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年金とみかんの確定申告団地のポストに確定申告の申告用紙が送られてきていました。当方は、毎年この時期になるとためてあった伝票の集計作業を行います。それは、一年間の自分のしてきた仕事を、まとめる作業でもあるんですね。大体、収入は年金とみかん販売ですが。東京・八王子市から神奈川県の真鶴・小田原へ通ってのみかん仕事ですか。遠距離農夫ですから、交通費が大変なんですね。高速料が12万円、ガソリンが23万円かかりますから、このためには、売り上げじゃなくて、所得として35万円は必要です。一袋が120円の収入として、最低でも2900袋を売らなければ、交通費がまかなえないんですね。2900人以上の人にみかんを売るというのは、大変なことです。要するに、自分がもうかるかどうかということだけを考えていたら、とてもやっていけないんですね。みかん農家だけでなく、今商売をしている人たちは大変です。お客さんが、コロナ等の関係もあり、ぐっと減少している問題があります。それでなくても、大変なんですが。しかし、それはそうした困難な事情があったとしても、何とか回しているのが現状です。大体、小田原・真鶴は大都会の東京に近く、自然・地魚・温泉、歴史に恵まれています。生産者にとっては、みかんの北限の産地として、酸味の中の甘いみかんが採れるんです。すばらしい宝の山なんです。昨今の時代の風潮、儲け中心に走る世の中の傾向があったとしても、今の社会の病気はあったとしても、それにより基礎となる自然の恵みのゆたかさはかわりません。消費者にとっても、東京から1時間半くらいで、大自然を恵みを楽しめるし、安くておいしいみかんをはじめ、相模湾の地魚、箱根の温泉を楽しめるんですから。それは、貴重な憩いの場があるということです。マイ・リゾートがあるということです。しかし、それでも、高齢化する社会のことですから、「なかなかそこまで出かけれない」という人もでてきます。自然のことで、仕方がないんですが。そこなんですね、私などがかかわるところは。都市と農村をつなぐべく、小田原から大都会・東京へみかんを運ぶわけです。結ぶというか、つなぎの役割です。おいしくて、安い旬のみかんを届けて、せめて気分だけでも楽しんでもらう。その人の条件が許せば、出かけて来て楽しんでもらうということです。そんな基本の中で、この一年の特徴をふりかえれば、やはり新型コロナの影響でさまざまなマイナス問題がひたひたとでています。東京と小田原の、まわりの様子を見ると、注意を必要とする事態もあるわけです。しかし、委縮ばかりしていては、世の中はすすみません。そこなんですね。分析的に見ておかなければならない大事なところは。今回の確定申告による集計でみると、今のところですが、コロナの中でのみかん仕事は、縮小再生産ではなく、ボチボチですが回転しています。問題は、最終的には体力なんですが、体力勝負で仕事を回しているわけですが、それでも収支がともなわなければ、それすらも出来なくなります。今回の集計がしめしているのは、この秋に向けて、まだまだ今年も、みかん仕事を続けていけるということです。それと、もう一つ。菅内閣の姿勢をみていると、庶民とは無縁の官房機密費(1日に307万円)をつかった。しかも、国民が何に使ったのかを聞かれても、その基本すら答えようとしない。これじゃぁ、税金を払いたくなくなる国民感情も、当たり前のことです。だけど、私などは自分に言い聞かせます。今がどんなにひどくても、政権が代われば、それは国民施策にとって大切な財源ですから。どぶに捨てるような感覚になりますが。やはり先行投資のつもりで、確定申告の税金ですが、応分負担の義務を果たしているわけです。『これは、お前らの勝手な無茶苦茶にたいして出しているんじゃないんだぞ!』そのことだけは言っておきます。
2021年01月31日
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本来の政治とはみかん農夫は畑作業中はメディアから切り離されてます。その間に、山の様にたまっていた新聞をめくりながら、世の中の動きを追いかけます。一昨日は、参議院の予算委員会の様子を追跡しました。まったくもって、見聞きしているのが、いやになっちゃう愚鈍な国政の姿でした。こんな鈍感と怠慢が政権党の実際か。見聞きしていて、お先真っ暗な、国の政治への不信が出て来ざるをえないんですが。自民・公明政権の率直な姿なのかと見せつけられました。これが今の日本の国と地方の大勢かとは思うんですが。今回はたまたまですが、たまった新聞を片付けていて、少しいやされる記事を見つけました。あまり知られることのない新聞、『東京民報』ですが、その1月31日付の東京・世田谷区の記事です。前回の国政の姿は、ざるで水をすくうというか、氷の上をすべる質疑を見せつけられたんですが。それとは、いささか違う政治の姿、いち地方自治体での動きですが、努力している政治の姿でした。「いつでも、どこでも、なんどでも」コロナウィルス感染対策で、PCR検査を積極的にすすめていね東京・世田谷区の様子の記事です。東京でも世田谷区は人口が多いと思うんですよ。そこでの共産党区議団は、たかだか3人だというんです。その江口じゅん子幹事長へのインタビューです。昨年7月に区議団説いて世田谷区長に申し入れたんだそうです。①検査の1日1000件への拡充、②専門家会議の設置こと、を申し入れたそうです。それに対する保坂区長の対応ですが、『タイムリーな内容でありがたい』だったそうです。実際に、世田谷区政はそうした方向で、感染予防の社会的検査や、有識者会議をつくって、その後の具体的な対応をしてきている様子の一端が紹介されています。政権が真剣になって、その気になって探れば、それこそどんな暗闇であっても明るい見通しは出てきうる。すぐに完全に解決することは出来ないにしても、政治家が誠意をもって専門家の知見も生かすようにするならば、どんな大きな困難であっても打開するための様々な可能性が、試みが出来うるんですね。そんな、国政とは対照的に、衆知を集めて努力しているのが感じられる姿を、いち自治体での様子ですが、政治への希望を感じさせてくれる記事を見させてもらいました。国政のサボタージュ、カサブタを早く変えないと、国民の暮らし破壊は続いていくということです。
2021年01月30日
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『みかんは、まだ大丈夫なのか?』1月30日の東京・多摩市の永山団地での朝市でのことですが。『みかんは、まだ提供できるのか?』ひとりならずの方から質問されました。東京・多摩市の団地の朝市ですが。天気は快晴ですが、快晴であるほどに寒さの方は厳しいものがあります。昨日、小田原から運んできたみかんですが、いただいたロウバイのひと枝もそえて並べました。『みかんは、まだ提供できるのか?』の質問ですが。それへの答えですが、温州みかんの「青島」は、2月いっぱいは姿や味がもちますから大丈夫です。ただし、2月に入れば、「ネーブル」などの柑橘も出てきます。これから、清見だとか湘南ゴールドだとか、5月の甘夏まで、いろいろな旬の柑橘を楽しめますよ。当方のみかん仕事ですが、これから、まだまだ続いていくということです。
2021年01月30日
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建前と実際とのギャップみかんで畑作業をしていると、社会の動きは分からなくなるんですが。「小池さんの質疑がすばらしかったよ」みかんの搬送作業をしていたら、そんな一声が耳に入りました。1月28日(木)に参議院予算委員会での新型コロナ問題での質疑についてのことでした。1月29日付の「しんぶん赤旗」に、その質疑が1~3面に、それが紹介されていました。しかし、当方はものごとを知るのに、新聞の活字からだけでは問題の核心がつかめません。質疑のやりとりの情感が、活字からだけではキャッチすることが出来ないんですね。疲れているせいかもしれませんし、そもそも能力のせいかもしれません。さいわいにして、参議院・衆議員の質疑は、後からでもインターネットで聴取できます。https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.phpここから、日時、委員会、質問者を選んでいけば、問題の委員会を見ることが出来るんです。小池議員の質疑は、約1時間半ありましたが、その長い時間を感じさせない、政府のコロナ対応のどこが問題かがよくわかるものでした。ただし、映像というのは、その場限りで記憶の中にしか、印象としてしか残らない問題があります。これはこれで、見ている側が疲れていると、映像への集中力にも限りがあるということです。当方は、大事な質疑を、後からフォローする場合は、新聞による活字と、インターネット中継とを、あわせて読みかつ見るようにしています。今回の結論的ですが、建前では「コロナ対応を一生懸命やっているよ」としている政府ですが。質疑の実際のやりとりから見えてくるのは、菅内閣自身から、対応への手当て具体策と、本気度がほとんど感じられないないということです。事態への対応がもとめられているのに。用意されていた文章は読んでも、生きたかみ合う議論が出来ないんですね。しないんですね。これじゃぁ、政治が氷の上をすべっているだけで、まったくすすまないはずです。しかし、今ここに国民の中に死活問題があるわけで、「わかってはいるが・・・」と逃げの手を打つ政治家を許していたら、生活はどうなるのか。どこが問題か、どこを変える必要があるのか、確かに今の政治の核心が見えてくる1時間半の質疑でした。私もそうでしたが、働く国民は、こうした大事な問題を、つぶさに見る機会が無いんですね。しかし、ちょっとした工夫で、私などが出来きたように、後からであっても、多少となりフォローすることが出来るんですね。ものごとをリアルに知るには、それなりの努力が必要だということです。
