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中心に無があって、世界とのつながり、つまり表現形式をこころざしと呼び、(僕の場合はそれが合気道であって)それを越えて空(くう)に向かう。そんな図式を思いついた。禅とはちょっと言葉の定義が違うかも。もうちょっと勉強しないとな。
2006年03月30日
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世にはコスプレイヤーと呼ばれる人がいるでしょう。それで「一般の人」たちは、そういったアニメの格好とかをしている人をコスプレイヤーと呼んでいるけれど、言ってみれば僕らも一種のコスプレを毎日しているのではないか。なぜ僕はスーツで会社(お店)にいくのか。なぜ僕は合気道をするとき、道着に着替えるのか。なぜ彼は、運転手の制服を着ているのか。なぜ彼女はナース服を着ているのか。なぜ成人式は振袖なのか。なぜ体育教師はジャージなのか。「決まりがあるから」「みんな着るから」といってしまえばお終いである。だが、僕が言いたいのはそういうことではない。コスプレの要素はこの世に溢れている、ということだ。みんな、その服を着て楽しんでいる。そんな服装をしている自分に惚れている。まるで違う自分を発見したみたいに思っている。それは悪いことではない。だが、それに気がついていないと大きな「勘違い」をすることになる。そこんとこを冷静に見ていくと、まさに胡蝶の夢、どっちがコスプレイヤーなのか分からなくなってくる。自分はいま、なぜこの服を着ているのか、そんなことをたまには考えてみても面白いと思う。
2006年03月30日
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一般に、「鈍感=強い」みたいなイメージがあると思う。けれど、僕はそういったデンジャラスな思想はやめて、「強いとは敏感である」といった発想でものごとをとらえていきたい。鈍感とは、動かないことである。何があっても、動かぬ。不動。がっちりとした固定。鈍感とは気づかないことだ。勇気の種類でいったら、蛮勇というやつ。暴虎馮河とでもいうのか。(はい、知識ひけらかした!)だが僕のおもう強さとは繊細である。小さく気づくことである。止まらぬことである。微妙、絶妙。微調整。揺らぎ。こと、微調整というのが分かりやすいかもしれない。つねに小さく調整すれば大きく崩れない。本当に強いとは、ものすごく繊細。繊細なのに強い、ではない。繊細だから、強い。
2006年03月30日
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「膝落」というのをよく聞きます。「ひざおとし」と読むのか「しつらく」と読むのか知りませんが、まあ膝を抜くという技らしい。で、最近になって思ったのが、膝落は本来は膝だけでなく、身体ぜんたいが落ちないと意味がないのではないか、ということ。というのも膝抜きをやってみればわかるが、誰にでもできる。簡単すぎる。でも(いや、だからこそ)技は効かない。たとえば下に落とすような技でも、肩か腰か腹がぶつかってしまう。相手は自分のリキミを察知してそこを頼り(支え)にガマンできる。だから、身体ぜんたいが落ちなければいけないのではないか。実際、ふにゃりとやったとき小手返しなどが意外なほど決まるときがある。もう「落とす」という意識もいけない。「落ちる」ぐらいでイメージしないとぶつかる。これはまた、「間」の問題になってくる。膝を抜く、つまり膝に「間」を作る。そうすると、今度は腰に「間」ができる。そして次は胸、となる。膝はきっかけだ。あとは受動的に引き起こされる。それで、この身体ぜんたいが落ちるというのを使うと、ぐにゃりとなる。身体がダランと見える。今、公開している僕の動画はかなりダラランとしているが、あれは未熟な証拠だ。本来は、あれをもっとカチッとして、あくまで「脱力なんてとんでもないっすよ」みたいな顔でやるべきものと思う。「膝だけを抜いているように騙す」と言ってもいい。最近の技は、そんなところです。
2006年03月30日
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武道の笑い話とされているもので、演舞のときに、「受け」(やられ役)の人が「取り」(技を掛ける人)に攻撃をあててしまって、怒った取りの人が「お前は修行が足らん! ちゃんと修行してワシの気が見えれば打ち込めぬはずじゃ」と言った、というのがある。で、むかしはこれを本当に笑い話だと思って、こうならぬようにと思っていたのだが、この話、なかなか笑えぬな、と思えてきた。というのも最近の考えでは、やはり武術は武器術から生まれたように思うのだ。古人の生死を懸けたやり取り。いのちを懸けた勝負だからお互い真剣になり、精妙な身体操作が生まれた。たとえばそれが今に残っているとしても、それは「格闘技」のリングでは使えないものな気がする。もちろん武術の身体操作を「応用」することはできると思うけれど、たとい武術の達人といえど、リング上では格闘技の達人にはかなわないと思う。やはり武術の特徴は武器にあるのではないか。それで武器を使った稽古をしない僕らは、やはりある程度「分かる」者どうしでやるのがよいのではないか。やらせっぽくても。ある武術がすごく上手い人が「今日は奥さんに技をかけたら簡単にあしらわれ、『アンタの技なんか私には効きやしないのよ』と言われた最悪の夜でした」というようなことを書いていたのもうなずける。そんなようなことをクエストさんのカタログDVDを見て思った。追伸:三船十段、塩田先生にそっくりだ。
2006年03月29日
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不勉強だと、どんなに素晴らしいものに出会ってもそれに気づくことはできないのだ。
2006年03月29日
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早いというのは、準備ができていることだ。旅行の支度が前日に完了しているのが「早い」旅行の支度を当日の朝、15分でやるのが「速い」とうぜん、合気道の技で必要なのは「早い」のほう。つまり間が早い。以前、僕が開発した一教ゲーム。これはお互い正座して向かい合い、パッと手を出してあわせる。それで、お互いに一教をかけあうというもの。これはリキんだほうが負ける。間の早いほうが勝つ。自分で言うのもあれだが、なかなか奥の深いゲームで、力が抜けているほうが勝つ。それもダラダラの腑抜けでは負けてしまうので、いい感じの脱力が身につく(と思う)。勝ったときは、まさに相手が自分の力で倒れていく感じ。負けるときは自分の力で倒れていく。「ヤバ!」と思えば思うほど技に掛かってしまうのだ。正座で下半身が固定されているからね。で、この場合は手の甲と甲をあわせるカタチになるが、これを手の平どうしでやると腕相撲になる。今日は初段取得後1年の人とやったが、相手が両手でも勝てた、それも完全に負けの体勢から。これは嬉しい(平静を装ったけど)。うん、やっぱり身体の「準備」が大事だね。触れる前のね。もちろん上手くなれば、触れてからでもできるんだろうけど。この準備は身体がやわらかいと相手にバレない。準備してないように見せかけて、万全の体勢で待ち構えている。そんな合気道をしたいなあ。
2006年03月28日
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ちょっと皆さん、内観してみてください。自分の身体を丁寧に観察してみてください。おそれると、腰が固くなります。「その対象に触れたくない」と思ったとき、腰が固くなっています。なんか硬くてとんがったものがそばにあるときの動きとか、腕まくりをしないで、手を洗うときとか、嫌いなものに近づくときとか、なべて腰が固くなっています。逆に言えば、腰をやわらかくして接すれば、その対象に愛を持てるわけです。もちろん対象が人間でも同じです。そういえば「物腰がやわらかい」なんて言いますね。言葉を作った人は、自分の身体を観察する達人です。
2006年03月28日
