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ゆく春や橙の刺をするどくし 青穹(山田維史) ゆく春や橙の花白く散る ゆく春や橙の花散り敷きぬ ゆく春や城址の緑濃くなりて 蒲公英の綿毛はまるく春惜しむ 蒲公英の綿毛あえかに春惜しむ
Apr 30, 2023
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海外に発注した本がなかなか届かない。2週間が過ぎた。その本待ちの予定の仕事を中断して、ほかの作業をしている。ヘッドフォンで音楽を聴きながらだ。 ながら作業にはYouTubeを便利にしているが、きょうはベートーベンのピアノソナタ全曲集(演奏ウィルヘルム・ケンプ)と、10人のピアノのヴァーチュオウソ(virtuoso)の若いときと歳をとってからの同一曲のレコーディング比較を聴いていた。 この弾き比べがなかなかおもしろい。音が円熟してくる人、曲の解釈に微妙なちがいがある人、あるいはタッチに違いがある人、等々。 一番最初に登場するルビンスタインは、若いときはやはり若さゆえのこれ見よがしのケレンを感じてしまう。歳をとって音にまるみが出ているように私は感じた。グレングールドの場合はタッチもさることながら右手と左手の音のバランスに円熟の境地を感じる。 とにかくおもしろい。 ちなみにその10人は次ぎのとおり。 アルチュール・ルビンスタイン グレン・グールド ウラディミール・ホロヴィッツ アルフレド・コルト ウィルヘルム・ケンプ アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ クラウディオ・アラウ スヴィアトスラフ・リヒテル エミール・ギレルス ジョセフ・ホフマン ベートーベンのピアノソナタは画面に演奏中の楽譜が出る。私は「ながら」聴きだったので今日は見ることができなかったけれど・・・。ベートーベン・ピアノソナタ全曲10人の名ピアニスト若い時と後期弾き比べ
Apr 28, 2023
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昼食後、運動のために自転車で2時間ほどの遠出をした。先日健康検診の結果を主治医から知らされたとき、主治医が「少し運動をするように」と勧めた。せっかく上々の健康状態なので、これを維持するためにも運動をするのがよい、ということだろう。私自身もそれを自覚していた。 運動にもいろいろあるだろうが、私は運動専一目的の時間をつくるのは性にあわない。長続きしないことが初めから分かっている。アスリートではないので、何かほかのことも同時にやりたくなるのだ。人と一緒にやるのもだめだ。・・・歳を取ってから、特に気が短くなったのか、一度に幾つかのことをやる。それは却って失敗するだけだし、場合によっては危険なのだが、つい、やってしまう。時間がない時間がないと思うと、たとえば、服を着ながら菓子パンを銜え右手でメモを取り靴をはこうとする。・・・せいては事をしそんじる。急がば回れ。二兎追う者は一兎をも得ず。短気は損気。・・・みなそのとおりでござんす。「しかし」とくるわけだ。 そんな性分の私が、これならばと始めたのが自転車の遠出。50歳を機に始めて27年間つづいている。自転車を走らせながら、四季を楽しむ。行き交う人々をながめる。時には作品になりそうな素材を拾う。木々の葉や鳥の羽や昆虫の死骸、あるいは石ころや鉄屑などだ。古本屋があれば立ち寄ってみる。思いがけない掘り出し物をすることもある。 じつは今日も本屋に立ち寄った。ジョン・W・ダワーの著書を3冊買った。ダワー博士は現マサチューセッツ工科大学教授であるが、第二次大戦中と戦後の日本研究に私は瞠目する。その『敗北を抱きしめて 』上・下巻の増補版をみつけた。この本でダワー博士は「日本の非軍事化と民主化はなぜ挫折したのか?」と問うていられる。たいていの日本人にとっては、「えっ?」と思うであろう設問である。自らに対する日本人の目の曇りを指摘するダワー博士の鋭さである。
Apr 27, 2023
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前任の国家公安委員の二之湯氏も軽佻であったが、現職の谷国家公安委員長もオツムが軽いようだ。公安委員長とはお気軽な職なのかねー。いい部下を持つとバカをやっていられるのだね。大事への対処も口先で事がすむようだ。 首相も首相だ、こういう人物を国家公安委員に任命するということは、人を見る目がないということ。目が節穴だということだ。自分が爆殺されかねなかった折も折り、公安委員長は楽しみにしていた鰻丼に我慢ができず、職務を部下にまかせて舌鼓を打っていたというのだから、任命責任がある首相としては自業自得というところか。 いまや日本の国会議員は、国会議員じゃなくて酷怪戯淫だね。あるいは滑稽擬員か。「バカがすなる政治というものを吾もしてみんとてすなり」 『ドサ日記』奇之面諛屎(きのつらゆき)
Apr 26, 2023
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昨日25日、キング・オブ・カリプソ、ハリー・ベラフォンテ氏が亡くなられたという。享年96。 ハリー・ベラフォンテ氏といえば私にとっては何といっても『バナナ・ボート・ソング』である。日本ではかつて浜村美智子さんがカヴァーし、流行した。レコードは何人かの共作で、私が小学生の頃に発売されたらしいが、私が知ったのは高校2年か3年の頃、浜村美智子さんと江利チエミさんとによる。「Day-O, day-ay-ay-O, Day is a day, is a day-ay-ay-O」という歌詞が、リエゾンして「ディザディ、イザディ-エイ-エイ-オー」というのが、浜村さんが歌うと「ディダデ、イダデ」に聞えた。「カン・ミスタ・タリマン・タリミ・バナーナ(Come mister tally man tally me banana/ 旦那、おいらのバナナを勘定してくだせぇ、たのんますぜ)」だった。 2008年に現役を引退した野茂英雄氏がアメリカのメジャーリーグで活躍されていたとき、三振(K;ノックアウト)を奪うたびに球場にファンが歌う『バナナ・ボート・ソング』の替え歌がこだました。「ヒデーオ、ヒデーエエエエーオ!」と。 というわけでハリー・ベラフォンテ氏は日本でも大いに人気があった。氏が生涯を通じて黒人の権利のために努力し、また慈善活動に熱心に務められたことに対して、多くの人がその高潔な人格を讃えた。 実に不思議な偶然だが、私はつい数日前にハリー・ベラフォンテ氏の歌を聴いていたのである。私のエネルギーが少し低下したように感じたので、元気を回復しようと思って。 ハリー・ベラフォンテ氏の御逝去を追悼します。R.I.P.
