 31, 2006
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息子の夏期講習も今日で最後。長かったなぁ~~今日、月例テスト数学を受けて、(もうちょっとで帰ってきます)これで9月2日までは休みです。先日、9月からの体制について塾からお知らせをいただきました。塾は今までどおり、6時から9時半までですが、その前後に必ず補習が入るのだそうです。業前補習は5時から5時50分、業後補習は9時半から10時半まで。今まででも時には10時半ごろまでかかったことはありましたが、さすがに業前補習はなかったので、息子は学校から帰って、急いでご飯を食べて、出かけておりました。でもこれから塾のある月水金は、そのまま塾に直行しないと間に合わないので、お小遣いを持たせて、途中のコンビニでおにぎりか菓子パンなどの軽食を買ってもらうようになりそうです。きっと帰宅は11時近く帰ってきてから入浴食事となると、寝るのも今までよりは遅くなるでしょう。我が家では生活のリズムを何より大切にしてきましたが、ここは正念場。多少の忍耐はいたしかたありませんそれから9月3日からは日曜集中ゼミも始まります。夏期講習第3期の時と同じ、4駅先の校舎で12時40分から17時半まで、3教科一コマ90分特訓授業です。普段の月の授業料¥31,200は彼の場合、特待全額免除ですが、今回の夏期講習代¥92,400や日曜ゼミ代¥32,000などはちゃあんと支払わなきゃなりません。(もちろん教材、冷暖房費なども)引き落とし口座は、家計と別にしていますが、ガンガン引き落とされていくので恐ろしいわぁでも高校に入ったら、もっと落ちていくのよね~息子もがんばるけど、パパにもそれ以上にがんばって稼いでもらわなくちゃ。秋以降はもちろん私のPTA活動もありますが、息子の高校の学校説明会や文化祭なども多いので忙しくなりそうです。受けるのは今のところ8校ですが、そのうち説明会に行くのは5校。息子が行きたいと切望するのは、そのうちの1校だけなのですが、いくら切望しても合格させてもらえるかどうかはわからないわけで・・・他の学校にも足を運んで、第1希望の学校に行けない場合でも、納得いく学校に入れるように、自分の目で確かめ、よく考えて選ばせたいと思っています。
August 28, 2006
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ファンの子達はありがたいものでどこまでも応援にきてくれます。東京周辺では最初に書いた東京タワーのサイン会に始まり、千葉ららぽーと開店イベント、サンシャインシティー噴水広場、中野サンプラザ、東急デパートの屋上夏休みイベントなどなど。本当にありがたかった地方は札幌、仙台、名古屋、大阪、兵庫、京都、福岡、静岡、栃木などをキャンペーンで回りましたが、どこに行ってもご当地アニメファンがいて、特に公開放送やイベントのあとはタクシーを追いかけてくる子もいました。アニメファン以外は私を知らないので、道行く人は何だと思ったでしょうね。中でも一番凄まじかったのは神宮外苑でアニメフェスティバルがあった時。当時人気の神谷さんや古谷さんももちろんいらしていて、想像をはるかに超える観客数。その司会のひとりがブラザーKさんだったのです。そのときはまだBガムとして歌を出していなくて、別の方とコンビを組んでいましたが、声優さんたちの人気にびっくりしていて、ステージの裏手で『なんだよ~こいつら、すげ~~(大勢のファンに対して)アニメってこんなに人気があるものなの?』と叫んでいました。それで、そのイベントはまったくの野外コンサートだったのですが、終わった瞬間、例によってあっという間に怒涛のようにアニメファンが押し寄せてきました。まあ特に超一流のスター声優が勢ぞろいしたイベントでしたので無理もないのですが。え~っやっぱりにげなくちゃ~~やばい(それはもう浅草寺の比ではなかった)このときばかりは、いつも冷たいマネージャーも私を必死で抱きかかえて(それは愛を感じるほど)すごい人だかりを押しのけ、ようやく脱出成功と相成りました。