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日吉津村の特産品開発などに取り組む「ひえづ村づくり公社」(三鴨真樹社長)は、村内にある放流用の稚アユを生産する施設を活用し、成魚に育った養殖アユを「日野川育ちの夏香鮎(なつかあゆ)」としてブランド化。10月に村のふるさと納税返礼品に加え、新たな特産品として全国に売り込もうとしている。 日野川水系漁業協同組合(生田誠二組合長)は放流のため、毎年春から初夏にかけて日野川を遡上(そじょう)するアユを捕まえて採卵し、同村内にある種苗生産場で稚魚を育てている。 漁協では以前から放流する量以上に増えた稚魚の活用法を探っており、公社の提案を受けて食用アユの生産に本格的に踏み出すことにした。 大山山麓の伏流水を使い、天然のアユの卵から育てている点が特徴で、キュウリのような独特な香りがすることから「夏香鮎」と命名。定番の塩焼きに加え、刺し身でも味わうことができるといい、同漁協の森下尊士生産場長は「養殖アユではあるが遺伝的には天然のアユと変わらず、安心して食べられる」とその品質に太鼓判を押す。引用サイト:こちら関連日記:2024.01.16の日記 「大山名水とらふぐ」 こちら関連日記:2022.12.04の日記 サケ養殖 こちら関連日記:2024.10.21の日記 埼玉でサバの陸上養殖に成功 こちら関連日記:2023.11.14の日記 淀江でトラフグ陸上養殖進む こちら関連日記:2022.12.17の日記 団地の空き部屋を養殖場に活用 こちら関連日記:2024.05.24の日記 養殖困難な大型エビ、海なし県で成功 こちら
2025.09.24
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使用開始日 2000年5月15日意匠図案説明 目黒川、サクラ並木、カモを描く開設場所 〒153-0044 東京都目黒区大橋1-10-1-103引用サイト:こちら大橋 地名頭上を首都高速、地下を田園都市線が走る交通の大動脈・玉川通り。目黒区を通る唯一の国道であるこの通りが山手通りと交差する、区内きっての交通の要路「大橋」の歴史は、玉川通りの変遷を抜きにしては語ることができない。玉川通りの前身は、江戸と相模国厚木とを結ぶ「厚木街道」。この道を、相模川でとれた鮎を魚河岸へ急送する「鮎かつぎ」が往き来し、また、氷川神社の石段下の道標にその名が残るように、相模大山の阿夫利(雨降)神社への参詣路、「大山道」としても利用された。なお、渋谷区境にかけての上り坂は、当時は大きくう回した急坂で、さすがの「鮎かつぎ」の若者たちも駆け上がるのに苦労したという街道随一の難所。このため「大坂」の名で呼ばれてきたこの坂が現在のようになだらかで真っすぐな坂に生まれ変わったのは、今は姿を消した路面電車の玉川線が開通した明治40年のことである。また、明治の中ごろから終戦まで、大橋周辺には軍の施設が集中。このため、沿道には、軍服店、軍隊用雑貨商、馬糧商、入隊除隊の記念品店などが軒を連ね、さながら軍隊の「門前町」の感があった。さて、「大橋」は、元は目黒川に架かる街道上の橋の名。これが玉川線の停留所名となり、早くからこの地の呼称として親しまれていた。正式な町名となったのは、区内の住居表示のうちで最も遅く、昭和44年1月。新町割案をめぐって住民の意向の調整が難航し、「青葉台四丁目・六丁目」、「南駒場」、「大橋」案についての住民投票なども行われた。引用サイト:目黒区 こちら大山道 玉川通り 厚木街道 大山街道の歴史 大山街道(矢倉沢往還)は、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る脇街道です。 江戸時代中期以後、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」と呼ばれるようになりました。この他、大山へ向かう道を総称して「大山道」と呼んでいました。 又、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る道でもあり、沿道には人馬継ぎ立場として伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などがありました。 東海道と甲州街道の中間に位置するこの街道は西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていました。 現在でも、当時の大山街道を偲ぶものとして「道標」があります。「道標」は当時の人たちが大山詣りの際、道に迷わないように建てた道路標識です。引用サイト:こちら厚木街道(あつぎかいどう)国道246号の神奈川県内部分の通称の一つ。青山通り大山道、大山街道とも呼ばれる。神奈川県道40号横浜厚木線の通称。玉川通り(渋谷-二子玉川)とは国道246号線、通称246(にーよんろく)は、千代田区の三宅坂から静岡の沼津まで続く長距離国道だ。 そのため、地域ごとに別名があり、青山通りとか厚木街道などと呼ばれたりもする。青山通りは、国会図書館から永田町、赤坂御用地、青山、秩父宮ラグビー場(神宮外苑)、表参道を経て、渋谷に至るまでの区域になる。で、渋谷の駅の南側くらいから多摩川までを、「玉川通り(たまがわどおり)」と呼ぶ。 玉川通りは、かつて玉川電鉄玉川線(たまでん)という路面電車が走っていた道路で、非常に賑わっていた通りだ。 多摩川東岸には、二子玉川園(ふたこたまがわえん)という遊園地があって、渋谷や大井町から娯楽客が集まる場所だった。演芸場や映画館、プールやテニスコートもあり、ウルトラマンシリーズのロケ地としても使われていたらしい。二子玉川園は1985年に閉鎖され、遊園地としての役割は終えた。東京ディズニーランドが1983年にオープンしており、それと入れ替わるように閉園した。 現在の二子玉川は、「にこたま」と呼ばれ、百貨店やシネコンなどの商業施設がたくさんあるお洒落エリアだ。引用サイト:こちら 鮎かつぎ市内を流れる相模川では、古くからアユ漁が盛んにおこなわれていました。江戸時代、アユは幕府への献上品として使われていたほどです。アユ漁の時期には、人夫が厚木から大山街道(現在の国道246号)を通ってその日に捕れたアユを江戸へ運び、庶民に大いに喜ばれました。大正から昭和にかけては、厚木でも料亭文化が花開き、相模川のアユを求めるお客で大いに繁盛していたようです。引用サイト:こちらちょっと道草:出雲街道「うなぎの道」「牛馬の道」 こちら大橋JC 目黒天空庭園引用サイト:こちら目黒川引用サイト:目黒川源流散歩 こちら
2026.05.22
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世界初となる量子コンピューターの宇宙打ち上げが実現した。23日(現地時間)、オーストリア・ウィーン大学のフィリップ・ヴァルター教授が率いる国際研究チームが開発した小型量子コンピューターシステムが、米カリフォルニア州のヴァンデンバーグ宇宙軍基地からスペースXのファルコン9ロケットに搭載されて打ち上げられた。この量子プロセッサーは地球上空約550kmの軌道上で稼働を開始する予定であり、今回の打ち上げは小型衛星や再突入カプセルなど70基を搭載した「トランスポータ-14」ミッションの一環として行われた。宇宙空間に展開されたミニ量子コンピューターは、地球観測や宇宙ベースのデータ処理に新たな可能性をもたらす技術として期待されている。これまで、急激な温度変化、宇宙放射線、強い振動といった過酷な環境条件を克服する必要があり、量子デバイスの宇宙応用は大きな課題とされてきた。研究チームは、ドイツ航空宇宙センターの施設で4週間にわたり衛星機器の組み立てを行い、11日間で飛行モデルを完成させた。打ち上げから約1週間後には、衛星からのデータ送信が始まる見込みだという。ヴァルター教授は「基礎科学から応用研究まで、宇宙という新たなフィールドで量子実験が可能になったことは極めて意義深い」と語っている。今回のシステムは現地でのデータ処理、いわゆる「エッジコンピューティング」に対応しており、収集された情報を地上に転送せずその場で処理できる。これにより、電力消費の削減や応答速度の向上が期待される。このプロセッサーは光学ベースのシステムを採用しており、光の干渉や回折といった物理現象を利用して演算を行う方式。大量のデータ処理において優れた効率性を発揮するという。また、将来的な宇宙ミッションへの柔軟な適応も視野に入れられており、今回のミッションでは極限環境下での量子ハードウェアの性能と耐久性の検証も行われる。研究チームは、今回の成果が気候観測、宇宙通信、そして量子物理の基礎研究に至るまで、幅広い応用につながると見ている。引用サイト:こちら
2025.07.02
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2007.04.25の日記 こちら住吉の 遠里小野の 眞榛まはり もち 摺れる衣の 盛り過ぎ行く 作者未詳(巻7-1156)大意:住吉の遠里小野のハンノキで染めた着物の色が褪せるように、私の歳の盛りも過ぎっていってしまいます。引用サイト:こちら万葉集の榛摺(はりずり)の染色方法正倉院宝物しょうそういんほうもつの屏風袋びょうぶぶくろなどの麻の粗布そふに摺すられた榛摺はりずりは、山藍を使用して染めた青摺あおずりの衣ころもと同じ方法で摺すられたものと考えられます。関連記事: 染色・草木染めにおける摺り染め。摺り染め・花摺りの染色方法について①木材を彫って作成した版木はんぎに、米粉こめこなどで作った糊のりをつける②糊のりのついた版木はんぎに、拓本たくほんをとる時と同じ要領で布を貼り付ける③榛はしばみ(はり)の生葉を、すり鉢でよく摺すりつぶす④摺すりつぶした葉を、布で包んだタンポのようにする⑤版木はんぎに貼った布の上に榛はしばみ(はり)の葉を包んだタンポで叩き、液が酸化することで焦茶色こげちゃいろに染めていく⑥乾かしたあと、版木はんぎからはがし、水洗いしたあと干して仕上げる引用サイト:こちら
2024.04.25
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2007.06.26の日記 こちらセンニンソウは学名clematis terniflora、別名では「ウマクワズ」や「ジャパニーズクレマチス(Japanese Clematis)」等とも呼ばれる日本および東アジア、ロシアが原産の落葉ツル性木本もしくは落葉低木です。日本では北海道から九州(沖縄)まで広く分布しており、山野や林縁等に自生しています。引用サイト:クレマチスの種類 こちら
2024.06.26
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行政、専門教育の枠組みを超えて、自らの手で「ふるさと創生」フィールドミュージアム博物館的枠組みや視点を超え、ひとりひとりの自己実現(楽しさ)の表現の場として地域を活かすとともに、地域に根付いている文化資源の保存、育成、そして活性化をはかる「ひと・まちづくり」運動の場。社会教育のステップアップフィールドアカデミー専門的な教育・学術機関ではなく、市井の人や在野の研究者によって構成、研鑚、編集される郷土学習団体活動。ここでいう郷土は行政単位ではなく、広く文化圏(地形、流域、経済圏等)としての地域をいう。アカデミーはこの圏域をベースとしたフィールドミュージアム資源の研究、啓蒙普及、データベース化を目指す。広域教育行政、郷土教育のステップアップ教育関連まとめ関連日記:2024.12.31の日記 「学習指導要領」改定審議 こちら関連日記:2024.03.27の日記 社会教育主事 こちら関連日記:2025.01.07の日記 「書を捨てよ、町へ出よう」 こちら関連日記:2023.08.26の日記 AI時代のアンラーニング こちら関連日記:2025.04.13の日記 文明は土から離れ、文化は土に近づいていくもの こちらフィールドミュージアム関連関連日記:2023.03.18の日記 ひとりひとりの感性からのふるさとづくり こちら関連日記:2024.01.28の日記 私見・ふるさとジオパーク構想 こちら関連日記:2024.07.11の日記 私見・中海の再生を願って こちら関連日記:2022.02.13の日記 私見・再生「松林の中の皆生温泉街」 こちら関連日記:2025.06.21の日記 奥入瀬フィールドミュージアム こちら関連日記:2024.09.05の日記 大地の芸術祭 こちら関連日記:2025.07.15の日記 街道文化遺産 こちらフィールドアカデミー関連関連日記:2025.06.23の日記 参考事例・市民活動 こちら関連日記:2024.06.22の日記 参考事例・北はりま田園空間博物館 こちら関連日記:2024.03.03の日記 参考事例・ふるさと絵屏風 こちら関連日記:2023.03.14の日記 参考事例・観光地対策 こちら関連日記:2025.06.22の日記 教育版 フィールドアカデミー 政策事例 こちら関連日記:2025.06.20の日記 企業版 フィールドアカデミー リディラバ こちら
2025.01.07
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引用サイト:観光庁 こちら山陰インバウンド機構 こちら日本海新聞 0205関連日記:2024.02.02の日記 こちら
2025.02.09
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著者は「当たり前」を疑い,問を立て、なぜそれが生じたかを調べる。この懐疑主義こそ我々科学者はもとより、全ての人間に必要な姿勢だ。発明された時点では素晴らしいことだった様々なシステムが、今や人間と社会を窒息させていると著者は訴える。そしてそれに対して我々がなすべきことについて考える。面白いのは、AIを人間から仕事を奪う存在では無く、逆に能力至上主義(本書ではメリトクラシーという用語が使われる)からの解放者だと捉える点。「自分が変われば世界が変わる」が結論であるが、社会を変えていくための具体策についてはあまり本書では出てこない。ライフロング・プレイグラウンドという言葉は出てくるので、著者の実際の活動がその答えになろうし、次の著書で展開されるのかも知れない。引用サイト:note 吉森保 こちら言葉の森:アンラーニング こちら言葉の森:ライフロング・プレイグラウンド こちら"なにかの意図をもって通うのではなく、そこへ行ってから、なにをして遊ぶかを決められる場所。なにが起きるかわからないからこそ、新しい遊び、探求の種が生まれる場所"?
