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スクリーンに映写された<表現物>でありながら、映画と呼ぶのにためらいを感じる一群の作品が存在します。それらの作品たちは、私たちが漠然と共有する<映画>というものの概念から、はみだした部分を持っていますが、そのはみだした部分を互いに共有していることはあまりありません。それらは互いに孤立しながら、<映画>と呼ばれる表現物が形作る概念の辺境に私たちを誘います。私たちは辺境の作品に触れることで、つまり映画の辺境に身を置くことで、逆に映画なる表現の実体を捉え返すことができるのです。辺境の作品というものを具体的に言うと、下のような感じになるでしょうか?ハリウッド映画を見慣れた私たちの目に、ときとして異様に映るヨーロッパ映画はハリウッド映画の辺境です。アジア映画も、そして邦画でさえも、私たちには辺境かもしれません。もっとも、これらの辺境を<映画>と呼ぶことにためらいは感じないはずです(ハリウッド映画に培われた感性が、「つまらない映画だ」と判断することはあるでしょうが。。)。辺境の映画とは、これら<映画>の外側に、国籍ではくくれない形で存在する多くの映画たちのことです。つまり辺境の映画とは、ハリウッド映画に培われた私たちの感性からの距離の問題が質の問題に転化する先にある映画ということになります。私たちが信んじている映画の本質から距離が離れていくほど、私たちはその作品を認めることに抵抗を感じます。そしてその距離がある時点を越えると、「これは映画じゃないっ!」と反射的に感じてしまいます。辺境の映画の存在価値、見る意義は、まさにそこにあります。現在の私たちは、どういう作品を映画だと信じているのか?どういう仕組みを持っていれば映画だと思うのか?映画には新しい可能性はないのか?私たちの心に否定的な感情が浮かぶたび、辺境の映画たちはこう問いかけているのです。辺境で繰り返される試みのいくつかの成果は、時間をかけて(あるいは即座に)私たちに吸収されていくでしょう。辺境の映画に正しく触れることで、私たちの映画観や感性は、常に変化していくことでしょう。これはつまるところ、映画を時間つぶしの娯楽として消費するのではなく、ひとつの体験(経験)として、受け止めていくことなんだと思います。ついでながら私には、このふたつの姿勢のどちらか一方を否定しようというつもりはありません。日常生活でヒトに対するとき、相手によって接し方を変えるように、映画によって付き合い方を変えるべきなんじゃないかとは思いますが。。もっとも私の考え方の欠点としてあげられるのは、客観性の保証が極めて難しいことだと思います。ひとつの経験として映画を受け止めてしまう以上、そこはもう主観でしか語りようのない世界です。その経験に対する評価を行うのが本来の批評行為ではないかと思うのですが、私はすこしズラせて反応しています。自分の関心の赴くままに、その作品の世界観や物語の構造、物語の語られ方、イメージのつなげ方などを語っています。意図的なズレに意図せざるズレが混ざってしまうのが、少し哀しいですが。。いつか本来のスタイルに挑戦してみたいものです。長々と前置きしましたが、明日以降に、「ZOO」について述べてみたいです。前置きの半分ほどな長さに終わる可能性をひしひしと感じています。続きは(こちらをどうぞ。 あらすじや雰囲気は、気になった時点でこちらでご確認を。。(汗)http://www.tsutaya.co.jp/item/movie/view_v.zhtml?pdid=10000732http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD11839/story.html*****私、毎週水曜日が休みなんですが、昼過ぎに出かけて19時ごろ帰ってくる癖(?)があります。帰ってくると、よく同じフロアの2つ隣に住む奥さんと出くわします。その方、いつも自室のドアの前で、一生懸命メール打ったり読んだりしてるんですよね。。この情景、すごく想像力を刺激します。。いったい誰とやりとりしているのか??愛人なんてベタな回答は封印して、いろいろ考えて遊んでます。
2004.09.30
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この数年、あまり監督名を意識しないようにして見てるんですが、そうと気づかないうちに、特定の監督の作品を何本も見てることがあります。「ブギーナイツ」、「マグノリア」、「パンチドランク・ラブ」のP・トーマス・アンダーソン、「6センス」、「アンブレイカブル」、「サイン」のM・ナイト・シャマランがそうです。このうちM・ナイト・シャマランの作品は、作品世界に入り込んで楽しむ作品ではなくて、もう少し上空の視点から、物語を語る楽しさを満喫する映画なんだと思います。そこで何が語られているかということよりも、どう語るかというところに、シャマランの関心はあるようです。良し悪しの判断は停止させたまま言いますが、彼の物語は驚かせるための装置であり、語られる内容に意味や精度を求めてはいけないような気がします。 以下、ネタバレ多少入ってます。この作品には途中で1度、最後にもう1度、どんでん返しといえるような事実が明かされます。作品の舞台になる村の謎を2段階で明かす仕組みです。1度目のどんでん返しは、それまで語られてきたストーリーをぶち壊し、見るものを宙吊りにするためにあります。この宙吊りの印象は、ヒッチコックの「サイコ」を見てるとき、冒頭から登場していた女性が途中で殺されてしまうのを見たときに感じる気持ちに似ています。話の流れが完全に断たれ、この先いったい何が起こるのか想像もつかないような状態です。その状態から最後のどんでん返しにいたるまでは、美しい獣のような表情をした盲目のヒロインが、恋人を救うために禁断の森をたったひとりで抜けていきます。このエピソードの美しさ、力強さは、見ごたえがありました。もうひとつのどんでん返しは、それまで見てきた出来事が指し示す意味を、完全に書き換えます。この点が、「6センス」や「アンブレイカブル」のどんでん返しより、一歩踏み込んでいたところではないでしょうか。この2作のどんでん返しでは、意外だが腑に落ちる事実が暴露されていたにすぎませんでしたから。。その意味でこの作品を<見ること>は、すべて見終わったときから始まるんだと思います。あまりに深い絶望。その絶望がお金の力を背景に作り上げた異様で哀しい村(お金というものが存在しない村が、実は金の力で守られていたという事実!)。村の指導者役がウィリアム・ハートなのも大きな意味を持って感じられました。「アルタード・ステーツ」、「白いドレスの女」、「再会の時」、「偶然の旅行者」などで彼が演じて見せてきた独特の主題(ときとして理解不能な風変わりな屈折)が、この作品の底にも流れていたようです。この村のためにほんの少し、涙を流してあげてもいいかな、と、思わせてくれる作品でした。けど、まぁ、アラはいろいろありますが。。あいかわらず、化け物はきぐるみだし。。(笑)(シャマラン、最後の方で出てた?)
2004.09.28
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あと数年、関東に住み続けると、関西生活より関東生活のほうが長くなります。標準語はほぼカンペキに話せます。最近じゃ関西弁の方が、ちとあやしいくらいです。語彙は混乱しないんですが、関西弁独特のイントネーション、喋るリズムが、標準語の影響を受けてるようです。 不思議なのは標準語に関西訛りが出たときは自分でも分かることが多いのに、その逆のとき(関西弁に関東訛りが入るとき)、まず自覚できない、ということです。自覚できたのは、関西人と関東人が入り混じった状況で、どちらの言葉で喋るべきか迷いながら喋り始めたとき、どちらの言葉ともいえない得体の知れない言葉で喋ってしまったことがあったからです。いやぁ、あのときは、自分でもわろたわろた。。 基本的には緊張感あるときは標準語、くつろいでるときは関西弁が、優先的に採用されるようです。なんかヒトごとみたいな書き方になってますが。。(汗) 語彙についても、ごくたまに失敗すること、ありますね。。たとえば。。「ほっこりする」という京都弁があるんですが、私、長い間、標準語だと思ってました。で、普通に使ってました。標準語に翻訳(?)すると、「一休みする、ゆっくりする」てな意味なんです。ニュアンス的に通じてたみたいなので、あえて聞き返されたりはしなかったようです。あと、「雲」と「蜘蛛」の区別は超適当です。文脈から察しろっ、てな感じっす。(^◇^)ケケケ ****映画のこと毎日映画を見るというのは、なかなか難しいです。。映画の話は好きなんで、毎日でも書きたい気持ちはあるんですが。。 「ラ・パロマ」(ダニエル・シュミット)久々にビデオでみました。いいなぁ、と思って見入ってしまうんですが、何がいいのか分析できないのです。。(汗) しばらく考えて感想書いてみたいっす。てかね、これは最低でもDVDで見なければ、画質は悪いは画面のはしはちょんぎれてるは。。(汗) 「ZOO」(ピーター・グリーナウェイ)これもいい!んですが、やはりうまく言えない。。あと一息で書けそうっす。 「ジ・エンド・オブ・バイオレンス」(ヴィム・ベンダース)もう一回みたい映画NO1なんすが、なかなか見つかりません。。 あと、ついでに。読みたい小説「反復」(アラン・ロブグリエ)理解できるかどうか、興味があるのだ。。(^◇^)とりあえず買いました。。最近買ってばかりだな。。(苦笑)
2004.09.27
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昨日に続いてあほあほ映画を見ました。先日来、「ZOO」という映画を二度ほど見てたもんで、ふと目にとまったんだと思います(笑)。この作品には、「えびボクサー」や「ゾルタン★星人」、「0061北京より愛を込めて」に通じるものがあります。あるいはそれは、笑わせるということに対する真摯さ、笑わせるためならなんでもやるぞ的なサービス精神、と言ってもよいかもしれません。サービス精神旺盛な映画は、私は大好きです。 (あらすじ)デレク・ズーランダーは4年連続男性スーパーモデル大賞の受賞を狙うが、新人モデルに阻まれる。その直後、不慮の事故(?)で友人を失い、マスコミのバッシングに遭い、彼は失意のうち、故郷に帰り、父と同じ仕事に就くが(炭鉱夫。。)、うまくいかない。父にも存在そのものを否定されてしまう。そんなおり、今をときめくデザイナーからのオファーが届き、彼はモデルに復帰するが、そのオファーには恐るべき陰謀が秘められていた。。 あまりのあほさ加減は、笑えるレベルを通り越し、ものすごいな、と思わせるほどです。「ゾルタン★星人」がノリのゆるゆるさを楽しむ映画なら、この映画のアホなノリは、もはや過激というしかないところまで、いってしまってます。たとえばガソリンスタンドのエピソード。。生真面目な私(??)には、一瞬何が起こったのかわからないほど、とてつもない出来事が起こります。「2001年宇宙の旅」のパロディ・シーンにいたっては、あまりのあほのすさまじさに、不覚にも感動してしまったほどです。 ヒトはどこまであほを許せるのか?この映画は私たちに、そんなに問いかけを投げてくるのですっ(いや、ちょっとおおげさかも。。)。そして私はそのすべてを許せたことを誇りに思い、同時にあまりに抵抗なくすべてを受け入れた自分に、一抹の不安を感じます(汗)。こういう路線の邦画によく見る予定調和な笑いはここにはなく、画面に提示されるあほあほエピソードに、私たちは、ときに笑ったり、ときにひいたり、あきれたり、固まったり、自分の中にいろんな反応が起こるところを楽しめるはずです。てか、アメリカ人にはあれが予定調和なのかな??