でも私はそんな自分がふしぎでならなかった。だって、世の中の大半の人は私を知らないで、街を歩いていても電車に乗っていてもまったく平気なのに。(さすがに仕事の移動でマネージャーと電車に乗っているときは衣装ケースも持っているので目だったようですが)ここにはまったく別の世界があるみたいで。大勢のファンの子達の前でスポットライトを浴びて歌っている私。電車に乗って普通の通勤のように家路につく私。仕事の合間に周りに見つからないようにドキドキしながら恋人と合っている私。幾つかの顔を使い分けながら、いったいどれが本当の自分なのか。どれが現実でどこからが夢なのか。本当にふしぎで自分であって自分ではないような毎日でした。つづく
August 22, 2006
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1980年12月のコンテストで歌唱賞を受賞し、翌3月にCAから(現PC)からデビューで『無名の新人アニメ歌手』となった私でありますが、なにしろアニメのイメージが先行して、あまり顔を露出しないのがアニメ歌手でして、ただでさえ、無名新人ですから、こんな私を誰も知るはずがありません。ところがデビューが決まった直後のプレイベントから、今で言うアキバ系風青少年がわんさか詰めかけ、まことに圧倒されました。彼らはみんな一様に一眼レフの望遠つきカメラを持ち、三脚を背負い、カメラ小僧って言う奴でしょうか。もっと驚いたことに、彼らはまだデビューしていない私の名前も顔も知っていたのです。一番最初の野外イベントはデビュー2週間前の3月3日、浅草浅草寺にてテレビ放映、レコード発売に合わせて他の声優さんと共に、お雛様に扮するというものでした。(新竹取物語1000年女王なので、十二単衣つながりか・・・??)浅草寺の境内に特設のひな壇が設けられ、内掛けを着せられ、お内裏様になりました。とにかく、その日の浅草寺はアニメファンとお参りの人とあらゆる類の人が入り乱れておりましてまたこれが、何かのバツゲームかと思う様な目が眩むような高い場所に乗せられて、それだけでもドキドキなのに、なんと、この日初めてサインを求められました。イベントが終了し、ひな壇を降りた直後、押し寄せてくるアニメファンの大群から逃れるため、マネージャーに抱えられて、急いで境内裏手にはけようとしたとき、裏手で待ち構えていた中学生らしき男の子が突然駆け寄ってきて、『Mさんサイン下さい』と色紙を渡され、握手を求められたのです。一応サインは考えてはいたのですが、まさか本当に求められるなんて、私はまったく心の準備もなく、もうびっくりするやら、慌てるやら。。。そして、一応マネージャーの方を伺うと、「書いてあげたら」とニンマリするので、私の記念すべき1枚目のサインはその子にプレゼントすることになったのです。ただし、その頃には他のファンも気付かれてしまい、すかさず追いかけてきましたので、せっかく私を目当てに来てくれた「ファン第1号」のその子とは、残念ながら言葉を交わす暇もなく、私は急いで車に乗り、その場を後にしまいましたいやはや、私は侮っておりました。それまで23年間気づかないで生きてきたのですが、世の中にアニメファンはものすごくたくさんいらっしゃったのです。その上、みんな好きなアニメについての情報にものすごく長けている。だから、こんな私でさえ、デビュー前からチェックされていたのです。もちろん今のように携帯もなく、インターネットも普及していない時代です。でも彼らのネットワークは驚くべきものがありました。さらに、驚くことには、晴れてデビューした私の目の前には、M。。。とローマ字で書かれた鉢巻なぞを着けて応援してくれる奇特なお子も現れ、小さな規模ではありますが、実に3つのファンクラブができたのでした。つづくこんなの見つけました。なぜか私の曲も入っている。。廃盤なのになぁ。。〔送料無料キャンペーン中〕アニメ歌年鑑1981-CD-(8/23~)
August 20, 2006