2023.08.26
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引用サイト:こちら寺山修司1935年、青森県生まれ。劇作家、映画監督、詩人、歌人、競馬評論家。54年にチェホフ祭で短歌研究新人賞特選を受賞、67年には演劇実験室「天井棧敷」を結成。多岐にわたる独自の表現活動は、日本のみならず海外でも高く評価されている。83年、47歳の若さで急逝。没後40年記念として、寺山修司没後40年記念認定事業公式サイトに関連事業一覧がある。引用サイト:こちら引用サイト:こちら関連サイト:「1968年激動の時代の芸術」背中のいちょうが泣いている こちら1968年をテーマにした展示は、全共闘世代が懐かしむ世界が展開されていました。 「わたしは」 と言わず、「我々が」 という世代ですね。 引用サイト:こちら関連サイト:寺山修司の有名短歌 30選 こちら
2025.01.07
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朝日新聞 0305関連日記:2024.09.15の日記 グラングリーン大阪「うめきた公園」 こちら
2025.03.16
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12日に大阪・関西万博の開会式が開かれたEXPOホール「シャインハット」は、国際的な建築家で、文化功労者の伊東豊雄さん(83)が設計した。「文化が耕される場所にしたい」と語った。(高木文一)結局、大衆に支持されたのは未来都市ではなく太陽の塔だったと感じた。「技術の進化では満たすことができない生命力や自然とのつながりを、人々は太陽の塔に求めたのだろう」 設計にあたり、建築で人に生きる力を与えることに挑んだ。古代の遺跡を思わせるシンプルな形状を採用し、ホールの壁には短冊状の白い布を重ねて貼る装飾を施した。「手の痕跡」を残し、人の息づかいを感じられる空間にした。黄金の屋根は、太陽の塔の顔を意識して作ったものだ。 「文明は土から離れ、文化は土に近づいていくものだ」と考えている。ホールで祝祭が華やかに幕を開けた後は、参加国や地域の催しがたくさん開かれ、文化を耕す場所になってほしいと願う。 「いのち輝くとは何か。未来社会とは何か。今一度、問い直すきっかけになればいい」と話している。引用サイト:こちら関連日記:2025.03.01の日記 EXPOホール「シャインハット」の内部 こちら関連日記:2025.04.13の日記 まとめ日記 こちら関連日記:2025.01.03の日記 まとめ日記 こちら関連サイト:私見・グリーンカルチャー こちら関連日記:2023.07.17の日記 アーカイブ・水元親子耕作体験 こちら関連日記:2023.03.18の日記 私見・ひとりひとりの感性からのふるさとづくり こちら関連日記:2025.01.07の日記 私見・フィールドミュージアム フィールドアカデミー こちら
2025.04.13
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使用開始日 1986年9月3日意匠図案説明 最高裁判所庁舎を描く開設場所 〒102-0092 東京都千代田区隼町4-2引用サイト:こちら最高裁判所庁舎引用サイト:Wikipedia情報 こちら引用サイト:国土交通省 こちら建築概要 ・1974年(昭和49年)建築 ・鉄骨鉄筋コンクリート造 地上5階 地下2階 ・建面積:18,103m2 延面積:59,671m2関連サイト:第10回 BELCA賞 こちら関連日記:2022.02.23の日記 松の思い出 最高裁判所入口 こちら
2025.10.30
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関連日記:2024.10.21の日記 弓浜の里海「中海」藻刈り こちら
2025.12.24
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使用開始日 1986年10月23日意匠図案説明 雀のお宿緑地公園の竹林、スズメとたわむれる少女像を描く開設場所 〒152-0003 東京都目黒区碑文谷4-16-2引用サイト:こちら碑文谷 地名碑文谷(ひもんや)碑文谷(ひもんや)。この珍しい地名の起源についてはいろいろな推測がなされているが現在までひとつの説を確定するには至っていない。ただ、応永32年(1425年)の「日運記」の中に碑文谷(ひもんや)という地名が著されている。碑文を書いた石のある里現在、通説となっている「碑文石(ひもんせき)」説は、碑文谷八幡宮に保存されている「碑文石(ひもんせき)」にまつわるものである。この石は高さ75センチメートル、幅45センチメートルくらいで、中央に「大日」、左右に「勢至」「観音」の梵字(ぼんじ)が刻まれている。「碑文石」説は、村内の鎌倉街道の傍らに梵字(ぼんじ)を刻んだ碑があったが、たたりのため土中に埋めたと「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」「帝国地名辞典」に記されていることなどからいわれるようになった。また、これら三文献と貞享4年(1687年)の「江戸惣鹿子」には、忠玄法師(江戸名所図会では日源上人とある)が卒塔婆に碑文を書いて、この地に埋めたために起こった名だとも記されている。碑文谷とはこれとは別に、円融寺(えんゆうじ)にまつわるものとする説もある。円融寺(えんゆうじ)は天台宗の寺として仁寿3年(853年)に開基されたといわれ、弘安6年(1283年)には日源上人によって、日蓮宗妙光山吉祥院法華寺と改められた。その後、天台宗に復し、現在の円融寺(えんゆうじ)となった。円融寺(えんゆうじ)には、天正13年(1585年)、法界塚付近の土地が同寺へ寄進されたときの書状があるが、その1行目では碑文谷法華(花)寺と記しながら、終わりの方では、武蔵国ひものや郷中と書いてある。また「江戸図屏風」には、桧物屋法華寺と桧物屋御鞭打(袋竹刀を振って打ち合う騎馬戦)が描かれている。天正19年(1591年)の「寺領寄進状」のように、武蔵国荏原郡桧物屋之内と記されている例もある。しかしながら、「ひものや」「桧物屋(ひものや)」と書かれた文書は数が非常に少なく、今までに残っている古文書の中では「碑文谷」という文字が一番多く使われている。これは、人々が「ひものや」あるいは「ひもんや」と発していた言葉を表記する際、「碑文谷」「ひものや」「桧物屋(ひものや)」という文字があてられたと考えることができる。従ってこの3つの文字が意味するところは全く同じものを指し、その中から一番使用される数が多かった「碑文谷」が地名として残ったのではないだろうか。引用サイト:こちら雀のお宿緑地公園今からおよそ200年前、江戸時代安永年間に始まったという目黒の筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、有数な竹林だったこの地では良質の筍が収穫されたと言われています。また昭和のはじめ頃、この竹林は付近一帯のスズメのねぐらになっていました。数千羽というスズメが朝どこへともなく飛び立ち、夕方には数百羽が一団となって帰り、空が薄暗くなるほどだったそうです。そのためこの場所は「スズメのお宿」と呼ばれるようになりました。今でも竹林やシイ・ケヤキの大木が残り、野鳥が多く生息しています。なお北側の一角に栗山家の母屋(目黒区指定有形文化財)が復元されています。引用サイト:目黒区 こちら
2026.05.14
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「子どもを育てる」「ひとづくり」と言っても、それらは地域活性の話題でしばしば耳にする語でもある。実際にそれらを実施して、地域創生がうまく行っていない自治体も多い。成否の分かれ目はどこにあるのか。益田市教育委員会・協働のひとづくり推進課の大畑伸幸さんに聞くと、こう答えが返ってきた。「確かに『ひとづくり』というワードはよく聞きます。ですが、多くの地域には『どのようにすれば人は育つのか』の“具体”がありませんでした。人を育成するノウハウがなかったんです。私はそこに課題感を持って、『ひとづくり』の現実化を追求しました」具体策として大畑さんが着目したのが「対話」である。だが、大畑さんの追求はここで終わらない。ただ漫然と対話を始めるのではなく、「どう対話をすれば効果があるのか」という問いを追った。彼が目をつけたのは、対話による教育支援活動を展開している認定NPO法人カタリバだ。同法人の協力を得て、益田市は対話イベントを開催。そこで対話のノウハウを吸収し、「益田版カタリ場」を創設した。(抜粋)引用サイト:FNNプライムオンライン こちら一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー HP こちら益田市駅前商店街ガイド 「MASUBUZZ(マスバズ)」 こちら益田市HP 定住・移住 こちら
2022.08.14
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・・・・ 1.人の温かさとDXを両立するスマートホスピタル・・・・ 2.ホスピタルタウン、ホスピタルパーク・・・・ 3.自然との調和、癒しの空間・・・・ 4.最後の砦としての有事対応関連日記:2026.01.07の日記 湊山公園界隈の潜在的風景を探る まとめ日記 こちら関連日記:2026.01.15の日記 駐車場 こちら関連日記:2025.10.06の日記 ホスピタルパーク こちら関連日記:2023.10.12の日記 シュタイナー教育 こちら関連日記:2026.01.04の日記 環境エンリッチメント コモン広場 こちら関連日記:2022.02.20の日記 潮止の松 こちら関連日記:2022.04.03の日記 鳥大病院の松 こちら関連日記:2026.01.12の日記 アドベンチャートレイル こちら
2026.01.21