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人間が感じるもっともつらい感情のなかに、「無能感」というのがある。「自分は役に立たない」「ここにいても必要とされない」「存在する意味がない」このように思うとき、人はとても苦しむ。だから人は「活躍感」を求めるのである。「自分はここにいる」「ここにいてもよい」「認められている」そう思うとき、人はより輝いてくるのだ。人間の目は前についていて、基本的に自分というのを見ることができない。見ることができるのは、他人と世界<環境>である。だから人は「自分はこの世界に居るのか?ほんとうはこの世界を見ているだけで自分というものは存在しないのではないか?」という言葉以前の根源的な不安を抱えている。人は皆、自分という存在をつねに確認したがっているのだ。自分をみる道具は<鏡>である。それが他人であり世界<環境>である。すこし前置きが長くなったが、人というのはもともと「活躍したい生き物だ」ということである。それで俺が最近よく言ってしまうor言いそうになる一言がある。それが「誰?」だ。これは「活躍したがっている言葉」だと自分では思っている。「誰?」(誰ぇ?という感じで発音される)これは他人のシゴトのミスを見つけたときに発せられる言葉だ。「ボクはやってない。しかし誰だこんなことをするのは」これが「誰?」に含まれた「意味」である。ここでは「ボクはやってない」がポイントで、この「ミスを見つけた感」が重要なのだ。何かを指摘するということは、自分に有能感・活躍感を与える。俺は、学校の先生の板書の間違いを指摘するのが得意だったから、その快感を知っている。ひとつに、「先生」という自分より上の立場の人のミスを指摘した自分に惚れる。ふたつめに、その自分をみんなが見ている。おもにこの二つが快感なのである。「俺はすごい」と勘違いできるのである。コドモだから「活躍したがり病」がスナオに出てしまうのだ。だがなかなかこの病は完治にいたらず、この年になってしまった。それで「誰ぇ?」と言ってしまうのだ。ミスなどなくなるはずがない。誰がミスしたかなど基本的には問題ない。犯人探しをして責任追及して、ミスを指摘して自分がそのフォローをしたということを伝えたい。その気持ちは十分に分かる。というかほっておけば俺はそういう気持ちになる。だが俺の理想は違う。大切なのは、そのミスと向かい合うこと。つまり寡黙にそれを修復すること。黙って汚れものを食べること。ミスをフォローしてやり、何も言わぬこと。それでもフォローしきれぬのなら、構造的な改変を行うこと。これが本当の活躍だ。犯人を見つけて、「お前のせいで俺がこんなめに!!」というのはキモチいいかもしれないが、所詮、小人のやることだ。人のミスを指摘して「活躍感」を得るのは活躍ではない。大いに気をつけるべし。最後に自分への戒めとして、立ち読みしてドキッとした言葉を書いておこう。「賢人は学びたがるが、愚人は教えたがる」
2006年03月27日
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どうして僕たちは、そこにないものばかりを見つけてしまうのだろう。どうしてそこにあるものに、感謝しないのだろう。不思議だ。これは誰かを批判しているのではない。自分を不思議がっているんだ。なんで僕らは「やってない仕事」だけを見てしまうのか。なんで自分に足りないものばかり求めてしまうのか。そこに100の仕事があって、がんばりにがんばって95の仕事をこなしても、「残り5」に目がいってしまう。自分が小さければ小さいほどその「残り5」が大きく見える。たとえば、つねに3の仕事しかやっていない人が5の仕事が残っていると、慌てふためいてしまう。じっさいの全体の仕事は100ある。そのうち95はこなされている。けれど、自分としては3しか見えないので、残っている5がものすごい大変なことに見える。それで大騒ぎする。95を片付けて5を残した人が、何も仕事をしていないように見えてしまうのだ。そのとき全体が見えていれば決して大騒ぎすることはないだろう。難しいけれど、「相手が何をしてくれなかったか」ではなく「相手が何をしてくれたのか」を考えることが大切だと思う。「やってくれたこと」=「当たり前」「やってくれないこと」=「相手の怠慢」それでは不幸な顔になるのは当然だ。僕は自分の子供時代を思い出す。毎日ごはんを作ってくれる母に感謝もしないで、すこしご飯の時間が遅れると「見たいテレビが見れない」と騒ぎ出す。毎日働いてお金を稼いでくれる父に感謝もせず、すこし父が勝手すると怒り出す。こういうのは子供だったら許されるのだ。でも、僕はもう大人だ。今、ここにあるものに感謝し、ないものを寡黙に求める。僕はそんなふうになりたいと思っている。
2006年03月27日
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この表題は、友人のブログにコメントしたときに思いついたものだ。われながら、なかなか面白いことと思う。まあ色々な例があるけれど、この前自分が体験したのをひとつ。その日はかなりヘコんでいた。ちょっと、嫌なことが重なって、「なんでこんなことに?俺の生き方が間違っていたのか?」なんて考えていて、すごく暗い気分だった。がんばっても仕事中にそれが出そうだったので、あらかじめバイトの子に「今日は嫌なことが続いたから暗いけど、気にしないでね」と伝えておいた。するとその瞬間だ。不思議と気分が明るくなり、「なんだ、大したことないや」と思えてきた。これが言葉の力かと自分で感心してしまった。このような例は枚挙に暇がない。「酔っ払っちまった」というやつは酔ってなくて、「酔ってねえよ!」というやつは、酔っている。「俺はさみしいんだ」と言ったとき、孤独ではなくなっている。「好きだ」とはじめて相手に伝えたとき、いいようもない充実感とともに、何かが終わったのを感じるだろう。誤りは謝りによって終結する。どうしようもないミスは謝るしかない。逆に言えば、ほんとうに謝れば誤りは誤りでなくなる。つまり赦される。言葉は、つかみきれない現象をはっきりさせる役割を持っている。言葉は非常に便利で非常に危険な道具である。言葉はあいまいでモヤモヤしたものをかっちり切り取ってしまう。それはそもモヤモヤをとても分かりやすくするが、同時にそのモヤモヤの可能性をも殺してしまうのだ。だから言葉はよほど慎重に選ばねばならない。それも頭ではなく、身体から湧き出る言葉でなければならない。言葉を信じ切ってはいけない。言葉はつねにウソなのである。しかし言葉を信じねばならない。言葉を信じるから、心が伝わるのだ。想像せよ。そして想像させよ。多方面から言葉を照射し、その対象の立体像を浮かび上がらせるのだ。言葉は言葉になったとき、その役割を終える。
2006年03月25日
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昨日の話しの続きです。この世界をスイカに喩えましょう。何かを継続的に努力して自分を鍛えていくことを「自分を高める」と言います。「高みをめざす」というような言い方もします。このように一般に、「努力する」ということは「上にのぼっていく」ように思われているようです。ある意味では、それは正しいと言えるでしょう。努力した人はしてない人に対して「上」になることが多いですし、ピラミッドのようなものを想像するのも無理はありません。しかし僕が考えているのはやはりスイカなのです。努力を続けるということは、上っていくことではなく、ふかく潜っていくことだと思うのです。皮(オモテ)から入って中身(ウラ)へ。どんどんどんどん中心へ向かっていくのです。それであるとき、スイカを切って、四角錐みたいな、あのトンガリのカタチにしてやると、あら不思議、中心という深みを目指していた人が、いつのまにか頂点になっているというわけです。頂点というのは、あのスイカのいちばん甘い部分です。努力した人があの甘い部分を独り占めするのです。皮の部分で群れて遊んでいた人は、最後まであの赤いような白いようなカブトムシにやる部分を食べ続けねばなりません。僕はこう考えているので、ウラの世界へ突撃することがとても重要と思っています。ちなみにオモテの世界というのは、換言すれば「分野」ということができると思います。だから僕は「分野」という言葉のかわりに、「表現」という言葉を使ったりするのです。
2006年03月25日
