Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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福島第一原発の原子炉群が「冷温停止状態」に至ったという。 医者から「福島原発」達が「心肺停止」の宣言を受けたような、不思議な錯覚である。 自分には、宣言だけで「安全」か、「危険」か、を考えるのが怖いのだ。 素人には、「冷温」というと、冷たい冷気を感じる温度(人により違うが小生には9度以下)、「冷温動物」というと厳冬期には血液循環をほとんど止め、エネルギーの発散を最少にする「蛇」のような冬眠動物、を連想する。 気圧にもよるが、「液体の水」が沸騰し「水蒸気」に変態する温度・100度(人間なら火傷をする)をもって、「人工的な温度定義」としても、「冷温」では、「馬鹿げて」はいないだろうか。 それに、体温を計かるには脇の下や、口内に当てて計測するのに比べて、福島では検査対象の燃料棒が原子炉容器から下に落ち込んでおり、計測不能の状態である。 確かに、遠隔地からでも、熱が発する色・スペクトルなどで推定する方法はあるかもしれないが、コンクリートの内部の燃料棒と接している先端部分の温度を計測するのは不可能である。 いまでも、コンクリートを溶解・破壊し続ける行為が続いていると思われ、それを何とか食い止めなければならない。 原子炉まわりの放射能(セシウム放出量/h)についても、爆発時の「京」レベルから「千万ベクレル」にレベル・ダウンしたと言っても、減少率が問題なのではなく、現在の放出量がそもそも「動・植物が耐えられる限度越え」である。 爆発当初は、もう永遠に住めない所であると、東北人は諦めてさえいたように思われるが、いつの間にか、住むことの希望が強くなってきている。 本当に、このような安易な方向転換で良いのか。 政治の世界では、良いことの方が安心して見ていられるが、悪いことが事実であるならば、悪いことに蓋をしていると、自然はいつまでも目を瞑っていてはくれない。 チャイナ・シンドロームのような事態で、原子炉の底の底が破壊され、地球の中心にまで燃料棒が届き、放射能が拡散されることで弱まるなら幸いである。しかし、強い放射能が地球のあちこちの火山や温泉から飛び出すのであると、傍迷惑となり、原因国も困るのである。(誇大妄想であれば幸いである。) 建物の外観や、触れる部分にのみ目が向いて、地下の部分に目が向いていない。 炉心が溶けて落ち込んだ燃料棒が、地下の深みに落ち込む前に、地下を掘り進んで、それをカバーする(腐食しにくい厚い金属層で押さえ込むなど)工夫が必要ではないのか。「冷却段階」、「燃料棒取り出し」などの「超長期工程」の中には、「取り出しが出来ない」という「仮定(思考過程)」がないように思われる。「想定外」というのは、「気がつかないほうが人間なので当たり前」という甘い前提、政治的な想定に過ぎなく、「日本の賢人達にはもっと自然との対話で、現実的な対策」を考えてもらわないといけないのではないだろうか。 結果として、日本だけの破滅では済まない、世界の破滅をもたらすような、「甘いその場しのぎの対策」なら、人類全体から日本は非難を浴びることになる。 「どぜう内閣」は、もっと自然体で「悪魔の如き姿になった燃料棒」と、したたかに戦う姿勢をとり、 「力こぶ」が見せかけではない、「科学の粋を集めた実力行使」で、「燃料棒の地下に潜らない前の取り出し」に励んで貰いたい。 そのあとで、「放射能の除洗」という国内対策をとってもらいたい。 癌の患者にたとえると、「癌を治癒(燃料棒取り出し)することなく」、「副次的な痛み(除洗活動など)」を取ることも一つの治療であるには違いないが、早期に「癌を発見して除去する」ことが最も望まれるのである。 福島は、まだ、癌を発見する方法を探す段階にある。 熱は平熱まで下がっているようであり、癌のある「場所も見当はついており」、「癒着している」のは間違いなく、力こぶをいれて探している。 癌は、内蔵が多い場所に潜っているらしく、内蔵をできるだけ傷つけずに、取り出す方法を見つけなければならないし、取り出す技術的な方法を科学技術の粋を集めて研究している。 「マジックハンドを持つ医者探し」よりも前に、「正確な位置や状態」の発見が着手できていないのである。 「力こぶ」もいいのだが、そのまえに「癌=燃料棒を発見し、摘出する具体的な科学的方法」を、「賢人達に依頼することが大切」であろう。 「力こぶ」を批判する気は毛頭ないが、「メンツは捨て」て、自分たちが「無能力な部分」は頭を下げて、日本の賢人達に任せようではないか。 脳幹梗塞の呆けの独り言である。 ついでに言うと、遂に、8ヶ月後と想定されたように、米海岸に日本の津波のガレキが到着したようである。 いまのところ、日本の物かどうかの判別はできない様だが、文字や、放射能の種類から、そのうち判るであろう。 また、当初、「水素爆発で全方向に流れ出した放射能」はいたしかたないものの(ただし、電源喪失に至る人為的ミスや、統制ミスは厳しく処断されるべきである)、「故意に放流を継続した放射能汚染水」は「世界のブーイングの的」となるに違いない。 つい最近、三陸海岸の漁協の反対で、東電側は放射能汚染水の湾内への排出を諦めたが、もうすぐ米国から「放射能汚染水の海洋大量排出・投棄行為」への非難が高まるものと思われる。 「どぜう内閣」はその時の発言が世界的な了解を得られるように、いまから周到な準備と、これからの覚悟をしておいて貰いたいものである。 「環太平洋条約」どころの騒ぎではない、コア(核心)の問題なのである。
Dec 17, 2011
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「八ツ場ダム」の工事再開については、専門家の方らしい反対意見が、水利面、治水面、発電計画についても発表されている。 小生などは、素人なのでよく分からないが、デメリットも多そうである。 当初は、首都圏の水瓶としての重要性、洪水対策を鑑みてダム建設が計画されたと聞く。 しかるに、工業化および人口集中から生じる水の需要が、計画策定後に起こった、不況や、工場の地方および海外への移転などによって、それほどの大きさでないことが判明している。 首都圏の人口も、高齢化、少子化などで伸び悩んでおり、汚かった東京の水も水質汚濁の公害対策や、浄化機能の向上もあって随分と綺麗になっているので飲料用の水も以前ほどの需要の増加が見込めない。 従って、「当初の首都圏の水瓶としての必要性」は、真夏の渇水期でも、よほどの気候変動が無い場合は、「八ツ場ダム」がなくとも「なんとかなりそう」である。 あくまで、「なんとか」であって、それほど余裕があるような話ではないと思われる。 洪水については、時々、江戸川の下流の松戸・市川あたりでは河川ゴルフ場が水に浸かって、時々、所々で、壊れているが、堤防が危ないような水準までには至っていないようだ。 危なくないようだとは言っても、もともとの江戸城は海が迫っていた所であり、中川などが流れる埼玉県八潮、葛飾区、江戸川区などは、川底よりも低位な地区(0メートルやマイナス・メートル地区)が点在し、少しの洪水でも注意は必要である。 タイの洪水被害が一挙に拡大発生したのは、違法な森林伐採で水が地下で保水されずに直ぐに流出する上に、上流で例年よりも異常な降水があり、丁度ダムでは、渇水期を控えて大量の水を貯水していたので、降水を貯水できずに、逆に、放流したために、「森林の保水能力の消滅(人災)」+「異常降水(天災)」+「放流水(人災)」が下流の大陸都市を襲ったものである。 