2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全37件 (37件中 1-37件目)
1
これはなかなか難しい問いだ。もちろん、趣味の領域に属するものだから、参加している本人が楽しむのがよいというのが大前提だと思う。しかし、難しいのは、どこまで入れ込むのか、どこまでのパフォーマンスを要求するのかということである。 「もっと上手になりたい」と思う人もいれば、「とりあえず自分の思うままに音を出したい」と思う人もいたりする。この考え方の違いをどこまで認めるのかというのは、常に問題となるところだ。 オケの場合は、みんなで一つの演奏を作るということになるので、この考え方の違いはパフォーマンスに影響する。中でも難しいのは、演奏に全責任を負うことになるために、可能な限り最高のパフォーマンスを目指すプロの指揮者と、楽しくやれればいいやという人との温度差である。うまくいかない時には厳しい口調になることもある。それに対して文句を言う人が出てきたりするのが、難しいところだ。 演奏でいろいろ言われるのには、ちゃんとした音楽上の理由がある。それを否定する人はさすがにごくわずかだが、言い方を問題にする人はいたりする。「ギャラを払っているのだから、こっちが言いたいことを言わせてもらうのは当然」とか「プロなんて指揮者の言うことを無視することなんてよくあるんだし」という考え方はまったく同意できないが、そういう人もこれまでに見たことがある。 しかし、言いたいことを言う前に、やるべきことをちゃんとやるべきではないかと思う。問題を指摘されたら、その点については謙虚に見直していく必要がある。言い方の問題は別の問題だ。仕事で上司が気に入らないから仕事をしないというのは許されないだろう。何よりも周りに迷惑がかかってしまう。 そういう時には、オケ全体としてのパフォーマンスをどう上げていくのかをみんなが考えながら演奏していかなければならないと思う。それぞれがまずできる限りのことをやり、あとはみんなで寄り添っていこうとすることだ。 タイミングを何とか合わせて、後は好き放題に弾くというのでは、進歩がない。みんながちゃんとテンションを高く保って、一緒に成長していこうとすることが必要だと思う。そのためには、何よりも仲間の演奏への関心を持つことだろう。これがなければ、一つのオケとしての進歩はできないと、私は思う。
Jun 30, 2007
コメント(2)
最終電車で帰宅ゆえ、一日遅れの更新。昨日は本当に蒸し暑い一日だった。雨がときどき降ってとにかくじめじめする。ちょっと歩いただけでもじわっと汗が出て気持ち悪い。こういう湿度はバリ島を思い出すが、違うのはあっちは晴れていてすぐにでもプールに飛び込めるという状況なのに対して、こちらはどこに行ってもスッキリしないということだ。午前中の1年ゼミは、いよいよ最終試験(公式的に試験はないがそのつもり)のグループ研究プレゼンテーション、その練習である。一度やらせてみて、みんなでお互いにコメントさせて、修正して最後の時間にもう一度発表させるという段取りにしている。各グループによってできには差があるが、それなりに頑張ってやっていることはわかる。簡単ではないがまったく手が届かないわけでもない、ちょっと背伸びをするレベルを設定しているのだが、その通りにきているグループもあり、感じとしてはよい。午後の授業は静かでとても話をしやすい。クラスサイズの問題が比重としてかなり大きいなと実感する。ゼミ生と話していると、「目が届く人数」ということは、学生にとっても重要なことのようだ。ちょうどいい人数というのはやはり確実にあるように思う。終わった後で、一通りの整理を終えた後は、繁華街へ。オケのメンバーが「転勤(といっても転居するわけではない)で、定期が切れてしまうから行けるときに行きたい場所が」というメールでいつものメンバーが集まった。そして、いつものビヤホールへ。月末の週末ということでかなり混んでいたが、待ち時間は意外と短く済んだ。ビールと唐揚げを堪能、今週の疲れが抜けていくような感覚になった。楽しい仲間と楽しい食事、やはりそれがいいなと思う。その後も店を変えて飲んではしゃべりという感じ。「明日また練習で会うのになあ」などといいながら楽しくやってきた。今週は営業活動が入って体力的にもかなりハードだったが、何とか乗り切れてホッとしている。授業最終回まであと一息(ベテランの先生までカウントダウンしているのが面白い)、頑張っていこう。
Jun 29, 2007
コメント(0)
今日は時間的な都合もあり、自家用車で通勤。一人で車を運転するときのお供はAMラジオ。朝は「ありがとう浜村淳です」のトークやニュース、天気予報などを聴いて走るうちに大学へ到着。それにしてもいつ聴いてもAMラジオのトークは面白くできている。ほとんど毎日やっているのだからさすがプロだ。帰るときにはナイターを聴いて帰ることが多いが、今日はプロ野球の試合がないために、歌番組をやっていた。懐かしのTVドラマ主題歌特集ということだった。途中から聴いたのだが、で流れてきた歌は、「いとしのエリー」に始まり、「恋に落ちて」「CHA-CHA-CHA」「SHOW ME」「ラブ・ストーリーは突然に」ときた。うーん、これはたまりませんなあ。これらの曲のドラマ全部ドラマ見たなあ。歌のベストテン番組も見ていた頃だ。これらの歌が流れてくると、どんどん歌詞が頭に出てくる。やはり一番ものを覚えられるときに覚えた歌は忘れないものだなと思う。そう言えば、高校や大学で弾いたクラシックの曲も、ちょっと練習すればすぐに思い出してくる。ドヴォルザークの8番や「新世界」なんて当時は暗譜で全曲弾けたなあと。今はなかなかそこまでしっかりと記憶できないなあと思う。もちろん、同じ歌を毎週聴いたりすることはないし、オケの曲も練習する時間はなかなかないので、さすがに全部頭にはいるということはないなあ。しかし、不思議なもので、その歌がかかると、その頃いったい何をやっていたのか、どんな空気だったのか、自然と思い出してくるのだ。懐かしいなあと思いながら自宅へ到着。二度と戻れない時だから、大事に覚えていられるのかな...。
Jun 28, 2007
コメント(2)
(↑名刺をたくさん持って回りました)最近、毎年恒例の営業活動の季節がやってきた。営業とは、高校を回って生徒さんに受験していただいたり、推薦をいただくようにお願いするという活動だ。最近では、少子化の影響もあり、これを行う大学は多いと思われる。昨日はラストまで授業、今日朝一番で出勤ということになると体力的に相当きついので、大学内の宿泊施設でお世話になることに。もう勤め始めて何年も経つのに、宿泊するのは初めてだった。もう一人、よくお泊まりになる先生がいらっしゃって、この日も泊まることを知っていたので、授業が終わってから飲みに行きませんかとお誘いしたら、OKをいただけたので、後輩を交えて近所で飲むことに。よくお話はするのだが、じっくりと時間をとってというのは久しぶり、学部の話をいろいろとお聞きすることができた。今日のこともあるので抑えめに飲んで、宿泊施設まで戻り、うだうだして就寝。集中して眠ることはできたのだが、なにぶん遅刻できないプレッシャーもあって、朝方は何度か起きた。最終的には予定通りの時間に起床、シャワーを浴びて、近所の定食屋で朝食をとり、研究室に行って営業のトークを考える。それから事務所へ行き、いよいよ出発。車で回ることになる。今回は今までに回ったことのない地域だったので、新鮮だった。行き先が何校もあったので、何度も営業トークをするうちに、だんだん慣れていった感じだった。ただ、今日はとにかく暑かったこともあり、とにかく疲れた。前日からの疲れがたまっていたせいもあって、帰宅する際の電車の中では半ば気を失った感じだった。帰宅すると子供たちの相手。今日は一緒に入浴したが、こういう時に限っていろいろと遊びを考えていて、入浴時間がやたらと長く、上がった後は完全にのびていた状態。しかし、その後ゴロゴロしていたので、とりあえず今はちょっとだけ復活した感じ。ここからまた金曜日にかけてはハードなスケジュールなので、今日こそ早めにぐっすり寝ないとまずいなという感じである。もう寝よう...。しかしまあ、最近毎年この仕事が当たるのだが、よく考えてみると会社勤めを選ばなかったということは、営業活動はしないものだと思っていたら、完全に普通のルート営業状態である。人生、回りまわってこういうことにというのも、何だか不思議なものだなと思う。
Jun 27, 2007
コメント(2)
先日、オケのメンバーからメールが届いた。何か問題でもあったかなと思って開いてみたら「よんきゅさん、これって大丈夫ですか?」という内容のものだった。リンクをクリックしてみたら、読売新聞の人生相談(ちなみに妻は一人暮らしをしていた頃このコーナーを愛読していたらしい)にのっていた「指揮マネ病」というタイトル。要するに、指揮のマネをしていて、階下の人から「天井がきしみ電灯がゆれる。何をしている」と言われたのだとか。私が同じようなことになっていないのかということを心配して、というのではなく、冗談で(その心配は絶対にないと知っていて)送ってこられたのだ。思わず笑ってしまった。しかもショックだったのは、他のメンバーからも同じことを心配されたことだった。そんなことにはなっていない...。私の場合は、振るマネはどんな曲でも演奏するときにリズムを身体に入れたり、表現を考えるためにやっていることはあるが、興奮してめちゃめちゃになるということはまずない。本当に指揮をする場合、振り方がめちゃくちゃになるとオケが完全に崩れてしまうのだ。しっかりと身体に芯が通っているような感覚を持っていなければならない。また、スコアを見ながらやるので頭の中はどこまでも冷静にしている。本番を指揮するなどということが間違ってあったりしたら、勢いがつきすぎてということはあり得るのかもしれないが、まあそういう機会もないだろうから、さすがに床を踏みならしてということはなさそうだ。しかし、このような心配をされるというのは、仕方ないかもと思いつつ、不思議な気分ではあるな...。この相談が全国紙に載るというのがすごいなというのと、これにすごい回答をするんだなと変なところで感心してしまった。もちろん、音楽をどう楽しむかは自由であるし、気持ちはよくわかる。
