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勉強ができなくたっていい スポーツができなくたっていいおもしろいギャグがいえなくてもいい人前で話すとき、たじろいでもいいただ義にもとることだけはするなひとをだますようなことをするなこころの奥底の自分にそむくようなことだけはするなそれだけまもれば あとはなにしたっていい
2006年08月31日
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やさしさとは ひとのこころをはがすことひとのうれいをしること じぶんのこころをはがすこと ひとのいたみをかんじること ぼくがいきる罪 だれかを<きずつけること>カミサマ ぼくはこれまでにおおくのひとをきずつけてきましたのぞむとのぞまざるにかかわらずそしてこれからもひとをきずつけ、 そしてだれかにきずつけられるのでしょう いきることは痛みであります ぼくがいきる道 たといそれが 誰かをきずつけるとしてもそれはぼくの生きる道 カミサマ ひとのいたみ みないふりをして 歩いていけばいいのですか? ひとのかなしみに きづかないふりをして 前にすすんでよいのですか?違うよねいたみとかなしみ 背負っていかなきゃいけないよねたといどんなに重くともゆっくりとでいいから その歩を踏みだすんだよねそれがぼくのすすむ道。 他人に 自分に なんと言われようとも そんなつよさがあったらいいな そんなつよさがあったらいいな
2006年08月31日
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「NANA」を買って読みました。1巻と2巻だけ。中古で105円だったので、買ってみたのです。あのマンガ痛ぇな。読んでて心痛すぎる。ふつう、他人の心って見えないじゃん?読めないじゃん?それがさあ、ストレートに描いてあるからもう痛すぎて。ちょっと気分悪くなるくらい心痛かった。少女マンガって全部こんなんなん?俺、はじめて読んだけど、他を読む気にならんよ。あんなに裸の心が見えたらぜったいに生きていけない。他人の心が見えないってのは、人間の大切な能力なのだ。心を読む能力がないのではない。心を読まない能力がそなわっているのだ。他人の心は、他人の心のままでいい。
2006年08月31日
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今日はひさしぶりに対人稽古してきました。相手をしてくれたのは、まだ合気道をはじめて1年ちょっとの子なんですが、技がよくかかって楽しかったです。白帯相手とは言え、「諸手の呼吸法」でまったくぶつからずに手を上げれたのは初めてだったので嬉しかった。その相手の子も「まったくわけがわかりません」と混乱した顔をしていました。それからすごくいいDVDを買いました。ほんとうによいです。あまりによいので、皆さんには教えません。近いうちにメルマガにて公開します。ほんとうにすごいDVDだよ。
2006年08月30日
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「愛憎」という言葉があるでしょう。文字通り、愛と憎しみということだ。そして次のようにも言われている。「愛と憎しみは結局同じなのだ」と。でも、僕はそうじゃないと思う。愛の対義語ってなんだろうと考えたとき、それは「かなしみ」なんだと思った。たとえば愛を失ったとき、健常・健全な人であれば、そこに残るものは「かなしみ」なのである。ぼくは「かなしみ」というのは「何かが足りない」という感情だと思っている。「そこにあるべきものがない」とき人は悲しいと感じるのだ。じゃあ憎しみはどこから生まれるのか。先にも言ったように、世の中では「憎しみは愛から生まれる」とか、「憎しみは憎しみから生まれる」、なんて言われている。