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何気なく交わしていた会話の中の約束を、今更ながら思い出す。約束を守れなかった、と悔やむ気持ちも藤次朗の中にはあるが、兄の言葉で今まで感じていた違和感のようなものがようやく取れた。「兄さん……今ならあなたの言葉がわかるような気がしますよ」 --何かが起ころうとしている。起きている。 自覚をした今ならはっきりとわかった。藤次朗はここ最近、何か言いようのない不安に囚われていたのだ。だから急かされるように、睦月に薦めてしまった。一刻も早く天城家から出し、ここではない何処かへ。その為には全てを手回すには、逃げ道を塞ぎきるには時間が足りなかった。睦月を説得してしまうことが一番早いと判断したのだが。 もっと早く気が付いたならば良かった。そうであるならば、先ほどもっと強引にも誓約を取り付けていたというのに。(兄さん……この感覚をあなたはウンメイと呼んでいたのですか?) 何かが、身体の心の奥底で何かが命じている。何よりも近いもののはずなのに、その何かが必死に、悲鳴の如く何かを叫び伝えようとしている声が聞こえなくて、もどかしい。だが聞こえないはずなのに、突き動かされている。藤次朗という意識には聞こえないが、身体は、細胞は感じ取り勝手に動かされているようだ。 じわり、じわりと全身を浸蝕されていく感覚は、決して気持ちがよいものではない。それを受け入れ、それでも幸せだと笑っていた兄が少々不気味に思えてきさえするほどだ。 亡き兄を思い出すたびに浸蝕が速まる気がし、墓が直視できなくなる。藤次朗は苦い思いを無理矢理喉奥に押し込み、墓を後にするべく足を速めた。 まるで逃げるようだ。そう思いつつも藤次朗は墓を振り返らずに足を忙しなく動かす。これでは先ほど脱兎の如く姿を消した睦月となんら変わりない。 笑顔を残しつつ消えた睦月のことを藤次朗はふと思い返した。(そう言えば……あの娘は、一応笑えてはい、たな…め、ずら し…く? ) 何を、思った? あの娘はいつも見ているこちらが騙されるほどの笑みを浮かべているではないか。なのに何故今更そんな感慨深く思うことがある。 深く考えてはいけない。 直感的にそう思い、藤次朗は頭を振る。何か深みに足を踏み入れかけた気がした。 そうだ、あの子が笑っているなど日常茶飯事なことを疑問に思ったのは、藤次朗自体が家にあまりおらず、会ったとしてもあの全てを覆い隠した完璧な笑みだからなだけだ。妻や息子にあれだけ理不尽な善意の押し付けに似た厚意に、笑えているのがおかしいと思っただけなのだ。 --あの子は、息子に逆らえなくて当然だ。何故なら(何故なら……何だと言うんだ?) 頭がおかしくなりそうだ。 さっさと会議にでも出て、頭を冷やすべきである。 藤次朗はため息を吐き、ようやく墓地を後にした。-----------------字数制限の壁に負けて、二つにわけました……
2007年01月17日
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一際強い風が顔面を叩きつけられ、藤次朗は乱れる髪を整えるために右手を上げ、頭部にあてた。手櫛の容量で髪を梳いている手で、本当は髪をざんばらになるほどかき回してしまい。だがそれではもう一時間もすれば始まる会議に支障がでてしまうので、衝動を理性で押さえ込み、髪を掻き上げるようにして元のオールバックに戻した。 --完璧な笑顔だった。 微笑み去っていった少女を藤次朗は思い出す。 藤次朗でなければ誤魔化されていたほどの、多少顔色が白かったが確かに‘幸福’そうな笑顔であった。だが完璧がゆえに藤次朗にはそれが虚偽の、‘はったり’のものだと気付かせてしまったのだ。それをあの娘は気が付いてはいない。 今頃、誤魔化せたと思っているのだろうだろうか。 --皮肉なものだ。 睦月は気が付いていないに違いない。あの笑顔がまさか生前の父が嘘をつくときの姿と、癖と重なるなど夢にも思っていないはずだ。「私としたことが、失敗をしたな」 多少自嘲気味な笑みが浮かんでしまう。 予想は多少していたが、睦月があそこまで強い拒絶を演じるとは想定外だった。あのような完璧な笑みで大丈夫と言われてしまうと、手が出しにくいことこの上ない。 しかも今回のことで警戒させてしまったであろうことは間違いなかった。睦月はこの話題を避けるために、ひたすら奔走するに違いないのである。それが藤次朗や天城の家を思ってなので、なかなか咎めることさえできやしない。「だからと言い……いつまで甘んじるつもりだ? 正義の玩具であることに。妻の人形であることに。」 ぽつりと落とされた言葉は思いの外深く、重いものだった。 藤次朗は自身の家族にあまり愛着はなかった。妻と自分は家同士の結婚のための駒にすぎなかったのだ。外見は美しく、さすが旧家と言わんばかり品もあるがそれだけであった。そこに愛はなく、冷めているのだろう。妻は藤次朗に尽くすが、それは藤次朗自身に尽くしているのではない。‘自分の夫’である男に尽くしているのだ。藤次朗であろうと、それ以外の人間であろうとそのレッテルさえあればいい。それに気が付いたとき、藤次朗は特に冷めはしなかった。もともと熱がなかったのだ。冷めようがない。毎朝続く、何も変わらない表面上だけの、儀式。それは妻の心に、彼女自身気が付かない寒さを与えていたのかもしれない。 息子の正義は愛されていないわけではないが、愛がある故に生まれた子ではなかった。後継者となる子を成すという、義務にも似た仕事の結果である。血の繋がりはあるので藤次朗も一応気には掛け、妻はあまりかまってくれない夫の分まで息子を溺愛していた。だが不運にも息子は妻よりも藤次朗に似てしまったのであった。困ったことに人付き合いが上手くなく、愛想も良いとは言えない。妻の欲求を満たすには役者不足であった。それ故に妻はだんだんと息子離れをしてしまうこととなり、正義は少々寂しい思いをするはめになったのであった。 そんな中、睦月がやってきた。そして睦月は不運にも正義と妻の理想に沿ってしまったのだ。そこそこ顔立ちが良く、愛想があり、まだ幼く自分たちの色に染めやすい。完璧だった。 二人が睦月に転がり落ちるのは早かったのはいうまでもない。妻は睦月に愛情と理想を押し付け、正義は愛情を注ぐ喜びと愛情を返される喜びを得るために睦月に執着した。妻は理想の娘、つまり“人形”であることを睦月に強要し、正義は正義で理想の自分だけのモノ、つまり“所有物の玩具”であることを望んで、実行すべく様々な制限を睦月に課した。 故に、咎は藤次朗にもあった。藤次朗があまりにも家庭に返り見なかったことも一因だと言える。それ故に犠牲になった娘を哀れに思う。 幼い睦月は、天真爛漫という言葉が似合う少女だった。強面である藤次朗に体当たりのごとく抱きついてき、何が楽しいのか無邪気にケタケタと笑う。頭部と躰のバランスが悪いのか良く転けては大泣きし、次の瞬間には泣きやみ、また走り出していたのを良く覚えている。子供らしく、愛らしい子供だった。 --罪滅ぼしとしては遅かったのかもしれない。だが、ようやく逃がしてやれると思ったのだ 全てをお膳立てした後に、後日恨まれても良いから無理矢理にでも行かせれば良かった。後悔してもすでに時遅しなのだが、そこまでしなければ睦月が動かないとはさすがに思っていなかったのだ。まだまだ幼いと高をくくり、甘く見ていたと言われても仕方がない失態である。(………本当に、高を括っていただけか? 想定外のことだったのか?) 脳裏に一瞬、疑問が過ぎった。 首を緩く左右に振り、あまりにも馬鹿げた疑問を退けようとする。想定外でなければ、何だと言うのだ。断ると知っていたのに、こうなると分かっていたのに事を勧めたというのか。そんなはずはない。分かっていてやったのだとすれば、藤次朗はただ睦月のまだ羽ばたける千切り折ったこととなる。希望をちらつかせつつ、自らの意思で断ったと錯覚させ、絶望に叩き落とすという外道な手段を使ったというのか、己は。 渦巻く思いが喉の奥から溢れ出し、舌に乗る。苦い。藤次朗は幻の苦さを誤魔化し和らげるべく、目を瞑り耐えた。錯覚だ。そう言い聞かせる。 --芳香がした 甘さを含んだような匂いに藤次朗は目を開き、匂いのもとを視線で探し、白い花の山を見つけた。藤次朗自身が捧げた胡蝶蘭の花と、睦月が手向けたカサブランカの花だ。(カサブランカ………確か、威厳・偉大・雄大な愛か) 華道に長けた者と接触のある藤次朗はすぐに花言葉を思い出す。花の容貌といい、花言葉と言い、この重たい墓石の下に眠る二人にぴったりである。睦月のセンスに藤次朗は目を瞠るしかない。妻が睦月に対して唯一匙を投げたのが華道である。あまりにも斬新で前衛的な作品は藤次朗でさえも顔を覆ってしまったほどだ。その睦月がこれほど洒落た花を持ってくるのは意外なことだった。 今はもうない福寿[フクトメ]家、睦月が実の親と幸せに暮らしていた家にはいつも小振りな花を咲かす植物が沢山植えられていた。パンジー、サクラ、キンモクセイ、ウメ、スズラン。いつも何かが花瓶に飾られ家を彩っていた。睦月のために飾られた花々だ。てっきり慣れ親しんだ花を持ってくると、藤次朗は思っていた。だが実際主観的にみても、客観的に考えてみても、確かにあれらは兄と義姉に似合う花ではない。彼らには大輪の花が、そうバラや牡丹、石楠花、百合などがよく似合っていた。カサブランカなど、義姉には特に似合うことだろう。 --これがウンメイってやつなら俺は運命に感謝するけど……同時に恐ぇなとも思うな 芳香が引き金になり、ふと兄の声が藤次朗の脳裏に蘇る。 いつだっただろう。いつも自信に満ちあふれた笑みを浮かべ、闊達な兄が初めて見せた真剣な目だったので、よく覚えていたはずだ。 そうあれは兄と義姉が事故にあい、亡くなる数ヶ月前のことだった。久々に、密やかに兄の家に足を運んだときポツリと兄が呟いたのだ。※『俺はこの子、睦月と生み、育て幸せにするために生まれてきたんだと思う』 ふと耳に入ってきた言葉は微笑ましい割に、何故か固く真剣な声だった。不可思議に思い眉を顰めた藤次朗が兄を見やると、自嘲するようだった。『いきなりどうしたんですか。兄さん』『うん? な~んか、お前には言っとかなきゃならねぇなと思ってな』『娘への惚気をですか?』