Apr 26, 2023
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きのう4月24日は植物学者・牧野富太郎博士の生誕160周年だった。(1862年4月24日-1957年1月18日) 私は子どものころから牧野富太郎博士の植物図鑑に親しんできた。小学生のときに愛用していた図鑑は現在も図鑑類の書棚に並べてある。もう函も本体ジャケットもぼろぼろになっている。しかし捨てずにそのままの状態で所蔵している。現在愛用しているのは3,896種の植物を収録する1,133ページ(H26cm X W19cm、厚さ6.5cm)の『牧野 新日本植物圖鑑』である。しかしこの図鑑も購入してから49年も経つ。 図鑑というのは有難い本で、学術的にしっかりしたものであれば、何十年と使用できる。ただし、遺伝学の発達によって過去の記述を変えなければならないことがおきる。たとえば種・属・科などの変更である。牧野博士がお亡くなりになって以後に起り始めた学術上の変更である。 牧野博士の植物図鑑の特徴は、植物を同定する学術記述(ラテン語の学名、和名、植物の個的特徴)に加えて漢籍や民間伝承などを参照した「漢名」「日本名」を記述し、さらにその「渡来歴」や「俗名」や「地方名」などを記述していることにある。そのような事柄は博士の随筆にも書かれているが、図鑑に記述していられることが実は大変重要だ、と私は思う。 上に述べた2冊の図鑑の画像を牧野富太郎博士の御誕生日を祝して掲載しよう。牧野富太郎著『学生版原色植物圖鑑』北隆館 定価700円昭和29年5月1日 初版発行昭和31年7月15日 九版発行(上掲)頒布番号第20696号牧野博士の検印有り 左ページ下になにやら私の小学生時代の分数計算の落書きがある。なぜこんなところで計算したのだろう。とっさに持ち合わせの紙がなかったのかもしれない。 牧野富太郎著『牧野 新日本植物圖鑑』北隆館編集;東京大学教授 理学博士 前川文夫 東京大学教授 理学博士 原 寛 お茶の水女子大学教授 理学博士 津山 尚昭和36年6月30日 初版発行昭和49年8月15日 二十七版発行(上掲)頒布番号58923 牧野博士検印及び他一検印あり
Apr 25, 2023
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昼前、11時、先日の健康検診の結果を聞くためにクリニックへ行った。 結果は上々。心臓も肺もX線影像はきれい。心臓肥大もない。心電図もきれい。肺癌、胃癌、大腸癌、前立腺癌それぞれの兆候無し。腎機能良し。肝機能良し。 うまく78歳に突入できそうである。 先日、弟が、「にいちゃん、近頃、老けたんじゃないか?」と言った。まあねー、いつまでも60歳代の外観ではないさ。歳相応。この歳まで全く病気をしたことがないのが取柄だろう。いつの日にか、どかっと大病に襲われるかもしれないが、せいぜい毎日恬淡と愉快に笑っていよう。 とはいえ世の中はとても笑っていられる状況ではないので、そこは77年間に培った観察力をもって、黙すべきではないところは黙さないことにしよう。 そうそう、何処の国のどういう人か知らないが、私の作品をウェブサイトに掲載していた。それは全く構わないが、作者紹介のコメントに、「深く精神分裂病を病んでいたときのタダミ・ヤマダの絵」と英語で書いている。 おいおいその情報どこから得たの? 私は精神分裂病者の絵やオブジェについてそのエネルギーに畏敬の念をもって研究はした。それについて荒俣宏氏と対談し氏の知見を伺った。荒俣氏はその対談を御著書に収録された。しかし、私自身がその病気をわずらったことは全く無い。私の原画を見た日本の人(それはきわめて数少ないはずだが)から「あなたの脳はどうなっているのか」と言われたことは一度や二度ではない。おそらく褒め言葉なのであろう。私は笑ったが、どんな脳もこんな脳もない、ごく普通の脳だ。また、原画を見た人も印刷物を見た人もひとしく私を「幻想画家」と言う。「幻想画とは何か?」という、マルセル・ブリヨンやロジェ・カイヨワがかつて論じた問題をここで解説することはないだろう。私は何と言われようと肯定も否定もしないし、自作がどのように発想され、絵として実現されているかについて説明するつもりはない。計算しつくした技術的な絵画組成についても黙す。ただ、私の絵が精神分裂によってうまれたと思う人には一言申し上げよう。芸術に対するあなたのロマンチズムを打ち砕くようだが、少なくとも私の作品はまったく違います、と。 初夏の風髪型かえた女人かな 青穹(山田維史) 風そよぐ髪型かえた若女房 鶯の鳴き音に差ありホーホケッチョ Before noon, at 11:00, I went to the clinic to hearthe results of the health checkup I had the other day. The results are excellent. X-ray images of the heart and ligs are very clear. No cardiac hypertrophy.The electrocardiogram is also clean. No signs oflung cancer, stomach cancer, colon cancer or prostate cancer. Good renal function. Good liverfunction. I think I can successful enter the age of 78. The other day, my younger brother said, "You'vegotten old lately, haven't you?" Well, I won't look like I'm in my 60s forever. Suitable for age. If would be a merit to have neverbeen sick until this age. One day, I might be attacked by a serious illness,but at the most I'll try to laugh and be happy everyday. However, the world is not in a situstion where wecan laugh at it, so let me use the power of observa-tion that I have cultivated over the past 77 years,I will not remain silent when I should not be silent. Oh yeah, I don't know what kind of person fromwhich country, but my work was posted on his/herwebsite. It doesn't matter at all, but in the intro-duction comment about me, he/she writes, "Apainting of Tadami Yamada when he was deeplyschizophrenia." Where did you get that information from? I have studied the paintings and objects ofschizopherenic patients in awe of their energy. Italked with Hiroshi Aramata about this and askedhim for his knowledge. Mr. Aramata recorded thatconversation in his book. However, I myself have never suffered from the disease. More than onceor twice, japanese people who have seen my originalpaintings have said, "What is going on with your brain?" It's probably a compliment. I laughed, but there is no brain like this or that, just a normal brain.Also, people who have seen my original paintings and those who have seen the printed works all referto me as a "fantasy painter". I will not attempt to explain here the question of "what is a fantasy painting?" as discussed by Marcel Brillon or RogerCaillois once. No matter what people say, I neitherconfirm nor deny it, nor do I intend to explain howmy work was conceived and realized as a painting. I am silent about the calculated technical compositionof my painting. However, I would like to say a word to those whothink my paintings were born from schizophrenia. It seems to crush your romanticism about art, butat least mine is not at all.Tadami Yamada
Apr 24, 2023
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夢の話はすまいと思うけれど、今朝、起床直前に見た夢はめずらしい夢だった。 私は夢のなかで一葉の写真を見ていた。子猫が写っていた。毛布のようなものをかぶって顔だけ覗いていた。なんだか毛が濡れたあとのようだった。「ミミかい? ミーコかな?」私は写真を見ながら、誰だろうかと一瞬迷う。そして、30年前に死んだ愛猫の顔を忘れかけていることに些か愕然とした。・・・目がさめた。 何をめずらしいと思ったかというと、夢の中で写真を見ている、ということである。夢のなかに私自身の姿があるわけではないが、観念的には夢の影像は二重構造になっていた。つまり夢という影像のなかに写真という影像が入れ子状に組み込まれていて、その全体を私は夢として見ているのだった。 猫の子や夢の写真で会いにけり 青穹(山田維史) 春猫に夢の写真でみつめられ 逝きし猫夢見に春の雨に濡る 逝きしのち春や朧の子猫かな 逝きし猫春や朧の夢に立ち
Apr 23, 2023
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午前中2時間ばかり自転車を走らせた。シャツ姿だったが長袖のアンダーシャツを着ていたので、すっかり汗をかいた。昨日もひどく暑かった。晩春を通り越してもう初夏の気候だ。 今朝、庭掃除をしていると、またもや植えた覚えのない「ヤツデ」が、笑いながら朝日を浴びていた。とても美しい若緑なので、私は屈んでその葉に触れてみた。「キミ、どこから来たんだい」。ヤツデはにっこり笑うばかり。「ここが住み易いかい。野原みたいな小庭だからねー。・・・まあ、住んでごらんよ」。その近くの二輪草は、先住の大先輩のシンビジュームを押しのけるように葉をひろげている。 もう10年も前だったろうか、アメリカのどこかの大学の研究で、緑の木々に囲まれて生活している人は、そうでない人にくらべて長命であるというデータを発表した。とくに女性に顕著な効果がみられたという。 おもしろい研究だが、なんとなく納得できる。コンクリートジャングルだ東京砂漠だといわれる処より、緑が豊かな処のほうが健康的であろうし心も落ち着くであろう。 ニューヨークのマンハッタンは、9.11アタック以後、とくに五番街やアヴェニュー・アメリカン、ブロードウェイ、パーク・アヴェニューなどのいわゆる大通りは、軒並み新建築になってほとんど昔の面影を残していない。しかしながら、同時に、そのような大通りのそこかしこに緑地公園がつくられている。あるいは絶えず水音がひびく現代的結構のポンドパークが、大企業のビルディングのファサードに設けられている。遠くから見ると鉛筆のような超高層レジデンシャルビルがにょきにょきと建ち、たしかに上にのびるしかないマンハッタンの限られた土地に、広大なセントラルパークの緑地は昔ながらだが、かくもたくさんの樹木に囲まれた公園をつくったことに、私は驚く。生きるに鎬を削るエコノミック・ニューヨークは、しかしニューヨーク砂漠ではない。 一方、わが東京はどうだ。住民にとってはシンボリックでもある神田の並木を伐採し、歴史的景観であるはずの明治神宮外苑の銀杏並木を切り倒す。商業施設を建設するために神宮までがその計画の主体者になっている。精神が貧乏臭い。金がほしさに神域もへったくれもないらしい。宮司の正体見たり、である。「神域」は神主が認可できる神宮の所有物なのか? 道化師のような女性知事が、そんなばかげたことを再開発だという。エコノミック・アニマルと語らって、公共的な歴史ある樹木の命に「犯罪」まがいの手をのばしている。東京都民(いや。この場合は国民といってよかろう)をさしおいて、この道化師に認可権があるのか、どうか。 商業施設というのは経済の波まかせのため隆盛衰退がはげしい。商業施設は短命なのだ。たとえば、一時のお台場の隆盛はいまや影が薄い。私と同じ77歳の年齢の者からみれば、つい先頃できた商業と娯楽施設集合地帯だが、いまや廃墟とは言わないけれどもその衰退はあきらかだ。このような例は日本の各地にある。 商業経済問題のみならず、現代建築の寿命は30年か40年。50年保てば極上の部類だろう。商業施設の建築的な外観は集客率に影響するので、建築物の物理的な終焉を待ってはいられないのである。建て替えを頻繁にしなければならない。 その例をマンハッタンに見ることが出来る。あの街では建物の修復や新築のために常に歩道まで張出した鉄骨あるいはアルミ材の足場が組まれている。外壁点検が法的に義務付けられていて、足場の無い日が来ることはない。ニューヨークは常に工事中の未完成の街なのだ。街並は都会的な美しさがあるのだが、同時に、ある一面では常に雑然とした街路が散見する街である。 明治神宮外苑の商業施設建設等による神域破壊の行末は、始まる前から短命な行末が容易に予想できる。しかも破壊は、美しく長命をたもってきた公孫樹の並木におよぶ。この破壊の結果は、後悔しても修復ができない「生命の殺戮」である。 私は2010年3月10日の強風で倒れた鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏を思い出す。その大銀杏はそれまで一千年間生きてきた。倒木したときに樹木専門家と称する人から救命は不可能と言われた。しかし宮司の即座の行動と熱意によって、残った根株から現在若木がすくすくと育っている。やがて長い年月をかけて大木となり、新たな一千年を生きて行くだろう。 長い年月の経過とともに街は変わって行く。しかし私が「貧乏臭い」と言うのは、前例として日比谷公園のばかばかしい破壊的「再構成」があるからだ。あのせせこましさ。どこに立ってみても、美しさのかけらもない。誰?こんな設計をしたのは。 時の経過による変化が、知性を感じさせず、堕落でしかないとしたら、公共財に手をつけるのはやめたほうがよかろう。 