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私の行きつけの美容室との付き合いは、もうかれこれ15、6年になります・・。すみません、"^_^" 私が美容室へ行くわけがありません。今の若者は美容室へ行く人も多いらしいですが、女性客のなかに混じってよくやるな、という気がします。私にとっては、社交ダンスと同様、絶対!できません。その様な場に、居る事を想像しただけでマジ失神しそうです。で、行き付けの散髪屋、理髪店。この店主は、私より年齢はずっと下なのですが、独立前の会社での営業マン時代に、現在の店舗地を購入いただいたお客さんでもあるのです。将来のためにとりあえず購入していただいて、当時は門司にお店がありました。そして私は、それが縁で小倉からわざわざ門司まで散髪に行くようになったのです。この店、一応予約制ですが、これがちっとも当てにならない予約制で、予約時間帯に割り込み客(といっても馴染み客)が入れば、せっかく行っても、順番がずれこんで、結局たかだか散髪するのに、二時間も、三時間もかかったりもするのです。しかも、全くの愛想なし。しかし、人と面倒見はよくて、ちょっと悪がきの高校生達も、卒業して社会人となって離れても、また相変わらずやってくる雰囲気があるのです。四、五年前にやっと、当時購入してもらった土地に店舗を構え、小倉南区へ移転したのですが、私は相変わらず、それからも自宅とは反対方向へ足を運んでいるのです。この散髪には余裕の四時間はみておくのです。自分でいうのもなんですが、結構律儀な私なのです。しかし、私にとっては、リラックスの癒しの時間でもあるのです。こちらも全く気を使わなくて良いし、適度の話の間合いが、結構寛げるのです。考えようによっては、足湯に浸かってほっとしているようなものです。そして、ここでの楽しみは、散髪中でのコーヒータイム。挽いてくれたコーヒーとその横にトレイに乗って出される二つのチョコ。(^^♪大体夕方は腹減っているし、美味しいんです。昔、子供の頃、散髪屋に行くと、帰り際に店主がお小遣いをくれました。支払った代金から10円をキャッシュバックしてくれたのです。粋ですね。良き三丁目の時代。これもそんな感じがしないでもありません。その毎度のコーヒータイム。昨日は、前日店主が福岡でやはり本人の行きつけという、ケーキ屋さんで買ったシュークリームがトレイに乗っていました。これがとても美味しかったんです。得した気分になりました。(^^♪ここの店主も結構律儀で、言葉も態度も無愛想なのに、年下の子にも年上にも、目立たない感じであれこれ世話をし続けているのです。それが、いつまでも遠方からいまだに慕ってやってくる所以でしょう。いろいろヒントももらったりします。今では互いにお客さんという感じではありません。私の散髪の途中、馴染み客が入ってきます。「今日できる?」「俺さあ、昨日から身体の調子が悪いんよ、別の日にしてくれん?」学生の頃からこの店にきているようなその客は、「兄ちゃん、じゃあまた今度来るわ・・」これで永年商売しているんですね。そして、私は、これからも往復四時間の余裕を持ってこの風変わりな癒し系散髪屋に通い続けるんですね。
2006年05月31日
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昨日のよびりんさんの日記で面白いもの見つけたんですね。これ↓占い研究室で、先ず私のハンドルネーム占いやったんです。NEXT0209 占いクリック!するとめでたく「成功繁栄」とでました。(^^)気をよくして、今度は、寿命診断にチャレンジ。長いか短いか、結果日頃の不摂生が祟って私の予想寿命72歳。なんとなく意気消沈の私に、女房殿は、「えっ?まだ長生きするつもり?私だったらそれで十分。」確かに十分かもしれないけど、ままだこの先、勉強すること山ほどありそうで。そのためには終わりがないような。日頃、ふと、その時がくれば・・妻と私どっちが先か・・と思ったりするもする私。女房を最期まで看取りたいし、しかしそれはつらい。かといって私が先に逝くのも、なんか後ろ髪引かれる?思い。やっぱり寂しいから同時がいいな・・といいかげんな思いを巡らせたりして・・「結局絶対自分が生き残ろうとするんだから・・」と言われつつ。で、女房殿に「そっちもとりあえず占いやってみて」と私が言います。さて、結果は、があ~~ん!女房殿の予想寿命はなんと94歳。もう一度、私72歳。まああれこれ悩むことはありませんでした。女房殿、お先に~!。(^^♪
