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☆★ 国名はドイツ語で「Republik Österreich (レプブリーク・エースターライヒ) ★☆ ~ 直訳は「エースターライヒ(東方の国)共和国」→日本語は「オーストリア共和国」~ 小学生時代から収集していた外国切手の一部を整理していると、4人の色違いの美女が目に留まりました。しかし、どの切手にも、見慣れない「Republik Österreich」とドイツ語で表記された国名がありました。「Republik(レプブリーク)」の意味は、「共和国」ですが、「Österreich(エースターライヒ)」は、直訳で「東方の国」という意味になります。・・・「この国名は、いったいどこの国なんだろう?」・・・と強い疑問を感じました。そこで、さっそくネットで調査!・・その結果、・・日本語では、正しくは「オーストリア共和国」であることがわかりました。オーストリア・・と言う国のイメージでは、「永世中立国」、「芸術の都ウイーン」、音楽家の「モーツアルト」や「ウイーン少年合唱団」、「音楽を中心とした文化大国」を思い浮かべると思います。このオーストリア切手を観ると・・そんな芸術的なセンスの匂いがしてきます。 どの切手にも「Republik Österreich」とドイツ語で「オーストリア共和国」の表記がされています。この国名は、1955年以降から正式に使用されているので、この切手も1955年以降にオーストリア共和国で発行、使用されたものであることがわかります。切手の絵は、色違いで4人のオーストリア女性が描かれていますが、その衣装は、民族衣装なのか?、その時代の流行ファッションなのか?、その女性は有名人なのか?・・まったくわかりません。いずれにしても気品のある顔立ちです。 ★☆ 国名に観るオーストリア共和国の歴史 ★☆ ~ 何故(なぜ)国名がドイツ語表記なのか? ~ 国名がドイツ語表記である理由は、オーストリア共和国の公用語が、ゲルマン系言語であるドイツ語を母語としているからです。国民の大多数が日常に使っており、新聞やテレビ・ラジオもすべてドイツ語が使用されています。それは、オーストリア人が、民族的にも、ゲルマン系のドイツ民族(スラブ系、ラテン系、ハンガリー系、トルコ系の混血もある)なのだそうです。 首都はウィーンですが、地理的には、西側はリヒテンシュタイン、スイスと、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキア、北はドイツとチェコに隣接しています。資料によれば、面積は、日本の北海道とほぼ同じサイズ、人口は830万人弱だそうです。 歴史的には、中央ヨーロッパに中世時代から650年間も「ハプスブルク帝国」として君臨、第1次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアとならぶ欧州五大国(列強)の一角を占めるほどの栄光を築いていました。1918年、第1次世界大戦の敗戦と革命で1867年から続いた「オーストリア=ハンガリー帝国」が解体、共和制となりましたが、多民族国家だった旧帝国のうち、支配民族であったドイツ人地域に版図が絞られました。 そして・・世界では、アメリカで端を発した経済破綻から1929年の世界大恐慌に突入、その影響をもろに受けたヨーロッパ各国でも経済大不況や大量の失業者が巷に溢れていました。そのころから・・隣国ドイツでは、アドルフ・ヒトラーの出現と国民の熱狂的な支持を得たナチスドイツが台頭してきます。 1938年3月13日、オーストリアは、ドイツ軍の進駐からナチス・ドイツに併合されました。これは、事実上、国の合併を意味するものでした。右の写真は、「オーストリアからの要請に応える」というかたちでドイツ軍のオーストリア進駐を果たし、生まれ故郷に25年ぶりに「征服者」として帰郷、ウイーン市内を先頭でパレードするアドルフ・ヒトラーとそれを熱狂的な歓迎で応えるウイーン市民の列の状況 オーストリアは、第2次世界大戦に突入する直前の1938年からナチス・ドイツに併合されました。この併合の賛否について、両国では国民投票が行われましたが、真相はどうであれ双方とも圧倒的な賛成票を獲得したそうです。 