2021年01月30日
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みかんの剪定と野焼きみかんの木の剪定と、その切り枝の野焼きに行ってきました。これが、今回剪定した木です。中ほどの枝を、陽の光が差し込むように切りました。この木は、今期が表年でしたから、この秋はみかんがあまりつかないと思います。今期が表年だった木を重点的に剪定しようと思っていたんですが、どの木も、枯れ枝の除去が求められたり、密集しすぎていたりしていて、私などでも判断できるところは、この2月の期間に思い切って剪定することにしました。小田原・早川の石垣山では、野焼きすることが認められていますから、この剪定で出た切り枝は、まとめておいて野焼することにしています。しばらくの間は、この剪定と野焼きが続くことになります。みかんは太陽の恵みです。太陽の光が樹冠の中まで届くようでないと、良いみかんは出来ないんですね。そのための剪定が、みかん栽培にとっては、重要な作業なんですね。みかんの出来は、この技が大事な要件になっています。次の写真は、26日(火)小田原サービスエリアから見えた富士山です。雨雲が近づいてきています。雲の切れ間から、富士山の中ほどがみえていました。実際に天気予報通りで、1月27日-28日は、ここしばらくには珍しく、かなりの雨が降りました。木が濡れていては、畑仕事は出来ませんから、この雨の降りだす前に、これのでに剪定で出ていた切り枝を野焼きしておきたかったんですね。今期の剪定による野焼の第一弾といったところです。これからの2月中は、毎週、剪定作業に行ってきます。
2021年01月29日
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哲学学習33 ヘーゲル『哲学史』ノート12ヘーゲルの『哲学史』ですが、岩波文庫の『哲学史序論』(武市健人訳)で読んできましたが、今、その「序論」の中ほどまで来ました。この「序論」の中心ですが、私などの推測では、A哲学史の概念、B哲学の他の領域に対する関係、このあたりにあると思います。そのあたりを、今通過しようとしているんですね。してみると、この『哲学史』の全体の中で、その位置がどの辺にあるのか、とらえかえしてみる必要があると思うんです。今、ヘーゲルの『哲学史』については、岩波書店がヘーゲル全集をだしてましたが、なかなかそろいません。河出書房新社で長谷川宏訳が、比較的最近に3分冊で出されているので、これなら入手できるし、全容が分かるだろうとおもって、そろえてみました。全体を前にしてみると、『哲学史』というのはじつに大作なんですね。河出版でみると、私などが今読みすすんでいるのは、P50くらいのところです。全体は、序論が136ページ分、第一部ギリシアが329ページ分、第二部中世の哲学が139ページ分、第三部近代の哲学が359ページ分あり、全体ではじつに963ページもあるじゃないですか。何たる大作でしょう。まだ、1000分の50ですから、全体の5パーセントの進展位置なんです。さしものレーニンが『ほとんど200ページにわたる序文―がまんがならない!!』(全集38巻P215)と書きつけたのも、分かる気がします。しかし、ヘーゲルは1831年11月14日にコレラのパンデミックで、それに感染して亡くなったそうですが。それは、第10回目の哲学史講義をしていた時だったそうです。1805‐6年のイェナ大学での冬期講義に始まって、このテーマを10回、26年間にわたって研究してきたテーマだったんですね。何度も様々にあれこれ考察して来ていたんですね。そうした積み重ねからして、序論がふくらむはずなんですね。それに論文として刊行されたのではなくて、講義でしゃべったことを、それを聞いていた生徒のノートによってまとめたものが、この『哲学史講義』だそうですから、長くなるのもそれなりの事情があったんですね。それにしてもやはり長い。大河小説じゃないんですから。ここにはなにか接近する仕方があるとおもうんですが。はたして、これからおわりまで通読できるでしょうか。レーニンも通読したはずなんですが、『哲学ノート』に残されている『哲学史』についてのメモというのは、序論ではA哲学史の概念から6か所のみ、Bはなにもなし。本論では第一部ギリシア哲学の部分だけで、全体からすればギリシア哲学という一部分しか残していないんですね。(でも、これがあるということは、きっと読み方のヒントが見えてくると思ってるんですが。このことは、やはりレーニンにとっては学習できる時間というのが限られていたということなんですね)。もちろん大御所のマルクスにおいても『哲学史』そのものに直接に具体的に踏み込んでは、なにも残していません。本質的な評言は残していても。そうなると、私などは、ほとんどなにも航海図などのない中で、この1000ページの長い旅をしなければならなくなるわけです。おおかた途中で挫折したとしても、まったくおかしくは無いわけです。まぁ、泣き言をいくらいったって、一歩も前進するわけじゃありませんし。訳者はもちろん読んでいるでしょうが、やはり私などからすると前人未踏の世界です。そこにどんな宝が隠されているか、いつまでも序論で足踏みしているのではなく、そこで提示されていた観点がどのように本論で駆使されているのか、本論はどんなことがらを示してくれるのか、これから本論そのものを視野にして、すすんでゆきたいと思っています。
2021年01月26日
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哲学学習32 何故今、ヘーゲルを学習するのか今回の哲学学習の経過をふりかえってみます。というのは、自分でその途中を見てみると、一見するとヘーゲルの著作は難解ですから森の中なんですね。このうっそうとしたあれこれの詮索の中で、全体の中で、自分がいまたどっといる箇所がどこにあるのか、確かめておくことも、これはこれで前進していくためには必要なことだと思うからなんですが。今回の哲学の旅は、2020年6月16日のブログから始まりました。最初は、第2回から第7回(9月2日)まで、マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(全集第1巻)を学習しました。次いでヘーゲル『歴史哲学講義』の「序論」を14回にわたって、2020年10月19日まで学習してきました。今は『哲学史講義』の「序論」の学習にあたっている途中ですが。そうした経過の中にあるわけですが。「何故、今、ヘーゲルを学習するのか」「何が問題なのか」-この私の基本的な問題ですが。昨年(2020年)12月15日付「しんぶん赤旗」に、鰺坂真氏の「ヘーゲル誕生250周年によせて」との紹介文が掲載されました。その中で、゛不断の変化・発展 弁証法の世界観゛として「ヘーゲルの画期的な功績は、弁証法的世界観の最初の最も包括的な叙述を試みたことでした。彼は自然と歴史および人間の認識のすべての過程が、不断の運動・変化・発展の過程に貫かれていることを示し、その内的連関をとらえました。これがヘーゲルの弁証法です」と、ヘーゲルの基本的な内容・意義を紹介していました。私なども、これまでに何度かヘーゲルの著作に挑戦したことはあったんです。一方では、哲学者の人たちによるヘーゲルの業績についての紹介がある。他方で、自分自身でその著作に当たってみると、そうそう簡単に理解できるような品物ではないんですね。ここに大きなギャップを感じさせられてきたんです。あまたの哲学者の人たちによるヘーゲルの紹介や解説はある。しかし、自分で当たると森の中に迷い込んでしまうような状態だったんですね。そもそも、ヘーゲルの紹介をする人たちは基礎作業としてその著作を吟味しているはずです。だけど、その基本的な検討は基礎作業ですから、なかなか普通には活字になって表に出てくるようなことではないんですね。私などが入手しうるものとしては、①マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判によせて』②レーニンの『哲学ノート』(全集第38巻)の中の摘要、この2冊くらいだったんです。この二人は全集が出されたことで、ヘーゲルの著作の具体的な検討がどの様におこなわれたのか、私などにも目にしうることとなったんですね。この努力は、批判的検討は貴重なヒントになっていると思います。しかし多くの哲学者にとっては、ヘーゲルの著作そのものにたいする検討という作業については、基礎作業という性格からしても、実際に努力はしてはいても、それが活字になって刊行されるような形にはならないんですね。活字になっているのはその結論的なもので、一般的で基本的な結論だけでしかないんですね。それだけで当たり前な結論のように扱われているきらいがあるんじゃないでしょうか。