2006年05月30日
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本日は、所用で福岡へ行ってきます。数年前より福岡へ行くことも多くなり、私的には、北九州より福岡が合っている様な気がしないでもありません。日常エリアを離れ少し遠出をするときは、車を走らせながら途中気分転換もできますし、頭のなかも心も柔軟になっていますから、ふと街風景見ながらの気付きに出合うことも多々あり、それもひとつの楽しみともなります。さあ、今週も良き出会いがありますように。
2006年05月29日
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お付き合いただいているお客様から、先日ある電話をいただきました。お預かりしている賃貸提供のマンション一室を、この度現入居者が退去されるのを機に売却したいとのご相談。この方はご高齢で、昨年春に最愛の奥様を亡くされたのです。昨年、私が訪問したのが丁度今時分でした。それから早一年、いつもご一緒だった故に、その後の日々は、さぞ寂しかっただろうことが電話口に窺えます。海峡を眺めるマンションの一室で、二人は仲良く共有の趣味である絵を描く事を楽しみにしておられました。一年経ってみると、自分も年取って日々の身辺も不自由だし、ましてや全くの身寄りもないので、この際、賃貸物件と現在住んでおられるマンションとの両方を処分して、自分はどこかケアハウスへの入所でも・・とのご相談です。「急がなくていいから、暇ができたら相談に乗ってもらえませんか・・」とのことでした。そして、電話をいただいた数日後、その方から封筒が当社に届きました。封を開けると、A4サイズ程のキャンバスに描かれた奥様の絵が一枚。キャンバスの横を見ると、03.02からす瓜 とありました。嬉しいですね。(^^)昨年訪問したときにも一枚いただいたんです。もちろん私は、この絵を、同様に有難く大切にしようと思うのです。昨年の絵もいいですよ。(^^)来週、私はご自宅を訪問します。形見の一枚
2006年05月26日
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21日、日曜日の朝、大学時代の親友であるKさんが、当社を表敬訪問してくれました。我々はこの日、亡き友に会うための岡山行き。Kさんは、そのために鹿児島からやってきたのです。彼とは、あれこれ話を辿ると、この日、我々は、ほぼ三十年振りの再会だったようです。これまで、賀状と時折の電話口での会話にさほどの変化もないなか、月日は経ち、しかし気がつけばあっという間にやり過ごした時。もっとも、そのやり過ごした歳月を深く思ったのは八年前のKW君の死の知らせでした。KW君が急逝した八年前。奥さんからKさんと私にその知らせが届いたのは、その年の正月を過ぎ、初めて届かぬ賀状に「おや?」と思ってからしばらくしたある日。すでに亡くなってから数ヶ月経っていました。煙草も吸わない彼が肺がんを発病して、最後には骨、脳まで転移してこの世を去ったのは、前年の11月だったとの事でした。Kさんも私も、そのまま墓参の機会を失ったまま、結果、同様に三十年近くも会うことが出来ずじまいになってしまったのです。ドアを開け「やあ お久し振り!」と入ってきた笑顔のKさんはちっとも変わっていませんでした。不思議な感じでした。そこにいるKさんとは、つい先日も一緒だったような・・長い年月会っていないとはとても思えなく・・忽ち三十年の隔たりなんか吹っ飛んでしまい、その場にあるのは、長い時を越え、まるでタイムスリップでもしたかのような、あの時代に共有した、私達の空間そのものでした。