左は、オーストリアに進駐したドイツ軍の行進とそれを街頭の両側で「ハーケンクロイツ(鍵十字)」の小旗を振りながら歓迎する市民の集団、右は、感激のあまりドイツ軍音楽隊兵士に近づき、胸元に花を添えて歓迎するウイーンの少女とそれを笑顔で見る周囲の兵士たち 1945年のドイツ敗戦により、1955年までの10年間は、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦による「分割占領の時代」を経た後、1955年の独立で、「永世中立国」を宣言、国名を正式に「Republik Österreich(オーストリア共和国)」としたわけです。 左は、オーストリア共和国の国旗です。REALISTは恥ずかしいことにこの国旗を知りませんでした。右は、ウイーン市内にある現在の国民議会棟 ★☆ アドルフ・ヒトラーとオーストリアの関係について ★☆ ~ ヒトラーは生粋のドイツ人ではなく、オーストリア人 ~ 歴史的なカリスマ、ナチス・ドイツ第三帝国の国家総統であった悪名高きアドルフ・ヒトラー( Adolf Hitler )ですが、実は、彼は生粋のドイツ人ではないのです。なぜなら、彼は元々はオーストリア人だからです。1889年4月20日、オーストリアのブラウナウで税官吏の父親アロイスとその3人目の妻クララとの間の4番目の子として誕生しています。青年時代には、厳格な父親と衝突、画家を目指してウイーン市内で美術学校の入試を受験するが何度も失敗、1908年にはウイーンの日雇い労働者の群れの中で極貧の生活をして慈善スープで飢えをしのぎ、無料宿泊所を泊まり歩く生活をしていました。それから・・・1913年5月26日、画家になる夢をあきらめたヒトラーは失意のうちにウイーンを去り、ドイツ南部のミュンヘンに移住・・・1914年の第1次世界大戦の勃発、ドイツ国王直轄第1歩兵連隊に配属、その後ドイツ国防軍バイエルン歩兵連隊に配属、数々の戦闘に参加、負傷を繰り返し・・・1920年にナチス党である「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDPA)」に入党、宣伝啓発主任となり・・・ここから彼の人生の大転換期を迎えるのです。・・・1932年2月25日にドイツ国籍を取得、1934年8月19日には、遂に・・国民投票で国家総統兼首相に就任しています。そして「故郷に錦を飾る」として、1938年3月13日にオーストリア併合で生まれ故郷に25年ぶりに・・まさに「乞食同然」から「征服者」として再び帰郷したわけです。これは・・まさに、凄い人生・・信じられないリアルな歴史的真実なのです。 市民から街頭で熱狂的な歓迎を受ける車上のヒトラー・・・フランスのナポレオン同様にカリスマの象徴的存在ですが、人類はこの歴史を教訓として、そのあやまちを決して忘れてはならないでしょう (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2008/10/18
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★☆ ドイツ軍のイメージと言えば、それは、M1935ヘルメットでしょ!★☆ M1935 Helmet~ 現代にも受け継がれたその高機能・デザイン美 ~ 第二次世界大戦中のドイツ軍のイメージと言えば・・・まず、ピンとくるのが、あの独特なヘルメットの形状ではないでしょうか?アメリカ軍やイギリス軍ともはっきり区別できるあのデザインを思い浮かべる人が多いのではないかと思います。 第二次世界大戦中のドイツ軍で使用されたM1935スチール・ヘルメットは、ドイツの再軍備計画に合わせて1935年に開発され、1936年からドイツ陸軍が採用を開始したものです。その洗練されたデザインや機能美は非常に優れたものがあり、他の国の陸軍が採用するスチール・ヘルメットと比較すると一層軽量化されている上に、内部の蒸れを防ぐための雨滴防止構造の通気口が側面2カ所にあり、耳部分や後頭部から首に至るより広い面積部分の保護をカバーできる優れたデザイン美に特徴がありました。 新品なのでつや消しに塗装されていますが、とても綺麗に見えます。スチール(鋼鉄)製ですが、思ったより重くはありません。多分、通常の二輪車用ヘルメットと同じくらいか少し軽いようにも感じました。重さ3Kgのダンベル2個の上に載せてみました。 ドイツは敗戦しましたが、戦後、その高い機能美からこれをやむなく模倣した現代のアメリカ軍のフリッツヘルメットをはじめとして・・各国の陸軍でも同様にこのM1935スチールヘルメットに酷似したヘルメットを採用しているのは歴史の皮肉でしょうか? 