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目裏に描くとか、瞼の裏に影像を想い描くなどとは、しばしば言われる一般的な表現である。私もまたじつにしばしば目裏に影像が浮かぶ。しかし、私の場合は、自分が目をつむっているのか閉じているのか、とっさに判断できないことがある。だいたい眼前より50cmほど離れた空間に影像が浮かぶのであるが、暗がりに浮かんでいるのではなく、通常の昼間の明るさのなかに浮かんでいるので、その影像を目をひらいて見ているのではないかと錯覚するのである。ヘンな気持ちで、目をあいてみて、今まで見ていた影像とはちがう、見慣れた寝室がそこにひろがっているのを確認することになるのだ。 昨夜、私の目裏に浮かんだ像は、一種の幾何学模様だった。まるで飛行する航空機から地上の街を見たような、薄緑色の平原(平面)に、さまざまな色合いの四角な屋根(?)が張り付いていた。いや、屋根とも違う。適当な画像がないのだが、益富壽之助著『原色岩石図鑑』(保育社)に含磁鉄鉱ざくろ石角閃片岩の顕微鏡写真がやや似ているか。ただし私の目の裏の映像はもっとずっと単純で、結晶がほぼ正方形あるいは長方形で、赤や青や黄色の原色である。 これはもう目をあけて確認するまでもなく、幻像である。しかし、どなたか経験がお有りの人もいるだろうが、目裏に自分の毛細血管が見えることがある。昨夜の影像は、幻像というよりむしろ私自身の生理システムを見ていたのかもしれない。それでここに記録しておくことにした。
Aug 31, 2023
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小声で唱歌「浜辺の歌」を口ずさんでいた。その歌から連想的に頭の片隅に「さくら貝の歌」が思い浮かんできた。そして、ひとつのゲームを思いついた。脳を活性化するゲーム。78歳の私だから、ここは認知症予防ゲームと言ったほうがよいかもしれない。 「〇△の歌」と題する歌を、思いつくかぎりどんどん歌ってゆくのである。 私はカラオケはしないが、こどもの時からどこからともなく聞こえてくる歌を、何度も聞いているうちにいつのまにか記憶してしまい、かなりたくさんの歌がうたえる。どちらかというとメロディーを記憶しているのであって、歌詞のほうはあやふや。もしかすると1番と2,3番がごちゃまぜになっているかもしれない。 それはともかく、私はさっそくこのゲームを始めた。次に書き出してみよう。だいたいうたった順番である。書き出して気づいたが、やはり何らかの連想がはたらいている。カンニングは無しである。 では、・・・ 「浜辺の歌」 あした浜辺をさまよえば〜 「さくら貝の歌」 うるわしき さくら貝ひとつ〜 「あざみの歌」 山には山の憂いあり〜 「りんごの唄」 赤いりんごに唇寄せて〜 「四季の歌」 春を愛するひとは〜 「黒百合の歌」 黒百合は恋の花 愛する人に〜 「白鳥の歌」 白鳥は悲しからずや 空の青〜 「惜別の歌」 遠き別れに耐えかねて〜 「琵琶湖周航の歌」 我は湖(うみ)の子 放浪の〜 「連絡船の唄」 思い切れない未練のテープ〜 「ゴンドラの唄」 命短し恋せよ乙女〜 「女心の唄」 あなただけはと信じつつ〜 「あけみの唄」 あけみ悲しや 何処に行く〜 「明治一代女の唄」 浮いた浮いたと浜町河岸に〜 「越後獅子の唄」 笛にうかれて 逆立ちすれば〜 「サーカスの唄」 旅のつばくろ淋しかぁないか〜 「いっぽんどっこの唄」 襤褸は着てても心の錦〜 全部で17曲か。我ながら、ずいぶん歌ったものだ。まだ記憶力は衰えていなさそうだ。 これに「歌」「小唄」「子守唄」となれば・・・ 「故郷を離るる歌」 園の小百合 撫子 垣根の千草〜 「勘太郎月夜唄」 影か柳か 勘太郎さんか〜 「お島千太郎旅唄」 春の風に散りゆく花か〜 「おんな船頭唄」 嬉しがらせて泣かせて消えた〜 「船頭小唄」 おれは河原の枯れすすき〜 「紫小唄」 流す涙が お芝居ならば〜 「赤城の子守唄」 泣くなよしよし 寝んねしな〜 「浪曲子守唄」 逃げた女房に未練はないが〜 「ひとり寝の子守唄」 ひとりで寝るときにゃヨ〜 「五木の子守唄」「竹田の子守唄」「中国地方の子守唄」・・・・ こんなふうに連想で繰り広げると、私は画家なので歌詞に散りばめられている「色」でもできそうだ。 たとえば、・・・「緑のそよ風 いい日だね〜」「緑の森のかなたから 陽気な歌が聞こえましょ〜」「緑の風も爽やかに 握るハンドル こころも軽く〜」「青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が〜」「青空見たら 綿のような雲が〜」「空の青さに海の青 南の風に緑葉の 芭蕉は情けに〜」「月がとっても青いから 遠回りして帰ろう〜」「青い夜霧に火影が赤い〜」「赤い灯 青い灯 ともる街角に〜」「赤いドレスがよく似合う 君と初めて遭ったのは〜」「真っ赤なドレスがよく似合う あの娘想うてむせぶのか~」「赤と黒とのドレスの渦に ナイトクラブの夜は更ける〜」「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた〜」「ひよこがネ お庭で・・隠れん坊・・黄色い帽子が〜」「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花〜」「若い娘がウッフン お色気ありそで・・黄色いさくらんぼ~」「白い花が咲いてた〜」「白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は〜」「黒い花びら 静かに散った〜」 ・・・いかがでしょう。 歌詞の中に色を見つけるので、少し難しくなるかもしれません。上の歌の題名は、・・・まあ、書き出すのはやめますが、こうして見ると、詞に詠みこまれる色といっても原色ばかりです。当然といえば当然です。混色など複雑な色合いになると、「錦」になってしまいます。「錦織りなす長堤に〜(『花』)」とか、「溪(たに)の流れに・・赤や黄色の色さまざまに 水の上にも織る錦(『紅葉』)」、「春は桜の綾衣 秋は紅葉の唐錦(『天然の美』)」という具合です。 そうそう、三波春夫さんの『大利根月夜』に、「利根の川風 よしきりの ・・・江戸へ江戸へひと刷毛 あかね雲」というのがあった。「茜」ですね。伊藤久男さんの『山の煙』にもあった。たしか3番。「山の煙のたそがれに・・・淡い夕日が染めた茜の なつかしく」。 上に挙げた『紫小唄』は、しかしながら歌詞に紫色は出てきません。この歌は三上於菟吉の小説『雪之丞変化』を下敷きにした歌謡曲。父母を惨殺された息子が、芝居の女形(おやま)に身をやつして仇に復習してゆく物語。江戸時代の女形は、結い上げた髷に紫の縮緬の小布をかけた。紫帽子といった。『紫小唄』の題名の由縁です。・・・と、書いたところで一曲思い出しました。灰田勝彦さんが歌った『新雪』の歌い出しは「紫けむる新雪の 峰ふり仰ぐ このこころ〜」。高くそびえる冬山に降った新雪が紫にけむっている。雪といえば白、という思い込みを見事に美しく裏切っていて、この紫はすばらしい。 思い出して上に載せた「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花〜」は、橋幸夫さんの『雨の中の二人』。この歌は、雨の情緒をうたった日本の歌謡曲ではめずらしく、湿り気がない明るい歌。大変めずらしいと言ってよいかもしれません。「色」からは逸れますが。 ほかにもたとえば『◯△ブルース』の題名の歌。