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今日は朝から体調が悪かった。本気で休もうかとも思ったのだが、3コマ連続大教室での講義を後日補講するのもしんどすぎる。幸い今日はゲストスピーカーに来ていただく日だったので、とりあえず倒れることはないかなと思い、大学へ。通勤電車に乗っている間はやっぱり焦点が定まらない状態だった。大学に着いてかなりつらかったが、とりあえず教室へ。ゲストスピーカーの紹介、そしてちょっとした説明をしてから話をしていただく。これは毎年恒例になっていて、たまたまこの日になっていたのだ。私はかなりつらかったので座ったまま話を拝聴する。これを2コマ続けたが、2コマ目の方では途中気分が悪くなり、次の授業を休講にして帰ろうかと本気で思っていた。しかし、ここで昼の薬を飲んでいなかったことに気づく。2コマ目が終了した後慌てて部屋に戻り、薬を飲み、一瞬だけ椅子で仮眠。すると、少しずつだが楽になった。何とか体がもってくれることを祈りながら授業へ。そして、予定の場所まで何とか行って授業は終了。この時点で変な汗をかき始めて、熱も出始めた。部屋に戻ると、来客が続々とやってきた。授業を受けている学生がレポートについての質問にやってきた。1年ゼミで面倒を見た学生だったので、何やらいろいろと話し込んでいく。次に、編入試験に合格した学生がゼミについてききたいとやってきた。さらには、同僚が心配して来てくれた。このあたりで不思議なことに気づいた。何とあれだけ気分が悪かったのに、ダラダラに汗をかいたら、胃腸の違和感が取れてきはじめたのだ。同僚に最寄り駅まで車で送っていただき(これで2回目、申し訳ない...)、帰ることに。ところが、自宅まで帰るのに乗らなければ行けない電車が事故で同時に止まるという大アクシデント。体調が悪いのに、帰れないとは最悪である。最初からずっと満員電車、さらに汗をダラダラかく。立っているのだけは耐えられないと思い、ここで自分の持っている交通に関する知識を総動員して(大げさだが)、通常ならば使わないルートを選択。乗客が比較的少ない路線を選び、乗り換えを繰り返して、自宅までタクシーで戻れる場所まで戻ってきた。ところが!この駅で降りたらタクシーなんてまったく居ない!巨大な自転車置き場があって、なんとまあ、自己責任が徹底されている駅なんだろうと思いつつ、結局また電車に乗りなおして、間違いなくタクシーのある駅まで行った。そこからはタクシーで帰宅。通常の2倍の時間とお金をかけてやっとの思いで戻ることができた。すると、さらに不思議なことに、満員電車で揺られるうちに大量の汗をかいた結果なのか、さらに不快感が取れ、これまで4日間なかった食欲まで出てきた。悪いものが体から出ていったということなのか??4日間、まともに食事をしなかったため、体重を量ったら4キロも減っていた。リバウンドしないように...というよりも、体調を元に戻せるように、節制していかなければならない。この1ヶ月の半分はまともな体調ではなかったのだが、二度とこんなのはゴメンだ。明日から月が変わるが、いい月になるようにしたいものだ。
Nov 30, 2007
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体調を崩した。しかも、あまりない大崩れ。風邪が治ったと思ったら、今度は胃腸風邪(といっても本当は風邪ではない)を食らってしまった。前日の七五三撮影は気を抜くと倒れそうなほど調子が悪かった。火曜日からまともに食事もできず、食欲はまったく無し、吐き気との戦いだった。この日は午前中病院へ。そこで診断をもらい、大学に行けなくもないかなと思ったものの、翌日3コマ連続大教室での講義を控えて無理するのもどうかと思い、休むことに(しかもお腹下してたし...)。幸い、大学院の少人数講義にゼミだけだったので、補講の義務はないようだった。ゼミ生にメールを回して休講することを伝え、とにかく寝ることに。夜はうどんを少しだけ食べるも、やはり調子は悪かった。前の風邪で抵抗力が落ちていたんだろうな、弱り目に祟り目だと思うが、いかにもひどすぎる。これにかかると「胃と腸が外せたらどれだけ楽か」と本気で思ってしまう。
Nov 29, 2007
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今日は、久しぶりに授業も会議もない日。昨日は週末に調子に乗って無理したせいか体調がよくなかったので、今日は少しゆっくり。夕方に写真スタジオで七五三写真撮影を予約していたので、散髪へ。風が強く寒かったので、ちょっとしんどい身にはこたえるなあと思いつつ、散髪は終了。夕方、子供たちが幼稚園から帰ってきてから、撮影へ。七五三の衣装に着替えるためにかなり時間がかかった。着替える場所は男性立ち入り禁止なので店の中にいても退屈なので外をぶらぶら。写真撮影を無事終えたのだが、今度は選ぶのに時間がかかる。かれこれ2時間以上、けっこう疲れた。明日からまた仕事なので、早めに就寝することにしよう。
Nov 28, 2007
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これまでに名を残してきた作曲家は、ピアノ五重奏というジャンルを1曲しか残していないことが多い。ブラームスに、シューマン、ドヴォルザーク、フランク、ショスタコーヴィチなどが作品を残しているが、2曲書いたのはフォーレぐらいで、あとは1曲である。昔読んだ本によれば、作曲家にとっては魅力的なジャンルだと書いてあったと思うが、弦楽四重奏にピアノをプラスするというのはかなり難しい作業のようだ。弦楽四重奏だけでも曲は完成するのに、そこへさらに音符をプラスしていくのだから、重複の具合をうまく考えなければならないだろうし、きっと難しいのだろう。この曲は1868年に初演されたが、実際の作曲はそこからさらに6年遡る。時間がかかったのは、ブラームスの自己批判によるものらしい。最初は弦楽五重奏曲としてこの曲を作曲して完成させたものの、その響きに満足せずに破棄し、その後2台のピアノソナタとして改作したものの、これも気に入らず、さらに改編を進めて現存する形になった。ブラームスは交響曲第1番でも同様の改編を行っており、完成に時間がかかっている。しかし、時間をかけただけの作品を生み出しているところはやはりすごい。------------第1楽章:この曲もヘ短調だが、こちらは冬の冷ややかに張り詰めた空気を感じる。そこから旋律が生まれて、いきなり激しい調子で第1主題の登場。キラキラとしたピアノの音や、和音の色づけ具合も絶妙である。同じ短調であっても後期の作品とは違って、パワーがみなぎっているところがこの曲の魅力。ポップな要素が入った第2主題も不思議な感じで魅力的だ。時折見せるヴィオラの高音などはやはりブラームスならではの扱い方である。展開部の始まりは静かな世界。つららからしずくが落ちていくかのごとくである。そこから曲は次第に動き始め、激しさを増す。重さを伴うクレッシェンドなどは、室内楽曲にはあまり見られないし、フォルテは音が分厚く重複も多いのだろうが、これがまた魅力でもある。ピアノが4つある音のうちの真ん中2つにアクセントを付けて弾くという場所があり、ブラームスは時折この方法を使う(交響曲第1番第4楽章など)が、これまた面白い。最後の部分は静かになった後から、ヘ短調の第1主題を再度登場させて、緊迫感と重量感を持たせて圧倒的に終わる。ここはカッコイイ。------------第2楽章:ブラームスに特徴的な「歌」のある楽章。変イ長調で書かれているが、ブラームスはこの調を多くの場面で使い、しかもうまいなと思う。最初の部分ではホ長調への展開を少しずつ見せながら、中間部でそこへ持って行く。本で読んだのだが、長三度の関係にある調に転調すると夢の世界になるようだ。ホ長調を変ヘ長調と読み替えればその関係になるが、まさにそんな感じがする。この部分はキラキラした感じがするのだが、一瞬ハ長調の和音が登場するところが、「どこへ行ってしまうのか?」という感じで味わい深い。つないだ手を冗談でちょっと離したような雰囲気である。中間部の後は最初の主題に戻る。最後は遠ざかっていくことを惜しむような音の流れ、これは変イ長調という調の持つ温かみをたくさん感じさせてくれる、味わい深い楽章だと思う。------------第3楽章:緊迫感のある開始、8分の6拍子だがシンコペーションで始まるために、流麗な感じの独特のリズム感がある。うまく言えないが、オトナの雰囲気がする。主題の後半は4分の2拍子となっていて、3拍子型と2拍子型の交錯が面白い。また静かになった後いきなり煌びやかな旋律になるのが何ともカッコイイ。ジャジャジャジャーンという音型がピアノで出てくるのも印象的である。その後、フーガが始まるのだが、ここでもいろいろな楽器が次々と混ざっていくところの響きが特徴的である。楽器の違いを明確にできるギリギリの長さを狙って音符が選ばれているように感じる。中間部直前のクレッシェンドが交響曲第3番の第4楽章を思わせて、交響的で大好き。その後の弦楽器がゴシゴシやっているところもカッコイイ。これはやってみたい(私が演奏する姿を知る人なら皆さんたぶん納得のはず)。中間部はハ長調。柔らかい雰囲気ではあるが、響きは分厚い。最後に「レ♭ド~~」と力強く終わるところも面白い。------------第4楽章:最初はゆっくり。主調であるヘ短調から遠い調をウロウロしており、暗くて幻想的な音楽、交響曲第1番第4楽章と同じような感じ。そうなるのは、ルーツは同時期に作られた曲だからなのだろうか。主題はそれと対照的に民謡的である。しかし、それが後に形を変えて重くなってみたりもする。この楽章でも3拍子系と2拍子系が同時に、あるいは逐次的に交錯していくが、これも面白い。こういった場所での実験がさらに後期の作品で活かされているのだなと感じる。中間あたりのゆったりした場面での転調は味わい深い。変ニ長調とヘ長調を使ったここのコントラストも見事だ。曲が終わりに近づいていくと跳躍も大きくなり、シンコペーションも激しさを増していき、下行音型を連発する部分は圧倒的ですらある。最後の終わり方も紋切り型のものではない、一ひねりある終わり方である。------------この曲は演奏したことがない。このピアノを弾ける人を探すのがとにかく難しいので、やりたい気持ちはあるのだが、実現しない。最近、市民オケで室内楽をするメンバーが増えているのだが、私はなかなか予定を合わせられず、参加できないでいるのが、ちょっと寂しい気がする。たまたまチャンスがないだけなのと、チャンスを作れないでいるためなのだが。一生のうち一度はやってみたい室内楽曲の一つだ。これからの季節、空気が冷たく張り詰めるときに、この曲をお供に通勤する機会が多くなるだろう。ブラームスの中では、少し他のものと雰囲気が違うのがこの曲の魅力でもある。同じ作曲家でも生涯のうちにいろいろな工夫をしていることがよくわかる。初演されたときは「現代音楽」だったわけだから、相当苦労したんだろうなと楽譜を追ってみると感じることができる。
Nov 27, 2007
