2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全43件 (43件中 1-43件目)
1
今日で2007年もおしまい。個人的には可もなく不可もなくという感じだろうか。よくなかったのは、例年になく体調を大きく崩す回数が多かったこと。これはやはり無茶をやめろということで、体の曲がり角に来ているということなのだろうか。来年は、とにかく体を大事にしつつ鍛えて出直しかな。オケもパートが変わったことだし、これまた出直しかな。来年はどうやら再度気合いを入れ直さなければいけないようだ。明日から、心も新たに過ごそうと思う。さて、そろそろ実家に行って年越しそばを両親と弟ファミリー、うちの家族とでいただくことにしよう。今年もこのページに遊びに来ていただいた皆様、どうもありがとうございました。私がよく訪れているページの皆様、いつもいろいろと勉強させていただきましてありがとうございました。いずれの皆様も、よいお年をお迎えください。
Dec 31, 2007
コメント(0)
昨日の話。毎年、この日は必ず大学オケの仲間が集まって忘年会をすることになっているので、今年も当然その流れ。1次会は夕方からのはずだが、0次会とか-1次会などと称して、昼間から集まっているメンバーもいた。別名「大食倶楽部」、メンバーは1次会の前ですでにお腹いっぱいだったそうだ。私は家庭での用事を済ませて夕方からの参加。総勢40人、待ち合わせ場所から会場への移動はほとんど遠足状態である。同期の参加者は3人だが、私はほとんどのメンバーの顔と名前を知っているので、問題なくあちこちの人と話をした。現役学生も参加していて、現在の学生オケの状況なども聞き、逆にこちらも学生さんからの質問に答える(これは仕事ではなくオケのこと)。一次会、二次会と楽しく話し込み、そこそこお酒も飲んだ。さすがに自宅まで1時間ほどかかる場所で、オマケに乗り換えもあったので、暴飲暴食はせず、とにかく楽しく話をメインにして、最終1本前の電車で帰ることに。やはり年末、人の動きも多く、いつもならそこまで混まないであろう電車も混んでいた。こちらの仲間とも楽しくやって、無事年を越せそう。来年も12月30日は空けておかなければ...。
Dec 31, 2007
コメント(0)
昨日の話。昼過ぎから室内楽で楽しむ。オケの若い人々はわりと頻繁に楽しんでいるようだが、子供がいるとやはりその頻度では無理で、ごくたまの楽しみということになる。もちろん、その分だけ密度の濃い楽しみ方になった。 取り組んだ曲は、幹事が持ってきてくれた楽譜を中心に、モーツァルトのカルテット(K100番台だったが番号は忘れた)、ドボルザークのカルテット14番、ブラームスのカルテット1番だった。 幹事とは、ほぼ毎週練習後に飲みに行くのに、カルテットのバイオリンの相方は初めて、こういう組み合わせもなかなか楽しい。 幹事が言うのには、「ブラームスでさんざん疲れてからモーツァルトで爽やかに終わる」はずだったのに、結果は正反対で最後はブラームスをこれでもかと弾きまくって終わりになった。最後にハ短調で、フォルティシモで「運命」のリズムと「ドドドド…」という怒涛の刻みで締める年末ってどうなんだか…。 室内楽終了後は、オケの他のメンバーを交えていつものビヤホールで忘年会。唐揚げを美味しく味わう。しょっちゅう飲んでいるはずのメンバーが結局集まってくるというのは、やはり楽しい。2次会もいつものバーで。もはや、偉大なるマンネリとも呼べそうだが、楽しいからこれはいいのである。 いつもの気の合う仲間で無事に年を越せそうだというのは幸せなことだ。
Dec 30, 2007
コメント(2)
仕事も一段落ついて、今日からやっと年末だと感じる忘年会ゾーン。今日の楽しみはオケの仲間と室内楽をやること。メンバーの一人がスタジオを借り切ってくれたので、思う存分弾ける。その際に、来月内輪のアンサンブルの大会(新年会みたいなもの)で演奏しようと思っている曲の練習もするのだが、今回は自分の好きな曲をセレクトした上で協力してもらうため、演奏について昨夜布団の中でいろいろと考えていた(眠れないので始めたら意外とすぐに眠れた)。参考にしているCDを聴いていて気づいたことがあった。それはテンポの揺らし方が無理のない範囲で自由自在に行われていることだ。メトロノーム的に数えていると部分的に合わなくなってくるのだが、大きく全体のテンポ感を聴いていると、大きくずれてはいない。しかも、それぞれのフレーズの役割に見合ったテンポの揺らし方になっているのだ。確かに、楽譜上では、テンポを揺らす指示は書いていない。もちろん、弦楽四重奏に指揮者はないので、お互いの様子を見ながらやっているのだろうな。プロはスゴイ。知り合いの指揮者が言っていたのは、「指揮者は微妙な時間を操作して曲を作り上げていくという役割がとても大事だ」ということ。確かに、メトロノーム代わりでは意味がない。微妙な加減を瞬時の動きでオーケストラに伝えて演奏を変えていくのだから、大変な仕事だ。「微妙な加減まで自由自在」というキーワードが潜在意識にあったのか、昨夜見た夢に、広島東洋カープのピッチャーだった北別府氏のインタビューの場面(昔テレビで見た記憶のある場面)が出てきた。そこで言っていたのは「ボール半個分の出し入れをホームベースの端でできる」ということだったと思う。続いて野球中継(やっぱりサンテレビの阪神戦)の映像が出てきて。2ストライクからの決め球に対して審判がストライクのコールに迷っているシーンが出てきた。これも小さい頃からよく見た場面だ。やっぱりプロはスゴイねえと目覚めてから妙に感心。今日練習する曲の中で、そういう微妙な操作をしてみたい箇所が結構見つかった。指揮だとこうするんだろうなという動きが想像できるのだが、これをどうやったら楽器を弾きながらうまくやれるのか、アイデアを模索するが実際にやってみた方が早いなと思い始めた。イメージをふくらまして、あとは午前中にちょっと練習してみて出かけてゆくとしよう。
Dec 29, 2007
コメント(0)
やっと卒論のコメント全員分を送り終えた。ゼミ生にとっては冬休みの宿題になる。人数に分量どちらをとっても全部読むのはやはり骨の折れる作業だ。作成過程でいろいろとコメントはしたが、やはり全部出来上がったものを見ると、言いたいことは出てくるものだ。もちろん、ちゃんと修正作業をしてもらいたいので、コメントの仕方には気を遣う。同じ言うのであれば、あくまで前向きに取り組むようにするのがいいかなと思う。こういう時にメールって便利だなと思うと同時に、昔なら入試の時期がもっと遅かったからもう少し時間をかけてできたことが、前倒しになったためにできなくなったとも言えるような気がする。そういえば、卒論を読んでいる合間、午前中に娘のヴァイオリンのレッスンがあり、それを見学させてもらった。というよりも、あれこれ忙しくしている妻の代わりにレッスン内容のメモを取るという役割。しかし、先生は私の友人ということで、「お父さんも楽器を出してください。一緒に弾いてもらおうね」ということになり、一緒に演奏もした。まあ、先生としてもいつもと違う刺激があって楽しかったのかなと思う。娘が教わっているのを横で見ていると、先生の教え方はやはりうまいと思う。親が教えると子供はどうしても甘えてきたり、逃げ道を探したりするし、こちらもヒートアップしてしまう可能性があるので、練習に付き合ってもなかなかうまく続かないような気がする。しかし、やはり教え方を見ていると参考になることがたくさんあるなと思った。それも収穫だった。話は戻って、これで一応仕事は一区切りかなという気がするのだが、次から次へやることはたまっている。風呂敷残業状態だが、風呂敷の中身がいっこうに減った気がしないのだ。しかし、気持ちにはやはり一区切りつけたいなと思う。明日と明後日の忘年会がそのきっかけになるのかなと思う。特に気持ちを休めたいかな。
Dec 28, 2007
コメント(0)
先ほど、ネットのニュースを見ていたら、また救急車で搬送先を探している(たらい回しされている)うちに、患者が亡くなってしまったというニュースがあった。大きく取り上げられたのは今年だけで3度目である。今回の場合も、救急車に乗ったときには、患者に意識はあったそうだ。それなのに、30箇所近い病院に搬送を断られていたのだ。こんなことを繰り返していたのでは、助かる命まで助からなくなってしまう。おそらく現場ではそれぞれが仕方のない状況で動いているのだろう。病院側も医師が不足していて、担当の医師がいないということもあったりするので、単純に責められるというのもそれは気の毒な話である。詳しいことは知らないのだが、医療と救急のシステムにやはり大きな問題があるということなのだろう。しかし、救急車を巡っては、こういったもの以外にもいろいろな問題が起きている。例えば、タクシー代わりに救急車を使う人が少なからずいるということだとか、救急車の通行に障害となるような放置自転車や違法駐車車両があったりするだとか、こうなってくると、救急車に乗れないだとか、乗れても命を落とすとか、そんなことにもなりかねない。最後の頼みの綱がこれでは、本当に心許ないと思う。年金の問題にしてもメチャクチャ、医療にしても、そして救急までもこれだと、命に関わるリスクが高くなるばかりである。みんなで安心して住める日本社会はもはや幻想ということか?