だから、一方では一般的な簡単な評価、解説てきなものはある。しかし他方では、うっそうとした森の中に置かれたままでいる、つぶさな検討している過程が明らかになっていない。そこに私などのぶつかった大きなギャップがあるし、あえての私などの努力が求められる事情があったんですね。しかし大体において、このギャップですが、どうもこれは、たまたまの私などの個人的な不十分さに属する問題だけではなさそうなんです。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年刊行)ですが、その中にこんな指摘があります。「(ヘーゲルの体系がもつ逆立ちの問題という)このこしらえものについて、彼(ヘーゲル)の小人のような反対者たちは今日にいたるまでひどくさわぎたてているのである。しかし、こうしたこしらえものは、彼の仕事のわくであり、足場であるにすぎない。むだにここに足をとめず、もっと深くこの巨大な建物のなかにはいりこんでいってみると、そこには、今日でもなお完全に値うちのある無数の宝がある。」(大月書店 P18)私などがこの間に、ヘーゲル自身の著作『歴史哲学講義』序論であるとか、『哲学史』序論を対象にして検討しようとした動機には、この指摘を確かめてみようとするのも一因としてはあったんです。それはギャップを埋めることでもあったんですが。そして、その都度、毎回の発信のなかで、3つ4つの論点、課題とされることの提起、そして問題点などを紹介してきました。それは、「そこには、今日でもなお完全に値うちのある無数の宝がある」という指摘ですが、それはあらためて今日でも確認できるんじゃないでしょうか。レーニンは「弁証法」の理解という限定されたテーマで短期間の集中的努力をしたわけですが、それがそこでは必要事だったようですが、現代に生きる私たちにとっては、どの様なことを今日でも生きたものとして引き出せるのか、それが課題だと思っています。しかし、自分でまとめたはずのものを、自分自身でその途中をふりかえってみると、それが「森の中」にいるような印象なんですね。ヘーゲルの言っている事柄を理解しようとするだけでアップアップしているんです。だけど、ここまででも途中で挫折もせずに来れたのは、現在の歴史社会を前にすすめるには、この学習が、どの様に忙しい中であっても、欠かせない課題となっているからだと思います。もっと問題の本質的事柄を的確につかめたならば、もっと分かりやすく紹介出来ているはずかと思うんですが。事柄に通じることが目的ではなくて、それをどの様に生かすのかが問われていることですから。それは現在に生きるものにとって大事なテーマだと思うからなんですが。だけど自分なりにどんなに手探りではあっても、この一歩一歩をあゆんでゆくしか仕方ありません。まだ、『哲学史』についても「序論」のうちにあるわけで、実際の本論においてどの様に展開されているか、例証・論証されているか。そこにどの様な光が当てれるか、それは今後の課題としてあるわけで、これから改善できるかどうかが問われています。今は、この中間点において、現在だいたい何が問題なのかを検討してみたところです。
2021年01月24日
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寒い朝市1月23日は、朝の始めから小雨が降りだして、冷たい中での定例朝市でした。いくら陽気が冷たくたって、人間が生きていくためには、生鮮野菜が必要です。みかんや果物だって、欠かせないわけです。それで、みかんを並べました。農家が提供してくれたロウバイの花も一緒です。私が聞いた天気予報は、「午前中は曇り」だったんですが、シトシトと雨が降り出してきたために、店舗のむきをかえました。この寒さの中、人通りが少ない中にしては、まずまずの販売だったんじゃないかと思います。まだ、60袋が残っていましたが、それは現地の人に販売するのをゆだねて、当方は、多摩市・稲城市の5キロ箱を注文してくれた人に、みかんを届けて帰ってきました。
2021年01月23日
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みかんの剪定作業温州みかんの収穫を終えたみかん園ですが、今は、清見や湘南ゴールドなどの中晩柑橘の収穫にすすむ前に、剪定作業です。1月19日(火)、12時52分、小田原から見た富士山です。冬の、寒々とした富士山です。この時期として、なぜか「富士の白雪」が少ないことが問題になっています。雪の有無はともかくとして、小田原方面でも下界の寒さがひとしおこたえている昨今です。今回の主題は、収穫の終えたみかんの木の剪定作業です。関東は、天候の上では恵まれています。新潟や日本海側の大変な積雪の便りを聞くにつけて感じさせられます。しかし当地でも、天気の良い日というのは、朝晩の冷え込みが一段と厳しいんですね。そうした中での、みかんの木の剪定作業です。当方は、剪定のノウハウを知りませんでしたから、これまで太い木を剪定する勇気をもっていませんでした。先人が苦労して育ててきたみかんの木を、そうそう簡単には切れません。そうしたもやもやを、そろそろ一か八か、はらしていくときに今があるようです。次の木は、まだ手を付けていませんが、壮年期の木です。隔年結果で、今年は沢山のみかんをつけてくれました。イノシシも、それを見逃さずに、裾の1メートル位を食べていったんですが。今回の剪定作業はこの木の前でシンデレラタイムとなりました。次回は、この木から剪定をしようと思っています。剪定について、この木に対する判断基準は、1、陽がさすように中ほどの枝をすくことです。2、内向きに伸びていくる枝を切って、日当りをよくすることです。壮年苦の木ですから、この木については黙っていても隔年に良い実はつけてくれるんですが。問題は、木には個性があって、みかん園の多くの木はロートルの木です。積年の経過があって、木を大事にしようとしていたため、木が密集して暴れているんですね。私などは、太い枝を切るには、よほどの見立ての判断と技術が求められますから、これまでは先送りしていました。監理している木が少なくて、希少価値と先人の苦労がチラついていったこともありましたが。しかし、決断しました。当方が、管理できる期間も残り少ないですから、今判断できるベストの努力を尽くすことに。剪定に集中できる時間は限られています。この思い切った剪定により、膨大な切り枝が出てきますから、その後始末も大変です。しかしそれは、別の問題です。問題は、今の私などの認識でべストの剪定をすること、それによりみかんの木々がよみがえってくれるか、くれないか。その結果として、そのみかんの木がベストの力を発揮してくれるかどうかということです。そこが、今問われているんですね。もはや私などに残された手入れの時間というのは、あと5回か6回の周期しかないんですね。ですから、1回、1回が、これまでの人生をかけた真剣勝負というわけです。コロナというのは人間関係の問題です。みかんは手入れにかんしては自然の関係ですから。イノシシやヒヨドリにかんしては、コロナとは関係ないんです。しかし、販売については注意が必要です。販売は人間関係ですから、近くまでコロナの災いは近づいています。だけど、みかん畑での畑仕事については、まったく、何のちゅうちょもないということです。現実には、みかんも販売・流通の関係で、その狭まりによって、みかん農家は苦労させられています。流通が狭まれば、収穫したみかんの向け先がなくなるわけですから。かたや団地の年金生活者にとっては、新鮮で美味しく、安いみかんが手に入らなくて難儀している。小田原の新鮮みかんが、安くておいしいみかんが求められているわけです。ここですね、私などの非常識人の出番は。いま、このすき間を埋めなければならないということです。生産者にとっても、消費者にとっても、その活動が求められているということです。
2021年01月22日
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今年、最初の野焼き1月18日(月)、今年最初の野焼きをしてきました。小田原のみかん園のことですが。野焼した場所は、みかん園のすぐ隣でした。このところ、雨は少ししか降っていませんから、野焼は、さして苦労なくすすみました。そのついでに、その野焼きの場の周辺の草刈りと雑木を切り払ってきました。このきっかけは、そこに置いてあったイノシシの捕獲用の檻を移動しなければならなくなったからです。このみかん園に隣接する雑木林ですが、ここはイノシシの楽園になっているんです。檻は老朽化していて、とびらが閉じなくなっていたんですが、それでも、置いておくだけでも、警戒心の強いイノシシですから、檻の付近だけは敬遠して近づかなくなるので、そのおどかしをねらって擱いていたんですが。そのイノシシ捕獲用の檻です。今回、もう一つ仕事をしてきました。野焼の場所から南側にある山を、この間に開拓してきたんですが。当方は、いろいろな柑橘の苗木をその場所に植えようと思っているんですが。苗木の方は、30本をすでに注文してあるんですが。今回、その内の20本を原野に植えようと思って、植え付ける場所を調査してきました。苗木をどこにどのくらい植えるか、探った見たんです。竹を立ててあるのがわかるでしょうか?これは苗木を植えようとする位置を探ってみたものですが。どこにどのくらい植えかを、探ってみました。苗木が到着して来るのは3月ですから、まだ先のことですが。事前に植付予定については、地中にある木や草の根を除去しておかなければなりません。そうしないと、みかんの苗木の育ちは緩慢になっちゃう。場合によっては、雑木との生存競争の負けて、生育が遅れるやら、枯れるやら、とにかく厳しいんです。そのままに放置すると、短期間にもとの雑木林の原野の帰っちゃいますから。そうなるとイノシシの支配圏になっちゃいますから、なんとかここを、もとのみかん園に戻したいと思っています。