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昨日のN響アワーでこのように題した特集があった。2ndVn奏者の方が出演、モーツァルトのディベルティメントを題材とした実演もあった。時々この日記にも書いてきたように、私は規模の大小に関係なく、アンサンブルにおける2ndVnが大好きだ。しかし、バイオリンはソロで旋律を演奏することが非常に多い楽器なので、どうしてもそういう役割でやりたくなるものなのだろう、アマチュアオケでは特に1stVnを希望する人が多いように思う。しかし私はやっぱり2ndを希望することが多い。これはおそらく、バイオリンを始めた時期とその後の関わり方に強く関係があるのだと思う。私がバイオリンを始めたのは高校の部活だった。最初のごく基本的なトレーニングを除けば、あとはアンサンブルの中でウデを磨いて行ったのだが、最初は高い音を出せないので、2ndVnを担当することになる。その中で私は旋律を弾く楽しさよりも前に2ndVnの役割の多様性に魅力を感じてしまったのだ。伴奏に旋律に、全体としての演奏がよくなるように、どんなこともやれる職人的なところがいいと思ったのだ。それと、大学に行くとさらに感じたことだが、小さい頃からバイオリンを習っている人はやはりすごいので、とてもかなうものではない。もちろん、1stVnをやるチャンスもあったが、うまい人だらけのオケなら、自分のウデである程度余裕をもって対処できる範囲で、もっと曲を深く楽しんで演奏する方を選んだのである。2ndVnに魅力を感じたのは、学生時代に練習指揮を経験したことも大きい。スコアを読み込む経験を積み、本番指揮者からいろいろなことを教えてもらって、アンサンブル全体をイメージしてそこからバックして演奏の組み立てを考えていく習慣はそこから身に付いたのだと思う。自分がその場所で求められている役割を意識しながら演奏することを心がけるようになって、アンサンブルの楽しみ方がレベルアップしたような気がする。もちろん、1stVnがキライだというわけではない。旋律を担当するからこその楽しみは確実にある。担当する機会があるときは、逆に2ndの経験を生かすつもりで弾いている。必要な主張の程度は様々だが、無伴奏ソロでない限り、必ず他のパートがいて音楽になる。それをわかって乗っかるのと、無視して弾くのとでは、雲泥の差があると思う。たくさんのことを深くわかって演奏できるようになると楽しい。これからも音色や弾き方のバリエーションをもっと充実させていきたい。2ndはその楽しみを味わい尽くせるおいしい場所だと思う。もっと2ndの魅力についていろいろ言ってくれぇと、テレビを見ながら思っていた。
Nov 26, 2007
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今日は子供の七五三詣でということで、私の家族、そして両親と共に藤原紀香サマが結婚式を挙げた神社へお参り。ちなみに、私の七五三もここだった。私の父もそのはずなので、三代続けてということになる。初詣も必ず行く、幼少の頃からのなじみの神社、今日も七五三詣での家族連れでにぎわっていた。その後は父がひいきにしている中華料理屋へ、お祝いの昼食会ということで行った。ここも以前からよく訪れている。どの料理もとても美味しい。いつも我が家の宴席に同席していただく父の友人ご夫妻もここで合流となった。部屋に通されて、そこで写真とサインを見てビックリ!なんとここに紀香サマも訪れていた。マスターによれば、お仕事で来られてそのまま連れてこられたのだとか。予約人数は聞いたが誰が来るのかはまったくわからず来てみてビックリだったそうだ。とまあ、結果的に紀香サマつながりの場所を訪れたということに。娘もあやかりたいですなあ。終了後は私だけ「第九」の練習に。なかなか大変だなと思いながら練習。終了後は少人数で飲み、さらに悪のりでメンバーの新居まで押しかけて飲み直す。楽しく話していたが、家主が半分寝かかってしまったのでとりあえず終了。その後近所に住む一人のメンバーとあれやこれや話しながら帰宅。長い一日だった。
Nov 25, 2007
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何と読むのか?などというと謎な話だが、これは今日、子供たちと出かけたときに電車から見えた看板のこと。ふりがながふってあったが、それは「やもめ」と読むらしい。漢字っぽく書いてあるとかなり不思議な感じだ。さて、今日は風邪から復活後初のお出かけ。妻は家でゆっくり、私が子供たちを連れて電車に乗る旅へ。息子が電車のビデオで見た路面電車を見て行きたいと言ったので、京都の京福電鉄に乗るためにわざわざ行ったのだ。ただ、予想通りのスゴイ人だった。京福電車の始発駅である四条大宮まで向かうが、阪急の特急は通勤時にもあり得ないほどの寿司詰め状態。途中の高槻市から桂まで子供には酷だったが、少しだけ我慢してもらった。桂から普通に乗り換えていく。大宮駅には学生の頃に行ったことがあって、当時から某ハンバーガーチェーンが駅前にあることを記憶していたので、そこで昼食。横断歩道を渡って四条大宮駅に行くと、何と人が駅に入ることすらできない長蛇の列。恐るべし秋の京都!2両編成でゆっくり走る路面電車の駅、ここまでの混雑は予想できず...。1本行ってから、待って駅に入る。いよいよ電車がやってきた。子供たちと一緒に先頭車両に陣取る。路面電車なので、一般の車と一緒に道路の上を走るのだが、子供たちは大喜び。途中、太秦などの名所からどんどん人が乗ってくる。北野白梅町行きと接続している帷子ノ辻駅で、一気にまたもや満員電車に。そこから終点の嵐山まで大変だった。嵐山について改札を出ると、今度は道に人があふれかえっている。こんな嵐山界隈は見たことがなかったので目が点になってしまった。どこからこんなに人を集めたのかといいたくなるほどだった。阪急嵐山駅へと歩くが、渡月橋もここまでの人の多さでは情緒なし。阪急もスゴイ人だった。私は帰ったらへとへとだったが、子供たちは大喜びで元気だった。また電車の旅に連れて行くことになりそうだが、やっぱり11月に京都はやめておきたいと改めて思ったのだった...。
Nov 24, 2007
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今日は仕事で大学にお呼び出し。これまた急な話で、「勤労感謝の日」が祝日である意味がまったくなくなってしまった。ついでにということで、途中下車して、次回の市民オケの演奏会の曲のスコアを購入し、他の楽譜なども眺めたりしてちょっとだけ休日気分を味わいつつ大学へ。昼食をどうしようかとウロウロしていたら、しかしやっぱり祝日なので学内の店は休み。というわけで、コンビニで昼食を購入。焼きそばと鯵飯だったのだが、お茶も買って復路の中のバランスが崩れたらしく、部屋に戻って食べようと焼きそばを開けたら油が大爆発!こぼれてしまった...。幸い服にはかからなかったものの、机が油で...。ティッシュをたくさん使ってようやく拭き取る。ほどなく仕事開始。最初の方は居る意味がたいしてなかったような気がする。集合時間はもっと遅くてもよかったのでは...などと思った。もちろん、なぜ居なければならないか、その意図はよくわかるのだが...。というわけで自分の心の中も若干爆発気味。仕事を終えた後は、ゼミの卒業生が集まる会を企画してくれたので、繁華街に行って参加。社会人一年目の卒業生と楽しく話す。やはり、夏に会ったときよりもだんだん仕事の話が増えている。今回の話題はゴルフを始めたということ。上司や先輩に呼ばれてコースデビューをしたときの話はなかなか面白かった。彼らからゴルフというイメージはまったく出てこない。社会人だねえなどと思った。その後は、社会人らしい二次会をなどと言って、夜の娯楽ゾーンに行ってくるというので、私は帰宅することに。病み上がり後、初飲み会だったのでセーブをしながら早めの帰宅。あとは若い方たちでなどと言いながら別れた。終わりよければ何とやらで、最後は気分よく帰ることができてよかった。
Nov 23, 2007
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最近の大学のサービス合戦は激しさを増している。そのために教員が動員されるケースが特に増えてきた。従来ならばそれぞれの担当部署の事務の人が行っていた営業活動にもかなり動員されている。例えば、受験生確保のための高校への営業、事務の人だけではインパクトが薄いと見てか、教員が動員されて「本気度」を示そうということなのだろうか、行くケースがどんんどん増えてきた。それから、在学中のサービスとして、親を大学に招いて懇談会を開くケースも増えてきた。これは従来からもなかったわけではないが、そのスケールがどんどん大きくなってきている。さらには、学生が就職内定をもらった企業の担当者にお礼ということで、就職担当の事務の人だけでなく、こちらも教員が行かなければならないというケースが見られるようになってきた。こういう動きは、お客さんが減っていくことがわかっていく中で、止まることはないだろうと思う。ところが、やはり「やればうまく行く」というものではないようにも思える。「あそこもやったから、じゃあウチも」という話になって、急に開催が決定し、十分な準備がないままやってしまうというケースは少なくないと見たり聞いたりする範囲でも思う。こうなると、「とりあえずやったんで勘弁してください」というように見えてしまうかもしれない。自分たちにそのつもりがなくても見えてしまうのだ。これはほとんど「勉強はしたんで、テストはできていないかもしれないけど、単位ください」と言っている学生と同じノリであるような気がするのだ。ということで問題になるのが、「とりあえず」やるべきなのか、「じっくり考えて」やるべきなのかということだ。これはどちらも一理あるので、一概には言えないのだが、どちらの場合も重要なのは、「そこに行くまでに準備をちゃんとしたのか」ということである。とりあえずやるにしても、その効果がある程度見えた段階でやったかどうか、そこから何か学習できそうかどうかが重要で、それならばトライ&エラーも意味のあることだ。しかし、準備が不十分なのにやってしまうとエラーばかりなのに気づかないということが起きてしまう。失敗はそこから学んでこそ価値があるはずで学ばなければその失敗に価値はないと思う。自分で気づくか、他人から気づかされるか、どちらでもいいと思うが、とにかくわかることが大事だと思う。とはいえ、実は大学での分業の仕方は、たいていどこでもそういう学びのシステムを作りにくい状況にあることも確かで、だからこそ失敗だと思われるケースが少ないのだ。みんなが防御率が悪いから3点台でもベスト3に入れるという状態なのかなと思う。それは別にいいというのではなく、だからこそチャンスであるはずなのだが...。高校への営業にしても、親との懇談会にしても、実際学べることはあると思う。ゼミ生の親と話をしていると、親子の関係が学生の言動に出ていることがわかるし、逆に学生の言動だけではわかりかねるところが親と話すと理解できたりするのだ。高校への営業にしても、うまく問題意識を共有できれば、もっとアピールすることができるようにも思う。しかし、実際には教員にそこまでの時間がないことも確かだし、そういうノウハウについて議論することも少ない。でも、どうせやるのなら、一度ちゃんと時間を作って話をした方がいいのではと思うことも少なくない。そんな組織の中の「ねじれ」はたくさんの機会損失を生み出しているような気がする。大学の中でも、そういう仕事のためには組織的な取り組みが必要ではないかと思う。仕事のフローにしても、人材の配分にしても、本当は有機的になされた方が効果は高いはずだが、難しいものである。最近読んだ本の中で、「事実を自分で客観的に確かめることができるものは世の中に少ない」「自分の本当の姿は他人によって間接的にしか確かめることはできない」といった文章があったのだが、一連の仕事をしていてなるほどなと思った。いずれにしても、ちゃんと考えていくことでチャンスが生まれる。みんな考える時間や意識が少ない今の時代だからこそ、実は必要なのではないかなと思った。
