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今日は午後から少人数クラス3連発。1つめの大学院の授業では、やっとディスカッションっぽくなった。テキストの課題が新しい話で難しかったので、質問がたくさん。こちらもいろいろと説明するが、今までになかった食いつきだった。やればできるじゃないかと思う。次回からも活発な議論に期待しよう。2つめは3年ゼミ。こちらはちょっとペースを落として、モチベーションを引き上げる作戦に。ディスカッションさせている間に各グループの様子を見て回る。この時に横からちょっとだけツッコミを入れる。これでゼミ生と言葉のキャッチボール。少しは雰囲気に慣れてきたのだろうか。来週はいよいよ係が飲み会を企画してくれた。さらに仲良くなって距離を縮めて、本気モードを引き出せるようにしよう。3つめは4年ゼミ。いよいよ本格的に卒論の発表。例年より開始は遅くなったが、出来は順調。今日の発表者は自分のやるべきことをよくわかってやっていたように感じた。それから、質問やアドバイスをする発表者以外のメンバーもますますいろいろと気づくようになってきている。就職活動を経たこともあるのだろうが、考え方も態度もしっかりしてきたように思う。これから入社するまでの10ヶ月ほど、有意義に過ごして成長していってくれることを祈るばかりだ。終了後はゼミ生と一緒に途中の乗換駅まで帰る。就職活動をまだ続けているのだが、悩みもあるのだとかで、少しじっくり話をすることができた。迷っていることについては、背中を軽く押す助言をしておく。あとは自分でしっかり決めると言って帰ったので、任せておこう。帰宅後は遅めの夕食、入浴、そしてドラマ「夫婦道」を見てほんわかした気持ちになって、あとちょっとだけ今後の授業のために仕込みをして寝ようかなという感じ。この仕事は頭を使うのは当然のこととして、仕込みに時間がかかるし、授業の数も多いので、けっこう体力勝負だったりする。今週末は休みなしなので、いかにちゃんと夜寝るかが勝負だ。うまく区切りをつけていかなければ、体力がもたないぞ...。
May 31, 2007
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今日はまずまずの天気、朝から娘のヴァイオリンの練習に15分ほど付き合い、子供たちを幼稚園に連れて行った。道中はまたかけっこで、今日はずっと「ヘビだぁ~」「おばけだぁ~キャー!」などと言いながら走り続けた。朝からいい運動である。通勤電車は、ゆっくり座れたのだが、困った人が多くて困った。乗ろうとしたところにあわてて降りてきてぶつかっているのに何も言わない大学生。いつも「何しよるんじゃコラー!」と心の中で怒っているものの、現実にやるとまずいのでここはこらえる。しかし、気分が悪い。幼稚園児でもちゃんと謝るぞ...。乗り換えた後で左右0.7人分ぐらいずつ席を空けて座って「数独」にのめり込む会社員。その集中力はぜひ本業で活かしてもらいたいところだが、周りをまったく見ていないのも仕事では困るんじゃないだろうか。また、困ったというわけではないが、ピンクのシャツに黄緑のスラックス、黄色のジャケット、しかもゴルフ焼けという雰囲気のすごいファッションのおじさんを発見。朝日に反射して目がちかちかする。あ、これはただの八つ当たりで怒ってはおりません。ゴメンナサイ。そして最後に電車を降りるときに携帯をいじっていた大学生に足を思いっきり踏まれた。さすがに派手に踏んでまずいと思ったのか謝ってくれた。もちろん、当たり前のことだが、ちゃんとしてくれるだけで、不快な思いはしなくてすむ。ちょっとしたことなので、ぜひ心がけておきたいところだ。
May 31, 2007
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のテレビ中継というのは、今まで見たことがなかった。というか、まったく興味がなかったと言った方が正しいだろう。しかし、今日は見てしまった...陣内智則さんと藤原紀香さんの結婚披露宴を。なぜ見たのかと言えば、何となく親しみを感じているからだろうか。披露宴の会場となったホテルは自分が結婚式をした場所でもある(自分のときの会場は隣の部屋だった)。陣内さんは午前中のテレビでよく見ているし、紀香さんが関西で最初にTVに出た番組はいつも見ていたので知っていた。東京に行って現在のようになるとは、当時はまだ思っていなかったが。2人の出会いの場となったドラマも見たが、まさかその後の展開がこうなるとは思っていなかった。何とも温かい感じの披露宴でいいなと思い、自分の時をちょっと思い出したりもした。ぜひ末永くお幸せになって欲しいと思う。そういえば、妻にはテレビを見ていたという知り合いや友達から電話やメールが来ていたようだ。「テレビ見てたら思い出したから、あなたのことを思い出してねえ」などと言われたとのこと。中には思いがけない人からの電話もあったそうで、喜んでいた。そういう意味でもこの披露宴には感謝というところだろうか。
May 30, 2007
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この曲は、ゲーテの戯曲「エグモント」のために書かれた劇付随音楽の序曲である。エグモントは実在したオランダの英雄とされた人物である。物語は、スペインの圧政に苦しむ16世紀のオランダが舞台。民衆たちを救おうと独立運動の指導者としてエグモントは登場するが、捕らえられて死刑を宣告されてしまう。彼の愛人クレートヒェンは彼を救おうとするも、できずに自殺してしまう。エグモントが処刑される直前、クレートヒェンの幻影が彼の前に現れ、彼の勇気や正義を祝福し、彼は敢然と死についていく。ベートーヴェンは、「英雄」でナポレオンをモデルに描いたが、その後のナポレオンの行動に怒りまくったという話は有名だが、ベートーヴェンはこの題材に理想の「英雄」像を描こうとしたのかなという気もする。彼にとっては「苦難に立ち向かう悲劇のヒーロー」こそ描きたいものだったように思う。この序曲は、ずっと悲劇の要素が流れ続けて、最後に「勝利への祝福」がドラマチックに登場するという、物語の筋を凝縮したようなつくりになっているように思う。-------------------------冒頭は全員で「ファ」の音をデクレッシェンドしてのばす。音が無くなったところで、弦楽器による重厚な動機が登場する(以前、この曲の練習でトランペットが失敗して「ぷははは...」という音になり、笑いが止まらず弦楽器がみんな弾けなくなったことがある)。序奏の部分では、表に裏にこの動機が使われている。すぐその後で木管楽器が小さい音で登場、それが盛り上がって今度は全員フォルティシモで「ファ」の音を決然とのばす。この2回の「ファ」の対比は「?」と「!」という感じである。その直後、変ニ長調の優しい響きになるが、それも長続きせずだんだんとヘ短調を匂わせる響きへと落ち着いていき、一瞬の空白の後弧を描くような動機(これは主題の一部)がヘミオラ(この曲は3拍子だが、この部分は知らずに聴けば2拍子にきこえる)で登場、そこから主題が続けて登場する(この主題は3拍目から始まるのだが、知らなければちゃんと弾けない。また、動機を何回繰り返したのかわからなくなって字余りや字足らずの人が初期の練習では続出する)。主題の後にピアノから息の長いクレッシェンドがあるのだが、そこでは「運命」の動機が使われている。やはりベートーヴェンはこの動機を劇的に盛り上げるための勝負所で使っているということなのだろうか。盛り上がった後、曲は変イ長調になり、堂々とした音楽になる。エグモントが快進撃を続けているという感じなのだろうか。木管楽器で少し遠い調の響きが表れるのだが、それが愛人を表しているのかなと思ったりもする。その後、小さい音を中心にしばらく音楽は展開されるが、弦楽器がひたすら刻んでいるところはやはりベートーヴェンらしい。その上で木管楽器が少しのんびりした調子で流れるが、いきなりそれを裂くようなリズムがときどき登場する。これは序奏で出てきた要素が使われている。木管楽器の旋律が短調にころっと変わると、またヘ短調の主題が戻ってくる。しばらくは繰り返しだが、出口はいきなり変ニ長調に変わって、また先ほどの堂々とした音楽が繰り広げられる。そして、ホルンが序奏の動機を合図に場面が変わり、弦楽器が「ド~ソッ!」と切り裂くような音を出して一瞬音楽が止まる。これはどちらかが死んでしまったことをイメージさせる。その後、木管楽器の夜明けの霧を表すような音に続いて、ヘ長調の前向きな音楽。弦楽器が急速な旋律を弾き(もちろん刻みもやっている)、それが成長したところで金管楽器やティンパニも登場し、勝利を表す音楽になる。ここから先は最後までとにかく「勝利への祝福」という一言に凝縮される音楽となる。-------------------------この曲も5,6回は演奏していると思う。スコアはきわめてシンプルに書かれているのだが、そこからあれだけのドラマが出てくるというのはすごい。ただ、やはりそれをちゃんとやろうと思うと、演奏家の助けが非常に大事だなと痛感するのがこの曲。シンプルなだけに、適当にやるとかなりショボい(貧弱な)音になってしまう。それを表現するだけの確かなウデにプラス、身を削るようなテンションの高さが必要である。この両者が揃わないと、ただの汚い音になってしまうか、エグモントが「まろは...で、おじゃる」みたいになってしまう。長くアマチュアオケをやっていると、曲によってお約束の失敗エピソードが出てくるのだが、この曲はその宝庫であるように思う。と、それはさておき、この曲も何度やっても難しいなと思う。自分自身が経験を積めば積むほど毎回いろいろなことに気づかされる。前にはわからなかったことが突然わかったりということもしばしばである。ベートーヴェンの曲はやはり深い...。
May 30, 2007
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今日は朝、スッキリと目覚めた。ところが、通勤電車で早くもバッテリー切れか、爆睡してしまった。気がつけば乗換駅の2つ手前、ちょっと危なかった。聴こうと思ってかけ始めたMP3の曲がほとんど終わりかけだった、どれだけ寝ていたのやら...。大学に着いてからはこまごまとした仕事をこなしていく。同僚とのランチタイムを楽しんだ後、午後の授業。これが週の中で最も疲れる授業。私語はかなり減っているのだが、75分ほど経過すると、もうもたないらしい。間を取ろうが何をしようがお構いなしである。勝手に終わる時間を自分たちで判断して、それを何気なく要求するというのが今どきの学生。といっても、一部なのだが、人数の多い授業は本当に難しいものだ。というわけで、終了後はさらにバッテリー切れの感がある。夜の授業の時間に早くなってくれないのかなと思ったりする。
May 29, 2007
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昨日の「運命」とその後の練習の余波か、とにかく体の疲れが取れていない感じだった。腕が筋肉痛である。今日は非常勤の授業。午前中に最終的な準備を済ませて出発。少し時間があったので、カフェで本読み。と、横でパソコンの画面にひたすら見入っている人。一瞬見えた画面は、ネット株取引のそれだった。昼間から私とほとんど年格好の変わらない人が私服で株取引、儲かっているんだろうなと思いつつ、コーヒーを飲む。その後、非常勤の授業2コマ。疲れていても授業中はテンションが上がるので、今日も学生の反応を見ながら授業。トピックへの食いつきはけっこうよかった感じがする。終わった後はドリンク剤が切れた後のようなどんよりした疲れ。帰りの電車の中では、久しぶりに深い眠りに...。気づいたら降りる前の駅だった。疲れて帰宅、一つ頼まれていた原稿を書き終えて今に至る。もう後は寝るだけ。明日は夜まで授業、しっかり疲れをとらなければ...。
May 28, 2007
