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子供が入院する静岡の病院から帰ってきた息子母親に夕食のうどんを作ってもらいボクが淹れたコーヒーを飲み愛妻を実家に残し今度はバイクで横浜に帰って行った。明日は日曜日だから店に居なきゃいけないと寒いからお腹にカイロを貼り革ジャンの下にウインドブレーカーを着スキーの手袋を付けマフラーをぐるぐる巻きマスクをかぶりヘルメットを付け日付が変わらないうちに着けばいいと兄ちゃん、それでコンビニに入るなよと弟に言われちょっとここを離れてからエンジンをかけろよとボクに言われしばしの悲しみを忘れるように微笑みながらバイクに乗り出して歌うようなエンジン音が遠ざかっていくそのマフラーからの音、遠くから聞いてもいいぞ。次に来たらまた乗らしてくれよ。
2010年01月30日
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真実に主の御前で悔い改めたことは、もう忘れてしまいなさい。「自分は、こうで、こういう罪を犯しましたが 主が十字架の血潮によってお赦し下さいました」などと、証しをしなくても良い。悔い改めた者の無言の喜びと輝きで周囲の人々に恵みをもたらすことが出来る。
2010年01月28日
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嵐のような苦難を通して家族の絆を深めて行きなさい。はるか彼方にせよきっと大団円が待っている。
2010年01月27日
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教派を異にしますが、近隣の牧師たちが集まりました。温泉場で1泊。牧師さんたちは話がお好き。温泉もお好き。時間が足りません。黙って聞いていたら「じゃぁ次、やまひで先生」
2010年01月26日
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2回続けて完全原稿なしで講壇に立ってしまった。2つの理由が考えられる。完全主義をやめられた象先生の影響が一つ。もうひとつは、先日の役員会での「伝道するのが面倒になるときがある」との一人の役員の言葉。メッセージの原稿書きが面倒になることもあると共感。
2010年01月25日
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「おはよう」の挨拶代わりに足跡を付けに行く。ついでにコメントがあれば読んでいく。
2010年01月24日
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生活の知恵を教えることは必要ない。上手に生きるすべを説く必要もない。ただ神の恵みの深さをだけを互いに語り合うこと。
2010年01月23日
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ここまではお世話でここからは過干渉愛の名で干渉されるなら愛はいらない
2010年01月21日
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夕の雑踏の中で孤独を感じた先刻別れてきた家族の顔を思い浮かべた
2010年01月20日
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人生とは流れる音楽のようだとどめたりつかまえたり出来ない残るのは余韻だけしわに刻まれてあるかも
2010年01月20日
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ブログってのは自分の一番いい部分を見せ合うのですね。何もかも書き殴ってはだめなんだ。掃きだめではないから。
2010年01月19日
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はるばると埼玉は飯能の近くから里山の麓を通り古びた軽自動車に乗ってやってきた今日は証しの当番それにギター奏楽午後も賛美の集いの伴奏こんなにもたくさんの主の御用をして「じゃぁね、暗くなるから」とそそくさと後にしてありがとうガソリン代もあげなかったがゆるしてくれ!
2010年01月17日
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一緒に祈るときには言葉の合間に「アーメン」とか入れるのは「合いの手」のようなものかな?今朝などは「天のお父様」と祈られてボクが呼ばれたわけではないのに「はい」なんて言ってしまい恥ずかしかった。
2010年01月16日
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神学校のライブラリーの棚に粗末な装丁の薄っぺらい本が目が留まる。「詩集・祈りの炎」本田清一このかたは牧師で、超教派の集会に良く顔を出されていたかた。ケズイックでも最近お顔が見えないな、と思っていたら96歳でなくなられていたようだ。詩を書かれる人でした。御名前のように清々(すがすが)しい詩。穏やかな中にも心熱い思いがみなぎっている。牧師らしい、メッセージに近いものもある。 聖霊の雨よ ふれ ひからびたわたしの心に (65頁)こんな感じです。気に入った詩はPCに書き込もうかしらネット検索すると、本田先生の詩が載せられているサイトを見つけた。解説付で。 ↓http://www.seiai.net/0602seisyo.html
2010年01月15日
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「気づくまで待ち続ける」ボクの「おはこ」だ。そんなボクが自分自身に気づきはじめた。
2010年01月14日
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寒中お見舞い申し上げます。こんな寒さは久しぶりと思いますが昔はこんな寒さ続きだったのでしょう。快晴の午後、電線がうなりをあげています。「大寒」まで、もう一息。強き生命力持て来たれ!午前はいつもの皆さんが「祈り会」に来られました。ありがとう!夜も集いがあります。外はぶるぶる。ウチは温か~祈りに燃えて、よし!