2004.09.26
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「少林サッカー」や「食神」で主演監督脚本をこなしたチャウ・シンチー(周星馳)の監督デビュー作です。アニタ・ユンも出てました。この方、お美しいですねぇ。タイトルから想像がつくように、007や香港映画のパロディものですから、ジャンルはアクション・コメディになるんでしょうが、笑いの質はハリウッド的な洗練されたものではありません。しかし、ベタなのりの好きな私、アホアホな雰囲気の大好きな私、血が飛びまくると嬉しくなる私には、とってもお薦めな映画でした。。(えっ?)あほなことが画面で起こり続けてるわりには、ハードボイルドな、抑えた演出がされていて、そのアンバランスさが素晴らしくクスクスものです。(ストーリー)諜報部員007(チャウ・シンチー)は、仕事をほされ(というか、存在そのものを諜報局から忘れ去られ、)、街中の肉屋として日々をおくる。その彼に舞い込んだ10年ぶりの仕事は、盗まれた国宝級の恐竜の頭蓋骨を見つけ、取り返すことだったが、同時に彼にはひとりの刺客(アニタ・ユン)が差し向けられるのだった。。しっかりした作りの画面(光の当て方、影のつけかたがとってもいい)、要所要所での見事なアクションが、作品の印象をきりっとさせてます。香港ノワールと呼ばれた「狼たちの挽歌」の流れ、ジャッキー・チェンに代表されるアクション・コメディの流れ、「黒薔薇VS黒薔薇」に表れるようなはちゃめちゃコメディの流れ等、香港映画の良質な部分がこの映画にはたっぷりと流れ込んでいました。さらにいえば、わずかながら香港ホラーの香りもしました。非ハリウッド的ではありますが、良質な娯楽映画だと思います。ラス・ボスは、ロボコップをおちょくったとしか思えんヤツなんですが、まるでダサいその敵役と戦うラスト・シーンのカッコよさ(格調の高さ)は必見です。なんともアジア的な<間>の世界ではあるんですが、同時に見事なハードボイルドの世界になってました。香港映画にありがちな、お涙頂戴な路線からは一線を画した、からっとした仕上りも素敵な映画でした。
2004.09.25
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もうおとついのことになりますが、いもぉと・みぃ(らべんだ )とランチしてきました。前から国立市のうまい釜飯屋に行こうと約束していたからなんですが、釜飯屋のあるべき場所には、なぜかステーキ屋がありました。けどまぁ、ここでもいいか、ってことで、中に入りました。民芸調の内装の店内の雰囲気は、とてもよかったと思います。珍しく(ええ、ほんとに珍しく)みぃが遠慮するので、ステーキセットは食べれませんでした。ステーキ丼セットにしました。サラダと赤だし、つけもの、テンプラの盛り合わせみたいなのがついてた気がします。まぁまぁ納得の一品でしたが、今までみぃと喰ったものの中では、一番普通だった気がします。だから私のサービス精神(もてなし精神?)は、満足できませんでした(笑)。兄としては、いもぉとの、心の底からマイウーな顔を見たかったのです。なのでそのあとケーキを食いに行きました。この日初めて知ったのですが、みぃはタイヘン少食だったようです。今までは遠慮して喰わないのかな? とか思っていたので、少しほっとしました。 みぃとの話題はお金の話が多くなります。前はどうすれば小銭が儲かるとか、そういう話が多かったんですが、今のみぃは専業主婦ですから、家計のやりくりが一番の関心事だったようです。しっかり者らしい細部へのこだわりで、うまくやりくりしてるようです。これはいつも思うのですが、みぃの意外な一面ではないでしょうか。技能も能力も高いやつなので、働き始めたらきっとまたばりばり稼ぐんぢゃないかと思います。それにしても、くれち(ダンナ)を会社まで送り迎えしたり、毎晩足のマッサージをする、という話には少しびっくりしました。てかまぁ、ラブラブな新婚さんらしい表情してたいもぉとには、そういうことも楽しさのひとつなんでしょうねぇ。。 ところで。みぃがいろんなところで<せびはいつも遅れてくる>と言ってるようなので、ここで弁解しておきます。私が仕事以外の理由で約束の時間に遅れるのは、それはそれは、とてもとても珍しいことなのです。しかしなぜか、ここの日記に書いた友人との待ち合わせには、遅れてること、多いです。。(汗) でも私は心が広いので、申し訳なく思いながらも遅れてきたヒトを責めるというみぃのようなことはしませんw。せいぜいヒロンが二時間遅れてきたとき、その2時間に使ったお金(昼飯代、マンガ喫茶代)を、アカネと一緒になって、ヒロンに請求しようとしたことがあるくらいです(笑)。しかし相手を責めないせいで自分に対する基準までゆるくなってきているのかもしれません。気をつけなければ。。(キミもだぜ、ライヒ君←と、矛先をどこかに変えようとするおれ。。汗) 上司からメッセが入ってついついしゃべってしまって遅れた、という理由を、みぃはあまり信じてくれていないようでした(汗)。嗚呼、いつの時代も真実とは、同じ時代のヒトからは、支持されないものなのですね。。きっと私の正しさは、30年後に証明されるでせう。。
2004.09.24
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ヒトは物語を紡ぐ生き物です。身の回りに起こった出来事を物語として記憶し、記憶をもとに新しい状況を理解します。個々の記憶はさまざまな形で、たくさんの他の記憶と結びつきます。そのさまはさながら蜘蛛の巣のようです。私たちは、ときおりその<記憶の巣>を修復します。例えば風に巣を壊されたとき、蜘蛛が破れた穴を修復するように。そのとき、記憶の書き換えが行われる可能性があります。曖昧になった記憶を掘り起こすとき、事実を探り当てることもあれば、<本当はそうしたかったこと>を探り当てることもあるでしょうし。本当は言われもしなかったことを、言われたように記憶しなおすことも、あると思いますし。通常この操作は、意図的に行われず、ヒトの記憶の限界、認識の限界をあざ笑うように、無意識(あるいは半無意識)のうちに行われます。同じ出来事に基づいて別の物語を紡いでいる他者との比較によって、かろうじてこの事実を認識できるに過ぎません。ちょっとした揉め事になることもあるでしょうが、この映画の主人公に起こった事態に比べると、それはきっと些細なことに過ぎません。というのも「スパイダー」の主人公は、この蜘蛛の巣の構築じたいに悪戦苦闘するんです。身の回りで起こった事実を認識することは、物語を紡ぐため、巣を構築するための基礎作業にあたるわけですが、精神を病んでいる彼には、これをうまく行うことができません。彼が過去を振り返るとき、過去を物語る映像の中に現在の彼の姿が現れるのですが、「子供時代の彼がその場にいない場面」にも、現在の彼が現れてしまいます。そして現在の彼は、そこで起こった出来事を、判読不可能な文字でメモしてしまうのです(事実として記憶しちゃうんです。子供時代の彼がその場にいないのに、彼はどうやって知ることができたんでしょうか?)。この彼の姿をどのように捉えるか?ということなんですが、私はクロネンバクさんが、認識の限界ていうものを私たちにつきつけてきてたんじゃないかと思ってます。主人公の認識の限界は、私たちよりはるか手前にありますが、私たちにも認識の限界は存在しますから。私たちはこの映画の主人公を眺めながら、パズルのような断片の再構成を迫られつつ、この映画に試されていたんだと思います。例えば彼がテーブルについてコーヒーを飲むシーン。最初は彼のほぼ全身が画面におさまっていますが、ほんの少しずつクローズ・アップしてゆき、いつのまにか彼の顔だけが画面を占めてるんですよ。人間の視覚って、超スローな動きや変化に鈍感ですから、これってなかなか意識しづらかったりするじゃないですか?私は、あほなもんで、この発見に有頂天で、初見の早い段階で気づいてたのって、おれだけじゃないかな、なんて思いましたが(笑)。他にもフィックスと思っていた画面が、人物の動きに合わせてほんの少し動くことがよくあって、このほんの少しというのがどうも感覚の限界を狙ってきてるような気がしてなりませんでした。私たちは結局、それぞれが自分自身によってのみ事実とみなしうる<記憶の巣>の上で生きている孤独な存在なんでしょうね。その意味で「スパイダー」の主人公の姿は、私たちひとりひとりの姿とイコールなんだと思います。***以下、蛇足主人公がひとりで部屋にいるシーン、特にメモをとるシーンは、無声映画のような構図や演技が多用されてましたね。特定の作品へのオマージュだったんでしょうか?そうぢゃなかったとしても、なんだか始原的な雰囲気だしててよかったと思います。****さらに追加今日はいもぉとらべんだ と昼ごはんを食べてきました。新婚さんらしい幸せそうな顔してたのが印象に残ってます。このときのことは明日の日記で書こうと思います。
2004.09.22