Nov 23, 2007
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今日は小規模授業3つの日。大学院の学生と話していたら、なぜ日本にはニートがいたりとかするのかという話になった。中国や韓国からの留学生にとってはこういった現状がやはり不思議に映るらしい。なぜ日本の親はこんな状態を放置するのだろうかとか、なぜ学校は及び腰なのだろうかとか、疑問はたくさんあるそうだ。しかし、実は韓国でも中国でも日本と同様、親や学校に問題がどんどん生じ始める傾向が見られるらしい。モンスターペアレンツまではまだひどくはなっていないようだが、だんだん似通ってきているのかな...。興味深かったのは、「ALWAYS三丁目の夕日」を見て、「小学生の頃を思い出して、やっぱりあの頃の方がよかった」と言っていたことだった。自分だけのことを考えるより、みんなで幸せになる方がやっぱりいいということは、本当にただのノスタルジーとして切り捨てていいのかということは、やはり考えた方がいいような気がした。「人のために何かをする」「人のためになることができる」ことはやっぱり大事なことだ。誰もが自分の力だけで今の状態になっていることはないだろう。「勝者の論理」も程度問題で、行き過ぎはやはり問題があると思う。その勝ちですら、実は過去の遺産の食いつぶしであるかもしれないのだ。留学生と話をすると、その疑問に答えるために、こちらも考えさせられることが多い。
Nov 22, 2007
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今朝はいつも使う路線で線路に人が立ち入ったとかでまた電車が遅れていた。40分遅れって何やねん...というわけで、違う路線で行くことに。乗換駅はすぐそばなので途中からは問題ない。昨日の帰りも電車が遅れたから同じことをしたのだが、まったく困ったものだ。電車ではブラームスの交響曲第4番を聴く。今日はあまり天気がよくないので、空も灰色、こんなときには4番かなと思ってしまう。しかし、3番と同様、味わい深い音楽、通勤電車では心穏やかに。大学について買い物があったので生協に立ち寄ると、新刊の新書に指揮者の金聖響氏が対談に参加する方式で書かれているベートーヴェンの交響曲全曲に関する本を見つけたので、研究や授業のそれよりも先に目がいって購入。もちろん今の時間は準備や雑用に忙しいので、まだ読んでいないが、現役指揮者による話は興味深い。帰りの電車ででも読もうかな。
Nov 22, 2007
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やっぱり秋といえばブラームスだということで、最近気に入って通勤電車でも聴いているこの曲、改めて聴いてみると味わい深いなと思う。この曲はブラームス50歳の時の作品、作曲家としてヨーロッパ全土に認められてからのもので、ブラームスらしいと思える特徴がかなり明確に出ている。ブラームスの作品の中でも秋、この時期にふさわしいように思う(第4番もそうだたが、もう少し温度が低いし、渋みが濃いかもと思う)。-------------------------第1楽章:ヘ長調は比較的のんびりとした雰囲気のものが多い調性の代表だと思われる(ベートーヴェン「田園」の影響が大きいと思うが)が、この作品はちょっと趣が違う。いきなり第1主題が登場し、その中に短調の和音も登場するし、またシンコペーションを伴う動きのある音楽である。第2主題はイ長調、クラリネットで登場するちょっと夢を見るような雰囲気となる。そこを過ぎるといよいよブラームスらしい世界へ。アクセントが1拍目からずっとずれていて拍子感がわからなくなる。4分の6拍子なのだが、アクセントはことごとく6拍目に来るという展開。これはアマチュア奏者泣かせである。しかし、ひらひらという感じの音楽の流れは落ち葉が風に舞うようで美しい。展開部は嬰ハ短調で始まるが、ちょうど今の時期の木枯らしに吹かれているような音楽である。落ち葉の舞い方が激しくなったような感じ。その後音楽は静かになるが、ここは落ち着いた感じ。ちょうど今の時期の光の弱い太陽と薄水色の空を見るようだ。再現部では第2主題がニ長調となり、より平和な感じがする。ここを聴いていると、ブラームスのニ長調はいつ聴いても美しいなと思う。クライマックスとも言える部分は第1主題の断片をきっかけにどんどん音の単位が短くなり、さらに低音が加わっていくというのが特徴。頂点では分散和音による輝きが他の交響曲と違う味わいで興味深い。そこからゆっくりと平和な世界に戻っていき、静かに終わっていくところが雄大な秋の景色を思わせる。-------------------------第2楽章:木管楽器によるハ長調の旋律と低弦による応答による平和な世界でスタート。農作物が風に揺れているという感じだろうか。第2主題とも言えそうな旋律(第4楽章でも使われる)は少し陰のある感じ。その先の世界は森の中を歩いているようだ。転調の具合を聴いていると光の差し方が場所によって違う、そんな景色を見ているような気がする。途中、「大学祝典序曲」の冒頭にある動機が出てくるが、これはブラームスのお気に入りなのかな?この楽章の緩やかな流れは、やはりこれも秋の景色であるように思う。最後の方で断片的に家畜の鳴き声のような音が出てくるが、ここでのオクターブユニゾン(上の音はヴァイオリンの最高音に近い)という処理がとても興味深い。2ndを弾いているときにはふくよかさを増すためのバランスを考えて弾くのだが、これが単純だが楽しかったりする。最後は短調の和音を交えて惜しむように終わる。-------------------------第3楽章:この曲で一番有名な楽章。フランス映画の主題曲に使われて親しまれるようになったという。チェロ奏者にはたまらない冒頭という感じ。でも実は3連符でずっとひらひらと演出している2ndVnも楽しかったりする。ドヴォルザークの交響曲第8番の第3楽章の2ndVnはここからヒントをもらったのかなと弾いていて思った。この旋律は何度か登場するが、哀愁をやはり感じてしまう。秋の夕暮れに落ち葉を見ながら物思うという感じだろうか。登場するたびに楽器が変わると印象も多少は変わるが、やはり「いづこも同じ、秋の夕暮れ」なのかな。中間部では、少し揺れ動く感じになる。ここで時折顔を見せるロ長調や変イ長調の旋律がさらに切なさを演出する。この2つの調を近い場所で対比させて、ダイナミクスの拡大と縮小を見事に表現している。やっぱり調性の使い方は重要だなと思う。また、アウフタクトの扱いの重要性を特に感じる楽章でもある。-------------------------第4楽章:これからの冬の訪れを先取りして表現しているかのような楽章。最初の部分は交響曲第2番とよく似た始まり方。しかし、ヘ短調で氷の上をすべっているかのような印象。ヴィヴァルディの「四季」の「冬」やチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章が連想される。変イ長調で第2楽章にあった断片は寒い感じ、そこから急速に激しい音楽。ここはマーラーの交響曲第1番第4楽章を連想させる。第2主題は急速でちょっと爽やかな風が一瞬吹いたかなという感じ。しかし、それはとても短い。その後すぐにある部分のテンションの上がり方は何段階にもなっていて見事。また裏拍にアクセントが連続して「おっとっと!」とうまく歩けない感じが面白い。歩きたくても前に進まないという感じだろうか。展開部は一瞬静まるが、フーガが始まるとまた曲は激しくなる。ここにまたブラームスの世界、2連符と3連符の組み合わせが登場するが、ここではベートーヴェンの「運命」第4楽章の断片がたくさん使われている。そこで一瞬ヘ長調になり、堂々とした感じなるが、すぐに短調に戻ってしまう。冬の気候に何度打たれても立ち向かう人のようだ。この曲が「ブラームスの英雄交響曲」だと呼ばれるゆえんはここにありそうだ。この激しい部分を抜ける和音ではホルンのゲシュトプフ(あさがおの部分に小節を突っ込んで吹く)が使われ、終結部に入ったことを示す。その後のヴィオラの旋律が切なく、そこから曲は平和でゆったりと世界へ。だんだんとヘ短調から表情の緩やかな調に変わっていく様子は「アルプス交響曲」の雨が止む場面と共通する雰囲気。弦楽器のひらひらという感じの伴奏は落ち葉が緩やかに舞うようだ。そして、最後は平和なヘ長調で閉じられる。やっぱり秋の雰囲気だなと思う。-------------------------この曲は一度だけ演奏したことがある。個人的には第4楽章のテンションの高さが大好きで後打ちスフォルツァンドはかなり練習した記憶がある。この曲はいろいろな意味でアマチュア泣かせ。第1楽章のリズムもそうだが、最後が静かに終わってしまうというのも何となく物足りない気がしてしまう人が多い。もちろん、これらもはまったら楽しい。最初はあまり好きではなくてもやっているうちに好きになるという曲の代表なのかもしれない。この曲はやはりこの季節にピッタリだと思うので、しばらく通勤の音楽の供であることは間違いないだろう。
Nov 21, 2007
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今日は授業のない日だが、会議と新ゼミ生面接でかなり忙しかった。朝から子供を幼稚園に送っていくが息子が不機嫌でかなり大変だった。何とか送り届けてから通勤。本を読む元気も出てきたので、授業ネタに使えそうな本を読みつつ登校。午前中は雑用と部屋の片づけに追われる。授業でプリント配布をすると余りなどが積み上がって片づけるのに苦労する。今回については面接会場ともなるので必死で片づけ。同僚と簡単にランチを済ませて会議へ。今日はいつになくいろいろ発言。本当に円滑な会議は難しい...。会議後10分で面接開始。2次面接も希望者がそれなりにいて倍率は高かった。ゼミ選びについて面接しながらいろいろときく。志望動機についてやはり注目していくことになるのだが、あまり明確でない人が多いのは気になる。2年間を過ごすのだから、どういうものであれ、やっぱり目的意識は欲しいものだ。友達と一緒にいたいからだとか、何となく楽しそうだからというのではやはり弱い。そういった人たちの話を聴いていると、やはり主体性が足りないなあと思ってしまう。終了後はそういうことを面接を手伝ってくれたゼミ生と話す。彼らも面接を手伝いながらいろいろなことを感じ取って学んでくれたのではないかと思う。楽しく談笑した後、時間の空いている学生を連れて簡単に夕食。学生がよくいくという店に連れて行ってもらう。一人ではさすがに行けない、という意味では非常に面白かった。ゼミの授業以外でもいろいろと関われるというのはうれしいことである。その後、復路の通勤電車では明日の卒論発表分の原稿に目を通し、コメントを考える。途中の乗換駅の本屋でちょっと立ち読み。「部下は育てるな!取り替えろ!!」という本を手にとってちょっと立ち読み。刺激的なタイトルが先行しているが、どうなのかな。納得できることとできないことがあり、という感じ。また買ってちゃんと読もうかな...。思ったよりは早く帰宅できたので、早めに寝よう。最近、睡眠時間の重要性を身にしみて感じている。明日も元気で。