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ご無沙汰しておりま~す11日から14日まで家族旅行に出ておりました。下田は息子が1歳半の夏から通い、今年で14年目。回数にしたら16~7回ほど通っています。とはいえ、いつもは、ハイシーズンははずしていたので、お盆休みに行ったのは、初めて。今年は息子がこの時期しか休めず、束の間ですが、家族でのんびりしてきました。幸いお天気にも恵まれました。ホテルの方々も入れ替わりはあったものの、馴染みの方も多く、すごく居心地がいいのでリピーターになっています。ここのお客さんはそういう人が多く、中には親子2代に渡って。。という家族も結構いて、うちも息子が結婚したら、是非そうしたいなぁなんて思っています。息子とダンナはホテルのプールで泳いだり、ビーチボールでヘディングパスしたり。一日中遊んで、夕食にはおいしいお魚を食べ、露天風呂に入って、満足満足。。ちょうど地元のお祭りもあって、花火を見ることも出来ました。でも、息子は悲しき受験生。時間を見つけては塾の宿題に取り組んでおりました。実はこの6日間のお休み中にむけて膨大な宿題が出されていたのです。深夜まで勉強しているのでお付き合いしましたが、私のほうが居眠りしちゃいました。さてさて、息子は今日から夏期講習再開。今日はテストで、明日から第4期です。今日はまたことさら蒸し暑いけど、受験生の皆さん!がんばりましょうね~~
August 17, 2006
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私はデビュー後、キャンペーンで全国を回るスケジュールとなるまでは、ほとんど毎日Oと昼食を共にしました。時には事務所の社員の人たち7~8人で食事をすることもありましたが、わたしは彼と2人のほうがなんだか嬉しかった。私達は同い年でしたが、彼は2浪しているため、当時まだW大の3年生でした。でも、大学に行くよりも一生懸命仕事しているようでした。彼は、営業をやっていて(後で聞いた話では年間1億を売り上げていた)ほかには東海放送などに向けた番組のディレクター(英語のK林克也さんや若かりし頃のA里の番組などを)をやっていたようです。私にはそんな彼が珍しかった普通にちゃらちゃら大学生活をエンジョイして、卒業と同時にいきなりスーツに身を固め社会人になっていった友達しかいなかったから、大学生なのに、学校のことより、仕事に夢中になっているOの姿が新鮮に見えたのです。その頃、私には遠距離恋愛の医者の卵の彼しがいましたが、その人より、毎日会うOに惹かれていくのは当然の流れだったかもしれません。その上、Oは私が知らなかった洋楽の話をいっぱいしてくれたし、とにかくナイーブで言葉遣いもやさしくて、二言目には『田舎者ですから』というので、妙な安心感がありました。そんなに毎日お昼のデートをしていると、当然まわりも茶化しますが、なにしろわたしは新人とはいえ所属タレント。一方Oはキャリアがあるとはいえ学生アルバイト。しかも牛乳瓶の底めがね。だれも私達の行く末など想像しなかったらしいです。もちろん私自身も最初は面白半分に『大好き!!』なんて、簡単に彼に向かって連呼していました。歌の仕事が増えるようになってからは『お昼のデート』はなくなりましたが、私は仕事が速く終わると、彼の住む下北沢に直行するようになりました。下北沢は新宿にも渋谷にも近いし、地下鉄への乗り換えも便利なので、彼も仕事の合間をぬって抜けてくるのにちょうど良かったのです。つまり、私達はそこで密会していたのでした。私が所属した同じレコード会社の1年先輩にはTのきん、としちゃんもいて、当時はアイドル全盛時代。なにしろまだまだタレントの恋愛はタブーな時代です。ましてや事務所のタレントに手をつけた。。。となると。(一応私はアニメ部門じゃなくて歌謡曲部門でデビューしたもので、こっぱずかしくて不本意ながら 23歳アイドルとして扱われてました)まぁ正直言って、最初は密会なんてやってる自分が面白かったし、スリルを楽しんでいました。