『………だけならいいんだけどな。けど、違うんだ。そんな軽いものじゃない……俺は断言できちまうんだよ。俺は睦月の父親となるため‘だけ’に生まれてきて、睦月に普遍的な幸せをやることが‘生きる目的’だってな』 兄はイカレテるだろう、と自身を嗤う。何も言えずにいる藤次朗に手をひらひらと振りながら言葉を続けた。『ああ気にすんな。俺自身そう思ってんだから……なぁ、藤次朗。お前、俺らと違って妻との間に愛がなく、妻が哀れだ、って言ったことあったよな? この前ベロベロに酔ったときに、さ』『……忘れてください』『ああ、違う違う、そう言う意味じゃない……あれな、俺らも一緒なんだぜ?』『何をバカなことを……これだけ幸せを絵に描いたような生活をしているのに』『うん? だって、しょうがないだろう。睦月に一般家庭の幸せを与えなきゃならねぇんだ。そういう風な環境を造るさ、俺達は。‘そのためだけ’に俺達は実家も、過去も何もかも捨てたんだからな』 兄が家を飛び出したとき、余程義姉が好きだったのだろう、と思っていた藤次朗からすれば晴天の霹靂だった。呆気に取られている藤次朗を目を細めながら見やるが、兄は無情にも淡々と言葉を続けていく。『そう言やお前にはあいつとの、妻との出会いを話したことなかったっけ? きっかけは何だっけなぁ……ああ、そうだ。サークル関係の飲み会かなんかのときに会った。妻を一目見たとき、思ったよ。“ああ、こいつだ”、ってな。こいつを娶って、子を成して“普通”な幸せを生まれてくる子に与えなくては、と』『一目…惚れにしては、何というか……』『そんなもんじゃねぇよ。恋心なんて今でもないし、抱きたいという欲求も特になかった。欲しいとも思わなかったな。けど、ただ漠然とこいつを娶らなきゃならないと何かが命じたんだ。その当時、惚れてた女がいたんだぜ? なのに心はそっちが欲しいって言ってんのに、躰が言うこと聞かないんでやんの。まぁ、向こう同じようだったけどな。出会ってすぐ求婚した男に対してあっさりと頷いて、あなたの子を孕むべきだと何だか思うのよ、だぜ? ありゃびびった』 絶句するしかない。兄も義姉も何を考えていたんだと叫びたいが、何と言えばいいかわからないのだ。『んで、結婚することになったんだが。俺は香道の名家、あっちは外資系会社の社長令嬢。ここでもおかしなことにな、揉めなかったんだよ。どっちを優先するか、なんてな。二人して顔を見合わせて“捨てるか”、だぜ? これじゃあ普遍的な幸せになりそうもないからっ、て。信じられねぇよなぁ。たったそれだけで、大学をでたばかりのペーペー達が手に手を取って逃げたんだ。けどな、そん時ゃ、今もだが迷いも未練がねぇんだ。どっこにも、微塵も』『それは……やはり、そこまでお互いを想って行動、できるなら。愛し合っている、と言えるのでは?』 少なくとも藤次朗にも、藤次朗の妻にもできないことだ。少々言葉にすると胡散臭いが、やはりそれだけの想いがあったから出来たのではないか。 そんな藤次朗の思いを兄は笑い飛ばした。『まっさか。だって俺達、キスもしたことないぜ? 何度か睦月を産むために身体は重ねたけど、それ以外触れた覚えはない』『に……い、さん』『言ったろ? 多分俺もあいつも、俺らでしか産めない子のためだけにお互いを利用したんだ。そして本能みたいなものでそれが絶対“睦月”だと分かってんたんだよな……で、見事今では誰の思惑通りか、睦月命のバカ親ができあがっちまったんだ。これがウンメイってやつなら俺は運命に感謝するけど……同時に恐ぇなとも思うな。睦月に出会えたことは心底幸せだと思えるからいいが、なんか俺自身の意思を歪められた結果にも思えるときもある。ま、今で 睦月なしの生活なんて考えられないから、歪みが治ったとしても俺は今のように、睦月に全てを捧げる生き方をするんだろうな』『兄さんは……なんで、俺にこんな話を?』『あ? ああ。なんかな、嫌な予感がこの頃するんだ。だからもし俺になんかあったとき、睦月を頼んだぞ、って意味を込めて、言っておこうと思った。こんなに俺達が溺愛しているんだ。不幸にしたら許さないぞ、ってな』『何を不吉なことを……それに信用されてないわけですね、俺は』『お前は信頼してるよ。けどな、なんか駄目なんだ。不安なんだ。天城の人間は睦月を傷つける気がしてならねんだ。なんか根拠があるわけじゃない。直感のようなもんがそう告げている』 だからお前に頼んむんだ、と笑った兄は、もういつもの兄だった。
2007年01月17日
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桔梗色の着物の襟首から覗く項が美しい女性が、目を細め、頬に手をあててうっそりと、歌うように告げる。「睦月ちゃんは、可愛いわね」 頬を、髪を白く細い指でなぞりながら、良かったと笑う。「ずっと娘が欲しかったのよ。貴方のような可愛い娘ができて、本当に私は嬉しいわ。私のことは、本当のお母さんだと思ってね」 --ダカラ、オカアサント呼ンデネ? それが、出会いだった。 --女性らしくあれ。 --作法に通じ、礼を守り、優美な動作を心がけ、楚々と美しくあれ。 義母、叔母はそれを睦月に無言でずっと、ずっと強いてきた。睦月はそれに微笑んで答えるしか術をもたない。反抗は許されなかった。それが叔母の生き方で、生き様だった。それを否定をすれば叔母は嘆きと悲しみ暮れ、切々と説く。それが女としての正しいあり方だと。女性としての生き方を捨ててはいけないと。 叔母にとってはそうだろう。それも一つの生き方だ。 だが、だからといって他の生き方を認めなかったり、否定してはいけないはずではないか。 あの人は視野が狭いのだろう。視野に入らないものは、全ておかしな、間違ったものなのだ。その割には視野を広げようとはしてはいないが。 なので、彼女の中で‘一番’幸せな生き方を睦月に捧げようとしてくれている。 舞を習わせ、香道を学ばせ、行儀をしつけた。着物を着せ、髪を結い上げる。女性らしく見せるために『長い黒髪』を進め、……将来の夫まで世話をしてくれようとしてくれている。今からお見合いの写真を見ては、「この人ならばまあいいわ」や「この人は駄目ね、睦月ちゃんに似合わないわ」と言っているから間違いではないだろう。良き夫に、一生を捧げられる良い人を捜してくれている。 --だが‘イイヒト’なのだ。 同じ血が微塵も流れていない養子に対し、心から優しくしてくれる。こちらが申し訳ないほど、息が詰まるほどの優しさを注いでくれた。 風邪を引けば寝ずに看病をしてくれる。 誕生日には沢山のプレゼントと料理を用意し、学校の行事にはかかさず参加し、胸を張って睦月のことを「自分の娘」だと豪語する。 あの“愛しみ”に嘘偽りはないだろう。いつも満面の笑みで「睦月が‘娘’で嬉しいわ」と言ってくれる。 --それが‘クルシイ’なんてオモッタことはナイ 義兄である正義だってそうだ。いつも喜色に染めた瞳を細め、こちらを見てきた。初めて妹が、いや兄弟ができて嬉しくてたまらない、という感情を隠そうともしないで、甘やかしに甘やかしてくれる。過保護だよね、と周りの友人が笑うほどの気をつかい慈しんでくれた。 少しでも夜が遅くなれば飛んできて送り迎えをしてくれた。 家族を喪った睦月のためか、スキンシップをこまめにとってくれようとし、正義は学校が休みの日など、全てを睦月に費やしてくれていた。 睦月がマチガッタコトをする度に、怒鳴りはせず優しく諭してくれる。 --‘ジユウ’がナイなんてオモワナイ もちろん不器用だが叔父も充分優しい人だ。睦月を否定せず、どれだけお金がかかることでも気にせずやりたいことをやれ、と言ってくれる。きちんと、睦月を見てくれる。それだけで充分だった。 本当にあの家の人達は“ヤサシイ”と、睦月は心底思っている。『ええ~、睦月ってば贅沢な悩みだよ、それ! 羨ましいぐらいに‘恵まれて’いるのに、それが不満なんて信じられないっ。格好いい家族に、裕福な家なんて私と変わって欲しいぐらいだよ。特にお兄さんなんてアイドル顔負けなほどすっごい格好いいし、優しいじゃん。睦月ったら妹だからって、無償で甘やかされているの見てると、もう羨ましいったらもう! 友達なのに、兄妹ってわかってるのに、嫉妬しちゃうほどだよ。いいよねぇ……なのに‘ツライ’なんて有り得ないっ!!それは‘コウフク故のナヤミ’って言うんだよ』 --ダカラ、自分は天城の家に引き取られて‘シアワセ’なのだ。(な、のに……叔父さんは、何を言ってるの? 海外? 私が?) 立ち竦み呆然としている睦月の気持ちを知ってか知らずか、残酷に淡々と叔父は言葉を続けていく。「当初は国内で、と考えていたのだがな。だが幾ら国内とはいえ、あの腐った親族どもの中へ投げ込むのは論外だった。なので信頼のおける部下に預けようと考えた。だがあいつらは有能な面々だがどうも所帯持ちは少なく、若い娘を引き取る条件に合うのが少なかった。適合するものは大抵が我が家の近隣に住んでいる……それならば妻や息子からは逃げられんだろう。出る意味がない」 --ニゲル その言葉に睦月は内情を見透かされている気がして、ぎくりと躰を強張らせた。叔父のたった一言だというのに、今まで抑圧されてきた思いが暴発していくのを感じる。血の気が引いているのか、上がっているのかも、もうわからない。(そうだ……私はいつも思ってた。本当は、泣きたくなるほど辛かったんだ) いつも彼らの愛しみを感じる度に、本当の“無償の愛”はこんなものではないと、いつも“誰か”と比べていた。父や母、朧気ながらしっかりと記憶に住み着いている‘ダレカ’と比べ、束縛と強要が多大に含まれる愛情は鉛のように鈍く重たく感じ、いつも押し潰されそうだった。(舞の稽古や茶道とかより本当はスポーツが好きなの。合唱部もいいけど、でもそれより野球部やサッカー部のバレー部とかスポーツに携わりたかった。長い髪なんて重たくて、手入れが大変で切ってしまいたいよ。着物だって、綺麗だけどとても苦しくて…どうして正義さんは友達と外出すると、いつも一緒にくるの? 本屋ひとつ行くのに報告をしなくちゃいけないの? 一人の時間が欲しいと言っただけで、怒られなくちゃいけないの? 義兄だからって、私の考えをいつも否定していいの? 正義さんの望み以外の行動は、全部間違いなの? ) 一度箍が外れかけてしまえば、パンドラの箱が開きかけてしまえば、出てくるのは不満の嵐だ。