2021年01月18日
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温州みかんの販売は大詰め1月16日(土)、東京・多摩の団地で、みかんの朝市を開催しました。みかんの販売は、いよいよ大詰めです。今回は、水仙とロウバイのプレゼント付きでした。早川の小屋には、残りのみかんは3コンテナですから、自前の温州みかんは、次回の23日には終了します。次回の23日以降は、農家の人たちが提供してくれるみかんを販売するということになります。なんの柑橘が、いつ、どのくらいの量が出て来るかは、農家にもいろいろ事情というものがありますから、わからないんですけど。何しろ当方の販売価格は安いので、農家としてはメリットが薄い。通常の出荷・販売ルートが動いていけば、それにこしたことはないんです。しかし、今年はコロナで流通事情が変則的になっていますから、なかなか見通しが立てにくいわけです。はたして、どの様なことになるでしょうか。
2021年01月16日
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哲学学習31 ヘーゲル『哲学史序論』ノート10ヘーゲルの『哲学史序論』を岩波文庫で読んでいます。10回目の今回は、「A 哲学史の概念」の「3哲学史の概念に関する結論」の最後の部分、「c 哲学史と哲学そのものとの立入った比較」です。P95から109。節にとおしの番号をつけていますが、第56節から65節です。今回で、「A 哲学史の概念」を、なんとしても終わらせます。目下の理解度として。引用が中心になってしまいますが、私などの感想としては、ヘーゲルが哲学史のあり方について言いたかったことはこの辺あたりにあると思うのですが。一、前回、レーニンの『哲学ノート』でのヘーゲル学習を紹介しました。レーニンは1914年9月から1年余の間に『大論理学』『哲学史講義』『歴史哲学講義』をよんで、それらへの摘要を残しています。ヘーゲルから弁証法を学ぼうとしていたんですね。短期間に、じつにすごい集中力です。その中で、「哲学史序論」については、全集の2ページ分、6か所の書き抜きをして批評を残しているんです。すでに3か所はこれまで紹介しましたが、残りの3か所というのはこの「c」にあります。その3か所を簡単に紹介すると、4、P98 第59節 「新しい」「流行」哲学に対してヘーゲルが批判している点への共感。5、P99 第60節 昔の哲学に、現在のわれわれの観点がないからといって非難してはならない。6、P102 第61節 原因という概念をもたなかった民族もある。それには高度の発展が必要だ。レーニンの着目した点は、いずれも「なるほど」とうなづけるんですが、これはあくまで個人的な学習ノートなんですね。しかも関心の焦点は弁証法をヘーゲルはどの様に提起していたかとの点だったと思います。そのときの着目点から「自由」に記録したノートだと思います。ですから、レーニンの関心に基づくその言葉の範囲内だけでヘーゲルをとらえようとすると、狭い視野というか、ヘーゲルの全体的思想についての評価の客観性を損なうことにもなりかねないと思うんですね。レーニン自身も、もし公刊されるとなれば、もっともっと違った表現になったのではないか。この「c」を読んでいて、やはりその思いを感じたので、紹介しておきます。二、「c 哲学史と哲学そのものとの立入った比較」ですが。1、ヘーゲルは冒頭で次のような基本的な問題を提起しています。「始め」とそれに続くもののを区別する問題に注意を促しています。P95 第56節 「始めをなすものは即自的にあるもの、直接的なもの、抽象的なもの、一般的なものであって、これはまだ進展していないものだということである。より具体的なもの、より豊かなものはより後に来るものであり、最初のものは規定の最も貧弱なものだということである。このことは、普通一般の観念とは相反するように見えるかもしれない。しかし哲学的な観念は往々日常的な観念の正反対である」普通「人々は最初のものが具体的なものだと」考えるけれど、ちがうと。この考察を基本とて、哲学史の考察にはいっていきます。「始め」の問題を、ヘーゲルは重視しています。マルクスの『資本論』にとっても、一般論として参考になるんじゃないでしょうか。2、この問題が哲学史、哲学の相異なる諸形態に適用されると、P97 第57節「第一(の帰結として出て来ることは)に、最初の諸々の哲学は最も貧弱なもの、もっとも抽象的なものだということ。理念はそれらにあっては規定されていることが最も少ない。最初の哲学は、まだ充実されていない一般性のなかでうごめいている」「我々は、さらに深い意識に属する諸規定を、それらに要求してはならない」P98 第58節 この帰結から出て来ることは、「発展の進行は進んで規定することであり、またこの規定することは理念が自分自身の中に深まることであり、自分自身の中での理念の自己把捉であるから、従って最も後の、最も若い、最も新しい哲学は、最も発展した、最も豊富な、最も深い哲学だということである。」(ここには理念を人間から独立した、主体化させるヘーゲルの問題点はありますが、ここではそれにこだわらずに、人間の認識がより深まるといったくらいの意味に解釈しておきます)「この最後の哲学の中には、一見過去のものであるように思われるすべてのものが保存され、包含されておらなければならない。最後の哲学はそれ自身、歴史の鏡でなければならない。初めのものはもっとも抽象的である。それは始めのものであり、まだ前進をなしていないものだからである。進んで規定していくものとしての、この前進運動から生ずる最後の形態こそ、最も具体的な形態である。このことは自惚れではない。より後の時代のより発達した哲学は本質的に先行する思惟的精神の諸々の労作の結果だということ、後の哲学はこの以前の諸々の立場から要求され、駆り立てられたもので、孤立的に自分だけで土壌から生じたものではないということ。このことがまさに、この全議論の精神をなすものだからである。」この後で、第59節で、ヘーゲルは逆に、新しい哲学とあれば、ちょっとしたことでも、どんなおしゃべりでも評価されるといったことではないことを注意しています。レーニンが第4番目に注目点としてあげている箇所です。3、ヘーゲルは先行する哲学、思想に対する対処の仕方を、戒めをこめて語っています。P99 第60節「第二の帰結は、昔の諸々の哲学の取り扱い方の問題である。当時の文化にはまだ存在しなかった諸々の規定を、我々がそれら古代哲学の中に見ないからといって、それらの哲学を非難してはならないということである。また、このような哲学の思想から当然、導き出されるものであっても、そこに少しも論ぜられていても、思惟されてもいなかった諸々の結論や主張について、それらを非難すべきではないということである。我々はただ歴史的にのみ著作に接しなければならない。直接にわれわれに示されるもののみを、その哲学者のものとしなければならない。多くの哲学史においてみられる誤りの元は、ここにある。」これは、大事な指摘だと思います。先行している思想を、今日の基準をもってその是非を論じるきらいを、安直に「批判」したがるきらいを目にするにつけて、「おかしい」と感じさせられることがあったんですが、ヘーゲルのここでの心得、戒めの指摘を読むと、その訳がみえてきます。この観点・態度というのは、思想の歴史にとっても妥当する大事な指摘をしていると思います。これは、レーニンが5番目の注目点に上げている点です。4、ヘーゲルは、後の世からのかってな見解を持ち込むことには反対していますが、反省の形に置くことは大事だとしています。どこが違うのか。P102 第61節「古代の哲学者たちを我々の反省形式に懐中することは、よくあることである。しかし実は、このことが発展を促すことにもなるのである。時代、文化、哲学の相違は、まさに、このような諸反省、このような思想諸規定、概念の諸関係が意識にのぼっていたかどうか、意識がそこまで発展していたかどうか、にある。哲学史においては、ただこの思想の発展または展開が問題である。諸規定が一つの命題から出て来ることは認められる。しかしそのことは、それらが既に展開されていたか、いなかったかということとは全く別のことである。内面的に含まれていたものの展開ということこそ肝心の点である。だから我々は元のままの言葉だけを使用しなければならない。また、その哲学者たちの意識になかった思想のより進んだ規定ということこそ発展という」。この後にレーニンの6番目にピックアップした箇所、「原因という概念を、まだ全く持たなかった民族がある。それを知るには高度の発展が必要なんだ」がくるわけです。この部分の訳は、武市健人氏ではなく、長谷川宏氏のものを使いましたが。レーニンの6か所が、やはりいずれも大事な点にかかわっていることがわかります。