Jun 26, 2007
コメント(8)
この曲は、もともとシェークスピアの代表的な戯曲に基づいて作曲された演奏会用序曲であるが、後にプロシア国王の要請によって付随音楽が12曲書かれた。作曲されたのは1826年と1843年と隔たりはあるのだが、すべて聴いてみると、主題に相互関連性を持たせているので(しばしば序曲の旋律が出てくる)、全曲通して聴いてみても違和感がない。これだけのブランクがあってもちゃんとつながるというのは、最初の素材がよかったからだということだろうか。しかし、この序曲が16歳の作品とは驚きだ。-------------------------冒頭、フルートをはじめ木管楽器のホ長調の和音からスタート。絵本の表紙を開くかのようだ。「昔々、あるところに...」という感じだろうか。しかし、弦楽器がすぐにホ短調の和音を出して、妖精が飛び回るかのような感じのヴァイオリンによる無窮動の音型が登場する。ここは演奏することがきわめて難しい。とにかく合わなければ和音の動きがわからなくなってしまう。プロオケの演奏でも危なっかしい時があったりする。しばらくすると、突然ホ長調でヴァイオリンが明るく活発な第1主題を歌い、それに管楽器がなだらかな下降音型で答える。この下で馬が走っていくようなリズムが前進感を保つ重要な役割を担っている。しばらくこれらの素材を元に音楽が展開されていく。この部分からよく聴いていると目立つのが、低音の金管楽器のふくよかな響きだ。現在はチューバで代用されるが、当時はオフィクレドという楽器(キーがあるらしい)があり、それが使われていた(現物は見たことないな...)。ひとしきりフォルテの場面が終わるとフルートとヴァイオリンの掛け合いがあり、その中からクラリネットが温かい旋律が出て、それをきっかけにしてしっとりとした第2主題がロ長調で登場する。跳ねるような合いの手を伴いながら盛り上がっていくと行進曲風になり、そこで楽しげな旋律が登場する。この旋律をCMで初めて耳にしたとき(確か、証券会社だっただろうか)、一瞬だったのだが映像と共に耳に残った。「一体何の曲なのだろう」と思った後わからずじまいだったが、この曲を初めて弾くことになったときに「ああ、これだったのか!」と思ったことをよく覚えている。その後、曲は展開部となる。ここでは弦楽器が無窮動の音型、木管楽器がそれまでの素材を自由に展開したり、和音を出したりといった感じで進んでいく。途中、短調の雰囲気がどんどん鮮明になっていき、曲はゆっくりとなる。嬰ハ短調、第1主題から派生した旋律、これが絶えるように終わると、また冒頭の和音が登場し、再現部となる。といっても、第1主題ではなく、いきなり第2主題へと行き、ホ長調で演奏される。ここで第2主題のきっかけになる木管楽器の音が光を投げかけるようで素晴らしいと思う。楽しげな旋律も2度目はホ長調で登場、そこを抜けたところで管楽器の下降音型が登場する。この部分で一瞬短調の要素が出てくるのだが、それがだんだん長調に向かっていく音の進行にいつも心を動かされる。また、そこではオフィクレドの音型がとても印象的である。そして、その部分を抜けると最後のダメ押しで第1主題が顔を出し、終了するかのような音型になる。ところが、そこで話は終わらずにまたまた無窮動の世界へ。しかし、今度は長く続かず、木管楽器が息の長い和音をホ短調で示す。そこから光が差すように和音がホ長調に変わり、ヴァイオリンが「今日のお話しはこれで終わり」というような旋律を奏でる。何度も「シ~ミ~」と言っているのが「さようなら」と言っているような感じだ。そして、最後は冒頭と同じ木管楽器の和音で終わる。最後のページをめくって本を閉じるかのようだ。-------------------------全体的におとぎ話の世界そのものという感じ。後に作曲された劇音楽もやはりそういう感じがするのだが、無垢な美しさはこの曲が一番だと思う。メンデルスゾーンがこのような曲を書けたのは裕福なお坊ちゃんだからだという話もあったりするが、このような音楽家の人生があれば、こういう曲ができるのかな。ともあれ、やはりすばらしい才能があるのだなと実感する作品である。最近、なぜだかよく聴いていて、ときどき無性に聴きたくなる曲だ。この曲を演奏したことは一度だけある。学生時代に近所の大学のエキストラに行った時に弾かせてもらった。とにかく難しかったという記憶が先に出てくる。弓がとにかく一定に飛ばなかったのが悩みの種だったが、実はこれがちゃんとできたらプロじゃないかということを後で知った。この演奏会の指揮者は後に現在所属している市民オケで再び何度もご一緒することになるのだが、この曲で印象深かったのは、馬が走るようなリズムが始まるとこの指揮者が棒を回し始めることだった。オケがノったらもう後は自動という感じ、いま考えれば、それってオケが最高の状態ということだろう。こういう瞬間をまた味わってみたい。この曲ももう一度リベンジしてみたいものだ。
Jun 25, 2007
コメント(4)
最近、企業をめぐる問題がたくさん...。しかも、それは何を信じるべきかという問題を消費者にも突きつけることとなっている。まず、食肉偽装の問題。社長は記者会見でトボケ倒していたが、結局取締役の息子に「社長、本当のことを言ってください!」とまで言われてしぶしぶ認めた。偽装のやり方は、手が込んでいると言うよりはほとんどメチャクチャだという感じ。牛肉だといいながら、豚肉を混ぜてみたり、血を混ぜてみたり、果ては水を混ぜたりと、まさに偽装のデパートである。偽装とは言わないまでも、誤解を招く表示などがあるというケースは後を絶たない。何しろ、肉というのは素人が写真を見ても、実物を手にとってもわからないのだから、それだと言われればそれだと思ってしまうものだ。これに対して社長は「安いものを要求しすぎる消費者も悪い」と開き直ったかのようなことを言っていたが、それは本末転倒というものだろう。少なくとも、作る側の人が言うことではない。ただ、確かに消費者が品質を見分けたり、「これはいい」と言えるものではない(手にとって味わうわけにはいかないので)ので、難しい商品ではあるとは思う。そのために、偽装をする余地が生まれてしまうのだろう。いかに信頼を保ちつつ、よい商品を提供し続けるのか、企業にとってはとても難しい問題である。あの社長の言動は問題外だが...。-------------------------次に、ブルドックソースをめぐる買収の問題。スティール・パートナーズの代表が先週記者会見をやっていたが、「日本の経営者を教育しにきた」と言っていた。そんな投資ファンドの買収を防衛する策を認めるかどうかを決める株主総会が行われた。結果は、防衛策を認めることになった。これが正当なものなのかどうかは、法廷で争われることになる可能性がある。そうなれば、第2ラウンドということになろう。こちらは、日本企業の今後の方向性を決める重要な問題だ。買収防衛策は、新しい株を既存の株主に無償で提供し、スティール・パートナーズが持っている株を買い上げることによって株式保有率を下げようというものだ。これによって、発言力を弱めていこうという作戦である。ただ、問題はそれをやることで株価が大きく下落する可能性が高いことと、スティール・パートナーズに対して数十億円の現金を支払うことになることで、無駄な現金支出をしてしまうことだ(このお金でもっと事業をよくすることもできる可能性がある)。このような形で狙われる会社の特徴は簡単に言えば「貯金が多い」ことである。実は投資ファンドにとっては、経営権は取れなくても、現金を手にすることができるということで、何もやらないよりはやったほうがいいということになってしまう。現在の制度上の枠組みで行けば、結局そうなってしまうのだ。株主の利益を重視することが本当にいいことなのか、「日本の経営者は(株主重視の経営を)教育される」べきなのか、本当に難しいところだ。買収防衛策は、乗っ取りを防ぐこと、経営者が保身のために利用すること、このどちらにも使われる。この見極めは非常に難しく、こちらも素人では見分けがおそらくつかないだろう。企業の何を信じればいいのかという問題は非常に難しい。その企業の経営にかかわらない一般の人がもっと知識を持つべきだというのは一つの考え方だろうが...そこまでは難しいとしても、少しでも深いレベルで物事を知ろうとする姿勢は必要なのかもしれないなと思う。
Jun 24, 2007
コメント(0)