大切な友人との再会は、言葉では言い表せられないほどの感激でした。真の友とはこのようなものなのかもしれません。そして快晴のその日、私達は亡くなってしまった友とも、感動の再会を果たすことができたのです。一時間半ほどで到着した岡山駅では、Kさんと同級のYさんが出迎えてくれました。当初、私とKさんで墓参にいくつもりが、今回の私達の再会同様、大学を卒業後間もなくから私達にも死んだKW君にも会っていなかった、共通の友人でもあるYさんにもKさんが声を掛け、急遽三人で行くことになったのです。この日のKさん、Yさん、私、そして亡くなったKW君。皆、大学時代に付き合った彼女と、卒業間もなく相次いで結婚しました。我々は、互いに結婚式に出たりした仲なのです。その後、それぞれの家庭に一子が誕生した頃に1度ばかり会ったきりで、以降は賀状のやりとりくらいで互いの状況を確認する位。再会してみたい気持ちと裏腹に、ついつい年月は過ぎていきました。岡山県津山市は、瀬戸内海側岡山と日本海側鳥取間を斜めに縦断する丁度中央位置します。幅広の河川を付きつ離れつ、平野部をのどかな田園風景を見ながら進む主要道路は、メイン道とはいえ、日曜だからなのか、車の流れもスムースにノンストップ状態で走るR53。Yさんの車に乗せてもらい、のどかな山間、平野部をひた走ること1時間半。やがて津山市内に入ると、簡易な地図を頼りに、路地を行ったり来たりうろうろ。なんとか目的地付近の住宅街へ入り、ゆっくり車を進めながら、我々は何度もあちこちの表札を窺います。その内、狭い一角を曲がろうとしたところで、庭先に女性を認め、三人とも一瞬どきり。そこにはとても美しい若い女性が立っていたのです。我々とも目が合い、すぐにふっとある思いが私の頭のなかをよぎりました。ほかの二人もそうだったかもしれません。その角を車が曲がりきるなかで互いにその家の玄関の表札を確認。「ここ ここ!」と誰となく声を上げると同時に、もう一人の女性が出てきました。車中ではもう三人とも湧き上がる気持ちのなかで、その女性とも目が合いました。瞬間、その女性と我々の四人、三十年の時を越えながら、暗黙の内に互いを分かることができたのです。間違いなく、KW君と付き合っていたあの時代の面影のままの奥さんだったのです。青空が広がる快晴の下、近くの墓地まで移動した私達は、立派な墓前に立ち、我々と奥さんと、とても美人に成長されて嫁がれた娘さん、そしてお孫さん、皆で線香と花をたむけ、実に感慨深い再会をしました。その後ご自宅で、近所にいるというKW君の弟さん夫婦も交え、しばし懐かしみながら歓談しました。27歳になられるというお嬢さんの上に、お兄さんが一人とか。互いに新婚時、奥さんの実家である日田に帰省の途中、我が家に立ち寄ってくれたときに生まれたばかりの子を抱いていたのはそのお兄さんだったのか。そして、彼がもし娘さんの結婚式に立ち会えていたらどんなに喜んだことだと。奥さんが用意して見せてくれたアルバムには、当時の我々が笑っていました。私なんか、自分でもびっくり、今は、油性マジックの中太のようですが、鉛筆のような細身で写っていて・・我々の記憶にあるのは、スマートで格好よかった彼の笑顔。仏壇に置かれた死ぬ二年前という、彼の写真の顔はふっくらして、しかし、知る面影は当時のままに。笑顔もそのままに、早くして立て続けに結婚した我々の時代はあの時と変わらず、その後三十年も互いに会わずじまいなのに、こうして再会したKW君と我々三人は、年は取っても全く気持ちもあの時のままで・・奥さんに又の再会をいいつつ別れ際、私は二歳になるというお嬢さんの娘さんを抱きあげてみました。彼もきっとこうしてみたかったに違いありません。そして、外に出て全員で記念写真も撮り笑顔で別れたのです。しばしいろんな事を懐かしみ、話しながら、帰り際には、岡山市の隣町に住む、Yさんの自宅にも寄りました。Kさんの奥さんとYさんの奥さんは学生時代の親友です。女性陣は、旦那達の付き合いを昔からそっと陰で見守ってくれているのです。そして、この奥さんはなんと、私と郷里が同じ。当時は当然知るべくもなく、しかし、同じ小学校の1年後輩になるとか。