しかし、そうではない。憎しみは、「期待」から生まれるのである。そう、憎しみは「期待」の対義語である。誰かに何かを「期待」して、それが叶わなかったとき、人はそれを「裏切り」と呼び、その相手を憎むのだ。下のような図を考えることができるだろう。 愛←―---------→かなしみ 期待←―---------→憎しみじゃあ、愛と期待、かなしみと憎しみの違いは何なのか。それは己にたよるか、他人にたよるかの違いである。つまり自律的か他律的か、ということもできるだろう。もちろん「愛とかなしみ」が自律、「期待とかなしみ」が他律である。ただ、それが好きで、愛する。それがかなわなかったとき、かなしい。それが健全な魂である。しかし他に対する期待が大きくなるとどうなるか。何かしてほしい。何かやってくれるはずだ。私はこれをやったから、相手もこれをやるべきだ。自らを棚にあげ、相手や他人にばかり要求する。そしてその自分勝手な論理がやぶられたとき、「裏切りだ」と叫んでは、相手を憎むのである。その不条理な憎しみに苦しんでいる人もいる。期待に応えようという一心で、自分自身を犠牲にしたりもする。だが、そのような我慢はまた期待を呼ぶのである。自分が犠牲になっているだから、あなたは〇〇ぐらいするべきだ、という期待である。だが相手は自分勝手な人間だから、その期待はとうぜん叶えられない。そこで憎しみが生まれるのである。他に対する期待は、基本的に憎しみしか生まない。それゆえ、他人に期待し、そして他人を憎んでばかりの人がいるのである。それは自分の欲望をかくす卑怯な行為でもある。他律的な軸の中に自分を置くことは、自分の欲望を表さないだけ傷付くことはないが、自分の欲求は永遠に満たされないため、ずっと誰かを憎しみ続けるのだ。たしかに誰かの期待をやぶることに、多少の痛みを感ずるのが普通であろう。しかし、その痛みを恐れてばかりでは、けっして本当の幸福は訪れないのだ。他人の期待をやぶることは、ある意味で、人間の持って生まれた罪である。人は他人の期待をやぶり続けて生きるのだ。しかし、それは悪とは違う。男子を欲した家系に女子が生まれた。その赤子は悪であろうか。そうではない。というよりは善悪を持ち込む問題ではない。それは「仕方のないこと」であり、かっこよくいえば「定め」である。天寿をまっとうし、誰かを悲しませる。かなしみの涙がそこにある。それは悪だろうか。「生き続けて欲しい」という期待をやぶることは悪なのだろうか。そうではない。それは天命である。「仕方のないこと」ではないか。「仕方のないこと」であっても、それをかなしむのは当然で健全な魂である。愛を失ったとき、かなしいのが当たり前なのだ。しかし、相手を憎むのは「ゆがみ」である。かなしみを真っ正面から受け止められないとき、そのベクトルは「期待と憎しみ」にずれていくのだ。かなしみを正面から見据えたとき、それは人の糧となり、また彼は成長する。かなしみと向き合うことができる人は、人を愛することができる人だ。かなしみから逃げる人は、人を憎むことと人に期待することしかできない人だ。人を憎むとき、人はなんらかの責任を多少なりとも放棄しててる。自分で追うべき責任から逃れるとき、そこに憎しみが生まれるのである。愛・期待・かなしみ・憎しみ・・・。この人の憂いをいかに知るか。鈍感では、やさしくなれない。
2006年08月30日
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自由・・・。僕らは思っているよりもっともっと自由な気がする。自分を縛るもの。法律・規則・会社家族・友人・恋人過去にした約束未来への展望・・・嘘だ!!自分を縛るのはただひとつ。自分しかいない。なぜ僕は自分を縛るのか。なぜ・・・なぜだ・・・!!恐怖。自分を守りたい心。自分を守るつもりが、自分を縛っている。もっと、自由へ・・・!!