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今日は、エキストラ出演の演奏会。これまで数少ない練習ながら、このオケでもいろいろなことを吸収することができた。指揮者の方からは音楽を形作っていくやり方、指揮の動きなど、刺激を受けた。シンプルな動きの中に、音楽が詰まっていて、そこから自分の音が引き出されていく、そんな感覚がとても幸せだった。後ろまで目を配り、出した音についてのフィードバックもたくさんもらった。一緒に音楽したなあという感じ。本番はさすがにいつもと違う緊張感に包まれた。最初の「レオノーレ」序曲第3番は、やはりどうしても様子を見てしまうところはあったにせよ、ときどきゾクッとする瞬間があった。こういう瞬間がたくさんあるときっと楽しいんだろうなと思う。次はモーツァルトのピアノ協奏曲第12番、ソリストは高校生だった。といっても、とてもいい音をしていた。音の形がとてもよく見えて、心地よく運んでくる演奏。軽いタッチのトリルがとても印象深い音色だった。今後の活躍に期待という感じだ。この曲では古典奏法が要求された。ビブラートをかけないような指示があったので、これはもう完全に音程と音色だけの勝負になった。フレーズの中でどの音に頂点を持ってくるのか、どの音で収めていくのか、とにかく頭を使った。さらに、弓を短く持つように(バロック・ヴァイオリンみたいに)という指示もあり、拳1つ分短く持って演奏した。長い音を弾くときの音色がなかなか面白かった。こういうのもモーツァルトだったらいいなあと思った。そして、休憩後にいよいよ「運命」。集中力勝負の曲である。ホールの響きが比較的長く残るようだったので、とにかくアタックをきっちりつけていくことを念頭に置いて弾いた。フォルテは落ち着いて、フォルティシモで炸裂、というスタイルで行った。所属オケの団員が聴きに来てくれていたのだが「よんきゅさん、遠慮して弾いていたんじゃないの?」と言われた。いつもならもっと爆演状態になるはずなのにと言われたのだが...その人は私のことをわかって言っているのだが、どうも私は爆演的な弾き方であると多くの人に誤解されているらしい。豪快に見えるらしいのだが、無駄な動きはしないように計算している。音楽の流れが求めるテンションに持って行くことを常に考えて演奏しているという自覚は持っている。テンションと動きの大きさとのバランスを限界に近いところでとっているのだ。ピアニシモはたぶん、他の人よりももっと小さい音で弾いているはずだ。楽譜に書いてあることに忠実に、それもスコアまで遡って音色や音量を計算しながら弾いている。もちろん、それが正しいのかどうかは他の人のコメントに委ねるより他ないのだが...。「運命」は何とか首尾よく終了。オケとしての演奏もなかなかよかったように思う。楽しく弾かせていただくことができた。いつもいる大規模なオケとはまた違った雰囲気で、古典派の曲を演奏し、何となく新鮮な気分だった。と同時に、また腕を上げなければという思いを新たにした。終わった後は飲みに行く暇もなく、ヘロヘロになりながら、所属オケの練習。「運命」弾いた後なんて、何も弾けないぞ...。というわけで、タイミングや弱音の音色に重点を置くことに。あの高いテンションはさすがに無理だった...。結局、練習してから飲みに行って勝手に個人的に打ち上げ気分。まあ、それもいいだろうということで。疲れた...。
May 27, 2007
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エキストラと言っても、ドラマや映画のではなく、オーケストラのそれは、かなり難しいものである。テレビドラマのエキストラも学生時代に出たことがあるが、それは演技指導されるものではなかったし、その他大勢という感じだった。しかし、オーケストラの場合、それとはまったく異なり、人数が足りない場合に音を補強するために呼ばれるものである。私はときどき、他のアマチュアオケからエキストラとしての演奏を依頼されることがある。こういう依頼は、もちろん知り合いがいるから成立するものである。そのオケにさらに他の知り合いがいたりすると行くのは緊張しすぎずに済むのだが、そうではない場合もある。私の場合、学生の頃はいろいろな大学オケにおじゃまさせてもらったのだが、さすがに働き始めるとそうも行かない。さらに子供がいたりすると、週末をそれで使うというのは非常に評判が悪くなってしまう。しかし、それでも「練習回数は少なくてもいいから」と言われて承諾するケースもある。ところが、実はこれがよくないなと自分では思ったりする。学生時代にエキストラに行っていたときは、そのオケの知り合い以外の人と仲良くなれてしまうくらい、何度も練習に参加していた。そのオケがどういう練習をしているのか、指揮者にどう反応しているのか、といったことをわかった上で演奏しなければ役割を果たせないと思っていたからである(今でも基本的なスタンスはそうだ)。最近では、指揮者の要求がどういうことなのか、どのように持って行きたいのかは、短時間でわかるようになったのだが、そのオケに気持ちの上でとけ込んでいく(相当高いテンションで)ことは以前ほど十分にはできていないような気がする。もちろん、努力をしていないわけではないし、限られた時間の中で最大限のパフォーマンスになるように工夫もしている。それでも、エキストラとして出る場合の最近の悩みは、どこまでやっていいのかということである。指揮者にきっちり反応していくというのは、プロのエキストラなら多くて3回の練習、その中での勝負なのだが、アマチュアの場合は半年以上の積み重ねがある。間違って迷惑をかけないことはもちろんのこと、どこまでとけ込むように持って行くのかが重要なのだと思う。具体的には、指揮者を見ながらコンマスの弓の動きも見ることが必要になるのだが、何も考えずに「見て」いては絶対に間に合わないので、常に少し先を見通しながらやらなければならない。「どうするんだろうか?」ではダメで「こうするんじゃないな、たぶん」と思いながら、動きが違うととっさに反応しなければならない。人数を足す、ちょっと音量を足してもらえれば、ということではなく、ちゃんと同じテンションできっちり音を出すということが必要なのだ。だからこそ、エキストラはとても難しい。そんなエキストラとして、今日これから舞台に上がる。曲目が「運命」だなんて、エキストラとしては恐ろしいことこの上ないのだが、頑張ってこよう。
May 27, 2007
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今日は、この3週間で唯一子供と遊べる時間のある日というわけで…、やっぱり近所の公園にやってきた。2週間ぶりだが、前と違ってとにかく暑い。昨日がまるで梅雨のような天気だったので、そうなっているのかな。雨水をまだたたえているであろう草木から緑の匂い、こういうのも、たまにはいいものだ。 子供たちも進化している。息子は娘の自転車を譲り受けて走るようになり、娘は一回り大きい新しい自転車で走り回り、ブランコも上手になった。そういう成長を見るのも公園に行く楽しみになってきた。
May 26, 2007
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今日は、すごい雨の中、授業を終わって急いで片づけを済ませてザ・シンフォニーホールへ。関西フィルの演奏会へ行った。演奏会を聴きに行くときは最近ずっと雨続き、傘を客席の下に置くのがいつも鬱陶しく感じる。プログラムは、最初にブラームスの交響曲第2番、次にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、そして最後に関西初演となるポーランドの現代作曲家パヌフニクの「祭典交響曲」である。指揮は尾高忠明氏、ヴァイオリン・ソロは川久保賜紀氏、尾高氏の指揮は大阪フィルで見て以来2度目、川久保氏のヴァイオリンは初めて聴いた。-------------------------ブラームスはプログラムのどこに持ってくるのかによってちょっと感じが変わるなという気が何となくした。それは私がメインの曲だと思っているからなのだろう。しかし、演奏はとてもよかった。随所に美しい管楽器のソロ、第4楽章のはじけっぷり、やはりブラ2はこうでないとと思う。やはり指揮に興味がある者としては、尾高氏の指揮とオケの弾き方のつながりをずっと見ていた。尾高氏の指揮は無駄に大きな動きがなく、本当にお手本のような感じがする。自分が奏者で弾いているつもりで見ていたが、とてもわかりやすい。無駄に煽らなくても、オケはあれだけの音がするというのがすごい。でもお、お手本のように見える指揮をすることって、本当はとてつもなく難しいんだよな...。-------------------------メンコンもよかった。川久保氏の弾き方は、見ていて力強い。といっても、重さを感じるのではなく、鋭さを感じる強さのように思えた。聴いていた場所によって違う印象になるのだろうが、私のいた場所だと、弱音のつくりかたがとても素晴らしいと思った。ダウンボーが連続するような力強さの必要な場所よりも、弱音の場所で音が遠くまでまっすぐ届いてくることに感動した。私の知人でアメリカに留学していた人が川久保氏のヴァイオリンをあちらで聴いて一度にファンになったという話を聞いていて、今日初めて聴くのを楽しみにしていたが、その人の気持ちがわかったような気がする。-------------------------さて、最後はパヌフニク。現代音楽と聞いてどんな感じなんだと思いながら会場に行った。「祭典」でなおかつ現代音楽と聞けば「春の祭典」のイメージだが、会場に行ってパンフレットを見るとどうもそれとも違うらしい。オケの配置で特徴的だったのは四隅にトランペットが配置されていることだった。これは立体的な響きが期待できそうな感じ。曲が始まると、最初はトランペットが4本でひたすら掛け合い。音はとてもわかりやすい。時に不協和音があってもそれは問題のない許容範囲だと私は思った。その後、弦楽器が出てきて繊細な和音をずっと弾いていくのだが、ここは「ミーレー」と弾くグループと「ラーシー」と弾くグループがあって、協和音が出てきたりするので、意外と聴きやすい印象。と、その後場面が変わって、打楽器が大活躍!ティンパニはペダルを駆使したり、激しいリズムを刻んだりする。弦楽器も細かい音符を急速に弾きまくり。オケも指揮者もすごい集中力だった。おそらくちょっとでも気がそれると振り落とされそうな感じだ。プロオケのプレーヤーが必死でリズムをカウントしている姿はそう見られるものではない。素晴らしいものを見た気がした。それから曲は静まり、今度は弦楽器がフラジオレット(「ヒー」という音がする奏法、例としてはマーラーの交響曲第1番冒頭が有名)で繊細に弾く。音に肌触りというのはないのだろうが、何となく違う生地の服に着替えたような印象。しばらく色のコントラストが多くない音楽が続くが、最後の方はオケがどんどんふくらんでいくように曲が展開されていく。指揮者の棒もどんどん図形が大きくなっていく。そして、最後は音を押し出すように終了。-------------------------初演の泣き所は、終わった瞬間というのがわからないことだ。知っている曲なら、そこでブラボーなんだろうが、今回はそうは行かず。しかし、指揮者の動きに比べてフライング気味にブラボー隊が登場してしまった。結局、そこでおしまいだったというのは正解だったが、危なかったぞ...(チャイコフスキーの5番や「悲愴」みたいなブラボー大事故にならなかったことが救い)。それはさておき、終わった瞬間の会場の雰囲気は微妙だった。慣れない曲だからなのだろうが、それでもホールから出て階段を下りるときには「面白かったね」と言っている人がけっこういたので、この曲をやったことは成功だったのではないかと思う。関西フィルは20世紀の曲に取り組んでいるということだが、それはとてもいいことだと思う。いつも慣れた曲というのではなく、めったに聴けない曲を入れることでレアなことに立ち会う楽しみもできる。何かやってくれそうだという期待感を持って演奏会に行くこともできる。現代音楽は特に響きを立体的にしているので、ライブで聴くのが一番だと思う。そういった意味で、関西フィルの試みはいいなと思っている。またぜひ行ってみたい。今度はどんな驚きに出会えるのだろうか。
May 25, 2007
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ベートーヴェンのいくつかある序曲の中でも、最も演奏時間が長く、その規模はほとんど交響曲の1楽章分ある感じだ。もちろん、内容や構成もきっちりしているように思う。この曲はオペラの序曲として作曲されたものなのだが、現在では「フィデリオ」として上演され、この「レオノーレ」序曲は「フィデリオ」上演時の間奏曲として演奏されるという習慣があるようだ(オペラ「フィデリオ」の実演に立ち会ったことがないので推量・伝聞的表現で)。オペラでは、「レオノーレ」と「フィデリオ」というのは同一人物である。主人公「フィデリオ」は、政治犯として地下牢にとらわれている夫を救出するために「レオノーレ」が男装した時の名前である。簡単に言えば、妻が政敵から不当に監禁された夫を救い出す物語ということになるだろうか。-------------------------最初、全パートが「ソ」でスタートし、そこから旋律がなだらかに降りてくるのだが、これは夫がとらわれて地下牢に連れて行かれるところを示している。ハ長調に行くのかと思いきや、いきなりいろいろな調に(ロ短調、変イ長調、ホ短調と)行き始める。地下でさまよっているのだろうか。序奏の部分はゆっくりした足取りである。また、変イ長調の部分のクラリネットとファゴットによる旋律は劇中にあるアリアからとられている。序奏の最後はハ長調に行くことを匂わせて終わり、そのままアレグロの主部へ。第1主題はシンプル。その後、同じ音型、同じ和音でしつこいほどに盛り上げて、再び爆発するように第1主題。ひとしきり盛り上がった後でどの調にいくのかと思っていたら、ホ長調で第2主題へ。こちらは息の長い旋律。第1主題の変形などを経て、今度はシンコペーション連発の部分へ。この部分は下降音型が用いられていて、序奏の部分とつながりを持たせているのではという印象だ。ホ長調は「フィデリオ」序曲でも使われており、またシンコペーションを連発していることも共通している。やはり根っこは同じオペラにあるのだなと思ったりする。それが静まると、調がはっきりしない音型が続く展開部へ。ただ、出口だけはかなりはっきりとした旋律で、演奏では劇的な雰囲気を一気に集めるように指揮者から要求されるところだ。そしてハ短調を感じさせる部分を抜けると、舞台裏のトランペットが登場する。これは救出のカギを握る人物である司法長官がやってきたことを知らせる地上からのラッパの音である。ファンファーレが2回鳴った後で、第1主題が一瞬ト長調で登場した後、また時間をかけて盛り上がって(ここがまたシンコペーション)、第1主題がハ長調で爆発する。その後は第2主題もハ長調で登場し、交響曲なら再現部というところだろうか。一通りの再現をした後で一転今度は弱い音の世界。再弱音までいった後で...。1stVnの前の方に座ると怒濤のプレスト。最初は6つの音でブロックが作られている(ただし、拍子としては8つでひとかたまり)のだが、すぐに7つの音になり(これはほとんど体で覚えていないと弾けない)、やっと8つの音になるのだがそれもオンビートではなく、さらに途中から2ndVn、ヴィオラ、チェロ&コントラバスが順番に折り重なり、そして第1主題がまたまた爆発する。第1主題にたどり着くとホッとすると言いたいところだが、息をつかせる暇もなく最後まで突っ走っていく。これを序曲だと言ったら、確かにきついかもという感じだが、それがベートーヴェンらしくていいとも言える。-------------------------この曲はエキストラで出演するコンサートのオープニングとして演奏するのだが、これで3回目である。1stも2ndも経験しているが、とにかく1stはやたらと難しい。特にフォルテになってからの第1主題は何度やっても慣れない音型の連続である。また、シンコペーションが大変で、エキストラとしてはこれの方が大変だ。周りをきいてしまったら最後、自分を見失う。指揮者の棒とコンマスの弓が頼りだ。でも、これらがきっちりできたら、やはり充実感があると思う。もちろん、曲としては大好きだ。
