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2004年11月26日
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カテゴリ: 沖縄関係
 芭蕉布や木綿・苧麻が主流とすると、養蚕での絹織物の方が容易く、着心地も良い。歴史を紐解くと・・・。

 沖縄本島の貴族階級は、本土や中国貿易により買い求めていた様である。

 沖縄の絹織物を最初に始めたのは、久米島で琉球王(尚真王)の時代から始まった。王の奨励により、久米島は紬を貢納品として始まった。
 八重山での養蚕は、それから300年後「1815年」石垣島・登野城に住む「石垣善全」により、伝授されたと言う。

 「石垣善全」は、蔵元の役人であったが、蔵元で盗難事件があり、その責任をとらされ流罪。
 粟国島に流罪中(12年間)養蚕法・製糸法・絹織物を研究する。
 赦免になり、石垣島に戻る時、蚕を持ち帰り、島民に養蚕法・紬(つむぎ)真綿・絹織物を伝授。


 が、首里王府の養蚕禁止令が出され、弾圧を受け崩壊。

 首里王府は、「人頭税」での粟・米などの穀物は、王府内で消化し、上布などの貢納品は、他の諸国との交易事業に利用。
 養蚕を他の島で行うと、貢納品の価値観が変わる為か?

 島民は、再び芭蕉布を重ね着するようになる。

 明治27年 八重山島役所の主任が、故郷鹿児島より蚕を取りせ、夫人が養蚕を始めたのを機会に、各村長達は産業として奨励し、養蚕・桑苗の無償配布・養蚕製糸法の講習会を開き指導した。
 しかし、木綿糸や綿布が安く手に入れることが出来、自家用布には、木綿を使い、「1659年」から作り続けた「赤縞上布」が賞品化され、アダン葉業・煙草葉業・などが全盛になり、養蚕業は振るわない。
 役所は、養蚕の奨励を続け、「大正時代」からようやく軌道にのり、「大正7~8年頃」繭の破格の高値が付き、「赤縞上布」と並ぶ一大産業となる。
 「大正9~10年」繭の価格下落による衰退。
 「大正11年」再び、繭の価格上昇し、養蚕飼育者の急増による桑不足が発生。
 離島まで、桑を取りに行く始末。
 その後、桑園事業が沢山でき、「大正15年~昭和5年」養蚕全盛期をむかえ、蚕種製造・製糸・くず繭の利用・絹織物と発展。

 主に、白生地は、夏の紳士服として、又、青や黒の紋付になり、友禅染めの帯地、はたまた、繭や糸を本土に送り、羽二重・ちりめんなどの着物地を織らせたりした。
 その後、他府県同様の養蚕として発展と言う段階に成りかけた「昭和19年」秋蚕を最後に、戦争勃発。
 中止を余儀なくされ現在まで行われていない。

 養蚕としては、最適地であるにも拘らず、時代に左右され翻弄し続けた絹織物の歴史。

 着たい時には着る事も出来ず、着る事が出来ても僅かな時間。
黄八丈のような赤縞紬 会津木綿着尺 〔赤縞〕
伝統的工芸品 小千谷紬 藍古布





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最終更新日  2004年11月26日 10時23分11秒
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