2006年08月29日
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ちくしょー。やらなきゃいけないことが多すぎて、やりたいことができやしない。なんてこった。今日この夜にこんな気分だなんて。ブルーだ。ふがいないぜ。
2006年08月26日
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ツインタワー138はクリスマス仕様になるとキレイだよ、とマイミクのH2Oさんが教えてくれました。なのでクリスマスっぽい画像を載せてみます。ほいっとな。
2006年08月25日
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最近、ふう~っとため息をつくと、手と足の先に血というか気というか、なんかそんなような温かいものが充満します。むかし、合気道の師範が「呼吸法(鍛錬法)をやると、手足の先が熱くなるんだよ」とおっしゃっていましたが、それと何か関係のあるものかもしれません。それをカッコよく「気血(きけつ)」と名づけてみました。足がしびれたときの感覚に少し似ています。で、その温かい流れの感じはやはりお腹にもってくると落ち着く感じです。なんか怖いので、頭に持っていったことはありません。文字通り気が狂いそうな気がするんです。という変な感覚を得ました。身体は面白いなあ。
2006年08月24日
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怒ることは過去だ。叱ることは未来だ。
2006年08月24日
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昨日はものすごく楽しいことが起きました。柔術の寝技とまでは言えませんが、まあ取っ組みあいをしていたんですが、そのときに合気上げを使っちゃいました。すごい偶然にも、相手が僕の両手を抑えに来たわけです。というのも、相手はわき腹をくすぐられないように僕の手を押さえる必要があったのですね。相手はシロウトですから、上からぎゅっと力を加えてきます。この体勢になると、自然と身体が動くんですね。気がついたら、パッと両手を返していました。そしたら相手の腰がフワッと浮いて、それに乗じてそのまま手を伸ばすと、相手はコロンと転がりました。自分で言うのもなんですが、ものの見事にかかったという感じです。そんな体験から分かったことがあります。やはり相手は手を離せないようです。必死で押さえに来てるので、知らぬ間に腰を崩されても、なんとか抑えようとがんばってしまうようです。というか崩されているのを気づかないので、「まだいける」と思うのでしょう。しかし実際は体勢を崩されているので、まったく力が入らない状態であり、リキめばリキむほど倒れていくのです。あとは「実戦」という観点ですが、やはり実戦は「柔術にはじまり柔術に終わる」という気がします。昨日だって、ふわりと相手を崩しましたが、別にそれでダメージがあったわけではない。相手はすぐに反撃してくるのです。それにいかに対処するか。そこが難しいと思います。まあ何はともあれ、よい経験ができました。
2006年08月24日
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H20さんからバトンがきました。答えますが、堪えます。●あなたの高校は男子校、女子校、共学のどれですか?男女7歳にして席を同じくせず。共学です。●あなたは文系、理系どっち?文系ですけど、何か?●高校時代のあなたはどんな人でしたか? 優等生。コドモ。オモシロイ。●高校時代の部活、クラブは何でしたか?卓球。前も書いたやろが!!●高校時代、パシリ役はいましたか?おらんかったと思う。●高校時代なんと呼ばれていましたか?ozekeyなど●高校で何か貢献しましたか? 卓球部を2年連続で市大会優勝に導きました。●高校時代、高校から何か賞はもらいましたか? もらってないねえ●高校では三大美人はいましたか? 三大じゃないけど、美人はいたよ。●高校では、はや弁をする人はいましたか? いた。●高校では廊下に立たされたことはありますか?のび太かよ!!●高校時代、恋をしましたか? もちろん。ていうか恋しかしてねえ。●高校時代、卒業式でおもしろいことをしましたか? 校歌を歌いました。●高校時代、卒業式で名前が何回もよばれましたか?質問の意味不明。●高校時代、赤点をとったことがありますか? ないね。●高校時代修学旅行はどこへ行きましたか? ヒロシマ、香川、岡山●高校に満足していましたか?「高校」という言葉を明確に定義してください。●高校の友達と今でも会っていますか? このまえ会いました。●高校時代、教頭先生と話した事ありますか?教頭が誰か知らん。●高校ではあなたは順位はどのあたりでしたか?おベンキョのお話なら「ヒトケタ」です。スポーツなら真ん中くらいです。●高校の名物は? ガッツ(当時)●最後にバトンをまわす人を5人決めてください。 俺と同じ高校の人。