現在のアメリカ陸軍使用のフリッツヘルメット砂漠戦用に迷彩柄布製カバーが装着されている。 REALISTが入手したこのM1935は、ドイツからの輸入品ですが、1939年製の新品を想定したレプリカです。レプリカと言っても、1/1スケールでサイズは58センチ、厚さ2~3ミリのスチール製でプレス加工されており、実物同様に、ライナーはアルミ製、通気口もリベットで正確に作成され、チンストラップ(あご紐)は頑丈な牛革、内部のパッドも柔らかい羊の皮で再現されています。ライナー側面には1939年の製造番号やドイツ語の文字が刻印されています。当時のままに再現されていますので、その雰囲気を知るためにも・・どうぞご鑑賞ください。 ロシア戦線にて、迷彩柄布製カバー付きのM1935を装着したドイツ軍SS(武装親衛隊)兵士。攻撃直前の最後の行動分担の確認指示をしている様子。 当時のドイツ陸軍では、冬季の場合、M1935ヘルメットにカモフラージュのために白色布製カバーを装着したり、白色に塗装していました。また、特にSS部隊では、春や秋に迷彩柄の布カバーを装着する場合が多かったようです。 左側面を観た状況です。 正面を観た状況です。 右側面を観た状況です。 右斜め後を観た状況です。 左斜め後を観た状況です。 なかなか観ることのできない内側の状況ですが、パッドは丈夫で柔らかい羊革製です。装着しても圧迫感がなく、柔らかい羊の皮はソフトでかつ通気性が考慮されて大きな切込みと5ミリ大のパンチ穴が空けられています。パッドは、中央の革紐(ひも)でヘルメット本体と頭部が接する空間の微調整ができるようになっており、自分好みに微調整して柔らかく包まれたようなフィット感ある装着が可能で、硬いヘルメット内部のスチールと頭部が直接当たらないように工夫されています。 これにより、長時間の装着でもヘルメット内の空気の流れが確保でき、頭部への負担や苦痛を軽くすることができます。 右の写真は、ドイツ陸軍の小隊指揮官(少尉クラス)で、M1935ヘルメットに注目しました。 ヘルメットに通気口があるものは、現在でも二輪車用の高価なヘルメットに一部採用されているものはありますが、アメリカ軍がイラク・アフガニスタン等で使用している最新のフリッツヘルメットにもありませんし、自衛隊のヘルメットにもその他先進国のヘルメットにも無いのではないかと思います。そこには、長時間にわたる使用であっても頭部の蒸れを和らげ、少しでも兵士の快適な装着感を保つための工夫が随所に施されています。 さらに、このヘルメットの特徴である耳や後頭部周辺の広い覆い(おおい)部分ですが、これは、兵士の耳や首周辺部の保護面積を激しい運動の妨げにならない限界点まで拡張しているという見事に計算し尽くされた結果が、この形状になったというわけです。・・というわけで、単なる格好が良いというわけでなく・・・何よりも「貴重な兵士を守る」という、それを実戦で装着する兵士の立場に立った設計思想で作られたものであることがわかります。・・その点が他の国にないドイツの個性が強く感じられる装備だと思います。 こんなに贅沢で兵士のための工夫が随所に施された高機能なヘルメットを装着することができた当時の若いドイツ兵士たちは、まさに「世界に冠たるドイツ」を実感し、その誇りや士気というものは、さぞ高かったであろうことは容易に想像できます。 左は直径5mm程度の通気口がありますが、雨滴が入らない構造に仕上げられています。右はチンストラップ(あご紐)の形状に注目です。 右はチンストラップを留めた状態、左は外した状態です。 左はチンストラップのライナーとの付け根部分の構造がよくわかります。右は、チンストラップの先端部分に「R. LARSEN BERLIN 1939」と刻印されていました。 腕時計のGショックを添えてみました。REALISTがこれを装着してみた感想ですが・・・市販の二輪車用のヘルメットよりもはるかに通気性が良く、フィット感もあり、丈夫な上に軽くて、見た目もかっこいいのにはとても満足しました。これに本格的なゴーグルを装着して1200CCのオートバイにでも乗れば、さぞ気持ちいいかもしれませんが、貴重なコレクションであり、傷つくのも嫌なのでやめておきます。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2008/10/03
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