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【2016年5月31日(火)】 今日は、月イチの三重県へのお墓参りの日。お天気もよく、気温も28度程度止まりで、それほど暑いという感じではなかったので、気候的にはよかったです。普通なら、高速代が安い土日に行くのですが、今回は特殊事情があり、平日に二人で出かけました。今回の目的は・お墓参り・実家お仏壇のお参り・実家のケア(部屋・押入れの空気入れ替えと庭の草刈りなど)・駐車場のケア(除草など)・三重県地方銀行の通帳記入のルーティーン以外に、・火災保険の満期手続き・家族の戸籍謄本入手・仏壇屋さん相談・不動産屋さん相談がありました。 火災保険の満期の手続きが、JAさんで平日しかできないので、今回のお墓参りを平日にしたというわけです。 名神の集中工事で渋滞が発生しているとの情報がありましたが、幸い渋滞なしで1時間半で実家に到着。空気の入れ替えをし、仏壇でいつものようにお勤めをして、お墓参り。 その後、私だけJAへ。母が亡くなってから実家は空き家になっていましたが、火災保険をかけ続けていました。それが満期になり返戻金が戻ってきますので、その手続きです。空き家でも、火災保険はかけておいたほうがいいのではないかとも思いましたが、色々調べ考えたうえでの結論です。 詳細はこちら。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605310005/ 満期返戻金は現金で受け取って、その足で別の銀行に行って入金。人生で3番目に多額の現金を持ち歩く機会になりました。1番は今住んでいる家を買う時某銀行でお金を引き下ろして、他の銀行で入金するとき。2番目は、がんの粒子線治療を受けるとき治療費を病院にハンドキャリーしたときです。 次に、ある手続きで必要な家族の戸籍謄本を市役所支所でゲット。家族の本籍は三重県のままにしてありましたから、この機会にゲットです。 その次に仏壇屋さんに二人で行きました。実家を取り壊す予定なので、実家の大きな仏壇を閉眼法要してもらったうえで処分し、小さめの仏壇を購入して自宅に置こうと考えているので、アポを入れたうえで相談に行きました。実家の仏壇の仏像やお軸を新しく購入する小さめの仏壇に移せないかと聞いてみましたが、大きさ的に無理とのこと。仏像もお軸も処分せざるを得ないようです。仏像やお軸も処分業者で引き取って、再度供養のうえ処分してくれるそうですが、仏像やお軸は、菩提寺さんで引き取ってもらうことも可能かも知れないとのこと。位牌もたくさんある場合は、小さな仏壇には入らないので、入りきらない位牌は、過去帳に記載のうえ、菩提寺さんに引き取ってもらえることもあるとのこと。まずは菩提寺に相談です。カタログだけいただいて帰ってきました。 失敗談を一つ。大きさを確認してもらうために、仏像とお軸を仏壇から外して袋に入れて仏壇屋さんに持っていったのですが、閉眼法要が済まないうちは、むやみに外に持ち歩くものではないと仏壇屋さんに、それとなくたしなめられました。 残りの不動産屋さん相談というのは、中古車屋さんに貸している土地と実家のある土地の売却価格について、K不動産に見積もりをもらったのですが、それについて会って色々お聞きしたいと申し入れしていたものです。しかし、その不動産屋から一昨日電話があり、別件が入ったので、日を替えてくれなかとのこと。こちらが先に予約していたのにずいぶんです。当方の物件があまりうま味のある話ではないので、気持ちは分かりますが。まあ急ぐ話ではないので、これは次回のお墓参り予定の、6月26日まで遅らせました。かなり先なので、先方もちょっとびっくりしたようですが。ということで今回はこの件はなし。 今日は色々用事があるので、実家の草刈はしないつもりでしたが、あまりにもぼうぼうに伸びているので、止むなくカットしました。いつもは袋に詰めて持ち帰るのですが、今回はカットだけ。 最後に、銀行での記帳と、駐車場の除草剤撒き。1年くらい前から除草剤を撒いてきたので、以前のようにぼうぼうには生えませんが、やはりこの季節、元気を盛り返してきます。ケースに残っている除草剤を全部撒きました。 帰りは多少渋滞があり10分くらい余分にかかりましたが、午後6寺過ぎには帰宅できました。思ったほど暑くなかったですが、あれもこれもあったので疲れました。 バレーボール男子五輪予選、中国にも、ポーランドにも完敗でしたね。やはり男子は無理かなぁ。 一昨日ですが、全仏オープン4回戦、錦織選手、ガスケに負けちゃいましたね。雨による中断でガスケがペースを変えてきて、それに対応できませんでしたね。最近、ランク下の選手には確実に勝てるようになったので期待していたのいですが、ベスト16止まり。残念です。昔の日本人選手ならベスト16まで行ったと、大騒ぎになるのですが・・・・。そういう意味では、これからの選手は大変です。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/31
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【2016年5月31日(火)】 母が5年前に亡くなってから三重県にある実家は空き家になっていました。最初から帰って住むつもりもなく、築40年くらい経って資産価値もなかったのですが、借家にするとか、店舗部分だけ貸すとかという方向も少しだけ考えていたので、補償額を下げたうえで、火災保険をかけ続けていました。それが今回満期になり、継続しないのであれば満期返戻金が全額戻ってくることになりました。 その満期戻金の一部を使って、火災保険をかけ続けることも考えましたが、もう貸したりせずに、家を取り壊して、土地を売却しようという決心がついたので、火災保険はかけ続けないことにしました。 過失がなくて隣家に類焼した場合でも、補償する必要はないようですが、お見舞いのお金くらいは渡したいもの。保険金は家の再建に使う必要はなく、保険に加入しておけば、保険金を火災後の後片付けや、隣家へのお見舞い金に充当することは可能です。空き家は一般的に保険料が高くなるようですが、私のように定期的に実家に帰って、家の管理をしている場合は、住宅用として扱われるため、保険料も特別に高くはならないようです。 そういうことはネットで調べて分かりましたが、何かあっても手持ち分で何とかなるだろうと見込めるので、火災保険は「断捨離」です。 今日、お墓参りで実家に帰りましたので、保険を扱っているJAさんに立ち寄りました。満期手続きは、ほどなく済みました。満期返戻金は銀行振込みも可能でしたが、手数料がかかるというので、現金で受け取って、その足で別の銀行に行って入金。人生で3番目に多額の現金を持ち歩く機会になりました。1番は今住んでいる家を買う時某銀行でお金を引き下ろして、他の銀行で入金するとき。2番目は、がんの粒子線治療を受けるとき病院にハンドキャリーしたときです。 放火などで火災が起こらないことを祈るばかりです。一つ「終活」も進みました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/31
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5月1日撮影の「アジュガ(セイヨウキランソウ)」@ご近所散歩 です。 シソ科 キランソウ属。原産地はヨーロッパ。開花期は4~6月。 別名をセイヨウキランソウ、セイヨウジユウニヒトエといいます。日本に自生するジュウニヒトエの近縁種。観賞用として渡来したものが逸出して野生化しており、私がご近所散歩で撮影したのもそうだと思われます。 Ajuga(アジュガ)は、ギリシャ語の「a(無)+jugos(束縛)」が語源。「ジュウニヒトエ(十二単衣)」は、花の咲く様子を宮中の女官などが着る十二単に見立てたもの。ジュウニヒトエ 「キランソウ(金瘡小草、金襴草)」は、アジュガとよく似た花を咲かせますが、アジュガが立った茎に沿って花が上下方向に並んで咲くのに対し、地面を這う茎に花を咲かせます。キランソウ 「キランソウ(金襴草)」の由来は、草むらに密生して咲く様子を「金襴(きらん)」という織物にみたてたといいます。 「キランソウ(金瘡小草)」の由来は、花の下側の唇がランの唇弁のように発達しており、花が紫のため、紫蘭草(シランソウ)がなまってキランソウに変化して、中国名の金瘡小草という漢字を当てたのではないかとのこと。 「キランソウ」には「ジゴクノカマノフタ」あるいは単に「カマノフタ」の別名があります。墓地などにもよく生えていて、お彼岸のころにこの茎や葉がべったりと地を覆うさまを、特に誇張して名づけたとのこと。また、薬効があるため、地獄へ行く釜にふたをするほどの効き目とのことで名づけられたとも謂われています。「みんなの花図鑑」サイトで花の名前を確認教させていただきました。ドラゴンズさんこだっくさん秀さんだよさんsazankaさんよっちゃん×3さんMAYU的さんリンゴちゃんさんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/31
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 過去の悪い行いを反省し、心を清らかにする「御懺法講(おせんぼうこう)」が30日、京都市左京区大原の三千院で営まれた。経文に旋律をつけて唱える声明(しょうみょう)が雨上がりの境内に厳かに響き渡った。 御懺法講は1157年に後白河天皇が宮中の仁寿殿で営んだのが始まりとされ、門跡寺院などに伝わってきた。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や昭和の太平洋戦争などの影響で何度か途絶えたが、天台宗の最も重要な儀式として三千院が1979年に復興した。 法要は午前11時から宸殿(しんでん)で始まった。導師を務める三千院の堀澤祖門門主をはじめ、9人の僧侶が堂内に入り、雅楽の調べの中で高らかに声明を唱えた。儀式は2時間にわたって営まれ、終盤には花びらをかたどった紙を僧侶がまく「散華(さんげ)」があり、約290人の参列者が古儀にのっとり再現した宮中法会を静かに見守った。声明を唱え、散華しながら堂内を回る僧侶たち(午後0時15分、京都市左京区大原・三千院)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 松竹は30日、京都の師走の風物詩「吉例顔見世興行」について、今年は耐震改修に向けて休館中の南座(京都市東山区・1048席)に代えて、先斗町歌舞練場(中京区・540席)で行うと発表した。 先斗町歌舞練場は花街・先斗町の芸舞妓のホームグラウンドで、毎年5月に開かれる「鴨川をどり」の会場として知られる。松竹は複数の劇場を候補に検討した結果、花道など歌舞伎芝居に適した舞台機構を備えていることや、1カ月にわたる長期の興行に対応できることなどから、同歌舞練場を選んだ。 南座以外での顔見世は、劇場の大改修を行った1990年に祇園甲部歌舞練場(東山区)で開いて以来。南座の藤田孝支配人は「会場は小さくなるが、京都の人から歴史的に愛されてきた顔見世の伝統や意義を守りつつ、にぎわいを紡いでいきたい」としている。今年は五代目中村雀右衛門襲名披露興行で、公演期間や演目は後日発表する。 南座は改正耐震改修促進法に基づく診断で、耐震基準を満たしていないことがわかり、1月中旬以降、休館している。現在、改修方法について具体的な検討を進めているが、工事期間や再開時期は決まっていない。南座に代わって、今年の顔見世が開かれることになった先斗町歌舞練場(30日、京都市中京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 伏見城や大坂城の石垣の石切場だったとされる京都市山科区の山中で、「十」の印が入った大名刻印石が29日までに見つかった。漢数字か島津家か、はたまたキリシタン大名を示すのか…。山科の地に新たに現れた刻印石はどんな意味を持つのか、採石場跡の謎はさらに深まっている。 新たな刻印石は、市遺跡地図台帳に記載されている「大塚・小山石切丁場」がある同区小山の麓付近で地元住民らの研究グループが見つけた。こけむした大きな石の表面に縦棒約14センチ、横棒約10センチの「十」の印が刻まれ、石を割るための矢穴も入っていた。 採石場は豊臣時代から徳川時代にわたって使われたとみられている。これまでに毛利家の「一に○」と、「平四つ目結」など15個の刻印石が見つかっている。 「十」の意味は、研究グループの中でも議論が分かれており、漢数字で採石場の範囲を表した▽島津家の家紋で採石範囲を示した▽キリシタン大名の暗喩-などの意見が出ている。ただ、近くに毛利家の石切場があるため、同じ西国大名の島津十文字を示す可能性は高い。 研究グループの武内良一さん(75)は「採石場から切り出して麓へ運ぶ途中で置いていかれた石ではないか。淀城などでも似た刻印石があり、伏見城から転用された流れがある程度分かってきた。まだまだ多くの石があると思うのでほかの人も見つけて報告してほしい」と言う。 採石場に詳しい芦屋市教育委員会の森岡秀人さんは「初めて『十』の刻印が出てきたのは重要だ。漢数字の可能性は低く、家紋のほかにはキリシタンの印や『×』なども考えられる。今後の調査に期待したい」と話している。新たに見つかった「十」が印された大名刻印石(京都市山科区小山)「十」の刻印石が見つかった現場ワルディーのコメントこの前、牛尾観音を訪問するのに通った道沿いのようです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年4月6日の記事≫ 「患者を生きる」は3月1日掲載の「再訪編」で、連載3千回を迎えました。今回は、連載に寄せられた思いをご紹介します。 ●10年間毎日続けたスクラップ 連載開始の2006年4月から16年3月までの約10年間、毎日記事を切り取り、テーマ別にスクラップしています。画用紙の表紙に手書きで目次をつけて、小冊子を作ってきました。連載1千回、2千回の時も紹介され、その後も続けています。40冊になりました。 薬剤師をしており、顧問を務める栃木県の佐野市民病院の1階にある本棚に、患者さんが閲覧できるように置いてきました。 今思えば長い道のりでしたが、「悩める患者さんに最新の医療情報を伝えたい」という思いで、コツコツと実行してきました。自分でも、一日も休まずによくやってきたと思います。一人の医療人として、学習のためでもあったかもしれません。 10年前と比べて、インターネットが普及したことで情報過多になり、患者さんが迷うことも多いと感じます。なおさら、正しい情報を伝えていく必要性を感じます。 (栃木県 男性 77歳) ●患者の姿に力づけられた 初めて乳がんと診断されてもうすぐ10年、転移が見つかってから3年になります。患者でありながら力強く生きる人の姿が道しるべになり、自分を重ね、まだまだ頑張ろうと心に語りかけています。 脳、骨、肺に転移し、放射線治療装置「ガンマナイフ」による4回の治療結果は良好ですが、肺は化学療法中です。治療や病気の影響で、視野が欠ける「半盲」や、歩行困難になり、車いすを使う生活です。「何のために生きるのか」と思うこともあります。 でも、泣いていて良くなるわけではありません。以前から旅が大好きで、「行ける時に行かないと後悔する」と思い、今年3月にはシンガポールを旅行しました。 出発前は不安もありましたが、人の親切を感じ、生きる喜びになりました。意志あれば道通じる。家にこもらず、一歩外に出た方が気持ちが良い。「あなたが元気だから私もがんばれる」と話すがんの友達のためにも、明るく生きていこうと思います。 (長野県 女性 67歳) 「患者を生きる」3千回を記念してシンポジウムを開催した=2月6日、東京・有楽町>10年前と比べて、インターネットが普及したことで情報過多になり、>患者さんが迷うことも多いと感じます。 確かに、ネットに情報はたくさんあります。しかし、全面的に現代医療を否定するサイトのアクセス数が半端じゃなく多くて、恐怖を感じています。新聞記事がすべて正しいとは限らないし、盲目的に信じるのはよくありませんが、この男性同様、少しでも役に立つ情報をと思い、私の気づきも含めて、こうやってアップさせていただいています。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/31