『雨のブルース』『別れのブルース』『夜霧のブルース』『港町ブルース』『盛り場ブルース』『柳ヶ瀬ブルース』『中の島ブルース』『宗右衛門町ブルース』『君忘れじのブルース』『恍惚のブルース』『伊勢佐木町ブルース』『新宿ブルース』『女のブルース』『東京ブルース』『長崎ブルース』『思案橋ブルース』『上海ブルース』『赤と黒のブルース』・・・等々。たちまちこれだけ思い出しました。『◯△ブルース』は連想しやすいかもしれません。もっとも西田佐知子さんの『東京ブルース』のリズムはタンゴですね。歌謡曲にはタンゴのリズムを取り入れた曲がたくさんあります。タンゴは日本人の感性にあうのでしょうか。 認知症予防にやってみてはいかがでしょう。歌えればなお良いでしょうが、歌えなくとも題名だけでも脳はスパークするでしょう。喉も肺も鍛えられ、誤嚥性肺炎の予防にもなるかもしれません。ちなみに思い出したブルースを私はうたえます。ちょっと我ながらあきれてますが。 それにしても、こうして実際にうたってみると、私には趣味嗜好が無いことにあらためて気づく。何でも咀嚼してしまう。無邪気な童謡からヤクザ歌まで。食い意地が張っているのだろう。それはそうだ、終戦になるまでまぢかに来ていた、ぎりぎり戦時中の食い物が不足していたときに生まれたのだから。また同時に、こうして、私は覚えるつもりはないのに、いつのまにか記憶させてしまう、歌の力を感じないわけにゆかない。
Aug 30, 2023
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ああ、こういうニュースにであうと、いったい何と言ったらいいのだろう。インドの或る小学校でイスラム教徒7歳の児童に対し、子供たち全員が平手打ちをするように女性教師が指示をした。その様子を撮影し、SNSに投稿した。・・・CNNが報じ、その動画の一部分もあわせて掲載している。 CNN インドで教師がイスラム教徒児童を平手打ちするよう指示 女性教師や学校当局は、宗教差別ではないと他の理由を付けて弁明している。しかし、仮にインドの宗教人口の約80%のヒンドゥー教の児童に対して、他の子供たち全員がリンチを科すようにこの教師は指示したかどうか。 私は、このニュースにしばし言葉を失い、コメントすらできない。人間性を逸脱したこのような教師(狂師)が出現し、処罰されないこともある、とだけを確認しておこう。【後日の記】 上のニュースに接した時、じつは一つのことに気づいていた。次のようなことである。 インドではかなり頻繁に男が集団で一人の女性をレイプする事件が起こっているようだ。成人女性のみならず、年端もいかない少女も、むごたらしい犠牲になっている。あるいは一家の名誉を傷付けたとかいう名目で、父親や夫が娘や妻を殺めたり、あろうことか火を放って焼殺したりの事件もある。夫の死後、残された妻が、親族の無情さによって、焼身自殺に追い詰められた事件もあった。 根底にあるのは女性蔑視の思想であり、それが宗教教義にまぎれこんでいたり、家父長制度や社会階級制度に一体化されている。しかも集団レイプのように、一種ご都合主義的な面も垣間見られる社会意識が、社会正義の名の下に女性犠牲者を血祭りにあげていると、少なくとも私には思える。 上のニュースの小学校の女性教師は、子供を教える立場の教師としてばかりでなく、蔑視されている(あるいは蔑視されがちな)女性の立場を自らに引き受けて理解していたなら、自分が指示した学級児童集団による私刑(リンチ)が、じつはインド社会で頻発している上述の事件とまったく根を一つにすることに気づいたはずだ。 それともこの女性教師は、教師といういわばエリート性によって、男性的社会意識を自らの精神に育んでしまっていたのだろうか。 イスラム教徒の7歳の少年に対して平手打ちのリンチを加えた子供達は、やがて大人になって同様な言動を社会正義とするかもしれない。しないという保証はまったくない。そしてもし、将来、リンチに加わる場面に遭遇した時、子供の時の平手打ちにした経験が、心理的歯止めを破るモチベーションになり、かわって心理的痛みを覆い隠す「社会正義」が頭を擡げるであろう。 (9月2日 記)
Aug 29, 2023
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小庭の柿の木がヒロヘリアオイラガの幼虫に食われてほぼ全滅状態になったことは先日書いた。その後、殺虫剤を散布してどうにか退治したが、退治がおくれたために柿は数えるほどしか生っていない。昨年は食べきれないほど生り、ご近所にも差し上げ、それでも処分に困るほどの豊作だった。それがまるで夢であったかのように、今年は食い荒らされて葉脈だけになった枯葉ばかりが目立つ。ほんの少しばかりの実が青ざめたような朱に色づいていて、朝、鳥たちが来て啄んでいる。しかしそれも、わざわざ来るほどのこともないと鳥たちは思ったか、食いかけの実が2,3個落ちているだけだ。例年、朝夕、食いかけの落柿を掃除するのがいささかしんどかったのだが・・・ そうそう、昨夕、はじめてキリギリスの鳴き音を聞いた。昼間には、生まれ出たばかりのような、ショウリョウバッタが門前の石段にいた。よく鳴いていたキリギリスは、しかし宵闇が深くなるころにはピタリと鳴き止んだ。おもしろいな、と私は思ったのだが、どうしたことか今日はまったく鳴いていない。キリギリスの「都合」・・・そうにはちがいなかろうが、その「都合」を私は彼らに訊いてみたい気がする。ハハハ。 灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆(生年不詳-1714)【註】 昔の句に「きりぎりす」と詠んだのは現在の「こおろぎ」のことである。現在の「きりぎりす」は、昔は「はたおり」と言った。たぶん「ギー・チョン、ギー・チョン」というように聞こえる鳴き声が、「機織り」の音に似ているからではないだろうか。 ついでながら「灰汁(あく)」は染物に使用した。藍染は藍建てといって藍草を自然発酵させた蒅(すくも)を作り、この蒅を泥状にして甕にいれ木灰などを冷水で攪拌し、一昼夜置いて加熱すると発酵がはじまるのである。また、紫を染めるには椿の灰を用いた。 藍草は春に植替えをし、秋口に採り入れた。染色は秋から厳冬に行われ、上の凡兆の句の「灰汁桶」にはすでに季節が読み込まれている。秋の紺屋の一隅の景色がこの句の味わいである。
Aug 28, 2023
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秋草の露 さよならも言わず去りゆく夏の日々 青穹(山田維史) さよならも言わず去りゆく夏の恋 水切りの小石投げたり月見草 新涼や戸をたたかずに佇めり 秋風や訪いの戸をためらいて 日曜は大工音なく秋の蝉 今日はきょう明日はあしたの草の露
Aug 27, 2023