I rode my bike for two hours in the morning. I was wearing a shirt, but I was wearing a long-sleevedundershirt, and I was sweating profusely. It was veryhot yesterday too. It's already early summer afterpassing late spring. When I was cleaning my little garden this morning,I saw the "Fatsia japonica", which I had never planted,basking in the morning sun while laughing. It was sobeautiful young green that I stooped down to touchthe leaves. "Where are you from?" The fatsia doesnothing say but smile. "Is this place easy to live in? it's a small garden like a field. ... Well, try living here." Nearby, "Nirinsoh"spreads its leaves as if to pushaside the cymbidium of the native senior. About 10 years ago, a study by a university som-where in the United States published date showingthat people who live surrounded by green trees livelonger than those who do not. The effect was partic-ularly pronounced in women. It's an interesting study, but I can understand it somehow. Rather than a concrete jungle or a Tokyodesert, a place with abundant greenery will probablybe healthier and calmer. In Manhattan, New York, after 9/11 attacks, so-called boulevards as Fifth Avenue, Avenue American,Broadway, and Park Avenue were all newly built,leaving almost no trace of the old days. At the sametime, however, green parks are being created hereand there on such boulevards. Or the modern PondPark with the constant sound of water on the façadeof a large corporate building. When viewed from a distance, skyscraper residen-tial buildings that look like pencils are swarming upwards, the expansive green space of Central Parkis old fashioned, but surrounded by so many trees.I am amazed that they have created parks. Life-threatening economic New York, however, is not theNew York desert. On the other hand, what about my Tokyo? For residents, the trees lined with Kanda, whichare symbolic, will be cut down, and the ginkgotrees lined with Meiji Jingu Gaien, which are supposed to be historical landscape. In order to builda commercial facility, even Jingu is the subject of plan.Poor in spirit. It seems that he wants money and doesn't care about the sacred ares. Seeing the priest'strueidentity. Is the "sacred ares" property of the shrinethat can be approved by the priest? A clown-like femalegovernor calls such absurdity redevelopment. Talkingabout economic animals, they are reaching out to thelives of trees with public history in a quasi-criminalway. Apart from the citizens of Tokyo (no, in this case,we can call them all Japanesepeople). Commercial facilities are subject to rapid prosperityand decline due to the economic upheaval. Commercialproperties are short-lived. For example, the temporaryprosperity of Odaiba is now overshadowed. From thepoint of view of someone who is 77 years old, like myself, the complex of commercial and amusement facilities that was built just recently is now in a state of decline, although it cannot be called a ruin. Examplesof this can be found throughout Japan. Not only commercial and economic issues, modernarchitecture has a lifespan of 30 or 40 years. If youkeep it for 50 years, it will be the best category. Thearchitectural appearance of a commercial facilityaffects the number of visitore, so we cannot wait forthe physical demise of the building. Must be rebuiltfrequently. An example of this can be seen in Manhattan. Inthat town, steel scaffolding that extends to thesidewalk is always set up for repairing and buidingnew buildings. There will never be a day without scaffolding. New York is always an unfinished cityunder construction. The streets have an urbanbeauty, but at the same time, on one side, it is acity where you can always see cluttered streets. It is easy to predict that the destruction of the sacred precincts due to the construction of commer-cial facilities in Meiji Jingu Gaien will be short-livedeven before it begins. What's more, the destructionwill extend to the row of beautiful long-lived ginkgotrees. The result of this destruction is a "kill of life" that cannot be repaired by redret. I remember the giant ginkgo tree at TsurugaokaHachimangu Shrine in Kamakura, which was blowndown by strong winds on March 10, 2010. Theginkgo had lived for a thousand years until then.When the tree fell, a person claiming to be a treeexpert told people that it was impossible to savethe tree's life. However, due to the immediateaction and enthusiasm of the cjief priest, youngtree is now growing from the remaining root stump. Over time, it will become a large tree, andwil live another thousand years.l The city changes over the years. But I say "poorspirit" because Hibiya Park's absurdly destructive"reconstruction"serves as a precedent. That imperti-nence. Wherever you stand, there is not a shred ofbeauty. Who did design it like this? If the changes over time do not make you feelintelligent and are nothing more than depravity, thenyou should stop touching public goods.Tadami Yamada
Apr 21, 2023
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先日15日のこのブログ日記に、私は現在グローバルな視点に立った文化論(政治論と経済論を含む)を読んでいると書いた。これに関連する興味深い考古学研究が昨日19日のCNNが報じた。 紀元前200年から紀元3世紀までおよそ500年間アジアの平原を支配し、さらに広くユーラシア大陸の平原一帯にも大きな影響を残した匈奴(フン族)について、二カ所の墳墓遺跡から発掘した17体の遺骨のDNAを解析した結果、これまで知られていた蛮族としての評価を大きく変えなければならない事実が判明した。 これまでの古代史において匈奴については、匈奴自身の残した史書のたぐいがなく、中国やギリシャの文献に依拠していた。それらの文献は、匈奴は蛮族で概して遊牧民は劣っているとしていた。しかしながらこのたびソウル大学やミシガン大学等の国際研究チームは遺伝子情報から、匈奴帝国は単一の利害によって統治された帝国ではなく、多民族・多言語の共同体であり、しかも女性が非常に重要な地位にあったようだということが判った。つまり多様な考え、多元的な利害関係、また多民族の婚姻が、単一利害を追求する単一民族国家より広く世界帝国を築く力となっていたのである。 考古学に遺伝子研究が導入されてから、人類史のみならず古生物史、いや地球史そのものが書き換えられつつある。私は20年前頃から絵画作品の見かけ上のテーマとして「アダムとイヴ」を連作してきた。旧約聖書の絵解き(イラストレーション)ではない。自作を解説するのは止めるが、このテーマに取組みつつ人類史を遺伝学の方面から探求もした。アフリカに誕生した「七人のイヴ」が何百万年何十万年とかけて地球上に広がって行き、今ここに、我々は存在する。 なぜ「イヴ」かといえば、われわれの遺伝子はただ女性のミトコンドリアによって存在しつづけるからだ。男性の遺伝子は死滅するのである。したがって男性による万世一系思想などは、ばかもばか。何をねごとを言っているの、というわけだ。 というわけで、遺伝子学から見れば、文化はすべからく初めからグローバルなのだ。「◯ ◯ファースト」なんて言って、戦争などやるのは、阿呆らしいとおもわなければ、ネ。 I wrote in this blog diary on the 15th the other day that I am currently reading cultural theory (includingpolitical theory and economic theory) from a globalperspective. An interesting archaeological studyrelated to this was reported yesterday by CNN on the 19th. 17 bodies excavated from two tombs of theXiongnu (Huns), who ruled the plains of Asia forabout 500 years from 200 B.C. to the 3rd centuryA.C. As a result of analyzing the DNA of the remains,it became clear that the reputation as a barbarianthat was known so far must be changed greatly. Inancient history, the Xiongnu relied on Chinese andGreek documents, as there were no historical booksof the kind left by the Xiongnu themselves. Thesesources said that the Xiongnu were barbarions andgenerally inferior to nomads. However, an interna-tional research team from Seoul National University,the University of Michigan, etc. has recently discov-ered from genetic information that the XiongnuEmpire was not an empire governed by a singleinterest, but a multi-ethnic and multi-lingualcommunity, in which women were extremelyimportant. It turned out that she seemed to be inposition. Diversity of thought, pluralistic interests,and multi-ethnic marriages have helped build globalempires broader than mono-ethnic nations pursu-ing a single interest. Since the introduction of genetic research intoarchaeology, not only human history but alsopaleontological history, or rather, the history of theearth itself, is being rewritten. Since about 20 years ago, I have been creating aseries of "Adam and Eve" as the apparent theme ofmy paintings. those are not illustrations of OldTestament. I will refrain from commenting on myown work, but while working on this subject, I havealso explored human history from the perspectiveof genetics. The "Seven Eves" born in Africa havespread over the earth over millions and hundredsthousands of years, and now we are here. The reason for "Eve" is that our genes continueto exist solely through female mitochondria. Themale gene dies. Therefore, the idea of unbroken lineage by menis foolish. What kind of nonsense are you talkingabout? Therefore, from the perspective of genetics,culture is global from the beginning. Let's thinkit's foolish to say "◯ ◯ first" and start a war. Well?Tadami Yamada