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7月下旬めど再開目指す「当面は町営もやむを得ず」 琴浦町一向平 こちら 日本海新聞 0521・・・・東京商工リサーチによりますと、ウエディング事業を手がける株式会社スマイルキューブ(鳥取県米子市)が5月1日に事業を停止し、破産申請の準備に入ったことがわかりました。 負債総額は約3000万円で、関連会社の株式会社一向平キャンプ場も同時に事業を停止しています。 ■挙式から披露宴のプロデュースまで手掛けるも…新型コロナで打撃 事業を停止し破産申請の準備に入ったのは、株式会社スマイルキューブです。同社は2012年5月21日に設立され、資本金は50万円、従業員は6名でした。 同社は、挙式から披露宴のプロデュースまで全般的なサポートを行うウエディング事業を展開。鳥取県および島根県のホテルや結婚式場などと提携し、事業を拡大してきました。 しかし、新型コロナウイルスの影響で集客が減少。これに加え、結婚式の形態が変化したことなどから利用は減少傾向で推移していました。 ■人気の町営キャンプ場の指定管理に乗り出す 2019年には「南部ふれあい広場緑水湖オートキャンプ場」(鳥取県南部町)の指定管理者となり、業績回復を図っていました。 しかし、過小資本での運営のため資金繰りに余裕は乏しかったということです。 損益改善の目途が立たないことから事業の継続を断念し、今回の措置に至りました。 ■今後の手続きと関連会社の動向 同社は5月1日に事業を停止。今後、鳥取地方裁判所米子支部へ破産手続きの申請を行う予定です。 また、関連会社である株式会社一向平キャンプ場(鳥取県東伯郡琴浦町)も同時に事業を停止し、破産準備に入っています。 ■行楽シーズン真っただ中にキャンプ場営業休止…関係者に衝撃 鳥取県南部町の「緑水湖オートキャンプ場」は1997年4月に開設された人気キャンプ場で、今年のゴールデンウィーク期間中も2日から5日までの4日間で県内外から50組の利用があったといいます。 指定管理者である同社が施設の点検や備品の管理業務などを担ってきましたが、町によりますと、運営するのが困難な状態になったとして、代表者から町に相談があったということです。 運営再開の見通しは立っておらず、行楽シーズンで例年需要の高い時期だけに、町は一刻も早い運営再開に向けて新たな指定管理者を募るなど、今後の方針を考えたいとしています。 一方、関連会社が指定管理者となっている鳥取県琴浦町の一向平キャンプ場は、大山隠岐国立公園の入り口に位置し、フィンランド式サウナも有名な人気キャンプ場。琴浦町は今月1日、大型連休明けからの事業休止を告げられたといいます。 琴浦町は弁護士とも相談しながら、今後早期に営業をできる方策を探るということです。 山陰放送引用サイト:こちら関連サイト:人気キャンプ場突然の閉鎖 観光戦略に狂い 琴浦町と南部町 日本海新聞 こちら 指定管理者の破産手続き開始を受け、一向平(いっこうがなる)キャンプ場(鳥取県琴浦町野井倉)と南部町ふれあい広場緑水湖オートキャンプ場(鳥取県南部町下中谷)の町営2施設が、7日から営業を休止した。アウトドアレジャーが本格化する中、再開のめどは立っておらず、2町は対応に苦慮。豊かな自然目当てに来県するキャンパーからも戸惑いの声が上がる。(井田慎一、武居紀子)・・・・■キャンセル待ち 一向平は、緑水湖の指定管理に当たるスマイルキューブ(米子市西福原3丁目、都築法明社長)の関連会社が6年前に進出した。コロナ禍のアウトドアブームを追い風に、フィンランド式サウナ導入や交流サイト(SNS)を活用した広報戦略を展開。2019年度は1209人だった利用者数が、20年度には2331人に拡大した。一時はキャンセル待ちが出るほどの施設に急成長した。 緑水湖は手軽にキャンプが楽しめる独自の手ぶらプランが売りで、中国、近畿地方からの集客に成功。25年度は1435人が利用する町内屈指の人気スポットだった。■週明けに議会報告 それだけに営業休止の衝撃は大きい。琴浦町内で観光業に携わる50代男性は「施設の質を維持するには専門的なノウハウが必要。誰にでもできるわけではない」と、業務継続の難しさを指摘。町観光協会の山下一郎会長も「町観光にとって大きな課題」と影響の大きさに身構える。 今回の事案は2町にとって「寝耳に水」。南部町は19日、琴浦町は20日に各議会で運営休止の詳しい経緯や現状を説明する予定だが、南部町の宮永二郎副町長は「新たに指定管理者を募集しても手が挙がるか分からない。しばらく休止せざるを得ない」と頭を抱える。
2026.05.18
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日本海新聞《鬼形像》江戸時代 正福寺/岩手県葛巻町《不動明王二童子立像》江戸時代 洞圓寺/青森県田子町引用サイト:こちら参考サイト:こんなホトケさま見たことない!個性豊かな民間仏のルーツを探るみちのくの旅NHK こちら
2024.01.15
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俺たちメダカ族さんが品種改良した「吉野太夫」メダカがちょっとしたブームだ。2023年に一般社団法人ペットフード協会が実施した調査によると、飼育している人の数は犬、猫に次いで3番目に多い。コロナ禍でペット需要が増え、愛好家は増加。10年以上前から飼育繁殖し、ユーチューブチャンネルの登録者が1万5千人に上る境港市在住の「俺たちメダカ族」さんが語る飼育の魅力とは。(林李奈)・・・・俺たちメダカ族さんは、境港市にある運営ファームで現在2000匹超を育てる。ペットとして鑑賞するだけではなく、メダカならではの「育てる楽しさ」があるという。自然界にない特色を持つ改良種は2004年に赤の色素を持つ「楊貴妃」が生まれ、ブームに火がついた。透明なうろこの「透明鱗」、「ヒレ長」などさまざまな特徴を持つ品種が誕生し、愛好家の目を楽しませている。 品種を掛け合わせ、見たことがないのを誕生させるのも楽しみの一つという。親がそれぞれ別々に持っている形質は、片方の親の形質しか子に発現しない「優性の法則」などの「メンデルの法則」を基本にきょうだい、親などと交配させて安定した新種を作り出す。引用サイト:山陰中央新報デジタル こちら俺たちメダカ族オリジナルメダカリリース! 動画 こちら
2024.06.18
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高市政権初の経済財政諮問会議、「積極路線」色濃く財務省の警戒強まる…新メンバーが相次ぎ規模拡大主張 引用サイト:こちら経済財政諮問会議で発言する高市首相(右から2人目)(12日午後6時56分、首相官邸で)=川崎公太撮影「高市経済対策」始動 家計を支える“3点セット”の狙いと限界 こちら高市「成長戦略」はアベノミクスの“欠陥”も継承、重要なのは民間投資補助より基礎研究開発支援 こちら【高市総理 初の国会論戦 総まとめ】高市カラーどこまで? 防衛費増額で国債発行? 食料品の消費減税は「1年かかる」【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG 動画 こちら【検証】なぜ注目?“高市答弁”直球勝負と4つの変化球 予定調和ではない面白さ…注目の一方、リスクも? こちら
2025.11.17
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【ニューヨーク共同】米国の芸術、文学などの分野で最も権威がある米芸術文学アカデミーは3日までに、生涯の業績に対して与える功労賞である建築部門の「金メダル」に、ハーバード大大学院デザイン研究科教授で建築家の森俊子氏を選んだと発表した。 森氏は1951年、神戸市生まれ。2002~08年同研究科の建築学科長を務めた。ニューヨークで自身の建築設計事務所を主宰し、代表作はニューヨーク・ブルックリン公共図書館やアフリカ・セネガルの文化センターなど。21年にはイサム・ノグチ賞を受賞した。 アカデミーは1898年設立。森氏は2020年から会員。各部門の最高の栄誉である金メダルは、今年は建築と歴史部門から選ばれた。引用サイト:東京新聞 こちら森俊子 Wikipedia情報 こちら森は「物質的な革新と概念の明確さへの関心」で知られている。彼女の作品には、アートニューヨーク劇場、ブルックリン・チルドレンズ・ミュージアムのキャノピー、ブラウン大学のペンブロークホール、 MoMAのデザインや スミソニアンデザインミュージアムのクーパー、そしてアメリカ、台湾、中国、オーストリアなどの住宅プロジェクトがある。森は、世界経済フォーラムの都市の未来に関する世界アジェンダ評議会のメンバーとして、持続可能な建築の研究と調査、都市の住みやすさの向上、効率的な都市サービスの創設をリードしている[8]。また、森は設計革新とコミュニティ参加を目的とした非営利団体であるArchitecture For Humanityの役員も務めている。彼女は数多くの国際的な賞や名誉を受けており、彼女の作品は広く展示され出版されてきた。2003年にはCooper Unionの創立者John Hejduk賞を受賞。2005年に、彼女は芸術と文学のアメリカアカデミーから、からの建築でアカデミー賞受け取っただけでなく、アメリカ建築家協会ニューヨーク章名誉勲章を授与 。彼女のプロジェクトは、クーパーヒューイット国立デザイン美術館の「Design Life Now:ナショナルデザイントリエンナーレ2006」とグッゲンハイム美術館に展示されている。彼女の作品のモノグラフ、 Toshiko Mori Architectは 、2008年にMonacelli Pressによって出版された。彼女は多くの出版物に貢献しているだけでなく、材料と製造の研究、 Immaterial / Ultramaterialに関して編集を担当。2014年、森は、ビバリー・ウィリス建築財団が2014年の秋に立ち上げた、優れて多様な場を提供する、ビルトリー・ウィズ・ニューヨーク市に建設されたポーパークビジターセンター[13]のデザインを手がけた。これは女性のために設計され造られたスペースである。2015年には、セネガルのシンシアン村にある森の生態文化センターがオープンした。建物の傾斜屋根は洗練された集水システムで、雨水を貯水槽に吸い込み、シンシアン全体の消費量の30パーセントを供給。関連サイト:森俊子 建築家 こちら引用サイト:こちら引用サイト:こちら引用サイト:こちら関連サイト:米芸術文学アカデミー こちら米国芸術文学アカデミーは、約250名の会員から成る名誉ある協会で、アメリカの文学、音楽、芸術分野における卓越性を顕彰し支援することを目的としています。設立は19世紀末〜20世紀初頭にさかのぼり、長年にわたり作家、作曲家、画家、彫刻家、建築家らを会員に迎えてきました。所在地はニューヨーク市、マンハッタンのワシントンハイツ地区にあるオーデュボン・テラスで、西155丁目と156丁目の間のブロードウェイ沿いに位置しています。敷地内にはヒスパニック協会(Hispanic Society)やボリクア・カレッジといった文化施設・教育機関が隣接・共存しており、地域全体が文化拠点となっています。関連サイト:アメリカ芸術文学アカデミー金メダル こちらアメリカ芸術文学アカデミーは毎年、優れた業績を称え、 2つの金メダルを授与しています。この2つの賞は、以下のカテゴリーから順番に授与されます。美文と批評、そして絵画。伝記と音楽;フィクションと彫刻。歴史と建築(ランドスケープアーキテクチャを含む)詩と音楽;演劇とグラフィックアート。・・・・建築出典:アメリカ芸術文学アカデミー1912年 –ウィリアム・ラザフォード・ミード1921年 –キャス・ギルバート1930年 –チャールズ・アダムス・プラット1940年 –ウィリアム・アダムス・デラノ1949年 –フレデリック・ロー・オルムステッド1953年 –フランク・ロイド・ライト1958年 – ヘンリー・R・シェプリー1963 –ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ1968年 – R. バックミンスター・フラー1973 –ルイス・I・カーン1979 – IMペイ1984年 –ゴードン・バンシャフト1990年 –ケビン・ロッシュ1996年 –フィリップ・ジョンソン2002年 –フランク・O・ゲーリー2008年 –リチャード・マイヤー[5]2014 –ヘンリー・N・コブ2020 –ピーター・アイゼンマンちょっと寄り道:フレデリック・ロー・オルムステッド こちらフレデリック・ロー・オルムステッド(Frederick Law Olmsted、1822年4月26日-1903年8月28日)は、アメリカ合衆国の造園家。都市計画家。「ランドスケープ・アーキテクト」を最初に公式に名乗った人物。・・・・注目すべきオルムステッドの業績アメリカ国内イエローストーン国立公園 - アメリカ最初の国立公園セントラル・パーク(1853年から(1856年にオープン)フレデリック・ロー・オルムステッドNHSビジターセンター こちらちょっと息抜き:「“都市の肺”を設計した男に学んだ結果、部屋の真ん中に巨大な空き地を作りはじめた話」この男、“公共の余白”の造物主フレデリック・ロー・オルムステッド。 「ランドスケープ・アーキテクチャ(景観設計)」という言葉を確立し、セントラル・パークを創り出した男。19世紀、過密化する都市の中で彼が提案したのは、ビルを建てることではなく「何も建てない場所」を確保することだった。 「緑は贅沢品ではない。人間の尊厳を保つためのインフラだ。」彼は、人工的な都市のど真ん中に、あえて「計算された野生」を配置した。 「境界線を消せ。ここでは誰もがただの人間に戻る。」それは“過密な社会に穴を開ける”という、逆転の空間プロデュースである。引用サイト: こちら日本海新聞 0504
