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一昨日、旧友から突然に電話をもらいました。大学時代の親しき友人で、現在は鹿児島在住。毎年、年始の賀状と電話でのやりとりはあっても、すでに25年近く会っていない懐かしい友人。しかし、電話口での彼の声は時の隔たりを全く感じさせることなく、又私の声も相手には変わっていなかったようで、二人はすぐにあの時代の友として蘇ります。互いにしばし、久し振りの喜びの会話を交わしながら、その友人がわざわざ電話を掛けてきた趣旨というのは、彼と私に互いに共通の、もう一人の友の事でした。私と電話口のKさん。そしてもう一人の友KW君。過ぎしかの時代、その時代の友人のなかでも、唯一、今でも清清しい程の友情的感覚で私の記憶と心に、かけがえなく大切な心の財産として残っている彼ら。私とこの日電話してきたKさん、そしてKW君とは、大学時代の親友なのです。両人とも私より1期後輩でしたが、Kさんは年齢的には私より二つ上でした。私と知り合う前にすでに友人同士だったKさんとKW君。その二人と1期先輩であった私が、いつどの様なきっかけで学内に出逢い、互いに親しく付き合うようになったのか記憶はおぼつかないのに、学生時代に過ごしたこの間の「友」としての想い出は、私の心にとてつもなく大切なひとつの財産として、年月は過ぎ行くとも、決して消えることのない存在なのです。そのKさんは、風貌も性格も、実直で素朴感漂う、まさに誠実でいっぱいの人でした。風呂もない互いの安アパートはすぐ近くで、Kさんは、何故か私を慕って度々私に声を掛けてくれました。当時、飾らない気質のKさんにあって私になかったのは、大人の部分であったような気がします。考えも落ち着いて大人なKさんに比べて私はというと、今振り返っても情けないかな、当時は特にまだまだ対人への接し方が下手で、どちらかというと自分の世界に埋没する傾向も多少相俟って、時にぞんざいなKさんへの接し方もしながら身勝手な部分も多々会ったような気がします。その様な私に、Kさんは私との付き合いを投げ出すこともせず、相変わらず、なんだかんだと、私のところへやってきたものです。今思えば、いつも私をフォローしていてくれたような気がします。しかも、さりげなく気を使う人でした。実は私の未熟さゆえ、彼女との付き合いが危うくなりかけた時も、私を押しとどめてくれた恩人でもあります。ある年の正月こんなことがありました。帰省する金もなく食うものもなく、寒々とした汚い四畳半で意気消沈していた私に、同様にその年、貧乏生活のなか帰省せずにいた彼が声を掛けてくれ、せめてもの正月だからと、どこで仕入れてきたのか一匹の鯛を焼いてくれたのです。私達は彼の部屋で真半分したその焼けた鯛と炊いてくれたご飯とで最良の正月気分を味わったのです。すでにKさんと親友だったKW君は、いまでいうイケ面。仕草も行動もスマートで明るくて爽やかさ溢れる好印象な若者でした。KW君とはKさんとの出会いがあった後、彼の紹介で知り合ったような気がします。今思うと、そのKW君の、Kさんも私も持ち合わせ得ない彼の爽やかさを本当の弟のように間におきながら、絶妙な友情の間合いを大人であるKさんは取り持ちながら、先輩とはいえ、未熟ながらの年下である私を有難くも立ててくれながら何となくの連帯感が出来上がっていたように思います。私がいうのもなんですが、三人に共通するのは誠実で純粋ななる部分だったと思えます。そして我々は、気の置けない友人としてしばらくの学生生活を楽しく付き合っていたのです。その我々は、三人とも学生時代に知り合った彼女と結婚してしまいました。私達三人は、その付き合い初めから互いの彼女を見てきていました。一番先に結婚したのはKW君。彼の卒業後間もなくの結婚式に、まだまだしっかりした職もままならない私に、結婚式に着るためのスーツを用意してくれたのが、当時付き合っていた私の妻殿です。その妻殿には、就職前の貧窮時には差し入れをよくしてもらいました。金も借りました。まだ返していません・・もう時効です。”^_^”この頃、妻殿には、すでに私との行く末に、悪い予感を持っていたに違いありません。”^_^”やがてほどなくKW君の次に私が郷里で式を挙げました。結婚式間際まで、・・この人でほんとにいいのかしら・・と迷っていたという妻殿は、これで完全に運のつき?泣いて別れないで・・と言ったという私・・そんな情けないことをいうわけがありません。きっと。といいつつもはや立証するすべもありません。当事者の私の記憶から完全にそのことは欠落しているのですから。またまた脱線してしまいました。私の余談はさておき、その私の結婚式。Kさんは就職した郷里でもある鹿児島から・・、準大手ゼネコンに就職したKW君は、やはり郷里の福山から、二人とも有難くも遠路駆けつけてくれました。そしてすぐ追いかけるようにあったKさんの結婚式には、同様に私もKW君も鹿児島まで行ったのです。言葉は語らずとも、自然に、この私達の縁は、離れていてもずっと互いに続く気がしました。その後、月日の流れる中、三組の夫婦が同時に会う機会はついになく、我が家へそれぞれの夫婦が一度来てくれただけになりました。会いたい気持ちのなか、互いに仕事に子育てに日々を送り、毎年の賀状にのみ各々の家族の成長を窺い知りながらの年月は過ぎて行ったのです。