ところがそんなことをしているうちに。。。だんだん本気になっちゃったんですね。人に隠れて。。。というシチュエーションは燃えるものです。そんな中、なれない仕事で私も悩みが多くもちろん仕事はやりがいがあったのですが、やはり人を蹴倒してでも上にあがろうとする人が多い世界、結構泣きたくなる事も多くて。彼は唯一そんな私の悩みを理解してくれる人だったから。そうして私達は若気の至りと申しますか、とにかく毎日会いたくなって。勢いって恐ろしいのですが、付き合ってまもなくいきなり結婚を意識し始めちゃったのです隠れてあっているうえ、彼に会いに行く途中、ついてきちゃったファンの子を撒いたりするのも、ますます気持ちに拍車をかけて。ある時は彼と一緒なのにどこまでも着いてきちゃう小学生がいて、そのときばかりはこんな純真な子供の気持ちを踏みにじっていいのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが。(あの子もいまはきっと35歳を超えるおじさんになってるのかなぁ・・・)ということで今更ながら懺悔の気持ちもこめて。。。次回はこんな私でも応援してくれた(物好きな??)ファンのお話です。
August 8, 2006
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今日は雨ですね~台風が来ている影響です。息子はお弁当を持って第3期講習に出かけていきました。うちの塾ではこの時期1,2年はお休みで、第3期は中3だけのものです。講習を受ける場所もいつもとは別の校舎のため、この5日間で交通費も¥3000かかります。10日までなので、11日からは我が家恒例の下田旅行。それまではがんばれ第3期は朝10時から4時40分まで、お昼休みは無いので、少ない休み時間にサッと食べられるようにサンドイッチかおにぎりを持たせています。ゴールデンウィーク特訓の時と同じように成績順のクラス分けです。今回も難関校受験コースの京浜支部の子が一堂に会し、全7クラス。V1、V2、V3、V4、Z1、Z2、Z3まででだいたい一クラス30人ほどらしいです。うちのクラスからは息子と前回英語の出来が良かった女の子の二人がV1にはいり、あとの3人はV2に入りました。当然、普段Vコースに通っている子がV、その下のZコースの子がZだと思っていたのですが、今回はちょっと違ったクラス分けでした。V3はZコースの中で一番成績トップの子達のクラスだったようで、Vクラスで崖っぷちの子はV4に。おぉぉ~~成績如何によってはいくらでもクラスの入れ替え戦はあると言う事を物語っているんですね。この春、同じ校舎のZから息子のVクラスに昇格した同じ中学のO君。Vに上がれたことに満足したのか、気が緩んだのか、それとも周りでがんばる子が増えたのか、今回V2に入るか、それとも屈辱のV4に行かされるか、瀬戸際だったらしい。結果は何とかV2に入れて、みんなでホッでも本当に気を抜くことは出来ませんね。Zの子達も日夜上を目指して勉強しているわけで、もっといえば、その下の普通科に通う生徒も、Zに入る事を目指しているのです。きびしい現実ですぅでもこうやって戦う仲間がいて、みんな向上していくのでしょうか。『共に高めあう仲間がいてこそ受験はうまく行く』たまたまさっき見ていた『ドラゴン桜』の再放送でそんな台詞がありましたっけ。うちの息子は、この3期では5時半に帰宅後、すぐさま、どっさりでた宿題をはじめます。6時半から8時半までは入浴・夕食などでゆっくりし、さらに11時まで勉強しています。夕べはそのあと日中親善試合を見ていましたが、途中でコテッと寝てしまいましたさすがにつかれてるんですね。なんだか受験生って感ジィ~~
August 8, 2006
