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雪降る前に、みかんを収穫してきます関東は、本日、2月1日の午後から雨が降るとの予報です。まだ雪が道ばた残っているのに、また雪になるかもとも。みかんが濡れては、収穫はできません。雪が降れば、みかんは味が落ちてしまいます。小田原のみかん園は、今日の午前中の収穫が重要です。早く雨が降り出せば、それも出来なくなる可能性もありますが。せっかくの自然の恵みを、農家が長年丹青してきた成果です。ここでこのみかんを収穫できなくては、何とももったいないことじゃありませんか。しかし、とげのある雑草を取り払わなければ、チクチクした草の種が衣類にも手袋にも刺さってきて、安心して、木に近づけないし、みかんの収穫はできません。作業の可能な時間は、よくても数時間と、ギリギリのたいへん限られていますが、これを捨ておくことは、せっかくの恵みをもったいないじゃないですか。万難を排してあと一回、最後のひと踏ん張りです。
2018年01月31日
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昨日に続いてみかんの収穫です1月30日、昨日に引き続きみかんの収穫作業に行ってきました。今日は、午前中は曇り空で、時々雪がちらつきました、しかし、それは収穫には支障はありませんでした。昨日に引き続き、今日もみかんの収穫です。今日は最初に、みかん園の全体の様子をつかもうとして、全体を一周回ってみたんです。それで分かったことは、みかん園全体に、とてつもないみかんがついているということです。これでは、個人がいくら逆立ちするくらいの奮闘をしたとしても、終わりません。このみかんの収穫に、「おわり」ということはありません。対象の多さに対して、収穫の時期は限られています。みかん自体が、寒気が下りてくるとみかんはジューシーさが消えていきます。温州みかんの収穫は、この寒気の来る前に終わらせるということです。そして、美味しくなったみかんに対し、これを動物たちがねらっています。上からは鳥たちが、ヒヨドリとメジロがけたたましく乱舞しています。また、下からはイノシシが、みかんを食いちぎっています。地面から80センチ位の高さまで、木の裾野あたりのみかんが消えています。パクリと、ヘタだけをのこしてむしりとっています。それと、雑草が木に巻き付くように伸びているし、針のように刺のある草や、衣類に雑草の種がついてしまいます。それらをかき分けての収穫作業となります。昨日は14コンテナ、今日は11コンテナ、合計で25コンテナの収穫でした。1コンテナには20キロが入りますから、500キロのみかんを収穫しました。もちろん、これは全体のごく一部分の収穫です。一方では、もっと収穫したい気持ちもありますが、しかし、収穫したみかんは独自に自分たちで販売しなければなりません。はたして、こんなに大量のみかんが売れるか、その自信がこころもとないんですね。こんなに大量のみかんを販売したことはありませんから。これ以上とっても、はたしてこの収穫したすべてを売り切れるか、わからないわけです。これから、この収穫した500キロのみかんを販売しきらなければなりません。みかん農家の仕事というのは、残酷ですね。人間一人が収穫できる量というのは、限度があります。普通、仕事というのは、終わりがありますが、このみかん園の大量のみかんを相手にしては、終わり切ることはありません。収穫の適時は限られているし、収穫したみかんの販売の裏付けがあるわけでもありません。その労働は、夫婦の肩に、完全にかかっているわけです。パートの季節労働者なんて、むかしのように雇えるようなお金の余裕はありませんから。そうした状況を背負いながら、この無限な収穫対象に、体力が続く限り挑戦した11月、12月なわけです。もう、ヘトヘトなんですね。それでみかんが取り切れずに残って、この日々があるというわけです。それがみかん農家の実情なんですね。普通仕事には終わりがあるはずですが、みかんのこの場合は違います。終わきることのない収穫なんて、精神的に残酷だと思いませんか。私などは、販売の限度がありますから、「これ以上収穫しても、売れ残ったらどうするんだ」、神様の声が聞こえてきて、収穫のハサミを置いたのですが。これから500キロのみかんを、どのように販売するか、この販売に問題の重点をうつします。しかし、農家の方は、この後、いったいどうするんでしょう。このたわわなみかんをつけた木を目の前にして、逃げるわけにはいかないんですから。立ち去るといった自由は、ありませんから。どの様に気持ちをたてるのか、普通とか、当たり前ともいえるかもしれませんが、じつに、たいへんなことだと思います。
2018年01月30日
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ヒヨドリやメジロと競争です小田原・早川の石垣山に、1月29日(月)に行ってきました。私は市民みかん園をかりているんですが、それに隣接している隣のみかん園です。園主さんにとって手が回らないというので、私は収穫させてもらうことにしました。これがそのみかん園ですが、午前7時15分に着きました。。どこから手をつけたらよいのか。ここも採りたい、いやあっちの方がよいのでは・・、目移りがしてしまいます。これは駐車場の突きあたりの木です。みかんが赤くて、りっぱでしょう。しかし、目を横の方に移して見れば、これまたすばらしい。結局、園主さんのアドバイスもあって、鳥たちがにぎやかに饗宴している部分から始め出しました。美味しく熟したみかんがどこにあるか、鳥たちが一番知っているんですね。これは、そうした木の一つです。地上付近の木の裾の方はイノシシがきれいに食いちぎっています。木の頂上の日当りの良いところは、ヒヨドリがみかんの果肉をえぐり取っています。動物たちの天国になっちゃっているんですね。それに対して、みかんを育ててきた人の方は、あちこちの収穫があるので、農協などの集荷のタイミングもずれてしまい、なかなか手が回らないんですね。本日の当方の収穫作業ですが、午前7時15分にはじめて午後1時30分までの、6時間作業でした。全部で、14コンテナの収穫でした。要するに、手もちのコンテナ容器をふる出動させたんです。このみかんは、りっぱです。ほとんど規格落ちしてジュースにするようなみかんが、ほとんど無いんです。園主の手入れの技術と、自然の豊かさが、素晴らしいみかんをつくっているんです。惜しむらくは、収穫は猫の手も借りたいくらいだったはずですが、対象の多さに比べて、あちこちの畑があって、手が回らない。おそらく、ヘトヘトにさせられちゃったんでしょうね。それは、私などの勝手な推測ですが。今日の収穫を終えた後のみかん園です。要するに、大仕事をしたはずですが、たわわになったみかんの様子ですが、以前とまったく同じです。まったく採ったあとがなく、変化がないということです。それはそうです、視界にあるところまで行けてないんですから。ということで、販売をすすめながら、明日もコンテナ箱を用意して、「鳥に取られたくないなら、収穫に来るように」というのが、早川の自然が、私などに指示しているところです。
2018年01月29日
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ディーツゲンの『人間の頭脳活動の本質』について3年前ですが、ディーツゲンの『人間の頭脳活動の本質』を読んでいました。一見すると、ぐだぐだと一体なにを言っているのか、なにを言いたいのかと、あらためて今それを見てみると、私なども直観的な第一印象としては、そう感じてしまうんですが。幸いにして、前回のレポートがありますから、本文よりはましで、その過去帳の短文で、その要素を読み返すことが出来ます。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501280000/そこでは、こんなことを言っています。1、まず、ものごとの本質というのは、じつは多様に変化している物事なんだということです。科学や知識の対象というのは、その対象はたえず無限に変化している。その変化している事物を、永遠な、不滅なものとしてとらえるのは、どうしてなのか。それは、「人の身体は、その個々の肉や骨は絶えず変わっているのに、一つの身体として同じであること。この矛盾はどうしたものか。」ディーツゲンは、「その答えは、多様に変化する形態に対して、その総和として変わらない人がある」ということだと。2、この一つの具体的な関係事例から、ディーツゲンは、事物の本質と現象との関係についての問題に、その一般的な関係の問題として考察を発展させていきます。「人間の思惟活動は、任意の数の感覚に与えられた多様性を、精神的統一として、本質としてとらえる。本質として一般的にとらえて、それに対立するすべてのものを、全体に対する個々の部分として理解することで、この矛盾した問題は解決する。この統一は、すなわち本質の普遍性を与えるものは人間の頭脳の産物である」と。3、ディーツゲンはこの「本質をとらえるのは人間の頭脳活動である」ということから、さらに一般的に人間の認識活動ということについての考察に発展させていきます。「人の精神は、仮象から事物「自体」へ到達しようと努力した。その結果、実体は思想により集められた材料の総計であること」、ここは素晴らしい展開なので、書き抜くようにしていて、「したがって、精神は、感覚的多様性から精神的統一をつくりだし、世界の移り変わる事物を結合することによって、独立的な存在「自体」、すなわち絶対的な全体としてとらえる唯一の実体的存在であることが明らかになった。そして、この実体的真理が、真理でないと想像されたものの総計、すなわち現象の全体であることが明らかとなり、精神は実体の創造者であることを実証した」。そして、この現象と本質を切り離す観念論を批判しています。やはりグダグダとした紹介になってしまいました。だけど、前回抜粋したこともあって、何が問われているのか、比較的に容易にわかるように感じています。素晴らしい認識論をのべている。私などは耳新しく感じるんですが、独自の考察がここにはあります。おそらくですが、全集第32巻で、エンゲルスが評価している点、「物それ自体を思想物として述べていることは、非常にいいだろうし、また、彼がそれを自分で発案したということが確かなら、天才的でもあるだろう。」(1868年11月6日付)こう述べているところというのは、この部分を指しているんじゃないでしょうか。ディーツゲンを学習する意義が今日でもある。これは、そのごくわずかな一端でしかないんですが、しかし確かに見えてくると思います。
2018年01月28日
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温州みかんを完売しました1月27日の多摩の団地の朝市ですが、今季の温州みかんをすべて完売しました。1月22日(月)に降った雪ですが、八王子や多摩市の北側では、まだかなり残っています。相模原から西側では雪はほとんど消えてましたが、多摩ではまだまだ冷蔵庫の中です。今回の朝市は、最後の温州みかん26袋とレモン、フキノトウを並べました。今季の温州みかんは、11月から毎週土曜の朝市で販売をつつけてきましたが、今シーズンは、これまでにない、みかんの大商いでした。それも今回の26袋ですべてがおしまいで、いよいよ最後の販売でした。そして、午前10時30分を過ぎたころ、完売することが出来ました。今回は、みかんとともにフキノトウを預かってきたんですが、先週の時に、団地に住んでいる料理のプロに、フキみそづくりを頼んであったんです。今回、ついにそのフキみそが出来て、届きました。この味が、チョットほろ苦くて最高の味なんです。私は手近にある食材からできたフキみそは、はじめてだったんですが。春を告げるような味と香りで、絶品なんです。さっそく試食していただくようにしたんですが、これが好評だったんです。「これは、酒にも合う」という人や、「暖かいごはんで食べたら、最高ですね」という感想が。朝聞いたばかりの、にわか仕込みのフキみその作り方ですが、これも、もっともらしく「伝授」するなどしたら、それで15袋合ったフキノトウも、すぐにすべて完売してしまいました。順番は逆なんですけど、自分でもフキみそづくりを試してみようと、すこし確保しておきました。旬の時は短いし、美味しいフキみそが出来たのは間違いないですから、知ったかぶりした耳学問の料理講習については、容赦していただいて、これから、自分でもフキみそをつくってみるところです。
