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ここ横浜は、地震による大きな被害もないし、まだ、放射能の影響もなく被災地ではありません。なのに、連日放送される被災地の映像と時折テレビから鳴り響く地震警報のサイレンの音などで、上娘はすっかり体調を悪くしてしまいました。地震以来、しばらく過呼吸の発作、不眠に悩まされました。家に一人でいられない不安感もありました。地震から5日後くらいたった頃、気分転換にと姉と姪っ子たちと食事にでかけたのですが、外に出た瞬間に瞼に異変。帰る頃には左目の瞼が開かなくなっていました。次の日から、右目も開かなくなり、完全に両目ともま蓋が閉じた状態が1週間ほど続きました。そんな中、左肩から左の指先までの硬直という症状も。その時は休みの日だったので、救急病院をさがしたのですが、どこにも受け入れてもらえず、結局、経絡で温めたり、バンテリンをぬったりしてなんとかおさめました。現在は、右瞼はなんとか開くようになってきており、その他の症状もみられなくなってきていて、少しずつは落ち着いてきているようです。ただ、左腕から左手までの調子はまだあまり良くなっていないようです。昨夜もひじから手先まで、動かなくなりました。この体調の悪化は、地震が起こってから始まったことなので、恐らく強いストレスが関係しているのではないかと思うのですが、どちらかというと、瞼にしても、筋肉の硬直にしても、左側がひどいので、もしかすると、別な原因も考えられます。どのみち、この症状がストレス性のものであると断言するには、いろいろ検査して、悪いところがないとはっきりさせる必要があるとのことで、今度、神経内科で、検査してもらおうということになりました。実際に被災している訳ではない娘が、こんな状態が悪くなるのだから、被災地にいる娘と同じような病気を抱えている方、どんなに辛いことか、考えると気の毒でしょうがありません。実際にmixiやツィッターで、「薬を持って逃げられなかった、どうしよう…」、とつぶやいている人が何人かいたそうです。避難場所の学校の体育館の様子がよく映りますが、上娘はあんな人の多いところでは生活できません。もし、こちらに大きな地震など災害が起きた時に、どうしようかと、考えてしまいます。冗談でなく、テントと寝袋とマットと…、キャンプに行くような準備をしようかと思っているところです…。。
2011年03月26日
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今、こんな時期だから、なんか若い子たちの活躍がうれしいです。東北高校も、まわりの人たちに背中を押され、今回、出場を決めたようです。被災した地域の人たちだって、地元の子たちの活躍見たいですよね。パワーになりますよね。横浜からは今回2校出ています。そしてその1校に下娘の幼馴染が2人います。小さい頃よく遊んだ子たちですが、今は厳しい世界の中。二人ともベンチ入りはしていますが、スタメンではありません。一人は去年スタメンで活躍をしたんですよ。でも、今年は下級生にその場所を譲ることになってしまいました。辛かったり、苦しかったり、悩んだり…。野球の上位校だからこそ味わう苦痛だったり挫折だったり…。でも、今の私はそんなことも羨ましいです。だって、それは体が元気だからこそですものね。今のうちにたくさん悩んで、考えて…。そして、それを次のステップにしていって欲しいものです。こんな時だからこそ……、応援するぞ~ 本文とは関係ないのですが、 ネコカフェの猫ちゃん 手前がマンチカンのニーナで、奥がスコッティッシュのレンゲ
2011年03月23日
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昨日は、私の誕生日でした。 前の日に先輩宅に泊まって、 朝帰ってきた下娘の手に、 このケーキが。 予約しておいたんだって。 本当は、サプライズで、レストランも予約していたとか。 そちらは、地震や停電の影響で営業停止でキャンセルとなってしまったそうですが…。 実は、昨日はとても誕生会どころではない状況で、 せっかくケーキを買ってきてくれた娘には申し訳ないことをしたと思います。 それでも、下娘の心遣い本当に嬉しかったです。 涙が出そうでした。 結局、パエリアのデリバリーの夕飯と娘のケーキで、ささやかな誕生会をすることができました。 私は幸せ者です。
2011年03月21日
