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豚つくね丼弁当です。小さい和風ハンバーグ7個をねぎと一緒に甘辛く煮て、茹でインゲンを散らしてあります。半熟の目玉焼きを乗せました。卵はお弁当の定番ですね。このほかに大きなハンバーグを二つ作り、私とダンナの夕飯メニューに。私達は大根おろしを乗せて食べる予定です。ハンバーグの具*豚挽き肉*ねぎ*しいたけ*しょうがひとかけ摩り下ろし・塩・七味唐辛子*つなぎ(食パン+たまご)*たれ(しょうゆ・みりん・砂糖・片栗粉・塩少々)9月から塾が5時から10時半になったので夕飯を摂って出かけることができません。最初の週はコンビニでおにぎりを買わせましたが、値段が高い割に栄養も満足感も不足しがちで、結局家に帰って11時過ぎに食事を摂るという有様。平日、月水金のこととはいえ、体にも良くない。体力勝負の受験生ですから、学校帰りに駅で待ち合わせして、お弁当を渡し、息子はそれを持って塾に行くようにしました。とはいえ、塾での休憩は10分ほど。悠長に食事というわけには行きません。昼のお弁当と重複しちゃうのも辛いな・・・・そこで考えたのが、一品で食べられる丼もの。こんなことも息子中学時代の良い思い出として、お弁当の記録を残したいと思います。大雑把で料理上手というわけではありませんが、気が向いた時、UPしていきたいと思います。
September 29, 2006
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1981年秋。私の体調が悪くなったのは、仕事を始めて半年の頃でした。そしてそれが私の前に立ちはだかった2番目の壁でした。それは月に1度悪化して私を苦しめました。泊りがけのキャンペーンの朝に限って、不運はめぐってきました。ここまで書けば、わかってくださる方もいるかもしれませんが・・・私のその症状の兆候は高校1年の頃からあったのですが、この仕事を始めてそれは悪化の一途を辿りました。その頃、わたしは、この自分の症状について病気とは思わず、本や雑誌などで、もしかして月経困難症かもしれないと漠然と考えていました。何がつらいかというと、自分で自分の体がコントロールできないということなのです。そうなった時、特効薬といえばお腹の激痛を抑えるために市販の痛み止めを飲むくらいで。(常用しすぎて歯科治療の麻酔も効きにくいほどでした)とにかく腰痛、腹痛で歩くことも出来なくなる。激痛がはしるとその場に立ちすくみ、もう1歩も前に進めないのです。でも人気商売だからどんな時にも明るく笑って仕事をこなさねばならない。貧血で倒れそうになっても、同行しているのは男性マネージャーで理由を言って助けてもらうわけにも行きません。それでもどうしようもなくなって、マネージャーに訴えたこともありましたが、『プロなんだから、そんなことぐらいで仕事ができないなんておかしい』と叱られ、まったく理解をしてもらえませんでした。そうです。その通り。この状態を男の人に理解してもらう方が無理なことだったのかも現に私自身、女の子なら誰しも毎月、当たり前のようにめぐってくること。みんながこんな我慢はしている、私は我慢が足りない、いつか我慢していれば治るのでは、と思っていたくらいですから。マスコミでもそういう婦人病の情報を取り上げない時代です。ましてやまだ若い独身の私の頭には婦人科を受診するなどという考えは浮かばなかったのです。でも、その一方で私の症状はあきらかにほかの人のそれとは別物であるようにも思えました。ひどい時は1時間が限界だけどトイレに入ることが出来ない移動中や本番前は冷や汗をかきながら、誰にも気付かれないように取り繕うのに必死でした。ラジオの生出演した時、気もそぞろ、頭が真っ白で、パーソナリティの人が何を聞いてきたかの言葉がまったく聞こえないなんていうこともあり、せっかく出演できたのにときちんと仕事がこなせなっかた自分にやりきれない悔しさがこみ上げてきました夜は、夜でホテルに帰ってから、洗面所で下着を洗いながら、どうしてこんな体なのかと、情けなくて涙がでました。ベッドのシーツに持参したビニールシートを引いて、落ち着いて眠ることも出来ない私。そんな時、私は、寂しくて悲しくて、声だけでも聞きたいとOさんのもとへ電話していました。困った時ばかり、頼っては。。。と思いながら。やさしい彼の声を聞くと、明日からまたがんばれるような気がしました。彼には思い切って体のことも打ち明けました。今思えば、若い男性が女性の体の仕組みについて理解するのは大変なことで、ましてやそんな細かい症状まで聞かされても想像もできないことだったでしょうに。