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先日8月23日のCNNが、「米スミソニアン博物館、有色人種の人体部位を大量収集 事務局長が謝罪」と題した記事を掲載した。 スミソニアン協会が1900年代初頭に、ほとんど同意のないまま有色人種の255の脳を含む約37,000体の人体部位を収集した。人類学者アレス・ハードリチカ(1869-1943)の指示により、白人のほうが有色人種より優れているといういわゆる白人至上思想を広めるためであった。もちろん現在ではこの思想が科学的に誤りであることが証明されている。人種にはまったく優劣の差異がないことが判っている。人類学者によるこの「事態」が何を示唆しているかというと、人種差別は科学に根拠をもとめていたということだ。再び言うが、それは擬似科学である。 スミソニアン博物館は、その事態からおよそ100年経った先日、時代を問わずそのような非倫理的なみずからの行為を謝罪した。 ところで人類学的研究の名の下での同様な事態は日本でもあった。1939年から1956年にかけて北海道大学が行なったアイヌの人骨収集である。1,004体におよぶ。この盗掘収集のあいだ警察がアイヌの人々を排除していた。盗掘された遺骨のなかにはアイヌの名士数人の遺骨が含まれていた。 この収集も研究目的とされていたが、アイヌに対する差別感があったことは、絶滅した動物の骨と同列に展示したことにあらわれている。現在、遺骨は1984年につくられた納骨堂におさめられている。 さて、以上の事態を踏まえ、またいっこうに止むことがない人種差別について考えるために、私が知る限り最も公平な論述と思う本を紹介します。まさにアレス・ハードリチカの指示によりスミソニアン協会が有色人種の人骨を収集し、また北海道大学がアイヌの遺骨を収集していた時期に、さらに重大なのはヒトラーによるユダヤ人殲滅計画が進んでいた時期に、この本は警告のように執筆された。 自国を愛する心は、多民族の文化や人種を軽侮しなくても、知的に自立していれば誇らしくあれるのだ。自己と他人を比較する必要はまったくない。他人を貶したからといって己が優秀ということにはならない。自己を愛し、自国を愛するということが、「主義」による必要はないのである。紹介する本書は、そのことを示唆している。 ルース・ベネディクト『レイシズム』 阿部大樹訳、講談社学術文庫、2020年刊 著者ルース・ベネディクト(1887-1948) は、日本文化論の『菊と刀』でご存知のとおり。本書『レイシズム』は、旧版旧訳があるが、阿部氏の訳書はベネディクト自身が旧版を改稿したものである。阿部氏の訳は大変読みやすく、また阿部氏は巻末に「レイシズムを乗り越えるための文献案内」を付している。これによって阿部氏がいかなる考えがあって1940年に刊行された本書をいま訳されたかが推測できる。ルース・ベネディクト、阿部大樹訳『レイシズム』講談社学術文庫、2020年刊 CNN 米スミソニアン博物館の有色人種の人体部位
Aug 26, 2023
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平山城址にて 何も無き山城の跡荻の風 青穹(山田維史) 草伏して山城の跡荻の風 赤城富士高尾のぞみて城の秋 猿狸いづこに行きし城の秋 猿狸いづこに追われ城の秋 猿渡(さわたり)の池水のほとり月見草 猿渡の隠水(こもりず)暮れて月見草 秋茄子や火影のもとに艶めきて 秋茄子や火影にすぐる紫紺かな 秋茄子や白磁にすぐる古き妻 秋茄子や深き紫紺に老いの恋
Aug 25, 2023
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Aug 24, 2023
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昨日8月23日午後、ロシアのワグネル創設者ブリゴジン氏のプライベートジェット機が、モスクワ北部トベリ州上空を飛行中に突然異常な速度で落下し、そのままほぼ垂直に地上に激突して炎上した。乗員10名が全員死亡した。この搭乗者名簿にブリゴジン氏の名前があり、ロシア連邦航空輸送庁はブリゴジン氏の死亡を確認したと、ロシア国営メディアが伝えた。また搭乗者リストにはワグネルの共同創設者ウトキン氏の名前もあり、やはり死亡したとみられる。この情報はワグネルの指導者がいなくなったことを意味する。 同機が突然ほぼ垂直に落下する映像が公開されている。 ・・・私的感想だが、草原のまんなかで随分都合よく、まるで待ち構えていたように墜落の瞬間を撮影できたな、という印象をぬぐいきれない。しかも不測の事態におけるアマチュア・カメラマンの遠景撮影にありがちな、はげしい手ブレやキョロキョロ目移りする視線の不安定さが、この映像には無い。ロイター通信によって撮影地点は解析されているらしい。BBC World Service 墜落時映像CNN フライト追跡データ「劇的な下降」 CNN バイデン大統領の墜落に関する発言CNN ウクライナ高官の見解毎日新聞 ブリゴジン氏死亡報道朝日新聞 「プーチン氏の命令」米研究所
Aug 24, 2023
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小庭の小さな秋 抜け殻を残して遠啼く秋の蝉 青穹(山田維史) 秋草や夏のなごりの稲光 水引ののびたるさきに雨しずく 湯上りの裸にふいと新涼かな
Aug 23, 2023
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今夜は家族が東京を離れてある老舗レストランのシェフ主催のパーティーに出席し、私は留守番役。さきほど独りでビーフステーキを焼いて食べた。毎日料理をつくっているが、自分一人だとやはり簡単にすませてしまう。ここ2週間ほど連日仕事がつづき、一昨日の20日にようやく一段落した。終わったとたんに身体が眠りを要求し、二日連続でそれぞれ8時間くらい寝た。今夜もすでに瞼が重い。
Aug 22, 2023
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暑さはまだまだ鎮まらないが、小庭に舞っていたキアゲハは秋型だった。2,3週ほど前には夏型が舞っていたのだから、自然の営みは確実に夏の終わりを告げている。 近所の八幡神社の祭りのポスターが掲出されていた。 秋祭りといえば、わが町の近隣。隣町と言ってよいだろうが、祭りが近づくと街路に沿って注連(しめ)が張られる。私自身には産土(うぶすな)と言えるような、いわば心身を育み、心身に食い込んだ風土性がないので、それぞれの土地に伝統的な祭りのシキタリを何一つ知らない。その私の目に、町全体を囲うように街路に注連縄を張るシキタリは興味深い。 注連は、そもそも結界を表す。この世とあの世、あるいは神域と人間界との境界である。したがって町全体を囲むように注連を張るということの根本思想は、信仰教義の何に起因するのだろうか。その世界像(宗教的宇宙イメージ)はどのようなものであるのか。 たとえば、平等人間界という球体空間宇宙を提示し、しかしながらその中に厳然とそびえる身分・階級ヒエラルキーの三角錐。幻想のなかに現実の支配構造がカッチリはめ込まれている世界。・・・このイメージを思い描いてみてほしい。すると現実の社会が明確な観念として立ち上がってくるだろう。 私が言う世界構造のイメージとは、文字どうりの思想の視覚化。世界(大小の社会)を形作っている目に見えにくい思想的構造を目に見えるようにする、そういうことを指す。 私は、『夢幻能の劇構造と白山信仰私考』(1994) において、白山信仰の宇宙像は「あの世この世(彼岸此岸)」が、パラレル・ワールド(平行世界)なのではなく、あたかも浸透膜一枚の差で変換可能な入れ子構造である、と論述した。 ダンテの『新曲;La Divina Commedia』によるボッテチェリの「地獄」(1490) のイメージは、裏返った漏斗状である。(下の画像) ボッテチェリの地獄図 現代人である町の住民は、その注連縄をおそらく祭りの「飾り」とだけ考えているかもしれない。しかし、住民の無意識には言葉にできない(ならない)、何らかのぼんやりしたイメージがつくられているはずだ。私はそれを知りたい。 宗教や哲学のみならず、政治的支配構造はもちろんあらゆる思想が、世界をどんなイメージでとらえているかは、私の常日頃からの大いなる関心ごとである。
Aug 21, 2023