しかし、私は確信しながら今でも思うのです。それぞれの連れ合いをも含め三人とも、その流れる月日のなかで、決して友情的部分はそれぞれの心のなかを離れることはなかったことを。時に・・どうしているかな・・会ってみたいな・・と募る気持ちのなかで年月はあっという間に過ぎ去るものです。そして7、8年前になるでしょうか、ある日1枚のハガキが私の手元に届きました。KW君の奥さんからのものでした。KW君が突然に癌で他界したとの文面でした。脳腫瘍によるものだったようです。まだまだ先のあるなか若くして逝ってしまったKW君。訃報が届いたのは、気を使われたのか、すでに葬儀も済ませしばらく経っていたようです。私とKさんはすぐさま連絡をとり合い、KW君の奥さんの心情を計りつつKさんと私のその時の都合をみながら近い家にKW君の墓所にいこうということなりました。しかし、結果申し訳なくも、互いのタイミングを見失い、その後、思いと裏腹に月日をつい流したままになってしまいました。一昨日突然のKさんからの電話は、ひとしきり互いを懐かしみながら、この私達のかけがえのない友情的仲間である、KW君の事を彼が切り出すやいなや、私は直ぐに彼の言わんとすることを理解することができました。「○○さん、KW君のことですが、ずっと気になっていて・・近い内・・私はこの連休間に都合がつきますけど、どうですか?」「KW君の墓参りは、一人ではなく、やはり○○さんと行きたいとずっと思っていたんです・・」「もちろんこっちも同じですよ」と私は答えました。年月は過ぎ行くとも互いが持つ信頼できる心情。我々には、多くを語らずとも、胸の奥底が十分に感じ取れるのです。来月、私達は互いのスケジュールを調整し、念願であった、KW君が眠る岡山県津山市にある彼の墓所に行くことにしました。KW君の奥さんは九州の出身ですが、彼の亡くなった後も、彼の郷里に留まり、子供さんを育てられ、そのお子さんも無事成長されたとか・・今年も賀状にその成長を我々は知ります。あの時代のKW君と同じく、KW君の実在はすでに無くとも、互いに知ったKW君の奥さんも、まだ見ぬお子さんも・・Kさんと私、そして互いの奥さん同士の胸の内でも、夫達の変わりゆくことのなかった友情を暗黙の内に理解し、これまでと同様、残された家族は、引き続きKW君そのものとして存在し続けるでしょう。結婚前のKW君と奥さんが付き合っていた頃、束の間のデートの別れ。彼女が実家に帰る時、駅のプラットホームでもちろん若き私もKさんも、二人を祝福する気持ちで、KW君と共に見送ったものです。その時の彼と彼女の熱い互いの視線と笑顔を忘れる事はありません。そして私が持つ一枚の写真。私の結婚式に出席してくれたKW君とKさんは、式を終え新婚旅行に行く私達を自分達が帰るに合わせて途中まで列車に同席して見送ってくれたのです。下関ではKW君、福岡ではKさん。互いに別れるまでの、車内では、当事者の私達夫婦と彼らとの語らいは実にハッピーな雰囲気でした。その日、列車を待つ萩の古い駅舎の前での、私と妻とKW君の三人の笑顔は、今でもその1枚の写真に残っています。Kさんは?その笑顔の視点はKさんのもの。若き日の目いっぱいの幸せな四人の日でした。今回、Kさんと会ったら交わす話は溢れるほどに・・少しは当時より大人になった私が返せる部分としての精一杯の心で、これからもKW君の分までの友情を持ってKさんとも、此の先の人生を、互いの家族をみやりながら大切にしていこうと思うのです。
2006年04月29日
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今日も美味しい手作り弁当食べてですね・・・・今、私は社員に背中向けて、コンポのボリューム小さくして、「永ちゃん」聴いてるんです。あくまで音楽は趣味の世界ですからひんしゅくかわないように・・遠慮しながら・・時々私、このままうとうと居眠りしてしまうこともあるんです。内緒ですよ。椅子に深く腰掛けて考え事している振りしているんですが、たまに自分のいびきでふと我に返ったりして気づかれるんですね。"^_^"で、いつものどんまい どんまい。今日も良い天気です。平和です。(^^♪
2006年04月27日
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いやぁ~、今日は、ぽかぽかの実に春らしい、のだかなお天気でしたね。お昼のお弁当は、一豊の妻?が作ってくれた「特製筍ごはん」。美味しかったですよ~。皆さんにお見せできないのが残念。(^^)そして、満腹後、つい駐車場の屋上の車のなかで気持ちよく昼寝をしてしまいました。平和だな~~(^^♪ところで、昨日、なにかしら芸術的に自己表現できる人を素晴らしく思う、と申しました。歌が上手だったり、ピアノが弾けたり、良い焼き物を作ったり、心に残る曲や、映画を残せたり・・いいものを形にできるっていいことです。それが専門的職業であっても趣味の世界でも、その胸の内にある「いいものに」対する思いの傾向が強いほど、「芸術は爆発だ!」と、沸々なる思いの感性を形として出せぬ、なんとなくない物ねだり的心のジレンマを、凡人である私が持つのも事実。私は、不動産の仕事していながら、自身が不動産を所有することに興味はありません。まっ、その元となるものも、才覚もありませんが。