Nov 21, 2007
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病み上がりから初の火曜日。夜の授業があって大変な日である。しかも休んでいる間にゼミの第2次面接の予定があったのだが、ずれてしまって今日ということになってしまった。授業のない時間はすべてそれに取られて、息をつく暇もなかった。ゼミ生に面接を手伝ってもらってやっと乗り切る。とかいいながら、面接が終わった後の評価の時間にはいろいろと談笑もあり。ゼミ生といる時間はやっぱり楽しい。いろいろ本音を聞いて、他にも日頃はなかなかできないらしいゼミ生の素朴な質問にも答えて、こういう時間は楽しいものだ。ゼミ生は面接をすることでいろいろと小さくつまずきつつも、いろいろなことを学んでいるように感じる。最後の授業が終わった後は2週間ぶりのラー研へ。今日行った店もとてもおいしかった。やはりこういう楽しみもないとね。教員同士の情報交換、疲れた後のハイテンションも手伝っていろいろとしゃべったが、やはり話していて楽しい。やっぱり話し好きであることを実感してしまうが、今日だけでいったい何時間しゃべったのかな?いずれにしても火曜日のスケジュールを乗り切ったことで、そろそろ平常通りに戻ったような気がする。
Nov 20, 2007
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それは、ありきたりかもしれないが、やっぱりブラームスだと思ってしまう。この季節、通勤電車はかなりうっとうしい気分になってしまうが、窓から見える薄水色の空、少しボーッとした太陽の光、少し寒さを感じる景色にはやっぱりこれかなと。今日は、昨日と同様、交響曲第3番、そして第4番を聴いていた。第3番の第2楽章や第3楽章の歌、第4番の第2楽章のちょっとレトロな感じ、やっぱりこの季節がぴったりだなと思う。そう思えることは幸せだなと思う。
Nov 20, 2007
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今日は非常勤先での授業、とても寒かったが、一日無事乗り切ってホッとしているところだ。体調は野球で言えばキャンプでキャッチャーを座らせて感覚を確かめながら20球と言う感じだろうか。投げ込めるようになる日も近いというところだ。 今日の音楽の供は秋の終わり、冬に足を踏み入れかけている時期にぴったりのブラームスの交響曲第3番、そしてカリンニコフの交響曲第1番である。まだ電車で本を読むと気分が悪くなりそうで、ついつい目を閉じて音楽を聴いてしまうのだが、これもいい機会かな。しんどい間はなかなか聴けなかった交響曲を味わうのも今はいいかも。ブラームスの第4楽章の超ハイテンションについて行けるのがうれしい。
Nov 19, 2007
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TVドラマではクラシック音楽がいろいろな場所で断片的に使用されているが、最近の使い方は昔よりだんだん雰囲気や歴史などを踏まえて、こだわりがあるような気がする。昨日、何気なくテレビをつけたら「SP」というドラマをやっていた。途中から見たのだが、そこにはショスタコーヴィチの音楽が使われていた。話のあらすじは番組HPなどをご覧いただくとして、まず、テロリストが人質を取り病院に立てこもって、その人質たちを追い立てたり脅したりするシーンでは、交響曲第10番の第2楽章が使われていた。この楽章はスターリンの粛清を表す音楽だと言われているが、出口のまったく見えない状態で追い立てられる恐怖感が表現される画面に音楽の流れがピッタリはまっていた。次に、テロリストが立てこもった企てを実践しようとする場面では、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の「チチン・ブイブイ」で有名になった主題をかなり盛り上がってきた部分からずっと流していた。これも実は戦車が進んでいく様子なのだと言うことをきいたことがあるが、そういう雰囲気がよく出ていた。これらが流されていると言うだけならば普通なのだが、いずれもシーンの切れ目が曲の切れ目にピッタリと収まっているのに驚いた。第10番の方では半音階だらけのところと変ロ短調で主題を鳴らすところを使って、そこから一瞬転調する和音があるのだが、そこでピッタリ音楽は切られて、シーンも変わった。第7番の方は小太鼓がずっと鳴っている場所を転調して通り抜けて雰囲気が変わった場所を一瞬やってから場面が変わった。このあたりもかなり計算された感じがする。画面に音を何となくかぶせてフェードアウトではなく正確な位置で切るということは、かなりの計算が必要だと思う。やるもんですな、「のだめ」をやったTV局だなという感じ。ちなみに、大学院生の頃、同級生に「銀河英雄伝説」のビデオを見せられて「これ、クラシックの曲らしいんだけど、なんていう曲かわかるか?」というのを最初に一発で当てたので、それからよくきかれるようになった。アニメでも宇宙的なものを扱う際には、クラシックが使われることがある。時々こういうのがきこえてくると、思わず耳が行ってしまう。食品系のCMでベートーヴェンの「コリオラン」序曲の冒頭が出てきたのには少々驚いたが、いずれにしても、画面に連動させてクラシックを流すという点では、少し深みのある使われ方になってきたのだなと思う。
Nov 18, 2007
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リヒャルト・シュトラウスは、管弦楽のための大曲を12曲残しているが、この曲はその最後を飾るものである。「交響曲」という名前がついてはいるが、伝統的な交響曲の形式とは違うもので、どちらかといえば標題音楽として位置づけられる。しかし、その構成などは見事なもので、有機的な動機の扱い方などを見ていると、交響曲だと名乗った理由もわかるような気がする。この曲が作曲されたのは1915年だが、構想はもっと前からあったようだ。リヒャルト・シュトラウスはベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めていたこともあり、指揮活動もかなり多忙だったが、その中でこのような精緻な作品を残すことができたというのは見事だと思う。他にオペラもたくさん作っていたわけだし、すごい。この曲のストーリーは、アルプスに登山する人が見て感じたことをつづったものだと思われる。場面としては、「夜・日の出」「登山」「頂上」「下山」「日没・夜」という、大きく5つに分けることができる。-------------------------「夜・日の出」最初は、変ロ短調の音階で下降していく音型で始まるが、これが「夜の動機」である。その後すぐに金管楽器が弱音「山の動機」を演奏する。その後、だんだんとオーケストラの響きに動きが加えられていき、「山の動機」も発音のはっきりした楽器によって演奏されていくようになっていき、小太鼓や金管楽器が加わった頂点で「太陽の動機」が登場する。この場面は日の出に向かって山の姿が現れていき、ついに日の出という場面を見事に表しているように思う。ホルンの音がやっぱりアルプスの山という感じを与える。-------------------------「登山」低弦からごきげんな旋律が登場。登山者のうきうきした気持ちを表しているようだ。この旋律はサイズを変えたりしながらいろいろな場面で登場する。この旋律が盛り上がったところでホルンとトロンボーンが演奏するのが「岩の動機」なのだが、これは「ウルトラセブン」の歌だと初めてきいたときに思った。その後ろで(実際は舞台裏で演奏される)出てくる狩りの角笛も見事に描かれている。それから登山者は森に入る。木々のざわめき、光の少ない場所に入ってきた感じなど、音楽を聴いていくだけでもそういった情景が目に浮かんでくるようだ。光の変化の具合が転調や楽器の扱いによって、美しく描かれている。変イ長調で伸びやかに歌われる部分が個人的には好きだ。それから登山者は滝の横を通っていく。この場面ではハープやチェレスタの音が水しぶきを表している。さらに登山者は花咲く草原を抜け(ここでも登山者のうきうきしている旋律が登場する)、高原の牧場を通っていく。ここでは、カウベルが使われていたり、アルペンホルン風の旋律が何度も出てきたりと、何ともわかりやすい。その後、登山者は道にも迷ってしまう。ちょっと慌てるような感じがフーガや調性などで表されていて面白い。それでも登山者は進んでいき、氷河が姿を現す。しかし、その後また登山者は頂上を前にして危険な目にも遭ってしまうが、それでも頂上を目指していく。-------------------------「頂上」登山者はいよいよ頂上に到着する。この部分のクライマックスは堂々としたハ長調、これも場面を考えて選ばれたものであるように思う。「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭と同じで、スケールの大きなものに対する荘厳な感覚というのは、この調で語られているように思える。この場面ではゆったりと、これまでに登場した動機がいろいろと組み合わされて登場する。ところが、その後山の天気は変わってしまう。霧が山を覆い始め、太陽の動機がかすれていくように表現され、これで光が薄れていく様子が表現されているように思われる。旋律もだんだん悲しげなものになっていき、登山者の不安な気持ちも表れてくる。-------------------------「下山」そして、嵐の前の静けさが主に木管楽器の旋律によって表され、ティンパニを合図に雷雨が始まる。そして弦楽器のピチカートによる雨音がどんどん増えていき、ウィンドマシンによる風、サンダーマシンやティンパニによる雷。弦楽器の下降音型連発が激しい雨を見事に表している。登山者が必死で山を下りていく様子が、うきうきしている旋律の反行型などで表されていて、これは非常に緻密に作られていることが感じられている。時折、遠くの空が明るくなるかのような長調の雰囲気も作られるが、すぐにそれは雷雨によって打ち消されてしまう。しかし、その後ピチカートの密度は粗くなっていき、雷が遠くに行って雨が止んでいく。