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みかんの苗木の植え付け去年、みかん園の周辺の雑木林を切り開きましたが、そこに今年は、みかんの苗木を植えてきています。今日も、知人が苗木3本を提供してくれることになっています。すでにこの間に、何本かは植付したんですが。苗木の植え付けは、この時期なんですね。雑草の生育と同じく、春雨を受けて、苗木も定着しやすくなる時期なんです。周りを見ると、みかん園の荒廃化が進む一方で、他方では、新たな苗木の植え付けが努力されていることが分かります。耕地面積の3割くらいが放任化されているそうです。今の政治・社会の縮図が、ここ小田原のみかん園にもあるわけです。雑木林を切り開いたら、コンクリートの水槽が出てきたんです。ようするに、元はここもみかん畑だったわけで、それが復活したというわけです。貯水槽の中には、大きなカエルが住んでいました。今も住んでいます。正面に雑木林がありますが、去年の3月までは、切り開いたところもあのような状態だったんです。人を寄せ付けず、イノシシのねぐら、生活圏になっちゃっているんです。こうして切り開くと、イノシシも出てきにくくなって、この範囲での動きは止まりました。ようするに、イノシシの被害が多くなるというのは、農家の人たちの高齢化により、人の生活圏が手薄になっていることの裏返しなんです。この農政の現状が根本原因なんです。だれも、その問題はわかってはいるんですが、だれもが分かってはいても、問題に正面から光をあてようとしません。政治の批判問題に直結しているからです。グダグダ言ってても始まりません。待っていても変わりません。ひどくなっていくだけです。それならいまをいきるものの、個人にできる努力ですが、たとえドン・キホーテ的であったとしても、人の務めを果たすということです。
2021年03月30日
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ヘーゲル『大論理学』の学習4 序論について何故、ヘーゲルの『大論理学』を学習するのか? 名にしおうドイツ古典哲学の巨匠-ヘーゲル、その主著ともいえる『大論理学』ですが。いろいろな解説書でわかったような気になって済ましてしまうんではなくて、ヘーゲルの著作そものにあたって吟味してみようということです。いったい、ここでどのような新たな思想を提起しているのか。岩波書店刊行のヘーゲル全集の『大論理学』6a巻、武市健人訳で読んでいます。4回目の今回は、『大論理学』の「序論」です。「序論」は、「論理学の一般的概念」と「一般的区分」からなっていますが、P25-54の30ページ分、節に番号を付けるようにしてますが、全体で50節あります。一、ヘーゲルは、初めに「序論」を学ぶにあたって、基本的な注意しています。第2節 論理学の対象は思惟だけど、その概念は論理学の展開の中で生み出される。だから、この序論ではあらかじめいえるのは、論理学の概念を基礎づけるとか、論理学の内容や方法を確立することが目的ではなくて、論理と歴史的な面から説明と反省をくわえて、論理学を考察する観点を明らかにしておこうとするものだ、と。〈つまり、論理学を考察するのに大切と思われる一般的な観点を述べているだけで、主要な中身は本論を展開していく中ではっきりとしてくるもので、論理学についての中身、論点を述べているわけではないので、そのつもりで気軽に読んでほしいということです〉二、では、ヘーゲルは「序論」で、どの様な観点を述べているのか?いくつか箇条書ですが、含まれている観点です。私などは十分に理解をしているわけではないんですが。1、これまでの、ヘーゲル以前の論理学に対する批評、問題点が指摘されています。論理学は内容を問題にせず、思考の方法のみを扱ってきた。アリストテレスの論理学からそうだったけど、その点をどの様に発展させるか問われていると。2、素朴な形而上学にたいして、近代の理性による批判、カントの批判が行われた。カントの物自体は、あるけれど認識できないとの思想について。一見して古い形而上学からの後退だけど、ここには理性の真の概念にいたる偉大な否定のあゆみがある。フヒィテはカントの二元論を克服しようとしたが、強い主観主義にはまりこんだと。3、以上からして、新しい論理学は、精神現象論の一歩一歩の絶対知にいたる、存在と思考の一致にいたる真理。思考の法則、思考形式を純粋な形で意識化したもの。4、カントの論理学はアリストテレス以降一歩も前進せずとの評価。2000年の学術の内容の進展がどのよう生かすべきなのか。これがないから論理学は軽蔑されている。5、純粋の思惟形式は、これまでのところ固有の方法は発見されていない。方法は、その内容の内的自己運動の形式についての意識だ。(この第28節には、レーニンが「全体が弁証法の説明」になっていると、注目し、評価した表現がある)6、弁証法をカントは取り上げた。それはカントの功績なんだけど、もっと違った一段と高い位置づけを与えなければならない。否定的な中に肯定的なものをとらえる。自然と精神の全構造の魂として躍動する方法としての弁証法。7、論理学を単独に学ぼうとする場合と、他の諸科学の知識を持って学ぶ場合とでは、理解の仕方が大人と子供の様に違ってくる。論理学の体系は「影の国」であり、あらゆる感性的な具体的形態から離された、純粋な本質性の世界でいる。感性的な具体的形態の必然的発展を捕えれるようになる。8、第46節では、注のなかで再びカントの物自体について分析し、評価しています。カント哲学は近世ドイツ哲学の出発点となった、と。私などには、この箇条書き的書き抜きは、認識できていませんが、それでも教科書的なヘーゲル解説によっては、ざるで水をすくうように見逃してしまっている大事な宝が、そこにはあると思っています。ここだけで、白黒の明確な理解や判断が出来るわけではないんですが、こうした中身や意味をもっている『大論理学』だということです。三、私の「序論」の学習方法ですが、あくまで、ヘーゲルの原典を中心にしていますが、一つはレーニンの『哲学ノート』を並行して読んでいます。レーニンの『哲学ノート』(第38巻)には、「ヘーゲル「大論理学』の摘要」があります。レーニンは『大論理学』から弁証法を学びとろうとしているんですが、丹念な書き抜きをして、ところどころにコメントを残しているんですね。それは、たいへん意識的な読み方をしていて、私などにはヘーゲルのゴチャゴチャした難解な原文ですが、それを読み解いていく上で、問題点がみえて、参考になっています。レーニンは、この「序論」で、私流に数えると、29か所の書き抜きをしています。もう一つは、ヘーゲルの『小論理学』(岩波文庫)と『1831年の論理学講義』(文理閣)です。『大論理学』の「序論」にあたる部分ですが、同じ意図ですが、別のちがった角度から述べています。『小論理学』には「予備概念」P95-258(164ページ分)、『論理学講義』には「序論」P3-102(100ページ分)の説明が残されています。私は「講義」が学生向けに一番分かりやすく語っているかと思っていたんですが、必ずしもそうではないんですね。口頭でわかりやすく説明しようとしてことは間違いないんですが、いわば速記録ですから、聞く分にはわかりやすいんですが、意識的な正確さでは逆に荒さの問題をきたす。逆にこの講義のテキストになっている『小論理学』の「予備概念」の方が説明としてはすぐれているように思います。併せ読むことで、気軽な口頭での講義の中身・意味が、よく理解されてくるとの面もあるんですね。しかし、まずは『大論理学』の「序論」そのものの理解が基本です。次回は、『論理学講義』と『小論理学』の、『大論理学』の「序論」にあたる部分を学習してみたいと思います。『小論理学』の「予備概念」と『論理学講義』の「序論」ですが。どこが「序論」重なっていて、それとは別のどんな独特の説明をしているのか、確かめてみたいのですが。果たしてできるかどうか。
2021年03月28日
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永山団地の朝市、2日目多摩ニュータウン・永山・諏訪団地の開設50周年、朝市の二日目です。本来ならば、これはかなりの賑わいがあるはずなんですが、コロナの影響と、雨が降りだしそうな天候により、祭りとはいえ閑散とした状況です。昨日、山のようにみかんを運んできたこともあり、2日目の朝市に出かけました。しかし、大方は昨日のうちにその大半が販売されていて、残っていたのは、ネーブル22袋と三宝柑12袋、金柑5袋だけでした。天候は下り坂で、午後からは雨が降るとのこと。時たま、雨がぱらつくこともあり、途中でお店をアーケードの下に移しました。午前9時ということもあり、商店会は閑散として人の気配はなし。一応、これでもお祭りなんですけど。例年であれば、それこそ大勢の人たちが、団地の祭りを楽しんでいたんですが。去年、今年と、様相は静かなものとかわりました。それでも、閑散のなかに一つくらいは、寅さん販売があってもいいじゃないですか。しかし、こうなると、いつまでお客さんを待っていたって、時間の無駄です。そこで販売パターンを変えました。電話で、あちこちのみかん好きの人たちから、注文というか、押し売りというか、注文を取るようにして、それぞれのお宅に届けるように、切り替えました。それで、三分の一くらいはなくなりましたから、あとの残りは、無人販売にするということで、ほぼ完売できる目途がついたので、あとは託して、注文を宅配して帰ってきました。