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書いてみよかと思ってます。しかしこれから、仕事メールを2本書かねばなりません。お金がないと哀しくなってしまうからです。そのあとで書きます。明日になるっぽいなぁ。。(汗あ。余談ですが。。昨日ヘンな夢を見ました。誰かわからないけれど親しいヒトの運転する車に乗せられて、葬式会場で降ろされました。尋ねてみました。「なにこれ?」「○○が死んだんだよ」「へ?」「君を呼んで来てほしいと、頼まれたんだ」「誰に?」「○○だよ。君に来て欲しかったんだろね」けど私は、その○○が誰なのか、さっぱり思い出せません。男なのか女なのか、それさえ分かりません。なのに懐かしさが胸に満ち、そして涙があふれてくるのです。体じゅうの力が抜けて、その場にしゃがみこんでしまいました。顔も姿も見えない車の運転手は、私に言いました。「中に入れよ。会ってやれよ」「ここでええんや。おれ、中には入らない」「どうして?」炎のたてがみを持った金色のライオンが見えました(これは私が繰り返し夢で見るイメージなんですが、何を象徴してるのかまだ分かりません。。汗)。すると、見えない運転手は言いました。「そうだな。。入らないほうがいいかもな」たぶん明け方に見た夢です。目覚めたときにも悲しい気持ちや、泣いたあとの奇妙な爽快感やらが私の中に残ってましたから。意味はさっぱり分かりませんが、今日一日、この夢のイメージの支配下で、私は行動していたように思います。悪い気持ちぢゃ、なかったです。これ、脱皮かなぁ? (笑)昔仲良かって連絡途絶えたヒト、誰か死んでたりして。。(汗)
2004.09.21
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若い頃、セクハラされた、というか、痴女に何度かあったことがあります。まぁ、痴女なんていうと言いすぎなのかもしれませんが、そう感じた体験をしたんです。てなことを書くと、なんだか自慢してるようにとられる恐れがあるので、まず現在の私の見た目を紹介しておきます。えと。。ひと言ですみますので。。のび太顔の醜いトド。。以上です。。(汗) もっとも最近少しやせたましたから、のび太顔のあざらし。。くらいなカンジかもしれません。嗚呼、早く人間になりたいかも。。 高校生の頃、バス通学してたときに、手を握られたのが最初です。今ぢゃ思い出話できますが、当時はまじで怖かったっす。高校近くのバス停で、学生どもがわらわらと乗り口に向かうなか、後ろから手を握られました。高校生でも女の子どうしで手をつなぐコっていましたから、そういうコのひとりが、通称オカマ手な私の手を、友だちの手と間違えたんだと思いました。なのでカバンを持ち替えて、気づいてもらおうと思ったんですが、もちろん全然だめでした。どうしようかな、そのうち気づいてくれるかな、なんて考えているうち、私、そのままバスに乗っちゃったんですが(笑)、さすがにこれはおかしいと思って振り返ったら、猫顔の美人な上級生が、じぃっ、と、こっちを見てはりました。。私よりひとつ手前のバス停で乗り降りするヒトでした。その方がこちらを観察するみたいにじっと見てるから、私は怖くなって手を振り払ってしまいました。今思うと、おしいことしたのかもしれません。 東京に来てからしばらく神谷町というところで働いていたんですが、一度などは通勤電車のドアが開いた瞬間に私と目のあった女性が、まっすぐ私のほうに突進してきて、胸と胸がぴったりくっついた状態で何駅もやりすごしたことがあります。その方も猫顔だったんですが、バッグを持ってたので、当然それを胸に抱えてガードするだろうと思ってたんです。そしたらノーガードできたもんだから、「お前は矢吹ジョーか?」と、心の中で突っ込みました。いや、もう。周りのヒトは、こいつらなんで朝からこんなラブラブなんぢゃ、という目で私たちを見ています。当たり前です。だって体をぴったりくっつけて、彼女は妖しい微笑みを浮かべとぃるんですから。。ヒトの良心良識をあくまで信じようとする私は、彼女は胸をガードできないまま、こんなはめになったんだろうと考えました。なので満員電車の中、彼女のためにがんばって、わずかですがスペースを作ってあげました。そしたらですね。。その女性、そのスペースを使って悪魔の所業に出てきました。そのスペースはBカップくらいな彼女の胸の高さほどのスペースに過ぎなかったんですが、彼女は電車の揺れに合わせ、胸の先だけを私にこすりつけてきたのです。。男にとってこれは、いろんな意味でたまりません。しかもわりとタイプな顔だったりします(笑い)。いろんな妄想が頭をよぎりました。このまま会社行かず、このヒトとどっか行っちゃおうか、とか(あほ)。しかしそのころ、ちょうど世間をエイズが騒がせていたので、私は思いとどまることができました。遊びまくってた学生時代の女友達から、「わたし、エイズやったらどぉしよぉ」なんて、わらける(?)相談受けたのもこの頃でしたし。。電車ネタは他にもいくつかあります。私の肩にあごを乗せて、立ったまま幸せそうな寝息を立ててた小柄なオジサンの話とか。逆に私がつり革を持ったまま、立ったまま眠ったときのこと。手の力が抜けて手がつり革を放してしまい、下に落ちたんですが、なぜか、ぴしゃっ、って音がしたんです。なんかつるつるしたものが手のひらにあたったなぁ、と思って目が覚めたんですが、周りのヒトたちが懸命に笑いをこらえています。ただひとり、私の前に座っていたオジサンだけが顔を真っ赤にして怒りをこらえてたんですが、その方の頭、つるつるでした。。(汗)謝ろうかと思ったんですが、謝るとかえって怒られそうなので、黙ってまた眠ることにしましたとさ。。
2004.09.19
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国立の古道具屋で見かけたアンティーク時計が気になってきました。金張りボディがいい感じにヤレていて、なにより品があったんです。文字盤の細工も、ちと変わっていておしゃれな置時計でした。 いくらするのか聞いときゃよかったな。しかし。。時計はもう、いらん気もするしぃ。。昨日もちょっとだけやけど、散財したしぃ。。(汗)昨日は仕事で立川に行ったんですが早く終わり、次の仕事まで1時間半ほどあき時間できたので、ネクタイとCDと本を買いました。ネクタイはヨシエ・イナバの、ウサギの耳がモチーフになってるやつで、紺が基調だけど明るい感じがするので気に入りました。ウサギ年生まれなのでネクタイはウサギ柄を集めてみてます。本は「戦後短編小説再発見10」(講談社文芸文庫)っていうアンソロジーを買いました。載ってる作家が私としてはサイコーだったんです。内田百ケン、石川淳、稲垣足穂、阿部公房、藤枝静男、澁澤龍彦、笙野頼子、筒井康隆、高橋源一郎、吉田知子、半村良。。わくわくする作家がずらりならんでます。この中で好きな作家を3人選べといわれれば、とても迷いますが、藤枝静男、阿部公房、内田百ケン、笙野頼子でしょうか。。ん? 4人いる? いや、もう無理。。これ以上は減らせません。。(汗)買い物は40分くらいで終わりました(ほとんど迷わないヒト)。買ったばかりのCD聴きながら、車で次の約束の場所まで行きました。途中で約束の相手から電話があり、約束を1時間遅らせてほしいというので、約束の場所の近くの公園の駐車場に車を停め、ちと遅い昼ごはん(マクドのパン)を食べながら、CD2枚、ほぼ聴けちゃいました。結局ほぼ1日、会社にいない日になりました。。いや。。仕事はしてましたがね。。待ち時間多くてだるかったな。。
2004.09.18
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アキ・カウリスマキは小津マニアとしても有名らしいですが、小津安二郎の映画に精通していない私にはそのあたりのを詳しく語ることはできません。ただそんな私から見ても、明らかに影響を受けている、というか、ほんとは小津になりたいんじゃないか、と思うくらいの偏愛ぶりを感じました。例えば主人公がバーのカウンターでアルコールを飲む場面。主人公を映すシーンの背景は赤一色の壁面だったりします。単色の壁面が背景になり、遠近感を狂わせて、面白い絵になっています。これは、小津の映画でよく見かける効果です。また、小津独特のカット割りもそれなりに再現されていました。また、その小津ふうの固定されたカメラが写す絵の中では、登場人物も移動せず、同じ場所にとどまっていることが多いです。たまに移動することがあっても、ほとんどの場合、平面上をまっすぐに歩いていくだけです。この動きの少なさは、なんだかもどかしさを感じさせますが、これは登場人物たちの住む世界が抱えるもどかしさに通じているのだと思います。そしてときおり織りまぜられる移動撮影が、効果的に、カメラが追いかける対象への温かみのある気持ちを呼び起こします。また、頻繁に画面の奥行きを遮断する巨大な遮蔽物は、閉塞感を効果的に高めます。こうやってみていくとこの映画は、なんだか見る者の視覚を通して、見る者に心理的な圧力をかけ、そこに生じる感情を、淡々とした物語の中に転化させていく装置のような気がしてきます。奇妙な構図やカット割りを気に留めず、素直な気持ちで画面を見つめるのが、もっともよい見方なんじゃないかと思いました。少し話は変わりますが。。この映画の内容は、同じ監督の「コントラクト・キラー」とよく似ています。ちなみに「コントラクト・キラー」のあらすじは、こんな感じです。リストラで職を失った主人公(ジャン・ピエール・レオー)は、自殺を試みるも、失敗し続ける。そこで殺し屋を雇い、自分を殺させようとする。殺し屋がやってくるはずの夜、ふと生まれてこの方飲んだことのなかったアルコールを飲んでみたくなり、パブに出かける。そこで運命の女性と出会い、死ぬ気がなくなる。自分の雇った殺し屋と、おっかけっこするはめになる。。両作に共通しているのは、おとなの恋愛ドラマであること。ハッピーエンドであること。まったく呑まなかった主人公がアルコールを口にすること。主人公が作品の冒頭で何かしらを失うこと。主演男優の顔が同じ系であることです(笑)。過去をなくした男は、取り戻す過程で上昇志向を持ちますが、レオーの方は、おかしかなしい低空飛行を続けます。この2作を見比べると、同じ題材で作られた2つの違うドラマを楽しめるんじゃないかと思いました。****(昨日までのこの日記の状態は、↓)いまかいてます。。けど、ねむいのでかけないかも。。とりあえず、TOPの写真、変えときました。。うちの近所の夜景で遊んでみました。お楽しみ下さい。。えと、それでいまなにを書いているかというと、「過去のない男」の感想です。明日の夜には、間違いなくできてると思います。。(汗)
