2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全40件 (40件中 1-40件目)
1
今日は学祭準備のために授業はない。はずなのだが、なんで会議だ?!火曜日の疲れを水曜日である程度取っておきたいのだが、最近それは許してもらえない状況である。まあ、文句ばかり言っても始まらない。会議が実りあるものになるようにしないと…。まあ、今日のはあまりストレスのない、まともな話し合いになるはずだ。 だが!通勤電車はまたもトラブル。優等列車へ乗り換えをしようと待っていたら、すでに遅れ気味。乗り込んだ後もホームでしばらく止まったままだった。しかし、まだ普通列車よりも早く着ける時刻に出発。というわけで、なんとなく乗っていたら、電車のブレーキ音がおかしい。「キキー」と軋む音以外に「ゴリゴリ」という何かを擦り潰すような音が混じっている。ただし、おそらくその時に巻き込んだわけではないような感じだった。 ところが、その直後に止まった駅で「点検します」とのアナウンス。駅員がたくさん走ってきたので、ただごとではないと判断、隣のホームに普通列車が来たのを見て、走って乗り込む。その先の駅に着くと、「運転整理を伝達してください」という業務連絡。これはかなりの遅れが出そうな感じだ。ひょっとしたら、乗っていた優等列車は運転取りやめになっているかもとも思った。またダイヤはボロボロになっていそうな気がする。乗り換えの判断はおそらく正解だっただろう。 とはいえ、やはりそれでも当初の予定よりは遅れが生じた。なかなかうまく行かないものだ。しかしまあ、なんでこうもメチャクチャなんだろうか。ついてないなあ。 そういえば、出鼻をくじかれると弱いというのは、どうやら親子で同じらしい。昨日、子供たちを幼稚園に送って行く時に、息子が玄関先で転んだ。その後は幼稚園に着くまでずっと怒りながら泣いていた。今日の気分はちょっとそれに近いかもしれない。
Oct 31, 2007
コメント(0)
今日も朝から忙しく仕事。時間をやたらと使い、気も遣う仕事である。ランチ会はおとなしい感じだった。 午後は授業。教材の準備を大急ぎで済ませて、いざ本番。しかし、今週は学祭準備の学生が多いせいか、ちょっと人は少なめ。最初、騒がしかったので一喝すると、後は静かに進行した。最近疲れ気味だなと授業をしているとわかる。これは良くない傾向だ。 授業終了後はゼミ生が来室。学祭で出すゼミの屋台の準備。今年のゼミ生はどこまで頑張れるか、楽しみにしておこう。 さらにこまごまとした仕事をこなし、時間が経って夜の授業。こちらは静かでやりやすいが、あまりに静かで逆に気味悪いほどである。テンションを上げて授業をやりきった。この時点でかなり疲れている。 さて、その後は、気分を変えるべく、ラー研へ。同僚の新バイブルを見て、今日は新規開拓。ところが!ハズレだった。いつも厳選している店の味のレベルまでは及ばず、残念である。ラー研でハズレだと、凹むなあ…。疲れはそのまま残り、一日が終わった気がしない、まさにそんな気分である。
Oct 30, 2007
コメント(0)
昨日の話。非常勤先の授業に行く前に、娘の幼稚園の授業参観に行った。予定としてはちょっときつかったのだが、「パパ、10分でもいいから来てね」と言われたので、時間の許すかぎりはいてあげようと思い、途中で抜けなければならないことを娘にあらかじめ言ってから行った。参観には休暇を取ったと思われるお父さん方もけっこういた。授業は絵を描くというもの。幼稚園ではその学年では恒例になっているそうだ。どうやら今日のために事前に美術史のことを教えていたようだ。印象派の時代について画集を見せながらおさらい。ゴッホにゴーギャン、モネ、ルノワールといった画家の作品を見せながらそれぞれの生涯について話が進んでいく。驚いたのは子供たちが絵の名前をちゃんと覚えていてすらすら言えるのと、逸話をちゃんと覚えていたということだ。先生の教え方もうまい。子供たちは確実に先生の話に体ごと向いている。その後は実際に子供たちに絵を描かせる。お題は「ムラサキイモ」の静物画。影をちゃんと付けて、さらには手でこすって周囲をぼかすというところまで教えてあるようだ。みんな見事な絵になっていく。そこからまだ歌やハーモニカなどいろいろとやっていたが、時間切れで泣く泣く仕事へ。娘は何の心配もないという印象。今日は息子の授業参観があったのだが、私は仕事で行けず、妻がビデオを撮ってくれているのでそれを楽しみにしている。妻曰く、「おもしろビデオに投稿できるかもよ、毎回何かやってくれるから」ということだった。昨年の授業参観でも父兄が一斉にズッコケるような一言で大爆笑を誘ったらしい。確かに、いつも他人を笑わせようとネタを考えている節があるので、今日はどう出たのか、帰宅してから見てみよう。授業参観を見て思ったのは、子供を惹きつける先生の力のすごさだ。とにかく園児たちは先生のことが大好きで何か言われたら、全部「ハイ!」と元気いっぱい返事をしている。でも、このノリをもし大学でやったらこんな感じかな?「みなさん、こんにちは!」「(小声で)ウィ~ッス」「今から言うことをお約束してください!」「はぁ?!」「おとなりの人としゃべりません!」「何か言ってるで」「携帯を鳴らしません!」「・・・」「お話の途中で寝たりしません!」「zzz」「今先生が言ったこと、わかった人!」「・・・」「ドカドカドカ(←出て行く人の靴音)」いつごろ人って、こういう風に変わっていくんだろうか?素朴な疑問である。
Oct 30, 2007
コメント(0)
今日は非常勤先の授業、バスに乗っているのだが、停車を知らせるボタンの音が普通のと違って奇妙な感じだった。 普通の「ピンポーンは」音程でいうと「ミードー」となるのだが、このバスはなんと「ミーミ♭ー」と半音下がるだけなのだ。あまり聞かないというより、バスでは初めて聞いた。 これは、バスのピンポーンの調子が悪いのか、それとも違和感のある音の方が意識が向きやすいから意図的にそうしているのか、はたまた私の耳がおかしいだけなのか…。しかし3つめは、バスが止まるたびにする音なので、それはないかな。 こういうバスって、他にもあるのだろうか。変に興味を持ってしまった。昔なら「探偵!ナイトスクープ」にハガキを出すところだが、今どきこの程度では出られないだろうな。
Oct 29, 2007
コメント(2)
現在、市民オケで「第九」を練習中だが、ベートーヴェンの交響曲の原典に当たるこの曲、改めて聴いてみるとなかなか面白い曲だと思う。ベートーヴェンがこの第1番を作曲したのは29歳の時、ブラームスほど遅くはないにしても、実はあまり早いほうでもない。この時期の作品としてはピアノソナタ「悲愴」や弦楽四重奏曲第1~第6番などがあり、すでにベートーヴェンの世界がしっかりと見えてくる中で満を持して出てきたものだと思われる。もちろん、この分野の先駆者であるハイドンやモーツァルトからの影響はあるし、それも感じる。確かにそれら寄りの軽さもまだある(第4番の軽さはまた違って、ベートーヴェンそのものという感じがする)。しかし、刻みまくる内声部にsf(スフォルツァンド)の頻発など、やはり楽譜を見るとどう見てもベートーヴェンだなと思う。-------------------------第1楽章:短い序奏から始まるのだが、ここがすでに面白い。ドミソ(主調であるハ長調の主和音)をとことん避けているのだ。つまりいきなり「?」という雰囲気に満ちている。つまり答えを言わないでヒントを出したりしながらはぐらかされている感じなのだ。しかし、いきなりスピードがアップして第1主題。今度は「ド」に行きたい「シ」が主題にたくさん埋め込まれている。このコントラストが面白い。第2主題は爽やかに軽い音楽。しかしその中にも弦楽器がキザミながら旋律を弾くという場所もあり、sfもあり、これがいかにもベートーヴェンの世界である。展開部は転調が面白い。あまりそこへは行かないだろうという展開。しかし、この展開部は珍しく短く、比較的すぐに第1主題が戻ってくる。「英雄」を知っているとかなり肩すかしを食らうほど短い。むしろ、再現部に来てからの方が丁寧な再現をしている感じだ。スピード感にあふれた爽やかな音楽である。-------------------------第2楽章:3拍子の軽くのどかなヘ長調(「田園」と同じ調)の音楽。付点16分音符と32分音符を組み合わせたリズムがかなり連発して出てくるので、のどかだと言いつつ推進力はずっと感じられる。展開部は短調の雰囲気を見せて、なぜか変ニ長調という遠い調を経て、その後ハ短調などにも行ってうろうろしながら、気づけばヘ長調の世界に戻っている。いつの間仁やら戻っているというのはモーツァルトでよく使われているが、このあたりは意識的に使われているのだろうか。またまたすぐに再現部に戻るが、3連符による旋律が出てみたり、少し変化を加えてみたりと行った工夫がある。最後の方にある低弦のピチカートが軽い旋律を支えて洒落ていると思う。最後は一瞬のびっくりを経て静かに終わる。-------------------------第3楽章:スコアには「メヌエット」とわざわざ書いてあるのだが、テンポがやたらと速く、sfも連発されていてこれほどスケルツォしている音楽にこんなタイトルをつけるのかという感じ。ハ長調で始まるが気がつけば変ニ長調という隣の調(一番遠い関係)に来ていて、また戻っていくという面白い転調。この部分でのティンパニやトランペットの扱いが面白い。中間部は軽やかな木管楽器の旋律とそこへさわやかに吹き抜ける風のささやきのようなヴァイオリン。とかいいつつ、このヴァイオリンはやたらと難しい。しかもそれをさりげなくやれというのだからけっこう厳しいなと思う(しかし、ベートーヴェンはアマチュアが弾くことをわざわざ想定して書いてはいないのだからしょうがない)。その後は主部に戻って終了。短いがいろいろと工夫のある面白い楽章である。-------------------------第4楽章:この楽章も序奏付きだが、たったの5小節しかない。しかし、ここにはスゴイ内容が。「ソラシ」で始まり、次は「ソラシド」と順次1つずつ音が加えられ最後にはソから1オクターブ駆け上がって主題がスタートするのだ。しかもその間、すべてリズムが違う。こういう発想がどうして出てくるのかと思うとすごいなと思う。主題がスタートすると、内声部はキザミまくり。やはりベートーヴェンでは2ndVnがエンジンなのだ。駆けるような旋律がどんどん展開されていく(コントラバスまでフル稼働)。後の多くの序曲の骨組みなどもここにあるなと聴きながら感じる。最初の駆け上がり音型を合図に今度は展開部。木管楽器が伸びやかな部分、弦楽器が駆け上がり音型として同時に鳴らすという部分もあって面白い。終結部手前でトランペットやティンパニが登場して盛り上げたらフェルマータ。そこから駆け上がり音型が弱音で登場し、成長したり、ときにいきなり弱くなったりと、自由自在に遊んでいるような感じ。最後は「運命」の終わりの原型のような和音の打ち込みで終わる。短いがとても楽しい音楽。しかし、やはりそれは紛れもなくベートーヴェンの世界だと思う。-------------------------この曲を本番で演奏したことがあるのは一度だけ。