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2007年10月16日
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ほんの数ヶ月前、横綱の“処分”が決定した際にその決定に難癖を付けてあれ程までに両者の間を拗れさせてしまったのはマスコミでした。

そして、ボクサーの処分が決定するとまたもその内容に文句を言っています。

相撲にせよボクシングにせよ社会にせよ、人間同士が群れた事で秩序が偏ったり乱れない様にルールが発生します。

相撲にせよボクシングにせよ、路上の“喧嘩”ではありません。
彼等は、自ら一定の厳しい修行を課して鍛えられたかったはずです。
観客は、その成果を代金を支払って鑑賞する約束でした。

“処分”とは、自分で誓って置きながらいつしか外れてしまった道に再び戻る為の関門なのです。
だからこそ、処分(罰)には、それ等の“歯止め”となる防波堤の役割があります。

(現在の何処までも愚かになったマスコミは)「ええじゃないかええじゃないか」と、踊っているうちに視聴率が稼げるとでも姑息な計算をしているのでしょう。

最近、子供達のイジメから大人の万引きまで「注意する=逆切れ」で殺人まで起き裁判の判決が下りて以後さえも控訴が当たり前になってしまいました。

“ルールを破る=処罰を不平不満や病気で言い逃れをして逃避する”
人間は、果たしてその状況が“万々歳”なのでしょうか。

この様に、 自分で決めた夢に自分で泥を塗り、さらに処罰を免れる事で彼等はどんどん自己の“決定権”を失い自分自身を喪失する事になるのです。

自分で志した事を自分で裏切り、叱られたら逆恨みする弊害の方が余程深刻です。
基本的に、重い事が大事であり一旦下されたら不服を申し立ててはなりません。

横綱やボクサーが若さや認識不足故に間違いを起こしたら、審判を攻め立てるのではなく本人の更生を信じ励ます姿勢が大切だと思います。





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最終更新日  2007年10月16日 23時30分29秒
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