ドロドロと醜い感情が溢れ出し、渦巻いている。きっとこの中に希望という光なんてないだろう。お世話になって、殊更大切にされているのというに、箱の中から出てくるのがこんなものばかりとは。 --なんて、醜いんだろう。自分は 己の醜悪さに吐き気を覚え、睦月は目眩がするのを感じた。喉の奥に拳大の鉛が押し込められたように、呼吸が苦しい。 --お願い、叔父さん。黙って。もう甘い言葉を囁かないで。 泣きたくなるのをぐっ、と堪えながら、真っ青になった顔で訴えるように叔父を見つめた。だが叔父は痛ましげに眉を顰めるだけだった。「海外へ行く、と決意することは難しいだろう。友と別れ、異国で言葉に不便をし、文化の差に打ちのめされる。だが覚悟さえあれば、どうとでもなることだ。私はあの人達の娘であるお前を、お前だけは不幸にしたいとは思わない。だからこの話を勧める」 ぐっ、と骨張った指で細い肩を掴み叔父は訴える。冷たくなった躰に、指は服越しなのに酷く熱く感じ、睦月は咄嗟に振り払いたい衝動に駆られた。睦月は早く動きたいと、走り出してしまいたいと震える足の筋肉を、必死に地面に縫い止める。 --蓋をしなければ。 この熱く優しい手を無碍に振り払ってしまうことになるならば、自分の不満などもう一度箱の中に入れて、鍵をかけ、鎖をかけて、心の奥底に沈めなければならない。 もしこの優しい手の届かない海外に行けば、叔父と天城の家族と衝突してしまう。叔母と正義はきっと、叔父を責める。叔父を睦月を追い出した悪人に見立て、思う存分責め立てたあと、睦月に笑顔で帰ってこいと言うだろう。もう大丈夫だ、と。帰ってこいと強要するのだ。 それだけは避けなくてはならない。天城家の絆に混乱と決裂をいれる権利など、睦月にはないはずだ。何より睦月を気遣う優しい叔父を、父の弟を苦しめるのは、絶対に嫌だった。 睦月は歪みそうになる顔に力を込める。表情筋を意識し、口元を上げて目尻を下げた。(……大丈夫。できる。ちゃんと、笑えるはず) 目を細め、頬を綻ばせて、下がりそうな眉に力をいれて上げる。「逃げるなんて、って酷いですよ? 叔父さん」 声は震えなかったはずだ。叔父が軽く目を瞠っている。薄い唇が何か言おうとしているのに気が付き、睦月は慌てて言葉を重ねた。「叔父さんは勘違いしています。私は叔父さんの家に引き取られ心から感謝しています。本当の娘のように大切にして頂いて、高校にも行かせてもらって。本当に、凄く幸せですよ? だから海外なんて、行きたくないです。今の学校も止めたくないし、友達と別れたくもないし。だからごめんなさい。そのお話、お断りします」 言葉にしていくうち、顔が歪みそうになるのを感じ、隠すためにも大げさに頭を下げる。微熱だけを残し骨張った手が放れていく感覚が寂しいと思ったのは、気のせいのはずだ。 数拍間をおき、ぱっ、と顔を上げたときには睦月の顔には笑顔が戻っていた。「辛いなんて、思っていませんよ? ……でも、心配してくださって、ありがとうございます。ん、あっ! 今日は、舞の稽古があるのでそろそろ行かなくちゃ。すみません、失礼します」 --早く、速く、ハヤクここから去らなければ。 気持ちが表にでないよう必死に取り繕いながら、失礼にならないように、だがなるべく素早い動作で身を翻し、少々早いテンポで歩き出す。 後ろから強い視線を感じる。叔父は訝しんでいるのだろうか。誤魔化しきれなかったのだろうか、と不安になる。(叔父さん……気持ちは本当に、本当に嬉しかったです。ごめんなさい。どうか、騙されてください) 胸の中で幾度も、幾度も叔父に呪文のように礼を言い続けていて、はたと睦月は言い忘れたことに気が付いた。 踵の重心を置くようにして半回転をし、叔父に顔をしっかりと向け、今度は心から微笑んだ。「父と母に、花をありがとうございましたっ」 --いつか。そう、いつか。 このような顔で、天城家で笑える日が来て欲しい。来るように努力をしなければな、と睦月は改めて思い、暴れる‘箱’の息の根を止めるべく、更に心の奥底へと沈めた。
2007年01月15日
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春特有の、柔らかい綿に触れるのような風が殺風景な場所な墓地に縦横無尽に駈ける。髪留めを外し自由になった髪が風に煽られ靡き、顔や背中、肩などを軽く叩きつけた。 髪留めを外さなければよかった。そう思っても後の祭りだ。今更髪を再び束ねようとしても、両手には大切な荷物があるので、すぐに諦めた。 腕に抱く花が散らぬよう、上半身をうまく使い風から守りつつ少々早足で目的地に急ぐ。墓地は山に沿うように広がっているので、道は少々きつい傾斜だ。足下をしっかりと見ながら睦月は一歩一歩踏みしめるように歩く。足裏から伸びる影は濃く、日光に照らされている道には浮いて見えた。 太陽は南中をむかえたばかりだ。セーラー服姿の睦月が、平日であるというのに校外を堂々と歩いているのはおかしいことである。 --今日は学校が創立記念で休みだった。 だが睦月はそれをあえて義父や義母、義兄に告げず何食わぬ顔でいつもと同じように家を出てきた。おはようございます、と微笑みながら食事をし、今日はテストがあるんです、など嘯き、いってらっしゃい、という優しい言葉に見送られたのだ。 良心が痛まなかったわけではない。だが罪悪感に苛まれながらも、だがそれでも騙し続けたのだがら、やはり結果は同じである。 あの‘優しい’人達を騙しても、一年のうち今日だけは睦月は此処に来なければならなかった。どうしても来たかったのだ。何が、何でも。きっと今日が休みでなくても、睦月は此処にいたような気がする。 目的地にようやく到着し、睦月は足を止めた。「久しぶり……お父さん、お母さん」 返事など決して返ってこないと分かっているのに、ついぽつりと口から言葉が零れ出た。分かっていたがやはり妙に物悲しく、ぎゅーっ、ときつく一度目を閉じ、悲しみに耐える。 膝を折り、そっと墓石の前に花を添えた。真っ白な大輪の花、カサブランカは灰色の墓石の前だと更に栄えて見える。 4月の誕生花は勿忘草や藤、霞草だ。本当ならばそちらにしようか、とも考えたが、それは少し寂しい気がしたのだ。生前好きだったカラフルで可愛い花、とも考えたが、それも何だか思い出に浸ってしまい胸の奥が締めつけられる。定番の菊の花も父や母の面影には似合わない。似合うと思いたくはなかった。 カサブランカは真っ白で、大輪で、華やかなのに清楚で。これならば、と目を付けたのは半年も前のことだった気がする。威厳と、偉大と雄大な愛などの花言葉を知った時、更にそう思った。 一ヶ月ほど前から、隣町の花屋に頼みに頼んでようやく了承を得て作ってもらったカサブランカの花束は睦月の意向に添っていた。学校がきちんと休みであることを説明し、お墓に添えたいと、何度も何度も言葉を重ねた甲斐がある、というものだ。平日の、しかも午前中に花を取りに来たいと言う言葉に渋られたことも、今では何の苦労にも思わない。 同じ町だと少し睦月には問題があったのだ。この場所にいることを、決して義理の父母達に知られてはいけない。気持ちをきちんと告げれば理解を示してくれるだろうが、義母はあまり快く思わないだろう。亡き母に縋りついているのが不満なのだ。睦月の母は今は自分だ、という自負があるようである。義理の娘だと言うのに、そこまで思ってくれる気持ちは嬉しいとも思うが、少し重いと思うのも事実だった。 だから嘘を塗り重ね、騙しても良いというわけでもないのだが。(……気に入ってくれる?お父さん、お母さん) そうであればいい。そう思いながら線香を鞄から取り出し、マッチで火を点けた。線香を立て、独特の香りに纏われながらも目を瞑り、冥福を祈る。 早く目を開け、少し距離を置かなければ制服に線香の匂いが染みついてしまう。 そう思うのに、やはり未練だろうか。足も瞼も動かず、ただ無心に睦月は祈った。 --どれだけ時間がたっただろう。 後ろから近づいてくる足音に睦月はようやく顔をあげ、目を開いた。線香は殆ど姿を消している。失敗したな、と思いつつも睦月はまだどこかぼんやりしたようにしゃがみ込んだまま動かなかった。 だから急に後ろからよく知った声が鼓膜に突き刺さった瞬間、そのまま前にのめり込んで倒れてしまうのではないか、というぐらい睦月は驚いた。「やはり、来ていたのか」「…っ?! えっ、あ、おじさっ…お、お義父さん」 背の高い、黒い背広を着こなした威厳のある男だ。髪は白髪が交じり始めているが、年を感じさせない。皺がくっきりと刻まれかけた顔の中でも眉間の皺は特に深いように見える。威風堂々や古風という言葉が似合う少々厳つい顔をした人間では今では珍しい。思わず目を引く外見だが、今日は手に白い花を持っている。胡蝶蘭だろうか。お世辞にも白い-いや白くなくてもだが-花束が似合うとは言えず、好機の目を引いていた。 叔父、いや義父だった。 睦月は目を剥き、驚きについ口を滑らせかけて、慌てて修正を今更ながら加えた。 --三年もたったと言うのに未だ、義父と言い慣れない。 やはり父は、亡き父のみだという思いがある。これだけは幾ら自身に言い聞かせようとしてもできないことだった。養い親たちへ色々と幼いながらに配慮をするように、色々と努力をした、というのに、どうしても無理であった。 けれでも呼ばれるほうは、いい気にはならないだろう。兄夫妻の遺児を引き取り、手塩にかけるように、本当の娘のように育てているというのに、あまりにも甲斐がないもの、と捉えられても致し方ない。 だが当事者である叔父は、淡々とした口調でだが睦月の言い間違いを訂正はしなかった。「かまわん、言い難いのならば呼ばんでも」「え……で、でも」 睦月は心底困り、眉を顰めた。 叔父は良いと言ってくれても、そういうわけにはいかない。叔父だけを‘叔父さん’と呼ぶわけにはいかないだろう。統一性を持たせるのであれば、叔母を‘叔母さん’と呼ばねばならない。だがそうすれば叔母は訴えかけるように分かり易く顔を悲しげに歪め、何か不満があるのか、など色々と尋ねてくるのは簡単に想像が出来た。 義兄、つまり正義[マサヨシ]を‘お兄さん’と呼べないでいることにも一度大騒動があったのだ。感情的で口の達者な叔母が騒ぎの騒動となるのであれば、あの時の比ではなくなる。そう思うとどうしても睦月の腰が退けた。 