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大阪府所蔵の美術作品105点が大阪市住之江区の咲洲庁舎の地下駐車場に置かれていることが過日わかった。私は呆れるより、どうせそんなことだと思い、関係機関・関係者連中の文化教養程度の低さに絶望的になる。 かつて安宅産業株式会社が収集した国宝2点と重要文化財12件を含む約1,000点におよぶ見事な東洋陶磁コレクションが、安宅産業の事実上の倒産により、その行方が懸念された。結局は同社の主要銀行だった住友銀行が買い取り、最終的に住友銀行は大阪市に寄贈し、現在の大阪市立東洋陶磁美術館の柱として収蔵された。じつは安宅コレクションの行方について世界が色めき立ったとき、その一部がニューヨーク・メトロポリタン美術館に展示されたのを、私はニューヨークで観ていた。見事な東洋風な会場セッティングの静謐な展覧会だった。私はコレクションをめぐる状況が如何様になっているか、もちらん知る由もなかったが、「このままメトロポリタン美術館の所有になってしまうのだろうか・・・」と、ヘンな不安感を抱いた。「ヘンな」と言うのは、「メトロポリタン美術館ならこのコレクションの安住の地になるだろう。それは不安定な日本に在るより良いかもしれない」という、アンビバレントな思いだった。 さらにもう一件。 日本がいわゆるバブル景気に沸いた時期、某社がアンゼルム・キーファーの代表的な大型作品を買い集めた。このことはあまり一般的に知られていなかった。しかし、それが一気に知られることになった。某社が破綻し、アンゼルム・キーファー作品が売却されることになったのだ。たしか売却前にある美術館で全作品の展覧会が開かれた。それはまさにキーファーの傑作揃いと言ってよかった。私は現代ドイツ表現主義を代表するアンゼルム・キーファーの作品が大量に日本国内に存在していたことに驚いた。それを収集した某社の「見識」にも驚いた・・・と言いたいところだが、この売却話によってそれが見識ではなく、文化的教養でもないことが判明したのだ。それは「投機」の対象だったのだろう。 このコレクションを一括購入したのはスイスの或る私設美術館だったはずだ。美術館オーナーは、「この傑作が二度とこの美術館から出ることはない」と言明したとか・・・ またもや私はため息だった。そして、「美術作品というものはそれを所有すべき人を知っている」と思った。 さて、冒頭の咲洲(さきしま)庁舎の地下駐車場に放置されている美術作品群だが、大阪府は今日8月18日に専門家からなる「アート作品活用・保全検討チーム」の初会合を開催した。毎日新聞が報じている。 まあ、その記事を読む限り、はっきり言ってバカ者の集まりですな。人類が4万年間、営々と美術作品を作り続けてきた、その意味を、彼らは彼らの人生で一度も考えたことがないだろう。発言の端々におのずと現れている。教養とは、そういうことだ。岡目八目、当人には分からない教養の有る無しが他人には分かるんだ。婚活だ終活だなどと言っていると、漢文の素養がないことがわかってしまうわけだ。専門家だなどと言ってとりつくろってもダメ。発する言葉がどんな芯から生まれているかということだ。 「アート作品活用・保全検討チーム」の会合で提案された美術作品のディジタル化は、単なる記録でしかない。この提案は、実物の作品はどうするかという根本問題に答えていない。ディジタル化だ、IT化だ、生成AIだ、などと老人が息巻いて推進するのは老人の口説の常。先端技術に疎いと思われたくないんだ。老人は本質に迫る老人の知恵を発揮することが社会貢献というものだろう。 ディジタル画像には作品が発光している質感(テクスチャー)が無い、人間の目の構造だけがとらえる色彩の織りなす数億の光と陰の驚異が無い、その顔料組成の化学的な知性が読み取れない、たとえ一見は2次元平面と思える作品表面のミクロ的な3次元性がない、作品に蓄積されて刻々と変化してゆく時間性がない、物としての被破壊性がない(被破壊性も作品の宿命的な性質)、人間的に淫することを受容しない(エロチックな魅力がない)・・・ディジタル画像は無いものずくしだ。要するにディジタル化が現物の美術作品に代るものではないのである。 安宅コレクションの東洋陶磁にしろアンゼルム・キーファーの作品にしろ、ディジタル画像では何ほどのことも見て取れない。私はたんなる言葉のアヤとして言っているのではない。美術作品はデジタル化などできない「物質美」なのだ。 それでは作品とは何だ? 一例をあげよう。シュルレアリストのピエール・モリニエ(Pierre Molinier, 1900-1976)は、自作油絵に或る輝きをあたえるために、自分のスペルマを絵の具に混入した。その行為が油彩化学上どのような実質的な効果があるかは不明だが(エッグ・テンペラ画の媒剤が卵であることを思えば、スペルマも同じタンパク質だけど)、作品を創作する行為とはそのような自己のやむにやまれぬ心理に起因するものであり、人類が4万年もの長きにわたって行ってきた「人間的ないとなみ」なのだ。私たちはそうした他人の営みの結果としての美術作品を「直に」観ることによって、「何事かを」感じ、何事かを会得しているのだ。それはときに鑑賞者の人生の返照となっている。 大阪府の「アート作品活用・保全検討チーム」は、たんなる野蛮な馬鹿者の集まりになってはいけない。美術作品を地下駐車場に置くことだけでも十分野蛮だ。毎日新聞記事
Aug 18, 2023
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夏未練 わずかでも日陰もとめて夏真昼 青穹(山田維史) この暑さ暑さすぎれば夏未練 青空に姿よき雲夏みれん きのうとは異なる風や新涼かな ついと出る鼻歌もはや秋のうた (追加) 会えばまた心なの夏わかれ 振り向かず振り向かず行く夏わかれ
Aug 17, 2023
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太平洋戦争(大東亞戦争)の終戦78年の今日、78歳の爺ちゃんが中学生・高校生諸君に読んでほしいと思っている本の紹介です。 軽薄な政治家や好戦的なエセ愛国主義者に扇動されて、彼らの仕掛ける戦争で諸君の尊い命を奪われないでください。戦争になれば、諸君の命は「国家」の名によって、ゴミ屑のように捨てられるでしょう。日本の歴史的戦争観から察するに、それはまちがいないことです。日本の政治風土は、究極的事態に棄民思想が出現するのです。いったい誰を生かすための政治なのでしょう? 中心が空虚なのです。しかし、あなたは此の世にかけがえのない人です。あなたの命が無くて世界は存在しません。半藤一利『昭和』平凡社 2004年ジョン・W・ダワー『昭和』みすず書房 2010年ジョン・W・ダワー『敗北を抱きしめて』増補版 岩波書店 2004年外務省編『終戦史録』北洋社 1977年大江健三郎『ヒロシマ・ノート』岩波新書 1965年大江健三郎『沖縄ノート』岩波新書 1970年会津中学校五三会文集編集委員会『戦闘帽の中学生たち』会中五三会 1991年8月15日発行 本書は現・会津高等学校の前身旧制会津中学校の昭和17年4月入学し、昭和22年3月に卒業した第53回生の戦中の勤労動員時の各生徒の日記を編集。また会津中学校の戦時学校行事が年月日曜日とともに正確に記録されている。 じつは私山田維史の中学時代の教師清水和彦氏がこの第53回生。私の母校の先輩になる。この本は非売品で、清水先生が私に2冊贈ってくださった。私はi冊を、先生の名前で東京都立中央図書館に寄贈した。先生は逝去されたが、私に同書を贈呈してくださったとき、「間に合った。あなたに読んでもらえる」とおっしゃった。丸山真男『戦中と戦後の間 1936-1957』 みすず書房 1976年加藤周一『日本の内と外』文藝春秋 1969年加藤周一『私にとっての20世紀』岩波書店 2000年加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 朝日出版社 2009年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の父が戦地から婚約者(母)へ送った数十通のラブレターの一部。綴じた束が一通分である。軍事上、発信駐屯地は書かれていない。『戦争の魔手を逃れて私は生まれた』 昭和20年11月頃、父が撮影した生後6ヶ月の私の写真によるコラージュ作品