2006年08月23日
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<前回までのあらすじ>無事、養老の滝にたどり着き、そこで英気を養った一行であったが、次に向かった「オアシスパーク」も長く遊べるような場処ではなかった。はたして、針路を見失った一行が次に赴いた場所とは?!というわけで、オアシスパークも一回りしたら飽きてしまいました。なので、今度は木曽三川公園に行くことにしました。ツインアーチ138が見えていたので、まあ上ってみようかという安易でいきあたりばったりな考えです。で、ブーンとクルマでいったわけですが、どうもムダに大回りしたようでした。方向音痴バンザイです。ツインアーチ138は一宮(いちのみや)にちなんで138mでつくられたタワーです。タワーに上っタワー、なんちゃって。どうも上の写真は最近テレビに出たらしいのですが、いかんせんテレビをあんまり見ないので知りません。テレビを見た人は、コメントお願いします。展望室から濃尾平野を一望しました。最近、濃尾平野を一望する機会が多い気がします。以下、100円で稼動する望遠鏡をのぞいている娘と、そのお父さんの会話です。父「なにか見えるか?」娘「川と山が見えるよ!」父「それは肉眼でも見えるね」お父さん、冷静です。麺でいったら冷麺ですね。タワーを下りたあとは、スタンプラリーを完遂したがる連れをなだめつつ、帰途につきました。すこし走って、あれ?ということになりました。木曽三川公園を出て、自宅に向かっていたはずなんです。しかし、だんだんとツインアーチ138が近づいてくるではないですか!!どうもまた今日も空間がゆがんでいるようです。魔の三角地帯に入り込んでしまったのでしょうか。・・・さすがに今日ばかりは自分の方向音痴ぶりにへこみました。そんなこんなでしたが、頼れるナビのおかげで、なんとか帰路に乗ることができました。夕飯は前から行こうと思っていたジンギスカンにしました。羊ですよ、ヒ・ツ・ジ。食べたときに、ついつい「うメぇ~」と鳴いてしまいました。というのはウソで、意外にも普通だったので、感動がほとんどありませんでした。「これが羊か・・・」「これが羊なんだね・・・、ふーん」みたいな。ちなみに「ひつじの星」というお店でした。「ヒツジが食われて星になる」ということだとかそうじゃないとか・・・。たぶん「ヒツジ喫茶」という名前のほうが売れると思います。今思いつきました。「ヤクザの人ってのは、ヒツジの肉を食べないんだってね。その心は・・・ 『仁義好かん』」・・・あんまりですかね。という感じで、総走行距離が200kmくらいになってしまいました。どうしても長距離を走るとおケツがいたくなります。ケツノポリスの曲を聴きながら走っていましたが、それよりもケツのドクターが欲しかったです。最後までつまらんことを言ってしまいました。長文読んでくださってありがとうございます。それではおやすみなさい。
2006年08月23日
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今日は、このまえ道を間違えて行きそびれた養老の滝へ行ってまいりました。11時くらいに出発し、いつもの通り迷いながらもなんとか13時半くらいに養老公園に到着。ふもとで五平餅とみたらしとフランクフルトを買って、いざ滝へGO!!滝は山を登って15分くらいのところにあります。ひーこら言いながら滝まで着くと、たくさんの人、どうでしょう25人くらいでしょうか、がいました。だいたい家族連れかカップルですね。このクソ暑いのにみんな元気なもんです。お腹の大きな妊婦さんもいました。なぜそんなにもがんばってのぼってきたのか不思議でした。滝は涼しげでした。迫力っていうか、清冽っていう感じかな。で、写真はその滝から見た風景です。もし僕が滝だったら、という設定です。ボーっと10分くらい滝を見て、さあ帰ろうかということになりました。それで、すたこら山をおりましたが、それがツライのなんのって。