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一般に、オモテとウラというと、コインの裏表のようなものを想像してしまいがちだ。しかし本来的にはウラとオモテというのは、内側と外側の関係にある。ウラというのは「うち」とほぼ同じ意味である。中心、真ん中と同じような意味。だから地球のウラといえば、地球の中心のことである。服のオモテとウラで考えればわかりやすいね。ここでちょっと飛躍しますが(あくまで日記なので面倒な論理は割愛)、つまりウラというのはつねに共通しているのだ。たとえば、オモテの世界では僕は日本人である。マイケルはアメリカ人で、陳さんは中国人、ドルゴルスレンはモンゴル人である。しかしウラの世界ではみな人間である。つまりウラというのは、共通点のことなのだ。それに対して、オモテは相違点であると言える。そこに二つ以上のモノやコトがあればそこには、絶対に共通点と相違点がある。これは口に出せば当たり前だが、なかなか実感されないことである。だからこそ、「俺が正しい」「私が正しい」といった争いが絶えないのだ。逆に言えば、自分があり相手があるとき、何が一緒で、何が違うのか、それをお互いにゆっくり考えてみれば、生産的な関係が気づけると思う。だがこれは、言うは易しとうやつで、どちらか片一方の思考が停止していると突如不可能となる。お互いの頭がやわらかく、「何がオモテで何がウラなのか」それをきちんと考えることができれば、たとえ思想にズレや対立があっても新たに何かを生み出すことができるだろう。オモテとウラはどっちが大事と言うことはできない。ちなみにウラは不動であり、オモテは差異こそすべてである。この話は面倒なので、また今度にします。
2006年03月24日
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いちばん苦しいのは、相手に嫌われることではなく、相手とのあいだに気持ちの「温度差」があることなのだ。
2006年03月24日
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先日の合唱の演奏会について追加を少し。その日の指揮者の先生はかなり有名な先生らしかった。偉大なるカリスマ性でその合唱部を全国に導いたり、輝かしい実績の持ち主とのこと。略歴を見ても、××年○○賞、みたいなのがズラリ。よほど才能と情熱のある人なのだろう。で、やっぱりその日もヒーローになるわけだね。もちろん主役は歌っている人たちなのかもしれないけど、やはり指揮者がいちばん目立つのです。3度のアンコールで出たり入ったり大変そうだったし。そのときもあかるい笑顔とユーモアで会場を沸かせた。でもそのとき俺が感じたのは「かなしみ」。才能あふれるが故の、トップ、リーダー、率先者であるが故の、孤独。あの先生も苦しんだのだろう。あれだけの笑顔が出るには、どれだけの辛いおもいをしたろう。いかほどの孤独に悩まされただろう。俺はそんなことを思った。あかるさには、つねにかなしみがひそんでいる!!だから俺は、心から明るいような人を見ると、すごく尊敬してしまうのだ。孤独・・・。この宿命をどう受け入れるか。それが問題だ。
2006年03月24日
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地面をしっかり踏むということが、逆説的に、地面に力を逃がすと言うことなのかもしれない。俺はどうも左足の踏みが弱いようだ。要研究。ちなみに言えば今日発見したことだが、足の甲というのは体重をかけたときにかなり変形する。この変形具合も要研究。
2006年03月24日
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「もう春か。またうちの部署にも新人が配属されるな。 たまにはマトモなやつが来んかのう。 なぜか知らんが、うちにはロクなやつが入らんからな。」「・・・さっきから聞いていたがもう我慢ならねえ! ダメな新人が入ってきてるんじゃねえ! アンタがダメにしてるんだ!!なんでそれに気づかない?!」鮫島はそういうと、真っ赤な顔をして外へ飛び出していった。 (「俺の拳でランデブー」より抜粋)
2006年03月23日
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たとえばそのグループに入るのに、愚痴に追従してヘラヘラすることが要求されるのならば、僕は喜んでその集団に嫌われよう。そして自分じしんに対して、他人に愚痴を強要していないか、もう一度省みてみよう。
2006年03月23日
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うまくいかないもんだね、なかなか。何がってことはないんだけど、なんかうまくいかない。まあしゃーないね、こんな時期もあるよね、たまには。さ、やるぞって元気だすのも面倒だから、早々に寝ようかな。
2006年03月23日
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自分なりの健康法を押し付けてくるような人は、もうそれだけで、頭が不健康ということがバレてしまうのだ。
2006年03月22日
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たとえばワイパーというのはせいぜい110°も動けば十分なのである。ワイパーが360°回転する!!ということがウリになるクルマはない。大切なのはその約110°のなかで、いかに「smooth」にワイパーが動くかということ。人間の関節というのも同じで、柔軟体操で「関節の可動域」を広くするのも良いが、それよりも大事なのは自らの可動域の中でいかにスムーズに関節が動くかということだと思う。
2006年03月22日
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今年初の研究会を開催予定です。興味をもたれた方はhttp://www.geocities.jp/ozekey/osirase.htmlをどうぞ。日にちは5月7日(日)でっす。
2006年03月22日
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今日は部活(自主練)に行ってみたら誰も来てなかったので、すごすごと帰った。せっかく早起きしたのに(--)そいで栄やら名駅やらぶらぶらした。(あやうく靴を衝動買いしそうになった。)ついでに頼まれもんの本を探してみたけど、どこにもない!ジュンク堂でさえ入荷が一冊だというからかなり刷った量が少ないんだろうか。さりげに限定版?うむ~。「現在、在庫がございませんので、お取り寄せになります」って言われたときは「今は出版社にもないですよ」と言ってやった。本屋は自分で確認してますから!残念!!そういえば途中でへんなオッサンが、「携帯忘れたんですが、電話をかけたいんで100円ください」と話しかけてきた。メガネのフレームが壊れてて、それをセロテープで直してるくらいキモイ人。「50円じゃダメなの?」と言うと100円じゃないとダメなんです、とのこと。もう意味不明だけど、仕方ないから100円あげた。あとは栄で献血してみようと思ったけど、30分くらいかかるらしいからやめた。また今度にしよ。そんな一日。さ、今からちょっと仕事しなきゃ。畜生。
2006年03月21日
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最近はケイタイのキャメラがくるりとまわって自分が撮れるようになっているのが多いが、自画撮りの写真からは、俺に負けず劣らすのナルシシズムがあふれていて、見ているこっちも恥ずかしい。
2006年03月19日
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「明日は4時間半睡眠で活動しよう!」と思って4時間半寝て起きるのと、「明日は8時間寝てやろう」と思って、4時間半寝て途中で起きてしまうのでは、明らかに後者は体調が不安定になる。睡眠時間は同じなのに。体調不良の多くは思い込みである。「休みたい」と思った瞬間、身体は疲れだす。
2006年03月19日