今日は昨日と打って変わってとてもいい天気だった。以前から、今週末に両親が郊外で借りている畑の野菜を収穫するので、子供と一緒に行こうと誘われていた。天気のよい方の日で行くとのことだったので、子供たちも連れて行ってきた。畑までは約1時間。道中ずっと子供たちは「ゆうがたクインテット」のCDに合わせて歌っていた。両親は「昔の曲がこんなアレンジなのか!」と驚いた様子だった。「おじいちゃん、この曲知ってるの?」と娘が盛んにきいていた。確かに、子供たちにとっては新曲だが...。三世代で一緒に聴くと、それぞれ違った感想になって面白いものだ。畑に到着すると、こちらもとてもいい天気。今日が唯一の晴天らしいということで、多くの家族連れが訪れていた。ちょうどうちと同じように三世代で来ている人たちもいた。まずはジャガイモ掘りから。一段下にある畑まで子供たちは急な坂をへっぴり腰で下りていく。そして、他の畑を荒らさないように歩きながら、うちの畑へ到着。ジャガイモは地表近くに埋まっているので、子供が軽く掘ってもどんどん出てくる。結果、スーパーの買い物かご3つ分のジャガイモが取れた。坂道をヒーヒーいいながら何とか持って上がり、別の区画へ。今度はキュウリ、ナス、ピーマン、大葉を収穫。妻が大葉好きなので、娘が「ママに摘んであげるんだ」と言って、母に教わりながら摘んでいた。私はそれ以外の野菜をハサミで収穫。途中で娘が「やらせて」というので、少しやらせてみた。途中、土からミミズが出てきてはキャーキャー言い、蝶があちこちで飛んでいて喜び、高い空を飛ぶ鳥を見て「いいなあ」などと言い、飛行機雲を見て喜びと、子供たちは大満足だったようだ。両親にとっては、収穫が半分以下の時間と労力で済んだことがうれしいようだった。お互いに楽しくメリットもたくさんあってよかった。終わった後は、いつも行く和風料理のファミレスへ行き、遅い昼食。そして、また帰りにも歌を歌いながら帰った。私は太陽に当たりすぎたのと、収穫したものをほとんど持って行ったのでクタクタになり、めったにしない昼寝をしてしまった。今週の疲れを全部絞り出したような感じだ。夕食はさっそく野菜をふんだんにつかったカレーを作って食べた。満足な一日であった。
Jun 23, 2007
コメント(4)
今日は、なぜか妻とドラマ「特急田中3号」を見ていた。鉄道好きの主人公があれやこれやする(ん?説明になっていない...)ドラマである。「鉄ドラ」なる言葉まで出てきたものの、実際にはそれだけにとどまらない、みんなのためのドラマという感じである。舞台に鉄道がいっぱい出てきていて、主人公が鉄道好きでというだけのことだ。とか言いながら、毎週録画をしてでも見ていたのだが、今日が最終回。主人公とその友達合計6人で寝台特急「北斗星」に乗って北海道に行く約束をしていたヒロインが、宮崎の延岡にいて、本当に来てくれるのか?間に合って乗れるのか?というシーン。しかも、飛行機が欠航で上野の出発には間に合わないという設定だ。そこで妻が「どうなるんだろうね?」というので、たぶん...「新幹線を乗り継いで仙台で追いつくはず」と返事をしていた。それから時間が経つにつれてどんどんそうなっていき、結局その予想は当たった。しかも乗ってきた経路まで...。妻が見ながら「当たってるよ...何じゃそら!?」と呆れて言っていた。鉄道旅行がドラマに出てくる定番といえば、2時間のサスペンスドラマ。西村京太郎ものがそうだが、妻がけっこうサスペンスドラマにはまっているので、見ている横を通ると、「今日のトリックは?」ときいてくる。原作はなぜかほとんど読んだことがないので、あらすじはまったく知らない。ところが、最近よく当たるのだ。当たると素直にうれしかったりするのだが、いつも「それが役に立つといいんだけどねえ...」と言われてしまう。確かにそうだが、旅行では役に立っているんではないのかと勝手に思っている。しかし、ドラマ見ながらこんな会話をしている夫婦って、どうなのかな??
Jun 22, 2007
コメント(4)
今週は完全に睡眠不足、さすがにしんどくなってきた。今日は大講義がなかったのでかなり体力的には楽だった。3年ゼミは、学園祭での屋台を出したい、ゼミ旅行に行きたいということで話し合いの時間を少しあげた。短時間でうまくまとめてしまうことには慣れていないようでモタモタしてはいたものの、何とか予定の授業時間をつぶすことなくまとめてくれた。将来必要なスキルなので可能な限り任せる(ただし限度を超えたら任せない)というスタンスは毎年いい効果を生んでいると思うので続けていきたい。4年ゼミは、卒論発表。面白いテーマを持ってきた学生の発表ではかなり質疑応答で盛り上がった。くだらないツッコミや「何でそこでそれを聞くねん?」と思えるような質問、そして大まじめなコメントまで、とてもほんわかした雰囲気だった。1年3ヶ月もの付き合いになると、さすがにみんな与えられた時間を楽しんでいるのがわかる。私も一緒に笑ったり、ツッコンでみたり、そして大まじめにコメントしたり(これが本来の仕事だが)、とても楽しかった。ゼミ生がただの人の集まりじゃなく、一つのグループとしてまとまり、そしてゼミという一つの場がうまく機能している状態はとても心地よい。何だか、うまく行っているオーケストラと同じ感覚...もっといろいろな場所がそうなればいいなと思う。そして、3年ゼミ生には、来年もぜひそのような雰囲気を作って欲しいなと思う。私の努力もとても重要であることは言うまでもない。
Jun 21, 2007
コメント(0)
昨夜は、師匠(大学院時代の指導教授)と兄弟子(先輩)との足かけ2年の仕事がようやく終わったということで、反省会兼飲み会。師匠宅の近所にある旅館の部屋を借りて行われた。ハードではあったが、いろいろと勉強になった仕事、できあがって手元を離れているので、あとの反応は相手が決めることである。すでに反応が返ってきているのだが、そのコピーを師匠が持ってきてくださったので、各自読む。それ以外の反応についてはみんなから話が出てきた。おおむね良好のようで一同ほっとする。まだまだ半人前だが、私もようやくちゃんと仕事に参加できたなという気持ち(以前のプロジェクトでは院生だったので)になった。機会を与えてくださった師匠、そして叱咤激励をしてくださった先輩方に感謝である。しばらくした後は、日本酒のオンパレード。私は日頃あまり日本酒を飲まないのだが、今回は勧められるままに飲んでしまった。ちょっと身体が重いなという感じだ。教育に関する話もいろいろ出てきた。とても勉強になる会でよかった。さて、今度はいつこういう仕事があるのか、また忘れた頃に降ってくるのかな。
Jun 21, 2007
コメント(0)
授業のレポートを、こまごまと中途半端に空いた時間で採点している。しかし、見れば見るほどに将来本当に大丈夫なのかと心配になってくる。ゼミ生ならば個人的にダメ出しをする機会はあるが、そうではない大人数を相手にすると、それはほとんど無理な話になってしまう。ワープロを使っていながらの誤字脱字はまだいい方で、もっと根本的な問題が...。・ ネットからコピー&ペーストしたものがあり、同一のレポートが出てくる(これは問題外)。・ きかれた質問にまったく答えていない。(前置き9割+本論1割)・ ほとんど時間をかけていないために書き始めと結論で逆の言い分になっている。・ 提出期限以外のルールを無視している。とにかく提出する前に一度通して読めば何とかなる問題である。それ以外に、内容的に言うともっと問題が...。・ 「このレポートを書き始めるまでまったく知らなかったことを知ることができました」と書いてあるが、実はそれは全部授業で言ったことだって、...。・ 「もっと厳しい社会にするべきだ」という主張をしているレポートに限って内容はメチャクチャ。そんな社会になったらまずやっていけないのはおそらく本人である。自分についてきわめて楽観的だ。レポートというのは、採点する側からすると負担が大きいのだが、やはり文章を書く練習は必要だし、考えをまとめて他人にわかるようにする練習も必要だ。そうして理解をしてみることが後につながっていくことになると信じて課している。結局、そういう経験もなく放置されてきた人が社会に出て行って、ニュータイプの社員と呼ばれるようになってしまうのだ。問題の先送りをしているだけのような気がしてならない。せめて、自分の目が届く範囲だけでもちゃんと向き合っていきたいと思う。「ちゃんと教育サービスを提供しています」という言葉が自分の中ではウソにならないようにしたいものである。
Jun 20, 2007
コメント(0)
最近、墨汁の臭い(匂い、どっちで表現すべき?)がするなあとか、飲んだこともないのに墨汁の味がするという話で盛り上がっている。墨汁の臭いというのは、先日子供たちと公園に行ったときのこと、公園の池の周りを走っているときに、ふとその臭いがした。その池には、鯉も亀も棲んでいるので、それでいえば水自体がひどく汚いというわけではないのだろうが、何とも言えない臭いに、「これって何だったかな?」と思いながら走っていると、思い出した。「そう、墨汁だ!」墨汁の味といえば、これは同僚の研究室でランチをしていた時のこと。新しいコーヒー豆を試すことになり、入れて飲ませてもらったのだが、揃って味に「???」という顔。「この豆ってこんな味がするのかなあ」などと話していたら、「墨汁の味やなあ」という話に。誰も飲んだことがないはずなのに、みんな揃って「そう、それ!」。そう言えば、血も鉄分の味などという。鉄を舐めたことなどないはずなのに、成分からいえば確かに納得なのだが。その後、あきらめきれないメンバーは、また夕方に集まってもう一度コーヒーを入れてみる。飲んでみると、普通のコーヒーの味。この結果にまたも「???」となってしまった。いろいろと原因を追究してしまうのはほとんど職業病の世界なのかもしれないが、結論は「コーヒーメーカーを洗ったときの洗剤の残り」の味ということに。とかいいながら、真相は未だにもってわからないままである。