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【2016年5月30日(月)】 朝、車を出した後、その足でゴルフ練習に行きました。 復帰後13回目の練習。次のラウンド6月7日までの最後の練習。 前回に続き、ドライバーの練習です。 前回の気付きは、正解かどうか分かりませんが、下記。・スタンスはややクローズで、しっかり構える。 膝の余分な動きを防ぎ、腰を捻転させるのを助ける。手に余分な力が入らない。・ボールは左足かかとより、やや中心。あまり体に近づけない。余裕をもって。 前過ぎるとトップに繋がる。 近づけると、手が曲がって窮屈な打ち方になるし、インパクトの角度も安定しない。 ダフリの原因にもなる。・背中が打球方向を向くくらいまで肩を入れる。 手打ちにならず、ボールも自然にとらえやすい。・バックスイングで左手は伸ばす。・ハンドファーストで振り始める。 これで前回、最後の方はよかったのですが、今日は出だし、チョロばかり。何やってんだかという感じで、情けない限りです。 気を取り直し、色々考え、すくい打ちになっているのではと気付きました。ボールのかなり手前で最下点になり、ボールに当たるころにはヘッドが上に上がった状態になっているようです。 バックスイングで、ダウンブロー気味に打つことによって、チョロは全くなくなりました。ボールの軌道がまだまだ不安定ですが、ボールは確実に捕えることができるようになりました。今日の気付きも含めてまとめると、・スタンスはややクローズで、しっかり構える。 膝の余分な動きを防ぎ、腰を捻転させるのを助ける。手に余分な力が入らない。・ボールは左足かかと前。あまり体に近づけない。余裕をもって。 前過ぎるとトップに繋がる。 近づけると、手が曲がって窮屈な打ち方になるし、インパクトの角度も安定しない。 ダフリの原因にもなる。・背中が打球方向を向くくらいまで肩を入れる。 手打ちにならず、ボールも自然にとらえやすい。・バックスイングで左手は伸ばす。ダウンブローのため耳の高さまでバックスイングする。・ダウンブローで、ハンドファーストで振り始める。・アドレスしたら、打つ方向は見ない(正解かどうかは???)・打つ前に、ダウンブローを意識して、ボールまでの素振りを何度かする。これで次回やってみます。番手の高いアイアンも同じようにやってみます。 時々パットの練習をはさみました。 前回の練習でうまくいった下記で今日もやってみました。・膝は曲げずに足に力を入れ(手に余分な力が入らない)、 上体はあまり前かがみにならないようにアドレス。・ボールは左目下・バックスイングは小さく、フォロースル―は大きく前回同様、感じいいです。 アドレスしたら、カップは見ない方がいいのかどうか、次回ラウンド前に試してみます。 今使っているピン型がいいか、太グリップに替えたツーボール型がいいかは、次回ラウンド前に、どちらが距離や方向のバラツキが少ないかを見極めて決めます。そのうえで、バックスイングの大きさと距離の関係を掴みたいと思います。今までやったことがありませんが、ピンからボールまでの歩数を計るようにしたいと思います。 グラフは、日本に帰任してからの全ラウンド(108ラウンド)のオーバーパー数の分布です。1ラウンド中、あるオーバーパー数が平均いくつあるかを示しています。 バーディーは0.06ホール(過去7回)ですから、17ラウンドに1回程度です。 パーは1ラウンドに2ホール、ボギー5ホール、ダブルが5ホール強、トリが3ホール強、4オーバーが1ホール強。5オーバー以上を合計すると約1ホールあります。4オーバー以上を合計すると、2ホール強ということになります。 悪いほうの最大は10オーバーというのが過去1回だけあります。 今日は、朝は雨がショボつく、肌寒い一日でした。家内はテニス。私はゴルフ練習以外はルーティーンでした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2016/05/30
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2016年5月7日(土) 「京都市内全寺社巡り」の山科区8日目の第2回です。 ◆この日全体の行程、ルート地図と第1回http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605290006/◆この日の訪問スポットのプロットhttps://drive.google.com/open?id=1SGrnwgoP7rixTRJqtGOjDEo2oaE&usp=sharing=============================== それでは山科区第8日の第2回です。 物騒な張り紙と「ストライキ決行中」の横断幕に驚いた後、少し西に向かいます。●専正寺(浄土真宗本願寺派)一般住宅風の寺院です。山科ではこのような一見して寺院と分からないような寺院が多いような気がします。南に向かいます。●増福寺(浄土宗)●王将フードサービス本社 以前社長の銃撃事件のあったところです。「王将、負けずにガンバレ」の雰囲気がありましたが、最近では黒い噂が話題になり、イメージダウンです。 東証一部上場 売上高 753億17百万円(平成28年3月31日現在) 従業員 2,000名(平成28年3月31日現在) 店舗数 直営店:473店舗 FC店:233店舗 合計706店舗(平成28年3月31日現在) 昭和44年頃、兄弟喧嘩のような形で『大阪王将』が分派として飛び出したそうです。●来来亭 昼食はこの日はその王将ではなく、来来亭山科新十条店。味噌ラーメン、餃子、生中をいただきました。 元気を出して、もう一度歩き始めます。 岩屋寺へ向かう途中に多くの道標があります。いかに大石内蔵助が人気だったかということを示していると思います。(碑文は京都市歴史資料館フィールドミュージアムにサイトの「いしぶみデータベースを参考にさせていただいています。)●義士大石良雄寓居地【道標】 左 大石やしき(埋没)【道標】(この2つは「いしぶみデータベース」にないようです)大きい方の碑の裏には多くの字が彫ってあります。●岩屋寺【道標】 [東]本尊大聖不動明王岩屋寺 [北]右 上 大石旧地義士四十七人 [西]天保十四年癸卯九月 [南]施主 銭屋八良兵衛●山科の棲家(すみか)岩屋寺【道標】 [東]右奥深き山科の棲家岩屋【以下埋没】 [南]当寺実物義士木像拝観 [西]明治四十一年十二月一日泉妙場●大石大夫閑居址 [東](巴紋)大石大夫閑居址 [西]昭和十三年戊寅歳五月 神遊山金地院巌谷寺前住八十三居西川堅明識 [南] 十二代天神治三郎 深見源次郎 西村喜三郎 大 和田卯三郎 布井公弥 井上丑松 熊野惣平 日野ツキ 山口徳次郎 阪 前田興兵衛 北村マス 西田条次郎 杣田ミツ 発 布井鹿之助 宇野徳蔵 斎藤トモ 起 前田儀兵衛 仝 キヌ 取次丹羽勝造 人 仝 イマ●大石良雄閑居址・岩屋寺【道標】(岩屋寺内)●岩屋寺(曹洞宗) 忠臣蔵でよく知られた大石内蔵助が隠棲して討ち入りの策を練った由緒のある寺です。創建時は比叡山三千坊の一つで天台宗に属していましたが、今は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山金地院と号しています。南隣の山科神社の神宮寺だったこともあるようですが、赤穂義士・大石良雄が隠れ棲んだことでよく知られ大石寺とも呼ばれています。智証(ちしょう)大師の作とされる本尊大聖(だいしょう)不動明王が本堂に安置されており、近畿三十六不動尊第二十四番霊場として信仰を集めています。この不動明王は大石良雄の念持仏でもありました。寺域には大石良雄の遺髪塚と邸宅址があります。大石良雄は討ち入りが成功した後に邸宅、田畑等のすべてを岩屋寺に寄進しました。境内には本堂と明治年代に建立された木像堂があり、大石良雄の遺品や浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)の位牌、四十七士の位牌、遺品等が安置されています。毎年12月14日には「山科義士まつり」の行列が行われ、討ち入りの当時が再現されます。大石良雄君隠棲旧址碑 [南東] 明治三十四年仲秋 大石良雄君隠棲旧址 正三位勲二等男爵北垣国道題 播磨赤穂藩主浅野家の家老大石良雄(1659~1703)は,江戸城内での刃傷沙汰で領地召し上げとなったため,縁戚で浅野家に仕える進藤源四郎の縁故により,進藤の出身地である山科に居を構えた。ここから伏見撞木町に通って吉良邸討ち入りの機を見計らっていた。この石標は,その隠棲の跡を示すものである。 京都府第3代知事北垣国道の書です。大石内蔵助遺髪塚忠誠堂(納骨堂) 大石内蔵助の座像とともに永代供養されています。岩屋寺への階段大石稲荷大神 階段の横にあります。本堂ご朱印 いただくときに、他に訪れる人もいず、庵主さんと少しくお話させていただきました。主に世間の風潮の話をさせていただきましたが、「義士祭のときは賑わいますが、それ以外は暇で暇で。観光ガイドをなさるのなら、是非宣伝してくださいな。」などともおしゃってました。心やすまるひと時でした。可笑庵 大石内蔵助ゆかりの茶室可笑庵と大石内蔵助手植えの梅 左に小さく写っているのが、庵主さん。庭仕事の手を休めていただいて、ご朱印をいただきました。梅の木の下にシランの花 庵主さんが、開花時期の長い花だとおしゃってました。大石辧財天かわいいお地蔵様お隣に山科神社があります。急な階段を上っていきます。●山科神社 社伝によれば、宇多天皇の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。 盛時には、社領を丹波、山城に持ち、社殿の規模も大きかったが、度々の兵火のため焼失し、現在は、三間社流造の本殿及び権殿、拝殿、神庫などが残っている。 また、元禄14、5年(1701~2)赤穂浪士の大石良雄が山科の里に接棲していたが、その時、当社奥の院岩屋神社に参篭して、大願成就を祈ったといわれている。(社前の説明板から)(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/30
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5月1日撮影の「セイヨウイワナンテン(西洋岩南天)」@ご近所散歩 です。 ツツジ科 イワナンテン属。日本原産のイワナンテンがありますが、ガーデンではこの北アメリカ原産のセイヨウイワナンテンが用いられています。「アメリカイワナンテン」という別名もあります。「アセビ」に似た花を咲かせ、開花時期は4~5月です。イワナンテンの仲間は常緑と落葉がありますが、セイヨウイワナンテンは常緑です。 主な品種は、 ‘レインボー’:白やピンクの斑が不規則に入ります ‘トリカラー’:新芽は赤で、徐々に白色の斑入りになります ‘アキシラリス’:新芽が赤であとは緑葉。シックな印象です この写真は、「アキシラリス」でしょうか。 名前の由来ですが、岩の上に生え、葉が「ナンテン」に似ることから、「イワナンテン(岩南天)」、北アメリカ原産なので、「セイヨウ」または「アメリカ」が前に付きます。 では、元になった「ナンテン(南天)」ですが、中国では古来、「南天燭」「南天竹」などの名前で呼ばれており、日本名の「ナンテン」は中国での名称を簡略化したものです。これが訛(なま)ってナルテン、ナッテン、ナピテンとも呼ばれるようになりました。南天燭の「燭」は、南天の実が「燭〜ともし火」のように赤く、南天竹の「竹」は株立ちが竹に似ているからこう呼ばれるようになったそうです。赤い実をつける南天は食べ物の少ない冬には鳥の大好物なので、この赤い実が鳥にとって「燭」に見えるという由来もあります。「みんなの花図鑑」サイトで花の名前を教えていただきました。よっちゃん×3さんMAYU的さんリンゴちゃんさんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/30
