水彩画紀行 スペイン巡礼路 ポルトガル 上海、蘇州 カスピ海沿岸からアンデスの国々まで
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俳句は不思議な生まれ方をする。必死に作ろうとしたり、がちがちの頭では、生まれない。ちょっと、斜に構えて、自分を離れて自分を見るくらいのゆとりがいる。激しい感情の渦中にいては、俳句は生まれない。悲しい時、悲しいと言えるのは歌人。月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど 古今集俳句はたった17文字。悲しさを悲しいと言ったらそれまで。みもふたもない。悲しいとはひとことも言わず、他のことに置き換えて、さりげなく、しかし読めば読むほど、深い悲しみが余情をもって溢れるような、それが俳句である。あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中 漱石漱石が弟子の女流詩人の夭折に接して作った慟哭の、素晴らしい1句。水彩画 初夏の湖かって所属していた結社「沖」の中原道夫氏が、独立して「銀化」を創設したとき、雪の新潟の自然を吟行して、師の故郷の由緒ある旅館で、大俳句大会があった。皆で、雪の野や里を吟行して歩いた。そして、ふとそうしている自分を離れて見てみたら、、、1句出来上がった。我は浮標 雪田一面 海ならば 俊介注) 浮標 海に浮かぶブイのこと。ちちははの稲架木は雪の墓標たり 俊介 稲架木;はさぎ 稲を干すために植えた、並んだ木のこと。頭を俳句モードにして、とりとめもなく彷徨っていると、水中から泡が沸き上がってぽっかり水面にあらわれる。そんな風に脳のシナプスを駆け巡ってぽっかり句が生まれるような気がする。その夜、宿の池の寒鯉が飛び跳ねる音が聞こえたような気がした。寒鯉の耐へかねて打つ鼓かな 俊介翌日の大広間で3句、投稿。すべて入選したのは、たったひとり。しかも、浮標の句は特選で、中原道夫師匠の色紙をもらった。さて、今年5月に大学のワンゲルの会が阿蘇であった。その前に例年のように友人と二人で九州山地の奥深く、平家の落人部落の山々をテントで野営しながら6日ほど登った。最後に、阿蘇の外輪山に登って下を眺めたら、阿蘇盆地の美しい水田風景に出会った。友人は、今日も雨の山に、カモシカのような脚で素早く消えていった。私は展望台の屋根の下で、イタチかリスの絵筆でゆっくりとこの絵を描いた。漣に身をととのえる早苗かな 俊介水彩画 阿蘇盆地の水田デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてくださいね。
2011/07/21
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