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「今日は4つあった!」うれしそうに妻は言う。犬の落とし物を拾って歩くのは、彼女の日課。近所に一人暮らしの老婦人がいて時々、妻は訪問している。以前この婦人は愛犬と散歩していた。ところが婦人は老いのためにかがむことができず、犬の排泄物を拾うことができなかった。犬が死んだ翌日から、帯状疱疹を発症しついに家に引きこもる身となった。このことを知らされてから妻は犬の落とし物を拾うことに一層熱心になった。妻は病める身であり家族の介護で日々を暮らしているのだが生きている限り誰かの役に立ちたいと願う。
2015年01月30日
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パスカルを紹介する書籍は世に氾濫している。その中で、パスカルとその信仰について最も的確に著されているものはジルベルト・ペリエ著「パスカルの生涯」だろう。ジルベルトはパスカルの姉でありパスカルを看取った夫人。そこに姉の愛があふれている。またブレーズ(パスカル)の信仰を深く理解している人。『パンセ』丸写しの所もあり。涙無しには読めない。
2015年01月29日
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こちらに越してくる前にステレオセットを引き取ってくれる人を探したが見当たらなくて、仕方なく持ってきた。それが今、ボクの慰めとなる。プリメインアンプも、ターンテーブルも、スピーカーももう30年以上たっているので音が出なくなることがあり。それでもいつの間にか回復する。中古で入手したCDデッキの方も、回るとキィキィと機械音もするが肝心な音の信号は良いので、いつの間にか機械音は気にならなくなる。スピーカーは重くて腰を下ろさないと持てないくらいだ。昔は柔らかく震えたエッジはもうかりかりに固まってしまって不動だが、そのスピーカーから出る音がボクの心に安らぎを与えるのだ。
2015年01月28日
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朝方は雨9時頃、雨は上がり晴れ間が出る夕焼けに観とれたが夜9時頃から降りだしやがて本降りに雨晴雨音楽のA-B-Aの形式のようで楽し春を感じる
2015年01月27日
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朝方、懐かしいメロディーが心に浮かぶ。心の中で繰り返していると、讃美歌の1節と気づく。さっそく今朝の家庭礼拝でリクエストした。 きよき岸辺にやがて着きて あまつ御国についに昇らん その日数えて玉のみかどに 友もうからもわれを待つらん やがて会いなん めでにしものと やがて会いなん
2015年01月26日
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夜が明けると、上役人たちは護衛の者を遣わして、「あの者たちを釈放せよ」と看守長に言わせた。そこで看守長はこの言葉をパウロに伝えて、「上役人が、あなた方を釈放するようにと、使いをよこしました。さぁ、外に出て安心して旅を続けてください」と言った。(使徒行録16:36)パウロの第2回伝道旅行中、ヨーロッパに渡り最初の伝道の地、フィリピでの出来事です。パウロたちは捕らえられ獄に入れられましたが、釈放された時の場面です。この聖書の箇所を読んだボクの心に灯がともりました。イスラム国に捕らえられている後藤健二さんに、かく成るべし、と。機会があるたびにお祈りしています。一人で祈る時。妻と祈る時。礼拝の中の祈りで。
2015年01月25日
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六実駅からの帰り道道の真ん中で携帯電話を拾いました。警察に届けようかとも思いましたが、発信履歴が一番多い番号にかけてみました。急いで取りに見えました。自家製のらっきょう漬けをいただきました。
2015年01月23日
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「春になったら」とボクたち家族3人での行動予定を立てようとした。妻が、「もっと早くしましょう?」そして「間に合わないかも知れない」と真顔で言う。自分の動けなくなる日を予感しているようだ。ボクはコリント人への手紙にある聖句を思い出した。「死にかけているようであるが 見よ、生きている。」そう、あなたは大丈夫だよ。春に延ばしても夏に延ばしても秋に延ばしてもその次の冬に延ばしても。
2015年01月21日