Jun 19, 2007
コメント(2)
今日は朝から強い雨、子供たちを幼稚園に送っていく役目。結局ズボンはびしょ濡れになってしまった。幼稚園まで子供を送りどけた後は実家に寄って両親のご機嫌伺い。どうということない話を15分ほどして自宅へ戻る。自宅に戻ったら、今日はマンションの工事、しかも我が家の扉を付け替えるので、閉じこめられるような養生と、扉を外したり、枠をつけたりするときのすごい音。これでは仕事にならないので、昨日の疲れをとるために30分ほど音が比較的マシな部屋でうたた寝。起きたらまずまずスッキリ。しばらくして非常勤先へと出発。途中下車して、サイフが最近やたらと破け始めたので、サイフを購入する。といっても、実用的かつ安いもの。ブランドなどあったものではない。それで十分だと自分では思っている。非常勤先に到着してからは教材のコピー、そして授業へ。2コマ、今回も静かだ。そろそろちゃんときこうと思っている人が残っている印象だ。終わった後はいつもと違ったルートで帰ることに。電車内では寝ることもなく、ただ、仕事の本は読む気になれなかったので、現在取り組んでいる曲のスコアを読む。ゆっくり読むとわかることがたくさんある。そして、帰宅。工事は終わっていて、ドアが交換されていると部屋が明るくなった感じがしてよい。落ち着いた気分で現在に至る。
Jun 18, 2007
コメント(0)
昨日、公園で遊んで帰宅してテレビをつけると、「オーケストラの森」をやっていた。京都市交響楽団による「アルプス交響曲」、指揮は大友直人氏。テレビをつけたのはちょうど頂上に着いたところだった。オーケストラのビジュアルとしてはこの後が面白いので、しばらく一緒に見ることにした。娘が「これってどんな曲なの?」ときくので「山登りで見た景色だよ。これからいろいろ出てくるよ」と答えた。息子はいろいろな楽器が映るたびに「この楽器は何?」ときいてくるので、一つ一つ丁寧に答えておく。息子はトロンボーンやティンパニ、娘はイングリッシュ・ホルンの細くて長い管の部分や、ホルンに興味があったようだ。「ホルンはなんで丸いの?」とか、「フルートは吹くときになんであんな口をするの?」とかきいてくるので、それも説明する。「あの指揮者、指揮棒持ってないよ。なんで?」という質問はさすがに答えるのが難しかったが...。さて、曲は進んでいき、雨が降り始め、嵐になっていくという場面になると子供たちは釘付け、中でもコントラバスがあちこち忙しそうに左手を動かしているところや、チェロやヴァイオリンが刻みまくっているところを見て、感心していた。「コントラバスって難しそうだねえ」「すごいねえ、ゴシゴシって感じ」と言っていた。嵐の場面でウィンドマシーンが出てくるところでは、「何じゃこりゃあ!」と息子が叫んでいておかしかった。サンダー・マシーン(といっても薄い金属の板を叩くというもの)を見ても同様のリアクションだった。嵐が止んで日没になったところでオルガンが登場、ホールのパイプオルガンが映ったときに「あれも楽器だよ」といったら、「うそ~、でっかーい!」と言っていた。そのうちこの曲の実演を聴かせることができたら楽しいだろうなと思った。ヴァイオリンをやっている娘はかなり感化されたようだ。あんな風に弾けたら楽しいだろうな...と。それは私も同じ気持ちだ。オケは楽しいのが一番、そうそう、その通りですな。
Jun 18, 2007
コメント(2)
金曜日、自宅に戻ってきたら、仕事部屋の机の上に2枚の絵が置いてあった。娘と息子がそれぞれ私に肩車をしてもらっているという絵だった。娘はよく絵を描いてプレゼントしてくれるのでたくさん絵があるのだが、息子からは初めてもらった。最初は「これ、パパの絵」といって渡してくれたものの、それがグシャグシャのかたまりみたいなもので、ほとんど現代アートのような世界だったのが、今やちゃんとわかる絵になっている。ちゃんと成長しているのだなと実感。この絵のように、仲のいい親子でいつまでもいたいものだ。まっすぐ成長していけるように頑張らなければと気持ちを新たにするプレゼントだった。
Jun 17, 2007
コメント(0)
今日は父の日だが、我が家は完全に子供の日である。自宅からちょっと離れた、子供たちのお気に入りの公園にやってきた。子供たちの目当ては池の周りを一周する遊歩道である。池には水鳥に鯉、そして亀などがたくさんいて、水面近くに上がってくると、子供たちは大喜びである。この道路を2人とも自転車に乗って走るのは今回が初めてである。娘が補助輪なしの新しい自転車、息子が補助輪つきのおさがりの自転車である。前回は息子がアンパンカーだったので、成長したなと思う。以前からこの公園で自転車に乗りたいと2人とも言っていたのだが、ようやく実現した。子供たちが喜ぶ顔を見るのはうれしいものだ。しかし、あと何周することになるのやら…。楽しもう。-------------------------で...自転車で颯爽と走る子供の後ろから、「パパ~早くおいで!」といわれつつ結局50メートルダッシュを10本ほど走らされてクタクタに。ただ、荷物を持たずにまっすぐな土の道を走るというのはとても気持ちがよかったことも確かだ。こんなに全力疾走したのって、いつ以来だろうか...。いい汗をかいたな。
Jun 17, 2007
コメント(0)
この曲は、心穏やかでいたい時に必ず聴いているような気がする。弦楽器の澄んだ響きが心を洗い、また時には癒してくれる。昨日も研究室の窓から外を見ながら聴いた。このところちょっと嫌なことがあって気分が沈み気味だったのだが、雲の切れ間から幾筋かの光が差している風景をバックに聴くと本当に気持ちが穏やかになった。シベリウスはこの曲を機会あるごとに好んで演奏したそうだが、その気持ちはわかるような気がする。-------------------------この曲が作曲されたのは1922年、交響曲第6番、第7番を作曲していた時期に当たる(確かに、そこに通じる世界があると思う)。サイナトゥサロ製作所(工場)の記念祝賀会で演奏される曲として注文されたもので、もとは弦楽四重奏として作られた。現在CDなどで収録されているのは、1930年に改訂された弦楽合奏版であり、ティンパニを最後に加えてよいとスコアにも書いてある。「フェスティーヴォ」とは「祝賀の」という意味で、曲そのものに込められたものを示すというよりは、曲の成り立ちに関係するものだと言えそうだ。祝賀といってもかなり喜びをかみしめてしみじみと歌う感じと言えそうだ。曲の構造はとても単純で一つの主題も基づくフレーズを何度か繰り返すというものだ。最初はト長調で開始するが、この主題の最後がホ短調に行ってしまうところがちょっと特徴的である。2つめのフレーズはホ短調的な部分がもう少し多くなる。3つめのフレーズは低弦がシンコペーションになり、跳躍する音型が出てきて、華やかなト長調になる。そこを抜けると音がそれまでの戻るべき高さを突き抜けて、イ長調で主題が演奏される。この部分はたったの2小節しかないのだが、一瞬の輝きのようで聴くとゾクゾクする。直後にはト長調に戻り、これまでのフレーズが短縮され組み合わされて、再現される。ホ短調で終わる和音でどんどんテンションを上げていき、ト長調になったところで最も強い音、さらにティンパニが登場して終わる。-------------------------この曲は何度か演奏したことがあるが、最も思い出深いのは、この日記を始めた日に神戸の東遊園地で夜明け前に演奏したときだ。阪神・淡路大震災から10年目を迎えたその日、出勤前に楽器を担いで始発電車に乗って行った。雨が降る中、本当に演奏できるのかと思っていたが、演奏の時にほんの少しだけ小康状態になったので、演奏した。曲の最後の方では雨がまた降り出した。「フェスティーヴォ」という名前がその場にふさわしいのかどうかといえば、何とも言えないところだが、清らかな響きと前向きなラストはやはり曲としてはふさわしかったように思う。これからもずっと自分のそばに置いておきたい曲だ。
Jun 16, 2007
コメント(5)