他大学でエキストラとして出演した演奏会だった。その時にお世話になったのが一昨日お会いした先輩である。私が大学オケのエキストラを初めて体験した演奏会でもある。いろいろと知らないことが多かったのだがいろいろと教えていただき、さらにそこのオケの方々と友達になれたのもよかった。あまりに仲良くなりすぎた(?)ので、演奏会と打ち上げの合間の時間帯に、ティンパニ運びを一緒にやって、楽器を押さえるために軽トラックの荷台に載せられたのも懐かしい思い出である。この演奏会では、コントラバスの駒が外れるというアクシデントもあった。弾き終わった後に「バチン!」という大音響がして一同ビックリしたのだが、コントラバスの人が拾いに行ったのを見て初めて何が起こったのかに気づいた。こういうこともあるのだなとビックリ。一つの楽章だけを抜けて次の楽章では涼しい顔で戻ってきたその奏者を見てさらにビックリ。「こんな短時間で直せるんか?!」と思ってしまった。そういういろいろな意味で思い出深い演奏会なのだ。その後いろいろな大学の友達に呼ばれてエキストラに行ったのだが、最初がそこでよかったなと今でも思う。私はやっぱり人との出会いに恵まれていると思う。その演奏会の後の先輩のハジケっぷりを見て、実はそれが一番ビックリしたことなのだが、一昨日聴いてみたら「そんなん知らんでぇ」とトボケていたが、顔は笑っていた。「第九」の練習で、指揮者が「第4楽章だけやることも多いけれど、その前の楽章も全部聴いて欲しいなあ」と言っていたが、その前の交響曲も全部聴いてみたらいいんじゃないかななどとも思った。改めて聴き直すと、第1番がその後のもとになっているのだなと感じる。ときどき思い出したように聴く曲である。
Oct 28, 2007
コメント(1)
昨日、帰宅してメールを確認すると、ゼミの卒業生からメールが来ていた。もしやと思っていたら内容はその通りで、教員採用試験に合格したとのこと。教員になりたいという思いがとてもよく伝わってきた人で、夜遅くに帰りの電車で会ったこともある。少々抜けているなあと思うことはあるが、それをも面白い面として味方につけられそうないい性格の人である。 これから現場に出ていけば、様々な問題にぶち当たることは間違いないだろう。しかし、まっすぐな強い気持ちがあれば、それでもなんとかしていけそうな気がする。 私が今の大学でゼミを担当するようになってから初めての教員採用試験合格者、私自身が学生の頃、教員になりたくて勉強していたので、その苦労はよくわかる。だからこそ、自分のことのようにうれしいのだ。こうして卒業生からいろいろな報告をもらうのはうれしいものだ。 まずは素直に喜んで、落ち着いたらまた仕事が始まるまでに自分を高める努力をしていけばいいと思う。これから大変だと思うが、とにかくスタートラインには立てることになった。ぜひいい生徒が育っていくのを手助けできるように、頑張ってほしいと思う。ぜひお祝いをしてあげないとね。
Oct 28, 2007
コメント(0)
今日は夜に「第九」の練習。昼間に公園で子供たちとサッカーをしたのでかなりヘロヘロになってしまい、眠いまま練習が始まってしまった。とはいえ、さすがはベートーヴェンさん、しばらく弾いているとヒートアップしてどんどん目が覚めてくる。今日は若手コンマス氏が最初から来ていて、とても弾きやすかった。持ち味はまったく違うが、同じ方向性を持って演奏しているという実感がとてもある。彼ならば無理なくついていけるのだ。ただ受動的に引っ張られるのではなく、一緒に歩いてちゃんと歩調が合っているという感じである。練習後飲みに行って、今日は彼の隣の席。知らず知らずのうちにたまたまその話になった。「休んだ後にちゃんと音楽の流れに入れていない人が多い」とか「様子を見てから受動的に引っ張られていく人が多い」といった話。でも、本当は見えてから、あるいはきこえてから弾き始めるとどうしても遅いのだ。ちょうどプロ野球のバッターがピッチャーの手からボールが離れる一瞬前に打つかどうかを判断しなければならないのと同じであるように思う。先を見越していかなければジャストミートはできないのだ。そういう中で、このことをわかっていて頑張ってくれるコンマスというのはなかなかそういるものではないように思う。楽器はうまく弾けていても、ついていく立場からすれば引っかかりを感じるケースも少なくなかったりする。しかし、彼はそれをわかってやっているところがすごいなと思う。自分にはないヴァイオリンの腕があるのだから、本当にうらやましい限りである。自分にとっては本当に信頼できる相方だと思っている。まあ、私も「濃い」持ち味を生かしつつ頑張っているのだが、はてさてほほー(←できるかな)どうなんでしょうかね...。もう一人の相方は隣で弾いている私の高校のクラブの後輩。といっても、かなり年は離れているのだが、なぜか昔から知り合いである。彼女は努力の人だと私は思っている。毎週ちゃんと練習をしてきていることがよくわかる。いろいろなことを吸収したり、自分で考えたり、工夫をしていると思う。今回は「トップをやってみたい」というので、お任せすることにした。自分より若い人がいろいろとチャレンジしようとすることはとてもうれしいことだ。経験するチャンスがなければやはり人は育たないと思うので、それを大事にしたいと思ったのだ。私も節目でいろいろなチャンスをもらって、それでいろいろと経験させてもらったからこそ今の自分があるのだと思う。私はこれまでの十数回の「第九」経験の中でわかった演奏のツボや問題点を伝える役目である。いろいろなことが経験からわかったと本番が終わってから言われたならばうれしい限りだ。さてさて、どうなることやら。そんな信頼できる相方と一緒に演奏できるというのはそれだけで幸せなものである。でも、もっとできるはずだし、もっともっといろいろとやりたいのだ。最終的にどこまで到達できるのか、楽しみにしたいと思う。もちろん、私自身もさらに成長したいものだ。
Oct 27, 2007
コメント(0)
一日遅れの更新。昨日は授業3連発のハードワーク。合間に新ゼミ生選びに頭を悩ませる。一晩間をおいて冷静にメモを見直してみるとまた少し迷ったりする。人を選ぶのは本当に難しい。4年ゼミ生が言っていた「人事部の人って本当に大変ですよね。朝から晩まで面接しているんですもんね」というのは納得である。 最初の2つの授業は1年生対象だったが、比較的食いつきがよくひと安心。 3つめの授業は2年生対象。こちらはゼミ面接で抜けている人がちょっといた感じ。やはり少々浮き足立っていた印象。最後の方は疲れが出てきてヘロヘロだった。 終了後、シフトの加減でいつもこの曜日には会わない同僚に会い、しばし話し込む。私の声はやはりガラガラということらしい。しゃべる時間には限度があるということだろう。けっこう重労働である。しかもこの曜日は休憩がなく、おまけにいつも話をする同僚がいないので、気分的にもきつさを感じる。 話し終わった後は大学を出る。そこで別の同僚に会い、途中まで一緒に電車で帰る。いつも最後は鉄道トーク、ディープな話で盛り上がる。 別れた後、自宅から最も近い繁華街へ。なぜか待ち合わせ場所にゼミ生がいたので、肩を叩いて走って逃げてみたがバレた。「先生、なんでこんなところにいるんですか?」と言われたが、私の飲み会のホームはここなのだ。高校のクラブの先輩と、市民オケのメンバー夫妻(なぜかつながっている)と会食へ。先輩とはかれこれ3年ぶりぐらいだろうか。変わりなくお元気で何よりだ。 相変わらずの楽しいノリ、年上の大先輩であるという雰囲気を感じさせない。心をいつもオープンにしてくれるのだ。私もああいう感じでありたいなと思う。 結局、大好きな唐揚げをさんざん食べた1軒目を閉店までいて、おとなしく2軒目はバー。好きなアイリッシュウイスキーを注文し、気分よく飲む。 最後は先輩と一緒に帰る。結局、自宅前まで送ってあとは一人でトボトボ歩く。気分は最高によかったし、疲れも飛んでいたつもりでいたが、歩いていくうちにどんどん回ってきてしまい、自宅に着くころには、さらにしんどくなっていた。もちろん、すぐに寝てしまった。今週分の心の洗濯となった。
Oct 26, 2007
コメント(0)
今日はゼミ面接2日目。ゼミ生に手伝ってもらっての長丁場の面接となった。今回は4年生だけでなく3年生にも手伝ってもらったのだが、各学年の質問内容の違いが興味深かった。就職活動を経てきた4年生の質問内容は厳しく、またしっかりとしていた。自分たちが質問されてきたところとオーバーラップしているのだろうと思う。3年生はしばらくゼミを経験して人との関わり合いを濃密に持ち、それが軌道に乗り始めた頃で、新人の立場により近い、すこし優しいタッチの質問だった。ただし、来年から関わりを持つこともあって、見ているところは見ているという印象。部屋の外では緊張をほぐすために面接官以外のゼミ生が声をかけてくれていた。それでもガチガチだった人もいたが、こちらもそれはわかるので、緊張をほぐす努力もする。ざっと振り返ってみると、やはり総じて言えるのは女子学生の方がしっかりしているということ。目的意識、思いを語る語り口など、伝わるものがけっこうあった。しかし、男子学生にはそれが欠けている場合が多いなと。もちろん、これは私だけがそう思っているわけではなく、ゼミ生の男女ともにそういう印象だったようだ。中には素のままの自分を表現するのがいいと勘違いしている学生などもいて、あまりの傍若無人さに一同笑ってしまいそうになった場面もあった。ゼミ生なりに「この人とこの人の組み合わせは面白そうだ」とか「グループの起爆剤としていいかも」などと言っていた。ただし、混ぜればいいというものではなく、明らかに「まぜるな危険!」と洗剤の表示の文句みたいな場合もあったし、起爆剤になるのはいいが火薬の量を間違えて大爆発するだろうと思われるケースもあったりする。確かに、私は時々「面白ければそれでいい」ということをゼミ生にいうことはあるのだが、それにも限度というものがある。まあ、最終的に面倒を見なければならないのはこっちである。しかし、それにしても、そこまで深く考えてくれているというのはうれしい限りだ。気持ちは目一杯受け取った。終了後、判定会議をする。ここで迷うのは、ほとんどの学生が「この子はいいですよ」と言っていたが、私の直感ではちょっと「??」と思う人がいる場合にどうするかということだ。最終的な決定権限はもちろん面倒を見ることになる私にあるのだが、なかなか難しい。また、その場では問題ないとした人についても後で記録を見返すと「??」ということもあった。うまく表現できないが、とにかく心に引っかかってこないケースである。明日もう一度見直してみて合格者を決めよう。人を選ぶのは本当に難しい。4年生が言っていたのは「人事の人ってこんなに大変なんですね。毎日こんなことをやっていて、しかもどうしようもないのが来たらがっかりするんだろうな」ということだった。確かにその通りだ。しかし、みんなしっかりと見てくれていて本当に助かった。手伝ってくれた人たちには感謝だ。いい勉強にもなったと思う。終了後は近くの居酒屋でプチ打ち上げ。学年をまたいでの宴会。すっかりうち解けてみんな楽しそうだった。次の飲み会の約束などもしていて、ゼミは次の段階へと進んでいくのだろうとうれしく思う。しばらくは楽しみに推移を見守っていきたいものだ。