Dec 28, 2007
コメント(2)
やっぱりしておきたいなと今日は思った。朝、母から電話があり、「行きたい場所(両親が用事で行く場所で私も知っている)に、行きたいんだけど、連れて行ってくれる?」という話。少し距離が遠い場所だ。父は風邪気味で車を運転して行くにはしんどいという。両親は私に対してあれこれやって欲しいということをほとんど言わずに、自分でやってしまうところがある。そんな様子をわかっているから、きっとしんどいのだろうと思い、すぐにOK。待ち合わせ時間までに卒論を読み、コメントをメールで送りという感じ。風邪気味の父はやはり時折辛そうな感じがした。それでも道中話をしながら、目的地へと行く。用事をしている間、私はひたすら待つのみ。いつものAMラジオを聴きながら、時間を過ごす。帰りも話ながら帰るが、今度は母が疲れたのか後部座席でぐっすり。夕食の買い物にも付き合い、実家まで送って帰宅。今日一緒に動いて思ったのは、やはり両親も年を取ったなということ。自分がこの年だから当たり前だといえばそうなのだが、今日は特にそれを感じた。今まで、自分や家族の体調が悪いときなどにいろいろと助けてもらっているが、これからもお互い様だなと思った。何が親孝行なのかというのは、ずっと考えていかなければならないことだが、とにかく大事にしなければとさらに強く思うようになった。
Dec 27, 2007
コメント(4)
今日はいい天気。明日も何とか天気はもつものの、明後日からは正月までずっと天気は悪いようだ。妻が風邪気味でゆっくりしたいとのこと。子供たちは外へ出たいとうずうずしている。そこで、午前中はレポート採点と卒論読みを目一杯やって(授業はなくても完全に風呂敷残業状態である)、昼食後、頭も目も疲れた頃に、子供たちを外に連れ出して散歩することに。今日は先日行ったのとは反対側の隣の駅まで行くことにした。そこにはちょっとした商業施設があり、子供たちはその中にあるたこ焼き屋と100円ショップに行きたかったようで、リクエストがあった。行く途中には、子供の幼稚園友達の家が点在していて、ここが誰のうちだとか教えてくれる。しばらく歩き、目的地の近くまで行ったところに公園がある。子供たちは目ざとき見つけ、遊びたいといいだした。まあ、時間もあるし、暖かかったので、今のうちに遊ばせようということで、ゆっくり遊ばせた。電車の線路沿いにある公園なので、息子は遊具の上からずっと電車を見ていた(5分に1本は電車が通るので)。娘はアクティブにいろいろな遊具で遊んでいた。この公園には小さな池があり、おじさんが釣りをしていた。そう言えば、小学校の頃にここでフナを釣っていたかな。今もいるのだろうか。その後は商業施設で子供たちの目的にあわせて動くことに。たこ焼きを食べ、100円ショップへ。しかし、思ったほど盛り上がらず、結局二人とも「さっきの公園に行く!」というので、結局戻ることに。自宅までの時間を計算して遊びをキリのいいところで切って、また歩いて帰った。帰りは電車沿いの道をひたすら歩いて帰る。子供たちは大喜び。結局、今日も往復で約4.5キロ、とても健康的。娘は疲れたと言っていたが、息子はまだまだ歩けそうな勢いで帰ってからも走り回っていた。おそるべし、子供たちのパワー...。私も疲れたが、とても気持ちがよかった。さて、また卒論の続きでも読むことにしよう。
Dec 26, 2007
コメント(0)
最近の社会をよく表しているような話。妻が医師である友人から聞いたという話で、最近来る患者さんは自分のことをお客「様」だと思って無理難題を言うのだという。無理難題を言うお客様は特に2つのタイプに多いのだとか。1つは定年後の男性。いきなり椅子にどっかと座って「アンタは医者なんだから、体の悪いところは見たらわかるはずだ。どこが悪いか今から全部言え!」と言うのだとか(これは極端な例だそうだが、少なからずこういうことを言う人は多いらしい)。そして「見ただけではわからない」というのをソフトに言い換えて言ったら「そんなんじゃ、アンタは医者として失格だな!」と叱責するそうだ。その患者にとっては、少し前までは言うことをきく部下がいて、それなりのステータスがあったのに、自分のプライドの持って行き場がないために、こういう場所に来てやっているのかもしれないねということだった。もう1つは20代の女性。「ネットで調べていい病院だっていうから来たのに、こんなに待たされるなんて聞いてない!」といきなり医者に対して食ってかかるのだそうだ。それは言っても仕方のないことだし。いい病院にはたくさん患者が来るのだから完全予約制でもない限り混むことは想定しておかなければならないことだ。現場の医者にそんなことを言ってどうするのだろうか。この場合の問題は、「ネットに書いていない情報がある」と食ってかかっていることだ。これは実際に大学で学生と接していて感じる実感でもあるのだが、とにかく情報を信じるかどうか、情報が正しいのかをチェックする尺度が「ネットに書いてあるかどうか」「検索ヒット数が多いか」ということなのだ。例えば、レポートで引用されているページを見てみると、確かにヒット数は多いが、ページの内容はお粗末でとても正しさなど担保されないものだったということもある。こういう場合、似たようなお題でいろいろな大学でレポートが出されて、それが芋づる式にヒット数を増やしてそうなったという経路も考えられる。こうなると、多くの人が見たというだけでは信用するための尺度にはならない。「ネットに書いてあること」を見ただけですべてわかったことにはならないという単純な事実を受け入れていないということだ。従来は、「お」医者「様」と言われていて、むしろ医者の方が上であるかのような感じでもあったが、今は逆になっている場面も多い。それは教師もそうだし、いわゆる「先生」と呼ばれる稼業は、むしろサービス業になっている。それはそれで基本に立ち返っているとも言えるので、いいことなのだが、今度は振り子が振れすぎて、逆に「お」客「様」になっている。お互いがたとえ「尊敬」できないとしても「尊重」し合わなければ、サービス自体がいいものにはならないのではないかと思う。敵意むき出しで行って何とかしろと言ったところで、相手も人間なのだ。だからといって開き直るのもよくない。やっぱり、最後は「お互い様」だろう。いろいろと教わったり、サービスを受ける立場の人が「私(あるいは、われわれ)がクライアントなんだから、私(われわれ)が気持ちよくなるようにしてもらわなければ。そうしてもらえないのなら切ればいいだけの話」と言っている場面に、最近よく出会う。それも一つの考え方だろうが、サービスを受ける側のくちコミがあるのと同じだけ、サービスを提供する側にもくちコミが存在する。「こういう客には気をつけろ」というものが。それが広がった後の帰結はどうなのかと言えば、「条件が少々悪くても仕事をください」というサービス提供者が来るだけのことであり、望んでいるサービスからかけ離れていく可能性が高い。やっぱり「お互い様」だと思わなければならない。お互いを尊重して、言うべきところは言っていくというかたちにしてこそいいサービスが成り立つのではないだろうかと思う。だいたい、こういうことを言い出すのは、やっぱり上で挙げたようなタイプの人に多いような気がする。ただし、このことに一般性があるかどうかはわからないのだが。最後に、学生時代の笑い話。あるカラオケ店で50分ぐらいのところで「あと5分です」という呼び出しがあったので、「それはおかしい!」と店員に抗議に行った友人に対して、店長が出てきて口論になった。店長がヒートアップしすぎて「お前、何様やねん!」(商売をする人としてこれはいくらなんでもマズイ)といったときに友人は言い返した。「お客様じゃ!」と。あまりの切り返しの早さと、一瞬で店内が静まりかえったその様子に、当事者以外はすぐに大爆笑となり、場は収まった。別の意味でお互い様だという気がするが、今ならこうは行かないのかな。
Dec 26, 2007
コメント(0)
今日は非常勤先での授業。月曜日に当たると、ハッピーマンデーで回数が減ってしまうため、本来なら休暇の時期なのに中途半端に授業がある。曜日によって回数に不公平があってはいけないという、それももっともな話ではあるのだが、月曜日だけこういうのもやりにくいものだ。しかも、クリスマスに学生が来るわけがない、と思っていたら少しは来た。もちろん、普通の時期に比べたら半分程度の出席。何ともまあ、わかりやすいというか何というか。心なしか、大学そのものも、人々の往来が極端に少ない。そんな中、授業はぼちぼちうまく進んだ。大事なところが今日やった場所なので、来た人はラッキーだったということだろう。これからは、とりあえず年末忘年会まで、卒論読み&レポートの採点+自分の研究に関連するネタ本読みで過ごそう。その合間に、子供たちの相手もしなければ。しかし、今日だけは早く寝てじっくり疲れを取ろう。翌日の心配をしないで済むことのありがたみを感じながら。
Dec 25, 2007
コメント(0)
今頃、街はすごい人なんだろうなと思いながら、ゆっくりと過ごしている。今日から卒論読み&コメントを開始。コメントはメールで返すことにしている。学生にとってはかなり無粋なクリスマスプレゼントなのかもしれないなと思いつつ、忘れてもいけないし、年越しはマズイので、できる時にやっておくことに。学生は「クリスマスで忙しいのにありがとうございます」という返事をもらった。たぶん、忙しいのはあなたたちの方でしょうね...。夕方から母が自宅へと来てくれた。毎年クリスマス会を両親と共にやっているのだが、今年は父が風邪をひいたとかで(病み上がりなので大事を取ったそうだ)、母だけの参加となった。子供たちは大喜び。ささやかな食事とケーキで楽しんだ。BGMは毎年ルロイ・アンダーソンの音楽と「くるみ割り人形(全曲)」。CD2枚で会をほぼカバーできてしまう。加えて、今年は娘がヴァイオリンを始めたと言うことで、最後に演奏のオマケ付き。妻と娘がヴァイオリンを弾き、なぜか私が弾けないピアノを弾かされることに。練習せずに弾けるかいっ!などと思いながら、音を間引きして弾いた。妻と私がいつもとは逆の楽器を使っているので、違和感たっぷりだったがなかなか楽しかった。ちなみに、息子はおもちゃを叩いて参加。クリスマスプレゼントをいただいて無事会は終了。父とは正月に一緒に楽しむことにしよう。
Dec 24, 2007
コメント(0)