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 八坂神社(京都市東山区)に奉納する稲を植える「御田祭(おんださい)」が29日、京都府京丹波町下山の神饌(しんせん)田で行われた。青空が広がる山里に雅楽が流れ、地元女性らが扮(ふん)した早乙女が古式ゆかしく稲の苗を手植えした。 下山に分社の尾長野八坂神社があることから1970年に始めた。八坂神社の神職が清めた苗を田長の藤田正則さん(56)が8人の早乙女にそれぞれ手渡した。白と赤の着物に金の帯を締め、すげがさをかぶった早乙女は、雅楽の調べとみこの舞に合わせてゆっくりと苗を植えた。 田植えの後、八坂神社青年部が獅子舞を披露したほか、地元住民が丹波八坂太鼓を奉納した。地域住民や観光客が大勢訪れ、盛んにシャッターを切った。 成長した稲は祇園祭の神輿(みこし)に飾る。今秋収穫するわらは八坂神社本殿のしめ縄に使う。青空が広がる、雅楽の調べに合わせてゆっくりと苗を植える早乙女(京丹波町下山)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院・長圓寺(京都市上京区)で、1枚の古い写真がみつかった。調査の結果、新選組隊士で、明治時代に西本願寺の夜間警備を務めた島田魁の写真だと分かった。保存状態が良く、凛(りん)とした表情が読み取れる。しかし、いつ、誰が、何のために撮影したのだろうか。そんな疑問を解き明かそうと、1枚の写真を手がかりに京都の街を訪ね歩いた。 長圓寺の9世住職来應(らいおう)は明治時代に西本願寺に奉職しており、長圓寺には当時の西本願寺21世明如(大谷光尊)が書いた絵画や、当時事務方のトップだった大洲鐵然(おおずてつねん)に関係する資料などが数多く残る。明治維新後、島田が西本願寺の守衛を務めた頃、長圓寺と接点があったとみられている。 島田の写真は2002年、長圓寺住職清水祐信さん(61)が本堂の整理中に確認した。縦約9センチ、横約6センチで、島田はちょんまげに洋服姿、脇に差した刀に左手を添えている。14年に京都ノートルダム女子大非常勤講師大喜直彦さん(55)が調査し、写真をくるむ包み紙の文章に注目した。そこには、「亡き父のかたみ」の表題で、 此の肖像の原版は亡父魁戊辰の際奥羽転戦中仏人某の撮影せし処にて実に今より去る三十有三年前即年齢四十壱歳の時の真影なり亡父の霊前にて 柳太郎 明治三十三年五月十壱日と書かれていた。 大喜さんによると、柳太郎とは島田の子で、戊辰(ぼしん)戦争中にフランス人が撮影したことや、魁が亡くなって四十九日ごろの法事に合わせて柳太郎が長圓寺に写真を納めたことが読み取れる。写真の島田の姿はインターネットでも検索できる、よく知られた写真だが、長圓寺が所蔵する島田の写真はオリジナルである可能性が高いという。 このほかに、寺に残されていた別の資料から、魁の家族は全員「太鼓堂」(現在の西本願寺太鼓楼)で亡くなったと書かれ、魁だけは「下魚棚四丁目」となっていることも確認された。 島田の孫は、遺品を東山区の霊山歴史館に寄贈している。副館長の木村幸比古さん(67)と遺品を確認するうちに、島田の写真につながると思われる複数の資料が確認できた。京都市上京区の長圓寺が所蔵する島田魁の写真明治時代の島田魁が勤務したとされる西本願寺・太鼓楼(京都市下京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 流鏑馬(やぶさめ)発祥の地とされる京都市伏見区の城南宮で28日、城南流鏑馬が行われた。時代装束をまとった射手が参道を疾駆し、矢が的に命中すると観客から大きな歓声が上がった。 平安時代に白河上皇が城南離宮で催した流鏑馬が、史料に残る最も古い記述とされる。1221年に後鳥羽上皇が流鏑馬を理由に兵を集め倒幕を謀った「承久の乱」以後は途絶えたが、2005年に復活した。今回は境内の摂社・真幡寸(まはたき)神社と近くの飛鳥田神社が「官社」に昇格して1200年に当たることから3年ぶりに開催した。 参道210メートルに砂を盛って即席の馬場を整え、京都産業大の学生が的を立てる役や矢を拾う役などで初参加した。射手は馬上から三つの的を目掛けて矢を放ち、命中してパーンと音が響くたびにどよめきが起こった。疾駆する馬から弓を放ち、的に命中させる射手(京都市伏見区・城南宮)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年4月5日の記事≫ 今回は、「心のケア」編に頂いたお便りを紹介します。大腸がんが肺に転移した女性が、体温や血圧などを記録しているノート=「心のケア」編から ●置き去りになっていた心 昨年11月、50歳の夫を急性骨髄性白血病で亡くしました。春に病気がわかり、7カ月間の入院のほとんどを無菌室で過ごしました。 面会は家族だけ。私は毎日仕事が終わると病室に行きました。せめて夕食だけでもおしゃべりしながら食べてほしかったからです。 夫は、大量の抗がん剤治療、末梢(まっしょう)血幹細胞移植と激しい苦痛を伴う治療を立て続けに受けました。「うちに帰るためだから」と泣き言一つ言わないで頑張っていました。痛みがひどく眠れない日も続きましたが、取り乱すことなく、静かに痛みと闘っていました。 亡くなった後は葬儀などをこなさなければなりませんでした。でも、状況が落ち着きだすと、心が平静ではいられなくなりました。治療中は「支えなければ」という思いが先に立って、心が置き去りになっていたと思います。 自分の気持ちを話せば、「いつまでも泣いていたらダメ」「成仏できない」と誰からも言われてしまい、何も言えなくなります。患者の家族は悲しみを隠して生きていかなければなりません。家族にも心のケアは必要だと思います。 (愛知県 女性 50歳) ●つらい気持ち、打ち明けた 6年前に食道がんと診断され、手術を受けました。手術後、流動食をとれるようになった頃に腸閉塞(へいそく)になり、再手術になりました。 それから、つらい日がたくさんありました。今となってはどうしてそんなことを考えたのだろうと思いますが、当時は「この年でがんになって、もう生きていてもしょうがない」と思いました。 気持ちがどんどん落ち込み、夜も寝られず、見回りの看護師さんの手を握って、つらい気持ちを打ち明けて泣きました。 看護師さんが医師に進言してくださり、心療内科の診察を手配してもらいました。薬を飲んだら、少しずつ前向きになって治療を受けることができました。やはり、患者にとって精神的なケアは大切だと思います。 今も心療内科に通い、ヘルパーさんの手を借りて、91歳の夫の世話をしながら暮らしています。 (大阪府 女性 83歳)>自分の気持ちを話せば、「いつまでも泣いていたらダメ」「成仏できない」と>誰からも言われてしまい・・・・・・ そうですね。こういった励まし方をしがちです。私の父が鬱になったとき、離れて住んでいたこともあり、そういう接し方をしていて、それを悪いとも思いませんでした。しかし、家内が同じような状態になって、そういう励まし方がかえって追い込むことになるというとを色々勉強して知り、接し方を改めました。>薬を飲んだら、少しずつ前向きになって治療を受けることができました。 こういった精神的な面は、薬に頼るのはよくないと思いがちです。しかし、必要に応じて薬の力を借りることは大切です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/30
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【2016年5月29日(日)】 天気予報に反して、雨が降ってきたので、散歩は私もワンちゃんもなしです。写真は、4月29日の京都ウォーキングで、山科区東野で見つけた「カキドオシ(垣通し)」です。 シソ科 カキドオシ属。原産地はヨーロッパ。花期は4~5月。別名「カントリソウ(疳取草)」 茎は初めはまっすぐに伸びますが、開花すると地表に倒れて、つるとなり長いものでは1メートルにもなります。このつるが垣根をつき通してどんどん伸びることになります。これが「垣通し」の由来です。 全草を4~5月の花の咲いている時期に刈り取り、水洗いして陰干すると、連銭草(れんせんそう)という生薬になります。子供の、かんを取り除く薬となる、疳取草(かんとりそう)の名はここから来ています。 私の住む桂坂では見かけたことがありません。同じ京都市内でも、すいぶん植生が違うのですね。「みんなの花図鑑」サイトで花の名前を教えていただきました。オレちゃんさんたぁくんさん秀さんだよさん家紋は割り抱き萩さんsazankaさんこだっくさんkurumatabisky(車旅好)さんよっちゃん×3さんMAYU的さんさりとてさんモコモコさんJMさんteinen ojisanさんEくんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/29
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「京都市内全寺社巡り」2016年5月7日(土)山科区8日目の第1回です。 【この日の行程】*11:10バス*JR桂川駅*JR山科駅*地下鉄椥辻駅+歩きスタート12:10・中臣遺跡説明板・朝日神社・左京みち道標(民家に移設?)・折上稲荷神社・中臣群集墳蹟碑・實勝院・イワイ・コーポレーション(ストライキ中)・専正寺・増福寺・王将フードサービス本社・来来亭山科新十条店(昼食)・岩屋寺義士大石良雄寓居碑道標・大石やしき道標・岩屋寺道標・大石太夫閑居址道標・岩屋寺道標・大石良雄山科閑居址道標・大石良雄君隠棲旧址碑・大石良雄遺髪塚・岩屋寺・山科神社・大石神社・大石神社創立記念碑・福王寺・極楽寺・大徳寺・大石乃瀧道標(今回発見)・愛宕神社(前回発見できず)・今熊野観音道十八町道標・万因寺・八幡神社・山科本願寺土塁跡南西角碑・山科本願寺跡碑+17:50地下鉄東野駅*地下鉄四条駅*阪急烏丸駅*阪急桂駅 *バス*自宅18:30◆ルート地図◆訪問スポットのプロット https://drive.google.com/open?id=1SGrnwgoP7rixTRJqtGOjDEo2oaE&usp=sharing◆歩行距離 山科区の歩き部分(約11.2km)◆歩数 自宅往復 19,000歩。===============================それでは山科区第8日の第1回です。地下鉄椥辻駅から歩き始めます。以前歩いた付近ですが、帰ってきてから中臣遺跡の説明板が、勧修寺第二市営住宅の敷地内にあることが分かりましたので、まずはそこからスタートです。すぐに発見できました。中臣遺跡説明板中臣(なかとみ)遺跡は、後期旧石器時代(約20,000年前)から室町時代に及ぶ、山科盆地の中心的な集落遺跡です。検出遺構の主なものには、古墳時代後期から平安時代にかけての古墳や土壙墓(どこうぼ)などの墓跡と、竪穴建物や掘立柱建物などの集落を構成する建物跡があります。中臣鎌足らを出した中臣氏(後の藤原氏)の本拠地でもあります。 北に向かい、新十条通を北に入ったところの朝日神社があります。●朝日神社この地は徳川家光の息女、千代姫が収得し、乙訓郡大山崎妙音山観音寺に寄進され、享保年代に多くの移民によって栗栖野新田が生まれたと伝えられています。その鎮守の神として、この朝日神社が創建されたと伝わります。 民家前に道標発見。「左 京ミち」 この近辺のどこからか移築されたのでしょう。●「左 京ミち」道標 朝日神社のすぐ近くに「折上(おりがみ)稲荷神社」があります。北側の鳥居から入りました。●折上稲荷神社 三九郎稲荷神社 三大苦労(人間関係・健康・お金)を除いてくださる稲荷様伏見稲荷の大神が和銅4年(712)に降臨した際、稲荷山の三ヶ峯の次に降りたのが、この境内の稲荷塚と云われています。幕末、孝明天皇は大嘗祭(だいしょうさい)に際し、長橋局(ながはしのつぼね)など女官の病気平癒を祈願し、長命箸を奉納しました。以来、女性守護のお稲荷さんともいわれ、アメリカの大富豪モルガンと結婚して異国で数奇な運命をたどり、日本の女性、とりわけ京の女性の名前を世界に広めた祇園の芸妓・モルガンお雪など、働く女性の守り神として信仰されています。稲荷塚(京都市史跡) いただいたパンフレット。たくさんのスポットがあります。モルガンお雪の姉、ウタが奉納した鳥居。 お雪の世間の批判を避けるため、四女のお雪の名前の代わりに、 「加藤楼稲吉」という名前で彫られている。 姉ウタが経営していた置屋「加藤楼」に「折上稲荷様」が吉を くだされたという意味。 この鳥居の傍らに「中臣群集遺跡」の石碑があります。「中臣群集遺跡」石碑 五社大明神稲荷様の授け脳 このコブを撫でると健康な脳が授かるとのことひょうたん大神 モルガンお雪が特に熱心に参拝した神様稲荷大明神石碑正面鳥居ご朱印 折上稲荷神社の北北西に花山稲荷神社があります。●花山稲荷神社東の正面の鳥居から入ります。 延喜3年(903)醍醐天皇の勅命により創建されたといわれます。拝殿の右側には、「稲荷塚」と呼ばれる古墳があり、この塚は、平安時代の後期に、三条小鍛冶宗近が、稲荷大神の神徳により、名刀「小狐丸」を鍛えたところとも伝えられています。『赤穂浪士討ち入り事件』で有名な大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)は山科近辺に隠れ棲み、花山稲荷神社を崇敬し大願成就を祈願したと言われています。いくつか謂れのあるものが残っています。断食をしてまでも討ち入りの策を考えたと言われている石です。 もともとは藪(神社背面)の中にあった巨岩(10畳程)で古くは 岩座(いわくら)だったと言われています 農地開発で耕作の邪魔になり爆破されたそうですが、内蔵助の話が失われるのを 惜しんだ当時の神主が破片の中でも1番大きかった物を境内に置いたそうです。大石内蔵助が寄進したという、本殿裏の鳥居、同志の心底を試したと言う『血判石』もありますが、両方とも見逃しました。壊れてしまった鳥居社務所のおじゃましてご朱印をいただきました。年老いた神主さん(だと思います)と、少しお話させていただきました。 寶勝院(真言宗) 花山稲荷神社の南の小さな工場などの集まる地域の中にありました。 一般の住宅風です。安い土地を求めて引っ越してきたのでしょうか。 西に向かう道で、物騒な張り紙を発見。さらに「ストライキ決行中」の横断幕も。帰宅後調べて分かったことを、当日の「京都歩き」に書きましたので、興味のある方は覗いてください。⇒こちら ●物騒な張り紙、横断幕 (続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の昼食会で、京田辺市の高級茶「玉碾(ぎょくてん)」が首脳に振る舞われたのは、開発した茶師小林裕さん(41)=同市草内=に、小中学校の同級生で、パティシエの赤崎哲朗さん(41)が依頼したことがきっかけだった。