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昨日は教会のイベントを持ちました。隣町で活動なさっているソプラノ歌手・濱野さんをお迎えし、歌を楽しみました。一音一音の中に表情があり、色が変わります。「アベマリア」、日本の歌、賛美歌、それぞれがステキでした。聖隷病院ホスピス病棟の初代チャプレン、佃和男先生のお話。「死を見つめられない人は、生も見つめられない」と。わかりやすい実例の連続で、あっという間に午前と午後の2回の講演が終わりました。いつもの倍以上のかたがたが来られて、小さいチャペルですが、いっぱいになりました。夜の礼拝はやめにしたのですが、余韻を惜しむ何人かが夜8時頃まで居残りで、話に花が咲きました。「やまひで先生のお話は、20分が1時間に感じるけど~ 佃先生のお話は、あっという間だったな~」 あ~よかったな~とつくづく思いました。側にいた娘は「父さんも10年ぐらいホスピスで働きなよ~ でも終わったら66歳か~」お祈り下さった皆さん、ありがとうございました。
2005年01月31日
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神の御名前を盾に戦争をするそう、使えるものは何でも使います雄々しく戦うためなら--------------神の御名前で武器を捨てることはわたしとわたしの国家の誇りが許しません
2005年01月30日
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「犬が散歩に行きたいって」「おなかがすいたって」「ここはいやだって」妻や娘が言うボクも聞きに行った「向こうへ行きたいかい?」キョトンとしていた
2005年01月29日
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NHK朝ドラ「わかば」のテーマソング「いやな歌い方だな」と思っていたでも毎朝聞くあれれいつの間にか、好きになっている歌詞をよく聞いていると、やさしさを感じる「がんばれるんだよ~」
2005年01月28日
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わが身はと言えば、親の言うことは聴かなかった。わざと反対のことをしたこともある。わが子たちに、親の言葉に耳を傾けよと言わないのはそのためもある。自分で黙々と道を切り開いて歩く子供たちを誇らかに感じることもある。そう!子育てはとびきりの恵み、とびきりの喜びだった。
2005年01月27日
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精神障害などの、生きづらさを抱えて生きることは、特別の努力を要すること。しかも何でもない人にはわかりにくい。人知れず悩み、もがきながら、生きることを目指す人たちやがて、あなたがたの天の父からお言葉を頂ける最初の人たちは、あなたがたに違いない。その父のあなたがたへの微笑みの前では、ノーベル賞も金メダルも何の力もない。『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』(マタイ25章)
2005年01月26日
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昨日の夜は、ダイニングで第9(ベートーベン)を聴きました。第1楽章、こんなに雄渾で美しい音楽がこの世にある喜びを味わえます。第2楽章、飛ばしました(笑)第3楽章、すべてがすみ渡って聞こえます。第4楽章、今までの楽章の旋律を少しづつ聴かせてから、「おお友よ、このような調べてではなく・・・・」と、人の声が入ります。そうか! 神をたたえるためには、言葉が必要だと言っているんだ。それから、最後まで、神をたたえ、平和を祈る言葉が歌われる。同じテーブルで手紙を書いていた妻が、「喜びの歌」の旋律が奏で始められると、一緒に歌い出した。讃美歌にあるので(笑)合唱になると、手紙を書きながら、こつこつとテーブルを叩き始めた。ボクは笑いをこらえた。
2005年01月25日
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今日はとても寒い月曜日でだれかさんのように「あんにゅい」になっていました。昼寝していたら「お父さん、電話よ」起こされてしまった今度は、ぴんぽん!知り合いの大工さん教会の外装、屋根のペンキ塗り、見積もり取っていただいたら2●●万円アンニュイ度がUP
2005年01月24日
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熱が38度以上もある小さいお子さんをお連れになって、信徒さん夫妻が礼拝に来られました。礼拝の後、いやしのために、お祈りをささげました。信徒さんを、御殿場の自宅まで送りました。夕方の冷たい雨は、御殿場市に入って雪になりました。夜の集いには、若い男性たちが3人。娘、私たち夫婦、合計6人になりました。今日は雨だから、無理かなぁ、と思っていました。カッパを着てバイクで来た青年も。最後の青年が家路についたのは、9時半ごろでした。今週も、信仰と愛と忍耐でお過ごし下さい。
2005年01月23日
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真冬の木曜日は、上京し、学校に出ました。午前11時頃、お茶の水のキリスト教ビル内の書店で買い物~ボクの学生時代は「お茶の水学生キリスト教会館」と呼んでいました。頼まれた日曜学校教師手帳を4冊ついでに目に入った「教会用クリップアート集2」も買いました。それから総武線に乗り、お手伝いしている学校へ向かいます。新年初授業ともあって、途中でケーキを買っていきました。学生の数が極端に少ないので、こういうことも出来ます。教室に入って「ケーキを食べよう」といったら、ビックリ。ティーパックも一緒に買って行きました。お勉強の時間は3分の1がそれで費やされたのですが、後の時間は、心なしか、いつもより充実していました。(笑)終わりのチャイムが鳴ったので、学生にお祈りをさせ、「じゃあ、またね、今年もよろしくね」と言ったら「先生の授業は、今年は今日が最後ですよ」あらっ