「今日はクリスマス・イブということで、タイムリーな曲を選んでみた」ということでこの曲を選んでこのページに書いてから早くも2年が経つ。我が家の子供たちはこの曲が大好き、もちろん、妻も私も大好き。行進曲を聴くと、「あっ、くるみ割り人形だ!」といつも子供たちが叫ぶ。それは時が経っても同じである。この音楽は、組曲としてよく知られているのだが、実はこれらはほとんどが第2幕に出てくる「ディベルティメント」の部分にある曲である。多くの人があまり聴く機会のない組曲以外の曲にも魅力ある曲が満載、ぜひ一度全曲版を聴くことをおすすめしたい(曲の長さも全曲で1時間半程度と手頃)。もちろん、DVDでバレエの全曲版を見るともっと楽しめると思う。結婚して初めての年に、妻と2人でこのバレエを観に行った。今でもその幻想的な雰囲気と音楽のすばらしさを思い出す。さて、このバレエのあらすじと音楽に進むことにしよう。このバレエはドイツの作家ホフマンの原作に、プティパが構想、イワノフが振り付けをしたものに、チャイコフスキーが音楽をつけ、1892年に初演された。-------------------------最初は小さな序曲で幕を開ける。この序曲は高音の弦楽器やフルートが活躍し、トロンボーン、チェロ、コントラバスなどの低音楽器が省かれていることもあり、とてもかわいい感じがする。序曲が終わると、第1幕、「クリスマスツリーの飾り」と題される曲へと続く。シルバーハウス家の子供たちである、クララ(ロシアではマーシャとされる)とフリッツがパーティーにやってきた友人たちと一緒にツリーの輝かしい飾りにくぎ付けになっているところを表している。夜の透き通るような雰囲気がよく出ている。次に子供たちがプレゼントを持って行進する。これが全曲中最も有名な「行進曲」である。行進曲といっても軽いもので、あくまでかわいい雰囲気を崩さない。途中出てくるフルートの急速な旋律や、行進ラッパのバックで鳴っているわき上がるような弦楽器のリレーが素晴らしい飾りとなっている。「子供たちのギャロップと両親の入場」では、子供たちが軽やかに歩く様子が描かれ、タンバリンなどの打楽器を加えながら盛り上がると、今度は「ドロッセルマイヤーおじさんの到着」。ドロッセルマイヤーおじさんはクララに小さなくるみ割り人形とフリッツに兵士の人形をプレゼントした。クララはこの人形をすぐに気に入ったのだが、フリッツがそれをこわしてしまう。2人はケンカになってしまう。その雰囲気は短調の音楽で表されている。しかし、両親が取りなして客人たちを家の中へ招き入れる。導入からの流れるような音楽から次第に盛り上がっていく様子はさすがチャイコフスキー。さまざまな調性をさまざまな楽器によって自由自在に駆使している。それから、伝統的な踊りが踊られる。ここではいかにも「豪華な広間」を表すような音楽と軽やかな踊りの音楽が入れ替わりながら演奏される。なぜかこの場面の音楽は娘の一番のお気に入り。「客人の見送り-夜、魔法の呪文が始まる」では、初めに客人が穏やかな雰囲気の中で見送られる様子が描かれる。とても落ち着いた音楽。子供たちはベッドへ。それが終わると突然転調、夜の世界が表現される。ハープや弦楽器のトリルが星の瞬きを、木管楽器が空の雰囲気を表す。しかし、クララはくるみ割り人形を取りに行く。ここから現実の世界を離れていく。不気味な雰囲気の音楽となるが、オウムの壁掛け時計が12時を告げる。ここでは打楽器によって「チーン、チーン」という音が12回鳴らされる。この時計の音を合図におもちゃが動き出す。この様子は白鳥の湖のような雰囲気の音楽で表現される。長いクレッシェンドと上行音型、そしてどんどんと低音の金管楽器が増やされていく楽器法の組み合わせが見事だ。「戦い」は、くるみ割り人形と兵士の人形がねずみの軍隊や王様との戦い。ここでは、おもちゃの太鼓の音やオーボエを使った笛による合図などが効果的に使われている。音楽の運びは「ロメオとジュリエット」の戦いのシーンに少し似ている感じがするが、ここで打楽器をどう使うのかによって(たとえばバチの使い方や太鼓の皮など)雰囲気はかなり変わる。いろいろな演奏を聴いてみると面白いところだ。-------------------------「松林の中で」(ここから第2幕)は、幻想的な音楽。人形とねずみの戦いが終わると、なんとくるみ割り人形はハンサムな王子様に変わった。弦楽器を中心とした温かみのある音楽から、さらに金管楽器や打楽器を加えた輝かしい音楽への変化は鳥肌が立つほどだ。「女の子が手のひらを組みながら目をうるうる」してしまう姿が思い浮かぶ。音楽でここまでできるのかと思うとすごいものだ。チャイコフスキーはやっぱりすごい。クララはくるみ割り人形の王子と共に家を出て松林へやってきた。「雪のワルツ」は、林の中で降る雪がちらちらと舞い散る様子を弦楽器やフルートなどで見事に表現している。途中で児童合唱が歌う旋律は、2人がひかれあっていくうれしさを表現しているようだ。ハープやトライアングルなどが効果的に使われている。音楽は激しさを増し、トロンボーンやシンバルなどが堅い音で引き締めていく。最後は太陽の光が差すように変化して終わる。クララと王子はお菓子の国に到着する。「お菓子の城」を表す音楽はキラキラとした光に包まれているよう。低弦に支えられた弦楽器の旋律と、ハープのグリッサンド、トランペットの分散和音の組み合わせが絶妙。ここでも初めはしっとりと、だんだん輝きを増すように弦楽器のピチカートやフルートの上行音型が使われている。この盛り上げ方は「眠りの森の美女」でも使われている手法。弦楽器のフラジオレット(左手の指を押さえずに弦に触れるだけの奏法)とハープの組み合わせも幻想的な雰囲気を作っていて、心憎いばかりの演出。初めて聴いたときから大好きな曲。組曲しか知らなかった当時、「こんなにいい曲があるのか」と衝撃を受けた。「クララと王子」は、王子が命の恩人としてクララを紹介する(クララはスリッパを投げてねずみを倒した)。この曲は前の曲から続けて演奏される。ここではフルートのフラッタータンギング(ふるわせるような音が出る)が出てくるが、これもなかなか面白い音だ。その後音楽はスピードを増し、ワルツになる。このワルツではソロ・ヴァイオリンが出てくるが、なかなか難しそうだ。さらには戦いのシーンがリフレインされたり、2人がひかれあっている様子を示すような音楽があったり、まさに2人の出会いとその後をうまく回想しているようだ。続いて、ここから「ディベルティメント」。クララがお菓子の国の国民から踊りの歓迎を受けるシーンだ。最初は「スペインの踊り」。華々しくトランペットで始まり、弦楽器の旋律にカスタネットのリズムを乗せていくところがいかにもスペイン風。ちなみに、自分の結婚披露宴で乾杯の音楽でこれを流した。1分ほどで終わるので手頃だし、派手だし盛り上がるということで、私が押し切った。椿姫の「乾杯の歌」ではありがちでつまらないなあと思っていたところにこの曲の存在を思い出した。オケのメンバーからは「乾杯の曲は何だったの?いい感じだったから教えてほしい」と言われた。選曲にひとひねりしたくなる性格なので、ねらいは当たったという感じだった。次は「コーヒー(アラビアの踊り)」。低弦の音、木管楽器(オーボエとイングリッシュ・ホルンが主)、ヴァイオリンなどがアラビアっぽい雰囲気を作り出す。「お茶(中国の踊り)」では、ファゴットのリズムの上にフルートやピッコロが軽快な旋律を続けていく。けっこうあっさり終わる。「トレパーク(ロシアの踊り)」は、勢いのある舞曲。コントラバスだろうがとんでもなく急速で難しいパッセージを弾かせるのが、チャイコフスキーの恐ろしいところ。タンバリンが効果的に使われている。これも勢いに任せてどんどん速くなって最後まで弾ききってしまう。「葦笛の踊り」は、フルートの重奏が印象的。伴奏のイングリッシュ・ホルンなどが見事にいい味を出している。中間部の短調の部分ではトランペットの旋律とシンバルが弱い音で演奏するという珍しい組み合わせ。全曲を通して聴いていくと、いろいろなシーンのためにあれこれ工夫をしていることがわかる。「ゴーニュおばさんとプルチネルラ(道化と子供の踊り)」は、小太鼓のリズムに導かれて弦楽器の旋律が登場し、思わず踊りたくなるような音楽。途中で音楽は3拍子となり、オーボエを中心とした木管楽器や、弦楽器のピチカートによる旋律。これが手回しオルガンのような雰囲気でまた心が和む。最後は冒頭の旋律が登場し、これもどんどん加速して一気に終わる。そして、有名な「花のワルツ」。始まってすぐにあるハープの独奏がいつ聴いても素晴らしい。花のワルツの主旋律を弾き出すには最高のお膳立てだ。主旋律の最初がホルンの重奏で始まるところも「これしかない」という楽器法。他の楽器だとこうはいかない。「この旋律にはこの楽器」というおさまりが素晴らしいのだ。また、中間部にあるチェロとヴィオラによる短調の旋律が素晴らしい。知り合いには弾きながらここで泣いた人がいた。うまく説明はできないが、私にはその感覚がよくわかる。「パ・ド・ドゥ」は、王子と妖精がクララに愛の力を教えるシーン。最初の曲は「眠りの森の美女」の「パノラマ」に雰囲気が似ているが(ちなみに同じト長調)、こちらの方が長調でありながら短調の色が濃く、せつなさい感じがする。オーボエの短調の旋律に始まる一連の流れはチャイコフスキーの「泣き」の音楽。それが金管楽器を加えてだんだん壮大な音楽となっていく(シンバルとトランペットでド派手な場所)が、そこを抜けた後の和音の流れが心を揺さぶる。楽譜にすると単純なのに、なぜこんな音楽が書けるのか(コード進行が絶妙)、ただただ尊敬するしかない。次の曲は短調で展開されていく、とても短い音楽。それに続いて「こんぺい糖の踊り」。この曲で印象的なのは、チェレスタである。チェレスタは形は小さなピアノで、音はグロッケン(いわゆる鉄琴)のようなもの)チャイコフスキーは演奏旅行で立ち寄ったパリの楽器店で開発されたばかりのチェレスタを見つけ、その音にすっかり魅せられて作曲中のこのバレエに使うことを決めたそうだ。次の曲はパ・ド・ドゥの最後を飾る曲。最初は落ち着いて始まるが、変奏が始まった瞬間にヴァイオリン奏者はビックリ!まだ演奏したことはないが、このスピードには参ってしまうだろう。とにかく明るい曲。最後は「全員のワルツとフィナーレ」。いろいろな楽器が登場して大団円となり、お菓子の城を示す旋律で最後は締めくくられる。クララがお菓子の国の人々から祝福されてこの物語は終わる。実はクララが自分の家にどうやって帰ったか、あるいは帰れたかどうかはわからないのだが、それを詮索するのは野暮というものだろう。-------------------------チャイコフスキーのバレエ音楽は、それまで歌劇の中におまけで登場していたような位置づけであったものを、一つの独立した芸術まで高めたという点で歴史に残るものだ。また、子供の夢を題材として扱い、その素晴らしさを表しながらも、音楽としては大人でも飽きないものになっている。今年も子供たちと聴いてみたが、やはり変わらずこの曲のことは大好きなようだ。それぞれの曲において、旋律の素晴らしさはもちろんのこと、楽器の使い方などもそれ以外には考えられないほどはまっている。音楽でこれだけのことを表現できるというのは本当に素晴らしい。しかし、これも楽譜をなぞっただけではきっとできないのだろうな。全曲、一生のうちに一度でいいから通してやってみたい。
Dec 24, 2007
コメント(0)
今日は午前中に雨も上がったので、子供たちがどこかに連れて行けという。娘と息子に希望を聞くが行き先も手段もバラバラ。そこで、さんざん知恵を絞った結果、おもちゃ屋と某ハンバーガーチェーンに行きたいという希望を満たせる近所の商業誌施設へ、どちらの希望でもない徒歩という手段で行くことに決めて「これでいいのなら行くぞ」と伝えた。幸い、子供たちは歩くことを嫌わないので、すぐにOKが出た。妻は別にやってしまいたい用事があるというので、私一人で子供二人を連れてお出かけに。近所の街中を歩くと、いろいろな発見がある。長らくこの土地に住んできた私でもまだ通ったことのないエリアや道があるので、そういったところを徹底的に散策。しばらく歩いてくると、遊歩道が両岸に整備されている川があるので、遊歩道に下りてみる。休日の昼下がり、あまり寒くないことも手伝って、人がぼちぼちいた。しかし、いつもはもっと多いことを考えれば、やっぱりクリスマスで人々は街に出ているのだなと思った。川の小さな中州などには鳥もやってきていて、子供たちは大喜び。車が来ないのが子供連れにはうれしいところだ。さらに歩いて、別の階段から普通の道に戻り、歩いていくと目的地に到着。やはり買い物客で普段よりもかなり多くの人が集まっていた。クリスマスソングのイベントもあったようで、その場所には人も多かった。しかし、子供たちはそれに興味を示さず、なぜか本屋へ。息子は鉄道雑誌(大人用)のコーナーへ行き、買ってくれという。写真がたくさん載っているのがいいらしい。私は記事に興味があるので、とりあえず読んでから息子にあげるという感じ。それを購入。娘はキャラクターもの(子供用)のたくさん載っている雑誌が欲しいとかで、こちらも安かったので購入。私は「のだめ」を見つけたので購入した。それから昼食をハンバーガーチェーンで。最も客の多い時間帯は外したものの、それでもたくさんの人。おもちゃ付きのセットを買って食べる。その後今度はおもちゃ屋へ。こちらはいつもならあり得ない人の多さ。やっぱり時期が時期だけにね...。子供たちはまだサンタさんを信じているので、「これをサンタさんに頼んだ」とおもちゃを指さして言っていた。そういえば、妻から聞いた話だが、あまりにも片づけをしない子供たちに怒って「サンタさん来ないよ」と言っていたら、テレビのニュースでフィンランドからサンタが出発したという映像が流れたそうだ。すると、子供たちはサンタさんに必死で手紙を書き始めたそうだ。「サンタさんきて、おねがいします。いいこにします。 これから」「します」と「これから」というところにスペースが空いている手紙を見せられて思わず笑ってしまった。「これから」って...。さて、おもちゃ屋を出て今度は自宅に戻ろうとしたら、子供たちが途中にある公園に行きたいと言い出した。ここはめったに行かない場所なのだが、どうやら気に入っているらしいので、行くことに。しばらく走り回って遊んで、最後まで歩き通して帰った。往復4キロ。幼稚園児にはきっと大変だっただろうが、頑張ったと思う。私は1週間で10キロ以上歩いたことに。とても健康的だなと思った。できるだけこういうことを続けていきたいものである。今年は体調を大きく崩した時期が3回もあったのでよくないことだ。体をしっかり立て直して、来年に臨みたいものだ。娘が「たまには、パパだけとお出かけするのも楽しいね。また行こうね」と言ってきた。また行きますよ。たぶん、けっこう歩いてもらうと思うけど。私も楽しかった。