小林さんは27日に記者会見を開き、「外国に玉露を広めたくて作ったお茶が選ばれて光栄」と語った。 昨年12月、日本茶鑑定士10段で、祥玉園製茶社長の小林さんは、昼食会の食後を担当する赤崎さんから「玉碾をデザートに合うお茶として使いたい」と頼まれた。2人は、市立草内小と培良中で同級生だった。 玉碾は、同市産の最高級の玉露と碾茶で作ったブレンド茶。うま味の強い玉露に、抹茶の原料として使う碾茶を、外国人好みの香りにするため配合した。赤崎さんが料理長を務める大阪市内のホテルで販売していた。 小林さんは今月上旬の新茶の時季を待って玉露と碾茶の吟味を始めた。「2日ほど茶を飲み過ぎて夜に眠れなくなった」と振り返った。15日にサミット会場に玉碾を送った。 26日の昼食会では、玉碾は和菓子、果物とともに振る舞われた。急須や茶碗は、小林さんと赤崎さんが宇治市にある朝日焼の窯元を一緒に訪ね、茶の色が引き立つように赤みがかった陶磁器を準備した。 昼食会のあった夜、小林さんの携帯電話に赤崎さんから「感想は聞けなかったが、堪能していたようだった」と連絡があった。小林さんは「茶農家の伝統を守るためにも玉露を多くの人に楽しんでほしい。そのきっかけにしたい」と語った。 サミットでは、夕食前に、茶農家吉田利一さん(68)=宇治市=が栽培した茶葉だけを使ったワインボトル入りの「King of Green RIICHI premium」が供された。玉碾を手に喜びを語る小林さん(京田辺市田辺・市役所)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 葵祭を締めくくる煎茶献茶祭が28日、京都市左京区の下鴨神社で行われた。梅雨入りをひかえた曇り空で、蒸し暑さも感じられる中、小川流煎茶の小川可楽家元嗣が厳かに一煎を献じた。 葵祭の後祭で、祭りが無事に執り行われたことを報告し感謝する。午前10時から神事が営まれ、本殿前の舞殿で小川家元嗣が一滴一滴に心を込めた茶をいれ、東西2神にささげた。 境内には煎茶の本席と、塩漬けしたシュンランを用いた香煎席が設けられた。訪れた約300人の列席者は、口中に広がる滋味豊かな茶を楽しんだ。厳かな手つきで煎茶をいれる小川可楽家元嗣(京都市左京区・下鴨神社)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 本願寺中興の祖・8代蓮如が晩年を過ごした京都市山科区音羽伊勢宿町の「山科本願寺南殿跡」の発掘調査で、南殿の中心部を囲んだ土塁の北西角の基底と堀の跡が28日までに見つかった。■京都市発掘 復元図、大幅書き換えか 北西のコーナーが確認されたことにより、北側の土塁が北東向きに斜めに築かれていたことが分かり、南殿の復元図が大幅に書き換わる可能性が出てきた。 南殿は1489年に造営された蓮如の隠居所。ほかの宗派との対立もあり、中心部を二重の土塁と堀で囲っていた。市の発表によると、見つかったのは内側の土塁で基底の幅は約5メートル。内郭の規模が東西100メートル、南北125メートルと分かった。土塁の裾には、補強のために石が敷き詰めてあり、山科本願寺ではみられない工法で作られていた。堀の幅は約8メートル。最初の堀を埋め立ててから造り直した跡がみられた。 これまで北側の土塁は、今回の調査地点から東方向に延びていたとみられていたが、調査により、北東方向に角度を付けて造られたことが判明し、市文化財保護課は「内郭の土塁は周囲の道路と同じ角度で造られていた。今は手がかりのない外郭部分でも、同様の傾きとなっている現在の道路が、土塁と堀があった範囲である可能性が高い」とみている。南殿跡で見つかった土塁の基底と堀の跡。土塁の裾には補強のために石が敷き詰められていた(京都市山科区音羽)●ワルディーのコメント何週間か前に訪れた場所です。発掘調査が行われていたんですね。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 清水寺(京都市東山区)が所蔵する「清水寺参詣曼荼羅(まんだら)」(府指定文化財)で、五条橋に弁慶を描いた可能性があることが26日までに、デジタル保存作業などから分かった。現存する清水寺参詣曼荼羅は2作あるが、個人所蔵の方にだけ弁慶と牛若丸が登場する。寺所蔵の曼荼羅にも弁慶が描かれていたとすれば、消された理由は何か。研究者らが想像を巡らせている。 曼荼羅は、五条橋(現松原橋)から清水寺門前までの参道や寺内の様子を描く。作者は不明だが、応仁の乱で寺が焼失した後の16世紀、絵解きを通し、清水寺信仰を広めたと言われる。 文化財の保存と継承を目的に、屏風(びょうぶ)絵などのデジタル保存に取り組む凸版印刷(東京都)と清水寺が協力し、曼荼羅を高解像度で記録。赤外線撮影によって目で確認できない背景部分の画像を取得したところ、左下の隅に描かれた五条橋の一部に紙を貼り直し、修整した形跡が見つかった。 同時代の作とされる個人蔵の曼荼羅には五条橋に弁慶と牛若丸が描かれ、親しみやすい工夫を加えたと考えられる。赤外線撮影で弁慶が見つかった部分は、個人所蔵の曼荼羅に描かれた弁慶の位置と重なる。また、橋の欄干には弁慶が持つ長刀のような形も見える。 画像を確認した下坂守・元奈良大教授(日本中世史)は、「もし描かれていたのであれば、戦国時代にはすでに弁慶と牛若丸の伝説が広く定着していたとみられ、面白い」と話す。京都国立博物館の大原嘉豊・保存修理指導室長(仏教絵画)は「こういった絵画は手本があり、さまざまな絵師が模写していた可能性がある」と指摘。清水寺所蔵の曼荼羅に牛若丸が描かれた形跡がない点に注目し、「絵師が伝説を知らずに牛若丸を描き忘れた。後年になって弁慶だけがいるのはおかしいということで修整を加えたのかもしれない」と推察する。五条橋(左下部分)から清水寺門前までの参詣道が描かれた「清水寺参詣曼荼羅」=左=と高解像度で記録し、赤外線撮影した「清水寺参詣曼荼羅」。点線で囲んだ部分に修整を加えた形跡が見られ、五条橋の奥の欄干には、長刀の形が重なっているようにも見える(いずれも凸版印刷提供)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 「天王山」(京都府大山崎町)と「関ケ原」(岐阜県関ケ原町)という天下分け目の戦いが繰り広げられた両町が6月1日、「天下取り」のブランド発信に向けてトップ会談を関ケ原町役場で開く。全国に知られた古戦場を縁に、両町は「大山崎天下取り決戦祭り」開催など観光客誘致事業で共闘する。 天王山は1582年、羽柴秀吉と明智光秀が天下をかけて戦った「山崎の戦い」の地として名高い。山の占有が勝敗を決したことにちなみ、勝負の重要な局面を「天王山」ともいう。 ともに有名な古戦場をもつ両町は国の「地方創生加速化交付金」を活用して今後、観光振興を進める。 当日は「キックオフ会見」として大山崎町の山本圭一町長と関ケ原町の西脇康世町長が互いの町の歴史や文化を紹介し、本年度事業を話し合う。 大山崎天下取り決戦祭りは6月11、12日に大山崎町円明寺の「天王山夢ほたる公園」で開催する。関ケ原町観光大使の歴史アイドルによる戦国トークショーや火縄銃演武など多彩な催しがある。問い合わせは同祭実行委員会事務局TEL075(284)0174へ。「天下分け目の合戦地」を紹介する石碑。奧に広がるのが天王山(京都府大山崎町・天王山夢ほたる公園) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年4月4日の記事≫ 「患者を生きる」シリーズの2~3月の連載にいただいたお便りを紹介します。今回は「短歌のはげまし」編へのエピソードです。連載に登場したOFさんが会員になっている短歌結社「塔」の冊子=「短歌のはげまし」編から ●短歌に重ねた夫との時間 今も携帯電話の待ち受け画面にメモしている短歌があります。 《一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ》 (乳がんで亡くなった)歌人河野裕子さんの旦那さん(永田和宏さん)の歌です。5年前、53歳だった主人が末期の膵臓(すいぞう)がんを宣告され、治療はせず自宅で過ごしていた頃に知りました。 私は会社を休み、一緒に過ごしました。「ああ、おいしいねぇ」と好きなものを食べ、「海が見たい」とドライブ。本当に気ままに自由に、でも残された時間は悲しいまでも確実に減っていく、そんな日々でした。 この歌を知って、あまりにも気持ちがわかり過ぎて怖いくらいでした。ただ、覚悟は持てました。一日一日を、普通に、本当に普通に過ごすしかないし、それが最善なのだと。 主人はその年の6月に旅立ちました。夏に向かうころ、この歌とともに、あの覚悟と、主人の「おいしいねぇ」を思い出します。 (愛媛県 女性 49歳) ●気持ちを言葉にできた 8年前に子宮体がんの手術を受けました。手術後、抗がん剤治療中に、姉に勧められて短歌を詠み始めました。その後、再発して放射線治療も受けました。 《癌(がん)病めば尚(なお)背を伸ばし歩み行く我に光れる春の白雲》 病院の窓から見た光景に、「負けてはいられない」と決意し、最初に生まれた歌です。短歌で気持ちを言葉にできると、晴れやかな気分になりました。歌がなかったら、闘病を乗り切ることはできなかったかもしれません。 連載中の「短歌とがんは相性がいい」という言葉はその通りだと思います。真剣に死を見つめ、絶望と希望を味わうからでしょう。 ベッドの上でもできることがあれば、患者にとって大きな支えになると思います。今も再発が不安になることもありますが、明るく元気に過ごしています。いつか歌集を出すことが夢の一つです。 (大阪府 女性 66歳) この投稿のお二人とも短歌が、心の拠り所となり、一日一日を大切に生きられています。素敵です。 私は再発のリスクがあり、再発したら手術はむつかしいと言われていますので、再発すれば覚悟を決めて生きなければなりません。>ベッドの上でもできることがあれば、患者にとって大きな支えになると思います。 これはその通りだと思います。もし、そうなったら京都についての自費出版の本が書ければいいなと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/29
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【2016年5月28日(土)】 久しぶりに家族全員が揃っての賑やかな夕食でした。 バレーボール五輪最終予選、男子が始まりました。ベネズェラ戦、1セット目取られてどうなるかと思いましたが、順調に勝ち3対1で勝利しました。ガンバレ・ニッポン。 写真は、4月25日撮影の「カラタネオガタマ(唐種招霊)」@桂坂ご近所散歩 です。 「唐種小賀玉」とも書きます。「トウオガタマ」とも呼びます。私は気が付きませんでしたが、バナナのガムみたいな匂いがするそうです。 モクレン科 オガタマノキ属。中国南部原産。開花時期は、 4月中頃-5月。 「中国から来たオガタマノキ」という意味です。オガタマノキは日本原産の高木で、カラタネオガタマとは近いですが別種。オガタマは霊を招くと言う意味の「おきたま(招霊)」が訛ったもの。これはオガタマノキの枝葉が神事に用いられたからと言われています。 「みんなの花図鑑」サイトで、この花の名前を教えていただきました。 kayu-さんオレちゃんさん秀さんだよさんかくれみのさんよっちゃん×3さんsazankaさんMAYU的さんLADYBIRDさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/28
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2016年5月30日の週の案内です。京都薪能、県(あがた)祭などが催されます。●5月30日(月)・御懺法講/三千院●6月1日(水)・貴船祭/貴船神社・雷除大祭[火之御子社例祭]/北野天満宮・あじさい園の開園(~7/10)/三室戸寺・遺芳庵朝茶席(~6/7)/高台寺・京都薪能(~6/2)/平安神宮●2日(木)・安楽寺くさの地蔵縁日/安楽寺・信長公忌/本能寺●3日(金)・開山忌/萬福寺●4日(土)・歯供養/ぬりこべ地蔵・梅小路公園手づくリ市/梅小路公園●5日(日)・幣渡祭/宇治神社・折上稲荷祭/折上稲荷神社 ・栄西忌/建仁寺・小野てづくリ市/隨心院・ガラクタ市・手作り市/東寺・祇園放生会/祇園巽橋・北山クラフトガーデン/京都府立陶板名画の庭・県まつリ(~6/6)/県神社●その他(元情報作成時点で未定だったもの。日程は要問合せ)・蛍火の茶会(上旬)/下鴨神社・和泉式部忌・奉納「謡曲誓願寺」(上旬)/誓願寺・神苑無料公開(上旬)/平安神宮●解説◆御懺法講 (5/30 11:00~) 三千院 懺法(せんぼう)とは自らが知らずに作った罪を懺悔して、心を浄化するという法要。この法 要は声明懺法とも呼ばれ、声明と雅楽が合わさって古式ゆかしく行われる。◆京都薪能 (6/1,2 17:30~) 平安神宮 京都市・京都能楽会主催の薪能。平安神宮大極殿前に舞台が特設され、観世・金剛・大蔵各 流儀による能・狂言が上演される。雨天順延。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/28