-------------------------「日没・夜」雨が止むと、登山者は晴れた夕空に大きな夕日を見る。太陽の動機が黄昏を示すような調で登場、黒い雲も少しあるのだろうか、そういった雰囲気の調への展開も見られる。この日没は本当に荘厳な雰囲気である。ロ長調をここに持ってくるというのがやはりツァラトゥストラと同じ構成になっているのが面白いところ。主音を隣に持つ一番遠い関係の調を持ってくることで見事な配置になっている。そして、日没が終わるとオルガンが登場して無事下山したことの喜びを味わうような旋律が登場する。ここで使われているのは登山開始の時にうきうきしたことを示す旋律と同じ変ホ長調、それがゆったりとした雰囲気の中で使われているところがうまくできているなと思う。このセクションの中でもヴァイオリンによって息の長い旋律が歌われる場所が、全曲の中で一番好きな場所である。そして、最後は冒頭の夜を示す旋律や山の動機が表れ、登山者を示す旋律が明滅しながら最後は静かに曲を閉じる。見事な音の絵であるとも言えるし、登山者を追った小さなドキュメント風の日記とも言えそうだ。-------------------------この曲は、もちろん演奏したことはない。何しろありとあらゆる楽器を贅沢に使っているために、アマチュアオケだとまず予算上の問題にぶち当たってしまう。チェレスタとハープとカウベルを用意しなければいけないのは他にマーラーの交響曲第6番ぐらいなものだが、この曲にはさらにウィンドマシン(これは布状のものをこすって音を出すような感じだろうか)やサンダーマシン(といっても鉄板を揺すって「バリバリ」といわせるものだが)、そしてパイプオルガンまで必要である。演奏会場も限られるという何とも贅沢な作品なのだ。もちろん、技術的な問題にもぶつかってしまう。それに、指揮者はやっぱりスゴイ人でないと厳しいかもと思う。音の交通整理だけでも大変だろう。いろいろな条件を揃えないとできない曲なのだ。アマチュアオケでやったら破産しそう...。この曲は、私がCDを初めて買った曲でもある。CDが登場したのは私が高校生の頃で、それまではLPだった。この曲を選んだ理由は、祖父が「オーケストラを始めたんだってな」と貸してくれた思い出のLPであり、それが裏表で続けて演奏されている曲だと知ったからである。LPがCDに変わったことの一番の喜びは「裏返さずに最後まで聴ける」ということで、それが実体験できるのがうれしかったのだ。CDはハイティンク指揮/アムステルダムコンセルトヘボウのもの。実は、このCDのジャケットにあった山の絵が気に入って買ったものだが、演奏もよかった。もちろん、今も自宅のCDラックの大事な位置を占めている。この曲を初めてきいたのは高校1年生、楽器を始めてしばらくのときだが、「クラシックにこんな曲があったのか」とか「オーケストラでここまでいろいろな音が出せるのか」「ここまで景色が浮かぶように音楽ってできるものなのか」ととにかく驚いたことを覚えている。この曲は、一生のうちに一度はやってみたい、まさに私にとっての「登ってみたいアルプス」なのかもしれない。
Nov 17, 2007
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今朝は、ゆっくり寝ることはできたものの、やはり肩が張り、調子があまりよくない感じだった。私はデスクワーク中心なのに、なぜか肩はほとんど凝らない。それだけに、この状態はおかしいと思えてしまうのだ。何だか熱っぽい状態でとにかく出発。 通勤電車では座席を確保できたが、やはり体がだるい。こんな状態で大丈夫かと不安を持ちつつ大学に到着。 早速、1つめの授業がスタート。やっぱり、ちょっとしんどい。途中、これは微熱があるなという感じになり、多少つらい場面もあった。しかし、何とか乗り切った。 昼休みは、自分にとってはほとんどあり得ない少食ぶり。微熱も手伝って、食欲もあまりわかなかった。この時間帯に同僚からメール。心配してくれている。弱っているときのこういう一言は本当にうれしいものだ。 そうこうして、あまり復調の手応えがないまま午後の授業がスタート。最初はしんどかったのだが、しばらくすると、何か重いものが体から落ちるような感覚。声が出にくいなど、しんどいながらも、普通の感覚に戻ったような気がした。 3つめの授業は、ほとんど前の時間の勢いを借りた感じで乗り切った。幸いなことに、この3つめの授業が、1週間の大教室の講義の中で最もやっていて楽しいと思える時間帯で、しんどいながらも乗り切れたような気がする。 終了後、メールをくれた同僚の部屋へ。昨日よりも元気な姿を見せて、しばらくお話タイム。 と、ここまではテンションの高さと集中力で持った部分があるとも考えられるので、うまく行ったが、問題は帰った後、集中力が切れたらどうなるかである。それで何もなければ、本当の回復基調になったと言えるのかなと思う。 とりあえず、一番不安だった金曜日を倒れずに乗り切れたのはうれしいことである。
Nov 16, 2007
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久しぶりに仕事へ。昨日あまり眠れずに体調はよくない感じ。しかし、さすがに休めないのでゆっくりと行くことに。ところが、休んだせいで片づけるべき仕事が山積み状態になっていた。少しずつこなすも、やはり厳しい。授業はすべて座ってできる小規模なものばかりだったので、とりあえず持ちこたえた。しかし、時折気分が悪くなることもあった。まだ完全にはよくなっていないということのようだ。先週の金曜日と比較すればずいぶんマシにはなっているし、持ちこたえる力はあることはわかった。ゆっくり治していかないといけないということなのだろう。今週末もゆっくりさせてもらおう。
Nov 15, 2007
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今日は会議だったが、まだ足がふわふわする状態が残っていたので事務に届けて休ませてもらった。明日からはまたハードな日常が戻ってくる。それだけに今日が静養に充てられる最後の日。ゆっくりと寝て充電を図る。昼前と夕方にそれぞれ2時間ほど寝ることができたので、夕方にはちょっとしんどいなと感じる通常の体調にまで戻ってきた。足のふらつきはもうない。土曜日から今日までのこの5日間、いろいろな人々に迷惑をかけた。仕事を代わってもらった同僚には、本当に感謝と同時に申し訳ないという気持ち。講義をドタキャンするかたちで休講してしまったので、受講している学生たちにも迷惑をかけたと思う。別に補講日を増やしてしまう結果になってしまった。参加するはずだった行事の窓口となってくれた方にも申し訳なかった。最後まで何とか参加できるように頑張ってみたのだが、体調を崩した場合だけはどうにもならず...。そしてやはり最も迷惑をかけたのは妻である。インフルエンザのように隔離の必要性がなかったのと、フラフラしつつも何とか日常生活だけはできたので、何もかもかかりっきりでなかったのはよかったのだが、食事の予定は相当狂わせたようだ。「いない予定だったから何も買ってないよ~!」と言っていたが、すまないことをした。子供たちを幼稚園に送っていくことも、休日に相手をしてやることも、風呂に一緒に入ることもできず、子供たちを寝ている部屋に入れないようにしてくれていたりと、負担のかけ通しだった。「この代わりは何で(してくれるの)?」などと早々に言われているので、戦々恐々だったりするのだが、ちょっと考えておくことにしよう。あ、この「考えておく」の意味は「やらないよ」という意味ではない。ほぼ一週間、完全に「病気日記」状態だったが、明日からは仕事に復帰ということで、ひとまず終わりにしよう!と思っているが、そうなることを祈って、早めに寝ることにしよう。
Nov 14, 2007
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寝るのにも体力は結構使う、とは医者の先生の言葉。昨夜は昼間に寝過ぎたためになかなか眠ることができなかった。夜中にも何度か目が覚めたが、朝起きてみたら昨日よりはマシ、とはいえ、大学に行ってさらに夜まで授業となると、とてもではないが持ちそうにない。ふらつきはとりあえずおさまりつつあったがまだ足が地に着いていない感覚、肩の重い具合も取れていないので、今日も休講。いろいろと予定を立てていたものが、今日休んでしまうとすべて狂ってくるために、本当は休みたくなかったのだが、なにしろ木、金の授業3連発連続を考えると、無理はできない。今までにないひどい風邪なので、直る具合も見当がつかないので、休むことにした。まったく、困ったものだ。何だか妻も風邪をひいたらしい。ただ、パターンがまったく違うので移したわけではないらしいのだが。結局2人で病院へ。近所の奥さんに声をかけられ「あら~、二人出そろってお出かけ?」というので、「ええ、病院に...」というと、「大変ね~」と言われてしまった。連続で診察を受けるというのも変な感じ。私については、のどの具合はかなり改善されたが、鼻がひどい状態でアレルギーまで併発しているので、これはしんどいはずだとのこと。鼻の具合を治す薬を処方される。帰った後はまた寝込んでいたが、さすがに寝入ることはできず、目を開けたまま、しまいには音楽を聴いていた。といっても、優しい音の弦楽合奏やピアノ曲ばっかりをBGM風に。こんなときに「1812年」でもかけたら、すぐに倒れそうである。さすがに二度病院に通ったおかげか、寝まくったおかげか、少しずつはよくなっている。まだ肩の張りが取れないと足のフワフワ感が取れてこないので、もう一日ほどの静養は必要だろうが、明後日までにはどうにか復活できそうな兆し。やっと普通の風邪程度のしんどさまで回復してきたかなという感じだ。ここまで来るのに、結局1週間かかってしまったことになる。インフルエンザよりひどい風邪って、一体これは何なんだ?!
Nov 13, 2007
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今朝起きたら、やはりまだフラフラする。気分も悪い。本来ならば非常勤の日なのだが、早々に休講を申し出る。ずっと寝ては起きての繰り返し、眠りが深いときほど目覚めた後まだフラフラする。肩に重いものがズシリと乗っている感じがまだ取れない。熱もなければ咳も出ないというのはまだ同じ状態。午後もまたゆっくり睡眠。しかし、どうしても起きてしまう。それは自分にとってよくない夢を見てしまうことだ。授業をしようにも教室にたどり着けないとか、授業のはずがなぜか別の先生が授業をしているとか、何ともよろしくない。体の調子が悪い時ってそんなもんなのかなあと寝込むたびに思う。しかし、食欲だけは不思議とある。夕食後、風呂にも入ってみた。肩の張りがちょっと解消されて、ふらつきがおさまったような感じがする。とはいえ、問題は明日の朝起きてからだ。明日は夜も授業がある長丁場、果たして体は元通りになっているのだろうか。ちょっと心配ではあるが、今の少しよくなった気がする状態がそのまま上向いてくれたら、それが一番いいのだが...。早く、景気のいい話だの、面白い話だの、仕事のボヤキだの、そういう話を書きたいものだ。今はそんな気力がないもので...。明日に期待!