Oct 25, 2007
コメント(0)
通勤電車の遅れで完全に予定が狂った。会議開始時刻ギリギリに着いて、あわてて準備。会議自体は、最初の趣旨はよくわからなかったものの、最終的には建設的な話し合いができた。よくあるダラダラ会議や、何とか早く終わらせよう会議とは違って、非常に実のある話し合いだった。会議はこうでなければいけない。会議が延長となり、昼食を食べる時間もなくゼミの面接に突入。今年もいろいろな学生さんに会って話をする。今回もゼミ生に面接を手伝ってもらったのだが、彼らなりにいろいろと考えてきた質問をしてくれた。4年生は就職活動で面接を嫌と言うほど受けてきたので、質問内容も評価の視点もさすが大人である。今回は3年生も手伝ってもらったが、こちらはまだまだ内容的には熟成されていないのだが、フレッシュな気持ちをまだ持つ中で自分なりに考えてきた質問をしてくれた。学生同士の話を聞くのもなかなか勉強になる。今日予定していた人数を何とかこなしてみんなで評価を下した後は、またすぐに会議。こちらは内容的にストレスのたまるものだった。なぜ普通にちゃんと物事が決まっていかないのかと思うと、困ってしまう。終わった後はゼミ生たちが相談があるというので来室。あれやこれやと重要な話をし続けて、結局息をつく暇もなかった。ちなみに、昼食はこの時間帯、話を聞きながら食べていた。おなかが減りすぎて気分が悪くなったので了承を得ていただく。本当に空き時間のまったく無い日だった。明日も面接の続き。今日の倍の人数を面接する。出会いを楽しみにしておこう。その前に、体力温存が重要かも。
Oct 24, 2007
コメント(0)
現在、通勤電車の中に缶詰め状態。30分近く動いたり止まったりを繰り返している。いつもならとっくに乗り換えているのに、その駅にすらいつ着くのかわからない。 車内アナウンスで繰り返されるのが、タイトルの言葉だ。踏切で安全確認と言われても、実は理由はさまざまである。列車停止ボタンのイタズラ、ムリな横断の検知、踏切自体の故障、踏切以外でひどいのは高架橋にトラックが衝突して線路の歪みの確認といったものだ。安全確認は当然重要なのだが、ここまで毎日のように遅れると気分的に疲れる。 今回は最後まで安全確認で押し通すつもりのようだが、周りの乗客は携帯で「ようわからん理由で遅れてます。すんません」と言っていた。 今日はいい天気で爽やかな気分でいられるはずだったのに、趣旨のよくわからない会議を突然言い渡されて早く呼び出され、さらに決めていたゼミ面接の時間変更の連絡に忙殺され、それだけでもテンションが下がるのに、このダメ押し。 BGMは最初、ドヴォルザークの「謝肉祭」で楽しかったのだが、すっかり気分を損ねたのとシンクロして、またもやショスタコービチの交響曲第10番。こうなったらヤケクソモードである。この曲をかける頻度が高いと不機嫌な証拠である。 これだけ書いている間にやっと電車は動き始めた。でも乗り換え駅まではまだかかる。 早いところ気を取り直さないと、ゼミ面接に響きかねない。いやいや、そんなことは絶対なく、取り戻すことはできるのだが、後の疲れ度合いが違うので、何とか気分の回復を。ショスタコービチを最後まで聴いてはじけるか、他の曲に替えるか現在思案中である。 ほんまにもうねぇ…何とかしてくれよ…。
Oct 24, 2007
コメント(0)
今日は出勤してすぐにゼミ面接の応募者に開始時刻を知らせるメールを送る。可能な限り要望はきいてあげようということで。シフトを考えるのもなかなか大変である。 その後で授業。ところが、今日はいつになくうるさい。よくよく聞いてみると、この原因は今週どこのゼミでも面接があって浮き足立っている学生が多いからだと思った。 そこで、面接の予習と反省会は外へ行ってやれと言う。さすがに話題がタイムリーなので、一瞬静かになった。そして「余計なお世話かもしれないが」と断って「やるべき時と休むとき、遊ぶときのオンとオフをきっちりできない人はどんなにその場でつくろっても、相手がちゃんと考えていれば見抜かれるよ。後で気づいても遅いよ。」と言っておいた。 しかし、全然わかってない人もいた。問題外である。ゼミはの単位はなくても卒業できるが、あの調子では、就職活動は苦労するだろうな。まったくおめでたいとしか言いようがない。 それから「(他の先生の)面接落ちたら行きたいんですけど、いいですか?」ときく人も。おいおい、そう思っていても、直接きくなって!とにかくぶっちゃければいいというものではない。悪気はないだけに、余計に将来が心配である。 もっとも、まさに余計なお世話かもしれないが。
Oct 23, 2007
コメント(0)
今度、娘のバイオリンの発表会で、私も何か演奏するように先生から言われた。最初はソロでなどと言われたが、さすがに準備する時間も覚悟もない。ところが、幸いなことに「一緒に弾きましょう」と言ってもらえて一安心。デュオで弾ける楽譜をいくつか渡されている。 その中に登場するのが童謡「七つの子」である。クラシックや外国の民謡などの中に日本の童謡が入っているとなぜかホッとする。 この曲は子供たちがまだ赤ちゃんだった頃、妻が寝かしつけのために歌っていた歌。子供たちの寝顔を見ると、今でも思い出す。私にとっては、「赤とんぼ」とあわせて、何だかとても大好きな歌である。私も赤ちゃんの頃に母がよく歌ってくれていたのだろうか。 本番では、きっと大事に気持ちを込めて弾くことになるだろうと思う。子供たちへのプレゼントだと思って。
Oct 22, 2007
コメント(4)
今日はOBオケの練習。今週を過ぎてしまうと、しばらく気分を解放することができない忙しさになってくるので、今日は思いきり羽を伸ばさせてもらうことに(昨日は子供と遊んだので許してもらった)。練習場所が自宅から遠く、交通の便がきわめて不便だったので、私が車を出して、近くに住む後輩を拾い、さらに途中に住んでいる同期を拾って向かう。距離は遠かったが、楽しく話しながら行くとすぐに着いたような気分になる。練習はみっちりと。シベリウスの交響曲第2番の初見大会。今回は指揮をせずコンマスのみで挑戦。事前に準備をきっちりしていったこともあり、落ち着いて練習指揮者にもついていけたように思う。個人的にはもっと音をクリアに出せるように練習を積むこと、オケ的には早く絡んでいる部分をみんなでわかって弾けるようになること。そして、そのために合図をしっかり出せるようになることが今後の課題である。しばらくぶりでみんなと一緒に演奏したが、とても楽しかった。初回にしてはまあまあなのではないかと思う。もちろん、前回の「悲愴」に比べれば技術的にやりやすいこともあるだろうとは思う。しかし、こういう曲だからこそしっかり成長できるようにみんなで練習を積み重ねて行けたらと思う。弓の使い方、音の出し方などをしっかりマスターできるようになれば、一皮むけると考えている。頑張っていこう。終わった後は打ち合わせをかねてゆっくりと食事。いろいろな世代が集まってもちゃんと会話できるのがウチの大学OBオケの楽しさであり、強みだと思う。自分の与えられた場所でしっかりやっていこうと思う気持ちを新たに強く持った。着実に次の段階に行けるようにしたいものだ。帰りは後輩と車で帰る。途中眠いなと思うこともありつつ、話しながら帰ったので、とても楽しかった。10歳以上年齢が離れていても楽しく話せるというのは何ものにも代え難い財産。この出会いを大切にさらに大きく育てていきたいものだ。こういうことがあると、とても幸せだなと思う。
Oct 21, 2007
コメント(0)
今日は市民オケの練習だった。「第九」の練習だ。「第九」はもうかれこれ13回ほど演奏しているのだが、複数の指揮者でいろいろな「第九」を経験してきた。今回もまた初めての指揮者で、今日が初顔合わせだった。若い指揮者で自分よりも年下、自分が仕事を始めてごく初期の頃に担当したゼミの卒業生によく似た顔だったので、何とも他人のような気がしなかった。最初はとにかく全曲を通してみる。当然みんないいところを見せたいので必死だった。いろいろと指揮者が棒で体でいろいろと指示を出しているのだが、まだあまり取り込めていないのがちょっともったいなかったが、それでもまずまずだと思っていただけたようだ。「第九」はもう何度も演奏してきたのだが、指揮者が変わればやはりフレッシュな感覚になる。譜面は同じものを使っていても、時間の取り方、そして声部の組み合わせに関する解釈などはみんな違う。そのあたりを味わっていくとなかなか面白いものだ。途中の説明もわかりやすくてなかなか面白かった。思い、イメージをしっかり持つことが大事だとのこと、ただ、適当かつ勝手にやったのではダメで、思い切りをしっかりもっていて、かつみんなでよっていくことが大事だ。ぜひ今回もいい演奏会にしたい。練習の最後に質問コーナーがあったが、そこでのベートーヴェンについての話はオチがきっちりつけられてメンバーの大爆笑を誘った。これからの雰囲気作りに一役買うような感じになっていればいいなと思う。「かわいがってやってください。よろしくお願いします」と指揮者は言っていたが、オケが相撲部屋のような「かわいがり」をしないようにくれぐれも気をつけなければならないな...。
Oct 20, 2007
コメント(2)
ブラームスはいろいろな編成で数多くの室内楽を作曲している。管楽器と弦楽器と組み合わせた編成などもあり、このあたりもベートーヴェンの後を継ぐような感じなのだろうか。作曲されたのは1860年、ブラームス27歳の時、まさに青年時代で、有名なひげ面のブラームスとは違った雰囲気だっただろう。弦楽六重奏という編成は、ブラームス以外だとドヴォルザーク、チャイコフスキーといったところだろうか。音がとても分厚くなる一方、それだけ重い感じになりやすいと思われるのだが、この曲ではそうあまり感じない。しかも、ブラームスはこの編成で2曲書いているのだ。第2番も爽やかでいい曲だと思うが、第1番の方がやはり有名である。-------------------------第1楽章:この楽章は3拍子で書かれているが、実はいきなり旋律が3拍子っぽくない(最終的にちゃんと帳尻は合うのだが、リズムでも調性でも途中に紆余曲折がたくさん)。変ロ長調でヴィオラのさざ波をバックに。高音のチェロからスタートする爽やかな世界。ヴァイオリンに登場する3連符による音型は弾いていてもなかなか厄介である。そこを抜けるとイ長調の透き通った世界が変ロ長調の間にちらっと見えたりして、心をくすぐる。展開部にはいると、拍子がますます取りにくくなるので、これはアマチュア演奏家泣かせである(まあ、そんな人が弾くようになるとは本人も思っちゃいなかったんだと思うが)。全体で3連符を弾き、激しさを増した後に突然ホ短調に変わって寂しさを感じさせる部分がなかなか泣かせる。また、途中で#や♭がたくさんある調が頻出するが、これもブラームスの持ち味。その後、再現部に当たる部分の盛り上がりは素晴らしい。ちなみに、ブラームスは1stVnにとにかく高い音を要求する人で、オーケストラでも同じ。これまたアマチュア演奏家泣かせである。最後は、なだらかにテンションを下げてゆっくりになって終わるのだが、ピチカートによる旋律が印象的。