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2016年4月29日(金)(昭和の日)「京都市内全寺社巡り」の山科区7日目の第3回(最終回)です。本シリーズ第2回は下記。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605260005/この日全体の行程とその地図は第1回分に示されています。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605190004/下記地図には訪問先がスポットされています。https://drive.google.com/open?id=1NjttlTaOIQLc0JrKBgvrm4BlYr0&usp=sharing=============================(続き)実如上人、証如上人の墓(山科区東野井ノ上町)を訪れた後、国道1号線の南側で、京都外環状線を横断します。眞光寺(浄土真宗本願寺派)歌碑がありました。 「両親(おや)おくり 妻先にゆき子の急ぐ 茜の雲は美しきかな」 土橋秀高土橋秀高氏は昭和期の中国仏教思想研究者。龍谷大学教授。私は存知あげませんが、帰宅後、検索して次ぎのような文に巡り会いました。◆60才(定年より5年早く)龍谷大学教授辞任。 子息(京都大学仏教学(院)、インド留学)の就職(東海大学助教授)を期に自坊(山科 真光寺)に戻り住職専業。 その1,2年後、奥さん、暫くの患いで逝去。 その1年後、自坊全焼(夕事のローソクの灯の消し忘れが因。住職1人住まい故、防音の書斎に入っていて気づかず。通行人が発見。火炎の中、消化器を取りに入り、頭、腕に火傷)。「私の責任」と詫びる。火災の翌日、「真光寺本堂庫裏再建委員会」立ち上がる(門徒の支援篤い)。2年半後に復興する。 しかし、その1年前、東京から若坊守と孫2人、山科の寺に帰っており、子息は単身赴任。毎日のように電話連絡。ところがある時、通じない。一週間ほどして、住職上京。電気こたつに足入れて自殺している子息を発見。死臭。遺書「自分が先にいくから葬式はしないで」。東京で火葬。山科の再建まっさらの本堂で葬儀。子息の腕時計一個を形見としてもつ。「この孫2人が成人するまでは老骨に鞭打って頑張る」と式で挨拶。会葬者の涙をそそる。 ところが1年後、一周忌の翌日、若坊守は2人の子どもをつれて寺を去る。 全くの一人となる。教え子の浅田正博氏、先生を訪ね・見舞う。話は子息のことばかり。 (後略)ここに登場する、浅田正博氏による顕彰碑もありました。南に行きます。称名寺(浄土宗西山禅林寺派)少し東に戻ります。佛光寺舊址 仏光寺は,建暦2(1212)年,流罪を解かれ越前から帰京した親鸞(1173~1262)が,この地建てた堂舎にはじまる。順徳天皇(1197~1242)から「興隆正法寺」という寺号を賜り,当初は興正寺と号した。その後,第七代了源(1295~1335)が東山渋谷の今比叡に移し,寺号を仏光寺に改めた。一説によると山科興正寺を建立したのも了源という。なお,仏光寺が現在地(下京区高倉仏光寺)に移転したのは天正14(1586)年である。 (京のいしぶみデータベースより) 西雲寺(真宗大谷派) 門前のお寺の石柱の後ろに、自然石の「表徳碑」が立っています。京都鳩居堂の主人であった熊谷直恭(蓮心・1859年没)が、このあたりに老牛馬の放牧場を設けたり、洪水・窮乏から村を救ったことを顕彰するための碑です。明治21年建碑。さらに西に進むと、東野公園北には「三之宮神社」があります。三之宮神社 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・醍醐天皇・後水尾天皇を祭ります。江戸時代造営の本殿があり、その南に幹周5メートルを越える欅(けやき)の大木があります。 神社内に宝蔵があります。その由来の駒札全文です。大般若経宝蔵の由縁 三之宮は延喜年中(901~923)の創建と伝えられ、往古(おおむかし)より 山科七郷の総鎮守的存在であった。 後、応永三年(一五九六)に、後小松天皇より山科郷に大般若経六百巻と 大般若十六善神本尊を下賜され、三之宮宝蔵に之を納め、尓来(それより)近世に 至るまで毎年三回山科郷士が廻り持ちで輪読供養されていた。 其の後、元和三年(一六一七)神社境内に別当寺妙智院が造営され、是より 大般若経輪読の際には憎が修行することとなったが、明治維新の神仏分離令発令に 伴い廃止された。 この経典は、郷中の最も尊重するもので、うち三巻は御宸筆で其の餘(ほか)は 当時の親王、公卿、門跡方の書写せられたものである。 平成十三年正月 三之宮氏子有志 識南に向かい、旧道沿いに小さなお寺が2つあります。西楽寺(浄土宗)法敬寺(浄土真宗本願寺派) 春には門前の桜がきれに咲くそうです。南に向かいます。吉川邸(景観重要建造物) 現在はBar&喫茶YOSHIKAWAを営んでおられます。素敵なミュージックサロンだとか。ぐるぐる歩き回って、「ゆうなぎの水」を見つけました。ゆうなぎの水 椥辻池尻町の「ゆうなぎの水」は、水が湧き出ているところで、深さ30センチほど、 ゆっくりと東から南に流れています。平成13(2001)年に京都市が湧き水の 周りに護岸や階段を整備してできたものです。そして平成15(2003)年に、 名前を区民に募集して「湧く(ゆう)」「椥(なぎ)」の字からこの名が付いたそうです。 (鏡山次郎氏ホームページより)地下鉄椥辻駅に向かう途中で、山科区役所前に「山科区誕生記念碑」を発見山科区誕生記念碑観光案内板もありました。 これから回るところの参考になりそうです。地下鉄椥辻駅から帰途に就きました。山科区の歩き部分(約13km)、自宅からの全歩数は約18,000歩でした。山科区第7日目、終わりです。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/28
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2016年5月27日 京都新聞ホームページから 京都市北区の大徳寺塔頭・芳春院の襖(ふすま)絵が完成し、特別拝観に先駆けて27日、関係者に披露された。現代日本画壇を代表する京都の画家竹内浩一さん(74)と下保昭さん(89)がそれぞれ本堂と大書院の襖絵を手掛けた。水墨の絵は、穏やかな自然光の中で生き生きとした表情を見せ始めた。 芳春院は、加賀藩祖前田利家の正室まつの菩提(ぼだい)寺。襖絵は、まつの400年遠忌に合わせて制作され、28日から公開される。この日は、まつの子孫ら計60人が参列し、法要が営まれた。 竹内さんは、本堂の襖絵全72面を10年以上かけて描いた。樹木から跳躍するサルをはじめ、キツネ、ウサギ、鳥、ヘビなど、生命が悠々と浮遊するように淡い墨で表現している。竹内さんは「描くことで、心とも対話ができた。ゆったりした芳春院のたたずまいの邪魔にならないよう、描きました」と話した。また、下保さんは、中国の絶景を力強い筆致と濃淡で表し、幽遠な世界を空間に広げている。 特別拝観は6月5日まで。有料。透き通るような生命感を襖絵に表現した竹内浩一さん(京都市北区・大徳寺塔頭芳春院)=撮影・松村和彦よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/28
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2016年5月27日 京都新聞ホームページから 幕末の志士桂小五郎(木戸孝允)の命日に当たる26日、京都市東山区の京都霊山護国神社で「松菊祭」が営まれ、約30人が墓前で遺徳をしのんだ。 雅号「松菊」にちなむ命日祭で8回目。創立に携わった東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)が昨年、140周年を迎えたこともあり、参列者は男女の別のない普通教育を目指した小五郎に思いをはせた。 木村隆比古宮司(51)が祝詞を読み上げ、参列者が花束や玉串を墓前にささげた。大阪府から訪れた主婦太田佳誉さん(45)は「初めて墓前に参ることができてよかった」と話していた。京都霊山護国神社で松菊祭桂小五郎の墓前で営まれた松菊祭(京都市東山区・京都霊山護国神社)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/28
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年4月1日の記事≫ がん患者を対象にした東京都の調査(2014年)によると、回答した831人(44%)のうち、診断時に働いていた609人の中で「退職した」と答えたのは130人(21%)だった。理由は複数回答で「治療・療養に専念するため」(53%)、「体力面などから継続しての就労が困難」(45%)、「周囲に迷惑をかけたくない」(35%)などが多かった。 また、831人のうち、がんになっても「仕事を続けたい(したい)」と答えたのは81%だった。理由のトップは「家庭の生計を維持するため」(73%)で、次いで「働くことが自身の生きがいだから」(57%)が続いた。 働きながら治療を続けられるかは、勤め先にどのような支援策があるかが重要になってくる。 連載で紹介した国井京子さん(56)は、公務員として東京都江東区の保育園で働き、がんの治療中に手厚い支援を受けることができた。180日間(現行制度は90日間)の「病気休暇」制度では基本給の100%、続いて利用した「病気休職」制度では80%が支給された。 民間企業では従業員の規模で差があるものの、近年は支援策を充実させる動きが出てきた。 製薬大手の中外製薬(東京)は2月、がん患者の治療と仕事の両立に積極的に取り組む企業を表彰する都の制度で、優良賞に選ばれた。同社は昨年、従来14日以上でしか利用できなかった療養休暇を、放射線治療や化学療法など、がん治療を受ける場合には1日単位で利用できるように改めた。体調に合わせて勤務する「フレックス勤務」や「在宅勤務」、「マイカー通勤」の選択肢も増やした。 同社の統括産業医を務める難波克行(なんばかつゆき)さんは「最近のがん治療は、早期退院、通院治療が主流。治療と就業を両立できるように支援策を充実させれば、がんによる離職者は確実に減らせる」と話す。 同じく優良賞を受けた不動産業界の大京(東京)は、健康保険組合から出る傷病手当金とは別に、最長60歳まで月5万円が支給される団体保険に、会社負担で加入している。給与は出ないが、治療や通院のための休暇期間を人事部門の判断で「制限しない」とする制度も新設した。がんになった後、退職した人の割合 上記調査に私が回答するなら、「診断時に働いていた」(831人中609人)に入り、その中で「退職した」(130人、21%)に入ります。退職した理由は、ここに登場する主な回答には該当せず、「その他」になるでしょうか。詳しく書けば「将来他の仕事がしたいから」ということになるでしょう。 企業の中にも「がん」治療に対する支援を充実させるところがでてきているようですね。まだまだこれからでしょうが、少しずつでも進歩していくことを願います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/28
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【2016年5月27日(金)】 今日は、シニア観光ガイド協会のガイド養成講座の第3日でした。 前回は実地研修でしたので、座学としては2日目になります。 1回目の座学のときと座る指定席の位置が違うので、おかしいなと思って出席者の番号を確認したところ、何人か抜けられて詰めて座ったために座席が変わったということが分かりました。 あとで世話役の方から説明がありましたが、今日の日程調整が着かなかったという人以外に、介護が始まってしまったという人もいらっしゃるようでした。参加している方々は、そういう年代ですから、これからもそんな理由でリタイヤという人も出てくるでしょうね。私は両親とも他界しているので、その心配はありませんが、「がん」の再発や、粒子線治療の副作用による腎不全(透析が必要になる)が心配の種です。 今日のプログラムは、・仏像の見方・庭園について・ガイドの話し方、接し方この内容で丸一日でした。いずれも、先輩ガイドあるいは、OBガイドの方が講師。仏像の話をしていただいた方は、京都産業大学で特別客員研究員もされているとのこと。いずれの講義もお話が上手で、さすがと思いましたし、これからの私にとても役に立つと思われる内容でした。 仏像の講義の中で、今日初めて知ったトリビア的なことを2件。いずれも阿弥陀如来に関すること。 まずは「あみだくじ」。皆さんも一度はやったことがあると思います。あみだくじは、室町時代から行われていましたが、現在のあみだくじと違い、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、それを引いたものでした。 そして、これが阿弥陀仏の後光に似ていたことから、この名がつきました。 なるほど。 次ぎに「あみだかぶり」。下のような帽子のかぶり方。帽子のツバが後ろに大きく傾くような被り方です。http://butuzoudaisuki.seesaa.net/article/77288395.htmlからこれは、阿弥陀様の後光を帽子のツバに見立てたものです。うーん、なるほど。両方とも今まで謂れを知らないで、使っていました。 全仏3回戦、錦織選手。世界ランク52位のF・ベルダスコ(スペイン)に大苦戦を強いられるも、6-3, 6-4, 3-6, 2-6, 6-4のフルセットで下し、2年連続のベスト16進出を果たしました。4回戦では、第9シードのR・ガスケ(フランス)との対戦です。ガスケは、第17シードのN・キリオス(オーストラリア)をストレートで下しての勝ち上がり。ガスケもキリオスも普通なら知らない名前ですが、錦織との試合でよく聞く名前なので憶えました。反対に女子の選手の名前が分からないですね。 テレビ中継で、アナウンサーが、4大大会優勝未経験者で最高世界ランクと言ってました。取りこぼしが少ないということと、ビッグネームにはなかなか勝てないということを象徴しているのでしょうね。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/27
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4月25日撮影の「エニシダ(金雀枝・金雀児)」@ご近所散歩 です。マメ科エニシダ属。ヨーロッパ原産。日本へは江戸時代に渡来。開花時期は4~6月。「エニシダ」の読みは、エニシダのオランダ語「genista」(ヘニスタ または ゲニスタ)が語源らしいです。英語では「Broom(ほうき)」。伝説の魔女が夜中にまたがって飛ぶほうきはこの金雀枝だそうです。また、昔は実際にこの枝を束ねてほうきをつくっていました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/27