Apr 20, 2023
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選挙応援演説に向かう首相に爆発物を投つけて逮捕された容擬者(24歳)は、依然として黙秘しているという。しかしこの男の生活環境ならびに背景を捜索した警察によると、現行の公職選挙法をめぐって提訴し、係争中であることが判明した。これには私は少し驚いた。この男は去る参議院議員選挙において立候補を申し出たが、法定年齢の30歳未満であったことと供託金300万円の支払い能力がなかったために立候補を拒否された。このことに精神的苦痛を受けた、つまり公職選挙法の法理念にそぐわない規定ではないかという不満から、国を相手に神戸地裁に提訴に及んだようだ。 裁判の審判は現行法に沿っておこなわれるので、現行法が本来の公職選挙法理念にそぐわず精神的苦痛を受けたという理由の訴訟で、この原告が勝利する確立は非常に少なかろう。尤も、裁判所は訴状を受理しているのだから、まあ、見込みがないとも言い切れないかもしれない。 しかし、この男のこの背景が、岸田首相に爆発物を投げつけるという行為と如何に結びつくだろうか? 犯罪行為が必ずしも論理性を貫徹しているものではないとは思う。しかしながら安倍晋三元首相を銃撃殺した山上徹也の場合は、私は、論理的に一貫していたと思う。誤解がないようにあらかじめ言っておくが、私は山上徹也の犯罪を擁護しているわけではない。安倍晋三が特定宗教集団とかなり強く結びついていたことは、山上徹也の妄想ではあるまい。むしろ山上は安倍晋三の背後関係を良く知っていた、と私は思う。尤も、安倍晋三は選挙票田と金が目当てで、その特定宗教集団の宗教を名目としながらの他の活動には案外ノンシャランスだったかもしれない。あるいは政治的には反共で一致していると思ったかもしれない。しかし、この集団のトップがかつて北朝鮮のトップと手を結んだことを、深く考えたことがあるかどうか。すくなくとも安倍晋三とこの宗教集団との関係性は「信教の自由」の範疇外であろう。銃撃殺事件後、各マスコミの調査等によって、多くの政治家が選挙と金のためにこの集団と関係していたことが判明している。 ・・・ともかくも山上は、自らの家庭の崩壊の原因となり、現在もその渦中で経済的精神的に追いつめられた状態を造りだした特定宗教集団と安倍晋三元首相とを結びつける相当の理由があったと言えよう。 岸田首相(あるいはパイプ爆弾らしき爆発物使用によって被害は演説の聴衆に及ぶ可能性があったことを含め)を襲撃する理由が、山上徹也のように明確には第三者に見えて来ない。安倍晋三の国葬を岸田首相が強行したことに反対していたそうだ。たしかにあの国葬に反対した国民は非常に多くいた。それにしてもそれが暗殺を実行するに足る理由とは、第三者には得心がゆかないだろう。他にも外観できない内的論理がないとは言い切れない。そうだとしたら彼は黙秘をつづけるべきではない。黙秘によってこの容疑者に利することは何もないと、私は思う。弁護士を要求しているそうだが、弁護士を当惑させずに内的論理を説明する必要があろう。はたしてそれができるかどうか。容疑者の弁明ないし自供は、今後の検察の刑事訴訟法に則った「事件の再構成」の論理性に影響してくる。 私は、報道の一部に気にとめた事実があった。この容疑者は上記の提訴した問題に関連して、某議員と面会して話をしたことがあるという。某議員の証言である。その面会時に、この容疑者の男は、「市議の報酬はどのくらいか」と訊いたそうだ(朝日新聞デジタル 2023年4月18日10時43分)。男は無職だという。 A 24-year old suspect who was arrested for throw-ing explosives at the prime minister on his way to anelection speech is said to remain silent. However, according to the police who searched the man's livingenvironment and background, it was found that hehad filed a lawsuit over the current Public Offices Election Law and was pending. This surprised me a little. This man offered to run for the House of Councilors in last House of Councilors election, buthe was refused because he was under the legal ageof 30 and was unable to pay the 3 million yen deposit.It seems that he was emotionally distressed by this,in other words, dissatisfied that the provision wasnot in line with the legal principles of the PublicOffices Election Law, and filed a lawsuit againstthe government in the Kobe District Court. Judgement will be conducted in accordance withthe current law, so it is highly unlikely that the plaintiffwill win in a lawsuit claiming that the current law isinconsistent with the original principles of the PublicOffices Election Law and that he suffered mentalanguish. Of course, since the court has accepted the complaint, well, it may not be possible to say that there is no chance. But how does this man's background relate to theact of throwing explosives at Prime Minister Kishida? I don't think criminal acts are necessarily logical.However, in the case of Tetsuya Yamagami, whoshot and killed former Prime Minister Shinzo Abe,I think he was logically consistent. To avoid mis-understandings, I am not defending Tetsuya Yamagami's crimes. It is not Tetsuya Yamagami'sdelusion that Shinzo Abe was strongly associatedwith a specific religious group. Rather, I believe that Yamagami was well aware of Shinzo Abe'sbackground. Of course, Shinzo Abe was interestedin electoral votes and money, and he may havebeen surprisingly nonchalant about his other activities under the name of the religion of thatparticular religious group. Or maybe he thought he and the group were politically anti-communistand unanimous. But had he ever thought deeplyabout the fact the head of this group once joinedhands with the head of North Korea? At the veryleast, Shinzo Abe's relationship with this religiousgroup would fall outside the scope of "religiousfreedom." After the shooting incident, investiga-tions by various media outlets revealed that manypoliticians were associated with this group forthe sake of elections and money. ... In any case, itcanbe said that Yamagami had a good reason toassociate former Prime Minister Shinzo Abe witha specific religious group that caused the collapseof his own family and has created a state of economic and spiritual despair in the midst of it.I think. The reasons for attacking Prime Minister Kishida(or the use of explosives that looked like pipebombs, which could have affected the audience ofthe speech), could not be clearly seen by a thirdparty like Tetsuya Yamagami. It is said that he was opposed to Prime Minister Kishida's forcedstate funeral for Shinzo Abe. Certainly, there werea great many people who opposed that statefuneral. Even so, a third party wouldn't be con-vinced that that was enough reason to carry outthe assassination. It cannot be said that there isno other internal logic that cannot be seen. If so,he should not remain silent. I don't think thissuspect has anything to gain by remainingsilent. He say he's asking for a lawyer. However,I think that he'll need to explain her internal logicwithout embarrassing the lawyer. Whether it canbe done or not. The defendant's explanation orconfession will affect the logic of the futureprosecution's "restructuring of the case" in accordance with the Code of Criminal Procedure. There was a fact that caught my attention insome of reports. The suspect is said to have metand talked with a city council member in connec-tion with the issue of running for the House ofCouncilors election mentioned above. This is thetestimony of the city council member. At the timeof the meeting, the suspect asked, "How much isthe city council's salary?" The man is unemployed.Tadami Yamada
Apr 18, 2023
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数日前に出ていた降雨予報は外れたようだ。明るい陽射しが仕事場の窓いっぱいに広がっている。しかし風はやや強く、耳を澄ますと時々木々のざわめきが聞こえる。 先日健康検診を受けにクリニックに行ったとき、心電図の準備をしながら医師が言った。その朝、娘さんが学校へ行くために自転車をみると、サドルに黄砂が薄く積もっていた、と。そして「黄砂ではなく花粉でしょうか?」と、医師は一応のイクスキューズをつけた。 モンゴルのゴビ砂漠の砂が、風に乗って日本にも飛来する。砂漠の砂は飛来するあいだに、微細粒子の周囲に花粉や種々の重金属粒子を纏うことが、研究者によって知られている。クリニックに行った日は、強い風が吹いていた。自転車に横殴りの風が吹き付け、ハンドルを切り損ねそうになった。自転車から降りて、見知らぬ自転車乗りと顔を見合わせて「危ない危ない」と苦笑した。 この季節、いやそれよりずっと早くから、花粉症に悩む人たちが目立つ。私もしばしば「いかがですか?」と訊ねられるが、その症状とは全く無縁である。山の中で蝶や植物を探しながら育ったからだろう。小学校低学年の頃には「杉鉄砲」を作って遊んだものだ。細竹を銃身にした拳銃を作り、杉の花咲く前の2,3mmほどの固い芽を弾にして、空気ポンプの要領で飛ばした。亡父が私のことを「にいちゃんは野生人」と評していたが、野蛮な男には現代病も三舎を避くのだろう。 上記の黄砂粒子の研究から、あるいは逆の場合が考えられるかもしれない。花粉に重金属粒子が付着してはいないかということだ。花粉症の発症メカニックは判っているが、重金属粒子の付着があるかないかについては、私は寡聞にして知らない。 おやッ! こんなことを書いているうちに雨が降ってきた。天気予報が当たったな!