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おとといから始まった計画停電。幸運なことに、我が地区は一度も停電を経験していません。今日は、本当はまさに今から、夜10時までの間を予定されていたのですが、結局なくなったようです。この停電で困ったこと。デパートやスーパーなど、店の開店時間や閉店時間が毎回変更になること。ネットでわかるところならいいのですが、そうでないところだと、お店まで行かないとわかりません。で、いつも出遅れて、私がお店に着くころにはなーーーんにもなくなっています。もう、びっくりです。少なくとも、私が住んでいる地域は被災していません。なのになんで、こんなに物がないのでしょう。月曜日にダイエーに買い物に行くと、すっかり出遅れていたためですが、乾麺、お米、パンなどいろいろな棚がからっぽでした。しかも、レジに並ぶ人の長蛇の列。この日はJRがほとんど運休だったこともあり、会社を休んだお父さん、学校が休みの子供もいて、人の数は半端なかったです。で、とぐろを巻くように並ぶ人のために、行きたい棚にもいけず、大変な思いをしました。ちょうど、ロールパンと菓子パンの継ぎ足しがあったのですが、その列に阻まれて、取りに行けず、結局、あっという間になくなってしまいました。だって、一人が3袋も、4袋もとってしまうんだもの。そんなにとって、結局カビさせてしまうのではないかと思うんだけど…。いっぱい買い込んでも、いざという時にお米を何袋も担いで逃げるのでしょうか?トイレットペーパーやティッシュを何箱も持って逃げるのでしょうか?それを考えたら、そんなに買い込んでも…、思ってしまいます。困るのは、本当に欲しいものが手に入らないこと。今はお米がなくなりつつあって欲しいのですが、やはり開店と同時に入るくらいでないと手にはいらないみたいです。それでも、今日、テレビで、食料や物資はまだ豊富にあると報道していたので、あまり焦らないことにしました。もし、原発からの放射能のために自宅待機になったとき、我が家では猫とハムスターの食料だけは完ぺきです…。
2011年03月16日
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今日から東電の管内の1都8県で計画停電になります。1都8県を5つのグループに分けて、それぞれ時間帯をずらして停電にするそうです。昨夜のテレビのニュースでどこの地域がどのグループになるか、テロップで流していたのですが、県や市のホームページをみると情報が全然違っていました。私が住んでいるところは、テレビではグループ2となっていましたが、ホームページではグループ3。今朝の新聞も、昨夜のテロップと同じグループ2と記載されていたけど、再び、ホームページでみてみたら、今朝6時半更新の情報でやはりグループ3。情報が新しいとのことで、ホームページを信じることにしました。そうなると、私の住んでいるところは12:20~16:00の間の3時間くらいが停電となる予定。今回の計画停電もやるのか、やらないのかの決定が遅かったので、義母や両親は情報を知りませんでした。しかも、計画を変更したり、しなかったり。グループの変更もありました。これでは、パソコンを持っていないお宅の方は間違えた情報を信じてしまうことになります。とくに高齢者は新聞とテレビだけが頼りです。今回は、テレビや新聞のせいというより、東電の決定力不足によるものと思います。今朝は近辺のJRものきなみ運休。ダンナは近くの私鉄の駅に出たけど、まだ電車に乗れていないかもしれません。あまりに急なことで、各会社やお店など、対応が大変です。停電をするのはいいけど、生活が立ち行かなくなるので、もう少し早く決めて欲しいと思いました。ちなみに、下娘は休校となりました。地震で、ラッキーを得た子です。
2011年03月14日
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もう、おとといのことになるんですね。心配してくださった方、どうもありがとうございます。私たち家族は無事です。横浜はあまり大きな被害はなかったようです。でも、本当に驚きました。今まで、経験した中で、一番大きな揺れだったと思います。揺られながら、ニュージーランドの地震を思い出しました。その地震で生還された方、6階の教室にいて、気がつたら床が抜けて下に落ちたと…。わが家はマンションの5階ですが、揺れるピアノを抑えながら、ここの床が抜けて下に落ちたら、絶対に生き残れないと思いました。その生還された方は、本当に奇跡だったんだと思わずにはいられないくらい、怖かったです。結局、わが家は若干棚から物が落ちたくらいで、大した被害もなく、あとでニュースでみたら、震度5くらいだったようです。大したことなかったのですが、これでも十分怖かったです。でも、テレビで震源近くの街の惨状を見て、愕然としました。あったものがすべて一瞬のうちに無くなってしまう恐怖。岩手、宮城は以前旅行で行ったことがあります。福島の相馬は、以前浜通りにある街に転勤になっていた父が母と何度かドライブに行っていたところです。津波で、街がまったくなくなってしまった状況を見て、言葉も出ません。