ないから、言えるというのでは毛頭なく、仮にいくらお金を持っていようと、不動産はせいぜい自己居住用だけで十分だと思います。あんな重たくて大きいビルを持ったりしてどうするの?短い人生では、考えただけで不自由極まりない。例え持つとしても不自由さのない程度がいいですね。といいながら、私、お客さんに不動産売っているのですから・・私は・・ということですね。(^^)とにかく必要以上に余計なものは自分がそれによって束縛されるような気がするのです。人生余分な足かせはまっぴら。ましてや子供達にも、自分の人生を親によっての固定化させたくはありません。貧乏性なのか、必要以上なものを所有すると、何故かしら人生を固定される恐怖感というものが漠然とあります。私は、死ぬまで自由人でいたいという気がします。ただ、食わなければいけないので、その手段として、いまでは、天職のような現職業に従事しているだけ。といっても、今の仕事に縁をいただいたことに、振り返って返す返すも感謝しながら、これまで本当に天職!だと思っていたかと訊ねられれば、絶対とはいえませんが。紆余曲折してこの職に辿り着いたということは、私に適職として与えられに違いありません。運が良かったです。お蔭さまで、退職金もありませんが、定年もなく頑張れます。(^^)やはり頂戴したこの職で関わる方々に精一杯の援助をすることが私の使命と今心に強く思います。才能はないのに、漠然と何か芸術的自己表現というものに対して、憧れと欲求がどこかにあって、いいもので感動を人々に提供できる人には少しばかりの畏敬の念を持つのも事実。先程、物、あるいは金銭によって子供や家族を固定化したくないと言いましたが、例えば、これが、代々続く老舗のお店や、脈々と受け継がれる伝統的芸能の伝承等、「いいもの」である場合は、次の人生に多少の固定化もいいではないか、と自然な気持ちで思うのです。ようするに「物」でなくて「心」の部分。しかし、場合によっては、受け継ぐ方からすれば大変な「おしつけ」「固定」であるかもしれませんね。親の自己満足にすぎないこともあるでしょう。自然にその「価値感」が共有できたとき、初めて素晴らしい大切なものが継承されていくのでしょう。ところで、ブログ仲間で恵(ケイ)さん。お会いしたことないのですが、同じ北九州の隣人としていつもよくしていただいています。おまけに自身のサイトで、私の日記も北九州ブロガーリンク集に掲載していただいています。いろいろそのなかで分類されているのですが、なんと私は一応、お心遣いにより、「熟年?男性ブログ」に入っています。その内、いつか「老年」の部に分類されませんように・・”^_^”そして、この方のサイトでいつも癒されているのが、彼女が趣味とされている写真。いつも、いつもサイトをおじゃまさせてもらってホッと癒しをいただいています。で、やはり、思いを自己表現し、誰しも良いなと思えるものを形にできることを、素直に素敵だと、凡人の私は思うのです。カラオケ歌っては音痴、カメラ片手にナイスショット!しても今いち。こうなったら、ないものねだりの、思いの空回りは観念して、あの新庄のように、明るさと笑顔で自由人の最大最高人生をスキップしていこう。これはできるかもしれない。(^^)どんまいどんまい私の胸の内には、形として表現できないけれども、「いいもの」が分かる、信頼に足る自分自身が存在しているのだから。芸術は爆発だ! ぽかぽか陽気でついでに私の頭の中も爆発だ!(^^♪
2006年04月24日
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人気のないビル内は、まるで放課後の教室のように奇妙な落ち着きを醸し出しています。清掃の方も今日は、いつもの男性1人だけ。昼前に出社した私は、廊下で見かけ「ご苦労様!(^^♪」よく考えてみれば、この人、いつ休んでいるのだろう・・ところで、間近いGW、結局思い切って当社は30日~7日までの連続休暇としました。小さな会社はすぐに予定に結論がでます。で、零細企業もたまには長期休暇もいいでしょう。もちろん私は、完全休養とはいかずとも、日頃頑張っている社員さんには、せめてものリフレッシュを。社員にはやんわりと「きっちりと段取りと役目果たして・・そして、ゆっくり休んでよ・・(^^)」と一言。私も心に頭に、このGWは、思いっきりのオアシスに彷徨ってこようと思います。それまでは、仕事にちょいと精を出して・・一人事務所でリラックスして聴いているのはこの人↓のCD。私の推薦、日本最高!否、世界的にも素晴らしいジャズヴォーカリストです。伊藤君子さん・・聴いていると、なんかワインでも飲みたい気分になってきました。チャンスがあったら是非聴いてみてください。ワンダフルな世界が広がってきます。歌でも、写真でも絵画でも、はたまた、ひとつの笑顔でも、その才能や人となりでもって、人の心の琴線に語れることはとても素晴らしいでことですね。
2006年04月23日