2018年01月27日
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寒い中でも梅が咲き始めていました1月26日、真鶴と早川のみかん園に行ってきました。22日(月)に降った雪が、八王子では残っています。八王子市などは冷蔵庫の中です、相模原以西では雪が目立たなくなるのですが。真鶴のみかん園では、切り枝の後片付けです。ようやく仕事が一段落して、周りの様子が目に入るようになりました。みかん園のまわりでは、梅の花が咲き始めていました。片づけ仕事に追われていると、これが目に入らないんですね。今日は、用事があって、湯河原の農協へ寄ったんですが、農家の軽トラックが、何やら荷物を満載して集まってきていました。あわただしく、農家の人と農協職員いやりしていたんですが、農家が持ち寄ってきていたのは、『湘南ゴールド』だったんですね。この地域特産品の「湘南ゴールド」を、時を急ぐように集荷をしていたんです。私なども「湘南ゴールド」の木が2本あるんですが。じつは、今日の予定として、鳥の加害を防ぐために、ネットをはることにしていたんです。それで聞いてみたんです。『湘南ゴールドは、3月くらいが収穫時かと思っていたんですが、今が収穫の時なんですか?』すると農家の方曰く、『この数日の厳しい寒さがつづいていて、この寒さに当たると味が落ちる。だからその前に、いそいで採ったんだよ』『湘南ゴールドは、寒さに弱いから』と。どうやら、農協から組合農家の人たちに、そうした指導がだされていたようです。だいたい農協の側も、受け入れを整えているくらいですから、簡単な小手先のようなくて、本格的な構えを急きょとっているんですね。農協としては、「ニュース」などで、一般的な収穫時期のアドバイスするだけではなく、その年の気候条件も考慮した具体的指導が地元の農家へは働いているんですね。何たって、「湘南ゴールド」は、地域の特産品にしようとしているわけですから。私などは、そんなネットワークはありませんから、あくまで全国一般の収穫予定で対処するしかないんですが。今日は、「湘南ゴールド」の木に、防鳥ネットをはってきました。 今日は、もう一つ、謎が解けることがありました。お隣のみかん園が、収穫されずにそのままになっているのが気になっていたんですが。今日は、園主の方が来ていたので、どうしたのか聞いてみたんです。『そのままだったんで、身体でも悪くしていたんですか?』と。すると、『別に体は何ともない。ここは手を入れないことにした。イノシシの加害がすごいので、手を入れないことにした』と。まぁ、人の畑のことですから、それ以上とやかく言えることではないんですが。じつにもったいないとおもいませんか。枝もたわわに実ったみかんが、放置されているんですから。当方の市民園の収穫の、10倍くらいは実がついているんじゃないでしょうか。『怒りのぶどう』じゃないけれど、同じような豊作貧乏をみかんで示しています。ところが今年は、都会では、1k袋が450円もしているんですよ。この馬鹿高値の時に、これだけのみかんが収穫の手も入れられず、放置されてるなんて。これはみかん農家のやる気が、長年の農政によって、しぼんじゃっているんですね。この目の前の富が・・・。農協の集荷もおわっていることから、流通にのらない。それぞれの個人の所有ですから、人の畑のことは私事気が口出しはできないんですが、あぁーぁ、もったいないことです。代わってやってあげたいくらいですが。じつに、もったいないことです。
2018年01月26日
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不破哲三氏の『国家と革命』の評価について昨年の今ごろですが、不破哲三著『古典教室』第三巻を学習していました。 もちろん全体的には、おおいに学ばせてもらったんですが、一点、レーニンの『国家と革命』の評価について、問題を感じるようになりました。『国家と革命』についてですが、「マルクスが、アメリカやイギリスのように、議会が国を動かす権限をもっている国では、選挙の多数を得て革命をやり遂げる可能性があると述べたことを、まったく無視した不正確な議論でした。」(P122)レーニンが直面していたのは1917年当時のロシアです。戦前の日本とも似たような専制国家だったとおもいます。その国の状況の下で、直面している問題は何かを探っていたわけで、世界諸国の革命一般を総括しようとしてこの本を書いたわけではないと思います。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201701260000/この問題が、繰り返し読むうちに、大きくなったんですね。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201702020000/この中にあるレーニンのイネッサへの手紙(1916年11月30日付)で、マルクス・エンゲルスに対する態度の問題ですが、おのおのの命題を、a.歴史的にのみ、b.他の命題と関連させてのみ、c.歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察するようにと、述べています。これは、ものごとに臨む基本的な姿勢だと思うんですよ。大事な点だと思うんですよ。不破さんも、レーニンのイネッサへの手紙((1916年12月25日付)を第5課で紹介しています。「彼らがどういう事情のもとでそういうことを言っているのかを徹底的に調べ、それでじぶんのひはんがあたっているかどうかを徹底的に調べ、それで自分の批判が当たっているかどうかをきちんと吟味したうえで、ものを言わないとだめですよ-こう教えているのです。」(P182)この原理的な方法を、姿勢をあくまで厳しくまもる必要があると思うんです。この点からして、「『国家と革命』は、先進国を無視した不正確な総括だ」との評価、指摘は、妥当ではないと思うんですね。なぜなら、ここでは、世界的な一般な「革命論」の総括が問題だったのではなくて、ロシアという国家が直面していた革命をどうするかが中心問題で、そのすぐれて具体的で、きびしい現実に直面している問題から、その点からマルクス、エンゲルスの理論を検討したわけですから。一般論という点では、レーニンも『フランスにおける階級闘争』を重視していることは、イネッサへの手紙でも、『カールマルクス』でも、これを重要視していて、明らかなんです。問題は、歴史的具体的な当時のロシアを前に進める上で、その点から先人の理論からなにを引き出すか、この問題だったんですね。いつからこうした『国家と革命』への評価がでてきたか。私などが、ふり返ると『レーニンと『資本論』』(第5巻)からだと思います。その後、おりふしに、レーニンの「誤り」論、「誤解」論が、だされていると思います。しかし、私などが思うのに、これには歴史があったと思うんです。1970年代において、レーニンに対する見方、扱い方ですが、解明があったと思います。蔵原惟人氏の『レーニンの思想と現代』(青木書店 1972年刊行)などもその一つですが。≪その見解を絶対化してはならないし、同時に、そこには歴史的な制約、ロシア的な制約もあるので、ていねいにみて、価値あるものをひきだすように評価していくことが大事だ≫ということだったと思います。その時点で到達したある種の見方があると思うんです。確かに新たな側面が出て来ることはあり得ますが、その場合には、少なくとも、それらとの歴史的理論的な関連でも、よく吟味する必要があると思うんですね。やはり、私などにとっては、レーニンのイネッサ・アルマンドへ宛てた手紙での指摘が、誰しも当たり前といえば当たり前ですが、大事な姿勢で、これが、マルクス主義、科学的社会主義の精神だと思うんですね。その点では、具体的で歴史的な著作だったんですね、『国家と革命』は。そのかぎりでは、ギリギリの正確さを追及したものだったと思うんです。とくに、私などレーニン・ファンとしては、この点を言いたくなるんですね。
2018年01月25日
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国民の見識が問われているこの国会です案の定です。『憲法改正を実現していく大きな責任がある。いよいよ実現する時をむかえている。責任を果たしていこう』1月22日は関東も大雪で、新聞の到着の遅れたこともあり、安倍首相のこの発言のキャッチが遅れました。施政方針演説前にひらかれた自民党両院議員総会でのあいさつです。本音のほどがよくでています。仲間内では憲法改悪への尻をたたき、国会の表ではぼやかす、やはりいつもの手口です。この数年、戦争法が強行されたころから憲法がするどい岐路に立たされています。1950年生れの私などにとっても、自分自身のあり方が問われています。総理大臣ともあろう人が、「戦争が出来る国にするため憲法を変えよう」などの発言自体が異常ですが、この国会でそれを「実行しよう」と多数の議員にハッパをかけている状況ですから。それで、私などにとっても、これまでの認識が問われているわけです。何時から、「憲法をひっくり返そう」なんてことが、現実性を帯びだしたのか。人間は思想信条の自由がありますから、一部にそんな声があってもおかしくはないのですが。今は違います、首相が国会開会に「いよいよ実現する時をむかえている」ですから。「どうしてこうなったのか」、「どう対処すべきか」いち国民として、憲法問題での、戦後の歴史をとらえ返す必要が出ているわけです。その一つとして、宮沢俊義著『憲法講話』(岩波新書 1967年刊)を見てみました。宮沢俊義(1899-1976年)は、憲法学者として公認され、戦後史を歩いてきた一人ですから。そこでこんなことを述べています。「朝鮮戦争にはじまる日本の再武装が、最高裁判所によって違憲の烙印をおされる可能性は、多くの法学者の反対の意見にもかかわらず、おそらくないと見るべきだろう。 これはつめたい現実である。それがいかに望ましくないとしても、それが現実であることは、承認しなくてはなるまい。」(P205-206)これは苦渋に満ちた発言だととれませんか。法学者の良識から「正しい」とされる解釈が、現実の政治化の多数により否定された。そのねじまがった事態がとおるのを、憲法学者としてどう説明するか責任がもとめられた。ここには、憲法学の大御所の胸の内に、ガリレオなみの苦悶が見えてきます。政治と科学の乖離したつぶやきが聞こえてきます。これは、私などが、これまで気づくことが無かった歴史です。これをも含めて、もう一度、あらためて戦後の歴史をたどることにが必要だし、国民がもっている平和・民主の憲法の現実性を、どの様な事態なあったのか。今にしてですが、とらえ返す時にあると思っています。この宮沢俊義著『憲法講義』を一歩として、今の現実を探りたいと思っています。
2018年01月25日