とにかく瑞々しさを感じる音楽で、若さを感じる。爽やかでいい。この楽章を演奏すると思うのが、音量のバランスを取ることの難しさである。というのも、音が多い上に主役が次々と交替するので、そこをわかって演奏しないと、ただうるさくてメリハリのない演奏になってしまうのだ。-------------------------第2楽章:この曲の中で最も有名な楽章。初演の時から人気があったそうだ。フランス映画「恋人たち」に使われていて有名だということだが、私は残念ながらまだ見ていない。ブラームスが愛していたというクララ・シューマンにピアノ編曲をしてプレゼントしたというエピソードもある。曲はニ短調を中心とする変奏曲。最初から情熱的にスタートし、それがどんどん盛り上がっていく形は、激しい思いの丈をぶつけているかのよう。重音連発の場所はきっちりと弾ければとても効果的なのだが、これもアマチュア演奏家泣かせである(4弦同時になかなか弾けない)。どんどん盛り上がっていくごとに弾いている音が増えていくという手法をここまで徹底しているというのはスゴイことだ。また渦巻くようにチェロが弾きまくるところもカッコイイ。そこを抜けると突然視界が開けるようにニ長調の旋律が出てくる。この変わる瞬間がいつも鳥肌ものである。それからさらに和音が変わりつつ音が上がっていくところ、その後薄い音でヴィオラが高い音を弾く旋律などはまさにたまらん!という感じ。なぜこんな旋律が書けるのかと、ここでもやっぱり思ってしまう。その後曲はニ短調に戻り、今度は最後に向かってどんどん落ち着いていく。同じ旋律なのだが、今度は寂しさなども感じさせる。まさに自由自在に書いているという印象だ。最後に短調と長調とを行ったり来たりしながら終わっていく世界は見事だと思う。-------------------------第3楽章:ヘ長調のスケルツォで、主部は少しのんびりした雰囲気の旋律(テンポ設定によって印象は若干変わるかもしれないが)。短調の要素が入っているのも雰囲気が変わって面白い。中間部はテンポを速めて走り抜けるような爽やかさを持っている。この部分では途中でヘミオラ(3拍子の中に2拍子が入る)を経ていきなり遠い調(変ニ長調)に行ってしまうところが面白い。いろいろといたずらをしながら、「何かあったの?」という感じでさりげなく中間部は終わってしまう。コーダ(結尾)はまた走り抜けるように終わる。コンパクトで何とも洒落た楽章だと思う。-------------------------第4楽章:最初に提示された旋律が節目で何度も登場するロンド形式。この旋律は爽やかでもあり、優しさを持っているように感じる。誰かに思いを寄せていることの幸せを表現しているとでも言えようか。この楽章では、リズムの複雑さよりも、いろいろな調を行ったり来たりする具合が特徴的だと思う。中間あたりで少しリズミカルな部分があるのだが、そこでもそういったことを感じる。旋律は単純だが、実は伴奏は大変である。これまたブラームスらしいなという気がする。最後は、静かにおさまっていくというので第1楽章と似ているなと思っていたらフェイントで、テンポがどんどん上がっていく指定。盛り上がって終了。本当にうまくできているなあと楽譜を見るたびに感心してしまう。-------------------------この曲は、市民オケのメンバーとともに練習している。オケだけだと自分の音が判別しづらくなってしまうので、どうしても雑になってしまう(音が荒れるなどという)ので、室内楽で耳も腕も鍛えることがやはりとても大事。「○○屋(某居酒屋チェーン)友の会」の名で活動しているため、練習場を借りるとこの名前で掲示されるのがいつも笑ってしまう。でも中身はいたってきっちりしている。といっても、まだまだ発展途上なのだが、やっていて楽しい。いい仲間と演奏するというのはやはり幸せなものである。そういえば、前回の練習で特技を発見。2ndVaが不在だったのでどうしようかとなったときに、この楽譜をもらって、ハ音記号の楽譜を読みながらヴァイオリンを弾き、ない音はオクターブ上で弾くことにした。ヴィオラがあれば弾くことはできるのだが、何しろ楽器がないのでヴァイオリン、これは大変だった。初見だったのでもちろん全部は弾けないのだが、邪魔しない程度には音は当てられたかなと。なんだか、ヴァイオリンで旋律を弾きながら足で違うリズムの打楽器を鳴らすとか、一見するとわけのわからないマニアックな特技ばっかりで、内輪ウケしかしないのが何とも残念。やはりヴァイオリンで「ほぉー」と言われる方が気持ちよさそうだなと思うが、こちらの道のりはまだまだ遠そうだ。
Oct 19, 2007
コメント(1)
今日出勤すると、ゼミの応募用紙がメールボックスに入っていた。毎年出足はあまりよくないのがウチのゼミの特徴なのだが、それをはるかに超える応募があった。もちろん、素直に喜ぶべきことではあるのだが、いつもと傾向が違う。だいたい1次面接の場合、自分の所属する学科の学生で、私の授業を受けたことのある学生が多い。しかし、今年は他の学科からの応募がけっこうあった。ゼミ体験に参加した学生や、ガイダンスに参加した学生ではない人もいるような感じ。選抜の際には少々注意を要するだろう。午後からは3コマ連続。大学院の授業では最近自分が関心を持っている話に当たったので、すっかり語ってしまった。反省しつつも学生も興味を持ってくれたようで、とりあえずホッとする。次は3年ゼミで、グループ研究の発表。この学年はどのグループもまんべんなくうまくやっている。ディスカッションの明るい雰囲気は、教員という立場からでも楽しいものだ。自分が多くを語らなくてもいい感じで時間は過ぎていく。でも、やっぱり少しは学習面以外の問題の芽があると感じたので、その点についてクギを刺しておく。見ていないようでちゃんと見ているのですよ...。その後は4年ゼミ。風邪をひいた人が多く、欠席も多かったが、こちらでは将来を見据えた話をしておく。自分の人生の答えは自分で見つけていくしかない。将来は誰にもわからない。でも、何もしないわけにはいかない。となると、自分でできるだけのことをわかっておかなければいけない。いろいろな例を交えて少し話しておいた。卒論はそのきっかけ、ジャンプするためのトレーニングでもあるのだと。終了後もあれこれと仕事をして帰宅しようとしたら、困った問題が発生。自分で招いた問題ではないのにこちらで動かないとマズイ結果が起こる可能性がある。放置してはマズイので、明日にでも対策に当たろう。しかし、こういうのはテンションが下がる...。帰宅後はゆっくりしながら金八先生をみる。「本当の自分は自分ではわからない」「簡単に答えを教えていたのでは本人にとってよくない」「人生の答えは自分で見つけていくしかない」まさにその通りだと思いながら繰り広げられるエピソードを見ていく。本当の自分は自分ではわからない...確かにそうだ。授業中に私語を注意しまくっている私に「こわい」というイメージを持つ学生は少なくないらしい(代々のゼミ生がみんな言っている)が、ゼミ生と一緒にいるときには笑顔の方が多いことを意外に思っている学生もいたそうだ(応募用紙のメッセージ欄にそう書いているものがいくつかあった)。笑顔中心の方が本当の私(たぶん、その一部だが)に近いのかなと思う。ともあれ、自分が忘れてはいけないこと、そして学生諸君に忘れて欲しくないこと、それは「必ず他人が自分のことを見ていること」そして「自分で自分の顔は見えず、他人を通してしか知ることができない」ということ。肝に銘じておかなければならないと思った。
Oct 18, 2007
コメント(0)
今日も通勤電車に揺られて仕事へ。そんな中、目にしたのがこの記事だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー産経新聞より「阪急が「優先座席」を復活 “譲り合いの精神”挫折」「全席が優先座席」という考え方で電車内から優先座席を撤廃していた阪急電鉄は17日、8年半ぶりに全車両で復活させると発表した。どの席でも譲り合う思いやりの精神が定着しなかったためという。“性善説”に期待した同社の理想は、車内モラルの低下という現実を前に挫折した形となった。(中略) 阪急は11年4月、全席を優先座席と考えるべきだという理想を掲げ、優先席撤廃に踏み切った。だが、現実には席を譲らない雰囲気が広まり、同社には高齢者を中心に復活を求める意見が毎年10件余り寄せられた。今年6月の株主総会で同様の要望があったことを機に、復活を決めたという。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー阪急電車によく乗る私は、「全席が優先座席」であることについては当然知っている。従来は車両の端の部分に優先座席があった。JRなどは今でもそういう形になっている。時には譲る人もいるのを見かけるし、私も目の前に必要としているだろうと思われる人が立っていればそうする。しかし、そういう光景は確実に減っていると感じる。一番ひどかったのは、反対側の席の前に立っていたしんどそうな人を見て譲ろうと声をかけて席から尻を浮かせた瞬間に私を突き飛ばして席を取ったサラリーマン。「ごめんなさいね」とその人は声をかけてくださったのだが、本当に申し訳ないと思った。電車を降りる間際だったので、そのサラリーマンに何かを言う時間もなかったのだが、こういうのは本当に腹が立つ。顔の前でオナラでもしてやろうかと思ったほどだ(他の人にも害が及ぶのでそれはダメだろうが、気持ちだけ)。また、最近よくあるのは鞄や袋で一人分の席を確保したまま無視する人々。前に人が立つといきなり寝たふりをするからタチが悪い。さらには、夜に座席を占領しつつ吊革にぶら下がって遊んでいる塾帰りの子供たち。どうやら塾の前では先生たちが立って交通整理をしているのだが、電車に乗れば無法地帯。きっと親たちはわかっていないか、目が届かないから知らないふりを決め込んでいるのだろう。子供ならまだどうにかなるのだろうが、大人たちはこういう件で注意されるとよくキレているのを見かける。困っている人々はなかなか声を上げられない状況の中、結局株主総会で要望があったから何とかなるというのはどうも情けない。私はこういうことに対してただペナルティを厳しくすればいいとは思っていないが、ペナルティがないことを逆手に取る人がここまで多い社会になるとどうにもならないのかなとも思えてしまう。一線を越えたらダメなのだということを痛い目にあって知らないかぎりはダメなのかもしれない。自分が子供の時なら当たり前のように親に叩かれていたものだが、なかなかそうは行かないのかな。阪急電車のマナー関連で言えば、携帯電話電源OFF車両は、ある程度定着しているような気はする。理由は簡単で、携帯電話を操作していると車掌さんが本当に注意しに来るからである。やはり多くの人の前で言われると恥ずかしいだろうし、一瞬腹が立つことはあっても、やはり注意されたことが情けないという気持ちも起こるだろう。結局、注意されるかされないかの差になってくるのだろう。私も授業の時に、このことは感じている。何も注意しなければ始まらないし、注意をしていけばそれなりに受け止めてきくというのが、多くの人の心理であるように思う。優先座席についても、呼びかけだけではダメなので、実際に社員の人が乗り込んで注意するしかないのかなと思う。一度無くしたルールを復活させるのはマナーの部類に入ることなので、けっこう大変かもしれないが、ぜひ頑張っていただきたい。乗客の一人として見ていこうと思う。