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今日はひさびさに、合唱団の演奏会を聴いてきちゃいました。友達が出るってんで、それなら言ってみようと足を運んだわけです。いやいや、これがすごいのなんの。さすがは伝統ある合唱団。鳥肌もんだったよ。席が3階だったから、顔とか見えなくてまめつぶみたいなんだけど、もう「音」に圧倒されっぱなしで。「鑑賞篇」なんつーのかなあ、「荘厳」って言っちゃえばそれだけなんだけど、なんか「人ならぬもの」を感じたというか、「おいおい、これが1+1=1かよ」みたいな、あー、ダメ、うまく言えん。ここは言葉を慎重に選ばないと。「ハーモニーが素晴らしかった」っていうのが頭の悪い人の書き方。そうならぬよう。とにかく音が自在だったよ。静寂から一転して身体ぜんたいに響くようでさ。また一転して完全なる静寂。その緩急が見事にそろいすぎてて、まるで一人が歌っているようなんだけれども、そのわりに迫力がありすぎて、そのいわばミスマッチが魅力となってるのかもね。あの神秘的なこと!!あとは途中で、あれはなんだろう太鼓みたいな打楽器が出てきたんだけど、その置き場所がまさに「画竜点睛」でそこに来たか!って感じで、もう「美」の世界。ステージの構成も緩急あって飽きさせない工夫。心にくい演出でしたよ。「合気道の観点から」合気道で考えれば、「中心と脱中心」が面白かったな。合唱はやっぱり指揮者が核<中心>になっているわけです。(今日のメインの指揮者はすごい人らしい)合唱じたいは指揮者を中心としている。しかしこちらに飛んでくる「音」には中心がないんだね。音は単なる音である。それも複数が単数になった音。その「ひとつの声」は個々の集合であり、個々にはとうぜん差異がある。差異があればそこに中心が生まれ、よって中心とは何もない部分である。「線」に面積はない。はい、わかりにくいね。まあ俺がひとりで納得してワクワクしただけだから。さあこの「合唱の理論」をどうやって合気道に活かそうか。「合気とは身体の合唱である」とか言えるようになりたいね。それから姿勢。やっぱり高校生の姿勢は甘いな。とくに男子。まだ首が座ってない。そこらへんは「大人」のほうが断然すばらしかった。姿勢は社会で鍛えられるんだね。「雑事篇」今日は開場まえ、すごい行列だったんだけど、そこで携帯ゲーム(DSかな?)してる子がいて、まあ見慣れた光景だけどやっぱり哀しかった。俺は、自分の子供にはぜったい携帯ゲームだけは買わないと誓った。たとえ子供が仲間はずれにされたり、疎外感を感じたとしても。そんなのとは無理に仲間になる必要はない!!周りを見なきゃダメだ。今日のコンサートホールだって面白いカタチしてたし、雲の動きを見たり、季節の移り変わりを見たり、風のにおいを感じたり、野に咲く花を愛でたり、大切なことがたくさんある。それがあんな小さな画面に食い入って、俺には人生を無駄にしているとしか思えない。それがたとえ「頭をよくする~」とかいうゲームだとしても、なんか違うって気づかないのか?!どんなに泣いても絶対買ってやらないからな、覚悟しとけ、未来の俺の子供!!それからそれから席に座って。右隣はオバちゃん二人と子供。左隣は中学生ふたりと先生(顧問?)。右隣のオバちゃんはオバちゃんっぽいウワサ話とかをしていた。何度聞いても美しくねぇぇ!もっとユメのある話しようよ。左隣はなんだったんだろう。先生がふたりの中学生相手に楽譜を持って熱弁。「もう時間はないんだ」とか言ってたから、近くその子たちが出る合唱があるんだろうが、こんなところでやらなくても。その先生のリキんだ熱血っぷりがキモチワルく、たとえば「塾」というのがこんな先生がいっぱいいるのだとしたら、自分の子供はぜったい塾には行かせまいと心に決めた。とまあ色んな気づきのあった一日でした。やっぱりいつもと違うということはいい。なにか学ぶことがある。さ、明日は仕事。ロックと雅楽が協和音を奏でることができるかな。
2006年03月19日
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合気上げの写真というのは、「横から」撮影されたものが多い。受けと取りが写真の両端に収まるように撮ってあるのだ。みんなこれが「ふつう」だと思っている。しかしそれが問題なのかも?と思った。というのは、ひとつの写真では2次元が限界だ。2次元で捉えれば、思考がどうしても2次元で停止する。「横から見て、頭がここにあり肩はここ、腰はここ、ひざはこうなって、くるぶしがここにある」といった捉え方になる。外面的だし、2次元的だ。だが最近は、腰がナマモノであることを理解すべきだと考えている。腰はナマモノ、つまり3次元性を持っているのだ。カンタンにいえば、立体的構造ということ。で、今日はこれ以上は考えていないのだが、この考え方からまた発展することもあると思う。今回の気づきは野口三千三先生のおかげです。ありがとうございます。
2006年03月19日
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最近「踏む」という感じが出てきた。地面をシッカリ踏むということ。力まないように。この気持ちよさ。こんど稽古で使ってみよう。
2006年03月18日
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腰を「準備態勢」にすると姿勢がよくなることを発見。こんど稽古で使ってみよう。
2006年03月18日
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僕はふわふわ浮いた言葉、実感のない言葉、心のない言葉というのはすぐに見抜いてしまうから、そういったコメントをさっき削除したのだが、しまった、いっちょ議論でもしていたら面白いことになったかもしれないな。ぶつかるのって面白いもんだ。
2006年03月17日
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ロマンは男の専売特許である、なんていったらフェミニストに怒られるかな?ロマン・・・。なんて甘美な響きだろう。ロ~マ~ン!!男は変なところでワクワクする。最近のロマンはクルマなんだけれど、あれはエンジンの音からしてロマンなんだね。なんでアレが心地よいか知らんけど、ブロロロ、ブオオオオオンなんて聞くだけでワクワクしちゃうじゃん!それで運転席座ったら、なんかロボットに乗ったような気分でワクワクしちゃうじゃん!ていうかガンダム操縦してえ!とか思うじゃん。ザクなら勝てるとか思っちゃうよ。こういうのは全部ロマンよ。ロボとか憧れるんよ。竜神丸に乗りたいんだよ、男は。話は変わるけど、男は強くなりたいんだよ。カメハメ波打ちたいんだよ。30人相手にして、楽勝で勝って、パンパンって手を払いながら残ったやつをにらみつけ、「さて、次に死にたいやつはどいつだ?」って言いたい訳よ。それが男だよ。こりゃ女には分からんと思うね。といってすぐになんですけど、ほんとはロマンの分かる女の人もいると思う。けど、たぶんそういう人は俺には合わない。俺は、「な~に、やってんだか。バカみたい。子供じゃあるまいし」って冷めたようなうらやむような目で言われたいんだ。ロマンを理解する人とはたぶん意見がぶつかる。やっぱり似てないほうが最終的には上手くいくと思うね。似てないものがだんだん似ていくっていうカタチ。俺の考える「成長」の定義にも当てはまるし。って話が逸れぎみだけど、やっぱりロマンなんだよ。これがなきゃ、つまらんだろうなあ。
2006年03月16日
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「女に観察される」ということが、男にとってもっとも幸せなことのような気がする。女というのは好きな男というのをとてもよく見ている。観察している。女の人と話をしていると、「あの人はこういうところあるんだよね。といっても○○なんだけど、私がこうすると、××って言うのよ。それでいつも△△になっちゃうの」といった調子の話を聞くことがある。口調としては愚痴まじりのような感じなのだが、なぜかものすごく愛を感じる。俺はこういう話を聞くと、相手の男がすごくうらやましくなってしまい、「いいなあ、観察されてて」と嫉妬のような情を覚える。観察しているということは冷静ということである。相手の欠点が見えているということである。観察していないというのは、相手を見ていない。自分の良いように見ている。いや、自分しか見ていない。「すごくやさしいカレなの。キャピ」では、「やさしいカレ」に愛される自分しか見えていない。話を聞いても何も伝わってこない。言いたいセリフは「ああ、よかったね」。みんなイタタタ~って思ってるよ。やっぱりちょっと不満まじりな感じがいちばん愛を感じる。最近は、愛ってのはすごく、ほんとうにさりげないものなんじゃないかって疑ってるんです。自己愛とかでも、「自分が好き!」とか「素晴らしい!」とか「ボクって最高!」とかそんな光り輝いた感じじゃなくて、「あ~、またしくじったけど、これも俺らしいな」みたいなテキト~な感じがほんとうの自己愛なのかもって思ってるんだ。あ、そうか!!愛されることは観察されること、って主張するなら自分を観察すれば、自分を愛することになるね。うはっ、すげーこと発見しちゃった。わーい。
2006年03月16日
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春、しろい花散る春よやわこい花散る春よ よわい花散るよ春、色舞う春よ 色みちびく春よ 色醜いよ色醜い色はやさしい魔の手笑顔の仮面色の醜さ色に隠されて染めよ!染めよ!染めよ!!色の固いもの 骨 つめ 脳みそ春、黒い花散る春よ黒い花くろいよ 黒い花脆さ識る春よ観よ!!裸の花よ その美しきは背景生まれたままの姿を咲き誇れ!!