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楽天仲間のsfpさんが、中島みゆきの曲のファンだということを聞いて少し嬉しくなりました。だって、中島みゆきは私の世代だと思っていましたから。彼女には数々の名曲があるのですが、良い曲というものは、世代を超えて長く愛されるものですね。あの時代のフォークの歌い手には、作り出された曲とともに、その人自身に素朴さと優しさ、人間としての内面の懐の深さを感じて、何故かこちらも心落ち着きます。今でも時々TV等で、その懐かしい人達が出ているのを見かけたりしますが、誰しも年輪というものがそうさせるのか、そのフォーク人の会話には、なんとなく人としての温もりと信頼感を持ち得てホッとします。中島みゆきさんは、昔から一見暗い曲調なのですが、しっかり人生を歌いこんでいます。ですからいつまでも心に残るのでしょうね。しかし、本人はいたってのほほん調。いい人間味です。現在はビールのCMに出ておられますね。もうひとつの雄、五輪真弓の曲も名曲が多いですよ。年月は人の心に厚みを増して、魅力的になる・・一皮も二皮も向け、そしてナチュラルに振舞う人って、とても素敵ですね。そう言えば、昔、アイドルで石野真子さんていました。実は恥ずかしながら、隠れファンだったんです。お恥ずかしい。”^_^”最近見るその彼女は、人生吹っ切れた雰囲気で、年月に彼女の人生が投影されていてとてもナチュラルな大人でいい雰囲気になりました。”^_^”私としては、最近の年月を経た彼女の方が余程魅力的に映ります。男も女もいい方に変化していきたいですね。さだまさし、南こうせつ、吉田拓郎、財津和夫、堀内孝雄、長渕 剛、亡くなった河島英吾・・・しかし、みんな永遠に若い心でいい人だ。すぐ友達になれそう。寺尾 聡・・渋いな~~ いい齢取ってる。????えっ?私?・・・あかんですわ”^_^”小生は。歳だけとって。トホホ。まあ、どんまい。どんまい。気を取り直して、さあ、今日は久し振りに中島みゆきの名曲でも聴いてみよう
2006年04月22日
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あるカーディーラーに立ち寄って来ました。この自動車メーカーは車種も少なく他メーカーに比べて販売網も極少なために、国内販売台数もそれほど多くはありません。しかし、元々企業原点が航空機メーカーだったこの会社は、あるレースにおいては世界に名を馳せる程。ものづくりスピリットというものが根幹にあり、いまもってそれを感じさせるとともにその色濃く反映された車造りのそのブランドを根強く支持する人達がいるのです。多くの営業拠点と営業人員、多車種多販売とはいかないかわりに、目立たないけれども限られた車種のどれもが、ひとつのスピリットを持って長く大切に造り続けられブランドが構築されています。会社のHPも見ましたが、誠実さも伝わってきます。この点、二輪から始まったH社とも似通ったものがあるかもしれません。常に先進の技術とデザインを含めた独創性が際立っていたH社。私も一時期その他社とはちょっと違った独自性にぞっこん惚れてH社の車を乗り継いだ時期がありました。付き合っていた販売店との距離感も非常に居心地良く、中堅規模ゆえ?の販売側と客側との距離感が私のとっては丁度よく、営業社員も整備マンも販売店も、いわゆるHイズムがなんとなく漂っている気がして、他社とは違うスマートさを感じたものです。しかしこのH社も、近頃は特に若者から支持されたその車自体、群を抜いていた個性的魅力は陰を潜め、今ではすっかり、他社メーカーとの差別化を感じなくなってしまったようで、私感として残念な気がするのです。最近は魅力的な車が少なくなってきたなと思いつつ、現在は別の会社の車を乗りながら、ふとあの頃の、H社ディーラーとの居心地の良い距離感を懐かしく思ったことや、中堅、中小メーカーが大きなところと差別化して、扱い品目と独自の良さで営業展開していく上でのヒント等を思い描いていたときに、最近新築移転したためF社のディーラーが急に私の目にも留まるようになったと同時に、これまで気にもしなかったF社の車種に、・・そう言えば、F社は独自性のある車種ばかりで、ある一定の客層を捉えている・・ということを思い浮かべたのです。この会社、車種は少ないのに、結構マニアに支持されているようだし、H社に無くなったスピリットも車の個性も際立って目立たないけれどいまだに脈々とあるようです。同時に、小さな販売店がやっていくには、扱われる車種もさることながら、巨艦T社やN社のような絶対的な売り手の強さがない代わりに、やはり顧客対応自体にもそれなりの良さがあるに違いない。電器屋でも菓子店でも、私は時々参考のために立ち寄り、そのような目で見てくるようにしています。今回も、車種も販売店も、これまで一度も覗いたことのないF社の車が急に気になって、目に付くようになったこのディーラーを、通りがかりに飛び込んでみたのです。で、気にして見ると、街中をF社の車は結構走っています。今回も別に車を買うわけでもなく、何か気になるとすぐ行って見て、その会社にいいとこあれば自分に社に是非参考に・・と思うのです。入口にまだ若い整備の子が二人。入るとカウンターの奥に営業らしき男の人が一人。受付には若い女性。ショールーム営業担当でした。のどかな雰囲気の販売店でした。「こんにちは(^^) ちょっと見せてください。」いつもの常套句で・・「買わないけどいいですか?(^^)」・・お~っ!車もまあまあじゃない・・客は私一人。ぴかぴかのショールームには、このF社の唯一メインの三車種が飾られていました。・・う~ん、たったこれだけだけど確かにブランド品・・それなりに魅力はあり。