Apr 17, 2023
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先日、大江健三郎氏のご逝去を追悼した。私が所蔵する御著書のなかから30冊ばかりを写真撮影してその画像を添えた。そのとき私は『飼育』の初版を買えなかったので、後に文庫本を買った、と書いた。そしてその表紙にあらたに私自身のレタリングで表紙をかぶせた。その文庫本は60年以上の前のものなので、追悼文を書いた時にはすぐには探し出せず、画像を掲載できなかった。 今、私は必要があって古い本や資料を本の山のなかから掘りだしている。今日たまたま当たった本棚の前後二重に積み重ねた奧に、60年前にペンとインクのレタリングで表紙をつけた大江健三郎氏『飼育』の文庫本がみつかった。 新潮文庫である。奥付を見ると昭和36年12月20日刊行の第4刷。初刷は昭和34年9月25日。2年3ヶ月で4刷だから、良く売れたのだと分かる。定価100円。当時、会津若松市の私が住んでいた近所で中華そば(ラーメン)が一杯50円。ほうれん草が一束10円だった。・・・そんなことはともかく、この文庫の解説を書いているのは江藤淳氏だ。後年のお二人が進んだそれぞれの方向を思うと、私はなんだか苦笑してしまうのだが・・・。江藤氏は次のように解説を書き始めている。引用してみよう。 〈大江健三郎という作家をはじめて識ったのは、1957年の6月頃である。ちょうどそのころ、「文学界」に批評を書きはじめていた私は、ある日、文芸春秋社の地下にある文春クラブで、焦茶の背広をややぎごちなく身につけた色白の少年を見かけた。ついぞ見たことのない特徴のある顔立だったが、彼はやがて編集者に軽く会釈すると、こちらには見むきもせず、ひどく癖のある足どりで外に出ていった。あれは誰だときくと、東大新聞の懸賞小説で一等になった大江健三郎という学生だという。(略)・・・このような残酷な話を、かくも豪奢な美のなかに展開させることのできる作家はどのような人間であろうか、と私はいぶからずにはいなかった。(略)〉 長い引用になった。自身出だしの評論家にありがちな些かの意地悪さと自己顕示が感じられるが、しかし、新しい文学のたしかな萌芽を江藤淳氏は見抜いていられた。 私はこの表紙をつくったときに、それは高校2年か3年だったが、自分が後年、イラストレーターとしてまた装丁家として出版にかかわるとは想像だにしていなかった。しかし、こんなことをしていたのだなぁと、あらためて回想しながら、先日の追悼文に添付するつもりで画像を掲載する。
Apr 16, 2023
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夜明け前から雨音もはげしく降りだし、ほぼ半日降っていた。少々寒く、カーディガンを羽織った。今後1週間、晴れたり降ったりがつづくようだ。喜んでいるのは庭の植物たちだろう。 またもや和歌山市の首相の演説会場で、爆発物らしきものが投げつけられた。幸い首相にも他の人にもケガはなく(後に警察官一人が手を切ったと報じられた)、容疑者の男はすぐにSPに取り押さえられたという。若い男である(これも後に24歳と判明)。 報道によると、容疑者は弁護士を要求してい、警察は自供を得られていないようだ。推測は避けるべきだろうが、私は、安倍元首相を銃撃殺した山上徹也事件の「模倣犯」のような気がする。投げつけられた爆発物のようなものが、殺害目的の重大な殺傷能力があるようには、報道内容は極めてわずかではあるがその報道からは見えてこない。・・・私の推測はここまでにしよう。 話は変わる。 私は今年に入ってからずっとグローバルな視点から文化論を読んできた。そこには当然、政治と経済の問題も入ってくる。過去4ヶ月は、おもに現代における問題を多方面から考察した論文を読んでいた。一例をあげれば次のような本である。 ジョン・トムリンソン、片岡信訳『グローバリゼーション 文化帝国主義を超えて』2000、青土社 土屋昌明編『異文化社会の理解と表象研究』2022、専修 大学出版局 森本あんり『異端の時代 - 正統のかたちを求めて』 2018、岩波新書 アンドレ・シフリン、高村幸治訳『出版と政治の戦後史 - アンドレ・シフリン自伝』2012、トランスヴュー エイコ・マルワ・シナワ、藤田美菜子訳『悪党・ヤクザ・ ナショナリスト - 近代日本の暴力政治』2020、朝 日新聞出版 川喜田敦子『ドイツの歴史教育』2005、 白水社 芦名定道、小沢隆一、宇野重規、加藤陽子、岡田正則、 松宮孝明『学問と政治 - 学術会議任命拒否問題と は何か』2022、岩波新書 リサ・カートライト、長谷正人監訳、望月由紀訳『X線と 映画 - 医療映画の視覚文化史』2021、青弓社 ピーター・J・マクミラン『英語で読む百人一首』2017、 文春文庫 そしてここに来て少し視点を変えて、はるか昔の日本と世界との歴史的な、しかも互いに相手国に対して積極的な交流/非交流を、学問的に検証した論考を読み始めた。いま読んでいるのは、 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ - 天正少年使節と世界 帝国』2003、集英社 この論考には最初のページから頭をガッツンと殴られるような、私の不明を思い知らされている。私は若桑みどり千葉大名誉教授の象徴学論考にはいろいろ教えられてきた。その若桑先生のこれまでのご研究とは少し方向が違うなと読み始めた上記の本である。完成までに7年を要したと述べていられるが、A5判本文528ページの2段組。先生は2007年に逝去され、『クアトロ・ラガッツィ』以後の著書もあるけれども、しかしまさに畢生の大作。プロローグで次のように書かれた。 〈30数年、ミケランジェロと格闘し、彼の芸術をわがものと思うために研究した。(略)ミケランジェロをいくら研究しても、私は「西洋美術を理解する東洋人の女」であるにすぎない。(略)日本人として西洋と日本を結ぶことを研究したい。究極、この今の私と結びつくことを研究したい。〉 このような思いが「天正少年使節と世界帝国」のテーマに結実した、と。 これだけの言葉にも私は胸を抉られた。 一行読んではもう一度読み直し、二度ずつ読んでいる。とにかく私の知らぬことばかりだ。読了するまでにはちょっと時間がかかるだろう。
Apr 15, 2023
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早朝5時からちょっと忙しかった。10時過ぎにようやく落ち着いた時間となり、以後は夕刻6時迄ずっと調べ事をしながら旧稿に手をいれていた。 1992年にニューヨークで発行された或るコミュニティー新聞は、保存資料箱のひとつから探し出せた。必要紙の発行年月日と発行所を確認できた。
Apr 14, 2023
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10時の受診を予約してあった年に1度の健康検診のため主治医のクリニックに行った。結果判明は後日になる。 クリニックを出て、天気が良かったので(雨の予報が出ていた)、そのまま自転車で遠出をした。道中、というのも大げさだが、いろいろの花木が目につく。桜はもう半ば散りかけていて青葉がでている。その桜色と新緑のとりあわせが美しい。それぞれの色合い(濃淡の度合い)が絶妙だ。まさに今の今にしか見られないバランスの妙を感じた。 私はどういうわけか桜にあまり魅かれない。あとちょうど一ヶ月で78歳になるが、いわゆる「花見」を一度もしたことがない。世間で言う「花見」というやつは、花を見ているのだか酒をくらって馬鹿騒ぎしているのかわからぬ。それが私の好みには合わない。その宴席に敷きつめるブルーシートの色も不快だ。酒は静かに飲むべかりけり、である。もっとも私は30歳になったときに、ピタリと酒を止めた。以来、一滴も口にしていない。・・・と言いたいところだが、たまに料理に使う。アルコール分は飛ばしてしまうが、酒には違いなかろう。 八重桜はまだ盛りのようだ。山吹が咲いている。ハナミズキが咲いている。白もあればピンクもある。躑躅やコデマリ、ドウダンツツジ。辛夷(こぶし)、藤。藤が咲くには少し早いような気がする。しかし江戸の振袖若衆のような色気をかもして風に揺れている。薔薇も咲いている。あれは石楠花(しゃくなげ)か。 道端にはタンポポ、スミレ。ああ、カラスノエンドウも! 軽く食事をし、文房具を買い、金銀散しの上質紙を買い、ブックオフで大部の書籍2冊と普通程度のページ数の単行本1冊を買った。 街はにぎわっていたが、大抵の人はマスクをしていた。私はクリニック内と店内ではマスクをし、自転車を走らせているときははずした。 皆がマスクをはずせないというのもわからないではない。政府の言うことの根拠が科学的な思考を感じさせないからだ。分科会会長の尾見氏は、その最たるもの。医学的な専門思考がまったくない人だ、と私は、言い切る。 医学的な大問題発生状況に、政治的、行政的な思考をもちこむことが、そもそもの間違い。政治で病気が克服できるはずがないではないか。・・・街を歩けばわかる。誰も信用していないことが。自己責任? 自己判断? 笑わせるぜ、その言葉。 世界的な伝染病のパンデミックを何と見ている。しかもCOVID-19ウィルスはその発生当初の「姿」を恐ろしい勢いで変えている。ウィルス学の深い専門知識無くしては到底対処できまい。そんなことはちょいと頭を使えばわかることだ。ウィルス学専門の研究データを分析し、世界の医療技術と提携して現実に対処することが求められる。そこに政治が口を挟む余地はない。行政は現場医療のサポートのみならず医学研究のサポートに徹するべきだ。 さて、あたらしく施行された道路交通法にもとづく自転車走行時のヘルメット着用だが、報道されているようにほとんど着用されていなかった。