May 24, 2007
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最近、娘に「パパ、音楽好きなんだね?」と言われて「えっ?」と思った。私にとっては、家族、仕事と並んで自分の人生になくてはならないものの一つだと言える。音楽があるおかげでいろいろな人にも出会えた。自分が幸せな気持ちでいられる、そして今まで生きてきたことに満足しているのも、少なからず音楽のおかげだと思っている。娘がそんなことをきくなんて、これはどうかしたのかなと思っていたら、妻が娘の様子を教えてくれた。娘は、ピアノとヴァイオリンを習っているが、ヴァイオリンは先生から見てもかなり上達が早いようだ。娘は次々と新しいことを覚えたいと言って頑張っている。ところが、ピアノで少し壁にぶつかったらしい。楽譜をちゃんと読めるようにするために、親がお手本を弾かないようにという先生からのお達しがあったのだが、楽譜を読んで理解して弾くという作業がなかなかうまくいかなくて困っているようだった(ただし、楽譜はまだ簡単)。娘はお手本を弾いてもらうとすぐに覚えて弾けてしまうようで、それが逆に楽譜をちゃんと読まないという問題につながるようだ。娘にとってみれば、自分の好きな音楽でうまくいかないことに対する苛立ちがあるのだろう。一昨日、少しだけピアノの練習を見たのだが、楽譜を見て演奏を組み立てていくという作業はまだまだだなという印象だった。私自身はスパルタでやるつもりはないのだが、ただ、取り組む際に真剣であることは必要だと思っているし、楽器の上達は必ず何度も壁にぶち当たるという事実に向き合えることも必要だと思っている。どうやったら、前向きになれるのだろうかと思ったりもする。今日はピアノの日で、娘は大丈夫なのかと思っていたら、妻によれば、「行くときはいやがっていたけど、帰ってきたら別人のようにケロッとしてたわよ。できなかった曲ができるようになったんだって。帰ってきたら弾いてくれたわよ」ということだった。まずはひと安心かな。音楽は人生を豊かにすると私は思っている。「音楽が好き?」じゃなく、「音楽が好き!」であってくれるといいなと思う。
May 23, 2007
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ケンカをするのはバカバカしいので黙って自宅を出発したのだが、今日の天気とは裏腹にきわめて気分を害した状態で出勤。朝、妻と朝食の時に話していた、幼稚園ママの家の話。ハワイに行こうと予約までしていたのに旦那さんの都合で行けなくなってしまったのだという(それは旦那さんの実家関係の都合で、手前勝手な都合ではなかったのだが、仕事でというわけではなかったようだ)。寸前のキャンセルだったため、払い込んだお金は全額帰ってこなかったのだという。奥さんが「楽しみにしていたのに、自分があまりよく知らない人のせいでお金まで損して、本当にイヤだったわ」と話していたのだという。ただ、もちろん旦那さんも行きたくなくてキャンセルしたわけではもちろんないと思うので、「それを言われたら旦那さん、ちょっとかわいそうなんじゃないのかな?」と言ったら、妻が一言、「でも、仕事じゃないんでしょう?それは、俺が稼いでやってるんだから文句言うなってことを言ってるんじゃないの?それは気分悪い言い方だわ」と言ってきた。「俺が稼いでやっているんだから文句を言うな」などと私は言っているつもりは全くないし、旦那さんだって行きたくないことの言い訳に使っているわけではなかったわけで、事情があったのだろう。奥さんにしてみれば馴染みのない実家での話であっても、旦那さんにとっては重大なことだったのだと思う。損したお金だって、ただ旅行会社に入ってしまうのではなく家族の楽しみに使った方が気持ちもいいはずだ。だいたい、「俺が稼いでやっているんだから文句を言うな」という言葉は、家族が無駄遣いをして、それがもとでケンカしているときぐらいしか思い浮かばない。そんなことを日常から思って仕事をするほどヒマでもバカでもない。そう思われているんだと思った瞬間に激怒!ただ、子供たちがいたのでここでケンカをしてもいいことは一つもないと思って、表には出さずに出てきた。まあ、つきあいは長いから相当怒っていることは当然感づいているはずだが。ただ、こういう時に言い返しても逆ギレされることはわかっているので、平静を装ってきた。電車で揺られる間も気が収まらずにいたが、そこは音楽を聴いて気を紛らわせることにした。結局、他人の家の話が元でケンカになりかかったわけで、こんなにくだらないことはない。お互いにその話の当事者ではないので本当のところはわからないのに、それぞれの意見を戦わせても仕方がないことだ。こういう場合はひたすら聞き役に回ることを常に心がけていないとダメだということかな。**************ところが、その後、用があったので電話をしてみたら、何ともあっさりとしていて拍子抜け。ここは拍子抜けついでに忘れてしまおう。おっと、しかし心がけはちゃんと覚えておかなければ。
May 23, 2007
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夜の授業を終え、同僚とラー研を楽しんで自宅に帰ったら、テーブルの上に見慣れないところからの荷物があった。その中身は、ミュージシャンをしているゼミ卒業生がリリースしたばかりのミニアルバム(CD)だった。先日携帯にリリースの告知があったので、購入を申し込んでおいたものだ。彼は今、東京を中心に女性ヴォーカリストとのユニットで活動しているが、他にもいろいろなアーチストのバックをやっていたり、最近活躍しはじめているようだ。先日も近くでライブがあると知らせがあったのだが、仕事のスケジュールがちょうど重なってしまって行けず、残念だった。東京に行く前に一度、そして東京に行ってから一度、ライブには顔を出した。顔を出すと、「先生、変わらへんっすよね」と喜んでくれる。彼からみれば私は変わらないように見えるかもしれないが、私から見た彼は本当に変わったと思う。彼は私が今いる大学でのゼミ1期生。最初は適当でちゃらんぽらんな印象、「大丈夫なんかな?」と思っていた。私の授業のテストが終わった後は「ヤマが外れました。はぁ...」と言っていたこともよく覚えている。試験前に「先生やったらここ出すで」とか言っているのがきこえていたのだが、内心「そこは出ないぞ、おいおい...」と思っていた。それでもヤマが外れた場所以外はできていたので何とか通ったのだが、何ともハラハラさせる人だった。そんな彼が変わったのは、4年生になってからだろうか。おそらく、音楽の道で食べていくことを本気で考えはじめたからなのではないかと今でも思う。話す内容も、話し方もずいぶん変わってしっかりするようになった。ジャンルを問わず、プロの音楽家を目指すことは並大抵のことではない。努力ももちろんだが、才能があることを認めてもらわなければならない世界だ。私としては彼が本気であると思っていたので、見守ることしかないと思った。あとは、夢を実現するために何か望みがあればそれをきいて実現すべく応援することしかない。まだ先が明確には見えていない状態で彼は卒業していった。しかし、とても前向きで明るかった。卒業式の日には飲み会までの空き時間に一緒にスタジオでセッションをして(私がヴァイオリンを持っていき、ゼミの後輩がギターを持って行った)、さらに終電まで一緒に飲んだ。私が彼に何をしてあげられたのかはよくわからないが(たぶんいつも真面目な話になりかかると彼は照れ隠しで話をぶち壊していたので、知る方法はないだろう)、それなりに深い関わりは持てたと思う。そうこうしてもう数年が経った。まだまだ発展途上だろうが、こうしてその経過を作品として耳にし、目にする(DVDが付いていたので)ことができるというのはうれしいことだ。楽器の腕も上がっているなという感じがした。さらに活躍できることを祈りたいと思う。ここまできたら、私は彼をちゃんと見続けていくことが大事であり、またできる唯一のことであるように思う。今のうちに、サインもらっておこうかな...。
May 23, 2007
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今日は午後から授業、午前中は別の授業の準備をする。この授業は毎週いつもうるさい。他のクラスにない騒がしさだ。出席は加点にならないと言ったし、GWが終わっているにもかかわらずである。昨日見つけた方法をこちらでも実践してみるが、効果は思ったほどではなかった。ほとんどはちゃんと静かになるのだが、やはり一部はダメだ。というわけで、今日は教壇から駆け下りて注意しに行く。これは毎年どうやら名物化しているらしい。ゼミ生によれば、ゼミに入る前で私について覚えていることは、「うるさいと走って降りてくるからコワかった」ということだ。今年もやはりこれが出てしまったか...。その後は比較的静かになった。しかし、まだ降りるときのスピードが足りないようだ。今どきの大学生、どうやら二極分化しているなと最近ずっと感じている。やる気のある人とない人、見ているととてもよくわかる。やる気のない人の気持ちをどうするのか、これって難しい課題だ。やる気のある人以外は放置するというスタンスもあるだろうが、それは別のところに問題を送りつけているだけのようで、スッキリしない。ますます試行錯誤の連続になっていきそうだ。
May 22, 2007
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今日は非常勤の日。バスに乗ったら、最後部の席で女子が3人、ゲラゲラ笑って大騒ぎ。それにしてもうるさすぎる。多少なら気にならないのだが、明らかに爆発している。周りの客も冷たい視線だったが、注意するには至らず。と思ったら、ほとんどがイヤホンをしていた。MP3プレーヤーを自宅に忘れてきた時に限ってこんなことに。忘れてきた自分にも腹が立った。自分で忘れてきたくせに...。授業は静かに終わった。学生の授業の受け方は毎年変化する(静かにさせるための方法はいつも試行錯誤、毎年ツボが違う)ので、あれこれ試したが、今日のがしっくりいきそうだと思った。ツボは、板書の仕方と話すタイミングにあるという結論。今後の授業で活かしていこう。ただ、それでも話をしている学生がいることは確か(注意はもちろんするが)。全体がかなり静かになっているのでもう一息だ。ちょっとイライラする場面も。態度には出さない程度に抑えておく。授業が終わってバスまでに時間があった。今日は頭をたくさん使ったせいか(?)やたらと空腹だった。コンビニに行って何か買ってもいいかなと思っていたが、かたづけをするうちに微妙な時間に。バスを降りた駅で買えば済むことだと思い、バスに乗った。さて、駅前のコンビニに行ったら、スナックがない!気分的には唐揚げかフランクフルトでもと思ったのだが、どこを見てもない。自分の選択は明らかに誤りだった。さっきのコンビニに行っていたら空腹は抑えられたはず。あまりのついていない状況と自分のバカさ加減にまたイライラ。自宅に戻ったら、こういう時に限って全員入浴中。夕食はしばらくお預けとなった。あまりの空腹にごはんの量が足りない。そこで、「何かまだないのかな?」と言ってみたら、「こっちも考えて作ってるんだから、そういう変わったことを言われても困る」との返事。まあ、定食屋でもおかわりできるのはご飯だけだし、仕方がないといえばそうだ。しかし、自宅に戻ってから夕食を食べ始めるまでにあまりに時間が長かったので、疲れとも相まってイライラする。ただ、言われていることはわかるので、八つ当たりするなどということはない。「まあ、しゃあないよね。いいよ。」というところで収めた。しかし、ちょっとイライラ。ここまで待ってさらに足りないときたら(わかっているんだったら)、駅前にいたたこ焼き屋台で買って食べておけばよかった...。ここでもまた判断ミス。もう自分にいい加減腹が立つという感じだった。今日イライラしたことはすべてくだらないと言えばそれまでのこと、これって器が小さいということなんだろうか...などと思った。