2006年03月16日
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がっびーん!!遅刻しちゃったよ!!うちはシフト制でお店を回してるんだけど、出勤の時刻を間違えててさあ、今日は15時からだと思ってたら、12:59にお店から電話。「今日、13時からだけど」ぐはあっ!!一生の不覚!!生まれて初めてか?俺は遅刻とは無縁の人生だったのにぃ~。「いいとも」見てる場合じゃない!!これまでの人生でいちばん深刻な遅刻だよぉ、畜生。だっていつもとシフト表の書き方がちょっと違うんだもーん、そりゃ間違えるよって言い訳したいところだけど、ここは黙って耐えるのが男(←すでに黙ってない)。まあやってしまったものは仕方ないね。明日からは気をつけよう。(13時出勤だね)
2006年03月16日
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子供は素直でもなんでもないと思う。よく子供の素直さを見習おう、みたいなのがあったりするけど、とんでもない。子供ほど、精神が複雑で気持ちが屈折している。子供の本心は、何枚ものコトバの幕に覆われている。子供はすごくたくさんの「計算」をしている。それはすこぶる稚拙で粗い「計算」なので大人にはバレバレなのだが、でもやっぱりいろいろな「計算」をしている。子供には人生経験がないので、自分の素直な気持ちを見る能力がない。他人に言い訳するし、自分にも言い訳している。こと自分への言い訳が激しい。子供というのは痛いほどにコドモなのだ。で、コドモのまま大人になる人もいる。勇気を出した数だけ、素直になる。素直になればなるほど、幸せになる。だから幸せになる最短の方法は、勇気を出すことだと思う。不幸な人は臆病な人だ。コドモのまま大人になった人だ。さあ、俺はどんな大人になる?
2006年03月15日
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今日はDVDを二つほど見た。塩田剛三先生の朗らかさは天性のものかなあ。あの屈託のない笑顔はまじでいいわあ。陽性の気がバッチリ出てるよなあ。そういえば知人が「塩田先生が50人くらいを相手に演武やってた」と言っていて、実際見たら8人掛けだった(笑)他人の口より自分の目を信じるべし。さてさて表題「掛からないのにはワケがある」。これを実感しました。技が掛からないのには2種類の理由があると思う。ひとつは「取りに問題がある」二つ目は「受けに問題がある」。一つ目は稽古を積めば済むこと。問題は二つ目である。前から「受け」の問題についてはいろいろ考えてきたが、現時点では「受け」が悪い限り、どんな達人でも技は掛けられないだろうと思う。もちろん技をひとつに限定した場合である。だから基本的には受けが取りを攻めるようなカタチにしてやると稽古がしやすいのではないかと思う。今日はなかなか技が掛からなかったが、4教で攻めさせてそれを返すのは上手くいった。相手の力がこっちに向いているからやりやすいのだ。これは力を入れてくれたほうがやりやすい。僕のような凡人はこのような稽古から始めるのが、感覚をつかむのにも良いと思う。
2006年03月15日
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食べすぎはどうもよくない。これは経験からそう思う。たいてい「食べること」というのは「エネルギー補給」みたいに言われているけど、実感から言えば、「食べる」ということはかなりのエネルギーを消費する。食べ過ぎるとたくさん睡眠をとらないといけないし、なにより内臓がかわいそうな感じ。だからやっぱり適度に食べるのがいいと思う。満腹は避けたいものです。
2006年03月15日
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先の日記にも書いたけれど、最近はすこしタバコを吸っているんです。むかしから不健康の権化みたいに扱って、「百害あって一利なし」と思っていたのに、どうして吸い始めたか。答えはカンタンです。興味が出たから。恥を忍んでもっといえば、北方謙三のエッセイみたいなのを読んで「ハードボイルド!」と思ってタバコとウイスキーを買ってきたが、やっぱり酒は飲めないということが分かり、タバコが残ったというわけです。ちなみにハードボイルドって「固ゆでたまご」のことだよね。イメージが合わん(笑)で、はじめて買ってきた日はこりゃドキドキもんだよ。かつて、友達に勧められて一本だけ吸ったことがあった。そのときを思い出しながら、火をつける。しゅぼっ。・・・ゲホッ。予想通りムセたよ。俺は中学生か!と自分でツッコミを入れたね。まあでもそうなんよね。最近は自分の精神レベルが中高生になった気がしてる。思えば俺には「そういう時期」があんまりなかった。青春と書いてバカと読むような季節が。性格上、なかなかバカになり切れんかったな、中高では。バカやってるのを、本心ではうらやましくも思い、でもできないから蔑んでみたり。「モテたいなぁ」ってバンド始めたり、オシャレしようという中高生独特の素直さがなかった。素直になれなかった。成績が落ちるの怖かったし。まあアイデンティティのひとつがなくなると思えば、恐怖もひとしおだったろう。それで今そんな時期が来てるんじゃないか、と自分では思っている。だからタバコに手を出したのです。ニコチン中毒?何言ってんだ。タマは2個だが、チンは一個だ!!いろんなことを始めてみたい。道徳と常識で脚色された言い訳をせずに。興味がないと言い訳せずに。怖がらずに。いいや、怖いに決まっている。何かを始めるのは。だけど、ブルブル震えながらやってみよう。「遅!!」とみんなに笑われてもいい。カッコワルイけど、逃げるのよりはカッコイイ。まだ間に合うはず。20代の前半だし、先は長い。人生は一回しかない、ってマジで重い言葉だな。さあ、今度は何を始めよう(^0^)今度は何を始めようかなあ。
2006年03月15日
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最近、煙草を喫(や)るようになったんです。僕を知る人は驚きでしょう。いや、僕じしんも驚きなくらいです。まあ始めた理由は次に書くとして、ここでは「タバコと呼吸の関係」について書きます。(なぜか今日は丁寧語だな)タバコを吸うといっても、すごく頻度は少ないです。多くて週に4,5本。4,5箱じゃなく、本。まあ実験的にやっているだけだから、これくらいでちょうどいいというわけですが、タバコというのは吸いたくなるときがあるのです。ちょっと吸ってみて、それが分かってきた。どんなときかと言うと、呼吸が浅いときです。呼吸はストレスがたまると、すぐに浅くなります。身体的でも精神的でも(つまるところ両者は同じものですが)ストレスがたまると、息が浅くなるのです。一般の人は、この状態を「疲れた」とか「だるい」とか言うようです。残業たっぷりの日が続いてくると、タバコを吸いたくなります。睡眠不足が続くと、吸いたくなります。つまりは、呼吸が浅くなっている。じゃあタバコを吸えば治るのか。答えは半分YESです。これはいったいどういうことでしょう。タバコの煙を吸うときに、いやおうなしに息を深く吸います。それで喫(の)んだら吐きます。あの「ぷふーっ」と息を吐く瞬間に身体がゆるみ、ストレスがすこし解消されるというわけです。この原理は「熱いお茶」にも応用されます。ズズ~とお茶を呑んで、ホぉッとする。だからタバコもお茶も、ともに「一服」という表現なわけです。