昨日は遅い帰宅のため、一日遅れの更新。午前中は1年ゼミのグループ研究。こちらは私が大きなテーマだけを決めてあとはすべて学生がテーマを決めて、調査をして発表させるという段取り。残り回数がだんだん少なくなってきて、佳境に入ってきた感じ。彼らなりに頑張って調べてきては見せてくれる。もちろん、かなりの部分を任せているとはいっても、肝心な部分は押さえていく。コメントをきっちりして、うまく行かなさそうだと判断すれば修正も要求していく。「任せつつすべては任せない」というスタンスである。学生はだんだん講義になれてきたようだが、その中で自分たちでやる作業があることがうれしいようだ。あまりに締め付けると「やらされ感」が出てしまうが、何もいわなければ危なっかしくて仕方がない。というわけで、少しだけ前を歩いて道を照らしていくイメージでやっている。それが終わった後で何人かが居残りで打ち合わせをしている。一段落したところで話しかけてみたら、けっこう話が盛り上がった。彼らによれば「もっとみんなで仲良くなりたい」とのこと。みんなで食事でもするかという話になりつつあるようだ。ただ、言うのは「みんなが行くんなら行くけど」と言っている人が多いのだとか。彼らの中から出てきた話だけに、これは実現できるように運んでいきたいと思う。問題は、持って行き方だな...。考えておこう。午後は授業。レポート提出の日だったが、エレベーターに乗っている時に、私が乗っているのに担当者だと気づかずに学生がレポートについて何やらいろいろ言っていた。その内容はともかくとして、担当者だって気づかないというのはどういうことなのかな??と思いつつ一人で苦笑。授業はこれといった特別なこともなく進行。ただ、いつもは見えない顔が何人かいたのはやはりレポート提出に来たからか??その後、レポートの採点をしばらくして、電車で繁華街へ。ゼミの卒業生で遠方の実家に戻ったメンバーが久しぶりに遊びに来るとの連絡。同期の卒業生を交えて飲み会。私が会ったのは1年ぶりだが、同期のメンバーは2年以上おそらく会っていないはずだ。しかし、近況報告をしてからいろいろな話で盛り上がる。私にとって、これまでで最も印象深い学年である(「よく学びよく遊べ」を最も体現した人たちである)。今でも年に何度か集まって飲んだり、同期で遊びにいったりしているようだ(なぜか私はもっぱら飲み会にのみお呼びがかかる)。イタリア料理店とイギリス風パブを食べ&飲み歩き、解散。気分がよくなりすぎたようで、とにかく帰るときは眠かった。途中駅でたくさんの乗客が降り、席が空いたので座った瞬間に意識が飛んだ。・・・・・・・はっ!気がつくと、最寄り駅から3つも先まで来てしまった!やってもうた!!慌てて下車するも、戻る電車はもうない...というわけでタクシーのお世話になってしまった。がっくり...。もう3駅我慢して立っておくべきだった。とても気分がよかったからそれはそれでいいかな。
Jun 15, 2007
コメント(0)
この曲は、冒頭から印象的。長いドの音のユニゾンで思い切り引っ張って「バン!」という和音。そして沈黙...。これを3回繰り返し何とかよるべきところに落ち着いて、後は「運命」を彷彿とさせる音型の連続で盛り上がっていく...。これは、ハインリヒ・フォン・コリンによる同名の劇に基づいて作曲されたものである。主人公はローマの貴族コリオラヌス。コリオラヌスはローマ市民から不当に追放され、それに怒った彼はローマ人の敵と手を結び、逆にローマを攻めていく。ところが城内には母と妻子がいた。「それだけはやめて...」というところだろうか。彼は結局軍隊を帰すものの刑を受けて破滅に追い込まれるという悲劇である。-------------------------冒頭はインパクトたっぷり(「ゾォ~~~、バンッ!...(←沈黙)」というパターン)。コリオラヌスが怒りを何かにぶつけているかのようだ。演奏するときにテンションが上がりすぎて和音を割ってしまって指揮者に叱られるというパターンがけっこうありがちだったりする。ユニゾンは弦楽器だけなのだが、ここでコントラバスの音が厚いととてもカッコイイ。和音の後の沈黙が深い。「休符も音楽のうち」とはまさにこのことである。第1主題は音型こそ違えど、「運命」の第1楽章に似ている雰囲気がある(ハ短調というところも同じ)。主題の落ち着かない感じはコリオラヌスが怒りに震えているところといったところか。この要素を使って盛り上がっていくが、しばらくして弦楽器の刻みも旋律を弾き始めるところはベートーヴェンらしい。その後今度は穏やかな第2主題(こちらは変ホ長調)。母や妻を表すのだろうか。しかし、これもいろいろな調へと移りながら、結局は短調へと行ってしまう。ト短調で全体がffになるところも「運命」と共通項。これが静まると次の部分へ。そこでは静かながらも厳しい動きが入っている。ヴィオラとチェロが分散和音でリズムを刻み続ける上を断片的な音型がヴァイオリンで続けられていく。同じ音型でどんどんとテンションを上げて頂点に達したところで冒頭の音型がヘ短調で登場。しかし、今度はまったく同じ形ではなく、さらにせっぱ詰まった感じの音型になる。それが静まると第2主題がハ長調で再現される。その後も一度出てきた音型が調を変えたり、ダイナミクスを変えたりしながら続いていく。そして、沈黙が再びあった後、第2主題がハ長調でもう一度繰り返されて、以前の半分の時間でテンションを上げきったところに冒頭の旋律。それが断片的になり、次第に弱くなっていくところは「結局ダメだった」という雰囲気。最後は第1主題がどんどん拡大されていき、ほとんど形がわからなくなっていって、最後は消えるように終わってしまう。このあたりは「英雄」の第2楽章の終わりと同じパターンであるように思う。-------------------------このように聴いていくと、この曲が「英雄」と「運命」(ほどは洗練されていないので)の間に書かれたことがわかるように思う。この曲は、弦楽器にとってみれば、楽器を弾くためのテクニックとしては、それほど難しいものではない方に属すると思う。しかし、「顔」は重要である。気を抜くと昔あったキリンレモンのCMの歌のようになってしまうのだ(これをその当時、大学オケの後輩に言ったらかなりウケていた)。あくまで悲壮な決意、怒りに震える気持ち、そして歯を食いしばっているような顔、それができないとこの曲は脳天気になってしまうのだ。そう思うと、演奏って不思議だなと思ってしまう。
Jun 14, 2007
コメント(0)
今日、娘がいきなり「パパ、たにけいって知ってる?」といういきなりの質問。アキバ系の次に来る何かなのか?と思ったりもしたが、何の脈絡もなく言うので、意味がさっぱりわからず「ガチョ~ン!ってやつか?」ときいたら、「へえ、知ってるんだ」と言われた。それはこっちのセリフだと思うのだが...。どうやら、これも出所はにしきのあきらと同じ「まるまるちびまる子ちゃん」からのようだ。まるちゃん一家がテレビを見ているときにみんな笑っているシーンで使われていたらしい。実際のところ、にしきのあきらもガチョ~ンも世代的には微妙にずれていて、ライブで見た記憶はほとんどないと思う。子供の方が実は雰囲気をよくわかったりするのかもしれない。今日は娘と朝はレモネードちゃんで遊び、夜はピアノで遊んだ。娘がレッスンでやってきた曲を私が娘に教えてもらうことにしている。私は楽譜は読めるのだが、ピアノを習ったことがないので指はすらすらと動かない。むしろ娘の方がすらすらと弾けている。そんな娘に「パパ、へたくそ~!」と言われれば、「だって、習ってないもん。だから教えてもらってるんでしょ?」などと切り返しながらコミュニケーションしている。こういう時間は本当に大事にしていこうと思う。
Jun 13, 2007
コメント(2)
今日は気持ちがとても不安定な感じだったが、授業が始まっていつも通りの私語からスタート。ところが、注意をするときにはなぜかいつもよりも平常心を強く持っていたような気がする。あの調子ならブチ切れそうなものだが、驚くほど冷静だった。叱る自分の姿をもう一人の自分がちゃんと見ているような感覚、やっぱりこれが必要なことなのだと思う。そのあと夜の授業までの空き時間も集中して仕事ができた。いつもよりもはかどったような気がする。仕事の合間に研究室から夕日を見ながらコーヒーを飲むと、さらに落ち着いてきた。もう朝の嫌な気持ちはだんだんとうすれていっていた。もっと冷静に、建設的にならなければと思うようになっていた。夜の授業はいつも通り、とても静かだった。まあ、あまりにも静かなので気絶していた感じの人も数名いたが...。終了後は同僚と恒例のラー研。久しぶりの店へと行き、そこのラーメンのおいしさを再確認した。今日のもやもやは水ならぬラーメンのスープに流したと言うところか...。飲み干したと言った方が正しいのかもしれない。とにかく落ち着いたので何よりだ。
Jun 12, 2007
コメント(0)
重い話が続くとしんどいので気分を変えてみよう。「レモネード」ちゃんとは、娘が自分のヴァイオリンに付けている名前。ヴァイオリンの先生から、「名前を付けてあげて」と言われて付けたのだそうだ。ちなみに、この名前は娘の好きなアニメ「プリキュア5」に出てくる主人公のうちの一人の名前である。幼稚園児に「毎日練習しなさい」と言ったところで、なかなか聞くものではなかったりする。外で遊びたい盛りなので、それも当然だろう。そこで、「レモネードちゃんがお外に出してちょうだいって言ってるよ」とか「レモネードちゃんもお相手してあげないとすねちゃうよ」と言ってあげるといいようだ。今日も朝から娘はレモネードちゃんを出してあげていた。そこそこ弾けるという感覚が持てるようになるまで長時間の練習は続かないので、キラキラ星を3回だけ弾かせて、横で見てあげることにしている。私がやることは、姿勢がおかしいのを直すことだけ、その一点に絞っている。ピッチが外れたら私が言わなくても自分で直しているので、こういう時は何も言わない方がいいだろうと思う。娘のピアノの先生とお話ししたときに、先生もそうおっしゃっていた。とにかく曲のポイントになることだけを絞って言うのだと。あれこれ言いたくなるのが大人だが、学びの段階によっては、あえて切り捨てて絞る勇気も必要だったりする。1日5分でも、楽器を肩に担いで歩き回るだけでもいいから毎日さわって欲しいというのがヴァイオリンの先生の要望。私もそれはよくわかるので、せめて見てあげられる時間にはちゃんと付き合いたいと思う。ところで、私の楽器の名前は何にしようかな??