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今朝妻との家庭礼拝で読んだ聖書は、ヨハネの第2の手紙。「短いけれど、良い手紙ね。」妻は感想を述べる。その内容は、真理による愛で互いに愛し合うこと。ほんとうにボクたちの教会時代は、この聖句のようだった。そして今の西佐津間家庭集会も、肉親愛のその上に真理による愛が輝いていると信じる。ヨハネの第二の手紙 長老のわたしから、真実に愛している選ばれた婦人とその子たちへ。あなたがたを愛しているのは、わたしだけではなく、真理を知っている者はみなそうである。それは、わたしたちのうちにあり、また永遠に共にあるべき真理によるのである。父なる神および父の御子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とが、真理と愛のうちにあって、わたしたちと共にあるように。 あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。(中略)あなたがたに書きおくることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところに行き、直接はなし合って、共に喜びに満ちあふれたいものである。選ばれたあなたの姉妹の子供たちが、あなたによろしく。
2015年01月20日
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今日は月1度の研究会で、2人の牧師と会合し勉強しました。話の中で、2人とも「スマートフォン」を持っていないことがわかりました。ボクは牧師はみんなスマホを所有しているものと思っていたので痛快でした。
2015年01月19日
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ボクたちの家庭礼拝では、説教の前に自由な証の時を持ちます。母、妻という順番ができています。今日の母の証です。新年から「創世記」を読み始め、読み終わったと。旧約聖書を全部読み終わるまで生きていられれば、感謝ですと。今年6月で87歳を迎える母です。
2015年01月18日
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前にすんでいた土地、静岡県三島市には、「グロリア合唱団」と名付けられたコーラスグループがある。その町の周辺の音楽好きな信徒さんたちは、そのコーラスに加わるのだ。この合唱団は、当初ヴィヴァルディの「グロリア」を歌うために結成されたという。そのリーダーの思い入れが甚(いた)く伝わってくる。ヴィヴァルディの「グロリア」とは、そんなにすばらしい曲なのか?そうですね~ヴィヴァルディの有名な「四季」と同じように明るくきれいな曲。合唱と詠唱が交互に歌い交わされます。一度聴いたら忘れられなくなります。
2015年01月17日
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昨日は、淀橋新年聖会に行く。昔は元旦から3が日、聖会を持っていた記憶。今は昔。今「成人の日」の一日聖会となる。午前は、本間義信先生の説教を久々に聴く。シンプル、端正、論旨明確。その師であった中島代作先生もこうだったのだろうと思う。今、はるか昔の師の説教に近づいて本間先生も本望だろうな。行く着くところに到着だ。淀橋教会聖歌隊が高野忠博先生作曲の讃美歌を2曲歌ってくださった。これを初めて聴いた気がする。これはまさに美しい日本の叙情讃美歌だ。高野先生の面目躍如。在りし日の聖書学校の授業を思い出す。感動、そして感謝。聖歌隊もすばらしく訓練されている。この2つの曲、どうして「新聖歌」に入れられなかったの?午後は、神学院の講師もしてくださっているパク・ヨンエさんの独唱があった。暖かく伸びやかな声に感動。ヨンエさん、すごいな。アルトで、バッハのカンタータの詠唱を歌って欲しいな。
2015年01月13日
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日曜日病妻が側にいて両親を介護する思いを胸に側にいる息子がいて80も半ばを過ぎる母が来て母をエスコートするわが弟が来てボクと合計5人テーブルを囲み礼拝を守っている。たったこれだけただこれだけの情景に平安を知り幸せをかみしめる。ほかのものは何もいらないくらい。寺子屋の先生のようにボクは礼拝説教をする。
2015年01月11日