この事例を見ても判るように、「貯水機能」を異常気象の中でタイミング良く活用するには、「かなりの余裕をもたねばならない。」 「ぎりぎりでの調整」では、異常気象時には対処できないのである。 東北大震災で、地震により須賀川市の貯水ダムが決壊して下流地域が水害にあったことをみても、ダムは堅固なものを建設しておく必要があり、この際に全国のダムの耐震性を見直しておくべきである。 東北大震災に重なり、大津波が発生、「原子力発電所」が崩壊して、放射能が日本列島の空や陸、さらに海へと拡散したと同時に、「電力供給」が大幅に失われた。 放射能対策も必要だが、当面の電力供給と、将来の脱原発の中で、電力を安定供給することが急務となっている。 電力は工業生産のバロメーターであるように、電力が不足しては、経済的観点だけでなく、物理的観点からも、日本に「工業」、「産業」が存立できなくなってしまう。 いまや、「八ツ場ダム」の建設が、発電面でも「希望」と、「無駄」の両面で取りざたされる所以である。 反対意見に立つと、「八ツ場ダム」を建設すると、下流の発電所が水不足となり、発電能力が全体として大幅に減少するという。 しかし、タイのダムが貯水能力の余裕がないままに操業していたために、国全体を巻き込むような洪水事故を起こした事件に、まさに、「人災+天災+人災」であったことに、批判者は気がつかないのだろうか。 「八ツ場ダム」を建設して、水が溜まるのを待ってから、治水面や、水利面、発電面の実際の操業を始めるくらいの「余裕」があってしかるべきではないか。 江戸川下流の水量を見ていると、大量に流れる時期が必ずあるはずであり、そのような時期を捉えて「八ツ場ダム」の水を貯めればよい。 いっぺんに、効用を図るような政策では、たしかに無駄はなくなるだろうが、天災、地変のようなものは、「想定外」として、「外生変数」や「ダミー」という安易な扱いでしか、考慮されない。 内閣・政府が、「そのようなことは、政策(マニュフェスト)には唱えていなかったので選挙民の意ではない」、「再度、考慮するのは、反対した自分の気持ちと異なるので、おもしろくない」、と、「自分のメンツを大事にして、国民みんなの幸福を、考慮しない」ようでは、「みんなの代表者として、政権を担う資格は失われている」。 マニュフェスト作成段階には、「東北大震災・放射能漏れ」はなかったのであり、「賛成」、「反対」を改めて議題にするべきであろう。 呆け老人でも判ることであるので、日本の賢人達は政府・内閣をもうすこし、利口になるように指導して欲しいものである。 呆けついでに言うと、都市近辺で集積した「放射能を少し含んだガレキ、灰」を東北被災地区が受入を拒否しており、都市近辺では困っている。 しかし、「放射能を少し含んだガレキ、灰」は、工業的な処理として、例えば、コンクリートなどに加工して、自分たちの都市防潮堤の基礎などに奥深く埋め立てることで有効利用することを考えようではないか。 被災地には、とても他の地域の放射能まで考えが及ばないほど、放射能被害の実情・風評で痛めつけられているのだから。 賢人達がたくさんいる都心であり、内閣・政府はノーベル賞ものの貴重な意見を広く求めることが出来よう。
Dec 16, 2011
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たとえば、「高知」や「仙台」は音読みであるが、日本の古語(アイヌ語)ではこれはともに川の流れる谷間を意味する 「かはうち」に由来するという。大阪の河内(かわち)、や広島の河内(こうち)、鹿児島の川内(せんだい)も同義である。 小生の生まれた高知市では、江戸時代には、お城を守るための治水工事の一貫として、荒れ狂う鏡川の水流域では、お城と反対側の堤防を低くしていた。この地域は、急峻な山が街に迫っており、台風などの大雨では水を貯める森林が無く、すぐに鏡川に激流が押し寄せるのであった。 つまりは、そのための緊急時の遊水池として、人の住まない空白の場所を設けていたのである。意に沿わず、近江の国から土佐藩の統治に派遣された、外様殿様一族が、人とはみなさない土着の人々の棲む方角に向けて水を流したと言った方が正確かもしれないのである。現在の高知市内では、この鏡川堤防の両側は同じ高さである。堤防の高さも高くなっている。それだけ、人口が増えて県都に集中し、お城側と、お城と反対側でも同じように民家が増えてしまっているのである。江戸時代には、殿様や上級武士だけを守った堤防は、いまは、両側に住むすべての人を平等に守ってくれている。しかし、自然の脅威は無くなったわけではなく、遊水池が失われてしまったのであるから、大きな水害(台風や高潮、津波など)が来た場合の対策は苦しく、対処は難しい。つまり、人口の集中で遊水池が失われてしまったことの対策が出来ていないようにおもう。今回、東北大震災で、万里の長城ともいわれた「津波防潮堤」が一瞬のうちに壊れ去ったが、津波の大きさが巨大であった事もあるが(地殻変動を伴う巨大地震は想定外ではなく、想定できない大きさなのだ)、あまりにも総花的で全員を守るための防波堤ではなかったのかと思う。むしろ、まもるべき拠点を定めて防波堤をお城のように築き、津波が来たら広大な「遊水池」に海水の勢いを避ける工夫があれば、多少は時間を稼げたかも知れない。 できるだけ高台に住宅(山の上など)を建設することは必要であるが、高い防波堤で囲んだ地域「お城地域」を限定的に造り、堅固な中高層住宅を建設し、防波堤で遮られ、行き場を失った荒波を受け入れる遊水池を造っておくことが必要ではないかと思う。 平地に設置した漁業や工業を担う産業区域には人が住まないように規制して、緊急時には「お城地域」に逃げ込む方策を考えたい。 「お城地域」に逃げ込む手段は、トンネルに門を設置して、たとえば、日立造機が開発中の「陸上設置型フラップゲート式防潮堤」のようなものを、自動開閉門として組み込ませるなど、シンプルな自動化を図ることが望ましい。 停電で使い物にならないように、非常電源を自動閉門のために使えるよう、緊急放送の津波到達時間までに、または、即座にセットできないか。 逃げ遅れた人は、自分で防潮堤に入れるように、高層階段を使用してのぼり、ダッシュボードで滑り降りる工夫も必要であろう。 「お城地域」の中には、緊急離発着が出来るヘリポートや、救助ゴムボート、救急車両、医療施設、緊急物資倉庫なども設置しておけば、より使いやすい。 また、「お城地域」が危なくなれば、さらにより高台に逃げられるような、避難回路(脱走経路)を用意しておくことも大切であろう。土地の嵩上げも必要なのだから、ガレキをよそに持って行かずに、現地で粉砕処理してコンクリートなどで固めて下地に敷き詰めると一挙に片付くであろう。 なにも、東京湾の埋め立てに使って貰うような、無駄遣いをしない方がよいとおもう。東京でも危ないならガレキは受け入れできないし、自分の方がもっと資源はいるのだから。呆けが、考えることはこの程度だから、頭がやわらかい賢人ならもっと良いことを思いつくはずである。 民営化、民営化とあまり叫びすぎて、規制が悪い印象であるが、こと天災のほうでは民営か、公営化の差別はしない。 みんなのための規制が必要なら、東北の地域はいまが最も対策が図られやすい時期にある。 賢人達が集まって、よりよい先例を早く創ってもらいたいものだ。
Oct 20, 2011