May 21, 2007
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今日は、朝早く起きたので、明日の授業の準備。ちゃんと理解してもらうためには、当初想定していたよりも進まないことがわかってきたので、トピックを見直す。いつまでに、どこまでやるのかを微調整する。ほとんど動かず、ひたすら頭の中でああでもないこうでもないと考える。こういう作業はやはり早朝がいいなと思う。しばらくして、娘が起きてきた。最近、プレゼントした一輪車に夢中で、毎日練習している。まだ手放しでは乗れないのだが、確かに日を追うごとに姿勢がそれらしくなってきた。手を少し持ってやれば、ちゃんとこいでいくこともできる。というわけで、練習に付き合う。それからしばらくして、息子が起きてきて、子供たちのテレビの時間。私はまた仕事の続き、午前中で明日の準備と、来週の下準備が終わった。早起きは三文の得とは、よく言ったものだ。午後は、エキストラで出演するオケの練習に参加した。いつもの市民オケとは違ってコンパクトな編成、間違えると個人の音がそのままわかってしまうので、緊張感を持ちながら練習。いい耳の訓練になったなと思う。十分にアンサンブルできる人数、一緒に演奏しているなという感じがとてもした。指揮者もシンプルなとても見やすい棒で、気持ちよく演奏させてもらえた感じがする。楽しかったので、練習時間はとても短く感じた。ただ、時間が押してしまったので、終了後は走って駅まで行き、そこからタクシーで帰宅(隣の駅だったので)。夜の予定までほとんど時間がなく、必死で夕食をかき込んでまた自宅を出る。そして夜は車のディーラー主催の車の手入れと簡単な修理の講習会に出席、修理用のコクピットに入れてもらい、エンジンルームの説明や、車をジャッキアップして足回りも見せてもらった。一緒に参加した人に強者が...。車を自分でいじるのが大好き、なおかつかなりスポーティな走りをされる「チョイ悪」な感じのドライバーがエンジニアに質問攻め。「嫁がタイヤを空回りさせるほど吹かすんやけど、雪国用のモードにしたらうまいこと行ってん。こういう走り方でも壊れへんのかなあ?」←そ、そんな使い方があるんですか?!「180キロでクルーズコントロールしたらやばいかなあ」←それはちょっと...「やっぱり吹かしたら燃費悪くなる?」←そりゃそうだ「急ブレーキかけ過ぎたらパッド減るの早いかな?」←もちろん「ハンドブレーキかけながらハンドル回してスピンさせるのはやっぱり?」←それはアカンでしょう「ミッションオイルは自分で変えられる?」←やめた方が絶対にいいでしょうねしかも、その車、背の高いワゴンだったりするので、ハンドブレーキかけながらスピンさせたら転ぶのではないかと...。最後に記念品と工場使用の割引券をいただいて終了。何とも盛りだくさんな一日だった。
May 20, 2007
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昨日の昼に激しいスコールに遭ってしまった話は前の日記で書いたとおりだが、それを書いた後が大変だった。やはりびちょびちょになってしまったのがよくなかったようで、電車に揺られるうちにどんどん体が重くなって、気分も悪くなってきた。オケの練習に行くつもりで楽器も持って行ったのだが、あまりにしんどかったので、自宅の最寄り駅の隣の駅で断念、戻って歩いて帰る気力もなく、結局タクシーに乗って帰った。これからしばらく、まったくといっていいほど休みがないので、この状態を引きずってはまずいと判断し、泣く泣く帰ることにしたのだ。自分が持った「何となくおかしい」という感覚を大事にすべきだと思ったのだ。結局、先日見た夢は「オケにいけなかった」という意味では正夢になってしまった。つらいところだ...。さて、帰りに乗ったタクシーで、「お客さん、プロのヴァイオリン奏者の方ですか?」ときかれた。ほぼ真っ暗な車内でヴァイオリンケースであることがわかるというのは「おっ?」と思ったので、「違いますよ。趣味でやってます。」と言ったら、「ああ、市民オケですか?」と言われたので、「ええ、そうですよ。」と答える。すると、「いやあ、うちの娘も、この近所じゃないんですけど、市民オケで演奏していましてね、先日も演奏会のビデオを見せてもらったんですよ。」と言う。そこで、「どちらのオケですか?」と尋ねたところ、私が昨年、エキストラで出演したオケだった。「去年、私手伝いにいったんですよ」と言ったら驚いておられた。きっとご自宅で話題になるのだろう。意外な楽しい話に疲れも少し緩んだかという感じだった。自宅に戻ると、「あれ?オケは?」と妻に言われる。夕食は食べたのかときかれて「いいや」というと「急なときは何か買ってきてくれないとねえ」と言われた。怒られるくらいなら「食べてきた」と答えるべきだったとちょっと後悔した。しかし、反論する力もなく、とにかく疲れたので、軽く夕食をいただいて、短く入浴、結局子供と一緒に就寝。8時間半寝て午前5時半、ぱっちり目が覚めた。眠気をほとんど残さずに起きたのって、久しぶりだ。休むことも時には重要なのだと痛感した。睡眠って、本当に大事だな。
May 20, 2007
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今日はイレギュラーな仕事で出勤、大学の最寄り駅で降り、歩き始めて2分後ぐらいに、突然バケツをひっくり返したように雨が降ってきた。私は折りたたみ傘を持っていたのだが、風が強くて頭部以外はほとんどずぶ濡れになった。さすがにこれは耐えられないというわけで、横にあった店に入って昼食をとることにした。食べ終わった頃には、やんでいた。とても迷惑なスコールだった。もう、おいおい…という感じ。 仕事が終わって帰る途中、駅に行くと人だかりができていた。何事かと思って近づくと倒れている人がいたようで、何人かに担がれていた。事故なのかと思ったら、酔っ払ってコケたらしい。しかし、出血もあるようだった。駅員が救急車を呼ぼうとするが、拒否し続けている。奥さんらしき人はトイレに行っていたらしく、出来事に驚いていた。その状態で「大丈夫や!」っておいおい…。意識ははっきりしているのはよかったが。 しかし、その人が寝かされ、うめいている至近距離で、何事もないかのようにその人の方向を向いてタバコをふかして電話に夢中な学生風の男、ひどすぎる。無神経にも程がある。助けに行けないとしても、せめて邪魔するなよ、おいおい…。
May 19, 2007
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今日は1年ゼミの日、テンションの低さは昨年からの傾向なので、驚かないのだが、他にも気になることが出てきた。それは、先日の日記で書いた日本語がわからない若者の話に通じることだ。新聞記事を読ませたのだが、わからない言葉をあげさせると、「テコ入れ」や「呼び水」といった言葉が出てくる。専門用語どころではない。「中核店舗って何ですか?」と固有名詞であるかのようにきいてくる。最近の使用度がもっと低いことわざとかならまだあり得るかなと思うのだが、使用度の高い表現もダメらしい…。新聞も読めないことになるのだろうか。午後の授業はまずまずうまくいった。こちらは、とても静かで、これもクーラーが入ったおかげかなと思う。授業の後は、ゼミの卒業生と近くの繁華街で飲む。1人が研修でこちらに来ているということで、急遽決定の運びとなった。早速、1年ゼミでの話をしたら、「それはまずいですよ」というコメントが続々、そんな状態では会社になんて入れないし、続かないという話になった。彼らもきっと社会人になってからいろいろ苦労してきたのだろう。話をしながら、「それなら、今のゼミ生に話をしますよ」と言ってくれた。ありがたくこの話をうけて、特に4年ゼミ生に声をかけてみようと思った。きっと彼らならいい話をしてくれるはず、準備を進めてみよう。気持ちよく飲み会は終了。彼らの成長ぶりを見るのは楽しい。一生付き合っていたい相手である。ゼミ生は、卒業してからこそ、楽しく付き合える相手なのかなと思えたりする。教師と学生という関係ではなく、共に社会で生きる者として。いい夜だった。
May 18, 2007
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(↑まだ寒い頃の春の海、見ていたときに浮かんだのはこの曲)この曲は、もともと歌曲だったものを弦楽合奏用に編曲したもの(といっても原曲から部分的に変更されている)であり、私はもっぱらそちらを聴いている。原曲はノルウェーの詩人ヴィニエの詩に基づいている。弦楽合奏用に編曲されたのは、グリーグがオーケストラの指揮者を引き受けた際にそこで演奏されることを考えたからだそうである。-------------------------第1曲:「胸のいたで」歌曲の詩は、生活の戦いで疲れ、傷ついている詩人の心が春の訪れによって癒されるというもの。曲の構造はとても単純で、最初に提示される主題が楽器を変えながら3回繰り返されるだけである。最初は2ndヴァイオリンの開放弦のソの上に、1stヴァイオリンが深く悲しい旋律を奏でる。ハ短調で楽譜は書かれているが、最初はト短調の趣である。旋律の中程で一瞬長調の雰囲気が切なく出てきてそこから最後にハ長調の響きで締めくくる。2回目はチェロが旋律を担当し、伴奏は少し細かい音符ながらも、引きずるような足取りで音楽が進んでいく。1回目より点描的な感じになるが、伴奏が変わるだけでここまで変わるかというのは感心してしまう。3回目はヴァイオリンが激しく旋律を演奏する。コントラバスも響きに参加して一気に世界が広がる。ハ長調に戻る直前に急にピアニッシモまで音量が落ちるところがはしごを外されるようで効果的。その後ハ長調の和音が力強く出され、最後はすーっと静かに終わる。「春はちゃんとやってきたよ」とでも言うように。-------------------------第2曲:「春」歌曲の詩は、詩人が春の到来を感じながらも、自分にとっては最後の春になるのだろうなという気持ちを表現したものである。この曲も同じ旋律が2回繰り返されるだけのきわめてシンプルな構造だが、なぜかそれを感じない。しかも、なぜこんなにも切ない気持ちになってしまうのだろうかと思わずにはいられない。最初は導入の音楽、短い前奏なのだがそこからすでに切ない。すぐに1stヴァイオリンが主題となる旋律を奏で、その下で分割されたコントラバス以外の楽器が伴奏している。この旋律はト長調で始まるが途中でいろいろな調の要素を見せながら移ろっていく。その後ホ短調の雰囲気を見せつつもそちらではすんなり解決しないでロ長調に行ってしまったりしながら、クライマックスはト長調になっており、「春が帰ってきた」という感じになる。頂点の後はとても爽やかな音楽となる。2回目は最初演奏する楽器が減っており、しかも高音域だけで、とても細いながらピュアな響きになる(しかも、スコアには「駒に寄せて弾くこと」という指示がある。マーラーやベルリオーズの曲などのエグイ表現で使われることが多いのだが、これを切なく歌い上げる旋律で使ったというのがすごいところ)。途中の移ろう部分になると楽器がだんだん増えていき、響きも豊になる。クライマックスでは春の喜びを歌い上げる感じ。終わる直前には「これが最後の春」とも言うべき動きになる。マーラーだと「大地の歌」や9番でたくさん出てくる告別を表す2度の動き(ただし、この曲では全音ではなく半音だが)が印象深く伴奏に埋め込まれている。やっぱりそういった切なさは共通しているのだろうか。そして、最後は遠ざかるように終わる。-------------------------2曲とも演奏したことがあるのは1回だけ。ある室内合奏団で弾いた。シンプルなだけに表現することはとても難しかったことを覚えている。響きの重要性を痛感した。しかし、自分にとってもっと切なく思ったのは、2曲目の「春」を高校生の時に弾いたときだった。今思い出しても、本当に切ない気持ちになる。「胸のいたで」に「(最後の)春」、その切なさを一番感じたのは、ずっと昔のことだ。
May 17, 2007