叔父も同じなのだろう。渋みのある顔を歪め、溜息混じりの声で告げる。「あいつらのことは気にしなくてもかまわん。自分たちの悲しみと不満で相手への配慮に欠けている態度を取ることに気が付いていないほうが悪い。無視をしてしまえ」「叔父さん……それは、あまりにも。お…ばさんも、正義さんも早く打ち解けて欲しいと昔から色々と気遣ってくださるだけで」「ふん。だからと言い親を失い嘆き悲しんでいる子供に、新しい母だから‘母’と呼べとは厚顔無恥も甚だしいにすぎんな」 --辛辣だ。 思わず睦月は口元が引きつりそうになる。賛同できる気持ちを押し潰すためにも、苦笑いを浮かべて誤魔化すしかない。 叔父と叔母が‘許嫁’という古い制度で結ばれたのは知っていた。所謂『家と家の結婚』というやつだ。叔父は、香道の名門の生まれであり、叔母も旧家の出である。睦月はそれを聞いた当初、そんなこと本当にあるんだ、と半ば興味なく聞き流していたのだが。 やはり食い違いがあるのだろうか。でなければ家族をここまで扱き下ろしにできない。 触れてはいけないのでは、と気を遣い睦月は話題を変えた。「叔父さんは、何で今日此処に?」「……兄さんや義姉さんは、この日を、お前の誕生日と自身の結婚記念日を大切にしていたからな。命日と、彼らの誕生日と、そして今日この日ぐらいは花を手向けようと思ってな」 ぶっきらぼうな口調で、だが優しい手つきで叔父は胡蝶蘭の花束をカサブランカの花束の横に置いた。きつい花の香りと線香の香りが混じり合う。鼻に少々つくが、嫌な香とは睦月は思わなかった。ただ匂いに噎せそうな程苦しくて、だから泣きたいような気持ちなのだろうか。 「よく…覚えていましたね」「忘れるものか。たしか…お前が4つの頃だったな。偶然家に寄ったら、やれパーティだ、記念日だと大張り切りな兄さんたちに振り回された。甘いものが嫌いな俺に、無理矢理食べさせてのはお前だぞ」 え、ときょとりと睦月は目を瞬かせ、慌てて誤るが叔父はかまわない、と一言で退けた。「『この世で、一年のうちで一番大切な日だ』。口癖のように言っていた。ならば祝ってやるべきだろう。彼らにとって一番大切な日は」 叔父が手を合わせ、父母へ祈った。呟くように告げる声は深い。「命日とこの日だけは、部下に命じるのではなく、自分で花を手向けようと誓ったのだ」 すっ、と立ち上がった叔父を睦月は見上げるような形となる。逆光のせいで叔父の顔がよく見えない。 沈黙が睦月達を包んだ。ただでさえ静謐な墓場である。町外れにあるとはいえ、信じられないほど静かだ。「……お前を引き取ったのは、間違いだったか?」「え?」 ぽつりと呟かれた言葉に、睦月は反応ができなかった。 --間違い? 何が、と今更ながら浸透してきた言葉に困惑する。脳の回転を無理矢理力尽くで止められたようだ。衝撃が意外と大きかったのだな、と時間が経過してからノロノロと教えてくる。(何か、私してしまったのかな?) 睦月の表情に叔父は一瞬眉をひそめ、ああ、と呟き睦月の勘違いを訂正した。「違う、そう言う意味ではない。……兄と義姉さんの遺児を、お前を引き取ったことに後悔はない。だがそれは俺のエゴだ……それをお前に強要して良かったのか、今でも考えることがある」 睦月はそんなことない、と言おうとして、だが言えない自分に気が付いた。叔父の不器用な自分への優しさに胸がいっぱいだ。だが決してそれだけじゃない。それが言葉を、押しとどめる。そんなことはない、と今言っても羽のように軽いものにしかなりえないだろう。「信頼できる部下がいる。その者はこれから数年、海外へ派遣することになった……ついていくか?」「……え? 海、外? ついてく、私が?」「そうだ。私の部下の中で、一番人好きのする男だ。幼い子と妻もいるから、妙な心配はいらない。赴任先は今から検討中なのだが、米国か欧州に行くことになるだろう。行ってみる気はあるか?」「な…ん、で、その話を私に?」(今日は……叔父さん、よく喋るな。いつもは寡黙な人なのに) 思わずそんな間抜けなことを思ってしまう程だった。 --何を言っているの? …意味が理解できない 困惑する睦月の感情を読み間違ったのだろう。叔父は呆れたように溜息をついた。「勘違いをするな。お前の後ろ盾を立場を投げ捨てるわけではない。戸籍上は、お前はずっと私の子だ……これは以前から考えていたことだ。家から出してやる」 --家を、天城[アマギ]の家を出る?誰が? 睦月は立ち竦むように、ぼんやりとした目で叔父をじっ、と見つめた。『おやおや、困りましたねぇ。バカの傍から離れられることは良いことですが、寄りによって海外ですか』 男はくすくす、と笑い、ちっとも困ったようではない表情である。暗闇の中、独り言のように呟かれた言葉は簡単に溶けては消えていった。誰に届くこともなく。なのに男はまったく気にした様子はなく、更に楽しげな口調で言葉を転がしつつ、笑う。『せっかく事態が面白くなりかけているというのに。まぁ、どうせ外国へ‘逃げても’何一つ未来は変わらないんでしょうが。睦月には‘僕’がいますからね。どう足掻いても‘彼女’と引き合う定めなのだから……可哀想に』 --睦月が? --‘彼女’が? --‘彼女’を宿す人間が? --睦月を、‘彼女’を、自分を取り巻く人間達が? あえて男は‘何が’、とは言わない。『ああ、それでも困るんですよ。‘彼女’と会う時機が遅くなるじゃないですか』 男は足を組み直し、膝の上に肱をつく恰好で頬杖をついた。『さあ、どうします? 睦月』 楽しげな含み笑いは、闇にかき消された。
2007年01月13日
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いつもの起床を告げる鐘の音が耳に飛び込んできた。全身の筋肉をバネのように使い、布団の上を跳ね上がるように飛び起きる。捲り上がった掛け布団の隙間から風が入り込み、躰を撫でた。「………っ」 絶叫を上げずに目を覚ましたことが信じられなかった。 喉に未だ血の固まりがこびり付いているようで、気持ちが悪い。何度深呼吸しても怖気は一向に消えず、いっそ嘔吐でもすれば楽になれるだろうか、と本気で睦月は悩んだ。白く清潔そのものなシーツを汚すなんて真似、自分にできるわけがない、と思いながらも。 全てを吐き出せたなら--どれだけ、どれだけ良いか。(……そんなことをしたら、‘心配’をかけてしまう) 震える体を必死に宥めつつ睦月は奥歯を噛み締め、油断したら飛び出してきそうな弱音と悲鳴の頸もとを狙い、絞め殺した。表出がかなわなわなかった声達は虚しく身体の奥底へ沈んで消えていく。 声にも、肉と骨と血があるのだろうか。夢から覚めてもまだ全身に纏まりついていた血の濃度が、増したような気がした。内臓の辺りで死に絶えた声達から流れ、溢れ出している血が口からこぼれ落ちそうだ。(大丈夫……大丈夫、あれは夢なんなんだから) --どれだけリアルだとしても、あれは夢でしかない。現実でなど、ありえるわけがない。 何度も、何度も同じ言葉を脳内で繰り返し、不安の上に『大丈夫』と言う言葉で塗固し、塞いだ。始めからなかったことにするために。あんな夢、忘れてしまえばいいのだ。 まだ僅かに震える躰を叱咤しつつ、睦月はふらふらと箪笥に向かった。目覚ましはとうに勝手に力つきている。復活するまでにはまだ時間があるはずだ。その間に着替えてしまわなければならない。早く着替えて、下にいって朝食を食べて、学校の始業に余裕で間に合うように出かけなければ。‘いつものように’。 体調が悪いと言えば休めるだろうが、家にいて心から休めるわけがない。義母、いや叔母は丹誠こめて看病してくれるのが酷く心苦しい感じてしまうに決まっている。 それに‘今日だけ’は、倒れているわけにはいかないのだ。 寝間着を脱ぎ、インナーを身につける。靴下を穿いた後、まだ真新しい、ごわごわとし肌に馴染んでいないセーラー服に袖を通した。その流れのままにスカーフを付けようとし、指が止まってしまう。 --アカイ、血のように赤い、スカーレットのスカーフ。 咄嗟に弾き飛ばすようにスカーフを床に落とし、指先を確認した。汚れていない。当たり前のことであった。あまりの過剰反応をする自分を笑うことで睦月は自身を奮い立たせ、震える指を無視し、皺ができなそうなほど強くスカーフを握りしめ、いつもと変わらない手順で、胸元でリボンになるように結んだ。 腰まである長い髪を手早く、しっかりと梳かす。今日の髪型は時間がないので、項のあたりでゆったりと一つに纏め、地味な色の髪ゴムで結わえた。これだけだと少々心許ないが、時間と共にずり落ちてくる髪ゴムに対し、こまめに対応するしかない。 鏡に映る自分の顔をじっ、と睦月は見つめた。相変わらず大人っぽい雰囲気を演出する長すぎる黒髪が似合わない童顔である。いつもならばため息の一つでも零すのだが、今日だけは安堵の息を吐いた。幼さが残るくりくりした目の下に隈も、赤い痕もない。それで充分だった。 睦月は表情筋をフルに活用し、鏡の中の自身に笑いかけた。どこか歪な笑顔だ。これではいけない、と手のひらで頬の辺りをマッサージをしてもう一度挑戦すると、今度は先ほどより余程ましだった。(…う~ん、100点中65点かな) 及第点ギリギリだが、まあこれでいいだろう。 睦月は鏡台の前からしっかりとした足取りで窓際に向かう。進行方向の途中にあった目覚まし時計のアラーム機能のスイッチをきり、そのまま腕を動かし襖を開けた。 先ほどまで和紙により緩和されていた光が、眩しい直射日光が一人部屋にしては大きめな部屋に飛び込んでくる。 一瞬目の裏を灼かれるような感覚に、睦月は強く目を瞑った。「おはよう」 いつもと何一つ変わらない朝の光景をぼんやりと見つつ、誰にでもなく睦月は呟いた。朝の挨拶、と言うよりも今が朝だと認識するために口にしたような感じだ。 --そう、もう朝なのだ。夢を見る時間は終わった。 これから日常が再開される合図である朝日を恨めしげにみつつ、睦月は窓辺から出口であるドアに向かって歩いた。 背筋を伸ばし、顎を引く。暗い表情をかき消して、上に無理矢理穏やかな笑顔をのせた。大口を開けず、唇は弧を描くように。目は少し細めた、そんな微笑を意識して。(切り替えなきゃ……夢は、夢でしかないんだから)『本気であれがただの夢だと?』 脳裏に‘お兄さん’の声が過ぎったのは、気のせいだろうか。睦月は一度頭を大きく振ることで不安を薙払った。 --……テハ、イケナイ。(夢だよ……夢に決まっている) 襖の取っ手を一瞬、強く握ることで意思を固め、睦月は襖を横に大きく開ける。『無駄な足掻きですね。言ったでしょう? すでに事は動き出しているんですよ。いつまで目を瞑っていられるんでしょうね、君は……ああ、でも早く諦めたほうがいいですよ? でないと、取り返しのつかないことになってしまいますから』 小さく笑う男の声を切り捨てるように、震える指で後ろ手に大きく音を立て襖を閉めた。---------続きと繋がりが少々悪くなったので、ちょっと訂正を加えました (1/13)