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これからの柑橘類の収穫と食べごろ小田原・早川のみかん園ですが、温州みかんは終了しましたが、これからの柑橘類について、その収穫時と食べごろを、園芸書より調べてみました。 収穫時 食べごろ1、レモン 1月-5月 現在-6月2、金柑 1月-3月 現在-3月 着色果から3、伊予柑 1月-1/下旬 2/上旬-3/下旬 追熟4、ハッサク 1/上旬-下旬 3/上旬-5/上旬 追熟・落下前収穫5、文旦 1月-1/下旬 3/上旬-4/上旬 追熟・落下前収穫6、はるみ 1月-2/上旬 2/中旬-4/下旬 追熟7、せとか 2/上旬-3/下旬 3/上旬-4/下旬8、清見 2/中旬-3/上旬 3/上旬-5/上旬 貯蔵9、湘南ゴールド 3/下旬-5/上旬 4/上旬-5/下旬10、日向夏 4/下旬-5/中旬 4/下旬-5/下旬11、甘夏 4月-5月 4月-6月 追熟 これは、全国的一般です。小田原方面では、多少ずれることがありますが、おおよその目途は分かると思います。
2018年01月24日
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唯物史観を学ぶための、一つの方法です当方は、「唯物論的歴史観」を理解しようとして、この1月9日に『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に挑戦していました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201801090000/「私などが全体を通して注目する一番のポイントは、唯物史観の問題です。 第三版への序文(1885年)で、エンゲルスが書いています。 《マルクスこそ歴史の運動の大法則を初めて発見した人だった。その法則によれば、すべての歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他のどんなイデォロギー的分野でおこなわれようと、社会的諸階級の闘争の表現にすぎない。これらの階級の存在、したがってまた、彼らの間の衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産、およびその生産に条件づけられた交換の仕方によって、条件づけられているのである。 この法則が、ここでもマルクスにフランス第二共和政の歴史を理解する鍵をあたえた。マルクスはここでの歴史によって、自分の法則を試験したのであって、33年たった今でも、この試験に合格したと言わざるを得ない。》と」。この「歴史法則」については、『共産党宣言』序文や『経済学批判』の序言などにより、一般的には分かっているつもりだったんですが。一般的に定式を知ることと、それがどの様に適用されているかを知ることとは違うんですね。私などは、フランスの歴史に疎いために、その政治史の書が理解しにくいものとおもい、そこでいろいろ試行錯誤していたんです。今回、この適用の仕方についてアドバイスした論文を見つけました。それが、エンゲルスの『フランスにおける階級闘争』1895年3月6日付「序文」でした。その冒頭の第1節から7節までで、たかだか文庫で4ページの部分なんですが、ここでこの理論を、どの様に適用しているか、その仕方を紹介してくれていたんです。直接には『フランスにおける階級闘争』についてなんですが、『ブリュメール18日』についてもかさなるんですね。この理論の適用と、その検証をアドバイスしてくれていたんです。まず、「新ライン新聞」(1848年6月1日から)ですが、そこではいろいろな政治的諸事件を説明するためにたえず使われた。しかし日刊紙で進行中の時代史を書く場合には、材料が不足しており、あとから分かることからして限定があった、と。だから、政治的闘争を経済的発達から生じた現存の社会階級の利害の闘争に還元すること、ここの政党が階級分派をあらわしていることを証明するくらいだった。ところが、1849年8月末、マルクスは亡命で、ロンドンに着いたんですが。そこで、1850年1月から『新ライン新聞、政治経済評論』を刊行しだすわけですが、経済学史の研究ができるようになったのは50年の春以降だったというんですね。この雑誌に、『フランスにおける階級闘争』の第1章が1月創刊号に、第2章が2月の2号に、第3章が3月号に掲載されたわけです。 そこでのテーマですが、「この本が扱う問題は、数年にわたるヨーロッパの個々の国の発展をつうじて、その内的な因果関係を証明することであった。それは、政治上の事件を、究極的に経済的原因に還元することだった」と。そして、この『フランスにおける階級闘争』が、それまでの論評の検証を意味していた。1850年春からの経済史の研究によって、「それまでは不備な材料にもとづいて、なかば先験的に結論していたことが、事実そのものから確かめられた。すなわち、1847年の世界的商業恐慌が、1848年2月、3月革命の本当の生みの親、原因だったこと。48年の半ばから景気がだんだん回復して1849年、50年に全盛に達した産業の好況が、新たに強化した反動を活気づけた力だったことが。」1850年11月に二人で書いた最後の論評(そのフランス部分が『フランスにおける階級闘争』の第4章で)では、革命が切迫しているとの幻想を捨てており、この一点だけが第1-3章への本質的な訂正であったこと、それ以外には「前の諸章であたえた事件の解釈にも、そこで述べられた因果関係についても、全然変更すべきものがなかった。」と。ここでエンゲルスは、唯物論的な歴史観を、一定の国の歴史への適用する仕方が示されています。また、検証の仕方もアドバイスしています。私などは、これまで、ただやみくもに、全体を知ろうとして読んでいたんです。読書百遍、意自ずから通じるといったふうで。それがこれまでの接近の仕方だったんですね。それでは、肝心の問題がどこにあるか見損なってしまう、歴史社会の因果関係というものを捉え損ねることが多々あるんですね。このアドバイスを参考にして、もう一度、読み返してみる必要がでてきました。もしも、これにより唯物論的な歴史理論の理解を深めれたら、やはり問題は私たちの今ですね。私たち自身の日本の近代史から、戦後日本の70年余の歴史から、今直面している問題を前に進めるために、たくさんの学びかえすことがありそうですね。
2018年01月23日
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昨日の安倍首相の施政方針演説について昨日・1月22日、第196通常国会の開会され、安倍首相の施政方針演説がありました。この安倍内閣の数年間を見ていると、戦争法しかり、憲法問題が大きな焦点になっています。今年の1月4日、伊勢神宮での安倍首相の年頭記者会見ですが、「今年こそ、憲法のあるべき姿を国民にしっかり提示し、憲法改正に向けた議論を一層深める。そんな一年にしたい。」(1月5日付各紙)こんな抱負を述べていました。その問題を、この国会の施政方針演説ではどう述べたか。「50年、100年先の未来を見据えた国づくりをおこなう。各党が憲法の具体的な案を持ち寄り、憲法審査会で議論を深め、前に進めることを期待する」。演説全体の終わりに、わずかに言い添えました。率直な本音の議論を避けつつ、議席の数の力で強引に押し付ける。そのために、発言のどこかに、つけたりの曖昧な形で述べておく。ところが、そこにこそ一番の執念が込められている。それが、安倍首相のやり方の特徴ですね。国会の内外の、全体の言行を合わせてみると、はっきりします。その本音は、『今年こそ、憲法改正を前に進める』と、憲法改悪への執念をぼやかして決意表明をしているわけです。戦後70余年を経て、平和・民主の憲法下で、どうしてこんな人が総理大臣の位置についているのか。どうやって、この異常な事態を、本来のあり方に変えるか。これが、今、提起されている一番の問題です。
2018年01月23日
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8年前、石橋山の古戦場を紹介していましたみかん園に向かう途中に石橋山の古戦場があります。いつも週末には、東京から伊豆への行楽車で渋滞をきたす名所です。ここは源頼朝が旗揚げをした古戦場でもあるんですね。この狭い道は、昔も今も交通の要衝なんですね。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201101220000/『平家物語』にも、出て来る歴史的な戦場だったんです。この戦ですが、頼朝は、この初戦では300騎対1000余騎(案内板では3000騎)で、この山で、散々に打ち負かされるんですね。平家方の大庭景親軍に追討されて山の中を逃げるんです。去年あらためて、月日の流れを確かめて紹介したんですが。頼朝が伊豆で旗揚げをしたのが8月17日とのこと。この石橋山の戦いに負けて命からがら房総半島に逃げるんですが。なんとそれから2カ月後の10月23日に富士川の合戦があるわけです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201711060000/この短期間に頼朝軍へ関東武士たちが合力したわけですが、たった2カ月余ですよ、負け戦さで落ちのびてから、関東連合軍の総大将として現れたのは。平家軍7万と源氏軍は20万が、富士川で対峙したわけです。この短期間の変化というのは、いったい何としたことでしょう。チョット信じがたい急速な変化ですが、でも歴史の事実なんです。平家の横暴勝手のし放題だった政権でしたが、時が熟すということなんですね。平家の全国支配ですが、歴史の力によりひっくり返されちゃったんですね。日本の歴史には、こうした事例があるんですね。たまたま、みかん園への通り道に一枚の看板が、「石橋の古戦場跡」との表示が出ていたことから、ちょっと寄り道したことで、郷土に大きな歴史を見つけました。
2018年01月21日
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新鮮な産直野菜の大特売でした1月20日は、多摩の団地の定例朝市でした。このところ野菜の高値が続いていますが、この朝市には、地元多摩をはじめ、群馬や早川から、産地の農家から直接に運んできた安く新鮮な野菜が並べられました。『たくさん写真を撮っといて』と頼まれてはいたんですが、ついついお客さんが来ると、写真を撮るどころではなくなっちゃいます。おまけに、『全体を撮っといて』とも頼まれていたのに、ついつい、自分が運んできた個所の写真を撮っていたようです。今日は、フキノトウも並べたんですが。売っている側が、その食べ方や味を知らなかったんですね。逆に、お客さんに『フキみそにすると、おいしいんだよ』と教えてもらって、『へぇー、そうなんだ』などという始末で、商売人失格でした。しかし次回までに、料理のベテランにたいして、このフキノトウを使って、フキみそをつくって来てくれるように、と頼みこみました。次回は、フキみその味も試食できそうです。フキノトウは14袋並べたんですが、丸いザルに入れてあるのがそうですが、開店してほどなく、見ての通り、残り1袋となってしまいました。手前の大根は、みかん畑に自然に生えた大根です。買い手は、「この葉が大事だ」という人と、「葉なんていらない」という人の、二つのタイプに分かれましたが。なにしろ、小さいのはおまけだし、そこそこの大きさのは100円です。「ダイコおろしにいいよ」というのが、せいぜいの売り文句でしたが、売り手の側の料理のレバートリの貧弱さを、示したものでもありましたが。これもなくなりました。みかんもは今回60袋を用意して、山のように積み上げたんですが、何しろ、青島みかんが、1袋300円ですから、お買い得なんです。「スーパーで500円もしている。今年はみかんは高くて食べられないかと思っていた」などという人もいたりして、味見用のみかんを食べていただいて、その味にも納得して買っていただきました。その青島みかんも、お昼頃にはすべて売切れました。やはり、野菜・果物は、新鮮で安く、美味しいものが求められていますね。自然の作物は気候条件に左右されて、出来不出来が生じますが、法外な値はつけないようにして、安く、その美味しい味を喜んでもらえるのが、生産者にとっては一番ですね。