・・ショールームの女性は、見ている私に寄ってくるわけでもなく・・(決して怖いからではありませんよ"^_^")誰か男の営業か上司を呼ぶでもなくまあ最近はショールームでしつこい営業はどこもしないでしょうが。私にはこんのんびりした間合いが性に合います。一通り眺めて、「すみません、よかったらカタログいただけますか?」「買わないけど・・(^^)」彼女はにこやかにどうぞ、どうぞと言ってパンフレットスタンドのカタログを手に取り私にくれます。「有難うございます。じゃあ・・」と言う私に、「あの・・ショールーム担当の○○と申します。なにかありましたらどうぞ(^^)」と言って名刺をくれました。ローカルでのどかな印象のディーラーショールーム。特段新しい発見もF社の場合、車種からいってすでに購入目的を持って来るお客さんが多く、そう頻繁に来客がある要素はないと思うのですが、私には何となくそのローカル的な部分が合う気がしました。そのF社もいずれ、いやすでに?あの巨艦T社と業務提携。しかし、将来どのように経営は変貌していこうとも、これまで培ってきたこの会社のスピリットは続いて欲しいものです。きっとそう願っている多くのファンがいるでしょう。特段新しい発見もなかったけれど、敷居の低い、気楽に立ち寄れそうな雰囲気がありました。あの不祥事を起したダイアモンドマークの会社だって、独自のスピリットを持っていました。全社一丸再生のなか、是非再び、誇りを持って頑張って欲しいものです。魅力ある商品と魅力ある精一杯のおもてなしはきっと支持される独自部分を構築できるでしょう。そして私も、小さくとも、心に一つのスピリットと、誇れるブランドというものを持って生きたいと思います。
2006年04月21日
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久し振りの晴れ日に久し振りの女房殿との時間が取れ、午後から近くの日本有数カルスト台地である平尾台に行ってきました。ここは広大な敷地に自然公園があったりして市民の憩いの場になっています。でも、山口県出身の私には、秋吉台の方が、やはり馴染。石灰岩の群れのなかを少し歩き登ってみると、野焼きをしたばかりなのが分かりました。いずれこの一帯は目にも目映い程の新緑の風景に包まれるでしょう。行く途中、川を跨いで鯉が泳いでいました。この近辺は京都嵐山にも似た風情があるということで、地名も嵐山とついているのです。確か九州には、同様にこの季節になると、川面の頭上に両岸までを埋め尽くし、初夏の心地良い風に吹かれて、元気よくはためく鯉の風景で有名な場所がありましたね。帰り、途中にある地元酒造場内で、いつもの地下水を汲みます。汲むというより、コインを投入して蛇口から勢いよくでる水をポリタンクに受けるのです。なんと100円で20リットル分です。10リットルタンク×2おまけで、あと2リットルペットボトル3つ分位は大丈夫。(^^)とても経済的に新鮮な水が手に入るのです。
2006年04月17日
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「福岡よびりん学校」四期(全6コース)5回目に参加してきました。今期、私は二回目の参加。講義会場であるよびりんさんの社長室ドアをノックし、開けたドアの向こう、三カ月振りに再会の馴染の皆さんとはすぐに満面の笑顔で対面、雨模様の外に比べ、室内には笑い声と明るさが満々としていました。私は二期、三期と全コースを二回学ばさせていただきながら、いまだにこうして機会あるごとに参加させていただいています。その訳は、毎度、真理に導かれながらも、決して終わることのない学びを受けることができるからなのです。会社における社長も、人生における個人も、家庭における夫婦も、ある意味での経営者。その、「事業」も「人生」も「家庭」も、それらを営む上で、人皆平等の上での成功法則というものがあります。昨日においても、これまで実に多くの学びと気付きをいただきながらもなお、またこれまで以上に新鮮で深遠なる講義を受けることができました。此処に実際に参加したものでしかなかなかわからない充実した勉強の内容なのです。なかなかその、楽しく、しかし深い学びの臨場感をお伝えできない自身の未熟さ故の歯がゆさもあるなかで、いつかどなたかにも、この最高の学びのご縁があればな、と実感する次第です。14時から18時過ぎまで講義、そしてその後は、定例の居酒屋に移っての笑いの中でのヒントいっぱいの愉しき談笑。夜遅く高速バスで福岡から帰りながら、とてもとても充足した時間を過ごさせていただきました。よびりんさん、皆さん、素晴らしい時を有難うございました。Sfpさん パワールックMIWAKOさん タカさん マキさん ワインレッド2001さん 男はつらいよさんいつも仲良い歯科医師ご夫婦さん 会社が終わって隣町からわざわざJRで二次会に駆けつけてくれた鍛冶屋さん電話で参加のきらりんさん皆さんに感謝。追記毎度楽しくて、つい年甲斐もなくはしゃぎ過ぎてしまい、皆さんには多々迷惑かけているかも・・と自己嫌悪。"^_^"でも本当に心よりリラックスさせていただいています。再度皆さんに心より有難うを。(^^)
2006年04月16日
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生憎の雨模様ですが、本日は北九州の楽天仲間と共に、正午過ぎの高速バスで福岡へ。よびりん学校で学んでくるのです。昼から夜までの超愉しい最高の学びの場。そして、よびりんさんをはじめ、馴染みの皆さんとは三カ月振りにお会いします。