高台まで逃げて、津波からのがれることができた方、もちろん命が助かったことは幸運で喜ぶべきことだと思いますが、高台から、自分の街、自分の家、自分の職場が津波に流されていくの見ながら、茫然としながら、「これから、どうしよう…」、とつぶやいていた姿が心に焼き付いてはなれません。無くなった方はもちろんお気の毒ですが、生き残った方も、地震や津波のトラウマ、家族や仲間を失った悲しみを抱えたまま、何もなくなってしまったところから、また、始めなくてはいけません。本当に辛いことだと思うけど、でも、生きていかなくてはいけない。今回、自分も強い揺れを経験することで、人ごとではすまないことを実感しました。今回は大丈夫でしたが、次はマンションがつぶれるかもしれません。万が一命が助かっても住む家をなくしてしまったら、どうなるかと…。ダンナの職場がなくなったらどうなるだろうかと…。なによりも、家族を失ったらどうなるだろうかと…。いろいろ考えさせられます。大きな被害にあわれた方、どうか心が折れることなく頑張ってほしいと思います。そして、無くなった多くの方のご冥福をお祈りしたいと思います。
2011年03月13日
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こちらは快晴です。 どこかに出かけたくなるような気候。 でもね、外に出ると何か鼻と喉がイガイガ。 ここ近年、この時期が一番辛いんです。 アレルギー薬を飲んだりします。 が、花粉がいよいよ本番になる頃には 気候に馴染んでしまって、 薬いらず、マスクいらずになります。 今年も、この時期乗り越えられるか?!
2011年03月11日
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今週火曜日に父は無事退院しました。検査手術とレーザー治療があったので、結局3週間入院しました。レーザーで喉の病巣を焼いたので、父は声があまりでなくなっています。それでも、手術で声帯をとる手術をすることに比べれば、しゃべれるだけ本人も幸せだと思います。担当のお医者さまは、父の年齢もよく考慮してくださっていて、残りの人生をできるだけ有意義に過ごせるようにいろいろ考えてくださいます。手術の方法もそうだし、退院してこれからの治療法などもそうです。患者さんのこれからの人生を常に考えていらっしゃるようです。父は、この5年間の間に3つの病院に入院経験があります。最初は大腸がんで入院。その時は、横浜ではそこそこ有名な病院の副院長が担当。たしかに腕が良い方だったのだと思いますが、父が高齢ということもあったのか、手術が雑で、結局腹膜がうまくつかなくて、1年後に再手術をする羽目になりました。その担当医師が悪い訳ではないのですが、とにかく膨大な数の患者さんを抱えていて、忙しくて、丁寧な説明も受けれないような状況でした。患者本人や家族が一番望むのは、しっかりした説明による不安の軽減です。初めの病院では、これがありませんでした。そのあと、治った傷跡から、何回か手術用の糸が出て来て、お腹のなかの傷が完治していないのではないかと、父も私たちも心配したのですが、それについても、特に説明はなく、ただ心配ありません、のみ。それに比べると、去年末、腸閉そくでお世話になった近所の病院の担当医師も、今回の担当医師も説明がはっきりとわかりやすくて大変によかったです。事情をすぐに呑み込めない母がちょっとずれた質問をしても、しっかりと丁寧に説明をしてくださいました。どちらのお医者さまも、これからの治療法とかそれによるリスクもはっきりと説明してくれたので、それをもとに父も私たち家族もいろいろ考えやすかったです。医者は人と向きあう職業なので、向き不向きはあると思います。偏差値が70以上だから、医者ができる訳ではない。もちろん病気を治すのが一番の仕事ですが、それだけでなく、患者と正面から向き合える人、決して高飛車にならない人、その、患者や家族の気持ちを思いやれる人。確かに、医者にかかる負担は大きくなりますが、それが本来医者というものではないかと…。そういう意味でも、父はいい医者に巡り合えて本当によかったと思います。
2011年03月10日
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これから、父のお見舞いに行かなくてはいかないのですが、横浜は雪しかも、かなり水っぽい。ボタボタ重そうに降っています。この天気の中、駅まで歩かなくてはいけないと思うと、憂鬱…。昨日、1か月の出張を終えて、とうとうダンナガ帰国別にいいんだけど、家の中が落ち着かなくなるのよね~。来月末まで、出張ないんだって……憂鬱…管理組合の理事会に出たんだけど、ペット問題がまた浮上してきて、今年はまたまた厳しくなりそうです。今まで、理事会の間でも、わが家の猫は秘密にしていたのですが、今年はアンケートを取るらしいので、とうとうばれてしまいそうです。憂鬱…上娘の体調が悪い…。毎年、この季節はダメな上に、先月の受験の疲れがどっと出たためなのはわかっているんだけど、いろいろ憂鬱なことが重なっているので、体調不良の娘のケアがうまくできませんとりあえず、今週に父は退院できるし、少しずつ、また、復活できる気持ちをたてなおさなきゃね…。