2018年01月20日
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切り枝の片づけとみかんの搬送でした1月19日、今日は写真を撮り損ねました。持ち歩いてはいたんですが、その余裕がなかったんですね。真鶴園では、引き続き雑木の切枝の片づけです。こちらはみかん園が町中のため、野焼きをすることが禁じられています。切った枝を短く切り、束ねて燃えるごみとして出さなければなりません。今朝は6束をゴミ出ししましたが、まだ、15束くらいは残っています。みかんの方は、温州みかんの収穫が完了しています。年末に2人の応援を得て、温州みかんのすべての収穫を完了できました。真鶴園には、温州みかん以外にも、ハッサク、清見、伊予柑、湘南ゴールド、甘夏がありますが、これは小木が1本ずつくらいで、私の個人的な消費で無くなるくらいの少量です。みかん園の手入れついでの、趣味と道楽の類でしかありません。そうした状態に、早川のみかん農家の知人が、手を差し伸べてくれたわけです。早川は、甘夏一つとっても、収穫の量が桁違いです。甘夏は、4月から5月が収穫ですが。その4月までの間にも、他に様々な柑橘の産物があります。柑橘の収穫の年間カレンダーがありますが、それをみると、みかん収穫の空白な時期は、一年のうちで8月くらいだけです。その時期も、ミョウガだとかみかん以外の収穫があります。まぁ、今は大仕事が終わったところですから、これまでの大商いの朝市とは違って、少量の販売に移行します。少し休憩もとるように組み入れます。これから温州みかん以外の柑橘に移って行きますし、それは7月までの長丁場として続いていきますから。明日・1月20日は、団地の朝市ですが、多摩市や群馬の農家がつくった野菜類が販売されるはずです。当方としては、1.青島みかん、2.レモン、3.ポンカン、4.フキノトウ、5.野生大根これら品物を出すことにしています。
2018年01月19日
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3年前、ディーツゲンで哲学を学習していました哲学の学習が必要なことは、いろいろな点から感じていたんですが。何を眼目にして、何をテキストにして、どの様に学習するかでは、それこそ、人の状況によって、いろいろな方法があると思います。この3年前の私の場合は、ディーツゲンの『人間の頭脳活動の本質』でした。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で唯物弁証法の独学者として紹介しています。以前に、通読したところ、何を言っているのか、わからなかったんですね。この間に、二つヒントがありました。1つは、レーニンの『唯物論と経験批判論』のなかでのディーツゲンの書評です。2つは、マルクス・エンゲルスの書簡集のなかでのディーツゲン書評でした。これらもあって、分からないままに、『たがや』(やりっぱなし)では、まずいしもったいないと。それで、再挑戦したわけです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501180000/以前は、原本を忠実にすべて読み取ろうとして、苦労させられていたんです。しかし、この時は、見ての通りです。文節に番号をつけるようにして、大事な納得した点と、また大事そうな点についても、要約も言い換えもしたとしてでも、とにかく書き抜きをしてみたんです。すると、ディーツゲンが言いたい点が、ある程度ですが、見えて来たんです。「2、思惟は頭脳の作用であり、頭脳の産物である。4、思惟の一般的な目的は認識である。5、前提、対象のない思惟はなく、思惟は自己を表現する客体を必要とする。10、思惟は感覚世界の無数の活動のすべての代わりをすることは出来ないとの意味で制限されている。我々は客体を認識するだろうけれど、しかしどの客体も認識しつくすことはできない。11、我々は世界をとらえる。その際、事物はそのままで頭に入れることは出来ず、その概念で取り入れる。そして頭脳の中には事物の無限の豊かさのすべてを入れる余地はない。12、思惟能力は、感覚的部分から抽象的全体をつくりあげる。感覚的全体は抽象的世界の一部として理解する。13、すべてのものは、他のものとの関連の中でのみ現れる。15、すべての精神作用は、対象を前提とし、その対象が精神作用を生みだし、精神内容を与える。内容は、精神の外に存在する対象から、知覚され経験することによって生ずる。19、経験なしに精神から認識を生みだそうとする思弁的方法、経験のみにより認識を生みだそうとする帰納的方法、両者の関係について。」これは、第2章の初めの部分ですが、これを全体に対し頑張る必要があるわけですが。それは、省略です。とにかく、この基礎作業によって、ディーツゲンの一見とりとめもない議論の展開の中に、キラリと光る思想が、いろいろと見えてきたんですね。やはり、古典の作品として、その一冊に加えられるべきことが、納得しました。戦前の日本社会にあって、先人がこの難書を苦労して翻訳しようとしたわけも、なるほどなんですね。治安維持法のたいへんな思想弾圧のなかで、山川均氏により翻訳され、1929(昭和4)年に改造社から刊行されていたんですね。題名は『弁証法的唯物論』となっていますが、中身はこのディーツゲンの著作『人間の頭脳活動の本質』なんですね。もっとも、哲学の学習が大事だとしても、私などが思うには、その哲学の学習には、いろいろなテキストあるし、もっとスマートな方法もいくらでもあるわけですから。このディーツゲンの道を、こうした仕方を、すべての人にお勧めするわけにはいかないのですが、私の場合においては、「たがや」を避けるために、それまでの経過もあって、ここを通らなければならなかったわけです。今読み返しても、ここでは四苦八苦している状況がありありなんですが、それでも、前の3人のアドバイスがあったこともあって、「たがや」を返上した次第です。このディーツゲンの著作も、唯物弁証法を学習する一つの道となることを確認しました。いずれにしても、哲学による基本姿勢を堅持することが、今日の日本の激動する社会の中にあっては、生き生きと現実に対応するためにも、いまは、とくに大事になっていることを感じさせられています。
2018年01月18日
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5年前、ヘーゲル『哲学入門』に挑戦してましたもちろん、その原本を短時間に読み返すことは出来ませんが、その学習レポートについては、これを読み返すことが出来ます。この5年くらいの学習ですが、ブログに発信していたおかげで、可能になっています。去年のいつころからのことでしょうか。この過去帳に当たるようになりました。その日が、同時に過去5年間分、5回のおさらいになります。何とかしがみついてでも、こだわって、この探究をとらえ返すということです。それが、今という時を知るための、私にとっては一つの課題なんですね。さて、今回はヘーゲルの『哲学入門』(岩波文庫)です。5年前に探っていたものなんですが。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201301170000/ヘーゲルは、ここで理論的意識と実践的意識とを区別しています。そこで言っていることですが、理論的意識というのは、対象を理解することであり、それに対し実践的意識というのは、対象を変化させる意識だといってます。分かったような、分からない話ですが、とにかくヘーゲルは、そんなようにとらえていたようです。ここでヘーゲルは、客観的事物が変化するのは意識がその変化をつくるものと考えています。一つは、客観的なことが変化するものであると捉えています。同時に、その変化は、精神が変化することで対象の変化をつくりだすとものべています。私などが思うのに、ここのところにヘーゲルの客観的観念論の特徴的な考え方があるんじゃないでしょうか。つまり実際の関係は、客観的な世界が変化するのを、人間の意識がとらえる、認識するということですが、ところがヘーゲルにあっては、あくまで意識が中心が、その関係を逆立ちさせて、人間の意識の変化が客観的世界を変化させるところの根本だと。しかし、逆立ちはしていても、ヘーゲルは変化を客観的な事柄としてとらえている。その変化は、主観的な、恣意的な勝手なものではないとの認識があると思います、人間の意識と存在認識の客観的な性格と、その関連への認識があります。この点に、ヘーゲルの洞察の素晴らしさが、その考え方の特徴があると思います。はたして、そうしたことをヘーゲルはここで本当に主張しているか、どうか。この点を、このつぎには、確かめてみたいとおもっています。そんなことを刺激する、前回の学習でした。一見、とりとめのないことの詮索ようですが、じつはここが哲学の根本問題だと思っています。
2018年01月17日
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ディーツゲンで唯物弁証法を学ぶ3年前ですが、ディーツゲンに挑戦していました。『人間の頭脳活動の本質』です、岩波文庫で復刻されていたんです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501170000/難解で苦労していたんですが、安心材料がありました。マルクスの書評です。この本そのものではないでしょうが、ディーツゲンはマルクスに原稿を送っていたんですね。マルクスも苦慮させられた居たんですね。しかし、基本に対する評価は議論もされ、紹介されていましたから。やはり、この本やディーツゲンは、唯物弁証法を学ぶための、一つの道だと思います。この哲学を学ぶことが大事だし、必要なんですが、それには、いろいろな学ぶ道が、やり方があるということなんですね。
2018年01月17日
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みかん園、蜜蜂の動きと枝切り1月16日、今日は臨時でしたが、みかん畑に行ってきました。みかん園の周囲の雑木ですが、その枝切りのためでした。今日は予報では、寒くなると聞いていたんですが。実際は、汗をかくくらいでした。作業で動いていたので暑かったんじゃなかったんですね。ミツバチの巣箱の様子が、それを示していました。朝方は、ひっそりとして、ミツバチの気配はなかったんですが。午前9時を過ぎるころには、入り口で、出入りする姿を見れるようになりました。気温が10度を越えないと、ミツバチは動かないというんです。ひっそりしていると、また逃去したしまったのでは・・・と不安になるんですが。この分なら、大丈夫のようです。朝、午前6時51分の小田原からの富士山です。朝日が当たって、赤みがかっています。天気が良い日というのは、それだけ朝のうちは冷え込むんですね。朝は寒くて、ミツバチはじっとしていたということです。今日の仕事は、みかん園の周辺の雑木の枝きりです。みかんは太陽の恵みで美味しくなりますから、日当たりが大事なんですね。前回に引き続き、今回も木によじ登って、枝切をしてきました。手前の結束した切り枝は、7束あります。これは、前回に切った枝を束ねたものです。前方に積まれているのは、本日切った枝ですが、かなりの枝を切りました。ここまでで午前11時近くになってしまいました。本日の真鶴園の枝切りはここまでとしました。この後、早川へ移動しました。こちらは、木に残っていた大津と青島みかんですが、樹上で完熟するのを待っていたんですが。今日は、それらの全部ら収穫しました。「これ以上、木につけておいても、熟す事態は大きくは変わらない。むしろ、これ以上つけておくと木が弱ってしまうから、取り除いた方がよい。」この早川園の園主のアドバイスがありましたから、残りのみかんを全部取りました。この収穫作業を終えてのみかん園ですが、手前の木は甘夏ですから、これから4月、5月になって収穫する予定です。問題は、中央の上の方にある大きな木です。お隣の畑なんですが、温州みかんの木なんですが、やはり依然として、まったく収穫されずに放置されたままになっています。きっと体調不良かなにか、収獲作業ができない事情があるようです。みかん園の様子は、そこを手入れしている人や家族の状況をしめしています。普通の事態にはないということです。大事が無ければよいのですが、やはり見るたびに気になるところです。