やがて帰りのとき、二人して岡山駅まで見送りにきてくれました。Kさんと私が乗る新幹線の時刻が来て、Yさんはさりげなく「なんにもできなかったけど・・」といいつつ、売店で用意した手土産を私達に渡してくれました。酒を飲む私には、缶ビールとつまみの名物「じゃこ天」をくれました。その気遣いも私は嬉しくて嬉しくて。なんにもできなかったどころか、この日、彼のお蔭で、見知らぬ町まで、スムースに行くことができたのです。発車した新幹線の車中で、私とKさんは、互いに「今日はほんとに良かったね・・」を繰り返したのです。死んでしまったけれど、三十年の時を経て、我々友の縁を再び取り持ってくれたKW君。KさんもYさんも、別れ際、「これから互いに夫婦共々、できるだけ会う機会を持とうよ」ということで一致したのです。KW君の家族ももちろん、永遠に大切な友人のままであるに変わりはありません。Kさんとは、小倉駅で堅い握手をし、笑顔で別れました。その昔、Kさんも私も、互いに貧乏学生生活でした。しかしあの日々は楽しく、「じゃあ また!」と手を振って互いにぞれぞれの安アパートに帰っていった時と同じ光景のような、この時の別れ。私にとっては感動の、そしてタイムスリップしたかのようななんとも不思議な一日だったのです。 行きの車中、自分は飲まないのに、Kさんが私の為にさりげなく用意してくれていた缶ビール。 運転のYさんとKさん。 やはり気遣いで、Yさんが帰り際に私に「車中で・・」と手渡してくれた缶ビールと名物「じゃこ天」。Kさん達の事
2006年05月24日
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昨日の「福岡よびりん学校」四期最終日は、またまたいつも通り大いに盛り上がりました。これまでにも増して、次々と配られる沢山の貴重な資料を前に、いつものように熱く語られるよびりんさんの話は、すでに何度も参加、聴講させていただいているのに、またまた新たな話も加わり、毎回バージョンアップの、聴く側にも新鮮な講義内容でした。年間130回を数える全国講演、そして大企業においても話されるよびりんさんの話を、実は、このよびりん学校では、更にとても深く広い内容のものを聴くことができるのです。寺子屋雰囲気のなかで、ついその気さくな先生と生徒の接し方のなかで、つい忘れてしまいがちなのですが、このような場にいれることって実に凄いことなのです。そして、とても身近にこうしてその事に出合っている縁に、改めて深い感銘と感謝の念を持たざるを得ません。今夏刊行予定のよびりんさんの新刊の話もいち早く聞けて、これまた今から大いに楽しみです。今回参加は、主催者sfpさん、パワールックMIWAKOさん、ワインレッド2001さん、タカ555さん、鍛冶屋の息子さん、男はつらいよさん、初参加の豹柄928さん、Yさん。二次会はいつものように大爆笑の連続。きらりんさん、ygiさんも参加してくれて大盛り上がりでした。鍛冶屋さん・・笑わせてくれるんだから・・(^^♪ときさん、差し入れのケーキ、とても美味しかったですよ。(^^)私は今日は、これから岡山に行ってきます。25年振りに会う友人と、亡き友の墓参です。長い年月を経ての再会です。
2006年05月21日
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「どこか私に悪いところは? いたらないところはない?」と女房殿が言います。「ないない、全くない・・」と私は答えます。いつもの上の空状態で。私は、つい本読みながらパソコンしながらの空返事が多いものだから度々それを女房殿から毎度指摘されます。「真剣に考えなさい、なんかあるでしょ、不満なところが・・」と続けて言う山ノ神に私は、「しつこいね~。ほんとのほんと、もう100点満点であります。」(^^)これまで一度も妻の名前を呼んだこともない私は、特に身内に対して、優しい言葉や褒め言葉を出すのが苦手です。当然社員にも。つい照れくさくてぶっきらぼうになってしまうのです。しかしながら、女房殿の100点満点というのは、答え方はおちゃらけても、私の本心なのであります。