私は先日買ったヘルメットをかぶったが、たくさんの自転車走行にであった。しかし私が目にしたヘルメット着用はわずか5人。そうそう、母親がつきそった幼児2人がかぶっていた。オートバイはさすがに全員であった。郵便配達員もウーバーイーツの配達人も着用していた。 ・・・帰宅したときはちょっと疲れていた。 ベッドに横になって、本の山のなかに目にとまった吉行淳之介のエッセイ集「懐かしい人たち」を読んだ。30年前の本だ。私は吉行淳之介氏の短編小説や座談が好きで、学生時代に短編全集も所持していた。貧乏学生が大枚をはたいて買った。或る人に貸したら、返さずにどこかへ引っ越してしまった。私の蔵書票「則雋庫」が貼ってあった。この人には翻訳本も1冊持っていかれて、そのままだ。・・・吉行淳之介「食卓の光景」「目玉」「鞄の中身」「菓子祭」。「食卓の光景」は雑誌に発表されたときに読み(たしか「群像」だったと思うが、ちょっと記憶に自信がない。そのころ私は他に「文学界」「文芸」を毎月読んでいた)、以来、炒飯に仕上げの醤油を鍋はだにまわして焦がす、文章から想像を掻立てられその香りが忘れられなくなった。自分で炒飯をつくるたびに60年前の短編が甦る。吉行淳之介の省筆(?)を真似しようとやってみるけれど、真似ができない。肝腎な何か、鋭さや、ひりひりする繊細さが抜けてしまう。吉行氏が文学しているような部分が抜けてしまう。名人の名人たることを知るばかりだ。若い頃に読み、歳を取ってから再読、再々読してますます感じ入る(得心する)小説はそんなに多くない。吉行淳之介が書いた物は、私にとってはその稀な一人。 ・・・いつのまにか本を腹のうえに開いたまま、少し眠ってしまった。
Apr 12, 2023
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きょうはほぼ一日中、資料文献の記録とり。 一日がかりだったが、すべてがリスト・アップできたわけではない。残り四点の資料を山積みの本のなかから引っぱり出さなければならない。 そのうちの2点は取り出すのは大変だが在処を知っている。あとの2点は、ニューヨークの昔の或るコミュニティの新聞と、やはりアメリカの30数年前の情報雑誌。在処はおおよそ見当がついているが、かなり奥まった古雑誌の棚だ。 奥まった場所というのが問題で、その前に積んだ高さ1.5mほどのストッカーを動かさなければならない。考えるだけで身体が縮んでしまう。しかし、私はそれらの新聞と雑誌に書いてあることを、かつて重要な論拠として執筆した。いまとなっては誰も容易には入手できないであろう資料なので、ここはどうしても原物をさがしだして発行所や発行年月日等を記録し、場合によっては原物を開示する必要がある。・・・まあ、人様には全然関係がないことだが、がんばりましょう。
Apr 11, 2023
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ワオッ! YouTube に懐かしくも嬉しい、そして驚きのレコード音楽がアップされていた。昨日9日にアップされたばかりだ。偶然それに遭遇した。 シューベルト「交響曲第8番 未完成」。いや、この曲がアップされているから嬉しかったのではない。その指揮者と演奏オーケストラと録音期日にである。ブルーノ・ワルター指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団演奏、1958年3月3日録音。 じつはワルター指揮のニューヨーク・フイルによる1958年録音の「未完成」こそ、私が自分の小遣銭で買った最初のレコードだった。A面に第1楽章、B面に第2楽章が録音されたSP盤である。16歳のときだ。私は、父が送ってくれた電蓄(電気蓄音器;ラジオとレコードプレーヤーが一体となった大型機器)で毎日のように聴きながら、2Kのアパートに独り暮しで誰にも見られないのを良いことに、指揮のまねをしていた。 指揮のまねをしながら歩くのは、中学生のころから。自分では全然気付かなかったが、その姿はクラスの女生徒には有名だったらしく、「ヤマダさんが歩いていると遠くからでも後ろ姿でわかる。いつも音楽の指揮をしながら歩いているわね」と言われたものだ。ワルターの音にあわせて「未完成」を指揮するまねは、もちろん大いに自覚してのこと。 なぜブルーノ・ワルターかというと、中学1年のときに、小学校の同級生だった阿部クンの高校生のお兄さんが、「これを聴いてごらんよ」とレコードプレイヤーとともに貸してくれたのが、ワルター指揮のベートーヴェン「第9交響曲 合唱」だった。そのレコードはその当時開発されたばかりの音盤素材の72回転LPレコード。深紅色の透明な盤だった。私はあの長時間の曲を、何度も何度も聴いた。・・・ちなみに、父が送ってくれた大きな電蓄は、同級生の阿部クンの高校生のお兄さんのさらに上のお兄さんが、父に新型の電蓄をつくらせてほしいと頼み、父が承知して費用をだしたのだった。 私はそのころオーケストラの生演奏のコンサートに自分の小遣銭でチケットを買い、感激のあまり指揮者の芥川也寸志氏に直接お目にかかったりしていた。あるいはイタリア歌劇来日公演の演奏をラジオで聴き、マリオ・デル・モナコの歌声にどぎもを抜かれたのもそのころ。中学校の音楽室の戸棚に、埃まみれになって雑然と詰め込まれていた数十枚のレコードを、放課後、一人放送室に閉じこもってすべて聴いたのもそのころだ。それらのレコード音楽は、学校教育向けのいわゆる「名曲」だったが、私はその曲名をいまでも憶えている。「展覧会の絵」「フィンランディア」「剣の舞」「禿げ山の一夜」「歌劇ウィリアムテル序曲」「モーツァルトのトルコ行進曲」「ベートーヴェンのトルコ行進曲」「交響曲新世界より 第4楽章」etc., etc.。これらの曲を聴いては、指揮のまねをしながら歩いていたのだった。 ・・・そんなようなことから、自分で最初に買うのはブルーノ・ワルターの力感のある指揮にしようと決めたのである。会津若松市の大町四つ角にあった「矢内レコード店」で買った。中学の同級生・矢内クンの家だ。七日町駅に向かって左角にあった。「矢内レコード店」では、それまでにも弟たちへの帰省土産にする童謡のレコードを買っていた。 (ついでながら。七日町通りに面した「矢内レコード店」の向い側すぐのところ、すなわち大町四つ角十字路の会津若松駅に向かう大町通りの左側に母が着物をあつらえていた「上野屋呉服店」があり、その真向かいに「山口金物店」があった。中学の同級生のショウゴちゃんの家だ。私は一度遊びに行き、広い店の中を通って裏手から二階のショウゴちゃんの部屋にあがった。たぶんお兄さんと一緒の部屋だったかもしれない。ショウゴちゃんがお兄さんのレコード・コレクションを見せてくれた。当時流行していたポール・アンカやニール・セダカなどのいわゆる洋楽ポピュラーソングだったと記憶している。たぶん「矢内レコード店」で買ったのだろう。4/30 追記) 遠い昔のことをいろいろ思い出したが、それらを引き出したブルーノ・ワルター指揮、1958年録音の「未完成交響曲」だった。ブルーノ・ワルター指揮、1958年録音の「未完成交響曲」
Apr 10, 2023
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水草の揺れるを見てる日永かな 青穹(山田維史) いずこより流れ来たるや花筏 春駒の軽き駆けりや老いの夢 春駒の駆ける軽さよ老いの夢 春駒の駆けるや駆ける夢のなか 春駒の嘶きたかし牧の家 母に添い嘶きうれし春の駒
Apr 9, 2023
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おやッ? 雨が激しく降り出した。 ・・・昨日、早朝から横浜に出掛けていた家人が一泊して帰宅すると、「きのう横浜は激しい雨」と言った。たしか予報では東京も雨のはずだったが、一日中良い天気だった。じつは私も外出の予定だったが、その気象予報が出ていたので予定を取り止めたのだった。・・・一日遅れの雨というところか。風も出てきた。 鉢植えの二種の紫陽花に水をやるつもりだったが、土の湿り具合を見て止めにした。紫陽花には良い雨だろう。 二人静が強そうな茎を幾本もグイとのばしている。地植えである。これは3年前に八王子の他家から到来した。その隣のアガパンサスはアフリカ原産の植物。これも地植え。乾燥地に強い。それを良いことにあまり水をやらない。長い剣葉を25cmほどのばし、二人静にしなだれかかるようだ。素焼きの鉢の底を割って被せ、囲いとし、地面に這わないようにしてある。 我家の小庭には他家から頂戴した植物や、2種の紫陽花のように植物園由来のものもあるが、じつに妙なことに、そのほとんどが植えた覚えのない植物たちだ。千両や南天、椿、木瓜、土佐文旦、卯木、楮。・・・どういうわけだろう。いま、椿の根方に桜草が咲いているが、これも今年いきなり咲いたのだ。 ときどき植木屋さんが手入れをさせてくれとチラシを置いてゆくが、ことわっている。雑草園、いや、園とは言えない。雑木林のような猫の額の小庭を私はおもしろがっている。どこからともなくやってくる植物たちは、無精者の庭を住み心地が良いと思っているのかもしれない。・・・まあ、それこそ無精者のいいかげんな理屈ではあるが。 