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私が所属した事務所はラジオ局N放送の子会社で、つまりわたしはFSグループの専属で他局には出られないお抱えのタレントでありました。この事務所は正確に言うと広告代理店で私の事務所はその1部門だったのです。当時、事務所は六本木の交差点から外苑東通りをロアビルに向かって歩いて数分の雑居ビル内にありましたが、地下鉄を降り、アマンドの角を曲がると一直線の外苑東通りの突き当たりにはまるで私を待ち構えていたように大きく聳え立つ東京タワーが見えてそれはそれは圧巻でした。ところで、デビューが決まったとはいえ、仕事がそれほど頻繁にあるわけではなく。私の父から『年頃の娘が仕事もしないでぶらぶらしているのは好ましいことではないので、何か仕事を言いつけてやってください』と社長に申し入れ、最初は事務所の電話番をすることになりました。しばらくするとN放送の玄関にあるプレイガイドで人が足りないというので、そちらへ助っ人で行くことになりました。もちろん歌手の仕事があるときは、そちらは休んだり、早退したりしましたが、そこには2人のアルバイトのお姉さん達がいて、私が所属事務所のタレントということでかなり大事に扱ってもらいました。そこでの仕事は『チケットを売る』ということですが、N放送に来るいろんなスタ~を眺めるのは楽しいものでした。(ほんとミーハー)こちらで働いてまもなく、おねえさん達がなにやら毎日くすくす笑っていることに気づきました。いったい何を笑っているのか尋ねると、『今から面白い人がやってくるから』というんです。どうやらその人のめがねの度が強くて横から見ると牛乳瓶の底みたいにぐるぐるしているらしく、お姉さん達はそれを観察するのを楽しんでいたのでした。そしてその人はどうも私の事務所の人らしく、毎日同じ時間にN放送の仕事で現れ、必ずここにも挨拶に立ち寄るということでした。その日もその人はやってきたのですが。かけていました~~。牛乳瓶の底のめがねたしかにものすごいぐるぐる。こっちがくらくらしそうなくらい。瞳がレンズの遠くに小さく見えるほどで、まるでカトちゃんでした。おまけにみょうに律儀で真面目っぽい感じがお姉さん達に受ける原因だったらしく。キャラクターとメガネがばっちりリンクしていたんですね。でも裏を返せば業界の人にしてはめずらしく純朴で真面目そうなわけで。私の周りの業界人は当時、シャツの襟を立て、セーターを肩にかけている人や、ダブルの金ボタン紺ブレスタイル、『いかにも』って人が多かったのですが、その人は服装もボタンダウンのシャツでよくよくみればさわやかな感じでした。そのうち、同じ事務所ということで、当然紹介されて、私のお守り役も兼ねて、一緒に昼ご飯に連れて行ってくれるようになりました。それがO。。。つまりダンナとの出会いでした。
August 7, 2006
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難関校模試が返却されました。画期的に難しかったテストでしたが、予想通り点数はひどい・・・英語56点、国語73点、数学にいたっては39点なんです。総合168点(きゃ~~~)それなのに。。。偏差値は75.6塾内テストではありますが全塾内ランキング8位で、36点の数学でも53位は採っています。みんなやっぱりできなかったのね~このテストのことは息子もそんなに気にしていない様子ですが、たった一つものすご~く驚いたことがあったみたい。新たに入塾したばかりの同級生の女の子が英語の偏差値98,6をとったんですって。100点じゃなかったみたいなんですが・・で、息子は何に驚いたかというと、世の中にそんな偏差値が存在すると言うこと。今まで偏差値は80以上は無いものだと認識しておりましたから。あるんですね~そんな偏差値。偏差値っていまいちわかりません。この女の子172~3cmと思われる息子より背が高い。イタリアの帰国生で、塾長は彼女にさっそくパラポンテさんというニックネームをつけたんですって。なんかのキャラクターらしいけど、彼女の分けわからない、意味不明の天然系要素の事を指しているらしい。ここ3日間は塾の月例テスト。国英は点数は即日わかり、息子のできばえは上々です。今日は一番難所の数学。朝、公園でリフティング400回やってきた息子。これから午後にかけて眠くなりませんように~