その時の彼は、それでも一生懸命私の辛さを理解してくれようとしました。、そして、そんなことの繰り返しで、ある時、彼は私にこう言いました。『もういいいよ。Mちゃん、辞めな。この仕事はMちゃんには向かない。もっと精神的にも肉体的にも強い子がやっていく仕事だよ。』私は彼のその言葉で救われた思いでした。肩の荷が下りたようなそんな気持ちにもなりました。結局、私が婦人科を受診したのはそれから5年、結婚後のこと。私の病名は子宮内膜症でした。病気自体はもちろん重病ではありません。でもホルモン治療のため、一時期子どもも断念。私には常に足かせのようにその病気がついて回りました。その後、治療によりほんの少し改善はみられ、本当に運よく諦めかけていた子供も授かりましたが出産から3年後、内膜症はリバウンドし、その上、子宮筋腫とも合併、40歳で全摘手術を受け、病気の元を根絶するに至りました。
September 28, 2006
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昨日、息子と学校帰りに待ち合わせして、ついに携帯を買ってやりました。月水金土日は塾で買い物にはいけませんし、来週の修学旅行に間に合わせるためには、昨日と明日しかなかったので、昨日思い切って買うことにしました。といっても買ったのは、彼の祖父、つまり私の父でありますがスポンサーが居るということで、1円携帯にするつもりが¥9800のチョイ高めのにしてもらいました本当は¥9800だって贅沢だって思いますよ私やダンナでさえ安いものを大事に使ってるのに、いくらなんでも中学生に2万~3万の高級品は持たせられませんでも『遠慮しないでDちゃんの気に入ったのにしなよ』とおじいちゃんに言われて、普段はけしてわがままをいわない息子も安心してお気に入りを手にしました。いろいろ悩みましたが機種は、結局私達と同じDoCoMoのNにしました。色は白で内側の部分がペパーミントグリーンに光ってとってもきれいです。息子はさっそく夕食後、PCからメルアドリストを転送登録したり、嬉しそうに寝るまでいじってました。なにしろ、生まれて初めて携帯電話を持つのですから、マニュアル片手に一生懸命です。ところで今は塾の月例テスト週間。そしてすっかり忘れてましたが今日は学校の英数定期テスト(もちろん内申に換算されるもの)です。あれれ・・・大丈夫かな母として気付かなかったのはちょっと反省です朝、出かけるまで机に向かっていましたが。。。心配だなぁがんばってくれ息子よォ~~~
September 27, 2006
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今まで何回となく息子に携帯は必要かどうか悩む瞬間がありまして、皆さんにこの日記でご相談したこともありました。そして、結局、中学卒業までは携帯を持たせないという我が家の掟を貫く覚悟にしてまいりました。が・・・・中3になり、塾が忙しくなると共に、あまりに息子の生活スタイルが変り、夜遅くの帰宅や、土日も家を空ける今の状況では、やはり親としては心配でしてつい最近も横浜では塾帰りの男の子が襲われましたし今までは私の携帯を貸していたのですが、学校帰りに塾に行く日は持たせられないし、また、塾で入退室のメール配信をしてくれるので、私もその情報がPC宛よりは、携帯の方が便利なのです。ということでついについに携帯を持たせることになりました最初はダンナが反対するかと思ったのですが、木曜日の食事の際、そのダンナが『おまえもいよいよ携帯必要か?』と聞き、今まで何回も遠慮していた息子が『うん。。。買ってもらおうかな』と言って、呆気なく買う事が決定いたしました。本当はこの週末に買いたかったのですが、昨日は日記に書いたとおり、駿台から東京のA学文化祭まで行って、帰りは夕方でしたし、今日も午前中どうしても勉強したいといい、午後は日曜特訓なので、結局一緒に買い物は無理でした。一応、初めて買うので息子に選ばせてあげたいのですが、10月2日からの関西修学旅行に出来れば間に合わせてもあげたいな。それと悩むのは機種私とダンナはDoCoMo。ダンナは同じ番号で9年、私は4年目です。やっぱり同じところのほうが安いのかしらAuは学割もありますよね。ちなみに私は電話をあまりかけないのでDoCoMoのタイプSSです。FoMaだけど、Iモードもメールしかしないし、メールも月に2,500パケット程度。息子がいつも公衆電話からかけてくる時間は『今○○駅だよ』だけで一日の通話時間は20秒ぐらい??息子も同じでいいのかしら。あぁ悩むなぁ~~~~