ため息というのも同じ効用です。心身が疲れてくると、自然と身体が「一服」するわけですね。さて、ここからは補足ですが、タバコには他の効用もあります。それは「刺激」です。刺激というのはそもそも、モノを壊す働きがあります。「壊す」というとなんだか響きが悪いですが、この宇宙にとって、地球にとって、自然にとって、人間にとって、非常に大切な働きなわけです。(今日はこれ以上は深入りしません)心身のストレスがたまっているというのは、言ってしまえば「固まっている」ということです。「たまっている」「かたまっている」言葉の響きも似ていますね。それで、タバコの煙というのはかなりの刺激です。のど、口、鼻を十分に刺激します。「固まっている」状態のときというのは、この刺激が非常に気持ちいいわけですね。だから人はタバコにハマるわけです。「熱いお茶」「熱い風呂」も同様です。「熱さ」というのはけっこうな刺激です。それで固まっているのがほぐされる。そろそろ結論がお分かりですか?そう、「刺激が欲しい状態」はつまり、「固まっている状態」「疲れている状態」「ストレスのたまった状態」とイコールだということです。「熱いお茶」「熱い風呂」というのはじいちゃんばあちゃんの特権で、子供は「熱い風呂」なんてダイキライなわけです。それはもともと身体が固まっていないからで、「熱い風呂」で身体をほぐす必要がないのです。じいちゃんばあちゃんは基本的に身体が固まっているから「熱いお茶と風呂」がダイスキというわけです。補足がかなり長くなりましたが、僕の言いたいことは分かっていただけますでしょうか?それは「タバコが欲しい状態」というのは危険信号ということです。「タバコが欲しいとき」は身体が疲れている。ストレスがたまっている。身体が固まっている。ゆがんでいる。そこにどう対応するかが重要なわけで、まあタバコを吸えば一時的には解決するわけですが、しょせん付け焼刃です。根本的な解決にはなっていない。さて、ではどうすればいいのか。その答えはこのブログをよく読んでくださる人はなんとなくお分かりだとは思いますが、まあこれからゆっくりと書いていきたいと思います。
2006年03月15日
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降りやがったな、雪。スノー!!さすがの俺もちょっとびびったぜ。だってもう3月中旬だからな。でも思えば、このころ雪降ったりするんよね、毎年。たしか高2のころもこんな季節に降ったんだ。それが昔の人は分かっていて、「ホワイトデー」なんて名前にしたのかな。粋だぜ。ちなみに「白サイ」ってのは、ほんとうは「ワイドサイ」、つまり「幅の広い、ガタイのよい」サイって意味だったのに、訳す人が「ホワイトサイ」って聞き間違えて、「白サイ」と訳されたらしい。さあ、月刊「秘伝」を買ってこようかな。
2006年03月14日
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武田惣角先生が言ったというこの言葉。うん、やはりはやさが必要なきがする。
2006年03月14日
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ちょっとした質問をいただきましたので、回答がてら僕という人間を丸裸にしてみたいと思います。といいながら、たぶんアダムのように隠す部分は隠します。全部出したら、僕にかかわる人が迷惑を被りますから。でもまあ深夜なんで恥ずかしいこともガンガン書けるでしょう。一回こういうのをやってみたかったといえばやってみたかったのです。ナルシストですから。さてさて、いったい僕はどんな人間なのか。ぱっと思いつくまでに特徴を書いてみましょうか。ああ、就活の自己PRとかいうのを思い出すね。まずは「人と違いたい」という欲求があります。「個性的」とかいう陳腐なタイトルは嫌いですが、「みんなと同じは嫌だ」という恐怖にも似た強い欲求があります。「変だね」というのは僕にとって褒め言葉であります。しかしこの欲求があまりに強いため、ときおり不自然なまでに常軌を逸します。つまりサッカー選手がその範疇のなかで個性を出そうとしているとき、とつぜん野球を始めるようなそんな行動をとったりします。いわゆる奇を衒(てら)ったという感じになるときもあります。夏に毎日浴衣で生活していたのも、ジャケットに下駄ばきで出かけるのも、そんな理由です。かつての連れ合いが思いっきりヒいてました。ごめんね、変人気取りで。それからそれから、感性が鋭いです。自分の長所を自分で言うのは、「こりゃ羞恥プレイか」と思うほど恥ずかしいですが、みなさまの非難を予想しつつも言ってしまいます。僕は感性が鋭いです。美しいものには目がないです。季節の薫りは美しい。太陽は、月は、森は、林は、そして野に咲く花はそれだけで美しい。ただ、風というのは場合によってはとても恐ろしい感じがします。日常の出来事から、発想が飛躍してなにかを発見することがよくあります。それを散文にしたり、詩にしたり論文調で書いたりします。理性的で、頭が働くほうだと思います。だから行動する前に考えすぎてピタッと止まってしまうことがあります。考えすぎて、わけが分からなくなることがあります。もっと本能的になりたい。理想的なことをよく言います。人によってはただの空想に思うかもしれません。で、調子に乗ってくるといろいろ語りだします。僕が語りだしたら、その聞き手を信じてる証です。信じていない人には語りません。合気道や禅などの先人の智慧を借りながら、自分なりの思想体系を持っていますから、語りだすと止まりません。人を笑わせるのは昔から好きです。嬉しがらせたり、喜ばせたりするのも好きです。プレゼントを渡したりするのは好きです。で、これは俺がいい人だからだろうと思っていたら、最近になって「これは相手を制御したい欲求が強いのだ」ということに気づきました。「笑い」というのは虚しいものです。世間では「笑い」が手放しで賞賛されていますけれど、僕は「笑い」は虚しいと思っています。笑いは、ほんとうはとても哀しいのです。肉体的な苦痛は苦手です。ぶつかりあいのあるスポーツは苦手です。絶叫マシンは嫌いです。スペースマウンテンくらいがちょうどいいです。なんか3,2,1で上にふっとぶマシンで真っ青になったことがあります。給食を食べるのが遅かったです。気の質はどちらかといえば、陰質だと思います。ほおっておけば、マジメで小さくまとまりがちなので、つとめて、開けるようにしています。それでちょうどバランスがいい。笑いというのはそこに一役買っている気がします。「僕はガリ勉マジメ君じゃないんだよ」というアピールなんでしょう、たぶん。そういえば「真面目すぎる君へ」とかいう歌がありますが、ふざけるな!といつも思っています。酒はまったくといっていいほど飲めません。焼酎一杯あったら3時間はいけます。安上がり。飲み会というのが嫌で嫌で、ほとんど出席しません。飲んだ量を自慢するヤツが嫉妬も混じって、すごく嫌いです。勝手に飲んでやがれ!!上の人に勧められても基本的には飲まないです。かなりやんわり断っても、だいたい「つまらん」という感じで去っていかれるのですが、こっちもその背中をみてけっこう辛い思いをしているのです。ほんとうにやめてください。ふつうにお話しましょう。酒に頼らず。どこかしら女性的なところがあります。こういう言い方をすると偏見ととられがちなので、あくまで統計上のお話ということにしますけれど、運転は上手いほうではないし、方向感覚も悪いです。いや、完全な方向音痴です。でも旅と人生は無計画がいちばんと思っているので、そんなに苦ではありません。