Jun 12, 2007
コメント(2)
昨日、いろいろな人とメールをやりとりしていて、考えることがたくさんあった。どれも昨日の日記にかかわる内容だ。 自分の中でこれではいけない、いい加減さを許せないという気持ちと、空回りしているだけなんじゃないのか、そんなに熱くなっても損するだけだ、そんなことでは相手の気持ちを頑なにさせるだけだという気持ちとが、自分の中で喧嘩している。 いつも自分のスタンスは「仲間がいてこその自分」だ。だから、他人に対して温かい気持ちでいたい。それは小さな頃からずっと変わらない。穏やかでいることの方が多い。 でも、それだけに一度許せないエリアに踏み込まれたら、怒りは倍増してしまう。本当に許せなくなりそうな、キツい自分が登場してしまう。 でも、キレたらおしまいである。キレたところで、すべてをリセットできるわけではない。たとえ気持ちの上では許せなくても、建設的に話していくことが必要だと思う。どうやって話をしていくのかだな…。 でも、最終的には本質的な対立と向き合わなければならない時がやってくる。さてどうするか…。 もちろん、可能な限り円満な解決をはかりたい気持ちもとても強く持っていることも確かだ。理想は、かたちだけではなく、本当の意味で何もなかったかのように問題が解決していること。気持ちを切らさないようにしていこう。 つくづく思う。自分はこの上なく未熟だ。大人気ない人にだけはなりたくないし、何事にもまっすぐ向き合えない大人にも、冷めきった大人にもなりたくないな。それが大人になれない原因だなんて言われそうだが…。
Jun 12, 2007
コメント(2)
私が関係しているいわゆる組織と呼ばれるものは、いろいろとある。仕事でも趣味でも、生活でも...。最近思うのは、自分よりも年長の世代に大人気ない人が多すぎることだ。しかも困ったことに、そういう人に限って発言力が強いのだ。きっとその組織の中でいろいろと作り上げてきた人々は、その時代背景で最善の方法を考えられてきたはずだし、だからこそ組織は続いていると思えば、その経験は尊重すべきものだ。しかし、環境が変化して時代背景に合わない状態なのに、旧態依然のやり方でしか物事を決められなかったりする。しかし、確かなことはそういった人たちが意思決定をする権限を持っているのだ。しかも、それを使うのは自分のためだったりする。それでも、それは意識してそうしているわけではないのかもしれない。実は知らず知らずのうちにそうしてしまっているような気がする。だからこそ後の世代は困ってしまうのだ。的を外した意思決定のせいでいろいろな遺産が残ってしまう。これは若造がただの跳ね返りとして言っているのではない。権限や発言力を持っているからこそ、それをちゃんと使ってほしいだけなのだ。ちゃんといろいろな情報をとってほしいのだ。現場の方が生の情報を持っているのだし...。危機感を持ってハイテンションでいられる人の意見は重要だと思う。それを聴かずにあるいは無視してバッサリというのではやはりモチベーションは下がってしまう。「自分にやりたいことがあるのなら偉くなれ」とはよく言われることだが、それでは間に合わないことだってある。どんな組織もある程度存続していけば、そう簡単には壊れないものだ。しかし、だからこそちゃんとしていないと内側から崩れていくことになるし、環境変化の中でも生き残っていけない。仕切る人には仕切る人なりの責任というものがあるはずだ。必要なのは謙虚であることだと私は思っている。どんな人に対しても課題に対しても尊重して向き合うべきじゃないかなと。どうもこういうことでストレスが多いなと思う今日この頃だ。
Jun 11, 2007
コメント(2)
今日は久々に仕事でもプライベートでも外出の予定がない日だ。こんな日は久しぶりだということで、子供はやはり待ちかまえていた。朝早くから起きて「パパ~、起きてぇ~!」とドアップ攻撃をしてくる。目を開けたらその前に子供の目があるのだ。これはビックリする。朝食後、子供が公園に行きたいと言い出したのだが、近所の公園ではダメで、少し遠くにある子供たちがお気に入りの公園に連れて行けとのこと。とりあえず自転車を2台車に積んで出かけようとしたその時、大粒の雨が降り出した。とりあえず、近所の商業施設へ行き、昼食としてハンバーガーを。もうその頃にはバケツをひっくり返したような大雨。雷も鳴っている。外に人はいなかったのに、何とハンバーガーショップにだけは30人ほどの列ができていた。しばらく待って、持ち帰り用を買って、場所を探してようやく落ち着く。そのベンチの真横には子供の写真撮影スタジオがあって、しょっちゅうストロボの光がある状態。稲妻かとドキッとするが、音がしないので、ストロボだなと。しかし、落ち着かない...。昼食後も雨は止みそうになく、子供たちが「おうちに帰って遊ぼ~」というので、それに従うことに。午後は子供たちの相手をする。妻は久しぶりに解放されると、別の部屋に行って本を読んでいた。まあ、これまでしばらく我慢してもらったわけで仕方ないかなと。ただ、さすがに午後はバテる。というわけで、知らないうちにソファーで20分ほど居眠り。子供たちが「おやつ!!」と叫んでいるのを耳にして起きた。その後もお付き合いは続いた。子供たちは満足だったようだが、せっかく相手をするのならば、やっぱりスッキリ晴れて公園に行けた方がよかったなあと思う。自分の気持ちとしては中途半端...などと思いながら、子供たちの就寝後は明日の授業の準備をして現在に至る。何となく疲れたなという感じだ。
Jun 10, 2007
コメント(0)
今日は本番指揮者の練習。その前に、オケ内飲み友達室内楽の会をした。けっこう難しい曲がたくさん出されたのに、それなりの形になる。みんな素晴らしいですなあ。たぶん、きっちり詰めてやったらかなりいいものができるかもと思い、とても楽しかった。その後練習へ。本番指揮者はゆっくりめのテンポからスタート。本番は速いテンポで弾くことが求められていても、実際に何が起こっているのかをちゃんとわかって弾けているのかがとても大事。本当にちゃんと弾こうと思うならば、もっと頭を早く回転させないといけないし、やるべきことが先回りでどんどん出てこないと演奏としては危ない。ノーマルタイヤで雪道を走るようなものだ。ちゃんとスタッドレスタイヤで溝がちゃんと雪に噛んでいないとスリップしてしまうようなものだ。そこまでわかっていてのゆっくりテンポだ。それは指の練習でもあるが、やはり頭の切替の練習であるような気がする。西洋音楽を基調とする音楽にはすべて言えることだと思うが、音符が並んでいる場合に、その場所によって重みや強さが変わってくるし、和音のどの場所にあるのかでピッチや強さも変わってくる。ただ、見た目は同じように見えてしまうので厄介である。そういったことは文法なのでいちいち作曲家は書いていないのだ。私の場合は2ndVnなので、和音を弾くことが多く、それについては気を遣うという習慣がある。ちょっとわかるだけでもっと音が集まれるはずなのだが...。それから、やはり忘れてはいけないのが、曲の中の場面に応じて、ちゃんと音質を変えていくことだ。そして、そのための準備をきっちりとしなければいけない。明るいのか、暗いのか、優しいのか、激しいのか、いろいろな形容詞をちゃんと音に込めていかなければ客席にまでメッセージは伝わらないのだ。まだ音を取るので精一杯だっり、乗っかって弾いているつもりだったりといろいろな問題があるように感じる。指揮者にとっては、きっと練習曲のようにきこえて気持ち悪いんだろうな。そういえば、乗っかるということで言えば、ネガティブに後からついて行ってしまうところがあるかもしれない。そうではなくて、ちゃんと芯を持ってアクティブに合わせていかなければならない。ラグビーのようにいつパスが来てもいいように合わせて走っていく必要があるように思う。しかし...芯がある方がいいと言っても、それがガチガチであるとよくない。柔軟性が必要だ。アンサンブルは相手があることで、自分の思っている通りに来るとは限らない。とはいえ、拠るべき場所がないのに合わせろというのは無理な話で、その拠るべき場所を一緒に探していかなければならない。それに、弾き方において自分の思っていたことと違ったパターンが出てきた場合にはちゃんと一度は考えてみることが必要だ。音楽が求めるものに応じて柔軟に対応することが必要だ。「自分が決めたんだからそれこそ正しいし、それ以外はできない」というのでは、話がそこで終わってしまう。もっといいものをつくるためには、一度相手のやりたいことのふところに入ってみたり、音楽が求めるものを探りながら見直してみることが必要だろう。芯のある状態を作りつつ、柔軟に対応していくこと、それは仕事だろうと生活だろうと同じことであるような気がする。ただ生活と違うのは、気合いと根性だけではダメだし、キレてもすねてもダメだということ。などと考えていると、やっぱりオケってオトナの態度で臨むことが必要な趣味なんだなと思う。そういうスピリッツがあれば、高尚な趣味なのだと言えるのかもねと思ったりする。
Jun 9, 2007
コメント(0)
今日は、早めに自宅に戻ることができた。今年のシフトは帰りが遅くなるパターンなので、子供とお風呂に入ったり、ゆっくり話ができる金曜日は貴重である。戻ってきて自宅のドアを開けると、奥から「おかえりぃ~」という声が。姿はなく、隣の部屋で遊んでいる様子だった。そして、そこからきこえてきた単語はなんと「にしきのあきら」!!しかも息子が何で知っているのか??と思っていたら、今度は娘と二人で歌い出す。あいしてる~ぅ、(あいしてる~ぅ)、と~て~もぉ~(と~て~もぉ~)****(中略)****そらにぃ~、たいよおがぁ~、あ~るかぎ~りぃ~!!(絶叫~~!!)ちゃんと音も間違っていないのだが、それはともかく何でこの歌なのか??と思っていると、「まるまるちびまる子ちゃん」でやっていたネタらしい。確かに、ちびまる子ちゃんはそういう時代の話だったよな...。ずっと壊れたレコード状態で繰り返し歌っている。「はいじゃあ、5番を歌うよ」と言って、1番を歌う。「何番でも全部いっしょやないかい!!」とツッコむが2人はお構いなし。延々と歌謡ショーは続いていた。明日は実家に行くのだが、母はこれを聴いて腰を抜かすのではなかろうか...。
Jun 8, 2007
コメント(0)