Aug 15, 2023
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江戸の「松風」私論 山田維史 【注】本稿の加筆訂正稿を2023年12月24日ブログおよび左フリーページに再掲載しました。 「松風」といえば「源氏物語」の十八帖「松風」を連想する人は少なくないであろう。須磨の浦のいわくありげな松にまつわる海女の物語である。能の「松風」も同じ伝説をもとにした女の恋の妄執の物語である。恋に狂い死んだ松風と村雨という名の双子の汐汲み女の墓が、須磨の浦の松だった。私自身、国立能楽堂で演じられた際の「松風」のポスターを制作したことがある。 松は海からの風避けのためや防砂林として浜辺に植えられることが多かったこともあり、景勝地として広重の「東海道五十三次」にも描かれた静岡市の三保の松原、万葉集に詠まれた敦賀市の気比の松原、あるいは羽衣伝説がある天橋立の松原など、各地に海辺の松原の名所がある。唱歌「海」は、作詞作曲者は不明ながら、「松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は 浮かぶ」と、知らない人はいないほど親しい歌である。「磯部の松」という成語もある。須磨の浦の松も、身も蓋もない言い方だが、元はといえばそのような磯部の松、浜の松だったのだろう。 片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典』(増訂版)は「松」の項に、「松の梢を吹く風、つまり松籟も云々」と述べ、拾遺集雑上の斎宮女御の歌と新古今和歌集雑中の家隆の歌を例示している。すなわち、 琴の音に峰の松風かよふらし いづれのをよりしらべそめけむ 斎宮女御 (琴の音に似通う松風はどんな緒締めで奏ではじめるのだろう) 滝の音松の嵐も馴れぬれば うち寝るほどの夢は見せけり (藤原)家隆 『拾遺集』(一〇〇六年頃か)は勅撰和歌集の第三番目であるが、最初の『古今和歌集』(九〇五年)には、「松風」という成語の歌はない。あえてとれば、巻七卷賀に素性法師の歌として次の一首がある。ちなみにこの歌の作者は、一説に柿本人麿とある。 住の江の松に秋風吹くからに 声うち添うるおきつ白波 素性法師 前述の片桐洋一氏が『新古今和歌集』(一二〇五年)から家隆の歌を引いたが、『新古今集』にはほかに三十首の「松風」を詠み込んだ歌がある。そのなかからいくつかを、現代仮名遣いにし、原文の仮名書きを漢字に直して引用してみる。 秋くれば常盤の山の松風も うつるばかりに身にぞしみける 和泉式部 ながむれば千々にものおもう 月にまた我が身ひとつの峯の松風 鴨長明 まれにくる夜半も悲しき松風を 絶えずや苔の下に聞くらん 藤原俊成 また、一二〇四年の春日社歌合において兼題「松風」があったことが、藤原有家、藤原家隆の詞書によって知れる。その二首、 我ながら思うか物をとばかりに 袖にしぐるる庭の松風 藤原有家 (少しばかり物思いに沈む私だが涙で袖を濡らす庭の松風であるよ) かすがやま谷の埋れ木くちぬとも君につけこせ峯の松風 藤原家隆 『新古今和歌集』は後鳥羽上皇の勅命により編まれた。『古今和歌集』以後に編まれた八っつの勅撰和歌集の最後である。その後鳥羽上皇(一一八〇ー一二三九)が、承久の乱によって配流された行在所(現在の愛知県)海部郡葛田山源福寺の庭の池畔に次の歌を詠んでいる(後註)。 蛙なく葛田の池の夕畳 聞くまじ物は松風の音 (蛙が鳴く葛田の池の夕べは深まるが、松風の音は聞こえそうにない) 私は平安・鎌倉時代の歌のなかの「松風」を見てきた。当時の貴族たちは、「松風の音」には特別な雅趣あるいは哀愁を感じていたようだ。 さて私は貴族文芸として発達した和歌を離れ、以下に、新しく興ってきた俳諧に表現された「松風」をめぐって、江戸時代には「松風」がどのような景色をつくっていたかを試みに検証する。とりあげたのは慶紀逸(けい きいつ:一六九五年~一七六二年)が編纂した『武玉川(むたまがわ)』(一七五〇年刊)。岩波文庫の山澤英雄氏校訂の同書(二)を使用した。この(二)は『武玉川』の十八篇中の六から十篇を収める。 慶紀逸は、本名を椎名件人(しいなかずひと)、父親は幕府御用鋳物師でいわゆる町人である。私があえて町人と記したのは、慶紀逸が『武玉川』に選定した俳諧を見ると、先人松尾芭蕉 (一六四四~一六九四)やその後の与謝蕪村 (一七一六~一七八四)の俳句にはほぼまったくといってよいほど見られない庶民の日常(性事情などを含めて)が息づいているからである。しみじみとした哀感や、読み手の含み笑いや爆笑をさそう、・・・じつは現代人の私には解釈不明な句も多いのだが・・・まさに「あっ!」と驚くような江戸時代の生活が観察されている。松尾芭蕉が西行を敬愛して高尚文芸としての俳句を目指して生活感を排した(と私は思っている)のとは大いに異なり、慶紀逸の句は軽妙洒脱、ときに社会戯評、あるいは警句のようでもあり、季語もなく、のちに興る川柳のさきがけと評されるのも宜なるかなだ。 そうした慶紀逸の本質を論じるには「松風」よりむしろ江戸の性事情のほうがふさわしいのだが、それはまた後の事としよう。 まず慶紀逸の選定した句の「松風」の前に、松尾芭蕉と与謝蕪村の「松風」を見てみる。 ・・・ところが芭蕉の全句を調べて、「松風」に言及しているのはただ二句だけである。 松風の落葉か水の音涼し (蕉翁句集) 松風や軒をめぐって秋暮れぬ (笈日記) 次の句を採って三句というところか。 松杉をほめてや風のかをる音 (笈日記) あえて解釈することもないだろう。 蕪村の句は、岩波文庫・尾形仂氏校注『蕪村俳句集』の全一〇五五句を調べた。「松風」は一句も無かった。 次に岩波文庫『武玉川』(二)の「松風」という語がでてくる句をすべて列記してみる。ただし原句は読みにくいので、山澤英雄氏の校訂に拠りながら、送り仮名等を加え漢字を替えて読みやすくした。 松風の吹きくたびれて竪に降り (松風が口を尖らせて吹いているが、いいかげん疲れてきて首を縦に振っている。風の吹き様を軽妙に詠んだ。) 杉を吹く少しの事で松の風 (この句の解釈は素直に読めるが、一方、捻った読みもできるかもしれない。むずかしい。あえて試みれば、芭蕉門下の俳人に杉山杉風(すぎやまさんぷう)がいる。もう少し吹けば杉風になるのに、残念、高さがちがう。松風だ。) 松風計る住吉の升 (住吉大社の神事の「升の市」は、現在もおこなわれている。その市で売られる升で吹く松風を計る、という句。句頭の松(マツ)と末尾の升(マス)と、音の遊びが感じられる。) あがたの神子(みこ)の松風に乗る (県神子(あがたみこ)は諸国を勧進しながら神降ろしや口寄せをした。松風とともに訪れる。あるいは松風という名の薫物(たきもの)の香りにのせてやって来る。薫香「松風」は、沈香、丁子、鬱金、甘松、朴の根を練り合わせたもの。) 松風を凩にする材木屋 (材木屋が材を寝かせて乾燥させるには木枯らしが適している。