2007年01月12日
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噎せ返るような生々しい血の匂いが、空気を埋め尽くすように充満していた。嗅ぎ慣れない血は、本能的に生理的嫌悪を引き起こし、顔の筋肉が強張り、歪む。(なに……これ?) 睦月【むつき】は血の海に座り込んだまま、困惑した。 どう考えても尋常ではない雰囲気に、背筋に鳥肌がじわじわと浮かび上がりはじめた。恐怖を振り払うように忙しなく左右を見回すが、周囲は光の浸食を一切許さない、深くおどろおどろしい闇だ。何も、見えない。闇の中、血の海だけが浮かび上がるように色を持っている。 認識できるのは、‘血’のみだ。(……血) 頭が赤い液体を認識した途端、吐き気がこみ上げてくる。 素足に、指先にまとわりつく滑った感触が生々しくて、悪寒で身体が震えた。鼻につく匂いに、神経まで侵されているような錯覚を覚え、気がおかしくなりそうだ。禍々しい血の色が、目にこびり付くようで痛い。 --気持ち悪い。 この場から今すぐ逃げなくては。 強迫観念にも似た思いに、真っ白だった頭が浸食されていく。本能で感じ取った危機感に忠実であろうと、睦月は全身を使い立ち上がろうとするが、足に力が入らず、そのまま血の海に倒れ込みそうになる。「……っ」 身体の前面が血の海に浸り、赤く染め上げられそうになった瞬間、後ろから誰かが支えた。驚愕と一抹の恐怖に、跳ねるように後ろを振り返る。だがすぐに安堵で、睦月は体の力が抜いた。 張りつめられた風船の空気が抜けたような感覚に、涙が出そうになる。「……“お兄さん”」 睦月の呟くような声に、睦月の両脇に腕を通し、ホールドをするように支えている男は笑った。(良かった……これは、夢なんだ) 精密画を見ているような感慨を受ける整った顔の中で、左右違った色の瞳が細められていた。艶のある黒髪も、すらりとしたスタイルも、いつもと変わらないストイックさのある暗色の服装も、睦月の目にはよく馴染んだ姿だ。 見間違いようのない姿に泣き出しそうな安堵を感じ、情けない表情で睦月は笑み返す。これが夢だと断言できる証拠が現れたのだ。この悪夢のような光景が現実ではない。それだけで呼吸が楽になる。 あまりの非現実さであるのに、夢だと考えなかったことに今更ながら睦月は驚く。だがあまりにも五感を犯す血の感覚に、頭まで血に染められたようだったのだ。血の色と匂いに麻痺させられた脳は、錆びたように機能を果たさなかったのである。「お…兄さん。あの、その……」 呂律が回らない。単語が繋がらず、言葉が生まれない。 --はやく、この場所から離れたい。 そう伝えたいのに、一向に役に立たない口に情けなさを感じつつも、必死に拙いが言葉を紡いでいこうとすることを制するように、睦月より一回り大きな手が口元に少し触れ、遠のいた。 驚愕に目を大きく瞬かせながら首だけを使い振り返ると、男は血溜まりなど目に入っていないような晴れやかで楽しそうな笑みを浮かべている。 いつもと変わらない、いやいつも以上に輝かんばかりの笑顔に、睦月は絶句するしかない。「お、に……さ…ん?」 バカみたいだ。先ほどしか名前しか呼んでいない。呼べない自分にそう思いつつも、他に言葉が見つからない。いくら脳を活性化させようと足掻いても、空気を掻くような虚しさしか手で掬えない。 パニックを起こしかけている睦月を宥めるためだろうか。男は大きな手を使い優しくかき回すように頭を撫で始めた。 ゆっくりと頭蓋骨に沿うように動きに、温かい手の温度に、脳味噌にこびりついていた血の欠片が剥がれ、剥がされた欠片は、涙と共に流れ落ちた。睦月は頬を伝う涙が、本気で赤い色をしていないかと不安になるほどだった。恐る恐る涙をぬぐい取る長い指先に視線を移すと、肌色以外の色はない。 安心に更に涙がいきおいを増しそうになるのを、ぐっ、と睦月は堪える。その顔がユニーク-つまり酷い表情-だったのだろうか。男は楽しげに喉を震わせながら、耳元で囁くように低いバリトンの音色を睦月の鼓膜に注ぎ込んだ。「これぐらいで泣いていたら、やっていけないですよ?」「…え?これ、ぐらい、て。だってっ、血が」「ええ。ですから‘この程度’のことでいちいち泣いていると、干涸らびてしまいますよ?」 血が、血の海が‘この程度’。 あまりの男の価値観、いや感じ方に呆然とする朔夜に、男は呆れたような表情だ。「君は‘あの刻’の記憶を夢に見始めましたからね。それにここ最近、どうも下賤の輩の気配が街のあちらこちらから感じていけない。まぁ、そこから何が起こっているか考えてみると賽は投げられたと、と考えるのが妥当でしょうね」 一言も睦月は理解できなかった。それと血が関係があると叫びたい。 だがあまりにも常のように自信に満ちあふれ、尚かつ断言するような響きを持つ男の言葉に飲まれそうになるのに、睦月は必死に流されないよう顔に力を入れ、眉を顰めた。「何を可笑しな顔をしているのですか? まぁ、いいでしょう。さて、と言うことで事態は動き始めたようですからね。君はどうせ、波乱の中心に置かれるのです。‘この程度’のことぐらい、耐性がないと」「…………ないと…どうなるの?」「“壊れます”よ」 コワレル。 何が、とは睦月は聞き返せなかった。安堵でとろけていた身体が、再び冷凍されたように筋肉が、神経が氷っていく感覚に背筋が震えた。 壊れる、という不吉な言葉ももちろん怖い。 だがそれよりも、目も声も楽しげに笑っている男のことが、何故ここまで恐い。(…“お兄、さ…ん”? ち、がう……コノヒト、ハ ダレ?) これは人ではない。---爪を研ぎし、獲物を目の前にしている猛禽など比べものにならないほど恐ろしく、他者を圧倒する孤高の、美しいモノだ。 息も出来ないほどの威圧感を醸し出している男は、愕然と顔を強張らせ微かに震える睦月に気が付いたのか、視線を投げかけてくる。だが、昔から懐き、甘えていた男が別の‘イキモノ’のように感じてしまった睦月は、まっすぐに視線を合わせることができなかった。 息苦しさを感じるほど鈍い色を纏い始めた雰囲気に押し潰されたかのように、睦月の面はだんだんと俯いていく。このまま足下を見ればまた血の海を見つめることになると言うのに、それでも視線を外したいと思い、睦月は重力に従うように項垂れることにした。目を閉じれば何も見えないのだ、と言い聞かせて。 だが項垂れる寸前に顎を掴まれ、無理矢理顔を後ろに逸らされる。喉の筋肉が限界まで伸ばされる痛みに閉じかけた目を睦月は開けてしまった。「おにぃっ」「ほら、始まりましたよ」 何を、何が、と問う前に、男は長い指で睦月の顎を固定したまま、ほら、とまた何かを促す。「見ないのですか? せっかく美しいのに」「だからっ、何が」「この世で、僕が最も、いや唯一‘美しい’と感じるモノ、ですよ」 いつもと同じ声なのに、そこには僅かだが柔らかで温かく、優しい甘ったるいものが、それでいて睦月には理解できないような深い想いのようなものが含まれているように感じたのは気のせいであろうか。思わず睦月は微かに好奇心が刺激され、やっと恐る恐るだが視線を前方に固定した。(何…あれ?誰?) 睦月は目の前に入ってきた光景に、筋肉だけでなく骨や肉まで凍り付いたような感覚に襲われた。 血溜まりの海の上に浮かんでいるように、氷った血の上に座る二つの人影があった。少女を、少女より背が高い人が抱きすくめている。 美しい光景だった。血に一切汚れていない二人は、共に睦月が見てきた人間の中で一番といっていいほどの容貌だ。 柔らかで豊かな銀髪に紫色の大きな目がとても印象的な、可愛らしさと美しさとも取れない、だが整った顔立ちの少女である。少女の纏う雰囲気はどことなく危うさがあり、庇護欲が酷く刺激される。それが嫌味にはならず、むしろ女の睦月ですらそう思う。演じているようには到底見えない儚さは、どういう生き方をしたらこういう雰囲気を纏えるのか尋ねたいほどだ。 だがそれを遙かに上回る容貌が、もう一人の人物だった。雑誌やテレビで見てきた芸能人など平凡な顔立ちに見えるほどで、整った顔立ちでこういう人を‘麗人’と言うのだろう。艶やかな漆黒の髪に覆われている顔は、神像の彫刻と言われれば納得できるほど人間離れしている。中性的な顔立ちだからか、更にそう思わせられる。蠱惑的と言うのだろうか。人の目を、心を強制的に捕らえてならない引力のようなものを感じる。(キレイなのに、何で…?何で身体が震えるの?) 底冷えをするように、身体が震え出してしまう。美しさに感銘を覚えたからではない。確かに魅入られる光景だが、惚けこそし、凍えそうだと思うはずがないではないか。「 」 腕に抱かれている少女の口が、微かに動いた。声は睦月の耳までは届かなかったが、少女を抱き微笑んでいる麗人の耳には届いたようで、笑みを深めた。菩薩のように完璧で、優しい笑顔だ。「……ああ、もちろんだ。やっと告げてくれたな」 幸せそうな声音だ。だが何故かその声が鼓膜を震わせた瞬間、言いようのない悪寒が睦月の体内を走り、足下がふらついた。男に支えられていなければ、今頃骨が溶けたように崩れ落ち、血の中に転がり、溺れていただろう。 --恐い。 今まで感じたことがないほどの、崖っぷちに追いつめられ死を迫られたような恐怖だ。 優しく細められる目は、温かい声音は、愛おしげに少女に触れる手は、どこまでも慈愛に満ちている。満ちているはずだ。10人中10人はそうであろう、と断言するだろう。だが、睦月にはどうしてもそう思えない。 狂気だ。麗人のすべてに狂気を睦月は感じていた。何故そう思うのか、直感で感じとったとしかいいようがない。だが確実に、底がないほど深く、暗い執念にも似た全てを灼き殺すような強く、凶悪な想いが籠もっている、と睦月は断言できた。 --見ては、いけない。 --この先を、見てはいけない。 --だって、この先は。 身体の奥底から堰を切ったように、悲鳴が睦月の喉から溢れ出した。「いやぁぁああぁっ…放し、てぇっ!」「駄目です」「やだ……やだっ、やだぁ! 見たくないっ。嫌! こわ、いっ。いやぁ!」「文句なら、また今度聞いてあげますよ。ほら、しっかりとごらんなさい。目を背けていてはどうしようもないのですし。何より…あんな美しいもの、滅多に見られませんよ?」 逃げなくては。 その一念で、渾身の力を込め暴れる睦月を悠々と制しながら、男はうっそりと目を細めた。 せめて目を背けようとすれば男の指と腕が邪魔をする。ならば目を閉じようと思えば、男が先を制し、人差し指と親指で無理矢理瞼をこじ開けられる。残酷な男の行為に、逃げ出せない事実に、睦月の目から涙は溢れ出し、身も世もない酷い顔となり、絶叫を上げた。「いやぁっ……やめて!」 麗人の細く長い指に、漫画の中でしか見たことがないような真剣が握られている。 --見ては、駄目。 ゆっくりと麗人は腕を引き、少女の胸に刀の切っ先を突きつけた。 --だって、少女は 麗人は。 少女は刀を突きつけられても脅えた表情一つせず、むしろ僅かに泣き笑いのような顔だが微笑んでいる。それに答えるように麗人も淡く微笑む。 --この先、二人とも。 麗人が、少女の胸を突き刺した。少女の震える身体から剣を引き抜くと、深紅の血があちらこちらに飛び散り、麗人の顔や身体を汚した。 血の固まりを吐きながらも少女は健気に微笑みを湛え、麗人の頬に手を伸ばし血を拭い取るように細い指先を動かす。麗人は剣を握っていないほうの手を少女の手の上に重ね、幸せそうに笑った。 笑顔のまま麗人は次の標的を自身に換え、己の胸に剣を突きつける。そして躊躇うことなく、力を込めて貫いた。 すでに事切れた少女を最後の力を込め抱きしめながら、満足げな表情で麗人は前にのめり込むように崩れ落ちた。 --思 イ 出 シ テ ハ イ ケ ナ イ 睦月は、声にならない悲鳴をあげた。
2007年01月11日
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門を通りすぎ、一直線に村の中央にある大きな屋敷に緋深は通された。 すでに獅吼達と出会って数刻が経ち、薄暗から墨染色に変化した闇の帳が村全体を覆っていた。緋深が歩く廊下には細い蝋燭で炎が灯されている。 薄暗い廊下を、先ほどまでとは逆に緋深が獅吼を急かすようにして歩いていた。現金なことに、一歩踏み出してしまい、尚かつ朔夜との距離が縮まっていることが分かると、いきなり緋深の心が急かし立ててきたのだ。獅吼が面白そうににやにやと笑っているが、もう、今はどうでもよかった。涼は苦笑し、朱鷺風は呆れていることにも、一切気にはかからない。「ここだよ」 涼の声に緋深は足を止め、真横にある襖を見つめた。 空から枯れることなく降り注ぐ雪に対抗してか、中では火鉢などで暖をとるため、火を熾しているのだろう。襖にしっかりと張られている和紙が赤丹色や蘇芳色、黄丹色など、揺らめきながら様々な色に姿を変えていた。(この中に……朔夜が) 中が明るいことに、少々緋深は眉を顰めた。 心の準備がしっかりとできているとは言い難いのだ。この明るさならば襖を開けた瞬間、否応なしに緋深へ事実を突きつけてくるであろう。 だが、もう戸惑い立ち竦みはしなかった。 蹈鞴を踏む時間すら惜しい。火が熾きているということは室内は適温以上であり、朔夜の身は凍えから遠ざかったのだ、と前向きに考え直して、意を決して緋深は襖を半ば勢いよく開けた。 手頃な大きさだが上品な造りの一室だった。あえて言うならば、物が必要最低限しか置かれていないことが気にかかるほどだ。だが殺風景とは言えず、むしろそうならないよう小さいが清楚な華が飾られる配慮がなされている。その華以外には火鉢と、小さな卓、掛け軸、数人の人と、そして白い布団だけだ。 白い布団にくるまれ、穏やかな呼吸で眠る朔夜を視野に入れた瞬間、何かが胸の奥で弾けた。 泣き崩れたいほどの安堵を、緋深は生まれて初めて知る。血圧が低くなり青白くなってはいるが、か細く、だがしっかり命を脈打つ朔夜の手を握りしめながら、心から安堵の息を吐いた。「朔夜………」 自身でこのような、掠れ、だが万感の想いを込めたような声が出せることに驚きつつも、何故か恥じようとは思わなかった。(よかった………) その言葉しか、心の底から湧いてこない。ただ、ただ何度も同じ言葉を噛み締めるように、頭の中で転がすだけである。 白い手から視線を外し、朔夜の頬の輪郭をなぞるように顔を見つめる。 肌がやはり血色が悪くなり白い。一見白い肌に炎の色が移り錯覚してしまいそうだ。だがそれでも雪を塗り固めたような肌の下に血は通っているはずである。緋深の手の中で脈打つ手の鼓動と同じ音で。 頬から肩へ、そして腕、また肩に戻り、次は身体の線を辿り、最後は足先まで。一通りざっと視線を滑らせるが、どこも欠けてはいない。 ようやく肩の力が抜け、そのまま朔夜へ向かい崩れ倒れそうになり、緋深は慌てて体勢を戻そうとするが、それより先に緋深の肩に手を添え、支えた者がいた。「そこまで」 大柄な、坊主頭の意外と若そうな、それこそ2、30代の男だった。「手を、離すんだ」 にかっ、と豪快な笑みを緋深に向けつつも、断言の口調で告げた。 若干-どころではないが-気分を害した緋深は、不快感に眉を顰めつつも、男を冷静に観察した。大柄で体格も良く、精悍でありつつも武骨な容貌から武家の者ではないかとも思う。だが、そう思うには坊主頭と袈裟姿が否定を表明していた。恰好から推測すれば『浮屠[ふと(仏教徒)]』であろう。浮屠に関する数少ない知識を掘り起こせば、確か殺生を禁止という、平和主義的思想だったはずだ。自己を磨き上げ、悟りの境地を目指す、他の宗教と違って己に視線が向かっている、珍しくあまり害のない“宗教”というのが、緋深の印象だ。(浮屠にしては、偉く物騒すぎ) まず袖に(常人なら気が付かないように、だが武道に通じているものには見せ付けるように)隠されている小刀。浮屠に必要がないであろう手に装着された籠手。袈裟の下に着込んでいる鎖帷子の微かな音。部屋の隅に置かれている使い込まれた形跡がある槍。そして男自身の戦うため鍛え上げられた、強固な筋肉。 浮屠を装っているか、破戒僧と呼ばれる者か。いずれにしても。「……そんなこと、言われる筋合いはない」 男が朔夜との接触を禁じる権限を、持ち合わせていないことだけは確かだ。 睨み付ける緋深を少々呆気に取られたように目を瞠り、男は高らかに、あははと豪快に笑い出す。雪に音が食べられたように静かだった空間を、空気を揺るがすように大きな声で、だ。これには緋深のほうがぎょっ、とする。「いや、悪い悪い」 男は頭に右手を添えつつ、謝罪をするが顔は満面の笑顔だ。説得力がないにも甚だしい。睥睨するような緋深の視線に、男はにやりと笑みを変化させ、指を1本ずつ順にたて、合計2本を立てながら緋深に告げた。「まず君に治療が必要であること。それに、その年期の入った凍り付いている手甲で、患者の手をいつまでも握られるわけには駄目だな。医者として、重病者の扱いには口を出さざるえない」 慌てて朔夜の手を離した。確かに長年使用している手甲はもうボロボロで、少々錆び付いている。しかも指先は室温に少々温められたとはいえ、まだまだ冷たい。 朔夜への配慮が、抜け落ちていた。そのことに緋深は愕然としつつも、聞き落とせない単語を男に聞き返した。「い………しゃ?」 この男は、先ほどそう言ったのか。本当に。 否定を求めつつ尋ねられた言葉に、男はあっさりと頷いた。 冗談だろう。 緋深は失礼なことに、男の言葉を疑っていた。確かに浮屠の中には医療従事者もいるとは聞いたことがある。だが目の前の男が、と首を内心捻る。 どうやっても男からは良く言えば大柄、悪く言えば大雑把な性格、という印象を受けるのだ。豪快な笑いかたから、そう思うのだろうか。それにしても細かく、しかも研ぎ澄まされた技術が必要な医術を習得しているようには到底思えない。 顔に怪訝そうな表情が出ていたのだろうか。何故か愉快気に男は笑いながら、緋深の髪をかき混ぜる。「『禁足地一』の医者を捕まえて、失礼な坊主だ」 坊主はあんただ、と思いつつも、緋深は禁足地で一番、という腕前に疑念を抱く。「………禁足地の医者って、あんただけなんじゃ」「よくわかったな」 あっさりと肯定され、緋深は転けそうになる。 冗談であろう、とは緋深も分かっている。禁足地は予想していたよりも規模が大きい。閉鎖された村で医者が一人というのはあまりにも危険で、あり得ないことだ。 だが、男の言葉はある意味正しいのかもしれない。信じるならば、男が朔夜を治療したことになる。足を切り落とすかもしれない、と言われていた症状をどこも欠けさせることなく治したならば、かなりの腕前ということになる。 ならば目の前の男が、獅吼らが噂していた凄腕の医師なのか。「…………あんたが、『セッカ』?」 あまり名前が似合っているとは思わないな、と失礼なことを思いつつ尋ねると、部屋の空気が氷った。いや、止まった。 弾けるような笑いが、部屋から零れた。 男はもちろんのこと、今まで退屈そうに傍観していた朱鷺風や獅吼、涼までもが笑っている。豪快さや、声の大きさはそれぞれ違うが、皆非常に可笑しい、と言わんばかりである。「あはははは。俺が、か?」「信じられねぇ、どうやればそうなるんだよっ」「こりゃ、傑作だ」「面白いこと、言うね」 口々に好き勝手を言っては、笑っている。状況が把握できない緋深は、何故笑われているかわからない。「何で、笑うんだよっ」「このハゲが、雪の花、なんて可愛らしい名前なもんかっ!」「雪の花っ?!」 朱鷺風の笑い混じりの絶叫に、緋深は目を剥いた。繊細な名の響きから、漢字を推測をしていなかったが、これは予想外もいいところである。どうやっても、目の前の大きな坊主からは想像も付かない名だ。赤珂、夕耶など、『セッカ』に当てはまる名でも似合うとは言い難いのに、よりによって、だ。 確かに、笑われるわけだ。頓珍漢な問いかけの極みである。 雪花、という可愛らしい名前ではないかと勘違いされた男は、笑いを収めきれない様子のまま緋深に向かい、手を差し伸べた。「俺の名前は、刺桐【しどう】だ。刺す、に落葉高木の一種の桐、で刺桐だ」 似合いの名である。雪花よりも、余程。 どうも気恥ずかしさと、後ろめたさに似た感情とに後押しされ、普段なら握り返そうとしない握手を求める手に、緋深は手を差し出した。後ろから聞こえる、獅子が吼えるで獅吼、清涼のリョウで涼、鳥の朱鷺と風で朱鷺風だ、と‘きちん’と楽しげに注釈を入れている獅吼の声は聞こえないふりをしつつ。 ようやく笑いが雪に吸収され、静寂が戻り始めた頃、襖がすっ、と開く。 下半身に届きそうなほどの長く美しい藍墨茶色の髪に覆われた顔にある、一見冷たそうにもとれるほど冷涼とした印象を受ける切れ長の目が印象的な、美しい女性がいた。「雪花」 刺桐の呼びかけに緋深は、いっそ穴があったら入りたい気分になった。--------漢字って、面白いですよね。音が一緒でも、使用される文字で、意味は大違い。