2021年03月28日
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祭りの前座朝市3月27日(土)の朝市は、永山団地の入居50周年の記念企画と重なりました。お昼頃からは、いろいろな企画が予定されているようでした。当方は、毎週恒例で、午前9時から11時までの朝市でしたが、今回はいつもの静かさとは、少し違って、時間とともになにやら企画の準備が始まりだしました。そうした中での、いわばお祭りの前座のような朝市となりました。小田原から搬送してきた柑橘類は、いつも以上の多彩な種類と、大量のみかんを持ち込んで、並べました。これは、朝一番の午前8時半ころの様子ですが。いつもと同じように、商店会の朝はいたって静かだったんです。こんなにみかんを持ち込んで大丈夫かな・・・とも思ったんですが。時間がたつとともに、あちこちから人が出て来るようになり、午前11時ころには、半分くらいは売れていました。当方は連投の作業が続いてきましたか、少し休まないと体がもちませんから、午前11時ころには、後を知人に託して引き上げてきたんですが。そのころは記念事業はまだ準備の最中で、お昼くらいから、何やらいろいろな企画が始まるとのことでした。
2021年03月27日
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みかん仕事-野焼と施肥みかん園の手入れは、今は楽屋裏の仕事になっています。店頭のみかんしか頭にない消費者には知ることのない、みかん農家の裏方の下仕事です。今回の仕事ですが、先ずは野焼きです。枯れた木の伐根した株と、剪定ででた切り枝ですが、これらを野焼きしました。伐根株は太いですから、燃え尽きるまで長時間かかりますから、朝のうちに燃やしはじめて、昼くらいには峠を越してないと、危険なんですね。栃木の方でしたか、山火事が大問題になりましたが、他人ごとではないんです。今は春で、一雨ごとに雑草が繁茂してきますから、草が枯草を覆いだしてますから、枯野に燃え広がるようなことはないとは思いますが。しかし、春雨のこの時期、雑草の繁茂というのはすごいものです。みかん園は、3月は元肥を撒く時期なんですが。ただ撒いていては、雑草に肥料をやるような羽目になっちゃいます。施肥をする前に、雑草の草取りで、一勝負しなければにりません。樹冠の下に根がありますから、根元をちょこっと草取りしただけでは、意味がないんです。しかし、成木の樹冠下の草取りというのは、これはたいへんな大仕事になります。根を傷めないようにするために、いつくばっての草取り仕事になるわけです。1,2本の木ならまだしもですが、みかん農家は100本以上もの木を相手にしているわけですから、これを短期間に草取り・施肥するのは、消費者の知らない苦労なんですね。これを中・晩柑橘を収穫するのと並行して進めなければならないわけです。大変な大仕事です。当方は、それともう一つ、ミツバチの待ち箱の手入れをしました。主のミツバチのいない巣箱ですが。去年の台風で巣箱がなぎ倒されて、ミツバチがどこかえ逃げていってしまいました。それとみかん仕事に追われていた間に、スムシとスズメバチにかき回されてしまいました。従って、主がいなくなってしまった巣箱ですが、この間は、いろいろな虫の冬場の宿となっていましたから、万が一、ミツバチが巣の候補地と見立ててもらうためには、中の掃除が必要だったんですね。いよいよ春ですから、先送りして来ていたんですが、今回こそはと巣箱の掃除をしました。最近は、分蜂群が待ち箱に入るという可能性はたいへん少ないんですが、それでも、入居してくれることの期待を込めて、巣箱の掃除しておきました。
2021年03月26日
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永山団地の50年当方は、土曜日に多摩の永山団地の商店会でみかんの朝市をしています。今回、何やらいつもとは違った看板が出ていました。多摩ニュータウンの永山・諏訪団地ができて50周年なんだそうです。コロナ問題もあり、静かな中ですが、この3月27・28日には記念の催しがあるようです。商店会の通りには、永山団地50年の歴史をしめす写真が紹介されています。「赤土の街から、緑のまちに」自然になったわけではなく、全国の各地からやってきた居住者でしたが、知らないものどおしが、住みよいまちづくりのために、力を合わせてきた50年なんですね。多摩丘陵の自然を、都心から離れたここで、大きく宅地造成したんですね。1971年3月26日に入居が開始されたようです。まだ建設途中ですが、赤土の土埃のまう中を、若い入居する人たちが荷物をはこんでいます。団地の商店会は、本屋さんあり、電気屋さんあり、お寿司屋さんあり、八百屋さんあり、コインランドリーあり、肉屋さん・魚屋さんあり、・・、それこそ生活のすべてに、個々の商店がならんでいて、賑やかだったんですね。そして、50年後の今日です。こけらの写真パネルが、アーケードの柱に展示されているのが分かるでしょうか。木もおおきくなり、静かな緑豊かな、落ち着いた街になりました。30歳で入居した人は、80歳になったわけですから、街が高齢化したのも、自然の時の流れです。この50年間、その時代と、時々の課題に、街を住みよくするために、居住者はそれこそ様々な努力を重ねてきたし、今も、今なりに、その努力がつづけられています。3月27日(土)ですが、この50周年記念に花をそえるべく、わたしも、小田原・真鶴から、いつも以上に柑橘類を搬送してくることにしましょう。
2021年03月23日
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ヘーゲル『大論理学』学習ノート3 第二版の序文今回は、『大論理学』の第二版序文です。第二版の序文は、全体で16ページ、9節あります。ヘーゲルの『大論理学』には、二つの序文がついています。一つは1812年3月22日付の第一版の序文と、二つ目は1831年11月7日付の第二版序文です。今回の第二版の序文というのは、ヘーゲルがコレラに感染して亡くなったのが1831年11月13日だそうですから、死去するわずか6日前に書かれたものです。絶筆となったかもしれません。この『大論理学』は、初版が出されてから1812年から、亡くなるまでの19年間に、何度も大学で講義しているし、それだけ研究を重ねてきた著作なんですね。簡単に知ろうなんておこがましいんですね。一、この序文のはじめの部分で、ヘーゲルは第二版を刊行した理由をかいています。冒頭の部分ですが、第1節 「この論理学を新たに改定しようと思い立ったのは、対象そのものの難しさのみならず、その叙述の難解、殊にこの第一巻の第一版のもつ不完全さを強く意識したからである。その後長年にわたって、この不完全さを取り除こうと努力してこの学を研究してみた後に、いま私はやはり読者に寛恕(おおめにみる)を乞わなければならないことを感じる」(P7)、と。私は、これまでも何回か挑戦しようとしたんですが、この本の難解さの前に途中で挫折してきてるんです。私などが、そう簡単に読めるものでも、理解できるものでないとおもっているんですが。だけどヘーゲルのこの部分を読んで、幾分安心しました。こうしたことをヘーゲル自身が自分の「叙述の難解」なことを自覚しているんですね。改善する必要を感じていたと言っているわけですから、何かホットしてきます。理解力の不足との主体の問題だけでなく、対象の困難さなど、いろいろな難しさがあるとヘーゲル自身が言っているんですから。しかし、それは慰めにはなりません。依然として困難な対象として前にあるんですから。いくら改善した第二版だといっても、やはりそれでも難しいこの大著ですから。二、この第二版の序文のもつ役目・意図ですが。この序文の役目について、ヘーゲルは始めの部分で言ってます。第3節 「知られているからといって、必ずしも認識されているとはかぎらない。言葉の中に出て来る思惟規定はよく知られているんだけど、この熟知のものから出発する認識の行程に関して、この自然的思惟に対する学的思惟の関係にかんして、一般的な契機を指摘しておくところにこそ、この序言の役目がある。序論と併せてみてもらうべく、その学問にはいる前に、その一般的観念を述べておく」と(P10)。