2026.05.06
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日本海新聞 0508関連サイト:メタバースで発信!新たな交流スペース「バーチャルとっとり」2024年3月末OPEN! こちら関連日記:2022.07.30の日記 メタバース こちら関連日記:2023.09.19の日記 バーチャルまちづくり 倉吉 こちら関連サイト:バーチャル倉吉 公式ウェブサイト こちら
2026.05.11
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東京地方 昼・曇後雨 最高気温11.8℃ 最低気温6.8℃
2007.04.18
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4年生の入江は大学限りで現役を引退する意向で、カエルの研究をするため大学院進学を目指している。(以上、読売新聞オンラインより)引用サイト:こちら
2022.07.18
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現代版の万里の長城と思ってしまいそうなこの建造物。幅200m・全長170kmのエリアが高さ500mもある鏡の壁に囲まれていて、900万人が住むことを想定しているんだとか。どうやら、従来はヨコに広がっていた都市をタテに展開させることで、開拓する面積を最小限に抑えるらしい。引用サイト: TABI LABO こちら
2022.08.19
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「グリーンインフラ」:社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において、自然環境(緑、水、土、生物等)が有する多様な機能を活用し、持続可能で魅力ある国土・都市・地域づくりを進める取組国土交通分野におけるグリーンインフラについて、当面、以下の通り○「グリーンインフラ」とは、社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において、自然環境が有する多様な機能(生物の生息の場の提供、良好な景観形成、気温上昇の抑制等)を活用し、持続可能で魅力ある国土づくりや地域づくりを進めるもの。(*現行の国土形成計画における定義と同様)○従って、自然環境への配慮を行いつつ、自然環境に巧みに関与、デザインすることで、自然環境が有する機能を引き出し、地域課題に対応することを目的とした社会資本整備や土地利用は、概ね、グリーンインフラの趣旨に合致する。○これらの取組は、河川、海岸、都市、雨水貯留浸透、道路、国土管理等既往の社会資本整備や土地利用に多く見られることから、こういった取組を「グリーンインフラ」と呼称するか否かは、当面重要ではなく、かかる取組の推進により自然環境が有する機能を引き出し、地域課題に対応していくことを通して、持続可能な社会や自然共生社会の実現、国土の適切な管理、質の高いインフラ投資に貢献するという考え方が重要。出典元:国土交通省HPより引用サイト:鹿島建設 こちら
2022.08.30
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© スポーツ報知/報知新聞社 2020年2月20日、アントニオ猪木の喜寿を祝う会で、長州力(中央左)をビンタするアントニオ猪木(同右)元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日、都内の自宅で亡くなった。79歳だった。誰もが考えつかないマッチメイクでファンを引きつけプロレス人気を復興、ひいては「アントニオ猪木」自身がカリスマ化することに成功した。 アイデアの源泉は『環状線理論」と自らが名付けた企画力だ。常にプロレスファン以外の世間を振り向かせることに熱を込めてきた。1987年10月の巌流島でのマサ斎藤との無観客マッチ、1989年4月24日、社内の誰もが反対する中で開催したプロレス界初の東京ドーム大会では、ソ連(現ロシア)から初のプロレスラーを招へいしプロレス界の枠を飛び越え、一般大衆へ話題を提供し興行の成功につなげてきた。 その信念は、1989年に政界進出してからも変わらず湾岸戦争でのイラクの日本人人質解放、北朝鮮との交流など批判、中傷を浴びながらも常にスポットライトを浴びることに執念を燃やしてきた。 リングを離れた部分では実業家として事業に失敗し多額な借金を背負うなど多くの批判を浴び、離れていく側近は数多かった。そうしたマイナス要素もすべて話題に提供し常に大衆を楽しませることにこだわり続けた猪木さん。ヒーローでもありアンチヒーロー。ベビーフェイスかと思えばヒールに変貌する。善か悪か。混濁しその実像をつかませなかった燃える闘魂。引退後の「闘魂ビンタ」も含めこれほど大衆を楽しませた人は類をみない。コンプライアンスという概念や言葉がなかった昭和時代を象徴する存在が猪木さんだった。猪木さんが旅立たれた令和4年10月1日は「昭和」の終止符と感じたのは私だけではないだろう。(福留 崇広)引用サイト:こちら追記2022.10.05 福留 崇広さんの投稿記事よりアントニオ猪木は何のために人生を懸けてバカみたいに必死になってきたのか?すべてはたった50人の秩父での決意がスタートラインだったのだ。猪木さんのプロレス哲学を披露した言葉も忘れられない。「俺は客に媚びない姿勢を貫いてきた。媚びたら客の心は離れていくんです。そうじゃなくて突き放して振り向かせる。これが俺のプロレスです」私は「アントニオ猪木とは何ですか?」と聞いたことがある。猪木さんは即答した。「人の首を捕まえて振り向かせるっていう言葉があるけど、俺の場合はそんな甘いもんじゃない。人の中に入り込んで心をつかんで振り向かせてやるんです。それがアントニオ猪木です」自身、そしてプロレスに関心のない世間を振り向かせることに執念を燃やした。それがアリ戦、さらにはプロレス界初の東京ドーム興行、プロレスラー初の国会議員、北朝鮮でのプロレス大会…幾多の大胆な企画、行動につながった。その狭間で多額の借金を背負い、何人もの側近が離れていった現実はある。たしかにその功罪はあるとしても、猪木さんは、どんな批判を浴びても有言実行を貫く人だった。アントニオ猪木の人生とは…2017年に脊柱管狭窄症の手術を行い、2018年に難病指定の「心アミロイドーシス」を発症してからは車いすでの生活を余儀なくされた。晩年、猪木さんはこうつぶやいたことがあった。「俺の人生、ただ人を喜ばせたい。そのことにバカみたいに必死になってきたと思う」引用サイト:集英社オンライン 福留崇広(スポーツ報知記者)記事 こちら猪木さんの名勝負5戦を米メディアが選定 東スポ こちら2022.10.06追記「彼の人生はまさに型破りで、過去100年間の偉大な人生の一つであったが、猪木はリング上のレスラーでもあり、いくつかの壮大な試合の重要人物でもあった」と称賛。リング上での活躍について名勝負5試合を選定した。まず1971年8月のジャック・ブリスコ戦を挙げ、「これは猪木が伝説を築いた瞬間だった。彼は、自分の伝説を永遠にすることになるアリとの戦いを5年後に控えた、生意気な新進気鋭の男であった」と若き猪木さんの戦いを紹介。さらに86年3月に行われた新日本対UWFの5対5イルミネーションマッチも「UWF対新日本抗争のハイライトであり、プロレス史上最高のシリーズ試合であった」と詳細を記している。他にも78年5月のアンドレ・ザ・ジャイアント戦、87年4月のマサ斎藤戦、96年1月のビッグバン・ベイダー戦を挙げ、猪木さんの奮闘を伝えている。新間寿氏(87)が振り返る「闘魂備忘録」 こちら「新間、豊さんカムバックできないか?」と猪木さんが言うので、金谷ホテルマンションに連れて行った。だけど「わしはもうやりたくない」の一転張り。そうしたら倍賞さんが「私のためにもアントンを応援して。もう一度、リング上の豊登を見せて」って言ってくれてね。倍賞さんの熱意ですよ、新日本プロレスに豊登さんが出たのは。豊さんが最初に参加してくれなかったら新日本プロレスは客が入らなかった。実は当時、新間氏が豊登の面倒を見ていたが、「アパートのお金、どこから出ているか知ってますか? 猪木さんですよ」と一芝居打ったことも奏功した。倍賞さんはリング上の猪木さんも支え続けた。76年6月26日のモハメド・アリ戦前には、会見でアリがまくし立て、猪木さんがひるんだことがあった。そこでスクッと立ち上がったのが倍賞さんだ。「あいつは誰だ?」と聞いたアリが「猪木のワイフだ」と説明されると、驚いていたという。新間氏は「さすが女優だな」と感服したのを覚えている。その半年後の12月12日、猪木さんはパキスタンのカラチで現地の英雄アクラム・ペールワンと対戦した。新間氏 ペールワンの腕を折ったぞとなった時、(5万人の観衆で埋まったスタジアムで)暴動が起こりそうになった。すぐに倍賞さんに「奥さん、控室に行きましょう」と言ったら、「私はいいから、アントンをお願いね!」と言ったんですよ。そんなこと言う人いないですよ。ペールワン戦の翌日、猪木さん一行はインダス文明の都市遺跡「モヘンジョダロ」を訪れた。ところが、ホテルに戻った猪木さんがとんでもないことを言い出す。模様が刻まれた石を毛布に包み、日本に持ち帰ると言って譲らない。もちろん、貴重な遺跡の一部。新間氏は「社長、日本の恥をさらさないでください」とたしなめ、倍賞さんも「アントン、本当にやめて」と必死に説得。猪木さんも渋々あきらめたという。新間氏 あそこで倍賞さんと止めなかったら「アントニオ猪木税関で逮捕」だったよ。倍賞美津子さんがいたその時代こそ、昭和の新日本プロレスの最盛期だった。視聴率、入場者数、そして異種格闘技戦。あの人と一緒になった時、猪木さんも最高の人生だった。私自身がやったというわけではなく、倍賞さんが運を持ってきてくれた。アントニオ猪木、新日本プロレスに幸福をもたらしてくれた女神でした。