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年3月31日の記事≫ 東京都江東区で保育士として長年働いてきたKKさん(56)は、卵巣がんの2度の手術と抗がん剤治療を経て2008年1月、約1年ぶりに職場復帰した。 短時間勤務から始める選択肢もあったが、最初からフルタイム勤務にした。心配する同僚には、「つらいときは、自分からつらいと言うし、耐えられなかったら休日を取るから、以前と同じように接して」と伝えた。 園児たちに囲まれていると、「私がいる場所はここなんだ。私を必要としてくれているのは、この子らなんだ」と、胸がいっぱいになった。病気を経験したことで、「命はいただきもの」という思いが強くなった。その瞬間瞬間を、思い切り楽しそうに過ごしている園児たちを見るだけで、いとおしくなった。 それから約6年。14年4月に、江東区の保育園の園長に就任した。しかし、その3カ月後、定期的に受けていた腫瘍(しゅよう)マーカーの数値が上がっていた。PET検査を受けると、腹膜にがんが見つかった。 9月に手術を受け、摘出した組織を調べたところ、原発の卵巣がんが転移したものだった。仕事を続けるため、その後の4カ月間の抗がん剤治療は通院を選んだ。 朝6時に病院に着き、できるだけ早い順番を取って約6時間の点滴治療を受けた。職場に戻るのは夕方になった。副作用の吐き気や脱力感がひどいときは、通院や通勤にタクシーを使った。 昨年2月に抗がん剤治療が終わり、経過観察を続けている。「職場の理解や医学の進歩、そして、家族の支えがあって、今の私がある」と感じている。公務員のために条件が恵まれていたことには感謝している。がん患者が増え続けるなか、きちんと休職でき、給与も保証されることが当たり前の社会になってほしいと思う。 部下の保育士が、がんで休職することも経験した。復職したその保育士には、自らの経験をもとにアドバイスの言葉をかけた。 「つらいときはいつでも言って、休んでね。いつでも休日を取ってもらうから。言ってもらえないと私たちにはわからないし、自分の体のケアは、自分しかできないから」>公務員のために条件が恵まれていたことには感謝している。 そうですね。下記第2回の記事を読んで少々驚きました。>入院の当初から180日間(現行は90日間)取得した「病気休暇」は07年7月で終わり、>「病気休職」という別の制度に切り替わっていた。>区職員の病気休暇では基本給が100%支給され、病気休職は最初の1年間が8割支給される。 私が発病したとき勤めていた会社は、年休消化後すぐ休職で、傷病手当金が1年半支給されましたが、収入は3分の2になりました。>きちんと休職でき、給与も保証されることが当たり前の社会になってほしいと思う。 確かにそうなればありがたいことです。しかしそのための資金がどこからか湧き出してくるわけではないし、現実にはむつかしいでしょう。公務員の方はこういうような点で、民間に比べて恵まれているのだという意識を持っておいていただければありがたいです。>仕事を続けるため、その後の4カ月間の抗がん剤治療は通院を選んだ。 これも抗がん剤の種類次第ですね。私はドキソルビシンとイホマイドの点滴を受けました。ドキソルビシンは1日に1時間を2日なので、物理的には通院治療が可能ですが、イホマイドは24時間X4時間なので入院しか方法がありませんでした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/27
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2016年5月26日 京都新聞ホームページから 梅雨入りを前に、モリアオガエルの産卵が、生息地として知られる京都府福知山市正明寺の大興寺で始まった。白い泡状の卵塊が木の枝にぶら下がり、住民たちが新たな命の誕生を見守っている。 モリアオガエルは樹上で生活し、池の上を覆う木の枝などに卵塊を作り、その中に卵を産む。保護に取り組む同寺では毎年、裏庭の池で産卵風景が見られ、地域の名物として親しまれている。 有賀祖道住職(55)によると、今年は例年より1週間ほど遅い21日朝に最初の卵塊を確認した。ソフトボールほどの大きさで、300~500個の卵が産み付けられている。およそ1週間でふ化し、池に落ちて育つ。 産卵のピークは6月で、4日午後1時からはカエルの観察会と本堂でコンサートが催される。協力金3500円(前売り)が必要。問い合わせは同寺TEL0773(22)4771。白い泡状で、木の枝にぶら下がったモリアオガエルの卵塊(福知山市正明寺・大興寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/27
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2016年5月26日 京都新聞ホームページから 世界禁煙デー(5月31日)に合わせ、NPO法人「京都禁煙推進研究会」が京都タワーなどで実施しているライトアップに、今年は向日神社(向日市向日町)が乙訓地域で初めて加わる。25日に同研究会のメンバーが準備作業を行った。 世界禁煙デーは、世界保健機関(WHO)が定めたもので、国は31日~6月6日を「禁煙週間」としている。毎年、全国各地でさまざまなイベントが開催されている。 府内では、同研究会が府と京都市の協力を得て、東山区の高台寺でイベントを開いたり、同寺庭園や京都タワー、府庁旧本館などでライトアップを実施したりしている。 今年は同研究会が向日市と向日神社に依頼し、同神社でもライトアップをすることが決まった。31日から6月5日まで、本殿と鳥居をイメージカラーの黄緑色に照らす。 25日は安田雄司理事長(64)らが向日神社を訪れ、案内看板を境内に立て掛けたり、ライトを設置したりした。安田理事長は「たばこを吸う人も吸わない人も、ライトアップを見て禁煙について考えてほしい」と話していた。向日神社の本殿を照らすライトを設置するメンバー(右)ら=向日市向日町よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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【2016年5月26日(木)】 朝、次女を最寄り駅まで送って行った後、直接ゴルフ練習場に行きました。 復帰後12回目の練習。次のラウンドは6月7日ですので、それまでの練習は今日も含め2回の予定。 ストロークの練習は、今日はドライバー。前回ラウンドで前半、チョロが滅法多かったからです。後半、持ち直したので、あまり心配はしていなかったのですが、今日の練習の最初、やはりチョロが多発しました。色々やってみましたが、なかなか安定しません。復帰後は1回50球と決めているのですが、今日はあまりにひどいので、140球も打って色々試しました。湿度も高く、ドライバーなのでかなり疲れました。 最後のほうで調子があがってきました。多少向かい風ですが、飛距離もキャリーで200を越えることもありました。 ポイントは下記。正解かどうか分かりませんが。・スタンスはややクローズで、足に力を入れしっかり構える。 膝の余分な動きを防ぎ、腰を捻転させるのを助ける。手に余分な力が入りにくい。・ボールは左足かかとより、やや中心。あまり体に近づけない。余裕をもって。 前過ぎるとトップに繋がる。 近づけると、手が曲がって窮屈な打ち方になるし、インパクトの角度も安定しない。 ダフリの原因にもなる。・背中が打球方向を向くくらいまで肩を入れる。 手打ちにならず、ボールも自然にとらえやすい。飛距離もでる。・バックスイングで左手は伸ばして、ゆっくりと・ハンドファーストで振り始める。 時々パットの練習をはさみました。前回ラウンドで42パットと最悪で、短い1メートルのパットが入らないイップスに陥りました。もともとイップスの傾向はあるのですが、前回は特に酷かったです。 使っているピン型のパターと昨日太いグリップに交換した2ボール型の両方を持っていきました。 昨晩ネットで色々調べて、複数のサイトで同じ示唆を見つけました。バックスイングは小さく、フォロースルーは大きく。 バックスイングが小さいとインパクトでのブレが小さくなり、フォロースル―が大きいと方向性が安定します。 これは確かにいい感じでした。 もう一つはボールは真ん中ではなく、左目の下。また膝を曲げずに力を入れてスタンスをすることによって、手に余分な力が入りにくいことも気付きました。 これらを次回トライです。ツーボール型は折角グリップを替えたのですが、まずはこの打ち方を今使っているピン型のパターで試してみたいと思います。 グラフは、日本に帰任してからのストローク数(スコア-パット数)です。全体の平均と過去10回の平均も示しています。 ラウンド回数:108 全部の平均:71.2 直近の10回の平均:70.1 10回の平均の過去最小:64.2 10回の平均の過去最大:75.3 過去最小:59 過去最大:89 発病直前は11回連続で70以下でしたが、復帰後、悪くなりました。でも直近が再度70を切りました。ドライバーのチョロが多発したので、これが改善できれば、65も切れると思います。当面の目標として、ストローク64、パット35で100切りというところでしょうか。 ゴルフ練習以外はルーティーンの一日でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2016/05/26
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2016年4月29日(金)(昭和の日)「京都市全寺社巡り」の山科区7日目の第2回です。第1回は下記。この日の行程とその地図も示されています。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605190003/ 下記地図には訪問先がプロットされています。https://drive.google.com/open?id=1NjttlTaOIQLc0JrKBgvrm4BlYr0&usp=sharing=============================(続き) 音羽エリアを引き続き巡ります。「蓮如上人御指図の井戸」をあとに、東に向かいます。光照寺(真宗大谷派)真宗大谷派の末寺にて浄土真宗を中興された蓮如上人が、この地に造営された南殿に延徳元年(1489)8月28日退隠されて明応8年(1499)3月25日にこの地で往生されたのであった。然るに天文元年(1532)8月24日六角定頼らの兵により、諸堂をはじめ、この南殿も本願寺と共に焼亡いたしました。幸いにして蓮如上人御在世南殿山水亭の遺跡をのこすため、東本願寺家老粟津家の祖元昌が、南殿光照寺を建立し現在に至ったのである。 『山科本願寺南殿跡案内板』より蓮如上人南殿御舊??石碑境内蓮如上人像「山科音羽 妙光人さと女生家 これより東三百米」道標妙好人(みょうこうにん)とは、浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語であるらしいが、「妙光人さと女」は調べましたが、分かりませんでした。 南殿幼稚園の背後に土塁と堀跡が残されています。門が閉っていて中へは入れませんでした。親鸞の幼少像が見えます。蓮如上人御塚道【道標】(光照寺前) [表]蓮如上人御塚道 [裏]□□□□年三月 山科区音羽稲芝町にあったものがここに移築されたようです。 少し東に行くと、山科本願寺南殿跡、山科本願寺跡の説明板と石碑があります。奥に見えるこんもりとしたところが築山の名残のようです。さきほどの幼稚園の奥に見えていたものです。 この前に訪れた、山奥の牛尾観音(法厳寺)の別院のようです。宇治道【道標】(再訪・道標の北西面も今回撮影) [南西]みぎうじみち [北西]ひだりおゝつみち皇塚 (再訪)妙見宮【道標】 妙見寺は既に訪問済みですが、道標の写真を撮り逃していました。王将京都東インター店で昼食カロリーオフのため野菜炒め。でも歩いたらやっぱりビール。本門仏立宗日風寺山科別院 普通の家にしか見えませんが・・・ 蓮如亡き後、本願寺は子の実如、その孫の証如と引き継がれます。証如の時代に、山科本願寺が焼き討ちに遭い落城し、拠点を石山本願寺へと移しました。実如、証如の墓実如上人の墓証如上人の墓(続きます)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/26
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 4月25日撮影の「トキワハゼ(常盤爆・常盤黄櫨)」@ご近所散歩 です。ピンボケすいません。 昨年の粒子線治療入院時、病院のプロムナードでよく見かけたのですが(こちら)、多くはありませんが我が桂坂でも咲いていました。 ネットのサイトによって分類はまちまちでした。 サギゴケ科サギゴケ属、ゴマノハグサ科サギゴケ属、Wikiではハエドクソウ科。原産地は日本(北海道~九州)、台湾、中国。1年草。花期は4~11月。 名前は、葉が常にほぼ一年中あって(常葉)、さらに果実がはぜる様子に由来します。「ムラサキサギゴケ」によく似ていますが、色々調べて「トキワハゼ」と判断しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 京都市南区は、平安時代に現在の同区唐橋にあった「羅城門」をコンピューターグラフィックス(CG)で再現し、スマートフォンなどを通して実際に存在しているかのように楽しめるアプリ「AR羅城門」を作り、配信を始めた。 羅城門は朱雀大路の南端にあった平安京の玄関にあたる門。816年と980年に暴風などで倒壊し、その後は再建されなかった。 現在、跡地には1895(明治28)年建立の石碑と小さな看板が残るだけとなっている。地域の歴史をPRし、観光振興につなげようと、区への寄付金を活用して作った。 羅城門跡周辺の7地点で、アプリを起動したスマートフォンやタブレットを風景にかざすと、その地点から見た羅城門のCGが画面に表示される。GPS(衛星利用測位システム)機能を活用しており、端末の動きと連動して画像や視点が変わる仕組みだ。 CGは花園大の師茂樹教授が作成した。門の高さは約20メートルに設定し、2階建ての構造や朱塗りの柱、屋根を覆う瓦などを細かく再現した。 羅城門跡碑の地点では、天井や柱などをクローズアップして見ることもできる。道沿いに柳の木が植えられた朱雀大路や羅城門の東西にあった東寺、西寺の塔など周辺の景色も楽しめる。 iOSとアンドロイドの端末に対応している。アプリはアップストアとグーグルプレイでダウンロードできる。細かな部分まで再現した羅城門のCG画像スマートフォンをかざすと羅城門の姿が表示されるアプリ(京都市南区・羅城門跡)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 真宗仏光寺派(本山・仏光寺、京都市下京区)は、次の門主となる新門に、渋谷恵照(えしょう)門主(91)の孫で、前々門主の故真承(しんじょう)氏の長男覚(さとし)氏(35)を選んだ。