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先日、野麦峠を通過して、石積のダムがあって、びっくりしたと書いた。今回の台風被害で、紀伊半島が土砂ダムの決壊の危険があり、厳戒態勢にあるというからである。野麦峠付近には、コンクリート製の上流に張り出したアーチ型のダムがある一方で、普通のため池のように見える石造りのダムが多い。素材が、コンクリートでなく、石垣のように見えたので、「あぶないのでは、すぐ決壊するかもしれない」と、側を通るとき、ゾッとしたものだった。峠から下に下りても、あのため池の水が一斉にどっと下流に押し寄せるのではと、ただ怖いとおもうだけで、上高地の美しさや、大正池、河童橋を見ても、なんだか足元が落ち着かなかったものである。昨日のこと、調べたが、件の、ため池のような形をしているダムは、堰堤が堤の頂点を中心に、富士山のように滑らかな形をしている。じつは、どっしりとして重いのである。ダム湖に貯水した水の圧力は堤と共に、ダム湖底に均等にどっしりとかかるから、堤を破壊する原因にはならない。堤の頂点から真下にかけて、水を通しにくい粘土質の厚いコア部分があって、その両側にはフィルターと呼ばれる硬い岩石、さらに、その両側の外側に、なだらかな斜面を持つ部分があり、石積でできているという。蟻の一穴からこわれる堤防とは違うのである。そういえば、お城などは、外敵の侵入を防ぐため、そとから、城壁の石を簡単には壊せないように、いろいろな形の石を整形して、びっしりと隙間なく、組み上げている。鉄筋コンクリート造りだと安全で、石造りだから危ないというのは小生のような素人の言うことである。鉄筋コンクリートだって、鉄は塩分で腐るし、コンクリートも脆いのもある。良質のコンクリートが無尽蔵ならそれでも良かろうが、なにせ、ダムは巨大であり、防水のための工法には、素材として、無尽蔵とおもわれる土や砂や、岩石なら最適である。要は、素材ではなく、それを適材適所に使う工法が優れていなければならないのである。あの巨大なピラミッドを建設した国であるから、エジプト国民は自然の建造物を造るには立派なDNAをもっているのだろう。つまり、あの巨大な、ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿などを移設してまで造った、エジプトのアスワン・ハイ・ダムはロックフィルダムである。高さ111メートル、全長3,600mの堤は、巨大なロックフィル方式でこそ完成したのである。WEBには次のように追記がある。「アスワン・ハイ・ダムの巨大な貯水池ナセル湖の名はガマール・アブドゥン=ナーセル大統領の功績をたたえてつけられた。アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止するとともに、12基の水力発電装置が210万キロワットの電力を供給。ダムにより出現したナセル湖から供給される水は不足がちの農業用水を安定させ、砂漠の緑化も行われた。その一方で、ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるが、ナセル湖の漁業はとても活発で、豊富な水産物は重要な食料として活用されている。今では、周辺の遺跡とともに、観光地となっている。」ただ、「土砂ダム」と「ロックフィルダム」の区別は、どうしても、素人には判りづらい。「災害で出来た土砂ダム」と断ってもらいたい。政府や、報道機関は、素人にも判りやすい表現を、「危機管理の下で再命名・使用してもらう」ことを望む次第。
Sep 22, 2011
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新聞によると、東北大震災の復興のためには、「土除染1億立方メートル」、東京ドームの80杯分とけたたましい大きさのボリュームの処理が最優先課題である。これだけの量を引き取る場所もなければ、引き取る先もいない。けれどもこの嵩をうまく復興の資源に活用できないか。津波の防波堤は、今回の津波で判るように、万里の長城のような巨大なものを建設しても「ハード」だけでは防ぎ切れはしない。なぜなら、山を見ても理解できるようにヒマラヤ山脈は大陸同士がぶつかり合い、押し上げたため、あのように高く聳えているのだから、自然の力は「想定」「想定外」のような弁解では済まないのだ。「ハード」面だけは、ある程度の津波に対して、防御態勢をつくり、それが防いでいる間に、より高いところへ「ソフト」面を駆使してうまく逃げるしかあるまい。(これは、有名賢人のアイデアを借りたものである)「ハード」だけを考えたらマチュピチュのようなところに住まないといけなくなるが、広大な平地面積はそのような所にはないので、あまり現実的な考えではない。エジプトを脱出して、ユウラシア大陸を経て、当時繋がっていた、アメリカ大陸の北へ、さらにメキシコを経て、ペルーへと人類は大移動したようなのだが、高い高地にも人でいっぱいである。 東北大震災の被害地は漁業基地であり、低地は肥沃で作物が実り、人類の暮らしには欠かせない所である。低地を食物確保や生産手段の場所に使用して、中高地に住居を建設していくしかあるまい。 折角の巨大な資源があるのだから、「ごみ」として扱うよりも、「地産地消」で有効利用したい。産総研ではこの土を「流出しないような、堅牢な土木材料」に加工する方法を検索・開発できないか。例えば、ガラスや鉛などとの新合金のようなものだが。設備は釜石あたりに製鉄所があったように思うが活用できないか。表面に使用できずとも、それを防波堤の嵩に使用して嵩上げする工夫はだめなのか。産総研の蓄積された技術や、海外の新技術を利用すれば、段階的にでもできると思う。日本賢人者会議に良い考えを求めたい。
Sep 15, 2011
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企業が倒産したとする。その企業は、倒産前に意図的に「寄付」を名目にして多額の金を、資本関係はないが、なんらかの関連する事業会社に「そっと」渡したとする。企業が破産すれば、債権者は、倒産会社に事業の本来の目的を逸脱した行為として、倒産会社の役員を会社の経営を疎んじた罪や損害賠償罪で訴え、関連企業にその寄付を返還するように、管財人に請求できるのであろうか。管財人が、当該寄付行為の有効性を認めたら、事業上の必要性として仕方がないことになる半面で、「寄付」という「公共性」、「道徳性」は失われて、寄付行為ではなく、正当な事業行為の遂行のための支出となり、税法上の重加算税が適用されるだろう。また、件の関連会社が、倒産企業にたいして、何らかの請求権(事業行為侵害賠償など)を有しているとしよう。管財人から見て、関連会社の請求権は、少なくとも、「寄付行為」で利益を得た分は「相殺」されるはずである。企業に連帯保証人がいる場合は、管財人は連帯保証人にも協力を求めるだろう。小生は税法も熟知していない素人なのだが、そのように思う。上記の話は仮の話であるが、似たようなことが東北大震災で起こっている。「企業」は、倒産はしていないが「電力」、「関連企業」は直接に資本関係はないが「新聞に出ている自治体など」、「連帯保証人」は「国」、等々に当てはめてみると推定できる。これからも、このような記事が、背筋がぞくぞくするように、ぞくぞくと出ると思うが、管財人ならぬ国民の目が行方を求めて彷徨っていることを、記事を書いた本人は忘れないで貰いたい。東北大震災は、津波、原発とともに、巨額の損失を日本経済に与えたが、復興はどのようにしてでも越えなければならない。はやく日本賢人者会議を開いて、みんなが判るような方法を運営して欲しい。国会がカーテンを開いているからと言って、判りやすいのではない。つまらないパフォーマンス丸出しの批判合戦は見たくない。むしろ、「非公開」でも良いから、集まっても良し、TV電話(外国滞在の賢人)でも良し、賢人達が心を開いて日本のために良い案を選択して貰いたいものである。呆け頭には良くない日本の現状を、賢人達がその重い腰を上げて救って欲しいのだ。