デートのときはちゃんと道を調べておいたりします。変に計画的。おしゃべりは好きです、すごく。平気で4時間とか電話します。まえ、夜の11時から朝の5時までしゃべってさすがに最後のほうは半分寝てました。おしゃべり好きは性的エネルギー過剰と言われていますが、まさにその通りと思います。でも、朝から「女3人あつまってかしまし」なオバちゃんたちを見て、その説を思い出すとなぜかゾッとします。・・・・。いっぱい僕のことを書いてしまいました。こんなに書けるのはナルシストの証ですね。たくさん書いたので、気持ちよいです。排泄の欲求を満たした感じです。こんなん俺だけがやっても仕方ないので、みんな自分の長所を書いてみてください。僕はみんなのことを知りたい。「自分のここはすごい」というところがあるでしょう。それを照れずに、茶化さず書いてみてください。羞恥プレイと思って。まあない人はないでそれよいと思いますので、こっちが「そんなことないよ」とフォローしなくてもいいような、明るいネガティブ自己PRをしてみてください。明るいネガティブってのはすごく味があるんです。ところがいまの採用活動ではそれを認めないんですね。みんながみんな「自分のここはすごい。負けない」というものを持っていると思い込んでいる。それが大きな間違い。そんなわけない。ナルシスト系統の人種はそういう「自信」がありますが、ネガティブ系の人はそういうのを持ってないんです。大して実力は変わらないのですが、そういう差がある。でも「エントリーシート」を書かねばならない。だからウソを書く。誰かの言葉になる。しかしネガティブ系の人はけっして人をバカにしないという素晴らしい長所を持ってるんです。「俺だってダメだし、人のことなんていえないよ」的な謙虚さがあります。それがまたゆるくてなんか安心するんです。ナル系は「だからダメなんだよ。こうすればいいんだ」みたいなことを押し付けがちです。僕はこっちのタイプ・・・orz一歩間違えれば、かなりウザイ。ちなみにもうお分かりと思いますが、ナル系とネガ系は相性がよいです。ネガ系でもナル系でも、強い人は強いし、弱い人は弱い。そんなカンタンなことも採用する側は分かってないんじゃないかと思います。たまに「就活のプロ」みたいなヤツがいるけど、やっぱりキモチワルイよ。「目指す企業は大企業」って何じゃその基準!そういうやつは失敗する。たとえ入れたとしても、会ったとたんに名刺を見せて自慢するようなクソオヤジになるのが関の山でしょうね。あれれ、話がそれまくって意味分からんわ。まあいいや、いっぱい書いたから今日はそろそろ寝るか。いや、もうちょっと起きてよう。
2006年03月13日
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僕は物覚えというか飲み込みが遅い人間だと思う。いろんなことで、それを実感した。たとえば、恥ずかしい話だけれど、ぼくは車校(自動車教習所)というのはとても苦戦した。計5回くらい補習を受けたんじゃないか。見極めがぜんぜん受からなくて。なんで上手くいかなかったかというと、家で復習できなかったからだ。僕は家で何かをやるのは、かなり得意である。負けず嫌いだから、その日何かを習って、また次の日やるとしたら家で徹底的にやって、翌日みんなよりちょっとできるようになっている。それで優越感に浸るのだ。おベンキョなんかはずっとそうだったよね。その日学校で分からなかったことはぜったい家で復習したからね。けれど車校ではそれができなかった。クルマを持ち帰ることができなかったからね。だから、みんなと同じ時間しかできない。そうなると僕はだんぜん能力がないのです。仕事なんかもそうかな。家で覚えたりするのはまあ良いとしても、職場でしかできないようなことは、覚えが悪かったりする。そのまま飲み込むってのができないんだね。まずはじっくり噛んで、分解してから飲み込むタイプなんです。で、くちゃくちゃ噛んでると、「遅い!」となるというわけです。だから飲み込んだ後はまあ速いんじゃない、と自分では思ってるのですが・・・。その辺の評価は知らないな。人にも聞かないし。でも僕は「僕は飲み込むのが遅い」っていうのを知っているわけです。だから家でいろいろやるんですね。これはこれでありかな、とは思っています。
2006年03月13日
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前提は、自分が見えていることなのである。自分を知っているということ。ゼロ思考で自分を観察するということ。世の中の人はたいてい、プラスが良いと思っている。プラス思考。ポジティブシンキング。増えること。大きくなること。強くなること。速くなること。光。こういったことを「良いこと」と思っている人が多いと思う。反対に「マイナス」ということに関してはかなり否定的に見ている。マイナスは悪だと思われているふしさえある。だが、実際にはこの「プラス事象」というのはかなりのエネルギーを持つため、色んなものをはじいてしまう性質がある。ぐわーと膨らんで、輝いて、ばしーっとはじいてしまい、なかなか「交わる」ことができない。想像してほしい。筋肉隆々で、目がきらきら輝いて口には大きな笑みをたたえ、「さあ、運動しようよ!」という感じの人間はキモチワルイでしょう。元気で明るくて、言葉では短所は言えないのだけれど、なんとなくキモチワルイ。つながりがない感じ。相手のエネルギーにはじき返される感じ。これが「プラスの事象」の端的な短所なのです。「マイナスの事象」がつよい人間の短所はみんなが知ってるから、詳しくは書かないが、いわゆる「クラい」と言われている人は「マイナスの人」である。実際は、どっちの事象も大切なんです。ナルシシズムも自己嫌悪も大事なんです。ナルシシズムと自己嫌悪は紙一重。安定と不安定。安住と変化。停滞と向上成長。その対立です。じゃあいちばん重要なのは?その二つのバランス?まあそうとも言えますが、もっと言えば、「自分が見えていること」がいちばん肝心なわけです。人間、調子のいいときも悪いときもあります。それが頭では分かっている。けれど、生活の中では不調のときに「いま不調だ」ではなく「俺はダメだ」好調のときに「いま好調だ」ではなく「俺は天才だ」、そう思ってしまう。僕なんかはその傾向が強いかもしれない、昔から。自己嫌悪のなかでいけないのは、自己嫌悪に見せかけたナルシシズムです。「俺はダメだ!」という悲劇的な自分に惚れている。「そんなことないよ」という言葉を待って、わざと自己卑下をする。まあ僕もこういうことを散々やってきたけれど。自分が見えている人の自己卑下はキモチヨイものです。同じ「俺バカだから」でもいちいちこっちが「え、そんなバカじゃないよ」とフォローしなきゃならんやつと「ほんとバカだよな」と冗談を言えるやつがいる。前者は心のよわい人。後者はつよい人だ。おっとそうそう、なんの話か分からなくなってきたが、そろそろ「プラスは素晴らしい」という二元論的な発想をやめましょうということが言いたいのです。「どっちがよい?こっちがよい」から「どっちが好き?こっちが好き」へ。つまりエセ客観主義から主観容認主義へ。主観で動くのではなく、主観を大切に認めてやる。人間に客観はないと、すなおに認めること。マイナス思考も大切なんです。マイナス思考がなければ、人はすぐ死ぬ!!マイナス思考のときに、「ああ、またマイナス思考だ。いけない」というのがよくないマイナス思考。よいマイナス思考は「ああ、またマイナス思考だ。まあいっか」僕はこんなふうに考えている。やがてゼロ思考の時代になりますよ。
2006年03月13日