2004.09.16
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大学時代の友人と遊んできました。ライヒ君(Y君)とベリちゃん(S子ちゃん)です。ライヒ君は現代音楽の世界でがんばっています。ベリちゃんはベリー・ダンスの世界で、こちらは今のところ趣味としてがんばってます。12時半に待ち合わせていたにもかかわらず、私は遅れてしまいました(またかい。。汗)。うっかり寝過ごしてしまったんですが、驚いたことに彼らはふたりともケータイを持っていないので連絡が取れませんでした。。約束の時間を15分ほど過ぎたとき、ベリちゃんから電話がありました。ベリちゃんは、自分が約束の日時か場所を間違えているんじゃないかと心配してたようです。てことは、ライヒ君も遅れたということですね。。(汗)私はベリちゃんを力づけるように言いました。「大丈夫。国立駅南口で間違いないで。時間も今日の12時半でOKや」あまりの言い草にベリちゃんは笑うしかなかったようです。。いや。。おれ自身遅れてるという立場をわきまえた言い方ってのがあるやろ。。そう思ってあわてて付け加えました。「あ、おれ、まだ立川にいるんやけど、今から15分ほど時間をさかのぼって行くから。。そう。。だからそっちに到着するときは約束の時間どおり。。。」ええ歳してこんなあほでええんでしょうか。。午後1時に集合できた私たちは、まずタイ料理屋に向かいました。なにしろ関西人が3人です。いつ誰がどこから笑いを取りに来てもおかしくない状況なので、今日はずっと賑やかな店をセレクトしていきました(最後のさてんはなぜか静かだったな。。)。そのオープニングにタイ料理屋、だったんですが。。ライヒ君もベリちゃんも怪訝な顔をしています。。なぜでせうか。。答えは。。私が昼ごはんはベトナム料理を食べようと、繰り返しメールで言ってたから、だそうです。。(汗)ライヒ君とベリちゃんは、わざわざネットで情報を集め、食べるものまで決めていたというのに、私は悪びれた様子もみせず、こう言い放ったといいます。「いや、うちのパソ、調子悪いねん。TAIて入力して変換してんけど、ベトナムて出てたんかなぁ。。」学生時代の純情な私は、いったいどこへいったんでせうか?これではただの、口の減らない関西人にすぎません。。まるで悪徳不動産屋のような言い草です。。彼らの寛大な心ゆえ、こんなことがありながらも、楽しい時間を過ごせました。思ったとおり3人で腹を抱えて笑うことも多かったので(会話が途切れることを嫌うライヒ君がなんともいいテンポで喋り続けたな。。さすが講師w)、賑やかな店を選んでよかったと思いました(笑)。私も最後は声がかすれるくらいまで喋りました。営業してるときの癖で、無意味に手を動かしつつ喋ってたんですが、昔にはなかった私のこの癖に、ふたりとも無頓着なようだったので、なんだかほっとしました。昼ごはんを食べたあと、さてんで喋くり倒し、国立を散歩したあと、夜ごはんは、もちろんベトナム料理を食べました(ここで私は、ライヒ君に対し、自分のことを棚にあげて、「遅れてきたお詫びに、奢ってくれるん?」なんて、軽口を叩いてた気がしますが。。汗。あれは忘れてくれ。。)。んでまた今度は日の暮れた国立を散歩したとき、3人で手をつないで歩きました。ライヒ君もベリちゃんも見てたらしいベルトリッチの映画に、こういうシーンがあったそうです。はたから見てるとええ歳したオッサンらが何しとんじゃ、てな感じだったのかもしれませんが、不思議と違和感はなかったです。長い間会ってなかったから、気持ちが10代の頃に戻ってたのかもしれません。最後に立ち寄ったさてんでは、予想に反して静かだったせいもあり、ちとまじめな話をしたような気がします。その後、おとなの恋愛話で独占欲が話題にあがり、私がなにげに言ったひとことが、おおいにこの話題をもりあげてしまいました。私はだいたいこんなことを言ったのです。「独占欲は相手を理解する過程、信用していく過程で生じる負の心だ。相手のことを理解し、信用できれば、克服できるんぢゃないだろうか?」これに対し、それまで「せび君はまだなんとかいけてる」みたいなことを言ってくれてたベリちゃん(既婚)まで、ライヒ君(独身)と口を揃えて言いました。「自分を律するのはよくない」さらに思わぬ反撃を食らいました。「信仰はよくない。信仰心を恋愛に持ち込むのは、さらによくない」私は思わぬ展開にきょとんとしながらこう言いました。「それは偶像が現実に引き戻されるとき落差があるから?」「いや。そうじゃない」ここでもふたりは口を揃えました。私は言いました。「んじゃ、なんや?」「いや。。うまくいわれへん。。」「おい。。」て感じで話は終わりました。。(汗)しかしあのときのふたりの確信に満ちた顔つきは、私にこのことを考えなければならないと告げているかのようでした。。(汗)ただ、私、彼らが私の何を見て、そういう警告を出したのか、まるで見当がつかないんですが。。ところでベリちゃんは、このさてんで、ライヒ君と私にヒーリング・ストーンをプレゼントしてくれました。ふたりともラリマーという名の同じ石をもらいました。石言葉(?)は、<愛と平和>です。ラヴ&ピース。一緒にもらった解説本のコピーによると、<心の奥に隠された怒りの感情を鎮め、自己の間違った観念の束縛から解放されるように力を与えてくれる>石だそうです。お金の美しさに目がくらんで体を壊した私に、けったいな信仰心に縛られているかもしれないらしい私に、そしてなによりこれまで笑けるような人生を送ってきた私に、皮肉じゃなくて本当にふさわしい石だと思い、大笑いしました。ライヒ君にもふさわしい石な気がしました(笑)。とりあえずしばらく身につけてみようかと思います。最後はベリちゃんにハグされて励まされ(?)、帰ってきました。(文責:コスズメ)****これから1年半後。いまふとこのときの文章を読み返していて、「恋愛に信仰心を持ち込む」のがよくないなんてことは、自明なことに思われます。学生時代の私には、そういう傾向があって、そのことを警告してくれていたのだろうな、と思うのでした。
2004.09.14
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はちゃめちゃ系の笑えるノリのいい映画です。こういうテンポのよさを楽しむ映画は、80年代の映画に多い気がしますが、それはたんにその頃の映画のテンポが私に合ってるだけかもしれません。。(汗)「バタリアン」を見てなくても普通に見れると思います。話はこんな感じです。 アメリカ陸軍が輸送中にうっかり落としたオバンバ格納器を、少年たちが開けてしまいます。そのとき、その容器から発生したガスを浴びた死体やヒトはオバンバ(ゾンビみたいなもの)となり、生き物の脳を求めて殺戮を始めます。。 テンポのよい進行を可能にするため、作品を構成するプチ・ストーリー(?)には、紋切り型のが多いです。たとえばそれは、<真実を目撃した者が嘘つきの汚名を着せられる>話であったり、<いじめられっこが物語のクライマックスで仇討ちを果たす>話であったり、<悪の行いをする者は、悪の道に落ちる(ゾンビとなる)>話であったり、<恐ろしい出来事を乗り越えた男女が恋に落ちる>話だったりするんですが、いずれもごく短い時間で、簡潔なシーンによって語られます。その中で唯一、ユニークなエピソードは、こんな話でした。 実はいつのまにか謎のガスを吸っていて、徐々にオバンバ化していく男の恋人は、最後までオバンバ化を食い止めよう努力します。しかし食い止めることはできず、とうとうオバンバになってしまったカレシに、彼女は自分の脳を差し出します。このシーンは、せつなく深い印象を与えます。そしてこの恋人役の方の悲鳴は、けっこう美しい悲鳴でした。 また、この映画では4人のヒトが最後まで生き延びます。これ自体、珍しい気がするのですが、その4人のヒトとなりのバランスが、また妙なので、列挙してみます。 60前後の男性(医者)ヘソ曲がりなヒト。ハチャメチャ担当。あまり役には立ってないが、ところどころで映画の作り手に便利に使われている。いちおう大人で、車なんか所有していて、全員でそれに乗るときに自分が運転することを主張するが、却下されたりする。ダメダメ支配者層の代表者か。 20前後の男性(トム)リーダーシップ発揮。ある意味、ホラー映画にかかせない闘う魂担当。また、トムとは良心をあらわす名前であり(受け売り。汗)、彼にはふさわしい名前である。 高校生の女性映画の中では弟の母親代わり。弟を叱ることとトムにほれられる以外、なにもしていない。悲鳴もあまりあげないし、その声は美しくない。。(涙)生活感(リアリズム?)担当?? 保守的な考えにとらわれがちだが、射撃の腕はすごい。 その弟(小学生)あえていえば主人公。バタリアンの第一発見者。このコの存在はこの映画がありふれたホラー映画になることを防いでいた気がします。小学生ゆえに限界はあるが、自分で考え、自分の力で問題を解決しようとする。行動力担当。あるいは新しい世代の象徴? 姉とはとっても仲が悪い。 普通に考えると、大人=リーダーシップ、若者=行動力、子供=庇護される存在なんでしょうが、この映画では、大人が我が道を行っちゃうので、役割がズレてます。こういうきっちりした構造から生まれたはちゃめちゃぶり(混乱した印象)だから、作品を破綻させることがなかったのかもしれません。この4人が「社会」とか「国民」とかを象徴してたのかな、とか思ったんですが、まぁ、考えすぎでしょうな。。ぎゃはは。 また、冷戦反核の時代だった80年代の映画に登場するゾンビには、共産思想の暗喩という側面が強い気がするんですが、それは、ゾンビに噛まれた親友や恋人がゾンビに変わり(洗脳され)、またヒトを襲うという話のスタイルゆえなんです。これに対してオバンバには、こういう無限の増殖性はありません。人間の脳を狙ってくるあたりに、名残を見ることはできそうですが。。核に対する恐怖をネタに一発当ててやろうか? みたいな胡散臭さはプンプンですが。。