Sep 15, 2011
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宇都宮市は大谷石の採掘場として名高い。小生は、宇都宮で数年にわたり審査に携わっており、今市、日光、奥日光にもよく行った。 日光にはキラキラとしたダイヤが見つかる川のような名前の「大谷川(だいやがわ)」が流れていた。この川は利根川水系の鬼怒川の支流であり、奥日光の湯の湖から湯滝、竜頭の滝、戦場ヶ原を経て中禅寺湖、さらに華厳の滝を経て日光に入る。この川は「おおや」や「おおたに」とは読まない。いっぽう、大谷石は「おおやいし」、大谷観音は「おおやかんのん」と読み、観音様は大谷石を彫刻した宗教物体である。以上は、今市市出身の愉快な同僚から教わったが、「いまいち」判りづらい説明であった。(蛇足だが、広島市観音は「かんおん」と読む。)大谷石とは、栃木県宇都宮市大谷町付近一帯から採掘される、流紋岩質角礫凝灰岩の総称である。大谷石の採掘場は、「大谷石資料館」のあるTOKYO DOME と同じ大きな空間が有名で、多目的な貯蔵庫・展示場・コンサートホール・地下教会などに使用されている。しかし、採掘場はここだけではなく、採掘のための坑道や採掘現場は市内の地下に網の目のように張り巡らされている。一部は産業廃棄物処分場として利用され、産廃からメタンガスが発生し爆発事故が起こり、また、放置されている所では突然の住宅地を飲み込む大規模崩落事故が発生して住民を不安にさせてきた。 他方で、最近の報道では福島原発爆発による放射性セシウムが、東北は言うまでもなく、この宇都宮市を含む関東地区にも広範に放出されたという。6月現在で9都県が処分について、「埋め立て場所が見つからず、引き取る業者もいない」ために、施設内に保管している「下水処理場の汚泥や焼却灰」は1万7千トンに上っている。このうち、濃度が低い自治体の場合は、セメント業者が引き取ったり、埋め立て処理をしている。 政府の方針は次の通りという。埋立地周辺の住民の被ばく線量を年10マイクロシーベルト以下に抑えるために、 1キロあたり8千ベクレル以下のものは、跡地を居住などに使用しないことを前提に、防水対策を講じれば埋め立て処分できる。8千ベクレルを超え10万ベクレル以下の場合は、濃度や遮蔽方法 などの安全性を個別に評価したうえで、廃棄物処分場に埋め立て処分できる。 10万ベクレルを超える場合は、可能な限りコンクリート壁や覆土で放射線を遮蔽できる県内の施設で管理することが望ましい。 国土交通省は「(各自治体で)埋め立てのできる処分場を探す努力をしてもらうしかない」と 話している、と報道にある。 小生が思うには、栃木県の場合に限って言うと、その費用の補填を東電補償や政府交付金に求める手続きはあとのこととして、まず、上記の「採石場の跡地などの埋め立て」と、上記の「下水処理場の汚泥や焼却灰の処理」を結びつけて計画を策定し始めたらいかがかとおもう。採石場跡地に強靱なコンクリート構造の収納庫を建設して、地下の崩落を完全に防ぐ。他方で、汚泥や焼却灰から、放射性セシウムの濃厚な部分を抽出して固形ペレットとして、しみださないように加工して、さらに運搬可能な形状に焼き固める。放射性セシウムの濃厚でない部分も固形ペレット化して、上記のコンクリートの原材料素材として利用する。 全国に、非鉄金属、金属などの廃鉱はいくらでもある。この廃鉱の処理も遅々として進んでいない。この廃鉱の埋め立てと、今回の放射能処理を一帯として考えたら一石二鳥ではないかと、小生の呆け頭は考える。一時処理か、中間処理か、最終処理かの考えは、どこで終わるかで決まるのであり、まだ処理もしないうちに「一時」「中間」「最終」で揉めるのは、「処理」事態を「言葉上の問題として、県は真剣に考えていない」ことと同じことにならないか、心配である。 JORKER を誰も引かず、他人に回すことだけを考えているのでは、何も進まない。県内のことは、まず県内でやってみようという決意が知事にも欲しい。そのあとで、他県のことも考えてあげる余裕が生まれるのではないか。国が何もしてくれないと言ったり、国は失礼なことを言うと、話をはぐらかしては話が前に進まないとおもう。前首相のときには、廃棄物に関する専門家が折角選ばれて仙台まで行った。言葉の悪さだけを問題視し、専門知識や人脈を利用できずに、終わったのは、もったいなかった。「国民みんなが笑って暮らせる世の中」の「国民」は、「県民」でもあり、市民・町民・村民でもあるのだから。 当たり前の話かも知れないが、この呆け頭には「いまいち」要求を相手に呑ませる「姿勢」が判りにくい。産総研などが協力すれば、いま利用可能な技術的方法は検索できるような、「ワンストップ」体制があるはずである。「どぜう」内閣がこのような意思疎通上の癌を抜本的に撤去し、「泥臭くても、地道に」すすめてくれることを願うばかりである。
Sep 8, 2011
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日本の理論経済学を学ぶ学生は鈴村興太郎教授をご存じであろう。厚生経済学や社会的選択の理論についてノーベル賞受賞を受けた、経済学者のアマルティ・セン教授らとともに、あたらしい理論厚生経済学を先導する学者として名高い。その彼が、岩波書店「思想6月号」の巻頭 「思想の言葉」を著述している、と友人からメール便があった。以前に、市の図書館から鈴村教授の著作「厚生経済学の基礎」(合理的選択と社会的評価)を借りたことがある。なんとその本は21、552ページもある分厚い本であり、数学的な素養がよほど無いなら完全なる理解は期待できないものである。小生の解るのは、微分積分学や、図解から解ける幾何学が上限であるが、鈴村教授は多変量解析や集合論まで、奥深い数学を駆使して、理論を構成しているように感じた。興味を引かれるものと、理解できるものだけを読んで、そのほとんどが分からないままに時間切れと共に、図書館に返却して、自分が学生でないことにほっとしたものだった。今回の、寄稿文は果たして理解できるかどうか心配であったが、数式は見あたらず、なにせ3枚の文なので勇気を出して読み始めた。今回、小生が解る範囲にすべての文章があった。東北大震災の津波への備えについて、それを防波・防潮堤という工学面(ハード面)、防壁がかせぐ貴重な分秒を生かす警告と退避という社会的システム(ソフト面)と明確に分離してとらえ、個々の限界を理解した上での、それらの複合的な措置こそ重要なのだという。さらに、この津波が惹起した福島第一原発の重大事故についての、危機管理に関する社会的選択に際して、科学の知をはじめとする専門知をどのように政治的な決定に組み込むべきかを述べている。政治家のあり得べき任務を、「国民の福祉の増進に献身すること」と明言しており、世の政治家はこの論文をよく読んでもらいたい。鈴村氏のような学識者が、混沌とする政治家の政争を糺すことができる政治倫理委員会や、政策決定機構を備えることが、我が国の福祉国家への道を固めることになるだろう。
Aug 13, 2011