Dec 23, 2007
コメント(0)
先週のオケでは納得のいかないことだらけだったが、一週間の間にいろいろな人から声をかけてもらったこともあり、また自分の中で心の整理がある程度ついたこともあって、平穏な気持ちで練習場へ。今日から2ndVnではなく1stVnへ配置換えとなった。座る場所と役割が変わるというのは気持ちを切り替えるチャンスでもある。しかし、先週は2ndを弾いていたし、楽譜は配置換えになった人同士で交換するということになったので、完全に初見状態で弾くことに。交響曲全曲を初見でというのはかなりつらかった。特に、ドヴォルザークは相当高い音がたくさん出てくるのが特徴なので、ポジションがとても難しい。しかし、スコアはちゃんとさらっていったので、ちょっとした事故はあったものの、落ちることはなかった。曲のことを理解してから演奏することを大事に考えて実行していくことはやはり必要なことだ。音の役割がわかっていれば、音を取るのにそんなに迷ったりしない。今までのスタイルは間違っていなかったと思えた。今までと場所が変わってみると、景色が相当違うので、ある意味新鮮である。きこえてくる響きがまったく違うし、指揮者の見せている方向が違う。しかし、このとまどいはおそらく最初だけだろうと思う。これからは、他の楽器を熟知して自分の役割を理解した上で、さらにアンテナを張りつつ演奏していこうと思う。ただのカラオケオヤジ状態にだけはならないように気をつけなければ。いい音を出すことに集中していこうと思う。もっとヴァイオリンを上手になるようにといわれているのだと思って精進していこう。どんな場所で演奏しようが音楽は同じ。大好きなドヴォルザークの音楽にまっすぐ向き合うのみ。耳をそして心を傾けていい演奏をしよう。
Dec 22, 2007
コメント(0)
授業終了後しばらく片づけをした後は、疲れたようでいつのまにか部屋の椅子で気絶...。気づいたら聴いていた曲がかなり進んでいた。これはいけないとドリンク剤を購入してがぶ飲みして新歓飲み会会場へ。集合場所から3,4年生と新ゼミ生の2年生まで一気に連れて行ったので、かなり大変だったが、無事着いて宴会スタート。4年生は卒論の打ち上げ、3年生はグループ研究の打ち上げ、さらに2年生の新歓と、とにかくみんな巻き込んで楽しくコミュニケーションしようと、毎年やっているこのスタイル、幹事は本当に大変である。会費集めから、オーダーのとりまとめに支払い。今年の担当は本当によく動いてくれるので、頼もしかった。とはいえ、一番動いていたのは私だったりするかも。学年をまたいで話をするためには、やはりきっかけが必要で、それを作るのはやはり私の仕事である。2年生は特に緊張しているので、それを和らげるのも必要だし...。支払いがうまくいっているのかも気になるので、結局私がレジについていって最後は一緒にお金を数えているし...。解散の際には学生だけで行く2次会の仕切りをお願いして、帰る人は私が駅まで連れて行きという状態だった。そこまでしなくてもいいのかなとは思うが、どうも心配性。もちろん、ちゃんと信用して任せているのだが、その塩梅を自分でも確認したくなってしまうのだ。みんな楽しくやってくれて、上級学年の学生はちゃんと他の学年の面倒を見てという具合に、いい感じだった。せっかくやるなら楽しいに限るわけで...。私はといえば、ほとんど飲まずでいろいろな場所に目を配っている感じだった。一番シラフだったのは私だったのかもしれない。でも、楽しかった。こういうイベントで大学の仕事の一年を締めくくるというのはいいなと思う。しかし、今日一日、本当に疲れたぞ...。
Dec 21, 2007
コメント(0)
ようやく本務校での授業が終わった。最後に3コマ連続の大教室での講義。ちょっとでも疲れがたまっていると本当に苦しい。今日もそんな感じだった。2つめの授業の時に少ししんどいなと思っていて、「これってインフルエンザか?!」と思えるほど熱っぽくなった。ただし、それは途中から解消されて何とかほっとした。3つめの授業もこれといったしんどさはなく無事終了。レポート課題も忘れずに通知したので、あとは何とかなるだろう。これからゼミの新歓飲み会。まだ時間があるので、部屋の片付けでもして、書類などを整理しながら過ごすことにしよう。何とか乗り切れてよかったと思う。ただし、非常勤の授業はまだあったりする。月曜日の授業はハッピーマンデーのせいで変な日にどんどん移動していくので勘弁してほしいものだ。ぜんぜんハッピーじゃないぞ...。
Dec 21, 2007
コメント(2)
今日も朝から健康的散歩。遠い駅から歩く。大学近くまで来ての体の温かさ加減が心地よい。今日は午後からの3コマ連続。3年ゼミグループ発表プレゼンの最終回。どのグループも頑張っていた。しかし、やはり協力し合って一つの作品を作ることの難しさを感じたと思う。メンバーの温度差、ベクトルを合わせるための労力、どれをとってもなかなか大変なことだが、それを経てこそ成長するということを忘れて欲しくないものだ。続いて4年ゼミ。今日は卒論のとりあえずの締切日。急用のある人を除く人をすべて研究室に集めた。教室ではないパーソナル感のある空間にどっさりと学生が。一人ひとりの論文を確認して、提出予定者は無事全員提出した。確認の後は、都合のつくメンバーでささやかな打ち上げ。大学近くの居酒屋に行く。私は入ったことがなかったのだが、下宿生はさすがに詳しい。なかなかきれいでいい店だった。そこではまたいろいろな話で盛り上がる。打ち上げの乾杯をして、その後は学生と楽しく話す。こういう時には説教めいたことは一切いわず、とにかく楽しんでもらう。時に小ネタをまぜて話すのだが、学生がお愛想ではなく笑ってくれるのはうれしいことだ。そんな中、同僚が外から見つけて手を振り続けてくれたらしいとは、お勘定の時の店のご主人のお話。しかし、こちらは学生との話がとても楽しかったので、まったく気づかず。申し訳ない...。それだけ楽しくいられるというのは逆にいえばとても幸せなことである。この学年のちょっと落ち着いた雰囲気もまた大好きである。明日は新ゼミ生の新歓飲み会。今日とはまた違うテンションで臨まなければならないが、楽しみたいところだ。
Dec 20, 2007
コメント(0)
今日は職場の同僚と共に忘年会。幹事が下見までしてきた会場、「自信を持ってお送りする」みたいな感じだったが、とてもいい場所だった。料理もよく、値段もリーズナブルで満足感が高かった。下見に行かれた同僚に感謝。乾杯の後しばらくして今年の職場内での「流行語大賞」ノミネート作品を発表し、その後投票で大賞を決定。ノミネート作品を見てみると、その年に職場がどう動いてきたのかがよくわかる。みんなで振り返るのは楽しいものだ。ノミネート作品といっても隠語だらけで、世相を反映した言葉をもじって遊んでいる感じ。ただの愚痴大会ではなく、笑いに昇華させるところが、メンバーの魅力とも言える。みんな楽しい人々だ(他人のことばっかり言うなと言われそうだ)が、実はいろいろときっちり考えている人々でもある。こういう力が結集できたら、実はもっとモチベーションアップにつながるのではと思ったりするが、まあそれは将来の課題。今は、仕事の場での仲間に恵まれていることにただただ感謝。みんながいてこその自分だなと本当にそう思う。
Dec 19, 2007
コメント(0)
今日は午前中、久しぶりにまとまった時間ができたのでじっくりと本読み。年末までの授業の用意はできているので、こういった時間は貴重である。授業も会議もないが、同僚との忘年会があるので、大学へ行く。自宅を出てから、ふと思いついた。時間があるのだから、健康のために歩こうと。そこで、まずは自宅から隣の駅まで約30分をかけて早足で歩く。だいたい2.5キロ程度だろうか。いつもは車であっさりと通ってしまう道が、歩いてみるとなんと遠いことか。でも、自分の足で歩くというのは楽しいし、気持ちのいいものだ。しばらくは電車に乗るが、今度は大学の最寄り駅より2つ手前の駅で降りた。カフェで本読みの続きをやろうとしたら、レジで「よんきゅ先生ですよね。私、授業取ってます」と言われてしまった。確かに、見たことのある学生だった。まあ、大学の近くなら当然あり得る話である。遠くで見て指をさされるよりは、こうして声をかけてくれると逆にほっとするとも言える。その後、店内を見回すと、授業で見たことのある学生がさらにいた。その年代の人々を見るとみんなうちの大学の学生に見えてしまい、アウェー感がとても高かった。そんな中でも本読みをして、それから店を出ようとしたときに、店内にいた学生に声をかけられる。この学生たちも話したことのある学生なので少しだけ会話をして店を出た。その後は2駅分歩く。こちらは40分ほどかかった。距離にしてだいたい3キロ弱というところか。というわけで5キロほどを歩いて大学までたどり着いたことになる。とても気持ちよかった。途中、通ったことのない場所はなかなか楽しかった。「こんなところに市場があるとは」など、歩けばこその発見があった。時間と心に余裕のあるときにはまた歩いてみよう。
Dec 19, 2007
コメント(0)
次回の市民オケの演奏会のメインとして取り上げられる曲。ドヴォルザークの交響曲といえば8番や9番が有名であり、曲自体がかなり取っつきやすい雰囲気を持っているので人気もある。ドヴォルザークの独自色が完成されたかたちになっていることも感じられる。一方、この第7番は、曲全体の色が比較的地味(ニ短調という調性がそれに関係しているのかも)だと言われたり、ブラームスの交響曲第3番に刺激を受けていてその影響をかなり受けているのだという指摘もある。この曲の初演がロンドンで行われているというのは不思議な気もするのだが、実はドヴォルザークの作品はすでにイギリスでも有名であり、それを持ってロンドンへ行った際の演奏会で自作の指揮をして好評を博した。そこで、ドヴォルザークはロンドン・フィルハーモニー協会の名誉会員に推挙され、そのための新しい交響曲を書くようにとの誘いを受けたことをきっかけに書かれたのが、この交響曲である。-------------------------第1楽章:冒頭に「アレグロ・マエストーソ」と書いてあるが、このパターンはあまりないような気がする。スピードは速いのに、厳かにということである。冒頭は表情記号通り静かに思い雰囲気で始まり、第1主題がヴィオラとチェロで演奏される。その後不協和音の混沌とした響きが大きくなっていき、抜けたところからいよいよアレグロの雰囲気が出てくる。8分の6拍子の6拍目から旋律が始まってみたり、ヘミオラがたくさん出てきたりするので、演奏する場合にはリズムになれていかないと雰囲気がちゃんとでないので大変である。この部分では、ドヴォルザークが作曲した「フス教徒」序曲の主題によく似た旋律が姿を現す。フスとはチェコの宗教改革者であり民族的英雄とされるヤン・フスのことで、その精神をたたえる曲が「フス教徒」序曲である。その曲に込められた精神を再現するかのように、この部分は戦闘的な音楽となっている。第2主題は木管で登場し、弦楽器に受け継がれていくが、ここにもチェコの守護神ヴァーツラフをたたえる古い歌が形を変えて用いられている。