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何だか、朝のワイドショーの占いみたいだが...(ちなみに、子供たちはこういうので遊ぶのが大好きで、私はいつも残ったヤツを選ばされる)。昨夜は、変な夢のせいで寝不足だったし、疲れているだろうということで、開き直って寝ることに。気持ちよく入眠だと思ったら、情けない声で息子が「パパ~、トイレに行きたい」と起こされた(妻は入浴中だったのでもちろん気づかず)。半分寝ていた感じなのでフラフラになりながらお付き合いして、また寝ることに。私は早い時間に寝ると、夢を見ている感覚がなくても、なぜかいつも夜中に目が覚めてしまう。今日も例外なくそうだった。二度寝をしている感じで、その後は朝までノンストップ。変な夢にうなされることもなく起きた。とはいえ、二度寝って、意外と寝た気がしなかったりするのだが...。今日も授業が3つ、週の中では一番しんどいところ(まあ、どの日もしんどいといえばしんどいが)だが、頑張っていこう。
May 17, 2007
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昨日も遅くまで仕事して帰った。なかなか寝付けずにいただけでもしんどいのに、朝はなんと夢にうなされて起きた。その夢とは...今いるオケをクビになる夢。なぜか私が実家にいて、そこへベテランの団員と、別のオケの人がいる。ベテラン団員が「今からテストをやる。もしできなかったらクビだ。」と言われる。そして、最初に「君は、ピアノをどれくらい弾けるのかね?」ときかれた。私は正直言ってまともに弾けないのでその通りに話すと、「話にならんねえ...」と言われる。しばらく沈黙があってから、別のオケの人がピアノの前に座った(ちなみに、実家にピアノはないのに、なぜかあった)。そして、「今から和音を聴き取ってもらうテストをやります。3秒以内で答えられなかったら、クビです。」と言われる。最初は「ドミソ」だった。これは簡単、ホッとしていたら、「じゃ、次の問題です」と言われ、次の瞬間には「ドミファソラシ(レ以外のすべての白い鍵盤を同時に叩いた和音)」という音が鳴らされた。何の音だ?と考えるうちに、何とその人は女子プロレスの悪役レフェリーによる3カウントのように1.5秒ぐらいで「はい、3秒です。できませんでしたね。あなたはクビです。」と言われてしまった。3秒で何とか答えたはずなのに...。「ガ~ン!!」と思った瞬間に目が覚めたのだが、やっぱり疲れているのかなあ...。どうも最近、いろいろと考えなければいけないことがあって、潜在的にいろいろなものが蓄積されていて、それが自分の好きなことができなくなるという夢につながっていたのかなとも思ったりする。もちろん、この夢の登場人物に個人的な恨みはまったくない。今日こそいい夢見られないかな...。
May 16, 2007
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朝のワイドショーで、若者の国語力低下について取り上げているのを見た。例えば、大学生のテストの答案で「真実」を書けず、「心実」とか書いていたり、書けない漢字はすべてひらがなで書かれているというものや、街頭で若い社会人に慣用句についてクイズを出して「お釈迦になる」の意味を「みんなに対して平等的に優しくなること」と答えている様子などが取り上げられていた。この問題は日常的に関わっている頭の痛い問題だ。数年前、私がこの仕事に就いて間もない頃の話で、ある先生が「テストでの漢字の間違いは減点しているんですよ」とおっしゃっていたのだが、テストが終わった後で「そう言ったら、みんなひらがなで書いてきました。読みにくて困ります...」とおっしゃっていた。後で「ひらがなで答案を書いたから落とされたんですか?」とききに来た学生がけっこういたようでかなわないとのことだった。もし今やったらもっとひどいんだろうなと思う。私にもこれにまつわる経験がある。数年前、ある授業で3つの項目について説明している途中に、「一から十まで」という言葉を使ったら、授業が終わった後で質問があった。「先生!一から十までって言ってたけど、一から三までしか言ってないやん。どういうことなん?これは」(←いきなりタメぐちですか?!)これは、あまりにフレンドリーな物言いとあわせて鮮明に記憶している。学生の国語力が問題だということは、それが社会人として出て行くのだからあり得ない話ではないなと思った。ただ、「エントリーシートをまともに書けない学生だらけ」という企業担当者の話はさすがにまずいなと思った。幸い、まだゼミ生に限って言えば、意味不明のエントリーシートには出会っていない(少々の改善で何とかなるレベル)のだが、先日書いたテキストを読めない話を考えれば、来年はちょっと不安だ。問題の原因はいろいろなことに求められるのだろうが、一番の問題は「責任をとらない大人による問題の先送り」かなと思う。小学校で積み残された問題は、中学、高校、そして大学へと確実に送られてきているような気がする。そして、次は企業なのかなと...。番組では「上司に対して、難しい言葉は使わないでくださいと要求している」という若手社員の声もあった。そして、社会も人任せ、このまま行ったら今のような経済の状況も維持できなくなるかもしれない。やっかいなのは、そうなるかもしれないという想像力すら欠如しかねないということだ。「知らないうちにそうなっちゃった」は一番対処のしようがない。番組としてはある程度面白おかしく紹介しているところがあるのだが、根っこには深刻な問題があると思う。大学の授業で日本人に対して日本語で授業が成り立たないという話もあったが、そういうことも当然ありうる。関係者としては「来るまでに何とかしてくれ」と思うところもあったりするが、そうばかりも言っていられない。全員には無理でも自分が学生に対して深く関われる(時間を何とか取れる)ゼミだけでも何とかしなければと思う。
May 16, 2007
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(↑お茶でも飲んで落ち着こう、ってまたかいな!)今日はとてもいい天気、午前中は特にさわやかな気分で出勤できた。久しぶりに隣の学部の先生にお会いして、話をしながら登校。お互いの状況をお話しした。こういう時の会話は楽しいもので時間はとても短く感じられた。その先生はちょっとしんどいなと思う日はタクシーで駅からいらっしゃるそうだが、今日は私が一緒だったので歩いていこうとおっしゃった。時間が短く感じたと言われたが、それは何よりよかったと思う。午前中はこまごまとした仕事を片付け、午後の授業へ。これが問題だった。人数が多く、また暑いぐらいの気温だったため、私語が多かった。窓を開けたぐらいではダメで、冷房をかけてほしいとまで言われたが、まだ5月ということもあり、教室に冷房は入っていないようだ(スイッチを入れたが、単なる送風だった)。人で一杯の教室はさながら巨大ヒーター。不快指数もアップということで、落ち着いて聴いていられない学生がたくさん出始めた。気持ちはわからないでもないのだが、ただ、それがしゃべっていいということにはつながらない。そうするのなら、外へ行けばいいことだ。しかし、なぜかいてしゃべる。個人的に注意しようがなかなか持たない。少なくとも、冷房さえ入れば少々改善されるのかなという感じではあった。電気代は確かにもったいないのだろうが、つけてくれるとありがたいのだが、そうは行かないのかな。しかし、お客さんが不快だというのはよくないと思うのだが、どうだろうか。もちろん、私も不快な気分で終了。どうしようもなさに怒りを覚えるのだが、こちらがキレてしまっては話にならない。すっきりしないなあ。夜の授業は気を取り直していこう。で、夜の授業終了。授業自体は可もなく不可もなく、静かに終わった。ただ、午後の授業と同じ教室でやっているのだが、なんと教室を歩くと今日配布したプリントがあちこち散乱している。余分に取っていったのか、聴く気もなく見るだけ見て捨てたか、正直言って気分悪い。授業中だけでなく授業が終わった後までも不快にさせるとは...。結局すっきりしないままさらに腹が立って一日が終了。本当に気分が悪い。
May 15, 2007
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クラシック音楽に興味がない人でも「ジャジャジャジャーン!」といえばみんな知っている曲(うちの子供もやはりすぐに覚えた)。日本ではCDに必ず「運命」と書かれているが、英語ではそれに相当する単語は見当たらないのが普通だ。この曲は最初の動機があまりに有名なので、そこが注目されがちだが、全曲を通してそれが有機的に展開されていることがわかると、その形の整い方になるほどと思ってしまう。しかも、それをあれだけ熱い音楽にしているところが素晴らしい。-------------------------第1楽章:冒頭のジャジャジャジャーンは、指揮者にとって、おそらく最も難しい場所の一つだろうと思う。単純に拍子だけをとって始めると軽い音になってしまうだろうし、まったくキューを出さずに始めることはできない。予備運動で緊張感を作りつつ、一発で決めなければならない。奏者との呼吸の合い方が勝負で、これこそ音楽が瞬間芸術であることを実感する瞬間である。以前の日記で、宮川彬良さんが子供向けのコンサートで提示部を面白く描写しながら説明していたことを書いたが、第2主題が流れる裏で「ジャジャジャジャン」とやっているのが「遠くで怒っているオヤジ」というのが、今でもなるほどと思う。特にこの楽章で緩むことができるのは、真ん中あたりのオーボエソロの場所ぐらいであり、それ以外の部分では必ず4つの音からなるリズムがどこかでなっているか、意識されている。それだけに、時々外れたリズムが効果的である。展開部では激しい音楽、これでもかと言わんばかりの不協和音などはイヤでもテンションが上がる。7、8分であっという間に駆け抜けて行く、気の抜けない音楽である。-------------------------第2楽章:前の楽章とはうって変わって穏やかなチェロによる変イ長調の第1主題と、金管が参加して華やかな第2主題の組み合わせによって構成される楽章。変イ長調については、とても穏やかなイメージがある。特にオーケストラだと、柔らかい響きの音楽によく使われている。例えば、スメタナ「モルダウ」の夜のシーンとか、マーラー「復活」の第2楽章とかがそうだ。どちらの主題も繰り返すごとに細かい音符が増えていくのがなかなか厄介であるが、あくまでサラリと行くことが重要。スコアを見ると気づくのだが、第2主題の中には、アウフタクト付きの「ジャジャジャジャーン」が埋め込まれている。全曲を有機的に結びつけている見事な例だと言える。楽章の中ほどからは、木管が重要な役割を果たす。途中木管だけになるところは、うまく演奏されると、とても幻想的な響きがする。そして、その後第1主題がフォルテで帰ってくるところは感動的だ。この裏でセコバイが刻みまくっているのはやはりベートーヴェンらしい。テンポはゆっくりでもテンションはとても高い。いろいろな意味で、密度の濃い音楽である。最後はテンポを上げて軽いところからスタートし、マイナーコードを織り交ぜながら終わりを予感させる。しかし、決然と終わるところは、やはりベートーヴェンらしいと思う。-------------------------第3楽章:低弦と木管によるちょっとミステリアスな開始。いきなり高い音に飛んで「?」となるが、しだいに強くなったところで主題が登場、これもジャジャジャジャーンである。不思議な調に一瞬飛ぶのは、交響曲第1番のスケルツォと似たような感じ。それがもう一度違う調で繰り返されて、中間部へ。チェロとコントラバスで始まるフーガはとても活発ながら、いろいろな表情を見せる。低弦の開始で突っ走ったりすると、後の人は大変で、壊れて止まらなくなった機械のようだ。時々、こういう状況にお目にかかるが、アメリカのコメディを見ているようで、思わず吹き出してしまいそうになる。それが終わって主題が戻ってくると、今度は装飾音符付きのピチカート、必ず「これ、どないすんのん?」ときく人が出てくる。確かに、真面目に楽譜を眺めるほど迷うよな…。この部分はちょっと深夜の感じがしないでもない。それから波風のない低弦の上に1stvnが主題の断片を弾くのだが、ここも調が確定しない「?」な雰囲気で、それがだんだん第4楽章のハ長調に近づいていきなだれ込む様子は、暗闇から明るい場所に出ていくようで感動的。アタッカの使い方としては、最高だと思う。-------------------------第4楽章:冒頭はとにかく輝かしい音楽、トランペットがうまいと感動ものだ。セコバイ弾きとしては、冒頭主題を「ドーミー/ソーファ/ミレドレ/ドドドドドドドド...(刻んでます)」と歌いたくなってしまう。いかにもベートーベンらしくこういうところは大好きだ。いっぱい音が詰まっているというだけではなく、それがあるから音楽が前進していく。ベートーベンでは、やはりセコバイが性能の良いエンジンでなければ…。そのすぐ後の1stvnによる「ドレミファミファソラソラシドー」は、これもよく聴けば、ジャジャジャジャーンから派生したものである。また、それからしばらくして登場する三連符を使った動機もやはりジャジャジャジャーンから来ている。お見事…。また、ベートーベンらしいのは不協和音の場所に「さらに強く」というのがいきなり出てくるところだ。そういうところにくると、さらにスイッチが入ってしまう。さらに真ん中あたりに一瞬出てくる、この楽章にしか出てこないトロンボーンのソロが決めてくれると鳥肌ものである。ベートーベンをうまく吹ける金管奏者って素晴らしいなといつも思う。ただ、なかなか出会えないことも確かなのだが。再現部の直前に第3楽章の旋律が一瞬だけ姿を現してまた第4楽章の主題に戻るところも良い。そこから最後までのなだれ込みは何度やってもいいなと思う。特にだんだん速くなって1つ振りになって場所は、実はセコバイの方が大変なのだが、いっぱい弾かせてもらって得した気分だったりする。そして、最後の「ドミソ祭り」は圧巻である。なんでこんな音楽を書けるのかといつも思う。-------------------------この曲は何度もチャレンジする機会があった曲で、きっとこれからもあるに違いない。しかし、第1楽章冒頭がパーフェクトな感覚で弾けたことはないような気がする。テンションのように計測できないものを含めて、完璧なバランスができたらきっとかっこいいんだろうなと思う。バッチリ覚えて、音楽がけっこう体に入っているつもりでも、まだまだだといつも思う曲。これからもチャレンジを続けていきたい。そう言えば余談だが、大学時代、オケで初めて学園蔡にお好み焼き屋台を出したときの名前が「うんめぇ~(運命)」だった。いつもこの曲の楽譜が手元に来ると、やはりなぜだか思い出す。ちょうど今頃の気候、日差しが強くなるころに、テントの下で風を受けながらキャベツキリをしていたなあと...。