25日開会した同派の最高議決機関、宗会で恵照門主が明らかにした。11月4日に正式に就任する。同派では、門主後継者の選定が懸案だった。 覚氏は1980年京都市生まれ。宮崎県内の高校を卒業し、会社員を経験。現在は京都市内に在住し、僧侶養成機関に通っている。 宗会の冒頭、恵照門主は「長年にわたりご心配をおかけしていた門主後継者に、真承上人の長男、渋谷覚をと考えている。11月4日に法嗣得度式を執行し、新門就任を予定している」と報告した。 同派の規則では、門主は渋谷家が世襲する。これまで昭和天皇のいとこの29代門主、故真照(有教)氏が健康上の理由で92年に退任し、長男真承氏が30代門主に就任。真承氏は95年に退任し、次男曉真(ぎょうしん)氏が31代門主に就いたが、曉真氏も2008年に退任した。120年ぶりに門主不在となったあと、10年に有教氏の妻で2人の門主の母恵照さんが32代門主に就任した。真宗仏光寺派の新門に就任する渋谷覚氏よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 天台宗開祖・最澄を祭る延暦寺(大津市)の浄土院の拝殿や御廟の造営時期が、伽藍復興期に当たる1662(寛文2)年であることが奈良文化財研究所(奈良市)の調査で25日分かった。造営時期を記した文献や建物内部の調査で明らかになり、歴史的価値が判明したことで20日の重要文化財指定に向けた答申につながった。 寺の依頼で2011~12年に調査。織田信長の比叡山焼き打ち(1571年)以降、伽藍の全容が把握されず、正確な年代が分かっていなかったため、全265棟に及ぶ初の全調査を行った。最澄御廟は1662年に造営よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年3月30日の記事≫ 東京都江東区で保育士をしていたKKさん(56)は2006年12月、進行した卵巣がんが見つかった。2度の手術と抗がん剤治療を経た約1年後、がん研有明病院婦人科副部長で主治医の宇津木久仁子さん(57)から「すばらしく抗がん剤が効き、がんがほとんど消えた」と告げられた。やっと復職の機会が訪れた。 入院の当初から180日間(現行は90日間)取得した「病気休暇」は07年7月で終わり、「病気休職」という別の制度に切り替わっていた。区職員の病気休暇では基本給が100%支給され、病気休職は最初の1年間が8割支給される。公務員として治療中も金銭的な支援を受けることができた。職場には迷惑をかけたとの思いがあり、できるだけ早く仕事に戻りたかった。 宇津木さんには「ボランティアなどをして、ゆっくり過ごすのもいいわよ」と助言されていた。しかし、20年近く続けてきた保育士をやめるのは、自分の人生を否定するように思えた。 「どれだけ生きられるかわからないけれど、もし余命があるのなら、保育士として生きたい」 07年12月、当時勤務していた保育園の園長に「来月から復職したい」と連絡を入れた。 しばらくして江東区の保育課と人事担当課の幹部2人が、主治医の宇津木さんのもとに現れた。2人は、KKさんが個人情報の公開に同意していることを示す文書を見せて、病状を尋ねてきた。 「復職したいと言われているのですが、医師としてどう思われますか。体調は大丈夫ですか?」 宇津木さんは、患者の復職をめぐって職場関係者の訪問を受けるのは初めてだった。担当者の話しぶりからは、KKさんが再び職場に戻れるようにという前向きな気持ちが感じられた。KKさんの仕事への熱意を踏まえ、宇津木さんはこう説明した。 「いま働きたいと言っておられるなら、いますぐ復職させてあげてください。体力の回復を待っていると、その間に再発してしまうかもしれません。復職するなら、いましかありません」 08年1月、KKさんは保育園で、再び働き始めることになった。卵巣がんの治療に関する医師からの説明や、アドバイスをメモしたノート>20年近く続けてきた保育士をやめるのは、自分の人生を否定するように思えた。 私はそのように全く考えませんでした。グリコのコマーシャルのように、「一粒で二度美味しい。」で行きたいと思いました。会社勤めで自分なりに満足できる成果をあげてきて悔いはないということもあったのでしょうね。もし仕事をできる状態になったとしたら、会社に戻るのではなく、現役引退後やりたいと思っていた観光ガイドの仕事をしたいと思うようになりました。>「ボランティアなどをして、ゆっくり過ごすのもいいわよ」 ただし、このようには思いませんでした。経済的に困っているわけではありませんが、何らかの収入を得られる仕事という線は死守したいと思いました。おかげ様で、有償ガイドをこの8月から始めることができるようになり、念願をかなえた恰好になりました。 KKさんはKKさん、私は私、人それぞれだと思います。ただ、後悔しないような選択が必要だということだと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/26
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【2016年5月25日(水)】 今日はハローワークの認定日で、ハローワーク西陣に行かねばなりませんでした。車が使えないので、バスを乗り継いで行こうと思っていたのですが、車が使えるようになったので、車でハローワークに行き、後日行こうと思っていたゴルフショップも寄ることにしました。 受給者資格証には今日までの認定日しか書いてないので、今日が出頭の最終日と思っていました。ところが、認定を受けるときに、「最後6月22日に来所してください。求職活動も2回必要です。」とのこと。支給日が17日残っているので当然といえば当然ですね。最後の日だけ前もって書いてなかっただけなのですね。 もう職業相談はしなくていいと思っていたのですが、必要になりましたので、今日職業相談を受けました。今までで一番混んでいて、20人以上待ちがあったと思いますが、案外早く番が来ました。待ったのは30分くらいでしょうか。 いつものように一応の職業相談です。「そろそろ失業給付が切れるので、条件ばかり追いかけてはいけないとは思っています。セカンドベストで、この観光ガイド求人を前から候補として考えていますが、応募状況はどうですか。」と担当の方に聞きました。10人の募集に10人が応募され、4人落ちたか辞退されたとのこと。6人がまだ結果が出ていないとのことでした。「分かりました。まだ枠はあるということですね。考えます。」とお茶を濁して、受給資格証に今日職業相談をしたことを示すスタンプを押してもらいました。6月22日までにもう一度職業相談に来なくてはなりません。 ハローワークが終わった後、ゴルフ5の京都嵯峨野店へ。伏見店は何度も行ったことがありますが、ここは初めてです。平日のお昼時、さすがにお客さんは私も含めて3人程度、ガラガラです。それであっても、ゴルフ5さんはこちらから頼まない限り、接客に来ないので気が楽です。 今日の目的は、パターのグリップです。この前のラウンドでパターがまたイップスに陥ってさんざんでした。手をコネてしまうのでしょうね。それに有利と思われる太めのグリップに替えてみようと思いました。今使っているピン型のを替えてしまうのは怖いので、アメリカでゴルフを始めたときに買って、今は使っていないオデッセイのツーボールのパターを太いグリップに替えてもらおうと思い、そのパターを持って行きました。 まずパターの試打エリアで、太いグリップのパターを試打。感じよかったので、やはり替えてもらうことに。一番太そうな、「スーパーストロークFLATSO 3.0」にしました。税別500円でその場で5分くらういで交換可能というのでお願いしました。「スーパーストロークFLATSO 3.0」本体価格 4,644円(税込)交換料 540円(税込) 合計 5,184円(税込)オデッセイ ツーボールに装着した状態。現在使っているピン型パットのグリップとの比較断面は体側は円形、反対側はフラットになっています。太さは一定です。 果たして効果あるでしょうか。クラブやグリップのせいでなく、技術面、メンタル面が最大の問題だと思いますが、グリップ交換が少しでもイップス対策の助けになればありがたいです。 次女は本調子ではありませんが、体調回復し、今朝は仕事に行きました。帰ってきてからも、それほどしんどくはなさそうでした。 今、錦織選手の全仏2回戦(相手はロシアのクズネツォフ)をテレビでやっています。ガンバレ。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/25
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4月25日撮影の「フジ(藤)」@ご近所散歩 です。 私の住む近くの公園に藤棚もありますが、写真のは自然に咲いていたものです。 フジの開花期は4~5月。 Wikipediaで調べてみました。左巻き、右巻きがあり、名前が違うなんて知りませんでした。 写真のはどちらでしょうか。・Wikipediaよりフジ(藤、学名: Wisteria floribunda)は、マメ科フジ属のつる性落葉木本。一般名称としての藤には、つるが右巻き(上から見て時計回り)と左巻きの二種類がある。右巻きの藤の標準和名は「フジ」または「ノダフジ」、左巻きの藤の標準和名は「ヤマフジ」または「ノフジ」である(牧野富太郎の命名による)。 和名の「藤(フジ)」は、「吹き散る」の転訛など、その語源には諸説あります。別名の「野田藤(ノダフジ)」は、フジの名所である大阪市福島区野田の地名からとったものです。 原産地は日本、開花時期は4~5月。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/25
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 京都府伊根町の伊根湾で、夜の海面を幻想的に彩る夜光虫を遊覧船から観賞するツアーが人気を集めている。伊根観光ではあまりなかった日没後のイベントで、そのまま町内に宿泊する観光客も増えており、町の新たな観光資源になりそうだ。■口コミで評判、海外からも参加 夜光虫は体長1ミリほどの動物性プランクトン。水温が上がる春先から赤潮として沿岸に漂着するが、海の生物に害はない。潮目や風向きで帯状になって固まり、夜間に波を受けるなど刺激が加わると青白く発光する。 町観光協会は2012年に観賞ツアーを開始し、口コミなどで評判が広まった。今年からインターネットでの予約も始めた。 13、14日のツアーでは京阪神などから計87人が参加し、台湾やシンガポールなどからの海外旅行客も初めて参加。午後8時、同町日出の遊覧船乗り場から沖に出て、船の水しぶきを受けて光る夜光虫の幻想的な雰囲気を約30分間楽しんだ。 町観光協会によると、参加者の4割近い32人が町内の旅館や民宿などに泊まった。吉田晃彦事務長は「何事にも替えられない感動がある。アナウンスや多言語対応にも取り組みたい」と話している。 ツアーは6月3、4日が最終。大人2千円、子ども千円。問い合わせは同観光協会TEL0772(32)0277。夜光虫観賞ツアーの遊覧船に乗り込む観光客。台湾やシンガポールからの観光客も参加した(伊根町日出)遊覧船の水しぶきを受けて青白く光る夜光虫(伊根町観光協会提供)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/25
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2016年5月24日 京都新聞ホームページから 後醍醐天皇が鎌倉幕府と笠置山で戦った際に焼失した「春日明神社(かすがみょうじんしゃ)」の再建で、新たな社殿が完成し、23日に京都府笠置町の笠置寺に設置された。寺の関係者が685年ぶりの復活を喜んだ。 春日明神社は鎌倉時代に解脱上人として知られた僧貞慶(じょうけい)が建立した。新社殿は午前、奈良市の春日大社でおはらいを終えて笠置寺に到着。宮大工8人が社殿をみこしのように担いで運び、椿本護王宮(つばきもとごおうぐう)の隣の基壇に固定した。 檀家や奉賛会員が拍手で祝い、檀家総代長の西岡保さん(77)は「貞慶さんとの関係が深まって喜ばしい」と語った。6月1日夜に春日大社の分霊を奉鎮する。 笠置寺と春日大社が神仏習合の時代の状態に戻そうと進めてきた。社殿は春日大社の20年に一度の式年造替(ぞうたい)に合わせ、摂社・本宮神社の古材で作られた。新しい社殿を担いで運ぶ宮大工(笠置町笠置・笠置寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/25
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年3月29日の記事≫ 東京都江東区の区立保育園の園長、KKさん(56)は2006年12月、がんの定期検診で腹部のエコー検査を受け、その場で異常を指摘された。 「下腹部に影があります。すぐに大きな病院へ行って下さい」 翌日、がん研有明病院で「進行した卵巣がんの疑い」と言われた。約2週間後、CTや腫瘍(しゅよう)マーカーの結果をもとに、主治医の宇津木久仁子(うつぎくにこ)さん(57)から「首のリンパ節に転移があり、ステージ4の卵巣がん」と説明された。さらに、「治すことは難しく、1年後のことは、はっきりわかりません。万が一のことがあっても、子どもが困らないように準備を進めてください」と告げられた。 当時、KKさんには3歳年上の夫と、大学生と小学生の娘2人がいた。保育士として働いていた保育園では3歳児を担当していたが、180日間の病気休暇を取得した。治療の合間に、宇津木さんの助言に従って動き始めた。 まず江東区内の自宅マンションを売って、東京都中野区にある夫の実家を2世帯住宅に改築し、夫の両親と家族4人で同居することにした。自分が死んでも、夫は両親に助けてもらいながら子どもを育てていけると考えた。 小学6年生だった次女(21)には、私立の中高一貫校を受験させることにした。自分が勉強の面倒をみられないと、3年後の高校受験を乗り切れるか不安だったからだ。準備期間は1カ月ほどだったが、無事に合格できた。 卵巣がんの摘出手術は、07年の1月末に受けた。翌2月上旬から始まった抗がん剤治療は、約半年続いた。8月に2度目の手術を受け、脾臓(ひぞう)や大腸などに転移したがんを切除した。取り切れなかった膀胱(ぼうこう)などのがんは、12月までの抗がん剤治療で大幅に縮小した。 この間に夫の実家の改築工事が終わり、家族4人で引っ越した。治療や新たな暮らしが落ち着いてきた段階で考えたのは、仕事のことだった。保育士になって20年近く。ハイハイしていた乳児がつかまり立ちするなど、「成長の瞬間」に立ち会える喜びは、何ものにも代えがたかった。 「復職」が頭に浮かんだ。>保育士になって20年近く。ハイハイしていた乳児がつかまり立ちするなど、>「成長の瞬間」に立ち会える喜びは、何ものにも代えがたかった。 私の場合は、サラリーマンとして復職するよりも、仕事をするなら前からやってみたいと思っていた、観光ガイドの職に就きたいと思いました。そして今それが実現しかかっています。人それぞれですね。特に病気から仕事に戻る場合、普通の人より仕事のやりがい感が重要なのだと思います。 それにしてもこの方、治療中に3世代同居を果たすなど、エネルギッシュです。私も余命短いと思われたとき、終活はしましたが、せいぜい多くあった銀行口座やクレジットカードを整理した程度でした。いまだに実家の処分もできておらず、発病から2年経って、ようやく動き出したところです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/25