私は山口県、妻は徳島県。私の過去を辿りながらふと考えてみれば、受験勉強を三年の受験間際に始めるほどのんびりした私は、予想通り見事進学校を落ち、そのまま落ちこぼれ人生へ・・。行った商業高校からの就職試験にも落っこち。(大体5分間の面接で私の良さが分かってたまるか(*_*))とほやきなから・・実のところ、商業高校行きながら、算盤も数字もめっぽう弱かったからしょうがないかも。”^_^”と思いつつ、就職試験を諦め、先生の薦めにより全校から5名ほど抜擢?され小さな地方大学へ。就職試験に落ちて大学に行く変な名誉?←これって、就職もできない完全落ちこぼれだ~"^_^"前後して実家の倒産があったりして、仕送りもほとんどストップしてしまった状態で、確固たる将来への目的意識もないまま、日々食うに困り、家賃も滞納しながらのバイト生活は、貧しくも心は満足の日々。その大学生活。一年から三年までは、瀬戸内海で溺れながら・・訂正、瀬戸内海の小島で淡い恋に溺れながら・・!?まあ結局、最後は尾道のプラットホームで互いに無言の涙の失恋。いまだにあの時の彼女の涙の意味を解決できないまま。要するに、ほんとに瀬戸内海で私は溺死したんですね。(^^)トホホ。そんななか、暫くの間女々しくも泣き状態だった私を見かねて、先輩とその先輩の彼女が紹介してくれたのが・・さあ誰でしょう?やっと出てきましたね、山の神。その頃、彼女も事情によって、家族で四国から九州に引越ししてきていたのです。初めて会ったときは、まあ、その他の女性と雰囲気が違っていました。なんていうか、笑顔も穏やかさも、後光が差していたといいますか・・私、それまでほとんど女性と付き合っていませんからそう感じたのかもしれませんし、失恋の痛手による反動だったのかもしれませんね(^^))まあ、早い話、私は拾われて、しめしめ、その後差し入れにて空腹も充たされてすっかり山の神になついてしまったんです。朝、私が出かけるときには、女房殿は玄関先で、「お弁当、携帯、免許証・・」と子供のようにチェックしてくれます。結婚してこの方、自分の不在時以外は、働きながらも一度も料理、掃除、洗濯を欠かした事はありません。そして、それぞれの家庭事情もあるでしょうが、日々の料理は上手い下手とかでなく、平和な家庭であるための基本だと私は思っています。感謝、感謝。結論その昔、私が中途半端に頭が良くて進学校に受かり、灯台に、否、そこそこの有名大学にでも行っていたら・・就職試験に受かっていたら・・あの時失恋しなかったら・・(”^_^”すみません。少し当時の恋がちらつきました。)・・女房殿との縁はなかったのです。これだけでその辺の大学に行き、貧乏生活した価値はあるのです。極端な話、例えば一流大学と女房殿。有名企業と女房殿の二者択一であれば、当然女房殿を選ぶのであります。いや~パズルのように組み合わさった路を辿りながら、女房殿も迷路をはるか向こうからやってきて。出逢おうとしてもこんなにうまくはいきません。ある意味、宝くじに当たる以上の確率。そのなかで、私は運が良かったと心底思うのです。向こうはしりませんよ。でも出逢いって不思議ですよね。空中に浮かぶ細かな塵ほどのなかから、明かりに反射してきらりと光る自分の出逢いにぶち当たるのですから。そういった点では、女房殿は私にとっていわゆる守護霊的存在といっていいかもしれません。人生における私の信頼できるベストパートナーなのであります。(^^♪
2006年05月19日
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今週は週末には福岡よびりん学校四期全コース六回の最終日に参加します。残念ながら今期は三回しか?参加できず残念。よびりん学校は実に愉快で、実に学び多く、その教えの奥の深さについついこれまで三期も参加してしまいました。私は完全にはまってしまいました。(^^)ここだけの話ですが、私、この学校がある限り、又か・・と言われても、時々顔を出すつもりです。この勉強には終わりがないのです。そしてその翌日には、鹿児島の旧友と亡き友人の墓参に岡山県津山市まで行ってきます。友人とは25年振り位の再会で、顔を見たとたん、話す事山ほどありそうで・・そんな今週も充実した多忙な日々となります。