Oct 18, 2007
コメント(2)
今日は会議のために大学へ。火曜日に夜遅くまで授業があるので、午前中の会議はなかなかエンジンがかからない。 会議は、話し合いというより、意見をとりあえず言わせて、なぜかすべて先送り。しかも、後日の会議までにさらに意見を言わないと、そのまま進めていくという議長からのお達し。それは会議というより通達…。 結局何も決めずに時間切れにしてどさくさに紛れて物事を進めていくのか?と思えてしまう。 大事な議題に使った時間は10分なかった。肝心な議題を「何とかパーッと終わらせる」ようにしているのかな?何もそこまでいろいろな場面で貫徹していなくてもいいのに…。 時間切れで物事が勝手に進められるのは、本当によくない。モタモタしてはいられないのはよくわかるのだが、ちゃんとリアルに対決してほしいなと。メールでバーチャルに済ませるのはかえって時間もかかるし、誤解も生みやすい。それなら飲み会をして喧嘩している方がまだマシな結果に結びつきそうだ。 早く決めたいから議論をしないというのでは「拙速」だ。それなら期間を圧縮して濃密に議論して、上手に議論の速度を上げていった方がどれだけ生産的か。そうしてこじれたら、そこが議長の腕の見せどころだろう。 会して議せず、ポイントもハズレて…。自分に関係ないとなれば意見すら言わないのも、辛いものがあった。それでコミットメントがどうのこうのと言われても、説得力に欠けてしまう。何だか、ビジネス雑誌や経済系の新聞の「さらば!下手な会議」みたいな特集に載っているエピソードを見るようだった。わりきれない思いが残った。
Oct 17, 2007
コメント(0)
今日も朝から忙しかった。まず研究費の書類を添削してもらうために提出したものがいっこうに帰ってこないために担当部署へ連絡。すると、「昨日、お返ししましたけど」との返事。大学の中では学内便というのがあって書類を運んでくれるのだが、どうもそこで止まっているようだった。本締切は今日なのに、これでは訂正する時間がないではないか!今年からルール変更によってたくさんの人が提出するようになったために、処理する部署でも混乱しているのかなと思う。書類の書き方は年々ややこしくなるわで、時間ばかり取られてしまう。仕方がないので、今日の教材をコピーし、さらに来週の教材を作ることに。その作業をやった後で同僚とランチ。その後は、ゼミの応募の件で相談したいということでアポを取ってきた学生と面談。疑問点は解決したようで何よりだ。それが終了すると10分後に授業開始。ゼミの応募の件で浮き足立っている学生が多かったように思う。これでは本末転倒、というか今考えているようでは問題だな...。終了後、メールボックスにやっと書類が入っていたので、そこから修正作業。これで時間に間に合わなければダメだといわれるのはかなわないので、とりあえずいつまでオープンしているのかを確認して、必死で作業。何とか提出を終えると、今度はゼミ生が相談があるというので研究室へやってきて面談。その後一瞬だけ同僚の部屋でお茶をいただいて夜の授業へ。こちらは3年生以上ということもあってか、気持ち悪いほど静かである。こういう環境だと学生もかなり集中しているのがわかる。そうそう、授業には適性人数が確実にあるなと感じる。そんなこんなで時間なく過ごした後同僚といつものラー研、楽しく話しておいしく食べて、気持ちは晴れやかに帰宅。おっと、そういえば帰りしなに、同僚からプレゼントというので何かと思ったら、付箋を入れるケース。これは印鑑などの小物を入れるものなのだが、付箋を入れるのにちょうどいいサイズ、私が見せてもらって「それいいね」と言ったら調達してくださったようだ。授業や研究のための本読みには必需品。ありがたく頂戴した。電車の中では本当に助かるアイテムである。
Oct 17, 2007
コメント(0)
今朝は空が青くスッキリと晴れているわけではないが、白っぽく日が差している。最近、通勤の時にもゆっくり音楽を聴くという時間がなかった(歩いているときには聴いていたりするが、考え事をしているときには聴いていない)。今日も授業と研究のネタに関連する本を持ち込み、電車で読んでいたのだが、思っていたよりも早く読み切ってしまった。そこで、せっかくだから久しぶりにゆっくり目を閉じて音楽でも聴くことにした。最初に選んだのはメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲。この曲の軽い動きとピュアな響きが大好きだ。演奏するのはめちゃくちゃ難しいのだが、聴く分にはとても心地よい。それが終わると、今度は交響曲第4番「イタリア」の第1楽章。朝の白っぽい光にとてもよく似合う。聴きながらふと、「イタリア」の雰囲気はなぜかイ長調だなと思った(チャイコフスキーのイタリア奇想曲もそう)。その後乗り換えたら満員電車。というわけで「イタリア」の第4楽章をかける。サルタレロのリズムはうっとうしい空気をはねとばすのにちょうどいい。イ短調で駆け抜けるような旋律というのはバッハとかにありそうだが、その要素の進化型なのかなとも思ったりする。3曲聴いてみて木管楽器の扱いがメンデルスゾーンらしさを作っているのだなと思った。さてその続きはというと、やはりここから先は勤務先に近づくと言うことで戦闘モード。マーラーの交響曲第1番第4楽章をかける。シンバル一発がそれまでの空気を切り裂くようで、モードの切り替えとなる。その後しばらくして「花の章」の回想。この部分が大好きで、気分的にはうっとりしてしまうが、そのまま表情に出るとただ気持ち悪く見えてしまうだけなので抑制。その後空騒ぎのファンファーレが終わったところで電車を降りるが、手がボタンに当たってしまい、曲が変わってしまった。ショスタコーヴィチの交響曲第10番、よりによってなんでこれ?!やけくそで第2楽章をかける。まさに「怒」の音楽。気を取り直して「花の章」の部分をもう一度かけ直して、勤務先へ到着。久々にこれだけ聴いたが、やっぱり気分がすっきりした。たまにはこういうのも必要だな。
Oct 16, 2007
コメント(2)
私はピアノを習ったことがないので弾けない。そのために、ピアノの曲にはとても疎いというのが正直なところなのだが、この曲は昔から大好き。もうずいぶん昔になるが、饅頭屋さんのコマーシャルにこの曲が使われていて、その雰囲気と共にこの曲が一度で好きになった。気分的に疲れた夜には、思い出したように聴いている。夜道を歩くとき、そして寝る前に電気を暗くして、この曲を聴くとほっとする。最近忙しいので移動中にも仕事をすることが多く、また演奏会が近いとそこで演奏する曲を聴いてしまうため、しばらくは聴いていなかった。今日は仕事の帰りに「あ、月の光を聴こう」と思いたち、いま聴きながらこれを書いている。娘がピアノを習って買ってからというもの、もったいないので私も楽譜を買って、少しずつチャレンジしている。まだ音符の単位が大きい1ページ目はどうにか弾けるようになったが、ページが変わって音の組み合わせが複雑になると指が追いつかない。そして、6連符が出てくるともうお手上げだ。ゆっく~り弾くほかはなく、曲の雰囲気はみじんも出ない。娘に毎日ヴァイオリンの練習をしなさいと言っている親としては、こちらを練習して対抗しようかな。#や♭はいくつついても私にとってはほとんど関係なく、楽譜だけは読めるのだが、指が思うように動かないのは当然だろうな。最近では、ブルグミュラーの比較的簡単な曲だのをちゃんと練習して、それから弾くことにしている。ウォーミングアップがなければどうにもならないのはヴァイオリンとて同じことだ。しかし、今日はそんなことを気にしないでゆっくり暗い中で聴いて、独特の和音と音の移ろいを楽しみながら、眠気を誘おう。この曲、なぜだかいつ聴いてもジーンとくる。今日は特にそんな気分、明日の元気のために聴いて寝ようっと。
Oct 15, 2007
コメント(2)
昨日は遅くに自宅へ戻り、最後は倒れ込むように入眠。出張はやはり疲れるものだ。どこでも眠れる性分だとは思うが、疲れまでは取りきれないということだろう。 朝は子供たちが早起き。運動会の代休で遊ぶ気満々。しかし、もちろん起きられず。 午後からは非常勤の仕事。乗るつもりの電車がなぜか運休(事故か何かで間引かれたらしい)で、次のに乗ったら接続が悪く、着いたのは結構ギリギリ。息を整える暇もなく講義開始時刻。こちらでも本務校同様、話が通じにくくなるのを感じる。やっぱり特殊事情ではないのだろうと感じる。控室で別の語学教員らしき先生が「去年にはない日本語の通じなさだ」と言っているのを聞いて「その通り!(アタック25風に)」と心の中で激しく同意。 それでも少数ながら反応してくれる学生がいるとテンションは少し上がる。2コマを終えて帰宅途中、外は真っ暗だし、疲れて眠い。やらなければならないこと、電車の中でもできることはあるので、さてやれるか、眠りにおちるか、どうなることやら…。
Oct 15, 2007
コメント(0)
昨日から遠くへ出張。いつもと違うのは、別の仕事で来ていた同僚と同じ都市にいたこと。しかも、宿泊先は同じ最寄り駅のホテル。ということは、仕事が終わった後は必然的に落ち合うことに。いつもながらの真面目な話とくだらない話、緩急織り交ぜてのトーク。どこでもやってしまう「男がしゃべりでどこが悪いねん!」状態である。しかも、後から他学部の先生まで合流。なかなか珍しい会となった。といっても、大学の近くにある飲み屋と背景だけ変わって登場人物は同じという感じである。珍しく日付が変わる前にホテルへ到着。睡眠時間もそこそこ取れて、今朝は健康的な料理のバイキング。味もまあまあ。部屋はちょっと狭いが清潔で使い勝手が比較的よい。今回のホテルは正解だった。午前中は仕事。終了後、別の場所でフィールドワーク(社会見学?)をしている同僚のいるところまで電車で行くことに。さらにまた別の同僚から教えてもらった地元のラーメン(またか?)を食し、一緒にさらに歴史的遺産を社会見学して、最後はいろいろな乗り物を乗り継いで駅前で打ち上げをして帰る。同じ電車にのって帰るも、最初は2人とも熟睡し、乗り換えた後は席が分かれてしまったので思い思いに過ごす。仕事で出張+自主的エクスカーションということで、勝手に体は疲れた。しかし、やはり滅多にないこの偶然を十分に楽しめたので、そういう意味ではリフレッシュという感じだった。明日からはまたいつもの日常がスタートする。
Oct 14, 2007
コメント(0)
今日は子供たちの幼稚園の運動会。今年は2人とも出場するので、ほとんどの競技にどちらかが出ている。写真係としてはあちこち、良好な撮影ポイントを求めてさまよう。 私は娘が出る最後のプログラムを見届けて出張へ行かなければならず、スーツなので、親子競技は妻に任せた。本当は、一緒に走りたかったのだが…残念だ。 しかし、子供たちの頑張る姿は目に焼き付けることができた。かけっこ、竹馬、ダンス、どれも素晴らしかった。妻は横で涙を流していた。やはり立派に成長する姿には私もジーンときた。 出張があったとはいえ、うまく予定が合ってよかった。新幹線に乗って、遠くまでやってきた。子供たちに直接声をかけられなかったのが、ちょっと残念だったが、とてもいい日だった。これが親として、ギラリと光るダイヤのような一日だったのかな。