本体を理解する上で、その一般的な観念を述べておく、そこにこの序論の役目があると指摘しています。これから学ぼうとする人たちのために、あらかじめ「序論」と「序論」と併せて読んでおくことで、これから論理学の本論を理解してゆくために、この一般的な観念を知っておいてもらいたい。これがその理解の助けになるはずだ、といっているわけです。ヘーゲルの著作には『哲学史』でも『歴史哲学』でも、初めに序論があります。本論の理解をしやすくするために、全体をとおしての大事な一般的な観念を、あらかじめ「序論」として、本論の前に述べるようにしているんですね。この『大論理学』でも、同じように本論の理解をうながすためにアドバイスをしてくれているんですね。三、では、第二版の序文で説かれている論理学の一般的な観念というのは何か。これを紹介するというのが、これがまたなかなか難しいんです。いくつか拾いだしてみました。1、第1節 これまでの論理学は、思弁的な面にふれることなく、浅薄皮相なことが機械的に漫然と繰り返されてきただけだった。思想の必然的な展開面から叙述されるということは、新しい仕事だった。2、第4節 日常、人は思惟形式、言葉をもって考え、ものごとをとらえているが。最初は思惟形式ということを意識していない。意識してもそれは手段とみなされ、意識は対象に依存するものとされ、思惟規定にいかなる内容規定の能力を認めてなかった。このため人間は主人公として思惟形式を使うのではなく、反対にそれに使われる・奉仕するような意識をもつことになっていた。こうした歴史の流れのなかで、ヘーゲルは問います-「どうしたら、こうした事態を変えれて、人が主人公になれるのか?」と。自由の問題ですね。ここには、人は認識をどの様に深めていくかの問題が関係してきます。それに関連して、カントの物自体の考えへの批判が述べられています。それはが抽象的な形式的であり、内容を切り離す壁になっているとの批判が述べられています。3、第6節 形式論理学については、それがまったくダメということでなく、妥当する範囲がある、と。4、第7節 論理学も外的な形式だけでなく内容を取り入れること。内容を論理的考察の中にいれるとともに、その対象というのは物ではなくて事柄であり、すなわち概念である、と。5、第8節 いかなる対象の叙述も、その必然性にもとづいて行われる思惟の展開の叙述、内的な彫塑でなければならない。始元が大事だとの問題。「根本的態度としては、論理学の全構造の根底にある始元を真っ先に考究しておくことが必要であるように思われる」「思惟が彫塑的態度を身につけ、空想と想いつきに走る反省の焦燥を克服するための思惟の陶冶と訓練は、ただ前進することによってのみ、即ち全展開を学習することと、全展開を産出し実現することによってのみ得られる」こうしたことをふくめて、この序文にはいろいろなことの解説がされています。ただ、問題は、これらのことは、この序文だけで事柄の決定的な理解ができるといったものではなくて、あくまで「序論」と併せて、これからの本論を理解していく上での、予行練習的なものであり、一般的な事柄を示唆したものだということです。たとえそこに分からないことがいろいろあったとしても、ここでつまずいちゃだめだということです。本論へのヒントであり、私たちはまだその本論を読んでないわけですから。これまでのつまづきからして、私などはそんな感想がわいてきます。四、私などの学習の仕方ですが、1、読み方の基本は、ヘーゲルの原本そのものを中心にして、理解しようとしています。節を確認して、そこでヘーゲルは何を言いたいのか、ある程度でもつかんでおくこと。たしかに、今の出版物にはヘーゲルについてのたくさんの解説書がだされています。そこにはいろいろ勝手な、様々な解釈がだされています。しかし、その解釈論は沢山あっても、原本そのものを真摯に探究している努力というのは、それほど多くないんです。自分勝手な解釈や教科書風なものは、それこそ沢山あるんですが。大事なことは、人はいざ自分自身は、原典そのものを理解しようとする点に軸に置くことが大切だと思っています。2、レーニンの『哲学ノート』の「論理学の摘要」ですが、引き続き参考にさせてもらっています。これは原本そのものを探っている貴重な努力なんです。この第二版序文についても、私流に数えると、レーニンは24か所の書き抜きをしていて、そこにいくつかのコメントを残しています。それはレーニンが『大論理学』をどの様に読んだのか、私などが難解な本文を理解していく上で大事なヒントになります。3、前回の「ノート2」以降で、面白い本を一冊みつけました。見田石介『ヘーゲル大論理学研究』(大月書店 1979年刊行)です。見田石介(1906-1975.8.9)という人ですが、戦前からの気骨ある哲学者とのこと。その彼が1973年春から1975年夏にかけて、晩年に、ヘーゲル大論理学研究会の学習会で、47回にわたって『大論理学』について語ったものだそうです。それで膨大な量の記録が残された。それを編集してまとめたものがこの本だそうです。哲学専門の研究者たちの学習会ですから、今日の多岐な専門的な問題が語られています。私など素人としては、猫に小判で、ほとんど「話」として聞くくらいなんですが。この本は、あくまで『大論理学』の原本を理解するという点に限定して、参考にさせてもらいます。4、今回の第二版序文が書かれたころ(1831年)に、実際にヘーゲルがおこなった『論理学講義』の記録がのこされていました。それが、『論理学講義 ベルリン大学1831年』(カール・ヘーゲル筆記 文理閣 2010年刊行)です。ヘーゲルの息子さんが、18歳の時に、父の講義を聞いて記録を残していたんですね。著作としての『大論理学』はヘーゲルの意識的な作品ですが。同じものを活字によるものとはまた違って、実際の講義での語りかけですから、学生が理解しやすいように配慮されて、分かりやすさがあるんじゃないかと期待しているんですが。まだ読んではいませんが、今後の「序論」以降の学習に参考にしていきます。以上で二つの序文は修了です。次回は、「序論」です。
2021年03月21日
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苗木の植付け後の雨3月21日(日)、今日は関東も、久しぶりにまとまった雨があっています。一般的には、じとじとした雨降りより、晴れた天候の方がよいのですが。みかんの苗木を植え付けした後としては、この雨は自然の恵みです。3月17日、18日、19日と、この雨が降る前に、みかん農夫は小田原・石垣山のみかん園で、苗木の植付けと施肥をしてきました。写真はその時のものですが。もともとこの地は、正面に見える雑木林の状態だったんです。山林を切り拓くために、東京からチェーンソウや伐根機をもって知人が来てくれました。また、当地のみかん農家の知人が、重機を使って苗木を植付けるための穴を20か所掘ってくれました。伐根した後にも、植付用の穴掘りをしたときに、また木の根がでてきました。左側に積まれているのは、その根の一部分です。そうした昨年来の経過もあって、この3月17-18日には、20本の苗木を植え付けることが出来ました。大津2本、早生みかん13本、甘夏5本の内訳でしたが。こうして、新たなみかん園が出来つつあります。そして、もう一つは、既存のみかんの木への元肥の施肥を、3月17日、18日、19日と撒いてきました。みかん畑は、厚さ5センチくらいの雑草の根の絨毯が、地表をおおっています。ただ肥料を撒いただけでは、雑草に肥料をやるようなもので、その下にあるみかんの木の根まではとどきません。施肥する前に、樹冠下の雑草の根をはぎ取らなければならないんですね。これらの木々の葉は黄緑色です。木々が肥料が不足していることを訴えていました。しかし、みかん畑の全体では、木の本数が100本くらいと多いですから、丁寧に全部の草取りしているような時間はありません。また、そんな体力もありません。それで、大きな成木については、大相撲の土俵入りの塩まきではありませんが、とにかく樹冠下あたりに肥料を撒く、草刈りと中耕は今後の作業として、全面を施肥するには、そのように限定せざるをえませんでした。しかしまだ、それも出来てない真鶴園の部分もあるわけです。そして、その後に今回のまとまった雨が降ったわけです。みかんの苗木が定着するには、水が大切です。もしも、雨が降らなければ、バケツで水を運んで撒かなければならないところでした。そうなると、水を運ぶというのは、それはそれで大変な作業になります。しかし、そこへ今回の「恵みの雨」でした。人力で水を撒くのは大変な労力をもとめられたところを、自然の力が、いとも難なく果たしてくれました。やれやれと言ったところですが、しかし、今度はこの雨で、眠りから覚めた雑草の繁茂がいっせいに始まりだします。これから、3-4月のみかん園ですが、中・晩柑橘(湘南ゴールド、金柑、日向夏、甘夏)などの収穫もありますが、その一方では、片や草取り施肥・そのあとの中耕、もう片方では草刈り機のエンジンをうならすと、一年間のみかんの手入れ作業ですが、いよいよ始まりだしたということです。