書き抜きだけですが、それを感じます。5、さて、すでにだいぶ長くなりましたが、最後は一つの節の全体を引用することとなりました。ヘーゲルは素晴らしい発展観を示すとともに、普遍的精神の先在との神秘主義の玉石混交です。これを明確に分析することが求められていると思いますが、私などにはできません。しかし、それを紹介することくらいは出来ますし、それも大事なことだと思いますので。P103 第62節「第三に、思想の論理的体系においては、その各形態は、それぞれの発展段階であり、しかもその各段階は、それぞれの価値をもつ。しかし、発展が進むと、各形態は従属した契機に引き下げられる。同様にまた、各哲学も行程の全体の中では特殊な発展段階であり、その特定の位置をもつ。そうしてその特定の位置においても各哲学は自分の真の価値と意味をもつ。各哲学の特殊性は、この規定から本質的に理解されるべきであり、またそれを正当に取り扱うためには、この位置から見なければならない。まさにこの故に、それが果たしている以上を、もはやそれに要求したり、期待したりしてはならない。ずっと発展した認識からのみ与えられうる満足を、その中に求むべきではない。我々の意識の問題、今日の世界の関心の回答を古代人に求めようなどと考えてはならない。こういう問題は思想のある程度の発展を前提とする。各哲学は特殊な発展段階の叙述であるというまさにその故に、その時代に所属しており、その時代の制約の中に縛られている。個人はその民族、その世界の子である。即ち、その世界の実体的なものを彼はただ自分の形式においてのみ表現する。個人がいかに頑張ろうとも、その時代を真に超越しえないことは、自分の皮膚を脱しえないのと同じである。というのは、個人は自分の実体であり、自分自身の本質であるところの一個の普遍的精神に所属しているものだからである。個人がどうして、この精神を超越できようか。この一個の普遍的精神こそ、哲学によって思惟的に把捉されるところのものなのである。哲学は精神の自分自身についての思惟であり、従ってその特定の実体的内容である。各哲学は、その時代の哲学である。それは精神的発展の全連鎖の中の成員である。それ故に各哲学は、ただその時代に属する諸関心に満足を与えるにすぎない」不勉強というのは、引用をもって、自分が何かを紹介したかのような、また何かを主張したかのような気分になるのが特徴のようです。でも仕方ありません。不勉強な曖昧さというのも今の現段階ですから。これにて、「A 哲学史の概念」を終了します。四苦八苦でしたが、なんとか終わりまで来れました。次は、「B 哲学の他の領域に対する関係」に挑戦です。
2021年01月16日
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ロウバイと水仙1月15日、みかん園でのこと。一仕事終えたところで、ロウバイと水仙が目につきました。いま、小田原では、ロウバイが見ごろになっているんですね。梅も、早いものではチラホラ咲きだしているんですが、ロウバイの方が一足早いんですね。そのロウバイの木の下には、水仙が咲き始めていました。当方の認識では、水仙はまだ少し先かと思っていたんですが。ロウバイも水仙も、みかん園の園主が、『東京へもっていって、プレゼントしてやれ。みかんを売るだけじゃなくて、(自然と切り離されている人たちだから)サービスしてやれ』とのことで、あずかってきました。当方のみかんの販売は、今回の朝市が無事に済めば、自前のみかんは、あと残り3コンテナのところまできました。最後を発送を、早川農協から出荷したところです。野辺に咲く花が、目に入ってくる時というのは、そこにも目が届く時というのは、みかんの収穫と販売が、終わりにちかづいた時です。これからの私のみかん仕事ですが、一、農家の人たちがみかんを持て余すとき、昨今のコロナ等での流通の狭まりもありますから、販路が狭まることで苦慮していると思います。私などは、それをあずかって、多摩の団地に提供するようにしていきます。美味しいみかんが、もったいないですから。生産者にとっても、消費者にとっても、喜ばれることですから。二、これからの柑橘ですが、中・晩柑の、ネーブル、清見、湘南ゴールド、日向夏などがあります。自前のは、ほんのささやかな量ですが、これも時機を見て出荷を予定しています。これには、これからの時期はお腹を空かした鳥たちに食べられないように、はやめに防鳥ネットをかぶせなければなりません。三、それと剪定作業があります。今回、イノシシにかなり太い枝までへし折られてしまいました。その手入れがあります。また、みかんの枝が密集しすぎていて、太陽の光が差し込まない箇所もあちこちにあります。密集した枝をすく作業があります。四、それと開拓した原野に、みかんの苗木を植えようと思っています。それには、地面の下には木や草の根が張りめぐれていますから、伐根しなければなりません。これをして初めて「開拓した」と言えるんですが。やわな鍬などはへし曲げられちゃいます。それを30か所近くくりかえさなければなりません。ようするに、みかんの収穫は過ぎても、みかん作業は続くというわけです。いや、これからが、「みかんの手入れ」の始まりなんですね。
2021年01月15日
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臨時のみかんの昼市1月11日(月 成人の日)、みかんの臨時の昼市を開きました。午前11時15分から午後1時までの2時間若でしたが。これで今回搬送してきたみかんは全てです。販売は、人の出が少ない中でしたが、かなり普及することが出来ました。これで、小田原にあるみかんですが、次の搬送に行くことができます。それにしても寒い。新潟市では、一晩に60センチ積もったそうですが、東京・多摩市では、雪こそないものの、明日は平地でも雪が降るとの予報です。みかんを買いに来てくれた人たちの服装にも、今日の寒さのほどがしめされています。
2021年01月11日
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『桜を見る会』問題を紹介このラジオ番組は、ズバリ時の問題が取り上げられています。「大竹まこと ゴールデンラジオ」(1月8日」です。当方も、その本を取り寄せて、今読んでいるところですが。この本の当事者、「赤旗」日曜版の山本編集長と山田デスクが、登場して、今回の報道取材の経過を、質問に答える形で語ってくれています。https://www.joqr.co.jp/blog/main/この1月8日の放送ですが、その放送を聞くことが出来ます。一番の問題は、政府の公的な行事に、首相という便宜をつかって、自分の後援会員を何百人を毎年もてなしていたというんですね。首相の公的行事の私物化の問題ですね。より大事な点は、大手のマスコミは、それに参加していたんですが、問題にしなかった。この問題を問題として直視できなかったんです。他方、こうした会に招待もされっこない「赤旗」日曜版が、この問題をスクープした。どうしてこのこのスクープができたのか、今のマスコミの問題点ともかさなってきますが。根本的な問題は、政府を監視する批判的な立場の弱かったマスコミはこれを当初報道しなかったんですね。これに対して、赤旗や野党の追及に、国民の反響がインターネットなどでの反響が大きく広がって、それらによって後からマスコミも取り上げるようになったという問題です。国民の声の広がりに根遅まきながら大手のマスコミも動き出して、大きな社会的問題として明らかになり、安倍首相は退陣せざるを得なくなったという次第です。しかし、未だ「秘書の責任た」とかいって、自己の責任をきっぱりと認めようとはしていませんが。政権の私物化問題の全体像がこの本や今回の報道でも言い逃れできないほどに明確にされています。それにもかかわらず、安倍氏はグダグダいって逃げとおそうとしています。菅首相もそれをかばう役割をになっているんですね。きっぱりとした自己反省がなされなければ、私物化が合理化されてしまうということです。これは、日本学術会議の任命拒否の問題とも重なって、誤りを認めず、誤りを正そうとしない、政権にある政治家の悪しき習性を、ここでこそ正させなければならないということです。政府は憲法の下にあるし、国民の代表であって、何でも勝手が出来る専制君主ではないんですね。そこを明確にしきることが、今の日本の課題だということです。このラジオ番組は25分くらいですが、そのことを示していると思います。傾聴に値すると思います。
2021年01月10日
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臨時のみかん昼市1月10日(日)、午前11時から午後1時半まで、みかんの臨時市をひらきました。東京は1月8日(金)からはじまった緊急事態宣言の下で、日曜日の商店街のお昼時でしたが、ほとんど人通りは無かったんですが。みかんの力ですね、早川の農家が提供してくれた樹上完熟の早生みかんですが、完売しました。なにしろ早生みかんですから、優先的に販売しました。したがって、青島みかんや在来系のみかんの販売は、これからになります。とにかく、美味しい早生みかんの販売は、今回で終了しました。中には、昨日の今日とか、今日の今日とか、一度は買い求めてくれたのに、すぐに出直してきて、『美味しかったんで、またほしい』とか、『自分がまだ食べてないうちに、子供たちに全部食べられちゃったので』と、買いに来てくれる人もいました。人通りがほとんどないのに、そこそこみかんが消えてしまうなんて、これは、「樹上完熟みかん」のおいしさのせいです。数が限られていたので、もう食べたくてもないんですが。これから、本来の販売、「青島」と在来系のみかんの販売に入ります。