のぼりとくだりでは、下りのほうが疲れるんですね。ふもとに着いたときには、生まれたての仔馬のように足がプルプルしていました。売店で「運転に最適!」というキャッチフレーズでわらじが売っていたので、一足買いました。250円で買ったら、となりの店で200円で売っていました。で、まあ滝は見終わったものの、まだまだ時間があるっちゅうことで、次なる目的地へ向かうことにしました。オアシスパークは川島っていう地名のところにありますそこに来たとき、「川島なお美と黒木瞳はどっちが美人か」という話題になりました。で、そのオアシスパークはなんか漢字(日本語)では河川環境楽園とかいうらしいが、なんとも仰々しい名前だ。楽園って言われても・・・って感じ。しかし、中身は<オアシス>の名に恥じぬモイスチャーぶりで、子供たちが水遊びに興じていました。水路があって、そこにコイがいました。看板があって、「エサを与えないでください。 コイが病気になります」と書いてあったので、後半部分を「恋という名の病気になります」というふうに書き換えておきました。で、そこもさっそく見終わってしまって、さて次はどこにいこうか、ということになりました。果てして、養老ドライブの行方やいかに?!次回を待て!!ちょっと煽りすぎましたが、まあ「続く」ということで。
2006年08月23日
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男やもめに宇治金時。あーおいし。
2006年08月22日
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最近はなかなか仕事が楽しいっす。自分で計画を立ててそれをこなしていくのがこんなに面白いことだとは思わなかった。もちろん計画はかならず崩れるんだけど、それを修復していくのもまた面白いんだね。だいぶ、作業場を整理整頓とかしたので、次はそろそろ売り場に目を向けたいものです。内面が充実すれば外にあふれ出すのは自然の摂理だね。「エキサイティングな売場」って言葉が好きです。叱られるくらい楽しいことやってみよっと。アイデアはいくらでもある。今日は面白いことを思いつきました。それは「俺の人生なんて屁みたいなもの」「俺の人生と虫けらのそれと何が違う?」ってこと。自分が地球の細胞であるということ。俺じたいは、幾千億のいのちの営みのなかの一瞬であるということ。俺がどんなに良いことをしようと、どんなに悪いことをしようと、大したことではないということ。そう思うことで、はじめて思いっきり生ききれる。
2006年08月21日
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まったく興味がないが、テレビがついていたので一瞥してみたら、女子バレーの選手ってのは肌がキレイなんだねえ。感心しました。あとなんですか、彼女は、平井理央っていうアナ?いいねえ、なんか気になります。
2006年08月20日
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〇〇ビジネス、というのがありますね。まあなんでもかんでも商売にしてしまうわけです。どうも僕はこの考えは好きになれない。それが好きな人にやめろとまでは言わないが、個人的には、金儲けにあまり興味がないので、なんでもかんでもビジネスにするというのはどうなんだろうか、と思っている。(お金は嫌いじゃないですが・・・。)とはいえ、やはり社会人として生きている以上、ビジネスに関わっていかねばならない。稼ぐということはもうほとんど義務に近いのです。けれど「ビジネス派直系」の考えはどうも僕にそぐわない。ならば新しい観念を作ってしまおうというわけです。ここ数年、僕の頭は禅にかたよっています。まあ明らかに合気道の影響ですが、禅的な考え方は、なんだかしっくりきます。じゃあ、ビジネスと禅をくっつけようとなるわけです。それで、そのくっつけかたが問題になります。「禅ビジネス」とするとダメなんです。禅、禅寺、坐禅、などをビジネスとして利用することになります。そうではない。「ビジネス禅」なんです。これは上記の考え方とは全く違う。ビジネス、まあ仕事をするときに、禅の考え方を取り入れていこうということです。むしろ仕事をしながら、いや仕事を通して悟りを得ようということです。つまり仕事を「かせぐ手段」としてでなく、「修行」と捉えるわけです。禅をもって仕事の方向性を決めてみるのです。そんなのを考え付きました。みなさんは仕事を何ととらえていますか?