2006年04月15日
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今日は一日肌寒かったですね。私は飽きもせず、GWに今年もまた阿蘇行きを予約してしまいました。いい加減にどこか他の処をと女房殿はいうのですが、近場で手っ取り早く、しかも開放感にどっぷりと浸かれる良さが此処にはあるのです。宿泊は同じような所でも、気ままに行くその都度の道すがら、様々に愉しめる風景が、そこ此処に待っています。大好きな牛さんにも出会えます。牛さんと言えば、この日記タイトルの下に寝そべっている牛。この牛が、ウインクならぬ、瞬きをしているのをご存知でしたか?するんですね、これが。この瞬きと出逢った貴方には不幸が・・否、とんでもない。きっと幸せが訪れることでしょう。しかし、なんか気色悪い感じもしますね。”^_^”ちょっと、そこの貴方、今目を逸らしましたね。失礼じゃあないですか。(^^♪でもなんとなく、皆さんと目が合って嬉し恥ずしそうな牛さん。なんか少々照れてきたな・・・・私が照れてどうするの?(^^)鮮やかな緑、彼方まで広がる青空と地平線の白い雲、のんびり寝そべる牛。私はデパートに30分も居ることができないのに、山や海を眺めて1日中でもぼ~っとしていれます。そして、この様に気ままに初夏の高原を行くのが、私のささやかな恒例の愉しみになっているのです。
2006年04月14日
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私の日々の昼食は、女房殿が作ってくれる持参の弁当です。お味噌汁はインスタントですが、10袋入ったお徳用。無くなる頃には、朝出掛けに弁当と一緒に補充してくれます。その味噌汁、いろいろ試しましたが、味はやはり○○園の「あさげ」が一番。赤出汁の「ひるげ」も好きなのであるが、いずれにしても○○園のものは、おそらくこの分野ではオンリーワン商品。で、この味噌汁、味噌をチューブから出すとき、必ず最後まで上手く搾り出せません。やや性急でおっちょこちょいな私にとっては、あのコンビニのおにぎりを、巻いた海苔を破らずに上手く取り出すのと同じくらいに難しく思えるのです。3回に1回は、搾り出す最後のところで、摘んだ指に味噌がついたり、ピッ!とワイシャツに飛んだりするのです。片側から切り裂いていくと切り裂いた側は完全に取れず、必ず端が残ってしまうのです。当然といえば当然。切り口が本体と離れる最後のところでは、引っ張る力が片寄るため引きちぎれないのです。ちょっと落ち着いて工夫してみればいいのでしょうが、面倒くさがり屋の私は、つい毎度同じ事を繰り返しています。味噌を最後まで搾り出すことができず、中途半端にぶらり残ってしまった切り口の端に搾り出す味噌が当って大半が残ったりして・・しかし、皆さん聞いてください。昨日、私はあることに気がついたのです。その味噌汁のチューブの端の切り口は両端にあります。毎日やっていて、両端に切込みがあること自体気がつかなかったのですが、これはどちらかでも開けることができるということになっていると同時に、実は別の意味合いがあったのではと。搾り出すときに、先ず片方の切り口を半分まで切り裂いてから、今度はもう片方の切り口から引っ張り裂いていく。すると見事に切り取った部分は本体からきれいに取れるではないですか。(^^♪いや~私にとっては大発見。(^^)えっ?皆さん知っていました?そんなことより、はさみでカットすればまだ面倒なく上手くいきますね。私は菓子袋でも、考えなしに切り口からばりばりに破く癖があり、「残ったものを保存できないから、鋏で横にきれいに切りなさい」と女房殿によく注意されます。注意深いところもありながら、全く考えていない程に大雑把でいい加減なところも多々持ち合わせているようです。ある夏の日には、いろいろ考え事しながら自宅を出て昼に気がつくと、手に持ったスーツの上着が下と全く違って大いに恥ずかしい思いをしたことがありました。情けない限りであります。”^_^”そんな私の楽しみな時間。美味しい○○園の「あさげ」とお弁当の昼食タイムは、月曜日から金曜日まで続きます。しかし土曜日はなし。女房殿には、「毎日は大変だから、土曜日位は休ませてあげる」といいつつ、実は、この日はコンビニや近くでの楽しみなフリーランチ。(^^) 以前はきちっと洗って持って帰っていた弁当箱ですが、移転して、少し離れた場所にある共同の炊事場になったものですから、今はしていません。味噌汁もお椀を汚しては事務員さんに申し訳ないので、カップを持参。食後は蓋をして袋に入れ持ち帰ります。そのカップを収めるミッフィーの袋。なかなかいいでしょう。(^^)決してミッフィーが好きというわけではありません。
2006年04月13日