May 14, 2007
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夕方からはオケの練習。アマオケの練習は本当に難しいと今さらながらに実感。ある曲の冒頭、4パートによるソリ(ソロの複数形)で始まるのだが、これが全然寄り添ってこない。フレーズの取り方が人によって微妙に食い違っているために、時間的にも合わなければ、音色的にも合っていない。本当は合唱で歌われてもいいような旋律(実際にそうしている演奏もあるくらい)で、弱々しくないものの声を張り上げるでもないという音色が必要で、それぞれのパートが溶け合うようにならなくてはいけないものだ(もちろん、最高音の旋律のみ多少強めという操作は必要だが)。しかし、残念ながらそうなってはいなかった。そこで、たまりかねたコンマスが作曲の経緯をふまえてちょっと文学的なことを言ったら、そのパートのある人が「それじゃ、どうすればいいのか?!具体的に言ってもらわないとわからないよ!」と言った。「具体的に」というのはなかなか難しいものだ。そもそも違う楽器の人が言っている(もちろん、コンマスの指摘はある程度納得できるものであったとは思う)のだから、具体的なこと(奏法とか)まで言うというのは難しい。しかも、この場合、弓を使う量や場所が違うという問題ではなく、歌い方や音色、イメージの問題である。どうやれば出せるのかについては、その楽器をずっと弾いてきた人だからわかるのではないだろうか。それを言ってしまっては、「言われなければ何もできない」と言っているのと同じだとも言える。そうでなければ、少々うがった見方ではあるが、「弾けないヤツに言われたくない」と言っているようにもきこえてしまう。まあ、そこまで悪気があるとは思わないのだが...。練習の過程で「具体的な指示を」と言う人は少なからずいる。まあ、抽象的なことばかり言って、まったく具体性のない話だとイライラするというのは理解できる。それは人を集めて何かを話すときにはいつでも当てはまることだろう。しかし、音楽は具体的な奏法といったレベルまでブレークダウンすることが難しいこともある。人によって弾き方のクセは千差万別、それを揃えようとするなら、表現上のことを言っていくしかない場面もあったりする。歌い方を揃えるという場合はまさにそれが当てはまるように思う。こういう場合はいっそのこと、みんなで楽器を置いて口で歌ってみたらどうなのだろうかと思ったりする。実は意外としっくり行ったりするものだ。きっと口で歌えば、そんな歌い方はしないはず...。もっと溶け合わないと、オケの中でケンカしているようで、もったいない。
May 13, 2007
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今朝は早めに起きたので、みんなが寝ているうちに授業の準備をと思って始めた。これからしばらく週末に予定が詰まっていて外で一緒に遊ぶのが難しくなるので、今日はしっかり相手をしておかないと、妻も不機嫌になることが予想される。しかし、授業の準備は当然期限も決まっているので、時間を取らなければならない。朝というのは結構使えるのだ。 ところが、こんな時に限って子供が早起きしてくる。妻はゆっくり寝坊を決め込んでいるようで、起きてくる気配なし。まずは娘が仕事部屋にやってきた。一人では退屈なのだ。こうなると、仕事は中断、子供と遊ぶしかない。やがて息子も起きてきた。妻が起きてくるまでの1時間半、ゲキレンジャーだのプリキュア5だのを見ながら、かるたとトランプの相手をした。 朝食の後、とりあえず仕事を再開するが、今度は公園に行くのだと言い始めた。ここで私がああだこうだ言うと全員が不機嫌になること間違いなしというわけで、結局近所の公園へやってきた。もちろん、最終的な形とそこまでの所要時間を計算した上でそうしているので、問題はない。 これからしばらく子供が満足できるような遊び方が時間的にできそうになく、悪いなと思うので、しっかり遊ぼう。
May 13, 2007
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(↑子供たちがマネをしていたのは屋根に乗っている人たち)子供たちは幼稚園もないのに朝から早起き。私の方が起きるのが遅いくらいだった。朝食後、子供たちはキャーキャー騒ぎながら走り回ったり、廊下を行進したり、楽しそうだ。と、廊下が静かになったなと思ったら、今度は寝室で盛り上がっている。見に来いと言うので何かと思っていけば、「だんじりごっこするよ!パパは見てるお客さんね」という。というわけでしばらく観客になる。子供たちはぬいぐるみを二段ベッドの下に置いて、うさぎが太鼓を叩く役、くまがかねを叩く役なのだと言う。そして、子供たちは二段ベッドの上にあがり、自分で太鼓やかねの音を口で歌い、はたきを持って上で踊っている。これがまたよく見ているなと感じで面白かった。「わっせ~、わっせ~」とか言っているのが、なかなか楽しい。ときどき娘がベッドの下に降りて、押している人たちのマネをしてみたり、なかなか楽しめた。こうやって子供たちの中にも、だんじりが根付いていくのだろう。小学校になったら、みんなで机を並べて遊んだりするのかな、私がずっと昔にやっていたように。
May 12, 2007
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午前中の授業が終了して部屋に戻り、携帯を見ると着信メール。大学時代のオケの後輩からで、今日は帰り道の繁華街近くである会社の研修が早く終わるというので飲みに行かないかというお誘い。帰り道だし、久しぶりにゆっくり話したかったので、もちろんOKする。午後の授業を終わった後、同僚の先生と共に、学部のカリキュラムの問題について話し合いながら乗換駅まで一緒に帰る。話し合いというか、お互いのボヤキに近かったかもしれないと思う。ともあれ、意見交換はした方がいい。交流がなく、半ば強引に物事が決まってしまうことが一番の問題だろう。その後、繁華街の最寄り駅まで行き、合流。いろいろと後輩を誘ってくれていたようだが、結局私を含めて3人で飲んで語ることに。もう一人が来るまで先に店に入り、早速一杯。しばらくは2人で話をする。2人とも指揮をやっているので、指揮について話をする。管楽器と弦楽器という、プレイヤーとしては違う立場にいるが、それを超えて全体をどうやってまとめていくのかという話では意見がだいたい一致する。お互いが理解できるという楽しい瞬間。一致した意見は「名選手、必ずしも名監督にあらず」ということだった。それから、もう一人の後輩が最寄り駅に到着したとの連絡があったが、あまり来たことのない土地だそうで、場所がわからないのだという。結局携帯を通話にしたまま場所を指示してやっと到着する。その後もオケの話で、特にOBオケの話。次回の演奏会に向けてどうやっていくといいのかということをインフォーマルに話す。なかなか身になる話だったとおもう。その後、なぜか早く閉まる店が多かったので、某ハンバーガーチェーンのテーブル席で話をしつつまったり。誘っていたが仕事で遅くなり、来ることができなかった後輩からのメールで盛り上がる。「ありがとう。今日は発狂してるねん。」という文面に、一同「???」。「ありがとう」と「発狂」とはどういう理由で同居できるのかという話で盛り上がる。何だか学生に戻ったような気分だった。楽しく週末の心の洗濯をして帰宅。
May 11, 2007
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健康診断の後は、午後から授業。バリウムを飲んだ後はやはり少々きついなあという感じ。大学院の授業は、ゼミ発表の徹夜明けが1人に風邪でしんどそうな学生が1人、今日の天気と同じでどんよりした感じ。大学院生といえば、確かに始まってしばらくした頃がおそらく一番しんどい頃だと思う。それはわかるのだが、どうも問題が...それは本を読む力だ。その次の時間は3年ゼミ。こちらはようやくテキストを使って内容に即したディスカッションをしてもらうというやり方が始まった。しかし、こちらもどんよりモード。ゼミ生のディスカッションの反応がもう一つなのであれこれ質問してみると、「テキストが難しい」と言うのである。設問の意味はわかるのだが、テキストの内容はわからないことがあるのだという。多少そう言えるかなと言う気もするのだが、問題はわからない言葉があったときに調べて読んでいないことである。とりあえず読んでは来ているというのは間違いないのだが、ちょっとこれはまずいなあと思う。どちらの授業についても、テキスト自体はそれほどひどく難しい日本語で書かれたものではないし、学生が授業で内容をちゃんと吸収できて蓄積されていれば理解することは十分可能だと思われる(そういう授業を履修してきているはずだ)。私自身が授業で話してプリントも配って、テストに出した内容であっても思い出すことすらできない状況だった。ちょっと悲しかったりする...。まあ、そういうものだと言ってしまうのは簡単だが、これはちょっとマズイ傾向だと思う。本を読めないというのは、知識を獲得する機会を自ら狭くしているようなものだと思う。例えば、新聞を読んでいてわからない言葉が出てきて読み飛ばしたままというわけには行かないだろうし、仕事の書類ならなおさらそうだろう。関心の向かないこと以外に視野を広げるという気がないということはないのだろうが、気持ちがあっても技術的な問題もあるのだろうな。それだけ視野が狭いままの学生をできるだけ早く確保しようとする企業を見ていると、大丈夫かなと思ってしまうことがある。就活の手法には多くの学生が明るくなりつつある今だからこそ、本当は中身のある学生を確保したいだろうに、実際になされていることは逆であるような気がする。最近では企業の研修もいろいろと工夫がなされており、新入社員が興味を持てそうな内容の研修もあるのだが、それだけではその後がうまく行くのだろうかと思う。複雑な現代社会だからこそ、それを可能な限りクリアに理解できる人が必要だと思うのだが...。テキストを変更することは無理があるので、こちらでいろいろと新しい工夫をすることが必要になりそうだ。悩みは尽きない。
May 10, 2007
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今日は朝から健康診断。胃の検査と血液検査があるので、前日午後9時以降は何も食べるな飲むなとのこと。それがちょっとでも精度の高い診断になる方がいいので、もちろん言いつけを守る。そうなってくると、起きているのが気分的にしんどいなと思うようになり、結局いつもよりかなり早い時間に就寝。ところが、のどがどんどん乾いてきて、夜中に2度ほど目が覚めた。やはりいつもと違う状況に身体は反応するということなのか。朝は6時前にシャキッと目が覚めた。しかし、身体がカサカサしているなというのは感覚でわかる。シェーバーがいつもと違ってまったく滑っていかない。しょっちゅう止まってしまうのだ。洗顔フォームをつけて顔を洗っても結果はほぼ同じ。もちろん、乾いているなということがよくわかる。とにかく早く受診しようと大学へと急ぐ。着いたらすぐに会場へ。しかし、みんな考えていることは一緒でいっぱい並んでいる。みんな我慢できないわなあ、生理的なことだし。というわけでそこそこ並んでから受診。晴れて無事終了。やっと朝食の時間だ。
May 10, 2007