August 4, 2006
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私はデビューが決まってから、今まであったことも無いようないろんな人と出会いました。それは良きつけ悪しきにつけ、とにかく刺激的でした。まずは私と一緒に1000年女王のオープニングテーマ(カップリングでした)でデビューしたT梨さん。この方は実はすでに数年前からRイラという男性デュオで活動をしているプロで今回のコンテストでは優勝しましたが、改名しての再出発だったようです。数年後、原D輔という名前で再々デビューし、「秋冬」という歌で有線大賞新人賞をもらい、やっと苦労が報われたようでしたが、もともとおうちが資産家らしく、苦労を全然感じさせない人でした。。私はどこの仕事に行くのもこのT梨さんと一緒でしたが、ド素人の私と違い、すでにバリバリの玄人で、なんだかまったく波長が噛み合わず、心を割って話すことはついぞありませんでした。今思うと、私の人間としての器が小さかったからかもしれません。そういえば私がもっとも心を開けなかったのはマネージャー。YとAという2人のマネージャーがいましたが、Yは二言目には「俺は小川知子を売った男だ」ととんちんかんな事を言うし、もうひとりのAはあまりマネージャーには興味が無く仕事先からいなくなっちゃうような奴で、ちっとも守ってくれないし、いい加減な人でした。私が辞めようと決意した発端はこのマネージャー(特にY)にあったかも。わたしは一応アニメ歌手なのに。『おれはお前をアニメでは終わらせない。もし映画の話が来たら、濡れ場はできるか』とかセクハラ発言もあり、本当に気色悪いオジサンでしたでも楽しい人にもたくさん出会いましたよ1000年女王の立ち上げパーティーではFSグループの偉い方々にも囲まれ、そこで初めて今回ご一緒する声優さんたちにもお会いしました。その後もたびたび仕事を共にしましたが、みんな魅力的な方々ばかりでその上本当に親切でした。この方達とは一緒にイベントをすることが多くて、私達のマネージャーが現れないときは青2のマネージャーさんがいつも一緒に連れて行ってくれました。幡さん、野沢さん、永井さん、肝付さん、田の中。。。聞き覚えのある声ばかり!!Dr.スランプAちゃんと同時期でしたので、小山さんや古谷さんもいつも一緒でした。(お2人はご夫婦だったのです)みんなすでにベテランでしたし、役者魂を持った尊敬できる人たちばかり。その中で、一番最後まで私を心配してくれたのは、同い年のT田恵子さんでした。当時彼女はN沢那智さんの劇団B座に所属していて、一緒にそこでやってみないかと誘ってもらいました。彼女は10代でアイドル歌手でデビューし、歌手では伸びず、声優に転向していました。顔が小さくて、小柄で痩せていて、眼は一重まぶたなのに本当に澄んだ大きな瞳は人をひきつけて、離さない魅力があり、圧倒的なオーラを持っている人でした。今、彼女の活躍をテレビで見るたびに、あの時の彼女の大きな瞳を思い出します。あの時彼女に着いていったら、私は結婚もしていないし、息子も産んでいなかったかもしれないけれど。なぜ着いて行かなかったのか、私は彼女のあのオーラに触れた時、こんなオーラを持つ人だけが選ばれるのだと直感したのかもしれません。あとは誰に会ったかなぁ。(出会ったのではなく会えた~!!て感じです)同じ事務所の研ちゃん(知り日とぞ知る翼を折れたエンジェル(以前の日記に登場)の作者)の番組に遊びに行って、かの大瀧A一様に紹介していただいたのも蕩けそうな思い出ですし。。。その番組では佐野M春様にもお会いしましたわ~ミーハーのド素人ファンとして嬉しかったのはそればかりでなく、レコーディングの際、今までバンドをやっていて憧れだったスタジオミュージシャンの方々になんとバックを務めていただいたことでしたね。私の曲は船山基Kさんがアレンジしてくださいましたが、2曲目は大村M朗さんで、この方はあの『ストロベリー・タイム』の作曲者。目の前でシンセを弾きながらどんどんアレンジしていくので、私は感激しどうしでした。あぁ・・・でももう亡くなられたんです。早すぎました。ところで『ふしぎな島のフローネ』という世界名作アニメの挿入歌も唄いましたが、これは『もしも~ピアノが~』や『鳥よ鳥よ~』や『過ぎた日の思い~出を』のS田晃一先生で、先生のスタジオに呼ばれて先生のピアノで音取させていただいたのもすんばらしい思い出です。でも一番大切な出会いはダンナとの出会い。そしてこんな私でも応援してくれたファンの方々との出会い。次回はそんなお話です。