今日は午後から授業3連発。いずれも講義形式ではなく、ゼミ形式の授業。学生の顔がすべてわかる授業というのはやはり楽しい。相手の反応を見たり、時には突っついてみたり、笑いを交えた説明をしたり、そして熱く語っても見たり。1つめは大学院。今日の課題も少し難しいものではあったが、自分なりの説明を学生はしてくれた。その後、こちらがいろいろと説明していくのだが、一方通行ではなく、また身近な現象をどんどん使って説明する。少し話しすぎて振り落とされそうな雰囲気を感じれば、ときどき笑わせることを言って雰囲気を和らげてみたりする。爆笑ではなく、話の内容でクスッという笑いが取れれば上等である。難しいことをやっているからこそ、しかめっ面だけではなく、笑顔を見てみたいと思う。今日は最後にうまくオチをつけて帰ることができた。2つめは3年ゼミ。こちらは、教材が難しいという評判がゼミ生の間にあることは感じていたので、勇気を持ってペースを半分に落としてみた。半分でも内容は十分に濃いので、ちゃんと説明すれば時間がそれなりにかかる。ディスカッションの課題ももちろん減らして、量より質を取りに行った。結果は上々、わからない用語も丁寧に説明。難しいことでも聴いてみよう、わかってみたいという気持ちが表情を見ていると伝わってくる。ちゃんとつながってる感じが心地よい。こういう充実した時間はあっという間に過ぎる。3つめは4年ゼミ。こちらは卒論の発表。みんなきっちりとやってきている。ちゃんと考えて質問もしている。こちらがいろいろと説明していくこともやっぱり聴いてくれている。4年生ともなるとうなずいたり、表情豊かに説明を聴いてくれる。こちらもちゃんとつながっている感じ。やはり楽しいので、これもすぐに終わった感じ。今日は久しぶりに授業できわめて高い充実感のあった一日。最後は3年ゼミ生と以前から約束していた飲み会。出席率が極めて高く、会も楽しいものとなった。これまでに話はいろいろとしてきたが、個人レベルでゆっくり話せたことは大きな収穫だった。ゼミ生同士でもしっかり交流は図れてきたようだ。まだ2ヶ月ちょっとではあるが、「このゼミを選んでよかったと思う」と言ってもらえたことはうれしかった。これからもっとかかわっていければと思う。また来週会うのを楽しみにしよう。
Jun 7, 2007
コメント(2)
昨日は、同僚と飲み会だったので帰宅が遅くに。一日遅れの更新。昨日の会議では、いろいろなことが伝えられた。そのうち、驚いたのはお金の話。「研究費も成果主義にする」という話だった。一律の金額をみんなに配分というのは確かに「はやらない」話になってきている。みんな同じ金額でという話なら、ちゃんとしない人が出てくる、いわゆる「モラル・ハザード」が起こって、お金が効率的に配分されないことになるということだ。それはそれで、説得力のある話ではある。「ちゃんとしない人は減額」というのは、ちゃんとしようとしている人にとってはそうあって欲しいと思うだろう。ただ問題は、では「ちゃんとしているのかどうかをどうやって評価するのか?」ということである。評価基準の問題である。例えば、論文の数を基準とすると、どんなものでもいいのかという話になるのは、少し考えれば分かる話だ。それでは困るというので、「レフェリーつき雑誌に掲載されること」を条件にしたら問題になる。レフェリー付きの雑誌への投稿の場が多い分野はそれでもいいが、分野によってはその場がないことや、あっても極端に少ない(学会員全員が出せば確率が0.1%以下)ということだってあるのだ。だからといって、学内の研究誌に投稿すればいいということになって、もし殺到してしまったら、今度は予算オーバーになって、どうやってお金を工面するのかとか、どうやって投稿者を減らすのかといった話にもなりかねないことだって考えられる。そういう極端なケースはあり得ないとか何とかなるだろうと考えてしまいがちだが、そこに落とし穴があるように思えてしまう。企業における成果主義の実態を見れば、導入した人が「想定外だった」としていることでも、制約要因を考えれば人々はそう動くだろうと理解できることはたくさんある。知らず知らずのうちに「うちの社員なら大丈夫だ」というモデルを頭に描いてしまうのだろう。また、学外からの研究資金を得ているかどうかということを基準とすると、それをもらっている人はさらにたくさんもらえて、そうではない人はさらにもらえないということになる。この「もらえる」機会も分野によっては偏りがある。これを公平だとみなせるかどうかという点については議論の余地があると思う。さらに、研究にだけ焦点が当てられると、学生へのサービスはそっちのけになることだってありうる。条件を満たすための作業に忙しいとなれば、学生に対してきめ細やかなサービスをすることは難しくなってきてしまうかもしれない。授業の準備に時間をかけることをしなくなることだってありうる。「授業も研究も高いレベルで」というのはもちろんのぞましい姿なのだが、人間に与えられた時間は1日24時間と平等であり、変えることは絶対にできない。それに、授業についての評価はとても難しく、数値化が最も合わないものだ。数で示すことのできる研究に気持ちが行きやすくなるのではと心配する。評価をするという場合、もちろん基準をいろいろ作ることは必要なことではあるが、「ちゃんとしているかどうか」の基準に妥当性があるかどうかはやはり問われるべきだし、実際には「誰が見てもダメ」という人については、たくさんの次元を使って測るまでもなく、わかるのではないかと思ったりする。基準をすべて満たしていても総合的にはめちゃくちゃという笑えない例もあるだろう。あと、「ちゃんとしなければこうなる」と言われたことはわかるのだが、「ちゃんとしたらこういういいことがある」という点については具体案が何も示されていないことも問題だと思う。必要以上の不安をあおられているような気がしてしまう。ルールが変わるのは必要だからこそだし、そういう場合に全員の意見を聞いている場合ではないこともわかるのだが、最後のプロセス「伝える方法」も中長期的なモチベーションに影響を与えてしまう点からすると、大事なことなのではと思う。大学はサービス業だということならば、現場の従業員がいきいきと働ける職場でもあって欲しいと思う。もちろん、私はその時々でモチベーションを下げることはないだろうと思うし、学生に対してもきっちり対応することは責任だと思うので、それもやめないだろう。しかし、ルールによっては、その条件を満たさなければならないわけで、時間配分など考え直さなければならないのかなと思ったりする。「あちらが立てばこちらが立たず」ということをよりタイトに実感しなければならないのかもしれないな。
Jun 7, 2007
コメント(2)
今日は大学に出勤するが、その前に所用で実家へ立ち寄る。そこで最近流行しているはしかの話になった。「あんたは大丈夫なん?検査とか注射せんでええの?」と母に言われる。そこでふと思った。「自分ははしかの予防接種は受けたのだろうか??」母に聞くと、「覚えてないなあ。それなら母子手帳を探してくるわ」と言って、しばらくすると、母子手帳をもってきた。私のものだから相当古いもの。でも、よく残っていたなあと思う。はしかの予防接種記録はない。つまり、予防接種はしていないということだ。そこで、「そもそもはしかはかかったのか??」という疑問はあったものの、私も母も忘れている。今やワクチンは不足しているし、検査にも時間がかかるようで、これはどうにもならんなあと。「オッサンはかからんからええやろ」って...いや、ええんか?!それは。この年になって初めて見た自分の母子手帳。生まれた病院はすでに商業施設へと変わっており、面影は全くない。もちろん、すべて手書きで、これも新鮮だった。私が生まれてからこれまでずっと、この母子手帳は家の片隅で成長を見守ってくれていたのかな。
Jun 6, 2007
コメント(0)
(↑今日はゆったりした気分で飲めたぞ)今日は、1週間の中で最もやりにくい授業のある日。いつもどおり最初からうるさいので、今回はいきなり一喝する。さすがにあまりやらないことなので、すぐにシーンとなった。そしてしばらく続けると今度は遅れて入ってきた学生が先に来ている学生に話しかけてまたうるさくなる。というわけで、誰がうるさいのかを示して注意。紙くずを投げて遊んでいるのだが、何をやっているんだか...。「そんな人はどうぞ帰って!出席も取らないしレポートの提出だってないのだから!」と言ったら、今度は静かになった。しかし、こういう人たちはどうにもならないなと思っていた。しかし、面接する側の立場から見てどうなのかという観点から就職活動の話をしはじめると、とたんに教室の雰囲気が変わった。今のうちにちゃんとできない人は、気づいたときにはもう遅いということや、そういうことは面接の時にすべて見抜かれているのだという話をすると、今までどうしようもない雰囲気だった学生も話を聞き始めた。話もまともに聞けないようではスタートラインにすら立てないということ、そんなに社会は甘くないということ、当たり前のことだがそれを教えられてきていないのかなと思う。大学が社会への出口になるのだから、そこまでにできていないのならば、誰かが言わなければならないことで、実はそんなの分かり切っているじゃないかと思わずにストレートに伝えてみることが大事だなと今日は思った。来週の彼らがどんな顔をしてやってくるのか、楽しみにしておこう。
Jun 5, 2007
コメント(4)