2018年01月16日
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『宮本顕治著作集』第10巻を読みました4年前のことですが、『宮本顕治著作集』第10巻を読みました。宮本顕治氏は、1908(明治41)年-2007(平成19)年ですが、私などが、その存在を意識したのは1969年でしたが、その当時は、日本共産党の中央委員会書記長の立場で活動されていたんですね。この著作集は、宮本氏が亡くなった後にまとめられたものです。最終巻の第10巻は宮本百合子論で、宮本百合子について評論したものをまとめたものでした。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201401160000/私などは、さいわいだったかもしれません。当時は、この著作集の全10巻が、二カ月に1冊ずつ順次刊行されていた時だったんで、二か月間に1冊を読むという、集中力を余儀なくされたんですね。もしも一度にこの全10巻を目の前にしていたとしたら、はたして全体を読み通すことが出来ていたでしょうか。いろいろ多岐多様なメディアの百家争鳴の中ですから、おそらく無理だったでしょうね。最近でも、この著作集にかんして、感じていることなんですが。ここには、せっかく日本における科学的社会主義の理論と実践の姿がここにあるというのに、そのもつ中身や意義について、『たがや』じゃないけど、やりっぱなしなんですね。普通ならそれぞれの専門の立場から、文学者、哲学者、社会学者、共産主義者、・・、また、身近に活動していた人たちによる具体的なエピソードなどなど。この著作がもつ中身や成果、その意義を、その道の人たちが座談会などして、もっともっと今日的な意義などを、明らかにすることが求められていたんじゃないでしょうか。日本の政治のあわただしさは、それすらの余裕がなかったというんでしょうか。私などの認識では、刊行したままに「たがや」だったんですね。率直に言って、後の人たちは、周りの人たちは、怠慢だと思いますね。それぞれの胸先三寸にとじこめてしまって、議論されることがなかったというのは。もしかして、私などのアンテナが弱くて、実際にはやられていたのに、私がそれに気がつかなかったのかもしれませんが。そうじゃない。刊行された時は、一つの大事な機会だったんですが、それを逃したと思うんですね。しかし、まだまだ、これからです。私などは思うんですが、現実の社会状況が、この著作集に、宮本氏の全体的な仕事に、さまざまな角度から、しっかりと今日的な光をあてること求めていると思っています。
2018年01月16日
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江口渙『わが文学半生記』を読んで江口渙『わが文学半生記』(青木文庫 1953年7月15日刊)を読みました。私の江口渙氏については、以前『たたかいの作家同盟記』(新日本出版社)を読んでいました。その文学世界の探究は、戦前戦後の「認識の空白」を埋めることでもあったんですが。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201709120000/この『わが文学半生記』は、その続きだったんです。江口渙〔1887(明治20)年―1975(昭和50)年〕は、1930年にはプロレタリア作家同盟の中央委員長を務めた人です。1933年には小林多喜二の、1951年には宮本百合子の葬儀委員長も務めている、そうした人です。この『わが文学半生記』は、そうしたプロレタリア作家同盟の時期よりも前のことなんですが。江口氏は、夏目漱石の門人の一人だったんですね。この作品には、私などにはその名前でしか知らない人たちですが、夏目漱石をはじめ、その門人の芥川龍之介、菊池寛、宇野浩二などですが、それぞれの人たちと江口氏との生きた交流の様子が紹介されているんですね。私などはその作品でしか知る由もないことと思っていましたが、この江口氏の作品で、見方が変わりました。ここで江口氏は、そうした作品の紹介とともに、それを書いた作家自身の生活者との交流面からも紹介されているんですね。具体的な人間模様から、その人の作品をとらえることが出来る。これって、すごいことだと思いませんか。しかも、それはプロレタリア文学が、漱石などの国民文学の流れとの関係においても、人間関係としても紹介されているんですから。私などには、耳新しい人間関係であり、身近に引き寄せてくれる文学批評でもありました。あらためて、文学者の流れを並べてみたのですが。宮本顕治氏は、1908(明治41)年-2007(平成19)年。 蔵原惟人氏は、1902(明治35)年-1991(平成3)年。 芥川龍之介は、1892(明治25)年-1927(昭和2)年、35歳。江口渙氏は、1887(明治20)年-1975(昭和50)年です。夏目漱石は、1867(慶応3)年-1916(大正5)年。これらの人たちの関係に注目します。それぞれの青春時代の交流なんですね。宮本顕治氏が、『敗北の文学』で芥川論を書いたのが1929(昭和4年)、学生の頃です。その芥川が自殺したのは1927年7月、35歳でした。その当時、蔵原氏も若い。若くしてプロレタリア文学の評論家として文学運動をリードしていたんですね。芥川が文壇に登場するきっかけですが、その作品『鼻』(1916年)が文壇の大御所・夏目漱石により称賛されたことも一つのきっかけだったそうです。そのころからでしょうか、芥川と江口氏とは交流していたというんですね。江口氏の紹介により芥川の人間像も、社会のなかで苦闘する姿など、より身近になってきます。その江口氏も、1917年ロシア革命の影響もあって、無政府主義から社会主義へ、そしてプロレタリア文学運動に参加していくようになる。江口渙氏が、こうした記録を残してくれたおかげです。人間関係が見えて来るし、だいぶ昔の時代のことがらですが、それが比較的に身近なものとして引き寄せられてくるような感じがします。もしもですが、時代社会がもう少し民主的であったなら、夏目漱石とその門人と、プロレタリア文学運動とは、日本の近代化について、民主主義の大切さについて、国民の権利と自覚について、日本の反動化に対しても、もっと反対の発言をし、国民の民主的な自覚への、活発で積極的な議論が交わされてたんじゃないか・・・。結局、それは戦後への宿題として、今の私たちにたくされた課題となった。憲法をつくり、その平和・民主の課題は、私たちにたくされた歴史的課題なんですね。
2018年01月15日
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昨年の今頃『戦後文学論争史論』を読んでました当方は、それまでは文学の世界というものについて、ほとんど空白だったんですが、齢65も過ぎたこの数年にいたって、その必要性、重要性を感じ出したわけなんです。この広大な大海の世界に、今ごろになって、小さな小舟を漕ぎだそうということです。それを「宣言」していたのが、この『戦後文学論争史論』(佐藤静夫著)の読後感でした。このブログというのはありがたいものです。過去にあれこれ模索していたことを、今に再現してくれるんですね。佐藤静夫著『戦後文学論争史論』(新日本出版社 1985年刊行)についてです。その1、https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201701140000/その2、https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201701220000/もちろん、気まぐれに文学書を読むことは、それまでもあることはありました。しかし、自分の狭い体験をこえて、日本や世界のことがらを知ろうとするとなると、たしかに専門の歴史書や社会科学書はありますが、文学は具体的なんですね、それが記録とも証言ともなっているわけですから。それにしても、その対象は、日本と世界、空間と歴史の、いわば無限の宇宙です。この小舟の漕ぎだしは、「思うは易し、行うは難し」なんですが、その結果はどうなのか、その経過はどうなのか。去年のブログに、ないしフェイスブックの中に、学習の過去帳が検討され出しています。それは昨年の初めには念頭になかったことで、12カ月間のいつからか始まりだしたのですが。ブログの記録にある学習が、5年くらいまで遡って、再点検、再検討されているんですね。この文学と『戦後文学論争史論』も、そうした中の一つなんですが。落語にもありますが、『たが屋』ですが、人間だれしも、「やりっぱなし」ということは、よくあることです。しかし、宇宙の大海に漕ぎだして、自分のやることに無力感に陥らないためには、それがどんなささやかな一歩でも、一歩は一歩ですから、その航海記録をとっておくことは、かかせないんですね。同時に、航海術についても、航海の一般理論についても、学ぶようにすること。やはり、この二つが欠かせないんですね。そしてあと必要なのは、それこそいろいろな経験の蓄積です。いまは、江口渙の『わが文学半生記』(青木書店 1953年7月刊)に取り組んでいますが、やはり、今の社会を具体的に知るためには、文学書も欠かせないことを教えてくれています。この一年は、諸々の探究を、少しではあってもすすめてきたと思います。少なくとも、それを知らずに、氷の上を滑っていたよりも、いくらかましだということです。最終結果は、すべての合力により、歴史を前にすすめることですが。そのためにも、自分たちの成果をどんどん還元してゆくということです。これが、この一年間の中間決算ですね。
2018年01月14日
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みかんがお買い得でした1月13日(土)は、多摩の永山団地での、いつもの朝市でした。北風が吹き抜ける、建物の北側の日蔭の売り場です。いやいや寒い、寒い。じっとしていると凍えてしまいそうでした。人通りもあまりないんですが、それでも、みかんが売れていきます。それもそのはずです。コンビニに寄った時に、みかんが売られていたんですが、小さなサイズの袋入り、700グラムくらいでしょうか、それがなんと450円の値がついていました。当方からしたら、いくらなんでも、とんでもない! ことなんですが。当方はというと、甘くてジューシーな、M・Lサイズの1.2キロで、300円の値段ですから。ポリシーがありますから、時節に便乗はしません。安食、新鮮、美味しく安全な、早川・真鶴みかんを提供していきます。ようするに、もうけが目的ではないんです。そうした根性なら、こんな直売はやってられないんです。消費者と生産者の笑顔が大事なんです。今回も回を重ねると、値段と味に敏感な都会の生活者のことですから、「味見しない?」とむけると、それにかえってきたのは、「味見しなくてもいい、知っているから。このみかんがほしい」おもわず、内心ですが、「なるほど、えらい!」といいたくなる人も、一人二人ならず、でてきました。今日のみかん屋さんは、みかんだけではなかったんですよ。「ロマネスコ」、知ってますか、イタリア原産の緑のブロッコリーですが。野菜がモノ不足で高いと聞きますから、これも売るし、「根性大根」、みかん畑に自然に生えている大根ですが、100円―150円での販売です。おまけに、フキノトウまでも、初めてでしたが、10個を並べておいたんですが、「おいくら?」「そなら、全部いただきます」ということで、瞬時に売り切れちゃいました。商店街は見ての通り、午前中は寒くて、人影もほとんどない商店街なんですが。それでも、営業していた午前中のあいだに、みかんだけでも30袋が売れました。すなわち、これだけで9,000円の売り上げです。だから、それなりにたいしたものなんですよ。まぁ、なかには目ざとく、ロウバイを遠くから見つけて、わざわざ、その香りを確かめに近づいてきてれた人もいたりして、「ろうばいなの?」の話が、「どこのみかん?」との話にかわり、もちろん結局、みかんも買っていってくれました。1月も半ばに来て、温州みかんのシーズンは、そろそろ終わりです。しかし、みかんシーズンはこれからです。まもなく、ハッサク、レモン、清見、湘南ゴールドなどなど、バラエティーな柑橘類が、新鮮でおいしく、安い柑橘が、ここで直売されるはずです。さぁ、これから半年間の、柑橘販売の長丁場の始まりです。