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(↑プレゼントの一輪車)娘が誕生日のプレゼントとして欲しがったのは、ゲームでもお人形でもなく、一輪車だった。それはどうやら、一番仲良しの子が乗れるようになったときいたからということらしい(妻によると、本当はその子のお姉ちゃんが乗れるということで本人は乗れないらしい)。対抗意識なのかと言えば、そうではなくて、一緒に乗って遊べるようになりたいからなのだと娘は言う。娘が何かを始めたいと言い出すときには、必ず友達の存在があるようだ。ピアノをやりたいと言い出したのも、仲良しの子(一輪車とは別の子)が音楽教室に通っているのを知ったからだったし、ヴァイオリンを始めたいと言い出したのも、また別の仲良しの子がチェロを習っているのを知ったからだったようだ。ただ、ヴァイオリンという楽器を選んだのは、私がやっているのを見ていたからだったそうだが。友達のやっていることにあこがれて物事を始めることがどのようなケースでもいいわけではないのだろうが、今のところはそれで生活が楽しくなったようで、よかったと思う。飽きてやめるという風でもなく、どれも上手になろうと懸命に努力している。親の私が見習わなければならないような気になるものだ。妻が娘について最近驚いたことがあったようで、それは音感なのだそうだ。電子ピアノの自動演奏を鳴らしながら息子とまた楽器を弾いて遊んでいたのだが、曲が流れる中でヴァイオリンの開放弦と同じ音が鳴った場所だけ、同じ音をつかまえて弾いているのだそうだ(4つの音をちゃんと弾き分けたそうだ)。妻はたまたまだろうと思ったそうだが、最後まですべて正確に合った状態で弾ききったらしい。一度私も聴いてみたいなと思う。もし、そういう才能があったとしてだから何なのかという話にもなってくるかもしれないが、何かにつながっていくものであればいいなと思うし、いろいろとトライしていってくれたらと思う。親バカだと思うが。娘は寝る前にさっそくリビングにあるソファーの背もたれを持ちながら一輪車に乗る練習をしていた。さて、一輪車についてはどのようにうまくなっていくのだろうか。一輪車に乗れない私にとっては乗れたらすごいことだなと単純に思う。楽しみに見守っていこう。
May 9, 2007
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娘の誕生日、朝一緒にごはんを食べることができたので、おめでとうと言えたが、仕事が遅くまであったので、帰ってからは顔を合わせていない。でも、とりあえず少しでも話ができてよかった。生まれた日のことは今でもよく覚えている。GW中が予定日だったのに出てこなくて、妻の実家から仕事のために帰った日の真夜中に「今から病院に行く」という電話がかかってきた。ただ、生まれるまでは時間があるだろうというので、翌朝出発することに。その日あった全部の講義を休講にしてまたすぐに妻の実家へ逆戻り。GW明けで品薄だった電器屋で慌ててデジカメを買って持って行った。使い方は昼食を取った高速のSAの食堂で説明書を見て覚えた。病院に着くと比較的すぐに分娩室へ妻が行った。立ち会うつもりでいたのに、痛がりながら「けっこうです...(この人たぶんダメ)」と言われてショックだった。あとは、無事生まれてきた。とてもかわいかったな。それからもうずいぶん経った。幼稚園に行くようになった。言葉も早く覚えて、自転車も早く乗れるようになって、自分でピアノとヴァイオリンを弾きたいと言い出し、ちゃんとやっている。いろいろとあったし、ずいぶん怒ったりもしたけれど、向上心のかたまりのような娘を見ていると本当にうれしくなる。「最高にかわいい時期は今ですよ」などとよく言われたりするが、まだしばらくはそう思えるだろうと思っている。父である私にできることは何だろうかといつも思う。とにかくまっすぐ今まで通り育っていくお手伝いをすることだろうか。子供の成長過程はまだまだ未知の世界、とにかく娘がもっと大きくなったときに恥ずかしくない父でいられること、それがやるべきことであり、できることなのかなと思う。「誕生日おめでとう。これからもよろしく。」娘の寝顔を見ながら心の中でそう言っておいた。
May 8, 2007
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(↑お茶でも飲んで落ち着こう)どうもここ何日か、イライラすることがたくさんあった。問題の根っこはいずれも「組織を動かすことの難しさ」にある。意見を求められて組織全体のことを考えてこのように改善してみてはという提案をしても、いずれも返ってくる答えは否定的だった。納得できるフィードバックがあれば、ごり押しをしてまでどうにかしようとは思わないのだが、あまりにも事実誤認されていたり、「組織なのだからしょうがない」と言われたのでは、ちょっと空しい気もする。もちろん、「組織なのだからしょうがない」という人が少なからずいることは理解できる。しかし、平時ならそれでもいいが、非常時に近い状態でそう言われてしまうと、その後打つ手がなくなってしまう。自分が所属する組織ではまだ「若造」であるから仕方のないことだと言ってしまえばそれまでなのだが、組織にとって「痛い」意見はどうしても無視されやすいというのはどこでもあるのだなとここ何日かで実感している。「正しいと思えることでも言い方がダメならそもそも話を聞いてもらえない」ということは理解しているので、聞いてもらえるようになるまでいろいろな積み重ねは必要だとは思うが、事が起きてからでは遅いこともある。しかし、怒りにまかせてしまって切れたら終わりなので、平和的解決を図るためにいろいろと行動しなければならない。ただ、こればっかりは相手からの歩み寄りもないと難しいので、やっぱり時間はかかるかなあ。大手術をせずに組織が環境変化に対応していくのはとても難しいのは、企業じゃなくてもそうなのだなと実感した。こういう状況にイライラしてしまう自分ってやっぱり大人げない、ダメな人なのかなあと思えてしまう。
May 8, 2007
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これって、とても大事なことだと思った。昨日の日記で書いた平謝りの話、相手は年輩のご婦人、面識のある人だった。実際に傷つけた現場を見られたわけではなく、程度もかなり低かったので、シラを切ることもできなくはなかった。しかし、やはり気持ち悪い。妻も謝りに行くべきだと言った。 自宅の場所を知らなかったので、まずとにかく電話をかけて謝った。最初は驚いた様子だったが、傷の程度を聞かれ、正直に申告、すると「よく言ってくれましたね。その程度なら問題ありません。お子さんを叱らないであげてくださいね。」と言ってくださった。ちゃんと謝れたので安堵したのと、ご婦人の優しさに電話を切った後、泣きそうになった。 正直に話せば許してくれる(もちろん、被害が小さいと判断されたからだろうが)ことのありがたみを感じた。いろいろと理由をつけて絡んでくるケースも多かったりもするし、逆にシラを切られて泣き寝入りというケースも世の中には多い。でも、正直に話して謝ることは、やはり社会で生きていくためには大事だ。また、正直者がバカを見ない社会であることも大事だなと思った。 子供の教育用教材では必ず出てくる話だが、さて大人はこの状況をどれだけ実現できているのかなとも思った。
May 7, 2007
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というのは、今日、娘と息子が2人で作った曲のタイトル。おもちゃのギターと本物のヴァイオリンのコラボである。といっても、ギターはデタラメであるようなないような微妙なリズムを刻み(こちらは音程がない)、ヴァイオリンは開放弦(4つしか音がない)でこれまたデタラメなメロディを弾いている。が、それなりに面白い。娘がノリノリで弾いている姿は、練習をしているときよりも姿勢も弓づかいもうまいのが何とも不思議だ。練習でちゃんとやってくれ...。しかし、なぜこのタイトルなんだろう。今日は、弟ファミリーが帰ってしまうということで、実家に行き一緒に昼食。母のばら寿司を大喜びで食べていた。その後、私の車で空港へ送っていく。両親まで乗せられる今度の車はとても力持ち、快適にドライブできた。帰った後は、子供に手を焼く。まず、息子が他人のものにちょっと傷をつけて(もちろん悪気はなく、アクシデント)しまい、相手に平謝り。親としての責任ってこういう時に問われるのだなと思い、落ち込んでしまった...。その後、娘が片づけをしないで妻に怒られて大げんか、妻もヒートアップしていたので、私が間に入って、片づけさせる。何のためにちゃんと片づけなければいけないのか、どうやって片づけるのが大事なことなのか、静かな口調で対話しながら何とか片づけさせた。娘も納得したようだ。GW最後の日、とにかく疲れたな...。明日からまた気持ちを切り替えて仕事だ。しかし、実はGWの方が体力を使ったような気もする。
May 6, 2007
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それだけですごいことだとここ数日実感している。もちろん、これは他人を相手にして合奏をきっちりと成り立たせるという意味での指揮であり、オーディオセットの前で気持ちよく振っているそれとは別の話だ(それはそれできっと気持ちいいのだろうとは思う)。先日、知人から指揮者講習会のビデオを見せてもらった。この講習会は、コンクールに出られるような第一線の指揮者を教えるのとは少し違うものだった。こういった講習会はピアノや弦楽四重奏を前にして指揮をして、教わるというスタイルが多い。見ていると、いろいろな意味で勉強になる。先生が指摘している内容はもちろんのことだが、受講生の指揮の仕方を見ているだけでいろいろなことがわかる。テンポキープの難しさ、左手の使い方の難しさ、打点を打ちすぎるためにその直前の振り方がいい加減になりやすいという難しさ、そして何よりも、演奏を形にするように引っ張っていくことの難しさがよくわかった。引っ張るためには常に1拍先を見越して棒を振り下ろさなければならない。オーケストラに引っ張られてしまったら、そこでアウトだ。かといって、引っ張ろうとしすぎるとオケは絶対について行けない。いい指揮者とは、常に先を見越して案内し、お客さんの疲労の程度などをきっちり見ながら登っていくペースを考えられる山のガイドのようなものであるような気がする。ガイドをするためにはもちろん、行程のすべてを頭にたたき込んでおかなければいけない。足を踏み外しやすい場所、疲れやすい斜面、安心して休息できる場所、もしもの時の対応方法などなど...。だからこそきっちり勉強しなければいけないのだと思う。それも誰と誰がかみ合わなければいけないのかとか、ダイナミクスがどうだとかというのは当たり前の話で、例えばアンサンブルが乱れやすい場所で誰に向かってメッセージを送るようにすべきか、どのようなニュアンスで弾いて欲しいのかをも考えなければ、うまくいかない。動きは足りなくてもいけないし、無駄があってもいけない。私はそこまでできないが(っていうか、それを完璧にできるからこそプロなのだろう)。指揮を見ながら弾く立場にいると、そのあたりがたくさん見えてくる。こういうのはダメだなと思うのは...・予備拍と演奏が始まった拍のテンポが違う・アンサンブルで危ないところを練習するのではなく、とにかく振る側にとってやりやすい場所や、自分が好きな場所から練習する・奏者に呼吸をする間を与えない(6拍目から始まるときに1,2,3,4,5,という。運動会??)・大きい動作の方がわかりやすいと思って大きく振りかぶりすぎてテンポが遅くなる。しかもそれで「速いからダメ」と奏者のせいにする・拍を数えると流れが悪くなるから数えるなと言う(これをやると誰かが一回崩れたら二度と取り戻せない。体で拍をとりすぎて表現が悪くなることはあるかもしれないが、それとちゃんと数えることとは別の話)・自分が参考にしたCDの通りになっていないとダメ出しをするとまあ、こんなところか。確かにテンポキープのみの練習とかはつまらないとも言える。しかし、テンポキープできないまま練習してもまったく意味はない。要はバランスだと思う。表現をないがしろにすることなく、音の各次元(音程、ダイナミクス、テンポ)について要点を押さえていくことが必要だと思う。とかいいながら、自分がやるべき立場に立ったときにどこまでできているかどうかは不明。全員を満足させる練習はアマチュアでは無理なことだとは思うが、せめて「それはアカンやろ」と言われないようにやっていこうとすることがとても大事なことだと思う。私に指揮を教えてくれた音楽の師が言っていたのは「指揮というのは奏者がやりたいことを邪魔しているとも言える。邪魔をするのにはそれなりの覚悟がいるし、やり方というものがある。邪魔をさせてもらうのだから、その分全体をより高いところに連れて行けなければみんなに納得してもらえない。だから勉強しなければいけないんだ」ということ。だから謙虚でなければいけない。その場で納得できないクレームがもしあっても、実際には後で自省してみると確かにそうだと思えることがたくさんある。考えれば考えるほど、普通にちゃんと指揮できることというのはすごいことなんだなと思う。やはりそれは職人技だ。料理で言えば「鉄人」と、上手なアマチュアでも「主婦が認める料理上手の主婦」、普通の人なら「小学生」ほどの違いであると思う。ここまで書いてくると、「オケで指揮をやったことがあります」なんて少なくとも「胸を張って」言えたものではないなと思うのだが...うまく行ったときはやっぱりうれしいものだ。まあ、ホームランではなくシングルヒットなのだが、それでもあるとうれしい。