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のんびりと桜を愛でる余裕もなく、しかしある種いつものマイペースで過ごしておりましたが、気がつけばすっかり日記もご無沙汰。現在、仕事中断、コーヒータイムに書いています。このところ仕事においては、いろんな方から何かと受ける相談事も多く、少しばかり慌しくしていました。内容の大小に関わらず、声を掛けていただけるということは実に有難いことです。常々、仕事上での姿勢も生き方も、田舎町の駐在所のおまわりさん、診療所の赤ひげさん、分校の先生・・の様でありたいと思っています。先生と言えば、最近事件等でインタビューを受ける最近の校長さんが実に頼りなく感じるのは私だけでしょうか。話は飛躍して、受験会場で気勢を上げる生徒と先生、そして親にも違和感を覚えます。その点、例えば過疎の町の素朴な先生と素直な子供達の笑顔にホッとするのです。生き生きと心の通った交わり。逆に世における未来への希望と、人としての大切なものが続いていくようで安心します。人生を長くやっていれば、人も仕事もいろいろあるけれど、やはりこの「ホッ」とする人や事に出会えることも多々あるからいいんですね。人生棄てたもんじゃないと元気も勇気も湧いてくるというものです。で、今週末は、私は久し振りに福岡よびりん学校に参加するのです。一昨年にコースを修了、翌年には続けて志願の留年。ここでの学びでは、実に多くの気づきを自分自身にもたらしてくれるのです。で、今尚も顔を出したくなるんです。(^^)よびりんさんをはじめ、ここでの皆さんとの交わりは私にとって、実に「ホッ」とする空間なのです。波長が合うと言うか・・人間には自分に合った縁というものが必ずあるものです。これからも良き縁をいただくように日々自分を信じて前向きに。ではまたこれから仕事復帰です。(^^)
2006年04月11日
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私が通った小学校は、体育館だけが鉄筋に変わってしまったけれど、今も当時のまま、古く懐かしい木造姿で残っています。2階建てのその校舎は4棟あり、その棟と棟の間には、当時コンクリート造りの貯水槽がありました。いつも防火のために水がいっぱい張られていました。ある時その時、私は三、四年生くらいでしたでしょうか。その頃、掃除には貯水槽の水を使っていました。持ち回りで各自各担当箇所を掃除するのですが、その時の私は、まずブリキのバケツを持ち、拭掃除のためのその貯水槽の水を汲み上げることになっていたようです。記憶はこれから発生したことだけが鮮明に残っているのです。厚みのある、そのざらついたコンクリート製の貯水槽は、横幅約2M50、奥行き1M50、高さ90センチ位。といってもこの数字は記憶のなかのもの、当時は当然小学低学年だから、結構大きかった印象があります。何時頃に行われた掃除だかわからないけれど、近くや木製踏み板のある渡り廊下にも、友達がワイワイガヤガヤたむろしていました。私は、その貯水槽に近づくと、貯水槽の縁を左手で支え、やや上半身を乗り出し気味にしながらブリキ製のバケツ(よくお寺においてあるやつ)を勢いよく遠く、そして深く沈めようとしたのです。何故かって、もちろん一度にできるだけバケツにいっぱいの水を汲もうとしたのです。しかし、がばっ!と水面に手ごたえがあって引き上げようとした瞬間、水のなかに沈んだバケツは水面を上がらずに、含んだ水の重みに私のか弱き体は引っ張られ、次の瞬間私の身体は貯水槽の中に頭からひっくり返って沈んでしまったのです。おそらく、マグロ漁で、釣った相手の力に負かされて引っ張られた・・そんな感じかもしれません。私は慌てましたね~~実際、何が起こったやらすぐに解りませんでした。貯水槽のなかで溺れた私は、バタバタともがきながら、そしてすこしばかり泳ぎながら(私は実は当時かなづち)なんとか体勢を持ち直しながら、慌てて貯水槽から這い出したのです。水も少し飲んだようでした。集まってきた周りの同級生はびっくりしていました。笑うものもいて。この日の珍事件。恥ずかしかったですね。だって、頭からつま先までびしょ濡れ、水を含んで重たくなった服のままの姿。そして最も恥ずかしく情けなかったのは、その私を取り巻いた皆の中に、病院の娘の○○ちゃん、薬局の娘の○ちゃん、もう一人の病院の娘である○○ちゃんがいたんですから。皆、可愛い子ちゃんでした。三人は、私が好きだった子達なんです。自分の机の引き出しの裏側に、彼女達の名前なんか書いちゃったりして・・”^_^”遊びで野球するときなんか、バッターボックスに立つと、ホームベースをバットの頭でトントンと5回打つんです。いわゆるジンクス。5という数字は、薬局屋の娘Oさんの席番号。ながらくそのジンクスをいろんなケースで使っていました。(^^)気が多くて、当時、結構あの子もこの子も好きになっていた私。ほのかな感じで・・ただ、誰も相手は私の思いを知らない・・これが私の恋の真骨頂・・!?と、まあ、本当に子供心になんとも情けなくて恥ずかしい事件だったのですから。”^_^”その後も、少し気取りながらも裏腹にちっとも格好良くはいかなかった私です。トホホ。懐かしいあの頃の変なお話でした。今も変わらない校舎です。↓我が母校
2006年04月04日