材木屋は松風さへも木枯らしにしてしまう。) 松と風との甘い相談 (もとはといえば松は松、風は風。それが親密な相談をして合体して松風となった。) 暑い日に折りても見たき松の風 (暑い暑い。松に風が吹くなら、折って手元で風を吹かせたい。) 松風に案じが付くと銭の息 (松風も心配事があると金の工面のため息になる。風流がってばかりいられない。) 濡れ手へしかと請ける松風 (濡れ手に粟という。商人が濡れ手で粟を受けると、粟は掌に貼り付き、その分だけ儲けになる。これを踏まえて、松風も濡れ手で受ければ貼りつくという、庶民の知恵の喩え。読んだ人は軽く笑うだろうような句。) 銭の有るうちは聞こえぬ松の風 (懐にたっぷり金があるうちは、侘びた松風の音など聞こえない。) 江戸の友には合わぬ松風 (せわしなく賑やかな江戸の友人には、京風な侘びた雅な松風は似合わない。およびじゃない。) 松風の裾分けをする扇かな (松風が吹き、着物の裾を割る。手にした扇で抑える色気。ただし表向きの意は、香りのよい松風を扇であおいで隣の人へお裾分け。) 松風と代わり合いては千鳥啼く (浜の松風である。吹いてはちょっと止む。すると松風の音に代わって千鳥の啼く声が聴こえる。交互に鳴き交わしているかのようだ。・・・俳句では千鳥は冬の季語。) 杉へ来て心の直る松の風 (杉はまっすぐに立つ。松は幹も枝も曲がっている。曲がった松から吹く風も、杉に来て真っ直ぐになる。) 淋しい銭を使う松風 (懐が淋しいなぁ。ちぇっ、これっぽっちの銭だ。使えば吹く松風にいっそう侘しくなるぜ。) 水道に反りの合わぬ松風 (この水道は、ひねるとジャーの水道ではない。玉川上水や安積疏水、そこから引いた上水道のことだ。江戸は上水道が発達していた。むろん各戸に引かれていたのではない。庶民は戸建に住めなかった。長屋の共同井戸に引かれていたのである。そのような水道には、松風の風流は似合わない。・・・上述の芭蕉の句の情景とは逆である。) 松風を琴とは常の耳でなし (あらっ、誰かが琴を。おまえ、あれは松風の音だよ。そうかしら、私には琴の音に聴こえますわ。おまえの耳は、どうも常人の耳じゃないね。) 松風は風の中での通り物 (松風といえばそれだけで通用する、風の中の有名だ。) 松風に蓋をして置く六(むつ)の花 (ああ、雪が降ってきた。六角形の結晶が美しい。松風には蓋でも被せて、ちょいと遠慮してもらおう。「六の花」とは雪の結晶のことである。) 松風の都へ引ける十二月 (江戸じゃ十二月の松風は雅趣もなにもあったもんじゃねぇ、ここは都へ引き取ってもらおう。) 衣がえもう松風を顔へうけ (さて、この衣替えは春夏か、それとも秋冬か? 「更衣 (ころもがえ)」は夏の季語、現代では五月の季語。しかし『武玉川』を繰っていると、夏の着物を質に入れて冬物を請け出す句に出会う。しがない庶民にとっては季節の変わり目、二つながらに衣替えだったのだろう。そのどちらかによって松風の吹き様と、この句のおもむきがことなる。読み手の心まかせというところ。) 呑み込んで枯野を通る松の風 (人の世のなにもかにもを呑み込んで、松風は枯野をわたって行く。芭蕉の「旅に病み夢は枯野を駈けめぐり」を踏まえているかもしれない。) 袂振るえば松風が出る (松風が着物の袂に入って袂をふくらませる。ふくらんだ袂をあわてて振れば松風は出てゆく。) 裾からあたる曽根の松風 (兵庫県高砂市曽根町の曽根天満宮に「曽根ノ松」という神木がある。菅原道眞の手植えの松と伝わる。約六八〇年後、羽柴秀吉による播州征伐の戦火にあいながら生き永らえ、その二〇〇年後の寛政十年(一七九八)に枯死した。現在の「曽根ノ松」は何代目かであるが、この句が詠まれた当時は初代の道真手植えの松であったはず。かなりの巨木だった。その神木から吹く松風は、拝する者の足元から頭まですっかり包み込むのである。) 以上二十四句を解釈してみた。 私の解釈が正しいとは断言できないし、私が読み取れない江戸時代には常識であった隠れた意味があるのかもしれない。ただ言えることは、この時代、「松風」は、平安・室町時代のあの須磨の浦の松から遠く隔たっている。恋の妄執のイメージ、死してなお煩悩に苦しむ哀れのイメージを託された「松風」は、俳諧『武玉川』の句にはその朧な影さへも揺曳していないのである。 ここで一つ考えられることは、平安時代の貴族文芸における「松風」と江戸町人文芸の「松風」の趣の違いは、文化的階級差のあらわれかもしれないということだ。町人である慶紀逸が、「江戸の友には合わぬ松風」と言い、「松風の都へ引ける十二月」と言うのは、あきらかに貴族文化の影響がある京都と町人文化が武家文化を凌いで盛んになりつつあった江戸との対比である。たんに対比しているのではなく「張り合って」いる気風がうかがえる。 慶紀逸の逞しささへある率直・荒削りな句に比べると、平安時代の西行を敬慕した松尾芭蕉の松風一句「松風の落葉か水の音涼し」は、いかにも嫋やかだ。作品としての俳句において、世俗に行動的に関わってゆこうという意思はない。その意思は、俳匠としてなかなかの政治家であった松尾桃青芭蕉の本性とはことなる。その点、芭蕉は近代的な芸術家だった。 「江戸の松風」は、意外にも、見過ごしにできない日本文化の文化的階級差の問題を示唆しているのではないだろうか。【註】引用した和歌五首の出典は、全て『新古今和歌集』から次のとおり。和泉式部(巻四和歌上)、鴨長明(巻四和歌上)、藤原俊成(巻八哀傷歌)、藤原有家(巻十七雑歌)、藤原家隆(巻十八雑歌)。【註】南方熊楠の論文「鳴かぬ蛙」に、『隠州視聴合記』にこの後鳥羽上皇の歌があることを記述してる。(『南方熊楠文集 2』平凡社、p.56)初稿に加筆訂正した(9月26日)
Aug 13, 2023
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人間が人間を殺す理由とそのための機器の発明に、もっとも心血をそそぐのは何故だろう? 熱風の中をよんどころない用事で自転車を駆りながら私は思い巡らした。 CNNが伝えた次のニュースを、日本の堕落した浅はかな司法関係者よ心して読め。トランプ氏の言論の自由は「絶対ではない」と担当判事
Aug 12, 2023
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八月十一日「山の日」 日めくりは山の日なりき山住まい 青穹(山田維史) 竜胆(りんどう)や上りくだりの峠越え ほとけばな竜胆に替え朝つとめ 花に問う竜の胆(きも)とはそも夏花(げばな)* 遠くより鼻息あらき夏嵐【*註】夏花(げばな):夏、僧侶が一室に籠って経論を講じる「安居(あんご)」の時季、俗家でも花を供えて祖先や有縁無縁の諸仏を供養する。この花を夏花という。
Aug 11, 2023