春の草恋うや静の鈴の舞 青穹(山田維史) この岸に寄せては返す花筏 Well! It started to rain heavily. ... Yesterday, when my younger brother who hadleft for Yokohama early in the morning returned home from an overnight stay, he said, "Yesterdayit rained heavily in Yokohama." If I remembercorrectly, it was supposed to rain in Tokyo, but theweather was fine all day. Actually, I was planning togo out too, but the weather forecast was for rain, soI canceled the plan. It's rainning a day late, isn't it?The wind is blowing too. In the norning, I was going to water two kinds ofpotted hydrangeas, but I stopped when I saw howmoist the soil was. It must be good tain for thehydrangeas. The Futarishizuka are stretching out a number ofstrong-looking stalks. It is planted in the ground.This came from some another family's garden inHachioji city three years ago. By that, Agapanthus is a plant native to Africa. This is also planted in theground. Resistant to dry soil. Don't water it toomuch which is a good thing. It seems that Aga-panthus is weeping over Futarishizuka with itslong blades extending about 25cm. To break thebottom of the unglazed pot I covered Agapanthusto form an enclosure so that it does not crawl onthe ground. In our small gardeb, there are plants that were given to us by other families, and some that camefrom the botanical garden, such as two types ofhydrangeas, but dtrangely enough, most of themare plants that I don't remember planting. Senryo,Nanten, Camellia, Mokko, Tosa Buntan, Utsugi,Kozo. ... I wonder what it is. At the moment, Primrosesare blooming at the base of the Camellias, but they also bloomed suddenly this year. Sometimes the gardener leaves a leaflet askingme to let him to take care of it, but I wouldrefuse. A weed garden, no, I can't say it garden.However, I am amused by the small garden, whichis like a thicket. Plants that come out of nowheremay find a lazy garden comfortable to live in. ...Well, that's just lazy reasoning. Hahahaha.Tadami Yamada
Apr 8, 2023
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夕刊を庭で立ち読む日永かな 青穹(山田維史) 永き日や散りし椿の影深く 老いぬれば沈丁の香に惑わざる 沈丁や憶い捨ててもその香こそ
Apr 6, 2023
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筍が店先に並ぶ。さっそく買い求めた。我家にとっては今年の初物。夕食は私が好きな筍御飯にする。 献立は、その筍御飯に、若竹煮(筍、若布、高野豆腐)、鶏照焼きブロッコリー蒸焼き添え、胡瓜と茗荷の甘酢、味噌汁(舞茸、油揚、葱)。 毎日三食を料理すること数十年。老年期の入口に立った66歳から、口に入れるものは水一杯をも記録するようになって11年9ヶ月。一ヶ月毎のデータ141ページのファイルになった。私は献立の食べ物を残さないので、そのデータは私の身体をつくってきた食物を確実に示している。狂気じみていると思われるかもしれないが、こんなふうに書くから異常な習癖に見える。じつは何の苦もない一日の或る時間のルーティンである。面倒くさいと思ったら全てが面倒になる。生きることさへ面倒になるだろう。 三食のメニューも、たいした考えない。栄養学は長年調理しているうちに身に染み付いている。 たとえば昨日は真鯵を買ってきた。私は鯵フライをつくろうと思ったが、包丁を握りながら戸棚を見るとパン粉がきれていた。「ありゃ!」と思うと同時に「鯵の南蛮漬け」に変えてしまった。 新玉葱を薄切りにし、人参とピーマンを千切りにし、漬けタレをつくった。醤油、黒酢、酒、砂糖、唐辛子、大蒜の擂りおろしを合せて少し温めた。鯵に片栗粉をまぶして香ばしく焼き、野菜を半量だけバットに敷き、鯵をならべ、残りの野菜で覆いをし、鯵が熱いうちにたっぷりのタレを注ぐ。他の調理をしている間に漬かるように落とし蓋で軽く重しをかけて・・・ そんなに時間は要しない。ちゃっちゃっと、三品ほどつくって、おいしい夕食、というぐあいである。 両親が生きていたときも、ずっと私が料理していたのだが、ふたりとも食べ残したことがなかった。母は死ぬまで、「私は御飯がおいしくて幸せ」と言っていた。その顔を見ていると、まんざらお世辞でもなさそうだった。幸せそうだった。私のつくる料理に満足していたのだろうと、私は思っている。まあ、そう思うから人のためにつくれるのではあるが。 しかし、やはり旬の食材を調理するときは気持がちがうかもしれない。今日のように、筍御飯が炊けてくる湯気の香は、自分で料理して食べることの喜びが胸をよぎるのである。私は原始的な人間かもしれない。食べ物の調理を人間の創造の根本と思い、食べることを生きることの根本と思い、調理を科学の原初、と芯から思っているのだから。それを私の日常の行為としているのだから。 Bamboo shoots line the storefront. I bought it immediately. First time of the year for our family.Dinner will be bamboo shoot rice, which I like. The menu consists of rice with bamboo shoots,simmered wakatake -ni (bamboo shoots, seaweed,Koyadofu(, teriyaki chicken with steamed broccoli,cucumber and myoga in sweet vinegar, and misosoup (maitake mushrooms, fried tofu, and greenonion). It's been decades since I cooked three meals a day. 11 years and 9 months I was 66 years oldwhen I stood at the doorstep of old age, I startedrecording everything I put in my mouth, even aglass of water. It became a file of 141 pages of data for each month. I don't leave food on theplates, so the data definitely shows the food thatmade my body. You might think I'm crazy, but this way of writingmakes it look like an old habit. It's actually aneffortless routine at certain times of the day. If I think it's troublesome, everything will betroublesome. Even livong will be troublesome. I don't think much about menus for three meals.Nutrition is ingrained in me throughout years ofcooking. For example, I bought mackerel yesterday. I thought I'd make fried mackerel, but when I lookedat the shelf, the bread crumbs were gone. At the same time I thought, "Ah!", with the knife in myhand, I thinly sliced the new