2021年01月10日
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今年最初の定期朝市1月9日(土)は、今年最初の多摩の団地の定期朝市でした。月に二回、隔週の土曜日に定期市が開かれます。当方のみかん市は、毎週開催していますが。コロナの問題で非常事態宣言がだされたんですが、そうであっても、人間は生きていくたるには生鮮食材を入手しなければなりません。したがって、どんな事態にあっても、コロナに気を付けつつも、生鮮食材の販売は団地生活者には欠かせないんですね。みかんの方も、社会的な流通は大変な困難になっていると思います、消費者がお店に出かけるのを、なるべく控えざるを得ないからです。お客さんの数が減れば、いくら生鮮食品が欠かせないとは言っても、流通業者にしてみれば、やはりそれだけ売れ行きの方も減ると思います。生産者の方も、流通が弱まれば、出荷量を抑えざるを得なくなると思います。そうした社会状況の中にあっての、多摩の団地の朝市です。はたして、非常事態宣言の中で、どのような日常性がつくられていくでしょうか。
2021年01月09日
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レーニンのヘーゲル学習生誕250周年とのことですが、ヘーゲル哲学を学習していたところ、レーニンの全集38巻『哲学ノート』に出会いました。ヘーゲルは禅問答のような謎めいた問いかけをすることがあるんです。「全一的な世界観」のような、そのため私などは翻弄されていたんです。それに何と言ってもヘーゲルは、有名な哲学者のわりにどの著作も実際に当たってみると、難解でひとすじなわでは理解できない難物でもありました。しかし科学的社会主義の理論にとって、それが大事な一つの「源泉」になっているんですね。それは、どうしてなのか?という問題があります。とにかく、ヘーゲル哲学を理解しようとして、私などもこの間挑戦してきたんです。そうした中で、レーニンの『哲学ノート』に出会いました。レーニンの『哲学ノート』の中には、ヘーゲルの著作に関して『論理学の摘要』『哲学史講義の摘要』『歴史哲学講義の摘要』が残されています。ヘーゲルの原典からの抜粋文章とそれに対するコメントです。一、私などにとっては、ヘーゲル哲学にかんする評価などについては多くの哲学書にあるんですが、具体的に原典そのもののどこが、どのように問題かを検討したものというのは、なかなか見あたらないんです。その点では、レーニンのこの『哲学ノート』は貴重でした。二、また、レーニンの集中力にもおどろかされています。このヘーゲルの3書はいずれも大部のものです。それに難解ですから通読するだけでも私などは四苦八苦しているんですが、この摘要は1914年の9月から1915年の1年余の間に学習したものなんですね。なぜこの時期に、1年余という短い時間に、こうした努力が出来たのか、すごい集中力だと思います。レーニンは政治家ですから、それは政治活動をしている間のことですし、全集21巻には1914年に53本もの著書や政治論文を書いているんですから。三、これは、私などの推測ですが、1914年に世界大戦がはじまって、社会がその激動の中をどのようにすすむのか問われていた。レーニンのヘーゲル哲学の検討は、このことにかかわっていたんじゃないでしょうか。弁証法をきまり文句的にではなく、生きた形でつかむことと、それと激動する社会の発展をとらえる問題とが重なってたんじゃないでしょうか。それまでもレーニンはヘーゲル哲学を折節に学習していたでしょうが、この時点で、世界大戦がはじまった最中に、再度、集中しておこなっているんですね。そこには、マルクス主義の魂ともいえる、「行動の指針」ということ、現状を変えるための理論の探究として探究したんじゃないでしょうか。集中力の秘訣はそこにあるんじゃないでしょうか。四、また、私などの勝手な感想ですが、これまで部分的に読んだかぎりですが、レーニンは、あらためてヘーゲルの三著作を読んでいる、これはじつにすごい努力だと思います。私などと比較するのは問題外なんですが、私などは『歴史哲学序論』と『哲学史序論』を読んでいる途中ですから。レーニンは1年余で全体を読んでいるんですから。しかし、他方では、レーニンの読み方の中には、レーニンのせっかちさがチラッと見られるように思います。『哲学史』の序論の最後には、「ほとんど200ページにわたる序文―がまんがならない!!」とのコメントがのこっています。レーニンの率直な感想ですが、私などはそのはがゆさには、政治家としての評価と感じます。ようするに『哲学ノート』というのは、レーニンの個人的な読書記録なんですね。当人はそれがよもや全集として、その中にそのまま活字化されるなんて、まったく予想していなかったと思います。だからそこには率直なその時の感想もあるんです。もしも、活字にする場合には、レーニンはもっと全面的な考慮をしただろうし、もっと客観的な評価を考えた上で書かれたものと思われます。この点では、コメントの受けとめ方にも、言葉を間に受けるのではなくて、その意味することについて注意が必要だと思います。今回の哲学学習は、番外編です。私などの感想も、まだ早すぎることだということです。レーニンは『哲学史』で見れば、序論に関しては2ページの6か所にしかすぎません。私などの視野は、今のところ、まだそのかぎりでしかすぎません。レーニンはその先の『哲学史』の本論について、P216から274の59ページ分の記録を残してくれているわけですし、そこでこそ検討が行われているわけですから。私などの感想は、序の口の部分のかぎりでのことで、まだ全体的なことを言うのは早すぎて、おこがましい、ということです。
2021年01月08日
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富士山とみかんの残払い1月5日(火)、みかんの木から残りの果実を下す作業-残払いに行ってきました。日本海側は雪と吹雪とのことでしたが、関東は晴れてはいても、寒い。途中、平塚から見た富士山です。前回見た時には、頂上に雲がかかっていましたが、頂上付近の雪の白さが濃くなっています。さらに走って、小田原から見た富士山です。登山道がジグザグの線となって写っています。富士山の雪の広がりにも、下界の寒さが予想されます。次は、暮れの最後時点のみかん畑です。小田原・早川は温かいかと思っていたんですが、箱根山のすそ野に当たりますから、箱根の冷たい風がおりてきます。みかん畑に霜が降りるようになると、みかんは姿と味の質が落ちてしまいます。このため、みかん農家は、収穫出来る限りのみかんを収穫してしまいます。大方のみかんが、短期間に畑から消えました。このみかんもぎの集中力は、のんびりしてそうな日ごろのイメージとは大違いです。ウサギと亀じゃあありませんか、当方などの収穫は、一気に追い越されて、今やみかんが残っているのは当方くらいとなっています。それで、5日(火)から7日(木)に、最後のみかんの収穫-残払いをしました。東京・多摩市から、この残払いの応援に山のベテランが来てくれました。ひとりの人がはさみを使える量は、多少の差はあっても、だいたい同じです。農家の様子を見ていると、この時ばかりは、家族と友人・知人が総がかりで収穫しています。それが、短期間に山の姿を一変させて力なんですね。当方も、応援者の協力を得て、1月7日(木)に残払いを終了することが出来ました。これから、1、収穫したみかんを選果して、販売すること。2、みかんの木の枝の混みすぎた個所の枝をすくこと。この二つが、仕事になります。販売は、コロナ問題で商店街はガラガラです。自然サイクルの旬の時期はいつもと変わりませんが、人間社会の事情が大きく変化しています。大量のみかんを、どうやって消費者の手に届けるか、そこが問題です。明日は、定例ですが土曜朝市です。どのようなみかん販売になるか、はたして販売は成功するか、注目です。
2021年01月08日
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平日最初のみかん販売多摩の団地ですが、1月4日(月)に平日最初のみかん市を開きました。お昼の午後0時半から午後3時までの2時間半でしたが。商店街の会長も、連日「大丈夫かなぁ」と顔出ししてくれてます。今年は、1月2日(土)の朝市から始動してきましたが、東京は、連日「不要不急の外出をひかえよ」とニュースで呼びかけています。それも、事態に照らせば、もっともなことですが。しかし、だからといって、普段も寂しい団地の商店街のお店ですが、それを閉めっぱなしにしておくわけにもいかないと思います。団地の生活者には、美味しくて安いみかんも必要なものです。当方としては、ささやかなみかんのプレゼントです。
2021年01月04日