2004.09.13
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おとついの日記に書いた状態がまだ続いていて困る。嗚呼、おれってば、なんて繊細な生き物なんだらう。。(←まぁ、こういうあほなのとこは生まれつきやし。。)ヒトの言葉が悪いほうに悪いほうに解釈され、そういう状態をわりと自分で客観的に見れるから、最初はおもしろがっていたんやけど、だんだんうざくなってきた。ヒトの話を聞きながら、いちいち頭の中で意味を変換しなきゃならない。精神的にコストがかかる。しかも、わがうちなる犬村が活性化するのを感じる。。 親しい友人が相手なら、おれには悪く取れてしまう言葉のことを、冗談めかして、「今、こんなふうに受け取った」と言えるので、おれのほうはすっきりするんやけど、言われたほうはたまらんやろうな。。これを読んでくれてるヒトの中には、すでにそういう目に遭わせてしまったヒトもいるし(すまぬぅ。うぅ。)、これから遭っていただく予定のヒトたちもいるんやけれど、ぶっちゃけこういうわけなので、「しゃーないやつやなぁ」と思って適当にあしらっておいてくれ。面と向かってならまだ顔の表情とか語感とかで冗談めいてる感じを分かってもらえるんだろうが、チャットなどだとすごく重い、イヤな言葉に聞こえるかもしれないから、書いとかなきゃと思ったんだ。 つまらんのはこういう状態のときって、ユーモアとかエスプリとかの感覚も激しくそこなわれて、なんだかモノクロの世界なんや。ふだんのおれが見てる世界は、とてもキラキラしてるのになぁ。って。。何をむなしい自慢をしとるんだ。。(汗) ****みなさま、お知恵を拝借。。たとえば再婚しようと思った相手は、これまでふたりいたんだが、ふたりともちと精神的におかしくならはって、だめだった。 ひとりはなんだかうわごとみたいに、「整形する。せび好みの顔に整形する。どんな顔が好きなんや?芸能人やったら誰なん?」と言い続け、ずっと泣いてはった。慰めても慰めてもだめだった。街でスカウトに声かけられるくらいの美人だったにもかかわらず、だ。。(熟女バーのチィママとして、だが。。)これって、おれが悪いのか? 何が悪かったのかまったく分からない。 もうひとりはずっと年下だったから、わがままけっこう聞いてあげてたんだが、そのうちどんどんエスカレートしていかはって、「わたし、悪いコだよね。自分がどうなったのかわからない。こんなんじゃそのうち嫌われちゃうよね」なんて言っては泣いてはった。そしておいらは励まし疲れた。。 てかね。これってどうなんすか?おれにはこういうの、特に今日みたいな日に思い出すと、わざと嫌われて別れようとしてるんじゃないか、と思えるんですが。。なぜかというとですね、(1)なんだか芝居がかってるし、(2)なによりおれは女性から執着されるようないい男ぢゃないんですよ。そんなおれが言われる言葉として↑のは非常に不適切なんですよ。。てことはつまり、別れたいって気持ちを婉曲におっしゃっておられたのかな、と。。まぁ、それはあまりにも悪い方向に考えすぎやという気はするんやけど、今日ばかりはいろいろ思ってへこむのだ。。やっぱねぇ。。普段から頭つこて生きてないとダメですな。。急に考えようとしても。。(汗
2004.09.12
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なんだか秋らしくなってきましたね。。凛とした朝の空気は心地よく頬に触れていきます。 毎年憂鬱な衣替えの季節も、今回は余裕で迎えられます。この1ケ月で体重3キロ落ちました。ウエストは5センチくらい細くなりました。衣替えの季節=買い替えの季節(成長してて着れない)という、生まれて以来のサイクルを初めて断ち切ることができました。ふぇふぇ。 明日かあさってはひさびさに映画レビューでも書きたい気分っす。私にとってはお祈りの時間みたいなもんですから。敬虔な気持ちになって、世俗の汚れを落としますだよ。「バタリアン2」か「スパイダー」か「ZOO」でいってみます。(「スパイダー」、「ZOO」は、もう1回見れたら、ということで。。汗) でわでわ。お祈りの準備です。「バタリアン2」、見てまいります。
2004.09.11
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「ラスベガスをやっつけろ」は、ひさびさに燃える映画だった。おかげで精神活動のテンション、あがりすぎてしまって、今日は反動来てるやんけ。。繊細なおいらには、映画でさえ、ドラッグ同様のトぶ効果をもたらすのかもしれない(←あほや、こいつ。。)。んで、まぁ、珍しくふさぎこんだ気分で一日を過ごした。ヒトの言葉が全部ネガティブな意味に聞こえて、わろた。例えばこんな感じ(↓)「誰々はすごい」 → 「おいらはだめだ」「このチャーハン、うまい」 → 「おいらの頼んだ天津丼はだめだ」がんばってるね~」 → 「ま、それがお前の限界だろ?」おまけに突然尋ねてきたお客様が、なんてゆーか。。はっきり言って。。身のほど知らずなこと言うから、よけいくらーい気持ちになった。まぁ、暗くなってもこの程度なのが、おいらのよさだと思うんだが。。説教しました。おもっきり婉曲な説教。んで、その後。50歳のおっさんに説教してもた自分の身のほど知らずぶりに、さらにへこんだ。ああ、神様、こんな私を許して下さい。おお。ありがとう。。(こら。。)こういうときはとりあえずホラーだ。ヒトにはわからんつながりだろうが、ホラーなんだっ。「バタリアン2」、借りてきた。しかも本屋でムロオサイセイ? 衝動買いした。徳田秋声「仮装人物」も、1回読んでおもろかったんで、買うてもた。けどこれはたぶん、物置にしてる4畳半のどっかにあるぞ。。旧仮名遣ひ、なやつやけど。「帰れぬ人々」も買ったけど、会社のトイレに忘れてきた。。(汗一足先に読書の秋やん?(女心と秋の空?女心、むずかしすぎ。。)いや、積んどくだけかもな。。
2004.09.10
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「ローズマリーの赤ちゃん」 (ロマン・ポランスキー)今見ると普通に見える映画なんですが、30年ほども前の映画が普通に見えるってのは、たぶん普通じゃないことでしょうね。。現在では絵画的に画面キメキメ、照明の当て方コリコリなポランスキーも、こういう撮り方してたんだなぁ、と感慨にふけりつつ見てました。「ミスティック・リバー」 (クリント・イーストウッド)面白かった。好きな映画です。けどイーストウッドの他の作品と比べると、ちと物足りない気が。。普段はもっと映像に含まれる情報量が多いような気がしました。伝えたいことに絞りきったせいなんでしょうか?普段からカメラワークにおいて、切り返しを多用してたんたんと語る印象を強調する監督ですが、今回はとりわけ多用してたように思いました。ある物を正反対のふたつの方向から撮って見せることへのこだわりが、いつもながら気になります。もし彼になにか聞いてもいいと言われたら、このこだわりについて聞いてみたいっす。けどきっと、「それが一番、万人に分かりやすい技術だからだ」とか、言われるんだろうなぁ。。「オースティン・パワーズ/ゴールドメンバー」 おもろかった。笑えます。こういうはちゃめちゃな映画は大好きです。「ラスベガスをやっつけろ」 (テリー・ギリアム)そのさらに上をいくのがこの映画です。これはもう、すごいという他ない。。この監督の心の中には、きっとこういう世界に対応した感情のかたまりがあるんでしょうね。。こういうむちゃくちゃについていける自分がたまに怖くなります。いや。。遠い記憶の中に、これほどではないにしても、ナチュラル・ハイでこれめいたバカ騒ぎをしてた自分の姿が。。(きっと気のせいだ。。)これ見ると元気になれるのは、私だけですか? (汗「さまよう魂たち」 (ピーター・ジャクソン)カット割り芸人(そしてプロットの名手)ピーター・ジャクソンの隠れた名作です。彼が撮った「ロード・オブ」を見た方の中には、的確ですばやくあまりにもハリウッド的なカット割りに舌を巻いた方も多いと思う(←ももちきさん風構文w)。これ、ホラーとして封切公開されたはずなんですが、ツタヤの分類ではコメディです。そしてそれは正しいです。話はこんな感じです。交通事故を起こし、同乗していた妻を事故死させた主人公は、そのときの衝撃で死者の魂(=幽霊)を見れるようになる。その<特技>を利用して、彼は悪魔祓い師を生業とする。3人の幽霊を仲間に引き入れ、にせのポルターガイストを起こさせ、それをおさめたかにみせ、金をもらうのだ。しかし彼が住む街には、強大な悪霊がいすわっており、その悪霊の魔手はやがて、主人公が心引かれる女性に及ぼうとする。。だまされたと思ってみてください。悪くてもそこそこは楽しめるかと。。「恋する幼虫」 (井口昇)ホラーで笑える純愛映画っす。自主制作映画っぽい趣が素敵です。ヒロインの女のコをかわいいと思うのは私だけだろうか。。奇っ怪なストーリーが、不思議なトリップ感をもたらします。しかし、ただ奇っ怪だというだけに終わっていて、ヒトの心の世界について何かを語るというレベルまでいけてないのが残念です。けど、好きだ、この映画。