2006年05月16日
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先日、業界の全体総会があり出席しました。総会後、大勢集まった懇親会の、その少し離れた場所で、知り合いのWさんは私を見つけ近づいてきました。Wさんは、当社が今年移転する前の地区で一緒だった同業者さんです。二代目ですが、同業者仲間においても、個人的にも会社的にもどちらかというと目立たない存在。私より年齢は一回り以上も下のその本人は、しかし、いたって人柄もよくて風変わり?に真面目で、前地区では責任者だった私には、最初はそうでもなかったのが、やがて事あるごとに何かと声を掛けてきてくれるようになりました。私も最初の内はそうでもなく、若干彼の雰囲気に戸惑いを持ちながらも、やがてその独特のカラーを持つ彼との間合いにも慣れ、度々声を掛けてくれる彼に親しみを持つようになったのです。30社程の担当地区内業者さんのなかで、常時会合等に集まるのはその半数程。地区長の私と副地区長が2名で、地区内での事業と全体組織の事業運営に関っていきます。日頃皆さん本業が忙しく、又、やはりその本業を優先ということで、なかなか組織運営の協力となると足の運びが鈍るのもいたしかたないこと。皆、経営においても組織内名誉においても実利を優先するのも人情。そんななかで、この地位も名誉も無縁のWさんは、「私ができることはできるだけ協力しますから何でも言ってください」と、責任者達でさえ面倒がる部分を、実に裏方的に目立たないところで誠実に時間を割いて協力してくれました。決して、社員さんが何人もいて、人的、時間的に余裕があるわけでもなく、歳を取られたお父さんと二人で長年この地域でやってこられました。そして結果、その目立たない存在である彼の地区運営の協力を誰も知らなかったということがほとんどだったのです。過日、当社移転による私の退任の慰労会を地区でお世話になった皆さんが開いてくれた時です。私は、その席上、謝辞の段で、引継ぎの感謝をこめて、お世話になった役員さんと新しい役員さんに、心ばかりのプレゼントを渡しました。そしてその時、もうひとりの陰の功労者であった、私だけがよく知るところの、誠実な協力者Wさんを称え、彼にもプレゼントを差し上げたのです。総会の懇親会場で私に近寄ってきたWさんは、慰労会からまだ二カ月も経っていないのに、にこにこしながら、「nextさんとは離れましたけど、ずっと同じ地区のようなものですから、また何かあったら言ってください」「こっちの懇親会があるときには、また皆さんも声を掛けると思いますけど是非参加してください」「それと・・これ、 ほんと良いです。 私、初めて使いましたが、ほんと良いですね、結構・・(^^)」互いに再会?をにこにこ立ち話のなか、彼が徐にスーツの内ポケットから出したのは、私が心から感謝の気持ちであの日プレゼントしたゼブラの「シャーボ」。ありきたりの、しかし心はしっかり込めた、そのシャープとボールペンが一体となった筆記具を、彼は、とてもとても嬉しそうに取り出して私に見せながら、彼なりの精一杯の感謝の表現で礼を述べてくれました。そんな、目立たないけど、とっても誠実なWさんに、しかし私は、逆に限りない幸せをもらったようで、その夜の懇親会を心も晴れ晴れ実にハッピーな気分で過ごし、その後帰宅しても、そして日は過ぎた今でも、彼はもうその場面を忘れたとしても、私は、その時の彼の笑顔と誠実な感謝の言葉を、いつまでも大切に有難く思い、永遠に忘れることはないのです。
2006年05月12日