2007年01月06日
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この度、茜夜さんの【虚】と作品を連動することになりました。私のほうは、【幻 -ゲン-】というタイトルで、です。よろしくお願いします。
2007年01月04日
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雨風に晒され続け色づいた木でできた、立派な門が緋深の目に飛び込んできた。有に高さは3、4間はあるが、重たい雪に押し潰されることない、どっしりとした佇まいから職人芸が見て取れ、見る者が見れば思わず感嘆の息が漏れてしまうであろう代物である。 ここまできたならば、もういいか。 そう言わんばかりの態度で手を離した朱鷺風が、あ~疲れた、と呟きながら緋深を置き去りにし、先に門に向かって歩き出した。「あれが…………」「ああ、僕らの村だ……ようこそ、『禁足地』へ。客人を、僕らは歓迎しよう」 涼はにこやかに緋深に笑みを向け、門へ向かい足を促すが、緋深は半分聞き流していた。 不思議な感覚である。白く雪に染められた門からは、威圧感と和むような優しい雰囲気を緋深は感じていた。いや、違う。門の中からは暖かな光に包まれるような優しさを感じる。だがその周囲、門を取り巻く雰囲気は重苦しく、押し潰されそうな息苦しさを覚えた。(これが………『禁足地』) 神殺しの舞台。神の墓場。神が死の間際、呪詛をかけた、呪われた地。 緋深が信用できる人物から聞いた、禁足地の真実の姿だった。 曰く付きの、どう考えても明るい印象を受けない代名詞を受ける土地なのに、どうして門の中からは、村からはまるで幸せそうな家庭の窓から零れてくる光のような暖かさを感じるのだろう。なまじ門の外が毒素を散りばめたような息苦しい印象を受けるだけに、尚更そう感じて困惑してしまう。 緋深の足が縫い止められたように動けないのは、この先に待ち受けている‘何か’が恐いからではない。確かに村の住人全てが、緋深の出会った4人のような常人離れした力を有している者であるならば、確かに脅威を感じざるえない。獰猛な獣の檻に放り込まれた獲物になりかねないからだ。 だが、緋深には‘そんなこと’よりも恐れるものがある。(朔夜……) 不安だった。朔夜と引き離されたことにもちろん恐怖に似た不安を感じていた。だが、それよりも懸念することがある。 もしも、朔夜の腕か足が、治療の為とは言え切り落とされなどしていたら……。『何より先に治療を施したい。町のほうに戻ってもいいが、ちゃんと医学を修めた医者はいないだろう。あなた方の状態を見れば、温かい湯に放り込んだ後瀉血しようとするだろうが、駄目だ。あんな治療法では身体が弱まるだけだ。それより【禁足地】に連れて行ってセッカに診てもらった方が良い』『だろうな。骨折だけでも足をのこぎり引きで切り落とす医者と汚れた包帯を使って傷口を化膿させる医者しか町にはいないからな』 つい先ほど聞いた、獅吼と女性の会話が脳裏から離れない。 女性は、獅吼はまるで『セッカ』という者に任せれば、大丈夫なのに、と言わんばかりだった。だが、もしも手が尽くせず、それこそ彼らが酷評していた方法を採ったとしたならば……。 考えるだけでも背筋に悪寒が走り、心臓が凍り付く。 怒り狂わない自信がない。そのようなことになっていたならば、緋深はその『セッカ』という人物を殺しかねない。後先を考えず、破壊行動をするだろう。朔夜の立場が危うくなると知りつつ、だ。そして、自身を許すことなどできなくなる。 朔夜が生きてさえいてくれたらいい、と思えない我が儘な、傲慢な自分が恐い。朔夜が笑ってられるためならば、と言う大義名分を掲げ、影を落としかねない要素を徹底的に、容赦なく消滅させかねない自分を、押さえ込められなくなりつつある。 早く会いたい。だが同時に、とても恐い。相反する気持ちに足が竦む。(…………変わった、よな。俺) 少し昔ではあり得ない気持ちだった。誰かを想い、それ故に恐怖を感じるなど。それが自身が傷つくことよりも、死に直面することよりも上回るなど、決してなかった。 どうすればいいか、分からない。 腹を括って、飛び込めばいいと分かっていても、最悪の未来予想図が過ぎり、どうしようもなくなる。「ほら、いくぜ?」「どわっ!!」 急に、緋深より一回りは大きな手が後頭部を覆うように掴み、力任せに前進させた。何をするんだ、と獅吼を睨み上げても、当然のごとく無視をされる。 苛立たしい。だが、どこかで無理矢理連行されて良かった、とも思う。だが決してこれが『獅吼の気遣い』かもしれない、とは思わない緋深であったが。 ぐいぐい、と強い力で押されながら緋深はだんだんと門に近づいていく。それに伴い威圧感が増していくのに眉を顰めていると、獅吼が小さく笑いながら声をかけてきた。「心配すんな。最初はきついかもしれねぇが、直に慣れる」 驚いたように見上げる緋深に、獅吼は言葉を続けた。「ま、一番ここが広かったんだ。毒素が蔓延していたが、な。村の中に入れば、きちんと結界が張ってあるから呼吸は楽になるぜ。それに、こういった場所はここだけだ。他の場所にはきちんと清浄な地もある」「だからすぐに慣れるよ、大丈夫………でも、君は流石というか感覚が鋭い。守人の血かな?」 涼が感心したように呟く。守人の、と言われると腹が立つ緋深が、感情が逆立たない、水の流れるような静かな口調だった。守人、という単語に特別な、それこそ畏怖のような意味を込めてないことも、一因だろう。 圧迫感は増すばかりだが、2人の言葉を‘一応’聞き入れ、全身に感じる重みに耐えながら、獅吼に押されるだけでなく、自身でも緋深は歩き出した。 雪が溶け、その上からまた雪が降り注ぐことで門が凍り付いている様が見えるほど近づいた時だ。 「何だ………あれ」 思わず口に出して、緋深は呟いた。 白い石像があった。門の傍に緋深より一回りも二回りも大きそうな、立派な像が突っ立っている。 はじめ緋深は、白色とは珍しいが仁王像の一種か、と思った。門の傍にある像ならば、護身像であろう、と推定したからだ。なのですぐに興味を無くし、視線を逸らした。 だが横を通りすぎる時、緋深は目を瞠った。「なっ…………な、な………に、人間っ?!」 精巧な石像ではない。人を模して作るにしては、人間ができる技術を大幅に上回っていすぎる。 体温で溶けた水になっては、新たに被さる雪で凍り付いている。透明な氷で包まれた顔は、精悍でまさしく‘もののふ’といった容貌だ。だが大きく目を瞠り、何か悲痛なことでもあったような表情なので魅力は半減されているが。もしくは、頭の上に、柔らかな帽子のように降り積もった雪のせいかもしれない。 服が白く雪に包まれて、重たそうだ。体格がかなり良いだけに、雪で増幅した体積はかなりの存在感を示している。「……おいっ。あれっ……あれは?!」 涼と獅吼は‘雪だるま’に目もくべず、まるで視野に入っていないような態度で悠々と門を通り抜けようとするので、緋深は慌てて注意を促す。 だが反応は素っ気のないものだった。「あぁ~……ほぉっとけ、ほっとけ」「そうだね。今、酉門【ゆうもん】は誰の声も聞かなくて、無駄だから。そのうち、まあ死ぬ前にでも復活して戻ってくるよ」 酷い言われようだ。 思わずまったく面識のない緋深が、本当にいいのか、と思うほど、知人への対応にしては素っ気ない。「何で……あの人」 氷漬けの像になりかけるほど、長時間立ち続けていたのだろう。だが常人なら、冷気による火傷の痛みによりはたと正気に戻っていそうなものを、それすらも忘れているとは。「いつものことだ。どうせ‘先生’に気付いて貰えず、無視されたんだろうよ」「忠犬根性は認めるけど。でもねぇ」 肩を竦める両名は、何ともないように、ごくごく自然な口調である。そこに侮蔑のような意思はない。むしろ呆れ果ててはいるが、どこか優しげな声音すら混じっている。とすれば、少なくとも親愛の情はある、と判断して良いのだろうか。(いつものこと……) 緋深は‘雪だるま’を見送りつつ、思った。 やはり『禁足地』のことも、この村の住人のこともよく分からない。まだ、理解できない。時間をまだ少しも時間を費やしていないから、当然のことだ。 だが、一つだけわかることはある。(やっぱり………『禁足地』って、変な奴らばっかで、変なところだ) 偏見が多少混じっているかもしれないし、あながち間違いではないことであった。-----------------------……何だかこの頃絶好調です。不気味なほどです。首を傾げるぐらい、スラスラと。筆がのってますうぅん…やはりここは、いつまで続くかわからないので今のうちに書ける書こうと思いますノリとイキオイで書き上げているので、後日多少修正があるかもしれませんご了承頂ければ、としっかし……暇だから?ポケポケできるほどの暇が続くと、絶好調になるのかなぁ??まあ、理由はともあれ、この調子で1年、続くと良いなぁ…
2007年01月03日