2021年03月21日
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3月20日の団地朝市今回も、団地の朝市は順調に終了しました。今回の中心は、ネーブルとキンカンでした。ネーブルは、この時期の柑橘としては、ジューシーで大変美味しいんです。味見をしてもらうと、すぐに納得していただけます。今回は、湘南ゴールドとレモンも持ってきたんですが、予約者だけで、すぐになくなってしまいました。湘南ゴールドについては、多摩の団地でも、すこしずつその味と名前が知られてきたようです。今回は5袋をもってきたんですが、すぐに予約品として抑えられちゃいました。以前は「この小さいのは何か」「酸っぱいのか?」といった質問もあったんですが、最近では、店開きしたとたんに、サッとなくなってしまい、『湘南ゴールドは、ないの?』と、次回に持ってきてと、予約していく人も出てくるようになっています。湘南ゴールドは、神奈川県の特産品になっていますが、今年は成熟しだすのが早かったようで、小田原・早川の農家の収穫・出荷はすでに終わっています。当方は真鶴に小さな木が2本あったために、提供することが出来るんですが、まだその木は小さいために、大量には提供することが出来ないんですね。ということで、今回の団地朝市も、無事に終了することが木偶ました。
2021年03月20日
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みかんの苗木の植付けと元肥施肥作業の基本は先週と変わらず、苗木の植付けと元肥の施肥です。違うのは、前回は着手しだしたところでしたが、今回は全体の半分まですすめれたことです。先ずは、みかんの苗木の植え付けですが、前回は、農協に注文してあった宮川早生と甘夏の苗木の、計10本の苗木が到着したので、その苗木を植え付けたのですが。今回は、それ以外の品種の早生みかんの苗木が到着したので、その苗木の植え付けをしました。計20本の苗木を植え付けました。みかん畑の周辺の原野を切り開いて、元の様にみかん畑にしようとしているんですが、草木を切っただけではだめなんですね。厚さ5センチくらいの雑草の根が、じゅうたんの様に地表をおおっているんです。草木の根を伐根したあとに、その雑草の絨毯を剥がさないことには、肝腎の苗木の生育というのは危ういんですね。知人のアドバイスで、重機を入れたんですが、植え付け用に60センチくらいの穴を掘って、その底に堆肥をしきました。ただ苗木を植えればよい、というものではないんですね。また、これをシャベルの手作業で掘ってたら、1か所を掘るだけでも大変ですから、30本の苗木の植え付けは、大変な大仕事になるところでした。「苗木を植えよう」-思うのはいともたやすいのですが、それを具体的に一歩踏み出すとなると、とてつもない大変な苦労が出て来るんですね。今回は、重機の力を借りることが出来きたんですが、だいたい昔の人はこれをすべて人力でおこなったんですから、とてつもない苦労がもとめられたし、それによって、今あるみかん畑はつくられたんだということです。これを粗末にする農政は、なんとしたことでしょう。今回、私などは、畑を拓いて苗木を30本を植付ようとしたんですが、苗木が到着して分かったことには、苗木の一部は、注文生産だそうで、今年の注文は来年にならないと到着しないんだそうです。したがって、そのうちの10本の植え付けは、来年の植え付け作業に繰り延べられました。そんなことは、知らなかったんですが。仕方ありません。棚上げされて残念だという気持ちと、やれやれ助かったという気持ちが、交差しています。しかし、今は、植え付けることのできる苗木を、しっかりと植え付けること、それしかありません。そして、今回で、可能な植え付けは、主要な部分は終了したということです。まだ数本の、遅れて到着する苗木はありますが、とにかく、今年の植付作業の主要な作業は、これで終了です。だいぶみかん畑らしくなってきました。さて、今回のもう一つの作業は、元肥の施肥でした。この3月は、元肥を施肥する時期でもあるんですね。次のみかん畑の写真を見ていただくとわかるかと思いますが。左側の方の木は濃緑色ですが、右側の方は黄緑色になっています。みかんの木は常緑樹ですから、本来の状態ならば濃緑色が普通の畑なんです。黄緑色の木というのは、農家の人の見立てでは、肥料不足で木がくたびれているということです。じつは、この黄緑色部分の畑が、当方が手入れをしている畑なんですね。木が、ちゃんと手入れの具合がどうか、葉の色でアピールしているんです。やはり、ちゃんと肥料など、木の手当てをしないと、収穫ができたことで喜んでいるだけじゃダメなんですね。木はその葉の色によって、自らの体調や要求のほどを示しているんですね。それが分かると、いくら何でも、そのままには見捨ててはおけないじゃないですか。成木もそうですが、植えて数年の苗木だともっと深刻で、枯れてしまうことも多々あるんです。じっさいにこの畑の中で、数本の小木が、ここにきて枯れてしまったんです。やはり収穫を続けるには、肥料を与えることが大事だということです。それで今回、本格的に、木にとってはも私から初めての肥料が提起されるところとなりました。施肥は、成木にたいしするとともに、小木については木の周りの草取りをしてから施肥をしました。小木の場合、単にそのまま施肥をしたのでは、雑草に肥料を与えるようなことになり、肝腎のみかんの小木は、より成育の早い雑草に覆いつくされてしまうんですね。地表の5センチくらいは、雑草の根がじゅうたんの様に地表をおおっていますから、せっかく撒いた肥料は、肝腎のみかんの木の根までは、ほとんど届かないんじゃないでしょうか。だから、施肥する前に、木の周りの草取りが大事な作業になってくるんですね。しかしそれは機械で出来る作業ではありません。草刈り機などでは、地表に出ている雑草しか刈り取れませんし、へたをすると雑草を刈るはずみに苗木自体を切っちゃうこともありうるわけです。だから結局は、人が地面にはいつくばって、丁寧に雑草のカーペットを引きつめたような根っこを取り除いてやるしかないんですね。しかし、それにはたいへんな労力と根気が求められるんですね。それは限られた時間と労力の中で、全体を一気に一度に手片付けれるような作業ではないんです。ここしばらくの間は、少なくとも3月の間は、この樹冠下の草取りと元肥の施肥作業が続きます。それは、すぐに結果が出てくるような性格の作業ではないんです。一本一本、つぎの木から次の木へと、単調でヘトヘトにさせられる作業なんすが、しかし美味しいみかんを提供するには、みかんの木が生き生きと果実を実らしてくれるには、これは手の抜けない大事な作業になっているわけです。消費者の人たちは、そんな生産者の苦労などは、知らないでしょうね。農家の人たちが愚痴や文句なと言わずに、美味しいみかんをつくる為に、せっせと勤めている苦労なんて、ほとんど知らないでしょうね。だけど、それによって、美味しいみかんが提供されているわけで、それは大事な現実ですね。
2021年03月19日
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苗木の植え付けと、元肥の施肥今回の小田原行きですが、みかんの苗木の植え付けと元肥の施肥です。これが当方の管理しているみかん園ですが。みかん園を遠くから見てみると、黄緑色の葉の木が目立ちます。周りもみかん園の木は濃緑色なんですが、当方の園は黄緑色です。これは、みかんの木に肥料が不足していることをしめしています。今回は、みかんの木へ元肥を施肥することが、畑仕事の一つです。以前に植えてあった苗木については、前回から、はじめだしているんですが、成木についてはこれからです。なにも雑草に肥料を与えるわけではありませんから、施肥する前には、樹冠の下あたりの雑草の草取りが必要です。この草取りの下準備が大変なんですね。何十本ものみかんの成木の木が、今、この手入れを待っているわけです。もう一つは、新たな苗木の植え付けです。これは去年植えた苗木なんですが、枯れてしまいました。枯れてしまった苗木を抜いて、今回再挑戦しようというわけです。何故苗木が枯れてしまったのか? 思うのに、ほったらかしに原因があります。1つは、水不足があっただろうこと。苗木は根が浅いから水不足に弱いんですね。2つは、肥料をまいたけれど、それにより雑草におおいつくされてしまっていたこと。3つは、チョウチョの幼虫とミカンハモクリの加害により、葉がなくなってしまったこと。この3つの点が原因かと思います。おかげで、1年間を無駄にしてしまいましたが、こんどこそ、いろいろ草刈り等の作業で腰を下ろしちゃうんじゃなくて、それプラス、苗木が順調に育つように、肝心かなめの点に目配せしていくつもりです。まずは、明後日に到着するはずの苗木を、しっかり植え付けするようにします。その上で、中・晩柑橘を出荷することです。一見のどかにみえるみかん農家ですが、実際にはなかなか忙しいんです。