2004.09.09
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鬱病な方の自宅への案内図を手に、私は国立市に向かいました。ものすごく嫉妬深かった元ヨメが私に女性の相手を頼むということは、ふつうではありえないことでした。つまりたぶん、その女性はまったくそういう心配がないと判断したということになります。私の膝の上にいすわる親戚の家の猫にさえ嫉妬していた彼女が、です。いったいどんな女性なんだろう?私は思いました。そして実際その女性を見たとき、なるほど、と納得したのですが、細かい容姿はあまり覚えていません。抗うつ剤を使っているため、どんよりしてしまっていた目、表情が消えてしまっていた顔つきのことは、なんとなく覚えています。居間に通され、女性と向き合って座りました。何喋っていいのか、見当もつきませんでした。奥の部屋から居間に、猫が入ってきました。猫に好かれることの多い私は、助かった、と思いました。さぁ、猫ちゃん、おれになつきたまへ、女性が私に心を開くきっかけをくれたまへ、と思いました。しかし。。こんなときに限って、猫のやろうは私に寄ってきてくれません。。(汗)てか、猫ってこっちがウェルカムな気持ちのときほど、寄ってこなくないですか? (汗)しかたないので自己紹介したあと、元ヨメの話から始めてみました。話は再現できないほど、噛みあいませんでした。やつ(元ヨメ)は毎週こんなことしてストレスためてやがったのか、と、ちと腹が立ってきました。詩を書いたので読んでくれ、とその女性が言うので、読みました。「国立駅の時計塔」というタイトルでした。それは要約すると、こんな感じの内容でした(↓)。駅前のロータリーのまんなかにある時計塔は、いつでもヒトを見つめている。鳥もヒトを見つめている。彼女の猫も見つめている。太陽もみつめている。それらはじっと見つめてヒトのことを考えている。文そのものは、小中学生の書いたような詩でしたが、内容は悪くないと思いました。時計塔とはおそらく(明らかに)彼女のことでしょう。念押ししますと、↑のはあくまでも要約であって、実際はもっと不思議な印象を与える詩でした。躍動がいっさい感じられない世界、でしょうか。。私は、じっと見つめているモノたちは、どんなことを考えていたのか聞いてみました。しかし女性が訥々と語ってくれた言葉の内容は、理解することもここで再現することも不可能でした。私はなんだか分からないまま、適当なことを言うのも気が引け、彼女の猫を指差して、このコが出てくるのは楽しいですね、とか、言ってた気がします。そしたら突然、あなたも詩を書いてみてくれ、と言われました。たまに小説を趣味で書いてることを、元ヨメから聞いていたらしいのです。その頼み方があまりにも当然なことを頼んでいるという感じなので、断ると傷つけそうな気がしてなりませんでした。んで、そのヒトが目の前でこっちを見てる中、こんな感じのを書きました(私、せっかく書いたのでもらって帰ってきたです。。ちょっと手直ししたけど↓です。。汗)。*****ことはり(犬村脊彌←ペンネームw) わたしはいつわりの世界です五感に捏造されましたあなたもいつわりの世界ですあなたの五感が捏造しましただからわたしたちに 同じものはみえませんでも鼻の奥で 幻の 血の匂いがしはじめたときいつわりの世界の向こうにある 別の世界を感じますその匂いが こちらへ来いと誘うから 私は壊したくなりますけど思いとどまります同じ光にすべてが包まれひとつに溶ける夢を見ながら*****詩の形式っぽく書いただけの、ただの散文なんですがね。。ヒトって分かり合えないんだなぁ、って、あらためて思ったもんで。。こんなのできました。。この女性には、最後の2行が好評でしたね。同じものがみえません、てとこも分かると言ってくれたかな。。私はこの詩を、元ヨメにも見せました。あまり気に入っては、もらえなかったようです。「ねぇ、この<あなた>ていうのは私のことなん? 私はにせものっていうことなん?」と、しつこく聞かれて否定し疲れましたね。。(汗)
2004.09.08
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歩くとバリバリ音がするくらいなキャリア・ウーマンだった元ヨメは、仕事のかたわら、なぜかカウンセラーの資格の勉強をしてました。で、たまの土曜日、精神的に問題を抱える方々の話し相手をする、というボランティアをしていました。しかしある土曜日の朝、会社から電話が入り、どうしてもすぐに来て欲しい、てなことになりました。その日、元ヨメは、国立市に住むうつ病の女性とお話しに行かなければなりませんでした。どっちとるんだろうなぁって思ってたら、ボランティア団体に電話して、調整を依頼してました。でも、うまくいきません。。その様子を気にかけながら、私はそのとき、元ヨメが電話してるリビングで、ソファに転がって。「白痴」を読んでました。読んでたというか、眺めてたというか。。結局実現しなかったんですが、その頃、うちで犬でも飼うか、という話になっていて、なぜか名前を先に決めることになり、「白痴」の登場人物からもらうべ、と思ってパラパラ見てたんです。そういう名前の付け方が、元ヨメの気に入ると思ったからです。私としては、アグラーヤがイチオシでした。犬のアグラーヤ。。なんだか素敵な響きです。2番目は、かつて私の好きだった人物の名、ロゴージン。今思うと、私の心の中の犬村(悪な心の領域)には、確実にこいつが住んでました。今はそうでもない気がしますけど。ある時期の私の人生は、うちなるこいつとの戦いだった気がします。。(汗その次は、まぁ、無難に、ムイシュキン(愛称はムイちゃん? 汗)。字のうまい犬になりそうです。。と、まぁ、そんなあほなこと考えてると、こんなこと言ってる元ヨメの声が聞こえてきて、ずっこけそうになりました。「あの、うちのに行かせていいでしょうか?」いや。。ソファに転がってたんで、それ以上ずっこけようはなかったんですが。。(汗)元ヨメは仕事に早く行きたくて血迷ってたんだと信じてます。だって、女性の話相手がくると思っている女性(50前後)のところに、約束時間のたった1時間前に連絡して、男が代わりに行っていいもんでしょうか?むりむりむり、絶対むり、って思ってたら、あっさりOK出たみたいで、さらにずっこけました。。こんな団体がボランティアしててええんかいっ、と、心の中でひっそりとつっこみました。せめて相手に了解とれよ。。けどまぁ、もめたくないのと好奇心に負けたのとで、国立市に向かいました。(明日に続く)
2004.09.07
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666は悪魔をあらわす数字らしい。かのダミアンも、ローズマリーの赤ちゃんも、この数字にちなんだ日時に生まれている。666がそれほどまでに、神への悪意に満ちた数字であるなら、あとひとつの6を加えた6666は、どれほどの悪意に満ちているだろうか。。6666。本日。16時35分48秒。私のHPの訪問者数は、その恐怖の数を迎えていたようだ。悪意の刻は静かに訪れ、次の訪問者が訪れるまでの90分間、世界を闇で覆った。そして私は、わが目を疑った。4つ並んだ6とともに訪れた者の名は。。嗚呼、なんてことだ。。ももちき☆さん。。わが師である。。(汗私は映画ギルドに入ったつもりで、悪魔の集会に参加していたのか?情熱を込めて書いたはず映画評は、血にまみれたナイフで刻む呪文だったのか?なんてね(^▽^)ケケケおめでとう(なのか?)、そしてありがとぉ(でいいのか?)、ももちゃん。私の「ロボコン」評を参照するため立ち寄られた際の、幸運(いや、不幸なのかっ)だそうです。1万ヒットの私に対するお返しの6666ヒット。義理堅い人柄がうかがえる出来事でした(^▽^)
2004.09.06