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ウィリアム・フリードキン氏が8月7日に亡くなられた。享年87。 現代アメリカン・ニュー・シネマを代表する典型的なスタイルで問題作を次々に発表された。 フリードキン監督作品が日本で最初に公開されたのは1970 年の『真夜中のパーティー』。私はこの作品のオリジナルであるオフ・ブロードウェイの舞台劇の録画を見ているが、しかし残念ながらフリードキン監督の映画は観ていない。 私が最初に観たのは『フレンチ・コネクション』(1971)。ジーン・ハックマンが演じる刑事 "ポパイ” は、その名前からE.C.シーガーの漫画やそのフライシャー・スタジオ制作のアニメ化されたポパイを連想するが、おっと、これがキャラクターは大違い。醜く、悪賢く、市民を震えあがらせるような、まったく新しいアメリカの刑事像を見せた。 次いで『エクソシスト』(1973)。この映画は私は個人的に忘れることができない。当時、イラストレイターとして出発したばかりの私は、職業人としてやっていけるかどうかも心もとない状況で手がけたのが、講談社の怪奇児童書ドラゴン・ブックス・シリーズ。その第2巻目の『悪魔全書』において、私はフリードキン監督『エクソシスト』のいくつかのシーンをイラストレーション化するように依頼された。担当編集者の土屋氏が、映画を観て準備しておくようにと言った。じつは私はすでに以前からイメージの宝庫としてオカルトの図像を研究していたので、土屋氏の慫慂に否やはなかった。この本は50年後の現在もおおぜいのファンがいられるようで、数年前に「復刊ドットコム」社から復刊された。 そして『クルージング』(1980)、『L・A 大捜査線/狼たちの街』とつづく。 私自身の若いころを思い出しながら、ウィリアム・フリードキン監督を追悼します。
Aug 10, 2023
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若者が死ぬ戦争を夢見る老人のたわごとに私は飽き飽きしている。ジョージ・マクガバン(アメリカ合衆国元連邦下院議員・元連邦上院議員)
Aug 9, 2023
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長崎原爆被爆78年 暑き日やなおも焼けよと原爆の火 青穹(山田維史)山田維史/Tadami Yamada
Aug 9, 2023
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『あなたは どっちを選びますか?』『広島原爆犠牲死25万人の為の25万個の黒い点』『私は人智を信じる』 2018年4月 ニューヨーク・アートEXPO において展示『広島原爆犠牲死25万人の為の25万個の黒い点』制作過程粗いボール紙に竹ペンと墨汁で正確に25万個の点を打った。その後、直射日光に晒した。自然にひび割れができることで、私の意思による統御がおよばない状態を表現とした。さらにキャンヴァスに貼り付け、周囲を油絵の具のホワイトで平滑に3回塗重ねた。下部にグレイで英語による画題と署名をし、完全乾燥後、油絵の具を塗った部分のみを透明樹脂で加工した。死者を囲い込む、冷たい、つるりとした人工的な純粋性を象徴するためである。ニューヨークでの観客『レッド・アラート』山田維史/ Tadami Yamada
Aug 6, 2023
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キッチンを整理していて雑貨類を載せている漆塗りの角盆を洗った。捨てようと思ったのだ。盆の裏を見ると、金文字で思いがけないことが記されていた。「住友八総鉱山完工記念 鹿島建設株式会社八総出張所」と。 ・・・すでにこのブログで数度にわたって「八総鉱山回想記」を書いたが、戦後すぐに探鉱を開始した福島県南会津の八総鉱山は、探鉱開始から4年後の昭和29年に大きな銅鉱床にぶつかった。昭和31年までに選鉱所の精鉱の日産は250トン、翌32年には日産500トンに達し、福島県随一、国内でも有数の銅鉱山として発展するのだが、鉱床発見と同時に大々的な鉱業施設を建設し、業務および一般家庭電力供給工事、そして国内各地の住友傘下の鉱山から人員を集め、その家族を受入れる為の住宅街の建設が始まった。 その大工事ならびに大建設にたずさわったのが鹿島建設であり北海建設であり、その2社の関係子会社、あるいは県下・郡山市に本拠を置く大栄建設などだった。 建設は急ピッチで進められ、同時に国による産業道も造成整備された。完工したのは昭和30年から31年の間だったと、私は記憶している。私は8,9歳だったので、正確な工期は知らないが、全人口約1,600人の鉱山関係者だけが居住する真新しい聚落が完成したのである。 鹿島建設が、「住友八総鉱山完工記念 鹿島建設株式会社八総出張所」と記された漆器を住友八総鉱山の10数人の正社員に贈ったのは、おそらく昭和31年だったと思われる。いまでは私の両親はすでに亡く、当時の事情を確認することができない。おそらく10数名の初期幹部職員もご存命ではあるまい。ご存命ならば100歳を超えていられるはずだ。 ・・・そんな漆器の記念文字も、八総鉱山の記録のひとつと思いながら、以下に画像を掲載しておこう。【写真追記】昭和28年10月以降頃。 いまだ探鉱調査中の八総鉱山の様子。試掘坑(後の赤倉坑道)なので、岩盤に支柱がない。試掘抗の先端と想われる。 この写真は極めてめずらしく、撮影者は不明だが、あるいは鉱床にぶつかったときの記念撮影かもしれない。前列左から2番目に私の父が写っている。父は昭和28年9月30日に八総鉱山に赴任した。このとき、鉱山学の見地から、試掘抗をこのまま900メートル掘れば鉱床の心臓部の扉口「ヒ」に当たると予想できたのだった。 私はこの写真を全く偶然に2018年に発見した。8mm映画の一コマである。父が存命だったなら写っている方々を特定できたのだが、残念である。後列中央は加勢鉱山長か?上の写真を拡大してみた。前列左から2番目が私の父。若い!35歳か36歳だ。
Aug 5, 2023
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CNNが伝えるところ、ペンス前副大統領は、2020年米大統領選の結果を覆す試みについて捜査する特別検察官がトランプ前大統領を起訴したことを受けて、自らの認識を示した。その見解のなかで、私は次の発言に注目した。それは米国のみならず、我が日本においても、国政を担う最高権力者の重大なるポジションを明示しているからである。ペンス前米副大統領は、こう述べた。 「自らを憲法の上に位置付ける者は決して、米国の大統領になるべきではない」 「自らを憲法の上に位置付けるよう他人に要請する者も決して、大統領に再任されてはならない」(CNN 2023.08.03 Thu posted at 09:36 JST より) 上の言葉の米国を日本におきかえて、私たちはこの指摘を受け止めなければならない。なぜなら、このところの日本の代々の首相は独善的に軽々と憲法を無視し、その言動は、「この人は憲法の何たるかに全く無知なのではないか?」と、まさかの疑念をいだかせるからである。しかもそのありうべからざる首相の言動を、一般国民のみならず司法も法学者も、ほとんど痴呆のように受け流している現状だ。いったいこの国はどうなっているんだ? まるで近代以前のようではないか。 他国の前副大統領の指摘に、我が日本の首相の資質を重ねなければならないのは、いかにも残念だ。しかしながら、憲法を無視する重大違反者をポカンと見ているわけにはいかないのだ。 