August 3, 2006
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小さいころから歌好きな母に育てられた私はどこへ行っても歌が上手と褒められて、本格的に習ったことも無いのに唄うことになぜかものすごい自信を持っていました。学生時代はどんな場面でもソロやメインボーカルは当たり前でとにかく我が物顔で歌を歌ってきました。その頃の私は、『生まれてこの方あがったことなど一度も無く』観客がいればいるほど燃えたし、ステージでライトを浴びるのが快感で、歌こそわが人生だ!!と思っておりました。でも、プロはそんなに甘くは無かった。。。わたしは、初めて唄うことになったデビューイベントで思い切り挫折感を味わうことになったのです。しかも、よりにもよってふるさと横浜のPルタの特設ステージで。ラジオの公開録音でありましたが、観客はたかが通りすがりのお買い物客。大勢の人だかりでもいつもの私なら却って得意になってうれしいはず。なのに、なのに。。。イントロが始まって・・・音が取れない。発している自分の声が違うものに聞こえる。明らかに上ずっているのに修正できない。なんなんだ~~~これはどうにもならんのよ!!足はガクガク震えてくるし。私は不覚にも生まれて初めて上がってしまったのです。それからというものすっかり人前で歌うのが恐くなってしまいました。初めて気づいたのです。好きな事を生業にするのは大変なんだと。これから先の私の前途を占うようなデビューイベントでありました。そのときを境に、私は歌うことに少しずつ疑問を持ち、楽しい気分にはなれない状態に陥っていったのでした。それでも、すぐに辞めなかったのは、やっぱりせっかく手に入れたチャンスを逃したくないという欲もありましたし、大勢のスタッフ、そして応援してくれる両親の事を考えると、安易に辞めるとは言えなかったのです。ピアノも辞めた。書道も諦めた。大学は出たけれど、就職はうまく行かなかった。今まで何ひとつ物にはできなかった出来損ないの弱虫の自分が、最後の切り札の歌まで諦めてはさすがに人間失格だぁ!!と思ったのです。でもほんとうはそれだけじゃなかった。実は、今まであまり行ったことのない東京という町で起きる様々なことが私にはとっても魅力的だったのですレコード会社もスタジオも、放送局も、会う人もみんなみんな画期的でした。母の病気もあり、緊急の際、いつでも家に帰れるように大学も横浜の女子大を選び、就職先も横浜にした私。横浜はかなり繁華街ではありましたが、全ての用がそこで足りてしまうため、あえて『東京に行く』必要が無いという感じで、ほとんど『東京に行く』機会がないまま、大人になった私は、かなりの田舎者・・・井の中の蛙でした。だから『東京に行く』時はものすごい冒険をしているみたいではじけました。23歳にもなって。そして東京に向かう電車の窓から東京タワーが見えるとまさに『ここからが東京です。』という感じで、その姿を見るたび言い知れぬ感動を覚えたものです。昭和33年3月3日。この東京タワーが、わたしと同い年だったという事をこの頃知りました。その鉄塔が何の役目をしているかなんて考えたことはなかったけど、わたしにとって自分自身の自立のシンボルのように感じる毎日でした。前途多難な駆け出し歌手のお話はまだまだ終わらない。
August 1, 2006
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