Nov 12, 2007
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今日も結局起き上がれず、食事の時間の近辺以外はほとんど睡眠。しかし、いくら寝てもそう簡単によくなるものではない、でも寝ておかなければもっと悪くなるだけという医者の先生の言葉が重く響く。熱もなければ咳も出ないという状態ながら、確実に立てばふらつくという状態がまだ続く。ただ、少しはマシになってきたことも実感する。今まで体の中にため込まれたよくないものがいろいろなかたちで少しずつ外に出始めてきた。例えば、鼻をかんでもまったく反応していなかったのが、少しはスッキリするようになってきた。肩の張りも減ってきた。明日から仕事だというのに、果たして大丈夫なのか...。どうするかも当然体との相談になってくる。さてさて、明日起きたらどんな感じなのかな。だいぶんスッキリした状態になっていることを祈ろう。
Nov 11, 2007
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病院から戻ってひたすら睡眠。寝付けないのでCDをかけていたら、気づけば別の曲に変わっていた。ずいぶん寝ていたということだろう。起きてからの調子はやはろいま一つ。来週の仕事に差し支えてはマズイので、とにかく静養。ありがたいのは、予定をキャンセルして迷惑をかけた人からもらったメール。「困ったときはお互いさま。貸し借りなんて関係ない」「今回は残念だけど今度また一緒にやりましょうよ」という温かい言葉。明らかに迷惑がかかっているはずなのに、そう言ってもらえることが幸せだと思えることと、本当に申し訳ない思いとでなんだか泣けてきた。どういうかたちにするのかはわからないが、とにかく自分のできることでお返しをしていかなければならないと思う。でも何よりも早く直すことこそが大事だ。体を元に戻さないことには、お返しも何もあったものではない。とにかく寝ることあるのみ。本当に、熱も咳も出ないし、多少は落ちるとはいえ普通の食欲もある。こうしてちょっとだけ日記なんかも書いている。なのに...思うように動けないのは本当に辛いと思う。
Nov 10, 2007
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結局、昨夜は11時間睡眠、少し復活の兆しかと期待していたら、どんどんしんどくなっていった。家の中を歩き回るだけで気分が悪くなっていく。情けないことに仕事をキャンセルし、さらに明日ある大事な行事もたぶんキャンセルになるだろうかという感じ。結局、病院へ。さてどうなることやら。10分弱歩いているだけで目が回ってきた。まずは無事病院にたどり着けるかな。さてその後、病院で診察を受けると、風邪だという診断はまあ予想通りだったが、「最悪のパターン」だと先生が言う。その理由は、ごまかしながら動けない風邪だからだそうだ。リンパ腺がパンパンに張っていて、とにかく安静にしないとそもそも改善されないとのこと。熱も咳も出ないので一見すると具合が悪いようには見えないが、実はフラフラしたままという状態が続くという、まさにその症状だった。というわけで、今週末の仕事と大事なイベントはすべてキャンセルしなければならない状態になってしまった。関係される方々には本当に申し訳ない。人は自分のすることで確実に他人に迷惑をかけてしまうものだと実感。風邪には気をつけていたはずなんだが、こればっかりはどうにもならないようだ。情けない...。
Nov 10, 2007
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今日はハードな大講義3連発の日。昨日の電車の遅れのせいで今朝は若干睡眠不足気味(遅れなければあと1時間ぐらい余分に寝ることができたのに)。通常ならば十分な睡眠時間なのだが、ちょっと風邪気味だっただけに足りなかったようだ。通勤電車では座席に座ってひたすら寝る。結局、大学の最寄り駅まで電車に乗っている間はずっと目を閉じていた。さて、何とか大丈夫だと思って、1つめの講義開始。ところが...授業をやっているうちにどんどんしんどくなってくるのがわかる。3分の2に当たりまで来たところでフラッときた。これは危ないと、机や黒板のチョーク隠岐などつかめるところをつかんで続けた。昼食は、食欲が全くなく、食べる時間があるなら横になりたいという感じだった。というわけで、1時間弱ずっとソファーで横になっていた。時間が来たので、2つめの授業へ。この時は最初から気分が悪かった。半分ぐらい来たところで熱があるとき特有の変な汗が出始めたが、フラフラになりながらも授業を何とかちょっとだけ短縮して終了。やっておくべきことはやったので、許してはもらえるだろう。3つめの授業の前に風邪薬を飲んで、何とか教室まで行く。ところが、こんな時に限ってマイクが反応せず、結局控室まで取りに行く。この時点でかなりフラフラ。何とか教室に戻って座り込んだら、学生がいつもとの違いに気づいたようだったので、「熱っぽいので(本当は熱はあったと思う)しんどいので、座って授業をさせてください」と断っておく。立っていたら、たぶん倒れていたのではと思う。そこで、何とか他のクラスと同じ進度まで来たところで授業をちょっと早めに終了。この頃は、時々気が遠くなりそうな状態だった。結局、そこまでして授業をしたのは、休講にした分を他でやらなければならないことがわかっているからであり、補講した場所は試験に出さないように配慮しなければならないからである。それならば、倒れないとある程度思える限り、しんどいついでにやってしまった方が両者にとっていいのだ。もちろん、授業がまともに成立しないひどい体調ならば休まざるをえないのだが、今回の場合は途中でおかしくなったので、なかなか中断できなかったというわけである。研究室のフロアまで戻ると、同僚に会う。その時に「熱がある感じでしんどいので帰ります」という話をしていたら、駅まで車で送ってくださった。本当にただひたすら感謝、感謝である。電車では途中、立つことになったが、何とかしんどいなりに自宅にはたどり着けた。帰った後は、授業をしている時ほどの倒れそうなしんどさはない。緊張感から解放されているからなのだろうか...。熱も測ったら平熱。これはただ単に3つ連続で授業できるほどの体力がなかった(無茶をした)ということなのだろうか。いずれにしても、今日だけで2回倒れそうに気が遠くなった。今は元気とは言えないものの倒れそうと言うことはなく済んでいる。明日も仕事の予定が...このしんどくない状態から何とか体調が戻らないものだろうかと思う。もう寝よう...。
Nov 9, 2007
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今日は午後から小規模授業3連発、かなりキツい体調でスタート。言葉を発することが結構つらい状態だったが、声を張り上げなくて済んだのは不幸中の幸いだった。 3年ゼミは屋台の成功に気をよくして、ますます頑張っている。ただ、ちょっと浮かれすぎて、最後はエネルギー切れな感じだった。まあ、おいおい回復していくだろう。 4年ゼミは、卒論発表2巡目。こちらも頑張っている感じだ。今回の発表は力作揃いで、こちらのテンションが上がる。提出まで残り約50日、学生時代の学習の集大成、後悔のないように頑張って欲しいと思う。 授業終了後は、3年ゼミの屋台打ち上げに招かれて出席。風邪なので、飲み食いのペースを最低レベルまで下げて、テンションは上げて楽しんできた。みんな恋愛話が好きなので、ずっとその感じでふむふむときいていたら、矛先がこちらへ。まあ、答えられる範囲で答えておいたが、学生たちはやたらと盛り上がっていた。 打ち上げ終了後、同じ方向へ帰るゼミ生たちと、談笑しながら帰ってきたら、乗り換え駅でまたも電車が遅れていた。結局20分以上も待つ羽目になったのだが、楽しくゆっくり話せたので、これはこれでよかった。ただ、明日がキツそうだな。早く帰って寝なければ。しかし、楽しい時には、体調の悪さもあまり感じないのが、何とも不思議である。
Nov 8, 2007
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昨日は早々に寝たおかげもあり、風邪は少し押し返したような感じだが、まだ体調は万全ではないと思う。結局、9時間半も寝ていたものの、夜中に何度も起きてしまい、寝たような気がしないのだ。今日はこんなにさわやかな晴天なのに、まだそれについて行けないのが、つらいところだ。通勤電車では、4年ゼミで取り上げる卒論を読む。2回目の発表なので方向性はそこそこ見えているので、どちらかといえば体裁と論理的なつながり方のチェック、あまり時間はかからなかった。そこで、残りの時間はぼーっとしながら、ベートーヴェンの第九の第3,第4楽章を聴いた。通勤電車で座りながら聴くにはいいかもと思って目を閉じていた。乗り換えた後はほぼ満員の電車。こういうときには本当に辛い。そこで、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第1楽章、第2楽章を聴く。やっぱり、秋晴れにはブラームスですな。最寄り駅から大学まで歩く間はドヴォルザークの「謝肉祭」でテンションを上げる。つもりだったが、やっぱり調子が出ないなあ。水をかぶったアンパンマンみたいな感じだろうか。力が出ないのである。とはいえ、3コマ、頑張ってやりきらなければならない。人前に出れば、たぶんそれなりにやれるとは思うが、それ以外の時間は何とかゆっくりしていたい。そうも行かないかもしれないが。
Nov 8, 2007
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どうも先週末当たりから鼻の調子に異変が、というのもくしゃみがやたらと出始めた。最初は何かの植物に対するアレルギーでも出たのかなと思っていたのだが、昨日から鼻声に。昼の授業を始めたらこれはおかしいなと。確かに、昨日大学に行くときも何となくだるかった。そして、今朝起きたら今度は鼻からのどにかけてつながっている部分が炎症の気配。まずい、これは風邪かも、と思った。運がよかったのは、たまたま今日だけ会議がなく(授業はもともとない)、自宅にいてもよかったこと。そこで昼までにかけてぐっすり寝かせてもらうことに。午後はさすがにそれ以上寝ることもできず(目がさえてしまって)、来週の授業の準備をしていた。移動がないだけ体力を温存できるし、しんどくなったらすぐ横で眠れるという安心感は大きい。そしてどうにか夕方まで持ちこたえた。今日は何とか早く眠って、明日も3コマ、少人数の授業ばかりなので声を張り上げずに済むのがありがたい。明後日は大人数の講義3コマ。ここまでに何とか踏みとどまって体調を押し返したいところだ。週末も重要な行事があって忙しい。しっかり体調管理に心がけよう。
Nov 7, 2007