September 24, 2006
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1週間のご無沙汰です。あれからいろいろありました。17日は最後の区大会に惜敗。ついに彼の中学部活は終了18日は県教育委員会主催の公私立高合同説明会に息子と出かけまして、19日火曜日には午前中コーラス、午後からは学年保護者会があり、修学旅行の説明とゲストとしてお招きした県トップ公立校3校の校長先生のお話を伺いました。また、今週、塾の日の夕食に関しては、やはり深夜に食べるという不規則を避けるため、学校帰りに待ち合わせして、お弁当を届けるという試みを始めました。ということで今週の私は、なんだか気持ちが落ち着かず、日記を書く気力が湧きませんでした。さて、、、息子は今日も駿台です。前回のテストはやっと昨日返却されましたが、3科240点で4756人中106位。上を見たらきりがないけど3科総合1位の子はなんと278点。たぶん天才だわ息子は数学がいまいちですが、それでも我が家のレベルでは充分褒めてやりたい結果です。男の子は数学のほうが出来ると思っていたのは私の偏見のようで、このごろ際立って文系的脳みそになってきたようです。塾のスケジュールの関係で、合同の駿台試験会場で受けられなかったため、残念ながら資料に名前は載りませんでしたが、志望校判定では志望校全てが合格圏でした。同じ時期に受けていた県内模試は5科で15369人中173位。こちらは公立を視野に入れたテストですが、こちらもなんとか目標をクリアしているようです。が、しかし・・・こんなことはあくまでも指針でしかないわけで。問題はこの力を本番までいかように持続させられるかということ。回りもがんばって確実に成績が上がってきているわけですし、今がいいからという勘違いの油断が一番恐ろしいことです。本番まで体調もモチベーションも上がり気味の状態で維持していくこと・・・こうなったらその辺に勝負の鍵 はあるような気がします。いや~~~これが一番難しそうね(もし自分だったら・・・と思うとぞっとします。絶対無理だわ。途中でヒューズが飛ぶ)今日は横浜駅で駿台模試。帰りは仲間と共にA学文化祭お邪魔します。A学にはもしかしてひょっとしたらお世話になるかもしれないので、実際自分の目でどこにあるどんな学校か知ることは大切です。ハンカチ王子の学校も見に行く予定ですし、憧れのすばらしい学校ですが、いかんせん遠くて、わたしの方が気乗りしません王子はスポーツ推薦じゃなくて一般入試で合格したと聞きましたが、彼のおかげで学校の評判も一段と向上したことでしょう。(それで、倍率上がったら困りますが。)うちの息子も彼のように最後まで平常心で戦って欲しいものですわ~~
September 23, 2006
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先週の金曜日、息子の学校帰りに待ち合わせし、おにぎりと塾の荷物を届け、代わりに学校へ持っていった荷物を持ち帰って私。往復10分足らずの道のりなのに、もうへろへろで、一回やっただけでこりごりげっそりして翌日は筋肉痛でした。そんな頼りない母親に気を遣って、今週月曜から息子は学校の荷物に塾の道具も全部詰め込んで出かけることにしたのです。塾は1日1教科ですが、教材がいっぱいで、学校の教科書、資料集と合わせたら、かばんの重さは凄まじいことになる。今週は雨が降る日が多く、傘まであったので。。。ごめんよ~協力的できない母でその上、出掛けにゴミまで持たせて。ということで・・・塾のある日、息子の顔は、朝、7時20分に家を出ると、夜の10時40分ごろまで見ることができなくなりました。私自身が音を上げた結果とはいえ、さすがに心配で、なんといってもザビヂイのぉ~~当の息子はあまり変った様子もなく、ケロッとしていてまったく平常心。帰宅後、入浴、そして軽食を摂りながら、いつものように学校であったこと、塾でのことを事細かに話してくれます。夏の終わりの駿台も好調だったようで、(私の手元に貰っていませんが、)塾で掲示された全塾内順位ではひさびさ2位という成績だったとか。あれだけやっているのですから。。。いい結果で良かったそんな息子の当面の悩みは、学校の放課後、サッカーの練習と、10月初旬の修学旅行実行委員長の仕事、10月下旬の学芸祭合唱のクラス男子パートリーダーの仕事、そして生徒会の最後のお勤めが重なって、どれも大事で優先順位が付けられないし、時間が足りないことなんだそうです。