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毎日のように、東北のガレキの写真が報道される。それだけその処分に困っているのだと思う。ひとは、自分のまわりが汚れていると気持ちが悪く思い、まず片付けるのは普通である。片付かないと次の行動ができないのが普通である。しかし、どのように片付けるものかの「お掃除の見本プロ」の出現もなく、つぎの行動自体が見えないのであるから、片付け作業も泥沼の中にある。自治体や政府は早急に「東北復旧・都市村落総合計画」を策定して、まず、住宅地区、産業(農林・漁業、工業、サービスなど)地区、公共地区を線引きして、地震・津波に多少とも対応した環境整備を進めなければならない。以前にも述べているが、原発については、広島市がすでにその廃墟から立ち直るために曲がりなりにも「先例の復興」を実行しているので、参考にすべきものと思われる。いつまでも、船を陸に残したままに置いたり、松の木の残骸に悲惨さをくよくよと思い出すことに時間を割けない。ガレキは津波の防波堤建設の資材として、地面の嵩上げに必要なものとして考え、学校校庭などの放射能を含んだ表土も「煉瓦」などの焼き物に加工して地中深く埋め込むべきなのだ。「地産地消」でガレキをより安全・強固な資材に加工するなどして利用するしかないのである。場合によっては、新・仙台空港全体の嵩上げとして、学校校庭の表土を流れ出にくい物体(煉瓦など)に加工して、地層の一部に組み込むなどの「英断」が必要ではないか。福島原発の永久封鎖対策として、上記の校庭表土製煉瓦で嵩上げした、巨大な堤を構築することも考えたい。政治は、首相の退陣予定声明だけを「成果」として、一段落を遂げようとしているが、復旧計画そのものは先が見えていない。政治自体が首相に添い寝して、死んだふりしていては、国民はたまらないのだ。一国の政党が複数で与党を組むなら、そのなかの筆頭政党だけが政策を秘密に操るような仕組みを早急に改める必要がある。与党政党という概念を導入して、与党政党が「代表」や「政策」を選び国会に提出する「総意民主主義(仮称)」が今は必要な時期ではないかと思う。大統領制まで行かなくとも、「与党を組む段階」で政党同士が「合意」すればできる、簡単な「連立方式」なのだ。脳幹梗塞の夢の中の話なのだが、これに、はやく気がついて目が覚めて欲しい。
Aug 12, 2011
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「応仁の乱」とは、我が国に秩序の大混乱が生じるほどの、内乱や異国からの侵入などが勃発した混迷の時代らしい。京都には、その「応仁の乱」だけが「時代の変化」の基準である、とする独自の時代観がある。その伝統を重んじる「京都の大文字」焼き祭りに「震災地産の松明」を灯してくれなかったからと言って、嘆くのは無駄である。それほど京都は「一見さんには厳しい」ところなのだから、非難したりすることが、逆に「無駄」と理解したらいいと思う。決して、どちらかの言い分を非難するつもりはないが、京都には京都のやり方が昔から有り、時の政府は代わっても、「伝統」を末永く守ってきた貴重な経験に裏付けられる「一種の風情」があるのだろう。むしろ、京都を凌ほどの、「世界のジパングの代名詞」となった「平泉」で松明を灯す方が有意義ではないか。「平泉」は、もし義経を大将として鎌倉幕府と対戦すれば新しい政府の都として栄えたかも知れない「黄金の都」であっただろうといわれる。一部の京都市民も「非」は認めているのであり、このようなことで争っても意味はない。原発のメルトダウンを起こしたことが「異変事」であり、その「異変事」の後始末をいかに早く処置するか、再度起こさぬためにはどうしたらいいか、が争点であらねばなるまい。被災地の都・黄金の平泉で菩提を弔うことこそが自然な流れなのである。今は、都でもない京都に菩提を弔ってくれと言うことはなかろうに。現在の都である江戸・東京にお住まいの天皇・皇后もお見舞いに現地を訪問されているのだから、あまり内紛を起こして外国から誤解されるのはつまらないことである。東北の復興だけに全精力を使おうではないか。
Aug 9, 2011
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東北県の出荷停止牛をすべて政府が買取り、放射能値からして食用可能な部分を選別して販売(卸売り)する、緊急的な政府買上米のような制度がありえないか。このままでは、国内産牛肉は不足してしまい、輸入品や他の代替品が値上がりしてしまう。すべての出荷停止牛が食肉に適さないわけではあるまいが、風評などもあり、個々の牛について疑問が残らないように、全頭検査して、さらに、放射能が問題のない部位を選別して、食用可能な牛肉を創り出す。その牛肉については放射能値を示した値をラベル表示すれば、消費者は選択できるではないのか。出荷停止牛肉の処理、検査、卸売までの費用が相当嵩むのでその追加費用、通常時の費用を上回る部分については「震災復興費」から充当する。一種の政府配給米のような「東北支援牛肉」が流通することで、緊急事態を凌ぎたく思う。いままで、危ないものには蓋をするように、病気の汚染家畜(原因は主に集団生育による病気発生)をすべて殺して埋めてしまう「野蛮な行為」を我々はしてきたが、今回はわれわれ人間が「電力供給のための原子炉がメルトダウン」という「罪」で発生させた放射能なのだから、家畜に謝らないといけないだろう。「生類哀れみの令」は馬鹿げた政治の例だが、今回の事態はそれに並ぶ政治の悪例だと将来まで言い伝えられるだろう。人間のために役立つように育んできた「家畜」をもっともっと大切に扱うことが必要だと思う次第である。
Aug 4, 2011
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公共設備の稼働を地域シェアできないか?最近、団地などでの乗用車のシェアリングにより車の稼働の有効利用が図られている。一種のレンタルではあるが、手軽さと割安さが好評である。これとは全く別の設備であるが、東北大震災でゴミの処理、火葬場などの公共性の高い設備が、電力節電の中で稼働がままならない。電力消費を押さえるために部分的に稼働を押さえている。例えば、ピーク時の稼働時間を押さえるため3基ある焼却炉を2基だけ稼働したりしている。電力はピーク時間を除けば、例えば早朝や夜間には余裕があるはずである。余裕の電力はダムの揚水エネルギーとしてほとんど使用されていないから、むだになっているのだろう。ゴミの処理、火葬場の運営を、東北のためにシェアリングして、使用されていない時間を東北に貸し出しできないだろうか?東北の自治体の人たちが、他県の設備の有効利用を享受し、シェアリング運営できれば復興も加速されるとおもわれる。古来この分野は非常に扱いにくい事が予想されるが、東北大震災の助け船と配慮して官・民が協力していかないといけないのではないだろうか。いまは黙っている被災地の政治家も一肌脱ぐ決心がいるであろう。また、国のトップは具体的な事について、もっと真剣に取り組むべきだと思う。この際、夢や理念的なことにのめり込むのはほどほどにして、震災からの脱皮にもっと具体的に取り組んで欲しいものだとおもう。本日、部分的高度放射能地区の汚染除去作業をTVでみたが、数値は随分と下げることができるのだから、逃げるだけの延命策ではなく、被災民がなんとか生存できる環境に、できるだけ近づこうとする民間の努力には胸を打たれた。被災前の状態に戻るのは、自然に待っても50年から100年かかるのだから、努力して少しでも環境改善していくしかないと知るべきであろう。
Aug 2, 2011