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夜の授業は浮き足立っている学生がいないせいか、うまく乗って行けた。少々想定よりも押してしまった(それでも範囲内だが)のを除けば上々の出来。この流れで、先週失敗したラー研をリベンジ。結果は、見事リベンジを果たせた。今回はライトトンコツではなくて、同僚曰く「ニューウェーブ系」のトンコツの店。とてもバランスのよいラーメンに一同納得。この探求心はまさしく、ラー「研」の名にふさわしくなってきたかも。電車に乗ってから自学に戻るまで、ベートーヴェンの第九、第4楽章を聴きながら帰った。歌詞をちゃんと聴いていると、つまらないことで文句を言っていた自分が小さいねえと思えてしまう。夜空を見ながら合唱の響きをきくのはとても気持ちがいい。ちょうど自宅のドアを開ける寸前に曲が終了。ライブ版なので「ブラボー!」とともに終わった。ラー研での達成感も手伝い、気持ちよく帰宅。帰宅すると、妻が「子供たちがプレゼントだって。机の上にあるよ」というので、言ってみた。娘が幼稚園の友達の家でバルーンアートを作って遊んできたらしい。ちゃんとそれぞれに「うさぎ」「きりん」と紙が貼ってあり、「いりぐち」と書いた門のかたちに切った紙もあった。動物園を表現したかったようだ。妻がおもしろいやりとりを教えてくれた。息子が娘の書いた門のかたちをした紙を見て「スロ」って何?と妻にきいたらしい。それで、「○○ちゃん、スロって何?」ときいたら、「違う!いりぐちだってば!」と怒ったそうだ。どうやら娘は「入口」と感じで書きたかったらしい。妻が紙を見て「あら~、確かにスロって書いてあるねえ」と言ったので、どうやって書くの?というわけで入口という感じは覚えたらしい。間違うことも重要である。しかし、「スロ」と呼んだ息子もなかなか面白いものだ。机の上にちょこっと置いてあったプレゼント、やはりこれはうれしいものだ。風船がしぼむまでは、しばらく飾っておこう。
Nov 6, 2007
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今日は授業のために大学へ。くだらないついていないことが2つ。まず、1つめはプリンターのインクが切れて事務室に行ったら、そこにもインクがない!そこで使っているタイプのインクと教員に支給されているプリンターのインクは種類が違うのだが、教員に支給されている方のインクは揃っていない。それじゃ、意味無いじゃん!こんな時に限って大量に印刷すべきものがあったりする。仕方がないので、USBメモリにデータを移し替えて、コピー機に接続されている共用のPCを使うが、実はインクで印刷するよりも仕上がりはかなり不鮮明であることを知った。画像で処理するからなのだろうか。早くインクを調達していただかないと困るなあ。2つめはエレベーターを待っていて「よし1階だ」と思ってボタンを押したら、いきなりエレベーターが動き出して最上階まで行ってしまった!誰かが最上階で押した直後に私が押したということなのだろう。待つわ待つわで、ついてない。これはまあ、運が悪いとしか言いようがないのだけど、やっぱりテンションは下がるなあ。文句ばかり言っても始まらないことはわかっているのだが、授業もゼミ面接の結果発表日に重なっており、学生が浮き足立っていたため、テンションが下がる。なんだか調子が出ない一日である。でも、まだ夜の授業があったりするのだが。
Nov 6, 2007
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今日は子供たちとゆっくりお風呂に入った。最初に娘がやってきた。いつもはおもちゃで遊ぼうとするが今日は要らないという。「しりとりしよう」というので、付き合うことに。途中で「びわ」が出てきたので、「○○はびわを見たことある?」ときいたら「ある」という(我が家では出たことはないが友達の弁当に入っていたのだとか)。食べたことはもちろんないはずだ。しかし、オレンジ色の果物であることは知っているらしい。そこで、「じゃ、楽器のびわは知ってる?」ときいたら、知らないという。そこで、一応簡単に説明。「にほんごであそぼ」を今度見たら、この楽器の音が出てくることがあると教えておいた。「ベーン」という音を口まねしていたらどうやら気に入ったらしい。さらに連想で「じゃあ、琵琶湖は?」ときくと「知ってる」という。そりゃそうだ。連れて行ったことがあるのだから。ただ、けっこう前なのに覚えているのは大したものだと思う。琵琶湖は「琵琶」の湖ということをいうと、納得していた。そこからさらに広げて「琵琶湖の水の味は?」ときくと、「しょっぱい、いや、普通や」といいう。「なんで?」と聞いたらわからなかったので、海の水が直接入ってこないからだと説明した。「でも、水がしょっぱい湖もあるよ」といったら、「うそー!」と言っていたので、汽水湖の説明をした(もちろん、そんな言葉は使わないが)。そのあたりでのぼせてもいけないので終わりにしたが、けっこう喜んでいた。しりとりのつもりが思わぬところからいろいろなことを話してやることになった。これは大事なことだと思う。いつもは教える内容を準備してから授業をしているが、そういう制約のないアドリブで話をするのも楽しいものだ。子供にわかるように説明するのはとても難しいが、それは同時に楽しい作業でもある。何と言っても知りたい気持ちがとても伝わってくるから。その様子を見ていた息子が風呂に入ってきて、「お姉ちゃんとは違う話をして」という。そこで、最近英語に興味を持っているらしいことを妻から聞いていたので、簡単に英語の話をする。どうやら教育テレビの「えいごであそぼ」を毎日見ているらしい。もちろん、文章など無理なので、単語で遊ぶ。風呂場の中にあるものをどんどん単語で言っていく。それを息子はマネしているだけだが、それでもらしく発音はしている。どんどん積極的に恥ずかしがらずに発音していくのが素晴らしい。その後しばらくして、「やっぱりお姉ちゃんにした話をして」というので、びわと琵琶と琵琶湖の話をした。地図のパズルも好きなので、琵琶湖が滋賀県にあることも知っていることから、話はしやすかった。最後はおまけで「500系新幹線が通過する音のマネ」をリクエストされたのでやったら、喜んで上がっていった。と、ずいぶん話したので結局私がのぼせてしまったのだった。でも、まあ楽しかったのでこれもいいかな。
Nov 5, 2007
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今日は、非常勤の日なのだが、何とこちらも学祭の片づけ日だそうで、休講である。つまり、対外的な仕事としてはお休みである。しかも、子供たちは幼稚園へ行き、昼からは友達の家に行く約束をしているとかで、自宅に一人ゆっくりしている状態である。といっても、何もすることがないのかといえばそういうわけではない。今後の授業の準備、研究を進めるための本読みなどなど、やることはいくらでもある。ただ、移動時間がないのと疲れなくて済むということだけだ。でも、こういう機会があると、企業でもワークライフバランスのために在宅勤務が広がりつつあるという事情はわかるなと実感する。そうこうしているうちに、雨が降ってきたから車で迎えに来てという話になっても、仕事をちょっとだけ中断すれば対処できる。会社に行ってやらないとできない仕事と行かなくてもできる仕事を切り分けられるのならばそうした方がやはりいいような気がする。成果を求めるとメッセージで出すのならば、なおのことだ。でも、まだそういうのが広がるのには時間がかかるのかもなと思ったりはする。そんな日の中で楽しかったのは、妻とのランチ。幼稚園ママに連れて行ってもらったという、卸売市場の中の寿司屋へ行った。「絶対満足するから」という話、楽しみにしていったのだが、なんと予想以上によかった。これは近年にない当たりだ。市場だから魚が新鮮だというのはわかるはなしなのだが、何と量も多くて安い。ネタの一つ一つが箸でうまくつかめないほど大きいのだ。しじみ汁も絶妙の味。昼前からすでに待っている人が出るほどの人気である。今度はもっと早く行こうかなと思う。食後、市場内を歩いていたら、菓子の卸売店があり、ここで菓子やラーメンなどがたくさん売っていた。これがまた安い。というわけで、大量に買い込んでいく。卸売市場、なかなかいい感じの場所である。近い距離にありながらこれは知らなかったなあ。おっと、本当に迎えの要請が。行ってこなければ。
Nov 5, 2007
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今週末は大学祭だった。私のゼミは3年生が店を出した。私が顔を出すことができたのは一日だけだったのだが、活気とチームワークの良さはよく伝わってきた。私がいろいろと気を遣わなくても、自分たちでちゃんと盛り上がってやっているのは見ていてよくわかる。余計なことはいわずに黙ってたくさん商品を買い、みんなの前でおいしそうに食べて、ジュースなどの差し入れをしてという感じだった。これだけだと寂しいような気がしないでもないが、「学生の主体性に任せてくれるからいい」というゼミ生の満足度の根底にあるものは、やはり貫き通すべきかなと思ったりする。子供たちがもういろいろなことをかなりわかるようになってきているので、今年は連れて行っても長居ができて楽しかった。ボランティアのクラブがやっていたプラバンは子供たちが大喜びで作っていたし、その後理系の学部がやっていた実験コーナーに子供たちがくぎづけだった。理科系離れというのがウソのような食いつきの良さ、「なんであんなふうになるの?」という疑問を連発していたので、そういったことを大切にできたらいいなと思う。自宅でできる実験、やってみようかな...。たまたまオーケストラの演奏タイムにも出くわした。子供たちは知っている曲が演奏されるたびに大喜び。娘はヴァイオリンに、息子は管楽器をずーっと見ていた。子供が興味を持ってくれるということはうれしいことだ。まあ、屋台のスナックを大量に持って、ソースを服につけたまま聴いているのもどうなんだろうかとは思うが、楽しんだからまあいいんではないだろうか。ゼミの屋台には何度も足を運んだ。メンバーの参加しているサークルの屋台にも顔を出した。1年ゼミで担当した懐かしい学生の顔も。2年経てば、いい意味でずいぶん雰囲気が変わるものだ。ゼミの屋台は本当にチームワークの良さを感じた。私が一緒に参加したくなるような不思議な魅力を持っている。これから1年余り、卒業までこの雰囲気を大事にしてほしい。ゼミのOBもいろいろな時間帯に顔を出していたようだ(しかし、何だかんだで会えず、残念)。彼らからメールがやってくる。「今回の学年は本当に雰囲気がいい」というのは年代を超えて語られた感想。みんなちゃんと見ているものだな...。今回の私の反省としては、OBも増えてきたことだし、いっそのこと集まる機会をちゃんと作ってあげた方がいいのかなということ。もちろん、ゼミの違う友達同士で来るケースが多いので、時間を縛るのは難しいかもしれない。というわけで、研究室にでも常駐した方がいいかなと思った(そうされている先生もいらっしゃるそうだ)。やったらたぶん、通常のオフィスアワーではあり得ない盛況ぶりになるのかなと思ったりもする。まあまあ、来年はどうなることかまだわからないが...。日を改めて打ち上げをするようなので、そこでゼミ生たちとゆっくり話をしたいと思う。