今は、面倒くさくて役職につきたくない子供が多い世の中らしく、(生徒会以外は)誰もやる人がいないなら僕がやりますと手を挙げた息子。もちろん自分で手を挙げたからには、弱音を吐かず、どれも最後までがんばって責任を果たそうと思っているようです。だけど、自分がどうしても手一杯の時は、誰かに仕事を振らねばなりません。その『誰にするか』の人事をめぐって、またひとり考えているようです。あいつはこれが得意だから、この仕事を任せようとか、こういうことはあいつの性格が向いているとか。自分の仕事を成功させるためには、同じような気持ちでやってくれる人でなければ、意味が無いと思うようで、なかなか人材選びには苦労しています。お前は人事部長か。こんな風に勉強以外のことに思いめぐらせて取り組んでいる時間は、案外、彼の気分転換に役立っているのかもしれません。今日は土曜自習会。明日は最後の区大会。(勝ち残れば18日もありますが。。。)がんばっているので大好きなこち亀の30周年記念本を買ってきてあげました
September 16, 2006
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私がぶつかった二つ目の壁は、人間関係でしたその2でお話したように、マネージャーのことはどうしてもどう~~~しても信用できませんでした。毎回一緒に仕事をする大切なパートナーなのに。あきらかに向こうは私を大切に思っていないことが仕事をするたび、ひしひしと伝わってきました。当時、チーフのYは32歳、サブのAは28歳でふたりとも結婚していましたが、23歳の私にはものすごく年上に思えて、大人のいい加減で嫌な部分を見せられたような気がして、私は人間不信に陥りそうでした。私は『映画の濡れ場を出来るか』としつこく迫ってきたYの顔を見ると生理的に拒絶反応でまくりでしたが、もうひとりのAにも最後まで心を開くことが出来ませんでした。Aはもともと同じ会社の制作部門の人で私の恋人Oと一緒に仕事をしていましたが、マネージャー経験(『キッスは目にして~♪』と唄ったビーナスというバンドのマネージャー)を買われてプロダクション部門に移動したのではと思われます。人の面倒を見るのはあまり得意ではなく、プロダクション部門に移動するのはたぶん彼自身不本意なことだったのでしょう。いつもジバンシーのコロンのにおいをプンプンさせて、一緒にいると移り香がするほど。まぁYの親父臭さよりはましで、それだけおしゃれな人でしたし、ひょっとしてマネージャーとタレントという関係じゃなくて、通り一遍の仕事上の付き合いならなんとか我慢できたのかもしれませんが。彼を許せなかった一番の理由は、彼には愛もなければやる気もないというところでした。私達の仕事現場では常にめんどくさい、やりたくない楽しくないという雰囲気を醸し出していました。それが証拠にメジャーな場所ではちょっと仕事をやってる風にかっこつけて見せるのに、どうでもよくなるとまったく興味のない顔をして、たちまち気のない態度。かっこつけ屋だから、私のこともそういう余計なアドバイスをすることだけはかかせません。一度なんて、突然背後から背中を覗き込まれて、『背中の毛を剃ったら』と言われ、その時はゾォ~~~っとするやら、ムカつくやら私は毛深い方だけど三つ編できるほど毛むくじゃらじゃないぞ、余計なお世話じゃ!!って。あぁこんなデリカシーのない人、絶対駄目って確信しましたね、まったく。さらに私の一番不信感がつのった極めつけは、彼が声優さんとの大事なイベントを大胆にもすっぽかした事件でした。その日は新幹線に乗って、大阪での仕事でしたので、私は前もってチケットを受け取り、新横浜からこだまに乗り込みました。話がそれますが、同じホームに永I一郎さんがいらして、初対面なのにこちらをちらちら見ていて、だれかなぁなんて思っていたら、あら~有名な声優さんだったのね。私のことを見てすぐに同業者だと思ったのだそうです。同じ仕事場へ行くところでした。それで、新幹線内で東京から乗ってくるはずのマネージャー、カップリングの高梨さんと落ち合う約束が、なぜか高梨さんしか乗っていない。現地についても待てど暮らせどAが来る気配はなく。今みたいに携帯もない時代だし、どこにいるかもわからない彼とは連絡をつけることもできませんでしたが、彼がいなくても彼の代わりに声優さんたちが所属するA二プロのマネージャーさんが私たちまで面倒見てくれて、結局そのまま仕事を無事終えました。この日はマネージャーがいないのに、なぜかゆったりした気分でのびのびと仕事が出来ました帰りの新幹線。