特に木管楽器の瑞々しい響きはやはりドヴォルザークらしく素晴らしい。途中に出てくる素朴な雰囲気と独特の和音進行などは、つい先日までベートーヴェンを演奏していた自分にとっては、また違った新鮮な雰囲気を感じる。個人的には再現部で第2主題がニ長調で出てくる場所がとても平和な感じで大好きだ。ただのんびりというわけではなく、とても晴れやかな雰囲気がとてもよく出ている。しかし、その部分がなだらかな頂点を迎えたところで曲はニ短調の暗い雰囲気(私は灰色を連想してしまうが)に戻り、一段と戦闘的にそして劇的に曲が盛り上がっていく。しかし、それもテンポが次第に緩んで、最後は厳かな雰囲気に戻っていって終わる。-------------------------第2楽章:素朴な雰囲気のする楽章。しかし、ならったとされるブラームスの交響曲第3番に比べると、やっぱり心の内を表に出しているような場所があるように思う。序奏は木管による素朴な旋律。やがてアメリカで吸収する音楽を先取りするような音の運び方である。続く第1主題はフルートとオーボエで演奏されるが、フレーズの頂点の和音とその後の音の進行がいい味を出している。それから少し暗い雰囲気のエピソードを挟んでホルンによるヘ長調の明るい旋律。草の緑に太陽の光と爽やかな風が当たっているといった感じだろうか。中間部はヘ短調でスタート。低弦や金管の「ドンドン」と打つ音がやはり意思の強さを感じる。そこを抜けると変ニ長調でクラリネットとホルンが対話し、ホ長調に転調するとフルートとファゴットの対話に変わる。こういった転調と楽器の組み合わせは絶妙だ。渋いけれども味わい深いと思う。また、再現部直前に面白い響きの場所がある。この曲にはワーグナーからの影響があると指摘されることがあるが、おそらくこの和音進行のところではないかと思う。確かに、ドヴォルザークではあまりないような響きだと思う。再現部では第1主題をチェロが演奏するが、木管とはまた違った味わいでよい。その後の暗い雰囲気のエピソードが今度はフォルティシモまで成長していき、楽章の中で使われた様々モチーフが散りばめられている。そこからなだらかな坂を下るように、穏やかな世界へと戻って終わる。-------------------------第3楽章:私がこの曲をあまり聴かなかった中でも唯一覚えていたのがこの楽章の旋律。スラブ舞曲にも入っているフリアントのリズムが特徴的である。全体は3拍子系なのだが、1つのフレーズの中で前半がヘミオラ、後半が通常の3拍子というつくりになっている。スラブ舞曲で言えば第1番や第8番などが近い雰囲気を持っている。冒頭のアウフタクトから始まるリズムが何とも変わっていて難しいが、旋律自体はとても親しみやすい。主部は楽器や伴奏を変化させながらこの旋律が何度も登場する。やっぱり踊りというのは繰り返されることで高揚感が出てくるというのは、どこでも同じということなのかなと思ったりする。中間部直前で旋律が面白い展開を見せる。和音の使い方といい、アクセントの場所といい、これでもかと書かれたフォルツァンドといい、こういうのをきっちりできたらカッコイイんだろうなと思う。中間部はテンポを落として少しもやっとした印象の音楽。弦楽器が多くの場所で細かくトリルのような音型(ただし、アクセントのないトリル)をずっとつづけているために、そう感じるのだろう。しかも一度に扱われる構成要素は多くなく、きわめてシンプルになっている。そこから舞曲が復活していくブリッジとも言える部分もうまくできればカッコイイだろう。主部に戻った後、終結部の中で一瞬落ち着く部分もあるが、ここでまたちょっとワーグナー的な和音とターンの組み合わせがある。ヴィオラとオーボエにそれを割り当てているところがなかなか面白いところだ。最後は盛り上がって終わる。CDを聴いていて「この音はどういう楽器の組み合わせなのか?」と思った後でスコアを見ていると、いろいろな発見がある。演奏は聴き手には一つのものとして届くが、演じ手としてはどういう要素からできているのかを知っていて演じることが大事なのだと、スコアを見るたびに感じる。-------------------------第4楽章:冒頭の第1主題から不協和音を多用し、さらにフレーズが解決しないまま次のフレーズへと行ってしまうので、心の中に燃えるものがあって次から次へといろいろな思いがわき出しているんだろうなと思わせる音楽。3連符で急速に駆け上がる動機が多用されていながらも、随所にアクセントが書かれていて、それでも滑っていってはいけないという引っ張られ感のある動機も多用されているのも特徴。劇的な要素満載の楽章だ。ニ短調というのもやはりそういう雰囲気を後押しする要素なのだろうなと思う。第2主題はイ長調の落ち着いた音楽。ドヴォルザークがたまに書いたポルカの素朴な雰囲気がそこにはあるのだが、それがまた激しく燃え出すが最終的にはやはり短調へと戻っていく。展開部はそこまでで使われた要素を使いながら、また激しく転調していく。それぞれの調に応じてさまざまな要素を組み合わせている要素は見事だと思う。再現部では、第1主題がティンパニのリズムに乗って激しく展開されており、第2主題はニ長調で、1回目よりもクリアな感じがする。終結部はトロンボーンの響きとヴァイオリンの分散和音があるが、きっちりできればこれまたカッコイイ。最初の頃は滑るなという感じで運ばれていた音楽がここでは突進モードに。そして、最後の最後でなんと「モルト(とても)」マエストーソと書いてあり、堂々とした旋律が歌い上げられ、強い音のまま終わる。第8番のように駆け抜けるようでもなく、第9番のように手を振るように終わるわけでもなく、真正面から堂々と終わっているところが、やはりこの曲の魅力だと思う。-------------------------この曲については、これからずっと勉強していくことになる。大炎上していた心のエネルギーを表現に変えていくべきだと思っている。せっかくこの曲を演奏する機会をもらったのだし、そうするのが一番いい。誰よりも深く味わう心づもりでやっていこう。「○○フィルの演奏だったらここは遅いからそうするべき」ということではなく、楽譜から自分なりに読み取れることを表現できるようにしたい。もちろん、そういった演奏をできるだけ思いこみを排して参考にしていくべきであることは間違いないとは思うが。これがプロの指揮者なら生活に関わることなのでそれこそ精神を削ってやる作業なのだろうが、幸運なことにわれわれはアマチュア。自分の好きな演奏だのいろいろとこだわりはあったりするのかもしれないが、それをコピーするのでは芸がない。むしろ、自分の知っていること、感じたことを指揮者はどうやってアプローチしてくるのか、それをきいて「そういう考え方があるのか」という新しい発見をどんどんしていきたいと思う。指揮者はその場の響きなどをすべて考えて計算しながら演奏へのアプローチを決めているわけで、その場で最善の響きを出すことを考えている。だから同じ演奏はありえない。そんな一期一会を楽しむことが大事なのではないかなと私は思う。たとえ、ここで書いたことと違うイメージを指揮者が語ったとしても、その意味を探るのがまた楽しいではないか。それを工夫していく過程も楽しいだろう。自分でそのことをもっともっとわかって演奏していきたい。この曲をものにしていくことがきっと自分の転機になるのだと思う。あとで振り返れば思い出深い曲になるはずだ。
Dec 18, 2007
コメント(2)
週末はいろいろとありすぎて疲れた。それでも、体調を崩すことなく過ごせたことはいいことだ。さて、相変わらず気持ちの整理をつけられず、気持ちの中で大炎上と鎮火を繰り返しているのだが、そんな中、仲間の人々からの連絡。ありがたいことだ。そこで必ずいわれた一言は標題の通り。「まあまあ、落ち着け!!」その通りである。日頃はめったに本気で怒ったりすることがないので、だいたい平和な気持ちでいられるのだが、いったん火が付いて本気で怒るとそれをなかなか消せない性格なのを知っていて、そう言ってくれるのだと思う。冷静に現在の状況を分析して「冷静に考えませんか」と言ってくれる人もいる。そういうことをいつもはやっているはずなのに、自分のこととなるとダメだな...。よくよく冷静に考えてみると、怒ったところでどうにもならないことであることもあるし、すぐに別の方法を考えて切り替えていくことも必要だ。その上で主張すべきところは主張する、そういうことが必要なのだろう。「音楽だけは裏切らないから、音楽に対して謙虚になろう。それが本当に必要なことだから。どんな場所にいても、どういう状況になろうとそれは同じこと。」と仲間の一人に言われた。本当にその通りだ。今の心境に一番しみる一言、自分の器の小ささを感じられずにはいられない。そう、作曲家が遺してくれた宝物をどこまで大事にできるのか(尊重するということだな)、それが本当に目指すべきことだ。こういうことを言ってくれる仲間がいること、それが私にとっての宝物だと思う。もう凹んでいる場合ではない。転んだ後起こしてもらったのだから、あとは自分でちゃんと歩いていくだけだ。やっぱりとことん表現できるように、無駄なことは考えないで、ひたすら努力あるのみ。
Dec 17, 2007
コメント(0)
昨日は納得のできない出来事に悔しいやら、頭に来るやら、未熟な自分に情けないやらで、眠れなかった。いつもなら、嫌なことがあっても結構早く忘れる方だが、やっぱり引きずる。まあ、これは時間+自分の努力で解決していかなければならないことなので、じっくり見極めていこう。立場が変われば見方も変わるだろうし、それを味わう術を身に付けていければそれもまたいいのかもしれない。日付は変わって今日、久々のOBオケの練習。こちらは毎週練習があるわけではないので、打ち合わせや人の集まりなどが大変だったりするが、集まれば楽しく練習できる。それぞれの人にちゃんと居場所があってそれをある程度分かり合えている気がするのがいい。まだ新しいクールが始まって間がないので、すんなり練習が進んでいかない苦労もあるが、それも追々カバーしていけばいいことだ。同じ釜の飯を食った仲間に先輩後輩ということで、日頃はバラバラでも、だんだん音が集まって来始めればけっこういい感じになってくる。くだらないストレスもたまらないのが精神的によい。まあ、練習はともかく、終わった後の飲み会が楽しかった。今日はコンパクトな人数での会ではあったが、どうでもいいネタで盛り上がる。どう考えても大学時代の朝4時頃の会話で、完全にタイムスリップした気分だった。最後はわざわざ少々遠いところまでラーメンを食べにいくというオマケ付き。これまた大学時代に夜中やっていた行動である。そういうノリの中にどんどん新しい人を引きずり込んで、完全にとけ込んでしまう。それはあるメンバー曰く「ゲストをホストにする」ということ。なるほどね。練習でも飲み会でも、いじられキャラだろうがなんだろうが自分の居場所があるというのは素晴らしいこと。そういうのが「お互いを尊重する」ということなのだと思う。人が前向きになれるのは、その気持ちを相手から受け取ることができたときだと思う。こういいつつも、逆のことをしていないか、自分でちゃんとチェックしていかなければならないと思う。下手をすると無意識のうちに人はそういうことをしてしまっているものだと思う。でも、そんなこともわからない情けない人でだけは絶対にいたくない。というわけで、全体的に楽しい一日。心はずいぶん穏やかになったが、気持ちの整理にはまだ少し時間が必要なようだ。
Dec 16, 2007
コメント(0)
今日は市民オケでいろいろな新しいことを決めた。何だか自分の名前だけはやたらといっぱい出てくるのに、結局振り回されただけ。ただのアホ状態だった。自分が情けない気分。最近、正直ここまで不快な気分になったことはない。その後はドヴォルザークの交響曲第7番の初見大会。ある人は「この曲はブラームスの真似で力が入っていて、3楽章以外はよくない」と言っていたが、そんなことはないぞと弾きながら思った。内面からわき出る音楽。この曲にはチェコの中で圧力と戦った英雄と呼ばれた人を扱った曲の引用などもある。演奏しながら戦っている気分だった。もっとこの曲の心を理解できるように、スコアを読みまくってやる。体をすべて使って表現してやる。そして絶対にもっともっと成長してやる。そう思わないと、やっていられない。しかし、まだ心の整理ができないのは、大人になりきれていない証拠なんだよな...。