Nov 4, 2007
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今日は、娘のヴァイオリン教室の発表会だった。朝から練習に大忙し、娘だけではなく、私も妻も出演だったので、とにかくドタバタだった。息子だけは出演はないのだが、放置するわけにも行かず相手をしながらかわりばんこで練習をした。というわけであっという間に午前中は過ぎ去り、昼食を取って急いで会場に向かう。会場は公園の中にあるちょっとしたログハウス風の施設。地域の集会場のような感じだろうか。天窓から美しい空が見えたのが印象的だ。到着すると早速リハーサル。これだけでもかなり盛りだくさんで大変だった。我が家の場合、4人中3人が出演していて出演の順番もいろいろで、なかなか大変だった。何がそうかと言えば息子の機嫌取り。そばの公園で遊ばせてみたりとなかなかの苦労だった。そして、ついに本番。最初は娘の参加する合奏から。最年少なので、最前列のセンターで弾くことに。どうなることかとドキドキしていたが、本人はいたって普通、度胸がすわっている感じで、最後まで暗譜で堂々と弾ききった。なかなか素晴らしい。その後しばらくして今度は娘のソロ2曲。ピアノ伴奏は妻が担当。1曲目は一人で、2曲目は私が後ろで伴奏のサポート、3人で演奏した。こちらも娘は堂々としたもので、50人ほどのお客さんがいてもまったく動じていない。ミスもなく最後まで弾ききった。自分でちゃんと合図を出して弾いているのが微笑ましかった。本当に素晴らしいと思った。初めて半年の私は、たぶんあんなにちゃんとは弾けていなかったと思うので、我が子ながらなかなかやるものだと思った(親バカ...)。今後が楽しみである。さらに今度は妻が「ママさんず」としてヴァイオリンで登場。妻はもともと市民オケでコントラバスを弾いていたのだが、娘がヴァイオリンを習うのを機に、先生が「お母さんもやりましょう。ちゃんと自分で弾き方を知っておいてほしいから」と言われて始めた。こちらも半年できっちりと弾いていた。楽器の種類が変わっただけなので、コツをつかめれば音楽の表現はきっちりしているという印象。「ビデオに撮るな」と言われたが、娘が「ママも撮ってあげる」と言ったので、私が撮ってみた。後で「そんなんやめてよー」と少々怒られたが、娘が言ったのだからしょうがないね...。その後も教室の子供たちや、ママさんたちが演奏を披露。中学生ぐらいになってくるとやはりとてもうまい。小さい頃からやっている人というのはフォームを見たらすぐにわかる。みんないい感じだ。息子はだんだん退屈してきていたとはいえ、文句を言わずに聴いていた。これもなかなか偉いぞ。後半はみんなでお遊びタイム。そこでなぜか私も出番。先生と二重奏で、先日の日記で書いた「七つの子」を弾いた。やっぱり弾きながら思い出したのは、妻が寝かしつけに聴かせていた子守歌としてのこの曲だ。そんな子供たちも大きくなった。娘は父親の演奏をどう受け止めたのだろうか。実はまだ聞いていないので、明日にでも聞いてみよう。その後、歌のコーナーでは息子が大声で歌っていた。元気に歌えるということは素晴らしいことだ。音楽は楽しいということをずっと思っていて欲しいなと素直に思った。そこから先はずっといろいろなお遊び。最後はパッヘルベルのカノンで落ち着いた気分の中、おしまい。結局よんきゅ家は演奏でかなり出たことになる。とにかくお疲れ様という感じだった。妻も娘も息子もみんなそれぞれ頑張ったということだ。特に、娘にとっては初舞台、これまでの過程を見てきた立場からすればほぼ満点という感じである。上手なお兄さんお姉さんの演奏も聴いて刺激を受けたようなので、さらに今後も楽しく頑張っていってくれたらいいなと思う。いずれ隣で弾いて同じ演奏会に乗ることができたらというのが、私にとっては次の大きな夢になりそうである。
Nov 3, 2007
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とは、学祭で店を出しているゼミ生たちをみて妻が言ったこと。私もそう思う。確かに、自分が昔、学祭の時にクラブでお好み焼き店を出して、澄んだ青空の下でキャベツをひたすら切り刻んでいたときって、大変だったが楽しかったなと思ったものだ。メンバーの下宿で試作品を作ってそれだけでお腹いっぱいになったことなどもいい思い出だ。現在いる大学では、ゼミの1期生がいきなりみんなで店を出すのだと言い出して、これまた大変だった。大学のすぐそばにある下宿生の部屋が厨房と化し、そこで材料を切ったりして、会場まで運び出していた(当時はのんびりしていたのでOKだったが、今は食中毒の問題があるので禁止されているようだ)。私もときどき一緒になって準備をしていたし、最終日は片づけを手伝って遅くから打ち上げをして、なんとか終電で帰ったりもしていた。今は子供たちが大きくなって、そこまで一緒に手伝うわけにもいかなくなったが、他の店に買いに行っては宣伝をしたり、自分で店の商品をたくさん買い上げてみたりと言うことで貢献している。今のゼミ生たちは自分たちできっちり盛り上げてやっていくことのできる人たち、私が何もしなくても楽しくやってくれる。時々姿を見せると喜んでくれるというのもうれしい。さてさて今年はどうなることやら。また後ほど書いていくことにしたい。
Nov 3, 2007
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この曲は、以前紹介した序曲「謝肉祭」と同じく、「自然と人生と愛」という演奏会用序曲三部作の中の曲で、第1曲にあたる。作曲されたのは1892年、ドヴォルザークがアメリカに渡る直前のことである。ドヴォルザークの曲には、師匠と仰いだブラームスの影響が色濃く出ていると言われるが、この直前あたりからいろいろな面で独自色が濃く打ち出されるようになってきた。その後、「新世界より」「アメリカ」そしてチェロ協奏曲へと流れが続いていくことになる。-------------------------この曲はまさに自然の雰囲気たっぷりで、何か特定のものを描いているというわけではなく、見たもののイメージを音にしたような感じである。最初がベートーヴェンの「田園」と同じヘ長調でスタートしているのは偶然ではないような気がする。冒頭、低弦でファの音が登場し、そこからヴィオラが揺れる緑、フルートが鳥のさえずりのように出てくる。そこからいろいろな楽器が登場して草原が目覚めていくかのようだ。トライアングルの開始と共に、クラリネットが自然の主題(「謝肉祭」にも登場する)を演奏し、そこから、金管、打楽器が登場し盛り上がったところで、フォルテで自然の主題が登場する。この先、3拍子のリズムが心地よいが、このあたりの雰囲気はいかにもドヴォルザーク節である。短調の使い方が絶妙である。しばらくした後、イ長調に転調するが、このあたりは暖かい日だまりのようでうれしくなる。そこを抜けるとこんどは短調でヴァイオリンが第2主題を演奏するが、その後は明るい調子が続き盛り上がった頂点が自然の主題。ここが前半部分のクライマックスだろう。音楽はいったん静まり、転調を繰り返し始め、シンバルや金管などを加えて激しい調子になってみたり、静まってみたりを繰り返す。途中、チェコ組曲(のだめカンタービレのドラマのヴィエラ先生の音楽)やスラヴ舞曲などのような雰囲気の場所があったりして、いろいろな作品を知っていると楽しい部分が続く。このあたりは自由自在な転調で楽しい。その後フォルテでヘ長調の自然の主題が演奏されて盛り上がるが、一度「?」という調でどこへ行くのかと思わせながら、また戻る。しかし、今度は盛り上がって開放的に終わるのではなく、むしろ一日が終わるかのような長いディミヌエンドを続けていく。ところが、最後は静かに終わるのかと思ったら一瞬ビックリさせるようなフォルテになるのだが、最後はやはり静かに終わる。-------------------------曲全体としては本当に自然の中でたたずんで一日を過ごしているような感じがする。ただのんびりというわけではなくて、ちゃんと音や温度、風、そして空や草木の色の移り変わりといったものを敏感に感じ取りながら過ごしている感じ。ドラマチックな感じではないが、つまらないわけでもなく、いろいろな何かを感じさせてくれる曲だ。なかなか演奏する機会はないと思うが、そんなチャンスがあったらいいなとも思う。
Nov 2, 2007
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最近、私あての売り込みが多い。といっても、別に投資マンションを買えだの、先物取引をやれだのということではない。ゼミに関連する売り込みで、バッサリと切り捨てられるたぐいのものではない売り込みである。最近、小売系の企業に入社したゼミ卒業生から電話やメールが飛び込んでくる。学祭もあるし、遊びにでも行きますという話題と同時に、最後に出てくるのは「お歳暮とか必要ですか?」という質問である。私の場合は、やりとりがほとんどないので、なかなか期待には応えられないところがある。全員の願いを叶えれば我が家は財政破綻してしまうだろう。というわけで、状況を話すと、「そうですねえ、同じ業界のやつ(同期)とお互いに贈りあいっこでもしましょうかね」と言う。私は滅多にそういうもらいものがないので、逆にもらってしまうと恐縮してしまう。そういえば、この職業に就いた当初、ゼミ生の相談に乗ったら、後でなんと松阪牛が送られてきて妻と一緒に驚いたことがある。最近のゼミ生の業界の仕事は本当に大変だなと思う。しかし、彼らは自分でちゃんとお世話になった方に対して贈ったりしているのかなとちょっとだけ心配にもなる。自分からこの人だと思う人に贈ったら、次の道が開けるのかもしれないのになとも思ったりする。売り込みといえば、毎年学祭に行くのだが、ここでの売り込み合戦はかなりなものである。私服で行くと意外とバレないもので、けっこう素通りできたりするのだがい、一度バレてしまうと大変である。全部買うわけにも行かないので、とりあえず知っている学生のやっている店には立ち寄っていく感じである。日頃からコミュニケーションしていれば、行ってあげるのになと思うのに、もったいないねえ...。というわけで、今年も学祭に行くのだが、どうなることやら。売り込みにどこまで応えるか、悩みどころである。
Nov 1, 2007
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