Oct 13, 2007
コメント(0)
今日は大教室での講義3連発、最後はへとへとになる日だ。朝から昨日作文したものを担当の事務の方へ提出、添削していただけるとのことでとりあえずひと安心。研究室に戻って授業の準備をして、1年生の授業へ。やはり様子が例年と違う感じ。うるさい学生が減ったことはもちろんいい傾向ではあるのだが、だからといって反応が薄すぎるのはやはり問題だなと思う。少し抽象的な話というのが大学の授業ではどうしても避けられない部分がある。目に見えないことの中に大事なことがたくさん隠されている。にもかかわらず、そこに目を向けようとする学生の数はやはり減っているように思う。以前からそういう学生はいたことは見ていてわかるが、その割合が格段に増えているような気がする。午前の部が終了して昼食を取るために研究室に戻る途中でメールボックスを見ると、某誌の大学ランキングなる記事のコピーがライン付きで入っていた。言いたいことはわかる。学生をちゃんと見て接するようにというのが大事だということは。でも、それをできる体制が整っていないことが一番の問題だと思う。データに書かれた数値も残念ながら実態とはかけ離れている。午後の部は1年生の別のクラス、そして2年生の別の科目の授業。2年生のこのクラスは、午後の生理的理由により気絶している風の学生はいるものの、こちらにアンテナが向いている人が多いことがちゃんとわかる。この学年は去年けっこう手を焼いたのに、頑張るようになった。こういうのがうれしかったりする。ちゃんと見ていれば気づくものだ。終わった後は速攻で帰る。途中、同僚に会い、「どうしたの?声枯れてるねえ」と言われ、やはりハードだったんだなあと実感。帰宅後は家族で夕食、そして子供たちと入浴。今日はマクド&ファミレスごっこに付き合わされ、のぼせて風呂から上がる。子供たちが寝た後は、昨日から始まった「3年B組金八先生」を録画したものを見る。このドラマは最初のシリーズからすべて見ている。「現実を表していない」とか「理想主義過ぎる」などいろいろと言われることはあるが、中学と大学とは違うとはいえ、実際に教育現場にいる者としては、やはり勉強になることや、考えさせられることが多い。問題意識を持った状態で見ると得るものは多いと思う。今日のタイトルは、番組のクライマックスになる授業の場面で取り上げられた詩のタイトルである。どれだけ生きていると思える時間があるのかという問いかけにはやはり考えさせられる。モンスターペアレンツも登場していたが、やはりこれも考えさせられる。しかし、一番考えさせられたのは、どの学校に行くのかが自由選択制になって、選ばれない学校は困ったことになると言う話。これは大学とまったく同じ構図。実績をとにかく出すための改革案を必死で出そうとする校長に金八先生がかみつく、そこで金八の信頼する保健の先生が「でも、生徒が来なかったら3年B組はなくなってしまうんですよ」というと言葉に詰まってしまう。競争激化のスピードへの対応と、明らかに時間を必要とするきめ細やかに個人へ目の届く教育とがケンカしているのが日本の教育のどこかしこでも起こっているということなのだろう。そう考えると、かなり恐ろしい状態になっていると思う。「これらの2つを両立させることがいい」とは誰でも言えることで、問題はそれをどうやって、一つの場所で可能にするのかということだ。そして、きめ細やかな対応を支援できる体制をいかに作るのかということだ。誰かが号令をかけてルールを作れば、枠組みを作れば勝手に成功するというミラクルは残念ながらあり得ないと日常から私は感じている。大事なことは「自分は信用されている、必要とされている」という気持ちをいかに持てる状態にできるのかだと思う。それは子供も大人もおそらく同じこと。金八先生のようなやり方がいつでもどこでも通用するわけではないが、「自分の都合よりも生徒のことを先に考えるのが教師だ」ということは、どこかで持っていたい気持ちだ。それがいつも実現できる状態ではもちろんないわけだが、やはり求められたときには、あるいは自分のフィールドの中では、せめてそういう気持ちを常に忘れないようにいたいものだ。これからまた、心に響く話がいっぱい出てくるのだろう。これからしばらく木曜日の夜を楽しみにしている。
Oct 12, 2007
コメント(0)
今日は朝から大忙し。娘がヴァイオリンの練習をさぼってよくないという話を妻から聞いていたので、出勤直前にヴァイオリンの練習に付き合う。月曜日に教えたポイントを口で繰り返しながら「これでいい?」ときいてくる。私が付き合うときには言うことをちゃんときくらしい。なかなかいい音をさせていて、それも理解してやっているというのが素晴らしい。しっかり褒めて、同時に自宅を出る。今日は仕事があまりにも多く、しかも大学でないとできない仕事ばかりだったので車で出勤。乗り換えが不要である分だけ、電車で行くよりもかなり早く着くことができる。到着後、最初の仕事は締切の迫った研究費申請のための書類書き。いわゆる企画書の作文のようなものだ。最近、研究費については流用疑惑の問題などの影響もあっていろいろと厳しい。記入項目が年々増えているような気がするのは気のせいだろうか。とにかく途中まで仕上げておく。その後は、午後の授業のための準備。大学院の授業の次回分教材プリントを印刷。その後の3年ゼミがグループ研究のプレゼン発表で、そのレジュメをコピー。これがまた量が多い。かなり頑張ってやってくれた成果だと思うので、文句を言う気もなくひたすらコピー。それから、4年ゼミの卒論原稿を読み、コメントすべき点の洗い出し。ここまでで午前中の仕事が終了。気がつけばランチの時間ということで、同僚の研究室へいつも通り集合。昼食をとりつつ話し込んだ後、ついに気もつかせない5時間のスタート!まずは大学院の授業。こちらはすんなりと進み、終了。その後休みなしで3年ゼミで渡すべき書類を準備。しかも、2年生がゼミの時間に見学できるというイベントがあり、希望者を受け入れなければならない。その分のプリントも持って教室へ。行ったら2年生がけっこういた。机の配置を変えて、グループごとの島に2年生をそれぞれ張りつける。そしていよいよグループ研究の発表開始。できとしてはまずまず。この学年は本当に明るい雰囲気を作り出すのがうまい。2年生にもちゃんと目を配りながら発表を進めていく。こういう学生はおそらく社会人になっても大事にされるだろうなと思う。話し方などにも個性があり、何とも微笑ましかった。2年生も話をちゃんと聴いて帰った。さて、2年生たちにうちのゼミがどのように映ったのだろうか。まもなく面接のための応募書類提出期間になる。いい学生に選んで欲しいものだ。それから次も休み時間なしで、4年ゼミへ。卒業アルバムの写真撮影があるために、正式の開始時間よりも前に集合しなければならなかったので大変である。撮影は順調に進み、その後は卒論の発表。こちらの学年は落ち着いている(落ち着き過ぎかも?!)。しっかり取り組もうとすることがよくわかるメンバーの発表、ぜひ提出期限まで頑張ってほしいと励まし、何とか授業を終了。しかし、そこで仕事は終わらない。作文の続き。こういう書類作成はずっと見ていると気が狂いそうになる。誤字脱字のチェックや金額のチェックがどんどんめんどくさくなってくる。何で自動計算してくれる電子化された書類と、わざわざ計算して記入する書類が混じっているのだ。もうねぇ~何とかしてくれよ、ホンマにね(鼻にかけて言うと板東英二風になる)。集中して作業をして、何とか目処がついた。後は提出先で添削をしてもらうことにしよう。しかししかし!まだ終わりではなかった。明日の授業の教材プリント。先週のテンションを見て改訂しようと思い立ったまま、書類作成に時間を取られて放置していた。そこでさらに必死で改訂。終わったらまさに目がクラクラしていた。そしてようやく終了し、帰宅の途につく。外はとっくに真っ暗。ただ、通勤ラッシュに巻き込まれないのが救いだった。AMラジオを楽しみながら帰宅。帰ったら、子供たちが寝る前で、「おかえり~!」と熱烈歓迎。今日あったことをひたすら報告してくれる。息子は明後日にある幼稚園の運動会で踊るダンスを披露してくれて、娘はヴァイオリンのレッスンで先生に褒められたことを話してくれた。今朝練習しておいてよかったでしょう、もうホンマにね。ご機嫌で寝る部屋に行く子供たちを見送りながら夕食。なかなかハードな一日であった。明日も授業3連発。早く寝ないと体がもたないなと思う。
Oct 11, 2007
コメント(0)
昨日の話だが、朝自宅を出るときにけっこう雨が降っていた。私は通勤電車の中での傘の扱いが面倒なのと、湿気が多いのが嫌いなのでテンションが下がってしまうのだが、子供たちは違った。子供たちがお気に入りのNHK教育テレビ「ゆうがたクインテット」のCDの中に、「雨と雨ふり」という曲がある。これは「雨」と「雨ふり」という2つの童謡を面白おかしくつなぎ合わせた楽しい曲である。このようなアイデアを思いついて作品にする人たちを心から尊敬してしまう。「雨」は北原白秋による詞で、「雨が降ります雨が降る、遊びに行きたし傘は無し、紅緒の木靴(かっこ)も緒が切れた」というものだ。本来は暗くゆっくりした曲なのだが、このCDではハイスピードになっている。ちなみに、早川正昭作曲「日本の四季」(弦楽アンサンブルをやっている人には比較的知られていると思う)の「夏」の2曲目は、この曲である。十数年前に初めてこの曲を演奏したとき、みんなで「この歌って何の曲だっけ?」と言っていたのを思い出した。今なら答えられるのだが…ゆうがたクインテットは勉強になるなあ。「雨ふり」は題名がクイズ番組に出てくるが、実際には誰でも知っている「雨あめふれふれ母さんが」である。さて、「雨と雨ふり」だが、これは雨が降ると困る立場と、雨が降った方がいいという立場とを対比させている。ゆうがたクインテットでは、雨が降ると困るシャープ君とフラットさん、雨が降るとうれしいアリアさんとスコアさんとが互いの立場を主張しながら交互に曲が流れる。同名の長調と短調をうまく組み合わせて、最後の方では「雨が降ります雨が降る」と「雨あめ降れ降れ母さんが」という歌詞が交互に歌われ、そのチェンジの感覚がどんどん短くなっていくつくりになっている。そして最後に、「アリアさんはなんで雨が降るとうれしいの?」という質問に対してアリアさんが「新しい傘にコート、レインシューズを履きたいんだもーん」と答えて一同ガクッというオチになっている。娘は玄関の外で「雨が降っていないかなあ」と楽しみに待っていた。そして、雨が降っているのを確認するとアリアさんのように大喜び。私の母からもらった大人用の小さな傘がよほど気に入ったらしく、それをどうしてもさしたかったようだ。息子は「雨が降ります雨が降る」と歌いながら道を歩いている。雨がうっとうしいことに変わりはないのだが、私としては子供たちの喜びながら歩く姿を見て、少しおだやかな気持ちになった。
Oct 10, 2007
コメント(0)