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東北のガレキ処理は広島にヒントがある。広島が原爆から立ち直る際に、問題の灰を含んだガレキをどのように処理したのだろうか。河口に流れた灰の回収は浚渫工事で行うとして、壊れた市街地のガレキはよその県に引き取ってもらったのだろうか。そうではないだろう。護岸工事や商工団地などの建設には資材が必要である。そのなかの一部で、深く埋め込む部分にガレキを処理すれば放射能の影響を随分と低く抑えられるではないか。それでもなお、放射能が怖ければ「港付近の漁業権」は国が買い取ることで解決できる。また、広島では住宅地を小高いあちこちの山の上に山の形そのままにして建設している。山を平らにして峡谷を埋める「埋め立て方式」ではなく、まるでマチュピチュ遺跡のように自然の形を利用している、「空中都市」のようだ。自分が検証したことではないが、東北の本格的な再建策が模索されている中で、立派に立ち直っている広島の実例を検証すれば良いヒントが見つかるかも知れない。
Jul 29, 2011
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今も、のろのろとした予算審議を行っている。しかし、なぜ、消費税に論議がいくのか。復興の財源には、消費税ではなく、即効薬としての国債以外にはあり得ぬのではないのか。「借金である国債に復興を依存する」のが何故いけないのだろう。それに、日本は「まだまだ円が強い状態」であり、対外債権を多額に持っていて、国民全体としては貯金が大量にあるから借金をしても問題は少ないのだ。なにも、狡猾に円安方向に向けるなどと言うのではないので、天下のアメリカも文句は言わないと思う。今の状態の内に、復興国債を日銀引き受けで発行すべきだ。ハイパーインフレは引き起こさない。消費税を上げてそれを財源にすることは、まず景気悪化を引き起こす、さらに、消費税は政府の現金回収には時間がかかるので、即効性がないのだ。復興には時間を掛けることができない、待ったなしの政策実行が必須である。いたずらに消費税論議をするなどは、真剣に災害復興を考えない、無能な輩の単なる議論のための議論であると判って欲しい。老人でも判ることを、生気の多い政治家は理解しないと国は滅びる憂き目を負うのだ。坂本龍馬の如き、未来志向の政治家、世界を見つめる政治家、だれとでもつきあえる政治家、たとえ一時的には他人・身内を瞞しても決して民衆の幸福を欺かない政治家が現れるのを祈っている。
Jun 9, 2011
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また、菅首相が辞任について否定しているので原発処理については遅々として進展しないと懸念する。このような事態では、汚染水の処理が心配である。静岡県から曳航するフロートの移動や、高レベル放射能汚染水の備蓄のために低レベル汚染水を放水して空けた処理設備などは容量が少なく、梅雨時では時間の問題である。もう、この地区の有効利用は他に考えられないのだから、政府は屋根付きの大きな空池を臨時に造ることを考えないのだろうか。鉄筋の厚いプールを突貫工事でいくつも作り、それをドームで覆うことでとりあえずできる工法は存在する。そのような空き地は、航空地図でみていくらでもある。そこに、塩ビパイプでも引いてポンプアップすることで臨時体制でも汚染水を移動できる。このような簡単なことであれば、東電でもだれでもしっかりした人に司令部を集中すればできることである。政府や、民間にもこのようなことのできる人物は大勢いるのだが、議員たちは大勢いても右往左往するばかりであり、復興計画の妨げとなっているばかりに映る。銀河計画では東北は独立国になるのではないのか。日本から独立してしっかりと復興することを考えるべきかもしれない。独立されないためには、日本政府はしっかりとした首相(または大統領)を擁して、少なくとも、原発の汚染水の「ドーム屋根付き処理大池」を構築するなどを急ぎ、東北県民の生存維持対策をいそぐべく、復興国債を発行して(日銀引き受け)予算を早急に付けるべきではないかと思う。宮沢賢治や坂本龍馬が生きていれば、東北独立運動が勃発したであろう。このような大変な時に、政権縋り付きの、騙し合いの、政治空白は許されない。
Jun 3, 2011
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原発事故での計画停電で自然エネルギーが脚光を浴びている。水力(淡水・海水)、太陽光、風力、地熱、等々の発するエネルギーである。これらから発生するエネルギーは主として動力エネルギーに変えてから、電気エネルギーに変換する。問題は、いまは、電力会社に売電する方法が、主体であることだ。電気は「貯められない」という、電力会社のうたい文句に踊らされているのだ。昔はともかく、現代では「電気自動車」、「電気自転車」があり、それらは「バッテリー」を電源として動いている。いまだに、その「バッテリー」は専用のものであり、他に転用が利きにくいのだ。自動車の「バッテリー」から車載の音響機器、その他の機器には電源を引けるが、車外への配線は素人には若干難しい。自転車のバッテリーから配線しづらいので、自転車を家の中に入れてから点灯する始末である。「バッテリー」電源はあっても、それを利用する手段を「メーカー」は公開してくれないのだ。自然エネルギーを利用するに際しては、政府が個人住宅の屋根に「屋根用ソーラーパネル」を無償で貸し出し(家庭内蓄電・消費電力で余った売電収入が政府に入る方式)、「蓄電バッテリー」の開発を先端技術の核として行い、各家庭に無償で配布する。個人が、自由に電気エネルギーをあらゆる器械に接続できるような方式を国(産総研)が技術開発に率先するべき時なのだ。個人がだれでも利用しやすいように、機器の標準化、電力の標準化などが期待される。娯楽のための「室内サイクリングマシン」も発電機・蓄電器をセットにして家庭用電源として有効に利用されるべきだと思う。そうすれば、体力発散といえども、新しいエネルギーとして生かされるのだから。市場に任せた開発であれば、国民の手元に到達する時間は遅くなるので、蓄電池の最善の新技術商品を国が買い上げて国民に支給する方式がいいのではないか。回収は、それから得られる売電収入などを当てる方式を考えることではどうか。
May 28, 2011
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TVでは政治的な判断が、原発の冷却中断に介入したとの「USO」伝が問題となっている。まさか、冷却の媒体手段に関して選択の余地があったなどとは不思議な気持に襲われたものだった。真実は、「中央」では迷っていたのだが、「現場」では選択の余地はありえず、冷却媒体を淡水がないときは、海水にも依存せざるをえなかったのだ。これを、「現場」の反乱のように、また、それを行った所長を英雄のように言っているが、事実は「素直な措置」であったに過ぎないのだ。その選択の前には、遙かに重要な事件・水素爆発(強い放射能の拡散)が発生している。水素爆発が、工場内の強制排気手段の遅れのため、水素などが充満して起こっているのだ。所長は、水素爆発が発生しないように「ベンテイレーション」を行わなければならないのに、なぜ、躊躇っていたのだろうか。たしかに、工場内の放射能が高まり、それが排出されることは危険である。工場外に放射能を排出するのは、危険であり、その判断は「当時の所長の権限」を越えるものであろう。所長が躊躇なく、「水素爆発」か「ベンテイレーション」か、を行えるような、事前演習や緊急時の権限移譲が行われるべきであったとおもわれる。結果的には、工場内の排気があれば、少なくとも「水素爆発」は防げたであろう。このような、極めて重要な部分が捨て置かれて、次元の低い「冷却媒体選択」についてクドクドと議論するとは、政治的と言うよりも、技術的な部分を報道TVはネグッテいるのか。「地震による破壊」、「津波による破壊」、「水素爆発による破壊」などに原因・結果を正確に当てはめることが大切であり、「責任者」を間違って罰するなどは論外である。国際原子力委員会の査察でこれらは明らかになると思うが、事故の本質を素直に見つめて再発がないようにきめ細かな、大胆な分析や事前演習や権限移譲を期待したい。国内の情報や判断では公正なものを期待できないので、叡智を集めた国際的な判断を素直に受け入れようではないか。放射能汚染は公海での侵犯事項であるのだから。