2021年03月16日
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ヘーゲル著『大論理学』学習ノート2 第1版の序文ヘーゲル(1770.8.27-1831.11.13)の『大論理学』の学習を始めました。名にしおうドイツ古典哲学の巨匠・ヘーゲルの著作です。これまでも何回か、この著作に挑戦してきましたが、いずれもその途中で挫折してきました。今回、齢70にして、あらためてこの難関に再挑戦してみようということです。私の哲学学習の発信ですが、この間に、このブログで発信してきたのは、1.マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判によせて』、2.ヘーゲル『歴史哲学講義序論』、3.ヘーゲル『哲学史講義序論』、この3作品を発信してきました。そして今回は、ヘーゲルの『大論理学』です。その動機は、弁証法というものを、近代で最初にとらえたとするヘーゲルですが、その中身については、一般には図式的、教科書的な解説でことが済まされているように感じていたので、それでよいのかと感じてもいたので。この近代の原点ともいえる著作において、自分なりに探ってみようということになっているわけです。教科書的なあまたの解説はいくらでもあるんですよ。しかし、そのきまり文句でリアルな中身が具体的に生き生きととらえれているのか疑問です。それならその大本を調べておくことも、大事な基礎作業になっているのでは、ということなんです。まったく無くはないんですが、この基礎作業をしたあとというのは、なかなか少ないんです。ヘーゲルの『大論理学』については、岩波書店からヘーゲル全集が刊行されていて、その第6巻に武市健人訳がだされていますが、私などはこれで学習しています。私が前回に、この著作に挑戦したのは、1973年10月の学生時代でした。それは今から半世紀も前のこととなりますが。そのときは途中でストップしています。この間の50年ちかくの年月がすぎました。この著作はこれまでは難攻不略の絶壁でしたが、はたして今回はこの峰へ登ぼる力を与えてくれているでしょうか。とにかく、はじめてみましょう。一、さて、今回は、最初の1812年(ニュールンベルグ)の第1版の序文です。文節に番号を付けるようにしていますが、第一版序文は、6ページで9節あります。ヘーゲルはこの著作全体を書いてから、その後で、最後にこの序文を書いています。読んで理解していく上でのポイントについて、全部で9節にわたって書いています。そのポイントの一、二を紹介するとすれば。第七節 根本は哲学的方法の新しい概念を提起している。「それは内的直観のような独断的な断言によるのではなく、外的反省によるいろいろな根拠からの屁理屈(推理)をもちいることもできない。学的な認識において推進力となるものは内容の本性のほかにない。この内容自身の反省こそ、はじめて内容の規定を措定し、産出するものとなる。」P4第八節「精神は単純な存在を否定し、悟性の規定的な区別を措定するが、さらにまたこの区別を解消するもので、弁証法的である。精神はこのような結果として、無の中において肯定的であり、最初の単純な存在を回復する。このような精神の運動、すなわち自分の単純性の中に規定性を生み出す。このような精神の運動こそ、認識の絶対的方法であると同時に、内容そのものの内在的魂である。こういう自分自身を構成する道程においてのみ、哲学が客観的、論証的な学でありうる。意識とは、具体的な、しかも外面性の中に囚われている知識としての精神である。しかし、この対象の進展運動は、あらゆる自然的な、ならびに精神的生命の展開と同様に、まったく純粋本質性の本性にもとづくものである。この純粋本質性こそ論理学の内容をなすのである。」P5こんな言い方で、論理学が問題とする純粋本質性というのは、自然的生命の展開の、また精神的生命の展開のもとになっている。その純粋本質性の自己運動こそ、それらの精神的生命であって、それが論理学を構成している、とヘーゲルは言ってます。これは、論理学-自然-精神の、ヘーゲルの全体的体系の中での位置づけを語っているわけですが。これに対しては、レーニンは、すかさず、『ひっくりかえすこと。論理学と認識論は、自然および精神の全生活の発展、から導き出さねばならない』とコメントしています。(『哲学ノート』P62)二、まだ、最初の序文の、始まりの部分のことですから、不案内なことは多々あると思います。本論を読んではいないわけですから。ここでは、ただ、ヘーゲルがこれから本論を読み進めていく上で、注意しておいてほしい、としてこんなことを強調しているくらいにして、過度に細部にこだわらずに、この先を読みすすんでゆくということでよいかと思います。三、レーニンは『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、これはやはり参考になると思います。この中に『哲学史』や『歴史哲学』とともに、『大論理学』について摘要を残しています。それは、『大論理学』の全体にわたって、150ページくらいもの検討を残しているんです。他の二作に比べて、身の入れ方が違うんです。『大論理学』をたいへん重視していることがうかがえます。そこでのレーニンの問題意識ですが、ヘーゲルの弁証法をとらえること、それをつくりかえること、この一点に集中しています。当時、一人の政治家が、ロシアの一つの政党の党首が、第一次世界大戦がはじまっている渦中のさなかに、この大著について、読み込んで批評するなどということは、すごい努力だと思いませんか。緊張した忙しい政治活動をしている最中でのことですから。科学と政治を両立させようと、一生懸命な努力をしているんですね。しかしこれは、あくまで個人的な学習のノートでして、後々にそれが公に刊行されるなんてことはまったくの想定外だったと思います。だからそこには率直で辛辣な批評や感想もふくまれています。それは今日の私たちなどからしたら、このレーニンの『大論理学』摘要は貴重だと思います。一つの視点として参考になるし、しかも最後の第三巻・第三章の絶対理念まで、全体がこんせつに逐次検討されています。このヘーゲルの古典的大著については、あれこれの解説というのはいろいろあるんですが、この大著の原典そのものにあたって、これだけ吟味しているものというのは、私などが見るのに他にはなかなかないんです。この第1版の序文については、レーニンは7つの点をピックアップしています。レーニンの問題意識が弁証法の問題に限定されている点はありますが、それでも全体を学習していく上で、その検討はたいへん刺激にも参考にもになるんですね。私などは、視点を変えれば、ヘーゲルの叙述には、レーニンの指摘する他にもいろいろ大切な思想を述べていると思うんですが。それは各人が補うようにして、とにかく終わりの部分まで読みすすむうえで、大事な刺激になっています。次回は、ヘーゲル晩年(1831年11月13日 コレラの大流行により死去)の、1831年11月7日付の第二版の序文です。
2021年03月14日
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3月上旬のみかん作業みかん園のもっとも華々しい時、温州みかんの収穫は終わったんですが。中心の温州みかんに比べれば量は少ないんですが、今は中・晩柑橘の収穫に移っています。伊予柑、湘南ゴールド、清見、ネーブル、金柑、日向夏などですが、これらが5月の甘夏までつづいていきます。しかし、みかん園の手入れは、それは表舞台のことでして、それ以外の楽屋裏の諸々間作業が待っています。一、去年に雑木林を切り開いた原野ですが、雑草が繁茂し始める前の今、地中の草木の根を伐根して、新たな苗木を植え付けする準備をしています。これは、3月3日-4日に重機をいれて、地下にある根を伐根して、苗木を植え付けるための準備した時の様子です。竹は、これから新たにみかんの苗木の植え付けようと、その予定した場所をしめしています。次の写真は、真鶴園ですが、この3月10日に、温州みかんの「青島」の苗木をあらたに植え付けした時のもの。隣の防鳥ネットがかぶされている木は、まもなく、この3月下旬に収穫を予定している湘南ゴールドの木です。当方は、この真鶴のみかん園と、小田原・早川のみかん園を手入れしています。次の写真は、小田原・早川の石垣山のみかん園です。豊臣秀吉が小田原攻めでつくった一夜城のある石垣山ですが、農家の人たちが乱開発を規制して、広大なみかん園を守ってきています。この2-3年の間に、みかんの苗木を植え付けているんですが。