今朝、いつも通りに大学の最寄り駅から大学に向かって歩いていると、突然カバンのストラップが外れて、本体が路面に落下した。てっきりストラップが切れたのだと思っていたら、なんと本体とストラップをつなぐ金具が折れていた。もうかれこれ4年ほど使っていたのだが、ついに金属疲労かと思った。破断面が何とも痛々しい。さらに尖っているので、すれ違う人にケガをさせる可能性も。同僚にセロハンテープを巻いたらというアドバイスをもらって応急処置。自宅までは無事に戻れそうである。 同僚と一緒に帰るときに、私のカバンだけがやたら膨らんでいることに気づいた。昔から忘れ物をするのが嫌だった私は、大きいカバンに物を詰め込むくせがある。過去には「よんきゅ君のカバンには犬が入ってるんじゃないの?」と言われたものだ。大きい荷物を持って歩くことがあまり苦にならないために、ついつい重くしてしまい、負担をかけてしまったということなのだろう。 けっこう気に入っていたのでショックだなあと。買い替えを真剣に検討しないといけないかな。カバンに詰めるべきものをちゃんと考えなければならないのかも。
Oct 9, 2007
コメント(0)
今日ニュースを見ていたら、就職活動関連のトピックが2つ。一つはインターンシップを行う会社が激増しているという話、もう一つはすでに再来年に入社する学生向けの活動が本格化してきたという話だった。インターシップについては、当初は教育の一環という色彩の強いものだったが、現在では就職活動の前に行っておかないと乗り遅れるものという感じになっている。この何年かでそういった話が出てくるようになったが、今や実施していない会社は大丈夫なのかと言わんばかりの状況になりつつある。過去最高の売り手市場状態になっていることを反映して、企業側も必死だ。数社で一緒に行うケースや一日体験まであったりする。しかし、「インターンシップにでも行っておこうかなあ、みたいなね...」という学生もいたりするのをVTR映像で見ていると、これで大丈夫なのかと思ったりする。一日だけ会社を見に行っただけで何がわかるのだろうかと素朴に思ったりもする。インターンシップに実際に行ってきた学生の話を聴くと「楽しかったですよ」というので、中身まで突っ込むとやはりどこまで効果があることを見込んで実施しているのか、実際に実施された企業にお話を伺いたいようにも思えてくる。会社には入らせても、社員が大変な思いをしている姿や、上司に叱られているような姿を見せているのかどうか、でも、そこまでリアルなものを見せることはないかな...。企業の担当者がこういう状況についての取材に対して「あまり効果がないのかなと思ったりもするんですが、何しろ乗り遅れていると思われるのがどうも...」という回答をしていた新聞記事を見たことがある。なるほど、確かに難しいところではある。もう一つの早くも就活本格化についての話題は、ユニクロが登場していた。今年の内定者(まだ未入社の学生)に3年生向けにPRするようにしているようだ。どちらの話も結局は、早く優秀な学生にアクセスした方が企業間の採用競争を勝ち抜こうとする目的につながっている。入りやすい雰囲気を作っておくことが大事だということだろう。大学の場合も、やはり学生獲得のために同様の傾向がある。推薦入学のウェイトを高めて学生を確保しておくことや、いろいろな方式の入試で窓口を広げておくことなどは、すでのどこでもやっていることだろう。そこでもやはり「乗り遅れてはいけない」という言葉が登場する。しかし、企業と大学のどちらのケースでも、実際のところは早くそうしたアイデアを打ち出してきたところが成果を上げているのに対して、何とかついていこうとするところは苦戦しているということだ。もちろん、やらないよりはやった方がいいだろうということは言えそうだが、問題はそこに投入すべき資源の準備が十分であるのかないのか、トップがどこまで投入プロセスにかかわっていこうとするのかというところにあるのかなという気がする。先頭を走って成功しているとされる事例は、深いレベルで考えてから準備を進めていて、トップが結果だけを見ようとしないで現場の情報を(それが一部を切り取ったに過ぎないとしても)わかろうとしているように思う。投入資源についてもきっちりと選択してそこに十分な量(もちろん質も重要だが)を準備していて、効率は考えていても単にケチっているわけではない。新入社員も学生も組織からすれば育成される対象となる。しかし、何もしないで何となく育成が成功していたという時代ではない(もちろん、育成される側の質も問題になってくる)。どうやってそれなりの満足を得てもらうのかというのが勝負になってくる。どうしても一定規模以上になると制度化しないとオペレーションが進まないものだが、何となく決めて後は現場でどうにかしてもらうという状況は避けなければならないだろう。相手が人である以上、現場レベルでのきちっとした対応をしていかなければうまくいかない。そのためには、現場にいる人の意識、そしてモチベーションが重要だ。そういった部分にできる範囲での配慮があるのとないのとでは結果はまったく違ってくるだろう。新しいアイデアを出すにしても、きっちりとしたサービスを提供するにしても、やはり適当な近道はないように思える。しかも小手先だけの手段では失敗してしまう。競争相手と切磋琢磨できる存在になりうるのか、ただただ競争で疲れていってしまうだけなのか(しかも人を育成するという条件が付加されているところがさらに難しい)、とても難しい問題である。ニュースを見ていて、考えさせられる問題だった。
Oct 8, 2007
コメント(0)
今日は所要で浜大津にやってきた。琵琶湖の畔に住んでいたことがあるので、琵琶湖を近くで見ると、季節感が何となくわかる。景色の色が薄くなってくると、やっぱり秋だと思う。何でそう思うのかと言われるとうまく説明できないのだが…。
Oct 7, 2007
コメント(0)
この1週間は本当に疲れた。疲れを取るためにゆっくり寝る。というつもりがいつも通りの時刻に起床してしまった。二度寝するには中途半端な時刻だったので、一人起き出して仕事。眠気も少しずつ覚めてきて順調に進む。家族が起きて朝食までの時間、少しだけ得した気分。その間、私を除く3人はどうやら寝床でしゃべっていたらしい。内容を妻が教えてくれた。(妻)「○○(娘)は大きくなったら何になりたいの?」(娘)「バレリーナ!」(妻)「そうなの。じゃあ、△△(息子)は何になりたいの?」(息子)「パパ!」おー!尊敬でもしてくれるのかな?と思っていたら、妻の話には続きがあった。(妻)「どうしてパパになりたいの?」(息子)「あのね、演奏しにいけるでしょ、電車に乗れるでしょ、唐揚げをたーくさん食べれるでしょ、子供ともいっぱい遊べるしねぇ。電車でGO!もできるしねぇ、車も運転できるし、夜遅くなってもママに怒られないし、いいよねぇ!だから!」いやまあ、家で見えている姿だけを取り出せば確かにそうなんだけど…。それ以外の仕事の話がすっぽり抜け落ちているのだ。まあ、そんなものですな。親が仕事を子供に見せる機会は世の中でも少ない。本を読んでいる姿もPCに向かう姿も確かに絵にはならない。授業ならわかるのだろうが、まあ5分と持たないだろう。こうなってしまうと、私の仕事について何となくわかるようになるまでは、だらしない姿や、ママにボロクソに言われる姿を見せないことが重要だな。しかし、本当に子供たちはよく見ている。心しておかないとね…。
Oct 6, 2007
コメント(0)
今日はまたまた大変な金曜日。本当に体力勝負の一日だ。朝から大学で本読みした分のまとめに書類書き、そして直前には授業のために準備したものを見直して頭を整理して教室へと向かう。1年生対象の授業は、まず話を聴くように持って行くのが大変である。人数はコントロールできるだけの人数なのでうるさくなることはないのだが、かなりこちらと断線しているなという学生が多い。確かに通じさせることは以前から難しかったが、その度合いは確実に高まっているような気がする。とはいえ、やはりちゃんと聴いていて、自分なりに何かを得て帰ろうと思っている学生はいる。ときどきちゃんとこちらを見て、「そうなんだあ、へえ」と思っている時には表情が変わるのでこちらからもわかる。そういう意識を持っている学生がいることはやはり元気をもらうことになる。どうせ仕事をするのならば、やはりこちらも楽しんでやりたいと思うものだ。やはり基本は通じていること、そして興味を少しでも感じていて反応があることだろう。3コマ続けての授業というのはかなり疲れる。3つめになるとほとんどランナーズ・ハイでもっているような感じだ。助かるのは意識の比較的高い2年生のクラスがそこに来ていることである。もう様子を知っている学生(2年見ていると顔も結構覚えている)が多いと、やっぱり通じている度合いも高い。1年生の時にはあまりそう見えなかった学生が2年生になってちゃんと通じている感じがするとうれしいものだ。そういう人たちは元気をくれる。そういう人たちがいてくれるからこそ、もっといろいろと頑張りたいという気持ちになれる。自分がもっと勉強していかなければと思うのだ。ちゃんとガイドしていけるように。相手は必ずこちらが何らかの努力をしているかどうか、見分けてしまうものだと思う。それがたとえ、年が離れていたとしてもそうだ。自分が学生時代のことを思い出してみるとやっぱりそれは無意識に見ていたように思う。などと思い出すとちょっとコワイなと思ったりする。
Oct 5, 2007
コメント(0)
昨日は少しやりきれない気持ちを持ちつつ、いろいろと考えながら自宅へ戻った。子供たちがまだ起きていたので、当日あったことを報告してくれる。どうも2人とも先生に叱られたらしいが、そんなことはお構いなしに陽気だ。もっとも、その前はしおらしかったようだ。子供たちが寝た後で遅い夕食。妻と話をしているうちにちょっと愚痴る。私はそういう話を愚痴る形で家庭に持ち込むことはしない方だが、やはりぽろっと出てしまった。すると、「卒業生からいろいろと誘われたり、相談されたりするし、結婚式にも呼ばれるし、演奏会があったらみんな応援に来てくれるし、それは素晴らしいことだと思う。何があってもきっとみんなが助けてくれるから、今までどおり頑張ったらいいじゃない。」と妻は言ってくれた。こういう一言は本当に心にしみる。元気をもらった。もうすぐ新しいゼミ生の選考、「他人に興味を持てる」「関わり甲斐のある」学生に出会えるといいなと思う。
Oct 5, 2007
コメント(0)