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臨時のみかん市1月3日(日)、大学駅伝の渋滞の副産物、臨時のみかん市をひらきました。当初は小田原でみかんの残払いをしているはずでしたが、交通渋滞で忍耐力テストをするよりも、みかん販売をしていた方がよい、と判断したためです。去年は元日に初売りをしたんですが、「元旦の初売り」との精神的な効果だけで、400円の売り上げでしたが。今回は、すでに昨日の1月2日に初売りをしています。1月3日(日)は、はたして人の動きはどうか。永山商店街のお店のシャッターはしまったまま。人通りの方も、それを知っているのか、人通りは少なかったですね。健康のため、三が日とはいえ、ジョギングをしている人たちくらいのものでした。当方はというと、お客さんをただ待つのではなくて、一つ動作をくわえました。みかんの味試しと、計量しながらの販売です、当方が真鶴園からもってきた在来系のみかんと、早川園の「大津」と、みかん園の園主さん作の「青島」の、温州みかんの三種類について、道行く人たちに味見をしてもらったんです。その結果、はっきりしました。在来系の真鶴産のみかんは『酸っぱい』と。農家の人たちが、大津や青島を栽培する訳が、はっきりとむ明確になりました。なかには、「こちらの方が私は好きだ」との奇特な評価をいただく場合もありましたが、お客さんの味見の90パーセントの軍配は、大津、青島に上がりました。「なるほど」との結果でした。それと、「今日はみかん販売はしてないと思っていたけれど、やってくれていて、ありがたかった」という人も、何人かありました。明日は1月4日(月曜日)ですが、明日もみかん市をひらきます。平日の人の出具合を調べてみます。
2021年01月03日
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哲学学習29 ヘーゲル『哲学史序論』ノート9年末のドタバタは新年にもちこされてます。そうであっても、大きな山は越えているはずなんですが。生産は消費されてこそ回りますから、まだもう反面が残っています。さて、ヘーゲルの『哲学史序論』です。今回は、「A.哲学史の概念」の、「3.哲学史の概念に関する結論」、その中の「b.発展と具体者を適用してえた哲学史の観点」です。岩波文庫では、P91から94、第52節から55節です。私はヘーゲルが序論で言いたかったことの中心点は、結論的なことは、ここやその前後のあたりにあると思っているんですが。ここでは哲学史に関して得られる「観点」ですから、ヘーゲルが得た見方ですから、何か論文の結論といったようなガチガチなものでも、決定的なものではなくて、むしろ気楽に読むようにしたいと思っています。前のまえがきの箇所ですが、ヘーゲルは「ここにカテゴリー(発展、具体者等)をえらんで、哲学史への具体的に適用するのを考察する。それは哲学史の最も重要な観点をあたえてくれる」(P84 第44節)と述べていました。この「b」では、4つの結論的な観点を述べています。その一、それ自身に内的な必然的な発展がある。P91 第52節「哲学史の全体は、それ自身必然的な首尾一貫した進行だということ、即ちそれ自身理性的で自分の理念によってア・プリオリに規定されている進行だということである。哲学史はこのことを例証しなければならない」ヘーゲルは、必然性というものを、認識する人の勝手な主観、憶測とか、推論によるものではなくて、そのものの中に見ています。その推測・仮説は、哲学の歴史そのものの中から例証しなければならないとの態度です。これはすばらしい洞察だとおもいませんか。しかし他方では、「それ自身の理念により先天的に規定されている進行だ」とも述べています。この後者については、これは概念の弁証法をさしているとおもいます。それ自身の内的な必然性を、進行を、なにかの『理念』のはたらきによるものと解釈しています。ここにはヘーゲルの主張には、科学性と神秘主義が併存している状況があるわけです。その二、各哲学に必然性があるということは、全体の中にそれぞれが位置をもっている。P91 第53節「各哲学が必然的にあったし、今でもやはり必然的にあるということ、それ故に如何なる哲学も滅亡せず、すべては唯一の全体の契機として肯定的に哲学の中に含まれている」「最も新しい哲学は、あらゆる先行する原理の結果である。その意味で、いかなる哲学も否定されてはいない。否定されたのは、この哲学の原理ではなくて、この原理が究極のもの、絶対的規定だとされている点だけである」「それ故に、一つの哲学に対する我々の態度には、肯定的な面と否定的な面との二つの面がなければならない。肯定的なものは、生活の場合でも、学問の場合でも、より後に認識される」ヘーゲルは面白いことを述べているでしょう。まず、違いが問題になる、やがてその歴史的な位置が明らかになる。それは、学問の世界だけではなく、生活の場でもぶつかることがらだと。さすがに哲人ですね。全一的な姿が、その感想にでています。ところで「肯定的理解の中に否定的なものが出て来る」とマルクス入っていますが、これは見る角度が違うだけで、ことがらとしては同じことですね。さらにこんな問題があります。ヘーゲルは「唯一の全体の契機」としている全体というのは、限りある人間として、どの様に認識していくのか。ヘーゲルは神様のように理念を前提していますが、それを人間はどのように認識しうるのか?この問題です。第三、各哲学はどの様に発展させられてきたか。P92 第54節「哲学の原理は、各原理はある期間、おこなわれたものである。この形式において世界観の全体が貫かれている場合、我々はこれを哲学体系と名付ける。このとき我々は、それが一貫しているかどうか、その全体にわたってけんとうしてみなければならない。その場合、原理が抽象的であるばあいには、それは我々の世界観に属する諸々の形態をつかむには十分ではない」ヘーゲルはデカルトの機械観を例に述べています。ひとつの時代に真理だと思われた思想が、具体的な事態の展開なーのなかで、抽象的な一般的なものでしかなくなり、原理の新たな探究が始まりだす、そうした姿をとらえていると思います。第四に、哲学というのは、ある面で生きていると。P93 第55節「哲学史も歴史ではあるが、哲学史においては過去のものを過去のものとして問題にすべきではないということ。主張した人は亡くなっていても、真なるものはなくならずに生きている。われわれ自身がその中に現存せねばならない。哲学史は老朽化したものを相手とすべきではなく、現在生命あるものをこそ問題としなければならない」よく、ある思想の「今日的な意義」ということが問題になりますが、ヘーゲルは彼なりの言い方ですが、その本質をこうした言い方で、観点として語ってくれています。大事な問題だと思いませんか。ヘーゲルだって生誕250年だそうです。『資本論』だって発刊150年です。本質をとらえるのは訓詁学じゃありませんから、今日的な生きた生命力まで考察してこそ、大事な肝心な側面が引き出されるということじゃないでしょうか。駆け足でしたが、以上が「b.カテゴリーを哲学史に適用した場合に得られる観点」です。4ページ半のごく短い部分ですが、面白い思想を展開してくれています。哲学史の「大事な観点」ということですが、私なりに乱暴ながら簡単に要約すると、「各哲学は必然的なもので、そのものの中に発展をみちびく契機があり、それは全体の中に契機として固有の位置をもつ。その原理は一時的には全体をとらえているかのように支配的になるが、現実に対する抽象的な面が、具体的な問題によって発展させられていく。それぞれは本質においては過去のものではなく、今に生きる要素となっている。」そんなことじゃないでしょうか。観点ですから、そんな見方もあるよとの程度としておきます。必要な方にとっては。吟味と研究するに値する考え方でしょうが。人となりに確かめてみてください。次回は、「c、哲学史と哲学の比較」です。
2021年01月03日
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今年最初の富士山1月2日(土)、今年最初の富士山です。冬晴れだけど、富士山が雲の中から見えだしました。朝市は11時には店じまいして、早々に小田原・石垣山へ残払いをしに行ったのですが、案の定、地面には霜がおりていました。しかし、残払いの作業は延ばすことにしました。箱根路は大学駅伝で混雑していたんです。2日と3日はこの混雑に巻き込まれかねませんから、みかんを搬送するだけに限定して、午後5時、直ちに帰途つきました。渋滞にまきこまれて我慢しているよりも、閑散とした団地であっても、みかんを提供した方が、人の役に立つというものですから。1月中には、片付けておくべき一つ仕事があります。12月末までの、たまりにたまっていたあれこれの伝票を整理することです。これによって、昨年1年間のみかん仕事の特徴が見えてくるわけです。みかんの収穫時期は、領収書をとっておくだけで、それを整理している暇なんて無かったですから。まだ、渦中も最中ですが、1月のどこかでこれを整理して、今回のみかん作業の輪郭をあきらかにします。
2021年01月03日
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2021年、みかんの初売り1月2日(土)、多摩の団地でみかんの初売りをしました。午前9時から11時まででしたが。正月早々ですから、ほとんど人通りは無かったんですが。それでも、2時間の間に16袋が売れました。午前11時、大学駅伝もそろそろ落ち着く時間でしょう。当方は、これから小田原行きです。みかん園の残払いと、これまでに収穫してあるみかんを搬送してきます。1月4日(月)には、臨時のみかん販売を行う予定です。鮮度のあるうちに、みかんの販売を終わらせなければなりませんから。今年度の温州みかんの大詰めです。