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足を下ろす度に、新雪が無惨に押し潰されたことに反抗するかのように、纏わりつく。分厚い足袋を雪からの冷気が通り抜け、ヒリヒリと悴むような痛みを引き起こす。だが歩む速度だけは低下させず、緋深は足を新雪から出し入れをする。 --遅れるわけにはいかない。 前を飄々と、それこそ柔らかい雪の上を自重などないように歩く3人を見失わないようにするのだけで、悔しいこと緋深の全力だった。有り難いことに獅吼の着物は薄闇の中でも、やはり白銀の世界の中では目立つ。それだけが目印だと言っても過言ではなかった。「大丈夫かい?」 後ろを振り返り涼が尋ねるのに、緋深はどうにか荒い呼吸を収めつつ頷いた。気遣いは有り難いが、今ははっきり言って情けなさが際立ってしまうからか、疎ましくすら感じる。「無理してねぇでも、いいんだぜ?」 にやにやとした笑いを込めた獅吼の言葉に顔を跳ね上げ、緋深は睨み付けた。莫迦じゃねぇの、と少年が呆れたように言うが、表情は同情的だった。 そもそも緋深が無理に無茶を重ねているのは、獅吼が原因だった。 村へ案内する。そう言われた際、緋深はもともと自力で付いていくつもりではあった。身体的に厳しいと自身でわかってはいるが、頼り甘える気は更々なかったのだ。 だがその時、獅吼が緋深の逆鱗を楽しげに引っ張ったのだ。「辛そうだな。‘しょうがねぇな’。‘可愛いお前のため’だ。俺直々に運んでやろうか?」 もちろんからかわれていると緋深はわかっていたが、神経を逆撫でされて黙っていられる性格ではなかった。怒りに任せ、怒鳴りつけるように突っぱねた。しかし、それが原因だった。その勢いのまま、緋深に歩調を合わせるという案まで突っぱねてしまったのだ。いや、勢いというよりも意地の問題であったかもしれないが。 そしてそのまま現状は続いていた。悠々と3人は先を歩き、緋深は必死に後を追うという構図ができあがったのだ。「運んでやるって、言ってるのになぁ」 とても楽しげに提案をする獅吼に、緋深はもう返す言葉もない。ただただ憎たらしい顔を睨み付けるしかなかった。それほどの体力しか残っていない。 だが次の瞬間、そのその僅かな体力を使いきるような愚行を緋深は犯してしまう。「肩や脇に抱えるのは、負担がでかいだろうから、ちゃんと横抱きか背に背負ってやるぜ?」「ふっ、ざけんなっ!!」 雪に包まれた木々の葉を揺らす程の一喝だった。気力を全て注ぎ込んで怒鳴ったせいで、反動で疲れたように緋深はずりずりと傍にあった木に縋るようにして、地面にへたり込んだ。 醜態を晒している緋深とは逆に、呵々と楽しげに笑う元凶を緋深は殺気を込めて睨む。だが、やはり何処吹く風である獅吼には何の効果はない。 流石に緋深を哀れに思ったのか、涼が気遣い気に声をかけてきた。「大丈夫かい?ほら」 手を差し伸べられ、一瞬戸惑うがこのまま座り込んでいるわけにもいかない。-間違いなくこのままだと獅吼のからかいの良い餌食だ。緋深は意を決し涼の手を取り、助けられつつも立ち上がった。「………悪ぃ」「いいよ。それより、どうするかな?」 涼の言い分が分かるだけに、緋深は黙り込むしかない。今の自身の身体がいかに弱り、足手まといかはわかっているだけに、我が儘は言いにくい。 だが、譲れないものもあるのだ。「大丈夫だ…速度を落とさせることになるけど」「意地っ張り」 朱鷺風のきっぱりとした一言に切って捨てられるが、緋深は絶対ぇこれだけは譲れない、と言い張る。「だ・い・じょ・う・ぶ、だと言っているんだ!」「何言ってやがる!てめぇがそんなんだから、ちっとも進まねぇんだっ」 ぐっ、と緋深は反論に言い淀んだ。こちらを半眼で睨み据える朱鷺風の意見は正しい指摘だ。だが、緋深はその指摘を覆すだけの切り札を持っている。朱鷺風を黙り込ませるだけの、威力のある言い分を。「ならっ、お前なら奴に大人しく背負われるってのかよ!」「ひでぇ言い分だな」 絶句の文字を顔に大きく書いた朱鷺風を見つつ、緋深に指を指された獅吼は肩を竦めながら反論をした。だが誰も獅吼の言葉を受け取らない。本人が楽しげに笑っているのだ。相手にするだけ馬鹿を見る、というものだ。 絶句の文字を顔からようやくふき取り消せた朱鷺風は、しばらく苛々と髪をかき混ぜながら思案していたが、何かを吹っ切るように行動を起こした。「だぁっ、もう!」 意味を成さない言葉を叫んだかと思うと、緋深の首根っこを掴む。緋深が驚き、驚愕の声を出そうとお構いなしに歩き出した。「何、すん、だっ、よ!」 襟首が伸びそうなほど、朱鷺風の一見細い腕からは想像できない強い力で引かれているのだ。緋深は首が絞まりそうになりつつも、抗議の声を上げた。 朱鷺風は面倒臭そうに顔だけで振り返り、緋深を半眼で見つめた。「てめぇがとろいからだ」 理由になっていない。 更に反論の声を緋深が上げる前に、朱鷺風は畳み掛けるように怒鳴りつけた。「こうしたほうが速いだろうがっ。つべこべ言わず黙ってろ!」 緋深は目を白黒させるしかない。普通、だからといってこういう扱いをするだろうか。 この状況を打破してくれそうな涼に緋深は視線を向けたが、苦笑を混じらせた穏やかな微笑で黙殺された。むしろ微笑ましい、というような生暖かい視線が向けられているような気がしてならないのは、緋深の疑心暗鬼、もしくは勘ぐりすぎなのであろうか。 当然のことながら獅吼はにやにやと笑いながらこちらを観察している。 緋深は視線を合わせないように、必死で顔を逸らす。(顔が合ったら、ぜってぇ余計なこと言うに決まってるっ) 替わる、と言う最悪な提案、もしくは変な助言をし更に状況を悪化させるか、だ。 緋深はどこか諦めたように、大人しく朱鷺風に引きずられた。引きづられるままだと朱鷺風の身長上、下半身が雪の上を滑ることになってしまうので、足をじたばたと動かしながらであるが。足を上げては下ろす。それを繰り返すだけできちんと足跡が緋深の‘前’にできていた。体勢に無理があり、少々大変ではあるのだが。 緋深が大人しくしているのはよくよく考えてみれば、そう悪いことでもないからだ。 引きずられた当初は時々首は絞まっていたが、今はそうでもない。着物の襟の合わせがだんだんと開いたからだ。その分胸元が大きくはだけていくが、それはしょうがない。 足下は新雪が踏み積もってできた絨毯のように柔らかな、真っ白な道である。これが土と石が混じる獣道で引きずられたならば擦過傷などで足が大怪我を負ったであろうが、柔らかい雪は緋深の足を優しく包みこむので、怪我一つない。ただ足先から凍えるような冷たさが這い上がり、凍傷が少々酷くなりそうなだけだ。 問題は多少あるが、緋深にとっては大したことはなかった。 このまま身を委ねているだけで、朱鷺風の引く力により歩ける。先ほど一人で悪戦苦闘しているよりも、よほど速い。考えてみれば、緋深にとっては得なことだった。(もうぼろぼろなんだ。多少酷くなっても、あんまり変わらない) 問題が有りすぎる考えである。だが緋深にとって、今もっとも最優先するのは速く村に着くことだった。そのためなら、多少の負担も止む終えないことである。 幸いなことに、今朔夜は傍にいない。朔夜が傍にいたるならば、彼女の泣きそうな表情によって、緋深はこのような手段はとれないのだ。まぁ、朔夜が傍にいないから焦り、愚行とも取られかねない選択肢をあっさりと取っているのだが。 急にがくりと重力に引かれ、緋深の身体が新雪の海に投げ出されそうになった。だが寸でのところで腕の付け根のあたりを緋深と変わらない大きさの手が掴み、受け止めた。 朱鷺風が襟首から、腕へと掴む場所を変えたのだ。流石に襟首は手が滑りやすく、持ちにくかったのであろう。 そのまままた歩きだそうとする朱鷺風に、流石に待ったの声がかかる。「いや……ね。そろそろ、それは……」 くつくつと涼は口元を隠しつつも、笑っている。獅吼は肩を震わせつつ、喉の奥で声もなく笑っていた。 ………ここで緋深はようやく気が付いた。第三者の視点を。そしてこの光景がいかに間抜けな光景かを。 どうやら身体が弱り、機能が低下すると脳の半分も働かなるようだ。もしくは長時間この冷たい空気の中にいたせいで、脳が凍り付いているようである。(それか………さっさと村に着くこと以外考えていてなかった…他を排除してたのか) 視野狭窄も甚だしい事態である。 笑われたことに朱鷺風は過剰反応気味に怒り、怒鳴っていた。「てめぇら…………笑うなっ!」「いや……ごめん、ごめん」「だってなぁ」 2人の笑いは止まらない。笑い声はむしろ高らかになっている。「………お、まえらぁっ!!!」 朱鷺風の怒りは更に煽られ、騒がしい状況に成り果てていっている。(……なん、何だよ) 常なら朱鷺風に賛同をし、噛みついているであろう緋深は、この朱鷺ばかりは飽和した頭でさえ感じる違和感に気を取られていた。 緋深は守人のできそこないだ。半分しか守人の血がない、半端者である。それゆえに歩んできた人生は深く、暗いものばかりだ。朔夜と出会い、それを通じて出会ってきた人々は皆緋深が戸惑うほど普通に接してきた。だが、彼らは人の上に立つ“貴の者”だ。穏やかで優しい時間の中であっても『やはり上品』というか、けたたましいとはほど遠い空間だった。それにその空間の中でも、主に『害をなしかねない者』という札を貼り付けられ緋深は彼らの部下から監視されていた。 だからだろうか。目の前のような騒がしいくせに和やかなことなど、今までなかった。 このような『普通』な状況に、緋深は戸惑うしかない。できない。獅吼達と出会ってから感じていたことだった。だが、曖昧でぼんやりとしていたので無視ができていたのだ。けれども、このように騒がしいほど賑やかな状況で、はっきりと戸惑いが輪郭を持ってしまい、取り扱いに困ってしまう事態になってしまった。「てめぇも、何か言えよ!……って、おい?」 援護を要請しようとした朱鷺風がきょんとした表情で、こちらを見ている。よほど間抜けな顔をしていたのであろうか。緋深は思わず顔を手の甲で軽く擦り表情を正した。 朱鷺風は呆れたように、気が抜けた顔になる。涼と獅吼は何故か、背中がむずむずするような和やかな光を秘めた目を細めている。「………はぁ……行くぞ」 朱鷺風は襟元を掴み、そのまま力任せに緋深を引っ張った。 ぐん、と急に力がかかり転けそうになるのを必死に堪えながら、緋深は怪訝そうに、引きずりながら先を行く朱鷺風の後頭部を見た。茶色味の強い、短髪しか見えない。 武道者として実力があるであろう朱鷺風だ。視線に気が付いていないわけではないだろう。 だが決して、朱鷺風は振り返らなかった。
2007年01月02日
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