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土曜日の昼。近くのコンビニ行くために、人気のないテナントビルの入口ドアに手をかけ半身外に出たところで、道路を隔てた向こうに立っている女性が目に留まりました。その女性は、横長で少し大きめののダンボール箱を両手に抱えていました。そのままこちら側にやってくる風なのが、私にはすぐに解りました。私は外扉の取っ手に手を掛け、少しドアを開いたまま待ちます。1台の車をやり過ごし、その小柄な中年女性は道路を渡りこちらに近づいて来ました。歩き出した道路半ばで、私と彼女は目が合いました。そして彼女が道路を渡り切ったところで、私はドアをぐっと開き、「どうぞ(^^)」というように顔で頷いたのです。相手は少しびっくりしたような、しかしすぐに理解し、「すみません」と言って恐縮。相手が外ドアを入ったところで、私は、今度は咄嗟に身体を入れ替え内ドアを開いてあげました。もう一度彼女は、自分の背中越しに「すみませ~ん」と言いました。私は結局一言も言葉を出すことはありませんでしたが、顔で少しにこやかに、そして少し頷いただけで、互いのほんのわずかな、しかし心地よいコミュニケーションができたようで、とてもいい気分になることができました。事が終わり、そのままコンビニに歩を進めながら、{・・・おっ!"^_^"俺も今日は格好いいな・・(^^)」と、つい自分でほくそ笑んでしまいました。日常には、ほんの些細な出来事で、いい気分になることってあるものです。日々、そのほんの少しの『事』を大切にしていきたいものです。
2006年04月02日
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いよいよ4月突入ですね。今朝、私が住んでいるマンションの側道の桜並木の花びらは綺麗に咲いていました。今朝一番で、転勤される方の立会いをしてきたのですが、すっかり家財の取り払われた部屋の鍵を閉め、別れの段になると、3、4年の短期間のお付き合いであったとしても、やはりいくばくかの感慨を持ちます。私が住むマンションには同様に、当社が管理しているお部屋が数件あり、全て法人様契約をいただいています。何かトラブルがあればすぐに行ける距離。しかし、御契約いただくまでに、「私も住んでいる品のあるマンションです」とは決して言いません。変な社長が住んでいるマンションと分かれば、断られるかもしれませんから。”^_^”ところで私の日記を読んでいただいているファン?の方から、是非、私の「あの頃もなんか変だった・・」シリーズを続けて欲しいとメールをいただきました。私は普段は結構真面目なんです。やや堅物すぎるきらいはありますが。ややいたずらが好きなだけ。で、その方には、「私はお笑い芸人ではないんだから・・」と返事しておきました。私ははっきり言って、よくも悪くも正直者?で、直線的な生き方が信条?。外見はともかく内面は『二の線』?です。まるで健さんと同じだ・・と自分では思っています。健さんと言えば、健さんと一緒にしてみたいことがあります。北海道の寒々としたオホーツクの海を眺めながら、海岸を走るローカル線に乗ってみたいなと思うのです。向かい合わせで。互いに喋らなくても、全く気を使わなくて、黙ったままでも、なんか気が通じてほっとして・・実に幸せな気分でおれるかもしれません。注意:決して私は変な趣味はありません。念の為。又別には、小百合さんも同じようでいいかもしれません。やはり互いに黙っていても、温もりのなかでゆるやかに時は流れていくことでしょう。でもしかし、考えたらちょっとまずいかも。小百合さんの場合、やっぱ緊張しそう。(^^)いずれにしても波長が合うような・・叶姉妹は遠慮いたします。鈍行列車の、私の前の席に、二人が座っていたとすれば・・・考えただけで、気絶してしまいます。もしくは、嬉し恥ずかし虚ろな状態で、車窓の向こうのオホーツクを見る振りをして、眼だけは意に反した生理的現象によって、目蓋の左側におのずと移動し胸元を見ているかもしれません。"^_^"いずれにしても、結構真面目に人生捉えなら、しかし、またまた自分のなかでムクムクと『三の線』が湧き出してくるのです。時々自分で日記書きながら、あるいは運転中に面白いことが思い浮かぶと、自ら吹き出してしまう場合があります。本当に変かもしれません。健さんがブログ書きながら、にやにやしている姿を思い浮かべてください。やっぱりなんか変?(^^)ところで言っておきますが、普段はばか言っている私も、それなりの苦難を乗り越えてきているのですよ。まあしかし、性根がないというか、人生、土俵を割っているときも、心で泣きながら外面はこんな調子でしたから。人生いろいろ山あり谷あり実際は山→谷→谷→谷→山・・てなこともありますが、決してめげてはいけません。今は苦難でも人は次の世も次の世も続くなかで判断され、天は必ず真実を見ていると思えば、今一時で一喜一憂することもありませんし、自分だけ割りに合わない損な人生、境遇だとめげる事もありません。さて、「あの頃もなんか変だった・・」シリーズ、マニアックなファンが一人居て、なんか俄然やる気になってきました。といっても大した事件はないんです。真面目?な人間ほどこけたら滑稽、というやつです。ところで今日は4月1日・・・本日の日記は適当に読み流してくださいね。(^^♪とりとめのない話をすみません。独り言・・気のせいか、最近ネットでのお客さんからの問い合わせが減ったような・・ひょっとしたら、アホなことばかり言っているせいかもしれませんね。トホホどんまい どんまい “^_^”
2006年04月01日
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