Dec 15, 2007
コメント(4)
今日は午前中から授業3連発。この3連発はやはり体力的にかなり辛い。しかし、健康状態はほぼ元に戻ったので、授業も通常ペースに戻る。やはり調子がよくなってくると、学生もちゃんと話を聞いてくれるようだ。ただ...3つめの授業でなんとマイクがまったく反応しない。アンプなどもチェックしてみたが、電源は入っているのにまったく音が出ない。というわけで、90分を地声でしゃべった。教室が小さかったので、幸いどうにかなったが、最後は声がガラガラに。設備の不具合は本当に困るなあ...。くだらないストレスがたまってしまう。そんなこんなで授業が終わった後は、同僚宅にお招きいただき、仲間同士でプチ忘年会。予想より早く着いたので、料理ができるまでの間に「鉄子の旅」のDVDを見せてもらうことに。この原作のマンガは読んだことがあるが、アニメで見るとこれまた面白い。女性マンガ家がトラベルライターと編集者と共に電車に乗って旅をするというだけの話なのだが、一人の同僚と鉄道話で盛り上がる。見ながらあれこれつっこんだりしていた。その後は美味しい料理の数々。さすがに、まだ病み上がりだなと思いつつ酒の量を少々抑えて料理をいただく。奥様は料理が好きとのことで、いろいろな品がすべて美味しかった。素晴らしいですな。話も盛り上がったし、最寄り駅までの帰り道を話しながら歩くのも楽しかった。お呼びいただいて感謝である。本当に満腹、ごちそうさまでした。これから忘年会シーズンがスタートしていくのだが、体の具合を見ながらその都度目一杯楽しんでいきたいと思う。
Dec 14, 2007
コメント(0)
今日はあまりスッキリしない天気。最初の通勤電車で本を読み終えて、乗り換えた直後からドヴォルザークの交響曲第7番を聴く。今度の演奏会のプログラムにあるが、実はまだ演奏したことがない。初めての曲で、なおかつあまり聴いてこなかった曲なので、これは聴いておかなければと、スコアを広げていろいろとメモをしながら何度も聴いている。通勤電車で作業すべきことがない場合には最近ずっとそうしている。スコアを見ながら聴いてみると、本気で聴こうと思うので、最初はとっつきにくい印象があっても最後はけっこう好きな曲になってしまう。今回もまさにそんな感じ。だんだん音の動きやオーケストレーションが頭の中に入ってきた。オケで演奏するときには、必ずこの作業をしている。自分の演奏すべきパートの位置づけと全体のバランスを頭に入れておくことによって、演奏するときにとても楽な気持ちになれるし、深く楽しむことができると思っている。さて、いつもより遠い方の駅で通勤電車を降りてから、時間をかけて大学まで歩いていく。いい運動になるし、周囲がとても静かな場所を通っていくので、音楽を聴いていてもとても細かいことに気がつくようになる。今日の灰色の空、といってもすぐに雨が降るわけではないような空には、この曲がとても似合う感じがする。練習が始まったら、たぶんもっと好きになるのだろうなと思う。
Dec 14, 2007
コメント(0)
毎年行われている、その年を象徴する一文字を書く企画。今年は「偽」だった。それを代表するのは食品に関わる偽装だったが、実際はそれにとどまらない、というかむしろ、今年にとどまらないと言った方がいいだろう。年金だの薬害だの、ちゃんとやっているフリをして実態はまったく違う。もうほとんどメチャクチャとしか言いようがない。しかも、それをいろいろと開き直るとは、いったいどういうことか。「経済合理的に考えるならば、偽装して得られる利得が、偽装がばれた場合の損失にばれる確率をかけたものより多ければ、偽装した方がよいということになると判断してしまう」というのを雑誌記事で見かけた。理屈ではそうなのかもしれないが、そのまま行動に移してどうするのだ...。だとすれば、それができないほどのペナルティを与えるべきというのが処方箋になるのだろうが、実はばれる確率がきわめて低いことに問題がある。しかし、ばれないようにするためにチェックすることには、莫大なコストがかかってしまう。確率を高めることはとても難しいのだ。そこで、やはり問題が小さいうちに「よくないものはよくない」と問題を潰していく方が現実的な対処法となるだろう。しかし、それを言えない状態にしているということに、今の日本社会の問題があるように思う。いろいろな育児に関する本や記事には「子供を叱るときにはその場で」と書いてある。大人も同じだと思う。他人に働きかけていくことなくどうにかしようというのは、実はとても難しい話なのだ。しかし、「偽」という字はなぜ「人の為」と書くのだろうか。「(自分に直接関係ない一般的な)人の為にやっている」と言っていることが胡散臭いからなのかなと思ったりもする。あるいは「すべての行為は自分の為なんだから人の為なんてウソだろう」とでもツッコンだ人が考えたのかな。何とも不思議な漢字である。こんな状態で、いったい日本社会はどうなるのやら...。
Dec 13, 2007
コメント(0)
通勤電車は月火水と毎日遅れている。予定が毎日狂うので、本当に勘弁して欲しいと思う。ホームの安全確認で遅れたとか言っているが、ただの駆け込み乗車失敗だったのではないかと思う。駆け込み乗車は本当に迷惑である...。今日は午前中に会議。夜遅くまで授業があった次の日に午前中というのはなかなか大変ではあるが、仕方ない。最近の会議にしては、進行がまともな会議で変なむなしさは感じなかった。終了後は、同僚と近くのインド料理店へ。実は先々週の胃腸風邪はこの店でスタートした。注文して食事を始めた瞬間に気分が悪くなり、突然食欲ゼロに。結局同僚に半分以上食べてもらってという感じだった。この店のカレーやタンドリーチキンは好きなはずなのに...。というわけで、回復したらリベンジ!と思っていた店。昨日のラーメンに続くリベンジ第2弾。やはり健康な状態で食事をするに限るという当たり前のことを再確認。と同時に、この店のカレーがおいしかったことも再確認できてよかったなと思った。その後は残しっぱなしの急ぎでない仕事をぼちぼち片づけて、早めに帰宅することに。乗換駅で途中下車して、家電量販店で少し買い物をして、その後は久しぶりに書店へ。インターネットで注文できる世の中だとはいいながらも、やっぱり書店に行ってたくさん並んでいる本の中から自分で買うべき本を選び取ることが重要だと思った。久しぶりだったので大量に買い込んで、自宅の最寄り駅からヒーヒーいいながら(雨が降ってきたし重いし)帰宅。すると、七五三写真ができているとのことで、妻と子供たちを連れて近所の商業施設にある店まで取りに行くことに。結局、子供の好きなファミレスに入って夕食を食べて帰宅。その夕食時の妻の話。妻は最近、近くにある文化施設が主催しているイベントによく行っている。それはコンサートだったり、落語だったりと、さまざまな演目でしかも1回500円という破格の値段で楽しむことができるのだ。妻が最近よかったのは落語だという。最近見に行った落語が面白かったのだとか。桂三枝の「宿題」という創作落語の話を教えてもらったのだが、普通に聴いただけでも面白いと思った。プロの噺家さんのライブならもっと楽しいだろう。私も一度行ってみたいのだが、平日の昼間ではちょっとどうにもならないな...。妻は「次は繁昌亭に行きたい!」と言っているが、私も行ってみたい。妻から落語の話を聞くなどとは思いもよらなかったが、本当に面白そうだと思った。
Dec 12, 2007
コメント(0)
今日もようやく仕事が終了。このハードなスケジュールも何とかこなせる体調になった。喜ばしいことだ。この勢いでこれからラー研に出発。体調が回復したら最初に絶対行こうと思っていたラーメン店を同僚にリクエストし、承認をいただいたのでその店へ。店に入る前に足取りも軽く道を渡ったので、一緒に行った同僚たちに笑われてしまう。ついでに、「現在のよんきゅさんの脳内メーカーは・・・」ときた。その答えは、「麺麺麺麺、汁汁汁汁、肉肉、卵!!」ということらしい。一同大ウケである。何というわかりやすい人になってしまっているのだろう...。店には少し待って入ることになったのだが、楽しみで待ち時間も短く感じる。そして、お目当ての限定メニューを注文。今日はまだあった!ラーメンが運ばれてきたときはとても幸せだった。もちろん、食べている途中も、終わった後も幸せ。やっぱり健康でなければいけませんなという結論。途中まで一人の同僚と一緒に帰って、電車を乗り換えてからは一人。遅い時間にもかかわらず電車は満員。遅くまでみんな大変である。今日一日とても疲れたが、幸せな気分だった。
Dec 11, 2007
コメント(0)
には仕事を休みにしたいなあというのは、演奏した人なら思ってしまうところだが、私もやはりそれは同じ。体力もそうだが、気力を使い果たしてしまうという感じが強いかなと思う。 昨日の打ち上げでも「明日休みのひと~!」などと遊んでいたが、私は仕事である。とはいえ、朝一番からではないのが助かっている。出かける前に第九のCDをかけていると、娘は「ああ、ここ覚えてるよ」と言っていた。息子は「あ~~」などとソリストの歌マネをして遊んでいた。こうして興味を持ってくれるのはうれしいことだ。最初はそういう遊び方でもいいのだ。 それにしても、第九はスゴイ曲だ。深く知れば知るほど奥の深さを実感する。そして、演奏するたびに自分の弾き方が進歩していくのを実感する。 そうして得たものをさらに次の演奏会に生かしていくことが大事だ。成長実感というのはいくつになっても欲しいものなのだなと思う。 さて、ここから仕事モードに切り替え。今回は打ち上げでも暴飲暴食状態にならないように注意を払ったので、体はいつもより楽だ。あとはテンション上げて行こう。
Dec 10, 2007
コメント(2)
「第九」は楽しく弾くことができた。個人的にはちょっとしたミスはあったものの、思うことがけっこうできたので、満足感は高かった。第1楽章は、とにかくキザミまくり。2ndVnのエンジン全開だった。3連符系のキザミは他の楽章にも出てくるのだが、曲に動きを与えるキザミであり、目立ってはいけないのだが確実に存在感を示すべき場所でもある。キザミの粒の立て方などもうまくいった。第2楽章では、14回目の第九にして初めて、冒頭の2ndVnだけの場所をイメージ通りに弾けた。音の響かせ具合、ヤマの付け方、粒の立て方、初めて自分としてはパーフェクトにできたのがとてもうれしかった。こういう感覚はさすがになかなか無いので、心の中でプチガッツポーズだった。迫るようなクレッシェンド、半音ずつ下がっていく難しいパッセージも冷静かた熱く弾くことができた。思った以上の収穫。第3楽章は、やはり天上の音楽。美しいのはもちろん1stVnの旋律なのだが、裏でやっているピチカートだって重要。細心の注意を払って、指を当てる位置、はじく前の準備動作の深さなどを計算して弾けた。これもまずまず上出来。第4楽章は、やはり爆発するしかないでしょうという感じ。2ndVnしかやっていないキザミがまたあるのだが、ここはカッコイイ。和音進行が面白いので音程がはまったら快感、楽しめた。合唱が出てきた後はまさにホールに音が充満している感じ。最後は大爆発!やっぱり「第九」は素晴らしい曲だと改めて感じる。何度やってもいいものはいいのだ。終演後、ビックリの再会が。ロビーをウロウロしていたら、こちらにやたらと視線が。確かに見たことのある人のような気が...と思っていたら、あちらから声をかけてきた。「もしかして、よんきゅ君ですか?」「はい」というと、小学校の同級生だった。高校生の時に会ったきり離れてしまっていたので、20年ほどぶりの再会。その人のお父様が合唱で参加されていたそうだ。「名前を見てビックリした」と言われたのだが、私はもっとビックリした。こういうこともあるのかと思った。終演後は打ち上げ。お気に入りのビヤホールで大好きな唐揚げを食べるのに燃えてしまった。4人分のテーブルの唐揚げの半分以上を食べてしまったのだが、いつものことだと周りもあきらめていた。胃腸風邪の全快祝いだと勝手なことをいいながら...。とにかく楽しく過ごせた一日だった。何よりもまた大好きな音楽を目一杯演奏することができることの幸せを実感できたのがよかった。