私と高梨さんはA二の声優さんたちと一緒にボックスシートに座って、みなさんおしゃべりが楽しくて、仲良しで修学旅行みたいそして、マネージャーさんにはまるでそこのタレントのように大事にされ、本当にありがたかったこと、今でも忘れられません。その時、気付いたのです。マネージャーとタレントの関係はやっぱり信頼だと。信頼のない関係は長続きしないもの。はたして大人になった今、私はあの状況を耐えられるのか。。。と考えてもみましたが、答えは。。。やっぱり無理悪い人たちではないかもしれないけど・・・!?いいや、大事な仕事を人任せにしてすっぽかすのも、変な仕事をさせようとセクハラまがいの台詞を繰り返すのもどっちも悪い人です。仕事をすればするほど、こんなくだらない余計な悩みでこわれそうになる私でありました。
September 14, 2006
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気がつけば物心ついたときから憧れていた歌の世界だけど、そのために地道に努力したわけではなく、本当に棚から牡丹餅のようにチャンスがめぐってきて、運と度胸だけで手に入れたプロへのパスポート。思えばあの時の私には何をどうしようと考える暇もなく、じっくり自分の将来を見つめる心のゆとりもなかったのかもしれません。もともと歌を歌うのが、3度のご飯より(?)好きな私ですから、仕事をしているときは、楽しくてたまりませんでしたし、大学卒業後、就職した会社で経験した中年オヤジのセクハラや程度の低いいじめに比べれば、大概のものは我慢ができる覚悟はしておりました。ところが。。。そこが若気の至りともうしましょうか見知らぬ世界でやっぱり耐えられないこともたくさんあり、今だったら、たいしたことないと乗り越えられることでも、くよくよと悩みに思うことがしばしば。まず、最初に私がぶつかった壁は、はっきりいって給料が少ないことでした。毎日働いているわけではないので、時給にしたら高いのかもしれませんが、それでも月5万(前にも書きましたが、事務所ンと必死に交渉して途中から7万)といえば、高校生のアルバイト並。いくら自宅暮らしとはいえ、人に見られる商売をしている私としては、自分に投資することも仕事です。衣装は一番最初に事務所が買ってくれたものが1着のみ(まさにイッチョウラです)で、あとはまったく相談に応じてくれませんでした。でも仕事柄、毎回同じものを着ていくわけには行かないのですおまけに、アニメイベントの専属司会をやっているMCの女性に(業界的にも年齢も先輩という関係)会うたびに『その衣装やめたら?変よ~~。』とか『や~だ、まだその着てるの~??だから変だって』と酷評されるし。マネージャーYは『だから、Gパン(当時はジーンズとは言いませんでした)にしろよ。金がないうちはみんなそうやってるんだぜ。』自分の好みを押し付けようとするし、だからといって買ってくれるわけではなし。足が短くて太いのがコンプレックスでパンツスタイルをしたことのない私に嫌がらせかフン!フォークの世界じゃあるまいし、Gパンしかはかないアイドルがどこにいるんだ。。。と思いながらも、結局Gパンを買いにいって、デザインのいいものは高いことに気付き、ひどく後悔する私。とにかく・・・困りましたハマトラの学生からOLになった私には、アニメアイドル歌手って奴がいったいどんな服を着るものなのか皆目検討がつきません事務所近くにはファッション六本木や青山のお店には最先端御ファッションがたくさん並んではいますが、そっちは目が飛び出るほど高い服ばかりでananみてもnon-no見てもぴんとこないし、ましてや自分のファッションセンスにはまったく自信が持てなくなり。そんな時、私のアドバイスをしてくれたのは、やっぱりO(つまり今のダンナ)だったのです。当時、仕事が遅くなるのは仕方ないとしてもプライベートでは門限があった私が休日Oとデートする時は必ず私の家に近い横浜駅。もともと服が好きなOは横浜駅周辺のショッピングモールでデートのたびに、安くてかわいいものを選んでくれて、私もだんだんその気になり、少し流行も取り入れつつ、自分らしく着こなしができるようになっていきました。洋服が似合うかどうかは着る人の勇気と気合と自信が80%は占めているんじゃないかなぁと実感する毎日でした。こうやって洋服を着こなすコツはわかったし、化粧の仕方、小物使いなどいろいろ自分なりに研究し、徐々に人気商売仕様に変身していった私ですが・・・結局のところ、すべてが自分の持ち出しなので、給料どころか私は貯金をくずしてしまい、ファッション化成功とは反比例に、懐の悩みはますます深くなりました。働くって事はお金になるって事じゃないの??同級生はみんな1流企業に就職してリッチなOL生活を送っているというのに。23歳にもなって私はまだこんな生活しか出来ないのか。。。。おまけにレコードが買い取り方式で、印税は全てレコード会社に入る契約です。たとえ2次使用しても私のもとへは1銭入りません。(当時新人歌手はこういう待遇の人が結構いたみたいで、先日あのPンクレディーのKちゃんも大ヒット曲の数々がすべてそうだったと話しておられました)私はお金を払って、いったい何をやっているんだろうと。これが私の望んでいた生活なの・・・・と情けない自分に煩悶する毎日でありました。