あるところで目にしたこぼれ話。「これからの大学はサービスの時代、質の向上のためには個別に手の届くサービスを。そのためには学生の人生相談にも乗らなければならない。」これは実現可能性とニーズを無視しているのではと思う。知らない人に相談に乗ってもらうなら、絶対プロに頼むはずだし、そうすべきだ。そんなの、できっこないす。現実的に無理だと現場が思う話でも、「それを何とかするのが、あなたたちの仕事でしょう。何のために現場にいるの?」事件は現場で起こっているのだ。できないものは、できっこないす。「大学も競争の時代、ひいてはウチでも成果主義を。大事なのは研究成果と学生の授業評価と組織へのコミットメントです。」万人に与えられた時間は1日24時間、全部を一線級にするのは、かなりの確率でできっこないす。それに、成果主義は気合いと根性の世界から抜け出すために考え出されたのではなかったか?とだけ言ったらただの文句なのだが、何よりも情けないのは、信頼されてない状態が出発点なんだなと感じること。見た感想は、怒りよりも悲しさ。誰かに直接言われたわけじゃないのになんでここまで振り回されるんだろう…。しかし、最近本当に、学生をお客様だと公言すると教育じゃなくなるように思うようになった。それは違うと思う。私は、学生をお客様だから大事なのだと思ったことはない。その場限りの関係じゃない、もっと大事な存在だと思う。自分が向き合う相手を大事にすること、尊重することは、言われてできることじゃない。学生の相談に乗るのは本当に大変なことを知っているのかな?中途半端は大怪我するよ…。私は、授業をやったという客観的な記録より、そんな先生いたような気がするという、ささやかなものでいいから学生の記憶に残りたい。もちろん、ゼミ生だったら一生忘れてほしくない。でも、そんなことすら言っていられないというのが業界を覆う危機感なのかな。正しかったのかどうか、それが判明するかどうかは時間がかかることだし、そもそも判明するのかどうかも不確実性が高い。競争があるからこそ切磋琢磨があっていいものができるという道筋になればいいのだが、疲弊だらけの果てしないものへと変化していく危うさも競争は持ち合わせている。サービスを受ける当の本人がテンションを上げられずに、本人以外がヒートアップしている状態はあまりいい状態とは言えない。実際、学生に話を聞くと、サービスの意図がちゃんと伝わっていないという場面にときどき出会う。本当の意味での満足度を個人レベルで把握・検証していってこそ、いいものができるのではないのだろうかと思う。「他がやっているから」「保護者が言うから」ということじゃなく、本人に本当のことをきけるというシンプルなことが、実は一番大事なことであるような気がする。すぐにはできないことかもしれないが、このことだけは「できっこないす」と言わずに、地道な努力が必要だと思う。全体に網をかけて適当に言われるよりは、心を開いてくれた人からきいた話を積み上げていく方が、結果としていい方向につながる気がするのだが、どうなのだろう...。
Oct 4, 2007
コメント(0)
何ともスッキリしない面々で授業終了後に飲みに行くことに(毎回そうなのだが)。今日は繁華街で地元の名物特集をやっている店。結局さっきの話は一体何だったんだとか言いながら飲む。といっても、ただのグチ大会にならないのが素晴らしき仲間、笑いなどを交えて楽しく話す。言いたいことを言ったらスッキリ、結局くだらない話で最後は終わった。平和な情報交換の場、でも問題意識は共有しているだろう。明日が忙しい人が多いため、いつもより早めに終了。私は最近の寝不足のため、最速で最寄り駅に着く電車を選ばず、ゆっくり帰る。予想通り熟睡。シベリウスを聴いていたはずが、目が覚めたらストラヴィンスキーの「春の祭典」に変わっていた。今日の話のぐちゃぐちゃぶりを再現しているようだった。とはいえ、短い時間の睡眠によりかなりスッキリした。明日もまた忙しい。今日は早めに就寝と行こう。
Oct 3, 2007
コメント(0)
今日はまずこまごまとした仕事を片付けてから会議(といっても決定事項の伝達のみ)。そこで出された内容は新しすぎることが盛りだくさん。「きいてないよ~!」というお笑いネタがあったが、その世界に近いものがあった。さらに、その説明もかなり適当な感じで(これまたきいていない理由づけ)、割り切れなさが残る。周りを見てもそういう表情の同僚がたくさん。物事の決まり方がかなり行き当たりばったりだなという印象。本当にこんなことで大丈夫なのだろうか。だんだん心配になってきたぞ。
Oct 3, 2007
コメント(0)
今日は朝から大学で忙しく仕事。昼休みが終わるまではまったく息をつく暇もなかった。昼休みにはゼミ募集のための説明会。今期の授業をとっている学生が多いようで、知っている顔がかなりいた。まずは私が一通りの説明をした後で、ゼミ生に学生の立場からゼミ生活について説明してもらった。実際には2人の学生にお願いしたのだが、途中で席にいた(サクラというわけではないが)学生が加勢のために壇上に上がってきた。やはり彼らもいい後輩に来てもらいたいという思いがあるようだ。しかし、学生はやはり前で話すことにはだんだん慣れてきている(そういう機会がいろいろな授業であるらしい)ので、緊張して話せないと言うことはないのだが、自分が思っていること、つまり持ちネタを必死で話すので精一杯だなというのが印象だった。相手の反応を上手に見ながら話し方を変えたり、ネタを捨てたりすることも必要なのだが、それでも立派にはやってくれたと思っている。ゼミ生がたくさん応援に来ていたが、こういう姿を見ているとうれしいものだ。さて、そんなちょっとうれしいことの後には大変な授業。いつもの大規模クラス。比較的静かな方ではあるが、最近困るなと思うのは、静かにきいているようでぼーっとしている学生が増えていること。完全に回線が切れているかのようだ。考えさせる問題を作って時間を取ってやらせても、ぜんぜん書き込まない学生もいたりする。後で答えはすべて言ってくれるからいいとでも思っているかのようだ。しかし、それは違う。自分で考えたという行動自体に意味があるのだ。でも、それをやらない。昨年までには顕著に見られることのなかった傾向である。どこまで関係があるのかはともかくとして、「ゆとり教育」世代の最初の学年からこの傾向が始まっていることは少なくとも身の回りでは間違いない。これは先行き不安である。おそらくそのままでは学生にとってよくないだろうと思う。昨日読んだ本の続きに「教育を消費と同様に考えるということは成立しない」という趣旨のくだりがあるのだが、まさにそれを感じる。モノを買うによって買う前と後で主体の様子が変化することはないが、教育にはそれをうけることによって前と後で主体の様子は明らかに変化する、というか、していなければ教育の意味はない。「自分にとって役に立たないだろう」と事前に切り捨てる人は、成長する機会を自ら摘み取っていることになる。でもそれって、本人的には悪気はないということになるのだろうが...。幸いなことに、現在のゼミ生は自分なりに成長したいということを強く思っていて頑張っていることがわかるので、まだ不安に思う要素は少ないのだが、果たして今度の新ゼミ生はどういう人が来るのだろうか。一緒にやっていくことになる人たちにもちゃんと自分で成長したい、変わりたいというテンションを持てるようにしたいと思う。そこまで思えない学生をどうするのかという点については、個人の取り組みの範囲をおそらく超えてしまうように思う。そうなると、それこそ多くの人の知恵と力がきっと必要になるのではないかと思う。悪気がないけれど、そのままではうまくいかないであろう学生、だからこそ何とかしないといけないのではないかと思う。ちゃんと考えていかなければならないことだ。
Oct 2, 2007
コメント(0)
子供たちの遊びっぷりに、散らかしっぷりがさらにエスカレートする今日この頃、片づけない子供たちに妻は毎晩キレまくっている。「かたづけなさ~いっ!」は娘が妻のモノマネをするときに使っている。昨日はあまりにひどかったので、私まで「何とか言ってよっ!!」と怒られてしまった。私が口で言っても、怒る人が2人に増えるだけで効果は薄い。そこで思い出したのは...。以前にも書いたと思うが、BGMをかけて片づけの合図にしていたこと。子供たちが一番ちゃんと片づけたのがハチャトゥリアンの「剣の舞」。そこで、テレビを消して、「剣の舞」をかけてみた。ブランクがあったので効果はあるのかと思ったが、見事に片づけ始めた。1回の演奏で2分30秒ほど、昨日は5分で部屋にあったすべてのおもちゃの片づけに成功。まだまだ効果はあるようだ。「剣の舞」=片づけという反射状態である(といっても、通常は「ここは何の楽器なの?」などといった会話をしている)。今日、仕事から帰ってきたら、子供が寝る直前だったのだが、部屋はやはり荒れていた。そこで妻がテレビを消して「あれかけてよ」というわけで、またかけてみた。最初はブーブー言っていた子供たちもちゃんと片づけ始めた。今回も3回目の途中で部屋はきれいになった。この片づけの後には必ず同じくハチャトゥリアンの「レズギンカ」をかけるように子供たちから要求される。明るくノリのよい音楽で、寝る前に踊りたいそうだ。今日も二人で思い思いに振り付けをして踊っていた。3分ほど踊って最後は決めポーズをして終了。機嫌良くベッドの部屋へと行った。こういう音楽がかしこまることなく生活にとけ込んでいることはとてもいいことなのではないかと私は思っている。
Oct 1, 2007
コメント(2)
教員が教室でテンションを上げようとするほど悩むのは「私語」の問題。内田樹『下流志向-学ばない子供たち、働かない若者たち』(講談社)を読んでいると(まだ読み始めたばかり)、そういう見方もあるのかと思った。-------------------------「買い手」という立場での全能感(子供でもお金を払えば大人と同じように扱ってもらえる)を持った子供たちが、自分の前に差し出されたものを商品として見るようになる。消費主体として「役に立たないと思えないものは買わない」という態度を身に付けるようになると、教育に対しても「それは何の役に立つのか?」ときき、役に立たないと判断すれば買わないということになるのだという。ところが、教育サービスにおいて厄介なのは、役に立つことがすぐにわからないということだ。そこで、「教室とは不快と教育サービスの等価交換の場」となり、「不快という貨幣を最高の交換トレードで教育商品を交換」しようとする。授業の価値が「10分間の集中」と等価であると判断すると、それ以外の時間は「不快でないとみなされる行為に充当される」のだという。-------------------------一つの興味深い話だと思う。問題は、「そこまで本当に教育を受ける側は計算しているのか」ということと「いつでもそのことが当てはまるのか」ということだ。部分的には当たっているのかなという気はする。しかし、例えば大学の場合だと、出席を取らなければ教室に来るという義務はないはずである。でもなぜか来ている学生は特に近年増えていると実感している。このあたりについては、他の理由が複合的に絡んできているような気がする。もう一つはクラスサイズによって学生の集中度に相当な差があるということだ。同じ学年の同じ科目を複数担当しているが、サイズが小さいと、かなり集中して話を聴いているが、サイズが大きくなると集中度にはかなりのバラツキが出てくる。個人差もあるだろうと思うので、一概には言えない。ただ、これが小中学校などを念頭にして書かれているのだとしたら、将来はけっこうおそろしいことになるのかもと思ったりする。そういう顧客を前提にサービスを提供しなければならないとしたら、どのようにするのが一番いいのだろうか。もう少し読み進めれば、アイデアも思いつくかも。とはいえ、今、その場にあるものをしっかりやっていくことが必要だ。
Oct 1, 2007
コメント(2)
全40件 (40件中 1-40件目)
1
![]()
![]()