2006年08月19日
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結局ひとりでは何にもできぬではないか。上司の庇護のもとに、俺はあわてふためいているだけか?なんて自分は無力なんだ。もちろん実力ってこともある。しかし立場ってのもある。悔しい。なんとかしてやりたい。
2006年08月17日
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Bパフォーマンスという考え方。験<しらべ>という考え方。真理を明言する人よりも、体現する人のほうが偉い。技や表層はたしかに枝葉末節だが、しかし技や表層こそが、この世界とつながる唯一の手段なのである。
2006年08月17日
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最近、お店の整理整頓にハマっています。上司が変わったせいで、僕の意識もぜんぜん変わってしまいました。というか上司がどんどん改革を進めているので、負けてたまるかと思ってがんばっているわけです。ボーっとしているわけにはいかない。要らないモノを捨てる瞬間の快感がたまりません。たまに必要なものまで捨てて、あとから困ります・・・orz仕事のやり方も少し変えました。「たまっている仕事の視覚化」と「期限の設定」で、かなりよくなったと思います、自分的には。ダンドリができてくると不思議と余裕ができます。今日、ひさしぶりにバイトの子と笑いあった気がします。あとは仕事を展開しすぎるクセを治したいです。早め早めに仕事を納めにかかるとよい感じです。ただ、こうよくなってきたのも人手に少し余裕ができたせいなんだね。「衣食足りて礼節を知る」と申しますが、コジン的には、「人手足りて整頓を知る」と言ったところです。
2006年08月15日
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そうしてだんだんと器用になっていく自分をそれでいいのかって、なんか思ってる自分がいる。
2006年08月15日
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最近は仕事が人生なんだか、プライベートが人生なんだか分かりません。仕事の日は仕事みっちりだし、休みの日は、遊びみっちり。意識がぽーんと入れ替わります。うーむ。
2006年08月14日
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今日は休日だったので、ドライブにGO!!以前から計画していた「オアシスパーク」へ行くことになりました。なんか岐阜のほうの、高速道路から直接いけるテーマパーク的な?ところらしい。そのあと養老の滝も見てこようなんて言ったりして、意気揚々と出発です。で、さっそくインターまで走り、教習所以来の高速道路でしたが、難なくチケットをとり合流も成功。順調な滑り出しです。小一時間走りました。それで、さあ着いたぞ!と思って降りてみたら、そこは不思議と豊田市でした。道を間違えた覚えはないので、どうやら空間がゆがんでいたようです。(ワープしたらしい)これは1本とられました。しかたがないので、トヨタの子会社のあいだをすり抜けるようにドライブを続けました。遊ぶ場所をさがしましたが、見つかりません。けっきょく、名古屋に戻ることにしました。名古屋に戻るといってもアテもない旅です。ふらふら走っているうちに、東山公園に着きました。ゾウがいました。(アジアゾウ)こいつは20年位前に僕に水をかけたやつだと思います。あのときはたまりませんでした。他にも色んな動物を見ました。トラが生肉を食ってました。とにかく動物です。いのち!生命の躍動!!人間より大きい動物には無条件でなんか恐怖を感じます。動物園にはそのスリルがある。なぜ生きるのか?なんてことを考えました。人間は愚かなのか、賢いのか。いや、人間は人間なのでしょう。善も悪もない。ペンギンが可愛かったです。全体的にものすごく熱かったです。自分で出した汗にあやうく溺れるところでした。スカイタワーにのぼりました。名古屋近郊が一望できます。街。そこに住む人。数え切れぬほどの人。小さくて大きい、そのドラマ。エレベーターガールがいました。エレベーターガールという職業。明らかに守りに入っている動物園。向上心がないのか?無為に生きる人生はアリか?それをナシとするなら、ゾウガメの人生は無価値か?いや、そもそも向上心とは何か?攻撃的経営で、売り上げを伸ばし、他社を乗っ取り、規模を大きくする。そこに何か意味が?ほんとうに向上心は必要か?金など、それなりにあればよいのでは?大きくなることは素晴らしいことか?向上心とは、人間が自分のエゴを正当化するために作った言葉ではないのだろうか。逆にその理論は、面倒な努力を避けるための逃げではないのか?商売ってなんだろう。商売の本質ってなんだろう。会社人として、考えてみる。さて、スカイタワーを終えたら、なんかお腹が空いたわー。ということで、今日はトラに倣って焼肉にしました。久しぶりに焼肉食べました。生きることは、何かを活かすことであり、何かを殺すことでもある。僕は何を活かし、何を殺しているだろうか。僕は善でも悪でもない。ただ、それが、ここに、ある。ということ。事実はいつも物語としてしか存在しない。今日は考えることがたくさんのドライブでした。