September 12, 2006
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前回その7を書いてからもうかなり時間がたってしまったので自分でも(皆さんも)どこまでだったか忘れてしまいましたが。。。今日は前回ちょっと触れた全国キャンペーンのお話。歌手はメジャーデビューすると大概、レコード会社のキャンペーンとやらで、主要都市を回らねばなりません。キャンペーンの目的は、もちろんレコード(CD)セールスにつなげるためですが、テレビラジオ局、有線放送周りで自分の曲をかけてもらうこと、新聞雑誌社周り取材を受けること、イベント出演、レコード店周りなどが主なる仕事です。そして同行するのは事務所のマネージャーですが、現地では、必ず、レコード会社支店のプロモーターの方が待っていて、私達のお世話をしてくれました。もちろん東京でもキャンペーンの仕方も同じで、ひとりのアーティストを売る場合、事務所、レコード会社本社プロモーターとアーティストがセットになって活動します。このプロモーターは必ず決まった担当者がいるもので、アーティストによってはマネージャーと同じくらい信頼する相談相手となります。プロモーターと言うのはいわゆる宣伝マンで、宣伝マンは営業とは違います。レコード会社において営業というのは、レコード店にCDをおいてもらう直接の販売窓口の仕事をする人で、一方、宣伝は、主に、新聞、雑誌や放送局媒体関係に働きかけ、そこでのアーティストの売り込みをする人です。たとえば番組に使ってもらう、CDをかけてもらう、雑誌ならパブリシティーといって広告的な記事を書いてもらうため宣伝活動する人。そのために大手広告会社に広告宣伝を発注するのもこの宣伝マンの仕事です。(なんでこんなに詳しいかと言うと、うちのダンナの仕事だからです)話が脱線しましたが。。。キャンペーンの中で印象に残っているのはなんといっても最初に行った博多であります。ここでは西日本放送のラジオ出演、西日本新聞の取材を受け、結構大きな写真で扱ってもらいました。なにしろやることなすこと初めてで、緊張の連続であまり覚えていませんが、天神の女性はきれいだったことは覚えてます。食べ物もおいしかった。特に薩摩揚げと卵焼きがものすごく大きくて絶品でしたね。キャンペーンではどこに行っても大事にしてもらえて、飛行機のファーストクラスにも乗りましたし、大きなフェリーの船長室に乗せてもらったこともあり、『おぉぉ!VIPじゃ~~ん!』って感じで、最初はひたすら天国だぁと感動しておりました。大体全国どこへ行ってもこのキャンペーンの形態は変りません。もちろん現地の小さい会場で唄うこともありましたし、名古屋では地下街のサテライトスタジオ(今は無いみたいですね)でリポーターN元勝さんの生放送に出演など変ったこともやりました。もっと変ったところでは、秋ごろ大阪の御堂筋カーニバル(これも今は御堂筋パレードになったそうですね)に出演したこと。(またまた今は無き)大阪球場がこのパレードの終点だったのですが、私はその終点大阪球場でカップリング歌手の高梨さんと共に歌ったのです。満員のお客様を前にして、大きな球場のど真ん中立った2人でのステージ。あんな広いステージで唄ったのはあとにも先のもあれだけだったんじゃないかな。。。と。そうそうドカベン香川さんにも会いました。その頃はまだ現役、大きかったなぁ。地方に行くのはけして苦ではなかったし、自分の歌声がこうして全国の人たちの下へ届けられるのだと思うと、良い経験ではありました。そうそう大阪と言えば忘れてはならないのが、私が唯一FSお抱えタレントとして、他のキー局の番組に出演した経験。まぁそれでなくてもアニメ歌手なのでめったに画面に登場する機会はないのですが。その番組は大阪朝日放送の『おはよう朝日です』という番組。なんでも当時の番組プロデューサーが若い女の子が好きということで、(そこがちょっと・・・)なぜか私にもご指名が入ったのでした。