2022.10.02
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「中国の仙境」とも言われる張家界市をご存じですか?張家界市とは、中国中部にある湖南省の北西にあります。武陵山脈を南に背負う形で40以上の少数民族が住む張家界市の管轄区には、武陵山脈以外にも険しい峰が幾つもあり、その一帯をまとめて「張家界」と俗称で呼んでいます。たび重なる地殻変動と、風化に対して強い鉱物(石英)の存在で「天下の奇山」と称される景観が「張家界」には広がっており、1990年以前は、中国で最も貧しい地域の1つだったのにもかかわらず、観光地としてブレイクしました。引用サイト:TABIZINE こちら
2022.10.05
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料理に役立つ、便利なアイデア商品が豊富な100円ショップ。今回は、そんな100均のゆで卵メーカーを紹介します。ゆで卵メーカーをはじめ、味付け卵や温泉卵が簡単に作れる優秀アイテムを厳選しました。また100均の卵メーカーを実際に使用している方がどんな感想を述べているか気になりますよね。100均の卵メーカーの良い口コミと悪い口コミを以下にまとめました。紹介サイト:イチオシ こちら
2022.11.16
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米子市の中心市街地を流れる1級河川の加茂川で、投げ捨てとみられるごみが絶えない。ごみが中海に流れ出ないよう河口から約700メートル上流にロープを張ってごみを回収している尾高町自治会の大谷秀雄自治会長(72)は「ロープは最後のとりで。ごみの投げ捨てはやめてほしい」と市民のモラルに訴える。河口の米子港周辺エリアでは活性化事業も動き出す。改めて啓発や回収の在り方も問われている。(上本康成)かかったごみは自治会住民が毎朝夕に引き上げ、市が週1度回収している。ごみの種類はさまざまだ。レジ袋に入った家庭ごみや弁当がら、ペットボトル、空き缶、草木-。当日の調理シールが貼られた食品トレーや、家庭で出ないような不燃物もあるという。河口に当たる米子港周辺エリアでは23年度から官民を挙げた活性化事業が動き出し、観光拠点や人が集う空間などとして整備が計画されている。大谷自治会長は「加茂川は『米子の顔』。ごみ問題は一自治会の問題にとどまらない」と提起する。加茂川を管理する鳥取県米子県土整備局維持管理課の遠藤敦係長は「ごみは上流からの流入も考えられる。加茂川は地元で大切にされている川。関係団体と持続可能な方向性を探っていきたい」と話した。2023.03.04 日本海新聞
2023.03.06
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2006.05.26の日記 こちらおよげたいやきくん | 店のおじさんのモデル「浪花家総本店」神戸守一さん(2010年5月5日、満86歳で死去)引用サイト:music.yoshiokuno.com こちら
2023.05.26
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2023.07.09 日本海新聞日本近海で海洋酸性化が進行 海洋の生態系に大きな影響を与える懸念化石燃料の燃焼などにより人為的に大気中に排出された二酸化炭素のおよそ30%は海洋に吸収されています。二酸化炭素が海水に溶けることにより、長期的に海水のpHは少しずつ低下(酸性化)しており、これを海洋酸性化と呼んでいます。海洋酸性化が進むと、サンゴや貝類などの海洋生物が炭酸カルシウムの骨格や殻を作ることを阻害されるなど、海洋の生態系に大きな影響を与えることが懸念されています。今後酸性化が進めば、水産業や、サンゴ礁等の海洋観光資源に依存する観光産業などの経済活動への影響も深く懸念されます。海洋の二酸化炭素吸収能力の低下:海洋が大気中の二酸化炭素を吸収する能力について、海洋酸性化の進行がさらに進めば、将来、その能力が低下する可能性が指摘されています。その結果として、人間活動によって排出された後に大気中に留まる二酸化炭素の割合が増え、温暖化が加速することが懸念されます。これは、弱アルカリ性の海水が酸性側に変化してゆく(pHが低下する)ことで、化学的に二酸化炭素が海水に溶けにくくなるためです。引用サイト:tenki.jp こちら関連サイト:海洋における二酸化炭素の吸収・放出 気象庁 こちら
2023.07.10
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「琵琶湖の宝石」と呼ばれる滋賀県特産のビワマス。昨年秋、愛知川漁協(東近江市永源寺相谷町、村山邦博組合長)が砂防ダムに魚道を設け、ビワマスを遡上(そじょう)させることに成功した。県琵琶湖環境科学研究センターは新たな産卵域を確認、数千匹以上の稚魚が生まれたと推定している。同漁協は今シーズンも21日に魚道を作る予定で、自然愛好家らのボランティア参加を呼びかけている。【伊藤信司】引用サイト:毎日新聞 こちら参考サイト:簡易魚道の見試しで大人の川ガキづくり こちら※1 簡易魚道魚道は、魚の専用の通路のこと。 ビワマスは、おもに10~11月の秋に産卵のため川の上流や支流へ遡上(そじょう)します。しかし、砂防堰堤(さぼうえんてい)(※3)やダムにより遡上が困難となり、産卵場所までたどり着けないことが多くあります。そこで、渓流魚が堰堤を遡上できるように、安価で簡単に作れる簡易魚道の開発が必要になります。※2 見試し実際におこない、様子をみて 不都合があれば軌道修正することで、技術が高度化していく方法です。※3 砂防堰堤河川に設置されるダムの一種。「砂防ダム」と称されることもあります。特に土石流による土砂災害被害の軽減や河床の過度な洗堀を防止することを目的として設置されるダムです。関連サイト:ほったらかし魚道。こうして魚はいなくなる。 こちらちょっと寄り道:サクラマス情報 こちら2023.11.02 追記 朝日新聞ビワマスの産卵場所確保へ魚道を設置 東近江市の愛知川漁業協同組合 「琵琶湖の宝石」とも呼ばれる固有種のビワマス。上流域の産卵場所を確保しようと、滋賀県東近江市の愛知川漁業協同組合が、同市永源寺相谷町の愛知川支流に魚道を設置した。昨年に続く取り組み。「川の恵みの豊かさを知ってほしい」と期待している。 ビワマスはサケの仲間で、琵琶湖で独自の進化をしたとされる。刺し身、煮付けとして食されるなど、味にも定評がある。 成長したビワマスは、秋になると、湖に注ぐ川を遡上(そじょう)して産卵する。そこで生まれた稚魚は翌年5~6月ごろ、大雨で川が増水した際に一気に琵琶湖へ下るという。 同漁協は、身近な自然に親しんでもらおうと、ビワマスに着目してきた。 河口から約30キロとなる愛知川の支流・渋川に、高さ約2・5メートルの堰堤(えんてい)がある。本流から約300メートルの場所だ。村山邦博組合長によると、産卵場所を求めるビワマスが手前に密集しており、遡上を妨げていることが分かったという。 同漁協は昨年10月、ビワマスが堰堤の上流に行けるよう、魚道を設置した。今年3月に確認したところ、堰堤の上流で数千匹の稚魚が育ったとみられるという。 ただ、魚道は大雨の際に流される恐れがあるため、毎年取り外す必要がある。 今年は10月21日に魚道の設置作業があった。漁協や環境団体の関係者、ボランティアら計約50人が参加。単管パイプなどを使い、仕切りがついたスロープ状の魚道をつくった。 魚道の下流では、産卵場所を求めて泳ぐビワマスの姿が見られた。魚道の設置後、多くが上流に遡上してきているという。 村山組合長は「ビワマスを育む愛知川のすばらしさを知ってほしい。関心を持ってもらえたら」と話した。(松浦和夫)引用サイト:こちら
2023.10.28
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きのう気象庁は、20日(水)からの1週間程度は10年に一度レベルの「かなりの低温」と「大雪」となる恐れがあるとして、早期天候情報を発表しました。17日(日)頃~強い寒気が流れ込み、これまでの暖かい冬から一転、真冬の寒さとなりますが、20日(水)頃からは、一段と寒気が強まり、10年に一度レベルの低温や大雪となる可能性が出てきています。引用サイト:サニースポット こちら
2023.12.17
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山口・上関町で計画の原発と中間貯蔵施設 知事、併存は「負担大」村岡知事は「(原発)本体施設がありながら、別の(原発から持ち込まれた)使用済み核燃料が同じエリアに存在する場所は、日本中どこにもない。負担として非常に過大」と指摘した。中電は上関原発の建設を「従来通り進める」との立場で、村岡知事は2施設の計画を「並走」させるのかについて「中電側に考えを確認しなければいけない重要な論点」と述べた。 2001年に当時の二井関成知事が上関原発の建設計画に条件付きで同意した際、国に出した意見で「使用済燃料の貯蔵・管理について、発電所内での新たな貯蔵施設にたよらないで済むよう、また、発電所内での貯蔵管理が長期にわたらないよう、適切な対策を講じること」を求めた。 村岡知事は、この知事意見は「今でも維持されており、そうした立場に立つべきものと思っている」と認識を示した上で、「使用済みの核燃料がそこに長期にあることは望ましくないという考え方」と説明。同町での中間貯蔵施設の建設は「そこ(知事意見)との関係は当然生じてくる」と話した。引用サイト:朝日新聞 こちら日本海新聞 2023.12.25山口 上関町 使用済み核燃料 中間貯蔵施設建設 調査受け入れ2023年8月18日 19時34分 中国電力が山口県上関町に提案した使用済み核燃料を一時保管する「中間貯蔵施設」の建設をめぐり18日臨時の町議会が開かれ、西哲夫町長は建設に向けた地質などの調査を受け入れる考えを表明しました。調査は関西電力と共同で実施され、実際に建設されれば全国で2か所目になります。中国電力は8月2日、原子力発電所で使い終わった核燃料を一時保管する「中間貯蔵施設」の建設に向けた調査を関西電力と共同で上関町にある中国電力の敷地内で行う意向を明らかにしました。これを受けて18日午前9時から上関町で臨時議会が開かれ、はじめに西町長が「町の人口は年間で100人減少し、高齢化率も中国5県で一番高い状態だ。このままでは住民支援策も近い将来できなくなる。持続可能なふるさと上関町を次世代につなげることが私の使命で、中間貯蔵施設の調査を私としては受け入れる考えだが議員の意見をうかがい、総合的に判断したい」と述べました。