Former Vice President Pence has made his mark aftera special counsel investigating an attempt to overturnthe outcome of the 2020 U.S. presidential electionindicated former President Trump, CNN reprt. In Pence'sview, I noted the following statement: This is because,not only in the United States, but also in Japan, it clearly indicates the important position of the supreme power who is in charge of national affaird. Former US Vice President Pence said: "Anyone who puts himself above the Constitutionshould never become president of the United States." "Anyone who asks others to place themselves abovethe Constitution must never be reappointed to thepresidency." (From CNN 2023.08.03 Thu posted at09:36 JST) We must accept this point by substing "Japan" for the the word "United States" in the above. This is becauserecent Japanese prime ministers have selfishly consid-ered themselves to be correct and disrespected theconstitution, and their words and actions made methink, "Isn't this person completely ignorant of whatthe constitution is? " Moreover, not only the publicbut also the judiciary and legal scholars are almost blinded by the Prime Minister's policies that ignore theConstitution, which should not be allowed. What the hell is going on in this country? " Sounds pre-modern,doesn't it? It is truly a pity that the qualities of our Japaneseprime minister have to be superimosed on thosepointed out by the former vice president of othercountry. However, we cannot look down on seriousviolators who ignore the Constitution. Tadami Yamada
Aug 3, 2023
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きょうも暑くなりそうなので、朝6時に柿の木の害虫駆除のための薬剤撒布を開始。 柿の木は一本だけなので、作業は20分ほどで終了。その後、8時頃に見てみると、薬剤効果抜群、おどろくほど大量の害虫が地に落ちてていた。その数の多さにあらためて驚いた。 じつは全高の三分の一の下枝の葉は、食い荒らされてほとんど丸裸だった。私は迂闊にもそこまでなる前に気づかなかったのだが、地面が黒い砂つぶのようなものが堆積してい、それは糞だったのである。下枝の葉を食い尽くすと、なるほどこんなにも糞をするのかと、ミョウに感心した。体長2cmほどの毛虫である。いかに大量発生したかということだ。 小庭にはたくさんの種類の草木が植わっているが、この毛虫の害を受けたのは柿の木だけである。この事実も私は興味深く思った。サクラやカエデなどの葉裏にも発生するらしいが、我が家にはその樹木は無い。 柿の葉は人間も食す。私は作ったことがないが、柿の葉茶に、柿の葉寿司に、あるいは柿の葉天麩羅に使用する。サクラも人間が食用にする。人間が食えるものは毛虫にとっても食になることを本能が察知するということだ。この毛虫、ヒロヘリアオイラガの幼虫である。 1ヵ月後くらいにもう一度、駆除薬を散布しよう。 気温がどんどん上がっている。わが町の最高気温は36℃あたりまでになる予報がでている。 青柿のひとつだになき夏無惨 青穹(山田維史)
Aug 3, 2023
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嵐過ぎ入道雲や峰に立つ 青穹(山田維史) 峰に置く積乱雲の高尾かな ひともとの木陰嬉しや夏盛り 涼風も気の迷いなりただ暑し 素裸になりて水飲む暑さかな
Aug 2, 2023
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「虚仮の一念」とは、言うまでもないとは思うが、愚か者がみずからの愚かな主張に気づかずに無理やり押し通すことだ。あるいは、愚かさや判断ミスに気がついても自尊心や私利私欲のために他の意見を拒否して主張を押し通す。あるいは詭弁を弄したり詐術を用いたり更なる愚かな画策を付加する。・・・これらの所業はみな「虚仮の一念」である。 さて、岸田政権はまさに「虚仮の一念」の政治と私は言おう。 マイナンバーカードをめぐる諸々の良からぬ問題の発生とそれへの対応は、マイナンバーカードという制度のそもそも人間性否定的であることを考察をすることなく、前方に据えた軽薄な決定論を後追いで制度化しようとしている。 この制度は哲学的には人倫に反する問題を含んでいる。尊厳ある個人に番号をつけること・・・姓名を剥いで、焼印を押すのと変わりない制度を発想する精神と思考の歪みを、私は指摘する。人間の尊厳を否定して成り立つ社会の利便性とは、いったい何だろう? 先日、岸田首相はマスコミの記者から自身はマイナンバーカードを持っているかと質問され、「ノーコメント」と答えた。語るに落ちたとはこのことだ。持っているなら、「持っている」と応えてそれで済むはずだ。マイナンバーカード制度の推進者として当然、そう答えなければならなかったはずだ。 この記者会見のほんの短いやりとりが意味したことは、権力を振るう岸田氏のいいかげんさと、この制度自体に現時点のみならず将来的にも危険をはらんでいることの明証にほかならない。 いま問題となっている健康保険証の廃止政策に関しては、国民皆保険制度のもとで利用者層をきわめて限定的に抽出して立案してはいないか。非常にはばひろい年齢層というにとどまらず様々な病者の状況を、単純に一律化してはいないか。そして国民の健康と現実的な病態に対する重要な福祉制度を、ディジタルAIの脆弱性に全面的に託していないか。 こうした問題は、ディジタル担当大臣の沽券の問題ではない。 地方政治に目を移せば、大阪府は万博のパビリオン建設の申請が皆無で、2025年の開催までに会場建設が間に合わない事態となっているという。 この問題に対して、会場建設工事の残業規制を廃止してしまおうという企てがあるようだ。この規制法を廃止してしまえば、工事労働者を働かせたいだけ働かすことができる・・・というわけだ。残業規制廃止画策者は、稼ぎたい人は働きたいだけ働けるとする説明が予想できるが。・・・ここにも「虚仮の一念」がある。万博を決定した政治屋の沽券、あるいは利権屋の悪巧みである。あわてて行政面の帳尻合わせをするはかりごとである。 国政のみならず地方政治においても、「虚仮の一念」は願い下げにしなければならない。
Aug 1, 2023
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