2005年01月22日
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もうずいぶん書き続けて700以上になりました。訪問者カウンタが一日100ぐらい上がるので、押し出されて書くことも多いです。読んでくださる方のために書くわけではありません。大部分は、自分自身のためだと思います。書くことで自分を振り返ることができます。それから、前の日記を読み直して、自分で心温めることも多いです。もう2月の声はすぐそこ。去年の2月には、「2月、光の季節」と書いた記憶があります。
2005年01月19日
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一神教ヤハウェというただ一人の神 <ユダヤ教>エホバというただ一人の神 <ものみの塔>アッラーというただ一人の神 <イスラム教>多神教「八百万(やおよろず)」の神「万霊万物尊崇」みんな仲良く!でも時には神様同士ケンカ他の神様や人間が仲裁にはいることもありわが信仰は? (キリスト教)天のお父様=神様その御子キリスト=神様上のお二人から派遣される聖霊=神様1+1+1=3じゃあ3人?いや1+1+1=[1]ボクの気持ち「あまりに深く愛し合い、信頼しあい、仕え合い、助け合い、尊敬仕合う3人は、まるで一人のように見えてしまう」
2005年01月18日
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戦争を始めたのは、彼らではないのに彼らは戦い、殺し、そして散っていくこの悲しみはどこへ持っていくのだ
2005年01月17日
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お話をしていて、涙が良く出て来る歳のせいなんだな前に座っている役員さんがそんなボクの顔をじっと見ている恥ずかしいな歳で涙腺がゆるむのだ70歳を過ぎたおじさまが司会をなさると聖書を読みながら絶句して、涙声になってくる
2005年01月16日
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「戦(いくさ)なき 世を歩みきて 思ひ出づ かの難(かた)き日を 生きし人々」歌会始にて、天皇の詠める歌平和の世に即位した恵みを思い戦に散った人々や共に耐えしのんだ人々を思っておられるのだ穏やかで素朴な平和への希求心に誇りを覚えた
2005年01月15日
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(ご案内です) 聖隷ホスピス初代チャプレン 佃和男先生のお話。そして、濱野さえ子さんとその仲間たちが なつかしい日本の歌や賛美歌を歌って下さいます。 今年の「西教会アワー」は、静岡県新居町ご出身の、佃 和男先生をお招きしました。 佃先生は聖隷三方原病院の創設者・故長谷川保氏に師事され、医療の現場でキリストの福音を伝えてこられました。聖隷三方原病院に「ホスピス病棟」が開設された際には初代チャプレンとして奉職、患者さんたちの心のケアーにあたられました。 「日本の歌」「讃美歌」を歌って下さる濱野さえ子さんは、ドイツの音楽大学を卒業、長泉町にご家庭を持たれ、上野さん、川瀬さんとチームで、音楽奉仕のボランティア等をなさっておられます。 今回、「西教会アワー」のためにご出演をご快諾下さり感謝しております。どうぞ、ご期待下さり、お誘い合わせの上、お出かけ下さいますように、心からご案内申し上げます。牧師・やまひで日時・1月30日(日)午後1時半~3時ごろまで場所・ 三島西キリスト教会(JR三島駅下車、西へ徒歩約15分)歌・濱野さえ子さん、ピアノ・上野晴美さん、朗読・川瀬千鶴子さん <曲目> 「シューベルトのアヴェマリア」 「椰子の実」「ペチカ」「赤とんぼ」 朗読と歌『日本の笛』より「伊那」 「山は雪かよ」「野焼きの頃」 讃美歌「主よ御手もて」 「栄えに満ちたる」 「驚くばかりの(アメイジンググレイス)」<講演題> 「孤独と罪からの解放」 なお、この日は午前10時45分からの礼拝でも、佃師のメッセージがあります。題「死とどう向き合うか」(午前の礼拝では濱野さんたちの出演はありません)★申し訳ありませんが駐車スペースが限られていますので、他の交通手段でお願いいたします。
2005年01月14日
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「毎日書き込むから日記という」と思うと、これは大変な作業だ。 「今日はめんどうくさい」 「価値を見いだせなくなった」 「NETに、おおっぴらにする必要があろうか」読まれても読まれなくても、黙々と書き綴っている人を目標にとりあえず今日も書き込むとしよう。
2005年01月13日
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BS第2で「あぐり」の再放送をしている。あぐりは不器用だが、颯爽としていて、ステキだ。今晩は、お母さんが亡くなる場面だった。死にゆく母は、春に控えている娘(あぐりの妹)の挙式に間に合わない。そこでその子は、花嫁の姿をして病室を訪れる。あぐりもあぐりの義父母も正装して訪れ、死にゆこうとする人を慰める。あぐりの母を演じた松原智恵子さんは、本当に今にも死にそうな顔をしていた。ボクはもう嗚咽しそうだった(2回目なのに)事実がバックになって、この連ドラが作られていると思うと、余計に感極まる。