続いて10人の議員全員が意見を述べ、採決は行われませんでしたが、10人のうち明確に反対を表明したのは3人にとどまりました。これを受けて西町長は町として中間貯蔵施設の建設に向けた調査を受け入れる考えを表明しました。・・・・専門家「核燃料サイクル政策 見直しを含めた議論を」原子力委員会の元委員長代理で原子力政策に詳しい長崎大学の鈴木達治郎教授は、上関町が中間貯蔵施設の建設に向けた調査を受け入れたことについて、「突然出てきた話で透明性がない。上関原発がうまくいっていないことで地域振興のために地元の方は中間貯蔵を引き受けようという話になっている可能性が高いが、実現すればそれなりのメリットはあるかもしれないものの、不透明な立地の進め方だと現地での対立構造が消えず、地元の方々にとっても非常に不幸なことだ。なぜ中間貯蔵が必要かということについての基本的な理解がまずないと、なかなか理解が得られないのではないか」と話していました。また、関西電力が共同で調査する方針を示していることについては、「中国電力と関西電力の思惑が一致したということだと思うがなぜ上関町に使用済み核燃料を持って行くことになったのかの説明が十分でなく透明性がない。どこでもいいから引き受けてくれる場所があれば持って行きますというやり方をしている限りは、今回の計画がうまくいったとしても不信感が残ってしまい、信頼を裏切るようなやり方だ」と指摘しました。そのうえで、「再処理工場が動かない限り、使用済み燃料の行き先がはっきりしないので、本来の中間貯蔵の役割を果たせなくなる恐れもあるというのが立地を難しくしている原因だ。ずっと長く置かれることに対する不安ではないが、使用済み燃料が現地にとどまってしまう、下手すると半永久的に置いていかれるのではないかというのは嫌だと思う。核燃料サイクル政策そのものについて、見直しを含めた議論を行う必要があるのではないか」と話していました。引用サイト:NHK こちら関連日記:2023.12.15の日記 「核のゴミ」最終処分場計画 こちら参考サイト:上関町ホームページ こちら参考サイト:上関原発計画 こちら
2023.12.30
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サケ・サンマ・サバ・スルメイカをはじめ、マイワシなどの一部の魚種を除き、ほぼ全魚種の水揚量が減り続ける日本。その原因としてよく挙がるのが海水温の上昇です。農作物で言えば米の収穫量が天候に左右されるように、海水温の変化は水産物の資源量に影響を与えます。上の表は、世界の水産物の生産量をまとめたものです。1970年代から1980年代の前半にかけて、長期にわたり世界最大の生産量を誇った日本。ところが2021年には、ついにトップ10からもずり落ちてしまいました。トップ10の国を見てみますとロシア・アメリカ・ノルウェーといった国々は冷たい海を主漁場としています。しかし残りのインドネシア・インド・ベトナム・ペルー・バングラデシュ・フィリピンといった国々はいうまでもなく、海水温が低い海域を主漁場にしていません。つまり「海水温の影響」で魚が獲れなくなっているのであれば、なぜ東南アジアの国々の漁獲量は減っていないのでしょうか? さらに養殖を外して天然物だけに絞って漁獲量の推移を見てみましょう。上のグラフは、漁獲量のトップ10の国々のうち、冷たい海を主漁場とするロシア・アメリカ・ノルウェーを除いた国々の漁獲量推移を示しています。青の折れ線グラフが日本の漁獲量推移です。わが国だけが、右肩下がりに減り続けていることがわかります。一方でインドネシア、ペルー、インド、ベトナムといった国々は減少どころか増加傾向にあり、日本の漁獲量をどんどん追い越しています。なおオレンジ色のペルーの漁獲量の凸凹が激しいのは、主力魚種であるアンチョビの漁獲量の変動が大きいのが主な理由です。こうして客観的なデータから眺めてみると、海水温の上昇だけが魚が減っている原因ではないことに気付くはずです。また魚の資源が海水温の上昇により、いくらか北上している傾向はあります。しかしながら、東南アジアの国々の水産物資源が、日本の沖合に回遊して漁獲量が増えているということもありません。上の表をご覧いただくと、1980年代にいかに日本の漁獲量が多かったのか、そして他国と比べて極端に漁獲量が減少していることがわかるはずです。・・・・各国は自国で魚が獲れなくなった分を輸入で補おうとします。さらに人口増加や経済の発展で買い付け力が強化されてますます日本にとって輸入は難しくなります。我が国が行うべきことは、魚が減っていく理由を海水温上昇のせいばかりにせず、すでに水産業を成長産業化させている国々を見習うことです。そして数量管理を主体とした科学的根拠に基づく水産資源管理を促進することではないでしょうか。引用サイト:東洋経済オンライン こちら
2024.01.18
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大気中の二酸化炭素の低減を目的とした農業分野での国際的な取り組み「4パーミル・イニシアチブ」を広げるため、初めての全国サミットが2月5、6日に甲府市で開かれる。地方自治体でいち早く取り組みを始め、推進の全国協議会を立ち上げた山梨県が主催する。生産者や行政、農業団体、市場の関係者ら約280人が集まる。 4パーミル・イニシアチブは、土壌表層の炭素量を年間4パーミル(0・4%)増やすことができれば、人間の経済活動で大気中に放出される二酸化炭素を実質ゼロにできるという考え方による取り組み。2015年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で仏政府が提唱し、22年12月時点で日本を含む744の国や国際機関などが取り組んでいる。引用サイト:こちら「フォーパーミル」で「4/1000」という数字を表す。「全世界の土壌に含まれる炭素量を、毎年4/1000ずつ増やしていければ、大気中のCO2を相殺することになり、結果的にCO2増加量をゼロに抑えられる」という考えにもとづいている。この取り組みがスタートしたきっかけは、2015年に開催された「気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)」だ。パリで行われた同会議において、フランス政府が強いリーダーシップを発揮して国際社会へと働きかけた。2021年6月時点で、日本を含む623の国や国際機関がこの取り組みに参加している。・・・・4パーミル・イニシアチブの取り組みを知るうえで、「なぜ土壌中の炭素量が、大気中のCO2と関連するのか?」という疑問を抱く人も多いのではないだろうか。その答えは、炭素の循環にある。「大気」「植生」「土壌」というサイクルで、炭素は巡っているのだ。人間の経済活動によって排出された炭素の一部は、光合成によって植物に取り込まれる。その植物は枯れると、土壌中の生き物やバクテリアの働きによって、炭素を含む有機物へと変換。この有機物によって、土壌はより豊かなものになる。炭素は植物の成長や食料の確保に欠かせない存在と言えるだろう。もともと土壌中には、大気の2〜3倍の炭素が含まれている。(※2) この炭素レベルをさらに増やせば、その分だけ大気中の炭素量を減らせる計算になり、温暖化対策につながるというわけだ。4パーミルという数字は、現在、人間が経済活動によって大気中に放出している炭素量から求められている。引用サイト:こちら
2024.02.17
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清水建設都市型ビオトープ「再生の杜」 シミズの技術研究所(東京都江東区)再生の杜は、2006年に、都市部における生物多様性向上の可能性を実証するために建設されました。敷地面積は1,940㎡で、池や流水路を備えた水辺域、湿地域、落葉林、常緑林など、植生の異なるゾーンを設けて、多様な環境を実現しています。再生の杜のゾーニング。都市の自然生態系再生などをテーマに掲げていることから「再生の杜」と名付けられた引用サイト:こちら八ツ堀のしみず谷津 シミズのネイチャーポジティブ最前線 湿地グリーンインフラ再生引用サイト:こちら鹿島建設鹿島の社有林「日影山山林・ボナリ山林」 「日影山山林・ボナリ山林」は、福島県耶麻(やま)郡猪苗代町に位置する112.33ヘクタールの山林で、スギ・カラマツなどの針葉樹人工林と、ブナ・ミズナラなどの広葉樹林で構成されます。当社は同山林を1977年から保有し、40年以上にわたり建築用材等を生産するための山林として管理しています。このたび、この取組みが炭素貯蔵と生物多様性保全の両立に長年貢献していると評価され、同サイトに認定されました。 鹿島グループは、同山林を含め全国に約5,500ヘクタールの山林を保有しており、Jクレジットの取得や伐出材の木造建築物への活用、水源涵養や生物多様性保全の推進など、持続可能な森林経営に取り組んでいます。また当社は「生物多様性のための30by30アライアンス」※2にも参加しています。 鹿島は今後も、「鹿島環境ビジョン:トリプルZero2050」※3の下、「自然共生社会」の実現に向けて、生物多様性の保全・再生に関わる取組みを推進してまいります。引用サイト:こちら関連サイト:こちら大林組大林組技術研究所内の雑木林大林組技術研究所では、生物多様性の保全を目的とした管理手法の検討を進めながら、1965年の開所前からの姿を残す雑木林や希少植物の保全を行っています。また、地域貢献として、地元の市民団体を招いた希少植物の観察会を2009年から毎年実施し、地域の方々との交流の場としても活用しています。引用サイト:こちら大成建設自然共生社会引用サイト:こちら竹中工務店竹中技術研究所「調の森 SHI-RA-BE®」調の森SHI-RA-BE®は、千葉県印西市の竹中技術研究所に整備された生物多様性保全及びグリーンインフラの研究・実証フィールドです。このフィールドが立地する千葉県北総地域の原風景である、野馬土手に代表される土盛りがつくり出す景観、イヌシデが優占する雑木林景観、脈々と受け継がれてきた草地景観など、今も残るこの地域らしい景観を参照し、場づくりに活かしています。地域の自然景観を参照して生態系の原理に基づき注意深く緑地計画を行うことで、自然の力を賢く引き出す多機能な緑地として創生し、都市のレジリエンスやQOLの向上、生物多様性の回復などに寄与する多目的な課題解決力の向上に活用しています引用サイト:こちら竹中研修所 清和台の森兵庫県川西市中央部の丘陵地に位置する、敷地面積約8haある竹中研修所の緑地の保全・再生から始まった生物多様性実践・検証フィールドです。当社は、生物多様性に配慮したまちづくりにつながるモデルをつくる「清和台の森づくり」*2の活動を通し、持続可能な社会の実現を目指しています。*2①従業員主導による整備・保全活動、②体験型研修、③研究開発・環境技術発信、④ステークホルダーとの連携・協働の4つの活動。引用サイト:こちら生物多様性のための30by30関連日記関連日記:2024.02.02の日記 こちら関連日記:2023.10.09の日記 こちら関連日記:2023.05.31の日記 こちら関連日記:2023.05.26の日記 こちら関連日記:2023.01.14の日記 こちら