onions, shreddes thecarrots and green peppers, and made the picklesauce. Combine soy sauce, black vinegar, sake, sugar, chili pepper, and grated garlic and warm itup a little. The mackerels are sprinkled with potatostarch and grilled until fragrant, half of the vegetableare spread on a tray, the mackerels are laid out, theremaining vegetables are covered, and plenty of sauce is poured while the mackerels are still hot. Lightly weight it with a drop lid so that it can be soaked while I am cooking other things... It doesn't take that long. It's like making a quick,delicious dinner with about three dishes. Even when my parents were alive, I used to cookall the time, but they never left anything on theirplates. Until her death, my mother used to say,"I am happy because the meals are delicious."Looking at her face, she didn't seem flattered at all, seemed happy I think they were satisfied withmy cooking. Well, I think so, so I can make it forfamily. However, it may feel different when cooking seasonal ingredients. Like today, the smell of steam coming from steaming rice with bambooshoots fills my heart with the joy of cooking andeating it myself. I may be primitive. I believe that cooking food is the root of human creation, that eating is theroot of life, and that cooking is the origin ofscience. I make it my daily practice.Tadami Yamada
Apr 4, 2023
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鶯や連理の枝の初音かな 青穹(山田維史) 鶯の鳴いて散りゆく山桜 草餅の緑濃くして春日かな 春の日や緑濃くする草の餅 草餅に茶を淹れかえる媼かな 山肌にポップコーンの辛夷かな
Apr 3, 2023
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現在、人類史上初めての太陽探査機と太陽観測衛星が驚くべき観測データを地球に送信してきている。 その二つの探査機とは、NASAの「パーカー・ソーラー・プローブ」と欧州宇宙機構(ESA)の「ソーラー・オービター」である。パーカーは2018年8月12日に打上げられ、オービターは2020年2月10日に打上げられた。 このブログ日記で、すでに打ち上げ当初に書いたが、私は、太陽風の存在を予言したユージン・ニューマン・パーカー博士を記念して「パーカー・ソーラー・プローブ」と銘打たれたNASAの人類最初の太陽探査ミッションの応援に参加していて、この探査機には私の名前を記録して積載されている。 ユージン・ニューマン・パーカー博士は太陽探査機の打ち上げを現場にいてご覧になられたが、昨年2022年3月15日にご逝去された。95歳であられた。 このミッションは7年間におよぶ。すなわち2025年までに、太陽のコロナに接近すること26回が予定されている。8回目の接近になる2021年4月には最接近して、初めて太陽コロナに到達した。今年2023年3月17日には15回目の接近をした。太陽表面温度は約5500℃、コロナの先端は100万度。なぜ表面温度よりコロナ先端の温度が200倍も高温になるのか、その謎を解く手がかりを得るのもミッションの目的のひとつである。その謎が、パーカーが送信してくる画像によってすこしずつ解明されつつある。 探査機パーカーは1500度に耐えられるようにシールドされているが、実は、機体が燃えてしまわない理屈は意外に簡単な熱物理学の理論なのだ。 つまり熱は粒子であり、その粒子が物体に接触することにより物体は熱を帯びる。ある空間に熱粒子がまばらに存在し、物体と接触する機会が少なければ、物体は熱を帯びない。宇宙空間に飛んでいる熱粒子は密ではない。 この原理を、私たちは実は日常で経験しているのだ。電子オーブンのなかに一瞬素手を突っ込んでも熱くないだろう。まあ、そんな実験は絶対しないでほしいが、これが太陽探査機パーカーが高速で宇宙空間を移動し太陽に接近しても燃えない理屈である。 もちろん最高度の技術の耐熱シールドで覆われてい、またどうしてもシールドすることができない地球との電波の送受信のためのアンテナは、地球上で最も融解温度が高い鉱物サファイヤでつくられている。 ミッションの様子はそのすべての論文ではないがNASAのサイトで公開されている。しかし、YouTubeで "宇宙ヤバイチャンネル" さんが、NASAの動画を引用して大変要領良く一般向けに解説していられる。興味がおありならご覧になってはいかがでしょう。人類は太陽に到達! 下の画像はNASAから私にプレゼントされた太陽探査機パーカー乗船チケット。なかほどに私の名 “Tadami YAMADA" と、お読みになれましょう。
Apr 2, 2023
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春らしい良い天気だ。我家の小庭の叢にはタチツボスミレが咲いている。桜が満開である。山肌の桜も、近くに連なる山の峰に沿って並木のようにつづく山桜の薄紅色も、靉靆と煙る。山下の某家の庭の枝垂桜の風情が好ましい。躑躅も咲いている。山路にはタンポポが咲き、馬頭観音の祠にチューリップや水仙がたくさん供奉されていた。この馬頭観音に通りすがりに手をあわせる人が意外に多い。江戸時代にはこのあたりで生産した木炭を江戸市中へ運んだらしいので、この馬頭観音も当時の馬車道の名残かもしれない。私は山路でマスクをとって、木々や花の香を楽しんだ。 鶯が鳴いている。「ホーホケキョ」と明瞭に、かなり大きな声で何度も何度も鳴く。何羽もいるようだ。私にとっては初音だが、たぶん数日前から鳴いているのだろう。 実はしばらくぶりで外出した。今日4月1日から改正道路交通法が施行された。それによれば、自転車走行にヘルメット着用が努力義務として盛り込まれた。その自転車用ヘルメットを買いに出たのである。防災用兼工事用のヘルメットは常備してあったが、自転車用としてそれで間に合うのかどうか。そんなことを考えているのも面倒なので、後頭部を保護できるデザインのものを一つ買ったのだ。 しかし、私はしょっちゅう自転車で遠出の買い物をしたり、電車を使う時でも駅近辺の駐輪場まで乗って行く。今後、そのヘルメットを持ち歩いて買い物したり本屋に言ったり、映画館や音楽ホールに行かなければならないかと思うと、うんざりどころではない。・・・春の心地も少しばかり減じる。 閑話休題 ニューヨークのマンハッタンのストリートの様子に変化が見える。 この3年間ほど、つまりCOVID-19禍が吹き荒れていた年月、マンハッタンのストリートにホームレスの姿をまったくと言ってよいほど見かけなかった。90年代は非常に多かった。ストリートばかりでなく地下鉄駅構内で見かけることもあった。乳飲み子を抱えた若い女性が物乞いする姿もあった。この3年間ほどは見かけなかったので、雇用問題等が上向きになっているのだろうか、と私は思っていた。 ところが、どうやらそうでもないらしい。というのは、COVID-19のストリート検査ブースは、数は非常に少なくなったようだが、まだ見かけないではない。しかし、春になってあたたかくなったからだろう、ホームレスが小銭を乞う姿を見かけるようになった。 紙コップを振りながら、時々「チェンジ(小銭)、チェンジ!」と、誰にともなく道行く人に呼びかける姿は昔と変わらない。ただ、昔はプラスティックの大きなゴミ袋に、アルミ缶を拾い歩く姿もまれでなかったが、そのような姿は現在は見かけない。これは何を意味しているのだろう。よそ者の私は見通せない。 東京でホームレスを見かけたとしても、彼らは道行く人に小銭を乞いはしない。ニューヨークのホームレスと異なるところのような気がする。私はこの意味することについても推測の域をでない。 ついでながら、日本のホームレスについて、密着取材をして書かれた柳美里氏の小説『JR上野駅公園口』がある。河出書房新社 単行本 2014年初版 河出文庫 2017年(画像)
Apr 1, 2023
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