May 5, 2007
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今日は地元のだんじり祭りの日。朝起きるとすぐにだんじり囃子の音がした。いよいよ5月だということを実感する。昼は、両親と弟ファミリー、そしてお世話になっている父の友人夫妻、私の家族と大勢でいつも行く繁華街のビヤホールへ。我が家の節目にはいつもこの会合が盛り込まれている。談笑しながら、嫁の方々もしばし休息の時間。子供が大きくなってきて、かなり気分的に楽になってきているようだ。駅を降りて帰宅途中にだんじりに遭遇、しばらく息子と付いて歩く。その後帰宅してしばらくしてから実家へ。実家では母が子供用カレー、父が大人用カレーを作って待ってくれていた。カレーはおいしかった。定年後の趣味として料理教室に定期的に行っている父、いい感じになっている。おいしい夕食に感謝である。その後は、だんじり祭りのクライマックス、夜の宮入りを見るために、近くの神社へとみんなで行く。提灯を灯して回ったり傾いたりと、勇壮な姿がいつ見ても素晴らしい。みんなの見せ場で張り切るところだ。子供たちも気に入って見ていた。ご機嫌で自宅へ戻る。GW後半の風物詩は、明日もある。地域の至る所でだんじりとすれ違うことになる。きっと子供たちも大喜びだろう。
May 4, 2007
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今日もとてもいい天気。妻子共々、GWは完全に家族サービス要求モードだ。というわけで、今日も車でお出かけ。妻は弁当を張り切って作り、子供たちは張り切って持ち物を準備していた。私はは高速道路などの渋滞状況や時間などを見ながら慎重に行き先を設定する。そして、いざ出発。最初に行こうとした場所は郊外の森林公園。行くまでにかなり鄙びた場所を通っていくので、緑がとても目にいい感じ。渋滞もなくすんなりと到着。が!!駐車場に行こうとすると、恐ろしく並んでいた。公園に入るまでに1時間ではきかないほどの台数。歩く人の数も通常ならあり得ないだろう感じ。仕方なくあきらめ、混んでいなさそうな場所を、頭のナビをフル回転して検索。比較的近い場所にそれらしき場所。しかし、同じ状況かも知れず、どきどきしながら向かう。次に行った場所は、駐車場がまだ空いていた。というわけで判断は正しかったようだ。みんなに何とか文句を言われずに済んだ。公園に入って、芝生と遊具のある場所へ。そこで木陰を見つけて弁当の時間。その後、子供たちは遊具ではしゃぎ回っていた。しかし、自転車とアンパンカーが乗れないことが不満だったようで、「場所を変えよう」と娘が言いだした。仕方がないので、別のもっと遊具がたくさんあって自転車も乗れる公園を探す。これはその近くに心当たりがあったので、すんなり見つけた。ただ、近所でお祭りがあったようで、駐車場はいつもとは違ってほとんど満車。さすがGW、恐るべし...。何とか車を入れて、丘を登り、子供たちがようやく満足できる遊び場所へ。もちろん、全開で走り回る。ところが、木陰がほとんどない場所で、私と妻はジリジリ...。やっと四阿の地面が空いた(ベンチなんてまったくダメで地面すらいっぱいだった)ので、そこで座り込んでゆっくり。妻は半時間以上熟睡していた。というわけで、私は子供たちの相手をする。みんな満足して帰る。夕方からは今日来た弟ファミリーと共に実家で夕食をいただいた。嫁2人はゆっくり座らせてもらえると大喜び。子供向けの料理はもちろんのこと、大人向けの料理がちゃんと出てくる。母は以前このことに関して「大人がゆっくりできる時間があった方が、子育てにはいいし、日常は子供メニューになりやすいだろうから、たまには大人のメニューもあった方がいいからね」と言っていた。きんぴら、たことわかめの酢の物、刺身などなど、ありがたいことである。家族揃って満足して帰宅した。先日の公園でやたらと焼けてしまった(同僚にも指摘されてしまった)のだが、今日でまたまた日焼けしたような気がする。
May 3, 2007
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「春」と名の付く曲はいくつかある。最も代表的なものはヴィヴァルディの「四季」にある「春」、あといろいろあるが、新緑の季節の風景に合うのは、この曲ではないかなと思ったりする。シューマンは4つの交響曲を残しているが、その中でも最も活き活きとした感じがする。作曲されたのは1841年、たったの4日間でスケッチは完成され、1ヶ月でスコアも完成されたというから、あふれる出す感覚をそのまま楽譜にしていったのだろう。彼は当時、シューベルトのような交響曲を書きたいと考えていたらしく、さらにその当時読んだ春の詩が重なって交響曲として着想されたそうだ。そしてこの曲は、メンデルスゾーンの指揮で行われた。-------------------------第1楽章:最初はホルンとトランペットのファンファーレと木管と弦による応答でスタート。この最初のフレーズの構成音が、着想時に考えられたものとは違っていたというのを高校生の時に「レコード芸術」で読んだように思う(記憶が若干曖昧だが)。現在のスコアだと「シ♭・ド・レ」が構成音なのだが、当初は「ソ・ラ・シ♭」だったのだという。では、なぜシューマンがそうしなかったのかといえば、当時使われていたホルンでやろうとするとクシャミのような音がするからだったということのようだ。興味深い話だったので大まかな話の流れは覚えている。確か、バーンスタインの録音に、着想バージョンがあったと書いていたように思う(あと他に主部で1箇所♭が♭♭(ダブルフラット)になっている場所が確かあったはず)。序奏の部分は、最初は変ロ長調なのだが、いきなりいろいろな調の和音を行ったり来たりするので、「あれ?」と思う動きになる。とはいえ、それもとてもさわやかな音楽だ。弦楽器が3連符で草のざわめきのような音を出し、それに木管のシンコペーションで生き物が動き出し、金管で光が差し、そしてアレグロの主部に入り、春がやってきたという感じ(いわゆる「春爛漫の...」という感じかな)。その後の第2主題に当たる部分は、主題とはちょっと言いにくい断片的な感じ。第1主題とこの第2主題によって展開部が後に来る。途中に出てくるトライアングルが何ともいい味を出しているように思う。その後、いきなり曲はゆっくりになって序奏の断片が登場し、その後でまた第1主題の世界へ戻る(「運命」第1楽章のオーボエソロの部分のような感じ)が、第2楽章のしっとりとして雰囲気を若干漂わせつつも、最後は快活に終わる。-------------------------第2楽章:変ホ長調のゆっくりとした音楽。夕日をバックにした菜の花畑のような始まり。シューマンの交響曲にあるゆっくりとした楽章には優しさを感じるが、その原点にあるものである気がする。途中チェロで主題が変ロ長調で演奏されると、第1楽章の主題との関連性が一気に浮かび上がってくる。やはり交響曲を作曲できる人はすごく頭がいいのだと、いつも通り感じてしまう。音符が細かくなってくると少し波風を感じたりはするが、あくまで読点を打つ場所は優しい雰囲気に戻る。主題が繰り返されるときに細かい音符で伴奏が付くところもちょっと「運命」っぽさ(第2楽章)がある。しかし、この楽章は「?」な感じを残して、なんと第3楽章にアタッカする(切れ目なく続く)。-------------------------第3楽章:ニ短調のワルツ風のスケルツォ。シューマンはこの楽章に当初「楽しい遊び仲間」というタイトルをつけていたが、確かにそういう雰囲気がある。トランペットが3連符を伴う「運命」のモチーフを吹いてフレーズを終わらせる方法はなかなか洒落ている。第1トリオはニ長調で2拍子に変わる。遊び仲間が女の子から男の子に変わったような感じだろうか。主題に一度戻った後第2トリオへ。こちらは変ロ長調でスピードもアップ、遊び仲間がさらにやんちゃになった感じ。再び主題に戻った後のコーダは遊びが終わって帰る前という感じだ。-------------------------第4楽章:あまり終止感がないまま第4楽章へ突入。弦楽器の急速な上行音型を伴ったファンファーレ風の開始。第1楽章とは違って「優美に」という指示があり、2拍子でありながら軽く跳ねている変ロ長調の面白い音楽。こちらも春色満載である。ファンファーレ風の音楽軽くと跳ねる音楽が基本にあって、それに違ったエピソードが挟まる感じになっている。途中、木管楽器が中心になって展開される音楽ではちょっと風が出てきたかなという感じで、それが静まるとホルンの呼びかけにフルートが応えるのだが、鳥の鳴き声を模したのだろうか。それが終わると共にまた軽く跳ねる音楽が再登場。しばらく続いた後で曲のテンションはどんどん上がっていく。この過程で出てくるトロンボーンが「やっと出番があってよかった」という感じ。最後は春の喜びを歌い上げるように終わる。-------------------------この曲は、演奏する機会がありそうでなかなか巡りあわない曲の一つ。木管楽器がとにかく重要な位置を占めていて、腕に覚えのある人が揃うと映えるのかなという感じがする。この季節になると聴きたくなる曲の一つである。
May 2, 2007
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というわけではまったくないのだが、妻が某商業施設へ連れて行ってほしいというので、子供が幼稚園に行った後、2人で行くことに。実は私もそこへは行って見たいものがあったので、乗り気で一緒に行った。カレンダーは黒でもやはりGWの中日、いつも平日に行ったらガラガラで、ゆとりを持って買い物に行けるのだが、今日はさすがにそうは行かなかった。駐車場も建物からかなり遠い場所に誘導された。商品がなくて困ったということはまだなかったが、いつも行っているインド料理屋は、通常あり得ない満員大盛況である。いつも通り料理は美味しかったが、ナンは出てこないし、サフランライスは忘れられるしと、いつもに比べればボロボロ...スタッフが揃わずにうまく店が回っていなかったようだ。店を出て妻が一言、「混みそうな日にここへ来たらダメだな...」、まあ確かにそうだな。昼食後は各自好きな店を見て、子供たちを迎えに行って帰宅した。
May 2, 2007
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意外なほどに出席者がいた夜の授業。もともと人数は少ないので、教室の中のスカスカ感は否めないところだが、とはいえちゃんと来ていて、さらに何より昼の授業と違うのは、みんなちゃんと聴いていることだ。私語もなければ寝ている人もいない。わざわざGW期間中の夜に来るのだから、それだけでも意識は高いことは予想可能だが、それにしても授業のやりやすいこと。ただ、ぐったり感も少々あったりしてテンションは高いとは言えなかったのだが、それは仕方のないところかも知れない。終わった後も前向きに質問に来る人がいて、なかなかいい終わり方だったように思う。終わった後は同僚とラー研。帰り道にある店で、軽めに終了。帰ったら日付が変わる直前だった。12時間労働、かなり疲れたが、「終わりよければ」とはこのことか。
May 1, 2007
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自分が仕事であるのが不満だというわけではない。遠くに泊まりがけで出かける用事があるわけでもないし、混む時期に動かなくてすむのなら、それはそれでいいことだ。というわけで、大学はカレンダーどおり、夜まで授業がある。私が学生の頃は、GWといえば「自主休講」(要するに行かない)が当たり前という感じだったし、先生自身が軒並み休講にしていた。のんびりとした時代の産物だったのかなと今にしてみれば思うのだが、現在のルールでは、休んだ分は必ず補講することになっているので、かえって後でしんどい思いをしてしまう。それならば、やれるときにやっておかないとということになる。とはいえ、教員がそういう状況だとしても、学生はどうなのかなと内心思いつつ授業に行ってみたら、7割近くの学生が出席していた。出席点サービスでも期待されているのか、そういう授業や欠席にペナルティーを与える授業があるからついでに来たのか、はたまた本当にやる気なのか。理由は知る手段はないのだが、とりあえず来たという学生がいることは確かだ。気温が高いせいもあってか、ちょっと時間が経つと私語が出てき始める(最近暖かくなってきてからこの傾向が出始めた)。「しゃべるぐらいなら、わざわざ来なくてもいいのに、何しに来ているのか」と叱ること2回、何とも情けない気持ちになった。もちろん、授業にも何らかの問題がないとは言えないのだが、無関係な私語で他人に不快感を与えるのは困ったことだ。GWに「来る」ことだけでは、プラスに認める理由にはならない。GWに来て何らかのことを「得る」ことにこそ意味がある。意味のない時間をつぶすほど、時間が有り余っているわけではないだろうにと思った。さて、夜はどうなることやら。
May 1, 2007
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