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今日は「がん」治療復帰後第5回目のゴルフラウンドでした。 日本に帰ってきてからは通算108回目となります。 ゴルフ場は滋賀カントリー倶楽部。今日のメンバーの一人である前さんが会員なので、よくここは利用し、日本では今まで3番目に多くラウンドしたゴルフ場で、今回で11回目。広くてプレーしやすいゴルフ場ですが、自宅から遠く、料金が高めなのが難点です。 今日のメンバーは、M社の先輩である、谷さんと前さん。前さんは、ドイツ時代の上司でもあります。完全リタイヤされ、最近はゴルフ以外は、奥さんといっしょにペタンクをされ、遠征にもよく出かけられるようです。 今日はパターが42と最悪で、そのうえ前半ドライバーのチョロが多発しましたが、他のショットが比較的よかったので、ストロークが68と復帰後最小で、全ホール3オーバー以内と大叩きすることもなく、何とか110でしのぎました。 特にピッチングの上げによる寄せはダウンブローのハンドファースト、ピッチングの転がしの寄せはスクエアスタンスにより安定したように思います。また、バンカーショットもスクエアに構えることで、トップの不安がなくなり、ボールを出しやすくなりました。これらは明るい材料です。 パターはイップスです。正直どうしたらいいか分かりません。何とかしなければ。 暑かったですが、まだまだましで、風も爽やかで、疲労困憊まではいきませんでした。 帰りに、前回も行った「山本園」の「With Tea」に寄って、「あさみや金時」をいただき、帰途に就きました。【ゴルフ場】滋賀カントリー倶楽部 〒529-1841 滋賀県甲賀市信楽町上朝宮1224(信和ゴルフクラブ系列) 今回11回目。 ホームページhttp://www.shigacc.jp/航空写真 スコアカードマーカー【自宅からの交通】 片道 55km ・京都縦貫道+京滋バイパス 大原野IC~笠取IC 1,110円 ・府道3号線→国道422号線→国道307号線 所要時間:片道1時間5分 先日の「デイリー信楽」より少しだけ近い程度で、距離・時間は京阪カントリーのそれぞれ約1.6倍、約2倍かかります。 【プレー費用】 昼食付き ¥9,664 この前の京阪カントリーが7,550円、デイリー信楽が\6,850でしたので、それに比べかなりお高いです。【同伴者】 谷さん(M社先輩)スコア100、前さん(M社先輩)スコア108【スコア】 In Out 合計 パット OB 51 59 110 42 2(失くしたボール2)【コースについて】・18ホール・アップダウンはありますが、コースは概して広く、トリッキーではありません。・バンカーは多いように思いました。・ウォーターハザードはありますが、プレッシャーのあるのは1ヶ所のみです。・いつもかどうか分かりませんが、ラフは比較的深く、ボールが見つけにくいこともあります。フェウェ―ウッドを使うかどうか迷うこともありました。バンカーから出せば、ラフで止まってくれて、またバンカーに戻ってくることが少ないのは助かる部分ではあります。・早くラウンドさせるために、ティーショットのOBはすべて前進4打としたり、ゼブラ杭を採用するゴルフ場が多いなか、前進4打は半分くらい、あとは打ち直し。ゼブラ杭もありませんでした。隣のコースに入っても罰打なしに打てるとこもいくつかありました。 できるだけ本来のルールをキープしようという姿勢が見えます。・カートはガソリン・電磁誘導式。リモコンあり。・ヤーデージ杭はパー3はセンターまで、それ以外はエッジまで。カートに正確なピン位置を記載した紙が掲示されています。【プレーの気付き】・前半は7回ドライバーを打ったうち、4回がチョロ。他もトップで飛距離が出ないショットが多かったです。 後半、ハンドファーストでダウンブローで打つようにして安定し、ミスショットがなくなりました。 ・フェアウェイウッド、アイアンもダウンブロー、ハンドファーストで、比較的安定していました。特にピッチングでの上げての寄せで効果がありました。・ピッチングの転がしによる寄せは、今回からスクエアに構えて打ちました。ハンドファーストも忘れずに。ミスショットが少なく、いいショットが増えたように思います。・バンカーショットもスクエアに構えてみました。フェーズだけ開いて。以前のようにトップすることがなくなりました。・最大の課題はパッティング。前々回、前回と36、35と安定していましたが、今回42。1メートルのパットが入りません。入る気もしません。打つ瞬間入れねばと思い、コネてしまうような感じになっています。前さんが、他の人からアドバイスを受けてうまくいったという内容を話してくれました。「押そうとしたら駄目。方向を決めたら、目標を見ずに、真っすぐコツンと当てるだけ。」 これができればいいですが・・・・ 何か対策を考えなければなりません。 今日は、家内はテニスでした。私がゴルフで車を使うので、友達に乗せてもらっての往復です。 次女は仕事から帰って体調が悪いと、夕食も食べずに寝てしまいました。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/05/24
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4月25日撮影の「ツボミオオバコ(蕾大葉子)」@ご近所散歩 です。 オオバコ科オオバコ属の越年草。花期は5~8月。北アメリカからの帰化植物。 別名「タチオオバコ」 他のオオバコの仲間と比べると、硬そうな花穂が特徴。曲がりくねらずに直立します。別名の「タチオオバコ」はここから来ています。 「いつまでも硬い蕾のままのように見える」ので「ツボミ」オオバコと名付けられた、とされています。しかし実際には、花は開きます。 「オオバコ」は「大きな葉」から。 「オオバコ」は、別名ガエルッパ、ゲーロッパ、オンバコともよばれ、弱ったカエルをこの葉陰におくと元気になるという俗説からカエルバともいわれます。 中国では「車前(しゃぜん)草」と呼ばれ、車(牛車・馬車)が多く通る轍(わだち)によく生えることからこの名がつきました。 踏みつけに強く、人などがよく踏む道端などの場所でよく見られる。踏みつけが弱い場所では、高くのびる性質を持たないので、他の草に負けてしまいます。まさに逆境を成長に転じる植物ですね。 葉や種子は咳止めなど薬用になり、若い芽は食用になります。また子供たちの遊びでは、花柄を根本から取り、2つ折りにして、2人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ、スモトリグサ(相撲取り草)の別名もあります。「みんなの花図鑑」サイトで、この草花の名前を教えていただきました。ドラゴンズさんkayu-さん秀さんだよさんうっかりかさごさんオレちゃんさんリンゴちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/05/24
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2016年5月23日 京都新聞ホームページから 武将で歌人の細川幽斎にちなんだ「田辺城まつり」が22日、京都府舞鶴市南田辺の田辺城跡(舞鶴公園)で開かれた。戦国時代を再現する鉄砲隊の演武や武者行列などがあり、大勢の観光客や家族連れでにぎわった。 舞鶴商工会議所などで作る実行委員会の主催で25回目。今年は田辺城籠城戦(1600年)で活躍した稲富鉄砲隊の流れをくむ「備州岡山城鉄砲隊」(岡山市)が火縄銃の演武で出演。ホラ貝を吹きながら登場した甲冑(かっちゅう)姿の武者18人が一斉に鉄砲を放つと、ドンドンドンと大きな音が響き、観衆を驚かせていた。 また、幽斎やガラシャに装った行列が城下町だった西地区市街地を練り歩いた。田辺城跡には屋台も並び、前夜祭と合わせて3万人が来場した。田辺城まつりで火縄銃の演武を披露する備州岡山城鉄砲隊(舞鶴市南田辺・舞鶴公園)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/24
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年3月26日の記事≫ 国内では年間約85万人(2011年推計値)が新たにがんと診断され、このうち約3割が20~64歳の「就労世代」だ。厚生労働省は、仕事を持ちながら通院して治療を受けるがん患者は、65歳以上の高齢者らも含めて約32万5千人いると推計している。 治療と仕事をいかに両立させるかは、患者や家族だけでなく、社会全体にとっても大きな課題だ。 ただ、現実は厳しく、連載で紹介した千葉県船橋市の会社員、HTさん(47)の場合、肺がんの治療中に職を失う経験をした。企業側の理解が得られずに解雇につながるケースもある。厚労省研究班の調査では、企業などの勤務者の場合、がんの診断後に約4%が解雇され、約30%が依願退職していた。 厚労省は2月、がん患者らが治療を受けながら働き続けるために、企業が取り組むべき支援策をまとめた指針を発表した。 指針では、がんや脳卒中など継続的な治療の必要な従業員が通院しやすいように、原則1日単位の「年次有給休暇」を1時間単位で取れる仕組みのほか、円滑に職場復帰できるよう勤務の日数や時間を短縮する「試し出勤制度」などの導入を求めている。また、がんと診断された人について「精神的な動揺や不安から、早まって退職を選択する場合があることに留意すべきだ」としている。 働くがん患者に役立ててもらおうと、国立がん研究センターがん対策情報センターは「がんと仕事のQ&A」(http://ganjoho.jp/public/support/work/qa/別ウインドウで開きます)をネット上で公開している。「復職後の働き方」「新しい職場への応募」「お金と健康保険」など、仕事と治療を両立させるためのコツを解説している。 同センターの高橋都(たかはしみやこ)・がんサバイバーシップ支援部長は「企業で働く人の場合、自分の体調や治療プランなどを会社側に伝えることが職場での配慮につながる」と話す。高齢化に伴って、働くがん患者は今後さらに増える見通しだ。高橋さんは「がんになっても働く意欲と能力のある従業員の力をいかに生かすかは、企業の戦略としても重要だ」と指摘する。仕事を持ちながら通院するがん患者(32.5万人)の内訳 私は、長年務めた会社を57歳のときリストラで早期定年退職し、別の会社に58歳で入社、59歳のときにがんを発病しました。 雇用契約は1年ごとの更新でした。こうなった以上、働ける状態になれば、現役引退後やりたいと思っていた観光ガイドの仕事を早く始めたいと思うようになり、会社側から契約更新をしないと言ってくるのを待ちました。会社側から更新しないと言ってくれたほうが、失業保険上有利なためです。 果たして、そのとおり契約非更新となりました。粒子線治療のおかげで、普通の生活を送れるようになり、シニア観光ガイド協会に採用もされ、現在8月のガイドデビューに向け研修中です。仕事との両立で苦しむ患者さんが多い中、まったくもって幸運としかいいようがありません。がなばらないとバチが当たります。 上記の国立がん研究センターがん対策情報センター「がんと仕事のQ&A」のサイトを覗いてみましたが、役に立つ情報がQ&A形式でうまく纏められていると思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/05/24
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 京都府丹後地域の魅力を発信する広域イベント「mixひとびとtango」(ミクタン)が21日、京丹後市と伊根町の各地で始まった。21~23日と28~30日の期間中、両市町や宮津市、与謝野町で、計31の催しが繰り広げられる。 今年で8回目。初日は、花好きの市民でつくる「京丹後オープンガーデンネットワーク」のメンバー13人が、自宅の庭を公開。川口匡美さん(63)=京丹後市大宮町=の庭では、見頃を迎えたバラや黒色のロウバイなど、約120種の植物が来場者の目を楽しませた。川口さんは「緑がそよぐ庭でゆっくりしていってほしい」と話した。 同市弥栄町の「竹野酒造」では、1日限定の「蔵舞Bar」が開かれた。手絞りで少量しかとれない「斗びんとり」などのさまざま日本酒が販売され、九つの飲食店がこだわりのつまみを提供。特設の野外ステージでライブもあり、大勢の客が食と音楽を堪能した。 問い合わせは、事務局の携帯電話090(8094)2693。日本酒を味わいながら野外ライブを楽しむ「蔵舞Bar」の来場者たち(京丹後市弥栄町・竹野酒造)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/24
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