2021年01月02日
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2021年元旦の一コマ2020年も毎年のことですが、ドタバタと大晦日をむかえてしまいました。大みそかといえば、井原西鶴の『世間胸算用』ですが。今回の私版の元旦の一コマです。正月といえば、お餅ちでしょう。それと、毎年思い出されるのが、いつもいつも読んでいる余裕はないんですが、井原西鶴の『世間胸算用』です。大みそかという一日に絞って、江戸庶民の喜怒哀楽を描いていてくれてます。「ある年、ダイダイ一つで金二分(約1万5千円)したこともあったが、高いから買わないということもない。」(『世間胸算用』巻五 四「長久の江戸棚」)また、『日本永代蔵』第四巻「伊勢海老の高値」には、ダイダイ(橙)の一個が3両(60万円)した、なんて話が紹介されていますが、本当でしょうか。まぁ、これらは、裏も表もなく心意気というものを、万人に紹介したものですが。それにたいして、「桜を見る会」こちら現在の問題は、じつにせこい問題です。ごまかしの問題です。しかも政治権力のトップの人物が、あった人が、いまだもって白を切り通そうとしている。今年は、なんとしても襟を正させなければなりません。それで、『桜を見る会』-しんぶん『赤旗』のスクープの本を取り寄せました。このスクープがどのようにして生まれたか、これがどの様な問題なのか。ごまかそうとしたり、曖昧化しようとしたりする輩がわんさといますが、みんなでかばいあって通ったにしても、赤信号はやはり赤信号なんです。この現状を正さなければならないし、そうした現状を変えるためにも、この本をわきにおいて、この状態が変わるまで、正されるまで、読み続けるつもりです。生産的なものではなく、クズのたぐいの話ですが、それが現実だから仕方ありません。とことん、けじめというものをつけさせてもらいます。それと、古典の本を取り寄せました。そんなことにだけ気持ちが拘束されていたとしたら、あまりにもわびしいものです。だからというわけではないんですが、ヘーゲルの『哲学史』をとりよせました。これは素晴らしいんですよ。なかにはマルクスを尊敬するあまり、トンネルを掘るようにマルクスを探る人たちがいます。それはそれで、一つの局部的な発見があると思うんですが、その努力を多とはするんですが。はたしてそれだけでよいのか、全体像が、世界観的な姿を明らかにする努力が弱くなってないか。私などは、その基本が問題なんです。私などは、森羅万象の全体の中に、基本的な関連が、問題があると思っています。すなわち、それは哲学の問題、世界観にわたる問題なんですね。今から50年以上前のこと、高校生の時に、人生を模索して、キリスト教や禅の書や文学書や、カントなどを、わからないなりに読んだんですが、その中に『空想から科学へ』、『共産党宣言』、『フォイエルバッハ論』がありました。そこには世界観の問題があったんです。そうしたことの後から、当時の社会問題、ベトナム戦争や受験教育制度、70年安保体条約、沖縄返還問題などの日本の政治状況が問題意識に登ってきたんです。それは私などの場合ですが、この順序というのが面白いでしょう。それから、当時から50年余の、人生の体験のあれこれが過ぎたんですが、最近、感じているんですが、今という時はそうした日々の総決算の時なんですね。マルクスやレーニンが、そのときに問題にしていたことは、大きな世界観的な問題で、日本では治安維持法違反として獄中にとらわれていたとしても、河上肇にしても、宮本顕治にしても、それほどの記録に残ってない人にしても、当時の劣悪な条件のもとにあっても、未来への社会の発展を、一般的には確信していたと思うんです。そうだとすれば、現代の戦後民主主義のもとに生きてきた私たちは、生きている私たちは、率直に語り合えるはずだし、問題を直視しえると思うんです、今何が問題なのかを。はたして、今の現状の流れのままに身を任せていてよいのか、と。今年の元旦にあたって、これが今、湧き上がってくる問題です。
2021年01月01日
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迎春 2021年元旦毎年大みそかのギリギリまでみかん仕事をしている関係で、元日に年賀状を書くというのが、定番になっています。今年の写真です。小田原・石垣山のみかん園です。11月11日に撮ったものですが、石垣山はみかんの宝の山です。正面が北園ですが、ここからは、12月に41コンテナ(820キロ)の収穫ががありました。ということは、ここだけで1キロ袋で820人分になりますから、大みそかのギリギリまで、「みかんの歳末大売り出し」をしなければならないことが、理解していただけると思います。コロナ自粛もあって東京・多摩の商店街には客足もほとんど無かったんですが、それでも頑張った次第です。当地・小田原早川の石垣山は、みかんはもちろんですが、すばらしい景観と歴史、相模湾の地魚と箱根温泉の地ですから、今はコロナ自粛の最中ですが、条件が許せるようであれば、気軽に、人生の楽しみを実感できるところですから、是非、お出かけください。2021年元旦 の便りです
2021年01月01日
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2020年12月末、みかん作業のまとめ毎年恒例ですが、大晦日にはみかんの収穫作業をまとめるようにしています。今年はコロナの感染問題がみかん作業にも影響しました。みかん畑は自然の中ですから問題はないのですが、作業は人間関係ですから影響しました。たとえば、みかん園への来園者は、去年が27組86名だったのが、今年は7組11名でした。年末の永山商店街で大売り出しをしたんですが、人の気配がほとんどありませんでした。とにかく、走り回った11月-12月、無事に大晦日をむかえれたことは、なによりです。みかん園も12月24日には、基本的に収穫を終えることが出来ました。残払いは残っていますが、みかんの木は休みに入りました。一、今年の収穫ですが、 真鶴園 石垣山園(南) 同(北) 10月 0.5c - - 11月 8.5c 3c - 12月 41c 8c 48c 計 50c(1000k) 11c(220k) 48c(960k) 預かり34c(680k) 全部で109コンテナ(2,180キロ)を収穫しました。12月は17日間も、みかんの収穫作業をしました。みかんの木は表年と裏年とを隔年結果します。完全に一律というわけではありませんが、その年の大きな傾向が出ます。今年は、石垣山の南園は、36本の木のうち、果実をそれなりにつけた木はたった4本だけでした。全体の収穫量を、過去の数年で見ると 真鶴園 石垣山園2020年 1000k 1180k2019年 460k 2300k2018年 660k 1190k真鶴園は表年で、石垣園は裏年だったことが、収穫量に示されています。二、今年の販売ですがJAからみかん箱を入手していますが、5キロ箱で220個、10キロ箱で30個を使いました。JAから宅配で発送した分は、控えによると159個でした。当方の販売は、主には東京・多摩へ搬送して、永山団地の土曜日の朝市での販売と、各団体の9か所への卸渡しをしています。今年は、年末大売り出しを、28日(月)、29日(火)、30日(水)、31日(木)におこないました。結果は、何しろ人通りが少なくて、商店街は閑散としていました。それでも企画は正解で、朝市以上のそこそこの販売がありました。自粛ムードの中で、団地居住者に対して、せめてもの小田原みかんのプレゼントなんですね。ジューシーで美味しいみかんが安く手に入るんですから。農家にとってもこの販売がなければ、生産した努力と苦労が報われないじゃないですか。まだまだ、新年に入っても、1月前半までは温州みかんの販売は続くはずですが。三、今年(2020年)は、石垣山園の隣の雑木林を切り開きました。みかんの収穫と販売が一段落した2月から5月のことでしたが。イノシシが根城にしていた雑木林を切り払ったんです。チェーンソウをもって東京から応援者も来てくれて開拓できたんです。その結果、すばらしい展望が、大山から小田原城と市街地、相模湾から三浦半島と、見えるようになりました。かなりのスペースが拓けたんですが、その一部は、希望する人たちに野菜畑として使ってもらっています。残余のスペースについては、雑草を抑えてみかんの苗木を植えようと思っています。石垣山のみかん園も、農家の人たちが高齢化して、人が手入れをできる農地の範囲が狭まっているんですね。逆にその分イノシシなどが活発化して、みかん畑も含めてそこらじゅうの畑を荒らしまわっているんです。みかんの苗木をうえても、それが実をそこそこつけるまでには、10年くらいはかかりますから、その時に私などがどうなっているか保証の限りではないんですが、しかし人間は確たる展望が見えなかったにしても、今できる努力をなるべくできるかぎりしていくことが大切ですから。これが2021年元旦の様子です。
2021年01月01日
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