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皆さんは、焼きうどんの発祥地が北九州市のこの場所だとご存知でしたか?小倉北区魚町、鳥町食堂街にある「だるま堂」は、創業が昭和20年。この食堂街は、小倉駅から徒歩5分、魚町商店街が存在する中心部の一つの街区を突き抜ける狭い路地にいろんな食べ物屋さんがレトロ的な食堂街の雰囲気のなか、約20軒程が向かい合わせに並んでいる食堂街なのです。久し振りに仕事を兼ねて、小倉の中心部であるこの界隈を街角ウォッチングしてみました。たまにぶらり人の流れる街を散策してみるのも新鮮な気分で良いものです。そして私が通りがかったこの鳥町商店街。私は、30年近く前に働いていた卸売市場内にある食品会社で、ルートセールスをしていました。この街中は私の担当で、この商店街も毎日配達していたのです。「だるま堂」は、この入口より2軒目のお店。店内の広さはせいぜい3坪程度でしょうか。だるま堂以外も当時のお店はいくつか今でも残っているようですが、当時この路地のお店のほとんどがお客さんでした。私の仕事は、鶏卵や漬物、乾物等の卸し。商店街のどのお店も狭いものですから、食材もなかなか買い置きしておくわけにはいきません。箱から出した鶏卵を、私はお店のサラダボールに、この狭い路地で移し替えてあげるのです。あらかじめ注文を訊いた沢庵は、各お店の必要分をビニール袋に小分けしたものを用意してあります。ジーパンに前掛をした若き私は、人の行き交うこの通路で遠慮がちに人の邪魔にならいようにそれぞれの店の隅に寄りながら作業をします。そして作業の先に、行き交う人の足元を見つつ、当時はやはり少し気恥ずかしさを心に持ちながら、漠然と、いつかスーツを着て私は仕事を・・なんとなく脱出を・・と胸に思いを持っていました。仕事で成功しようとか、金持ちになろうとか、この仕事をしてみたいとか・・その様な具体的な思いはなく、ただただ、きりっとスマートに仕事している自分を夢見ていたのです。ある日、鳥町商店街の入口に停めたトラックの荷台から、台車を下ろし、荷物を乗せていたときに、学生時代の先輩に何年ぶりかで出会いました。傍らには女性が二人。後で判ったのですが、その先輩はこの商店街の近くにあった不動産会社に勤めていたのです。当時はバブルのずっと以前の、しかし不動産活況の時代、地元業界の奔り的だったこの不動産会社は、当時結構儲かっていた会社で、この時、先輩は女性社員とともに近くに食事でもいくようでした。私はしかし、スーツを極め、颯爽のビジネスマン風の先輩と、ジーパンに前掛状態のその場の自分自身にやや屈辱感をもったのも事実。その後益々私の内面では、悶々と違う世界への脱出への思いが強くなっていきました。先輩とはその後会うこともなく月日は流れ、私は、自分なりに精一杯頑張りながらも転職を重ねておりました。そして、その後、まさか再びこの先輩と出逢い、その先輩が独立した不動産会社で働くことになるとは・・このほぼ10年後の事です。また同時にこの会社で、あの楽天同業者のマキさんとも出逢うとは露知らず、この時は、ただ黙々とエアコン等ないトラックの荷台に食材を載せ、市内を配達する日々でした。謂わばいろんな面で感慨深い私の時代。しかし、精一杯自分なりに黙々頑張っていたお蔭で、いろんな人がその後も声を掛けてくれ今日があるのは間違いのないこと。振り返っても、様々な出会いに感謝、感謝。今日、通りがかりに見たあの時の私の風景。あの時の商店街。懐かしの「だるま堂」には寄りませんでしたが、いつぞやテレビで見たら、あの時のおばさんは今でも頑張って焼きうどん作っているようで、顔も私には全く変わっていない様な店主にとても懐かしくなったものです。当時はご主人も一緒でした。そんな「だるま堂」には、近いうちに是非行ってこようと思っています。まるでタイムスリップするかのように、そこには様々な思いで嬉しそうに焼きうどん食っている私が・・食っている途中で、ぽつり一言、「あの時の私です。覚えていますか?」きっと「だるま堂」の女主人は、びっくりして「えっ!?その体型、まるで覚えがない、記憶にない・・」
2006年05月09日