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自分を語るのは難しいですね。そうすることがすでにダサいって意識が強く働くし。私の過去って、けっこう笑えるネタ満載なんですが、こういう場では語っちゃいけないことも多くて、ちとはがゆいです。ま、自分てやつを見直す意味で、語れる範囲で語らせて頂きます。私、本来信仰心の強い人間のようなんですが、その信仰の対象が見つからないときって、どうも道をはずれていきがちです。信仰の対象がいわゆる宗教関係のものであったことは一度もありません。もし本当に信心できる宗教が見つかっていれば、すばらしい信者になれていたような気がします。もっとも、なにかのきっかけで信仰の対象を見失うともうぐちゃぐちゃな生活はじめるくせに、その対象との関係を、自分でぶち壊しちゃったりしたこともあるんですが。。学生時代なんかは信仰の対象を探して、気がつくっとなんだかちょっとした(思想的な)悪の道に迷いこみ、どこか覚めながら明るく(?)その道をひた走ってました。。人の心はここまで荒むものなのか、と、自分を見てて思いましたが。。その道の途中には、めちゃくちゃ賢い人からあきらかに壊れてる人から、一芸を持ってる人から、絶対将来役に立たん技術を磨いている人から、いろんな人がいておもろかったです。普通の生活に憧れて、いっぱい縁切って音信不通になりましたが。。てか、その前に、そんな世界に引きずりこまれた時点で、なぜか良家の子女が多かった私の周囲から、一回人はいなくなってましたが。。(汗 んなもんで就職とともに東京に出てきたとき、すごくせいせいしてました。おれは自由だ、このまま死にたい、今死にたい、となかば本気で思ってました。そこからまたしばらくの間は、職場を離れるとたまにバカやってたけど、東京は広いし、血族は京都にかたまって住んでるし、会社じゃ何食わぬ顔でまじめに働いてたし、なんだかご機嫌な毎日でした。離婚と同時に、やっとお金の美しさに目覚めました。いや、結婚してるうちに目覚めろよ、ですね。。結婚してる間は、私の中の天使がヨメや結婚生活のことを考え、せっせと動き、私の中の悪魔がぶち壊す方向に走りたがり、まぁタイヘンだったのです。。(汗金目当てで仕事選んで満たされたけど、ちょっと後悔してました。そんな時期に楽天はじめました。止まっていた心の成長がふたたび始まったって感じです。日記芸人でも目指してみようか、って軽い気持ちで始めたんですが。やりとりさせて頂く中で考えるきっかけをたくさんもらえました。ありがとございます。ほんと、何が幸いするかわからないもんですね。。
2004.09.04
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ちと昔の映画ですが、前から見直してみたかったので、そして友人くれちのバイブルな映画なので、見てみました。前に見たのは学生のとき、ロードショーで見たんですが、カノジョに対してなんかの原因でむしゃくしゃしてたんで、腹いせにカノジョが見たがってたこの映画を、カノジョが嫌ってた私の女友達と見に行ってしまいました。。(汗しかしむしゃくしゃはおさまらない上、うしろめたさと自己嫌悪がつのるばかりで、画面で起こっていることは何一つ頭に入りませんでした。。ラスト・シーンの「まだ子供じゃないか?」というセリフと、「黄金のままでいろ(すてい・ごぉw)」というセリフだけが記憶に残りました。一緒に見に行った女友達は、頭のいいヒトではあったんですがテンネンなヒトだったので、精神のあり方について語っている「黄金のままでいろ」というセリフを、髪の色のことを言ってると思って不思議がっていました。映画の中でこの言葉を言われるポニー・ボーイは、物語の途中、警察の目をくらますために髪をブリーチで脱色し、金髪になっていたのです。「なぁ、せびちゃん。なんで一番ジーンとくるとこで髪の色のこと言いよるんやろ? それってどぉなんよ?」映画では登場人物の内面の変化を、見た目の変化で表すことが少なくありません。だからあながち間違っているともいえない言い分だったのですが、とりあえず説明した私は、なんていいやつなんでしょうかっ!(と、いけない行いのことから人目をそらそうとする。。汗) んなことはともかく、この映画<私、けっこう好きでした。敵対グループとの戦いの場に出かける彼らの姿は、なんと生き生きしてたことでしょうか!「爆裂都市」と同様に、登場人物たちは登場した瞬間から殴りあう気満々の臨戦態勢なんですが、仲間を思う強い気持ちを持っています。彼らの間に裏切りという言葉は存在しません。そのピュアさには、うたれずにいられません。 この映画の中でただひとり殺人を犯してしまう少年は、火事になった家の中から幼い子供たちを助け出すときに怪我を負い、それが原因で死んでしまいます。そのなりゆき(ヒトの命を救う為に自分が死ぬ)に納得がいかないダラス(マット・デュロン)は、おそらく仲間たちに甘えたくて、窮地を仲間に助けられたくて、コンビニ強盗をするんですが、仲間が助けに来る前に、射殺されてしまいます。ギリギリのところで生きている彼らは、運良く生き延びることができれば、大人としての感性を身に付け、社会に溶け込んでいくことができます。ふたりの親友を失ったポニー・ボーイは、「アウトサイダーズ」と題した一文をノートに記し始めます。ポニー・ボーイはふたりの死を背負って、生きていくでしょう。青春を描いた映画でありながら、金色の夕焼けの映像で締めくくられるこの映画は、これからのポニー・ボーイを暗示するとともに、彼にとってのアウトサイダー時代の終焉を告げるものだと思いました。くれち、どぉよ?
2004.09.03
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新宿。雨の深夜雨が降っていた新宿。おれと眞菜の血液にアルコールが混じった。無数の子虫が皮膚の下でざわざわ動き出した。ふたりで歩いた。新宿。ごみ溜め。排泄物のにおい。西口の地下道で<それ>を見た。丸太みたく転がって。壁に向かって。新宿。汚れた皮膚の表面のてかり。細い鼻と切れ長なのに細く見える目。頼りなさげなあごひげ。新宿。鼻腔の粘膜。生暖かい夏の空気が肺に狂気を送り込むから、おれと眞菜は体を絡ませる。舌も絡ませて、新宿。ふたりの脊髄はけものが支配する。体液を交換したい。欲望。眞菜が言う。「<それ>がそこにいる」新宿。おれは答える。「<それ>と話してみよう」<それ>に近づき、しゃがみこんで、おれは<それ>に話しかける。「お手……」<それ>は反応しない。おれは繰り返す。食欲。語気を強めて。「お手……」<それ>はおれたちに顔を向ける。のろい動作。堕落した視線がおれを確かめる。恐怖が浮かぶ。消える。ほんの一瞬、期待が浮かぶ。食欲。新宿。施しの時間など、くるわけがない。また壁に顔を向ける<それ>。同化していく。地下道。水の匂い。新宿。眞菜はライターをポーチから取り出す。タバコに火をつけようとする。やめる。ライターの火で、ふたりの距離をかざす。おれを見上げる。「全部、燃やそうか?」「まだ早い」「全部、忘れようか?」「それはできない」「償えるの?」「意味、わかんない」「覚えてないんじゃん?」「意味、わかんねぇって」新宿。雨の匂い。楽しかった思い出の景色が目の前に、子供の頃の思い出が突然蘇って。涙を流す。新宿。おれの新宿。「覚えているなら、きっと償える」「お前、うざいかも」「あんたの涙を見たから」「お前の名前も知らないのに?」「穢れきってはいない。無理はしなくても、いい」いらだったおれは眞菜を睨む。だが、おれに抱きついていたはずの眞菜はいつのまにか、壁に向かって、丸太みたく転がっている。新宿。生贄。青白い透き通る肌。<それ>は眞菜の首をなめる。体に手を這わせる新宿。<それ>の頭部のぐにゃぐにゃに崩れて形を失い、また形をなしたとき、そこには山羊の頭部がある。山羊は言う。「受け取ったか?」新宿。深夜。壁際に転がって、おれは眞菜を強く抱いた。地下道。捨てられた思い出。立ち止まる人は、誰もいない。突然、眞菜が吐き戻したオレンジ色の吐瀉物。新宿。口元を拭いもせず、おれの首筋をむさぼる、出会ったばかりの女。眞菜。女のオレンジの吐瀉物に指で触れる新宿。首の皮膚が、指の皮膚が、女の胃液でほんのわずかだが溶けていった。 (了)*******************えと。。今日も小説です。様子見パート2です(笑これ、ヤオイ系の同人誌やってるときに書きました。ヤオイ系というか、正確にはごった煮な同人でしたが。。こういうのならいくらでも書けるんですが。。(汗昨日のと違ってこの作品は、書いたときのことをわりとよく覚えています。そろそろ結婚生活がおかしくなってきた時期で、残業のないときなどどうしても家にまっすぐ帰れなくて(帰りたくなくて、ではなくて正確に言うとこうだったです。。汗)、よく新宿をぶらぶらしてました。このときの印象を書いてみたら、こんななりました。。また、このころ歌謡曲の歌詞の分解(?)にハマっていて、その影響が強く感じられます。 この作品以降、その同人誌での私の作品たちは、<不思議と書いてブキミと読む>作風だと言われてました。新宿って言葉の繰り返しの意味がわからんとのことでしたが、文章の流れをブツ切りにしてみたくて、全体を書き終わった後からせっせといれてた記憶があります。また、その頃は、都心のネオン灯の光(街全体が放つ光)を反射して妖しく輝く夜の曇り空が好きでした。 *****
2004.09.02
