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自分はここの主であると押し出して商いをしている方が多かった昭和。店主は客に好印象を与えるとか不評を浴びるなどとの事はほとんど気にしませんでした。客もカスハラなどという行為は噯気にも出さなかったのです。店主は、多少なりともの御愛想は付けたりはしましたが・・・慣れっこのこどもたちはガン無視しないまでも、普通に迷う振りしてアイスを買ったのでした。(アイスクリームケースの形容が、かき回さなければお目当てのアイスが見つからなかったのです。)言葉には出さず 咳払いをして存在を知らせたり嫌味のしぐさで状態を咎めたりすること昭和では横行していました。このハタキパタパタも こどもたちは慣れっこで何のための動作か分かっているけれど店主が無言なので気にすることなく立ち読みを続けていたのです。長い昭和には、愚連隊 不良 非行少年などと呼ばれる団体グループがありいかにも愚行しているかに見える高校生が何年か毎に現れていました。反抗したくて、粋がりたくて仕方ない年頃はありエネルギーを社会に反発することで発散させていたのですね。1970年代後半から1980年代にかけてはツッパリ君が猛威を奮っていました。独特のファッションを決めることで存在を主張したかったのですね。大人は大多数呆れた視線を向け小さい子は怯え怖がっていたのです。最盛だったツッパリ君が卒業していき徐々に徐々にブームも去り「なあーんだ、怖くなかったんだツッパリ君は・・・」と、昭和のブームのスピードに驚いたのでした。
2025.04.27
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アメリカのアニメ ポパイ が日本で放映されたのは1959年~1965年迄です。小柄な船乗りのポパイは熱り立ったとき素手でほうれん草の缶詰を握り潰して開け 流し喰いをしそれからクライマックスの決闘を展開する・・・当時 悪をコテンパンにやっつける正義にお子達はたまらなく憧れたのでした。そして、ほうれん草の缶詰 みんな食べてみたいと思っていたけれど存在しませんでした。昭和30~40年代にかけて日本全国に共通していたことです。風邪をひくと高価な桃缶を買ってもらえて食べることができる。水分 糖質 は十分で何といってもツルンとして食べやすい。お子達にとって風邪をひく楽しみでもありました。当時の日本 ○○したら○○するものという既成概念を皆が揃って忠実に守り続けたのです。缶蹴り遊びです。円を描き 缶を逆さまにして真ん中に置いて始めます。鬼を決め 鬼以外の子が缶を思い切り蹴ります。鬼が缶を拾いに行ってみんなが隠れます。見つけたら鬼は缶を踏む、見つかった子は円の中。鬼が探しに行っている間に誰かが缶を蹴り飛ばせば円の中の子は逃げられる。このような日本の遊び、色々ありますが誰かを 助ける 救い出す 事に醍醐味を置いていることが、昭和に遊んだお子達にとっては教訓として授かっているのです。足元に空き缶が転がっていると蹴りたくなりますね。
2025.04.13
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金襴緞子の帯を締め、文金高島田の髷を付けた昭和の花嫁、うら悲しく眼に映ったのは、 まず 鬘が重過ぎてうつむく姿勢でしかいられなかったこと 花嫁御寮はなぜ 泣くのだろう♪ の歌が世間に浸透していた 親が決めた結婚で、ほんとうは、自分はお嫁に行きたくないそんな 理由があったのかとも、思います。記念写真はモノクロームだったので美男美女に映されました。極限の緊張感と含羞む 表情がその写真を尊いものに仕上げています。三三九度の盃の儀式も、地域により様々であったでしょうが小学生未満の親族のお子が酒を注ぐというパターンが多かったようですね。何かの儀式にお子を起用させるというのは場を和ませるという目的があったのですね。文金高島田の髷がノーマルであった昭和30年代中期和洋折衷の上のような花嫁もいたのです。洋文化が大量に流れ込んできた時期でした。笑ってしまいますが、この逆 (高島田にウェディングドレス)を想像すると大笑いになりますね。三三九度の儀式が終わった後は、襖を外して座敷で披露宴です。近所の人々に花嫁を披露します。みんなお嫁さん見たさに集まってきます。「きれいだねえ~っ」と大きめの声で囁きあうのでした。「いいお嫁さんが来てくれてよかったねえ」そういう囁きを聞いて、お嫁さんはうつむいたまま口元で笑みを浮かべたのでした。昭和50年代式の後の披露宴は 年々華やかになり 式場側の企画構成の通りを遂行する主催者側でしたが徐々に徐々にパターンの同一に人々が飽きてきたのかもしれませんね。今後 スタイルは変化し続けると思いますがおめでたいに尽きますので良い変化にしていきたいですね。
2025.04.01
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