2018年01月13日
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ヘーゲル『哲学入門』に客観的観念論が5年前になりますが、ヘーゲルの『哲学入門』を学習していました。「入門」といっても、ヘーゲルが何を言っているのか、内容の理解は容易ではないのですが、それでも、これは、対象にしたギムナジウム(高校生)の生徒に分かってもらおうと、彼なりに一生懸命に、丁寧に解説しようとして努力しているんじゃないかと思います。そんなことを念頭に、励ましにもして、この著作に挑戦していました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201301120000/ヘーゲルは客観的観念論者だと評価されますが、この「緒論の説明」箇所ですが、その客観的観念論とは、どの様な考え方なのか、そのことを説いていることが見えてきました。「思惟が対象をつくりだす」というのは観念論の立場ですが、「対象は思惟の働きによってとらえられる」というのはその通りですよね。そこからですが。「一般的対象の内容は思惟には属さず、思惟によって与えられ、思惟から独立にそれ自身で存在している。」ものごとの客観性を重要視しているヘーゲルですが。勝手な主観的な見解、独断や偏見を避けようとしていますし、その体系も自然と社会、精神の客観的世界にせまろうとしているわけですが、その基礎には、この考え方の客観的観念論の立場が関係していると感じました。この箇所を読んだ時ですが、ここにはヘーゲル自身が自分の考え方を分かりやすく説こうとしているのを感じました。私などには、そんな努力をしているなんて、難解さばかりがちらついて、見逃していたんですが。思うんですが、私たちは、哲学の解説書の一般的な解説だけで、すぐにわかったような気になっていたはダメなんですね。得るのが安易だと、失う時もまた安易になりますから。そうではなくて、時には、直にその人の生の材料から、その考え方の基本をしっかりと確認することが、やはり大事な作業なんだと感じた次第です。
2018年01月13日
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今日は、新たな年の仕事の始まりです関東の今朝は、今季一番の冷え込みです。午前5時30分に八王子を出ましたが、途中の厚木・中津川の橋げたですが、6時22分の温度計はマイナス4度でした。これは、今季の最低記録の温度です。平塚からの富士山です、6時51分。真鶴のみかん園ですが、昨年末に、知人の協力により、すべての温州みかんを木から下ろしました。これは、そのひと仕事終えた後のみかんの木です。まぁ、2つくらいは、ヒヨドリたちにもおすそ分けです。大きな仕事を終えて、みかんの木もホッとしているように見えませんか。これは早生の木ですが、大仕事を終えて、こちらはくたびれ切っているように見えませんか。こちらは、今季は表年で、今年は裏年となり、さして実はつけずに休養です。今回の真鶴園は、こうした観察をしただけではありません。一つは、年初めに選果してあったみかんですが、それを搬送してくることです。二つに、みかん園周辺の木の枝払いです。これは何の変哲もない木々の風景ですが、みかん園の境界に植えてあった木ですが、それが大きく伸びていたんです。直径が10センチくらいに、そのままにしておくと、一人仕事では手が付けられなくなります。これは、その枝を切り落とした後です。そのままにしておくと、みかんの木がそうした木の日蔭になりますから、今回、思い切って、その太い枝を切り縮めたんです。まぁ、この太い枝を切っただけで、今日のシンデレラタイムは終了です。その後始末は、後日の仕事にすることとして、今回は、日照の障害物がなくなったことを確認して、早川園へ移動しました。早川園では、今年の仕事のスタートです。二つのみかん園の園主を、事始めの初仕事で回ったんですが。そうした中の一つは、レモンの収穫でした。真鶴では、全部で4個くらいしかならないレモンですが、早川園では、その収穫の豊かさが天と地の違いです。ということで、明日の朝市ですが、そこにだす物産を、しっかり預かってきました。
2018年01月12日
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餅つきの想い出1月6日、東京・多摩市の「ほっとセンター多摩」でしたが、新年会の一つとして、餅つきが行われました。今では、こうした餅つきの光景は、珍しいものとなり、むかしを懐かしむ面々が、子どもたち以上にまわりに集まってきました。当方も、またその一人で、みかん販売の方はひと休みにして、それに加わったんですが。当方の田舎は、神奈川県の西部真鶴です。小学校、中学校の頃までは、どこのお宅でもそうだったんですが、暮れの12月27,28日頃には、朝早くから餅つきをしていました。1960年代前半くらいまでは、恒例の家族行事だったんです。20臼まではいきませんが、近所で頼まれたものも含めて、15臼くらいはついていたんじゃないでしょうか。つき手は、父が主でしたから、一人でそれをこなしていたんですから、今にして思えば、たいへんなことだったでしょうね。いくら手伝おうとしても、私などは、そう役には立たなかったでしょうから。それで、その時に、私も杵のふるい方を教わったんです。左手は梃子の支え手で、それが乱れると体の動きがバラバラになるよ。杵を持ち上げるには、左手を梃子の原理で、右手を杵の先に延ばして持ち上げれば楽だよ。杵自体が重さがあるから、下ろすにはたいして力はいれず、中心に落とすよう注意すればいい。ずっと力を入れどうしだと、すぐにくたびれるから、持ち上げる時だけ力をいれればよい、と。もう、そうした時から、40,50年が過ぎてしまいました。最近では、ついている餅の真ん中に、憎たらしい奴の顔を思い浮かべてれば、しっかりとした餅がつけるよ、なんて悪たれ口も加わります。じっさいにも、精魂加わると、お餅の伸びが違ってきます。といったわけで、あちこちで餅つきの光景を目にすると、むかしとった杵柄を想いだして、ついつい、「わたしにも、一つ」としゃしゃりたくなるこの頃です。
2018年01月11日
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マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』について12月というのは、みかん作業をしているものにとっては、大忙しとなります。せっかく学習しようとしたことも、ただ通読したままに放置されて、もやもやしたままで、他に移っていってしまうことが、多々あるわけですが。マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』も、そうした一冊でした。新春の課題の一つとして、この宿題を、今度こそ果たそうと思っています。この本は、フランスの政治史を扱ったもので、フランス共和国の大統領ボナパルトが、1851年12月2日にクーデタをおこして立法議会を解散する。1852年12月2日には帝政を復活させて皇帝になったわけですが。マルクスによるとこれは、「1852年2月半ばまでに」(二版の序文)書かれたものだそうです。この作品は、ナポレオン帝政の復活への一連の諸事件の真っただ中で書かれたものなんですね。私などが全体を通して注目する一番のポイントは、唯物史観の問題です。第三版への序文(1885年)で、エンゲルスが書いています。《マルクスこそ歴史の運動の大法則を初めて発見した人だった。その法則によれば、すべての歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他のどんなイデォロギー的分野でおこなわれようと、社会的諸階級の闘争の表現にすぎない。これらの階級の存在、したがってまた、彼らの間の衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産、およびその生産に条件づけられた交換の仕方によって、条件づけられているのである。 この法則が、ここでもマルクスにフランス第二共和政の歴史を理解する鍵をあたえた。マルクスはここでの歴史によって、自分の法則を試験したのであって、33年たった今でも、この試験に合格したと言わざるを得ない。》と。これはこの作品の全体を吟味した上でいえる評価ですから、結論的なことがらです。さしあたっては、この作品では、こうした歴史法則の問題が問われているとの指摘を確認するくらいなんですが。それにしても重要な提起です。『共産党宣言』が近代史の全体について唯物史観を適用したとすれば、これはもっと具体的なフランスのある時期のこと、しかも同時に進行している時期の事柄ですら。つまり、現在の日本の政治過程についても、この見方を学ぶことが大事だと思うんです。このフランス史へ適用している仕方を、歴史観の適用の仕方を、もし私たちがよく学びとることができるならば、今の社会の動きを見る見方も、それを変えようとする動きかけについても、何がしかの知的な力を与えてくれるんじゃないかと思うからです。そんなことを思いつつ、中身に入っていきます。思うはやすし学ぶは難しです。そんなに簡単に理解させてはくれないのも確かです。これまで、何回か挑戦してきているんですが、前回もそうでしたが、もやもやのうちに他のことに関心が移っていたのも、ギブアップの証ですね。全体は、7つの章からなっています。第一章は、序章とみました。今回は、この章を主題にしますが。ここではいろいろな問題が示唆されていますが、3つ挙げます。一つ、第2節「人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである。」(P17)私たちは、自分で思うほどには自由ではないということ。では私たちは、現在、どの様な制約のもっているんでしようか。唯物論的歴史観とは、人間の歴史的な続き合いにあること、一定の制約かで、そのもとでの自由をもつということ指摘しているかと思います。二つ、8節「18世紀のブルジョア諸革命の成功から成功へのあわただしく突進するのと違って、19世紀のプロレタリア諸革命は、たえず自分自身を批判して、中途半端さ、弱さ、けちくささを、情け容赦もなく、徹底的に嘲笑する。この革命は、自分の立てた目的が茫漠として巨大なことに驚いて、たえずくりかえして後戻りするが、ついに、絶対に後戻りできない情勢がつくりだされ、諸関係自身がこう叫ぶようになる。ここがロドスだ、ここで跳べ、と」(P23)。日本の近代史は、フランスほどには徹底した性格をもっていません。中途半端さや、弱さを克服することが必要ですし、古今東西の歴史に学ぶのも、そこに意味があると思います。諸関係が、ここで跳ぶことを、避けられなくするということです。三つ、11節「フランス人が言うように、フランス国民は不意打ちを食ったのだ、と。それだけでは十分ではない。3600万人のいち国民が、三人の紳士ペテン師に不意打ちをくわされ、抵抗もせずに捕らわれの身になるなどということが、どうして起こりえたのか、それを説明する仕事は依然としてのこっている。」(P25)ここにマルクスが『ブリュメール18日』を書かなければならない状況が、問題意識が、あったんですね。以上が、3点ですが、これらは、この第一章が序論的な性格をもっていることを示していると思います。次は、第2章にすすみます。