朝1の番組なので前のりといって、前日から大阪に宿泊。横浜では流れていない番組なのでなんだか様子もわからないし、生放送ということで心臓バクバクです。朝スタジオ入りすると、制作の方から番組前の新人の歌紹介コーナーで歌うという説明をされ、当時(今も??)放送局の入っているところにホテルがあってその地下厨房からロケで映像を流すという企画。いきなり!!そんなぁ!!しかも忍者みたいに人差し指をたてて画面に現れる趣向なので、ぴょんと飛んで出てほしいというわけのわからない趣向。どうも映像技術で私がぴょんと突然現れるようにしたいらしい。わけわからないし、恥ずかしいし。打ち合わせのあと、おろおろしているとちょっと来てと呼ばれて、と~~~っても偉そうな番組プロデューサーに引き合わされました。そうしたらいきなりその方、私に言った第1声は『君、いくつ?』・・・・ってはぁ『あのぉ。。。23ですけど』『えぇ~~23なの、結構年いってるんだねぇ』そういってそのお方呆れ顔で立ち去りました。大事な本番前にわたしったらかなり凹みましたよ。実は私、10代に見えたのです。だから、きっと若い新人好きのあのお方はがっかりなさったのでしょう。そんなこんなで本番もいまいちわけわからず普段歩いたことのないホテルの銀色の冷蔵庫や棚が並ぶ厨房をぬけて、その廊下での生本番。あっという間の出来事でした。そのあと、スタジオに帰ったのですが、今でも印象に残っっているのは、エレクトーンの響きとテレビで見るとわからないけど、出演の人がものすごく厚塗りだって事。特に司会の男の人は壁を塗ったのかと思うほど厚かった仙台放送出演の時に、『男の人も塗りたくるんだぁ!!』とすでにそういう顔を目の当たりに見ていて、このくらいしないと映りが悪いと知っていたのですが、改めて朝の外が見えるスタジオで、分厚い顔を拝見すると噴き出してしまいそうでしたとまぁ。。。地方キャンペーンはこんな思い出ですが。ところで東京で一番面白いキャンペーンイベントはなんといってもオールナイトニッポンの出演。真夏の一日、『新竹取物語1000年女王スペシャル』で1時から5時までぶっ続けで特別番組が組まれました。たしか夜10時入りぐらいだと思いますが、人気のない昇り電車乗っていると、なんだかこんな時間に仕事に出る私って。。変??とふしぎ~~な気分になりました。でもこの日も東京に近づくにつれ、電車の窓から遠くに小さく赤く光る東京タワーが見えて、わくわくドキドキしたものでした。私の仕事は毎日ではありませんでしたが、それでも、毎回新鮮な驚きと喜びと戸惑いとちょっぴり不安が入り混じった複雑な気分のまま、あっという間に半年が流れていきました。そして、仕事を始めて半年。私はこのころ大きな壁にぶつかることになるのです。それは自分の体調との戦いでした。実はわたしのこの体調の異変こそが、夢の入り口にいる私を現実に引き戻す大きな原因となったのでしたつづく
September 11, 2006
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学校は2期制なので、新学期ではないのですが、やはり夏休み明けは忙しいもの。月曜日からいきなりお弁当作りで5時半起き。前回書いたとおり、午前中は役員会。夕方4時15分に帰ってきた息子にパンを食べさせ、息子は4時40分に塾へ行かせたと言う訳で。それから夕飯を作り、ダンナが帰宅。ダンナは晩酌の勢いで、そのまま10時前にバッタリ寝てしまい、そのあと、息子が10時半過ぎに帰宅。息子はお風呂に入ってから夕食。結局就寝は11時半。火曜日、私は美容院に行ったついでに、前々から電話でお誘いを受けていた銀行に住宅ローンの借り換え相談に行き、ローンが半額になることが判明。水曜日は借り換えのための書類集めに雨模様の中、奔走し、法務局なんていうお堅い場所にまで行ってど~~~っとちかれた~~。この日は塾なので、月曜日の反省から、あまり夜遅く息子にご飯を食べさせては。。。と早めにご飯(カレー)を作ろうと思いましたが、さすがに疲れてからだが動きましぇん。気がついたら4時5分前。カレーが間に合わないと気付き、帰宅した息子には冷凍の五目たんめんを食べさせ、塾には菓子パンを持たせました。それからカレーを作り、結局息子は帰宅後、もうお腹は空いてナイヨ~と言いつつ、カレーを2皿食べて、この日の就寝は12時15分前でした。木曜日、午後1で銀行と打ち合わせ。揃った書類を見せて、今度はダンナの自筆で記入する申込書を受け取り・・・お金借りるってめんどくさい。。。でも月額が半額になるんだからと凹みそうになる自分を叱咤激励。