2010年01月13日
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「完全主義」とはどんな生き方なのだろう。説教の準備には、長い時間をかけ良く吟味して、どんなに忙しくても原稿を一言一句書く。自分が立てた一日の予定は、きっちりと黙々とこなす。年末に、あるかたが「完全主義をやめました」と書かれたこと、心に焼き付いています。ボクほどアバウトに生きてきた牧師も、ざらにはいないだろう。それでいて、「完全主義」なんていう言葉には惹かれてしまう。本当は「完全主義者」なのかも知れない。案外。60歳を過ぎたこの歳になっても自分のありのままの姿をつかみかねる。
2010年01月12日
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厳冬もあり猛暑もあり晴れの日もあり雨の日もありこの寒さの中の久々の雨雪に変わるかも知れない今夜は知り合いの通夜があるというのに
2010年01月12日
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朝の聖書の箇所を読んでいたら雨が葉を打つ音が聞こえてきた。立ち上がって外を見る。久しぶりの雨音を聞き入る。
2010年01月12日
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土曜日にお掃除に来て下さった方「土曜日の牧師さんってこんな暗い顔をしているのですか」と驚かれたことがある。今はそれほどではないか窓から差し込む明るい陽ざしとボクの心はやはりそぐわない。
2010年01月09日
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祈り会の後は、皆さんとクリスマスの飾りを外した。1時間かかった。講壇と玄関にあるツリーの飾りを外しツリーは3分割して箱にしまう。数カ所のリースを外す。外に出て、はしごを掛け星のディスプレーなどを下ろす。「すっきりしたけど、ちょっと寂しくなったな」妻に言うと「寂しくなったわ」特別に思いが深まったクリスマスだったから。また来年はあるかな?
2010年01月07日
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年末までの書類を整理していました。1枚のチラシに目が留まりました。恐らく10年以上も前、不倫の罪を犯して教界から姿を消したと思われた牧師さんの御名前。お顔の写真も・・・復活なさったようです。十字架に罪の赦しあり。死せる者、主のようにふたたびよみがえる。赦しの生きた証を携えて、光の世界に戻って来られた。
2010年01月06日
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寒風に逆らいながら走らせるバイク今日は息子のバイクに乗らせてもらった。それに乗って信徒さんの訪問をした。いつもは本田の実用車に乗っています。ピンクのナンバーでボクの愛車です。これも息子がよこしたバイクですが(汗;)今日乗ったバイクは、少年の頃からあこがれていました。町中で走っているのを見ると振り向いて見送ります。だいたい音を聞けばわかります。夢がかない、ついに走らせました。ボクはこのバイクに乗っていて一つのことに気づきました。こんなふうに運転をすれば事故はまず起きないだろう。そうだ、ボクたちの人生全体をこんなふうに舵取りをすればきっと誤らないで済むんだ。
2010年01月05日
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ブログにアップする言葉が浮かんだが手元にPCなくメモ帳もないそんなひらめきのことばをオン書きしなくてよかった
2010年01月04日
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正月の喜びは子供たちが次々と帰ってくる老いつつある親への心を互いに結び合い楽しいときは過ぎ今晩のウチには日々の営みに帰っていくきっと新しい決意をそれぞれに秘めて帰っていくこの者たちと明日もその次もまたその次もまたまたその次も共に過ごすことが出来れば良し否、お前には待っている明日は主の礼拝の喜びの日「翼の家族」が集まるではないかお前のもう一つの家族がお前の微笑みを待っていてお前はそこで喜びの檄を飛ばす使命がある。
2010年01月02日
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「すばらしい朝ですよ。 風も収まりました。 朝焼けがきれい。 月もまんまるで輝いていました。 富士山が真っ白です。」「朝の祈り」においで下さった信徒さんが祈りのあとで教えて下さいました。薄暗がりが光に入れ替わる頃車を走らせ川を越えて来られました。今日は明日の礼拝の準備です。
2010年01月02日
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暦が代わって1月1日キリスト者としての揺るぎない一歩を踏みしめる。皆さんの祝福をお祈りいたします。
2010年01月01日
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