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ここにあるものは無、ただひとつ。つまりゼロがすなわち絶対なる一。プラス思考でもない。マイナス思考でもない。ゼロ思考。ひそかにゆれ続ける停止。無が、有るんです。全か無かの法則というのがありますね。オールオアナッシングというやつ。数字で言えば、「1または0」となります。だけどゼロ思考で考えると、無が存在する。すなわち「0=1」昨日の夜これに気がついたんです。それですごく嬉しくなってワクワクしてしまった。
2006年03月13日
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僕は割れたタマゴをいっぱい食べた。何個食べたか分からない。十分に栄養を取りました。だからいつか、僕は僕の卵を割らねばならない気がする。いや、割りたいんです。進化型合気道・・・。いい響きだ。
2006年03月11日
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街を歩いていると鈍感な人がいるでしょう。名古屋だったら、エスカレーターの右側でじっとしているようなニブい人が。僕はそういう人に関しては後ろから「どけどけ」オーラを出してどかすことにしているが、鈍感ということは危険なことだと思う。もちろん僕も完璧ではないから、たまに後ろから「ちょっとすいません(どいてください)」と言われてしまうことがある。そういうとき、すごく恥ずかしい気分になる。というのは、それが敵だったら僕は死んでいたらからだ。ほんとうの豪放磊落というのは、敏感にして勇猛ということだと思う。鈍感なのは恥であり、死である。
2006年03月11日
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なんか今日はすごいお金を使った気がする。羅列しつつ解説を加えてみよう。(なんで人は自分が買ったものを紹介したがるのか??)ドラゴンボール26巻(中古) 集英社ドラゴンボールの漫画が見たくなった。フリーザと悟空がご対面!!頭文字(イニシャル)D19巻(中古) 講談社クルマに詳しくなりたかった。今日の車内BGMがフェラーリのエンジン音なので。無限の呼吸力(DVD) BABジャパンこういうのは79分中3秒でも良いシーンがあれば、6000円を出す価値はあるというものです。何を学ぶかは自分しだい。SOUL'D OUT TOKYO通信(CD)リズムに魅かれて。偏見で嫌っては勿体ないと思って。アーカイブス野口体操(DVD付) 春秋社やっぱり春秋社さんは目の付け所が違うね。これは21世紀を生きる人間にとって、合気道をする人にとって貴重な資料です。回想の野口晴哉 筑摩書房これはアツい。古いけど新しい。あまりに言葉(思想)がすごすぎて、思わず笑いがこぼれた。あー俺、ほんと本と本屋が好きだなあ。
2006年03月11日
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H2Oさんからバトンが来て、まあ休日だしやってみよう。1.今、片思いをしていますか? してるというほどしていない。2.あなたが恋をする年齢制限はいくつからいくつまで? まあ30前後。下は高校生なら大丈夫?あ、もう16歳とかは無理かな。しゃべってみてオトナならOK。3.自分から告白できますか?男ですから。当然です。4.あなたが相手に贈る、告白の言葉を教えて下さい。 ・・・好きだ。5.どういう言葉で告白されたいですか? 「実はさ~、好きになっちゃんだよね」モジモジしながら。6.相手に恋人が居ます。諦められますか? グダグダになる。7.片思いとの恋が叶わぬままのあなたに恋人ができました。 しかし、叶わぬ恋であってもあなたはまだ片思いの事が 忘れられません。 今の恋人にそのこと言えますか? つーかそんなんで付き合うなよ。失礼だろ。8.飲み屋で片思いの人が一人で飲んでます。隣に座りますか ?離れて座りますか? 女の人が飲み屋でひとり?変なの。たぶん座る。9.偶然にも同じ車両に乗りました。どうしましょう? 「トモダチ系」片思いならしゃべりかける。「一目ぼれ」系片思いだと見てるだけ。10.片思いの人はあなたが思ってもいなかった趣味をお持ちでした。 気持ちは変わりますか? だいじょうぶ。あんまりグロイのは勘弁。11.片思いの人が誰か紹介してほしいって言われたあなたは誰かを紹介しますか? ここにいるよ、って冗談めかして言う。12.行き着けの店でお客があなたと片思いの人しかいなかった。 相手はカラオケでラブソングを歌いました。どう捉えますか? むしろ俺が歌う、みたいな。13.恋が叶うのならば、相手の色になれますか? ちょっとは。基本的には染めたい。14.片思いとの恋が叶わぬまま、あなたに恋人ができました。 それを知った片思いの人はあなたに「ずっと好きだった」と告白をしてきました。 新しい恋人が居るあなたはなんて答えますか? ほら、だからこういうことになるんだってば。気持ちに正直に生きたいものです。15.あなたはマイミクの中の誰かに片思いをしていますか? してるというほどしてないね。16.今日は片思いの人の誕生日です。 恋をしているあなたはどうお祝いしますか? メール・電話もしくは直言い&プチプレゼント(オモくないやつ!)17.片思いの人に遊ぼうって誘われました。 恋をしているあなたにとっては大事なデートです。どこへ行きたいですか? 街。映画とか行ってみたいかな。映画デート経験ないので。あとは景色のいいところ。それかスケート。18.片思いの人に「好きな人居る?」って聞かれたあなたはなんて答えますか? 「いるけど、なんで?」って言う。19.片思いの人が飲みすぎて立てません、帰れません。 あなたの家はもうすぐ目の前です。どうしますか? 家に連れtake。何もしない(ここ重要!!)。20.片思いの人と実は両思いでした。その時のあなたの心境は? まじで?ちょーウレシイ!!わーい。いやあ、たまらんわあ。☆このバトンをあなたが気になる5人に送りましょうd0x0bm 最近ミクシィしてないみたいだが雀の涙さん たまにゃこういう話でもどですか?ちほさん お聞かせくださいあつをさん こっちからも振ってみます。
2006年03月11日
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さっきね、ちょっとドライブしちゃった。ていうか、近くの体育館で合気道やってるらしいので、体験に行ったんだけど、今日は卓球大会で使うらしく、稽古やってなかったんだよね。それで強制ドライブ・・・orz(←使い方あってる?誰か意味、用法、とくに由来を教えて!!)そう、それで卓球大会はけっう大規模らしく駐車場もいっぱいでね。高校生が誘導してたんだ。で、俺ウィンドウを開けて「今日は使えないんすか?」って聞いたの。そしたらすごい低い調子で「大会なんすよ」だって。ボケーっとしたツラしやがって。この腐ったイヨカン野郎が!!で、俺は思ったのだけど、就職難就職難っていうけれど、実際は、「採用難」なんじゃないかな。高校生とか、大学生でもナメたやつが多すぎるだけなんじゃない?俺が人事で、その腐ったイヨカン野郎を面接するとしたら、席に座った瞬間に退席させるよ。「帰れ!この野郎」って。(実際できるか知らんけど、妄想ね妄想。)まあ大人にも言えることだけど、もっと心の交わせる人が増えるといいなあ。
2006年03月11日
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