この日は息子は久々の部活で帰宅は6時半、ダンナの帰宅を8時まで待って、家族でご飯を食べたのは4日ぶりでした。食後、息子は山ほどある塾の宿題の片付け、私は芋焼酎で酔いが回ったダンナになんとか申込書を書かせて、これで1日終わりかと思いきや、ダンナは仕事の呼び出しで10時半に出かけていきました。息子は勉強後、学芸祭で唄う合唱のパート練習をしたいと言い出し、ネットでクラスの曲のパート練習を見つけ出し、そこから音取り。私も付き合って、就寝は未だかつてない遅さ・・・12時半でした。金曜日は午後から銀行打ち合わせ。やっと半額に~~と思ったのも束の間。書類審査が通ったら、最終的にダンナが出向かねばならないみたいで、そこで契約成立ということらしい。がっくり。この日も息子は部活で、学校の帰りにそのまま塾に行くことに。でも息子は学校の荷物が多くて、塾の教科書が入ったかばんまで持っていけないため、駅で待ち合わせして、そのかばんを届けることになりました。(息子は1分でも早く塾に行きたいので、帰ってくる余裕がないというのです。)6時15分、学校の最寄り駅から息子の電話があり、握っておいたおにぎりを塾のかばんに詰めて、急いで駅へ。それが息子のかばんの重いことといったらおまけに肩掛けのストラップが長いし、私はよたよたしながら駅への坂道を降りました。(5分が50分に感じたわ)駅に着くと、息子もちょうど現れて、駅直結のデパートの歩道にあるベンチで荷物を手渡しし、代わりに教科書の入った学校かばんと体操着とお弁当箱の入ったトートバッグを受け取り、(こっちはもっと思い)わたしはさらによたよたしながら坂道を登って帰ってきました(今度は5分が5時間ぐらいに感じました)この日も10時半帰宅の息子。前日の残りもののカレーをやはり2皿ぺろり。ダンナは御前さま。そして昨日土曜日はダンナはお休みでしたが、息子は朝から勉強。今週から中3にむけて土曜自習会というのが始まり、(4時から2時間は数学特訓)早めのお昼を食べ、12時40分塾へ・・・6時15分帰宅。夜は家族で夕食をとり、息子も昨夜ばかりは余裕があり、テレビを見て過ごしました。そして今朝、6時半起床。ダンナの仕事は日曜日にもあるため、わがやの1週間は日曜日から始まります。ダンナが出かけたあと、息子は午前中勉強。その後、サッカー練習のため、おにぎりを持って、10時半に出かけていきました。・・・・というわけで、日記を買う余裕がなかなか持てず、またまたおさぼりの私です。それにつけて息子君のペースに付き合うのは大変。世の中のお母さんはこんなことみんなやってるんでしょうが、わたしゃ身が持たない。特に金曜日のかばん配達は応えました。受験まであと150日らしいけど、こっちが倒れそうです
September 10, 2006
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夏休み中工事が進み息子の学校では今日からエアコンが作動しました・よく国立は税金で賄っていると勘違いする方がいらっしゃいますが、もともとは親大学の学部の費用の一部だけが附属校に充てられているわけで、その附属も5校あるので、1校あたりは微々たる割り当てになっておりますその上、独立行政法人化して以来、財政難で。経営のほとんどは保護者から集める学費と後援会費で成り立っている次第。(今日聞いた話では・・・プールも水道代が高くて、水が取り替えられないため、短い期間しかプール学習が出来ないんだそうです)それでついこの前まではエアコンはおろか、扇風機もなく、学校は灼熱地獄勉強中に熱中症になるのでは~と思うほどでした。でも後援会で(私は会計)話し合い、このほど晴れてエアコンが取り付けられることになりました。あとは電気代が心配ですが、先生達も温度設定や節電に配慮してくださるそうです。今日は役員会でエアコンの様子も見てきました。3年の教室を覗くと息子がなぜか嬉しそうに数学の授業を受けており、一緒にいたお友達のママが手を振ると気付いて、ぺこりと挨拶してくれました。他のクラスでは私達に手を振る子もいて、中3はまだまだかわいいさて、今日から塾は補習が入り、5時から10時半まで息子は4時15分に帰宅し、メロンパンとアップルパイを食べ、4時40分に出かけていきました。体力持つかなぁ。ちょっと心配ですさぁて、私はダンナのために夕飯を作るか(ダンナは今日休みでいるんですよ)『私の東京タワー。。。その8』は近日中に書くつもりです。ではでは~~~
September 4, 2006
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