2006年08月10日
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今日はホンブにいってきました。研修があったのです。同期に久しぶりに会いました。やはり同期はよいものです。気の合わぬのもいますが、まあそれもよしとして、なんにせよ同じレベルの人と話せるのはよかったです。飲み会やりました。ひさしぶりにちょっとビール飲みました。お茶でよかったけど、「空気」があるので、「とりあえず生」。ちょっとはオトナになったかも、です。「オトナってのは、気が利くってことさ」オヤジのセリフが頭をよぎりました。
2006年08月09日
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「がんばらなくていい」んじゃない。がんばってはいけないのだ。がんばると「速く」なる。しかし速さには限界がある。力もない。余裕もない。知恵もない。ガンバリはつねに自己満足である。だから孤立する。大切なのは「早い」ということだ。間に合っているということ。英語でいえば「ready」の状態。もっと頭を使うんだ、俺。「知」とは何か。それは「早さ」である。
2006年08月07日
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もう死ぬほど仕事がたまったとして、それで本当に死ぬということはないのだから、あわててはいけない。あせってもしょうがない。今日やれることは今日やる。今日できないことは明日やる。その繰り返しなのだ。そうしかないだろう。順番に片付ければいいさ。
2006年08月07日
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恒例の合気研究会が終了しました。今回で2年目の夏の陣です。いつのまにか回を重ねています。今日は「つなげる」というのが収穫でした。「つなげる」は「姿勢」と「脱力」から生まれます。姿勢だけでも、脱力だけでもいけない。両方がそろって、はじめて相手と「つながる」ようです。つながった瞬間、相手は崩れます。「なにそれ、どゆこと?」と思った方はこちらの無料動画をご覧ください↓(18歳以上のみ)http://www.geocities.jp/ozekey/douga/douga.htmlおもろいなーと思った方はこちらのメルマガもテキストとしてご活用ください↓http://www.mag2.com/m/0000199960.htmlああ、宣伝ばっかりだ・・・。何がしたいんだ、俺。
2006年08月06日
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もっとダンドリをつけてシゴトせにゃいかん。自分のあまりの管理能力のなさにうんざりする。う~、頭パンクするぅ。まあ、やるっきゃない。
2006年08月05日
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もっと自立せにゃいかんな。まだ2年目と思ってたけど、もう2年目なんだ。もっとしっかりせにゃいかん。上を頼っとっちゃいかん。責任感が足りんよ。指示待ってる場合じゃないぜ。誰も管理してくれないよ?自分でやらないでどうするの。ちゃんと段取りつけてさ。それくらいできるだろう?意識変えてかなきゃ。「オマエは監督じゃない。だけど主力選手なんだ」その意味。監督は走り回ったりしません。選手が走らないでどうする。目線は監督でもよいが、とうぜん監督と選手の仕事はぜんぜん違うんだよ。当たり前だろう?しっかりしろ。
2006年08月04日
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その人がいないところで憎しみは増幅するのだ。だから面と向かえないときは、特に文章では―たとえば手紙やメールなどだが―思っている以上の気を遣わねばならない。ムダに憎まれることは極力避けたいものだ。そもそも自分らしく生きようとすれば、どうしても誰かと衝突する。それは避けられぬことだ。むしろ衝突のないほうがつまらないだろう。だが、対立しなくてもよい人と対立するのはバカらしいことだ。そんなことに大切なエネルギーを使いたくない。そのために「嫌われない技術」が必要になってくる。それは「気を遣う」ことだ。その場に自分が立ち会うことができないとき、本当に最新の注意を払うべきだ。そうでなければ、どうしても悪いほうへ悪いほうへ解釈されてしまう。自分もそう。残されたメモや仕事で、悪いほうへ悪いほうへ解釈してしまいがちだ。努力して良いほうに解釈してみるが、ほっとおくと「もうちょっと頑張れよ」なんて思ってしまう。浅ましい。とにかく、仕事仲間はトモダチじゃないんだから、友達関係とは違う信頼関係を気づかねばならない。「やってくれるだろう」「わかってくれるだろう」というのは怠慢だ。「だろう」は「駄労」である。もちろん造語だよ。当たり前だが、他人は他人なのだ。もっともっと気を遣わねばならない。それが気を練磨することになるのかもね。