今日、仕事から自宅に戻ってテレビを見ていると、スタジオジブリの話をやっていた。宮崎駿氏と高畑勲氏という「2人の巨匠を操る猛獣使い」ということで、鈴木敏夫氏が出ていて、いろいろなエピソードを語っていた。背景のスペシャリスト、音楽のスペシャリスト、いろいろな人々がジブリの作品にかかわっている。どこを切り取っても素晴らしい仕事だ。見る側は普通に見るだけではそのようなことを感じない中に、とことんまでのこだわりがある。クリエイターってやっぱりすごい。さらに、チャンネルを変えると、今度は小林製薬の社長が出てきていて、面白いネーミングをどのように生み出して、世に送り出しているのかが紹介されていた。どの商品もとても面白い名前でとにかくわかりやすい。ドラッグストアに行って商品を見ると、「そのままやがな!」と思わずツッコンでしまいたくなるネーミングである。よく考えてみれば、「そのままやがな!」とお客さんに言わせた時点で売り手の勝ちである。指名買いでない限り、知らず知らずのうちに刷り込まれた名前やパッケージに手が向かってしまうのだ。社長が言っていたのは、売れるためには「カッコイイ」か「インパクトがある」かのどちらかで、それを追求することが大事だということだ。なるほど、確かに...。それを数限りない選択肢の中から割り出していく、クリエイターの世界はすごい。そして、クリエイターと言えば、音楽家もそうだ。羽田健太郎さんが亡くなった。「題名のない音楽会」などで最近は目にすることが多かったが、1週間テレビに登場しなかったと思ったらいきなりの訃報だ。「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲が有名だが、あの音楽もよくできているなあと思う(何しろ最初のシリーズからずっと見ているもので...)。テーマ曲は音色やリズムの変化がごった煮っぽくて面白いと思っていた。私が以前に一緒に演奏する機会のあったプロの演奏家が、羽田さんと大学の同級生だったそうで、当時のエピソードをいろいろと教えてもらったことがある。そんなこともあって、お会いしたことはないが親しみを感じていたので、ショックである。心からご冥福をお祈りしたい。今日はなぜだかクリエイターづいていたのだが、私は憧れを持つものの、自分にはできないなと思ってしまう。とはいえ、いつもの生活や仕事の中でいろいろと工夫していくのも、広い意味で言えばクリエイティブな活動になりうる。具体的なエピソードに触れたことで、私もやらなければと思った。頑張っていかないとね。
Jun 4, 2007
コメント(4)
運転免許の更新にやってきた。今回は5年間無事故無違反だったので、優良ドライバーということに。 メリットは講習時間の短縮だけではなかった。なんと、写真撮影も優良ドライバー用のブース。一般ドライバーがたくさん並んでいるのに、誰もいない。テーマパークのファーストライドのような感じ。拍子抜けするほど早く講習へ。 講習は大半がビデオ。スピードの出し過ぎ、飲酒、携帯電話の危険性について。いずれもやらないのが自分の中では当たり前である。電車に乗る時も特急を選ばずに進んで普通を選んでしまう性格が活きているのかも。 最後に自転車について触れられていたが、これは運転免許を持たない人にこそ聞いてほしい話だ。車を運転する人は少なからず自転車の無謀運転に焦った経験があるだろう。もちろん、車のドライバーも気をつけなければならないのだが、無謀な自転車を避けきれないことだってありうる。それも車のせいにされてはたまらない。車を運転する人は気をつけているはずだが、相手にもわかってほしいものだ。 最近、免許更新のセンターでは、交通安全協会への入会を半分強制するということがなくなった。ニュースでさんざん取り上げられたからだろう。とはいえ、けっこうプレッシャーはかけられるが…。今回は振り切った。あと、講習が終わった後、出口でSDカードの勧誘があったが、今さらという印象。私が免許を取ったころにはあったが、ペーパードライバーになるほどもらえる確率が上がるので、「SD=スーパーデンジャラスちゃうん?」などと言っていたことを思い出した。 全行程1時間足らず、以前に比べてとても楽な免許更新だった。これからも安全運転を心がけよう。
Jun 4, 2007
コメント(0)
今週は土日ともに仕事でちょっと遠くまで行っていた。そんな合間を縫ってというわけではないが、オケの練習へ。仕事を終えて、とにかく乗り換えの時には全力疾走、自宅までも早歩きして、着替えて楽器を持ってすぐに練習場へ。もうほとんどへとへとになっていた。今回は本番指揮者の練習。1ヶ月ほど前にかなり悲惨なコメントと宿題をたくさんもらって臨んだ。結果は、「だいぶんよくなった。これでやっと表現を動かすことができる。オケとして本当にうまくなりたいのならば、こうなるのをもっと早くできるようになった方がいい」というコメントで、ひとまずほっとする。前回はほとんど要求されるテンポ通りで練習したというイメージがあまりに強かったこともあって、ここ1ヶ月の練習もそのスピードに近かったのだが、指揮者は思いきってゆっくりとしたスピードで練習した。でも、これは当たり前なのかもしれない。曲の有機的な構造を無視して練習したのでは、音をブレンドするという表現が十分にできないことになる。とにかく音をわからせるように演奏するためには、まずゆっくりから慣れることが大事だということなのだろう。音をわからせるようにといえば、アクセントを音程が聴き取れないほどきつい表現にしてはいけないということを何度もいわれたが、確かにそうだなと再確認した。音楽はお客さんに形を聴き取ってもらってナンボのものであり、楽譜に書いてあることを守ったのだからいいでしょということではないのだということだ。書いてあることを守るということが大事なのは当然として、いかにそれを有効なものにするかということこそ重要である。夢中でやっていると、あるいは一つの側面に必死になっていると見落としやすいことだ。あとは、音質をもっと揃えることが重要だというのも、大事なことの再確認となった。チューナーの針では合っていても、弾き方が違って音質が違うと、音程がずれているようにきこえてしまうというのは、あるパートがつかまっているのを聴いていて、確かにあるなと思った。もっとみんなでちゃんとその音に対するイメージを持って、揃えていかなければならないということなのだ。それから、「表現するときには自然に」ということも再確認。これはどういうことなのかというと、音が弱くなっているのに表現を強くしなければいけないときなどには、目がぱっちりと見開いたりするし、表情も変わっていくはずなのに、それがないということだ。確かに、ヨーロッパの一流オケの奏者は確かにみんな表情豊かだ(目もしっかり見開いている)。それに対して、日本のオケの場合は、そこまで感じないなあと思うオケもある(もちろん、全部ではない)。ある指揮者の人が講習会に来る受講生に対して「顔がよくないねえ」とよくいうのだという話をきいたことがあるのだが、これも同じことを言っているのかなと思う。顔がよくないというのはイケメンでないとか、ブサイクだとか、そういうことでなくて、音楽に見合った表情(動きも顔も)がちゃんとできていないということなのだろう。ちなみに、弾いている途中で「ほらもう、顔が変わらないねえ...」と指揮者が言ったのだが、それは私を見て言われたような気がする。自分が出てくるまでの表現に「???」と思っていたら、一瞬だがテンションが下がってしまったのだ。完全に見抜かれていた。さすがプロ、恐るべし...。このように、課題は山積なのだと思うが、やっと今回の練習でスタートラインに立てたということだ。終わった後は例のごとく一緒に飲みに行った。そこでは、アマチュアが練習指揮をするのがなぜ難しいのか、どうするのがいいのかといったことを教えてもらった。それは自分にとって次回いつ役立つかともわからない知識なのだが、興味深く聴かせていただいた。1回の練習でも、すごく勉強になるなと思った。
Jun 3, 2007
コメント(2)
最近、マンションが大規模修繕中で、いよいよペンキ塗りの作業が始まった。最近では技術の向上により、かなり臭いは抑えられていることはわかる。しかし、それでもかなり臭う。建物自体がちょっと古く、震災で多少は歪んでいると思われるので、窓を締め切ってもサッシの隙間から臭いが入ってくるのだ。この臭いはしばらく続きそうだ。窓を開けられないのがつらいところだが、新しく色を塗られた壁はやはりキレイで気持ちがいい。もうしばらくのガマンだ。 ところが、最近、近所でペンキ塗りラッシュで、自宅から歩いて3分ほどはずっとペンキの臭いばかり。錆止めがかなり臭い。家の中も外も臭いだらけ、頭が痛くなりそうである。
Jun 2, 2007
コメント(0)
とは、保険会社のCMではないが、今日接した学生を見ているとそう思えてきた。今日は午前中に1年生のゼミ。こちらは毎年そうしているのだが、いよいよグループ研究をさせる段階になった。まず大学生活に慣れさせること、そしてどうやって学習を進めていくか、その具体的なやり方を教えて、これからは自分たちの力で一つのものを形作ってもらう作業である。運転免許で言えば、路上教習に出る段階だということになろう。その心は、もちろん単位という免許はもらえても、後の運転が大丈夫なのかどうかは自分次第だし、実は運転してみてそれが奥の深いものだとわかるということだ。今日は手始めとしてテーマを決めて、さらにPCを使っての図書、記事検索の方法を教えた。グループごとに研究室に呼び、少人数で見せながら教えることに(教室に設備があれば済むことなのだがない...)。しかし、グループの入れ替えの間を利用して、それぞれの学生と話をすることができたという点で、これはよかったと言える。授業が始まって2ヶ月、そろそろ慣れてきたのだろうが、悩みや不満などを抱え始めている。それを聴いてあげるのも大事な仕事である。私との距離はずいぶん縮まってきたように思う。まだまだ大学生活はこれから、しっかり有意義に過ごしてもらえればと思う。午後は授業。2年生のクラスだったが、こちらは一部を除いてそれなりに学生がテンションを持って臨んでくれているので、授業自体はやりやすい。特にきっちりと食いついてくる学生がいることがわかると、こちらもやる気が高まる。講義と言えば一方通行のイメージだが、できるだけそのようにならないように気をつけている。反応、顔色、場の雰囲気などなど、見ていればいろいろなことがわかる。時には問題を出して、考えさせて、その間にフロアを回り、学生と話をする。お互いが「相手に対して関心を持つ」ことを確かめる上で大事なことだと思う。2年生をどう過ごすかというのはけっこう大事だなと思ったりする。変な要領だけを覚えて適当にこなしていくか、こなしていけるならまだしも、限界がきてボロボロになってしまうか、それともきっちり過ごして成長していくことで2年後の勝ち組になるのか(それは就職してからもつながっていたりする)、それはこの時期の過ごし方で決まるように思えるのだ。だからこそ、時と場合を選んで厳しい一面を見せるようにしている。「人生まだまだこれから」、でも、これから伸びていくかどうかは確実に決まっていっているように思う。頑張ってもらえるといいなと思う。今日は通勤時に電車のトラブルでずっと満員電車でギューギュー、帰るときもラッシュにあってギューギュー、とにかく疲れた...。
Jun 1, 2007
コメント(0)
全37件 (37件中 1-37件目)
1

![]()