2005年01月11日
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長女のささやかな誕生会を妻と3人でした。ショートケーキが3つ、あと紅茶(ケーキは5つ買ったがあと2つは冷蔵庫へ)ボクたちは「ハッピィバースデー」を高らかに歌った。シャイな娘は恥ずかしそう。「お父さん、お祈り、お祈り」妻に促されて、「よし来た」と勢い込んでお祈りをはじめたのは良かったがだんだん胸が詰まってきて声が小さく・・・・お祈りが終わってケーキを食べて娘が言った「もう一つ歳取るまでにあと1年あるからいいや」
2005年01月10日
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「たとえ地をはいつくばったとしても、信仰を捨てなかった。」これは ↑ 礼拝のためのお話原稿を脱稿した際に、思わず心からあふれ出て、書いてしまったものです。もう礼拝が始まる直前でした。「キリストは十字架の死に至るまで神の御心に従順であられた」と言うのが、今日取り上げた聖書の内容でした。(フィリピ2章) ボクなりに、キリストの生涯を言い換えたものでした。 そして信者もまたキリストを模範として(型として)生きていきます。
2005年01月09日
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ハンス・クナッパーツブッシュ1960年代に亡くなっている指揮者録音嫌い、実況録音が多い。名前が重々しく長い。顔つきが精悍。職人の風采。ワルターのように穏やかな芸術家然としていない。その音楽づくり、うねりのように音が鳴る。テンポが遅い。メリハリがある。こせこせしていない。楽しんでいるようにも聞こえる。 楽員たちと宴会をして、聴衆に見せ(聴かせ)ている。酒ではなく、音楽に酔う。同じ曲を毎晩のように(寝ながら)聴いても、飽きが来ないのはなぜか?
2005年01月08日
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<告白してから30年>ボクたちは寮生で、その日あなたは賄い当番だったあなたは夕食の買い物に出ていた店先で自転車を引いているあなたを見たボクはあなたの所に近づき、共に歩いたあの時が、ボクたちの旅路の始まりだった
2005年01月07日
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「祈り」とは効用のあるものだ。「祈り」は祈ったことが実現すると同時に、祈る人の心を変えていく。祈っている中で身に着いてくるものがある。自分への気づき、忍耐力・・・・と言ったもの。そして祈りの実現の時はきっと来る。
2005年01月06日
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神を信じる人とは、「希望」という字が消えない、「魔法の書き板」を所有している人のようなものだ。
2005年01月05日
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ずっと話し続ける人は、話しながら「自分探し」をしているのだろう。だからこちらの意見をさしはさむ必要はない。そういう人は、自分の言葉の中に、自分自身の姿を映し出しているように思える。
2005年01月04日
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老人ホームに入所した人が置いていかれた冷蔵庫を使わせていただいていた。その方も亡くなり、冷蔵庫も冷えなくなった。冷蔵庫を求めて、リサイクル店を回る。休日の娘も付き合ってくれた。リサイクル品を見ている内に、新しいのが欲しくなってくる。「新しいのを、見に行くよ」と言ったら、娘が「○○電気に案内してあげる」めったに行かない大型家電店へリサイクル店で見たようなものが倍の値で買えた。よかった!
2005年01月03日
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日曜礼拝の後、皆さんで食事をしましたそれから残った人たち数人「どこかへ遊びに行こうか」「山だ、山がいい」「え~? また? やまひで先生の遊びは“山”しかないのぉ?」山はいいなぁ犬も一緒絵はがきのような富士山箱根の山、伊豆の山、沼津アルプスが身近晴れ渡っているので、南アルプスさえ見晴るかす教会は見えるかな?○○ちゃんのおうちは?あるあるみんなでワァワァ景色を眺めてから山頂広場でバドミントンに興じる山に登ったから、今度は海に行こう沼津・千本浜海岸に向かう浜に寝転がったら、みんなが寄ってきて写真を撮られた寝転がってみる景色はいいなぁ
2005年01月02日
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冷たい雨の昨日とはうって変わって真っ青な空のもと神の家族のみなさんが集まって下さった「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。・・・・・キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」エフェソの信徒への手紙2章19~20節神様に託された一つの教会を「神の家族」として建てあげる、それは「愛の家族」にほかならない。そのことをみなさんにお話し、共にお祈りを仕合った。皆さんのうれしそうな輝いたお顔!一年最初の日をこのようにスタートできた満足感。「明日またお会いしましょうね」と。
2005年01月01日
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