2018年01月09日
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昨年末のみかんの荷下ろし年末には、温州みかんのすべてを、木から下ろすようにしています。みかんの木の負担を取り去って、樹勢を回復させるためですが。真鶴でみかん栽培を手掛けるようになって18年がたちました。東京の八王子から、片道75キロメートルを通っての手入れです。今回、初めてですが、その作業の様子を紹介します。みかん作業は、美味しいみかんを採ることが目標ですが、その収穫の為には、熟した美味しいみかんを見極める眼力が必要です。いわゆるみかん狩りでは、園主が大方が熟した木をえらんで採取させていますから、だれが収穫したとしても、当たり外れが少ないんです。当方の様にみかんの木が9本と限られた大木を相手にしている場合には、ちがいます。1本の木のなかにも、熟したものや未熟なものが玉石混交になっています。だから収穫する場合には、この見極めが大事になります。熟した果実を選んでの収穫、選択的な収穫がもとめられるわけなんです。まだ酸っぱいみかんは絶対にとらないこと、それにはある程度の経験が必要なんです。何回かやれば、みかんの好きな人には、自然とマスターできることなんですが、初めての人には、その選択収穫の見極めは、なかなか難しいんです。私なんかも、持ち帰ってから「なんでこんな未熟果を採ったのか」と反省させられますから。ここができていないと、美味しいみかんを提供することが出来ないんですね。あとわずかなところまで来ているのに、画竜点睛を欠く事態をきたします。しかし、年末の10日間は違います。後で選果することとして、とにかく木からすべてのみかんを下ろします。木の高いところや、木の内側に残っていたりしていますから、みかんは採りにくいところにあります。目立たないようでも、まだ結構な数が木についているものなんです。今回、初めてです。この真鶴園での、残払いの様子の写真を紹介できるのは。今回初めてですが、2人の応援があったからなんです。この年末の何かと忙しい時に、協力者を得るのはむずかしいんですよ。誰しも年の瀬は忙しいもの、遊び心と余裕か、ないし執着心がないとできないんです。しかし、そのおかげで、完全に終わらせました。残りの4本の木からでしたが、6コンテナを収穫することができたんです。これは、複数の人による、集中力があったからこそ出来たことでした。「やったぞ!」これにより、年末ぎりぎりの12月29日でしたが、今年の温州みかんの荷下ろしを、すべて完了することが出来たわけです。新年を晴々と、心置きなく迎えれることが出来たというわけです。
2018年01月08日
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3年前、不破哲三著『スターリン秘史』を読みました不破哲三さんが、スターリンの実像について、『スターリン秘史』にまとめました。3年前に単行本にまとめて刊行されたので、当方も読んでいました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501050000/スターリンについては、なかなか実像を明らかにした著作というのは無いんですね。レーニン死後のソヴィエト連邦の指導者、第二次大戦でヒットラーによるソ連侵攻を打ち破った英雄、社会主義諸国の指導者。こうした明の側面が、一定の時代に定着していました。ところが、日本に関しても、第二次大戦の戦後に日本兵をシベリアに抑留する、千島を占領したうえで、日露戦争の胸のつかえがとれる、などと演説する。最近、荒畑寒村氏の自伝を読んだんですが、荒畑氏は、1920年代のソヴィエトの知人が処刑されていることに疑問を抱いていた。これは推測ですが、荒畑氏が共産党をつくりながら、再建共産党に入らなかったのは、1、直接的には、福本主義に対する違和感がありましたが、2、その根底には、ソヴエトで行われていた粛清などから不信から、それが共産党そのものに根ざすかのようにとらえだしていた点があります。目の前に展開される非道の政治に対して、それにノーというのは分かるんですよ。社会主義のそもそもの大義にたって、そのおかしさを正すというのならわかるんです。ところが出発点はそうだったと思うんですが、そのうちにそうではなくなって、そのおかしさというのは、そもそも社会主義そのものに根ざしていると考えはじめるというのは、これはこれで逆に本来明らかにすべき大道を、逆に見失ってしまうことになる、そうした事態があると思うんです。こうした問題は、何も荒畑氏に限ったことではありません。今日においても、基本において混迷するケースというのは、様々な形であると思うんです。「非共産党マルクス主義」という考え方のなかには、共通してそうした問題があると思うんです。その点を見すえた検討・吟味が必要だと思うんです。不破哲三さんが、この著作で明らかにしようとしていることですが。問題は、歴史な出来事に根ざしていますが、それをソ連崩壊後に明らかになって出てきた資料により、あらためてレーニン死後のソヴィエトが、どの様な問題をもっていたか。そうした問題を社会主義の本来の理念からして、また新たに資料からして、あらためて吟味しようとしている、名誉を回復させようとしている、そうした試みだと思うんです。順次、刊行されていった『スターリン秘史』ですが、この本質、大事な問題が問われていると思うんです。連載はその後も続きました。2年前には第5巻が刊行されました。2016年1月5日の第5巻の感想レポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501050000/あらためて、これらが問いかけいる問題ですが、現状の非道は、社会主義のそもそもの本質に根ざしている問題なのか、それとも、それからの逸脱によるものなのか。荒畑氏においても問われていますが、この点には、社会主義の思想の歴史的な役割、そもそもの理論的な名誉がかかっています。大体、今の世に、だれも社会主義の名誉を救済するなどということは、どのメディアにおいても絶対にしっこないわけです。けなす方には、スポンサーはいくらでもつくわけです。そうした中で、この連載がまとめられ刊行されました。ことがらは、社会主義の歴史的な大道が問われています。社会主義を看板にしたの歴史的な逸脱に対して、しっかりした批判、考え方の基盤が求められているわけです。そして、その解明が正しいかどうかを吟味するのは、一人ひとりの人の理性であり、探究努力に属することなんですね。そこには人として基本的な姿勢が問われているんですね。この不破氏の『スターリン秘史』ですが、そうした歴史的な問題について、大事な社会主義のそもそもの在り方の問題に対して、今を生きる人々に対して、大事な問題を投げかけている著作として読みました。
2018年01月06日
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初の朝市は、もちつきとともに1月6日(土)は、新春の初めての朝市でした。みかんの販売所のすぐ隣では、新年会の餅つきが行われました。日ごろの生活からは遠くなってしまった餅つきですが、興味深そうに、子どもたちの熱い視線が寄せられていました。そんな餅つきの隣での朝市でした。今日は、これまでのみかんとレモンに加えて、ダイダイとデコポン、金柑もならびました。横に置いたロウバイをみつけて、香りを確かめに来る人もいました。しかし、今日の一番は、やはり餅つきでした。懐かしそうに大人たちの線も集中しています。「それ」「えいっ」と、呼吸の方もぴったりと合いだしました。つきたてのお餅の味はどうでしたでしょうか。みんなで、その味を楽しみました。北風の吹く寒い陽気でしたが、なんの、なんの、子どもは風の子と言われていますが、大人だって、こうなると風の大人ですね。餅つき準備で、お湯を沸かしていたところ、火の番をしていていた人が、前掛けの手前を焼いちゃったようです。前掛けがボロボロになっています。焼き焦げた前掛けが、窯のふちに焦げ付いてくっついちゃったようで、それをかき取ろうとしているんですが、簡単にはとれません。しかし、肝心なところを焼かなくて幸いでしたね、さぞ熱かったでしょうね。ということで、新年会の餅つきも、そして当方の朝市の方も、今日は、にぎやかに、なんとか順調に進みました。役員さんたちは、朝から準備のためにテンヤワンヤでしたが。
2018年01月06日
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蝋梅の香りがただよう石垣山です1月5日、今日は当方の仕事始めでした。小田原、早川の石垣山では、今蝋梅(ろうばい)が見ごろになっていて、その周辺に、花の香りを漂わせています。万花に先駆けて咲く、梅の花ですが、まだ梅は、小さな蕾を膨らませだしている段階です。それに対して、蝋梅の方は、いち早く花を咲かせ始めています。早川の石垣山では、いま、蝋梅が見ごろになっています。今日は、曇りの小田原方面です。時に、かすかですが、雪らしきものがちらつきます。寒い陽気ではありますが、天気は崩れずに、作業に支障はありませんでした。曇りの天気で、寒々とした小田原城と相模湾の景色です。今日の仕事ですが、昨年末に収穫した温州みかんの選果作業です。年末の10日間のドタバタでしたが、すべてのみかんを収穫しましたから、玉石混交です。それで、今日は、出荷できるみかんと、基準落ちでジュースにするものとを仕分けしました。今日は、後片付けをしていて、気になったことがあります。前々から気になっていたんですが、お隣のみかん畑です。手前が当方の畑で、暮れに温州ミカンの収穫は、一通り終えました。ところが、お隣の畑はみかんがそのままに、手つかずで残されています。みかん園を見ると、ある程度、そのお宅の概況が分かります。お隣の働き手の方の健康は大丈夫なんでしょうか。みかん農家にとって、一番肝心な収穫の時に、手つかずにあるということは、気になります。しかし、温距離農夫の当方には、たまに片言の挨拶する関係でしかありませんから、今、なぜこのように放置されているのか、その事情は皆目分からないのですが。この早川の市民みかん園ですが、次の山場は、4月-5月に収穫の甘夏です。これがその甘夏の木です。甘夏は、真鶴のみかん園にもあるんですが、この木は、その何十倍もの実をつけてくれています。年季が違うんですね。しかし、この甘夏の収穫に至るまでには、青島みかんからレモン、金柑、ハッサク、清見、湘南ゴールドと、様々な柑橘類の収穫があります。ここ早川の石垣山は、真鶴のみかん園に比べると、はるかに大きな、自然の豊かな恵みを与えてくれます。宝の山ですね。当方は、その恵みを預かって、都会の消費者に、安くて、新鮮で美味しい、しかも安全な柑橘類を、ドンドン提供するということです。去年は、見ること聞くこと、多くは初めてのことがらだったんですが、2年目となる今年は、1年間の収穫サイクルの輪郭を体験していますから。今年は、この早川のみかん園の魅力を、自然の豊かな力を、もっと、もっと、しっかりと紹介していこうと思っています。今は都市と農村が、ともに疲弊していますが、都会の商店街はシャッター通りですし、みかん園は耕作放棄がしのびよっている。そうであればこそ、人の努力が求められています。それぞれの人たちが共存共栄していくことを、前向き展開するように、みかんの流通をとおして実現していけたらと思っています。これが、この仕事始めに当たって、今年挑戦しようとおもっている抱負です。