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これ、生まれて初めて書いたやつです。27歳くらいのときかな?今日の昼間まで、これとは別のものを読んでもらおうと思ってたんですが、変更しました。これ、1回で全部載せられそうやったんで。。それと、犬村入ってないんで(笑原稿用紙で20枚弱やと思います。打ち込んでると書き直したいとこ、いっぱい出てきたんですが、まぁ、とりあえずうっとこかな、て、カンジで。。ご指導、ご指摘、ご感想、よろしくお願いしますです。無理して誉めずに率直によろしく♪ *****パティオ(中庭)の景色火葬場通りをわきにそれ、建物と建物の隙間に見えるほど狭い、石畳の路地を抜ける。するとそこには中庭があって、イスラム趣味のうかがえる噴水の向こう側に一軒のカフェが見えるだろう。カフェの名前は、バル・フィネラリアという。名前の由来は店主も知らない。変わり者で有名だった彼の曽祖父が店を始めたとき、つけた名前だと聞かされている。通りの名前からの、単純な連想ではないかと想像しているが、本当のことはわからない。子供の頃は両親や祖父母に何度も尋ねたものだ。しかし家族たちは口裏を合わせたかのように、「分からない」と、答えるものだから、そのうちとうとうあきらめてしまった。そのときのちょっとした腹いせに、あとを継いだとき店の内装をいじった。古ぼけた暗い色合いの調度品を探し出して、入れ替えた。よく選びもせずさまざまなガラス細工を大量に購入し、いたるところに飾った。その中には長さが20センチほどの十字架があった。彼は自分でも理由がわからないまま、その十字架に魅せられた。カフェの2階にある一人暮らしの部屋にそれを持ち帰った。誤って壊すことのないよう布でくるみ、箱にいれて詰め物をし、机の引き出しにしまって鍵をかけた。そしてそのまま忘れてしまった。彼はなるべく人生を楽しもうと思っている。<葬儀屋>を意味する名前のついた店に出入りする変わった客たちのやることが、彼の毎日に刺激を与える。客に対し、彼は愛想のよい、しかし、少しだけきどった物腰で、こっけいでくつろいだ雰囲気を演出する。そうすると彼のくだらない冗談でも客たちは嬉しそうに笑うようになり、それを見た彼も嬉しそうに笑う。笑いながらたまに彼は、カモ用の値段が5割り増しに書き換えられたメニューを差し出す。そこにはやましさのかけらもない。楽しみ方やその度合いでものの値打ちは変わるものだし、身元のしれない観光客は、<安心料>を払うべきだと考えていた。文句を言ってくる客がいたとしても、彼は悪びれることはなかった。そんな客とのやりとりも、彼にとっての楽しみのひとつだったのだ。男が初めてこの店を訪れたのは6日前のことだ。それから毎日同じ時間に訪れて、食事するようになった。最初の3日間、男はカモ・メニューでオーダーした。店主に尋ねられるまま、しばらく滞在するために近所に部屋を借りていることを話し、部屋の貸主が店主の知り合いであることが分かった4日目、メニューの値段が突然安くなった。このことを指摘すると、店主はいたずら坊主のような顔をして、ウインクしてみせたので、自分がこの店に受け入れられたことを知った。この店の中庭に面した部分には、日よけ幕が張り出され、その下にはテーブルが6つ置いてあった。男はいつもそのうちの、一番入り口から遠いテーブルに席をとった。ガラスでできたテーブルの天板に本を開いて置いているが、それはたまに眺めるために置かれているにすぎない。男は来るはずのない女を待っていた。旅行者をうならせる中庭の景色にも興味を示さない。よく見ると端整だがうつろな印象が強く出る顔をときおり火葬場通りに繋がる路地に向ける。しばらく見つめる。やがて視線を本に落とす。タバコに火をつける。そして毎日、時計を確かめるわけでもなく、ある時間が来ると帰ってゆくだろう。もう1週間も通っているのに、自分の部屋とこの中庭の間に、カフェ以外の何があるのか覚えていない。男の体はこの街に到着していたが、心はまだ別の場所にいるのだろう。この男がもう少しこの街に注意深くなっていたら、自分が見詰める路地の角に、ガラス細工屋を目にしたことだろう。それは近くのアトリエで細工した皿や、花瓶や、カップ類や、置物などを美しく展示した店で、奥のレジにはバセドー氏病の女が座っている。病気の進行は毎日飲む薬で抑えられるが、少し飛び出してしまった眼球を元に戻すことはできない。そのせいで本来は優雅な印象を与えるはずの彼女のまなざしは、爬虫類の視線のような透明な硬さを感じさせる。彼女のまなざしはいつも話し相手の体を突き抜け、壁さえ突き抜け、神秘的な憂いを帯びることもある。その神秘的な憂いから、彼女にしか作りえない、美しく敬虔で繊細なガラス細工が産み落とされる。本当は彼女に婿をとらせ、その婿にあとを継がせたかった彼女の父親も、その出来栄えには敬意を払った。しかし、請われるままにガラス細工を教えたことは後悔していた。同じガラス職人として、彼女の産み落とすガラス細工から輝きが失われない限り、仕事をやめるよう命じることはできないと感じていた。バル・フネラリアの店主は、毎日一度だけ暇を見つけてこのガラス細工屋にやってきて、「心の垢を落とす」。太陽に対する向きの具合で、彼の店の中から彼女の店の中は見えない。だが、彼女の店の中から彼の店の中はよく見える。そのことを知っているから彼の物腰には、ついついきどりが入ってしまうのだ。「ドーニャ・デルガーダ、元気かい?」「セニョール・ガルシア、昨日と同じよ」彼女は笑いをかみ殺している「あの人、また来てるわね」「ああ。もうすぐ帰る時間だけどな。また来てるな」「毎日、同じ時間ね?」「毎日、同じもの食ってるんだ、よく飽きないもんだよ」店主はいまいましく思いながら、男にカモ・メニューを渡し続けなかったことを後悔する。「ドーニャ・デルガーダ、やつが気になるかい? でも、やめときな、やつはホモだぜ?」ドーニャ・デルガーダは手のひらで口を隠して、くすくす笑い始める。自分の気持ちを見抜かれたから笑われたのか、馬鹿なことを言ったから笑われたのか、どちらだろうと店主は考える。「セニョール・ガルシア、あなた、どうしてそれを知ってるの?」「聞いたんだよ」「誰に聞いたの?」「やつに迫られた男にさ」「それは誰なの?」「うちの客だよ」「巡業中のマタドール(闘牛士)?」「いや、やつじゃねぇ」「ひょっとして……実はあなた?」「よしてくれよ、誰だっていいじゃないか」彼女の目が、彼を覗きこんでいる。まるで彼女の作るガラス細工のようにきれいな視線だと彼は思う。美しさに気圧されないよう、いつのまにか、牛を相手に見得を切る闘牛士のようなポーズになっている。そのことに気づき、馬鹿みたいだ、と、思う。「あなた、彼には興味がないのね」「あるわけないだろ。ただの客さ」「ほんとかな?」彼女は一瞬考える。ためらう。そしてこう続ける。「たとえば男の彼と、病気持ちの私なら? どっちに興味あるのかしら?」冗談じゃねぇ、店主は思う。だから言う。「病気は関係ない……」次の言葉は喉の奥に焼きついて出てこなかった。しかしここまで追い詰められ、言わないわけにはいかなかった。言わなければ自分の気持ちを、彼女のことを、否定することになってしまう……「聞いてくれ。喉につっかえてるんだ」「どうかしたの?」「どうしても切り出せない言葉が、喉につっかえてる。おれの喉を切り裂いて、そいつをきみに見せてあげられたら……どんなに気が楽になるだろうか……」なんとこれが彼にとって、せいいっぱいの率直な表現だった。もっとも、こんなことを言うつもりではなかったのだ。もっと男らしく、気の利いたことを言いたかった。考えていた。自分に対する怒りがこみあげる。しかし、微笑んでいる彼女に気づくと、なんだか誉められているようで嬉しくなる。きちんと言葉を続けるため、彼女の方へ2,3歩、にじり寄った。そのとき上着の袖がガラス細工の花瓶の口を引っ掛けてしまい、床に落ちたその花瓶は砕けてしまう。スローモーションを見てるみたいだったと彼は思う。間の悪さを呪いながら、彼女に謝る。それから自分の店で使っているたくさんの彼女のガラス細工に加え、その砕けた花瓶も購入しようと彼女に申し出るのだった。「いいの。気にしないで」彼女はしゃがみこんで、破片を集めながら言う。彼も手伝うためにしゃがもうとして、ふと中庭から差し込んでくる柔らかい光の存在に気づく。噴水によってできた水の膜が、幾重もの虹色のカーテンを作るのが彼の位置から見えたのだ。その虹色のカーテンの向こう側に、男の姿が見えたのだ。「ああ。あれって……きれいでしょ?」ガラスの破片を拾う手を止め、彼女は言う。彼と彼女はしゃがんで、肩を並べて、虹色のカーテンを眺めている。そのカーテンの反対側で、男は退屈しきっていた。来るはずのない女を待っていた。男の座った場所から見える丘の上で、8日前、男が殺した女なのだ。ナイフを喉に突き立てた。ひゅーっ、と風の抜ける音が聞こえ、血が噴き出した。女の血は熱かった。手のひらに伝わる顫動は本能を刺激した。女の体を草むらにけり倒し、返り血で染まったまま丘を駆け下りた。「……なぜリタの死体は発見されないんだろう。どうしておれは、今日も捕まらないのだろう……」女は死ななかったんじゃないだろうか、男は思う。そもそもあの日、あんなことは、起こらなかったんじゃないか、と考える。彼らはあの日、この中庭の噴水を目印に待ち合わせした。ここで待ってれば来るんじゃないか、リタのやつ……ふたりしてここまで逃げてきたのに。おれがあいつを殺すなんて、考えられない……なんてやな野郎だ、カフェの店主は思う。虹色のカーテンの間から、端整な顔を出していやがるなんて……毎日あんな光と一緒に、彼女の前にいたなんて……「あの野郎……許せねぇな」彼は呟いた。それは実に小さな声だったが彼女の耳に届き、彼女の父親でさえ長く聞いたことのないような、明るい無邪気な笑い声がガラス細工屋の店内に響いた。(おわり)
2004.09.01
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