May 27, 2011
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宇宙を自分では回転しながら、一定の軌道を飛び回っている地球に乗っかっている我々であることを自覚しよう。地球の中では、固定的な核部分と、灼熱の液状部分、固体的な地殻(それに浮いている液体たる海洋を含む)がごろごろと動いているのだ。磁力というものでしっかりと地球の中心に吸い寄せられていることと、宇宙の軌道が周期的であることなどから、われわれはまるで自分が動かずにいて、天が動いているような不思議な気分になることが多い。「想定内」、「想定外」などという気分の輩は、地球のこのような天体軌道飛行を忘れていないと、発言できないのではないのか。宇宙飛行のなか、隕石との遭遇などは、想定外として見ざるを得まいが、5大陸が一つの大陸から分かれたり、いろいろのプレートが移動し、ぶつかり合っているのは、ごく自然の天体回転運動の結果なのではないのか。このたび、東北大震災が勃発したが、プレート移動からいえば、自然の動きであろう。これに、人間の自然エネルギー利用の限界を超えた、原子力エネルギー利用のための「原発」が巻き込まれ、「臨界事故」となってしまった。この「臨界事故」は一部報道によると「淡水冷却が困難なため海水冷却措置に移行する」に際して、「政治的判断」が入ったため55分の遅れが出たためという。報道は「USO」(=UFO)ではないのか。55分と言えば地球は宇宙をどれだけ移動したのだろう。核分裂ならどれだけ進んだのだろうか。老人が自転車を運転するのであれば危険度も予想できるが、レーシングカーやJET機や原子炉などは、運転についてはスタートから一時停止、完全停止まで、予想できないことまでもテストしておくべきではないのか。「冷却」が絶対命令であるにもかかわらず、媒体が「淡水」、「海水」でもめるような指揮系統は超高速の「宇宙・地球号」では通用しない。「原発」事故については、政治的ではなく、純粋に科学的に地球を救うにはどうすべきかを世界の英知に問いかけることしか、最善策はないのではないか。求心力がどこにあるか判らない現政権だけに期待すべきではなく、世界の科学者グループから忌憚のない意見を早急に集めて、「原発」をこれ以上悪化させないように、制御できる体制造りを、国連にも、ノーベル財団などにも、お願いしたいものだ。素人には、祈ったり、他人に頼むことしかないのだから。
May 21, 2011
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なぜか、原発からの中心円(等距離線)が等高線として危険度を表す表記として法定化されつつある。火事が発生したときには、その火力は無風の時にはほぼ中心からの距離に比例して影響度が計算されるが、「風力」「風向き」「地形」「気温」「湿気」「雨量」など多変量分析の結果を得なければ本当の危険度指標とはならない。しかし、政治的には、20KM圏が線引きされたが、それ以上の深刻な放射線量を示す区域が現れ、その部分は危険度が考慮され組み込まれている。実際の線引きは単なる円周を目安としながらも、現実は「線量の把握」が決め手ではなかろうか。19.5KMの境界すれすれの場所で、違反を覚悟の居住占有者が問題となっている。居住占有者は、高齢者であり、他所では長くは滞在できない精神的負担をもつ方だ。あと長くとも10年程度が余命であるとして、他所で暮らすと3年しか生きられない方に、それでも他所に移動するような命令を出すことが法治国家なのか。明日をもしれない程の病人に移動は禁物ではなかろうか。その場所の放射線を常に計量して危険な線量に達する直前まで居させるくらいの住民対策が取れないような国に棲まなくてはならないのか、とおもう。一番簡単な線引き方法だけが法治国家のとる合理的な政治的決着方法であるなら、そのような選択を賢明な我が国民は採りたくはないのではないか。もっと福祉国家として、手間はかかるが、心の通った国家を我々は求めてきたのではあるまいか。政治家なら本当の福祉国家を目指して奮闘して貰いたい。小さい政府、費用のかからない政府も福祉国家には必要だが、受ける国民の便益を忘れて貰っては元も子もない話なのだ。暗黒の幕末を切り開き、坂本龍馬たちの求めてきた理想を今一度思い起こそうではないか。
Apr 26, 2011
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本日もNHKの参院予算委員会で「原発の罪」について議論されている。過度のエネルギー利用について、季節外の「旬の野菜」のハウス栽培がその最も問題の事例である、との表彰論文を基にした、民主党の質問に政府はタジタジの返答をしている。しかし、これは農業の多角的経営法の一手段が「エネルギー活用法」として、悪しき手段のひとつに、いわば、替え玉リンチされたように思う。「電力」が「危険なエネルギー」として、派生農業を切り捨てるなどの「思考法」は危険である。日本は火山国であり、東北地方は高い地熱を地中に秘めているのは周知ではないか。「発電」だけを見つめているのは電力会社だけでいい。地熱の有効利用をもっと深く思考すれば、その熱を温水に熱交換したり、空気を熱交換することにより、上記ハウス栽培法などを政府指導で薦めることができないか。温泉水送水などには特殊な導管が必要であり、熱交換にも工夫がいるであろうが、今の日本の技術水準で十分に対応できるはずである。電力供給は電線を引くことであらゆる地域へ送電することができるが、地熱利用は局地的とならざるを得ないが、危機管理についても局地的対応ですむ簡易さもある。かつて、例として鰻の養殖に、温泉の熱を熱交換により真水を利用した養殖システムを形成した、大分県の鰻などの養殖法を紹介した。農業、漁業などの一次産業に、火山や地熱などを利用した自然エネルギーの「熱交換方式」を、地震大国日本は先駆者として導入することに、取り組むべき時である。草津温泉などの地区は旅館も大切だが、温泉エネルギーを利用したハウス栽培農業や、アワビなどの養殖漁業などに進出する余地を模索すべきであろう。中国などからの観光客が途絶えて悩むばかりでは前に進めないのだ。菅首相はもっと目を具体的な未来に開いて貰いたい。
Apr 25, 2011