この時期は、苗木の周りの雑草を除草して、元肥の施肥をする時期になっています。放置しておくと、小さな苗木は、繁茂する雑草におおいつくされて、見えなくなってしまう。せっかく施肥しても、雑草の成長をはげますように事態になりかねません。元肥を施肥する前には、周りの雑草を除草しておくことが必要なんです。この草取りが、これがまた一苦労なんです。次の写真は、その作業を終えた苗木です。これは比較的に順調に生育している木です。葉もしっかり沢山ついています。刈り取った草は、根回りにかぶせるようにしています。刈草は、撒いた肥料を鳥たちに食べられないように、また肥料の一部にもなると思っているからですが。次写真は、苗木の手入れがまずかったものです。葉がほとんどついていません。苗木に葉が無いのには、二つ原因がありまして、一つは、ミカンハモクリが、エカキムシとの言われますが、柔らかい若葉につく虫が、若葉をダメにしてしまうんですね。もう一つは、チョウチョの幼虫です。幼虫はやわらかい若葉が大好きで、ご覧の通り葉を食べつくしていきます。せっかく植えた苗木も、注意して手当てしていかないと、若葉が完全になくなってしまいます。こうなると苗木の生育は、極端に遅くなって成育のやり直しとなりますし、ひどいものは枯れてしまいます。当方は、草刈り仕事に追われていて、注意を怠ったために、せっかく植えた苗木でしたが、その何本も枯らしてしまいました。また、この時期は、成木もふくめての元肥の施肥が必要です。まわりのみかん園の濃緑色の木と比べると、当方の手当てしている木は黄緑色が目立ちます。肥料が不足していることが、葉の色にでているんですね。ここでもまた、雑草に肥料をやるわけではありませんから、施肥する前に草取りが必要です。樹冠の下周りを草取りするというのは、成木ともなると大変に手間になります。それが100本近くもあるとなると、それこそ大変な作業になります。しかし、農家の人たちにとっては、それらはごく当たり前な作業ですから、私などが、ブツブツ、グダクダいったとしても、まったくの問題外です。これらの作業と並行して、中・晩柑橘の収穫があるわけです。消費者の求めに答えて、美味しい柑橘を提供するために、楽屋裏では、農家の人たちの大変な苦労が行われているということです。
2021年03月13日
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雨降る中での朝市3月13日(土)は、東京も朝から雨が降っていて、その中での朝市でした。今日は向きを逆にして、内側向きに品物を並べました。永山団地の商店街には、人の出がほとんど無かったんですが。用意した清見オレンジ、湘南ゴールド、プチマル金柑、レモンなどは、ほとんど売れちゃいました。その他にシイタケ、アシタバ、フキが並べられたんですが、これもほぼ売りきれる見通しが出たので、午前10時10分には、後を託して引き上げてきました。販売には雨天は好ましくないんですが、昨日は、苗木を10本植えて、去年植え付けた苗木14本の草取りと施肥をしてきましたが、これの方は、畑に水が不足しがちでしたから、恵みの雨です。人が苦労して水を撒く仕事が、この天気で自然が水撒きをしてくれています。まだ草取り・施肥で対処できたのみかんの木というのは、全体のごく一部分ですから、これからさらに、その続きをがんばらなければなりません。楽屋裏の難行苦行ですが、さらに続いていきます。
2021年03月13日
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梅の幼果みかん農家の仕事は、あれこれと忙しいので、ついつい見損ないがちなんですが。今、梅の花の散ったこの時期ですが、その後には、梅の幼果が姿を見せだしていました。6月の上旬が青梅で梅酒づくり、そのあとが、熟した梅での梅干づくりとなります。人間社会は、コロナ問題とか、いろいろと変則的ですが、自然の輪廻は、順調かどうかは知りませんが、今年も新鮮な姿を見せてくれています。
2021年03月12日
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哲学42 ヘーゲル『大論理学』ノート1これから、ヘーゲル著『大論理学』に挑戦してみます。岩波書店から武市健人訳で刊行されています。二つの序文序論第一巻有論 57-230+288 490ページ第二巻本質論 277ページ第三巻主観的論理学または概念論 385ページ全体は、1000ページを超える大著です。その書名は誰しも知っていると思いますが、それに挑戦したとか、踏破したとか、そうしたの具体的な努力をしめしたものというのは、私などはあまり見かけないんです。手元には、レーニンの『哲学ノート』と、鰺坂真氏の著書があります。これまで、私などは何回か試みたんですが、途中で投げ出してきました。今日、あらためて、どこまで理解できるか確かめておく必要があると思っています。はっきり「宣言」しておかないと、日々のごたごたの中で、いつのまにか目標が自然消滅していゆく場合がありますから、「今日から『大論理学』に挑戦するぞ」と表明しておきます。時は春、これからみかんの苗木の植え付けや、草刈りの仕事が、わんさと待ってはいるんですが。世の中を転換させていくには、この点での努力が必要だということです。希望としては、誰か同じように挑戦している人、挑戦した人とと、交流できれば幸いなんですが。まぁ、「汝自身の道を行け」ということでしょう。
2021年03月09日
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ヘーゲル『哲学史』の学習当方のヘーゲル『哲学史』の学習ですが、去年の10月27日から始まって、「序論」と第三部第三篇「最新のドイツ哲学」について、ブログで計19回にわたって、その学習を紹介してきました。この『哲学史』は、哲学2600年のあゆみをまとめようとする大著なんですが、その「序論」と「ドイツ哲学」については、今回、読むことが出来ました。ヘーゲルは、哲学の歴史的発展には、論理的な必然的発展があること、現在という最新の到達というものが、何か突然に賢人がつくり出したというものではなく、過去の材料から、その検討から必然的に導き出されたものだということを、「序論」においても、また「むすび」でも、くりかえし強調しています。当方が実際に読めたのは、ドイツ哲学の、カント、フヒィテ、シェリングなんですが。そこにある歴史的・論理的な発展を、ヘーゲルは指摘しています。そのことは、ハイネも『ドイツ古典哲学の本質』で、一般の人たちも理解しやすいよう説明してくれているんですが。そこでの問題には、主観は客観を、精神はその存在を、認識しうるということ。それはどの様な過程(努力)により認識がなされるのか。―こうしたことが問題になっているようです。私などには、それは、一般的な、推察でしか分からないんですが、ヘーゲルの『哲学史』の序論とドイツ哲学を読み通せたのは、一つの前進です。こうしてみると、エンゲルス著『フォイエルバッハ論』も、そうした流れが前提になつているし、その結論に位置しているようです。また鰺坂真著『マルクス主義哲学の源流』ですが、これもまた日本の哲学者が、ドイツ哲学の発展を探ろうとしているものとよみました。なかなか、真摯に原典に当たって論じているものというのは、少ないんですね。それこそたくさんの人がいろいろ書いていますが。ヘーゲル自体に当たって論じている人は少ないんです。だから、私などの努力も必要になっているわけです。これらは、私などには、一度に簡単に全部のことが分かるというものでもありませんから、「読書百ぺん、その意おのずから通じる」といったことではありませんから。今回はここまでとして、少し時を置くようにして、またこの問題を探ってみたいと思います。さて、私などの次のテーマですが、ヘーゲル『論理学』に当たってみたいと思います。もっともこれは、抽象的で一般的な、これまでにも(だいぶ以前に)挑戦しては途中放棄してきた、難攻不落の山なんですが、今回あらめて挑戦してみます。
2021年03月08日