2006年08月04日
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大転子の外側がやわらかいほど、つまり力が抜けているほど、踵の踏みつけが強くなる気がする。やはり「浮き足だつ」のは良くないらしく、たとえば胴体を右にひねったときに、左足がフワフワするようでは、まだまだ体が分化していないと見るべきだろう。
2006年08月04日
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皮肉なことに、無理から真理が生まれる。
2006年08月03日
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メルクマールというのは、指標という意味らしい。(ドイツ語が元らしい)カッコイイので使ってみる。「幸せという名のメルクマール」つまり、幸せが指標となるということです。何の指標かといえば、「正しさ」「自然」「天地」にいかに近いかということです。前にも少し述べましたが、議論している二人のどちらが正しいか、というのはその論理よりも、「どちらが幸せか」ということを較べたほうがよいのです。幸せなほうが勝っている。幸福は正義であります。幸せは「主観的なもの」だから較べることができないという論もありそうですが、そんなことはありません。また新たな指標を導入すればよいことです。それが「他人の幸せ」であります。「その幸せはどのくらい他人を幸せにしているか」ということが幸せの「大きさ」をはかる基準です。たとえば、何かしら僕にとって幸せなことがあったとして、それが誰にとっても嬉しくないことであれば、それは「よわい幸せ」であります。僕が幸せになることによって、また誰かが幸せになるとすれば、それは「つよい幸せ」になります。逆に誰かが幸せになったとしても、自分が幸せになれなければ、それは「弱い幸せ」であります。自分が犠牲になればよいという考えはよくない。自他共に、幸せでなければならない。自分と相手。(一個人)自分とコミュニティ。(複数人)自分と世界。(地球)自分と宇宙。要はその「つりあい」です。「半」が良いのです。皆が「幸せという字の割り印」を持っているのです。「幸」という字をタテ半分にした割り印を。それを隣の誰かと、地球の裏側の誰かと、ピタッとあわせたとき、そこに「幸せ」が生まれるのであります。だから言ってしまえば、人間は一人ではかならず幸せになれない。そうなのだと思います。
2006年08月03日
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お客様はカミサマです。上司はカミサマです。部下はカミサマです。そして、自分自身もカミサマです。家族はタカラモノです。友達はタカラモノです。恋人はタカラモノです。そして、自分自身もタカラモノです。みんな、大切だよね。
2006年08月01日
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「モウシワケゴザイマセン」このセリフを最近何度言っただろう。「スミマセン」「モウシワケアリマセン」なんてバリエーションもあったりして、まるでそれが口癖のように。 なんで俺は謝っているのだろう。 それは誤っているからだ。失敗したからだ。誤ったから、謝った。それだけのことだ。 謝ることは恥ずかしいことじゃないよ。誤ることこそが人間だよ。 そんなふうに自分に言い聞かせてみる。 「モウシワケゴザイマセン」 くちびる噛んで頭を下げる中で何を学ぶのか。煮えくりかえるはらわたを、どう制御するのか。捨てるべきプライド。 最近は、なんだかミス続きだ。 人によれば俺はシゴト中に怖い顔をしているらしい。 人手不足。 忙しい。 って、それも言い訳なのかなあ。謝ってばかりの自分が、なんだかカッコワルイ気がしてんだ。誰かの目が気になってんだ。「自分こそ正しい」っていうマンガのヒーローがうらやましかったるする。間違ったっていいよ。謝ればいいよ。誰が正しいなんて議論したって、それでたとい勝利したって むなしい。 人との勝敗は相対的だ。けっきょく敵は自分なんだ。プライド捨てて謝っちまえよ。責任背負って、歩いてきなよ。もう覚悟してさ。「モウシワケゴザイマセン」言っときゃいいだけのバアイもある。頭下げりゃ済むハナシだろう?くだらないプライド、早く捨てちまえよ。俺(オマエ)なんざ、ミスばかりしてんだよ!!それを認めればいいだけさ。ただ、ひとつだけ捨てちゃいけないものがある。 それは 人間としての誇り。自分のために謝るのだ。 他人の顔色を見て謝るな。 相手が怖いからと謝るな。 自分の立場を守るために謝るな。自分にだけはウソをつくな。卑怯な気持ちを、「礼儀」のなかに隠すな。自分をだましたとき後味が悪いって、本当は知っているんだろう?謝ることは負けじゃないよ。勝ちでもないけど、負けでもない。それは、たんなる事実。ひとひらの真実。そこに面と向かうことができるか?仕事って、奥が深いんだなあ。
2006年08月01日
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