2024.03.18
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備前焼で再現された「油滴天目茶碗」(横から)=御澤徹さん撮影備前焼で再現した油滴天目の茶碗を持つ高橋正志さん= 雨宮徹撮影1975年に瀬戸内市長船町に窯を設け、もともと興味を持っていた「塗り土」の技法を独自に研究した。「塗り土」は中世より後、大甕(おおがめ)などの水漏れを防ぐために始まった釉薬の技法で、備前焼でも採り入れられていたと言われている。自身の作品の器肌に油滴特有の斑点があらわれていたことがきっかけで、再現に向けてこれまで40年以上、試行錯誤を繰り返してきた。 2009年ごろに別の作家とともに井原市の山間地に共同で工房を設け、さらに作品開発に力を入れた。その結果、昨年11月、素地を備前焼粘土100%で作り、釉薬のベースも備前焼粘土に赤土などを混ぜたものを使い、1260~1270度で電気窯を使って焼成すると、油滴の斑点がはっきりしている茶碗が出来上がった。 天目茶碗の再現を目指している陶芸家は数多くいるが、研究者によると、備前焼で油滴天目に挑戦している作家は珍しいという。一方で、大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されている国宝「油滴天目茶碗」に比べると、鉄分や数種類の酸化金属などが少ないためか色合いがやや明るくなり、これからも技術向上の余地はあるという。・・・・ たかはし・まさし 1950年、倉敷市生まれ。どこの会派にも属さず、公募展にも出品しないスタイルで作陶を続けている。これまでに光りを蓄える特殊な釉薬を使って発光する表札や絵皿(「ほたる備前」)を開発するなど、独特な陶芸の世界を開拓している。引用サイト:朝日新聞 こちら関連サイト:備前焼作家、高橋正志さん作陶展 日南町美術館 日本海新聞 こちら岡山県井原市の備前焼作家、高橋正志さん(74)の作陶展が日南町霞の日南町美術館で開かれている。釉薬(ゆうやく)に船通山の鏡鉄鉱や、同町の印賀砂鉄を使った柔らかな輝きの「備前焼油滴天目茶碗(ゆてきてんもくちゃわん)」が来場者の目を引いている。12日まで。 高橋さんは、備前焼の器肌(きはだ)に「塗り土」と言われる技法を使い「油滴天目茶碗」を制作。油滴天目の釉薬は通常、酸化鉄である赤色顔料のベンガラを使うが、高橋さんは砂鉄や鉄鉱石を使用している。 高橋さんは幼い頃、農具の取り次ぎをしていた祖父から「鳥取県の印賀鋼は日本一」と聞かされ、「しっとりとした柔らかい輝き」を求める中で印賀砂鉄にたどり着いた。2019年から印賀砂鉄を使った作陶に取り組んでいる。<引用サイト:こちら
2024.05.12
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地球温暖化とカーボンニュートラルへの取り組みが世界的に求められている中で、現在注目を集めているのがカーボンニュートラル燃料です。世界的な動きがエネルギーや燃料の動向にも影響を与えている昨今、カーボンニュートラル燃料が果たす役割はより大きなものになっています。・・・・カーボンニュートラルの種類 合成燃料 SAF(Sustainable Aviation Fuel)は「持続可能な航空燃料」 水素 バイオ燃料・・・・・・・・欠かせない既存エンジン車の活用環境負荷の少なさで普及が進む電気自動車(EV)ですが、新車を全てEVにするだけでは全体的なCO2排出量の削減には不十分です。世界では約14億台の車が保有されていますが、そのうち2022年の新車販売台数は8,490万台、日本では7,800万台の保有に対し、2022年のEVの新車販売は420万台です。この数字から、2050年の時点でも既存のエンジン車やハイブリッド車が圧倒的多数なのは明らかです。CO2削減の目標達成には、環境に優しい車を普及させることが必要です。カーボンニュートラル燃料の普及で既存エンジン車の燃料を脱炭素化させることが不可欠になります。こうした流れを受けて、EUでもe-fuelを利用する場合に限り、2035年以降もエンジンを搭載した新車の販売を認める方針を検討しています。引用サイト:spaceshipearth こちらちょっと寄り道:これからのエンジン開発、どうなる?未来のエンジンはどうなるのか© ITmedia ビジネスオンラインCNF時代の内燃機関という話になれば、開発すべきエンジンはおそらく2種類ある。まずは発電用エンジンである。・・・・100%CNFでエミッションの問題が解決すれば高出力のスポーツユニットや、大トルクの高級車用ユニットが復活できる可能性がある。・・・・まだ深く静かに潜航している状態のユニットが多いので、一部例外とみなされがちだが、前半で説明した通り、少なくともBEVと同じくらいには普及させなくてはいけないエンジンだと考えると、内燃機関の未来はまだまだ先があることが分かるだろう。引用サイト:こちらちょっと道草:2023.12.09の日記 次世代素材「セルロースナノファイバー(CNF)」 こちら
2024.05.12
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ジャパンエキスポで展示販売予定の製品日本古来の木工技術「組子細工」の製品を製造する舟木木工所(雲南市加茂町三代、舟木清代表)が7月、県産木材を使った製品をフランス・パリで開かれる日本文化の祭典「ジャパンエキスポ」で展示販売する。欧州各国から企業関係者らも大勢集う同イベントで、日本の工芸技術とともに、県産木材の魅力を広く伝え、販路を開拓する。組子細工は飛鳥時代から続く技術で、くぎなどを使わずに厚さ1ミリ程度の木片を組み合わせて幾何学的な模様を作る。舟木木工所はヒノキやスギ、ケヤキといった木材を調達し、製作。その多くが島根県産材で、高い技術力やデザイン性が地元産材の高付加価値化につながっている。・・・・舟木清代表を中心に従来から、市内外で開く出張講座などで組子細工の魅力を伝えてきた。初の海外出展を担当する舟木木工所の野尻香織さんは「県産木材を生かした組子細工の魅力を伝え、海外での取引につなげたい」と話した。引用サイト:山陰中央新報 こちら舟木木工所 ホームページ こちらジャパンエキスポ ホームページ こちらJapan Expo Wikipedia情報 こちらジャパンエキスポの企画運営会社は、コロナ禍の中での2開催の見送りでとても厳しい状況にあった。「会社を保つために小さな出版社をつくったりもしました。Isan mangaという名で“遺産“からとりました。扱うのは手塚治虫、いがらしゆみこ、石ノ森章太郎、永井豪などです」。巨匠ばかりである。ただ「高い人気を保ち続けるポケモンやワンピースに比べたら、売り上げはなかなか厳しく大変でした」(シルデ氏) 会場内では、おにぎり、カレー、唐揚げ、ギョーザ、たこ焼き、たい焼きなどの日本食スタンドもある。日本の3倍ほどの値段だが長い列ができる。おにぎりは日本人が握っているが、他の日本食スタンドは日本人が作っていなかったり、日本人がオーナーでなかったりするものも多い。それは特にこの世情だからというわけでもない。食べ物のみならずどこで作られたのかわからない“日本のものらしきもの”の売店も多い。その風景は日本というよりアジア。日本語とは少し違う日本語らしき文字の羅列もしばしば見られる。外国製の日本がここにはたくさん存在している。それは実際のところ日本での米国やフランスと同じだ。引用サイト:フランス人による日本の祭典「Japan Expo」 3年ぶり再開で活況 こちら
2024.06.19
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2003.08.20の日記 こちら引用サイト:日本のドングリは22種類あり こちら
2024.08.20
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「重み」という調整手法を使って結果を出力する脳の神経回路はニューロン(神経細胞)が「シナプス」を介して繋がっており、情報の伝達を行っています。そして、その情報の伝わりやすさは、接合部であるシナプスの結合強度で変わります。脳の神経回路を模したニューラルネットワークにおいては、層と層の間のニューロン同士の結合強度を「重み」と表現し、入力されたデータに適した重みを設定することで正しい出力結果を得ています。各ニューロンには、学習で調整された重みが割り当てられますが、この重みづけの値は学習手法によって変わってきます。引用サイト:こちら関連日記:2024.10.25の日記 超知性 こちら
2024.10.26
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鳥取県の畜産業界に大きな功績を残した「白鵬85の3」(鳥取県提供、2017年7月撮影) 鳥取県を代表する種雄牛「白鵬85の3」が22日、飼育されていた県畜産試験場(琴浦町松谷)で死んだ。14歳11カ月だった。肉質や体形に優れ、産子が2017年の全国和牛能力共進会(全共)宮城大会の7区(総合評価群)で2位、同区肉牛の部で県勢初の1位を獲得。鳥取の和牛子牛の需要を高め、鳥取和牛の産地復興に貢献するなど、県の畜産業に大きな功績を残した。 白鵬85の3は10年1月、父牛「勝忠平」と母牛「みどり」の子として琴浦町の生産農家で生まれた。14年には検定で肉の霜降り度とロース芯の大きさが当時の国内最高を記録。宮城全共では産子の肉質と体形の両方を審査する「花の7区」の県代表牛となり、肉質を競う「肉牛の部」で1位、体形などを競う「種牛の部」で5位を獲得。総合2位に輝き、鳥取和牛の実力を全国に示した。 全共での活躍により、産子は高値で取引され、県中央家畜市場の競りは県外からの購買者が増加。20年度から2年連続で年間の平均取引価格が国内最高を記録した。白鵬人気は畜産業界のルールも変えた。県は優れた種雄牛のセイエキの不正取引を防ぐ条例を全国で初めて制定。「和牛王国とっとり」の発展に貢献した白鵬85の3を含む種雄牛の遺伝資源を知的財産と位置づけた。 県畜産振興課によると、死んだのは消化器系の病気が原因で、牛としては高齢だったという。 平井伸治知事は「感謝と哀悼の祈りをささげる。白鵬85の3のような種雄牛造成に向け、関係者と力を合わせてまい進していく」とコメントした。(清水友揮)引用サイト:日本海新聞 こちら関連日記:2024.09.13の日記 和牛王国復活にむけて こちら関連日記:2024.12.19の日記 琴浦 競り最高値 こちら関連日記:2022.10.07の日記 和牛のオリンピック こちら
2024.12.29
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一、薄紫の山脈(やまなみ)ははるか希望の雲を呼び磯風清き六十里みどりの海に春たてばおきの島山夢のごとあゝうるわしのわが島根二、山に幸あり山を踏め海に幸あり波に乗れ玉なす汗を陽にあびて働くところ日本の行手かゞやく光ありあゝゆたかなるわが島根三、香りゆかしき伝説のみ国譲りの往古(むかし)よりこゝろ一つにむつびあう九十万の県民の平和の歌は今ぞ湧くあゝやすらけきわが島根歌唱動画サイト:こちらカラオケ動画サイト:こちら引用サイト:こちら山陰中央新報