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哲学40 ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』についてドイツの観念論哲学は、カントにしてもフィヒテにしても、ヘーゲルにしても、読みこなすことはなかなか難しいんですが。ハイネがその本質を、社会的な意義を、私たちにも分かりやすく紹介してくれていました。名にしおうドイツ観念論哲学の歴史ですが、ヘーゲルは『哲学史』の最終篇でそれを書いています。自分自身もその当事者であるわけですが。しかし、何しろそこで何を言っているのか、私などにはとらえにくいんです。相手の対象となる人の著作が難渋ですから、それに対する批判も輪をかけて難渋の様に感じさせられちゃうんですね。そうした中で、ハイネのこの『ドイツ古典哲学の本質』は、じつに優れものだということが分かりました。ハイネのこの著作は岩波文庫で出されているんですね。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、このことを紹介してたんで、私なども知りました。「すでに1833年に少なくともひとりの男には見えていたのである。その男の名はほかでもない、ハインリッヒ・ハイネであった」。それは、ドイツ観念論哲学の、「この全発展を完結する体系であるヘーゲル哲学」ということの社会的意味についてであり、難渋な事柄を分かりやすく紹介しているハイネのこの著作をさしてのことだったんですね。一、私などは思うんですが、ヘーゲルにしてもハイネにしても、ドイツの観念論哲学の必然的な発展を、その人なりにとらえています。それをもって、対象のもつ諸々の中身に置き換えることは出来ませんが、しかし本質的な発展をその人なりに、確かにとらえていることはうかがえます。教科書的な理解というのは、そのものに当たらずに、要点を知った気分になれます。だけどそれでは、本質的な、歴史的な論理的発展をとらえることは出来ないんです。レーニンが『哲学ノート』でヘーゲルの著作そのものに当たっている。それは、そこから弁証法というものをよりリアルにとらえようと意図しているとおもいますが。これも当時一般にあった公式的・図式的、教科書的な理解というものを越えようとする、そうした努力の一つだったとおもうんです。要するに、他者の解説したものに、外的な権威にしたがっているだけでは、漠然として沿って合わせているだけでは、自分自身の本当にリアルな確固とした対応ができない、本物にならないということじゃないでしょうか。二、もちろん、ヘーゲルやマルクスが活動した当時と現代では、諸科学の発展は、多岐多様なものとなっています。一人の個人がどんなに一生懸命努力したとしても、それ極めれることというのは限られています。だけど、その人ならでわの、探究や実践とその認識を、最前線の認識を得られるというのも、これも可能性ですが、ありうることだとおもいます。一寸の虫にも五分の魂です。しかしそうした、個人の努力だけでは複雑化した現代にあっては、難しい問題に多々直面させられます。そうした中でも、いろいろな人たちとの社会的な力を合わせることによって、ものごとを前にすすませることができるということも、これもまた日ごろの生活の中で体験していることではないでしょうか。個人的なことになりますが、私などの小田原でみかんの栽培をしているんですが。そこでは今、鳥獣被害が深刻なんですね。それを打開するには、放任化されたまわりの畑の再生・開拓が必要です。しかし、いざそうしたことに足を踏み入れてみると、畑が荒廃してきたのにも具体的歴史的な社会的な背景がありますし、そうした今の現状を打開していくには、自分の力を越えたところの、新たな人との協力によって社会的な知恵と力が発揮されることが必要なんですね。三、ハイネのシェリング論について、その一節を紹介します。「シェリング氏の哲学の道は、絶対的なものを知力で直観しようという試みまで来て終結したようだ。いまやシェリング氏よりも、もっと偉大な思想家があらわれた。その偉大な思想家が自然哲学を完成して、完全な体系をつくりあげ、自然哲学を総合して現象界ぜんたいを説明し、先輩たちの偉大な思想を、より偉大な思想でおぎないつつ、あらゆる科学にじっさいにあてはまめてみて、科学的に基礎づけたのである。その偉大な思想家はシェリングの弟子であった。」と、ヘーゲルを紹介しています。ヘーゲルの体系のもつ逆立ちしている問題は、たいがいのところで指摘されるんですが、もちろんそれが問題なんですが、このカント以来のドイツ古典哲学の発展という点からした場合は、全一的な世界観を提起した点でのヘーゲルの功績も、同時に見ていく必要があると思うんです。四、こうして、ドイツの観念論哲学の歴史的発展には、原理的な問題が提起されていると思うんです。難渋な面もありますが、ヘーゲルの『哲学史』の第三部、第三篇「最新のドイツ哲学」には、そうした問題があると思うんです。まだ、わたしなどには、それは推測でしかないんですが。ドイツ古典哲学の発展の本質には、そしてヘーゲルからマルクスへの歴史には、そうした内容の問題があると思うんです。ハイネは言っています、 「ドイツ哲学は一つの重大な、人類全体の問題である」(P238)まぁ、こうしたことをヒントにして、ヘーゲルの難渋な『哲学史』に挑戦しようと思っています。
2021年03月06日
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朝市は完売です3月6日(土)、多摩の団地のみかん市ですが、人の外出は、それほどなかったんですが。最初のお客さんは、二人づれの若い女性でした。『これはオレンジですか? どこで採れたものですか?』と、たどたどしい日本語だったんで、どこの国の人か?聞いたところ、「チャイナ」ということでした。ネーブルオレンジを試食して、『これは、美味しい』と、3袋を買って行ってくれました。今が旬の柑橘を、一袋300円と安く提供しているせいもあるんですが、試食してくれた人は、ほとんどが買ってくれます。こういうコロナのご時世ですから、試食するのは避ける人もいますが、それでも、『味は分かっている』と、買って行ってくれる人もいます。結局、午前10時過ぎには、ダイダイの一部を除いて、ネーブル、湘南ゴールドを並べたんですが、ともにすべて完売しちゃいました。
2021年03月06日
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畑づくりに重機が、再度入りました前回、2月20日にこの原野に重機が入ったんですが、それは雑木林を切り開いた時に残った太い切り株を抜き取るためのものでした。今回、3月3日‐4日の2日間にわたって、再びその地に重機を入れました。それはみかんの苗木を植え付けするために、20本の苗木を植える穴を掘る為だったんですが。竹の位置が、苗木を植え付け用としている箇所ですが、5メートルの間隔がとられています。しかしその前に、前回の伐根で積み上げられていた切り株を移動しなければなりません。また、起伏のある地形を、ある程度ならす必要もありました。さらに、植え付け場所の周りには太さ6-7センチの切り株や地下茎がいくつも残っていました。実際に植付用の穴を掘るまえに、それ以前に、そのための下準備が大変だったんです。知人がJAから重機を借りてくれて、その機械を操作してくれました。当方は、苗木を取り寄せてそれを植えるだけのことと、軽く考えていたんですが、とんでもなくて、穴を一つ掘るだけでも、切り株一つを引き抜くだけでも、大変な作業だということが分かりました。最後は、農道から畑に車が入れるように、入り口作りです。道と畑との間には30センチくらいの高さの縁石がありました。それが壁となって、畑作業に多くな障害となっていたんですね。今回、その部分にも手をくわえれないかということで。農道の管理者と畑の持ち主と、協力してくれた知人とで、協議してくれました。地権者の要望にそって、どのくらい縁石に手をくわえれるのか、相談してくれました。そのおかげで、なんとか入り口作りでの改善が進みだしました。今でこそ、畑らしくなってきたこの地ですが、去年、2020年の3月時点での様子は、次のような状態だったんです。手のつけようがない山林状態だったんです。イノシシがこの場所から出没して来ていたために、イノシシ柵の外側を開拓しているうちに、みかん畑によみがえらせようということになったわけですが、「開拓」というのは、じつに大変な作業であることを体験させられました。
2021年03月05日