2018年01月05日
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『反体制を生きて』(荒畑寒村)を読んで荒畑寒村『反体制を生きて』(荒畑寒村 新泉社 1969年刊)を読みました。昨年末に岩波文庫の『寒村自伝』を読んだ流れによるものです。読みっぱなしにしておくのも、もったいないので、幾つか感じた点だけメモしておきます。『寒村自伝』によるものとミックスされてくると思うのですが。一、やはり、反戦平和の堺利彦や幸徳秋水の主張から社会主義に近づいているんですね。日露戦争の頃ですから、だいぶ昔のことですが。当時のことを、直接の体験者として現実感をもって、堺や幸徳などを紹介してくれています。これは、貴重な証言だし、苦難をいとわずがんばった姿だと思うんですよ。二、しかし、冒頭のインタビューの中ですが。1969年頃の学生運動についてですが、ゲバ棒とヘルメットに、心情的に共感しているのはいかがかと思うんですね。これは、私などの体験からすると、いいかげんな認識で、軽はずみだと思うんですよ。三、ここにはねじれがあります。当初の社会主義者としての努力ですが、いつのころからかねじれちゃっている。そこにある要素ですが、福本主義への批判から、非共産党マルクス主義の労農派の中心的存在になったこと。戦中の国家の弾圧により、「旗をまくこと」で過ごさざるをえなかったこと。また、ソヴエト社会の政治抑圧が、社会主義そのものの不信としてとらえだしていたこと。そうした根本には、世界観、社会観の問題も関係していると思います。四、詳しくは分かりませんが、戦後には社会党に参加して、その左派として、私などでは知りえないゴタゴタがあったんでしょうね。彼は、結局社会党をぬけています。五、しかし、もしも今日生きていたとしたら、反動化する政治には、けっして黙ってはいないだろうと思いますよ、戦前の苦難の中でつくりだした、今日の民主社会です。これを壊す政治に対しては、憲法と民主主義をまもるために、今日的な「共同戦線」を大きく唱えたと思いますよ。歴史を歩んだ人ですから、性急にはその人の評価はできませんが、今は、これ以上の詮索はできないんですが。いつか立ち返って、もっと具体的に問題をさぐってみる必要性を感じる人物です。とりあえず読みっぱなしにしないための感想です。
2018年01月04日
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ヘーゲルの『哲学入門』から5年前になりますが、岩波文庫のヘーゲル『哲学入門』を読んでいました。これは、ギムナジウムでのテキストとのことですから、今の高校生を対象にして、ヘーゲルが自身の哲学体系を説いたということです。私などが読んでも、むずかしいには違いないのですが、それでもヘーゲルとしては、若者たちに理解しやすいように配慮していると思うんですよ。2013年1月2日、第4回のレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201301020000/ここでヘーゲルは「理論的意識」と「実践的意識」を述べています。私などが、あらためてレポートを読んで感じたんですが、ヘーゲルという人が、客観的な対象に対しての意識を大切に、重視していることですね。観念論者ですから、意識が対象化したものとしての対象像としてとらえてはいるんですが。しかし、勝手な主観的認識を押し付けるんではなくて、あくまで、客観的な意識を、意識の客観的性質を大切にしているんですね。おそらく、この姿勢をもって、ひろい世界にせまったら・・・、ヘーゲルの博学的意識は、どの様な世界認識をひらいていくか、観念論の逆立ちを保留しさえすれば、その客観性は公正さをもつものであり、意識がとらえた内容は注目されるところです。そんなことを感じました。
2018年01月03日
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『寒村自伝』(岩波文庫 1975年刊)を読みました荒畑寒村(1887・明治20年-1981・昭和56年)の自伝を、年末に読みました。荒畑寒村は、日露戦争での『平民新聞』の非戦論に引かれて社会主義に接近したとのこと。戦争をあおる当時の大勢の中で、幸徳秋水や堺利彦などの非戦論の論説に引かれたわけです。「ボル・アナ」論争ということが歴史に出てきますが、荒畑は大杉栄と対立する当事者でもあり、そうした状況が紹介されています。私などが、この中で注目した点ですが、確かに日本の社会主義運動の草創期の貴重な体験が、そこには含まれていると思います。同時に、それがおかしく曲がっていっちゃうんです。一、1922年に創立された日本共産党ですが、1924年に解党決定をしてしまう。荒畑はそれに反対したようですが、残された委員会を代表してソヴエトに行っています。その後、共産党再建の中で、福本主義に反対して、共産党から離れるんですね。その批判には、妥当な点もあると思うんですが、問題は共産党と一線を画した点です。1927年、山川均氏、猪俣津南雄氏らと労農派をつくり、非共産党マルクス主義を主張する。ここには、当時の社会変革が、社会主義革命か民主主義革命かの問題があります。二、戦前の治安維持法は、こうした学者・文筆家の人たちを犯罪視して、取り締まります。1937年「人民戦線事件」で、コミンテルンの思想の影響を受けた疑いで検挙される。この日中戦争ころからは「まさに旗をまき傷をつつみ、秋風星落をうたう敗軍」だったと。この点が、宮本顕治氏たちと社会観の違いになるところですが、それでも、やはり国家権力の弾圧の一人の犠牲者でした。三、ソ連社会の問題についてですが。荒畑の旧知の人たちがほとんど悲惨な最期をとげたのを聞くことにより、「私はスターリン独裁の暗黒政治が決して偶然なものではなく、非合法時代におけるヴォルシェヴキの厳格な中央集権組織、目的のためには手段を択ばない革命的伝統、指導者の命令に対する服従、非民主的な慣行に原因するのではないかと思うようになった。」(P313)早くからソ連がもつ問題を感じていたし、指摘していたと思うんです。しかしそれが、歪みを正す立場ではなくて、その社会的な組織の存在そのものに原因を見るといった問題に変化していった。荒畑氏は、ある点までは正しい点があると思うんですが、批判の立場から否定論に変わっていってしまうようです。こうなると、将来への展望が見えなくなってしまいます。今でも、同じような問題があると思います。スターリン専制の社会にたいする不信から、そうした原因をレーニンにおいて見ようとしたり、社会主義そのものを疑問視しようとしたりする、そうした歴史を斜めに見てしまう風潮が、ソ連が崩壊した後の今日の事態に、やはり大きくあると思うんですよ。四、こうした荒畑氏がもつ要素が、戦後の社会党のなかでの活動にも現れているとおもいます。まぁ、私などは、それを直接に知る機会はなかったんですが。その共産党に対する見方は、根強い対抗心です。それは、福本主義に対する対抗しての独自の立場をとろうとするかのようです。同じく、やはり非共産党マルクス主義を主張しようとしたんでしょうね。それは、向坂逸郎氏などの道とも重なって来ると思うんです。 その中に、共同戦線の理論もあります。戦後、1946年、山川氏の提唱した「民主人民連盟」、「民主主義革命の完遂のために、あらゆる要素を包含した一大民主戦線をつくるにあたって、山川君の共同戦線論の新しい発展とみられれよう。」(P348)と、共同戦線をすすめようとした点もあります。五、もしも、荒畑氏が、今日に生きて存在していたら、昨今の政治の動きに対して黙ってはいないと思います。戦後の憲法をひっくり返そうとする政治の動きに対して、国家権力の長の動きに対して、「あらゆる要素を包含した一大民主戦線をつくろうとの共同戦線論」の今日版を声を大にして吠えていたと思うんですよ。これまでの行きがかりを越えて、目前の反動に対して、力を合わせようと、主張していたと思うんですよ。 ここには、私たちが直面していることの、歴史的な背景が語られている。こうした感想を感じさせてくれる『寒村自伝』でした。
2018年01月02日
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2017年度のみかん仕事のまとめについて12月31日に、2017年11月・12月の温州みかん収穫をまとめてみました。まだ、全体的なデーターが寄せられていませんから、中間的なものですが。一、温州みかんの収穫量ですが、これは、ア.真鶴園と、イ.早川の市民園、ウ.だんだん園提供の3つからなります。2017年 ア.真鶴園と、 イ.早川の市民園、 ウ.だんだん園提供11月 16.7c 7.5c 16.5c12月 34.5c 6c 24c 合計 51c 13.5c 40.5c 計105c過去と比較すると2016年 41.5c 8c 6c 55.5c2015年 87c - 20c 107c2014年 45.5c - 8c 53.5c この収穫量から見ると、今年は表年だったことが見てとれます。全国的には今年の収穫量が少なかったようですが、真鶴・早川では去年の倍の収穫でした。二、収穫の為の東京-真鶴・小田原間の搬送往復ですが、 収穫期にはいった11月が7回、12月が12回、計19回往復してきました。ちなみに、年間全体での往復は、87回でした。まだ最終的な資料が来ていませんが、 ガソリン代で19万円、高速料で16万円がかかっていて、交通費としては全体で35万円がかかりました。 東京から80キロを隔てたみかんの産地、小田原・真鶴とつながるには、この交通費(搬送費用)にかかる負担の大きいことが、大きな問題なんですね。三、みかんの売り上げの方はどうか。今季から初めてのことでしたが、多摩の団地で朝市が開かれました。当方は2016年12月11日から参加しだしましたが、年間を通して市場が出来たんです。これまでは、温州みかんの11月・12月だけ販売していただけだったんです。去年から、これに市民園からの4月・5月の甘夏の販売が加わりました。それでも、限られた販売期間でしかありませんでした。ところが、今年から定期朝市が、毎月に2回ですが、年間を通して開かれるようになり、当方は、これに参加したのはもちろんですが、それだけではなく、みかんの時期には、ほぼ毎週土曜日に独自の朝市を開いてきました。みかんだけでなく、フキやらミョウガやら、年間を通して早川の農産物を提供してきたんです。これにより、年間全体で、56万円くらいの収入になると思います。もっとも、この売り上げには、生産農家への支払いや、販売のための包装資材の購入など、必要な経費部分もありますから、差額そのものが収入になるわけではないのですが。しかし、少なくとも、大きな比重を占める交通費ですが、これは収入から賄えました。これは、大きな画期的な成果です。大きな出来事なんですね。以上が、今回の中間的まとめの概要です。数字というのは、みかん仕事の現実的な姿を具体的にしめしてくれます。みかんは今年は裏年ですから、今年のようにはいかないんですが。それでもこれは、新たな年への、ある程度の見通しを示してくれています。多摩の消費者と早川の生産農家が、協力し合い結びつく可能性を示しています。
2018年01月01日
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