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今年は雨に見舞われた阿蘇の旅でした。初日の六日はまずまずの天気で、行き掛けに表示を目にして急遽行くことにした「龍門の滝」。大分県玖珠郡九重町に位置します。初めて見たのですが、高さ20M、幅40Mのこの滝、夏には滝すべりで賑わう名所でもあります。阿蘇へのドライブは、何度来ても飽きることはありません。昼には牧場で焼肉を楽しみながら、時々きれいな風景に立ち止まりながらのんびりドライブを続けます。阿蘇産山(うぶやま)牧場では、大きな1本の風車に出会いました。 午後三時頃、予想通りの雨が降ってきたのは日本有数の湧水地、白川水源にて。なんとか初日の旅を満喫しそそくさと白川水源を後にして早めの宿泊地へのチェックインをしました。度々利用するその宿泊地は、低料金の上に、料理は心から満足できるものです。もちろん施設も清潔感があってお風呂もグッド。強さを増す雨脚は翌朝もなお降り続け、その日の阿蘇巡りの行く先の当てをなくした我々は、とりあえずチェックアウト。早めの帰路につくことにして、とりあえず日田まで行くことに。阿蘇の山々を越える道中、靄に包まれ全くの視界不良。ただただナビを頼りに進みます。昼近く、阿蘇を抜ける頃、ようやく靄も風に吹き去られうっすら明かりも射してきました。その阿蘇を後に、これまた初めて立ち寄った黒川温泉街。全国温泉街人気でも常に上位でありながら、一度も行ったことのなかった場所です。とりあえず、どの様な場所か歩いて見ようということになりました。山間を流れる川と迫る山肌の狭い位置を、温泉旅館街は細く長く風情を持って連なって存在していました。雑誌等でもよく特集されているせいか、やはり若い人が多いようでした。今回もほとんど行き当たりばったりのドライブでしたが、生憎の雨にもかかわらず、やはり十分満足できたいつもの阿蘇、リラックスの旅となりました。今回も400キロを楽しくドライブ。私と妻と愛車。
2006年05月07日
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本日の午後から明日の午前中にかけて熊本は雨予想。そのなか、私はこれから阿蘇行きです。いくつか立ち寄るポイントは定めても、あとはいつもの気の向くままのドライブ。雨は雨としても、それはそれで又良しの旅。妻と二人、のんびりしてきます。(^^)
2006年05月06日
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昨日は、父の3回忌の法事により、日帰り帰省してきました。その間、私の出身小学校にも立ち寄ってきたのですが、思い出?の貯水槽はすでにそこになく、そこには好日日和のなか、可憐に花咲く花壇となって、いかにも小学生らしい手なる花風景がありました。そして築齢70年にもなる校舎の掛け時計。野球をしながら、あの頃の定番「相撲場」では、互いに柏戸、大鵬になりながら・・或いは運動会の、嬉し恥ずかしフォークダンスの練習では、何故か、必ず女子と手を繋ぐ寸前で曲(オクラホマ・ミクサー&マイムマイム?)ガ終わる不運さをいつも味わいながら・・"^_^"そんな数々の思い出の、広いグラウンドのどこにいても見えたシンボル的掛け時計は、長い年月の間、当然途中変ったに違いないのに、その掛かった場所はそのまま、形も当時の私の記憶のなかのままのものでした。久しぶりに妻と子供達と、家族全員の一日は、快晴の下、明るい笑い声と何はなくとも私にとっての限りない幸せ感を満喫した好日日和でした。
2006年05月05日
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当社は30~5/7までGWのはずなのですが、トホホ・・私はいまだ仕事中。しかし、とても幸せ気分です。先日電話をいただいたお客様のご相談に乗る為に、本日は2箇所行ってきます。1件は隣町ですが、まあ、例えわずかな事でも、必要とされていることは実に有難いことです。できる範囲で力になって差し上げる事ができれば本望。ところで、昨日は私の結婚記念日でした。家族でささやかな食事会をいたしましたが、感慨もひとしお・・。では、快晴の本日も、出会いによって心をハッピーにしてきましょう。(^^)17:30 全て仕事完了!さあ明日から休むぞ~ 阿蘇にも行くぞ~ (^^♪
2006年05月03日
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