2025.03.07
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島根~鳥取が約150km「まるごと信号ゼロ」に!? 「山陰自動車道」出雲区間が悲願の開通 “壮大な高速計画”全通へ大きく前進山陰自動車道の未開通部であった「出雲・湖陵道路」「湖陵・多伎道路」の2つの工区が、2025年3月5日に開通を迎えました。これにより、島根県~鳥取県が約150kmにわたる高規格道路でつながることとなりました。・・・・山陰道は、兵庫県から鳥取県・島根県・山口県に渡って日本海側をつなぐ、総延長約380kmの高規格道路です。生活交通と混在する国道9号に代わって、中長距離ネットワークや緊急輸送の役割を担います。今回の開通をふまえた、鳥取・島根両県の未開通区間をあらためて整理すると、以下のとおり。●はわいIC~北条IC 5.9km【2026年度開通予定】●北条IC~大栄東伯IC 7.6km●石見福光IC~浅利IC 6.5km●浅利IC〜江津IC 約7km【当面は整備する予定なし】●石見三隅IC~遠田IC 15.2km【2025年度開通予定】●遠田IC以西国土交通省が島根県出雲市で整備を進めていた山陰道の出雲インターチェンジ(IC)-出雲多伎ICの8・9キロが2日、開通した。これにより、鳥取県琴浦町の大栄東伯ICから島根県大田市温泉津町の石見福光ICまで約153キロが1本の高速道路でつながった。広域観光の促進や物流などで効果が期待される。引用サイト:こちら関連日記:2024.02.29の日記 山陰交通インフラ こちら関連日記:2024.11.18の日記 米子-境港間の高規格道路 こちら関連日記:2024.11.23の日記 古代山陰道 こちら
2025.03.08
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丸由百貨店(鳥取市)は5日、地元選出の石破茂首相など政治家の風刺画を展示・販売する「福本ヒデのいしば展」を開いた。社会風刺コントグループ「ザ・ニュースペーパー」の一員である福本ヒデさんの作品を紹介する。全50作品のうち30作品は石破氏がモデルだ。同展は11日まで。同氏関連の主な作品は「考える総理 イシバ」「文句の叫び」「りまわり(利回り)」で、「考える総理」の販売価格は3万8500円。同百貨店は今後も148(イシバ)の数字にちなんだ商品セールなどの「石破商戦」を行う予定だ。引用サイト:こちら関連サイト:福本ヒデ 石破茂首相モデルの風刺画展示会を鳥取で開催「石破さんから祝電をいただきました」 こちら社会風刺コントグループ「ザ・ニュースぺーパー」の福本ヒデが10日、X(旧ツイッター)を更新。石破茂首相から祝電が届いたと報告した。 福本は「福本ヒデのいしば展」を鳥取県鳥取市の丸由百貨店で開催している。画家として過去にも個展を行ってきたことのある福本は今回、石破氏をモデルとしたパロディー作品や風刺画を展示。鳥取は石破氏の地元だけに、「石破首相就任記念」だという。 福本はこの日、「なんと! 石破さんから祝電をいただきました 定型文ではないところが凄い!!」と石破氏からの祝電を画像でアップした。祝電には「今回は『石破首相就任記念』として楽しい作品を展示していただき、元気を届けてくださることを嬉しく思います」とし、「残念ながら会場にお伺いすることはできませんが、展示をご覧の皆さんが楽しい時間を過ごされますことと、福本ヒデ先生の今後のご活躍を祈念いたします」とつづられていた。関連サイト:「いまの石破さんの状況が伝わってくる」 石破首相モチーフの風刺画作品展を平井知事が鑑賞 知事が気に入った作品は? 鳥取県鳥取市 日本海テレビ こちら
2025.03.11
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2003.04.23の日記 こちらちょっと息抜き:Mrs. GREEN APPLE ライラック 歌詞 - 歌ネット こちらMrs. GREEN APPLE「ライラック」Official Music Video - YouTube こちら
2025.04.23
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引用サイト:こちらなぜ“幻の大本営”がここに? 松代大本営の造成計画の胎動は、戦況がいよいよ後戻りできない段階に来ていた1944年の初め頃。陸軍の井田正孝少佐が発案した。 当初は八王子や甲府といった比較的東京の近くで検討されていたが、サイパン陥落で日本本土の大部分が空襲の射程に入ると事情が変わる。より東京から遠い内陸部で、かつ大規模な施設を建設できる場所が求められた。 そうして白羽の矢が立ったのが長野・松代であった。 開戦後、長野には軍需工場などが移転・設立されており、集団疎開などもあって労働力が比較的潤沢だった。そして何より、空爆にさらされても破壊されない強固な岩盤に覆われた山があった。 松代の象山を視察した井田少佐は、「天与の場所」と言ったという。信州が「神州」に通じるとか、そういう理由もあったようだがさすがに後付けだろう。 ともあれ、こうして長野・松代に大本営の造成が決定し、1944年11月11日から本格的な工事がはじまった。のべ300万人が動員された極秘計画 ともあれ、こうして長野・松代に大本営の造成が決定し、1944年11月11日から本格的な工事がはじまった。 朝鮮人労働者を含めてのべ300万人が動員されたという。朝鮮人労働者のために慰安所まで設けられていたというから、まるで新しい都市がひとつ松代に現れたにひとしい。 ただし、地元の松代の人たちには、この工事が大本営のものだとは知らされていなかったという。 それでも多くの資材が次々と運ばれて、たくさんの労働者がやってきた。時勢も時勢だけに、何かしら重大な工事であることは察しがついていたのは間違いない。 梱包が崩れた荷物から「宮」の文字と菊の紋の一部が覗き、宮城(きゅうじょう)関係の施設で天皇が松代にやってくるのでは、などと噂になっていたらしい。 そうして建設が進んでいった松代大本営。内部の見学ができる象山地下壕のほかに、舞鶴山・皆神山の三地区に分かれていた。 象山には政府機関やNHK、舞鶴山には大本営と皇居(御座所)、皆神山には食料庫などと役割分担。さらに、近くの山の中には三種の神器を納める賢所の建設も決定していた。 賢所の工事は終戦でほとんど手つかずのまま終わったが、少なくとも政府中枢が皇室や軍部を含めてまるごと移転する、まるで首都移転さながらの大規模事業だったのである。 しかし、結局終戦によって本土決戦は回避され、松代大本営が使用されることもなかった。ただ間違いなく、日本の歴史に刻まれた一幕なのだ。引用サイト:こちら関連サイト:松代大本営跡 Wikipedia情報 こちら関連サイト:驚愕の「松代大本営地下壕」! こちら
2025.08.15
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令和7年8月25日 先般のTICAD 9において国際協力機構(JICA)が発表した「JICAアフリカ・ホームタウン」に関して、国内外で事実と異なる内容を含む報道や発信が行われています。本件に関する事実関係については以下のとおりです。先般のTICAD 9において、JICAは、これまでの事業で培ったアフリカ各国と日本の地方自治体との交流を強化すべく、日本国内の4市を各々アフリカ4か国の「ホームタウン」として認定する、「JICAアフリカ・ホームタウン」を発表しまし た。この取組の下で、JICAは、JICA海外協力隊員も含めた交流イベントの開催等を通じて、日本の4市とアフリカ4か国との交流を推進していくことを想定しています。他方、移民の受け入れ促進や相手国に対する特別な査証の発給を行うといったことは想定されておらず、こうしたことが行われるという一連の報道・発信は事実ではありません。 外務省は、本件について適切な報道・発信が行われるよう、引き続き努めていきます。(参考)JICAアフリカ・ホームタウン概要 本件は、JICAが、これまでの事業で培ったアフリカ各国と日本の地方自治体の交流を強化する取組を行うものである。 TICAD 9の際に、JICAは、愛媛県今治市をモザンビーク共和国、千葉県木更津市をナイジェリア連邦共和国、新潟県三条市をガーナ共和国、山形県長井市をタンザニア連合共和国のホームタウンとする旨発表した。引用サイト:こちらJICAアフリカ・ホームタウン国際協力機構(JICA)は国内4市をアフリカ諸国の「ホームタウン」に認定した。日本とアフリカを双方向に行き来する「人材環流」を見据え、交流を拡大するとしている。山形県長井市がタンザニア、千葉県木更津市がナイジェリア、新潟県三条市がガーナ、愛媛県今治市がモザンビークのホームタウンとなった。だが、相手国では移住先であるかのような報道も出ており、4市の住民などに懸念の声も上がっている。現地は「日本が特別ビザ用意」21日、横浜市で開かれた第9回アフリカ開発会議(TICAD)に合わせた会合で、4市の市長にJICAの宮崎桂副理事長が認定状を交付。今治市はプレスリリースで「人口減少と高齢化が進む地域課題の解決に向けて、若い労働人口の雇用確保といったモザンビークが抱える課題との相互解決を目指して、まずは『架け橋』となる人材の育成をテーマに取り組みを進めたいと考えています」と、将来的に人口減少対策につなげると説明している。また、タンザニア紙「タンザニアタイムズ」は「日本は長井市をタンザニアにささげた」と報道。ナイジェリア紙「パンチ」や英BBC放送、英紙ガーディアンは、木更津で就労するための特別ビザを日本政府が用意するとのナイジェリア当局の声明を伝えて、木更津の風土を紹介するなど、相手国側に誤解を与えかねない状況となっている。「移民受け入れではないか」ナイジェリアはイスラム過激派ボコ・ハラムがテロを繰り返し、日本の外務省は一部地域に退避勧告を出している。タンザニアとモザンビークも一部地域に渡航中止勧告が出るなど政情は不安だ。SNS上では「移民の受け入れではないか」「市民だが、聞いていない」などと懸念が広がっている。引用サイト:こちらアフリカホームタウン問題、外務省が全否定「特別ビザ検討すらない」「あくまで交流事業」外務省は取材に対し「事実関係としては、何もない。何の検討すらされていない」(外国人課)と困惑した様子で語った。ホームタウン認定については「JICAが海外協力隊員らを含めた交流イベントの開催などを通じて、4市とアフリカ諸国との交流を推進していくという程度の話だ」と説明。「『移民受け入れの促進』や『特別なビザを発給』、『アフリカにささげる』などと言われているが、そういった事実はまったくない」と否定した。引用サイト:こちら
2025.08.26
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