Dec 9, 2007
コメント(0)
ゲネプロが終了し、後は本番を待つのみ。 初めてのホール、客席にはいたことがあるが、舞台の上は初めて。響きの多さに少々戸惑いも感じつつ、調整をした。もうあれこれ考える時間はないし、出番に備えてのんびりしよう。 今日は娘が初めて「第九」をライブで聴くのを楽しみにしていると言っていた。頑張って弾こう。
Dec 9, 2007
コメント(0)
体調は問題なく回復してきたが、昨日3コマのハードな仕事を終えて帰宅した後に、さらに残り3回分の授業の準備(プリント作成)を終わらせる必要があったので、遅くまで仕事をした。最近になかった午前0時越え、さすがに今日はその疲れを少しだけ引きずる格好になった。明日の「第九」本番を控えての最終練習、途中のコンビニでドリンク剤を購入して、テンションを上げながら練習場へ到着。ソリストと合唱との合わせ、最終的なチェックが進んでいく。最近の体調不良で欠席が多く、勘を取り戻すことにとにかく必死、放っておいてもテンションは上がっていった。今日の練習での個人的な仕上がりは70%ぐらいだろうか。周りの音へのアンテナ感度はほぼ100%に近くなったのだが、楽器を操るための運動神経がまだまだであると感じた。もちろん、見た目に弾けていないということはないし、何とかまとまっているようには思うのだが、まだ満足できる領域にはたどり着いていない。タイミングでもコンマ何秒のズレがあるように思える箇所がまだある。もっと滑らかに行けるように明日は目指したい。話は少し違うが、先日のゼミで、グループ発表へのコメントで「自分の言いたいことをを表現するための計算と、それに基づいて本番に備えた練習が絶対に必要」だと言った。もちろん、これは自分のオケでの経験を元に言っているのだが、この言葉は今の自分にとって、もう一度肝に銘じるべきことなのかもしれない。明日の本番を迎える直前までいろいろと挑戦し、また調整していきたい。練習終了後は、コアメンバーで軽く飲みに行く。体調回復後初めて少しだけお酒を飲んでみたが、とりあえず問題なかった。食べる量も飲む量も考えて少しだけセーブしていったが、それがうまく行ったようだ。健康で音楽できることの喜びも明日は感じたいものだ。しっかり睡眠を取って臨むことにしよう。
Dec 8, 2007
コメント(0)
書き続けてかれこれ3年近くにもなるのに、今さらながら、時々考えてしまうことだ。最近、芸能界ではブログに書いた内容でメディアが動いている。例えば、若槻千夏さんのブログでは、その内容がきっかけで「引退か?!」などと騒がれていた。少し更新を休むと書いただけでそれとは...。私もほとんど毎日欠かさず更新しているが、病気などで止まってしまうと「大丈夫?」という心配の声をいただくことが多い。私の場合は別にそのことがプレッシャーになっているわけではなく、気にかけてもらっているのだからうれしい。ところが、自分の心の中の問題として、毎日書いていないことが気持ち悪いというのは少々複雑な気持ちではあるのだが...。また、書いている内容についても、やはり気を遣う。始めた頃はもっと気楽にやっていたような気がするのだが、インターネットの世界はいつ誰が読んでいるのかわからないと同時に、現実に知り合いでありながら、読者であることを私が知らない相手というのもいたりする。こういう場合、変なことを書いたら現実の人間関係がこじれる可能性もあるので、それがまた怖かったりするのだ。同じく芸能界での話だが、あるタレントが、ある事件についてブログでコメントをしたことが問題となって、芸能活動を休止せざるを得なくなるということも起きている。人間は一度認知したものを消すことはできない。日常としては忘れられたとしても、何かのきっかけで思い出すことがある。それだけに、現実の人間関係同様、気を遣うことが必要なのだと思う。インターネットで公開するということは、読んでもらう相手を選べないという問題が必ず発生する。試行錯誤しながら、どういうスタンスで書いていくかについては、少しずつ学習しているような気がする。ただ、受け取る側の問題については、書き手からの操作が不可能であるので、ここがまた難しいところも事実だ。きっとこれからも、いろいろと考えながら書くことになるのだろうなと思う。
Dec 8, 2007
コメント(4)
今日は恐怖の3コマ連続大講義室での授業。先月2回体調を崩したのが長引いたのは、どちらも金曜日のハードな仕事が原因なのだろうと思っているので、今日も朝から恐怖感でいっぱいだった。本当に3コマもつのかという不安。今日は少しでも心穏やかにいたかったので、自家用車で通勤。電車で行くよりも早く大学に到着。授業開始までのスケジュールに余裕ができていい感じ。やるべき仕事も忘れずにスムーズに進んでいく。そしていよいよ1コマ目。何とか体調不良になることなく授業は終了。今日の話は少し興味を惹く話だったようで、終わった後に質問があった。こういうのはいいことである。昼食も思い切って、若干刺激のあるもの(といっても麻婆丼)を食べる。ただし、それだけなので量としては少ない。それでも何ともないので胃腸もこれで問題なし。そのまま2コマ目へ。こちらも時間調節に若干失敗(といっても学生にはあまりわからない程度)しつつも無事終了。その後ほとんど休憩なしで3コマ目。ここまでくるとかなり辛くなってくるのだが、睡眠時間をちゃんととっていたおかげでしんどさは感じずに行けた。問題なく予定のところまで話をして終了。その後、いつも心配をかけてしまっている同僚に会いに行って少し話をする。その後帰宅。やっと通常モードの夕食(量はちょっと少なめ)。ここまでずいぶんかかったが、何とかたどり着くことができてよかった。明後日の「第九」の本番に間に合ってよかった。全快した状態で全開の音楽を!と思うが、少しかみしめるように演奏するのかもしれないなとも思う。やっぱり健康でなければ、仕事も音楽もできない。それができることの喜びを改めて感じることになると思う。
Dec 7, 2007
コメント(0)
やっと体調は本格的に上向き加減であることを実感し始めた。しかし、こんな時に限って仕事は忙しい。朝から出席すべしと通知のあった説明会へ。本当なら昼から3コマという予定だったのが、朝から行くことになった。朝は不安を抱えつつ、通勤電車へ。まだ自分の体を信用できていない。混雑する電車に乗る間際にマスクをする。また風邪を移されたのではかなわない。それだけでも気分的に違うので、これからはしばらくこのスタイルかな。午前中の説明会ですでに疲れを感じる。まだ本調子ではないのかなと思いつつ、これってけっこう精神的なものも大きいのかなと思う。昼食をあわてて買い出しにコンビニへ。いつも食べていた量の半分程度を買って部屋に戻る。胃腸も問題ないはずなのに、やっぱり自信が持てない。胃が小さくなっているからだろうか、それでもそこそこ満腹感みたいなものを感じる。その後は3コマ連続。どれも座ったまま進めることができるので、これは体力的にはかなり助かる。卒論指導もいよいよ佳境に。きっちりと自分なりの結論を考えようとしている学生を指導するのは楽しいものだ。キャッチボールがちゃんとできていることを感じる。ただし、こういう学生ばっかりではないのが、苦労するところでもあるのだが...。終了後はさっさと帰宅しようとする。と、大先輩の先生と一緒になり、乗換駅までいろいろと話し込む。あまり話をする機会は多くないのだが、お話をしてみると楽しい。乗換駅から後はひたすら一人で帰る。今日のBGMはベートーヴェンの第九に、続けてドヴォルザークの交響曲第7番。何度も聴くうちに、節回しや色合いの変化に独特のものがあることがどんどん感じ取れる。この曲ってスルメみたいな曲なのだろうか...。帰宅後の夕食も少なめ。本当に少しずつ食事の量を増やし、睡眠時間を短くしていくような感じである。一週間前の感じにはもう二度と戻りたくない。そう思うと、「とにかく、ゆっくりと...」と思うのだ。今週末に演奏会があるが、いつも通りのはじけ方はおそらく無理だろうと思う。たまには味わうように打ち上げるのもいいかな...。
Dec 6, 2007
コメント(0)
夕方に、ローカルニュースを見ていたら、どこの局でも取り上げられていた話。それは、大阪市交通局が赤字を補填するべく企画した、鉄道用品のオークションである。紹介されていたのは、電車のナンバープレートをはじめ、車重や製造年などを記したプレート、アナウンス用のマイク、さらにはテロ対策のために撤去されたカエルのかたちをしたゴミ箱まで。スタートの価格は500円とかだった。申し込み期間を経てからオークションは開催されるそうだ。鉄道用品の多くは、産業廃棄物として捨てられることが多いのだそうだが、鉄道ファンの認知度が上がり、ちょっとしたブームになったこともあってあやかろうということらしい。確かに、貴重なプレートなどは結構いい値段が付く可能性がある。同じ系列の中にもときどきレアな車番などがあったりして、それにはプレミアがついたりする。同時に紹介されていた鉄道用品店に飾られていたSLのナンバープレートなんて、100万円くらいするのだとか。凄すぎる...。一緒に見ていた妻が「絶対に買ってこないでね!」と念を押すように言っていた。いやいや、さすがにこれは興味はない、といえばウソになるのだが、単品で持っていてもその価値はなかなかわからないというのが私の感覚。シリーズである程度の数を集めれば、コレクションと言うことで価値は上がるのだろうが、そこにお金をつぎ込もうとは思っていない。ちなみに、小さい頃に、百貨店でやっていた鉄道用品フェアで父に買ってもらったものがあるのだが、それは運転士さんが運転しながら時刻などを確認する運行スケジュールを書いた紙(プラスチックケース入り)だった。国鉄時代のもので、大阪から野洲までの時刻、到着番線などが書かれているものだった。現在も実家に置いてあるはずだ。たぶん、値段は電車自体に付いていた部品に比べればけっこう安かったと記憶している。最近では、こういうニュースが流れると、妻が幼稚園ママ友達から「ご主人、買うんじゃないの?」と冷やかされるのだそうだが(自分で家族ネタとして提供するからだぞ...)、鉄道ファンにはジャンル別の棲み分けが結構あるような気がする。旅、写真、模型、車両、時刻表、挙げていけばけっこうあるだろう。私は旅に重心を置いていて、それに時刻表が伴い、さらに車両も少しかじってという感じだろうか。というわけで、このオークションに参加する気はとりあえずないのだが、こういうことが大きくニュースで取り上げられるというのは、少し前なら考えられないことなので驚きだ。
Dec 5, 2007
コメント(0)
体調がまだ万全でないので、ラー研を泣く泣く断ることにして、夜の授業までの空き時間に夕食を買いにいった。帰宅してからできるだけ早く就寝したい(そうしないと明日が不安)ので、この時間に食事というわけだ。大学近くのコンビニでレンジでできるうどんを売っているのを目にして、これぞとばかりに購入。「暖めますか?」の一言に、当然お願いする。さてさて、部屋に戻って開けてみたら、「???、湯気が立っていない。時間は2分ほどしか経っていないのにである。さらに入っている九条ネギを食べたら、鼻の中を「ツーン!」という感覚が走り、その後すぐに「ヘ~~~ックション!!」となってしまった。これはきっと、レジの人が出力か時間のいずれかを間違って設定したということだろう。おそらく、フタに書かれているものを見る限りは出力である。確かに、微妙には暖かかったので、食べられなくはなかったのだが...ネギがさすがにつらかった。わざわざ九条ネギのことで苦情に行くのもバカバカしかった(しかも寒いし)ので、仕方なく完食。もう、何をやってもダメな最近、さらに落ち込んでしまうだろうに(うどんぐらいでか?といわれそうなものだが)。こんな生活もうイヤ!早く健康体を取り戻してラー研に行きたい!!