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昔、中国の皇帝は北からの蛮族の襲来を防ぐため万里の長城を建設した。とても、東北のリアス式海岸すべてを封鎖する堤防は建設不可能であるが、既存の原子力発電所を守るべき巨大な城壁(高さ40メートル)の建設は可能ではないのか。安全を最優先にすると、景観を損ねることとなるのは致し方のないことであろう。この城の中では、自己完結型の冷却循環装置、火力発電所、海水力発電所などを装備する。現有の廃炉となる原発も、継続原発も類似した原発巨城化という囲い込みの中で「超長期の安全を追求」していく。また、住民の居住地は、「ノーモア広島」の現地である広島県の先例に倣い、山を台形に削ることで高地を形成し、ここも城砦化し、農業、漁業、工業地域は中層域に建設し、そこからの居住地への脱出は迅速に可能な螺旋道路を建設する。(現在の20キロ圏内や、飛び出した放射能の高い圏内の土壌は広島の復興の事例に倣い、深い埋め立てに使用する。また、各世帯に格安なガイガーカウンターを防災用品として支給し、事後の放射能を警戒する。)リアス式からの脱皮として、津波の影響を逃がす流水池を設ける等工夫をする。このような建設は私有地があると計画できないため、現在の浸水地は国が買い取り、防災計画地域の山野なども国が買い取る。国の買取は「津波土地等買取債権」で行い、証券化できるように国が保証することで行う。消費増税などの姑息な手段はやめた方がよい。自分を自分で保証する行為であるが、経済復興に伴う税収効果を期待すれば、超長期には収支はとれ、また、現在の外貨準備が高いうちにはなんとか内外の支援も見込め、国の対面を保ちうるのではなかろうか。・・・余震の続く中での「夢うつつ」であった。
Apr 17, 2011
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「君子豹変」、「朝令暮改」、「泥縄」などと、考え方の変更のありかたを示す言葉が日本語にある。今回の地震では、循環冷却システムが完全に破壊されて、原発のメルトダウンを防ぐために、緊急放水を行ってきたが、冷却しているうちに原子炉の中から非常に高い放射能を含んだ汚染水が漏れているのが見つかった。いままでは、冷却に焦点が合わされてきたが、これからはこの高い汚染水への対策が最優先となる。この高い汚染水を最優先に囲い込むために、いままで貯水槽にため込んできた「低レベル汚染水」を玉突きのように海に捨てざるを得ないようだ。いままでは、そのレベルは「基準値外レベル」であったのに、なぜ今になって東電側は「低レベル」というのだろう。「超高レベル」に比べると確かに「低レベル」ではあるが、危ないのはやはり危ないのではないのか。状況が緊急のゾーンに入ったので法的な強制力を持たせるための段階的措置のような説明が東電側などから聞こえる。専門家は半減期の短い「ヨウ素」についてしきりと「安全レベル」と言うが、他の半減期の長い元素は次々と生物に取り込まれていく(圧縮される)のが自然の摂理であろう。海の汚染はできるだけ短期で終わって欲しいし、元凶の「超高レベル」の抑制策を早急に解明して貰いたい。今回の態度の急変が「朝令暮改」や「泥縄」ではなく、凡人には見えないが、明るい将来を見据えた上での「君子豹変」であって欲しいものだ。原発の余震(行方)の方が、脳幹梗塞リハビリ中の身には、頻発余震よりも恐ろしい危険に思えてならない。これを防いだ人達はおそらくは次のノーベル賞候補ではないだろうか。孫さんは100億円余の寄付をした偉い人だが、さらに世界の友人にこの危機を訴えて一緒に解決策を見いだして欲しい。
Apr 4, 2011
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今回東北に巨大地震が発生して、貴重な人的資源、社会資本、自然環境などを一瞬にして破壊してしまった。付随して、我が国の重要なエネルギー発生機関である原発を著しく損傷して、放射能を空に、海に垂れ流している。世界が2012年の、マヤ暦の予言で人類終焉の危機に怯えている時に起こった出来事であり、世界が日本の再起を見守っている。かつて、米国の不況を脱却すべく、ニューディール計画が実行されたが、現在のデフレ、円高などの背景を見れば、(各国の協調体制のもとで)日本政府は巨大な財政投融資により震災復興へ社会資本投資、産業復興投資、高層住宅投資、防潮堰堤公園投資などを日本銀行の国債引き受け(紙幣発行)で行うことを目指すべきだと思う。もたもたしている場合ではなく、荒療治が必要だ。この際に、国も民も一致して荒療治に参加する覚悟が必要だ。原発から放射能を含んだ排水が、非常時の冷却放水も手伝って、地震による割れ目から海に流出しているが、割れ目を防ぐ小手先の手段よりも、フロート船に排水を繋ぐとか、より長期的視点が必要であろう。放射能はヨウ素の危険が取りざたされているが、骨などに蓄積されて半減期のはるかに長い他の元素がもっとも問題であろう。エネルギー政策は原発が危険なら、改めて水力ダム開発を再開する余地はおおきい。震災復興に加えて、水力ダム開発投資を行うならば、失業対策にもなる。わが国が財政負担に耐えられないというのは、おかしいのだ。日本は対外資本(対弗)を随分貯め込んでいるので、今こそそれを資金化させて貰うべきなのだ。円はかつては、対弗換算360円であったのが、今は70~80円と高止まりにあり、もっと低くてもいいのである。この震災で行方不明の人が沢山いるが、もし、国民全員がDNA登録を行い、総番号制を布いていたら、判別がより容易となったと思う。災害地や原発の状況を衛星写真で見ると、手に取るように判る。あの遠いチリの地震に学んで災害対策が採られたと言うが、直ぐ沖で起こった地震はもっと巨大であったなんて、これを想定、想定外というとは、科学者レベルの判断か?もっと科学的知識を政治に持ち込むことのできる有能な政治家の誕生を期待したい。学歴だけが人文科学を学んだだけで政治に持ち込めない政治家が多すぎないかと思う。
Apr 3, 2011
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「東北関東大震災」で巨大な破壊と大津波が起こった!いまも毎日のように大きな揺れを感じている。毎日のように、衛星等からの福島原発への復旧への挑戦を眺めている。石油関連だけでなく生活物資の品不足が連鎖的に発生している。BS報道では世界が日本の原発の放射能を持ち込まぬように制限を始めたように見える。正確な情報と知識が必要になった。あまり知識のない小生などが日記以外では書くべきではない。しかし、なぜ今頃に、チリ地震の教訓などが持ち出されるのか。はるかに、はるかに離れたチリの地震でなく、すぐ沖で発生した地震なのだから「想定」を「チリ」に準じていては「想定外」となる。小さな漁村では、「山」に逃げる他はないとの「過去の経験」から直ぐ裏山への「退避訓練」と「最短退避回路探索」に努めて、ただ一人の犠牲者しかださなかったという。不足電力の確保に「原発」を活路に求めてきた「即物代替姿勢」は、この教訓から、元の水力、風力、地熱、海水力などの自然エネルギーへの回帰に移っていこう。皮肉にも、まだまだ、水力資源は工事休止中の八ッ場ダムの再開などでえられるのだ。レアメタルも都会のゴミの山を採掘すれば巨大な鉱石が眠っている。単一の短期経済効率ではない、自然に優しい永久防災効率でみて、物事を考えようと思う。快楽を求める世界征覇意欲はローマをも滅ぼした事実がある。日本には大企業から中小・零細企業にいたるまで素晴らしい技術・ノウハウなどを蓄積・開発してきている。地球と軌道を交差した小惑星「いとかわ」から組成物質を持ち帰ってきた「はやぶさ」を造った日本人の英知を世界に示して貰いたい。科学は進んでいるが、それを自然との調和に優先順位をあたえて、生き抜く才能を人類がもっていると考えたい。脳梗塞の自分にはできなくても、みんなが考えてくれると思い、また、すこし休みたい。
Mar 23, 2011
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