2011年03月07日
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まず、父の近況です。すこぶる元気です先週の木曜日にレーザー治療を受け、さすがに次の日は少し辛そうだったのですが、今はもう元気が有り余っている様子。お見舞いに行くと、いつも退屈そうに暇をもてあましている様子がよくわかります。動いていないとストレスになる人なので、とにかくワサワサよく動いています。傷の経過も悪くなさそうなので、このままいけば、来週早々には退院できそうです。で、家族愛について。よく、ドラマや映画で、家族が病室で患者の手をギュッと握って見守るシーンってありますよね。私たち家族にはそんなことありえないんです。手を握るなんて…父は入院してから、検査手術とレーザー治療の手術と2回手術を行っています。その1回目の検査手術のとき、姉と私が二人で付き添いました。手術を終え出てきた患者はベットごと出て来て、ICUに連れて行かれますが、その直前に家族は一瞬だけ患者に会うことができます。父は簡単な手術だったので、出てきたときはもうろうとしながらも目が覚めていました。ここからです。姉と私が「無事終わったからね。よかったね。」と父に声をかけていたら、そばにいた看護士さんが、父の布団をぱっとめくって、「さあさあ、どうぞ手を握ってあげてください。」って。姉も私も「えーー」ドン引き駄目なんですよね、本当にこういうの。2回目の手術は、母も気になるからと言って来たのですが、手術が終わるのを待っている間、母と姉と3人で話していたことは、誰が父の手を握るか、ということ。長年連れ添った間柄なのだから、やっぱり母でしょう、と姉と言っていたら、母、「私こういうの駄目。ぞっとしちゃう。」いやいや、私たちも嫌だからね、と押し付け合い。なんという会話でしょう本当にひどい家族ですよね。結局このときの看護士さんは特に何も言わなかったので、助かりましたが…。あのジャーナリストの鳥越俊太郎さんは、手術のあと目覚めたら二人の娘さんが手を握っていてくれたとおっしゃっていました。家族がどのような付き合い方をしてきたかによるのでしょうね。私家族は、本当にスキンシップの少ない家族だったと思うんです。厳しい母は、親離れができなくなるからといって、小さいときからほとんど私たちを抱くこともありませんでした。父と手をつないだのも、幼稚園くらいが最後でしょうね。まあ、ふつうはお父さんと手をつなぐことはあまりないでしょうけど。この手を握る一件の後いろいろ考えてしまいました。これが自分の子供だったら手を握るかもしれないけど、ダンナだったら絶対にいやだろうな、とか…。逆にダンナも私の手は握らないだろうなぁ、握られたらかえって、気持ち悪いかも、とか。人の表現方法はいろいろです。義母は義父が入院していたときは、日に3回も4回も見舞いに行っていましたが、そばに静かに座っているだけで、特に声をかける訳でもなく、もちろん手を握る訳でもなく、でも、そばにいるということが義母の愛情表現だったのだと思います。手術のあと手を握らないからといって、別に父を大事に思っていない訳ではありません。父が病気になったからといって、極度に落ちこむことはありませんが、だから愛情が薄いとも思いません。愛情の表現は人それぞれです。それは、ずっと一緒にいた家族だけがわかることです。父も、きっとそのあたりは理解してくれているのではないかと思っています。
2011年03月04日
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昨日、上娘の2浪が決定しました。ちょっと前までは、浪人生につきあう日々を過ごすのはもう嫌だと思っていたのですが、最近は、心の整理もできました。むしろ、昨日の試験結果を見て、かえってすっきりした気持ちです。考えてみれば、冬直前まで、体調が安定せず、とても勉強どころではない状態だったのだから。このペースで高校2年間分の勉強の遅れを取り戻すには、時間が足りなかったんだと。娘はまわりの子たちと競争してもしょうがない、彼女のペースで進んでいけばいいと思っています。今年大学に受かったら、コンテンポラリーダンスのコンクールに挑戦したいと言っていたことは、来年におあずけになってしまいましたが、今年はアルバイトも少しやってみたいと言っています。そんなことでもしないと、また、寝たきりの生活になってしまいそうなんだそうです。少しずつ前に進んで行きましょう。
2011年03月02日
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