Dec 4, 2007
コメント(0)
昨日は、結局野球を最後まで見てしまった。結果はアジアで1つしかない北京オリンピックへの切符を手にする勝利だった。見ていて素晴らしいなと思ったのは7回の攻撃だった。代走に出た宮本のゲッツー崩しのスライディング、解説を聞いていてまさにプロだなと思った。満塁からの大村のスクイズ、これには驚いた。ノーアウト満塁は点が入りにくいというし、第2戦でタイムリーを打っていたので期待はしていたのだが、そこでスクイズ。台湾の守備陣も考えていなかったような感じだった。あのサインを出した監督もスゴイが、本来ロッテの4番を打つ選手なのに、「頭にあった」といってやってのける大村もスゴイ。その後は、どんどんつないでいく打ち方で連打連打。気づいてみれば6点入っていた。無理をしないで確実にヒットを狙える方法を選んでいっていたのが、このチームの強さだなと思った。代表に選ばれる人たちは、それぞれのチームの主力であることを考えれば、「自分で決めてやろう」と思うこともあるだろうに、そうではなく、みんなとのつながりの中で自分なりの役割を見出してプレーしている感じがした。報道等によれば、そういう雰囲気をつくることにも首脳陣や中心となる選手が心を砕いていたというし、そのあたりも成果に結びついたと考えられる。「チーム」とか「組織」というのは息苦しいものの象徴であるかのように言われることがあるが、それは形をつくって事足りていると思うことに問題があるだけなのではないのかと、星野JAPANを見ていて思った。みんなで力を合わせるからこそできることがあり、そのためには、みんなとのつながり、そして了解の中で自分の役割を積極的に見出していくことが必要なのだと思う。そして、チームの目的が本当に自分のものになっているということも、とても大事だと思う。ぜひ、本番でも活躍できるよう、このような素晴らしいチームを作って臨んでいただきたいなと思う。何だかスッキリした気分で寝ることができたので、自分にとっても昨日の試合はとてもありがたかった。
Dec 4, 2007
コメント(0)
やっと体調が回復基調、このまま明日の朝を迎えたい。先ほど妻と話をしていたら、最近子供がいろいろと面白いことを言っているそうだ。寝る前に妻が子供たちに本を読んでやっているのだが、今日息子が持ってきた本は、お話ではなく...「こな(粉)」という本。表紙には抹茶だの、小麦粉だの、そば粉だのあらゆる種類の粉が描かれている。何じゃそれ...。そしてその本の中で妻が「小麦粉でナンっていうやつもできるのよ、ほらね」と見せたら、娘が一言。「あ、ナンってカレーつけるやつでしょ。また○○(←インド料理をよく食べに行く某商業施設)連れて行ってよ。そうだ、明日行こう!決まり!」明日は幼稚園でしょうが...。妻が書き損じ葉書を切手に替えようと選んでいたら、私たちの「結婚しました」葉書が出てきたそうだ。もちろん、結婚式の時の写真なのだが、それを見た娘が一言。「これパパだね。あ、パパとおよめさん!!」妻はもちろん「...」だったそうだ。「どう思う?!」と言われたが、これはコメントがきわめて難しい。
Dec 3, 2007
コメント(0)
それがいいことだと思っていたら、実はそれがいまある状況の原因かなと、少し思い始めた。1日でオケの練習掛け持ちは当たり前、出張帰りにオケ、子供の遊びと飲み会のハシゴ、何も問題視しないでやってきた。無理がきいていたとも言えるのだが、知らず知らずのうちに疲れていたのかな…。 胃腸はあまり問題なさそうな感じにだんだんなってきたが、まだ怖い。気分的に落ち込み過ぎるのがよくないのかなと思い、ドヴォルザークの交響曲第8番を聴きながら体を動かしてみる。とりあえず、体は動くなとひと安心。昼は念のためうどんにしてもらった。何となくまだだるい感じを引きずりつつ非常勤先へ。 着いてみたら、やはりしんどい。授業は座らないと無理かなと思ったが、意外と立ったまま行けた。しかも私語を注意した瞬間にちゃんとお腹に力が入る感覚に気づく。動機はさておき、いいことではある。その後の2コマ目の最後はバテ気味だったが、問題なく乗り切った。しかしこれもただのランナーズハイかもしれないので、注意が必要かな…。空腹感と眠れそうな疲れが少しあって、少しいい感じになったような気はする。
Dec 3, 2007
コメント(0)
ここまで気分が落ち込んでしまったら、ちょっとまずいなと思い始めた。幸い、お腹は復調に向かっているようなので(ただ、明日の朝になってみないとどこまで使い物になるかはわからないが)、好きなことでもして過ごそうと思い直す。ならば、大好きな野球を見ようということで、オリンピック最終予選を見るが、子供たちを寝かしつけた後は妻にテレビを譲る。たまに状況をチェックしようかなということでとりあえずPCの前へ。音楽でも聴こうかなと、次回演奏することが決まっているドヴォルザークの交響曲第7番を聴いてみる。実はこの曲、けっこう食わず嫌いで来ていたのだが(6,8,9番と比べてあまり好きじゃないなあなどと思っていたのだが)、買っておいたスコアを読みながら聴いてみると、なかなかいいじゃないかと感じ始めた。スコアの解説を読んでみると、闘いを表す主題がいろいろと出てくる。今の悪い体調と闘っているつもりの自分になんだかピッタリくる。オーケストレーションもカッコイイ、ということで、眠くなるまではスコアでも見て過ごそうかという感じ。このままの気分、臨戦態勢となって、明日の仕事に向かうことができればいうことはない。そうなることを祈りたいものだ。
Dec 2, 2007
コメント(0)
そんなに不摂生をしたとは思っていないが、結果的にこの体調なのだからきっとそうなのだろう。体の状態はよくなってきたものの、楽しいことはすべてパー...。元々仕事はあったはずなのだが、本当はそれが先方の都合でキャンセルになったので、ラッキーな一日だったはず。何とも情けない限りだ。外に一歩も出られず、かといって何かができるわけでもない。明日からの仕事を考えると、とにかく体を休めること、できるのはそれだけ。布団に入ってみたり、座ってボーッとしたりの繰り返し。多くの人に迷惑をかけたと思っては落ち込み、あまりの復調のスローペースぶりに(復調してはいるが)本当に1週間前の状態まで体調は戻るのかと不安を感じてみては落ち込み...。早く元通りの自分になれたことを実感して喜びたいものだ。本当にコメントする気も起きない日というのがあるものだな...。
Dec 2, 2007
コメント(0)
昨夜の調子なら今日の仕事は大丈夫かと思っていたら、朝起きてみると見事に裏切られた。昨日の元気はランナーズ・ハイだっただけなのかもしれない。授業ならば座って自分のペースでできるから何とかなるのだが、今日は時間が決められていて緊張感を保ったまま長時間立ち続けることを要求される仕事、10分間経ってみたがお腹に力が入らないので無理と判断、どうにもならないということなら何とか行けなくもないという感じだったが、行っても倒れたりしたら迷惑極まりないので、結局電話をして欠席を申し出て了承してもらう。迷惑のかけ通しだ...。今日は食事(雑炊のみ)以外はひたすら寝るだけ。昨日無理をしたからだろう、すぐに眠りに落ちてしまうので、いかに体力がないのがよくわかる。腹の調子は超低空飛行ながら少し上向き気味、食欲も通常よりも超低レベルながら増してきた(子供のちくわを少しもらったが問題なく食べられた)。胃腸の不快感もかなり取れた。あとは、疲れやすい状態をどうにか元に戻すことだ。月曜日の午後に仕事があるが、それまでにたくさん寝ておくことだろう。体の変わり目が訪れてきたのかなと思う。これまでだと復活するのにそれほど時間は要しなかったが、どうもそう簡単には行かないらしい。私のしている仕事は毎日普通にできて当たり前、それが止まった瞬間に多くの人に迷惑をかけてしまう。その当たり前のことができなくなってみると、やっぱり無茶は禁物だと思った。これまで「休む」ことがずっと大嫌いだった私(いつも「いる」ことが自分の存在証明みたいなものだと思っていた)だが、このままの調子ではいけない。明日こそは今日よりも気分よく目覚められるようにありたいものだ。
Dec 1, 2007
コメント(0)
全43件 (43件中 1-43件目)
1
![]()

