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「わしはときにぐらつくが、ふるさとへ帰るのだ。 あぁ、なんとかして行きたい、ふるさとへ帰るのだ。」 讃美歌第2編178信仰にあふれた言葉よりも、時に弱さを吐露する言葉に惹かれる。「わしはときにぐらつくが」こんな言葉がふっと・・・わがうちには、固まりきらない精神の部分が残されていて情けなくもときに心があふれてくる。あぁ、なんとかして行きたい、ふるさとへ帰るのだ。
2018年02月26日
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「ケズイックコンベンション東京大会」に参加。ケスイックとは、イギリスの田舎にある町の名前で130年にわたりキリスト教の聖別会が行われてきた。その名を冠して日本でも行われてきた。メッセージを聴いて、うれしかった。昔のケズイック・メッセージと変わらない。信仰、献身、聖霊の満たしがシンプルに語られていた。大学4年生からこの集会に休みなく出席してきた。教会のご用を辞してから、出席をやめたが近年、東京大会に参加をシフトさせまた行くようになった。
2018年02月24日
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電子メールですべては事足りていた中、息子から改まった手紙がボクたち夫婦あてに来た。内容を読んで、親元から手放したんだと改めて感じる。あなたの祈りのリクエストは引き受けた。
2018年02月23日
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「あなたがわたしたちを あなたに向けて創られたからです、 そのため わたしたちの心は、 あなたのうちに憩うまでは 安らぎをえられません。」 アウグスチヌス「告白録」第1巻第1章より上の本を読み終えて満足感に浸っている。若き日の罪深い生活とその遍歴を、赤裸々に綴っている部分があるので昔の翻訳は「懺悔録」という本のタイトルが多い。そういう部分は目を引きやすいが、それが一部分であることは読めばわかる。神への問いかけの言葉であふれている。神への賛美の言葉もあふれている。神の愛への応答としての神への愛を綴った書物だ。宮谷宣史というかたが翻訳なさった本だ。宮谷先生は、ボクがまだ30歳代のはじめ、東静分区の教師会に来てくださった。アウグスチヌスについて御講義くださった。先生はまだ40代そこそこの若き研究者だったのだ。ご健在だったら、80歳を超えておられる。
2018年02月16日
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文書伝道に黙々と励んでいる友人ボクも文書伝道がしたいでも何を書くか浮かんでこない。今日、道を歩いている時に、書くことを思い立ったが家に着いたらすっかり忘れていた。初心に返って伝道をしたいと願う。先月末、妻は70になった。弱った体をいたわりつつもその生き方はぶれない。ボクはぶれる。今日も意義ある生き方をしただろうか自分を振り返ろうとしたが抜け殻になった自分を見た気がした。
2018年02月06日
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雪が降ったり、寒いが続いていたが今日は午後から晴れてきて暖かな日差しが差し込んだ。皆さんが帰った後は、窓から差し込んだ日当たりに身を当てた。今日は「立春」だからと、神様のお計らい?神様も粋なことをなさる。明日からまた冬に後戻りという。どうぞどうぞ春はゆっくり待ちますよ。
2018年02月04日
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アウグスチヌスの「告白録」を読んでいます。半分を過ぎました。彼は、まだプロテスタントと分裂前のカトリックなので今のカトリックとは少し違うようです。アウグスチヌスは神学者なのか哲学者なのか。「告白録」はすらすら読める部分と、ボクには難解でわからない部分があります。昨日読んだ箇所に「音楽」に言及している部分がありました。大意はこうです。音楽を聴いて感動した。しかし、それは音の流れが快かったのか。あるいは、神様を讃える歌詞に感動したのか。もし歌詞の内容ではなく音の流れに心を奪われたのならそのとき心は神様から離れていたのではないだろうか。ここを読んだとき、音楽を聴くことを趣味に持つボクは自分を恥じました。だってクラシック音楽のだれの演奏はこうだ、とかこのピアニストはああだとかあのソプラノ歌手はこうだ、とか神様を離れてそんな興味にのめり込んで、うつつを抜かしていたからです。ああ、アウグスチヌス!あなたは1500年を超えて、気づかせてくださいました。こんなナイーブな考え方をする人をボクは他に2人知っています。一人は、ブレーズ・パスカルもう一人は、ボクの妻です。
2018年02月03日
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