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ボクが生まれ育った教会の付属幼稚園が創立60年を迎えその記念感謝礼拝に行ってきました。今日までどんなに祈られてきたかと思うと何を差し置いても行かなければと思いました。高校生の頃、教会に飛び込んだので幼稚園とは直接関わりませんでしたが卒園生たちが次々と教会学校の生徒となりその担当の一人となりました。子供たちと園庭で遊んだり山登りをしたり楽しい思い出は尽きません。その園長はボクの牧師代わりであり心のねじれていた高校生の相談に乗ってくださり遅くなれば夕食に招いて下さり話が終わるとリードオルガンでバッハを弾いて聴かせて下さいました。幼児教育が専門の自由思想家然としているかたでしたが信仰にも心熱く教会の仲間と一緒に立石や四ツ木の駅や街角で声を張り上げて路傍伝道もした昔日。改めて心をこめて老いた園長ご夫妻にお礼とお祝いを申し上げてきました。「ボクたち、しあわせ一杯でしたよね!!」
2015年01月10日
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外国暮らしの娘から新年早々の苦労話のメールがはいってきたのでそれを印刷し黙って妻に渡す。そのあとボクは返信メールをパチパチ「主よ助けてください。 主よ助けてください。」台所から妻の叫ばんばかりの声が聞こえる。
2015年01月09日
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風が冷たい一日で、寒さも底を打った感。それでも晴れていれば「極寒」というわけではない。散歩の途次朝日も夕日もきれいと妻は言う。自然はきれいと言う。神様が作られたままだからと言う。あなたもね。あなたはいつも自然のままだった。
2015年01月07日
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今日はエピファニー(公現日)当時のルーテル教会ではバッハの「クリスマス・オラトリオ」の第6曲(最終曲)が演奏されたようです。ボクも電車の中でそれを聴いていました。何度きいても、心があふれてきます。その明るさ、輝かしさ、安らかさ、豊かさ。人間のあらゆる良い感情が込められ歌われます。(全く自由な独断ですが)きっとバッハは「組曲第2番」で「クリスマス・オラトリオ」作曲の練習をしていたのかも?組曲第2番は、管弦楽の上にフルートの独奏が混じり合い快い音楽を奏でているのですが、クリスマス・オラトリオでは、フルートの代わりに、人の声が入れ替わるのです。エピファニーでひとまず、クリスマスのシーズンの終わり。ボクの「クリスマス・オラトリオ」巡礼も一段落としましょう。さぁ、もう受難節(レント)がすぐにやってきます。もちろん、次は「受難曲」の巡礼とするつもりです。
2015年01月06日
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友人から訪問を頼まれていた老婦人を訪ねました。千葉県最北の小さな老人施設です。evernoteのメモを見ると前回の訪問は10月末です。クリスマスにも行けず、正月も行けず、時は飛び去っていきますね。今日は冬らしい晴天で訪問日和このくらいの気温だと最高の季節です。彼女の所属教会の若い牧師夫妻の話をするとなつかしそうに喜ばれます。長居はしないようにして・・・・賛美と聖書、祈りみかんのお土産までいただいて恐縮しました。
2015年01月05日
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進んで戻って進んで戻ってまた進んで戻っているうちにいつの間にか夕日がいくらかは前に進んで来たのかな?
2015年01月04日
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日本中の、世界中の主の教会の明日の新年礼拝に祝福がありますように!すべてのキリスト教会にすべてのクリスチャンに前進の年となりますように
2015年01月03日
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今日もいつものように午前中の妻との散歩それから聖書を一緒に読んで、お祈り。外国暮しの娘からスカイプ電話の誘いこんなすてきな闖入者がある時もある。合間に箱根駅伝をテレビ観戦。最終区間はじっくりと見ることができたが、はらはらして見ていられない。次々とゴールインする若者を見ながらこみ上げるものが。妻に見られないように顔を隠す。いつもと変わらないように見えるがこうして振り返るとずいぶんいつもと変わっている。同じ事を繰り返すことでいつの間にか習熟する。だからねボクたちはもう人生のベテランさ!
2015年01月02日
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昨日と今日と何も変わりがないけれど年の数字が一つ増えたことは新鮮な感じ2015年平成27年今年もまっすぐに歩いて行こう光に向かって
2015年01月01日
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