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ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』を再認識今から50年以上も前、小田原での、1968年の高校時代のころのことですが、先輩の何人かが「ハイネはすばらしい」としきりに熱く語りあっていました。当方にとっては、それは全くの猫に小判で、「そんなものなのかなぁ~」程度のだったんですが。それから50年余も時が経過していますが、今回、私も『なるほど、ハイネのドイツ哲学に対する理解はすばらしい』と実感を感じさせられています。もちろん、当時の先輩たちが、ハイネのどこに感心したのか、そのポイントがなんだったのかは、今となっては確かめようがないのですが。この間、当方はヘーゲルの『哲学史』を学習していますが。その最後の第三篇が「最新のドイツ哲学」です。ヘーゲル自身が、カント、フィヒテ、シェリングについて、その歴史的発展がどこにあるかを説いているんですね。ヘーゲルがそこをどの様に見ているのか、注目ですね。他方、このハイネの『ドイツ古典哲学の本質』(1834年)ですが、これは岩波文庫にありますが、その第三巻は「哲学革命」として、同じカント、フィヒテ、シェリングの関連を紹介したものです。当方は、ハイネのこの著作について、この間に2回紹介してきました。1、哲学37 ヘーゲル『哲学史』16 ハイネの描いたヘーゲル | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)2、哲学38 ヘーゲル『哲学史』17 ハイネのとらえたドイツ古典哲学 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回、ハイネのこの著作に対して認識を新たにしました。私などは、当初、ハイネはヘーゲルの講義をじかに聞いていますから、大きくはヘーゲルの主張のコピーくらいの中身かと思っていたんですが、あらためて読んでみると違ってました。もちろんヘーゲルの主張と基本において重なる点もあるんですが、だけどそこにはハイネならでわの作品になっていて、独立した貴重な努力の成果であり、貢献となっていることを感じさせられました。ハイネの「ドイツ哲学」についての紹介は、前回はカントでしたが、今回はフィヒテについてです。一、フィヒテの主著は『知識学』(岩波文庫)ですが、この『知識学』について、哲学者の真下信一氏がこんなこと語っています。「私がまだ昭和のはじめ、京都で学生だったころに、教授からこんなことを聞いたことがありました。古今東西、哲学の書物は数えきれないほどたくさんあるけれども、そのなかで普通によく三大難書がある。アリストテレスの『メタフィジカ』(『形而上学』)、フィヒテの『知識学』、そしてヘーゲルの『精神の現象学』だ、ということを。」(『現代に生きる思想』(新日本新書 P194)ようするに、フィヒテの主著『知識論』は、難しいということですが。私などとしても、学生時代に初めてその本を開いてみて、チンプンカンプンだったんです。それで、本棚の片隅にほったらかしにしてあったんですが。今回、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』の端的な指摘を参考にすると、ヘーゲルの『哲学史』によるフィヒテ論についても、その中心的な論点が見えてくるんですね。さらにハイネとヘーゲル、両者を念頭にすると、古今東西の難書とされるフィヒテの『知識学』についても、その中身と問題点が見えてきそうなんです。どんどんと道が広がってしまうので、『知識学』のそのものについては、今回は検討を保留します。二、ハイネは『ドイツ古典哲学の本質』で、フィヒテについてどの様に論じているか、ですが。岩波文庫のフィヒテについてを節にして区分してみると、P186からP222まで、30節あります。1、第1節 P186 「カントの場合には『純粋理性批判』の1冊をよく研究しさえすればよかったが、フヒィテの場合には、著作だけでなくて、人間そのものが問題になる。フヒィテの場合は思想と情操とが一致して同胞にはたらきかけている。だから彼の性格も、そしてそれに影響している当時の社会情勢も述べねばならない」ハイネは、フィヒテの思想を理解するためには、彼の人となり性格を理解しなければならないし、その時代社会というものを理解しなければならないと提起しています。思想自体とともに、人としての社会的な活動を見なければ、フヒィテという人を理解できない。この見方は唯物史観と近いものと言えると思いますが、ハイネがこれを主張している時点というのは1834年時点ですから、注目されることです。2、第2節、p187 「フィヒテの思想を報告することだけでも、難しい仕事である。」やはり、私だけでなく、だれにとっても、そしてハイネにとっても難題のようです。「はじめはまったくカントの借り物だった。この方法はまもなく、研究の対象の性格がかわるにつれてかわってきた。カントは批判という消極的なことばかりをやっいてた。ところがフィヒテはのちに体系という積極的なものを提示することになった。」「フィヒテの最初の論文はカントのものと思われたほどだった。ところがフヒィテがのちに体系をたてる時には、わがままに構想し始めた。そしてその世界そのものを頭の中で構想してしまうと、こんどはまたわがままに自分の構想を論証し始めた。フヒィテはこの構想と論証とで、いわゆる抽象的情熱をあらわした。彼の哲学体系も講義にも主観的な態度が強まってきた」フヒィテには『主観的態度』の強まりがめだったようです。3、次にハイネによるフヒィテ哲学の総評です。第4節 P189 「フィヒテ哲学は内容そのものからいえば、大した意味は持っていない。それは社会に、何の結果ももたらさなかった。ただフヒィテ哲学がドイツの哲学史上もっとも注目すべき段階の一つであるという点で、またこの哲学が観念論は結局は無効なことを明示したという点で、またこの哲学が今日のドイツの自然哲学への必要な過渡期の産物であるという点で、内容的に多少の興味があるだけである。」多くの人がその哲学に通じようと努力しようとして苦労させられた割には、「大した意味は持っていない」というのが、ハイネの総括的な見方です。4、ハイネは、フィヒテが解決しようとした中心問題は何か、根本問題を指摘しています。第5節 P189 「それは『人間が物についてもっている観念と、人間のそとにある物とか一致するとの仮定するのは、いかなる理由によるのか?』そしてフィヒテはこの疑問に次のような解答をあたえた。『すべての物は、われわれの心のうちにおいてのみ実在している』」と。これは、カントのいう物自体その現象とが、その二元論ですが、フヒィテはすべてはわれわれの心のうちにある、との観念論により一元的に解決しようとしているんですね。ここに中心問題があるということなんです。ヘーゲルの『哲学史』でのフィヒテ論にも、この問題が指摘されています。5、これがハイネが指摘するフィヒテ哲学の歴史的な理論的問題ですが、ハイネは理論問題とともに、フィヒテの社会的な人間像にも光をあてているんです。第10節 P193「フヒィテ哲学はすっかりほろびてしまった。けれども思想家たちは、フィヒテの述べた思想でふるい立っている。フィヒテの言葉が後世にあたえた影響ははかり知れない。経験を超越した観念論そのものは間違いだったとしても、フィヒテの著作のうちには、はれがましい自主独往の精神、自由への愛、男子の品位がそなわっている。これらのものは、ことに青年に有益な影響をおよぼした。」三、このハイネのフヒィテ論の後段ですが、ハイネは日記や手紙の資料をつかって、フヒィテの人柄を明らかにしています。ア、フィヒテの息子さんが残した伝記の中にある父・フヒィテの日記から、カント教授と貧しい学生・フィヒテとの間でのやりとりの様子。イ、ハイネが「フヒィテの生涯でもっとも注目すべき事件」としている「無神論論争」について。枢密顧問官のゲーテの日記に記録されている問題に対するゲーテのとった対応。ハイネは、ゲーテのとった態度について、個人としては汎神論者であり、政治顧問としての立場でもあり、問題の関係を刊行された資料から明らかにしています。ウ、さらに、フィヒテは「無神論」との中傷、反動政治がもたらす思想の自由への抑圧に対して、大学教授の職を辞することになったとしても、それに抗議したこと。ハイネは、この人間的側面が、フヒィテを理解する上で重視しています。フヒィテの「無神論論争」の時点というのは、ハイネがドイツから亡命せざるを得なかった時よりも、それはもっと前のことですが、ハイネは共通の問題としてとらえていて、フヒィテのやむにやまれる民主的正義感に、反動政治に対しての抗議する姿勢にたいして、共感をもってあきらかにしているものとうけとります。ハイネは、1で「思想と情操が一致」していると評価されるところですが。それは、ここにしめされていますが、ほとぼりがさめるまで黙っていれば、苦難が通り過ぎるのを待つような態度でいては、望ましい明日はけっして来ない、というのがフィヒテの1799年5月22日の手紙(P214)ですが、これがその行動のもとにある精神だったんですね。(この政治の反動化から民主主義を守れとするフヒィテの気骨ある態度の側面ですが、鰺坂真著『マルクス主義哲学の源流』(学習の友社刊 1999年)の第8講フヒィテの生涯でも紹介されていました。)こうした問題は、今の日本とっても、日本学術会議の任命拒否の問題ひとつをとっても、けっして他人事ではないとおもいます。今回は、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』にみるフヒィテ論でした。やはり、「ハイネはヘーゲルの本質をとらえていた」とのエンゲルスの見方は得心されるものでした。
2021年03月01日
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